「CE」と一致するもの

interview with John Cale - ele-king

 ジョン・ケイルほどの充実したキャリアがあると、どこから話をはじめればいいのかわからない。ウェールズの小さな村ガーナントで、近所の教会でオルガンを弾き、地元の炭鉱労働組合の図書館が収蔵する楽譜に熱中したのがはじまりかもしれない。ロンドンでフルクサスの芸術家コミュニティと協働していた時期や、アメリカで名前の似たジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングと一緒に活動していた時期もある。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでロックのオルタナティヴな領域まるごとの基盤を築きもした──そこから派生するもうひとつのロック史を、モダン・ラヴァーズやパティ・スミスやハッピー・マンデーズなどのプロデュース仕事を通じて育んだことは言うまでもない。彼の長く多彩なソロ活動のどの時点でも物語の入口となる。
 しかし、彼のすばらしい最新アルバム『Poptical Illusion』は、ジョン・ケイルの現在地とそこに至る歴史の両方への窓口として、ごく自然な出発点となるだろう。
 ケイルはこのアルバムのタイトルにあまり大きな意味を持たせたくないようだが、これは本当に内容を表している。『Poptical Illusion』をポップ・アルバムとして聴くことは可能だし、1曲目の “God Made Me Do It (Don't ask me again) ” から、フックとメロディーと結晶のように完璧なプロダクションが差し出される──その意味で、ここにはポップを求める人に発見されるべきものがたしかにある。
 幻想的な側面はより制約から自由だ。あらゆるポップは幻想やファンタジーの技なのだという感覚がある。それは悲しみの物語を伝えるときでさえ、すべて大丈夫だと嘘をつき、慣れ親しんだコードやメロディーであなたを心地よく抱擁し、期待通りに解決してくれる。だが、それはジョン・ケイルのやりかたではない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの頃から、彼の音楽はつねに慣れ親しんだものを転覆させ期待を裏切るやりかたを見出してきた。彼のソロ活動はひとつの成功を定型化することを決してよしとしない道のりをたどってきた。初期にはテリー・ライリーと大部分がインストゥルメンタルのコラボレーションをおこない、評価の高い1973年のアルバム『Paris 1919』では繊細なチェンバー・ポップを、続く『Fear』や『Slow Dazzle』では全体的により荒涼とした、歪んで揺れる脱構築されたロックンロールを聴かせた。以降、彼はクラシックとアヴァンギャルドとポップの極致を探求し、決してひとつの場所に留まることなく、つねに次へと動き続けている。
 『Poptical Illusion』自体が多彩なアーティストたちとのコラボレーションを特徴とした前作『Mercy』からの変化を示しており、今回はより音楽的に自己充足した世界となっている。とはいえ、作品のテーマやケイル独自の豊かなヴォーカル、そして歌詞には連続性がある。初期にルー・リードとつながりがあったからだろうか、ケイルは作詞家としては十分に評価されていないようだが、彼はストーリーを理解するのに必要な情報のほとんどを行間に置いて語り人を惑わせる才能がある。曲中の登場人物が恐怖や不安や憂鬱を表現し、それらの文脈となる出来事や行動を断片的にしか明かさないやりかたは、M・ジョン・ハリスンやアラン・ロブ=グリエのような作家たちの不安げでありながら解き放たれた雰囲気を想起させる文学的な色合いを、この新しいアルバムにもたらしている。
 そしてケイルの音楽的な多様性に関して言えば、『Poptical Illusion』には、 “Calling You Out ” の途中でキーが外れて胃が痛くなるような急展開や、 “Shark Shark ” のキャッチーなフックのループを通して何層にも重なってゆくディストーションなど、彼の過去の作品に通じる慣れ親しんだものを脱臼させる感覚がある。
 このアルバムのリリースに先立って、ロサンゼルスの自宅にいるケイルにオンラインで話を聞いた(以下の会話は簡潔性と流れを重視して編集されている)。

図書館はすごく重要だった。あの小さな小さな建物の一室にあらゆる本が揃っていて、そこからたくさんのことを学んだ。

あなたの新しいアルバム『Poptical Illusion』は昨年の『Mercy』から間を置かずにリリースされますね。

JC:できるだけたくさんの仕事をしようとしているんだ。きっかけはロックダウンだった。あれが起こったとき一緒にやってくれる人が周りに誰もいなくて、突然、自分がいつまで仕事をやっていけるのかわからなくなった。本当に周りに人がいなかった。だから動き出したらできるだけたくさんの仕事をしようとした。その結果、プロジェクトの最後まで自分でかなり精力的に取り組むことになった。最終的にはこの成り行きにとても満足した──音楽にはたくさんのアイデアと、さまざまな種類の攻撃性があった。完成に至ったときにはたくさんの曲ができていた。期待していなかったことだけれど、とても満足していたんだ。

すべての曲が他のアーティストとのコラボレーションだった『Mercy』に比べると、新作はより自己充足している感じがします。それはパンデミックの影響ですか?

JC:そうだね。私はただ仕事に取りかかり、自分が音楽に求めるある種の攻撃性を掴んだ。ほんの少し楽になったよ。だけど、あのアルバムが完成してからたくさんの曲を書いたし、このアルバムがあったからすぐに出すのはまあ簡単なんだ。

ある種の攻撃性とおっしゃいましたが……

JC:まあ、それは作品を完成させられるか本当に不安だったから生まれたものだね。

これはまた違う種類の攻撃性かもしれませんが、いくつかのテーマは『Mercy』から続いているように感じます。歌詞はおそらく抽象的だったり斜めからアプローチしているのかもしれませんが、そこには現在進行中の社会の崩壊という一本の線が引かれているようです。

JC:そう、それが歌詞を書くことの魅力のひとつだ。さまざまな言葉の使いかたがある。ものごとの混沌とした側面が自分にとっては本当に魅力的なんだ。ただ要求に合わせようとして、自分の詩的な側面が無視されていることを確認するだけの話じゃない。

あなたは過去に、作詞家としてのルー・リードと曲を作ってよかったことに、彼がものごとの矛盾を扱うのがとても上手かったことがあると言っていましたね。

JC:ああ、そうとも言えるね。つまり、私はそれを心に刻んでいた。混沌が受け入れられるということが自分にとってとても重要だったんだ。

あなたの過去の作品にはディラン・トマスの影響もあるように感じます。

JC:というか、そうしようとしているんだよ! うまくいかないとき、「どうなろうがディラン・トマスの詩を全部音楽にしてやるぞ!」と言った。それは挑戦だった。すごく力強い詩の感覚を持っている人物を相手にしているわけだから、そこからできる限り吸収して学ぼうとしたけど、彼のリズム感はただただ圧倒的だ。ウェールズで育つと、「わあ、僕もこんなふうにできたらいいのに!」と思うようになることのひとつだね。すごく重要なことだ……「わかった、やってみろ! 心配しないで、やるしかない!」ってね。

ディラン・トマスの詩を音楽に合わせるのに本格的に取り組んだのは、『Words for the Dying』でしたね。

JC:そのとおり。

自分はウェールズ系の家庭で育ったので、彼の作品の重要性はよくわかります。つまり、ウェールズからの影響というのは、ずいぶん前にそこから離れているにもかかわらず、あなたがたびたび戻ってくる主題だと思うのですが。

JC:(笑)そうだね、それは認めるよ! ウェールズという土地のあたたかさと寛大さに一度気づくと、それはずっと心に残り続けるんだ。誰かに腹を立てるだけで無くなるものじゃない。特にその遊び心。 “Davies and Wales ” を書いたときはそういうユーモアの一面があらわれていて、自分としては満足だ。そして “Shark Shark ” にも、その領域に通じるある種の陽気さがある。

“Davies and Wales ” と聞いて思い出されたのは、自分の家族のウェールズ系の人びとが80年代から90年代にかけて、ジョナサン・デイヴィスがキャプテンを務めていた頃のラグビーを観戦していたことでした。

JC:私はラグビー的感性が織り込まれていることについて聞かれ続けてるよ!

年に一度、シックス・ネイションズ、当時はファイブ・ネイションズ(※ラグビーの国際選手権大会)の期間中に、母が「デイヴィスとウェールズ! カムリュ・アム・ベス!(※ウェールズ語で「ウェールズよ永遠に」)」と叫ぶのが聞こえてくるようでした。

JC:ファイブ・ネイションズ、ちょっと怖いね。ある意味笑えるし、活気と喜びに満ちあふれているけど、それと同時に他のどこでも同じような過ちが犯されてきた可能性がたくさんある。

そこにはある種の暴力性も潜んでいるかもしれませんね。

JC:間違いない。

ウェールズでの少年時代、あなたにとって故郷の村の図書館がとても重要だったと読んだことがあります。

JC:図書館はすごく重要だった。あの小さな小さな建物の一室にあらゆる本が揃っていて、そこからたくさんのことを学んだ。そこに行って探している本が見つからないときは、本の名前を言えば走って取ってきてくれた。バートランド・ラッセルやウィトゲンシュタインなんかの哲学者だったら1週間以内に手元に届いた。でも、音楽は(ロンドンの)メリルボーン公共図書館から取り寄せることになって、そこが楽譜を手配してくれたんだ。シェーンベルクやもっと無名の作曲家が欲しかったりすると彼らが買ってくれる。図書館はとても重要だった。たとえばハウベンシュトック=ラマティの音楽が欲しいとき──図書館のなかでもっともすばらしく、もっとも知られていない曲のひとつだった!──それが突然に自分の手のうちにやってくるんだから、すごくわくわくしたよ。

あの時点で私たちがやろうとしたことを本当にやった人はまだ誰もいなかった。つまり、ルーはそれに夢中になり、私はなんとしてもその境界線を壊してやろうとしていた。自分たちはいい線いってたと思う!

今朝起きてソーシャルメディアのフィードで目にした最初のニュースは、アイダホ州にあるそういう小さな図書館の話でした。新しい州法によって子どもが本にアクセスすることが法的に難しくなりすぎたという理由で、子どもが図書館を利用できなくなったというのです。あなたの新しいアルバムにある歌詞、「右翼が図書館を焼き払う」を思い出しました。

JC:その歌詞にはとても満足している。いい歌詞をいくつか書けたよ!

でも、混沌のなかに身を置いている割に、『Poptical Illusion』というタイトルは……

JC:ただの思いつきだよ! そこにユーモアのセンスが効いていたから、思いついたときに「こんなことを考えたんだけど……」と言ったら、その場にいた人が、「それ使わないと!」と言ったんだ。だから、いろいろなことにあてはまるし、そこに忍び込んできたんだ。

あなたの作品はつねにポップ・ミュージックとある種の関係を結んでいるように見えます。違いますか? あなたはキャリアの早い段階から、広い意味でポップ市場と呼べるようなところで仕事をすることを選んできましたね。したがって、ポップはクラシックやアヴァンギャルドと対話しているわけですよね。

JC:そう、それは豊穣な土地だ。人生で発見する最良のものごとをすごいスピードで吸収する──音楽や他のあらゆるもの、図書館やきみが必要なもの何もかも。アイダホのああいう人びとは思慮が浅い。人生に何が役立つのかについて考えが足りないんだ。私たちは何かを学んだり身の回りのものを吸収したりする機会があるからここにいるのであって、それを利用しなければただ時間を無駄にしているだけだってことを、彼らは考えたこともないんだろう。

この背後に潜んでいるのは子どもたちが学びすぎることへの恐れ、あるいは子どもたちが成長することへの恐れだと思います。子どもの自立に対する恐れです。

JC:そう! その通り! 恥ずべきことだ。愚かなことだ。はっきり言っていい、それはただの無知蒙昧だ!

