「Nothing」と一致するもの

 ザ・ケアテイカーの〈History Always Favours The Winners〉なるレーベル名が物語っているように、歴史を書くのはつねに勝者である、というのはよく聞く話だ。負けた者、去った者、斃れた者たちはなにも語らないし、語れない──というより、存在そのものをなかったことにされると言ったほうがベターかもしれない。われわれは千年前の人びとについて、どれほど多くを知っているだろう? 平安時代はこうでした、鎌倉時代はこうでしたと語られるとき、対象はたいてい貴族や武士などの「勝者」たちだ。ごく一般の人間たちがなにをしどう暮らしていたのか、専門的な歴史学者や考古学者でもなければまず知ることはない。
 ヒップホップ/ラップの分野で活躍するライターのつやちゃん、その記念すべき初の単著は、これまでちゃんとは顧みられてこなかった者たちに的をしぼることで、日本のラップ史を更新せんと試みる意欲的な1冊である。「確かに存在した事実を記す」〔強調原文〕「まずは可視化することに励む」「形跡を記す」と、序文でも繰り返し強調されている。副題どおり、対象は女性ラッパーのみ。まさにフィメール・ラップ・クロニクルと呼ぶべき内容で、近いタイミングで刊行されたクローヴァー・ホープ『シスタ・ラップ・バイブル』(押野素子訳、河出書房新社)の日本版とも言えるかもしれない。

 各ラッパーを論じるにあたり著者は、音楽や個人史だけでなく、社会的背景も説明してくれる。たとえば最初の RUMI の章。00年代半ば~後半ころの日本では「KY」なるワードが流行し同調圧力が高まっていた。同時に「草食系男子」や「森ガール」、ロハスといったニセの「自然」がひとつのムードを形成し、人びとが声をあげなくなった時代でもあった(ちょうど反イラク戦争と SEALDs のあいだの時期にあたる)。そんなときに労働や平和などをテーマにし、「あえて空気読みません」とラップした RUMI の『Hell Me NATION』は、まさに「痛烈な社会批判」であったと著者は分析する。おなじような手さばきで本書は、00年代の COMA-CHI、10年代前半の MARIA、最近の NENE や Zoomgals の重要性を鮮やかに解き明かしていく。
 じつはつやちゃんには、昨年の紙エレ日本ラップ特集号で「ヴィジュアルの変化──オートチューンとマンブルの果てに」という、MVやファッションの変遷にフォーカスした原稿を執筆していただいているのだが、本書でもリップやハイブリーチなど色彩に着眼する記述がたびたびあって、そこはほかのライターにない著者の強みだ。

 圧巻なのが末尾のディスク・レヴューである。1978年のキャンディーズから2021年のコンピ『DEATHTOPIA』までじつに43年分、207枚もの盤が紹介されている。もはやちょっとしたディスクガイド本だ。本来おまけにあたるはずのこのコーナーにこそ、「可視化する」という著者の強い想いがにじみ出ているように見える。
 趣旨に副い、基本的には女性のラップする作品がピックアップされているのだけれど、近年リリックのネタとして頻出する『セーラームーン』の主題歌を収めた DALI「ムーンライト伝説」や、「自然体」「脱力系」といったイメージの面で今日のアーティストに影響を与えていると思しき PUFFY「アジアの純真」など、狭義のラップから逸脱するシングル盤もとりあげられているところは独創的だ。現在の起点がどこにあるのか見定めようとする気概が感じられるし、大枠と小枠の区別もあるので著者がなにに重きを置いているのかが伝わってくる。
 むろん賛否両論あるだろう。インディペンデントなアーティストから大資本に支えられた超どメジャーの売れっ子、はてはアイドルまで選出されているところなんかは、資本主義の横暴が気になる向きにとっては無節操に映るかもしれない。でもそのフラットさにはしっかり理由があるのだ。序文に戻ろう。「フィメールラッパーにそんな余裕はない」。まずは「いる」ことを明らかにしなければならない──インディ・ロックやエレクトロニック・ミュージックに比べ、圧倒的に男性比率の高いヒップホップ/ラップの分野ならではの戦術と言える。
 ここで興味深いのが、昨年の紙エレ年末号にもチャートを寄せてくれた valknee のインタヴューだ。「時計買った、車買った、家買ったって。〔……〕そんなの貧乏な日本のラッパーでは全然リアルじゃない」と、彼女は著者に語っている〔156-157頁〕。「競争(することに執着)しない価値観もあるんだよっていうのをわたしは友達にも布教しています」〔158頁〕。新自由主義にたいする明確なノーである。かつてなく格差が顕著になったこの国において──まずは「いる」ことを明らかにせねばならないのだとしても──忘れてはならない観点だと思う。

 まあなんにせよ、本書がこれまでのヒップホップ/ラップの分野における「勝者」の歴史観を引っくり返す、日本で初めての試みであることは疑いない。先駆的だった『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(河出書房新社、2011年。編集長の野田いわく、あんまり売れなかったそう)同様、本書もまた10年後20年後に重要な記録として参照されることになるだろうし、そしてもちろん、まさにいまラップをはじめてみようと思っているチャレンジャーにとっても、貴重なヒントを与えてくれるにちがいない。

Wild Style - ele-king

 DJ、ラップ、ダンス、グラフィティ——すべてはここからはじまった。ヒップホップの黎明期をみごとに捉えたマストな映画『Wild Style』が、9 月 2日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷・新宿シネマカリテをはじめ、全国ロードショーが決定。でかい画面で久しぶりに観るのもいいでしょう。
 なお、今回のポスターは、当時の写真を用いたヴァージョンの他に、アーティストの Naijel Graph(ナイジェルグラフ)氏が描き下ろした新たなヴィジュアルも併用される。そちらも注目です。

『Wild Style』 (『ワイルド・スタイル』)
監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン
音楽:ファブ・ファイブ・フレディ、クリス・スタイン 撮影:クライブ・デビッドソン ジョン・フォスター キャスト:リー・キノネス、ファブ・ファイブ・フレディ、サンドラ“ピンク”ファーバラ、パティ・アスター、グランドマスター・フラッシュ、 ビジー・ビー、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、ラメルジー、ロックステディクルーほか
配給:シンカ
1982 年/アメリカ/82 分/スタンダード/DCP ©Pow Wow Productions, Ltd.

【HP】 https://synca.jp/wildstyle/
【Twitter】 @wildstyle_jp
【Instagram】 @wildstyle _jp

9月2日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか 全国順次ロードショー

【NAIJEL GRAPH (ナイジェル グラフ) プロフィール】

イラストやコラージュ、立体などの手法を用いて様々な作品を制作するアーティスト。Beastie Boys のオフィシャル T シャ ツやグッズなどを手掛けるほか、adidas originals や new balance、AH.H 等、多数のブランドにも作品を提供してい る。また、絵本『なんでもたしざん』では、日本書籍出版協会理事長賞を受賞。アメリカやイギリス、香港など、海外での 個展の活動も盛んに行なっている。https://www.instagram.com/naijelgraph/

Sam Prekop and John McEntire - ele-king

 ポストロック巨頭同士のコラボだ。ザ・シー・アンド・ケイクサム・プレコップと、トータスの(そしてザ・シー・アンド・ケイクのメンバーでもある)ジョン・マッケンタイアによる共作『Sons Of』が7月22日にリリースされる。先行公開済みの “A Ghost At Noon” を聴くかぎり……なんと、4つ打ち!? ふたりの新たな展開を確認しておきたい。

Sam Prekop and John McEntire(サム・プレコップ・アンド・ジョン・マッケンタイア)
『Sons Of』(サンズ・オブ)

THRILL-JP 54 / HEADZ 254 (原盤番号:THRILL 578)
価格(CD):2,200円+税(定価:2,420円)
発売日:2022年7月22日(金) ※海外発売:2022年7月22日
フォーマット:CD / Digital
バーコード:4582561397851

1. A Ghost At Noon 7:52
 ア・ゴースト・アット・ヌーン
2. Crossing At The Shallow 10:58
 クロッシング・アット・ザ・シャロウ
3. A Yellow Robe 23:41
 ア・イエロー・ローブ
4. Ascending By Night 13:41
 アセンディング・バイ・ナイト
5. Gathering At The Gate 7:58
 ギャザリング・アット・ザ・ゲイト
Total Time:64:19
※Track 5:日本盤のみのボーナス・トラック

Music by Sam Prekop and John McEntire
Recorded in Chicago and Portland 2021/2022
Mastered by John McEntire

Photo by Heather Cantrell
Artwork/design by Sam Prekop
Layout by Daniel Castrejón

ザ・シー・アンド・ケイク(The Sea and Cake)のフロント・マン、サム・プレコップ(Sam Prekop)と、トータス(Tortoise)の頭脳(実質的リーダー)で、サムとはバンドメイトでもあるジョン・マッケンタイア(John McEntire)による、デュオとしての初のコラボレーション・アルバムが完成。
海外では100本限定のカセットと超限定のCDでのみリリースされるそのアルバム『Sons Of』を、日本では超限定にはせず、ボーナス・トラックを追加してリリース。
マスタリングはジョン・マッケンタイアが担当し、アートワーク/デザインはサム・プレコップが担当。

二人のデュオ作品としては、2019年にMapstationとのスプリットでリリースされた「Kreuzung」以来となりますが、この様な単独でのフィジカル作品としてのリリースは初。
サムの2015年のインスト・ソロ・アルバムの2作目(通算4作目)『The Republic』以来の猫ジャケ(ジャケの猫はジョン・マッケンタイアの愛猫)。

