「Lea Lea」と一致するもの

interview with Laraaji - ele-king


Laraaji
Sun Piano

All Saints/ビート

Ambient

beatink

 一昨年の圧倒的な来日公演も記憶に新しいララージ。エレクトリック・ツィターを駆使した幻惑的なサウンドは近年のニュー・エイジ・リヴァイヴァルにも大きな影響を与えてきたわけだが、今回の新作ではなんとツィターは一切使われていない。『Sun Piano』なるタイトルどおり、生ピアノだけを演奏した作品なのだ。でも、心配ご無用。天上から降り注ぐ光のようなイメージはそのままに、あのララージ的世界をさらに拡張したものになっている。ここでは、新作の内容のみでなく、ピアノとツィター、ピアノと自身の関係についても詳しく語ってもらった。

ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。

元々ピアノを勉強していたあなたが、今回ソロ・ピアノのアルバム『Sun Piano』を発表したのはとても納得のいくことですが、同時に、これだけピアノ演奏が達者なあなたが、なぜこれまで一度もピアノ作品を作らなかったのか、改めて不思議に感じました。まずは、このアルバム制作の背景、経緯を教えてください。

ララージ:ピアノは私の人生のなかで、重要な位置を占めている楽器だからね。人生の薬のようなものさ。ピアノは常に私の表現の軸にある楽器だが、これまで私は主にエレクトリック・サウンドの実験を進めてきた。そんななかで、近年のアルバムのレコーディングを見てきていたプロデューサーのマシュー・ジョーンズ(Matthew Jones)に言われたんだ。「そろそろピアノでソロ・アルバムを作る頃だろう」って。それが、この新作を作ることにした理由さ。自分のなかで、その助言がとてもしっくりときた。ピアノはずっと好きだったから、時が来たんだね。私の中で、このタイミングでピアノ・アルバムを作るというのはとても自然なことだったんだ。これまでほとんど弾いたことのなかったグランドピアノを使ったりもして、そういう部分でも純粋に楽しかった。ピアノの前に座って、弾くことを素直に楽しむ時間が幸せだったよ。作業にとりかかり始めたのは2018年の頭で、その年の12月に録音を開始した。

ピアノだけのアルバム制作に際し、なにか戸惑ったり難しかったことはありますか。

ララージ:ピアノだからといって、難しいということはなかったよ。だた、物理的な面で大変だったことがひとつあって……レコーディング途中で、エンジニアのジェフ・ジーグラー(Jeff Zeigler)が拠点を移したんだ。スタジオを引っ越したのさ。それで、ミキシングが途中で止まるなど、作業が遅々と滞ってしまったのが大変だったね。あとは、コロナ・ウイルスの関係でスケジュールの変更もいろいろとあったし。それ以外にはとくに問題はなかった。

カート・ヴァイルやメアリー・ラティモアなどとの仕事で知られるジェフ・ジーグラーが録音/ミキシング・エンジニアを担当した経緯は? また、録音に際し、ジェフとはどのような対話がありましたか。

ララージ:ジェフとは、ダラス・アシッド(Dallas Acid)とのコラボレーションの際に知り合った。ニューヨークのブルックリンでね。2年前にLaraaji/Arji Oceananda/Dallas Acid 名義のコラボ・アルバム『Arrive Without Leaving』を出した時のことだ。ジェフ・ジーグラーとダラス・アシッドと私を繋げてくれたのは、『Arrive Without Leaving』でエグゼクティヴ・プロデューサーを務めたクリント・ニューサム(Clint Newsome)だ。私とジーグラーは初対面の日から2日間、一緒にスタジオで過ごした。彼は今、私のライヴの際にもシステム・エンジニアを務めてくれている。サウンドのクオリティにこだわる人で、仕事をする上でとても頼もしいよ。レコーディング中に彼と話したことは…そうだな……「どうしたら椅子がきしむ音を消せるか」ということと、「今日のランチはどこにするか」ということぐらいかな(笑)。真面目な話、私たちは、感情の面で偏りが出ないようには気をつけていた。穏やかな面と、攻撃的な面とのバランスをちゃんと持っている作品にしたかったんだ。