この1週間あなたの旧譜を聴き直してみて、『Paris1919』の興味深い点は、表面的にはポジティヴだけれど、おそらくいまは抑えつけられているけれどふたたび表に出るのを待っている暗いものの種を体現しているところだと感じました。

JC:ある時点で、『Paris1919』は言ってみればその醜悪さを楽しませるようにして生き延びてきたと思うようになった。でも、あのアルバムが出たときには、「おまえは何をやってるんだ? 自分にとってヨーロッパとは何かを説明した、LAに住んでる、ワーナー・ブラザーズのために働いてる、すごく変わった感性を備えたアルバムを作った、自分がやってきたことのかなりの部分はウェールズからLAに行くことの意味をカタログ化し、そこに戻って何が起こっているかを語ることだ……『そこに戻って』が何であろうとも」と考えていた。

なるほど。自分があの作品に惹かれたのは、あれが参照している時代のためだと思います。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦が未来に迫っている。ある意味、それはいまの私たちが経験していることに似ています。瓶詰めにされたものがふたたびこぼれはじめている。

JC:同感だ。でも、それは同時に……ひとつの設定なんだ。このまま続けるためにやっているのか、それともただ自分の周りのことを観察するためにやっているのか? これはそれ以上のものだと思う。避けては通れないものだ。これが私たちの持っているもの、つまり、さあ、やってみようという。

いま、私たちは少しばかり暗い時代の最中にいるように感じていますが、新しいアルバムではほんの少し希望や光を求めているところがあるのではないでしょうか?

JC:それほど頑張ってはいない。そんなに頑張ろうとはしていないよ。

“How We See The Light ” について考えているのですが、この歌詞は憎しみが溶けてゆくようなちょっとしたエンパシーの瞬間に触れているように思えます。

JC:ううむ……つまり、それはとても上品な言いかたで、自分にはまだその準備ができているとは思えないな!

音楽をやっていて年をとるのは避けられないことかと思うのですが、『Mercy』はいまは亡き人や、過去に一緒に仕事をした人、あなたにとって重要な人びとの亡霊たちに取り憑かれているような感じがします。

JC:亡くなった人びとというよりも自分にとって重要な人びとという言いかたがしっくりくるね。なぜかはわからないけれどそれを認識し、認識する行為が自分にとって必要なことのすべてであるように祈るんだ。

今回のアルバムにもそうした亡霊たちの一部がまだ残っているのでしょうか?

JC:たしかにいるだろうね。ただ自分がそれらを意識していないだけなんだ。自分には取り組むべきものがたくさんあると思うけど、ただやり続けるだけだ。というのも、自分のやってきたことは作曲や作詞のスタイルに関して手を出してみたことやアルバムのエネルギーそのものにあらわれていると思う。自分がどうやっているか、何をしているかにより多くの情熱が傾けられているんだ。

意識的に何かに取り組むことなく曲を書き、しばらく時間が経ってから「ああ! あれはこういうことだったんだ!」と思うようなことはありますか?

JC:あるある!『Paris1919』について言ったのはそういうことだ。

ブライアン・イーノが自身のファースト・アルバムについてコメントしたのを読んだことがあります。友だちに「あの曲でブライアン・フェリーについて書いたのはとても勇敢だ!」と言われて、「何だって? あの歌詞はただのナンセンスだ!」と思ったけれど、聴き返してみると「うわ、これは彼のことに違いない!」と思ったそうで。

JC:(笑)! ほらほら、認めろよ、ブライアン! ほら! 私たちは結局のところみんな嘘つきなんだ。

ある意味こっそりやるんだ。そこには狡猾さがある。文学的な側面に寛大な態度でアプローチしようとすると、人びとは曲から出てくる言葉に心地よい驚きを覚える。それは重要だった。

ポップという概念と、それがあなたが経験してきた他の分野といかに相互作用を起こしているかの話に戻ります。それがヴェルヴェット・アンダーグラウンドであなたが担った役割の一部だったのでしょうか? つまりある意味で耳慣れた心地よいロックンロールのようなものを採用し、それを複雑化させたり脱臼させたりする方法を見つけることが。

JC:そう。つまり、脱臼させることはとても重要だった。あの時点で私たちがやろうとしたことを本当にやった人はまだ誰もいなかった。つまり、ルーはそれに夢中になり、私はなんとしてもその境界線を壊してやろうとしていた。自分たちはいい線いってたと思う!

たしかに! その後、あなたはソロアルバムの制作に移行しましたが、『Vintage Violence』の際により馴染みのある伝統的なやりかたでの曲作りを学ぶ必要があるという感覚はありましたか?

JC:少しはあったけど、ロックの作曲法には取り止めなく実験的な部分もあって、それもちょっと邪魔になったな。

何かに斜めから取り組むことが、あなたがつねに追求しているアプローチなのでしょうか。そうでなければストレートでありふれたものになってしまいかねないような。

JC:私の問題は歌詞でも曲でもシンプルに完成させることができないことで、だからつねに何かにぶつかってしまうんだ。衣装棚か何かにつまづいて自分が追い求めていたのは何だったっけと考えなければならない。それは最近でも続いている。つまり、こんな話をするほど私の頭ははっきりしていないんだ。

なるほど。近頃では音楽制作技術の進歩によって、やりたいことに関して技術的な制約がほぼないようなものになって、無限の選択肢がありますよね。

JC:そうだね。自分が何をやってみたいかを選ぶことの方が問題になるね。

それについて今回はいかがでしたか?

JC:このレコードにどれだけ怒りを込めることができたか、かな。ただ、人に気づかれないようにね。

それをどのようにやりましたか?

JC:ある意味こっそりやるんだ。そこには狡猾さがある。文学的な側面に寛大な態度でアプローチしようとすると、人びとは曲から出てくる言葉に心地よい驚きを覚える。それは重要だった。

怒りに満ちたものによりソフトなアプローチを採用することで、力強いものが生まれるかもしれません。つまり、パンクとそれがノイズ・ミュージックに発展していく過程において、衝撃を与えるために音響的にできることには限界があると、かなり前に結論が出ています。

JC:かつてアヴァンギャルドはそれを大量に提供し、その背後にはジョン・ケージの微笑みがあった。それはきみの人生を少しだけ楽にしただろう。「これを理解しようとしなくてもいい」と言って。一方でシュトックハウゼンなら「これを聴こうが聴くまいがどうでもいい!」と言うだろう。だから、もうそういうゲームの時代は過ぎ去ったという意見には同意するよ。いずれにしてもヒップホップがすべてを追い越していったと思うね。

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“I think how much anger I could get into the record. But without people noticing it.”
interview with John Cale
by Ian F. Martin

In a career as rich as John Cale’s, it’s hard to know where to start. You could start at the beginning, in the small Welsh village of Garnant, playing organ in a nearby church and immersing himself in sheet music from the local miners’ union library. His early years in London collaborating with the Fluxus art community, or in America working with his near-namesake John Cage and La Monte Young. Creating the foundations for a whole alternative universe of rock with The Velvet Underground — not to mention fostering the parallel rock history that spun out from it through his production work for The Modern Lovers, Patti Smith, The Happy Mondays and more. Any point in his long and diverse solo career is the entry point into a story.

But for both a window into where John Cale is now and into the history that underscores it, his superb new album “Poptical Illusion” is the natural starting point.

For all Cale’s reluctance to attribute too much meaning to the album’s title, a big part of why it works is because it rings true. It’s possible to listen to “Poptical Illusion” as a pop album and it delivers right from the moment opening track “God Made Me Do It (don’t ask me again)” in the hooks, melodies, the crystalline perfection of its production — in that sense, there’s certainly a pop album in there to be found by those with a mind to seek it out.

The illusory aspect is more open-ended. There’s the sense in which all pop is the art of illusion or fantasy: that it lies to you that everything is OK, wrapping you in the comforting embrace of familiar chords and melodies that resolve just how you’re expecting them, even when relaying stories of of sadness. That’s not how John Cale does things, though. Ever since his days with The Velvet Underground, his music constantly finds ways to subvert the familiar and upend expectations. His solo career has followed a path of never letting one success become a formula. His early years took in a largely instrumental collaboration with Terry Riley and the delicate chamber pop of his well regarded 1973 album “Paris 1919”, followed by the deconstructed rock’n’roll and generally starker, lopsided lurch of the subsequent “Fear” and “Slow Dazzle”. From there, he has explored classical, avant-garde and pop extremes, never satisfied to stay in one place, constantly moving on to the next thing.

“Poptical Illusion” itself marks a shift from its predecessor, “Mercy”, which was characterised by its many collaborations with a wide variety of artists. Instead, it’s a far more musically self-contained world. There are nonetheless markers of continuity in the themes, Cale’s distinctive, rich vocal delivery, and also in his lyrics. Perhaps partly due to his early connection with Lou Reed, Cale seems like a songwriter who has never fully got his due as a lyricist, but he has a disorientating talent for telling stories that leave most of the information needed to fully understand them in the gaps between the lines. The way characters in the songs express their fears, anxieties and melancholy, rarely revealing more than fragments of the events and actions that give them context, lends this new album a literary hue recalling the queasy and untethered atmosphere of writers like M. John Harrison or maybe Alain Robbe-Grillet.

And for all Cale’s musical diversity, “Poptical Illusion” shares his past work’s sense of dislocating the familiar, from the stomach-turning lurch out of key in the middle of “Calling You Out” to the layers of distortion that build up through the catchy, looping hook of “Shark Shark”.

In advance of the album’s release, I spoke to Cale online from his home in Los Angeles (transcript edited for concision and flow):

IM:Your new album “Poptical Illusion” comes quite swiftly after last year’s “Mercy”.

JC:I’m trying to get as much work done as possible. It all started because of the lockdown. When that happened, all of a sudden I didn’t know how long it was going to be possible to get the work under my belt because there was no one around to work with me on it. A lot of people were really not around. So I tried to get as much work done as I could when I got going. It turned out that I was pretty aggressive about getting to the end of the project. In the end, I was very happy about how things were going — there were plenty of ideas around and different kinds of aggression in the music. By the time I finished it, I had a whole lot of songs. I didn’t expect it, but I was very happy about it.

IM:Compared with “Mercy”, where every track was a collaboration with other artists, the new one feels more self-contained. Was that the influence of the pandemic?

JC:Yeah. I just got to work, and I got a grip on the kind of aggression that I wanted in the music. And it just came a little bit easier. But the fact I wrote so many songs since that album was finished, and now I have this one so it’s a little easier to bring it out quickly.

IM:You say about a kind of aggression…

JC:Well that’s something that just happened because I was really anxious to get the work finished.

IM:Maybe this is a different sort of aggression, but it feels like some of the themes carry over from “Mercy”. The lyrics maybe approach it from an abstract or oblique angle, but there does seem to be this thread of an ongoing breakdown of society.

JC:Yeah, that’s one of the attractive things about writing lyrics. You have different ways of using language. The chaotic side of things are really attractive to me. It’s not just trying to fit the bill and make sure your poetic side is is ignored.

IM:You’ve said in the past that one of the great things about working with Lou Reed as a lyricist is that he was so good at teasing out the contradictions in things.

JC:Yeah, you could say that. I mean, I took it to heart. It was very important to me that chaos is acceptable.

IM:I feel like there’s also been this influence of Dylan Thomas that runs through your work in the past.

JC:I mean, I try to! And then when I didn’t quite get it together, I just said “To hell with it, I’m going to try to set all of Dylan Thomas’ poems to music!” That was a challenge. You’re really dealing with someone who has a very powerful sense of poetry, so I took what I could and tried to learn as much from it, but his sense of rhythm is just stunning. It’s just one of those things when you grow up in Wales that you… “Wow, I wish I could do that!” It’s very important… “OK, go ahead and do it! Don’t worry about it, get on with it!”

IM:It was on “Words for the Dying” that you went really hard into setting Dylan Thomas’ poetry to musig, wasn’t it?

JC:That’s right.

IM:Growing up with Welsh family, I understand exactly what you mean about the importance of his work. I mean, I think the influence of Wales generally is a topic you keep coming back to, despite having moved away a long time ago.

JC:(Laughs) Yeah, I confess to that! It’s really, once you’ve had that inkling of the warmth and generosity of that place, it stays with you. It’s not something you can get rid of just by getting angry at somebody. Especially the sense of fun. When I wrote “Davies and Wales”, that was something satisfying to me because it showed that side of humour. And “Shark Shark” too, there’s a certain frolic that goes with the territory.

IM:When I heard “Davies and Wales”, what it reminded me of was the Welsh side of my family watching the rugby in the 80s and 90s when Jonathan Davies was captain.

JC:I’ve been grilled about the tapestry of rugby sensibilities!

IM:I could kind of hear my mother crying out “Davies and Wales! Cymru am byth!” once a year during the Six Nations, or the Five Nations it was then.

