「Dom」と一致するもの

vol.61:ウィリアムスバーグの終焉 - ele-king

再オープンしたサイレント・バーン
再オープンしたサイレント・バーン

 気分も新たな2014年。本年もよろしくお願いします。
 NY(アメリカ)のお正月はあっという間に過ぎ、2日から通常営業。年の初めだし初心に戻り、またトッドPからはじめたい。2年前、2012年初めに、NYのDIYシーンの未来を語ってくれたトッドPである。
 この時から状況は変化しているが、ブルックリンのDIY音楽シーンを支える彼のコンセプトは変わっていない。彼が引き続き、2014年の重要な鍵を握っていることは間違いない。ここ数年の彼は表立ったブッキングよりも、複数のプロジェクトを進めてきている。
 彼がどれくらい忙しいかというと……以下が同時進行しているプロジェクト。
1. 285 ケント::オールエイジのパフォーマンス・スペースの経営。(ウィリアムスバーグ、ブルックリン)
2. トランス-ペコス(旧サイレント・バーン) :: オールエイジの会場、アートスペースの経営。(ブシュウィック/リッジウッド、ブルックリン)
3. オトラス・オブラス ::アートギャラリーの経営。(トゥワナ、メキシコ)https://otrasobras.mx
4. ショーペーパー ::オールエイジを対象にしたNYエリアのショーリスティングの新聞の幹部。フルカラーのアートは毎回変わる。2週間に1回発行。https://showpaper.info
5. マーケット・ホテル:: 長い間閉まっているコンサート/アートスペース。再オープンに向けて。(ブシュウィック、ブルックリン)
 その他、ブシュウィックに、リハーサルスタジオ、多目的アートスタジオ、オフィス・スペースなどを貸している。https://toddpnyc.com

 2013年12月に、#1のトランス・ペコス(元サイレント・バーン)が約2年半の歳月をかけオープン。喜んだその1週間後の12月19日には、定番のDIY会場、#2の285ケントがクローズ。NYのメディアもすぐ反応している。
 https://gothamist.com/2013/12/19/is_285_kent_closing_tonight.php
 https://blogs.villagevoice.com/music/2013/12/...
 https://www.imposemagazine.com/bytes/285-kent-closes

トランス-ペコス
トランス-ペコス

 まずふたつのサイレント・バーンについて説明。
 元々のサイレント・バーン(951 wyckoff ave)は、2011年8月に強制撤退させられている。そして、2013年1月に新しいスペース(603 bushwick ave)で再オープンし現在に至る。その旧スペース(915 wyckoff ave)に、#1のトランス・ペコスが、2013年12月にオープン。旧サイレントバーン:603 bushwick ave(ブシュウィック) 新サイレントバーン(トランス・ペコス):951 wyckoff ave(ブシュウィック/リッジウッド)
 トランス・ペコスは、違法だった場所を合法に変え、ライヴを見に来る目的だけでなく、飲みに来たり、ハングアウトできる多目的場所にしたいという、トッドPの新たな挑戦だ。トランス・ペコスのオープンに辺り、トッドPは12月10日に声明をリリースしている。トランス・ペコスをこれからどのような場所にしていきたいかなど、彼の情熱が伺える。著者は、12月18日に現在ほとんどのブッキングを担当するノーザン・スパイ・レコーズのショーケースで、サン・ワッチャーズ(From Nymph)、ピーター・カーリン8、プラティナム・ヴィジョンなどのバンドを見た。地下やバックヤードも改装され、トッドPの思惑通り「ゼブロン、トニックなどの、NYの伝統的な音楽スペースのように、広い範囲での「新しい」音楽ジャンルの場所」に一歩近付いている。ここに希望を感じたが、次の日が285 ケントの閉店とは誰が予想しただろう。

オトラス・オブラス
オトラス・オブラス

 この285 ケントの終幕が、トランス・ペコスのオープンとどう関連するのかは謎だが、ウィリアムスバーグの重要なDIY会場を失ったのは事実だ。285 ケントの終わりは、ウィリアムスバーグの終幕を決定づけたとも言える。285ケントの最後のアクトとなったエストニアンのエクスペリメンタル・シンガー、100%シルクのアーティスト、マリア・ミネルヴァもパフォーマンスの最中、観客に向かって「私たちはいまここで、ウィリアムスバーグの最後を見届けている。個人的にも、この場所(285ケント)以外には行く必要はないと思っている」と言い放った。

285ケントの最後のアクトとなったマリア・ミネルヴァのライヴ
285ケントの最後のアクトとなったマリア・ミネルヴァのライヴ

 その他、ブルックリンの音楽ニュースは:
 最近ウィリアムスバーグに鳴り物入りでオープンしたラフ・トレードは、騒音問題のため暫くライヴは中止。
 現サイレント・バーンは、現在資金集めのためキック・スターターを展開。
 多目的会場、ブルックリン・ナイト・バザーに、12月27日~28日と、サイキックTV(最高!)を2日連続で見にいった。人はたくさん入っていたが、クリスマスの後だったためか、ガクッとヴェンダーの数が減っていた。
 11月22日からトッドPのウエブサイトのアップデートは停止している。

 これらが何を意味するのか、変化の速度は速く、新たな時代に入っていることには違いない。2014年、何が起きても動揺しない精神の強さ(これ大事)で観察を続けたい。みなさんと共有できたら幸いである。

ブルックリンでのサイキックTV
ブルックリンでのサイキックTV

interview with Wataru Sawabe and Yusuke Satoh - ele-king



V.A.
カーネーション・トリビュート・アルバム なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?

TOWER HMV

 2013年12月14日、渋谷クラブ・クアトロのステージにはバンド結成から30年の節目の年を迎えたカーネーションが、年を重ねるごとに若がえる、回春というと何やらあやしげだけれども、その汗と音楽を迸らせていた。
直枝政広と大田譲を中心に、バンド・メンバーには張替智広(Dr)と藤井学(Key)、それにこの冬のツアーをサポートしたスカートの澤部渡と(スカートのメンバーでもある)カメラ=万年筆の佐藤優介の姿も。“Edo River”で前編を締め、直枝政広がプロデュースした『絶対少女』を出したばかりの大森靖子を加えたアンコール以降はとくに「さざなみ」というより高波に掠われるようだった。
いい大人といい若者による渾然一体とした音楽。それはそのまま、『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』と題したカーネーションのトリビュート盤にもあてはまる。
シャムキャッツ、森は生きている、失敗しない生き方、大森靖子といった新鋭から岡村靖幸、曽我部恵一、山本精一、さらには森高千里といったおなじみの方もそうでない方もまじえ、音盤という物体に乗った音楽のもつ構造を多角的に対象化したこのアルバムの発起人、上述の澤部渡、佐藤優介のふたりが、ときにおどろくほどざっくばらんに、カーネーションへ捧げた音盤を語りおろす。

僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているか提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。(澤部渡)

『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』は澤部さん、佐藤さんが発起人ということになっていますが。

澤部:カーネーションが30周年だから何かやりたいと思っていて、若手からカーネーションをもりあげることができたらいいなと思っていたんです。これもかなり正直な意見になるんですけど、20代のひとたちがカーネーションを知る機会が少なかったのがもったいない気がしたんです。

澤部さんは何歳ですか?

澤部:26です。

佐藤さんは?

佐藤:24です。

同級生でカーネーションを聴いていたひとは?

澤部:ほとんどいないですね。

あえて若手を中心でつくるということになったんですね。

澤部:もともとは中堅、大御所の方と若手半々の予定だったんですが、フタを開けたらちょうどいいバランスになったと思います。

人選はすんなり決まったんですか?

澤部:そんなに苦労はしなかったですね。

声をかけはじめていったのはいつくらいからですか?

澤部:今年の春くらいでした。

今年初頭にたちあがって、ちょうど一年かけてできあがったということになるんですね。参加された方と澤部さんなり佐藤さんなりが相談しながら選曲していったんですか?

澤部:ミツメは何枚かは聴いたことはあるといっていました。でも全部は聴いていないというので、僕がベスト盤を編んで、ミツメに送って、そうしたら“Young Wise Men”を選んできたんですね。

全バンドそういった対応ですか? 森は生きている(以下「森」)などは新作からのカヴァーですが。

佐藤:森の“Bye Bye”に関してはスタッフさんと相談して、彼らのイメージに合いそうな曲を選びました。

音楽性が多様で活動期間も長いとなると、固定的なイメージを結びにくい感じがあるのかもしれないですね。

澤部:ひとによっては実体がわからないというひともいるのかもしれませんね。

ひとりひとり相談しながらオルグして、それ以上に制作に立ち入っているんですか?

佐藤:お願いしてからはお任せでした。

曲順はどうやって決めたんですか?

澤部:一度みんなで集まって、どれがいいあれがいいとか、1曲めはあれがいいといって仮の曲順を決めていたんですけど。

佐藤:最初は“夜の煙突”を最後のトラックに置いてたんですね。カーネーション本人たちが参加しているからボーナストラック的な扱いで最後かなと思っていたんですけど、それが音が届く前のことで。会議のときに初めて届いた音を聴かせてもらったら、すごく瑞々しくて。届いたなかではどの若手よりも――

澤部:勢いがあった(笑)。

佐藤:これは最初に置きたいというのが満場一致で決まって――

澤部:それから、曲順を考え直したんですよ。いろいろ考えていたら、あるときふと気づいたんです。中間の並びはいろいろあったんですが、1曲め2曲めと最後の12、13はこれだというのがあって、それがデビュー・シングルではじまり、最新作で終わるという順序だったので年代で並べたらおもしろいんじゃないかって提案したら、それがバシッとハマったんです。

最初からそういうコンセプトだったんじゃなかったんですね。

澤部:想像以上にピッタリはまったんでビックリしましたね。

佐藤:ハハハハハ。

その大森靖子さんも参加していますが、存在感が突出しているというわけではないと思うんです。それがこのアルバムの完成度でもあるし、さまざまな解釈が入る余地がカーネーションの音楽にはあるということでもあると思うんです。これは難しいと思いますけど、おふたりがそれぞれいちばん気に入っているカヴァーはどれですか? 

澤部:僕はカメマン(カメラ=万年筆)かBabiさんですかね。

佐藤:(山本)精一さんのがすごく好きなんですけど、メロディとかも精一さんの曲のように聴こえてきて。

原曲は大田さんの歌唱ですね。あの儚げな感じが原曲と地続きな気がしますね。

佐藤:そうですよね。大好きです。


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それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。
(佐藤優介)

おふたりにとって好きなトリビュート盤というとどういったものがありますか?

澤部:流行った時期がありましたね。何聴いたかな。小学生のころ、はっぴいえんどのトリビュートが出て。『Happy End Parade』です。

〈OZ〉じゃないんですね。

澤部:さすがに〈OZ〉じゃないです(笑)。印象に残っているというか、ようはトリビュートのブームより僕らはちょっと後なんですよ。キンクスのトリビュートが出ても、シンバルズが参加して叩かれるといった時期で。あ、でも、yes, mama OK? のトリビュートのスタッフをやったことはあったな。

佐藤:僕はハル・ウィルナーの仕事は好きですね。クルト・ワイルとかディズニーとか、あの手は全部いいです。でもトリビュートなんて聴かないですよ。

澤部:発起人がそんなこといっていいのかって話ですけど。

でも現役の日本人アーティストの曲をトリビュートするのは心理的なハードルもあると思うんですね。おふたりだって、好きに解釈すればいいというだけじゃなかった気がしますが。

澤部:僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているかを提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。

削ぎ落としても残る部分を剥き出しにしたい。

澤部:そうですね。

カーネーションの良さはやはりメロディにトドメをさしますか?

澤部:いろいろあるんですよ。バンドがいかに成熟していたのかという、5人時代の折り重なるようなアレンジもすばらしいですし、3人になったカーネーションの強靱なグルーヴにはひれ伏すしかない。そういう視点からトリビュートだと見られないじゃないですか。いろんな時代の楽曲が並ぶわけですから、バンド自体に頼らない、なんていったらいいのかな、バンドの構造に頼らないで聴くものにするかといえば、頼るべきは詞とメロディなんじゃないかということですね。

イコール直枝さんの作家性ということですか?

澤部:直枝さんであり、僕のやった曲(“月の足跡が枯れた麦に沈み”)は矢部浩志さんのつくった曲なんですよ。もう『Parakeet & Ghost』くらいになると別のバンドって感じがしますけどね。すごく好きなんです。キャリアのなかでもある意味浮いていると思うんです。やっぱり外部にプロデューサーがいるからかな。地続きではあるんですけど、何かが突き抜けたアルバムだと思うんで。

『パラキート~』がもっとも好きなアルバムですか?

澤部:難しいんですけど、3位以内には絶対入ります。

佐藤さんにとってカーネーションをカヴァーするポイントというか、彼らをどう捉えていましたか?

佐藤:やっぱり直枝さんはすごいヴォーカリストじゃないですか。そこから離れて、それぞれの歌になったときにメロディがどう聴こえてくるか、個人的にすごく興味があったところなんですけど、すごく浮き彫りになってメロディが聴こえてくるというか、再発見できたメロディが多かった。僕らがカヴァーした曲は“トロッコ”という、メロディがすごく特殊な、他ではあまり聴かないような半音の動きがあったりして、好きな要素なんですが、カヴァーするにあたってはすごく悩んだんですよ。曲をどう活かすか、ということで自分がやる意味のようなものですね。みんな意識的にも無意識だとしてもそういうふうに考えてやってくれたと思うんで。

それ全体の調和を乱していないのがコンピレーションとしての完成度の高さだと思います。ちなみにタイトルは誰がつけたんですか?

澤部:カーネーションの曲の引用なんですけど、これもタイトルを決めないと案内も出せないというすごいギリギリの煮詰まったときに、とりあえずそれぞれ何か考えてこいという話になったんです。結局ふたりともいいのが思いついていなくて、スタッフさんと話していたときに、岡村ちゃんのトリビュート・アルバムがあったじゃないですか? 『どんなものでもきみにかないやしない』これは“カルアミルク”の歌詞の一節の引用ですけど、そういうクレバーなことをできないかということになって、スタッフさんがアルバムの収録曲の歌詞を読み上げていくんですよ。まったくクレバーな要素がないな、この会議は、と思っていたんですが(笑)、97年の『Booby』の曲名を読み上げたときに、会議の場がグッと締まったんですね。まさにこのトリビュートのことをいっているんじゃないかということで、これしましょうということになりました。

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本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がいして僕はよかったと思いました。(澤部渡)

漠然とした話になりますけど、おふたりは日本の音楽史でカーネーションをどういうふうに位置づけています?

澤部:なんなんだろうな、とよく考えるんですけど、そのときそのときにいいレコードを残してきたバンドなんだなということになりますよね。屈強というか。メンバーが抜けても、そのときそのときにつねにいいものを残している、それはすごく恰好いいと思います。でも続けているバンドってそこが恰好いいんだよね。

30年続けるというのは。

澤部:ねえ。

おふたりは30年、音楽をつづけていくことを想像できますか?

澤部:僕は30年やりたいとは思うんですけどね。たいへんだと思います。どうなるんでしょう。不安になってきた(笑)。

将来の不安はここでは置いておきましょう(笑)。

澤部:一度こうやってトリビュートで縁ができてしまったので、大先輩という感じになってしまいましたね。それまではただのファンでしたけど。……難しいですね。何いっても正解じゃない気がします。どう思います(と佐藤氏に)。

佐藤:単純に知られなさ過ぎているな、とは感じていたんです。こんなにいい曲をつくっているひとたちが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたし、知らないひとにとって「30周年」とかいわれると――

澤部:重いよね。

佐藤:重いし、若いひとたちに近寄りがたい存在になっちゃっている。それを危惧していたんです。でも最新作を聴いてもらえればわかりますけどいまでもすごくフレッシュじゃないですか。そんなバンドが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたんで。

枯れていない感じはありますよね。

佐藤:そうですね。演奏も勢いがすごい。

澤部:“ジェイソン”でいまだにあんなにバリバリにギター・ソロを弾くひとはいないよ。

佐藤:ぜんぜん「ベテラン」っていうイヤな重みがないですよね。フットワークは軽いし。

キャリアにものをいわせることはないですからね。

佐藤:それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。

30年、40年となると。

佐藤:知らないひとにとっては、関係ないところにいると思っているんじゃないですか。30年というのはそれぐらいの距離になってしまいかねない。

それだけの作品数があるともいえるわけですからもっと端的に教えてくれよ、という気持ちは入門者にはあるかもしれないですね。

佐藤:だからカーネーションのファンよりも、僕はもっと広く知られてほしいと思ったので、ファンからしたら、もっと仲のいいベテランのひとがいるじゃないかという指摘もあるでしょうし、そのひとたちにやってもらってもすばらしいものになったと思うんですが、いま僕らが企画できることでいちばん広がりがある人選であり企画だったと思います。

身内感がですぎると広がりがかぎられる可能性はありますね。

佐藤:身内だけで聴いちゃうことになってしまいますから。もっと広く知られてほしいという気持ちがありました。

澤部:『Wild Fantasy』のころカーネーションが謳っていた「大人の聴けるロック」というキャッチコピーには頭をかしげたことはあったんですね。大人に向けてアピールするより若い世代にとっても純粋にいいじゃないですか。

佐藤さんがおっしゃった、瑞々しい感性がカーネーションの真骨頂なのだとしたら、それは逆のベクトルだったかもしれないですね。というか、カメマンもスカートも大人に受けのいいミュージシャンだという気もしますが。

澤部:そういわれるとそうかも(笑)。

佐藤:そうなの!?

澤部:僕は若者に聴かれている実感がないよ。この前昔の雑誌の記事に「高校生のムーンラーダーズファンが」というフレーズがあって、そうかムーンラーダーズにも高校生のファンがいたのか、と思いました。

いつの話?

澤部:80年代です。それを読んでドンヨリした気分になりました。

スカートには若いファン多いと思いますけどね。

澤部:いるんですかね(笑)。カメマンのほうが若いファンが多いでしょ。

佐藤:全然いないですよ。オッサンばっかりですよ(笑)。

目の前をオッサンが埋めつくしているんですか?