ライブ音源(2019年の秋のヨーロッパ・ツアー、2021年11月のシカゴでのライブ)や、サムはシカゴ、ジョンはポートランドでのリモート(遠隔)コラボレーションをベースに制作されているが、彼らの本質にある類稀なるポップ・センスを生かし、様々な実験を施したポスト・プロダクションによって、より洗練されたサウンドに仕上げ、親しみ(聴き)易くも、非常に刺激的な電子音響作品を創り上げました。

サム・プレコップの近年のソロ作のファンは勿論、トータス・ファンやジョン・マッケンタイアのプロデュース作品のファンも必聴の、煌びやかで、清涼感溢れる、彼らの音楽遍歴が反映された、素晴らしいインストゥルメンタル・アルバムとなっています、

オリジナルのリリース元は今年2022年で設立30周年となる米シカゴの老舗インディー・レーベルThrill Jockey Recordsで、アニヴァーサリー・イヤーに相応しい作品となっています。

ライナーノーツは、現在はラジオDJや(DAOKOやTENDOUJI他の)音楽プロデューサーとしても著名な、GREAT3/Chocolat & Akitoの片寄明人と、日本のアンビエント・ドローンのオリジネーターで、100台ものキーボードで干渉音やモアレ共鳴を扱う『100 Keyboards』のパフォーマンス他で欧米を中心に、近年特に海外で高い評価を得ているサウンドアーティスト、ASUNA(アスナ)が担当しています。
片寄はジョン・マッケンタイアとも親交の深く、今作のタイトル『Sons Of』は、彼がジョン・マッケンタイアと『HAPPY END PARADE ~tribute to はっぴいえんど~』に参加した際のユニット名(氷雨月のスケッチ/Sons Of [片寄明人 from Great3+John McEntire from TORTOISE] )から来ています。
ASUNAは、自身のレーベルaotoaoで長年のツアーで直接共演してきたアーティストからなる『カシオトーン・コンピレーション』のシリーズをリリースしており、サム・プレコップも『Casiotone Compilation 7』(2017年)に参加しています。サムとASUNAの出会いのきっかけは、以下URLのASUNAが2020年に執筆した『Comma』のHEADZのHP用のレビューの中で触れられています。今回の『Sons Of』のリリースに合わせて、ASUNA本人がアップデートした改訂版となっておりますので、この機会にこちらもチェックしてみて下さい。
https://faderbyheadz.com/release/headz247.html

◎ 解説:片寄明人(GREAT3)、ASUNA
◎ 日本盤のみ完全未発表のボーナス・トラック1曲を追加収録決定
◎ 世界同時発売(2022年7月22日)

サム・プレコップは、近年海外でも再評価が進む清水靖晃、尾島由郎、吉村弘、イノヤマランド他の80年代の日本のニューエイジやアンビエントの名作群にインスパイアされ、ジョン・マッケンタイアがミックスを担当した5作目(インスト作品としては3作目)のソロ・アルバム『Comma』を2020年にThrill Jockeyからリリースし、高い評価を得て(ピッチフォークも8点越え)、日本でもロング・セラーとなっています。
2021年にはサムがセルフ・リリースしたEP『In Away』を日本盤のみでCD化し、こちらのCDも国内外で好調なセールスを記録しています。

現在、ポートランド在住のジョン・マッケンタイアは近年、エンジニアやプロデューサーとして、以下のような作品に参加しています。
・Modest Mouse の2021年のアルバム『The Golden Casket』(録音、ミックスで参加)
・Ryley Walker の2021年のアルバム『Course In Fable』(プロデュース、録音、ミックス、シンセ、キーボードを担当)
・June Of 44 の2020年の再結成アルバム『Revisionist: Adaptations And Future Histories In The Time Of Love And Survival』(ミックスとリミックスを担当)
・Yo La Tengo の2018年のアルバム『There's A Riot Going On』(ミックスを担当)

SUPER FREEDOM feat. DJ Marcelle - ele-king

 覚えているだろうか。2年前、〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire とともに来日が予定されていた、〈Nyege Nyege〉でもレジデントを務めるアムステルダムのDJマルセル。Mars89も気になっているというDJだが、コロナ直撃で中止になっていた《Local World》、YELLOWUHURU の《FLATTOP》、CELTER の3者によるパーティがこのたび2年ごしに実現されることになった。7月17日@CONTACT。¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$UやE.O.U、LIL MOFO、灰野敬二 x 久下恵生など強力な面子が終結。「SUPER FREEDOM」と題された一夜を満喫したい。

超越のレガシーが紡ぐ自由と解放の祝祭! 越境する奇矯のアーティストとして話題のDJ Marcelleを迎え、コロナ禍で延期になっていたLocal World、YELLOWUHURU (FLATTOP)、CELTERによるハイブリッド共同パーティ「SUPER FREEDOM」が新旧のラインナップを追加しContactにて開催。

SUPER FREEDOM feat. DJ Marcelle
2022/07/17 SUN before holiday
START 22:00 at Contact
Early Bird ¥2,000 / ADV ¥2,500 / DOOR ¥3,000
U23/Before 11PM ¥2,000
https://contacttokyo.zaiko.io/item/349638
https://jp.ra.co/events/1555354

@STUDIO X

¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U
CELTER
DJ Marcelle [Amsterdam]
E.O.U
LIL MOFO
YELLOWUHURU
灰野敬二 x 久下恵生

@Contact

1-DRINK
7e
DIV☆
Midori
mitokon
Zutsuki D

@Foyer

HARETSU
Hiro "BINGO" Watanabe
YASDUB
宇宙チンチラ
坂田律子
脳BRAIN
俚謡山脈

(A to Z)

artwork: Ginji Kimura
promoted by Local World / YELLOWUHURU / CELTER

2020年3月28日にウガンダの新興フェスティバル〈Nyege Nyege〉の中核Kampireも交え、惜しくも延期となったDJ Marcelleの初来日となる東京公演が2年以上の歳月を経て、会場をWWWからContactに移し、都内を中心に活動を続けるプロモーター解放新平(Local World)、DJのYELLOWUHURU (FLATTOP)とCELTERの3者によるハイブリッド共同パーティ「SUPER FREEDOM」として満を持して開催。アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle(フルネームはDJ Marcelle / Another Nice Mess)のミュージック・コンクレートのようなエレクトロニクスとサンプリングを散りばめたオブスキュアなループ/ダンス作品は“圧倒的な豊かさ”、“真の耳を開ける人”、“真の開拓者”とも称賛され、“アバンギャルド・エスノ・ベース”とも形容されるターンテーブル3台を駆使した独特のDJスタイルは近年欧州のアンダーグランド・シーンで着実にプロップスとオーセンシティを高めながらDekmantel、Unsound、Sustain Release、Nyege Nyegeでのレジデント等、今日のエレクトロニック・ミュージックにおける有力なフェステイバルにも出演、コロナ以降も稀有な存在としてワールドワイドな活躍をみせている。

ローカルからは出演が決定していた暖かく時にハードな愛情深い選曲で音楽ファンを魅了するDJ/セレクターLIL MOFO、世界各国の音楽がプレイされるDJ パーティ〈Soi48〉にて生まれたムード山とTAKUMI SAITOによる日本民謡を愛するDJデュオ俚謡山脈、スカム&ファンキーなコラージュ・アウトサイダー脳BRAIN、現行のアフリカン・ダンス・ミュージックを追随する〈TYO GQOM〉やJUBEE率いるRave RacerのメンバーでもあるHiro "BINGO" Watanabe、テクノを軸に様々なダンス・ミュージックの境界を彷徨う1-DRINK、そして本パーティ主宰のYELLOWUHURUとCELTERに加え、70年代よりバンド、ソロ、セッション等、数々のパフォーマンスを行なってきたレジェンド灰野敬二と久下恵生のコラボレーション、欧州ツアーを終えた越境ハードDJ ¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U、新世代の真打としても注目の京都のニューカマーE.O.U、コロナ期に躍進したクィア・レイヴ・パーティ〈SLICK〉のメンバーでもある7e、新世代のロックDJのセンスも垣間見えるDIV☆、the hatchのボーカルであり、ミュージシャンならではのリズム・センスでDJとしても名をあげるMidori、南アフリカへの愛を掲げながらそのサウンドとカルチャーを布教するmitokon、現CAT BOYSドラマーでありトビと変速を自由自在に操るZutsuki D、サイケ・コアなる特異なスタイルを極めるHARETSU、ハイパー以降のエディット含むポップかつハードなマキシマム・スタイルで人気を博す宇宙チンチラ、アヴァン・トロピカルな独特の空間とビートを紡ぎ出す坂田律子、神戸から関西を中心に活動するクリエイティブ/パーティー・コレクティブ〈HHbush〉に加入、レゲエ/ダブ/ハウスを中心に各地のフロアをロックする若手YASDUB、計20組がラインナップ。

アートワークは〈Life Force〉のメンバーでもあるグラフィック/照明デザイナーGinji Kimuraがフライヤーを手がける。グローカルな相互環境からアップデートされるダンス・ミュージックの伝統と革新による新たなるファンクネスとサイケデリア、日本ローカルの民謡やポップスまでもが入り乱れる越境の極北、デジタルによるグリットやビート・マッチングからの解放とアナログ的コラージュ感覚から織りなされる自由なグルーヴへの祝祭“SUPER FREEDOM”が実現する。

DJ Marcelle / Another Nice Mess [Amsterdam]

「異なるカルチャーに対してオープンでありながらも、そこのオーディエンスや自分の期待感に意識を向けすぎないこと。自分の道を進むためにね」@RA https://jp.residentadvisor.net/podcast-episode.aspx?id=679

アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle / Another Nice Mess。

サプライズ、アドベンチャー、エンターテイメント、教育、オランダのDJ/プロデューサーの DJ Marcelle / Another Nice Mess を説明するためによく使用される4つのキーワードであり、ライブ(およびスタジオ内)では3つのターンテーブルとレコードを使用して、ミックスの可能性を高みに引き上げる稀有なDJであり、またそれ以上のミュージシャンでもある。 2016年以降、ドイツのレーベル〈Jahmoni〉から「In The Wrong Direction」、「Too」、「Psalm Tree」、「For」(Mark. E. Smith へのオマージュ)の一連のEPリリースを経て、昨年最新LP『One Place For The First Time』をリリース。2008年から2014年の間には、ドイツの〈Klangbad〉から伝説のクラウトロック・バンド Faust の創設メンバーである Hans-Joachim Irmler によってセットアップされた4枚のダブル・バイナルのアルバムをリリースしている。

異なるスタイルの音楽を異なるコンテキストに配置することにより、個々のスタイル変化させ、他に類を見ない音楽スタイルを融合し、3つのターンテーブルと膨大なコレクションであるレコードを使いながらオーディエンスに3つの同時演奏ではなく1つのトラックであると感じさせる。そのスタイルは環境音、アバンギャルド・ノイズ、動物の音、レフトフィールド・テクノ、フリージャズ、奇妙なヒップホップ、最先端のエレクトロニカ、新しいアフリカのダンス・ミュージック、ダブステップ、ダンス・ホールなどと組み合わされている。

独創的で熟練したミキサーであり、独自のスタイルを持ち、ほとんどのDJのクリシエやこれまでのルールを回避し、フラクサス、ダダなどのアバンギャルドな芸術運動やモンティパイソンの不条理な現実に触発されるように、ダブ、ポスト・パンク、最新のエレクトロニック/ダンス・ミュージックの進化など、常に、非常に、密接に、音楽の発展を追い続け、革新的な “新しい” サウンドに耳を傾けている。創造と発展の芸術性と高まりを強く信じ、約2万枚のレコードと数えきれないほどの膨大なレコード・コレクションは過去と現代のアンダーグラウンド・ミュージックに関する強力な歴史的知識を体現している。

ステージにおいてはマルセルは開放と自由を超越し、しばしば「圧倒的な豊かさ」、「真の耳を開ける人」、「真の開拓者」と表現されている。ヨーロッパ中のクラブ、美術館、ギャラリーを回りながら、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、バーゼル、チューリッヒなど、多くの都市のレジデントDJ、 2015年と2016年には Barcelona circus / performance group のライブDJを務め、ウガンダの Nyege Nyege フェステイバルでは「ライフタイムのレジデントDJ」として任命され、最近では欧州の Dekmantel、Unsound、USのSustain Release 等のフェステイバルに出演しワールドワイドな活躍を展開。

また Red Light Radio、FSK、DFM など、ヨーロッパのさまざまなラジオ局向けにウィークリーおよびマンスリーのラジオ番組も開催し、インターネット上の John Peel ディスカッション・グループでは「best post-Peel DJ」と評される。マルセルにとって、何らかの緊急性や固定する必要がない限り、音楽形式は意味をなさない。分類が難しいことでブッカー、ジャーナリスト、オーディエンスを最初は混乱させられる。もしマルセルを適切な言葉で説明するのであれば「アバンギャルド・エスノ・ベース」と言えるだろう。

https://soundcloud.com/marcelle
https://www.facebook.com/marcelle.vanhoof
https://www.anothernicemess.com

池田若菜 - ele-king

 息を吸って吐く、ただそれだけのシンプルな行為。微弱な呼吸音が現れては消える。目の前にいるのは三人の卓越した器楽奏者だが、誰も楽器を手に持っていない。呼吸という、あらゆる人間が日常的におこなう営みを、彼ら彼女らはパフォーマンスとして譜面を見ながら演奏している。たしかに、息の長さや速度にわずかな変化はある。約5分おきに譜面が切り替わる。三人の息音が重なるとふわりとした厚みを帯びる。だがいわゆる音楽的なサウンドを構成しているわけでもない。それどころか耳に入ってくるのはむしろ、水流音や機械のリズミカルな作動音など、この場所に特有の環境の響きだった。こうした環境音の方が遥かに変化に富んでいる。ならばパフォーマーたちが聴かせる呼吸の響きは、わたしたちの耳を環境音へと向ける契機として提示されているのだろうか。つまり呼吸の響きそれ自体は意味を持たないものなのか。しかしながら、これから述べる一枚のアルバムを経ることによって、このパフォーマンスの聴こえ方は全く別物に変わってしまった。

 『Repeat After Me (2018-2021)』はフルート奏者/作曲家の池田若菜によるファースト・フル・アルバムである。吉田ヨウヘイgroup の元メンバーとしても知られる池田は、これまで自身のリーダー・グループとして、即興演奏が主体のトリオ・發展や、ヴァンデルヴァイザー楽派をはじめとした現代音楽/実験音楽の作曲作品をリアライズする室内楽集団 Suidobashi Chamber Ensemble を率いて活動をおこなってきた。近年はファゴット奏者の内藤彩とともに2018年に結成した五人組バンド THE RATEL での活動を精力的に続けている。また、フルート奏者として数多くの即興セッションや作曲作品の演奏をこなすほか、スピッツや寺尾紗穂、Luminous Orange などのレコーディングにも参加。実験的で創造的な音楽からポップスまで幅広い領域で唯一無二の才能を発揮してきた。本盤はそうした彼女の多面的な性格を凝縮するように、彼女自身の言を借りるなら「現代音楽のモチーフをフォークやポップスの構造に当てはめた」作品に仕上がっている。

 アルバム制作の発端となったのは2018年、三鷹のインディペンデント・スペース「SCOOL」からライヴの出演依頼を受けた際に一連の作曲作品を手がけたことだったという。そこから録音作品の制作へと向けてあらためてコンセプトを整理し直し、楽器編成も若干変更、最終的に池田若菜(フルート/アルトフルート)、池田陽子(ヴィオラ)、大藏雅彦(クラリネット/バスクラリネット)、岡田拓郎(ギター)、? meytél(ヴォイス)の五人編成で、「Repeat After Me」と題した全4曲の作曲シリーズから3曲を2021年にレコーディングすることとなった。池田自身が記したライナーノーツによれば、今回の作曲シリーズの核となるコンセプトは彼女が体験したごくプライベートな出来事から着想を得ている。詳細は直接ライナーノーツを当たって欲しいが、一部引用すると、寝たきりの状態だった晩年の祖母が無意識に発した、一聴したところでは呻き声のような「言葉になっていない、音程も定かではない、ふわふわとした呟き」を、幼少期に祖母が歌う民謡を頻繁に耳にしていた池田はすぐに「歌だ」と認識した。それは「何かの記憶や経験が、無意識下でさまざまなものと混ざり合い、全く別の形に変化する」ことで生まれた「歌」とも言えるもので、こうした「祖母の歌」を受け継ごうとしたことが今回の作曲シリーズとなったのだそうだ。

 収録された3曲は次第に「歌」の輪郭が溶け出していくように、アルバムを聴き進めるに従って曖昧でオブスキュアな要素が比重を増していく構成となっている。もっとも輪郭の明瞭な1曲め “Part A "Thema"” は、クラリネットがどこか郷愁を誘うメロディを奏でると、ヴォイスがやはり親しみ深いメロディで対位法的に絡みはじめ、中盤からは他の楽器も加わりアンサンブルが厚みを帯びていく。ヴィオラとフルートが持続音を重ねる一方、ギターは間欠的に弦を弾く。低音を欠いた室内楽的で浮遊感漂うサウンドが印象に残るが、続く2曲め “Part B” ではバスクラリネットが低音域で鳴り、ヴォイスはやや勇壮で物哀しくもある響きを聴かせる。時折呻き声のようにも、呟くようにも聴こえる声が「歌」の輪郭を滲ませ、そしてフルート、ヴィオラ、ギターの器楽音が取り巻くように周囲を漂う。最後の3曲め “Part C” はフルートが三音の下降音階を引き伸ばしながら吹き、一音を繰り返すクラリネットとの音程の間隔が緩やかに広がる。だが次第にフルートは音階を辿るのではなくひとつずつ音を引き伸ばすようになり、ギターの EBow を用いたドローンとヴィオラの持続音とともに甘美なハーモニーを形成する。ささやくようなメロディを口ずさんでいたヴォイスも徐々に長音の場面が増え、最後は声が姿を消してそれぞれの楽器の持続音が繊細で美しい揺らぎを聴かせる。ここにいたって「歌」はその形をほとんど失い、鳴り響く音響のテクスチュアが様々な色彩を描き、そして再びフルートが三音の下降音階を奏でてテーマに回帰し締め括られる。

 すでに述べたようにこのシリーズは全4曲からなり、アルバムには収録されていないものの、続きの楽曲がもうひとつある。実は冒頭で触れた呼吸音を用いたライヴ・パフォーマンスがそれだ。「Part D」はなく、“Part E "in ex hale"” がシリーズ4曲めとなる。くだんのライヴは2019年に八丁堀のスペース「七針」で、池田若菜、岡田拓郎、チェロ奏者/作曲家のステファン・トゥートの三人でおこなわれ、その模様はデジタル・アルバムとして〈No Schools Recordings〉からリリースされた。録音された音源を聴き返してもやはり変化に富んでいるのは環境音だ──それも奇跡的なことに絶妙なタイミングで、パフォーマンスがおこなわれている約30分間、水音や機械の作動音がざわめき出してから静まってゆくまでの響きが収められている。しかし『Repeat After Me (2018-2021)』を経験したわたしたちにとって、呼吸音はもはや単なる呼吸音ではない。環境音を引き立たせる役目を負うこともない。それは完全に形を失った、あるいは全く別の形へと変貌を遂げた、異形の「歌」とでもいうべき響きだからだ。いや、むしろ呼吸という声を成り立たせるベーシックな要素に還元された響きは、異形どころか本来は誰にとっても身近なところにあるはずの「歌」の姿ではないのだろうか。わたしたちが息を吸って吐くとき、ただそれだけのシンプルな行為のなかで、気づけばその「歌」の断片を繰り返している。