JC:The Five Nations, it’s kind of scary. It’s kind of funny in a way, and full of life and joy, but at the same time, there’s so much potential there for the same sort of mistakes that have been made everywhere else.

IM:Maybe a kind of violence lurking inside there as well.

JC:No doubt.

IM:In your early days in Wales, I read that the library in your home village was very important.

JC:The library was very important, very important. I learned so much from that small, little building with one room in it that had all the books. And you could go in there and if you couldn’t find what you were looking for, you gave them the name of the book and they would run off and get it. Bertrand Russell, Wittgenstein, any of the philosophers, you would get within a week, but if you went and asked them for music, I would get the music from Marylebone Public Library (in London), who would make sure they got you the scores for the music. If I wanted Schoenberg or I wanted some obscure composers, they would go and buy it for you. The library was very important. It was very exciting for me if I wanted a piece of music by Haubenstock-Ramati, for instance — one of the finest, obscurest titles in the library! If you suddenly had it in the palm of your hand.

IM:The first piece of news I saw in my social media feed when I got up this morning was a story about a small library like that in Idaho that has just announced they can’t allow children anymore because new state laws make it too legally difficult to let children access books. It reminded me of the lyric on your new album about “the right wingers burning their libraries down”.

JC:I was very satisfied with that. I got a good few licks in there!

IM:But for all of this immersing yourself in chaos, the title “Poptical Illusion”…

JC:I just made that up! The thing with it was that it had a sense of humour that worked, so when I came up with it and said, “Here’s something to think about…” the other person in the room said, “You’ve got to use that!” So that covers a lot of ground, it sneaks in there.

IM:Your work does always seem to be in a sort of relationship with pop music though, doesn’t it? You chose from an early point in your career that you were going to work in what I suppose we could broadly call the marketplace of pop, so pop’s in this conversation with the classical and the avant-garde.

JC:Yeah, it’s a fertile ground. It’s the speed at which you can absorb the best things you can find in life — music and everything else. Libraries and whatever you need. These people are thoughtless: whoever these people are in Idaho are. They’ve no consideration for what is useful in life. I don’t think it ever occurred to them that you’re around here because you have a chance to learn something or absorb what’s available to you, and if you don’t take advantage of it, you’re just wasting time.

IM:I think what’s lurking behind this is almost a fear of children learning too much or a fear of children growing up. A fear of the independence of children.

JC:Yes! Absolutely! It’s shameful. It’s so stupid. You’ve got to call it what it is: it’s just ignorance!

IM:Listening back over your back catalogue this past week, I felt that an interesting aspect of “Paris 1919” was that it’s positive on the face of it but maybe it embodies the seeds of something dark that’s been repressed, waiting to come out again.

JC:I think at one point, Paris 1919 did have a life that had these uglinesses being entertained, shall we say, but by the time the album came out, I thought “What are you doing? You’ve now explained what Europe means to you, you live in L.A., you’re working for Warner Brothers, you’ve written an album that has very peculiar sensibilities in it, and pretty much what you’ve done is you’ve catalogued what it means to go from Wales to L.A. and talk about what’s happening back there… whatever ‘back there’ is.”

IM:I see. I suppose what caught me with it was the time period it references, between the end of the First World War and with the second looming in the future. And in some ways that feels like what we’re going through now, with things that had been bottled up starting to spill out again.

JC:I agree, but it’s also… it’s a set up. Are you doing this to carry on or are you doing this just to observe what’s around you? I think it’s more than that: it’s something you can’t evade. This is what we have: let’s get on with it.

IM:We’re in the midst of what feels like a bit of a dark period right now, but on the new album aren’t there perhaps places where you looking for a bit of hope or light?

JC:Not too hard. I’m not trying too hard.

IM:I’m thinking of “How We See The Light”, where the lyrics seems to touch on these little moments of empathy where the hatreds can dissolve.

JC:Hmm… I mean, that’s such a genteel way of putting it, I’m not sure I’m ready for that yet!

IM:I suppose this might be an inevitable feature of growing older in music, but “Mercy” seems like it was haunted by the ghosts of people who’ve now passed, or who you’ve worked with or were important to you.

JC:That’s the way to put it: not so much people who’ve passed but people who were important to me. You don’t know why, but you recognise it and you pray that the act of recognising it is everything that you need.

IM:Are some of those ghosts still present on this current album?

JC:I’m sure they are. I just haven’t addressed them. I think I’ve got plenty of stuff to work with, but I carry on. Because I think what I’ve done is I’ve put my finger on something in the style of writing and the lyrics, and the energy of the album itself, that’s a lot more passionate about how I’m doing and what I’m doing.

IM:Do you find something that happens is that you’ll write music without consciously addressing something and then after some time’s passed between you and the music’s passed, you think, “Ah! That’s what that was about!”

JC:Yes! Yeah, that’s what I was saying about “Paris 1919”.

IM:I remember reading a comment by Brian Eno about his first album and having a friend come up to him and say, “It’s so brave what you wrote about Bryan Ferry on that song!” and him thinking, “What? Those lyrics were just nonsense!” but then listening back and thinking, “Oh God, this is absolutely about him!”

JC:(Laughs!) Come on, own up, Brian! Come on! We’re all liars in the end.

IM:To come back to this idea of pop and how it interacts with the other disciplines you’ve experience in, was that part of your role in The Velvet Underground? To take something that could be kind of familiar, comforting rock’n’roll and to find some way of complicating or dislocating that?

JC:Yes. I mean, the dislocation was very important. No one had really done what we tried to do at that point. I mean, Lou was enthralled by it and I was hellbent on breaking the boundaries. I think we got somewhere with it!

IM:Definitely! When you moved onto making your solo album after that, with “Vintage Violence”, was there a sense where you had to learn how to write songs in that more familiar, traditional way as well?

JC:I mean, there were a few, but there were also some disjointed experiments in rock writing that got in the way a little bit as well.

IM:So is that approach of always looking for oblique approaches to something that otherwise might be straightforward and familiar something you always gravitate towards?

JC:My problem was that I couldn’t complete a verse or a song with simplicity, so there was always something that I was bumping into. I’d trip over a chest of drawers or something and I’d have to figure out what it was I was going after. And it kept going, even recently. I mean, I’m not clear-headed enough to talk about all of that.

IM:Sure. Though nowadays, with music production technology’s advances, it’s almost like there are almost no technical restrictions on what you want to do if you want to because there are so many options available.

JC:That’s true. It’s more a problem of choosing what it is you want to mess with.

IM:How about this time round?

JC:I think how much anger I could get into the record. But without people noticing it.

IM:How do you go about that?

JC:It’s kind of sly. There’s a trickiness to it. You try and approach the literature side of it in a forgiving way, and people can be pleasantly surprised by the kind of language that comes out of these songs. Not quite as understandable, which was important.

IM:It can be powerful to take a softer approach into something angry. I mean, with punk and how it evolved into noise music, it’s almost like the limits of what you could do sonically to shock reached their conclusion a while back anyway.

JC:The avant-garde used to provide this in reams, and behind it there would be a John Cage smile that would make your life a little easy, saying “Don’t worry about understanding this.” Whereas Stockhausen would have said, “Listen to this or get lost! I don’t care.” So I agree with you that the time has passed for that game. I mean anyway I think hip-hop has overtaken the whole lot.

SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文 - ele-king

 いまダブの波が来ている。宇田川町に居を構える虎子食堂の15周年記念イベント特別編、強力な面子×2組による熱い一夜のお知らせだ。
 ひと組は、大阪のダブ・マスターHav率いるSOUL FIRE。バンドとしてはひさびさの東京でのライヴで、ヴォーカリストChicaとともに出演する。
 もうひと組はレジェンドこだま和文と、共作『2 Years / 2 Years In Silence』を残すUndefinedによるタッグ。こちらもひさびさのライヴとなる。
 DJ陣も抜かりない。レゲエ・セレクターのパイオニアのひとりである佐川修、blastheadのHIKARU、そして先日seekersinternational & juwanstocktonの強烈なダブ・アルバムを送り出したレーベル〈Riddim Chango〉(1TA&Element)の3組。
 さらに会場では、SOUL FIREの7インチが先行販売されるという。8月24日は渋谷WWWに集合です。

超の付くダビーな15周年、超虎子の宴開幕です!

うまい飯とうまい酒、そして音楽とそこに集まる人、人、人──宇田川町に居を構えて15年、虎子食堂、今年の周年のスペシャル・ヴァージョンは現地を飛び出し、同じく渋谷のWWWにて「これしかない」と店主熟考の下に集めたラインナップで開催決定!この国のダブのオリジネイターのひとり、こだま和文、そして海外のモダン・ダブの牙城〈ZamZam Sounds〉などからもリリースするダブ・ユニット、Undefined。2022年にコラボ・アルバム『2 Years / 2 Years In Silence』をリリースした両者が、同年の同じくWWWでのライヴ以来、ひさびさにライヴを行う。もう一方のスペシャルなライヴ・アクト、大阪のダブ・マスター、Hav率いるSOUL FIREがヴォーカリスト、Chicaと共に出演。バンドとしては虎子7周年記念以来の東京でのライヴ。この国の東西のある意味でレジェンダリーでありながら、現在進行形のダブ・サウンドが直撃する一夜となる。DJには、この国のレゲエ・セレクターのパイオニアのひとりであり、「溶け出したレコード箱」などここ数年、虎子食堂での出演が活発化している佐川修。想像の外側からエコーの残響にのってダビーにアシッドの熱風を呼び込む、HIKARU。国内外の現在進行形のダブ・サウンドをリリース、1TAとElement──今回会場で先行で販売されるSOUL FIREリイシュー7インチをリリースするなど過去の国内産ダブの遺産を紹介する1TA〈Rewind Dubs〉、そして I Jahbarとのコラボなどカッティング・エッジなダブ・サウンドをリリースするElementによる〈Parallel Line〉というサブ・レーベルもそれぞれ運営──によるセレクター・デュオ / レーベル、Riddim Changoも登場する。レゲエやダブを後景にしつつ、さまざま音楽とそれを愛する人が集まるあの場所の、15年の集大成、いわば超虎子食堂的な一夜を!(河村祐介)

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公演タイトル:SUPER TIGER

出演:
〈LIVE〉SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文
〈DJ〉佐川修/HIKARU (blasthead)/Riddim Chango (1TA & Element)

日時:2024年8月24日(土曜日)開場/開演 18:00
会場:WWW
前売券(2024年6月12日(水曜日)18:00発売):3,500円(税込・ドリンク代別)
前売券取扱箇所:イープラス、虎子食堂店頭
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

フライヤー画 : 西加奈子

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★国産Dubリイシュー・レーベル〈Rewind Dubs〉より、関西のレジェンドDubバンドSOUL FIREのアーカイブから7インチアナログレコードがリリース決定、そして本イベントにて先行販売!
2000年初期にリリースされたアルバム「SOUL FIRE」から煙立ち込めるルーディなステッパーチューン"Rizla”と、未発表曲"Who is DirtyHarry?"をカップリングした一枚。

7-inch Vinyl single
Soul Fire - Rizla w/ Who is DirtyHarry?
Catalog number : RWDS7-001
Price : ¥1,980 (tax in)

https://www-shibuya.jp/schedule/018020.php

ドライブアウェイ・ドールズ - ele-king

 ラナ・デル・レイが昨年リリースしたアルバム『Did You Know That There’s A Tunnel Under Ocean Blvd』に収録された〝Margaret〟は、同アルバムをプロデュースしたジャック・アントノフの妻で役者のマーガレット・クアリーの名前をタイトルにしている。アントノフはクアリーに一目惚れだったとデル・レイが最初に歌い、それを受けてアントノフ本人(=ブリーチャーズ名義)が現在のパートナーに少しでも疑問がある人はすぐにその場から逃げろ、逃げろ、逃げろと強く訴える。さらにデル・レイが自分の恋愛に迷いがある人はアントノフとクアリーの結婚式に参列したらいいと結婚式の日取りを告げる。複雑な構成だけれど、基本的には自分の恋愛に漠然とした不安を抱いている人は時間がそれを解決してくれると繰り返す曲で、デル・レイのなかでもとりわけ甘ったるく、暗いカントリーである。アントノフはデル・レイだけでなく、テイラー・スウィフトやロードも手掛ける売れっ子のプロデューサーで、〝Margaret〟はどことなく〝Royals〟などを思わせる。

