「CE」と一致するもの

Yves Jarvis - ele-king

 今期はTVドラマに面白い作品が多く、最終回まで見てしまったものが5作品もあった(最後の最後まで低視聴率だった『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』が個人的にはダントツでした)。興味深かったのは登場人物が人の悪いやつばかりという『グッドワイフ』が面白かったのは、まあ、当然だったとして(オリジナルはアメリカ作品なのでキャラクターは日本人離れし過ぎだったけれど)、逆にいい人しか出てこない『初めて恋をした日に読む話』は面白くなるはずがないと思ったにもかかわらず、なぜか最後まで楽しめてしまった。いい人しか出てこないなんて、話に陰影のつけようがないし、そもそも世界が単調で嘘くさいだけだと頭ではわかっているのに……(それこそ『3年A組』は人間の裏表だけで突っ走ったようなドラマだったし……)。音楽も同じくで、少しは毒だったりネガティヴな要素がないとリアリティのあるものにはならないのではないかと頭では思うのに、どういうわけかごくごくたまにピュアなムードだけで押し切られてしまうこともある。ここ1ヶ月ほど繰り返し聴いていたイヴ・ジャーヴィスもそうで、あまりに無防備で素直な作風なのに、それとなく心に引っかかり、何度も聴いてしまったというか。こういう人もたまにはいるんだよな。

 世田谷の空が狭すぎるならケベックの空はもっと狭いのか。弾け出すには何か足りないどころか、弾け出すという考えにも至らないのだろう。モントリオールのジャン・セバスチャン・オーデットが、これまで使っていたアン・ブロンド(Un Blonde)の名義からイヴ・ジャーヴィスに名義を切り替えて1作目はソウルフルな宅録風のアコースティック・ポップで、これがとても心地よく優しい響き。サーラ・クリエイティヴが腰砕けになったようなヘロヘロのヒップホップ調だった初期のアン・ブロンドは、最終的に『Good Will Come To You』(18)でサイケデリック・フォークを志向するようになり、それまでは「楽観的で朝の喜び」を表現していたものにフィールド・レコーディングやエレクトロニックな処理を増やし、さらには「寝る前に感じる苦痛」というテーマを与えることで『The Same But By Different Means(違う意味で同じ)』へとヴァージョン・アップを果たすこととなった。1曲だけヒップホップに揺り戻したようなビートもありつつ(“That Don't Make It So”)、全体としてはソフトで温かみのあるフォーク・ロックを軸に、しんみりと落ち着いた気分にさせてくれる全22曲という構成(曲の長さは14秒から8分12秒までかなり幅がある)。エアリアル・ピンクがスティーヴィー・ワンダーを取り入れたといえば少しは雰囲気が伝わるだろうか。

 ノワール・フォーク・シュールレアリズムと称されたりもしているので歌詞にはけっこう不穏な部分もあるのかもしれないけれど、何を歌っているのかはよくわからない&とくに話題にもされていない。ジャム・セッション風の“Blue V“、鳥の声だらけの“Dew of the Dusk”に“Exercise E”はとても美しいアンビエント・ドローン。よく聴くとかなりハイブリッドな音楽性で、これらを見事にまとめあげているというか、全体を貫くイメージがしっかりとしているので、それらが手法によって引き裂かれてしまうということがない。自分だけに接近して語りかけてくるかのような歌い方のことを枕を意味するピロウィーと形容するらしいけれど、オーデッドのそれはまさに耳元で囁かれているかのごとく。声の調子を変えることもなく、ひたすら穏やかにメランコリーが煮詰められていく。彼の音楽ヴィデオにはいつも彼だけしか映し出されず、ほかはすべて死に絶えたかのようで、まるで地球上で生き残ったのはこの人と僕だけ……みたいな。そんな聴き方も悪くない気がして。

『違う意味で同じ』というタイトルは、なんか、しかし、ジレ・ジョーヌのことみたいだな。

Roma/ローマ - ele-king

 スティーヴン・スピルバーグがストリーミング・サーヴィスはアカデミー賞ではなく、TVドラマを対象としたエミー賞で扱うべきだったと提言を下した『ローマ』。世界で同時配信される前に3週間の劇場公開をしているのでアカデミー賞を競う条件は満たしていると反論するネットフリックス(カンヌは選考外としている)。前にも書いたようにNHKニュースでも『グリーンブック』はほぼスルーで、『ローマ』を観ること=映画はもはや映画館で観る時代ではなくなるという論点ばかりが語られ、それはもしかすると最大で66億円もつぎ込んだというキャンペーンの成果なのかもしれないけれど、いずれにしろ横長のスクリーンで観たいと思ったこともあり、遠くの映画館まで足を延ばしてきた(都心ではやっていない~)。結論からいうと『トゥモロー・ワールド』よろしく横に水平移動するカメラが多用され、それも視点が移動したりしなかったりと効果も臨機応変で、画面の右側を三分の一しか使わない構図など、バカでかいTVを持っていない僕としてはスクリーンで観たことは完全に正解だった(ちなみに僕が行った回はガラガラで、珍しくおっさんばっかり)。

 オープニングがまず美しい。画面いっぱいに敷石が映し出され、やがてそれが水浸しになっていく。水たまりには空が映り、はるか上空を飛行機の陰が飛んでいく。いつまででも観ていられるアート・フィルムのようで、真上から撮っていたカメラが視点を上昇させていくとヤリッツァ・アパリシオ演じるクレオが掃除を終えて家に入っていくシーン。この質感はヌエーヴォ・シネ・メヒカーノそのもの。ハリウッド以前は世界の映画シーンをリードしていたメキシコが50年ぶりに再生を賭けて起こした芸術運動がヌエーヴォ・シネ・メヒカーノで、イニャリトゥ『アモーレス・ペロス』(00)が代表作とされている。カルロス・レイガダス『闇のあとの光』(12)のようなマジック・リアリズムは一切なく、端正なモノクロ仕上げはキュアロンが製作したフェルナンド・エインビッケ『ダック・シーズン』(04)と同じくルイス・ブニュエルの精神に立ち返ったことを表している。クレオは同じく先住民のアデラと共に家政婦として働いていることがだんだんとわかってくる。彼女たちが住み込みで働いているのはアントニオとソフィア夫妻に子どもが4人とグランマのテレサを加えた7人構成の中産階級の上……ぐらいの家。アントニオが車で帰ってくるシーンが序盤のハイライトになるだろうか。ただの車庫入れをここまで誇張して描くかと思うほどバカみたいなアップが笑ってしまう。それはおそらく子どもにはそう見えていたということで、この映画は実際、キュアロン自身の子ども時代を描いたものらしく、舞台はメキシコのローマ地区、時代は1970年から71年にかけて。ちなみにキュアロンは自分が特権階級として育ったことに罪悪感があるとも語っている。

