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Home >  News >  RIP > R.I.P. Manu Dibango - 追悼 マヌ・ディバンゴ

RIP

R.I.P. Manu Dibango

R.I.P. Manu Dibango

追悼 マヌ・ディバンゴ

小川充 Mar 26,2020 UP

 新型コロナ・ウイルスの感染者・陽性反応者に世界の著名人の名前が上がり、連日のように報道されているが、音楽界ではマヌ・ディバンゴが感染し、パリの病院で亡くなったというニュースが3月24日に発表された。ヨーロッパの中でもイタリア、スペインに続いて感染死者数が1000人を超えたフランスでは、ロックダウンが敷かれて外出や集会の禁止令が出るなど、まるで戦時下のような緊迫した状態が続いていると聞く。そうした中、マヌ・ディバンゴがどのような経路でコロナに感染したのか明らかではないが、1933年生まれの享年86才と高齢だったので、感染による死亡のリスクが高かったのだろう。アフリカのカメルーン出身のサックス奏者で、アフリカ音楽を世界に広めた第一人者として知られる彼の死にショックを受けた人は少なくなく、SNSではジャイルス・ピーターソンやアンジェリーク・キジョーなどが追悼のコメントを寄せている。

 ここからはマヌ・ディバンゴの音楽を振り返りたいが、私はレア・グルーヴ的な方面からマヌの音楽を知るようになり、彼の作品の全てを聴いてきたわけではないので、クラブ・サウンドやダンス・サウンドとの接点からマヌの音楽を紹介したい。これまでアフリカ音楽がワールド・ミュージックの一部として注目を集める波がいくつかあり、大きな波では1980年代初頭にキング・サニー・アデ、ユッスー・ンドゥール、モリ・カンテなどが出てきて、欧米でもデヴィッド・バーンやピーター・ゲイブリエルなどがアフリカ音楽に傾倒するようになった時期がある。それ以前に遡るとフェラ・クティがいて、元クリームのジンジャー・ベイカーやロイ・エアーズなどがそのサウンドに魅了されて共演してきた。フェラ・クティ、トニー・アレン、ジンジャー・ベイカーが共演したライヴ盤は1971年のリリースだが、この頃のロンドンにはアサガイ、オシビサ、マタタなど多くのアフリカ人バンドがあり、ほかのヨーロッパ諸国でもアフリカや中南米からの移住者がいろいろと活動していた。中でもフランスはアフリカ系移民が多く、そのひとりであるマヌ・ディバンゴはカメルーンからの移住者だった。当時はアフリカ音楽にジャズ、ロック、ファンクなどを結び付けるのがトレンドで、フランスだとラファイエット・アフロ・ロック・バンド(アイス)やケイン・アンド・アベルなどが代表的なバンドだが、マヌ・ディバンゴもそうした中から頭角を現した。そして1972年リリースの『ソウル・マコッサ』によって彼の名前は世界中に広まるが、マコッサとはカメルーンの言葉でダンス・ミュージックを指す。

 マコッサはマヌ・ディバンゴの音楽をそのまま示すものだ。彼が最初にフランスで出したレコードは1964年のEPで、その中ではルンバやチャチャチャなど当時の流行のダンス音楽をやっていて、1969年のファースト・アルバムはその名も『サクシー・パーティー』と、一貫してダンス・サウンドやパーティー・ミュージックを指向している。アフリカ音楽が持つ生命力や開放感をダンス・サウンドとして表現していたのがマヌだった。『ソウル・マコッサ』はアメリカはじめ世界のさまざまな国で発売され(『オ・ボソ』とタイトルを変えてリリースもされている)、タイトル曲の “ソウル・マコッサ” が大ヒットした。当時、日本でもトヨタ車「カローラ」のCMに用いられたほどだ。ラファイエット・アフロ・ロック・バンドやアフリークなどいろいろなカヴァーが生まれ、アルマンド・トロヴァヨーリの “セッソ・マット” などそのフレーズを用いた曲も多い。プレ・ディスコとも言える曲で、ヴァン・マッコイの “ハッスル” などは明らかにその支流となっている。ヒップホップのサンプリング・ソースにも多数使われており、要するに一度聴けば耳に残って離れない単純明快さがある。ジャズ・ピアニストのジョルジュ・アルヴァニタスが参加するなど実は演奏的にはしっかりしたものであるが、ポピュラー音楽としては誰もが口ずさめる単純明快さが決め手で、それがおよそ半世紀に渡ってダンス・クラシックとして存在してきた理由だろう。