血を分けた子ども - ele-king

 言うほどSFファンでもないぼくがオクタヴィア・E・バトラーを知ったのは、ご多分に漏れずアフロ・フューチャリズム研究における先駆者のひとりに名前があったからだった。いや、「ご多分に漏れず」とは、我ながら偏見に満ちた言い回しだ。彼女の小説は、「ご多分に漏れず」フェミニズムの文脈でも読まれているのだから。ぼくがこれまで唯一読んだことのあるバトラー作品は、ハードカヴァーの、山口書房から刊行された『キンドレッド―きずなの招喚』だ。読む前に想像したのはサミュエル・R・ディレイニーの、たとえば『バベル-17』や『アインシュタイン交点』のような、カウンター・カルチャーにも汲みするニューウェイヴSF的な思考実験を詩的に展開するスペキュレイティヴ・フィクションだったけれど、読後に思ったのは、これはJ・G・バラードというよりもアリス・ウォーカーに近いということだった。待望の翻訳、『血を分けた子ども』を読んだいまもそう思える節は随所にある。が、このヴァラエティ豊かな短編集におけるバトラーはときに残忍で、ときに驚くほど絶望的で、じつに暗く重たい。それでも途中で放り出すことなく、最後までいっきに読ませてしまう。

 紹介することが先だろう。1992年2月号の『Wire』に掲載の「Loving the Alien - Black Science Fiction」という、編者マーク・シンカーによる先駆的論考で、サン・ラー、パブリック・エネミー、ジミ・ヘンドリックス、P・ファンク、デトロイト・テクノらの解説に混じって、SF作家として登場するのがディレイニーとバトラーのふたりだ。これは、アメリカの批評家マーク・デリーが「Black to the Future」と題した考察において、ディレイニー、グレッグ・テイト、トリーシャ・ローズ(*)の3人に話を聞いた上で提言した「アフロ・フューチャリズム」なるタームが世に出る1年前の話になる。そんな事情があって、音楽ファンのあいだにバトラーの名が届いたのは、90年代を通して黒いSF論——デリーの定義によれば「20世紀のテクノ文化の文脈で、アフリカ系アメリカ人のテーマを扱い、アフリカ系アメリカ人的な関心事を強調するスペキュレイティヴ・フィクション」——への注目が高まっていく過程においてだったけれど、ここ日本では、早くから翻訳が出版されていたディレイニーと違ってバトラーには日本版がなかった。だから『キンドレッド』の翻訳があると知ったときは、それはもう嬉しかった。これでようやくバトラーが読める。白人男性の祖先に召喚され、19世紀奴隷制時代のむごたらしい暴力(拷問)や性差別、白人至上主義の世界を体験させられる1976年のLAで暮らしていた黒人女性の主人公は、その悪夢=過去と格闘し、それを永遠に抹消しようとする——そんな話だった。92年の『Wire』の論考によれば、黒いSFとは「地球上の地獄という最悪の未来とそのなかにいることを可能にし、それが日常のあらゆる現実に織り込まれている」ことを出発点としているとあるが、『キンドレッド』はまさに強烈なその一篇に違いなかった。
 黒人、しかも女性で黒人のSF作家という二重の意味においてのこの先駆者は、当然ほかにも多くの小説を発表しているわけだが、日本では『キンドレッド』以降翻訳されることもなく、昨年は長らく絶版となっていた同書が文庫で再発されたばかりだった。が、つい先日、彼女のもっとも有名な短編集である原題『Bloodchild and Other Stories』が『血を分けた子ども』という邦題でとつぜん刊行された。これはいったい、なんということか。考えてみれば、1979年に小さな出版社から初版が刊行された『キンドレッド』だって、それがSFファン以外のところで広く評価を得ることになるのはずいぶん後になってからだ。21世紀に入ってからのほうが人はその先見性に驚嘆し、議論が活発化しているように思える。それにまあ、ここ数年の文化状況を鑑みても、いまバトラーを読むことはタイムリーかもしれない。音楽で言えば、シャバカ・ハッチングスのような人だっている。
 
 『血を分けた子ども』には、7つの短篇とふたつのエッセーのコレクションで、それぞれの作品に関する著者自らの短い解説も付いている。表題作の「血を分けた子ども」は1984年にヒューゴー賞(およびローカス賞、およびサイエンスフィクション・クロニクル賞)を受賞した彼女の短篇の代表作のひとつだ。これはトリクなる(おそらくムカデのような)地球外生物とトリクの惑星に移住した人間の物語で、人間の体内に卵を産むトリクが、人間を保護しているという設定になっている。奴隷制の物語ではない、と著者が解説の冒頭ではっきり書いていることから、発表された当時はほとんどそう読まれたのだろう。その誤解を正そうと、著者は敢えて解説を書いたのではないかと察する。ぼくも解説がなければそう読んでいた可能性は高い。かつて妊娠を強制させられた黒人女性を思わせるし、自分が生きていくためには理不尽な現実も受け入れなければならないという話ではあるが、しかし卵を植え付けられるのは男性だし、たしかに辻褄が合わないところがある。バトラーによれば、ひとつには、困難な状況に直面した男性が愛のために妊娠を選べるのかという設問があり、別のレベルでは異なる生物同士のラヴ・ストーリーであり、……とかいろいろ。しかしながらこの奇妙な共生は決して晴れやかなものとは思えず、ぼくは読んでいるあいだ心の置きどころのない感覚が消えることはなかった。この短い物語のなかの細部からは、じつに多くの言葉を導くことができるだろう。
 遺伝子疾患の悪夢とも言える「夕方と、朝と、夜と」もまた削ぎ落とされた無駄のない話のなかで、象徴的にいろんなことを思わせる作品だ。なかば絶望的な話ではあるが、ここにはうっすらと、恋人同士の会話のなかにギリギリのところでの希望を感じることができる。表題作と並んで評価の高い「話す音」(これもまたヒューゴー賞受賞作)はウィルスによる疫病によって言語能力を失った人類の話だ。この短篇の最後にも、著者も認める通り、希望が戻っている。とはいえバトラーは間違っても甘い作家などではない。この世界にほんとうに信じられる希望はあるのかと、2005年のエクスパンデッド・エディションに収録された「恩赦」には、残虐行為と暴力的な支配下にいる人間が味わう苦痛の、これでもかという描写がある。そしてこの本は「マーサ記」という、彼女が描く強烈なフィクションとユートピア的な目的との絶え間ないせめぎ合いによって締められている。
 
 ディレイニーは、かつて自分の小説を「自分の人生に対しておこなう絶え間ない注釈」と説明したことがあるが、バトラーにもそういう側面はあるのだろう。グレッグ・テイトは、マーク・デリーとのアフロ・フューチャリズム対談のなかで(黒人であるということは)「権威的に与えられるものではなく、個人によっておこなわれる危険な冒険」と言ったが、バトラーにいたっては、そこに「黒人女性」というレイヤーも重なる。人種、階級、そしてジェンダー。植民地主義や疫病彼がもたらすディストピアとその政治性には、医学や生物学も動員される。バトラーはそのフィクションによって我々を慣習的なモノの見方から逸脱させることができる作家で、違った見方があることを伝授しようとするアフロ・フューチャリストである。『血を分けた子ども』は前評判通り、多彩で、無駄のない、充実した内容の短編集だと思う。
 
 収録されたふたつのエッセーのうちのひとつ「前向きな強迫観念」は自伝だ。黒人の子供がまだ堂々と書店に入れなかった時代、雇用主が捨てた本なら娘のために何でも持ってくる母親のもとで育ち、売れない作家として低賃金の労働をしては、午前2〜3時に起きて原稿を書いていた時代の話が綴られている。こうした彼女の回想にグっと来るのだが、このエッセーは文章の締め方がみごとだ。黒人がSFを書くことの意義とは何か?——作家として自立した彼女が何度も直面してきた尋問が繰り返される。その最後のパラグラフは、情熱的な言葉で彼女の創作哲学について簡潔に語っているので、それを引用してこの拙文も終わらせたいと、じつはそう思っていたのだが……、止めておこう。それだけで読んだ気になってしまったら、バトラーに申し訳がない。

(*)トリーシャ・ローズに関しては、日本では新田啓子の訳で評論集『ブラック・ノイズ』が刊行されている。

Félicia Atkinson - ele-king

 ブライアン・イーノの「非音楽家(ノン・ミュージシャン)」というコンセプト、あれは「楽器が弾けないけれど音楽を作れる」という表現よりも、「誰もがミュージシャンである」という逆説的な言い方のほうが意味は深くなる。ジョン・ケージの“4分33秒”ではないが、聴こえる音すべてが音楽であり、われわれはつねに音楽に囲まれているというコンセプトが、音楽というものの可能性を阻害する制度のいっさいに抗することでもあるように。その昔フェリシア・アトキンソンは、タイニー・ミックス・テープの取材に応えて、(ミュージシャンがリスナーに対して)「聴いて楽しんでほしい」と言うのはちょっと下品でしょう、と言った。「そうではなく、リスナーとミュージシャンが一緒にフォームを作って、そしてそれを問うこと」
 音楽を聴くという行為も創造的なのだから、最初から一方通行的に与えられたものを楽しむ(消費する)だけでは、音楽の可能性を矮小化してしまっている、もったいない、アトキンソンにしたら、そういうことなのだろう。だから自分の音楽がアンビエントと括られることにも、彼女なら窮屈に感じているんだろうな。これはバックグラウンド・ミュージックではないし、静的であることは、必ずしも平穏さや瞑想に着地するわけではない。静けさとは力強さだ、アトキンソンなら言う。
 