 クレオとアデラはこまめに働き、休みになるとボーイフレンドたちとドイツ映画を見たり、ベッドを共にしたり。繁華街のにぎやかさといかがわしい物売りたちのデモンストレーションは念入りに再現されていて、TVに登場するビックリ人間なども含めて、それらは子どもたちに見えていた世界観が色濃く反映されているのだろう。子どもたちが様々な遊びに興じるなか、そして、アントニオはカナダに出張で出掛けていく。(ここからはネタバレというと大袈裟だけれど、知らない方が楽しめるストーリー展開で)雹に打たれて遊んでいる子どもたちを呼び寄せ、出張中の父親に手紙を書くよう指示したソフィアにクレオは自分が妊娠したこと、そして、そのことを話すとボーイフレンドは行方をくらませてしまったことを告げる。「クビですか?」と尋ねるクレオにソフィアはそんなことはしないといって翌日、かかりつけの病院にクレオを連れていき、自分は別な医者とベタベタしている。診察を済ませたクレオは「新生児室を見てくれば」とソフィアに促されるまま生まれたばかりの赤ちゃんたちを眺めているといきなり大地震に襲われる(前の日にTVで3・11特番を目にしていた僕はこの場面、本気で怖かったです)。

『ローマ』には様々な音楽が流れているものの、それらはすべて作中で鳴っている音楽であって、いわゆる劇伴はまったくつけられていない(最後にエンドロールでクレジットされている曲の多さにはあッと驚くものがあった)。にもかかわらず、場面転換は非常にリズミカルで、どちらかといえばミニマリズムに近い作風ながら、だらだらとして思わせぶりなカットが多いデヴィッド・リンチとは対照的に編集のテンポだけで淀みなく日常は織り成されていく。先住民たちが住むゲットー地区の描写を経てクレオがテレサに伴われて家具店に赤ちゃん用具を探しに行くと、外で渦巻いていた学生たちのデモ隊が政府に支援された武装組織と衝突し、後に120人が殺害されたことが判明する「血の木曜日事件」が勃発。家具店の中に「殺さないでくれ」と逃げ込んできた学生を撃ち殺したひとりがクレオに銃を向けたまま、しばらく微動だにせず、やがて走り去っていく。それはクレオを妊娠させたフェルミンであった。クレオはそのショックで破水し、病院に運び込まれる。テレサは病院のスタッフにクレオの名前や家族のことを訊かれるものの、ミドルネームすらわからず、ほとんどのことには答えられない。そして分娩室でクレオが産んだ子どもは死産であった(新生児のベッドが地震で瓦礫に埋まったり、新年のお祝いでコップを割ってしまうなど予兆はいくらでもあった)。

 打ち沈んだクレオには休暇のつもりで、ソフィアは子どもたちと海辺の避暑地へ行こうと提案する。実は出張だといっていたアントニオはそのまま別な女性と駆け落ちし、留守の間に本棚を運び出しに来ることになっていた。ソフィアもクレオも男に裏切られたと言う意味では同じ境遇になったのである。キュアロンは前作『ノー・グラヴィティ』で生きることに絶望した宇宙飛行士ライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)がもう一度生きようという意志を持った時に「重力」がその助けとなるという設定を与えていた(原題は『グラヴィティ』で、邦題が『ノー・グラヴィティ』だと教えると英語圏の人たちにはバカ受けします)。しかし、もう一度生きてみようとストーンが思い直す時に彼女は幻覚を見ていて、ジョージ・クルーニー演じるマット・コワルスキー(=男)がそのアシスト役になっている。それが『ローマ』ではアントニオとフェルミンだけでなく、他の細かいシーンでも男性は役立たずか裏切り者として描かれ、男たちは見事に女性が生きることを邪魔する存在でしかない。それは意図的なのかもしれないし、キュアロンにとっての過去が偶然にも#MeTooと共振しただけなのかもしれない。ビーチで繰り広げられるクライマックスではソフィアとクレオには階級差がなくなったともとれるような場面が逆光の中に映し出される。そして、死産がクレオにとって悲劇ではなかったことが明かされる。

 ソフィアはしかし、あまりにも強い女性として描かれすぎな気もしないではない。母親に求めるものが多過ぎると批判された細田守『おおかみこどもの雨と雪』(12)と同じく、妊娠したことで戸惑うクレオと比較して何に対してもめげる様子を見せないソフィアの気丈さはさすがに尋常ではない。女性がその意志を貫くという意味では初期の代表作『天国の口、終りの楽園。』にも通じるものがあるのかもしれないけれど、この作品が扱っている人種問題や経済格差、あるいは#MeTooに通じる部分よりも僕はどうしてもそこが気になってしまった。マザコンをよしとするメキシコの気風なのかもしれないし、キュアロンが母親の弱い面を見ないで育ったというだけのことかもしれない。わからない。ちなみに最初から最後まで犬だらけで、犬と人間の距離感も僕にはナゾだらけでした。

『ROMA/ローマ』予告編
                  

sugar plant - ele-king

 90年代の日本の音楽シーンにおいてもっとも重要なバンドのひとつ、シュガー・プラントが超久しぶりにワンマンをやります。ヴェルヴェッツ系のサウンド、ヨ・ラ・テンゴやギャラクシー500とも音楽的同士といえるそのサウンドをたっぷり堪能しましょう。なお、当日の入場者全員には、名作『headlights』からの6曲のダブ・ヴァージョンを収録したCDRがプレゼントされます。

sugar plantワンマン『another headlights』
4月20日 (SAT)
新代田FEVER
open / start 16:30
sugar plant on stage 18:30
guest DJ : マイケルJフォクス
前売3,000円 当日3,500円 ドリンク別
チケット:e+、ローソン(Lコード:70464)、FEVER店頭にて発売中

入場者全員に6曲入りDub Album『Another Headlights』CDRプレゼント

sugar plantのキャリアを総括するワンマンが決定!
94年リリースの『hinding place』から昨年リリースの『headlights』まで25年の歴史を振り返るスペシャル・ライヴ。
また当日ご入場のすべての方に『headlights』収録曲のうち6曲をオガワシンイチ自身がDub Mixした『another headlights』のCD-Rをプレゼント!『another headlights』は5月中に配信でリリースの予定。

sugar plant
Galaxie500やYo La TengoなどのUSインディーに大きな影響受けたロック・バンドとして活動を開始、当初からはっきりと海外志向があり実際すべての音源が海外リリースとなっている。3度にわたるアメリカ・ツアーではSilver ApplesやLow、Yo La Tengoなどとの共演も経験し当時まだ人気のあったカレッジ・チャートでは大きな評判となった。90年代中旬、日本のクラブ・シーンの黎明期をメンバーがその中心で体験したことによりバンドのサウンドもより広がりを見せ、ポスト・ロックや音響派の先駆けとしても評価は高い。
sugarplant.com

 UKのアンダーグラウンド・テクノ・シーンと共振するファッション・ブランドのC.Eがまたまたカセットテープをリリースする。今回は、Ben UFO、Peason Sound、Pangaeaが共同主宰する〈HESSLE AUDIOや〉Batu主宰の〈TIMEDANCE〉といった人気レーベルからのリリースで知られる、UKのプロデューサー/DJのPLOYによるミックス作品。値段も1000円とお手頃で、収録されている音もデザインも格好いいです。お早めに!