佐藤:前にはいないです。壁際に。でも嬉しいんですよ。

カーネーションはもとより、スカートもカメラ=万年筆も老若男女に聴かれるべき音楽だと思うんですけどね。

澤部:ほんとうにそうですよね。

ここ最近、澤部くんたちの影響かはわからないですが、音楽そのものに力を入れている若いミュージシャンが増えた気がします。ここに入っているひとたちは比較的その系譜に置かれるひとたちかなという気がします。

澤部:そうですね。

じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。(佐藤優介)

ところで直枝さんたちにはいつの時点で作品を聴かせたんですか。

澤部:マスタリングが終わって、スタジオに来てもらったんですよ。トラックシートを見ないで聴いていて、1曲めが終わって次はミツメなんですが、曲がはじまってしばらくして歌がはじまって、直枝さんが「なんだっけこれ?」っていうんですよ。「ミツメです」っていったら、「いやそうじゃない。この曲なんだっけ?」って。本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がして僕はよかったと思いました。

矢部さんや鳥羽修さんが参加しているのはどういういきさつですか?

澤部:僕は最初、“オフィーリア”をやろうとしていたんだけど、リストを見て、矢部さんの曲が入っていないから、「矢部さんの曲を、俺やりますよ」となった時点で、スタッフさんから矢部さんに参加してもらおう、と提案があってその人が連絡してくれたら即快諾していただいたんです。で、さらにその人のアイディアでうどん兄弟とカメ万のコラボには鳥羽さんに参加してもらったんです。発起人の曲にひとりずつ脱退したメンバーが参加するかたちになったんですよ。

なるほど。でもカメマンは2曲やっているんだから。

澤部:“トロッコ”はマスタリング当日まで作業していましたから、誰かに参加してもらうのはムリでしたね。

なぜそれほど時間がかかったんですか?

佐藤:ずっと試しちゃうんですよ。まとめるのはずっと後になってからで……

でも考えてはいるんですよね。

佐藤:迷っているのが好きなんです。終わるのが好きじゃないんです。ずっとやっていたいんですけど、そうはいかないんですね。

ひとの曲をカヴァーするのでも幾通りも方法論を模索するんですか?

佐藤:はい。じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。

interview with Omar Souleyman - ele-king

オマールはシリアの音楽的リジェンドである。1994年以降、彼と彼のミュージシャンたちはシリアの数カ所、folk-popの重要商品として出回っている。が、彼らはいままで国外ではほとんど知られていない。今日、シリアのどの街の店においても簡単に見つけられる、500本以上の、スタジオとライヴの録音のカセットテープ・アルバムがリリースされているというのに。 『Highway To Hassake』(2007年)ライナー

オマールの故郷は、ツーリストが想像しうる道からはほど遠い。そこへ行く外国人は、考古学者か歴史家か、さもなければヘンテコな音楽のプロデューサーである。「人は自分の国の伝統音楽で踊るべきだ。folk musicは文化遺産であり、伝統だ。それを失うことは、自分の魂を失うことだ」『fRoots』2010年11月/12月

この結婚式の退廃的などんちゃん騒ぎはYoutubeによって見られるものだが、しかし、オマールはいま他国を彷徨っている。彼の国シリアは内戦によって破壊された。「望みはそれに終止符を打つこと。すべての人びとが日常に戻れることだ」と彼は言う。(略)オマールは、クルドの分離主義者、シリアの軍隊と反体制の勢力との戦闘よって住めなくなった彼の故郷をあとにしながら、決して好んで住んでいるわけではないトルコから『ガーディアン』に話す。『ガーディアン』2013年10月18日


 年の瀬も迫った某日、下落合のフジオプロの一室で、ダブケだの、チョービーだの、日本からずっと遠い、中東の、レバントと呼ばれる東部地中海沿岸地域の、サウジアラビアとエジプトのちょい北の、イラクの東の、トルコのちょい南の、なんだかいろいろな半音階の旋律と独特のリズムのダンス・ミュージックを聴いている。2013年、ele-king最後の大仕事は、シリアの歌手、オマール・スレイマンを紹介すること。さて、どこから話そう。

E王
Omar Souleyman
Wenu Wenu

Ribbon Music/ホステス

Amazon iTunes

 まずは2004年。サン・シティ・ガールのアラン・ビショップが主催するシアトルの〈サブライム・フリーケンシー〉レーベルは、ミュージシャンであるマーク・ガージスによるコンパイルで、シリアの現地録音音源集を編集したCD2枚組『アイ・リメンバー・シリア(I Remember Syria)』をリリースする。CDのブックレットには、街の売店にカセットテープ・アルバムが壁のように並んでいる写真がある。そして、CDのなかには、オマール・ソレイマンの曲が収録されている。
 「『アイ・リメンバー・シリア』がまず最高に面白いんだよ。街中の音とか入ってて、このCDがフィールド・レコーディングなのよ」と、赤塚りえ子は説明する。たしかに聴いてみると、ラジオの音から街のざわめきまで聞こえてくる。シリアの大衆音楽がインディ・ミュージックのシーンに最初に紹介された瞬間は、おそろしくローファイで、生々しい。
 それから2007年、〈サブライム・フリーケンシーズ〉はマーク・ガージス監修によるシリアの歌手のオマール・スレイマンの編集盤『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』をリリースする。結果、2010年までのあいだ、同レーベルから計3枚の編集盤をリリースするほど彼の音楽は西側の世界で騒がれることになる。
 そして2011年、同レーベルの3枚目のコンピレーションとなる『ジャジーラ・ナイツ(Jazeera Nights)』がリリースされる頃には、彼はすでにヨーロッパツアーに招かれている……いや、それどころか、ライヴ・アルバム『Haflat Gharbia - The Western Concerts』を〈サブライム・フリーケンシーズ〉からリリースするにいたる。ビョークが彼をリミキサーに起用したのはその1年後のことだが、わずか3年のあいだにオマール・スレイマンは欧米でもっとも名が知れたシリアの歌手となったばかりか、エレクトロニック・ミュージック・シーンのもっともカッティング・エッジなところでの評価をモノにするのだった。宗教が(信仰というよりも)文化の一形態としてグローバルに受け入れつつある現代では、アラブ諸国(もしくは東南アジア)の、露店で売られるカセットテープに吹き込んでいた歌手が、あれよこれよという間に、数年後にはテクノ・シーンで騒がれ、やがてディアハンターやフォー・テットなんかと同じステージに立つのである。

 「私はこのところ『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』の4曲目の“Atabat”を聴きながら眠っているのよ」と、赤塚りえ子は自慢しやがる。そもそもele-kingがオマールさんを取材することになった原因は、この女にある。11月のある晩、赤塚りえ子はバカボンのパパよろしく「ダブケでいいのだ」と言った。
 「フォー・テットがプロデュースしてオマール・スレイマンのニュー・アルバムを作ったんだよ、当然ele-kingは取材するよね」「あ、は、はい」「ヤッラー!」「……」などと話はトントン拍子に進まなかったのだが、赤塚りえ子をインタヴューアとして、我々はホステスウィークエンダーに侵入することになった。そして、わずか15分だったとはいえ、シリアの英雄の話を聞くことができた。「あんな色気のある男はそうそういないわよね」というのが取材を終えたばかりの赤塚りえ子の感想だったが、いかんせん15分である。記事を作るには短すぎるので、オマール・スレイマンとその音楽=ダブケについての話を、このところアラブ諸国の音楽を聴きまくっている彼女との対話を交えつつ、進めたい。

私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

赤塚:さっきも言ったけど、2004年に〈サブライム・フリーケンシーズ〉から出た『アイ・リメンバー・シリア』というコンピレーションが、オマールが西に紹介された最初だったんだよね。オマールはもともとウェディング・パーティのシンガー。最初は伝統的な音楽をやっていたんだよね。94年から歌いはじめて、96年にリザンと一緒になる。それまでは伝統的な楽器を使っていた。結婚式で、そのときの新郎新婦にあった言葉を詩人が囁いて、それをその場で歌にして歌う。それをカセットテープに吹き込んで新郎新婦にプレゼントして、そのパーティに来た人はそのテープを買うみたいなね、そういうことをしていた。“Atabat”は伝統的なスタイルの曲だよね。

赤塚りえ子はオマール・スレイマンの音楽をいつから聴きはじめたの?

赤塚:『ジャジーラ・ナイツ』が出た頃だよ。イギリスにいるジョン(・レイト)から、「スゲー、ヤツがいる」ってリンクが送られてきて、それを聴いて一発でハマった。私はこのところずっとアラブ諸国の音楽を追いかけていたから。でも、それまで聴いていたのはエレクトロニック・ミュージックで、いくら聴かなくなったとはいえ、それはやっぱ自分の血のなかにあるんだよね。で、オマール・スレイマンは、アラブで、しかも電子音楽じゃん。ハマらないわけがないよね(笑)。

ぶっちゃけ、野田家の2013年のヒット作は、オマール・スレイマンでした。

赤塚:狂乱的なグルーヴですよね。いままでの自分の常識をブッ壊される音楽でつねにブッ飛ばされたいと思っている私にとって、オマールの音楽は、アラブ諸国の音楽(伝統的な音階や楽器を使った)とエレクトロニック・ダンス・ミュージックの要素があるという、惑星直列的快楽があります! ああ、あとね、アラビア語の発音も私は好きなんだよ。音として。

ハハハハ、ミニマルで、独特のグルーヴも良いけど、アラブ音階独特の旋律とかね。

赤塚:単音で、あれだけ脳みそ引っ掻き回されるとねー。少ない楽器編成でこれだけの雰囲気とグルーヴを作り出すのだから怪物的スゴさ! オマールもスゴイが、リザンのリズム感と演奏中に次々と音を変えていくキーボードの音選びのセンスもまたものスゴイ! 

つまり、これがただ物珍しい中東の骨董品とか民族音楽とかっていうことではなく、モダンな音楽作品として率直に面白いわけですね。

赤塚:もちろん。

マーク・ガージスの発掘はただの偶然ではなかった。それは探索の結実だった。「私は長いあいだ、父のコレクションよりも、もっとパワフルで生のアラブ音楽を探していた。私はベリーダンスものも全部聴いたし、それからライも聴いた。ライは生で、パンクの一種のようで、私は好きだったけれど、自分が望んでいるものではなかった。しかし、ジャジーラの音はワイルドで、ダブケのパンク・ヴァージョンのように思えたのだ」
『fRoots』(前掲同)

オマールさんは、1966年生まれで、僕よりも若いんですよね。故郷はラース・アル=アイン(Ras al=Ayn)というシリアの北東部、アラブ人、クルド人など多様な民族が生活しているところですね。

赤塚: ジャジーラにある村でアラブ人の一家に生まれて、イラクのポップ、ダブケ、70年代〜80年代のイラクのチョービー(choubi)なんかを聴きながら育ったという話です。音楽をやるまではいろいろな労働をしていたそうですね。最初、歌はただの趣味で、石工だったり、肉体労働だったり、ずっと仕事をしていた。友だちか誰かの結婚式で歌ったら声が良いって褒められて、それでやってみようかなと、94年に歌いはじめたのがプロへの第一歩となったと。で、96年に別のグループで演奏していたリザンを引き抜いて、いまのスタイルになった。
 彼の音楽は、ダブケという、レバントと呼ばれる地域に広がるfolk音楽で、みんなでラインダンスで踊る音楽なんだけど、面白いのは、オマール・スレイマンのダブケには、たとえば、イラクのチョービーと呼ばれる音楽──これがまた面白いんだけど(笑)、ほかにクルドの音楽、トルコの音楽も混ざっているんだよね。それは彼の故郷が、多様な民族が生活しているところで、すぐ近くはトルコやイラクだったりする。サズという撥弦楽器も取り入れているしね。レバントって、いろんな国があって、ものすごく広いからね。オマール・スレイマンにはすごくミックスされていると思う。ただ、彼はクーフィーヤ(アラブ人男性が頭に被る布)を被っているように、多様な文化が共存しつつ、伝統が残っていた地域なんだろうね。

ハサケは、コンクリートの日雇い労働の街だ。この色は、さまざまな住人たちから来ている。アラブ人、クルド人、アッシリア人、イラク人、シーア派、スンニ派、クリスチャンズ、カルデア人、ヤジーディー、アルメニア人、アラウィー派(シリアのイスラム教シーア派)。道やマーケットには顔にタトゥーを入れた歳を取った女たち、クリスチャンとアッシリア人は首にばかでかい十字架をぶら下げ、アラブの男たちは彼らの伝統であるクーフィーヤとジュラバをまとい、女性たちはヘッドスカーフを着けているもの、着けてないものもいる。みんなそれぞれ伝統的部族の服装をしている。このエリアの、シリア、そしてレバントの真実の姿は、人種学者や宗教学者の誰もが解明したがるような、豊富な文化の混合、人種の混血にある。私はオマールに、これらすべての異なるエスニックたちは、平和に共存しているのか尋ねた。「私にはクルドやクリスチャンなどいろいろな友人がいます。私自身はアラブです。最近の私のツアーには、クリスチャンの詩人が同行しました」
 『fRoots』(前掲同)

赤塚:しかもオマール・スレイマンは、伝統的な音楽にシンセとドラムマシンを取り入れて、テンポを速くした。『The Quietus』(2009年3月)のインタヴューを読むと「1994年から2000年にかけて私は売店(キオスク)で有名になった。2000年にビデオクリップを作って、アラブ諸国がそれに気がついた。それから5〜6個のビデオを作って、いま(2009年)はTVに流れている」って言っているね。フォー・テットがプロデュースした『ウェヌ・ウェヌ』に“KHATTABA”って曲が入っているんだけど、この曲は、アラブ圏内でものすごくヒットした曲なんだよね。それでヨルダンやサウジとかドバイとかの大きなウェディング・パーティなんかに呼ばれるようになる。だから、最初はローカルなウェディングから、だんだんでっかいウェディング・パーティでも歌うようになったんじゃないかな。

「私はすでにダブケに親しんでいたが、まだまだ学ぶところがあったのだ。そもそも私は、そのような速い、生な音楽を聴いたことがなかった。それは本当に私を鷲掴みにした。私が毎回『これは誰ですか?』と訊くと、いつも同じ答え、オマール・スレイマンと返ってくるのだ」マーク・ガージス
『fRoots』(前掲同)

マーク・ガージスがダブケに興味を持って、2000年に2回目のシリアへの旅に出ている。結局、ダマスカスの売店でコピーされ、それがまたコピーされ、そして鳴り響いているオマールさんのテープを大量に買い付けて(『ガーディアン』の記事よれば700本のカセット・アルバムがあったそうだが)、ベスト・トラックをコンパイルしたと。

赤塚:マーク・ガージス自身がイラク系の人で、オマール・スレイマンに初めて会ったときに、「そのアクセントは、イラクの祖父と話しているようだった」と回想しているね。そのときハサケまでバスで旅したらしいんだけど……。とにかく、ものすごいリズムのダンス・ミュージックだし、で、もう、最初はアシッド・ハウスの最新型だとか書かれたり(笑)。

「マルコム・マクラレンやザ・KLFへのシリアからの回答か」なんていう記事もあるね(笑)。そのぐらい、大きな衝撃を与えたんだね。

赤塚:〈サブライム・フリーケンシー〉の企画で、2009年にヨーロッパ・ツアーをやっているんだよね。UKとか、デンマークとか、そのときの曲も入っているのが2011年に〈サブライム・フリーケンシー〉からライヴ盤としてリリースされている。これ、格好いいよ。  私がアラブ諸国にハマったのは、まずリズムの魅力なんだよね。西側のフォーマットにはあり得ない進行の仕方があって、信じられない構成があって(笑)。ライヴ盤の2曲目“Gazula / Shift Al Mani ”とかすごいよ。私、さんざん音楽を聴き続けてきてさ、もうよほどのことでは驚かない。ただ、「ナイスだね」だけの曲は物足りない(笑)。なんか、そういう感じで。ダブケのリズムはそういう意味で、驚いた! あと、シリアのウェディング・パーティでやってきたライヴは4〜5時間ぶっ通しで演奏していたそうで、それが欧米のライヴでは40〜50分でしょう。そのギャップも大変だったみたいね。

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ベルリンを拠点にしているNHKコーヘイ君も、ステージが一緒になったことがあったというし、昔ながらのワールド・ミュージックの流れっていうよりも、テクノのシーンとシンクロしながら、最近の耳に訴えるものがあったんだろうね。

赤塚:多国籍文化の国、例えばイギリスなど、カルチャー的にもワイドな耳を持つ西側の人たちにウケるのわかる。面白いのは、シリアには、シリアの大使館がリコメンドしたいような音楽っていうのがあるじゃない。それとは違うんだよね。だってこっちは本当に大衆音楽だから。でも、そういうハイブローな感じの音楽を推進している人たちからすれば、オマール・スレイマンがシリアの音楽の代表になってしまったことは気に食わないらしいんだよね。だって、シリアには他にも有名な歌手がいると思うんだけど、西欧社会の有名なフェスとかに出るいちばん有名なシリアの歌手になっちゃったわけじゃない。

シリア国内では、あれはただのキッチュだっていう批判もあるらしいからね。

赤塚:でも、民衆から出てきた人なんだよ。

じゃあ、西側のポップ・カルチャーがオマール・スレイマンを選んだのは素晴らしかったんだね。ちょっと、マルチチュードみたいなところがあるんだろうね。

赤塚:ダブケがハイソなものではないし、民衆のダンス・ミュージックだからね。

しかし、シリア……というと、この2年、激しい内戦状態がずっと続いているでしょう。オマールさんが、西側で発見されたのが、2007年だとして、その頃とは、あまりにもシリアをめぐる状況が違っているじゃない。2010年の『fRoots』のレポートでは、ストリートのレヴェルではエスニックの調和はうまくいっていると、書かれているけど、2013年の『ガーディアン』の記事なんかは、ずばり、内戦によって崩壊したシリアを突いているよね。

赤塚:だから、欧米で、オマール・スレイマンの記事が最初に載った頃の言葉と、最近の記事の言葉とでは、テンションが違ってきているよね。最初の頃はやっぱ「ウェディング・パーティで歌いたいんだよね」みたいなことを言ってるんだけど、最近はもうちょっと違っているよね。

シリアにはもう住んでいられないからね。

赤塚:いまはシリアではライヴできないからね。『ガーディアン』の記事でオマールは、「シリアの人たちすべてに日常が戻ってきて欲しい」って言ってる。『Fader』(2013年)の記事は、トルコの国境への脱出劇の話なんだけど、読んでて涙がでそうになったよ。トルコから出発するフライトに間に合わせるため、ベイルートからシリアを通ってトルコの国境に向かう話で、アメリカで開かれるシリアへのチャリティー・コンサートに出演するため、自分の責任を果たすため、トルコから出発するフライトに間に合わせようと、決死の覚悟で爆弾の音とガン・ファイヤーの音が響き渡る破壊された誰もいない街を、タクシーで疾走するんだよ。

タクシーの運転手もよく運転したよね。

赤塚: タクシーで国を移動するのはわりと当たり前のことらしいけど、危ない旅だしかなりの金額も払うことになったし、相手がオマールだからってこともあったと思うよ。でも、読んでて、やりきれない気持ちになった。あと、彼は自分は政治的ではないと言っているね。

今回の取材でも「政治的な質問はNG」と言われてしまったけど、さんざん欧米の取材で訊かれまくって疲れたのかもね。

赤塚:最近、スイスかどっかに呼ばれたときビザがなかなかおりなかったらしいね。シリアだから、亡命者だと思われてしまって。いまはすごくハードな時期だから。言えることはひとつだし、彼が歌っているのはラヴソングだからね。
 しかし、彼の歌う愛や人びとの関係性の叙情的なラヴソングは、恋愛や結婚は人びとの日常生活の上に成り立つことで、それらさえもまともにする余裕もないようないまのシリアの悲惨な現状のなかで、彼のラブソングは人間の根源的なことをうたっているように感じてならないな。だから、オマールのラヴソングは、人びとが普通に生活できないいまのシリアの悲劇を浮き彫りにするよう。そういう意味で、オマールの歌は直接的に政治的ではないけど、私たちがイマジネーションを働かせて感じてみると間接的に関わっているように感じる。

彼はダブケを世界のオーディエンスに持ち上げた。しかし、彼の国は、スレイマンが歌うには、よりハードな苦境を迎えている。「事実、明日には何があるのかわからない。それ自体が絶望だ」彼は言う。「シリアには音楽はもうない。音楽をやりたいミュージシャンがいたとしても、それをやる喜びや意志をもって、以前のようなことはできない。この殺戮と破壊のあと、音楽を作るのは本当にハードだ。すべての人びとに影響している。しかし、私は政治に関与しない。私は解決方法を知らない」
 『ガーディアン』(前掲同)



赤塚りえ子は、どのアルバムがいちばん好き?