 それにしてもアトキンソンの学際的な探究心とその豊富な知識、柔軟な思考やそのとめどない理屈には舌を巻くばかりだ。ディレッタント的と言ってしまいそうだが、彼女の場合の知識は、自身の芸術的な欲望を穴埋めするような趣味的に蓄積されたものではない。フランスの、労働者階級出身でフェミニストの知識人は、どれだけ自由で平等で、創造的な人生を歩めるのかという実践における養分として、ジョーン・ディディオンからジル・ドゥルーズ、アンドレ・ブルトンからジャック・ケルアック、ギー・ドゥボールからジェイムズ・ジョイス等々たくさんの書物を横断的に読む。ただ学ぶのではなく「逸脱して学ぶこと」、そう彼女は言う。読書することひとつ取っても創造的な行為で、だからリスニングに関しても、集中して聴くことが唯一正しいリスニングではないと考えよう。リスニング行為それ自体にも思いを巡らせるのだ。(誤解されているようだが、彼女の創作とASMRが無関係であることは、TMTのインタヴューを読むとわかる)
 
 彼女の新作は、12歳でロバート・アシュレーを聴いた彼女が「声」における音楽的魅力について考察していたように……、と、ここまで書いたがいったん中断して、もう少し彼女の経歴を書いた方が良さそうなのでそうする。
 彼女はいわゆるエリートではないし、幼少期からクラシックを学べるような裕福な家の出でもない。経済力はないが文化を愛する両親のもとに生まれ、ビョークとキム・ゴードンとキャット・パワーとPJハーヴェイをアイドルとした思春期を過ごしている。90年代は『NME』と『The Face』を愛読し、マッシヴ・アタックとトリッキーのライヴを見たくてパリからブリストルに向かったのは16歳のときだった(けっこうミーハーである)。高校卒業後に学校で音楽を少し学んではいるそうだが、自分に合わなかったと辞めている。もっとも重要なことはジョン・ケージから学んだと公言しているが、それは独学。27歳で東京の〈Spekk〉からデビューするまでは、演劇の音楽をやったりしていたそうだ。
 また彼女は、自分のスタジオを持たないことを主義としている。リルケのように旅を好み、旅をしながら創作しているそうだ。初期はiPhoneやガレージバンドを使って作っていたほどで、Je Suis Le Petit Chevalierなるロック・バンドも同時にやっていたような人だったりする。自分自身を、作曲家でもポップ・ミュージシャンでもないローリー・アンダーソンや小野洋子のような中間的な存在に重ねている。そんな彼女が12歳でロバート・アシュレーを聴いたのは、看護師だった父親の趣味として家にシュトックハウゼンやジョン・ケージやアルヴィン・ルシエやコーネリアス・カーデューなんかのレコードに混じってそれがあったからだった。
 で、そう、彼女は大人になってアシュレーを再発見し、これまでも自身の作品において「声」はさんざん使っている。デンシノオトや渡辺琢磨のような昔からのファンにはもうお馴染みの「声」だろう。それでもアトキンソンにとっては、ゴダール映画、および『二十四時間の情事』、およびロベール・ブレッソン映画のような「ささやき声」を効果的に使っている映画作品から受けたインスピレーションを音楽のなかで全面的に応用することは、かねてからやりたかったことのひとつだったようで、それが本作『Image Langage』になった。
 もうひとつの動機としては、ゴダール映画におけるアンナ・カリーナの「ささやき声」のように、画像がなくても「声」のみで物語は構築できるというコンセプトがあった。この話を抽象化すると、以下のようになる。インターネット以前に人が得ていた情報源は、おもに身の回りにあった。本やレコードはもちろん、石や海辺もそうだった。それらは本と同じように、人がそのページを開くのを待っている。ひび割れるのを待っている、何かが明らかにされるのを待っている、開かれるのを待っている、そういう考え方にあると彼女は説明している。たしかにそうかもしれない。その気になれば、「声」それ自体からも音楽は聞こえるのだから。
 
 幸か不幸か、ぼくにはフランス語がさっぱりわからない。少しだけ英語も混ざっているようだが、ぼくのリスニング行為においては、必然的に、意味に左右されることのない音としての「声」が曲の構成要素のひとつとしてそこにある。ほのかな電子音とサックスが交流する1曲はインストゥルメンタルだが、“湖は話している”以降からは、ピアノや電子音の断片が控えめに描く風景のなかで、「声」が聞こえる。リスニングの旅をうながすサウンドと「声」のコンビネーションが、自然のイメージを仄めかすこともあれば、各々の物語をふくらませることもあるだろう。表題曲が素晴らしく思えるのは、それがまさに感性の彷徨をうながすからで、アメリカの詩人シルヴィア・プラスに捧げられた曲における不安定さにもぼくは魅力を覚える。まあ、ほかの曲に関しても、いつもとは違ったエクスペリエンス(音楽体験)において、だいたい良い気分になってしまうのだ。高尚な主題を、それこそアカデミックな実験音楽とポップ音楽との中間にまで調整させてしまえるだけの力量がこの人にはあるし、アトキンスの澄んだ音響には人をネガティヴにさせる要素がないので、ぼくはすっかり“楽しんでいる”。あ、ちょっと下品だったかな?
  
 イーノにしろ、アトキンソンにしろ、理屈っぽい人の作る音楽が必ずしも理屈っぽいわけではなく、エクスペリメンタルであることが音楽を難しくすることではないわけで、そもそも「実験」というのは、「結果がどうなるかわからないけれどやってみよう」ということを意味している。リスニング行為もまたしかり。それはオウテカが言う「慣れてしまうことに対する抵抗」だったり、アトキンソンの音楽のように迷うことの楽しさであったり、だいたいやってみてもいないのに、見たことがない世界を見ようってこと自体が無理な話なのだ。音楽にできることはまだある。

山本アキヲの思い出 - ele-king

山本アキヲとシークレット・ゴールドフィッシュ
文:三浦イズル


「ほな、行ってきますわ」

 アキヲと最後に電話をした数日後に、アキヲの突然の訃報が届いた。シークレット・ゴールドフィッシュの旧友、近藤進太郎からのメールだった。
 2021年秋頃からアキヲは治療に専念していた。その治療スケジュールに沿っての入退院だった。その間もマスタリングの仕事をしていたし、機材やブラック・フライデー・セールで購入するプラグインの情報交換なども、電話でしていた。
 スタジオ然とした病室の写真も送って来た。Logic Proの入ったMacbookProや、小型MIDIキーボード、購入したてのAirPodsProも持ち込んでいた。Apple Musicで始まった空間オーディオという技術のミックスに凄く興味を持っていて、「これでベッドでも(空間オーディオの)勉強ができるわ〜」と嬉しそうだった。

「夏までに体力をゆっくり戻して、復活やわ」

 明日からの入院は10日間で、これで長かった治療スケジュールもいよいよ終了だと言っていた。

「ほな、行ってきますわ。じゃ10日後にまた!」

 近所にふらっと買い物にでも行く感じで電話を切った。その日は他の友人にも連絡しなくてはいけないということで、2時間という短い会話だった。
 アキヲと俺はお互い本当に電話が好きで、普通に何時間も話す。あいつが電話の向こうでプシュッと缶を開けたら「今日は朝までコースだな」と俺も覚悟した。明日の仕事のことは忘れ、まるで高校生のように会話を楽しんだ。話題が尽きなかった。
 電話を切った後、アキヲが送ってきた写真をしばらく眺めていた。
 それは先日一気に購入したという、2本のリッケンバッカーのギターとフェンダーUSAのテレキャスターを自慢げに並べたものだった。

「リッケン2本買うなんて気狂いやろ!」
 中学時代父親にギターをへし折られて以来、ギターは弾いていなかったらしい。

「最近無心でギターずっとジャカジャカ弾いてんねん。気持ちええな」
「今さらやけどビートルズってほんますごいわ」
「ほんまいい音やで。今度ギターの音録音して送るわ」

 アキヲの声がいまだにこだまする。
 赤と黒のリッケンバッカーたちが眩しかった。


俺はそいつを知っていた——アキヲとの出会い

 シークレット・ゴールドフィッシュは1990年に大阪で結成された。英4ADの人気バンド、Lushの前座をするためだ。その辺りのエピソードに関しては以前、デボネアの「Lost & Found」発売の際に寄稿したので、そちらをご覧になっていただきたい。
 1990年、Lushの前座が終わり、ベースを担当していたオリジナルメンバーのフミが抜けることになった。フミも経営に携わっていたという、当時はまだ珍しいDJバーの仕事に専念するためだ(その店ではデビュー前の竹村延和が専属DJをしていた)。
 そんななか、近藤が「同級生にめっちゃ凄い奴がおるで」と言って、ベーシストを紹介してくれることになった。
「学生時代番長や」近藤は得意のハッタリで俺をビビらせた。当時勢いのあった大阪のバンド、ニューエスト・モデルのベース・オーディションにも顔を出したことがあったという(*)。「むっちゃ怖いで〜、顔が新幹線みたいで、まさにゴリラや」そして俺の部屋にアキヲを連れてきた。たぶん、宮城も一緒だったと思う。
 現れたのは近藤の大袈裟な話とは違い、体と顔はたしかにゴツイが、気さくで物腰の柔らかい男だった。しかも俺はそいつを知っていた! 忘れることもできないほど、俺の脳裏に焼きついていた人物だったからだ。
(*)現ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉氏の回想によれば、「ええやん、やろや!」となったそうだがその後アキヲとは連絡取れず、この話は途絶えてしまったそうだ)