自宅ではこれまでもずっとピアノを弾いてきたのですか。

ララージ:毎日弾くよ。夜はいつもイヤホンを付けて弾いている。ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。音程もたくさんあって、強弱も幅広くつけられるから。

若い頃は、大学でクラシック・ピアノを学びつつ、趣味でジャズ・ピアノを弾いていたと一昨年の日本での取材時に言ってましたが、いま自宅で好んで弾くのはたとえばどういう音楽ですか。

ララージ:自宅では、即興演奏しかやらないんだよ。だから、いつも新しい曲を弾いているんだ。ジャズのような、エネルギッシュなものをフリー・フォームで弾いたりはするが、楽譜を見てクラシックの曲を弾いたりは、もうしないね。即興が楽しすぎて、それどころではないから(笑)。

伝承曲“シェナンドー(Shenandoah)"以外の『Sun Piano』収録曲もすべて即興なんですか。

ララージ:うん、すべて即興だよ。楽譜は書かない。まずはテーマとなるハーモニーを見つける。そしてそのテーマに従って、肉付けの部分の作曲を即興で進めていくんだ。

作品全体がイノセンスな輝きに満ちていますが、本作を作る際、あなたの頭のなかにはどのようなイメージ(情景)がありましたか。

ララージ:ある時は、深呼吸を頭のなかで想像する。そうすると穏やかな、リラックスできる曲になる。ある時は、楽しく踊る脚を想像する。そうすると踊り出したくなるような曲になる。そしてある時は、雲の上の高いところでダンスをする、天使や妖精みたいな、想像上の生き物を想像する。それが、君が言ったような「イノセンスな輝き」につながっているのかもしれないね。

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太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。


Laraaji
Sun Piano

All Saints/ビート

Ambient

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伝承曲“シェナンドー"には何か特別な思い入れや想い出があるのでしょうか。

ララージ:これはアメリカン・フォークのなかでもとくにお気に入りの曲なんだ。そこから着想を得てグランドピアノで即興をするのも面白いかなと思ってね。実は、これまでも長いこと“シェナンドー"をベースにしていろいろと即興をしていたんだよ。それをたまたまこの新作に入れてみようかなという気になってね。今回は大きな教会のグランドピアノで演奏したから、反響で自分らしい音が聴こえるんだ。そういう、自己満足のようなものだね。一度やってみたかったっていう。大学で合唱の時にこの曲を歌ったり、アメリカに実際にあるシェナンドーという場所に行ったことがあったりと、いろんな思い出のある曲なんだよ。

長年ツィターを演奏してきたことは今作でのピアノ演奏にも何らかの影響を与えているはずだと思いますが、もしそうだとしたら、具体的にはどのような影響でしょうか。

ララージ:私がツィターを使いはじめたのは1974年だ。ツィターはむきだしのミニチュア・ピアノのようなものだが、ピアノではできないことができる。ハンマーを使って演奏することもできるし、ピアノよりもメロディーの幅が広がるんだ。だから、ツィターでの実験を通して発見したことを逆にピアノでできないかなと模索することなんかがあるし、そこからさらに新たな発見に出会うこともある。私がツィターと初めて出会ったのは、当時お金が必要で、ギターを売ろうと思って訪れた楽器の質屋だった。ブルックリンのね。でもお金に替えるかわりに、そこにあったツィターと交換してしまった。神に導かれるようだった。そんな出会からこの楽器をいじり始め、いろいろと面白い音を見つけ、それを人前で披露できるまでになった。きっと運命だろうね。

ヨーロッパ近代社会や思想と結びついた平均律(equal temperament)ピアノの音は、雲や虹のようなあなたの世界とは相容れないのでは……などと想像しがちですが、あなたのなかでは何の違和感もありませんでしたか。