赤塚:私はやっぱ、『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』。このアルバムの4曲目がないと私寝れないから(笑)。このローカル感っていうの? もう、残りの500本のカセット全部聴きたくなるよ(笑)。

『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』が〈スタジオワン〉なら、『ウェヌ・ウェヌ』は〈ON-U〉みたいなものかね。

赤塚:まあね(笑)。『ウェヌ・ウェヌ』も好きだけど、ちょっと万人にわかりやすくなったよね。オマール自身のいままでの音で十分満足している私にとって、ぶっちゃけフォー・テットがプロデュースっていうことはそんなに重要ではなく、ただオマールの人気がエレクトロニック・ダンス・ミュージックのファンへも広がるのは間違いないわけで、それがスゴく嬉しい! 

インディ・ロックのファンにもウケてるよ。

赤塚:そういえば、この人、ビョークのことも知らなかったし、フォー・テットのことも知らなかったからね(笑)。ていうか、私、リザンとの関係もすごいと思うの。リザンとオマールの掛け合いみたいに聴こえる。このふたりだからこそ、少ない楽器編成で、これだけのグルーヴを創れるんじゃないかなと思う。オマール・スレイマンは、パーティ・シンガーで、盛り上げ役だから。リザンは、1990年代半ばにジャジーラから登場した、もっともハードでエッジーなダブケの発明家として評判だったそうで、コルグを使った才能あるプロデューサーとして名が通っていたと、『fRoots』の記事には書いてあるね。

欧米の評論読んでいるとリザンへの評価が高いと思うよね。

赤塚:体力もすごいでしょ、だって、ずーっと弾いているんだよ!

 さてさて、それでは、以下、12月1日、恵比寿ガーデンホールでの楽屋での15分を紹介しましょう。

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私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいる。それらを大切にしたい。

赤塚&野田:アッサラーム・アレイコム!

赤塚:イスミーリエコアカツーカー(私の名前は赤塚りえ子です)。ウヒッブ・ムーシーカークム・カスィーラン(私はあなたの音楽が大好きです)!

オマール:シュクラン(ありがとう)。

赤塚:あなたは自分の町で、どんな音楽を聴いていたのですか? 具体的に好きなミュージシャンはいますか? または、影響を受けたミュージシャンはいますか?

オマール:こだわりはない。西洋も東洋も両方聴いている。いちばん好きなミュージシャンは、サアド・エルハルバーウィーという人です。その人がインスピレーションをくれました。

赤塚:1990年代半ばにダブケのニューウェイヴが出現したとあなたの記事で読んだことがありますが、それまでのダブケと違って実際にどのようなところが新しかったのですか? 伝統楽器がシンセサイザーに置き換えられたということでしょうか?

オマール:活動しはじめたときは伝統的なリズムを使っていたのですが、1996年にあの(電子)キーボードを使いました。そして、リズムを速くして、より盛り上がるようにしました。

赤塚:人をもっとダンスさせるため、速くて強い4/4ビートのリズムを取り入れることになったのですか?

オマール:私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

電子楽器を取り入れるきっかけはあったんですか?

オマール:特別何か理由があったわけじゃないんです。それは自然になことで、世界中が電子楽器を使いはじめたとき、世界と肩を並べるために取り入れました。みんなが使っているから使いましたし、これからもずっと使います。

赤塚:あなたの音楽がアラブ世界を越えて西洋の人たちを熱狂させ、そして、私たちアジアも熱狂させていますが、言語の壁を越えて、国境を超えて世界があなたに魅力を感じる何か共通のものがあるとしたら、それは何だと思いますか?

オマール:世界がまだ私たちの音楽に慣れていないし、まだみんなが知らないリズムだから、みんなが気に入って受け入れてくれたと思っています。

今日のライヴもすごく盛り上がってましたが、オマールさんの感想を教えて下さい。

オマール:とても嬉しいです。日本は初めてでしたが、とても良い印象を持ちました。来る前は、日本の観客のことがよくわからないから緊張しましたが、私がステージに上がった瞬間、みなさんがこの音楽を好きになってくれることを感じました。日本に感謝している。

赤塚:海外メディアのあなたのインタヴューであなたが「自分の音楽のスタイルを変えない。これが私の伝統だから」と言っているのを読みました。あなたが自分のスタイルを守る姿勢と伝統の重要性について教えて下さい。

オマール:私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいます。それらを大切にしたいと思います。

赤塚:今後あなたが望むことは何ですか? 

オマール:来てくれる人が多ければ多いほど私も嬉しい。だから、世界中の大きなステージに立ちたいと思っています。そして、自分が有名になっても、自分が人のことを尊敬するように祈っています。日本がずっと安全であることを祈っています。日本も日本人もとても素敵です。本当にありがとうございました。

 ホステスウィークエンダーには僕も何度お邪魔したことがあるが、基本、インディ・ロック好きをターゲットにしたイヴェントである。オマール・スレイマンのライヴの日は、おそらくはディアハンターを目当てにした若者たちでいっぱいだった。音楽も素晴らしかったが、そんな若者たちがダブケで踊っている光景もまた素晴らしかった。

15分だったけど、無事取材もできて良かったね。赤塚キャラ風のオマール・スレイマンの絵もプレゼントできたし(笑)。

赤塚:嬉しそうに笑ってたよ。「シュクラン」(ありがとう)って言ってたね。赤塚マンガで人を笑顔にすることは、うちのオヤジがやりたかったこと。シリアの人も笑顔にできた! 

バカボンとか、どんな風に思ったんだろうね。

赤塚:オマールと天才バカボンとの組み合わせは無茶苦茶シュールだよね(笑)。

はははは。

赤塚:とにかく、マジであれ以来、私のオマール熱は上昇で、重度の熱病にかかってます。ちなみに彼の名前をアラビア語から直接カタカナにすると「オマル・スレイマーン」です。

「こんにちわ、西側のオーディエンスたち。私はこの音楽があなたにとって何らかの意味があることを願います。そして、あなたが楽しむことを願います。すべての人びとに幸運があることを、そしていつか私があなたと一緒にいることを願います」
2006年1月 オマール・スレイマン
『Highway To Hassake』ライナー

聴き忘れはありませんか - ele-king


 初ライヴを終えた禁断の多数決、ほうのきかずなり氏から今年2013のベスト・アルバム10選が届いたぞ! 12月12日、デコレーション・ユニットOleO(R type L)とVJが怪しく飾り上げた渋谷〈WWW〉は一分の隙なき満員御礼状態、メンバーのおどろおどろしいメイクはもとより、異様な速さでアンプが回転しだしたり(折しも“くるくるスピン大会”がはじまったときで笑ってしまった)、着ぐるみウサギがどこか背徳的なたたずまいで歩き回っていたり、不可解にシンメトリーを成して歌う女性たち(尾苗愛氏とローラーガール氏)、だらりと垂れる毛皮、クモの巣、悪夢のように切れ間なくつづくセット・リスト……等々、彼らが愛するデヴィッド・リンチ感が炸裂しており、それは“バンクーバー”で極まっていた。禁断の多数決のやりたいことが何なのか、あの日あの場所に詰めかけた人には言葉にならないながらも明瞭だっただろう。


 そして、あのとき生まれた禁断の生命は、この後ゆっくりと急速に、時間の中を奇妙に伸び縮みしながら大きくなっていくはずである……。2014年、今後の展開がさらに期待される。






禁断の多数決(ほうのきかずなり)


  1. 1. Blood Orange / Cupid Deluxe / Domino

  2. 2. Sky Ferreira / Night Time, My Time / Capitol

  3. 3. Alex Chilton / Electricity By Candlelight: NYC 2/13/97 / Bar/None Records

  4. 4. Ian Drennan / Prelude To Bleu Bird Cabaret / PIKdisc

  5. 5. Oneohtrix Point Never / R Plus Seven / Warp/ビート

  6. 6. Mazzy Star / Seasons of Your Day / Republic of Music

  7. 7. Fuck Buttons / Slow Focus / ATP

  8. 8. Grouper / Man Who Died in His Boat / Kranky/p*dis

  9. 9. Solar Year / Waverly / Selfrelease

  10. 10. Prefab Sprout / Crimson / Red / Icebreaker / ソニーミュージック


ブラッドさんのジョン・ヒューズ映画のようなアルバムに胸躍らせて、スカイさんに恋をして、アレックスさんで泣いて、イアンさんとOPNのミステリアスな世界に迷い込んで、マジー・スターとグルーパーの哀愁で鬱になって、ファックさんとソーラーさんの狂気にやられて、プリファブさんのグレート・ロマンチシズムに酔いしれました。

ほうのきかずなり




■禁断の多数決
アラビアの禁断の多数決

AWDR/LR2

Tower HMV amazon

interview with Kazumi Nikaido - ele-king

E王
二階堂和美
にじみ【デラックス・エディション】

カクバリズム/P-VINE

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 二階堂和美を初めて見たのは、2004年秋、渋谷の宮下公園でおこなわれた反戦フェスだった。細長い公園の隅ででチラシを配っていたら、騒がしい公園の反対側から女性の歌声が聞こえてきた。私は思わず走った。その歌声はまだ生い茂っていた宮下公園の高い木々とその向こうに広がる空にまで届くかのように力強くて伸びやかだった。それが二階堂和美だった。彼女が見えるところまで駆け寄るまでの間に、すでに鳥肌が立ち、渋谷の公園の喧噪さえ静寂を促された。
 何年かあと、アメリカとスコットランドに遠征した時に取られた映像で、二階堂和美という人は歌そのものなんだと思った。歌うことと息をしていることが同じ意味で、発する声は何も考えなくてもその場と歌が自然に引き出してくれる、きっとそうなんだ。“歌”に祝福されて生きている。そんな彼女が、人前で歌いたくなくなったことがあったと語るのを聞くことになるなんて、当時は考えられないことだった。
 10年近くが経って、二階堂さんは来年40になるんだという。その間に“いろいろあった”。日本にも、世界にも、そこで生きてるあらゆる人に、そして二階堂和美にも“いろいろあった”。震災の後に出たアルバム『にじみ』は、二階堂和美の転機ともなったが、そこで歌われている彼女が作った歌は、間違いなく宮下公園やスコットランドの二階堂和美のものでもあり、年齢を重ねた“歌の子ども”の、やさしくて温かい老成と“おばちゃん“みたいな逞しさが両立した、包容力のある大人の二階堂和美のものでもあった。
 私はたじろいだ。この達観、この成熟に……。
 けれども久しぶりに話をした二階堂さんの“いろいろ”には、それもまた予想を裏切る葛藤や怒りや、達観できない“いろいろ”がそこここからにじみ出る。ままにならない人生、そうはわかっていても、そう簡単に泳いでいけるわけじゃない。
 カラダそのものが歌だった二階堂和美は、シンガーソングライターという“名”を引き受け、いまや生活も人生も歌になった。

お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしのなかで実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。

こんにちは。本当にお久しぶりです7、8年ぶりでしょうか。その間に赤ちゃんも生まれていたんですね。

二階堂:はい(笑)。

おめでとうございます。

二階堂:ありがとうございます。あの頃は「おてんば」でした、よね?

ははは。そうでしたよねえ。

二階堂:あの頃はなんにもわかんないから、すっごくあがいていて。

とにかく歌うのがすごく楽しそうで、「カラダ全体が歌」のようで全く「歌の精」でした。

二階堂:えっ。いやいやいや。

それはいまもだけどね。でもその頃といまとでは、歌い方や声の出し方も違う。

二階堂:自分では何かを変えた意識はないんですが、いま自分で改めて聞くと、甘ったれというか、若いならではの……ま、若くもないんですけど。
 でも最近は、例えば美容院なんかでミセスの雑誌なんか置かれると、ああ、私はこっちの年代なんだと。でも自分の好みから言ったら、「こっちこっち」って選ぶのは10代とか20代向けの雑誌なんですよね。だから切り替えなくちゃいけないのかなって。

いやいや(笑)、切り替えなくていいじゃない。今回はジブリのこともありますが、前のアルバム『にじみ』で全部自作の曲を出されて、そこが転機になったのかと想像しますので、そこから戻りつつ、進みつつという感じで伺いたいと思ってます。

二階堂:はい。『にじみ』の時は実家にいたというのが大きかったですね。もちろん2006年の『二階堂和美のアルバム』や2007年の『ハミング・スイッチ』、2008年の『ニカセトラ』を作った時も実家にいたんですけど、東京にいた頃の流れを継続してやっていたものでしたからね。東京時代の宿題を提出し終わって、「さて」という感じで。別にアルバムを絶対に作らなきゃいけないと思っていたわけでもなかったし、その頃、ライヴをしたくなくなっていて。鴨田(一)くんと一緒に作ったアルバムは歌手に徹しようと思っていろんなミュージシャンにやってもらって出来たんですけど、それをライヴで弾き語りでやっていると、“シンガーソングライター”に見えちゃうんですよね。そのギャップが自分で解釈できなかった。“シンガーソングライター”的だけど、私の中から出てきた言葉ではないという。それをわざわざ人前で歌う意味がわからなくなってきたんです。
 いろいろ実験というか、試していた時には、いろんなことが出来ること自体があっけらかんと楽しかったんですけど、実家に戻ってみると、音楽をしに出かけて行くことがけっこう一苦労だったんですよ。いろんなことを差し置いたり、家族に「いつ帰ってくんの?」とか言われながら出て行く感じが億劫というか、そういう出づらい状況でわざわざ行ってやる意味があるのかなと。そこまでして歌いたいわけでもないような気がしてきたんですね。もともと人前に出るのはあんまり好きじゃなかったし、それでも歌うことを楽しめていたのが、楽しめなくなってきて……。
 それに、家族──お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしの中で実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。でもそういう人たちも音楽は好きではあるということを知るんですね。「なんか歌ってよ」なんて言われて、ちょっと懐メロとか歌うとすごく喜んでくださったりして。それで地元のおばちゃんたちの企画でコンサートをやらせてもらったりしたんですね。それもけっこう700人規模だったりするんですね。

それはすごいですね。

二階堂:慈善事業をやっている人たちなんですけど、体育館を利用して、全部手作りで二階堂和美コンサートをやりたいんだと言ってくれた。でも私は最初はまったく腰が引けて、めんどくさいな、こんなの全然やりたくないのに、という感じだったんですけど、半年くらいかけてやり終えた時にすごく手応えがあって、初めて、ぼろぼろ涙を流しながらアンコールを歌うみたいなことになった。「なんだろう、この涙は」って……。充実感なのかどうかわからないんですけど、まるでレコード大賞とか受賞した人みたいに涙を流して、“めざめの歌”を歌っていた。そのあともすごくよかったよと、まわりの人に言ってもらうようになって。
 その後、祝島で原発に反対の人と推進の人が対立してお祭りが出来なくなったと聞いて、じゃあ歌でも歌いに行きます、お祭りの代わりにちょっと楽しんで、と。そんな積極的に思ったことはそれまでなかったんですけど、私の歌で楽しんでくださる人がいるということを、自分で認められるようになってきた。

「原発反対」ということに共感したところもあったんですか?