 1989年か1990年に、(たぶんNHKで放送していたと記憶しているが)「インディーズ・バンド特集」的な番組を観ていた。新宿ロフトで演奏する大阪から来たというパンク・バンドの映像が流れた。彼らはインタビューで語気を強めて答えた。
「わしらぁ武道館を一杯にするなんてクソみたいなこと考えてないからやぁ」
 そう語る男の強面な顔と威切った言動が強く印象に残った。
 しばらくして、バイト帰りに梅田の書店で無意識に「バンドでプロになる方法」らしきタイトルの本を立ち読みした。その本の序文の一説に、先日NHKで見た「武道館クソ発言」とそのバンドについて書いてあった。それは否定的な内容で、そういう考えのもとでは一生プロにはなれない、と著者は断じていた。
「あいつや……」
 忘れようとしても忘れられない、あの大阪のバンドの奴の顔が浮かんだ。
 そう、近藤が連れてきた番長の同級生、目の前の男こそが「あいつ」だった。山本アキヲ。物腰の柔らかさと記憶とのギャップに驚いた。

 俺も最近知ったのだが、シークレットのメンバーは大阪市内の中学の同級生が半分を占めていたらしい。近藤進太郎、山本アキヲ、朝比奈学、近所の中学校の宮城タケヒト。皆、俺と中畑謙(g. 大学の同級生)とも同い年だった。彼らは「コンフォート・ミックス」というツイン・ヴォーカルのミクスチャー・バンドをやっていて、自主制作レコードもその時持参してくれた。同じ日に宮城も加入した。
「コンフォート・ミックス」のLPは在庫がかなりあったらしく、シークレットがCDデビューする前の東京でのライヴで便乗販売していた。当時の購入者は驚いただろうが、今となっては超貴重盤である。

  こうしてアキヲがしばらく、シークレットのベースを担当することになった。俺にとっては運命的な出会いだった。その友情はその後30年以上も続くのだから。


1991-アキヲと宮城が゙加入した頃-京都にて

 アキヲはシークレットのベースとして多くライヴに参加したが、仕事の都合で渡米したりするので、アキヲの他にも朝比奈、ラフィアンズのマコちゃん(後にコンクリート・オクトパス)など、ライヴの際は柔軟に対応していた。
 2nd EP「Love is understanding」では、アキヲが2曲ベースでレコーディングに参加している。東京のレコーディング・スタジオまで飛行機で来て、弾き終えると大阪へとんぼ帰りだった。今思えば仕事との両立も大変だったろうに、本当にありがたい。アキヲが他のメンバーよりも大人びていると感じたのは、そういう姿も見ていたからかも知れない。


LOVE IS UNDERSTANDING / SECRET GOLDFISH 1992

 シークレットは多くの来日アーティストのオープニング・アクト(前座)を務めていた。その中でも英シェイメン(Shamen)のオープニング・アクトは特に印象に残っている。
 俺たちのライヴには「幕の内弁当」というセットリストがあった。「もっと見たいくらいがええねん」と、踊れる7曲を毎回同じアレンジ、ノンストップで30分ほど演奏していた。
 せっかくシェイメンと一緒のステージだし、いつもの演奏曲も宮城のエレクトロ(サンプラー)を前面に出したアレンジに変えた。練習も久しぶりに熱が入った。アキヲはそのスタイルに合わせ、ベースラインを大きく変えて演奏した。

「ええやん、そのベース(ライン)」
「せやろ!」

 そのライヴでの「Movin’」のダンスアレンジは今でもかっこいいと思う。その時のアレンジが先述のEP「Love is〜」や「Movin’」のリミックス・ヴァージョンに、宮城タケヒト主導で反映された。


MOVIN' / SECRET GOLDFISH (Front act for SHAMEN,1992)


1991年の大阪にて

 シークレットの最初期こそ京都を中心にライヴをしていたが、活動場所は地元の大阪へと移っていく。心斎橋クアトロをはじめ、十三ファンダンゴ、難波ベアーズ、心斎橋サンホール、大阪モーダホールなどでライヴをした。
 ちなみに91年難波ベアーズでのライヴの対バンは、京都のスネーク・ヘッドメンだった。「アタリ・ティーンエイジ・ライオット」を彷彿させるパンク・バンドだった。アキヲとTanzmuzikのオッキーことOKIHIDEとの出会いはその時だったのかもしれない。
 心斎橋サンホールでは「スラッシャー・ナイト」にも参加した。出演はS.O.BとRFDとシークレット。そのイベントに向けてのリハーサルは演奏より、メンチ(睨むの大阪弁)を切られても逸らさない練習をした記憶がある。なんせ近藤と宮城が真顔でこういうからだ。「ハードコアのライヴは観客がステージに上がって、ヴォーカルの顔面1cmまで顔近づけてメンチ切るんや。イズルが少しでも目逸らしたら、しばかれるでぇ」
 アキヲは笑ってたと思う。俺も負けじとドスの効いたダミ声で「Don't let me down」と歌うつもりで練習した。当日、S.O.BのTOTTSUANがシークレットのTシャツを着て登場し、「次のバンドはわしが今一番気に入ってるバンドや!」とMCで言ってくれたおかげでライヴは超盛り上がった。予期せぬ事態にメンバー一同胸を撫で下ろした。

 10月にはデビュー・アルバムも発売され、そこそこヒットした。あまり実感はなかったが、心斎橋あたりを歩いていると、その辺の店から自分の下手な歌が聞こえてくる。と、同時に多くの「ライヴを潰す」とか「殺す」などの噂も耳に入った。それはかなり深刻で、セキュリティ強化をお願いしたこともあったほどだ。


1992-心斎橋クアトロ-4人でのステージ

 そんな状況下でアキヲとの関係が深まる出来事が起こる。英スワーヴ・ドライヴァーの前座、クラブチッタ川崎でオールナイト・イベントがあり、その夜にはそのまま心斎橋クアトロでワンマンという日だった。諸事情で近藤と宮城はそれらに参加できなくなった。ステージを盛り上げる二人の不参加に俺は不安になった。

「ガタガタ抜かしてもしゃあない、わしも暴れるし思い切りやろうや!」

 その言葉通りアキヲは堂々と4人だけのステージで、近藤のコーラス・パートも歌いながらリッケンバッカーのベースを弾いた。その姿とキレのある動きはまさにザ・ジャムのベーシスト、ブルース・フォクストン! しかもチッタでは泥酔&興奮してステージに上がろうとする外国人客を蹴り落としたり、演奏中に勢い余って転んで一回転しながらも演奏を続けたりしてめっちゃパンク! 派手なステージングに俺のテンションも上がった。

 大阪行きの新幹線で初めてアキヲと向き合って話した。距離が少し縮まった気がした。


Taxman - Secret Goldfish 1992 @ CLUB CITTA'


祭りの後

 心斎橋のワンマンも無事に終え、シークレットはさらに勢いづいた。が、元来気性の荒い個性的な集団だっただけに、ぶつかり合いも多々あった。若さだけのせいにはしたくないが、未熟でアホやった。俺も独善的だった。
 祭りはいつかは終わるものだが、神輿の上に乗ったまま、知らない間にそれは終わっていた。バンドもメンバー・チェンジをしながら、音楽の新しいトレンドが毎月現れる、激流のようなシーンのなかで抗った。次第にメンバー同士が会う機会も減った。
 正式に解散したわけでもなくフェード・アウトしていく。それは単に、皆がそれぞれ違う音楽や表現手法に興味が向かっただけだった。無責任ではあるが、ごく自然なポジティヴな流れで、決して感傷的ではない。もともと皆新しもの好きだったのだから。


アメ村で見たフードラム

 暫くアキヲをはじめとするメンバーとは連絡を取り合っていなかったが、96年頃大阪に行った時、アメ村の三角公園前にある、アキヲが働いていた古着屋に立ち寄った。
 Hoodrumのメジャー・デビュー直後で、レコードショップでは専用コーナーも作られていた頃だ。アキヲがどんどん有名になっていくのは俺も嬉しかったし、誇らしかった。
 その店に立ち寄ったのも、単に一緒にいた仲間にアキヲの店だよ、と自慢したかっただけだが、レジのカウンター越しで怠そうに座っていたのはアキヲ本人だった。メジャー・デビューであれだけメディアに露出してるのに、普通に店番もしているなんて、まさにシークレット時代のアキヲのままだ。かっこ良すぎる。
 まだ携帯もメールもない時代。アキヲは当時と変わらず接してくれた。考えてみるとアキヲとは、過去から今に至るまで一度も衝突したことがない。それだけ大人だったんだな、とふと思う。
それ以来、時々また連絡を取り合うようになった。

 ミックス作業が上手くいかなくなった時などアキヲに聞くと、
「ミックスっちゅうんは一杯のコップと考えればいいんよ。その中で音をEQなどで削って、上手に配置するんやで」
 今ではAIでもやってくれるマスキングという作業についてだ。
 当時その情報は目から鱗だった。今でもミキシングの真髄だと思っている。


2000年の夏、河口湖にて。居候・山本アキヲ

 2000年の夏、アキヲが河口湖の俺の仕事場兼自宅に、2ヶ月ほど滞在(と言えばかっこいいが居候だな)することになった。その経緯は割愛するが、アキヲはちょっといろいろと精神的に疲弊していたんだと思う。俺も同じ経験をしているので、それは思い違いではないだろう。

「富士山をみると背筋が伸びんねん。叱られてる気分やわ」


2000-西湖にて富士山をバックにするアキヲ

 富士北口浅間神社では「今まで訪れた神社で一番空気が凛としてるわ」など気分転換になったと思う。慣れてくると自転車に乗って一人で河口湖を一周したり、俺の実家の父親の仕事を手伝ったりして汗も流していた。
 夜になると必ず一緒に音楽を爆音で聴きながら酒を呑んだ。湖畔の古民家だったので、夜中の大音量に関しては問題ない。まだSpotifyなどの配信は当然ない時代。俺のレコードやCDライブラリを聞いた。時には湖畔で夜の湖を眺めながら。
 日課のように聴いていたのは、B-52'sやThe Clash、JAPANやコステロなどのニューウェイヴ、他にもグレイトフル・デッド、ティム・バックリィ等々。音楽なら何でも。クラシックから民謡までも聴いたりした。Cafe Del Marを「品質がええコンピ」と紹介してくれたのもこの時期だった。