ララージ:これまでずっとツィターで音楽的な実験を続けてきて、今回はそれを活かしたいと思ったんだ。長い間使ってきたツィターだから、これまでの経験を活かしてあげないとと思ってね。私にとっては、まずはそこが重要だった。ただ、今回のアルバムのようにピアノを使
うとなった時に、例えばピアノを違う周波数に調律して弾くのは違和感があるよね。たとえば純正律とか。そもそもピアノとツィターでは奏でられる旋律にも違いがあるし。純正な音程ではない平均律は、音色としてはいわゆる不協和音をはらんでいるが、一方でそれは、他楽器との調和に役立つ。つまりここでは、ツィターで培ってきた旋律の構成手法を活かすための平均律なんだ。

本作は3部作の第1弾であり、次作は『Moon Piano』だとすでにアナウンスされています。『Sun Piano』と『Moon Piano』の違いや関係について説明してください。

ララージ:『Sun Piano』は明るく、楽しく、燦然と輝く、アグレッシヴなリズムを奏でるアルバムだ。これから出る他の2枚に比べ、オープンなんだ。『Moon Piano』はより女性的で、柔らかく、内省的で、そして静か。この2作品に関しては、同じ即興セッションのなかから生まれた。使ったピアノも同じだが、感情の世界の別の面が表現されている。穏やかな面と、攻撃的な面とね。そして3枚目は『Through Illumines Eyes』というタイトルだ。そのアルバムでは、エレクトリック・ツィターとピアノを同時に演奏している。感情の面では、とても明るく、燦々と輝いており、まぶしいくらいだ。イメージとしては、グランドピアノとエレクトリック・ツィターの間だね。ピアノとツィターを、自分で同時に演奏しているから。私はピアノを両手で弾きながら、途中からピアノを伴奏にして右手でツィターを弾くこともできるし、ツィターのループをかけながらピアノを重ね
ることもできる。ドラマーみたいな感じだね。

あなたは常に時代の空気を意識してきたと以前語ってくれましたが、今回のソロ・ピアノ作品はいまの時代とどのように共振すると考えていますか。

ララージ:太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。音楽を聴くことで、聴き手はそこに平穏を見つけられると思う。落ち着くことができる。それは、静かな曲だけではなくて、元気な曲にも言えることだと思っているんだ。いまの世のなかで起こっていることを考えて、不安で気持ちがざわざわしている時にでも、音楽を聴けば自分のなかにバランスを見つけることができる。今回の3部作を聴くことで、一旦落ち着いて、リラックスし、状況を客観的に観察し、そしてもう一度平穏を取り戻せるような感情の世界に自分を導いてくれれたらと思っている。

このアルバム制作を通し、ピアノという楽器に関して新たに発見したこと、気づいたことはありましたか。

ララージ:今回は教会で演奏したんだが、音の反響があるから、これまで聴こえていなかった音が聴こえた。ピアノの音の奥深さと、ハーモニーの広がりを感じたよ。グランドピアノ自身が奏でる豊かな音色が聴こえてきた。それから、ピアノの椅子が鳴らすキーキーという音にもリスペクトを払うようにしようと気づけた(笑)。ピアノに没頭しているときに鳴る音だからね。ジェフ・ジーグラーとのレコーディングがあったからこそ、これまで気づいていなかったピアノの音を発見できたというのもあるね。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

John Carroll Kirby - ele-king

 早耳たちのあいだで話題となっているジョン・キャロル・カービー、ブラッド・オレンジ『Freetown Sound』(16)やソランジュ『When I Get Home』(19)にも参加していたこのLAのキイボーディストが、なんと〈Stones Throw〉より新作をリリースする。日本盤はハイレゾ対応のMQA-CD仕様とのことなので、嬉しさ倍増だ。クールで落ち着いたジャズのムードを心行くまで堪能しよう。

John Carroll Kirby
MY GARDEN

ノラ・ジョーンズ、ソランジュやフランク・オーシャン、シャバズ・パレセズともコラボレ ーションする大注目の伴盤奏者、ジョン・キャロル・カービーによる、名門〈Stones Throw〉からのファースト・ソロ・アルバム!! ジャズ、R&B、ソウル、アンビエントまで 取り込み、レコーディングにプロデュース、作曲の全てを自身で行なっている。ボーナストラックを加え、CDリリース!!