二階堂:その時はまだ、「絶対反対」というほどの気持ちを持っていたわけではなかったんです。それまでそういうことが起きていること自体を知らなくて、周りにその活動をしている人が出てきたことで知ったんです。でも知れば知るほど、どう考えてもその方がいいはずだと思うようになっていきました。ただ、歌というのは講演とは違って、どっちの立場の人にも聴いてもらえる。フラットな心に何か作用する可能性があるものではないかと。そういう力のあるものだと、時間はかかったんですが、ようやくその頃になってそういうことも思いはじめた。そして言葉のある歌を歌いたくなったんです。
 あと、言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。私はこんなところで介護とかお寺の仕事を手伝いながらほそぼそと音楽やってるのに、と(笑)。それで私が出来ることをしようと思い、私ならこうするな、なんていろいろ考えていることを形にしようと思ったのが『にじみ』なんです。
 なにかっぽくてもいいと思って、例えば“女はつらいよ”は“スーダラ節”のようでもあるし、もちろん“男はつらいよ”のようでもあり、“長崎は今日も雨だった”のようでもある。なんか、そういう日本の流行歌のフレーズって、歌う時に独特の気持ちよさがあるんです。「あめーだあぁったー」とか「あーあぁー」って言いたいとか(笑)。それって洋楽を歌う時にはない気持ちよさなんですよね。それをカヴァー・アルバムを作る時から感じていた。そうするといろんな、それまでライヴで感じていたもどかしさとか、テレビで見る腹立たしさとか、地元の人たちに喜ばれる感じとかから、『にじみ』の曲が編み出されていったんです。

だからなんですね、『にじみ』の曲はとても懐かしい感じがするんです。どこかで聴いたような、でもどこだったかは思い出せない。新曲だから……

二階堂:ははは。それでいいと思ったんです。とびきり新しくない、どころか全然新しくないけど新曲、って(笑)。

そうそう。

二階堂:演歌番組見てて、なんでこんなにしみったれた内容なんだと。別にそうじゃなくてもこのメロディはめられるのにって……。例えば“説教節”なんてオフィスでも普通に話されるような内容だし。

ああ! あの歌はとくに身にしみます、いたたまれなくなる……

二階堂:実際、自分でも口にしたことのあるような内容なんですけど(笑)。どっか、実家での日常でも、もどかしさとかジレンマとか悔しさとかを抱えていたと思うんです。広島にツアーで来た友だちのライヴに行っても、なんか卑屈になってて、どっかで「ふんっ」みたいな……

やっぱりやりたかったんですよね。

二階堂:やりたかったんですね。でもお寺もあるし、そこに帰ってきて、負け惜しみって言うのか、負けず嫌いというのか、芽が出なくて帰ったと思われるのは嫌だな、やってるもん、みたいな……。地域にの人から見れば、趣味で音楽をやってるということになるし……。そういうもどかしさをそのまま歌にして消化するというか。そういうやり方を見つけたんですかね。

そうなんですか。その日常というのは意外に革命的で、「いつのまにやら現在でした」なんていう歌は、本当にびっくりする内容ですよね。

二階堂:そうですか(笑)。あれは自分のことでもあるんですけど、同世代の大工さんだとか、1年2年先輩の人たちにもう高校生の子供がいるというのを聞いて「なんだ、この20年というのは!」と思って。

ああ、そういうことで作ったんですか。だけどあれは不思議な老成というか、どうも世界がひっくり返るような内容でしたよ! 

二階堂:ははは。ご年配の方たちがあれをコンサートで聞いて笑ってくださるんですよ。自分たちのこと言われてるみたいだって。1番では子供は20歳になるんですけど、2番では40歳になるんですね。そこで世代が入れ替わっていく。どの世代の人が聞いても楽しんでもらえるように作ったんです。

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言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。

「気づいたような気になって 案外それも的外れ」っていうのは、東京であのままやっていたら絶対に出来なかった歌詞じゃないかと思うんですが。

二階堂:ええ、できなかったです。本当に『にじみ』の曲たちは、地域で「コンチクショウ」って思いながら暮らしていないと出来なかったと思います。ほとんど愚痴なんですね。愚痴を笑い飛ばそうとしたり…

まさに「どうにもならない」ことばかりで。

二階堂:ええ(笑)。それをどうにか、はけ口を作るというか。

こうした歌詞には仏教で勉強したことも影響していると…

二階堂:ええ、それもあると思います。やっぱりお寺でひとりの僧侶としてお参りに行ったり葬儀に行ったりして、地元の人からはそういうふうにもみられているわけです。自分でも、せっかくやるんだったら嫌々ではなく、ちゃんと肯定的にやりたいなあと思って歩み寄って行っていると思うんです。

いわゆる”メッセージソング”ではないんですけど、なんというか、メッセージのようなものがあるんですよね。

二階堂:ええ。たぶん仏教の法話と同じことを言っていると思います。

仏教の、ものの捉え方というのは、日本人の暮らしの中にけっこうあるんじゃないかと思うんです。でもそれが現実に言われる場面というのは、例えば人に諦めさせるために使われたりとか、諦めるために呟かれたりすることも多いように思うんですが、二階堂さんの歌の仏教的な部分にはそうは感じないんですね。「どうにもならない」と言いながら、無力感に押しつぶされるのではない。

二階堂:そうなんですよね。仏教もたぶん、諦めさせるために言っているわけではなくて、前向きに生きてもらうというか、それを受け入れて進むとすごく強いんですよね。

ええ。それから例えば、協調性を押し付けられる時につかわれたり……

二階堂:なるほど。

でもそれとも違っていて、”我”の出てきてしまうところというのかなあ、単に揉めないための協調という意味での協調性を賞賛していない感じ。

二階堂:ああ、ありがとうございます。そういうふうにとらえていただけてるとすごく嬉しいですね。

「負けず嫌い」そのものではないけれど、その辺から出ているものが感じられるからかもしれませんが。

二階堂:そうですね。受け入れるふりをしながら抵抗しているというか。

私が会っていなかった間の二階堂さんの人生は、私にはあらすじしかわからないけれど、「いろいろあったんだなあ」と想像できる。“大変な人生”かどうかはわからないけど、”いろいろあった”ということだろうなあと。

二階堂:ええ、ははは。結構いろいろ、ありました(笑)。

“歌はいらない”という曲は2011年の地震の前に作られたと思うんですが、地震のあと、音楽を聴くのがつらい、聴きたいと思わないという人がとても多かったんですよね。私もそうだったんですが、しばらく経ってこの歌を聴いた時、ぼんやりと無防備な気持ちで聴けたんですね。歌い方がそうさせてくれたんじゃないかと思えるんですが、うまく言えないんですが、歌い方と歌われている生活のていねいさというか……。

二階堂:ていねいと言ってもらえると嬉しいですね。本当に細かーいこだわり、一緒に録音してくださるスタッフさんにも、分かってくださる方もいますが、分からないくらいの些細な違いで、OKとかなしとか言ってるんですが、ていねいというか、こだわりすぎるところもあるんです。

“お別れの時”なども、シンプルな歌だし、歌詞の言葉数も少ないですが、声のひとつひとつによって描かれる細密画のような歌だなあと感じますね。

二階堂:それは嬉しいですね。ありがとうございます。あれは友だちの死があって作った曲でもあるんです。

「自分の言葉を歌いたい」と思ってからは、言葉はどんどん出てきたようですね。

二階堂:まあ、溢れるようではないんですけど

『にじみ』ですね。

二階堂:ええ(笑)。じわーっとですよね。大半の曲は半年くらいの間にパーって作った。“あなたと歩くの”や“めざめの歌”なんかは少し前に作ったんですけど、あとはどさどさどさっと、一気に「出した」という感じで。言葉もそうなんですけど、サウンドもバンドみたいな感じですね。ひとりひとりに声をかけたんですよ、ピアノはこの人とやりたい、ベースはこの人と、スチールバンはこの人と…と。それが結果的にバンドのようになってくれて、私が「新しい曲出来た」って言うと、「これはこの編成がいいじゃない」みたいに言ってくれて、前奏のアレンジなんかもみんながいろいろ考えてくれた。
 前の『二階堂和美のアルバム』の時は「この曲はこの人に」というふうに別々に頼んでやっていたんですが、『にじみ』はアルバム全部をみんなで作ったということで、統一感もあります。バラエティに富んだ、というか、ばらつきのある曲なのに統一感があるのは、詩の世界だけでもなくて音のまとまりもあるのかなあと。「この人たちとずっとやりたい」と思う人たちに出会えた。そういうタイミングが全部合ったのがこのアルバムだったと思います。

なるほど。たしかにそうですね。でも前にやっていた時には、「いろんなことをする」楽しさもあったわけですよね。

二階堂:そうですね。あの時にいろいろやらせてもらってたから壁にもぶつかれたんだと思うし。そういう意味では後悔はいっぱいあるけど、無駄ではなかった。

その頃は自分の言葉を歌いたいとは思わなかったんですか?

二階堂:そうなんですよ。

高校時代からバンドをやっていたんですよね。

二階堂:ええ、コピーバンドを。

しかもロックの。

二階堂:ハードロック・バンドのヴォーカルに誘ってもらったんで始めただけだったんで、別にロックが好きだったわけではなかったんです。

ガンズ・アンド・ローゼスとかブラック・サバスとか。いま思うとそれもすごい経験でしたよね。

二階堂:なんでもよかったんですよ。バンドというものに憧れはあって、ドラムもやりたいなとかも思ってたんですけど、ほんとに全然、ハードロックもロックも知らなかったんですけど、それで気持ちよさを知ってしまったんでしょうね。あんまりほかに取り柄がなかったけど、歌を歌った時だけちやほやされたから、ああ、これやればちやほやされるんだなと。不純な動機ですけど。

いやあ、バンドマンはたいがいそうそうじゃない?

二階堂:そうですね。で、自分の言葉なんか最初は全然なくて、例えば松田聖子さんの歌を松本隆さんと細野晴臣さんが作るとか、もっと昔でも坂本九さんの歌を中村八代さんと永六輔さんが作るとか、そういうのに憧れがあったので、シンガーソングライターとかフォーク・シンガーになりたいというのはなかったんです。でもチームでそういうふうにやるというのを、現代ではどうやったら出来るのかがわからなくて。とりあえずそういう人に巡り会うまではしょうがないのでひとりで作ったりしてたんです。どこに行ったら作詞家に会えるんだろう? と、わからないまま上京してきた。そういう話をイルリメくんに言ったら、じゃあ僕が作りましょうということで、『二階堂和美のアルバム』ができた。
 もともと彼の“今日を問う”という曲が、早口でまくしたてる笠置シヅ子さんの“買い物ブギ”みたいで面白いと思ってカヴァーしていたんです。それであんなのが出来ると思っていたら、ラヴソングとかゆったりした曲ばかり来たんでびっくりしたんです(笑)。私に合う曲というのでそういうのを作ってきてくれたんですね。
 そうやって憧れていたチームプレイをやれたのはすごく嬉しかったです。これから歌手って言っていくぞ、って。でも現実問題、ライヴでいつもミュージシャンを大勢集められるわけでもないのでひとりで弾き語りでやっていたら、やっぱりシンガーソングライターにみられるわけで……

それで最初の話とつながるわけですね。

二階堂:ええ。それで『にじみ』を出せた今ようやく、シンガーソングライターと言われてもいいかと思えるようになったんです。

チームプレイにしてもシンガーソングライターにしても、そういう”やり方”から自分で考えて作らなければなければならなかったことは大変でもあったでしょうけど、達成感はあるんじゃないですか。

二階堂:そうですね。最初は自己満足のような感じで『にじみ』を作りはじめたんですけど、録り終えた時に震災が起きて、改めて聴いてみたら、いまこれらの曲を聴いてもらうことで誰かを慰めることができるんじゃないかと思えたんです。だから出した。その辺から自覚的になってきました。逆にそういうことが出来なければやっていく意味はないと思ったんです。昔のふわっとしていた頃の方が好きだったという声も聞かないわけではないんですけど、でもいまはそういうふうに自覚的になっちゃってるんで……。
 まあでも、テニスコーツのさやちゃんとやる時のように、ふわっと音楽に身を任せるのももちろん好きなんですけど。

”いろいろあった”んだろうというのは、自分の意志ではなく、変更したり、コトが起きたり、引き止められたりすることが”いろいろあった”ろうと想像するんですが、人生はそういうものだと思いながらも、若い時は特にそういうことはなかなか受け入れられないと思うんです。“いろいろやる”とは違う、“いろいろある”ことというのは。ことに東京という場所は、そういうことを受け入れるのが難しい場所かもしれないとも思うし。

二階堂:ええ、そうかもしれない。でもだから震災の時も迷わなかったんだと思うんです。あのことで音楽を作れなくなったという話を聞いても意味が分からなかったくらいで。

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実家に帰って、僧侶としての生活をフィーチャーして来られる方は多いですけど、私としては家族の中で揉まれることがいちばん大変で。甥っ子や姪っ子も近所にいて、いまでこそ大きくなりましたけど、10年前は学校から帰るとむしゃぶりついてくるんですよ。いくら部屋にこもって作業なんかしてても。そのとき、それを差し置いてでも、私にはしたいことがあるんだろうか、この人たちのこのかけがえのない時間に遊んであげたいと思えてしまう。

ブログで、赤ちゃんが生まれたけれど、もともと他の人のペースで暮らすのに慣れているので苦にならないというようなことを書かれてましたよね。そういうことかなとも思ったんだけど。

二階堂:そういうことかもしれないですね。それに慣れるのにも3、4年かかってるんですけど、慣れてからは、そういう委ね方を……

ペースということは、”自分”ということですよね。

二階堂:そうそう。何かしていてもすぐに中断させられてしまう。「集中させて」というのが通用しない。でもそれを仕方ない、そういうものだと思って、限られた時間に集中するやり方を覚えたり…。

どうしても、どうしてか、女の人はそうならざるを得ないことが多いと思うんですよね。

二階堂:ええ、ええ、そうですね。

人に話しかけられてもまったく聞こえないくらい集中できるというのは羨ましい。

二階堂:とは言っても家族からはそういうふうに見えるかもしれないんですが……全然まだまだ勝手なことやってるように見えてるかもしれないんですけど、自分としては精一杯、他の人のペースで生きてるような気持ちなんですけどね。
 実家に帰って、僧侶としての生活をフィーチャーして来られる方は多いですけど、私としては家族の中で揉まれることがいちばん大変で。甥っ子や姪っ子も近所にいて、いまでこそ大きくなりましたけど、10年前は学校から帰るとむしゃぶりついてくるんですよ。いくら部屋にこもって作業なんかしてても。そのとき、それを差し置いてでも、私にはしたいことがあるんだろうか、この人たちのこのかけがえのない時間に遊んであげたいと思えてしまう。おばあちゃんに対してもそうなんですよね。それを差し置いてでもしなくちゃならない作曲だとか、ブログを書くことにしてもそうですけど、そういうことがあるんだろうか? と。そのイベントには私じゃなくても代わりがいそうだけど、おばあちゃんには代わりがいない、というような秤にかけるような感じで。でもそれも“欲”なんですよね、自分の。それで喜んでもらいたいという欲望、自分も役に立ってると思いたいという欲望。だから必ずしも肯定できない。でもそうやってバランスをとるというのも自分には必要な試練だったというか、とても厄介なことだったんです。お寺の仕事と音楽を両立することは、「大変だけどそれはそれ」と思えたけれど、家族との生活、というのは葛藤だらけでした。

お坊さんの仕事も“仕事”ということでしょうかね。

二階堂:うーん。もっと家事に近いですね。お花を活けたり、掃除をしたり、お客さんの相手をしたり。

お寺をキープすること。

二階堂:ええ、それこそおばさんたちが玄関先で長い話をしていくんですよね。私が時間に追われている時に、ほんとにどうでもいい話をゆっくりとされるんですよ。そういうのもむげにも出来ない。できれば、自分の美学としてなるべく忙しいそぶりをみせたくない。でもそうやって、パソコンさえ広げなければどうにか成り立っている時間の流れに、パソコン開いたらもうひとり分、みたいな。でも家族にはパソコンの向こうは見えないから……。だから味方が欲しいなあとずっと思ってた。

それで結婚?

二階堂:それもありますね。味方になってるかどうかはわかりませんが(笑)。若い人が家の中にいるというだけで嬉しい。

え、若いんですか?

二階堂:いえ、私よりだいぶん上ですけど、でも机を運ぶ時に手伝ってもらったり、スイカを持って行ってもらったりとか。そういう時に頼める若手が欲しかったんです。家の中には私以外は年寄りだけなので、机を運ぶとき、あ、反対側がいない……という状態なんで(笑)。

ははは。まさに高齢化ニッポンの縮図(笑)。でも、もともと東京より地元の方が好きだったんですよね?

二階堂:うーん、どうなんですかねー。もちろんいまは東京に戻りたいとは全然思ってないですけど……

若い時には自分探しとか居場所探しをするものですけど、二階堂さんの場合は「選べなかった」というところがあるわけですね。

二階堂:そういうことは考えないようにしたと思うんですけど、そりゃあツアーでアメリカに行ったり、スコットランドに行ったりして、いいなあ、そういうところにぽーんと行けたらいいなあと、何度か思うことはありましたけどね。スペインとか、そこで芸術をやっている友だちと何日か暮らしたりしてたら、そういうところで暮らせたらいいなあとか思いますけど、またひがみですよね。「家捨てちゃおかなあ」って本気で思ったこともありましたけどね、でもそれは現実的に性分として出来ない。うっとうしいとか言いながらも、家族を断ち切る勇気なんて全然ないので、結局は家にいることを選んで、そこから出来ることを作って行くということでしたね。

兄弟の少ない家族で大事にされて自由に育ちながら、大人になってみたら家族にいろんな形で縛られざるを得ないというのは、いまの日本社会ではけっこう多いと思うけれど、昔の家族主義時代とは違って、この人生の前半と後半を自分の中でつなげて行くことはけっこう難題になるんじゃないかと思うんですよね。ことに”後半”が早く来た場合には。そういうふうに考えると、『にじみ』には、“いろいろあってしまう”人生を前にした時に頭の中をひっくり返されるような発想があちこちにあるんですよねえ。

二階堂:それは仏教の話を聞かされている感覚なのかもしれないですね。普通に俗世間に暮らしていて、たまに仏教の話を聞いたらひっくり返されて行くというか。たぶん私はひっくり返したいなと思っているんだと思います。自分が仏教の話を聞いた時に気持ちいいんです。「お前はなにがしでもないよ」とか「わたしらにはどうすることもできない」とか言われたりすると、ちょっとすうっとする感じ。お寺に話を聞きにくる方ってお年寄りがほとんどなんですけど、布教師の先生にコテンパンにやられても笑ってるんですよね。例えば「あんたがた、お嫁さんの悪口ばっかり言っとるけど、自分のことは一個も反省せん。自分の物差しだけで考えるから」みたいな、そういうことを言われて笑顔になってるおばちゃんたちと、私の歌を聴いて笑顔になってる人の顔が似てるんですよね。

そういうふうにひっくり返されることで、ある部分、すごく楽になるんですよ。でも一方で、これで楽になっていいのか、という気持ちもある(笑)。

二階堂:(笑)楽になり方が問題なんですね。

だらしなくなるのではなくて……

二階堂:ええ、あくまでも自戒の気持ちというのは持ち続けるものだと思うんですよ。例えば浄土真宗の場合は肉も魚も食っていい、妻帯もいいんですけど、それはそういうことを止めることが出来ない自分の浅ましさを受け入れなければいけないということなんです。逆に「私は肉も魚も食べません、だからきれいなんです」と思う気持ちの方が悪いということなんです。人を蔑んでしまうでしょ?自分のダメさを分かることで低いところにいられる、そのことが強いということなんです。

ああ。背伸びしてるよりは転びにくそうですね。

二階堂:そうなんです。そういう発想を持っとく方が楽というか。人を責めてなんとかするよりは……。

だからメッセージソングではないのに、なにかそういうものがあるような作り方になるんですね。

二階堂:そうだと思います。そうは言ってもすぐ”ちくしょう”とか思うわけですよ。全然ちゃんとなれないんで、「なれない」ということを受け入れて行くしかないんですね。

けっこうよく怒るそうですね。テレビ見ながらとか……

二階堂:そうなんですよ。すぐ怒る。

そういうのは仏教的にはどうなんですか?

