Home > Interviews > interview with Cosey Fanni Tutti - スロッビング・グリッスルを語る
たとえばジミ・ヘンドリックスであったり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような存在が。彼らは、自分たちの生きる世界や生を探究していき、自分たちは自らをどんな風に表現したいのか? を探っていった、その意味では似たような存在だったし、それはまた、わたしたちがやっていたのと同じことでもある。
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■なるほど。あなたの個展を観てわたしが強く感じたことのひとつに、あなたのグラビアやヌード写真の「強さ」があったんですよね。たしかにあなたはものすごくご自分をさらしていましたが、『プレイボーイ』あたりの好むベビードール・ドレス姿やバニー・ガールといった子供っぽく可愛らしいイメージとはまったく違う。あなたがあの写真を自分でコントロールしているのがわかったし、単なる「セックスのオブジェ」ではないんだな、と。
コージー:そうやって、ある女の子は「オブジェ」という風に映るけれどもそうは映らない女の子もいる、というのは、やっぱりそれぞれのキャラクターの違いゆえだと思うけれど? わたしは、まあ……とにかくこう、何と言ったらいいかしら……そうね、わたしはいつだってとても強い人間だった、それだけ。
■(笑)。
コージー:(笑)。どうしてかと言えば、とにかく、わたしが大きくなった頃、わたしが育った時代ゆえなのよね。それもあったし、自分の家庭環境も。わたしは中流ではなくワーキング・クラス出身で、貧しい公団暮らしだった。ああいう環境では、居場所を確保するために闘わなくてはいけなかったのよね。というわけで、わたしはこう、ちょっとばかり厄介で胡散臭くなりかねない、そういったシチュエーションに対処するのに若いうちから慣らされてきたのよ。
それもあったし……わたしのなかには、非常に強固な「自分はどういう人間か」という概念が備わっていた。いつだってそうだったし、それはわたし自身の存在のなかにあった。だから、自分がどんな場所にいたとしても、それは「わたし自身」がその場にいたいと思うから(=他者に強制されたわけではなく)そこにいたんだ、と。
■ああ、はい。
コージー:だから、それはわたし自身の選択、自ら「そこにいたい」と選んだからこそわたしはあそこにいた。だから、もしもそういう場に行くことにして、そこで困った事態に巻き込まれる羽目になったとしても、それだってやっぱり、「わたしの選択」の結果だった、という。たとえ、その場にいた人びとは、本来わたしに対してそうした困った振る舞いをすべきではなかった、としてもね。
■でも、あなたのアートにはフルクサスからの影響もあると思うのですが、しかしあなたは小野洋子ほどピースな出方をしていませんよね。もっと挑発的だったし、もっとフェティッシュで、オブセッシヴでした。なにがあなたをラジカルな方向に向かわせたのでしょうか?
コージー:そうねぇ……それはきっと、とにかくわたしがそういう人間だから、ということに尽きると思う。だから、大半の人間たちが直面しているリアリティ、現実とコネクトしたい、そういう人間なのよね、わたしは。それは、人間はどんな風に日々の生に対処していくか? ということ。だから、どうやってリアリティに取り組んでいくか……その現実から逃避するのではなくて──たとえば、ヨガだったり、瞑想に逃げ込むのではなくて。もっとも、わたしは別に、ヨガ/瞑想を敵視しているわけではないし、ああいうのがあっても構わないんだけれども。
■ええ。
コージー:ただ、わたしが取り組みたいと思うのは、「人間」そのもの、それがどんな風に現実と関わっているのか、そして同じ人間同士の間でどんな関係を結んでいるのか、そこなのよね。というのも、結局は、わたしたちってそういう存在なわけでしょう? わたしたちは他の人間とコミュニケートしなくてはいけないんだし。だから、自らを他から隔離してしまい、そこで浮かんできた何らかのセオリーを「芸術作品」として提示することではない、と。そうではなくて、わたしのアートというのはわたしの実人生についてのもの、そういうことね。で、願わくは、それが受け手の心を動かして人びとがそれについて対話をはじめるに足るような、そういうアートであってくれればいいな、と。わたしだってかつて、アートに触れて同じように反応したわけだし。
■しかしそうやってリアリティを相手にすることは、人間の醜い部分に接することでもありますよね?