タイトル:PLOY
アーティスト:PLOY
価格:1,000円(税抜)
発売日:2019年3月23日(土)
販売店舗:C.E 東京都港区南青山5-3- 10 From 1st #201
問い合わせ先:C.E


Myriam Bleau - ele-king

 零秒の音楽は可能なのか。始まった瞬間に終わり、時間を超えて記憶の層に永遠に格納されるような音楽。色彩と線の交錯による時間の凍結のよう抽象絵画のごとき音響。例えるならあのサイ・トゥオンブリの絵画のような時間と空間を越境するようなアブストラクトな音楽/音響。そんな音響音楽を希求するのは、ただの夢なのか。
 いや、そうではない。例えば池田亮司、カールステン・ニコライ、そしてリチャード・シャルティエ、クリスチャン・フェネス、マーク・フェルなどのマイクロスコピックなサウンドアート作家・電子音響作家たちは、いずれもそのような不可能性を希求し追求してきたアーティストではないか。それらは21世紀的なコンピューター音楽による未来の追求でもあった。コンピューターと電子音とグリッチノイズによる人間を超えた細やかで繊細で多層的な強靭な音響たちである。
 今回、取り上げるカナダはモントリオールを活動拠点とするサウンド・アーティストであるミリアン・ブローのファースト・アルバム『Lumens & Profits』もまたそんなマイクロスコピック電子音響作品の系譜にある作品である。アンビエント/ドローンやインダストリアル/テクノ以降の先端的電子音楽においては珍しい作風ではないかと思う。

 リリースはUKの先端レーベル〈Where To Now?〉。同レーベルはこれまでも KETEV(Yair Elazar Glotman)、ニコラ・ラッティ(Nicola Ratti)、CVN、デール・コーニッシュ(Dale Cornish)、N1L、YPY、ルット・レント(Lutto Lento)、アゼール(Assel)、H.Takahashi、ベン・ヴィンス(Ben Vince)など2010年代のエクスペリメンタルな先端音楽の注目作のリリースを連発してきたが、ミリアン・ブローの本アルバムは2019年以降の電子音響のモードを体現している。せわしなく、かつ細やかに接続・変化していくマーク・フェル的なグリッチ音響は「テクノ以降の音楽的記憶」が一気に圧縮されているような印象ももたらすが、同時にデータの流動化というよりは、その音からは「モノ的」な存在感も増している。マテリアルな質感を有しているのだ。まずはライヴ動画を観て頂きたい。

 手とデバイス=モノを駆使することで彼女はマテリアルとデジタルの領域を交錯させたサウンドを生成している。レーベルも「彼女のハイブリッドな電子音は、文化的表現としてのパフォーマンスを探求し、ポップカルチャーの要素と音楽の歴史の傾向を再文脈化する」と書き記しているが、良く聴き込むとテクノのキック、ヒップホップのグルーヴ、エレクトロニカのサウンドなどの電子音楽の痕跡が解体され、細やかにスライスされてコンポジションされていることも分かってくる。結果、聴くほどに音楽の記憶が刺激され、同時に記憶が喪失する感覚も生れてくる。そこには00年代的な電子音響作品のコンピューターによるエラー=グリッチとは違う不思議な「身体性」が蠢いているように感じられた。彼女のパフォーマンス動画を観ても分かるように、マテリアルとデジタルの領域を再交錯させているのだ。その意味で同じくカナダ出身のニコラ・ベルニエ(nicolas bernier)(https://vimeo.com/48493242)の系譜に連なる現代の電子音響作家ともいえよう。いわば2010年代後半のミュジーク・コンクレートである。

 そしてミリアン・ブローのサウンドは、まるで鳥の鳴き声のように軽やかな電子音だが、そのサウンドは直観と構築の往復のように偶然と構築の両極を行き来している。断続的なキックは解体されたテクノのようだし、優雅な舞踏のようにスライスされた電子音の運動はポスト・グリッチ的で、短い数秒のサウンドの中にいくつもの電子音楽が圧縮されている。
 その意味で細切れに編集されたヴォイスとコードが鳴り響く2曲め“Constructivism”、細やかな音の粒子と時間が浮遊するようなアンビエンスが端正にミックスされる美しい3曲め“Hidden Centuries”、鳥の鳴き声のような電子音が軽やかに反復と非反復のあいだを行き来する4曲め“Vapid Luxury”などは本アルバムを象徴するトラックだ。
 むろん、これらの雰囲気はアルバム全トラックに共通する感覚でもある。時間軸を超えて音響を摂取するような感覚はマイクロスコピックな電子音響作品の系譜に連なるサウンドだ。中でも微細な電子ノイズが非反復的に構成されることでマーク・フェル以降の偶発的なグリッチ・サウンドを超越する電子音響空間を生みだす7曲め“Shapes”などは、そんな時間軸を超えて音響を聴くような感覚をもたらしてくれるニュー・マイクロスコピックなトラックに仕上がっていた。そして静謐なラスト8曲め“Darling”によって幕を閉じる。ミニマムに解体されたループは、どこかグリッチ化したヒップホップのトラックのように響く。

 そして本作のように00年代的な電子音響を基調にしつつも、そのスタイルもジャンルも解体されたような、いわばテクノ以降の音楽のエレメントが圧縮・再構成されている電子音響作品が、〈LINE〉や〈Entr'acte〉などのサウンドアート・レーベルからではなく、〈Where To Now?〉のようなクラブ・ミュージックを進化・解体する先端的なレーベルから発表されたことも重要に思える。
 2010年代前半のエクスペリメンタル・ミュージックと2010年代後半のエクスペリメンタル・ミュージックを繋ぐ存在とでもいうべきだろうか。電子音の欠片が高速で、軽やかに、優雅に、舞踏のように、踊り、駆け抜けていくようなサウンドを一気に聴取するような感覚をぜひとも体験して頂きたい。

JPEGMAFIA『Veteran』の衝撃とは何だったのか - ele-king

 ヒップホップは、個人のオリジナリティやアイデンティティを尊重するが、ひとつの音楽ジャンルとしてのヒップホップは、集団性によって更新されてきた。トレンドセッターが切り開いた方法論を共通のルールとするかのように、ヒップホップ・ゲームの競技場のプレイヤーたちが集団となって更新されたルールをフォローし、互いの似姿に多かれ少なかれ擬態し合い、互いのヴァースのみならずスタイルをもフィーチャーし合い、互いに切磋琢磨し、表現を洗練させ、ジャンル全体(あるいは各サブジャンル)を発展させる。隣の仲間が進行方向を変えれば自分も向きを変える、ムクドリの群れさながらに。数え切れないほどのビートが、フロウが、僅かな差異を積み重ねグラデーションを描きながら上方に堆積していく。より高み(ネクストプラトゥー)を指向して。しかし、そのような集団性のなかで、トレンドをセットするわけではないほどにアヴァンギャルドさを持ち合わせているがために、単独で逸脱する、ベクトルを異にする個体が、突如として現れる。
 たとえば2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップの興隆の中でも、特にアンチ・ポップ・コンソーティアムやアンチコンの作品群の記憶が鮮烈に蘇るし、ゴールデンエイジにおけるビズ・マーキーやクール・キースを端緒に、ODB(オール・ダーティ・バスタード)の孤高を思い出してもいい。もっと近年ではクリッピングクラムス・カジノリー・バノンデス・グリップスヤング・ファーザーズシャバズ・パレセズらのビートとフロウがもたらす異化、ダニー・ブラウンジェレマイア・ジェイ、スペース・ゴースト・パープの変態性、そしてタイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャーツらオッド・フューチャー勢の快進撃がこのジャンルの外縁を示し、僕たちはその稜線を祈るような思いでみつめてきた。「ヒップホップ・イズ・ノット・デッド」と呪文のように繰り返しながら。特に近年、ネットというインフラ上で発光するエレクトリック・ミュージックの多面体と、その乱反射するジャンルレスの煌めきは、明らかに、ヒップホップの集団性からの逸脱を誘引する磁力として働いている。