 酒が深くなると職業柄のせいか、制作側の視点へと熱を帯びながら話題も変化していく。例えばこんな感じに。

「The Clashの『London Calling』 (LP)のミックスは研究したけど、あれは再現不可能や。誰にも真似できひん」

「(Tanzmuzikの2ndのつんのめるようなリズムについて)あれはな、脳内ダンスなんや。頭の中で踊るんやで」

「(大量に持参した89年辺りの当時一番聴かないようなDJ用レコードについて)今は陽の目を見ないこれらの音楽を切り刻み、そのDNAを生かして再構築して再生させるんや」──その手法で作られたSILVAのリミックスには本当に驚いたのを覚えている。

「リヴァーブは使わんとディレイだけで音像を処理するんよ」

 アキヲには音のみならず、何事に対しても独特の哲学とインテリジェンスがあった。感心するほどの勉強家で、読書家でもあった。何冊かアキヲの忘れていった本があるが、どれも難しい評論や硬派な文学だった(吉本隆明著『言語ににとって美とはなにか』など)。
 例えば不動産の仕事に就けば、一年掛かりで宅建資格を取得して驚かせる。他の仕事に就いた時も常にそうだ。そして、楽しそうにその仕事のことを話す。とことん深く掘り下げる。高杉晋作の句に置き換えると「おもしろき こともなき世を おもしろく」を体現していた。

 俺たちはギターの渡部さん(渡部和聡)とアキヲと3人で、シークレット・ゴールドフィッシュとして4曲レコーディングした。2000年の夏の河口湖の記録として。


2000-河口湖のScretGoldfishスタジオにてくつろぐアキヲ


あの最高の感覚

 いつだったかアキヲがまた大阪から河口湖に来た際、旧メンバー数人でスタジオに入った。
 まず「All Night Rave」を合わせたのだが、その刹那、全身が痺れた。これだよ。この感覚。タツル(Dr)のドラムとアキヲの太くうねるベース。全員の息の合った演奏とグルーヴ。一瞬で時が巻き戻された。そう感じたのは俺だけではないはず。皆の表情からも伝わってきた。

 バンドは結婚と似ているというが、俺は今でもそう思う。シークレット以来パーマネントのバンドは組んでない。ごくたまにベースで手伝うことはあったが、まあ正直興奮はしない。だけど、このセッションではアドレナリンが溢れた。この快感が忘れられないからだったんだな。


山本アキヲとシークレット・ゴールドフィッシュ

 今回のアキヲの訃報で多く人の哀悼の言葉を読んだ。アキヲの音楽と人柄が愛されていることを知り、本当に嬉しかった。と同時にモニター越しに「厳然たる事実」を突きつけられ、不思議な感覚に陥った。3月から気持ちの整理を徐々にしているつもりだったのに。
 俺の知らないアキヲの側面を知っている仲間もたくさんいるし、各々がアキヲとの大切な思い出や関係性を持っている。近藤や宮城たちは謂わば幼なじみだ。その心中は俺には計り知れない。
 ただ、今こうしてシークレット・ゴールドフィッシュのメンバーと気兼ねなく電話やメールもでき、本当に幸せだと感じる。アキヲの訃報を直接口で伝え、アキヲとの馬鹿な思い出話を笑いながらできたことは良かった。ネットニュースで聞いたという形にはしたくなかった。
  バンドとしての在籍期間や活動期間は短かかったが、20歳そこそこの多感な時期、一緒に経験したあの密度の濃い瞬間は永遠だ。
 アキヲのマスタリングで過去のアルバムをサブスク(配信)に入れる話もしてたが、今後どうするかはまだ決めていない。

 アキヲは昨年から、河口湖にマンションを買って引っ越すつもりで調べていた。冗談なのか本気だったのかは、今となってはわからない。俺も地元の仲間も、その話には大歓迎だった。これからも酒を飲みながら音楽の話をしたり、一緒に制作したりする将来を楽しみにしていた。そういえば河口湖は第二の故郷だといっていたなあ。

 アキヲとの話はここでは語りきれないし、語らない。ただ、全部を胸に秘めておくだけでもいけない、ともう一人の自分が言う。アキヲという人間の一面を知ってもらうためだ。
 アキヲの音楽がそれを一番多く語ってくれている。そう、俺たちは音楽家だ。

「イズルも俺もミュージシャンやないねん。抵抗あるやろ? アーティストとか」
「音楽家や。今でも俺らはこうして音楽に携わっている。感謝せなあかんくらい、これってむっちゃ幸せなことやで」
 酒をごくりと飲む音と一緒にあいつの叱咤する声が聞こえた。

 最後にアキヲが言った一番嬉しく、一番心強かった言葉を記して終わることにする。
「イズルがシークレットやるって言うんなら、わしゃあいつでもやるで!」

 アキヲ、ありがとう。

2022年6月30日

三浦イズル(Secret Goldfish)


"All Night Rave" Secret Goldfish (12/07/15)


https://secretgoldfish.jp/
Secret Goldfish in 1991 ;
Drums:Tatsuru Miura
Bass: Akio Yamamoto
Guitar:Ken Nakahata
Vocal & Guitar:Izuru Miura
Dance & Shout: Shintaro Kondo
Synth & Sampler: Takehio Miyagi

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アキヲさんとの思い出のいま思い出すままの断片
文:Okihide

■出会った頃

 たぶん91年かそこらの、なんかやろうよって出会った頃にアキヲさんが作ってくれた「こんなん好きやねん曲コンパイルテープ」。当時みんなよくやった、その第一弾のテープには、そのちょっと前にくれたアキヲデモのテクノな感じではなく、フランス・ギャル(お姉さんからの影響だと、とても愛情を込めて言っていた)やセルジュ・ゲンズブールの曲が入っていた。僕がシトロエンに乗っていたのでフレンチで入り口をつくったのか、そこからのトッド・ラングレンの“ハロー・イッツ・ミー”や“アイ・シー・ザ・ライト”、その全体のコンセプトが「なんか、この乾いた質感が好きやねん」って、くれたその場のアキヲの部屋で聴かせてくれた。その彼は当時タイトに痩せながらもガタイが良く、いつものピチピチのデニム、風貌からもなんとなくアキヲさんは乾いたフィーリングを持っていて、で、その好きな音への愛情や気持ち良さをエフェクトのキメや旋律に合わせて手振り身振り、パシっとデニム叩きながら、手で指揮しながら語ったくれた。
 その部屋には大きな38センチのユニットのスピーカーがあって、周りを気にせずでかい音で鳴らしてたのは僕と同じ環境で、その音の浴び方もよく似ていたが、昭和な土壁の鳴りは乾きまくってて、そんなリスニングのセッティングもアキヲさんの一部だった。
 そのテープの最後に入っていたYMOは、彼が少年期に過ごしたLA時代に日本の音として聴いたときの衝撃について話してくれた。初期のTanzmuzikに、僕がよく知らなかった中期のYMOへのオマージュ的な音色がときどき出てくるのも、こうした出来事があったから。
 そんなことがあって、アキヲさんには、その体格を真似できないのと同じように、真似できない音楽的感性の何かがあって、そこにはお互いに共鳴するものがあると気づいて、リスペクトする関係になった、そんな初めの頃のエピソードを思い出す。

 〈Rising high〉 のファーストが出て、やっとお互いいちばん安いそれぞれ違うメイカーのコンソール買って、少しは音の分離とステレオデザインがマシになったけど、それまではほんとにチープなミキサーと機材でやっていた。そのチープ機材時代の印象的な曲として、“A Land of Tairin”という曲がある。アキヲさんがシーケンスやコード、ベースなど全ての骨格の作曲を作って、こんなん……って聴かせてくれたものに僕がエフェクトやアレンジを乗せた曲。このノイズ・コードをゲート刻みクレシェンドでステレオ別で展開させたいねん!って、アキヲさんに指と目で合図しながら、2人並んで1uのチープなゲートエフェクタのつまみをいじって、当時のシーケンス走らせっぱなしで一発録りしたのを思い出します。
 あの曲のそんなSEや後半〜ラストに入れたピアノは僕がTanzmuzikでできたことのもっとも印象的なことのひとつで、アキヲさんだからこそさせてくれたキャッチボールの感謝の賜のひとつです。


■最後の頃。

 こんなして思い出すとキリがないので、最後の頃。アキヲさんが亡くなる前の数ヶ月ほどは不思議とよく会いました。僕が古い機材をとにかく売って身軽になってからやりたいなぁ、って機材を売りにいくって言うと、着いてきてくれてね、帰りに大阪らしいもの食べよって 天満の寿司屋に連れてってくれて、そしたら「久々こんなに食べれたわ!」って8カンくらい食べたてかな、ありがたいわって。その前のバカナルのサラダも。
 帰りに2人で商店街歩いてたら、民放の何とかケンミンショーのインタヴュー頼まれて、断ったけど「危ないわ、こんなタンズて」って笑ってて。