コージー:そりゃもちろん。だからTGはああいうことをやったわけでしょう? 要するに、ラヴ・ソングの数々、愛ってなんて素敵なんだろうとか、天国にいるみたい云々、そういう歌があるのはもちろん大いに結構。ただ、わたしたちは実際、様々な物事に直面しながら日々を生きるしかないんだし、そこには心のなかで感じる苦悩をはじめ色んなものが含まれている。どうしてかと言えば、人間というのはそういう生き物だから、なのよね。わたしたちにはとんでもなく悲惨な行為をおこなってしまえる素質も備わっているんだし、だからこそ、そうしたおこないを繰り返させてはいけない、と。
■わかります。ただ……現実には悲惨な事件は繰り返されていますよね。
コージー:ええ、それはわたしも承知している。だから、ついこの間もこんな話をしたんだけど、TGがやった〝The World Is a War Film〟という曲(『Heathen Earth』収録)……いまの時代ほど、あの曲がぴったりハマる時期はなかったんじゃないか、と(苦笑)。
■たしかに。
コージー:ほんとうに、そう。あれは、あの曲をやった当時(1980年発表)を描いたものだったというのにね。だから……そういうことよね。でも、かといって、すっかりお手上げと座り込んでしまい、他の連中に世界を彼らの好きに支配させるがままにしてはおけないわけで。そのせいで、こういうシチュエーションに陥ってしまうことになるわけだから。
■で、ああいう行為の背後には、男性的な価値観の抑圧に対するカウンターがあったかと思いますが、あなたは自分をフェミニスト的だと思いますか?
コージー:(吹き出して笑いはじめる)クククッ! みんな、いつもそれをわたしに質問してくるのよねぇ……。クックックックッ……。
■(笑)失礼しました。
コージー:(笑)いえいえ、いいのよ、別に訊いてくれても構わないから!
■日本ではとくにそう感じますが、女性が自らを「わたしはフェミニスト」と称するのには、まだかなり抵抗がある気がします。その言葉そのものから連想される様々なイメージもあるわけで。それにまあ、あなたはある意味、そうしたタームを超越した人のようにも思えるのですが、いかがでしょう、ご自分をフェミニストだと思いますか?
コージー:わたしは、自分のことを他のみんなと同じ人類の一員だ、そう思ってる。
■(笑)「コージー」という個人だ、と。
コージー:そう。わたしはコージーなんだし、それはあなただって同じで、あなたはあなた。だから、その人間が「女性」として定義されてしまうという事実、それはとにかく、わたしとしては却下、願い下げだ、と。そうやって性で定義されるべきではない、そう思う。そうは言っても文化のなかにおいてそういう考え方は存在するわけだし、それは間違っている。で……この間、たまたまツィッターを通じて、ニムコ・アリ(※Nimco Aliはソマリア人の女性運動家。FGM撤廃を始めとする女性の権利・教育活動で知られる)という女性の引用に出くわしたのね。そこで彼女は、いま話しているようなことをみごとに要約した発言をしていて、それは「わたしたち女性は『人間』なのであって、ただ単に『姉妹』あるいは『母親』といった風に、男性の側にとってだけ意味のある存在ではない」といったことだったのね(※彼女が10月25日に残したツィート原文は「Like I said. We women are humans. Not someone’s something. We are autonomous just like men. So respect us because of that.」)。
■なるほど。
コージー:だから、「フェミニズム」もそういうことなのよね。そのタームを使うことで、あなたは即「女性(フェミニン)」というカテゴリーに分類されてしまうことにもなるわけで。それはすなわち、「男性(マスキュリン)」に対しての別の何か、「アザー」ということになってしまうわけでしょう? だから、いま出した彼女の発言は、まさに真実だな、そう思う。わたしたちは人間なのであって、そのセクシュアリティ、あるいはジェンダーによって定義されるべきではない、と。そうじゃない?