二階堂:怒らずにはいられないのが私たち、ということですね。

仏教徒も闘う時には闘うもんね。

二階堂:ええ。だから生きている間には悟りは得られない、というのが浄土真宗の考え方なんです。禅宗のお坊さんはまた考え方が違うとは思うんですけど。

そういうようなことを音楽に意識的に託したい、と?

二階堂:そうですね。若い人はお寺においでと言われてもたぶん来ないから、私の歌で少しでもそういうことを伝えられたらいいなと思いますね。私は一仏教徒なんです。伝道者である前に。だから自分で言ったこととかコラムに書いたことについて、「これって仏教的にどうなん?」なんて照合したりしてる。で、「これって結末が仏教的にちがうかも」とかね(笑)。

えー。まだまだだなとか? 俗っぽいぞ、と?

二階堂:ええ(笑)。いや、俗っぽくていいんですけどね。歌を出すときも、そこに仏教的解釈が一つ欲しい。“女はつらいよ”だったら”同じ過ち繰り返す”とか、「いつのまにやら現在でした」なら”気づいたような気になってそれも案外まとはずれ”とか。

ああ、そこがねえ! そのフレーズが頭の中で回っちゃうんですよ、私。

二階堂:え?

いや、私、毎日「気づいてる」からなあ。毎日、新たに「気づいた」と思ってる。

二階堂:あはは。そうなんですよ。ありがとうございます。聞いてる人の生活のワンシーンワンシーンで、一節一節が来るような、そんな歌が作りたいんです。例えば「暇なら来てね」という時に「お暇なら来てよね」というフレーズが出てくるというような……

なるほどー。「暇なら来てね」というフレーズはたしかに、あのフレーズなしには思い浮かべられないかも。気持ちよいフレーズということですね。

二階堂:そうそう。晴れた空をみたら「はーれたそらー」って浮かぶとか。そういうのが作りたいなーと。そういうことを田舎の片隅で、売れるとか売れないということとは関係なくやっていたら、高畑監督の耳にとまって、「いまのすべては過去のすべて」というフレーズがたくさんの人に届く機会が生まれた。そしていろんな人の今や過去に届く可能性が増えた。

ええ、最後になりましたが、ジブリから話が来た時にはどうでしたか?

二階堂:(笑)あー、いや、いよいよ来たか! って。

いやまったくそうですよね(笑)。

二階堂:ずっと「なんちゃって」で言ってたことが実現してしまったんですけどね。届くところに届いたという気持ちがしています。映画とともにあの歌を聴いてもらって。

『かぐや姫』の話はどのように思いますか?

二階堂:監督もおっしゃるように、月に帰るというのはまさに死だなと。命がふっとわいてきて、年齢とは関係なく突然断たれる、若い方が先に逝っちゃうというのも、皇子たちが次々に寄ってくる、欲深かったり嘘を塗りこめて自分を良く見せようとすると言うのも仏教の法話のようだし、姫が自分の存在についていろいろ葛藤するのも仏教的だと思います。これはもう作るべき方向、見ている方向は完全に一致してるぞと。『にじみ』をあれだけ聞いてくださった方なので信頼してだいじょうぶ、「まかせてください!」という感じでしたね。

『にじみ』での“メッセージ”がさらに深まる契機担ったという感じですね。二階堂さんの暮らしと、その中から歌になる生と死がどんなふうにつながっているのか分かった気がします。今日はありがとうございました。

new releases in 2014 - ele-king

 1月1日。元旦早々、ディストピアですよ。ロンドンの電子音楽の急進派、アクトレスの新作『ゲットーヴィル』。アクトレスとは、UKのおけるもっとも目立ったデトロイト・テクノ・フォロアー(自らホアン・アトキンスの系譜だと主張)のひとり。すでに『スプラッシュ』(2010年)や『R.I.P.』(2011年)といった傑作を発表している。自身が主宰するレーベルからもゾンビーの『Where Were U In '92?』(2008年)やローンの『Ecstasy & Friends』(2009年)などの名作をリリース。パンダ・ベアがリミキサーに起用したり、テクノ・ファンのみならず、その名は幅広く知れている。今回は、新作『ゲットーヴィル』と、入手困難だったデビュー・アルバム『ヘイジーヴィル』も同時にリリースされる。
 1月8日は、知る人ぞ知る日本のパンク・ファンク・ダンス・バンド、ゴロ・ゴロのアルバムがリリース。ご機嫌な新年にぴったりの、パンクかつダンスのファンタジーだ。大穴狙いとも言える。
 さらにこの日は、本格的にヒップホップのトラック作りに着手したジョン・フルシアンテの、ブラック・ナイツなる新プロジェクトのアルバム『メディーヴァル・チャンバー』もリリースされる。ウータン・ファミリーのCrisisとRugged Monkのラップが見事に絡み合っている。
 1月15日は激戦日、いわば死のグループだ。注目のハードロック・バンド、快速東京の新作『ウィーアーザワールド』があり、およそ9年ぶりの新作を発表する銀杏BOYZの2枚同時発売、そして〈BLACK SMOKER〉からは奇才BUNとHIDENKAのふたりによるアルバムが出る。どれもが注目作だが、とくに銀杏BOYZの2枚は問題作で、好むと好まざるとに関わらず、話題をかっさらうだろう。そもそもこのバンドがノイズとテクノとサンプリング・アートに手を染めることを誰に予測しえたであろう。ライヴ盤のほうも青春パンクのノイズ/ドローン・ヴァージョンとも呼べる衝撃作だ。
 1月22日には、酔いどれブルース・ロック・バンド、踊ってばかりの国の待望の新作『踊ってばかりの国』が待っている。そして、1月末には、日本を拠点に活動するアンビエント・ユニット、イルハのセカンド・アルバム『Akari』がリリースされる。これ、アンビエント・ファンはぜひ気にして下さい。


■1月1日発売
Actress - Ghettoville
WERKDISCS/ビートインク

Actress - Hazyville
WERKDISCS/ビートインク

■1月8日発売
GORO GOLO - Golden Rookie, Goes Loose
Pヴァイン

BLACK KNIGHTS - MEDIEVAL CHAMBER
AWDR/LR2

■1月15日発売
快速東京 - ウィーアーザワールド
felicity

銀杏BOYZ - 光のなかに立っていてね
初恋妄℃学園

銀杏BOYZ - BEACH
初恋妄℃学園

HIDENKA x FUMITAKE TAMURA (BUN) - MUDDY WATER
BLACK SMOKER

■1月22日発売
踊ってばかりの国 - 踊ってばかりの国
ツクモガミ




My Cat Is An Alien - ele-king

 2013年は6枚組が熱かった。枚数が増える傾向は非常階段や友川カズキによる10枚組み、メルツバウの11枚組みにカンニバル・コープスの12枚組み、アシッド・ハウスのトラックスボックスは16枚組みで、クイーンのロジャー・テイラーは数え方すらよくわからず、ハービー・ハンコックに至っては34枚組みまで膨らんだ。コニー・プランクの4枚組みなんて、だから、かわいい方でしたよね。そうしたなかで、もっともチャーミングな枚数といえたのが「6枚組み」だったことは間違いない。「6枚組み」がもっとも時代の空気を正確に反映していたのである。そう、東京事変は2枚減らすべきだったし、バジンスキーは1枚足らなかった!

 年頭を飾ったのはフィンランドからスパンク(これはコンセプトがかなり複雑)、そして、3月のアイアン・メイデンはともかく、6月にはバート・バカラックとECM、さらにスタイル・カウンシルから秋にはカシーバーと続き、年末にはボブ・ディランが放ったアナログ6枚組みが世界と萩原健太を震撼させた。なかでももっとも興味を引いたのがイタリアのオパーリオ兄弟によるマイ・キャット・イズ・アン・エイリアンで、これが話題の〈テレンスマット〉からリリースされた『エイリアン、オール・トゥー・エイリアン』に続くけっこうな新境地となった。ノイズ・ドローンでもアンビエント・ドローンでもなく、奇妙なほどスタティックで、しかし、トリップ性もある斬新なアプローチである。

 『サイコーシステム』というタイトル通り、映像の雰囲気がまずは変わってきた。PVでは単にレコードを回しているだけにもかかわらず、過剰にサイケデリックなムードが演出され、枯山水のようなイメージに終止した『フラグメンツ・サスペンディッド・イン・タイム』の映像表現とはまったく違うものになっている。かつてはアウター・スペースへと突進していった彼らのサウンドはトリノの工場街からアルプスにスタジオを移したせいか、どことなくアーシーな響きを帯びるようになり、それはそれでよかったのだけれど、外宇宙であれ、地表であれ、そこにはいつも人間は不在だったものが、ここでは人間の内面へと忍び寄る彼らのサウンドがはっきりと刻印されている。音楽と自分がやんわりと関係付けられているというか、彼らがこれまでに描き出してきた「鉱物」や「空間」とは異なるイメージが浮かび上がり、曲によっては外界と内面が引き裂かれているような印象もある。もしかすると初めて自分たち自身に興味を持ったのかもしれない(自意識太政大臣こと橋元優歩とは正反対の取り組み方である)。

 アウター・スペースを扱った『ザ・コスモロジカル・トリロジー』(05)でさえ3枚組みだった。宇宙に対する彼らの興味が無限大に膨れ上がり、それこそすべての音が消えた瞬間に、本当に宇宙空間に「いる」かのような気分にさせられた同作は、いつしか彼らのなかで初期衝動を終わらせてしまったのかもしれない。達成するということはそういうことだし、どれぐらいの意志が介在したのかはわからないけれど、それに続いた「自然」との係わり合いが次のステップになった後で、それを新たなゴールに見立ててしまうのではなく、アウター・スペースからイナー・スペースへの切り替え地点として十全に機能させたというのが正確なところではなかっただろうか。そして、イナー・スペースに新たな地平を見出した彼らは、まるで、アウター・スペースと向き合っていた時と相似形のような音響へと回帰しながらも、どこか違うニュアンスを放っている。ひとついえるのは、かつてよりも明らかにサウンドが重層的になっているということだろう(……にもかかわらず主義としてのノー・オーヴァーダブは貫かれている)。

 “バイポーラリズム(二極主義)”と題された曲は2種類のテンションを同時に経験させられているような構造を持ち、とくに彼らの変化を印象づける。バイポーラー・ディスオーダーといえば、このところハリウッド映画がやたらとテーマにしたがる双極性障害のことで、ソダーバーグ監督が『インフォマント!』(09)で取り上げた時点では字幕には反映されていなかったものが、最近は積極的に「双極性障害」という単語が字幕でもばら撒かれるようになった。『インフォマント!』で示された結論(というか事実)が示唆していたように、犯罪的なセンスを助長する傾向であるにもかかわらず、資本主義はこれを「能力」として買っていることは明らかである(逮捕したハッカーを司法取引で政府内のブレインとして取り込む感覚と同じで、それこそP2Pに対する日本政府の対応とはまったく次元が異なっている)。獄中からCEOへ。そのような可能性であり可否について彼らもこれを曲として表現しているということなのだろうか。いずれにしろ、中学生の頃から軽度の双極性障害に悩まされてきた僕にとって、こういった曲が与えてくれる効果には計り知れないものがある。マイ・キャット・イズ・アン・エイリンをセラピー目的で聴くようになるとは思わなかった。

DARKSIDE - ele-king

 2013年、僕のiPodの再生数が多かったのは、The XXの『コエグジスト』、ロンドン・グラマーの『If You Wait』、ジェイムス・ブレイクの『オーヴァーグロウン』、そしてダークサイド『PSYCHIC』だった。こう並べてみると、いかにもBoilerroomを毎週チェックしている若者のようだけど、面白いのは、Boilerroomを見ている若者も、僕のようにさんざん遊び倒したシニア・クラバーも、いま本当に信頼できるパーティを作るにはもういちど原点に帰って、それこそ友だちが集まって作るしかないだろうと思っていることだろう、それこそBoilerroomが映すパーティのように。
 ダークサイドの中心であるニコラス・ジャーもThe XXやジェイムス・ブレイク同様に20代前半であり、90年代の踊りっぱなしの時代を知らない若い世代のひとりとして、いま、ダンス・ミュージックを作っている。彼らのような世代が、ダンス・ビートを使ってリアルな音楽を作っているということに、シーンの途切れない強さを感じる。

 ダークサイドのアルバムは、マッシブ・アタックの『ブルー・ラインズ』やポーティスヘッドの『ダミー』のように、緊張と弛緩が絶妙なバランスで成立している。そして、ダークサイドや彼らと同世代のアーティストは、思いや願いを鳴らしているように感じる。音楽を作ること、その先にあるものや結果が、以前のようにわかりやすくシンプルな成功ではなくなったこともひとつの理由だろうか。それでもダークサイドの音楽からは、この先になにが待っていようと、いまはこのサウンドを聴かせたいという思いが伝わってくる。

 Boilerroomでのダークサイドのライヴをぜひ見て欲しい、ビルの屋上で演奏する彼らの後ろに見えるのは秋の黄昏に沈むニューヨーク。
https://boilerroom.tv/recording/darkside/

 Boilerroomはよくわかっている。さまざまなロケーションでパーティが開かれているが、DJはつねにオーディエンスとの親密さのなかでプレイしている。ときには小さな部屋で数人ということも多い。
 嵐に巻き込まれるようにして90年代のダンス・カルチャーを駆け抜けた世代と、そのムーヴメントを歴史の一部として想像力を働かせることでしか感じられない世代とのあいだには大きな違いがあって当たり前だ。しかし、大切なところは受け継がれていると、Boilerroomを見ていて思う。巨大なダンス・フェスや派手なラインナップが並んだパーティに違和感を持っているのは僕らの世代も彼らの世代も同じなのだ。そして、なにかが失われたと感じるのが僕らの世代であり、明日を夢見ることができるのが若い彼らの特権だ。
 どちらも目指している場所は同じだ。より自由なのは彼らの方であり、誰も見たことがないパーティを実現することができるのも、もちろん彼らだ。パラダイス・ガラージから脈々とつながっているパーティ・カルチャーの何度目かのエクスプロージョンは、大規模なフェスやダンス・イベントからは起こらないだろう。たとえば下北沢のMOREのような小さなバーやBilerroomが開かれているようなスペースにしか本物の種は蒔かれない。

 ダークサイドは年明けに北米からヨーロッパをまわるツアーをおこなう、4月にはオーストラリアを経由して香港までやってくる。日本まで来てくれないだろうか?

今年最高のライヴ体験 - ele-king

黒田さんのマイブラ本が2月に!
■2/14発売予定
『マイブラこそはすべて
~All We Need Is
my bloody valentine~(仮)』

(DU BOOKS)
1890円(税込)

Union

 去る9月30日、東京国際フォーラムホールAにて行われたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの来日公演は、間違いなく本年のベストに数えられるべきものだった。〈DOMMUNE〉全面プロデュースによる本企画は、ケヴィン・シールズの要望に忠実に構築されたという独自のサウンドシステムと、それを十全に機能させることのできるホールを前提に、音響を浅田泰氏が監修、「配信は勿論無い!!!!!!!」(宇川直宏)というこだわりきった内容で大いに前評判も呼んだ、まさに「ワールドプレミアム・ライヴ」。入場時に耳栓を配るという冗談も洒落ていたが、ときに伝説化され神秘化されすぎもするマイブラ像から、「轟音」への執着というコアを比類ない形で蒸留してみせた点でも非常にクリティカルな試みであったと言えるだろう。
 語り忘れ禁止。ご存知、『シューゲイザー・ディスク・ガイド』の黒田隆憲氏と、当日は最前で観覧してもらったTHE NOVEMBERSの小林祐介氏に、この稀有な体験とマイブラへの思いを語っていただいた。

ホールで聴くマイブラ

今回のマイブラ公演では、着席スタイルでじっくりと音を体験することができましたが、こうした形式は2009年の〈プリマヴェラ・サウンド(Primavera Sound)〉以来ということですね。今回は、やはり東京国際フォーラムという音響環境+着席ライヴというスタイルがキーだったのかなと思うんですが、そのあたりの感想からおうかがいできればと思います。

黒田:着席スタイルっていう点は、けっこう抵抗があるというか、違和感のある人もいたようですね。それもわかるのですが、僕としてはあそこでシガー・ロスを観たときの印象がすごくよくて。音響といい、音のまわりかたといい、素晴らしかったんです。だからマイブラもあそこでやったらすごくいいだろうなって思っていました。期待どおりでしたね。

小林:はじまる前は「音響設備のいいところでやりたかったのかな」という程度にしか思わなかったんですが、いざ体験してみて思ったのは、スタンディングだとお客さんがリズムを刻みながら観られるけれども、そういうことを一旦排除できる状況に持っていくことが重要だったのかなということです。立ちってことは、前の人の身長しだいで音が遮られてしまうってことじゃないですか。

黒田:ああ、なるほど。

小林:客席に傾斜があって、音の響き自体も計算されているホールなわけですよね。サウンド・デザインに重きが置かれているぶん、いろんなものからの干渉を避けているのかなと感じました。

黒田:小林さんはどのへんで観ていらっしゃったんですか?