 たぶん最後に会ったときなのかな、気に入って買ったけどサイズ合わへんし、もしよかったら着てくれへん?ってお気に入りのイギリスのブランドの僕の好きなチェックのネルシャツを色違いで2枚。おまけに僕の両親に十三のきんつばも。
 で、最後のメールは、僕におすすめのコンバータのリンクだったと思います。
 彼はもちろん平常心、良くなるはずでしたから、マスタリングの仕事からそろそろ自作をと、ギターやベースも買ったばかりで意気込んでたし、なかなか音に触れない僕にも常に機材や音の紹介をしてくれていました。
 そんなことともに、僕のなかのアキヲ臭さっていうのは、クセのある人でパンクで短気であると同時に、20代の頃から僕と違ったのは、ことあるごとに、〇〇があってありがたい、〇〇さんには感謝やねん、って僕によく言っていたことで、アキヲさんは僕の感謝の育ての親でもあると今さら思うのです。 
 彼が面白がって興味を持った作曲のきっかけになったモチーフには、彼なりの独自な愛情が注がれてます。ターヘル名義のハクション大魔王やタンツムジークのパトラッシュ(たまたま思い出せるのがアニメ寄り)……、色々あるけど、アキヲさんの曲を聴いてる人のなかで産まれるおもしろさや気分を覗いてみたい気分にもなってきました(笑)。音楽は不思議です。アキヲさんと、アキヲさんの音楽に感謝。


■トラック5選


Dolice/Tanzmuzik
アルバム『Sinsekai』のあと、追って〈Rising high〉から出た5曲入りEPのなかのB1の曲。アキヲさんのセンチメンタルサイドの隠れ傑作と思ってます。〝最終楽章” のたまらん曲!です。実はデモはもっとすごくて、なにこれ!って絶賛するも再現なく、「あれ、プロフェットのベンダーがズレてたわ……」



Countach/Akio Milan Paak
着信音にしたい、この1小節。



Mothership/SILVA..Akio Milan Paak Remix
Silvaのリミックス、強いキックの隙間にノイズの呼吸するエロティックなアキヲ・ファンクの特異点。これもデモテイクは下のねちっこいコードから始まって上がってそのまま終わってしまうという、もっと色気のある展開だったのに……


Classic 2/Hoodrum
Fumiyaのフィルターを通してアキヲさんが純化されたカタチの傑作と思う。PVによく表現されたベースラインもアキヲさんらしくたまらないし、他に絡む抑えの乾いた707(?)のスネアは707のなかでいちばんカッコいいスネア。あの当時の2人の僕のなかの印象を象徴する。
 ほかにも、“HowJazz It”のサックスとオルガンの〝お話”合いのような裏打ち絡みも好きだし、“Classic 1”は青春期の鼻歌アキヲ節全開な面あって、シークレットのイズルやトロンのシンタロー……アキヲの好きな旧友の顔が不思議と浮かんでくる。
 あと1曲挙げようと思ったけれど、いっぱい出てくるのでここまでにします。
 サブスクにもあまり出てこないマニアックな曲も多いけど、是非機会があれば聴いてみてください! Radio okihide が出来ればかけたい曲やテイクが山ほどあります。

 アキヲさん、ありがとうございます。

文:Okihide

Ginevra Nervi - ele-king

 中国の動画サイトに投稿されたグラム・ロックの映像にはたいてい「精神汚染」というタグが付けられている。中国メディア全体が華美なことに敏感なのである。パンデミック前には視聴者がファッションを真似するという理由で複数の宮廷ドラマが放送中止となり、コロナ禍で最高視聴率をマークした「乘風破浪的姐姐」というオーディション番組も槍玉に上がった。30歳を過ぎた女性アイドルが生き残りを賭けて競い合う同番組は「アメリカズ・ゴット・タレント」を少しばかりヒネった企画だけれど、確かに本家よりもセットは豪華だった。そのトバッチリというのか、バラエティ番組も放送禁止の対象になったというので「快楽大本営」という番組を探して観てみたところ、なんのことはない「王様のブランチ」に歌って踊るコーナーがくっついたものを公開収録でやっている程度のものだった。これぐらいでもダメなのか……と。しかし、僕が違和感を持ったのは華美ということよりも「乘風破浪的姐姐」や「快楽大本営」でステージに上がる芸能人たちがあまりにもスタイル抜群の美男美女だらけだったこと。たまに客席が映ると日本の70年代を思わせる冴えない相貌の男女が客席を埋めていて、そのギャップは歴然だし、芸能人になる条件としてあからさまにルッキズムが肯定されているのだなあと。韓国でも「日本の女優はあまり美人ではない」という論評が盛んだったところに「だけど、個性的な顔の方が作品は記憶に残る」という意見が出てきて、あまりに同じような顔の女優が韓国には多過ぎるという方向に話が逆流するなどルッキズムが対象化されつつある感じを覚えたりもしたのだけれど、中国はまだとてもそんな感じではないのだろう。

 イタリアからネットフリックスやアマゾン・プライムの音楽を手掛けてきたジネーヴラ・ネルヴィによるデビュー・アルバムは、台の上に立って、さも10頭身であるかのように見せかけた本人がジャケット・デザインを飾っている。ハリウッド俳優がちょっとばかり体重を増減させただけで「肉体改造」と称するのが最近は普通になり、そういったギミックも含めてルッキズムをバカにした表現なのは明白で、アルバム・タイトルも「外見障害」と訳せばいいのか、「見た目がめちゃくちゃ」とでも訳すのか。彼女の場合は身長が低いことで人生に面白くないことが多かったとか、見た目で判断されてきたことに異議があるということなのだろうか。具体的にはもちろんよくわからない。いずれにしろ誤読も含めてデザインで多くを語ることには成功している。少なくとも僕はこのジャケット・デザインの「見た目」が気になって聴いてみようと思ったし。予備知識がないということは先入観もゼロで中身に接することができる。短いスキャットとドローンのミックスでアルバムは幕を開け、ミニマルと優しいインダストリアル・ノイズを組み合わせた“Variable Objects”へと橋渡される。クラシカルの素養は感じられるものの、アルカやOPN以降のポップな音処理が前景化し、彼らのグロテスクな要素が苦手だった人には爽やかな変奏に感じられる内容といったところだろうか。3曲目は“Twelve”、4曲目は“Seven”、5曲目は“Nine”とヒネくれたタイトル・センスが小気味好く、10年代に実験的と感じられた傾向をどれもスタイリッシュなポップ・ソングへとリモデルし、先行時代の作品をメタで楽しく作り変えたという風情。そして、じょじょに自分の持ち味に慣れさせていく。

 実験音楽なのに、とても軽やかでポップな印象さえ残すという意味ではローリー・アンダーソンのデビュー・アルバムが脳裏をかすめる。何度か聴いてみると重い部分もあり、とくに後半は実験的な色合いを剥き出しにしていくものの、構成の妙でそこはリスナーをさらりと深みまで導いてしまう。以前はビヨークそっくりの曲などもやっていたようだけれど、このアルバムにその片鱗はなく、そういう意味では完全に独自のサウンドを掴んだ瞬間がパッケージされている。やかましいを通り越したジャングルのフィールド録音にまったく踊れないパーカッションを組みわせた“Twenty”や複数のミニマル・ミュージックを混ぜ合わせてポリリズム化した“Zero, Two, One”や同じく“Eleven”も新鮮。異なる2つの要素をミックスする時に「こんな発想はなかった」と思うわけではないのに「こんな曲はなかった」と思わせてしまうのはやはりセンスがいいからだろう。エディット能力が優れていたとされるナース・ウイズ・ウーンドとは同じ能力を持ちながら逆方向の美意識を発揮しているということかもしれない。ストリングスを何重にもレイヤーさせた“Anmous”、アルバム・タイトルと呼応しているのかなと思わせる“An Interior of Strange Beauty”にはブレイクで意表をつかれ、2曲目の““Variable Objects””を重くアレンジした“Stasiv V”を経て♪多元宇宙で私は解き放たれる~と歌うヴォーカル・メインのエンディングへ。すべてを壊して再構築に再構築、再生に再生するという夢の歌。とにかく発想が豊かで、曲がヴァラエティに富んでいるにもかかわらず、アルバム全体に統一感があり、なかなか感動の1枚である。

『The Disorder of Appearances』を聴いて僕は久々にアヴァン・ポップという言葉を思い出した。森田芳光やタランティーノが最初に現れた時の「あっ」という、あの感じ。瞬間風速だけが人生だぜ、みたいな。わざとなんだろうけれど、サウンドにはあまり奥行きがなくて、本音をいえば異なったミックスでも聴いてはみたいところ。そのせいなのか、オーディオを変えてみると異様につまらなく聞こえる曲もあり、僕と同じ再生環境にない人にはどう聞こえるのかはちょっと未知数。できればイコライザー満載のミキサーを通して聴いてみたい。

Drexciya - ele-king

 今年2月だったか、いつぞやのパーティで Mars89 がドレクシアをかけたときは思わず雄たけびをあげてしまった。若い世代も聴いているのだという。
 昨年30周年を迎えたベルリンのレーベル〈Tresor〉が、ドレクシアのバックカタログのリイシュー計画を発表している。ジェイムズ・スティンソン没後20周年を記念した企画で、(彼が亡くなった)9月からスタート。どの作品もヴァイナル、CD、デジタルの3形態が予定されており、アートワークもすべて刷新される(今回新たにカヴァーを手がけるのは、デトロイト拠点の彫刻家、マシュー・アンジェロ・ハリスン)。
 第一弾として、1999年の『Neptune's Lair』が9月2日にリリース。以降、2000年の「Hydro Doorways EP」、2002年の『Harnessed The Storm』、2001年のEP「Digital Tsunami」とつづく。
 年明け後、2023年の2月には、スティンソンのソロ名義であるトランスフュージョンの2001年作『The Opening Of The Cerebral Gate』とEP「Mind Over Positive And Negative Dimensional Matter」が、3月にはシフテッド・フェイジズ名義の2002年作『The Cosmic Memoirs Of The Late Great Rupert J. Rosinthrope』がリイシューされ、シリーズは完結。
 これはコンプリートしたい。

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