Official Release HP: https://www.ringstokyo.com/johncarrollkirby

冒頭の “Blueberry Beads” をまずは聴いてみてほしい。日本のジャズ・ベーシスト、鈴木良雄が80年代に作ったアンビエント・ジャズから多大なるインスピレーションを得て、カービーはキーボードを弾いている。謎めいていて、さまざまな記憶を弄るジョン・キャロル・カービーの音楽のエッセンスが、この曲に詰まっている。カービーの音楽は、LAジャズの遺産からソランジュやフランク・オーシャンのアンビエントにまで接続する。そして、反転させた美しい世界を描きだす。 (原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : JOHN CAROLL KIRBY (ジョン・キャロル・カービー)
タイトル : My Garden (マイ・ガーデン)
発売日 : 2020/9/23
価格 : 2,600円+税
レーベル/品番 : rings・stones throw (RINC67)
フォーマット : CD (ハイレゾMQACD対応フォーマット)

Tracklist :
01. Blueberry Beads
02. By The Sea
03. Night Croc
04. Arroyo Seco
05. Son Of Pucabufeo
06. San Nicolas Island
07. Humid Mood
08. Lay You Down
09. Wind
10. Lazzara (Bonus Track)

amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B08C5CJT4W/

Sun Araw - ele-king

 これはめでたい。ユーモラスな電子音と独特のパーカッション、ギター、ヴォーカルが織り成すポリリズミックな宇宙ファンク・サウンド、2020年のベストな作品のひとつ、LAのキャメロン・スタローンズことサン・アロウによる最新作がめでたく日本盤化。7月15日に発売される。歌詞・対訳も封入されるので、要チェックです。

現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウ最新アルバム、その名も『ロック経典』。途方もない恍惚感と酩酊感に満ちあふれた、中毒性たっぷりの経典。危険すぎる!

SUN ARAW 『ROCK SUTRA』
サン・アロウ/ロック・スートラ
PCD-25301
定価:¥2,500+税
Release Date: 2020.07.15
●米 Sun Ark / Drag City 原盤
●解説/歌詞・対訳付

TRACKLIST
1. ROOMBOE (9:29)
2. 78 SUTRA (10:59)
3. CATALINA BREEZE (7:41)
4. ARRAMBE (12:12)

CAMERON STALLONES: MIDI-GUITAR, SYNTHESIZERS, VOCALS
JON LELAND: V-DRUMS, PERCUSSION, CONGAS
MARC RIORDAN: SYNTHESIZERS
ALL RECORDED LIVE-TO-MIDI AT SUN ARK STUDIOS

CAN の名盤とさえ言える未発表曲集『Unlimited Edition』とサン・アロウの『ロック経典』を交互に聴いているのだが、1974年と2020年の作品は時空を越えて繋がっていることが確認できる。──野田努(ele-king)

ジャマイカの伝説的ヴォーカル・グループ、コンゴスとの共演盤や、ニューヨークのこれまた伝説的パーカッション奏者/電子音楽家、ララージとの共演盤も話題となった、カリフォルニア州ロングビーチを拠点とする現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウによる最新スペース・ロック・アルバム。バンドとの生演奏をMIDIで録音したはじめてのアルバムで、これまでになくポリリズミックな展開がじつに刺激的だ。“Arrambe” では、CAN やホルガー・シューカイのアフリカ音楽解釈を彷彿させる。ファンクとロック、ダブの間を行き来する、エクスペリメンタルでありつつもどこかユーモラスな極上のトリップ・ミュージック。傑作。