 マーガレット・クアリーは5年前にタランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でクリフ・ブース(ブラッド・ピット)を誘惑するプッシーキャットの役で鮮烈な印象を残し、イーサン・コーエン監督『ドライブアウェイ・ドールズ』で早くも主役の座を射止めることとなった(2年前のランティモス監督『哀れなるものたち』では実験材料の役だった)。『ドライブアウェイ・ドールズ』は簡単にいえばレズビアンのカップルがフィラデルフィアからタラハシーまで南下しながら、スピードを出し、食事をしたり、セックスの相手を探すなどふざけ半分でドライヴを楽しむロード・ムーヴィーで、同作の性格は、脚本を書いたイーサン・コーエンの妻、トリシア・クックの言葉が最もわかりやすい説明となっている。いわく、レズビアンを描いた作品は重くシリアスなものが多いので、楽しいセックスを描こうと思ったと。確かに『アデル、ブルーは熱い色』『キャロル』『ロニートとエスティ』と、10年代に公開されたレズビアン映画は受難の時代を題材にしたものが多く、勇ましい気分になることはあっても楽しい作品とはいえなかった。対して『ドライブアウェイ・ドールズ』は笑いっぱなしに近い。共演のマリアンを演じたヴェラルディン・ヴィスワナサンによればカメラが回ってないところでもマーガレット・クアリーは彼女のことを笑わせにかかっていたという。

 1999年12月、オープニングはキケロのバーでアタッシェ・ケースを抱えたサントス(ペドロ・パスカル)がボックス席に座っている。店内にはリジー・メルシェ・デクローによる〝Fire〟のカヴァーが鳴り響いている。サントスは歌詞の通り火がついたようにいきなり店を飛び出すと後から追ってきた店の主人に殺される。場面変わって隠キャのマリアンが仕事場で同僚の男にナンパされるも無視し、陽キャのジェイミーとレズビアン・バーに出掛けていく。ステージに上がり、みんなから脚光を浴びるジェイミーとは対照的にマリアンは地味な服装に嫌味を言われるなど、まったくその場を楽しめない。ジェイミーはしかし、実際にはガールフレンドと別れたばかりでやさぐれた気分になっていて、マリアンがタラハシーに住んでいる叔母の元を訪ねるという話を聞くと、配送サーヴィスで車を借りて一緒にドライヴしながら行こうと提案する。配送センターでタラハシー行きの車を探すシーンがいきなり面白い。胸に「カーリー」という名札をつけたおっさん(ビル・キャンプ)にジェイミーが「カーリー」と話しかけると、おっさんは芝居がかった芝居をしながら「初対面でいきなりカーリーと呼ぶんじゃねえ」と怒り出す。カーリー・ヘアのジェイミーが怒るならわかるけれど、カーリー・ヘアがカーリーのことをカーリーと呼んでカーリーに怒られるのである。ジェイミーがガールフレンドと住んでいた部屋に自分の荷物を取りに戻ると、留守にしているはずのスーキー(ビーニー・フェルドスタイン)がなぜか家にいて壁に取り付けられたディルドをぶっ壊している。「2人で使わないのならこんなディルドはいらない!」とスーキーは絶叫し、マリアンはひたすら怯えている。部屋のドアを開けてすぐのところにある壁にディルドを取り付けていることがそもそもどうかしている。

 配送センターにギャングがやってくると、タラハシーに向かうはずの車が何者かによって先に持って行かれたことを知る。ギャングたちはカーリーをボコボコにし、スーキーの家を探り当てて部屋に乗り込むと、荒れ狂うスーキーに返り討ちにされる。わやくちゃなシーンが様々に続き、ジェイミーとマリアンの車がフロリダ州に着くとタイヤがパンクし、スペアを取り出そうとしてトランクを開けてみる。そこには冒頭でサントスが抱えていたアタッシェ・ケースと丸い箱があり、箱のなかには切り落とされたサントスの首が入っていた。首だけになったペドロ・パスカルというのも笑うけれど、この構図はどうやらファンカデリック『Maggot Brain』のジャケット・デザインを模倣したものなのである。

 本作はイーサン・コーエンによる初の単独作で、実質的な共同監督だという妻のトリシア・クックとも初めて組んだ劇映画となる(2人はジェリー・リー・ルイスのドキュメンタリーを撮ったことはある)。演出スタイルはラス・メイヤーやジョン・ウォーターズを意識したらしく、なるほどかなりえげつない。とはいえ、僕が観た限り同作の演出はコーエン兄弟の方法論そのままで、複数の要素を絡ませる手際はもはやお家芸。アメリカの政治状況を寓話に落とし込むのが天才的に上手いコーエン兄弟の作品は誰かの自由意志によって物語が進むという印象を与えず、登場人物すべてが神の手のひらで転げ回っているように見えてしまうのが特徴。そうしたセンスはこの作品も同じくで、脚本がつくり込まれ過ぎていて独自に人物造形をする余地がなかったと出演者たちが回想していたようにジェイミーがマリアンを振り回しながらレズビアンが自分たちに必要な感情を探り当てていく過程はそのままクリントン政権下でレズビアンがひとつの勢力として固まっていくプロセスを表しているかのよう。ジェイミーとマリアンがお互いを理解し、最終的には人生のパートナーになっていくことはわかりきったことだけれど、なかなかストレートにそこまで辿り着かないところが『ドライブアウェイ・ドールズ』を、まあ、過分に面白くはしているし、それこそラナ・デル・レイの歌詞が言い得て妙ということになる。

(以下、ネタバレ)ジェイミーとマリアンがアタッシェ・ケースを開けてみると複数のディルドが入っている(!)。だいぶ後になってわかることだけれど、そのうちのひとつは上院議員ゲイリー・チャネル(マット・デイモン)のペニスを形どったもので、これが今後も世に出回ると大統領選に響くと考えたチャネルがこれを回収しようとしてギャングたちを動かしていたのである。この映画にはところどころで挿入されるトリップ・シーンのような映像があり、観ている時はなんだかわからなかったのだけれど、終わってからパンフレットを読んでみると、60年代にジミ・ヘンドリックスやウエイン・クレイマー(MC5)のペニスを実際に型取りしたヴィジュアル・アーティスト、シンシア・プラスター・キャスター(22年没)を題材としたもので、この役をノー・クレジットでマイリー・サイラスが演じている。シンシア・プラスター・キャスターがチャネルのペニスを型取りしたという無茶苦茶な設定はどうなのかと考える暇もなく、さらにはマイリー・サイラスがそのシーンで使うようリクエストした曲が〝Maggot Brain〟だったという……うむむ。

 チャネルがジェイミーたちとの取引に応じ、バーのボックス席で待っている時にも〝Fire〟が鳴り響いている。100万ドルを用意してきたチャネルの前にジェイミーたちが姿を現すとチャネルが「誰?」と尋ね、マリアンは「デモクラッツ」と答える。普段、アメリカ人は、民主党のことは「デム」と発音するので、ここで「デモクラッツ」とフルでゆっくり答えるところは爆笑だった(チャネルは大統領候補だとされていたので、翌年が大統領選だったことを考えるとやはりブッシュ・ジュニアを念頭に置いている?)。上映中はそういえば女性たちの笑い声が何度も湧き上がっていた。そもそも観ていたのは女性の方が多く、帰り道で興奮したように話し合っている女性たちの姿も微笑ましかった。そう、間違っても反フェミのアニオタは観に行かない方がいい。女性たちをそうした視線で眺める世界観はここにはまったくない。とはいえ、僕にはこの作品のタイトルがもうひとつよくわからなかった。作品の終わり頃、壁に落書きされた「Drive-Away Dykes」の文字に「oll」という文字が飛んできて上から貼り付き、「Drive-Away Dolls」というタイトルに様変わりするシーンがある。「Drive-Away Dykes」はヘンリー・ジェイムズの小説だそうで、「Dykes」はレスビアンを表す俗語。これがなぜ「Dolls」に置き換えられたのか。「Dolls」は明らかにジェイミーとマリアンのことで、彼女たちを「人形」と呼び換える意味がよくわからない。単に「かわい子ちゃんたち」という意味なのだろうか。ジェイミーがレズビアン・バーでワン・ナイトの相手を見つけて帰ってくるとマリアンはいつも本を読んでいて、それもヘンリー・ジェイムズの『ヨーロッパ人』だという。勉強不足でどうもこのあたりのことが腑に落ちないままです。

LIQUIDROOM 30周年 - ele-king

 1990年代の日本の音楽シーンに多大なる影響をおよぼし、貢献してきたLIQUIDROOMが今年で30周年を迎える。ある世代以上の方は当然ご存じだろうけれども、現在恵比寿にあるLIQUIDROOMはもともと新宿歌舞伎町に存在していた。その新宿時代の10年間にLIQUIDROOMが成し遂げた功績は日本の音楽史を振り返るうえで外せない。
 たとえばそう、ボアダムスのすさまじいライヴの数々やプライマル・スクリームやフィッシュマンズ、コーネリアス、UA、エイフェックス・ツイン、4ヒーロー、トータス、アンダーワールドといった時代のきら星たち、巨匠リー・ペリー、ジェフ・ミルズやアンドリュー・ウェザオールといったレジェンドたちのDJ、そして田中フミヤや石野卓球によるテクノの夜……。
 そんな1994年から2003年までのLIQUIDROOMを振り返る展覧会が現LIQUIDROOMのギャラリーKATAにて開催される。会期は7月13日(土)~7月21日(日)の9日間。入場無料。貴重な記録を目撃することで、音楽シーンの新たな未来を切り拓く一助としたい。(編集部の野田もコメントを寄せております)

LIQUIDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>の歴史を紐解くアーカイブ展が開催決定

LIQUID START

―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―

LIQUID START制作委員会はLIQUDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>の歴史を紐解くアーカイブ展を今年恵比寿開業20周年を迎えるLIQUIDROOM全面協力の元、2024年7月13日(土)から7月21日(日)までLIQUIDROOM内のギャラリーKATAにてLIQUID START―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―を開催いたします。

LIQUIDROOMの原点である新宿時代、約10年間の歴史を紐解くアーカイブ展

現在から遡ること30年前の1994年7月。新宿歌舞伎町のビルの7FでLIQUIDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>が誕生していたことは、ある一定の年齢層を除き意外と知られていない事実かもしれません。今年恵比寿開業20周年のアニバーサリーを迎えるLIQUIDROOM全面協力の元、新宿LIQUIDROOM約10年間の歴史を紐解くアーカイブ企画展を開催いたします。新宿LIQUIDROOMが存在した1990年代後半~2000年代前半の洋邦楽ライブ/クラブシーンの潮流をいま、再認識するということ。それは単なる90’s〜00’sへの郷愁だけでなく、この時代の音楽シーンの影響がどのように後世の音楽やカルチャーへと結びついていったのかを考察するという試みでもあると考えます。LIQUIDROOMファースト・ディケイドの軌跡、ぜひご覧ください。

【開催概要】

イベント名称:LIQUID START―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―
開催期間:2024年7月13日(土)〜7月21日(日)
開場時間:平日:14:00〜20:00 土日祝:13:00〜19:00 *最終日のみ18時クローズ
開催場所:LIQUIDROOM ギャラリーKATA(住所:東京都渋谷区東3-16-6 2F)
観覧料:無料
注意事項:一部を除き写真撮影禁止 :ギャラリー内は飲食禁止とさせていただきます

LIQUIDROOM HP:https://www.liquidroom.net/
KATA HP:http://kata-gallery.net/
LIQUID START公式Instagram:@liquid_start_since_1994

主催:LIQUID START制作委員会
協力:LIQUIDROOM

【本展の見どころ】

■現在では閲覧・入手困難!圧巻のフライヤー・ギャラリー
会場全体を彩るのは、現在ではあまり配布されることがなくなったライブやパーティーのフライヤー。90’s〜00’sならではのムードを如実に反映しているデザインのフライヤーや新宿LIQUIDROOMの月間スケジュール、新宿LIQUIDROOMがオープンした1994年7月から約10年間の公演フライヤーを時系列で一挙に展示。この会場でしか見ることの出来ない、貴重なものとなっています。