小林:僕は最前列で、ステージに向かってやや右側。ケヴィン・シールズのほぼ目の前って感じのところでしたね。ケヴィン・シールズを目の前で観られるという贅沢はあったんですが、おそらくはステージの上の生の音がたくさん聴こえていた場所で、舞台の両端あたりにある大きなスピーカーよりも前に出ちゃっている感じの位置だったんです。だから、もっと後ろの他の位置にいた方にはどんなふうに聴こえていたのかなという興味がありますね。

黒田さんは撮影をしながらという変則的な聴かれ方をされていたわけですが、いかがでしたか?

黒田:音としていちばんいいのはPAのど真ん中くらいかなとは思いますけど、僕もずっとステージの麓みたいなところで写真を撮っていて、そこでは音がわんわんと回っているような、音に包まれているような感覚でした。その後、ちょうど“ユー・メイド・ミー・リアライズ”のノイズ・パートのときに、これはやっぱりちょっと後ろで聴きたいなと思いまして、後ろに回ってPAのところで聴いたんです。そしたらやっぱり、すごい立体感があって、とてもよかったですね。あのへんで観ていた方はいちばんよかったかもしれません。

アンプやエフェクターの配線図も見せてもらったのですが、やっぱり曲ごとに使うアンプと組み合わせが決まっているようですね。(黒田)

轟音ではあるけれど、一音一音、しっかり聴こえたっていう感想もよく見かけますね。マイブラって、衝動でノイズや音量を出すというよりも、そのあたりはずっと意識しながらやってきているバンドなんですかね?

黒田:どうでしょうね。ノイズの積み重ね方ということで言えば、のっぺりとした印象ではないですよね。とても立体感がある。それは以前から感じていたことなんですが、今回はより際立ったりしていたかもしれません。

アンプなんかも30個くらい積み上がっていましたけど、そうしたセット、装置含めてお気づきの点があればうかがいたいです。

小林:アンプに関しては、どの曲でどれを使っているのかっていうところまではさすがにわからないんですけど、多少はギミック的な意味もあるのかなと思いました。アンプの壁っていうのは大音量の象徴でもあるわけじゃないですか。でも、たくさんマイクも立てられていたし、実際のところどうなんだろう……。

黒田:なるほど、実は今年2月に来日したときにステージ裏で機材とかを撮らせていただいたことがあって、そのときにエフェクターやアンプのブロック図も見せてもらったのですが、やっぱり曲ごとに使うアンプと組み合わせが決まっているようですね。たとえば“ユー・ネヴァー・シュッド”という曲だったら、はじめのパートではハイワット等のエフェクターが使われているんです。マーシャルとそのふたつをいっしょに鳴らしていて、次のセクションになるとまた別のアンプをいっしょに鳴らしていると……。セクションごとに切り替えているんですよね。“トゥ・ヒア・ノウズ・ホエン”とかだったらこれ、とか。いちおうアンプは全部使っているみたいですよ。

小林:なるほどなるほど!

黒田:だからけっしてギミックでアンプを積み上げているわけではないと思います。

小林:きちんと意味があるんですね、いろいろ腑に落ちました。


“サムタイムズ”というビッグ・サプライズ

2009年にATPの〈ナイトメア・ビフォア・クリスマス〉で彼らがキュレーターをやったときに演奏したきりで、たぶん91年のときもやってないんじゃないかな。

それほど偶然性に左右されないものというか、確固と組みあがっているような種類のものなんでしょうね。

黒田:やっぱりそれはすごくあるみたいですね。今回“サムタイムズ”を1曲めにやったじゃないですか。あれは2月に来たときもリハーサルではやっていた曲なんですね。ビリンダから聞いた話では、ライヴの前のリハーサルでもいつも入れている曲らしいんですけど、どうもそのギター・アンプの感じ……トーンの感じが納得いかないっていうことで、結局ずっとやらないでいたんです。

そうか、“サムタイムズ”はサーヴィスなんですね。

黒田:演奏前にクルーのひとりがセットリストをヒラヒラさせながら、「今日はビッグ・サプライズがあるよ」って言ってました(笑)。他の国では、それまではまったくやってないはずです。2009年にATPの〈ナイトメア・ビフォア・クリスマス〉で彼らがキュレーターをやったときに演奏したきりで、たぶん91年のときもやってないんじゃないかな。だから、今回で、世界で4回めくらいということになりますかね。

小林:へえー。

けっこう思い入れの深い曲ですか?

小林:いや、回数的にレアかどうかっていうようなことは意識したことなかったですけど、もちろんいいなと思っている曲です。

黒田:マイブラ自体はいつぐらいから聴いていらっしゃるんですか? 年齢的には後追いということになりますよね……?

小林:僕は18くらいですかね、聴きはじめたのは。後追いです。

黒田:“サムタイムズ”が『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ監督映画、2003年)で使われていたのがきっかけだったりしたわけではなく?

小林:そうではないですね。単純に友人のすすめで『ラヴレス』を聴いて、『イズント・エニシング』を買って、という感じです。

黒田:まわりに洋楽詳しい友人がいて、という感じなんですね。

「シューゲイザー」っていう記号性を意識して入っていったんですか?

小林:あんまり「シューゲイザー」って呼ばれているものを理解できないまま聴いていました。ライドとかジーザス・アンド・メリーチェインとかチャプターハウスとかも好きで、「それをシューゲイザーっていうんだよ」って言われて、なるほどって。

そもそも蔑称的な呼び方だったりしますし、オリジナル世代の人たちも「シューゲイザーやってます」って意識はないと思いますけど、後追いのわれわれだと奇妙に神格化されたジャンルとして出会いますよね。

小林:あんまりいいか悪いかを考えることもなく、「シューゲイザー」って呼ばれているのかあという感じで、シューをゲイズするって意味なのかあ、ふーん、という感じでした。だけど、いろんなバンドを聴けば聴くほどマイブラの特殊性とか、他と次元が違うようなところがあるような気がしてきて。


マイブラの「可聴」域

そうですよね。それこそ、アンプがあれだけ積み上がっているのにひとつひとつ意味があったりとか。

小林:アンプが積み重なっていてもマイキングしない人が多いじゃないですか。でもあの公演では細かにしてましたよね。いまシューゲイザーって言われている音は、僕ら自身も含め、手法や機材面での工夫についてのセオリーがある程度でき上がってしまっていると思うんですよ。でも、いざマイブラのライヴを観て聴くと、発想自体がもう僕らの追っているものと違っていると思いました。
僕はこれまで、可聴域というか、ある意味では狭い範囲のなかで音の広がりや表現をイメージしていたんですけど、マイブラって大気のなかのフル・レンジでそれを考えているんじゃないか。倍音成分をどういうふうに出すかってことで、人の深層心理に働きかけるやり方をしているんじゃないか、って思ったんです。
シューゲイザーと呼ばれているバンドは、いわゆる空間系のエフェクターを使うじゃないですか。それって、言ってみれば、本来ない空間を再現するためのものだと思うんです。それに対して、マイブラはフル・レンジで鳴らしている――最初から空気のある、空間の存在しているところを鳴らしているので、僕らが通常頼っているようなエフェクターの使い方をしていないんじゃないかと感じたんです。僕はやっぱり、(あの轟音が)ギターのものとして聴こえたんですよ。いろんな倍音がキラキラしていたり、ぐーっとくぐもっていたり、ギターらしい中域のあたりが聴こえたり、いろんなものがフル・レンジで鳴っていて、全体として塩梅よくなっている。だから耳に痛くないし。
大音量なのに耳に痛くないってすごく難しいことで、それをずっと浴びていたわけですけど、もうこれ以上の音量はないだろうって思ったその先に、“ユー・メイド・ミー・リアライズ”のノイズ・パートが現れて……って、もう、僕のなかで音そのもの、サウンド・デザインそのものへの考え方がそのときガラっと変わりました。

黒田:たしかに空間系のエフェクターってケヴィンはほとんど使ってなくて、リヴァーブとかディレイはほとんど用いないようにしていた……というのは、80年代後半からずっと変わらないはずです。コクトー・ツインズとかそのへんのネオ・サイケ流れのバンドたちというのはモジュレーション系、たとえばコーラスとかよく使っていたんですけど、ケヴィンたちはダイナソー・Jrとかソニック・ユースとかUSのバンドの影響をすごく受けていたので、じつは音がものすごくドライ。そのへんの違いというのは最初からあったみたいですね。

マイブラって大気のなかのフル・レンジでそれを考えているんじゃないか。(小林)

小林:なるほど、そうなんですね! そうやって考えると、日本でいちばんマイブラっぽいことをやっていたのはディップ(dip)なんじゃないかって思うところもあって、ヤマジ(カズヒデ)さんって空間系を使わないわけではないんですけど、鋼が鳴る音の倍音とかにすごい執着があるんじゃないかなって、「ギターっていうのは中域がおいしいんだ」っていう考え方じゃなくて。

黒田:たしかに、マイブラもはじめ『イズント・エニシング』を聴いたときに鋼みたいな音だなって思いました。そういう意味では近いかもしれませんね。

小林:ヤマハの逆再生系のリヴァーブ、SPX900とかはたぶん『ラヴレス』で使っているかなと思うんですけど、そういう特殊系だけですよね。空間というよりは時空を歪めるような使い方というか。

なるほど、技術的ですけど抽象性を帯びた話で興味深いですね。小林さんのマイブラに対するエフェクター観は、現実にない場所を作り出してぶっ飛ぶものではなくて、現実の空気を拡張させるものだ、という感じなんですか。

小林:マイブラがやっていることが、空気を震わせたりすること、つまり目の前に何かを実現させることだとしたら、他のバンドがやっていることは、イヤホンのなかとか、ライヴハウスとか、限られたサウンド・システムのなかで起こっていることを真似ること、という違いがあるような気がします。機材とかを駆使して。広い空間で鳴らしている音像にしたいときも、それを足元でコントロールしたりとかする。それに対してマイブラは大きいところで本当に空気がビリビリいうことで、実際に広がっているし散っているんですよ。……なんというか、マイブラは「実現」していて、他は「再現」しているというふうに感じるんです。抽象的ですけれども。

実現ということで言えば、サウンドの設計図まできっちりと作られているわけで、そこまでの過程がはっきり示されていますね。「シューゲイザー」っていえばリヴァーブで……っていうイメージも一方には強くありますし、あるいは曖昧模糊とした音像ならばもうそう呼んじゃおうというようなところもあるわけですが。

黒田:あとはデカい音でうわーっと鳴らしていれば、っていうところもありますよね。でもマイブラについて言えば、もっとすごく計算されているものではあるんです。


棒立ちの説得力

ビリンダもケヴィンもいっさい身体でリズムを刻まないじゃないですか。足で拍子をとったりとかもいっさいしない。リズム隊とは反対に、一輪挿しみたいな感じで。(小林)

小林:あとものすごく衝撃的だったのは、マイブラのライヴって、けっこうやり直したりとか、まったくキメが粗かったりとか、緊張感がないところがあるじゃないですか。僕はそういうところだけ話に聞いていて、緊張感のなさはあまり好きじゃない音楽に感じることが多かったので、マイブラもそんなふうに、ゆるい感じでやっているのかなと思っていたんです。それに、ビリンダもケヴィンもいっさい身体でリズムを刻まないじゃないですか。足で拍子をとったりとかもいっさいしない。ブレイクやキメを合わせようともしない。リズム隊とは反対に、一輪挿しみたいな感じで。
人ってリズムを刻むと、音をリズムに当てはめてしまうというか、区分してしまうんだと思うんですね。区切りで考えてしまって持続しない。ループするんだけどどこか持続している感覚にならないというか。ケヴィンはずっと船を漕ぐようなピッキングをしていて……

黒田:そうそう、あのピッキングは音に影響していると思いますよね。

小林:はい、そういうのを見ていて、ある瞬間にギュッと緊張感とか焦点を絞っていくっていうこと自体がマイブラのサウンド・デザインのなかで重要ではない、むしろあっちゃいけないんじゃないかと思ったんです。観ている側に視覚的なリズムを与えないようにしているんじゃないかなって。いろんなことを憶測させながらもどこかでつじつまが合っているような説得力を感じます。

黒田:ノイズを出していると、ついついオーバーアクションでかき鳴らす感じになってしまいがちですけどね。それをいっさいやらずに棒立ちで弾いていられるなんてすごいですよね。

小林:凄みがありますよね。

小林さんが指摘するのは、リズムを刻むとひとつの定形に落ちてしまうというようなことでしょうか。たとえばソングという定形とか。マイブラには疾走感ある曲ももちろんあるわけですが、それらもソングとして収まってしまうことから逸脱している、というような?

小林:おそらく、逆にソングということに執着のある人なんじゃないかと思います。ドローンとかノイズをやっていて陥りやすいのが、ソングから逸脱することに執着するがゆえに、ノイズである必要のない音楽をやってしまうこと。ノイズであるってことは、ノイズのないものが同時にあったほうがコントラストを生む場合もあるわけじゃないですか。僕はライヴを観て、マイブラってリズム隊に関してはロック・バンドのひとつのスタンダードであり、しかも質の良いものだって思ったんです。CDよりも躍動感があるなって思ったし。でもそれにギターふたりがグルーヴ優先で乗っていっちゃうと、ソングだけになるかもしれない。自分たちが出している音は持続するものだって思っているのだったら、そこにリズムの正確さは必要ない。リズムはリズム隊がいるから、自分たちは自分たちのやることを全うするんだっていう意志を感じるんですよね。メンバーで確認し合って「せーの!」とかやらないでしょう? ドラムが一生懸命見てるだけ(笑)。

黒田:コルム(・オコーサク)、一生懸命見てましたよね、ケヴィンのこと(笑)。

小林:「♪ユー・メイド・ミー・リアライズ~」って曲が再開する瞬間に、さすがにビリンダとケヴィンは合うのかなと思ったらバラバラで、ドラムが「いっていいのか!?」って感じになってて。合わせようとしないから合うはずがないのに、張本人のケヴィンがちょっと不満そうにしているっていう(笑)。あそこに、もう、逆に徹底してるなって思いました。キメを外すことを恐れてないですね、まったく。

黒田:普通だったらキメを合わせるっていうところはとても意識して、大事にするものですけど、彼らはあんまり気にしてないというか。

小林:気にしてないですよね。すごいですよね。

ライヴのスタイルとしてもそのへんの変遷はとくにない感じですか。

黒田:もう、ずっとですね。91年のころから、さっき小林さんもおっしゃったように一輪挿しのようになっていて。フォーメーションも何もかも、20年前とまったくいっしょですね。

ブレなさすぎですね。普通、変わっていかなきゃっていう強迫観念とかもあったりするものじゃないかと思いますが。本当にマイペースというか、「十年一枚」みたいな世界ですね(笑)。

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キャリア総決算、そして新しい章へ

今回の公演が、言ってみれば「ラヴレス・ツアー」というか、90年代からやりたくてやれなかったことを、ようやくほぼ十全なかたちでやれるようになった、その総決算というようなものになったんじゃないかと感じますね。(黒田)

さて、つねにこの前のような環境でライヴができるわけではないと思いますが、たとえば90年代のマイブラはそういう設備の問題について不満に思ったりしていたんでしょうかね?

黒田:それはすごく言ってますね。当時はぜんぜん納得がいかなくて、ようやくよくなってきたと。再始動していちばんはじめについたエンジニアも、マイケル・ブレナンという、プライマル・スクリームとかザ・キュアーとかをやっている人なので、彼とだったらうまくいくだろうと思ったみたいですね。先ほどのアンプとかエフェクターを切り替えるシステムみたいなものについても、ああいうものを作れるマイク・ヒルというエンジニアがいて、その人にエフェクターのシステムを組んでもらったと言ってました。ギャラがすごい高額だそうですが。

では、スタイルは変わらないながらも、ひとつの理想のかたちへとどんどん近づいているということなんでしょうね。

黒田:たぶん90年代の時点で、ケヴィンには何をやりたいのかといったヴィジョンがはっきりあったんだと思います。ただ、技術もサウンド面もそこに追いついていなかったのが、ようやくいま納得のいくかたちが見えてくるようになったと。

小林:その理想のヴィジョンみたいなものが持てるということがすごいと思います。

小林さんは同じアーティストとしての視線で見ていらっしゃる部分もあるかと思いますが、いかがですか。

小林:もちろんです。単純に、畏敬の念を改めて抱いたと言うに尽きますね。音楽を作っている人、いない人に関わらず感じることだとは思うんですが、たとえば先ほどのキメの話。精度の高い音楽とされているものの条件として、リズム――どれだけそれが正確無比なものであるか、整えられているかというような価値観があるかと思うんですが、僕はそういうこととは別のところに美点を見たり、執念を燃やしたりしているんです。その意味で、音楽について自分たちなりの基準やセオリーは持っていたし、いい意味で時代に合うような部分もあったのですが、一回そこから洗い直そうかなというきっかけになったのがこのライヴでした。それが数値化できる良さ/悪さなのだったとしたら、いちど捨ててみようって。現象として、実際に目の前の空気を震わせること……メロディがいいから感動するとかって次元じゃないじゃないですか、マイブラって。イヤホンだとどうしても無理な体験だったし、CDとかの音源自体の価値が問われているときに、現場でできることっていうのは、そういう体験をどこまで特別にできるかってことだと思っていて。その特別さっていうことにおいては、昔からケヴィンのやっていることはずば抜けているわけだから、本当にすごいなって感じます。すごいな、というか、それは自分のためなんでしょうけれど。自分のためだからこそここまでできる。

黒田:そうですね。

近年のライヴのなかで比較すると、この間の公演をどのように位置づけておられますか?

黒田:まず今回は、新作をどのくらいやるのかというところをすごく楽しみにしていました。〈TOKYO ROCKS〉が中止になってしまいましたが、ケヴィンは2月の時点で、そこで新曲を5曲やりたいって言ってたんですね。それを心待ちにしていたので残念だったのですが、その分、DOMMUNEでは新曲をいくつかやってくれるんだろうなって思っていました。なので“フー・シーズ・ユー”が聴けたのはすごくよかったです。

ファンとしてのすごくリアルなご感想ですね!