Kevin Richard Martin - ele-king

 ザ・バグキング・ミダス・サウンド、テクノ・アニマルのケヴィン・リチャード・マーティンによるアンビエント作品がリリースされた。リリースはケヴィン・リチャード・マーティン自らが主宰するデジタル・レーベル〈Intercrannial Recordings〉から。
 本作は三作の連作で、世界の終わりから再生を喚起するような壮大なアンビエント・サウンドとなっている。
 重々しいムードの音響だが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染拡大によるロックダウン中に作曲から録音、マスタリングまでされたものらしい。まさに時代のムードをリアルタイムで反映した「コロナ禍のダーク・インダストリアル・アンビエント」といえよう。
 マスタリングを手掛けているのは世界湯数のドローン作家にして、現行エクスペリメンタル・レーベルの最高峰〈ROOM 40〉を主宰する
ローレンス・イングリッシュ

 思えばソロ名義の前作『Sirens』も、ローレンス・イングリッシュの〈ROOM40〉からリリースされた作品であった。『Sirens』は圧倒的なサウンドの強度とパーソナリティか交錯するアルバムだ。対して本作『Frequencies for Leaving Earth』シリーズは、『Sirens』の音響的な強度を継承しつつも、どこかSF映画の音響のような、地球規模のサウンド・スペースを形成している。

 まず『Frequencies for Leaving Earth - Vol.1』には長尺の3曲が収録されている。1曲め “i left my body” は唸るような重低音のドローンから始まるトラックだ。重力のしがらみからしだいに解放されるようにゆっくりといくつかのサウンドがレイヤーされていく。アンビエントへと引き延ばされた後期ロマン派交響曲の序曲のごとき楽曲に思えた。
 2曲め “i lost my miind” は重力から遠く離れていくような清冽なドローンから幕を開ける。やがて暴風のような、もしくは炎のようなノイズが鳴り始め、世界の事象を俯瞰するような音響空間を生成していく。
 3曲め “i became light” は波のように、もしくは静かに揺れるカーテンなように反復するミニマルなサウンドだ。重力から解き放たれ、天井にある静謐な場へと辿りついたかのごとき楽曲に仕上がっている。全3曲、それらは組曲のように有機的に構成されており(モチーフの変化と拡張など)、ドローン/アンビエントによる交響曲とでも称したいほどであった。

 長尺3曲を収録した『Vol.1』に対して、『Frequencies for Leaving Earth - Vol.2』は10曲の小品が収められているアルバムだ。サウンドトラックのように多彩な曲調が展開するが、全体を包み込むSF的かつ不穏なムードは共通している。
 加えて曲調にヴァリエーションがあることから、ケヴィン・リチャード・マーティンならではの電気/電子的自然現象のようなゴリゴリの音響工作も聴きとることができた。その意味でこちらはアンビエントというよりは、ビートレスのインダストリアル・サウンドに思える。キング・ミダス・サウンド『K.M.S. - Solitude Instrumentals』のオリジンのような音響といえるかもしれないし、テクノ・アニマルの『Re-entry』のディスク2を思わせるサウンド・スペースともいえる。

 そして『Frequencies for Leaving Earth - Vol.3』は全7曲を収録。前二作とは一変し、穏やかな、しかし人間以降世界のような、不穏な静けさを放つ音響世界が展開する。オルガンのようなシンセサイザーのゆったりと反復し、聴き手の意識を瞑想状態へと連れて行くような曲調はシンプルだが、絶大なアンビエント効果がある。
 特に11分に及ぶ4曲め “lost in you” は大変素晴らしい。静けさのなかに穏やかな展開があり、穏やかさのなかに不穏さがある。また乾いたノイズの向こうに微かな光を感じさせくれる5曲め “I will be your light” も卓抜なアンビエントを展開している。時代に闇夜から光が差してくるような構成も含めて、アルバムとしての構成は全3作中、もっとも完成度が高いと思う。