 『ソウル・マコッサ』には “ニューベル” という曲も収録していて、こちらはより土着的なアフロ・ファンク色の濃い渋めのナンバーだ。デヴィッド・マンキューソのロフト(アメリカでは彼が『ソウル・マコッサ』を初めてプレイした)、ラリー・レヴァンのパラダイス・ガレージなどのアンダーグラウンド・クラブではむしろこちらの方が好まれ、後にマスターズ・アット・ワークもリミックスしている。1973年の『マコッサ・マン』は “ソウル・マコッサ” の続編的な “ウェヤ” や “センガ” はじめ、さらにダンサンブルなアルバムだ。“ペペ・スープ” はアフロ・ディスコ~コズミックの源流に位置付けられる楽曲で、フランスでもセローンのコンガスやマルタン・サーカスの “ディスコ・サーカス” はじめ、ディスコ・サウンドにアフロの要素が入り込むようになったのはここからと言える。『アフロヴィジョン』(1976年)ではよりディスコに接近した “ビッグ・ブロウ” のヒットを放っていて、当時の日本でも故中村とうよう氏によって、フェラ・クティと共にマヌが本格的に紹介されるようになった。この近辺の1970年代のリリースでは、もともとライブラリーとして制作され、サイケデリックな電子音を交えたよりトライバルなサウンドの『アフリカデリック』(1972年)、同じくライブラリーでブラック・プロイテーション的なジャズ・ファンク色の強い『アフリカン・ヴードゥー』(1972年)、超カルトなサントラ盤の『カウントダウン・アット・クニシ』(1975年)などが後にレア・グルーヴとして発掘された。

 1980年代に入ると、スライ&ロビーと組んでジョスリン・ブラウンやグエン・ガスリーらをフィーチャーし、レゲエなどにも挑戦した『ゴーン・クリアー』(1980年)、ビル・ラズウェルのプロデュースでハービー・ハンコック、ウォーリー・バダルー、バーニー・ウォーレル、モリ・カンテらをフィーチャーし、エレクトリック色の強くなった『エレクトリック・アフリカ』(1985年)と、時代に即したサウンドもやっている。1987年にはマテリアル、ビル・ラズウェル、ハービー・ハンコック、ブーツィー・コリンズ、グランドミキサー・D.ST.、スライ&ロビーらと一緒に “マコッサ・’87(ビッグ・ブロウ)” として “ソウル・マコッサ” をリヴァイバルさせているが、この頃より始まったレア・グルーヴの波によってマヌの音楽が再評価されるようになった。私も最初はこの “マコッサ・’87(ビッグ・ブロウ)” からマヌ・ディバンゴの世界に入った口であるが、マヌの作品と出会わなければ、アフリカ音楽というものに興味を抱くようになったかどうかは怪しい。フェラ・クティと共に、アフリカ音楽におけるターニング・ポイントとなった偉大なミュージシャンである。

 冒頭に戻るが、マヌ・ディバンゴはアンジェリーク・キジョーにとって偉大なアフリカ音楽の先人で、2ヶ月ほど前にパリで一緒にリハーサルをしたそうだが、そのときのヴィデオではマヌの代表曲である “ソウル・マコッサ” を楽しそうに演奏していた。演奏風景ではまだまだ健在という様子だったので、彼の死が非常に残念であるとともに、新型コロナ・ウイルスの恐ろしさが改めて知らされる。

小川充

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