黒田:(笑)もちろんファンとしてですよ、ことマイブラに関しては。「まっさらな新曲をやる」というアナウンスが事前にされていたようなんですが、ケヴィン自身はもともとそのつもりがなかったようなので、ファンがガッカリするんじゃないかと気にしていたみたいですね。
 ライヴの位置づけとしては、どうですかね。来月からの北米ツアーで、一旦ライヴは終わりになって、それからニュー・シングルを作るベクトルに向かうことになると思います。そういう意味では、今回の公演が、言ってみれば「ラヴレス・ツアー」というか、90年代からやりたくてやれなかったことを、ようやくほぼ十全なかたちでやれるようになった、その総決算というようなものになったんじゃないかと感じますね。次、本当にまっさらな新曲がでてきたときには、もしかしたらシステムとかを全部洗い直したまったく別のステージになったりしているかもしれませんよね。またまったく同じものかもしれませんけどね(笑)。

そうか、新作に対してはすごく意欲を燃やしてるってことですね。

黒田:すごいありますね。2、3ヶ月くらい前ですかね、ケヴィンがアイルランドへ引っ越したんです。牧場みたいなところで、鹿が住んでいるような環境なんですけど、そこの納屋を改造してスタジオを作って、録音をしようと思っているみたいです。

シガー・ロスもアヒルとか牛とかが悠々と歩いている森のなかにスタジオを構えているみたいですね。今年の新作はどのように聴かれました?


メロディ自体は96年くらいから頭にあったらしいです。(黒田)

小林:僕はフリーティング・ジョイズとかアストロ・ブライトとか、マイブラ・フォロワーの作品にも興味があって聴いていたんですけど、聴くたびに「研究してるなあ」って思っていました。だからマイブラがマイブラ・フォロワーみたいな新譜を作ったらちょっとがっかりしちゃうなあって。あと、妙にいまっぽい曲とかだったらいやだなあとも思っていました。けれど、実際には仙人というか、何も変わらなくて……いや、変わらないというよりは継続しているという感じでしょうか。それがすごいなあと思いました。

黒田:『ラヴレス』の延長で聴かれました?

小林:感じないこともないですけど、どちらかといえばソング寄りというか。

黒田:曲が際立っている感じがありましたよね。

小林:そうですね。それで言えば、ライヴでもヴォーカルの音量がすごく小さいのは意図的なものなのかなと思って。人って、人の声や歌に耳を向ける習性があると思うんですけど、小さければ小さいほど耳を澄ませますよね。僕は耳を澄まさないですむ音楽ほど人の注意をひかないものはないと思っているんです。その点、マイブラは轟音なんだけど、耳を澄まさなきゃいけない。

なるほど、轟音のパラドクスといいますか。

小林:何かが大きいということは、相対的に何かが小さいということとイコールなわけですよね。歌をどう捉えているかというのは本人じゃないからわからないんですけど、彼らの歌や音楽に対しては、どちらかというと僕はきちっと座って、きき耳を立てて聴く感じです。


マイブラは轟音なんだけど、耳を澄まさなきゃいけない。(小林)

黒田:メロディを大切にしているなというのは以前から感じていたし、今回も感じましたね。

新譜を出すにあたって、このタイミングというのは自然なものだったんでしょうかね。自分たちのなかで納得のいくかたちになったのがたまたまいまだったというような。

黒田:もともと作っていたのはかなり前からみたいですね。メロディ自体は96年くらいから頭にあったらしいです(笑)。

(一同笑)

黒田:ギターだけだったりとか、断片としては音源が存在していたということで、そのままボツになっていたんだけど、2006年にリマスターのプロジェクトがはじまって――あれ自体が10年ほどかかっているわけですよね――、当時のマルチ・テープとかを聴き直しているときに、その素材を久しぶりに見つけて、けっこういいなと感じたらしいです。それで、頭のなかにメロディも残っているし、この素材を使って何か新しいものができるなと思って作りはじめたのが2010年くらいということのようですね。ほんとに10年越しでようやくできた作品。

小林:へえー。

黒田:それを全部吐き出して、これから作るものが本当の意味で新しい書き下ろしになるっていう。

小林:そうなんですね!

黒田:ケヴィンの脳内の筋書きでは(笑)。


ペダル・フェティシズム

小林:“ユー・メイド・ミー・リアライズ”でゴーっと轟音が押し寄せた後に、もう一段階レンジが広がったなっていう瞬間があって、そのとき踏んだのがたぶんこれじゃないかな。ワーミー。低いドから高いドに上げるっていうような移動ができるものなんです。大気がひとつ動く。さっきまで耳のなかが中低域までで飽和していたのに、次の瞬間、急に高音域を感じるので、音量は変わらないけど「うわっ」ってなるんですよ。一段階上に上がったっていう感じ。

光量が一気に増したような瞬間がありましたね。ペダルへのこだわりというのはあると思いますが、必ずしもフェティシズムに結びつかない気もします。

黒田:でも相当なペダル・フェチですよ。来日するたびに御茶ノ水に行って、缶詰を買うようにペダルをカゴに入れているらしいです(笑)。

小林:ははは。写真の中にも(※)見たことないようなやつがいっぱいありますね。

   ※使用しているペダルの写真を見ながら

黒田:倍音みたいなことは相当考えているんでしょうね。トーン・ペダルっていうか、EQもいっぱい使っているし。

小林:これなんかもアナログ・ディレイだと思うんですけど……、あっ、しかも改造してますね。

黒田:そう、ピート・コーニッシュのやつもけっこう使ってますね。このへんはビッグ・マフの――

小林:トライアングルですね。あとはこのルーパーが気になるというか。何のあたりで使ってるんでしょうね。

黒田:何でしょうね? でも“オンリー・シャロウ”とかループっぽいことをけっこうやってるみたいなんですよね。そのへんかな。……それからこれ。「シューゲイザー」があります(笑)。

小林:このエフェクターもちょっと話題になりましたよね。ケヴィン本人が使っているというのがいいですね(笑)。示唆的というか。

“ユー・メイド・ミー・リアライズ”でゴーっと轟音が押し寄せた後に、もう一段階レンジが広がったなっていう瞬間があって、そのとき踏んだのがたぶんこれじゃないかな。ワーミー。(小林)

小林:ビリンダが使っているものも気になります。……彼女は本当に変わらないというか、ずっと美しいですよね。

黒田:ほんとにね(笑)。

小林:お客さんが「ビリンダー!」って叫んでましたよ。

黒田:ビリンダ・コールがすごかったですね。Tシャツも売ってましたよ、ビリンダの。……それで、これが彼女のセッティングなんですが。

小林:オクターバーありますね、やっぱり。

黒田:それから、マイブラはベースのエフェクターもいっぱい使ってるんですよ。

小林:あ、うちのベースが使ってるやつもありますね。

詳しくないんですが、ベースって一般的にそんなにエフェクターを使うものなんですか?

黒田:こんなに使うベースは珍しいですよね。しかもパッチが組んであって。

へえー。ベースの場合、耳でちゃんとその差がわかります?

黒田:ケヴィンはたぶん完全に聴き取れているんでしょうけど。でも、ライヴを観ていてよかったのは、デビーのベースが素晴らしかったことですね。

小林:デビー、いいですよね……。

黒田:かなドライヴ感があって、曲を引っ張っているのがわかりましたね。しかも、プライマル・スクリームに一回入ったじゃないですか。

小林:あ、そうですよね。

黒田:あれでまた一段階、グルーヴが増した気がします。

小林:デビーはデビーで、弦を弾く位置を変えたりとか、いろいろやってますよね。それによってより低音を出したりできるんですが、ケヴィンに合わせているのか曲に合わせているのか、とにかくいろんな工夫をしているのがわかりました。目からウロコというか、ますます「適当じゃない」ってことがわかりましたね。

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“オンリー・シャロウ”、カヴァー秘話

小林:バンドマン目線でいちばんグッときたのはじつはドラムで。ひとりだけちょっとハード・ロック臭がするというか(笑)、毎回同じ位置にタム回しが入ってシンバルが入って……って、ほんと一発芸みたいな感じもあるんですけど、すごく一生懸命。見ていてすごく上がるというか、無気力なふたりのルックスとの対比が凄まじいんです(笑)。

黒田:はははは。

小林:いちばんがんばっているというか。

黒田:あと、フジロックからはサポートの女の子を連れて来日してますが、ジェーン・マルコという人で、グレアム・コクソンのツアーのサポートとかもやっていた子なんです。彼女が入ったことで、ほんとにギターの厚みが出せるようになりましたね。
以前はテープの音に重ねたりもしていたんですよ。たとえば“オンリー・シャロウ”なんてギターが相当重なっているので、ケヴィンとビリンダだけでは出せなくて、テープでギターの音を出したりしていたようなんです。それがケヴィンは相当嫌だったらしくて。ジェーン・マルコが入ったことで、そのあたりのパフォーマンスがすごく上がったんじゃないかな。

サポートというだけなら、これまでにも入れられそうなものですが……?

黒田:97年のときには、「♪テーレーレッ、テーレーレー……」っていうところ(“アイ・オンリー・セッド”)や“ホエン・ユー・スリープ”のシンセなんかはフルート奏者が吹いてたんですよ。

小林:ええー、それもすごい(笑)。

黒田:なんか、違和感がありまくりでした(笑)。


の音に重ねたりもしていたんですよ。たとえば“オンリー・シャロウ”なんてギターが相当重なっているので、ケヴィンとビリンダだけでは出せなくて、テープでギターの音を出したりしていたようなんです。(黒田)

小林:僕、“オンリー・シャロウ”は、〈ジャパン・ジャム〉っていうイヴェントでプラスティック・トゥリーの有村(竜太朗)さんと、ディップのヤマジ(カズヒデ)さんを招いて、ノーヴェンバーズでカヴァーしたことがあるんですよ。

黒田:へえー。

小林:やっぱりギターが4人になったおかげで、あの曲がわりと再現できたんじゃないかなと思うんです。エフェクトとかも工夫して。あの曲の代名詞になっているともいえる、「ギュイーン」っていう音がありますよね? あれって逆再生のリヴァーヴで、自分としては必要不可欠な要素だと思って聴いていたんですよ。それが、この前のライヴではその逆再生要素がなかった。「ギュイーン」っていうのを2~3パターン使い分けて弾いていただけだったんです。僕はそれが本当に衝撃でした。それでショボくなっていなくて。むしろ、まさに倍音というか、鋼の音がヒリヒリいいながら立ち上がってくるような感じを生で出す凄みがあったんですね。だから、そういうイメージをCDとしてパッケージングするにあたって逆再生のようなギミックが必要だったというだけで、本来のイメージはあのライヴのようなかたちだったのかなと思いました。歪んだギターで「ギュイーン」ってやるだけなら、ふつうに高校生でもできることなんですけど、音像がああいうふうになっただけでまったく感じ方が違うというか。あれはすごいことです。僕たちもただ歪ませただけのパターンもやってみたんですが、それだとほんとにショボいというか、ただの「熱いロック」になって終わってしまうんですよね。そのへんの塩梅が、彼らはとにかく素晴らしいということを実感しました。

あの曲の代名詞になっているともいえる、「ギュイーン」っていう音がありますよね? あれって逆再生のリヴァーヴで、自分としては必要不可欠な要素だと思って聴いていたんですよ。(小林)

小林:あとはアコギの使い方が常軌を逸してますよね。なんでアコギなんか持つんだろう? っていう感じなんですけど、ああ、なるほど、これがあの独特の倍音感を生むのかって納得させられることがすごく多かったです。アコギを繊細に鳴らしたり、フォーキーに用いる人はいくらでも知ってるんですけど、ああいう音像にする人というのはちょっと……。だから無国籍な感じがするというか、非民族的なものに感じる瞬間がありました。

黒田:変則チューニングのせいもありますかね。

小林:あ、そうですね。やたら持ち替えてましたしね、ギター。

黒田:1曲ごとにね(笑)。

4人でカヴァーされたときは、音のつくり方については耳だけで研究吟味したわけですか?

小林:最初は安直な感じで、ネットで誰か再現していないか探したんです。けっこう動画が上がってたんですけど、でもみんなバックのコード弾きだけで、「ギュイーン」を誰もやっていないんですよ。譜面もいろいろ探したんですけど、結局エフェクターが決まってないと、探したって仕方ないよってことになりまして。それでさんざん調整した挙句に行き着いたのが、逆再生のリヴァーブにオクターブを足したりっていうやり方だったんです。でもさっき言ったように、この間のライヴを観るとイメージしていたものがむしろ逆だったので、CDに限界があっただけなのかもしれません。

黒田:真似をするにも、「ああでもないこうでもない」ってやりがいがあるわけですね。

小林:ほんとにそうですよね。

黒田:忠実に再現できなかったとしても、そうやっている過程自体が楽しそうですよね。そのうちに、自分たちで新しい音を見つけちゃったりするかもしれないですし。そのへんがやっぱり、たくさんのアーティストに影響を与えたり、インスパイアさせる要因になっているんじゃないですかね。

大きななぞかけですね。それを解いていくことが新たな創作にもつながるというような。たしかに消費されるバンドという感じがまったくしてこないですからね。

小林:消費しようにもしきれないですね(笑)。

黒田:本人はぜんぜん秘密主義でもなんでもなくて、写真もたくさん撮らせてくれました。だけど、同じものを揃えてやってみても、絶対に同じ音は出せないと思っているのかもしれませんね。秘密主義ではないけれどミステリアスなことが多すぎるから、いろんな解釈ができます。

だから、「歳とっちゃったけどがんばってやってるね」って感じにはぜんぜんならないですよね。

小林:そうですね。


人はなぜ轟音に惹かれるのか

もしかしたら子宮の中っていうのはこんな感じなのかな、とか。(黒田)

そして、たくさんのフォロワーがそこから生まれてもくるわけですが、いまなお「シューゲイザー」なるジャンルは強固に存在して、新しい才能を生んだりもしていますね。脈々と絶えることなく存在している印象もありますが、大きなリヴァイヴァルがどこかのタイミングであったと認識されていますか?

小林:ニューゲイザーっていう言葉が一時期ありましたね。

ありましたね(笑)。無理くりですけども。ただ、それはかなり近年のことになります。その根元にあたるような動き・タイミングとしては、何か記憶されていますか?

黒田:そうですね、〈モール・ミュージック〉からスロウダイヴのトリビュート・アルバム『ブルー・スカイド・アン・クリア(Blue Skied an Clear)』が出たのが02年で、そのあたりはひとつ考えられますね。ウルリッヒ・シュナウスとかマニュアルとかが参加していて、エレクトロニカ周辺の人たちが、音響的にシューゲイザーを見直すみたいな流れがあったと思います。そのあたりから「ニューゲイザー」と呼ばれるようなものが出てきたんじゃないでしょうか。マイブラが再始動した2008年くらいには、ディアハンターとかTV・オン・ザ・レディオとか、ザ・ナショナルとかが、マイブラやシューゲイザーから影響を受けたということをすごく言ってましたね。そういう流れもある。あとは、ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートも初期マイブラの影響を受けていますよね。


〈モール・ミュージック〉からスロウダイヴのトリビュート・アルバム出たのが02年で、ウルリッヒ・シュナウスとかマニュアルとかが参加していて、エレクトロニカ周辺の人たちが、音響的にシューゲイザーを見直すみたいな流れがあったと思います。(黒田)

ああ、ギター・ポップ解釈というか。なるほど、たしかに流れはいくつかありますよね。エレクトロニカとの接点というのは、スロウダイヴに鍵があったんですね。

黒田:そうそう。スロウダイヴ自体が、ブライアン・イーノも参加した『ソウヴラキ(SOUVLAKI)』でアンビエントの方向に行ったりとかっていう性格も持っていたので、エレクトロニカ勢も入りやすかったというか、親和性はあったと思います。

ああ、なるほど。マニュアルがシューゲイザーの棚に入っていたりするのは、一見謎だったりもするんですけどね。

黒田:でもボーズ・オブ・カナダにもマイブラを感じたりしますよ。シンセをレイヤードしていって、空間をぐにゃっと歪めるようなやり方は、すごくマイブラっぽいなと当時から思っていました。

小林:日本だとコールター・オブ・ザ・ディーパーズとかも明言していましたよね。マイブラやりたいとかって。あと、僕は裸のラリーズにも似たようなものを感じるんです。あの人たちも徹底的な轟音のなかでサイケデリックな歌を歌って。

黒田:へえー、なるほどね。

小林:あとはアリエルとかもエレクトロニックとシューゲイザーの接点というところではひとつの価値観を提示していると思います。

ああ、アリエル。『ザ・バトル・オブ・シーランド』ですかね。

小林:ああ、そうですね。あとはノー・ジョイ。セカンドとかはけっこう好きでした。

ちょっとドゥーミーな感じが入ってきますね。あっさり括ることはできないんですが、轟音という音や概念そのものに、人々は尽きせぬ興味を抱きつづけていますよね。そういう興味のコアには何があるんだと思いますか?

黒田:何でしょうね。僕もなぜ轟音に惹かれるんだろう、って考えるんですよ。アストロ・ブライトって、“ユー・メイド・ミー・リアライズ”なんかの音像をそのまま引き延ばしたようなバンドなんですけれども、あれを聴いていて思うのは「このなかにいると落ち着くな」ということなんですね。もしかしたら子宮の中っていうのはこんな感じなのかな、とか。

ああー。『ラヴレス』のジャケットとかだと、赤ちゃんのエコー写真と似ている気もしなくはないですね。

経験がどれだけ豊富になっていったとしても、轟音って知識の寡多に関係がないというか。(小林)

小林:たしかに、とてもプリミティヴなものだと言われればそうであるような気もします。赤ちゃんって、まだ感覚が未分化で、知識や経験がない状態ですよね。で、経験がどれだけ豊富になっていったとしても、轟音って知識の寡多に関係がないというか。浴びせられるものはみな同じで、同じようにそれを感じると思うんです。メロディとかは経験や知識によるけれど。

黒田:たしかに、「いいメロディ」を感じさせるのはある程度教育によるものでしょうね。

小林:民族によってはメロディの概念がないと言いますし、ドレミもないわけじゃないですか。太鼓の音とピアノの音がいっしょに聴こえるというふうな話を聞いたことがありますね。でも轟音っていうようなことに対しては、もう先天的なものとして人間のなかに感度があるんじゃないかって思います。だから子宮の中というイメージは腑に落ちますね。

黒田:アートスクールの木下(理樹)くんが言っていたんですが、シューゲイザーというのは「どこが終わりで始まりなのかわからない、泥の海に呑まれていくような、時間が麻痺した感覚」だと。そこに人間の死と近いものを感じると。たしかに、轟音が鳴っているという状態はそこにイントロもアウトロも必要としない場所が生まれているということでもあって、そのなかにいると時間の感覚なんかも奪われていくと思うんです。その気持ちよさもあるのかと思いました。

小林:ああ、わかります。まさに忘我というか。ゴーってうるさいはずなのに、聴いているうちにむしろ静かに感じられたりしますよね。

黒田:落ち着いてきたりする感じはありますよね。

小林:それで、鳴りやんで人の声が聞こえ出すと、何か鳴ってるなって初めて気づくんです。

あの日、ラストのあたりはほとんど無音に感じられる時間がありましたよね。極点を通過しちゃって。

マイブラという規格外のサイズ感

一貫してるんですけど、自然体というか。変に神話に近づこうと意識するわけでもなくて、そこがいいですよね。(小林)

他に気のつかれた点はありますか?