 全作、コロナ禍の地球全体に鳴り響くようなアンビエント/インダストリアルな音響空間を生成し展開している。〈ROOM40〉からリリースされた『Sirens』は極めてパーソナルなサウンドインスタレーション作品だったが、この連作は地球規模の危機を緻密にしてダイナミックな筆致で描き切る音響劇に思える。特に『Vol.2』の7曲め “Angel of Death” 以降の黙示録的な展開には圧倒されてしまった。

 神も天使もヒトも「地球」という巨大な自然に呑み込まれ絶滅していく黙示録的な光景と、しかし、その先にある再生の光を夢想すること。「個」のアンビエント・サウンドから「地球・天体規模」のアンビエンス/サウンドへ。想像力とリアルな感覚に満ちたアンビエントな電子音楽。これは紛れもなくレジェンド、ケヴィン・リチャード・マーティンの新たな挑戦である。

interview with Julianna Barwick - ele-king

 イレジスティブル・フォース『It's Tomorrow Already』(98)以来、アンビエント・ミュージックには消極的だった〈ニンジャ・チューン〉が15年のリー・バノン『Pattern Of Excel』、19年のア・ウイングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サレン『The Undivided Five(19)に続いてジュリアナ・バーウィックの新作を獲得した。強引にカウントするとキング・マイダス・タッチとフェネスのコラボレイション『Edition 1』(15)もアンビエントといえるので、どちらかというと〈ニンジャ・チューン〉が構想するアンビエント・ミュージックは知的なラインナップといえる。バーウィックはなかでは理論家というより感覚肌の作家に属するものの、それでもニュー・エイジには迎合しない節度を見せるタイプ。何も考えていないように思える作家なのに、どうしてテンションの低い感覚的な作品になってしまわないのか。これははなかなか不思議なことだけれど、それこそ生まれつきの感性としかいえないのかもしれない。童謡をドローン化したようなアンビエント・ポップス。ジュリアナ・バーウィックの音楽を頭でっかちに定義すると矛盾だらけの表現になってしまう。それがいい。重苦しくないブルガリアン・ヴォイス。アカデミックではないメレディス・モンク。時代に掠ってるんだか掠ってないんだかよくわからないところもいい──それだけ約束事の外に出られた気になれるから。無邪気に子ども時代を回想した『The Magic Place』(11)や宗教的なムードを抽象化した『Will』(16)など、これまではある程度まとまったテーマを設定してきた彼女が可能性の範囲を広げようといろんな方向に手を伸ばした新作が『Healing Is A Miracle』である(アニオタ訳=自然と治っちゃうなんて不・思・議)。ときにプリンスが愛したエリザベス・フレイザーの声を思わせ、シガー・ロスとも波長が重なってきたLAのジュリアナ・バーウィックに話を訊いた。

新型コロナウィルスに加えて抗議デモや暴動もあるから、延期すべきかどうすべきかというのはレーベルとも話した。でも私は、少しでも人びとが平和を感じられるようなことに、自分が何かしらの形で貢献ができるのであれば、ぜひ貢献したいと思った。

前作に比べてヴァラエティ豊かというのか、いろんなことを試した作品になったのかなと。リラックスもしたいし、緊張感も欲しいし、次はディスコもやりかねないポテンシャルを感じます。やらないと思いますけど。

ジュリアナ・バーウィック(以下、JB):ははは、可能性は無限。たしかに、ある意味、折衷的だと思う。10年とか15年くらい前に自分がつくったものに遡ったような曲もあるし、よりエレクトロニック・サウンドで、ちょっと前作『Will』の曲を彷彿させるような曲もあるし、新たな発見もあって。あとやっぱりコラボレーションによっていつもの自分の作品より多様なサウンドが生まれたというのも当然あったと思う。

なかでは“Flowers”がもっとも意外でした。具体的にどんな花をイメージしているのでしょう? 日本ではサクラという花が人気で、サクラというネーミングはツボミが「裂ける」に由来します(注・諸説あります)。“Flowers”が描写しているのは、そのような花の生命力なのでしょうか?