 ルイジアナ出身の28歳のペギー(Peggy)こと JPEGMAFIA は、その乱反射を吸引し尽くし、自らが多面体化するのを最早留められなくなった如き異能の人だ。彼のオフィシャルでは2枚目のアルバム『Veteran』は、エスクペリメンタルなトラップ以降のビートをベースに、ローファイに歪ませたサウンドのバラバラの欠片やグリッチーに暴走するリズムをあちこちに地雷のように仕組んで、全体を多重人格的な──多声による──メタラップで塗り固めた怪作だった。
 メタラップというのは、前作『Black Ben Carson』収録の“Drake Era”に“This That Shit Kid Cudi Coulda Been”や、シングルの“Puff Daddy”、そして“Thug Tear”といったようにラップ・ゲームやリリックで歌われることをメタ視点で俯瞰する、人を食ったようなタイトル群を見ても明らかだろう。
 しかし彼がそのメタ視点を用いて差し出すのは、モリッシーをディスったことで大きな話題をさらった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”に代表されるような、ポリティカルなメッセージ群だ。初めはインスト音楽を作っていたペギーは、自分がラップすべき本当に言いたいことがあるのかという懐疑に捉われていた。多くのラップのリリックを聞いても、所詮皆同じことを歌っているだけではないかと。だがジャーナリズムで修士号を持つ彼は、アイス・キューブのやり方と出会うことで、ポリティカル・ラップに活路を見出したという。
 1990年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム『AmeriKKKa's Most Wanted』において、フッドの現実を過激な言葉で描写したアイス・キューブは、実存というよりも、「アイス・キューブ」という視座を仮構してみせた。そして同アルバムのオープニング“The Nigga Ya Love To Hate”では、人々が「ファック・ユー・アイス・キューブ!」と叫ぶ様をフックとした。
 一方のペギーはオフィシャルのファースト・アルバム『Black Ben Carson』で、2015年に共和党から初の大統領選への黒人立候補者となり早くからトランプ支持を表明、現在アメリカ合衆国住宅都市開発長官を務めるベン・カーソンにあえて「Black」を付けて、リリックのなかで「white boys」を煽ってみせる。ここには確かに、キューブの方法論と通底するメタ視点が働いてはいないか。さらに後述するように、彼は表現のレベルにおいても、従来のコンシャス・ラップを俯瞰するように、異なる方法で実装してみせる。

 『Veteran』というタイトルは二重の意味を持つ。文字通りペギーは元空軍出身(=退役軍人/veteran)だということ。そして14歳から音楽制作を始めていた彼は、クリエイターとしてキャリアを積んでいるということ。自身、インタヴューで次のように語っている。曰く、この世界には誰にも知られることなく長い間音楽を作り続けている人間(=ベテラン)がいるし、『Veteran』収録曲の中にもどうせ誰も聞くことはないと思って作ったものもある、と。
 かつての MySpace はそのような音楽家たちが論理上は万人に開かれるインフラとして機能したし、SoundCloud や Bandcamp においてもその点は同様だ。しかし星の数ほど存在するアカウントの小宇宙を相手取り、衆目を集めるのは簡単ではない。『Veteran』は高評価で受け入れられたが、このようなメッセージ面でもサウンド面でもエッジィな作品が受け入れられたのは、たまたまタイミングが合ったからだと本人は分析している。
 しかし逆に、誰にも聞かれることがないと思っているからこそ、クレイジーな音楽が生まれる可能性もまた、存在するだろう。そしてそのようにして作られた音楽が世界に接続されうるメディウムとして、インターネットは、かつての人々が抱いた理想像の残滓を担保したまま、そこに存在し続けている。
 2019年3月9日現在ペギーの SoundCloud のアカウントにアップされている最も古い楽曲は“Fatal Fury”で、アップの日付は7年前と表示されている。総再生回数は6478回と、決して多いとは言えない数字で、5件のコメントが付いているがどれもこの10ヶ月以内だ。つまり、この楽曲は2012~2018年まで、具体的には『Veteran』のブレイクまで、ほとんど誰にも発見されずにインターネットの小宇宙の片隅に鎮座していたのではないか。
 しかしその〈黙殺〉にも関わらず/のおかげで、彼のエッジィな創作意欲は『Veteran』と名付けられた作品にまで昇華された。そう考えることはできないだろうか。この作品は幸運にも、巨大な迷宮として、その姿をはっきりと僕たちの前に示している。

 この『Veteran』という複雑に入り組んで先の読めない迷宮はしかし、いかにも平熱を保った表情で幕を開ける。冒頭の“1539 N. Calvert”は、ウワモノのメロウな響きが支配する耳障りの良いオープニングだが、そこかしこに痙攣するように乱打されるビートが顔を覗かせ、様々な素材からサンプリングされ引用される短い文言の断片や、多重人格さを披露するペギーのヴァースがジャブのように繰り出される小曲だ。だが決して、その喉越しの爽やかさに騙されてはいけない。いや、一旦は彼の策略に乗ってみてもいい。すぐにやってくる狂乱とのギャップを楽しむために。
 ODBの喉ぼとけの震えのループがトライバルなドラムを狂気に駆り立ててしまう2曲目“Real Nega”を前に、僕たちはどんな風に四肢を振り回しながら踊ればいいのか? しかも、ベッドルームで。というのも、彼の表現はクラブのダンスフロアよりも、僕たちの薄汚れたベッドルームで踊り狂う想像力を掻き立ててくれるからだ。これらのビートの雨あられに身を曝し、どうしようもなくエレクトするプリミティヴな欲求を必死に隠し薄ら笑いを浮かべながら、僕たちは終盤の子供声のようなハイピッチ・ヴォイスが煽るフレーズに頷くしかない。こいつは「ホンモノのxx」だ。
 続く“Thug Tears”でも、分裂症の残酷さが開陳される。冒頭のキックと逆回転で乱射されるグリッチの雨から、転がる電子音のリフとその間を埋め尽くすボンゴのリズムに楔を打つゴミ箱を叩くようなローファイなスネアに、僕たちのダンスステップはもつれる。今度は体を揺らさずに黙って聞いていろと? ペギーの透明感溢れるコーラスと捻くれたシャウトの対比をベースにしつつも、そこに次々と闖入してくるサンプリングされた文言の数々が、綿密にデザインされたコラージュの語りを駆動する。しかし突然ビートのスカスカな時空間を埋めるブリブリに潰れたベースラインが現れる中盤以降、今度はペギーの語り口は一気にクールを気取り、剃刀のフロウで溌剌とビートを乗りこなす。
 シングル曲“Baby I'm Bleeding”が匿う快楽。冒頭から僕たちのアテンションをコルクボードに画鋲で止めてしまうミニマルなヴォイスの反復の上に、ペギーのフロウが先行して絡まり、やがてキックとスネアが後を追うようにビートに飛び込んでくる瞬間のカタルシスよ。さらに1分35秒で聞かせるハードコアなシンガロングとEDMのアゲアゲシークエンスの超ローファイ版を挟み、またもやモードを変化させるキックとスネアの上で何が歌われているのか。もともとは“Black Kanye West”という曲名だったというヴァースは、「ペギーをキメる田舎者/俺は次のビヨンセさ/俺の銃には悪魔が憑いてる/ダンテのように切り裂く(カプコンのヴィデオゲーム、デビルメイクライのキャラクター)/絶対カニエのように金髪にはしないと約束するぜ(カニエ は2016年、ライブ中にトランプを賛美する演説をしてツアーの残り日程をキャンセル、その後金髪にして再びその姿を見せた)/その代わり俺はたくさんのスタイル(so many styles)を持ってるからペギーAJと呼んでくれ(WWEのチャンピオン、AJ Stylesと掛けたワードプレイ)」とのこと。分かった。しかしこの男が匿っているスタイルの数は「so many」じゃない、「too many」だ。