■はい。
コージー:それに、フェミニズムというのは、単語としてはある意味ちょっと違うんじゃないか? と。だから、もちろんわたしもあの言葉がどこから生まれたかは理解しているし、フェミニズムが何をやろうとしているのか、そこは分かっているのよ。それに、あの言葉以外にあの運動を的確に表現できる、そういう言葉はわたしにだって浮かばないし。ただ、さっき話した彼女の発言は、あの言葉について感じる「どこか違う」という思い、そこに対して図星だったな、と。
■伝説の1976年10月の「プロステューション」ショーは、 よくよくセックス・ ピストルズのビル・グランディ事件と同じぐらいにスキャンダルな出来事でもあったと記述されていますが、 あれをやった当時のTGはどんな気持ちだったのでしょうか? 世界を挑発するわけですから、よほど強い気持ちがあってのことだと思います。
コージー:まあ、わたしたちはあのショウを展示して……あれはそもそも、わたしたちがそれまでやってきたアートの回顧という意味合いの企画だったのね。というのも、あの時点でCOUMは終わりつつあったし、あれ以降で予定されていたCOUMとしての活動はアメリカでのショウ数本を残すのみだった、と。というわけでTG、スロッビング・グリッスルは、わたしたちにとって新しいプロジェクトだったわけ。だから、マスコミからああやって「けしからん、立腹である」と反応されたことで、ある意味、自分たちが本当にやろうとしていたことの邪魔になってしまったな、と(※「Prostithution」をめぐり、公共芸術基金の使途について英国会で議論になった。ニコラス・フェアバーン故議員がCOUMを「文明の破壊者」と批判したのは有名だが、2014年には同議員の幼児愛好・虐待歴が暴露された)。というわけで、とにかく思い出すのは、あのときの自分が「あー、迷惑な話、うざったいな」と感じていたことだったわね。
■(笑)。
コージー:わたしとしてはただ、さっさとスロッビング・グリッスルに取り組みはじめたい、そう思っていたから。それこそ、当時のわたしにとっては自分が新しくハマっている、エキサイティングなプロジェクトだったんだし。COUMの残滓、たとえばモデルをやるとか人びとの頭の上でパフォーマンスするといったことはまだ若干残っていたけど、それだってその程度の話。わたしとしてはそれはもう「終わってしまったこと」だったし、あの時点のわたしは既にそこから去りつつあった。だから、「Prostitution」はCOUM Transmissionsの回顧展であり、それと同時に、COUMの活動を刻印し、かつスロッビング・グリッスルのはじまりを記す、そういう意図のもとにおこなわれたショウだった。アートの世界から離れて、サウンドの世界へと入っていく、そのはじまりということね。
■雑誌で初めてTGの写真を見たときは、なんでこんなノイズ・バンドに美女がひとりいるのだろうと思いましたが、やはりヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコというのがTGにとって大きな存在だったからなんでしょうか?
コージー:フーン? まあ、自分ではそんな風に考えたことはなかったけれども。そうは言っても、わたしが若かった頃は、ニコをはじめとして、自力で自作音楽をやっている女性たちは他にもたくさんいたし。彼女たちはたしかに、あの当時はインスピレーションを与えてくれる存在だったわね。要するに、何も音楽は「バンドをやってる男連中」というのに限らない、と。
と同時に、わたしは彼らの音楽外での活動ぶりにも興味があった。だから、いったんステージを離れたところで、彼らはとても興味深いオルタナティヴなライフスタイルを送っていたわけよね。だから、バンドとしてステージに立つだけではなく、彼らは日常の中でもオルタナティヴなことをやっていた、と。だからなんでしょうね、わたしの人生が、クリエイティヴな行為を中心にして回ってきたのは。
■今回再発される3枚のうちの1枚、『セカンド・アニュアル・レポート』についてですが、 いまでもこれがTGのベストだというファンは多いかと思います。
コージー:ええ。
■たしかに“スラグ・ベイト”や“マゴット・デス”のような曲は、今日言われるノイズ/ インダストリアルの出発点のような曲ですし、そのおぞましく残忍で血みどろの歌詞もいわゆるTGのパブリック・イメージにもなっているかもしれません。いま聴いてもパワフルな曲ですが、あなた個人はあのアルバムを現在はどのように評価しているのでしょう?
