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フライング・リザーズのセカンド・シングル"マニー"(79)はニューウェイヴの金字塔といえるヒット作だけれど、イギリス国内ではいささか数奇な運命を辿っている。"マニー"のチャート入りと同じ年に発足したサッチャー政権は市場を「見えざる神の手」に委ねることなく、可能な限り政府が金融政策に介入するというマネタリズムを主張していたため、TVで保守党の金融政策に関する特集やニュースが組まれるたびに同曲は条件反射のようにして流され、チャートに無関心な人たちにとっては否応もなく保守党やマネタリズムのテーマ曲として刷り込まれてしまったからである。しかし、マネタリズムは当時、ケインズ主義と対立すると考えられていたにもかかわらず、10年も経たないうちに相容れない考え方でもないとする方向に経済学の流れは変わり、政権発足当時ほど物議を醸すトピックではなくなっていく。残ったのはフライング・リザーズ=保守党という図式である。最近でこそ、選挙のキャンペーン・ソングに"マニー"を使う労働党の若い議員も現れたらしいけれど、ある世代から上はフライング・リザーズといえば保守党の金融政策でしかない。http://www.businesspundit.com/30-best-songs-about-money/
80年代にサッチャーとレーガンが強引に変えていった金融のルールは、30年後のいまも、世界を襲い続けている。極端な売り浴びせやアジア通貨危機などを引き起こすグローバル・マニーがその主役で、実感のない好景気や100年にいちどだったはずの大恐慌が5年といわず短い周期で繰り返される状態もすでに常態化しつつある(英米にも言い分はある。親アラブだった日本やフランスが逸早くオイル・ショックから立ち直れたのに対し、10年以上の遅れを挽回する必要があったのである)。アウトキャストにフック・アップされたキラー・マイクは、エル-Pのプロデュースによる5thアルバム『R.A.P.ミュージック』から、いまさらのように"レーガン"(http://www.youtube.com/watch?v=JPyjJ1MMUzQ&feature=related)で金融を武器に喩え、レーガンのやったことを責め立て、ブルース・スプリングスティーンも『レッキング・ボール』で金融危機を引き起こした人たちへの怒りをそれとなく表している(規制緩和で肥え太ったネオリベ=ファット・キャットを揶揄する歌詞はあっても、金融関係を直接的に扱った歌詞はない。たとえば、"イージー・マニー(あぶく銭)"では銀行家をボニー&クライドに見立ている)。
〈ブレインフィーダー〉からデビューする新人、ジェレマイア・ジェイはデビュー・ヒットとなった"マニー"で、ひとつの仕掛けを編み出した。3つの人格を生み出し、金持ちと貧乏人、そして、夢想家の3人にそれぞれ違う立場からステイトメントを表明させたのである。リッチ・マンの豊かさやプアー・マンが陥る葛藤はこの際、置いておこう。どんな手を使っても金儲けしたいと考える夢想家がこれと同等の立場で扱われていることがやはり気を引かれてしまう。グローバル・マニーの時代に金のあるなしで線を引くわけではないのである。
いまでは時給という考え方も当たり前のものになっているけれど、「働いたら、それだけの金は欲しい」という感覚はアウグスブルグの宗教和議(1555)に遡り、それを認めさせてきたのがプロテスタントの歴史と重なっていく。レーニンが「働かざる者、食うべからず」と言ったのも、この感覚の延長線上にあり、いわば、宗教改革というのは神様から与えられる恵みを人間同士で再分配するシステムに移行させたプロセスだといえる(そういう意味では資本主義も共産主義も同じ宗教観の産物でしかない)。ところが、デイトレードをはじめ、70年代からゆっくりと推し進められてきた金融再編がもたらした金銭感覚は、ここ500年ほど続いた「働いたら、それだけの金は欲しい」という観念を根底から揺さぶり、ジェイが夢想家に託したような「どんな手を使っても金儲け」という人物を大量に生み出してきた。池辺雪子のようなFX主婦にももちろん才能はあり、それに掛けている時間のこともあるので、仕事の質が違うだけという側面もあるとは思うけれど、「働いても、それだけの金を得られるわけではない」という自覚の部分を思えば、明らかに労働観は同じものではなくなっているのではないだろうか。ジェイはそれに対して、肯定も否定もない。金持ちと貧乏人、そして、夢想家をそれぞれが夢を見るという点において同等に扱っただけである(トム・ヨークが過剰反応しているのはなぜ?)。
"マニー"に耳がとまった理由は、しかし、その部分ではない。ポップ・グループ"ウイ・アー・オール・プロスティチュート"を思わせる奇天烈なイントロダクションである。最初はそれがすべてだった。それに導かれるというよりも振り回されるようにしてはじまる同曲は、ゼロ年代を通じてロン・ブラウズによってアラブ・ミュージックから掠め取られてきた違和感と相似形のようでいて、金属的で都会的な鋭利さと切迫感に満ちている。そして、いま、マイルス・デイヴィスが生きていたらロン・ブラウズとジェイのどちらに寄っただろうかという妄想まで掻き立てる。そう、80年代のマイルス・デイヴィスを支えたロバート・アーヴィング3世を父に持つジェイは、なるほどスウィング感のあるブレイクビートを組み立てるのに長けつつ、リズムも感情もミニマルに切り揃えたビートをもって、どこか内省的なヒップホップをジャズ・ファンクの延長線上に位置づける。一見、統制が取れていないかに見える曲の組み立ては、リー・バノンと共時性を感じさせつつも、錯乱じみた印象からはほど遠く、徹底的にチルの効果を内包し(自分では、自分の曲がリスナーのチャクラに達することが目的だとスピったことを言っている)、ときにはポップであろうとし、他愛のない空気のようになることまで楽しんでいる。フライング・リザース......じゃなかった、フライング・ロータスも面白い才能をデビューさせたものである。
例によってサウンドクラウドは短い曲の嵐(http://soundcloud.com/jeremiahjae)。どうしてここまで音を悪くするのかという曲まであって(ヘンなラジオ・ドラマも?)、「合法的」に1日中、楽しめます。1曲だけ聴くなら「ガーデンズ」(soundcloud.com/jeremiahjae/gardens)かな。
Don't get it twisted with some shit it isn't. (Jeremiah Jae)
三田 格