■ここでしか読めない!豪華アーティスト陣によるスペシャル・コメント
本展のためだけに寄せられた、アーティスト自身による新宿LIQUIDROOMでの思い出が語られたコメントを当時のアーティスト公演フライヤーと共に展示いたします。

コメント展示予定アーティスト:小山田圭吾(Cornelius)、茂木欣一(フィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ)、Mummy-D(RHYMESTER)、増子直純(怒髪天)、Buffalo Daughter、KEN ISHII、田中フミヤ、宇川直宏(現”在”美術家)、他

■当時のライブ・場内写真、秘蔵映像、公演解説、90’s〜00’sの超貴重バンドTシャツの展示
フォトグラファー菊池茂夫氏、山本絢子氏によるライブ写真や場内写真、秘蔵映像や当時のライブ/パーティーの解説テキスト等を公開。また、新宿LIQUIDROOMで公演を行ったアーティストの貴重なヴィンテージバンドTシャツの展示等、現在ではなかなか接することが出来ないレアな平成カルチャーを生で体感できる展示構成を予定しています。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music” - ele-king

 坂本龍一への敬意を表する国内外 41 名の音楽家による未発表の 39 作品を収録した コンピレーション、2023 年ドイツ音楽評論家賞 Electronic & Experimental部門を受賞した『Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”』が、2024 年5月29日から配信されている。また、同時にアナログ盤もリリースされる。以下、リリース・スケジュールとその内容です。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”

Vol. 1 2024 年 5月31日 (水)発売
01. Tetuzi Akiyama / Transparent Encephalon
02. Otomo Yoshihide / Moonless Night
03. Toshimaru Nakamura / nimb#75
04. Sachiko M / to the sunny man
05. David Toop / Hearing Cries From the Lake
06. Rie Nakajima and David Cunningham / Slow Out
07. Lawrence English / It Is Night, Outside

Vol. 2 2024年7月31日 (水)発売
01. SUGAI KEN / Swallow & Electronic Swallow (2023 Rainy Season)
02. Kazuya Matsumoto / ice
03. Shuta Hasunuma / FL
04. Takashi Kokubo / Rainforest soloist
05. Miki Yui / Hotaru
06. Tomoko Sauvage / Weld
07. Christophe Charles / microguitar

Vol. 3 2024年9月25日 (水)発売
01. Alva Noto / für ryuichi
02. Yui Onodera / Untitled #1
03. Marihiko Hara / extr/action
04. Ken Ikeda / Circulation
05. Hideki Umezawa / Sculpting in Time
06. AOKI takamasa / UKIYO
07. ASUNA / Elephant Eye
Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music"

Vol. 4 2024年11月27日(水)発売
01. Stephen Vitiello / Motionless Wings
02. Sawako / Tokyo Rain Forest 35°40ʼ 25” N 139°45ʼ 21” E
03. Tujiko Noriko / Iʼ ll Name It Tomorrow
04. ILLUHA / Gratitude
05. Christopher Willits / Study for Sakamoto (March 2023)
06. Tomotsugu Nakamura / backword to blue
07. Kane Ikin / Pulsari
08. Bill Seaman / Tears Namida

Vol. 5 2025年1月29日(水発売
01. Tomoyoshi Date / Placement Of The Drops
02. Federico Durand / Alguien escribió su nombre en el vidrio empañado
03. Marcus Fischer / Overlapse
04. Taylor Deupree / A Small Morning Garden
05. Chihei Hatakeyama / Mexican Restaurant
06. Stijn Hüwels / Shinsetsu
07. hakobune / hotarubune


Vol. 6 2025年3月26日 (水)発売
収録曲未定

world's end girlfriend - 抵抗と祝福の夜 - ele-king

 その日は土砂降りと霧雨が交互に顔を出すような荒天とともにやってきた。昨年9月にworld's end girlfriend 7年ぶりのフル・アルバムとしてついに開花した大作『Resistance & The Blessing』の特別なリリース・ライヴ、題して「抵抗と祝福の夜」。人によってはいささか仰々しすぎるフレーズのように受け取ったかもしれないけれど、タイトル自体は8年前の『LAST WALTZ』期においてもWEGが一貫して掲げてきたイシューそのものであり、ごくシンプルで実直なメッセージだと自分は受け止めている。「抵抗と祝福の夜」は、WEG・前田氏が「音楽という巨大な喜びの中で、それがそのまま支援や寄付に繋がっていく形を作れないか?」という想いから、クラウドファンディングを活用したチケット販売がおこなわれていたことも特徴的だった。チケット売上の10%、ライヴ音源データ売上の80%、ライヴ映像データ売上の 80%、グッズ売上の40%をパレスチナ・ガザ地区へと寄付するプロジェクトとしても動いていた。その結果、756人の支援者を集め大成功という形でこの日を実現した。音楽表現という個人的な欲望からスタートするクリエイションを外側へとひたすら押し進め、一切の妥協なく「抵抗と祝福」を体現したという意味でもエポックな一夜だったと言えるだろう。

 本編SEが流れはじめたタイミングでなんとか会場にたどり着き、用意された2階席の後方からステージを見守る形で着座した。思えばこうして座ってライヴを鑑賞すること自体が久々の体験だ。自分が週末のほとんどを過ごす場所である小箱のそれとはなにもかもが違う音楽体験。ただ、体験におけるUI/UXの差異は大した問題ではなく、とにかく「どんな音が鳴らされるのか?」という点にまず期待と不安があった。全席指定の着座制でも1000人弱のキャパシティを誇る当会場は、果たして「鳴ってくれる」のだろうか? と。 とにかく、自分は基本的に野外でもないかぎりは大きすぎる規模の会場になにかを期待することはほとんどない。たとえば直近ならAdoのワンマン・ライヴの音響への文句は旧Twitterのフィードで嫌というほど目にしたし、一般的に大箱とされる1000人規模のヴェニューで「良い」以上のなにかを出音に感じる機会もほぼない。基本的に、いままで強く感銘を受けた音楽体験も、また単純に出音のサウンド・デザインへの感動も、そのほとんどは過剰にコンプレッサーの効いた、荒々しい、ボロボロの小さなクラブやライヴハウスで受けたものだったので、上質すぎる空間にはどうしても身構えてしまう育ちの悪さがある。

 けれど、そんな小箱のカビくささがまとわりついた懸念はただの杞憂でしかなかった。自分のなかの数少ないEX THEATERでの観覧体験(さいごにここを訪れたのはたしかムーンライダーズのワンマン)や、ここ数年浴びたあらゆる音響のなかでも突出した迫力と解像度を誇る音楽体験となった。ただのクリアで均整の取れたグッド・サウンドというわけでもなく、バンドセットとは思えない極低域の厚みと広がり方、痛覚化する寸前の高域の鋭利さと解像度の高さ、迫力と精緻さのバランス、どれをとっても極上だったと断言できる。聴覚的健康を一切顧みないアンダーグラウンドなクラブのそれに迫る荒々しさと、劇場的な空間だからこそ成立しうる上質さの矛盾した同居。WEGの集大成的な作品である『Resistance & The Blessing』のエッジーなサウンド・デザインの魅力を極限まで引き出すべく、薄氷を踏むように快と不快のスレスレを攻めた音響オペレーションを担った方々への賛辞をまずは記しておきたい。本当に素晴らしい仕事でした。

 ……という話ばかりをしていると、「で、ライヴの模様は? 曲目は?」と不特定多数にせっつかれるような被害妄想に駆られてしまうので、ここからは本編として内容の話を。
 オープニングSEを読み上げていた声に聴き覚えがあったけれど、後日それはWEGのポータルでもあるレーベル〈Virgin Babylon Records〉へ2年弱前に加わった窓辺リカというボーカロイド・IDMアーティストによるものだとわかった。誕生と輪廻について描いた作品のリリース・ライヴをはじめるにあたって、まずは生命体ではない導き手が必要だった、ということだろうか? 続けてアルバム冒頭を飾る2曲がプレイされ、その後に重要なリード・トラックのひとつである “IN THE NAME OF LOVE” が轟音のギターとともにスタート。ポスト・ロックや実験音楽といった枠組みを飛び越え、バンドセットならではの表現を突き詰めた結果、WEGの演奏がほとんどプログレッシヴ・ロックやシンフォニック・メタルの領域に入っていることに正直なところ面食らった。自分がWEGについて抱いていた印象はどちらかといえばポスト・ロック以降の電子音楽(の変異体)というものだったが、マニピュレーターだけでなくツイン・ギターにドラム、ヴァイオリン、チェロまでが入ったフルパワーでのライヴとなると、WEGの根底に横たわるゴシックな美学の濃度が高まるのだろうか。自分のふだんの趣向とメタルに類する音楽にはかなりの乖離があるため、その世界へ全編にわたって没入することは難しかったけれど、それでもそのスケール感には圧倒された。畑違いの音楽に頭から殴られるような体験も久々だ。

 前半の個人的なハイライトは、“歓喜の歌” をサンプリングした “Odd Joy” と “Black Box Fatal Fate Part.1+ Part.2 (feat. CRZKNY)” が立て続けにプレイされたことだった。アルバムのなかではよりエレクトロニクスに近接したこれらの楽曲たちがバンドのアンサンブルで再強化されていくさまは、今日この日しか味わえないものだっただろう。中盤以降には samayuzame 朗読によるポエトリー・トラックに、『LAST WALTZ』(2016)『The Lie Lay Land』(2005)『Starry Starry Night Soundtrack』(2012)などWEGの過去作からピックアップされた楽曲が織り交ぜられ、最新作のインタールードが異なる姿に再構成されていく様子も『Resistance & The Blessing』が掲げた「輪廻転生」というモチーフを想起させた。単なるファン・サービスとは一線を画す、本回のための特別な作劇としてかつての楽曲に光を当てる、という姿勢ひとつとっても、WEGの妥協なく万全を期して臨んでいるエネルギーが伝わってくる。

 後半部ではアルバムの持つポエジーと(手塚治虫『火の鳥』などを引き合いに出しても申し分ないほどの)遠大なスケール感がより強調されていき、しかしながら Smany、湯川潮音といったゲスト・ヴォーカルの歌も添えられることでディープに偏りすぎず、ポップにもならず、それでいて折衷的でもなくひたすらにWEGとしての美学に向かって突き抜けていくようなエッジーなアクトが続いていった。神聖さを帯びた “himitsu (feat. Smany)” からビープ音やクリック・ノイズで構成されたエクスペリメンタル・エレクトロニカ “Cosmic Fragments - Moon River”、ポエトリー・リーディング “Mobius” と続き、クライマックスにはWEGなりのアンセム・ラッシュが続いていく。アンセムというものは味の濃い食事のようなもので、ただ単に並べればいいものでは決してなく、無用な乱発は当然ながら熱気を削ぐ逆効果をもたらしてしまうものだが、その前提を背負ってなお “君をのせて” や “ナウシカ・レクイエム” のカヴァーを演奏したのち、“アヴェ・マリア” のアレンジを披露するようなライヴを、いったいだれが衒いなくできるだろうか。自分もこの一連の流れに面食らわなかったわけではないけれど、これまでの流れをたどると納得せざるを得なかった。アンセムを成立させるために必要なのは、とにかく妥当性ではなく正当性、偶然ではなく必然であること。正当/必然かどうかの答えは本人の頭のなかにしか存在しないので、その想いの容れ物として表現という営みが存在する。過去・現在・未来を並列化し再構成してみせたアルバムの世界を拡張する攻めの演出として受け止めた。