コージー:わたし自身がどう評価するか? まあ……だから、これもさっきから話してきたことと同じだけれど、何かをやるわけよね? それは、先ほど話したCOUMのストリート・パフォーマンスでも、何でもいいんだけれども、人がそうやって色んなことをやるのは、その、何というか……「自己表現したい」というニーズがあるからなのよね。で、わたしたちが『セカンド・アニュアル・リポート』でやったのも、まさにそれだった。それに、実際の話、あのアルバムでのわたしたちは、自分たちからすればまだ存在しているとは思えない、聴いたことがない、そういうサウンドだけを追求することに決めたのね。自分たちの感じていたフィーリング、それを音にして表現してくれるサウンドが存在しない、当時はそう思っていたから。
で、わたしたちのなかには、あの作品をつくることによって自分たちのキャリアがどうなるだろうかとか、将来的にあれがどんな影響をもたらすだろうか云々、そういった類いのアジェンダはまったく存在しなかった。わたしたちはただ、とにかく自分たちの感じていたことを求めていたんだし……だから、自分たちが当時考えていたことだったり、当時自分たちの生きていた世界の様子、あるいはそこで自分たちが抱いていたフィーリングを反映した、そういう何かを求めていた。だからあれは、新しいサウンドだったのよね。自分たちの考えを提示するための、あれはまったく新しいやり方だった。で……ある種、あのプロセスそのものが変成しながら発展していった、みたいなものでもあったのよね。あの作品が最終的に形になる、その過程が。というのも、1週間くらいで出来上がった、そういうプロジェクトではなかったし、それこそもう、かなりの時間をかけて取り組んでいったもので……そうね、実際、1年ちょっとくらいかかったんじゃないかしら? そもそもグループの名前からはじまったんだし、そのアイディアはまさにハル時代にまで遡る。「スロッビング・グリッスル」という、あの名前のね。
■(笑)。
コージー:ただ、そこから実際にグループとしてはじまるのには、まずスリージー(ピーター・クリストファーソン。2010年没)との出会いまで待つことになったし、それからやっぱり、とくにクリス(・カーター)との出会いが必要だったわけで。というのも、わたしたちが聴いてみたいと思っていた、そういうサウンドを生み出すだけのテクノロジー面での技量が彼にはあったから。というわけで、そうやってスロッビング・グリッスルは生まれていったし、そこから『セカンド・アニュアル・リポート』も「起こった」という。
■なるほど。
コージー:だけどまあ、わたしたちは別に、「いまから40年経って、人びとが自分たちを思い出してくれるよすがになる」ような、そういうものをつくろうとして、あの作品に取り組んだわけではなかったんだけどね。
■(苦笑)。
コージー:(笑)というか、売れるだろうとすら思っていなかった、自分たちとしては。
■では、いま、あの作品に集まる評価や──まあ、それは世界全体で見ればごく少数の人間たちの間での話かもしれませんけど──は、驚きでもあります? 一部の人間のなかでは、あのアルバムは「古典のひとつ」と看做されているわけで。
コージー:ええ、そうよね。それはファンタスティックなことだわ。というのも、つくっていた当時のわたしたちにとっては、それは意図したことでも何でもなかったから。ある意味、(そうやって後世になって評価される方が)ずっと良いことなんじゃないかとわたしは思ってる。
質問:野田努+坂本麻里子(2017年11月01日)