 そのスタイルの多声性は、ビートのサウンドにも、リズムにも、旋律にも充満している。そして勿論ラップのサウンドにも、ライムにも、デリヴァリーにもだ。そしてメッセージという観点で見れば、前述の通り、いわゆるコンシャス・ラップと呼ばれうる、ポリティカルなスタンスを表明するライムが混沌としたサウンドに包囲され異彩を放っている。しかし彼曰く、彼はそれをコンシャス・ラップの括りではなく、「イケてる」曲として援用できるというのだ。そう聞いて想起されるのは、次の事実かもしれない。パブリック・エネミーがあれだけ人気を博した大きな原因のひとつは、彼らのヴィジュアル面を含めた方法論が「イケて」いたからだ。しかしペギーのアプローチはそれとは異なる。
 モリッシーを直接的にディスったことで話題となった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”では、その直球なタイトルそのまま、右翼的発言を繰り返し、ジェイムズ・ボールドウィンをデザインしたTシャツを売るモリッシーに対し「俺は左翼のハデスさ、フレッシュな.380ACP弾で武装した26歳のね」と怒りを爆発させる。しかしそれはあくまでも「イケてる」方法でだ。確かにビートを牽引するシンセのアルペジオがポップかつ美しく、音楽的な洗練とペギー自身の歌唱の先鋭さが、ある種のコンシャスなメッセージに含まれる鈍重さを無化してしまうようだ。
 他にも“Germs”ではトランプをメイフィールドのようにのしてしまいたいと批判するし、“Rainbow Six”でも銃とフラッグを掲げて集会を開くオルタナ右翼をからかう。それらはどれも、サウンドや歌唱の徹底的にエクスペリメンタルな展開のなかにあって、多重に張り巡らされたレイヤーのひとつとして、受け取られる。
 かつてタリブ・クウェリは、コンシャス・ラッパーとしてレッテルを貼られることへの違和感を指摘した。一旦そのイメージが付いてしまうと、リスナーを著しく限定してしまうことになるというのだ。しかしペギーのやり方はどうか。厳めしい顔で説教めいたライムをドロップするでもない。パンチラインとしてリフレインするでもない。あくまでもそれらは多くのレイヤーのうち、次々と通り過ぎていく一行として、表明される。そしてその言葉が発される声色やフロウも、それを支えるビートも、音楽的かつ現在進行形のテクスチャーが担保された──こう言ってよければ──「ポップさ」に満ちている。イケてるコンシャス・ラップとは、そのような多才さ=多重人格性の所以と言えるのではないか。

 しかし、、、数え上げればキリがないほど、このアルバムには豊かな細部が溢れている。折角なのでもういくつか数え上げておこう。またもや逆回転攻勢のアトモスフェリック・コラージュ・アンビエントの上で、何度目か数え切れないが明らかにペギーがロックを殺す瞬間を目撃できる“Rock N Roll Is Dead”。ペギー流のイカれたメロウネスが炸裂する“DD Form 214”では、ドリーミーなフィメール・ヴォーカルやウワモノを提出したそばから、下卑たキックと割れたベースのコンビネーションがくぐもったニュアンスを加えるために、いつまで経ってもドリームに到達できないという、つまりイキ切れない一曲。シャワーでパニック発作に襲われた際にレコーディングしたという“Panic Emoji”では、文字通りシャワーの環境音と並走するメロウなアルペジオにブーミンなベースがこれまでないエモい、エクスペリメンタル・トラップチューン。パニック発作に襲われ「俺は厄介者で/使えない奴だ/最悪だ/苦しい」と嘆く抑えたフロウが悲痛に響く。
 最後にもう一度触れておきたいのは、ペギーのサウンドの質感だ。たとえばノイジーなアンビエント・ラップ“Williamsburg”では、アクトレスことダレン・カンニガムばりに粗いヤスリで磨かれたノイズの層が、ビートにこれでもかと言わんばかりに馴染んでいる。組み合わされているサウンドのひとつひとつが、元々そのようなロービットな音像で、生まれ落ちたものであるかのように。しかしローファイをデザインするとき、ここまで馴染みのよい肌理を見つけ出すことのできる所以は? それこそが、JPEGという非可逆圧縮方式をその名に持つ彼の、天賦の才なのだろう。
 繰り返し、繰り返し、決して飽くことなくイメージをJPEG変換するように、サウンドの粒子は荒く膨張していく。この奇才の脳内に溢れ返るロービットの想像力に押しつぶされないよう、僕たちは、本作を噛みしだく、噛みしだく。

ここ5年ほど、アイスランドや北欧のフェスティバルに積極的に参加している、アイスランド・エアウェイブスhttps://icelandairwaves.is。2013年から数えて5回アイスランドや北欧のフェスティバルに参加し、バルセロナのプリマヴェーラhttps://www.primaverasound.es/には2回、ノルウェイのフェスには最近参加し始めた。

私がNYのインディ・オンライン・ストアの〈インサウンド〉insound.comで働いていた1999年頃、同僚がノルウェイのオスロで開催されるフェスティバル、Øya(オイヤ)https://oyafestivalen.noについて話していたのを覚えている。当時、創業したばかりのインサウンドとØyaは、同じようなアーティストを扱っていた。ノルウェイなんて遠い異国だと思っていたが、NYからは約7時間、時差も6時間で、時差ボケも酷くない。


会場への道

私は2017年に初めてオスロのØyaに参加し、2018年には同じくノルウェイのトロントヘイムで開催されるPstereo(ぺステレオ)https://pstereo.noに参加した。
Øyaは1999年にスタートし、ソニック・ユース、イギー・ポップ、アークティック・モンキーズ、ベックなど、ピッチフォーク系のバンドが出演することを売りにしている。一方、Pstereoは2007年にスタートし、クラフトワーク、モグワイ、ロイクソップ、スロウダイブなど、エレクトロニカ、ポップ、ロックなどのバンドが主に出演している。2019年のØyaのヘッドライナーは、キュア、ロビン、テーム・インパラ、ジェイムス・ブレイク。同じ年、ぺステレオには、ホイットニー、イェーセイアー、ブロック・パーティ、ビッグバンなどが出演した。