JB:そういうわけじゃなかったけど、でもすごく興味深い視点。教えてくれてありがとう。サクラの花の名前がツボミが裂ける様子に由来するなんてとても美しいと思う。私が音楽をつくる時は、いきなりレコーディングし始めることが多くて、頭に思い浮かんだことをそのまま歌い出す。この曲のときもそうで、♪ラーララーララー、フラーワーズ〜みたいな感じで(笑)。「Flowers」って言葉が聞こえたから、それをキープしておいて。大体そういう感じでつくってて、半分英語、半分はただの音みたいなのを思いつくままに歌うというね。

桑田佳祐方式なんですね。その人にも『アベー・ロード』(https://www.youtube.com/watch?v=R0bYVE3c1oM)(https://www.youtube.com/watch?v=8aQmql5XeqA)という政治を批判したビートルズ・パロディがあるんですけど、ちょっと前にあなたが参加したフレーミング・リップスのビートルズ・トリビュート『With A Little Help From My Fwends』(14)は企画自体に賛否両論があったなか、あなたには何をもたらしましたか?

JB:あれは、私が自分でiPhoneで録ったボイスメモを彼らに送ったもの。スマホに“She’s Leaving Home”のあのパートを吹き込んで、それをウェインにメールで送って、それを彼が曲に入れたという。そんなことは自分ではそれまで一度もやったことがなかったし、以後も一度もやってない。あのアルバムに入ってる私の声は、iPhoneのボイスメモ。それってすごくない? 正真正銘のボイスメモ、テイクは1回、以上。めちゃくちゃ面白かった。

今回のアルバムは自己回復能力をテーマにしているそうですが、それは人間の意志とは無関係に働くものですよね? 「意志(Will)」をテーマにした前作のコンセプトとは正反対になったということ?

JB:その発想、素晴らしい、思わずメモしちゃった。人間の意志とは無関係に働く自己回復能力……ってめちゃくちゃかっこいいな。しかも確かに、最初にアルバムの名前をこれにしようと思ったのも、そういうことを考えてたからで、文字通り、私たちの体が自動的にやってくれる身体的な回復って、ある意味奇跡的だと思うし、マーベル映画に出てくるような超人的な能力なんだけど、実際、私たちの体ってそういうふうに機能してて。それってすごいことじゃない? それで『Healing Is A Miracle』というタイトルを思いついて、自分でも気に入って、これに決めようとなって。でも前作への応答みたいな意図はなかったけどね。前作を『Will』というタイトルにしたのは、かなりいろんな解釈ができる言葉だったから。意志もそうだし、人の名前でもあるし。でも前作との対比をちゃんと考えたらすごく興味深いかもしれない。それ、自分で思い付きたかった(笑)。

「意志(Will)」を神の意志と取ると、同じことかもしれませんけどね。新型コロナウイルスは免疫系を破壊することが知られています。それこそ「Healing」が不可になるので、あなたの作品に対する自然界からの挑戦ですね?

JB:かもしれない。いまは奇妙な時期だし、それに怖いよね。とくにアメリカではちょっと手に負えなくなってるし、こういう時期、公演ができる保証がどこにもないなかで、新作をリリースするというのはある意味興味深いことではあると思う。新型コロナウィルスに加えて抗議デモや暴動もあるから、延期すべきかどうすべきかというのはレーベルとも話した。でも私は、少しでも人びとが平和を感じられるようなことに、自分が何かしらの形で貢献ができるのであれば、ぜひ貢献したいと思った。アルバム発売を延期して売上の可能性を最大化するとかそういうことよりもね。いま世界に必要なものを考えたら、予定通りリリースする方がいいんじゃないかと思ったのよ。