 終盤、WEGが轟音とともにシューゲイズ・モディファイを施した “Ave Maria” のフィードバック・ノイズを引き継いで披露されたのは “Two Alone” “unEpilogue JUBILEE” の2曲。アルバムの構成をなぞる形で着地していくのかな、と思った矢先に披露されたのは2010年作『Seven Idiots』から “Les enfants du paradis”。これには長年WEGの美学に触れてきている人ほど心を震わされたことだろう。そしてラストを飾ったのは、序盤披露された “IN THE NAME OF LOVE” と並ぶ重要な楽曲 “MEGURI” であった(本人解説曰く、この2曲こそがアルバムのコンセプトの根幹を成す「転生し続ける2つの魂」そのものとのこと)。極度の緊張感のもと進んだ2時間半以上にわたるライヴの最終局面で演奏にリテイクが初めて発生したのもラストのこのタイミング。シリアスなライヴ中のやり直しを、演出上の緩みと捉えるか魅力と捉えるかは人それぞれの話でしかないけれど、少なくとも自分は精緻なモノに発生するわずかな歪みに美を感じる人間なので、それも含め満足できた。いかに人間離れしたアクトを披露していたとて、だれもがただの人なのだということを思い出す安心感とともに。人間というのは常に間違い続ける存在でもあって、それゆえ世の中にはひどい歪みがたえず生まれ続けていて、ならいっそそんなもの喪失してしまえば……という危険な考えが頭をよぎることもなくはないけれど(もちろん、あくまでも「中二病」の時分の話)、そんなディストピアで観るライヴはおそらくライヴ足りえないし。間違いが起こることを否定しつつも、間違いを受容して前を向くこと。それもまた「抵抗と祝福」か。

 そんな形で、音楽ジャンルという切り口で観ると全編に対する没入感は得られずとも、趣味趣向を上回る圧倒的なクオリティで「抵抗と祝福の夜」は幕を閉じた。終演後、出口で会場に飾られた薔薇の花束の一輪が配られていたことも、また明日から生きていきましょうね、という小さな祝福のようで。これは取るに足らない私事にすぎないけど、その日は自分の誕生日で、ちょうど30歳を迎えたばかり。偶然にしては嬉しすぎるサプライズ・ノベルティだった。花は散り、枯れて、朽ちてもその鮮やかさの記憶は残り続ける。それ自体に意味はなくても普遍的な美を一瞬咲かせて、だれかの胸中に咲き続ける。ライヴという営みは、たとえそれが自己完結的な表現であったとしても、外に開かれている時点でだれかにとっての一輪となる。自身や世界のままならなさにつねに抵抗し続け、それと同時に自分と他者を祝福し続けること。そのサイクルを繰り返し続けていつか旅立つことができれば、次の道もあるかもしれない。ないだろうけど、なくてもそう生きたい。

Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm - ele-king

 ドナルド・トランプとの指名争いからいち早く降りたフロリダ州知事ロン・デサンティスはこの5月、州法から「気候変動」の文字をあらかた消し去った。この改定によってフロリダ州の企業は6月1日から二酸化炭素出し放題、風力発電は禁止、公用車も低燃費ではなくなるらしい。最高気温45度も5000億円の被害をもたらした暴風雨も20センチの海面上昇も左派の陰謀で、デサンティスはフロリダ州を左派や環境活動家から守ったと勝ち誇っている。トランプが再び大統領になれば同じことがアメリカ全土に広がっていくのだろうか。アメリカの消費社会は減速しない。前進あるのみ。『Climate Change(気候変動)』というタイトルを9年も前に付けていた以外、とくに評価できるポイントがなかったNYのハウス・ユニット、ビート・ディテクティブが4年ぐらい前からニューク・ウォッチというサイド・プロジェクトを始め、これがなかなか良かったので、前作から3ヶ月というハイペースでリリースされた新作のレヴューを書こうと準備を始めていたら編集部からイーノ、シューカイ&シュヴァルムの発掘音源について書いてくれというオファーが届いた。はいよと安請け合いしてすぐに聴いてみると、ニューク・ウォッチと同じ方向を向いていて、しかも36年も前の録音なのにぜんぜん完成度が高く、聴き込むほどに引き込まれるのでニューク・ウォッチには退場してもらうことに。ニューク・ウォッチ(核監視)というプロジェクト名は10年後に重みを増しているのかなと思いつつ。

『Sushi, Roti, Reibekuchen(寿司、パン、ポテト・パンケーキ)』と炭水化物の料理が並べられたライヴ音源(料理のイベントで演奏されたものだという)は3人の個性がぶつかり合っているのはいうまでもないことだけれど、シュヴァルムが用意したとされるサウンドの基調はどう聞いてもホルガー・シューカイの過去に規範を求めていて、大半はシューカイが長年にわたって試みてきた即興セッションをベースに、得意のラジオ・ノイズを間断なく挟むなど方法論的には80年代初頭の『On the Way to the Peak of Normal』やS.Y.P.H.のパフォーマンスを強く想起させる。セッションが行われた98年当時、シューカイはそれほど調子が良かったわけではなく、むしろ彼のキャリアのなかでは最悪ともいえるドクター・ウォーカーとのコラボレイト・アルバム『Clash』(97)をリリースした直後で、アンビエント志向の高まりと歩を揃えた『Moving Pictures』(93)以降、もうひとつ方向性を見出せなくなっていた時期にあたっている。テクノとの接点がドクター・ウォーカーだったということがすべてを物語っていて、シューカイほどの才能がなぜテクノの中心にいたマイク・インクやベーシック・チャンネルではなく、それらのフォロワーでしかないドクター・ウォーカーだったのか。テクノを聞き分ける能力がなかったか、テクノと呼ばれていればなんでもいいと思ってコラボレートしたとしか考えられない安易さである。実際、『Clash』以後、シューカイが積極的にテクノと関わっていく姿勢を見せることはなく、彼にとっては発展性のないプロジェクトで終わっている。完全に自分を見失っていた時期だったのだろう。

 ブライアン・イーノの90年代も同じようなもので、クラブ・カルチャーの狂騒や猥雑さに馴染まず、意図の伝わりにくい作品が続き、作品数も激減した時期である。よほどのファンならば理解を示しただろうけれど、リミックス・ワークもハズレが多く、新たなファンを獲得できる動きとはとても言えなかった(『The Shutov Assembly』がリリースされた当時、あまり面白くないという評を書いたら石野卓球に怒られてしまった)。イーノ自身が失敗だったと認めているリミックス・ワークにカン〝Pnoom (Moon Up Mix)〟がある。『Sushi, Roti, Reibekuchen』が行われる前年にリリースされたカンのリミックス・アルバム『Sacrilege(冒涜)』の冒頭に収録されたもので、失敗という以前に短くてすぐ終わっちゃうのでもうちょっと聴きたかったと思うリミックスである(これがきっかけで『Sushi, Roti, Reibekuchen』の共演が実現したのかもしれない)。さらにいえば『Sushi, Roti, Reibekuchen』の前夜にはイーノは思い切ってモート・ガーソンやレイモンド・スコットを思わせるスペース・エイジへと回帰し、エイフェックス・ツインやアトム・ハートらによるラウンジ・ミュージック・リヴァイヴァルにどこか文句を言いたげな『The Drop』をリリースする。しかし、これも大きなプロップスを得ることはなく、それどころかニック・パスカルやジム・ファセットに寄せたジャケット・デザインの意図も伝わらずに、ダサいと思われただけで、どちらかというとヤン富田の方が同時期にもっとうまく同じことをやっていたという印象が強い。シューカイほどひどくはないものの、『The Drop』もイーノが道を見失っていたことを記録した作品の一種ではあるだろう。

 そして、90年代と反りが合わなかった2人の前に現れたのがJ・ペーター・シュヴァルムだった。スロップ・ショップ名義でシュヴァルムが98年にリリースした『Makrodelia』はトリップ・ホップの最後尾につけたとされるデビュー作で、同じドイツ圏ではクルーダー&ドーフマイスターからドラッグ要素を差し引き、あっけらかんとさせたような作風がメインだった。はっきりいって『Makrodelia』は表層的で、ミュンヘンにはごろごろあるようなサウンドだし(実際にはシュヴァルムはフランクフルトが拠点)、イーノが関心を持つようなサウンドとは思えなかった。イーノが必要としたのは、しかし、ダブを思わせるドラミングや音の組み立て方、あるいはドラッグによる酩酊感とは別の価値観に支えられた “何か” だったのだろう。何度も書いてきたようにイーノは日常から離れることを良しとせず、90年代と肌があわなかったのもそのことに起因しているはずで、『Makrodelia』にはそのような条件を満たすものがあったに違いない。少なくとも『Makrodelia』の2曲目に収録された “Gone” には『Sushi, Roti, Reibekuchen』の基礎となるサウンドが聞き取れ、ここがセッションの起点となったことはなんとなく想像できる(『Makrodelia』ではなぜか “Gone” だけが飛び抜けている)。イーノもシューカイも袋小路にいて、明らかに未熟だったシュヴァルムがこの淀みに “何か” を加えたことで一気に全員のレヴェルが跳ね上がるというマジックが起きたのである。スポ根マンガでいえば起死回生の一打が放たれた。そんな感じがしてしまう。

 とはいえ、『Sushi, Roti, Reibekuchen』はオープニングの “Sushi” がまずはジ・オーブやスクエアプッシャーを想起させるところがある。回り道をしてようやくイーノがクラブ・カルチャーの成果と足並みを揃えたというか。これではイーノがアシッド・ハウスやチル・アウトに距離を置いてきた意味がない。曲の完成度は高いけれど、イーノにしてはヴィジョンに乏しく、クラブ・ミュージックに精通しているリスナーにはもうひとつ説得力がない。後半に入ってドラミングが後退するとアップデートされたカンみたいになり、続く “Roti” とともにそこからはなにも文句がなくなる。抑えたリズムで延々と聞かせるかと思えば、様々なSEを駆使して緊張感を高め、パンなど食べてる場合ではなくなっていく。後半から入ってくるドラムもクラブ・カルチャーのそれではなく、ジョン・ハッセルとの『Possible Musics』を彷彿とさせるものに変化している。炭水化物から離れて “Wasser(水)” と題された曲では緊張感を少しといて、穏やかな曲調になだれ込んでいく。おそらくイーノ主導なのだろう、ハウリングを起こしているようなドローンを軸に液体のなかを漂う感触はシューカイが持ち込んでいるのだろうか。背景に退きながら緊張感を残したドラムに “Gone” と同じようなリヴァーブをかけて効果を膨らませているのもおそらくイーノで、これを聞いているとサウンド全体のコントロールはイーノがイニシアティヴをとっていることを確信してしまう。 “Reibekuchen” もまたモロにカンを思わせるものがあり、この頃になると3人の持ち味が完全に融合した状態といえるのだろう。カンのようにパッションが迸らないところが時代の違いというか、それこそ部分的にはP.I.L.『Metal Box』やコールド・ファンク版のジ・オーブといった感じにも聞こえる。最後に “Wein(ワイン)” と題されたサウンド・コラージュ+ダブ。冒頭でイニシアティヴを取っているのはおそらくシューカイで、シューカイはどん底にいながら、この時期は10年をかけて『Good Morning Story』(99)を完成させていた時期でもあり、同作を製作している過程でカンの方法論から離れ、カン以前に取り組んでいたミュジーク・コンクレートに傾倒し始めた意識がこの曲にも見事に刻印されている。同じ時期にウィーンではフェネスがバイオアダプターという概念を音で置き換えるという作業を通してミュジーク・コンクレートを刷新し、ジム・オルーク&ピーター・レーバーグと組んだユニットによってドイツ全体を同じ道に引きずり込み、クリック・ハウスというモーメントとも同期しながらエレクトロニカというタームが幕をあけていた。シューカイがイーノに刺激を受けたかどうかはわからないけれど、00年には『La Luna』で自動生成による不穏で強迫的なドローンを構築し、フェネスたちとあまり変わらない地平にいたことは特筆すべきことである。

 イーノとシュヴァルムはこの後もタッグを組み続け、『Music For 陰陽師』(00)に『Drawn From Life』(01)と立て続けに作品を完成させていく。前者で幽霊じみたサウンドトラックを奏でたことはともかく、後者では『Sushi, Roti, Reibekuchen』を滑らかにしたテクスチャーが織り成され、かつてなくコード展開も華やかで、さらにはヘヴィなストリングスまで被せられていく。シュヴァルムはそれから12年後にワグナーを題材とした『Wagner Transformed』をリリースし(『アンビエント・ディフィニティヴ 増補改訂版』P200参照)、イーノは同作で “Tristan & Isolde(トリスタンとイゾルデ)” を演奏することになる。『別冊エレキング イーノ入門』で高橋智子が指摘するように、後期の代表作といえる『The Ship』(16)を製作するまでロマン主義に手を染めることがなかったイーノが、その禁を破った最初が『Wagner Transformed』であり、その予兆をなす作品が『Drawn From Life』なのである。同作はイーノのキャリアのなかでもかなり特異な作品で、ちょっと聴くとアンビエント作品の延長みたいだけれど、全体的には前半の活動からは想像できない要素に満ち溢れている。先に僕はイーノがシュヴァルムのサウンドに「ドラッグによる酩酊感とは別の価値観に支えられた “何か” 」に反応したという書き方をした。その “何か” とはロマン主義に通じるものではなかったのか。イーノが『Makrodelia』に見出したものはそれほどのものではなかったかと思う。シュヴァルムとの出会いからは『Sushi, Roti, Reibekuchen』~『Drawn From Life』~『Wagner Transformed』~『The Ship』という力強い系譜が導かれたのではないかと。