コンファレンス

コンファレンス会場


今年2019年は、オスロのBy:Larm(ビ・ラーム)https://bylarm.noに参加した。By:Larmでは音楽フェスと一緒にコンファレンスも行われ、SXSWの北欧版と言える。3日間(今年は2/28-3/2)講義、セミナー、ネットワーキングが昼間に行われ、夜は18の会場で、350ものコンサートが開かれる。By:Larmは北欧の音楽と海外の音楽の出会いの場である。

1998年に始まったBy:larmはスタート当初、バーゲン、トロントへイム、トロムソ、クリスチャンサンドなど毎年異なるノルウェイ内の都市で行われていたが、参加者が増え続けたために大きな会場やホテルが必要になり、2008年からはオスロを拠点としている。

今年のレクチャー内容は、「デジタルミュージックの世の中でアーティストが侵す10の間違い、それを避ける方法。」、「デジタル革新の世の中でアーティストとレーベルはどうやってインパクトを与えるか。」、「ストリーミングの技術は熟したが、収入が公平になるディストリビューション問題。ユーザー中心の世の中でどのように音楽経済を変えることが出来るか。」、「ブランドやスポンサーが古臭さや妥協なくどのように音楽業界に新しい内容を提供出来るか。アーティストは信頼性を損なわず収益を上げるため、スポンサーを利用できるか。」、「自分のバンドはホット。では次は。」、など興味あるトピックが続く。〈シークレットリー・カナディアン〉や〈モ・ワックス〉のA&Rの話や、マネージャー、エージェントからも直接話を訊けて音楽業界で働く人には気になる話題が満載である。



Girl in red

Kelly Moran

ショーケースされるバンドは北欧のバンドが殆どで、2日間で30ほどを駆け足で観た。ノルウェイのマック・デマルコと言われているBrenn.(ブレン)は、演奏は下手だし何がしたいのか分からなかったのだが、とにかく音を掻き鳴らしていて「やってやる!」という姿勢も伝わってきたし、期待のホープに思えた。青とピンクの色違いのジャンプスーツも可愛かった。〈ベラ・ユニオン〉のPom Poko(ポンポコ)は、柔道着風ツナギとバスケットボールのユニフォームというよくわからないアウトフィットだったが、元気一杯エナジー爆発で、ガール・イン・レッドと同じくオーディエンスにダイブしたり、ファンのサポートも熱かった。スウェーデンのMeidavale(メイダヴェール)は、ウォーペイントとワォー・オン・ドラッグスを足したようなサイケデリックな浮遊感が漂うバンドで、黄色のジャンプスーツが可愛かった。〈DFA〉からも作品をリリースするアバンギャルドアーティストの、Nils bech(ニルス・ベック)はストリングス隊をバックに歌い、同時に会場の外に3Dマッピングをしていて、現代的なアートのようなパフォーマンスを見せた。


Selma Judith

Maidavale

土曜日は、Torggata通りで行われるTorggatafestというフリーショーが3時から7時まで8つのお店や会場で行われ、50ほどのバンドがプレイした。さらにアン・オフィシャルパーティが近くで行われ、ビール、アップルサイダー、ビーツ・スープ(!)などが振る舞われた。

SXSWと同じで知り合いが出来ると数珠繋ぎにどんどん人を紹介され、見たいバンドを見逃すという事態に陥るが、ネットワーキングを目的に来る人が殆どである。アジア人は全く見なかったが、中国からのジャーナリスト、DJが来ていた。その他は北欧の違う都市から訪れていた音楽業界の人々だった。彼らはSXSWにも行くらしく、月に一回はNYに行くという人も居て、世界中を飛び回ってるのだなあと。オスロは、レイキャビックやコペンハーゲンと同じく、Wi-Fiや充電場所が何処にでもあり、水道水も飲めるが、アルコールは外では飲めない。日曜日にはフリーマーケットがあったり、少し散歩も出来る、小さいがとても便利なオスロを体験出来た。

大満喫した次の日NYに戻ろうとすると、フライトが悪天候のためキャンセルに。何故かロンドンに行く事になった。旅もフェスも予測出来ないという事で、初のロンドンを楽しむ事にする。


Yoko Sawai
3/4/2019

柴田聡子 - ele-king

 いったいこの違和感はなんなんだ。羅針盤による“ロビンソン”のカヴァーを初めて聴いたのは高校生の頃だったと思う。既存のヒット・ソングをほかの誰かが歌ったときに不可避的に生じるような、たんなる印象上の齟齬ではない。もっと深いレヴェルでの違和、いうなれば恐怖体験にもつうじるもの──当時はその正体がなんなのかわからなかったし、それから20年近くが経過したいまでもけっして明確に分析できているわけではないけれど、遠近法をエクスキューズに振り返るならそれは、ポップ・ソングが歌唱法や音響上のアプローチの変更によっていかようにも異化されうるのだということにたいする、素朴な驚きだったんだろう。すでにトータスやザ・シー・アンド・ケイクには触れていたくせに、まだその勘所には気がついていなかったというわけだ。

 それとはやや位相の異なる話ではあるけれど、かつて ya-to-i のアルバムでゲスト・ヴォーカルを務め、山本精一をプロデューサーに迎えてアルバムを制作した経験もあるシンガーソングライター、柴田聡子の音楽もまた違和に溢れている。それはまず彼女の歌唱法にあらわれていて、その音量の大小のつけ方はちょっとほかに類を見ない独自性を有しているが、よりわかりやすいのは旋律のほうだろう。Jポップではメロディが次にどういう動きを見せるか予測できてしまうケースが多いけど、そんな聴き手の願望を彼女はいともたやすく裏切ってみせる。たとえば『愛の休日』の“あなたはあなた”。まるで THE BLUE HEARTS の“青空”をなぞるようにはじまったはずの主旋律は、しかしそこからは想像もつかない方向へと歩を進めていく。あるいは“思惑”。中盤で挿入される謎めいたパートは、曲全体を構成する典型的なコード進行を宙吊りにしようとしているとしか思えない。

 先日リリースされたばかりの通算5枚目となる新作『がんばれ!メロディー』において柴田は、これまで以上にキャッチーさを追求している。といっても彼女特有の違和が失われてしまっているわけではなくて、たとえば2曲目の“ラッキーカラー”は、コードじたいは王道の展開を見せるし、主題もいわゆる歌謡曲~Jポップのマナーに則っているものの、「なんでそこ行った?」と突っ込みたくなるような跳躍が随所に差し挟まれている。同じことは“結婚しました”や“東京メロンウィーク”についても言えるが、重要なのはそれらのギミックが、けっして奇をてらって施されたもののようには聞こえないという点だ。この違和感は彼女がいちリスナーとして、メインストリームなものとオルタナティヴなものとをとくに区別することなく平等に摂取してきたことの、きわめて自然なあらわれなのだと思う。あまりに自然な、不自然。
 柴田聡子のもうひとつの魅力はそしてもちろん、言葉にたいする音響的なアプローチだ。日本語を外国語のように響かせるその企みは、“好きってなんて言ったらいいの”や“悪魔のパーティー”(『柴田聡子』)、“大作戦”(『愛の休日』)といった曲に最良のかたちで実を結んでいたわけだけれど、それもたぶん彼女にとってはきわめて自然なスタイルなのだろう。今回の新作でも“アニマルフィーリング”の「ときどき」や「アン・ドゥ・トㇿワ」、“佐野岬”の「レジェンド」なんかは、こうやって文字を視覚的に認識しているだけでは想像もつかない、不思議な響きを伴って私たちの耳元へと降り注いでくる。