黒田:映像が少しアップデートされてましたね。CGが付いたりして。より抽象的になって、とてもいいと思いました。前は雲とか木の映像なんかを使っていたんですが、そういう具象性が崩れていて、それがサウンドに合っているなと感じました。いくつかの映像はコルムが自分でHi8のカメラを回して作っているようですね。

映像面でのこだわりというか、とくに制作を任せているような監督やクリエイターがいるわけでもなさそうですよね。有名映画監督と絡むとかってこともなく。

黒田:スタッフとコルムでやっているみたいですよ。本当に、ケヴィンってD.I.Y.というか。

小林さんはいかがでした?

小林:映像は……ポケモン・ショックみたいな感じで(笑)。

(一同笑)

黒田:照明もすごかったですからね。

小林:すごかったですね。僕はマイブラを生で観るのが初めてだったんです。しかもいちばん前で。

黒田:いいですね。初めての体験というのはすごく大事ですからね。

小林:自分が感動しているのを自分が置いてけぼりにしているというか。初めて観たという意味での感動というひいき目も入ると思うんですが、あの日に関しては圧倒的に打ちのめされるというか。本当にやばかったです。帰り道、乗り換えがうまくできなかったりとか(笑)。

黒田:はははは。ぼーっとしちゃって。

小林:本当に。モチヴェーションはすごく上がっているのに、何も手につかないというか。曲も手をつけられないし、「今日はまあ寝るか」みたいな日がつづいて……。

けっこうな体験でしたよねえ。さて、音楽以外のところでもうちょっと素朴な感想もうかがってみたいと思います。今日は彼らの「変わらなさ」についての話にひとつ焦点がありましたが、黒田さんはずーっと観てこられて、年月が経ったと感じられたところはありますか。

黒田:ケヴィンが太ったっていうことですかね。しばらく前に一回痩せてましたけど、ちょっとリバウンドしてますね。ギターがお腹の上に乗っかっちゃってた(笑)。それ以外は全部昔のままだと思います。ビリンダもきれいだし。

小林:あはは。僕は、アー写がずっと更新されていないので、わりとそのままのイメージを持っていました(笑)。ビリンダは変わらないですけど、ケヴィンは週末のお父さんみたいな雰囲気がありましたね。自分の中では、ロバート・スミスとの対比でもおもしろく感じました。(ザ・)キュアーも好きなんです。いくら歳をとってもスタイルとしてブレないロバート・スミス……。ケヴィンも一貫してるんですけど、自然体というか。変に神話に近づこうと意識するわけでもなくて、そこがいいですよね。

黒田:そうですね。


なんというか、時間の感覚がほんとにおかしいっていうだけで。(黒田)

小林さんは、ライヴは初めてだけれど、いちど彼らを間近に見ているんですよね?

小林:はい、渋谷の〈TRUMP ROOM〉っていうところのイヴェントに、新木場の公演(2013年2月)を終えた一行が現れて。僕もそのとき遊びに行っていたので、うわーっ! て感激しました。でも、きっとケヴィンとすれ違ったりしていたと思うんですけど、何しろアー写のイメージなので、気づいていなかったかもしれないですね。

黒田:はははは。あのときは本当にもみくちゃになってましたね。

小林:写真撮って! って殺到していましたね。

黒田:でも、そういうのをぜんぜん断らないですよね、ケヴィンって。新木場のライヴが終わった後、出待ちの人が30人くらいいたのかな。寒いなかみんな待っていたからという事情もあったとは思いますけど、ちゃんと車を停めさせて、全員にサインをしてましたね。ライヴで疲れてはいたでしょうけど、ぜんぜんそういうことを気にしない。

なんとなく、狷介なのかなという先入観がありましたけれど。

黒田:ねえ? ちょっと気難しいのかなというようなイメージはありますよね。

小林:僕もそんなイメージでしたね。

「スーン」としか言わない、みたいな(笑)。

小林:新譜も、出す出す詐欺みたいな(笑)。

黒田:ははは。そうですよね、なんというか、時間の感覚がほんとにおかしいっていうだけで。締切の概念が一切ないとか。

小林:なるほど。

ははは。時間の感覚ということになると、今日お話されていたような音の奥の空間性というトピックと重なるところがありますね。

黒田:はじまりと終わりがないという(笑)。

小林:彼に比べたら、僕らは日々の生活を秒針を見守るように生きているのかもしれませんね。


黒田さんのマイブラ本が2月に!
続報を待とう!

■2/14発売予定
『マイブラこそはすべて~All We Need Is my bloody valentine~(仮)』
(DU BOOKS) 詳細 https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK052
1890円(税込)


Ambient Patrol - ele-king

 『テクノ・ディフィニティヴ』に続いて『アンビエント・ディフィニティヴ』を出さないかと言われた時は本当に戸惑った。スタジオボイス誌に特集を持ちかけた行きがかりもあって、それをベースにしたカタログ本をつくるところまでは勢いで進められたものの、もともと専門家の意識があったわけではないし、単行本化の過程でいかに手に入らない音源が多いか思い知らされたからである。どちらかというと違った考えを持った人が別なタイプのカタログ本を出してくれた方が気が楽になれると思っていたぐらいで、しかし、そういったことは起こらないどころか、僕の知る限り、体系の方法論だったり、構成の仕方に対する批評も批判も何も出てこなかった。もっといえば書評ひとつ出ないのになぜかやたらと売れてしまったし(渋谷のタワーブックスでは年間2位ですよ)。

 これで『テクノ・ディフィニティヴ』までつくったら、ダメ押しになってしまうではないかと思ったものの、前につくった2冊の編集部が閉鎖されることになり、自動的に絶版が決定し、それまで入手できないと思っていたレア盤のいくつかを聴く機会にも恵まれたので(PDUの3大名作が全部、再発されるとは!)、なんとか乗りかかった船をもう一度、押そうかという気になった。ジャン・ジャック・ペリーのソロ作やグラヴィティ・アジャスターズといった過去のそればかりでなく、OPNやメデリン・マーキーといった新人たちの作品が素晴らしかったことも大きい。ルラクルーザ、トモヨシ・ダテ、マシュー・セイジ……。新世代のどの作品も素晴らしく、モーション・シックネス・オブ・タイム・トラヴェルやミラー・トゥ・ミラーをその年の代表作(=大枠)にできなかったのは自分でも驚くぐらいである。

 アンビエント・ミュージックは06年を3回目のピークとしてリリース量はこのところ毎年のように減っている。しかし、これまでにもっともリリース量が多かった94~95年はいわば粗製乱造で、量が多かったからといって必ずしも全体の質もよかったわけではない。金になると思って寄ってきた人が多かったということなのかなんなのか、素晴らしい作品とそうでない作品にはあまりに差があり、いいものは量のなかに埋もれがちだった。ブッダスティック・トランスペアレンツなんて、当時はデザインだけ見て、なんだ、トランスか…と思っていたぐらいだし。セバスチャン・エスコフェの果敢な試みに気がつくのも僕は遅かった。

 最近は、しかし、むしろ、いいものが多すぎて拾いきれないというのが正直なところである。適当に買ってもあまり外さないし、そこそこ満足しがちである。もっといいものがあるかもしれないという強迫観念は90年代よりもいまの方が強くなっている。あると思い込むのも危険だし、だからといっ てないとはやはり言い切れない。これは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。いずれにしろ『アンビエント・ディフィニティヴ』に間に合わなかった2013年後半のリリースから10点ほどを以下で紹介いたしましょう。すでに本をお持ちの方はプリント・アウトして最後のページに挟みこみましょう~。

1. Patryk Zakrocki / Martian Landscape (Bolt)

 いきなり詳細不明。ポーランドから40歳ぐらいのパーカッション奏者? アニメイター? 基本はジャズ畑なのか、ポーリッシュ・インプロヴァイザー・オーケストラなど様々なグループに属しつつ10枚近くのアルバムと、06年にはポスト・クラシカル的なソロ作もあるみたいで、ここではマリンバによるミニマル・ミュージックを展開。『火星の風景』と題され、子どもの頃にSF映画で観た火星に思いを馳せながら、繊細で優しい音色がどこまでも広がる。ミニマルといっても展開のないそれではなく、山あり谷ありのストーリーありきで、現代音楽にもかかわらずトリップ度100%を超えている。涼しい音の乱舞は夏の定番になること請け合いです。イエー。

2. Various / I Am The Center (Light In The Attic)


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 これは素晴らしいというか、実にアメリカらしい企画で、1950年から1990年までの40年間(つまり、アンビエント・ミュージックが商業的に成功する直前まで)にアメリカでプライヴェート・リリースされたニュー・エイジ・ミュージックをシアトルの再発系サイケ・レーベルが20曲ほどコンパイル。ヤソスやララージといったビッグ・ネームから『アンビエント・ディフィニティヴ』でも取り上げた多くの作家たちが、かなり良いセンスでまとめられている(こうやって聴くとスティーヴン・ハルパーンもあまりいかがわしく聴こえない)。OPNが『リターナル』をリリースした頃からアメリカでは「アンビエント」ではなく「ニュー・エイジ」という単語がよく使われるようになっていて、アメリカの宗教観がぐらぐらに揺れているのがよくわかる。元がいわゆる私家版だけに詳細を極めるブックレット付き。

3. Donato Dozzy / Plays Bee Mask (Spectrum Spool)


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 イタリアン・ダブ・テクノの急先鋒とUSアンダーグラウンドのルーキーが2012年に苗場のラビリンスで意気投合し、ルーム40からリリースされた後者による『ヴェイパーウェアー』を前者がヴェイパー・リミックスするはずが……いつしかフル・アルバムへと発展。DJノブが『ドリーム・イントゥー・ドリーム』でも使っていた曲から驚くほど多様なポテンシャルが引き出されている。ゼロ年代後半からノイズ・ドローンなどを多種多様な実験音楽を展開していたビー・マスクからアンビエント的な側面を取り出したのはエメラルズのジョン・エリオットで、リリースも彼がA&Rを務める〈スペクトラム・シュプール〉から。

(全曲試聴) https://www.youtube.com/playlist?list=PLE9phMAwHQN5V6oNfDk-dVc6eRL5CiNgE

4. Karen Gwyer / Needs Continuum (No Pain In Pop)


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 〈ワープ〉に移籍したパッテンのカレイドスコープから13本限定のカセットでデビューしたカレン・ワイアーの2作目で、ミシガン州時代には旧友であるローレル・ヘイローのデトロイト解体プロジェクト、キング・フィーリックスとも関係していたらしい(現在はロンドンに移住)。この夏にはトーン・ホークとのコラボレイション「カウボーイ(フォー・カレン)」でも名が知られるようになり、どことなく方向性がナゾめいてきたものの、ここではクラスターから強迫性を差し引き、なんとも淡々としたフェミニンな変奏がメインをなしている。あるいはジュリアナ・バーウィックとOPNの中間とでもいうか。〈ワープ〉の配信サイト、ブリープが年間ベストのトップ10に選んでいるので、来年はパッテンに続いて〈ワープ〉への移籍も充分にありそう。

5. Gaston Arevalo / Rollin Ballads (Oktaf)


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 波に乗っているマーゼン・ジュールがセルフ・レーベル、〈オクターフ〉からアルバム・デビューさせたウルグアイの新人。さざなみのようにオーガニックなドローンを基本としつつ、大した変化もないのにまったく飽きさせない。ペターッとしているのに非常に透明感が高く、何がではなく、ただ「流れ」という概念だけがパッケージされているというか。カレン・ワイアー同様、あまりに淡々としていて人間が演奏していることも忘れてしまいがち。マスタリングはテイラー・デュプリー。

6. Madegg / Cute Dream (Daen)


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 〈デイトリッパー〉からの『キコ』に続いて5曲入りカセット。コロコロと転がる硬い音がアメリカの50年代にあったような電子音楽を想起させるパターンとフィールド・レコーディングを駆使した側面はなんとも日本的(どうしてそう感じるんだろう?)。安らぎと遊びが同居できる感じは初期のワールズ・エンド・ガールフレンドに通じるものがあり、とくにオープニングはトーマス・フェルマンまで掛け合わせたような抜群のセンス。エンディングもいい。フル・アルバムもお願いします。

7. Alio Die & Zeit / A Circular Quest(Hic Sunt Leones)


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 ライヴ・アルバムを挟んで4回目のスタジオ・コラボレイト。庭園に降り注ぐ優しい日差しのなかで果てしなくトロケてしまいそうだった3作目とはがらっと違って全体にモノトーンで統一され、悠久の時を感じさせるような仕上がりに。デザインもイスラムの建築物を内外から写したフォトグラフがふんだんに使用され、「カタチあるもの」に残された人間の痕跡になんとなく思いが飛んでしまう。イッツ・オンリー・メディテイション!

8. Aus / Alpha Heaven (Denovali)


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 モントリオールから2007年にアンビエント・タッチの『ホワイト・ホース』とノイズじみた『ブラック・ホース』を2枚同時にリリースしてデビューした2人組による10作目で、これはロマンティックなムードに満ちた甘ったれ盤。ロック的な感性というと御幣があるかもしれないけれど、コクトー・ツインズが現役だったら、こんなことをやっていただろうと思わせる感じは、現在の〈トライ・アングル〉とも直結する感性だろう。インダストリアル・ムーヴメントに取り残されたウィチネスが「そっちじゃない、そっちじゃない」と手招きしているような……

9. Tim Hecker / Virgins (Kranky)


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 同じモントリオールから、もはやベテランのティム・ヘッカーは……エレキングの年末ベスト号を参照下さい。キズだらけの毅が素敵な文字の羅列を試みているはずです(まさかの本邦初となる国内盤ではライナーノーツを書かせていただきました)。

 そして……

10. Deep Magic / Reflections Of Most Forgotten Love (Preservation)


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 まさに校了日の次の日。1週間早く手にとっていたら2013年の大枠は間違いなくコレだった。当然のことながら、編集作業を終えてからすぐにレヴューを書いたんだけど、鬼のような橋元優歩がいじわるをしてアップしてくれなかったので、以下にそのまま貼るですよ(時事ネタだったので、わかりづらいかもしれませんが)。

……

 “アレックス・グレイはある日気づいたら、アンビエントだったのが変わって、ノイズ・ドローンに変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。” (あそうそたろう)

 サン・アロウでサポート・ギタリストを努めるアレックス・グレイが様々な変名を使い分け、とりわけ、アンビエント志向のディープ・マジックとノイズ・ドローンを展開するD/P/I/(DJパープル・イメージ)が実は同じ人だったのかーという原稿は前にも書いた通りだけど、さらに『リフレクションズ・オブ・モースト・ファガットン・ラヴ』では彼の作風がミュージック・コンクレートに変わっていた。貧して鈍した日本政府が平和憲法という理想を掲げることに疲れ始めてきたのとは対照的に、アレックス・グレイの向学心は音楽の中身をどんどん発展させていく。倉本諒が指摘していたように、これは彼のルーム・メイトであるショーン・マッカンとマシュー・サリヴァンが先に始めたことで、2011年には連名で『ヴァニティ・フェアー』(『アンビエント・ディフィニティヴ』P246)という傑作もすでに世に問われている。それに感化されたとはいえ、それを自分のものにしてしまうスピード感もさることながら、その完成度の高さには舌を巻くしかない。

 アレックス・グレイがこれまでディープ・マジックの名義でリリースしてきた作品のことはすべて忘れていい。彼がアンビエント・ミュージックとしてやってきたことは、ある種の感覚を磨いていただけで、まだコンポジションという概念に辿り着く前段階でしかなかったとさえ言いたくなる。『リフレクションズ・オブ・モースト・ファガットン・ラヴ』にはもちろん、これまでと同じモチーフは散見できる。オープニングがまさにそうだし、桃源郷へと誘い出す留保のなさは最初から際立っている。彼はリスナーをいつも幸福感で満たしてくれるし、そこから外れてしまったわけではない。過剰なランダム・ノイズもピアノの不協和音も、それ以上にパワフルな光の洪水に包まれ、ミュージック・コンクレートを取り入れたからといって手法的ないやらしさはまったくない。あくまでも彼の世界観を強化するために応用されているだけであって、むしろ、ミュージック・コンクレートにはこんなこともできたのかという発見の方が多い。


 前半ではピアノがかつてなく多用されている。『ミュージック・フォー・エアポーツ』のような鎮静作用を伴ったそれではなく、高揚感を煽るダイナミックな展開である。炸裂しているとさえ言える。あるいはそのようなテンションを持続させず、適度に緩急が持ち込まれる辺りはナチスではなく……DJカルチャーに学んだ部分なのだろう。身体性が強く反映され、具体音に主導権が移っていかない辺りはミュージック・コンクレートとは決定的に異なっている。ということはつまり、ザ・KLFが『チル・アウト』(1990年)で試みたことと同じことをやっているに過ぎないともいえる。もしかすると、そうなのかもしれない。しかし、そうだとしてもここにあるのは圧倒的な手法的成熟と、さらにはイギリス的な抒情とはまったく異なるアメリカのオプティミズム、そして、タイトル通り「ほとんど忘れていた愛の回想」があるのだろう(どうやらこの回想は失敗に終わるという筋立てのようだけど)。

 アメリカという国は理想を捨てない。あまりにスピっていたテレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』の内省はアン・リー監督『ライフ・オブ・パイ』でニュー・エイジの肯定、あるいはニュー・エイジが必要とされる理由へと進み、ウォシャウスキー姉弟監督『クラウド・アトラス』で見事なまでに肯定へと向きを変えてしまった。有無を言わせぬ力技である。かなわない。彼らの書いた企画書にお金を出すのは、いまやインド人や中国人かも知れないけれど、つくっているのはやはりアメリカ人である。お金を出す人たちもアメリカに金を出すということである。この手口に学んだらどうかね。

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