 素晴らしいパフォーマンスを展開しながら『Sushi, Roti, Reibekuchen』がこの当時、リリースされなかったのはなぜなのか。無意識のレヴェルで起きたことなのかもしれないけれど、ひとつにはイーノもシューカイもあまりうまくいっていない時期だったためにリハビリ以上の意味をセッションの効果として見出せず、自信を持って世に問う気になれなかったのではないかという推測が最初は浮かぶ。あるいはフィッシュ(Phish)やレイディオヘッドが全盛だった時期にはノスタルジックな響きが強く、その点でも気後れが生じたのかもしれない。うがっていえばゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーもすでに胎動を始めていた時期なので、同じ即興でも強度に差があり過ぎて『Sushi, Roti, Reibekuchen』をリリースしても霞んでしまったことは想像に難くない。翻って現在はどうだろう。マクシミリアン・ダンバーことアンドリュー・フィールド~ピカリングが彼の運営する〈Future Times〉をハウスのレーベルから脱却させ、様々な実験的試みにトライするなかでプッシュしていたプロテクト-Uがその後にセッション専門の〈U-Udios〉を設立し、ここから生み出されるテープ群がカンのそれに近く、なかでも『別冊エレキング カン大全』で取り上げたオン・ザ・イフネス『U - Udios 4』(20)は新たな流れの始まりではなかったかと僕は思っている。細かく取り上げていけばきりがないけれど、これに冒頭で言及したニューク・ウォッチによる快進撃や、現在、フランスのカンと呼ばれているソシエテ・エトランゼが22年にリリースした『Chance』など即興で行われるセッションがひとつの流れとなってポスト・ロックの後にひと盛り上がりすれば『Sushi, Roti, Reibekuchen』は力強い導線のひとつとなることは間違いない。かつて荒木経惟は「いつ撮ったかではなく、いつ出すか」だと話していた。『Sushi, Roti, Reibekuchen』のリリースもまるでベスト・タイミングを図っていたかのようではないか。

Still House Plants - ele-king

 「シーニアス(scenius)」という、ブライアン・イーノが発案した造語/コンセプトがある。「アンビエント」と並んで、21世紀になってより重要度を増したこのタームを彼が言ったのは1996年で、批評家サイモン・レイノルズが「ポスト・ロック」というターム/サブジャンル用語を使った2年後のことだった。いまにして思えばほとんど同じ時代だったと言える。それは偶然のこととはいえ、この頃、ある共通の感覚がいよいよ顕在化していたことを告げている。

 「シーニアス」とは、歴史上の特異な天才としての個人に注目するのではなく、それら天才と言われた(ディランやレノンのような)人物の周囲に網の目のように存在した協力者やインスピレーションの広がりのほうに着目すべきという考えだ。ひとりの天才よりも、生き生きとした「シーニアス」にこそ学びがあると(先日リリースされた1998年のイーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムとの共演は、「シーニアス」の賜物だろう)。「ポスト・ロック」に関しては、ここでは以下のように定義しておこう。インスト・バンドやアンビエント風のバンドのことではない。ロック以外の目的でロック・バンドの編成で演奏するバンド、中心となる個(歌手)を持たないロック・バンドを指す。

 宇宙に中心はない。こうした認識は19世紀人には理解しがたいものだったが、現代人はとりあえずの知識として知っている。バンドに中心は必要ない。個に依存しないことを前向きに捉えるこうした感覚は、すでにダンス・カルチャーを経験していた人間にはわかりやすかった。シーンそのものが、ひとりの有名人よりも豊穣で魅力的だったからだ。ヴェイパーウェイヴやフットワークを引き合いに出すまでもなく、こうした感覚が21世紀に入ってより若い世代にとって身近になっていることもぼくにはわかる。BCNRやキャロラインのような、近年のUKのバンドにもその感覚が共有されているが、その源流にはきっとクラウトロックや70年代末のザ・レインコーツのようなバンドがいるのだろう。なるほど、たとえばラップのように昔ながらの、ひとりの抜きんでた個性にこそ共感し、興奮するシーンはもちろんいまだ健在だし、ぼくはそれを否定する者ではない。そうではなく、そうした伝統的なポップのあり方/考え方とは別次元において「シーニアス」というコンセプトがあり、それは個人に頼った文化にはできないことが可能である、という話だ。ことに我が愛する周縁文化においては、むしろ頼もしい概念である。なぜなら、我々は特別なスター(リーダー)なしでも前進できるのだから。

 だとしても、そう、だとしても、スティル・ハウス・プランツ(SHP)には斬新な感性を覚える。「ポスト・ロック」的感性は90年代後半に広く注目され、おもにトータス周辺で具現化されている。だから、もはやそれとて30年前の、さして新しいものではないのだ。だとしても、SHPにぼくは震える。本作『ぼくには無理でも、君を愛している(If I Don​’​t Make It, I Love U)』は、前作『Fast Edit』(ぼくが彼らを知ったのはこのアルバムから)よりもさらに震えるアルバムだ。

 数年前、初めてこのバンドの曲を聴いたとき、ヴォーカリストは黒人女性かと思った。そう思った人は少なくないだろう。ビリー・ホリデーが喉をつぶしジャズ・クラブの床でのたうち回っているようなその声(あるいはアリ・アップとビョークが衝突したような声)、ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのヴォーカリゼーションによるノイズでありながら強烈にエモい歌声は、「ポスト・ロック」と呼ぶには個としての存在感を有してしまっている。同じようにフィンレイ・クラークのギターにも、デイヴィッド・ケネディのドラミングにも個による際だった表現力がある。しかしながらSHPにはひとつの個に集約されない共感型の、バンド自体に「シーニアス」なフィーリングがあるのだ。和訳すれば「静止した観葉植物」となるバンド名とは裏腹に、うごめく菌類のように広がり、流動的な運動体のようでもある。そして何よりも、先に書いたようにこのバンドの音楽にはエモーションがほとばしっている。言葉よりも感情が先立っているのだ。

 グラスゴーの美大生3名が結成したSHPは、活動をはじめておそらくは10年近く経っている。メンバーは20代後半だと思われる。ときに、最近すばらしい未発表曲集をリリースしたガスター・デル・ソルと比較されるように、彼らにはジャズ/インプロヴィゼーションの応用がある。もっともGDSと違って、UK生まれのSHPにはジョン・フェイヒィ的なフォークそしてレッド・クレイオラ的遊び心はないが、UKベース・ミュージックやオウテカらエレクトロニック・ミュージックからの刺激があり、おそらくは、彼らのテクスチャーを重視した音作りにそれは少なからず影響を与えている。実際のところ、フィンレイ・クラークは昨年、コビー・セイやラナーク・アーティファックスの作品リリースで知られる〈AD93〉からインダストリアルなソロ作を出している。

 ロック・バンドとは過去を採掘することをやめられない、後衛的な形態とは限らない。アルバム冒頭の曲、“M M M”のギターの水しぶきのような音響は、イタリアのアウトノミアを主題にしたスクリッティ・ポリッティのデビュー・シングル「スカンク・ブロック・ボローニャ」を彷彿させるが、バンドの演奏は、お決まりのルールをどこまでも無視した自由な進行によってオーガナイズされていく。このバンドには独自の作曲方法があるのだろう、曲は、3人が共鳴しながらカタチになっていくかのようだ。そこでは、美しいメロディが生まれたかと思えば、いきなり場面が変わることもある。取っつきにくい音楽に思われるかもしれないが、ぼくはそうは思わない。むしろこれはその、彼らがクリエイトする予想外のメロディ、その新奇さにおいてだれかに聴かれることを望むもので、ある意味挑発的だが、総じてアルバムは、力強く官能的でもある。ジェシカのヴォーカリゼーションが醸し出している圧倒的なムードは、頭よりも先に感情に突き刺さる。バンドから生まれるグルーヴは、ありきたりのグルーヴではないからこそ身体を揺るがす。エキサイティングな新しい物語がはじまるわけではない。ただ、いかに我々がふだんの生活で、見慣れたものを見慣れたものとして認識もせずに過ごしていることか。この音楽は、我々が何を諦めてしまったのかを知りたがっている。『If I Don​’​t Make It, I Love U』は、感動的なアルバムだ。

Blue Bendy - ele-king

 サウス・ロンドンのポスト・バンク・バンドを中心にここ数年で大流行した喋るように唄うスタイルは聞くものに新たな感覚を残したのではないだろうか。つまりは芝居がかった演劇的な側面を音楽にもたらして、プレイリスト、曲単位で盛り上がる観賞スタイルが普通になった中で、再びアルバムという物語を意識させたのではないかということだ。歌い手が言葉を使いストーリーを表現し、その主体の感情を描写するように音楽が追従する。ストリングスやサックスがバンドの中にあるというのが当たり前になった編成で、セリフをつぶやくかのごとく唄うバンドの音楽は舞台で行われる演劇やミュージカルに近く、物語性を持った楽曲との相性が非常に良かった。その一番の成功例は高い評価を得たブラック・カントリー・ニューロードの1stアルバム、および2ndアルバムだろう。アイザック・ウッドの固有名詞にイメージを持たせキーワードのようにしてアルバムの楽曲を繋ぐスタイルを1stアルバムでは偶発的に2ndアルバムでは意図的にイメージを喚起させるように楽曲を組み立てたとバンドは言う。
 そうして時間が経って物語を追う感覚がリスナーに浸透したタイミングで違ったアプローチをする流れも生まれて来た。喋るように唄うスタイルではなくもっとメロディアスで、もっと色鮮やかに。HMLTDのデイヴィッド・ボウイ的SF、精神世界の大活劇の素晴らしき復活作『The Whorm』(この作品はエヴァンゲリオンにも影響を受けたという)が昨年リリースされ、今年、24年にはフォークのアプローチをしたテイパー!の傑作『The Pilgrim, Their God and The King Of My Decrepit Mountain』が生み出された。表面の音楽はまったく違うがどちらのアルバムもいくつかの章に分かれ、それらをナレーションで繋ぐという手法を用いより一層アルバムという物語を強調するものだった。

 さて、このロンドンの6人組ブルー・ベンディーのデビュー作『So Medieval』はどうだろう? 僕にはこれが喋るように唄うポスト・パンク・バンドが生み出したシーンのその先に進んだ音楽に思えてならならない。ピアノが鳴りアコースティック・ギターが咲く柔らかなサウンド、楽曲構成にポスト・パンクの気配を残しながら冷たく鋭い音楽から離れ、陽光の差す平原へ。あるいはそれはブラック・カントリー・ニューロードが2ndアルバムで目指した場所なのかもしれないが、ブルー・ベンディはさらにその先へと歩みを進めている。シンセサイザーが奇妙な音を作りシリアスになりすぎないようにバランスを取り、ねちっこく唄うヴォーカルはミュージカルのように熱を持ち、ギターが感情を作り出す。そして現在のロンドンの多くのバンドたちが共有している感覚であるフォークのアプローチを試み、その中に混ぜる。22年のEP「Motorbike」から進化した音楽はまた一つの特定のジャンルとして形容するのが難しい音楽になったが、歴史の流れの中で歩みを進める実験的なポップ・ミュージックとして完璧に機能している。