 とそんなふうに『がんばれ!メロディー』には、彼女のオリジナリティともいえる「自然な不自然」が相変わらずいっぱい詰め込まれているわけだけど、これまでとは異なっている部分もある。そのひとつは歌詞で、たとえば“ぼくめつ”や“サン・キュー”(『柴田聡子』)、“遊んで暮らして”(『愛の休日』)あたりで試みられていた、通俗的な価値観にたいする諷刺や皮肉(「オリンピックなんてなくなったらいいのに」「酒が飲みたきゃ墓場へ行けよ」「男やってたつもりないけど」)は影を潜め、比較的ストレートな言葉遣いが増えている(まあ“佐野岬”の「3万借りたら5万返す」なんかは、いわゆる奨学金の返済やリボ払いのようなローン地獄を想起させる点でアイロニカルではあるが)。
 サウンド面での変化も大きい。おそらくは前回の“後悔”が転機となったのだろう、弾き語りないしそれに準じたスタイルは減退し、そのぶんバンド・アンサンブルに磨きがかかっている。冒頭“結婚しました”における岡田拓郎のファンキーなギター・カッティング、かわいしのぶのベースとイトケンのドラムが織り成すじつに快活なグルーヴは、SSWとしての「柴田聡子」の成熟以上に「柴田聡子inFIRE」というバンドの結束力を伝えてくれる。

 中盤の“いい人”もおもしろい曲で、背後に忍ばされた佐藤秀徳のフリューゲルホルンは、柴田の発する言葉の響きを中和すると同時に、その「不自然さ」を増殖させる役を担ってもいるが、より強烈なのは“ワンコロメーター (ALBUM MIX)”だろう。ヴォーカルよりも国吉静治によるユーモラスなフルートのループ、柴田自身の手によるプログラミング~オムニコードのほうへと耳を誘導するこの曲のつくりは、前作の表題曲“愛の休日”のエレクトロニックな路線を発展させたものと言える(歌詞のうえでも「コロ」という共通項がある)。あるいは“セパタクローの奥義 (ALBUM MIX)”も異彩を放っていて、連呼される「セパタクロー」という言葉の音響性、ある時期のダーティ・プロジェクターズを思わせるコーラス、酩酊的な大正琴、ころころと耳をくすぐるSE、フルート、それらが渾然一体となってこちらへ押し寄せてくるさまは、Jポップ的なものとフォーク・ソング的なもの、その双方に喧嘩をふっかけているかのようだ。

 シンガーソングライターというポジションをしっかりとキープしつつ、歌謡曲やJポップの流儀にアレルギー反応を示すこともなく、他方で網守将平のエレクトロニカや《《》》のインプロヴィゼイションとも軽やかに接続していく柴田聡子は、かつて山本精一が開拓した尖鋭的な歌モノの系譜に連なる音楽家である──そう分類することも一応は可能だろう。けれども、しかし、彼女はもっとナチュラルだ。もっと自然な感じで、不自然だ。その違和感に勝る魅力なんて、そうそう多くありはしまい。

ビール・ストリートの恋人たち - ele-king

She's just like you and me (彼女はあなたや私と別に変わらない)
But she's homeless, she's homeless (だけど彼女はホームレス、彼女に家はない) ──クリスタル・ウォーターズ『ジプシー・ウーマン』1991

 #OscarsSoWhite(アカデミー賞は白人ばかり)というハッシュタグが出始めてから少なくとも3年は経っていますが、さてそれから今までの間に何があったか。と雑に思い出すとまず『ムーンライト』が2017年2月に米アカデミー賞で作品賞を獲って狼煙が上がり、『ドリーム(原題 “Hidden Figures”)』『ゲット・アウト』『ブラックパンサー』『クリードⅡ』『クレイジー・リッチ!(原題 “Crazy Rich Asians”)』などの「非白人がメイン」である映画がでかいヒットを飛ばしたのち、2019年2月のアカデミー賞はさてどうなったか。

 『ムーンライト』を監督したバリー・ジェンキンスの新作『ビール・ストリートの恋人たち』は今年のアカデミー賞ではレジーナ・キングが助演女優賞を受けたものの、ノミネートは他に作曲部門と脚色部門のみで、混戦と評された賞レースの中では実にひっそりとした佇まいだった。ジェイムズ・ボールドウィンが1974年に発表した同名小説を原作とした映画『ビール・ストリートの恋人たち』の主人公はニューヨーク、ハーレムに暮らす若い男女のカップル、ティッシュ(キキ・レイン)とファニー(ステファン・ジェームス、2016年制作の長編『栄光のランナー』(1936年、ベルリン、原題 “Race”)で主演)。2人はもともと幼馴染で、19歳のティッシュはデパートの香水売り場で店員として働き、22歳のファニーは独学で彫刻を制作している……言ってみればアーティスト志望のプー太郎。ティッシュの家族はファニーとの交際を受け入れているが、ファニーの(父親を除く)家族はそうではない。

 物語内の時間構成はやや変則的で、映画の中の「現在」におけるファニーは既に強姦罪の容疑で逮捕・収監されており、ガラス越しに面会にやってくるティッシュはファニーとの子供を妊娠している。ファニーの冤罪を晴らすべくティッシュと彼女の両親が文字通り駆けずり回るシーンと、2人が交際を始めた時期の情景が交互にスイッチバックするのだが、とりわけ印象的なのが逮捕前に2人で住むための物件がさっぱり見つからなかった諸々のエピソードである。若い黒人女性であるティッシュが一人で白人の家主に会いに行き、家が借りられそうになったところへファニー(黒人男性)が同居人です、と現れた途端にキャンセルされるとか、やっと黒人カップルでも貸すよ、と言ってくれたユダヤ人の青年に出会えたんだけど肝心の物件が住居というよりは廃工場だったり(ティッシュが「でも、一体ここにどうやって住むの?」と困惑するような物件である)で結局、何ひとつうまいこといかない。パートナーの片方が刑務所に入ってしまった「現在」から考えれば過去の家探しの詳細などどうでも良さそうなものではあるが、住む家が容易に見つからない、という現実が執拗に挿入される事により浮かび上がるのは、ある特定の属性を持った人を自由に移動させないことによって押さえつけている社会構造であり、白人の警官に目を付けられて適当な感じで立件されてしまうような行政であり、無罪を証明するために必要な作業を国が何も援助などしてくれない「70年代の黒人庶民が暮らすアメリカの日常」である。

 ファニーは快活で真っ直ぐな眼をしたハンサムな青年として描かれてはいるが、彼の彫刻作品が素晴らしいかどうか、についての評価は劇中でも曖昧にはぐらかされている。それは飛び抜けた才能を持った芸術家であるゆえの特別な受難、といったあざとい底上げを避けた結果でもあるだろうし、もっと言えばそれこそ何処にでも居そうな、ひょっとすると可能性を秘めているかもしれない若者がくだらない理由で簡単に叩き潰されてしまう社会への異議申し立てでもあるだろう。どこから文句を付けたらいいのか判らなくなるほどの理不尽がまかり通る日々を暮らさざるを得ない人々の重く、息継ぎなしのひとつながりの溜息であるかのような諦めを、『ビール・ストリートの恋人たち』は全ての事件が起こってしまった後のささやかな「ドラマ」だけを繊細に縫い合わせることによって描く。2年前、『ムーンライト』を観てその圧倒的な質感に打たれながらも、どこか現在との接続をおっかなびっくりでやっているような気配だったのが、『ビール・ストリートの恋人たち』では舞台を過去に設定することにより、バリー・ジェンキンスはこれ程までに豊穣な――スクリーン上では劇的なことなど大して起こりはしないのに――語りを引き出した。

 『ムーンライト』においてドラッグと暴力はだから何? くらいの日常として出てくる一方で、ゲイのセックスはきわめて観念的な、いわばお伽噺を構成する一要素のように扱われていた。米国のクィア黒人写真家、シキース・キャシー(Shikeith Cathey) の言葉を借りれば「ある意味、単純な映画である。(It was in some ways simple.)」

シキース・キャシーへのインタヴュー記事はこちら

 おそらくその図体がでかすぎるために鈍くて重くならざるを得ないアカデミー賞は『ムーンライト』には早々と作品賞を与えた。が同じ監督の、より軽やかで鋭敏な感覚に満ちた新作『ビール・ストリートの恋人たち』はノミネートすらされず、今年の作品賞は『ムーンライト』よりも単純な、「いろいろあるけど、実際に会ってみたらイイ奴だった(だからずっと友達だよな、俺ら)」てな感動作『グリーンブック』に与えられた。鈍くて野暮ったいものにもそれなりの役割はある。あるがしかし、『ビール・ストリートの恋人たち』の、ストリートを歩くティッシュとファニーの冒頭シーンに始まる、しびれるような映像の繊細さと、それに伴走するニコラス・ブリテル(『ムーンライト』に続きスコア担当)の淡い哀しみを帯びたサウンドトラックに静かに打ちのめされていた観客としては、「アカデミー賞、まだまだじゃね?」くらいの事は言いたくもなるのです。

                                   
『ビール・ストリートの恋人たち』日本版本予告

Holly Herndon - ele-king

 人工知能、ほんとうにブームである。書店へ行けば「シンギュラリティ」という言葉を掲げた本をよく見かけるし、私たちも紙エレ最新号で「なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?」という特集を組んだけれど、渡辺信一郎の新作アニメの世界で音楽を作っているのはAIということになっているようだし、今月末にリリースされるカーリーンのデビュー作もAIとのコラボだ。そしてホーリー・ハーンダンもその波に乗ると。なんでも、彼女がニュー・アルバムで共作している相手は「Spawn」という名のAIの“赤子”なんだとか。はてさて、いったいどんなアルバムに仕上がっているのやら。発売は5月10日。

HOLLY HERNDON

海外主要メディア大絶賛! エレクトロニック・ミュージックと知性の融合。
ホーリー・ハーンダン、人工知能と共作した挑戦的な最新アルバム『PROTO』を5月10日に発売へ。

エレクトロニック・ミュージックとアヴァンギャルドなポップ・ミュージックを追求し続け、常識を突き崩す作品を世に出してきたホーリー・ハーンダンが、英名門インディーレーベル〈4AD〉から最新アルバム『PROTO』を5月10日にリリースすると発表した。人工知能(AI)とのコラボレーションによって生み出されたという前代未聞の作品となっている。今回発表に合わせて、新曲“Eternal”が公開された。

Holly Herndon – Eternal
https://www.youtube.com/watch?v=r4sROgbaeOs

ホーリー・ハーンダンは、米南部テネシー州出身。幼い頃は合唱団などに参加していたものの、ダンス・ミュージックやテクノの中心地として知られるベルリンへの交換留学プログラムに参加したことを機にベルリンのクラブで演奏経験を積むなど、クラブ・ミュージックに傾倒していった。米国に帰国してからは、カリフォルニア州のミルズカレッジでエレクトロ・ミュージックとレコーディング・メディアの博士号を取得。また The Elizabeth Mills Crothers Prize の最優秀作曲賞を受賞している。2012年にデビュー・アルバム『Movement』をリリースし、2015年には〈4AD〉から 2nd アルバム『Platform』を発表。米音楽メディア Pitchfork で10点中8.5点を獲得するなど各メディアから賞賛された。現在は米名門スタンフォード大学の博士課程に在籍し、Max/MSP などのプログラムを使用してエクスペリメンタル・ミュージックの可能性をさらなる高みへと突き詰めている。

最新アルバムは、「Spawn」と名付けられたホーリー自身のAIの“赤ちゃん”とのコラボレーションの中で生まれた。しかし、決して今作がAIについてが主要のテーマとなっている訳ではないという。テクノロジーの進歩と音楽を結び付けたスタンフォード大に在籍するホーリーならではの知性あふれるアプローチが取られた傑作となっている。

今回公開された新曲“Eternal”は、人間の精神をコンピューターなどの人工物に転送するという“マインド・アップローディング”を通じて転送された“永遠の愛”にインスピレーションを得ている。同時に解禁されたMVは、人間の顔を分析し探しているというAIの視点から映像を加工して作られたという。

最新アルバム『PROTO』は、5月10日(金)にリリース決定! 国内仕様盤には、歌詞対訳、ライナーノーツが封入される。現在 iTunes Store でアルバムを予約すると、公開されている“Eternal”と先にリリースされた“Godmother”がいち早くダウンロードできる。

Holly Herndon & Jlin (feat. Spawn) - Godmother
https://www.youtube.com/watch?v=sc9OjL6Mjqo

「AIの未来を形作っている」 ──CNN
「野心的」 ──FADER
「ハミングしたり、口ごもったりしているそれには、生々しい、新生の性質があり、それはまるでジリジリと音を立てて女王蜂を探している蜂の群のようだ。」 ──NPR(“Godmother”について)
「人間のインプットを、非人間的なタイミングでアウトプットした、多層からなるグリッチなビートボックス」 ──NY Times(“Godmother”について)

label: BEAT RECORDS / 4AD
artist: Holly Herndon
title: Proto
release date: 2019/05/10 FRI ON SALE
国内仕様盤CD 歌詞対訳/解説書封入
4AD0140CDJP ¥2,000+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10174

TRACKLISTING
01. Birth
02. Alienation
03. Canaan (Live Training)
04. Eternal
05. Crawler
06. Extreme Love (with Lily Anna Haynes and Jenna Sutela)
07. Frontier
08. Fear, Uncertainty, Doubt
09. SWIM
10. Evening Shades (Live Training)
11. Bridge (with Martine Syms)
12. Godmother (with Jlin)
13. Last Gasp

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448