 粘り気があって艶があるアーサー・ノーランのヴォーカルは喋るようにメロディを唄いストーリーを語る。マコーレー・カルキンにケンダル・ロイ(ドラマの中のキャラクター)、スーパーマンのコミック、超次元ソニックマン、自らを取り囲むポップカルチャーの固有名詞をふんだんに使い、実存的危機にさいなまれる人生がユーモア交じりに物語られる。宗教的な価値観を織り交ぜながら俗っぽく、壮大な物語はしかしミームと物にあふれた小さな生活の中にかえっていく。たとえば“Darp 2 / Exorcism”のインターネットの惑星に漂う孤独は、暖かいギターの音色ともの悲しいヴォーカルメロディ、壮大というには一歩及ばないコーラス、爆発する小さな起伏に彩られ、最後には車の中、鼻で笑うような会話の中に戻っていく。感情を一気に持っていくようなものではなくニュアンスと空気のレイヤーを重ねてシフトチェンジしていくような音楽がなんとも心を揺り動かすのだ。美しい旋律の快感と、それを壊すようなユーモア、静かに積み上げられていく柔らかな興奮、6分を超える冒険“Cloudy”はまさにそんなブルー・ベンディの魅力がつまったもので、ぐるぐる周るピアノとアコースティック・ギターの爆発に彩られドライヴしていく物語は途中で緩み、展開し、まるでミュージカルのようなコーラスを伴った後半へと突入する。柔らかに着実にどこまでも上っていくように、爆発と展開を繰り返すブルー・ベンディのこの柔らかなカオスはたまらない快感を連れて来るのだ。

 「ロンドンで3番目にいいギターバンドであることはどうにかできる」“Mr. Bubblegum”で唄われるこの言葉はおそらくブラック・カントリー・ニューロードの“Science Fair"の「世界で2番目のスリントのトリビュートバンド」のラインを意識した言葉なのだろうが、彼らはその後にこう続ける「でも僕はなにかで一番になりたいんだ」と。
サウス・ロンドンのインディシーンを見つめ続けてきたバンドは見事にその先へと歩みを進めている。極端にならない方法で、カウンターではなく進化するように。そうして作られたこのアルバムはロンドンのポスト・パンク・バンドとテイパー!やアグリーなどのフォークの要素を強めたバンドの中間のグラデーションとして機能する。固有名詞に囲まれた物語と柔らかいサウンドの彩り、ブルー・ベンディのこのデビュー・アルバムはこんな風になったのだと変わりゆく季節、シーンの未来を確かに感じさせ、そしてなんとも胸を揺さぶってくる。

5月のジャズ - ele-king

 今年1月のコラムでテリ・リン・キャリントンのデビュー・アルバム『TLC And Friends』のリイシューについて紹介したのだが、そのテリ・リン・キャリントンが若手ミュージシャンを率いてソーシャル・サイエンスというグループを結成したことがある。2019年に『Waiting Game』という1枚のアルバムを残したのみだが、そのソーシャル・サイエンスに在籍したのはカッサ・オーヴァーオール、アーロン・パークス、マシュー・スティーヴンスといった錚々たる面々。そして、同じくグループのメンバーだったモーガン・ゲリンがリーダー・アルバム『Tales of the Facade』を発表した。


Morgan Guerin
Tales of the Facade

Candid / BSMF

 ニューオーリンズ郊外のミュージシャン一家に生まれたモーガン・ゲリンは、ニューヨークの名門ニュースクール・フォー・ジャズ・アンド・コンテンポラリー・ミュージックとボストンのバークリー音楽院に学び、サックスやフルートのほか、ピアノ、オルガン、各種キーボード、シンセサイザー、EWI(木管楽器のシンセ)、ベース、ドラムスとあらゆる楽器をマスターしたマルチ奏者。作曲家、プロデューサー、エンジニアでもあり、カッサ・オーヴァーオールに近いタイプのミュージシャンであるが、彼の『I Think I’m Good』(2020年)にも参加している。テリ・リン・キャリントンやカッサのほか、クリスチャン・スコット、タイショーン・ソレイユ、エスペランサ・スポルディング、ニコラス・ペイトンたちとも共演し、ソロ・アルバムは2016年から始まった『Saga』というシリーズ3部作をリリースしている。

 ウェイン・ショータージョン・コルトレーンアリス・コルトレーンといったジャズはもちろん、ステーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、ケンドリック・ラマーなどからも同様の影響を受けたというモーガンは、『Tales of the Facade』について「ジャズのアルバム」という限定的な見方をされたくないと述べる。自宅のスタジオで1年ほどの制作期間を費やして、さまざまな楽器を演奏しながら多重録音し、ほぼひとりで作り上げたトラックにソーシャル・サイエンスのメンバーだったデボ・レイや弟のチェイス・ゲリンはじめ、J・ホアードやメラニー・チャールズ、シスコ・スウォンクなどシンガーやラッパーをフィーチャー。ほかにヴェテランのジョージア・アン・マルドロウの参加も目を引く。『Tales of the Facade』はそうした音楽仲間やコミュニティと作り上げた産物で、“Pyramid” は管楽器や鍵盤などが織りなす重層的なハーモニーやグルーヴと、ワードレスなコーラスが豊かな想像力を掻き立てる。J・ホアードが歌う “We Are More” は、モーガンが標榜するジャズとソウルの境界線のない世界。ジョージア・アン・マルドロウの参加する “Infinity” も同様で、コズミックで深遠な音響世界が広がる。音楽界に根強く残る性差別について取り上げたという “Something In The Air” は、1970年代のアース・ウィンド&ファイアーやチャールズ・ステップニーなどが見せていたスピリチュアル・ジャズとゴスペル、ソウルが融合した世界を彷彿とさせ、メラニー・チャールズの歌もミニー・リパートンを彷彿とさせる。


Blue Lab Beats
Blue Eclipse
Blue Adventure / ユニバーサル

  2022年にサード・アルバムの『Motherland Journey』を発表し、キャリア初のライヴ・アルバム『Jazztronica』を引っ提げて初来日公演も行ったブルー・ラブ・ビーツ。その際にインタヴューもおこなったが、そこではいろいろなアーティストたちとのコラボについて話をしてくれた。2年ぶりの新作スタジオ・アルバム『Blue Eclipse』も、すべての曲が多彩なアーティストたちとのコラボ集となっている。これまでもたびたび共演してきたラッパーのコジェイ・ラディカルのほか、地元ロンドンのジャズ・シーンからココロコのリッチー・シーヴライト、サックス奏者のカミラ・ジョージ、トロンボーン奏者のポッピー・ウィリアムズ、『Days & Nights』や『The Spectrum』などのアルバムで知られるシンガー・ソングライターのデイリー、サム・スミスなどの仕事で知られるプロデューサー&マルチ・ミュージシャンのベン・ジョーンズ、そしてロサンゼルスからムーンチャイルドのメンバーであるアンバー・ナヴランなどが参加する。

 ブルー・ラブ・ビーツと言えばジャズとヒップホップやグライム、R&Bを結びつける作品が多く、そこにアフロやラテンなども取り入れてきたが、『Blue Eclipse』はこれまで以上にR&Bやソウル寄りの内容となっていて、エリカ・バドゥの系譜を引き継ぐネオ・ソウル調の “Rice & Peas” や “Brother” がそれにあたる。“Brother” はLAのムーンチャイルドにも共通するムードを持つ作品だが、そのアンバー・ナヴランが参加する “Sunset in LA” はデイムファンクを彷彿とさせる80年代スタイルのブギー・ファンク。“Never Doubt” はブロークンビーツ的なリズムによるフュージョンで、未来的なヴィジョンと疾走感に満ちたグルーヴに包まれる。“Blue Eclipse” も同様で、アルバム中でもっともジャズ度が高いインスト曲である。一方、同じインスト曲でも “Guava” はラテンやカリプソを取り入れた陽性のナンバーで、リッチー・シーヴライト、カミラ・ジョージ、ポッピー・ウィリアムズらによるホーン・アンサンブルが聴きどころ。こうした多彩な曲をやるのがブルー・ラブ・ビーツらしいところである。“Cherry Blossom” はフルートが奏でるメロウなムードとヒップホップ・ビートが融合した曲で、『Motherland Journey』でも共演したキーファーあたりに通じる。


Nubiyan Twist
Find Your Flame

Strut

 ブルー・ラブ・ビーツがもっとアフロ~ラテン寄りになったグループのヌビヤン・ツイスト。総勢10名ほどのグループで、DJやエレクトロニクスも交えてクラブ・ミュージックとの親和性も高い。音楽形態としてはジャズ、ソウル、ファンク、アフロ・ビートが柱となり、リズム・セクションにブラジル系ミュージシャンがいることなどから、サンバ、アフロ・キューバン、ラテン、クンビア、レゲエ、ダブなどワールド・ミュージックの要素が色濃い。そうした生演奏にブロークンビーツ、ヒップホップ、グライム、ダブステップ、ベース・ミュージックを通過したエレクトロニクス・サウンドが融合されている。アフロ・ビートやワールド・ミュージック系のリリースも多い〈ストラット〉と契約を結び、2019年に『Jungle Run』をリリースしているが、それから2021年の『Freedom Fables』を挟み、最新作の『Find Your Flame』をリリースした。

 『Jungle Run』ではエチオピアン・ジャズの巨匠であるムラトゥ・アスタトゥケ、『Freedom Fables』ではガーナのハイライフ・シンガーであるパット・トーマスと共演するなど、そうしたコラボが話題となってきたヌビヤン・ツイスト。今回のアルバムではフェラ・クティの息子であるシェウン・クティ、マリ共和国でサリフ・ケイタのバック・シンガーを務め、レ・アマゾネ・ドゥ・アフリークのメンバーであるママニ・ケイタと共演する。ほかに意外なところでナイル・ロジャースが参加しているのも興味深い。そのナイル・ロジャースの軽快なカッティング・ギターをフィーチャーした “Lights Out” は、1970~80年代のディスコやブギー・スタイルのナンバーで、そもそもダンス・ミュージックやクラブ・サウンドと繋がりの深いヌビヤン・ツイストらしさが全開となっている。シェウン・クティが参加する “Carry Me” は、シェウンのヴォーカルとアフリカ系のリード・シンガーのヌビヤ・ブランドンによるコール&レスポンス、シェウンのサックスや豪快なホーン・セクションが活躍するアフロ・ビート。一方、ママニ・ケイタをフィーチャーした “Slow Breath” は彼女の伸びやかな歌声が魅力の曲で、マリの民謡がモチーフとなる牧歌性の高い楽曲。アフリカ音楽といってもさまざまなタイプがあり、『Find Your Flame』にはそうした多様なアフリカ音楽やラテン音楽のエッセンスが詰まっている。


Jembaa Groove
Ye Ankasa / We Ourselves

Agogo / ウルトラ・ヴァイヴ

 ドイツで結成されたアフロ・グループのジェンバ・グルーヴ。メンバーの出身や国籍はドイツ、ポルトガル、イスラエル、ガーナ、ベナンで、特にグループの核となるヴォーカリストのエリック・オウスは、ガーナでエボ・テイラー、パット・トーマスなど大御所と共演してきたミュージシャンだ。エリック・オウスとベーシストのヤニック・ノルティングは、ガーナのハイライフや1970年代のソウル・ミュージックから影響を受けたという点で意気投合してグループを結成。ガーナのハイライフやアドワ、ギニア、マリ、コートジボワールなどで広まったワソルなど西アフリカの伝統音楽と、西欧の黒人音楽であるソウルを融合していくというのがジェンバ・グルーヴのコンセプトだ。2022年リリースのデビュー・アルバム『Susuma』は、同年にリリースされたココロコの “Could We Be More” と共にアフリカ音楽とジャズが結びついたピュアなサウンドとして高い評価を得た。それから2年ぶりのニュー・アルバム『Ye Ankasa / We Ourselves』がリリースされた。

 今回はゲストとして、ガーナのハイライフ・ミュージシャンであるジェドウ=ブレイ・アンボレイと、同じくガーナ出身のアフロ・ソウル/レゲエ/ダンスホールのMCである K.O.G が参加する。ジェドウ=ブレイ・アンボレイの低音ヴォイスとサックスがフィーチャーされた “Agya” は、深い哀愁と土着的なグルーヴを湛えたアフリカン・ブルース。K.O.G をフィーチャーした “Sweet My Ear” は、アフロとレゲエのいいとこ取りをしたユル~いグルーヴのナンバー。ナイヤビンギやルーツ・レゲエなど、アフリカ音楽を祖先とするジャマイカ音楽の要素が見られるのもジェンバ・グルーヴらしいところだ。そして、アフリカやジャマイカならではの素朴なメロディや歌がこのグループ最大の魅力である。

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