そうですね。いい判断だったと思います。ビルボードの調べでは音楽の消費量は伸びて、好きなミュージシャンの新曲を聴きたいという人が最も多かったそうですから。ちなみに〈ニンジャ・チューン〉に移籍したのはなぜですか? このところ〈ニンジャ・チューン〉はアンビエント作家を増やしているので、以前ほど不自然ではありませんが、やはり最初は違和感を感じました。

JB:3年半ほど前にレーベルからEメールが届いて「あなたのやっていることがすごく好きです。一緒にやりませんか?」と書いてあって。それで何度か実際に会って、あらゆる面ですごくいい感じだったから、契約することにしたという訳。

メリー・ラティモアはあなたよりヘヴィなところがある作風だと思います。彼女と共同作業をすることで“Oh,Memory”には少し内省的なニュアンスが加わったのでしょうか、それともこういう曲だから彼女に参加を求めたのでしょうか?

JB:とにかく彼女の声が欲しかったというのがあった。メアリーのサウンドって瞬時に彼女だと認識できるものだと思ってて。それに彼女とは親友だしね。ツアーを一緒にやったりもしてるし、何度も共演してて。ちょっと前には私が彼女の曲をリミックスしたこともあったし。とにかく自分のアルバムに参加してもらいたいとずっと思ってたから、今回、ようやく夢が叶ったという。それと今回のコラボレーターはみんなLA在住の友だちで、それも少し理由としてあった。今作のコラボレーションは、私がいるLAのコミュニティを表したものでもあるの。

シガー・ロスとの付き合いを考えると自然なのかもしれませんが、前作の“Same”や、今回、ヨンシー(Jónsi)が参加した“In Light”はあまりにシガー・ロスに引きずられてませんか? シガー・ロスもこのところアンビエント・アルバムを連発しているので、波長が合っている感じはしますけど。

JB:“Same”は別の友だちとコラボした曲だけど、でも言ってる意味はわかる(笑)。ちなみにあの曲はトムという友だちが参加してるよ(注・シンセポップのMas Ysaのこと)。ヨンシーとの曲は、間違いなく彼がつくった部分が多くて、だからすごく「ヨンシー感」があるし、当然、彼っぽいサウンドになってる。それこそ私が求めていたものだし、彼とコラボするなんて夢だったわけで。メアリーが参加した“Oh,Memory”も同じように、すごくメアリーっぽくなってるしね。単純にヨンシーと作った曲はヨンシーっぽいってことだと思う。

ノサッジ・シングの役割だけがちょっとわかりませんでした。彼が“Nod”で果たしている役割は?

JB:まず私が彼にヴォーカルを入れたものを送って、それから彼のスタジオで作業して、ノサッジことジェイソンがベースやドラムを加えていったという感じだったんだけど、出来上がったサウンドが私にはすごくノサッジ・シングっぽいと思えた。ヨンシーやメアリーの時と同じようにね。

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だいたい即興で歌いはじめることが多いから、そのときに感じていることをそのまま歌ってるし、つまりそれは純粋な感情であって、声にはそのときの感情が反映されると思う。

音楽を作りはじめる以前に自分の声を録音して聞いたことがありますか? あるとしたら、そのときはどんな感じがしましたか?

JB:子どもの頃にカセットテープ・プレーヤーを持ってたから、当時から自分の声は録音してた。歌ったり、ラジオのDJの真似をして喋ったり……3、4歳の頃だったと思うから、どう感じたかは覚えてないけど、でも、いつもそんな感じで遊んでた。

声が持っている様々なポテンシャルのなかから優しさだけを増幅させている印象があります。それは意識的ですか?

JB:それはないかな。だいたい即興で歌いはじめることが多いから、そのときに感じていることをそのまま歌ってるし、つまりそれは純粋な感情であって、声にはそのときの感情が反映されると思う。たとえば誰かの声を聞いて、さっきまで泣いていたなってことがわかったり、興奮してたら声も興奮した感じになるでしょ? 歌ってるときも同じだと思う。

声をメインにして音楽をつくるミュージシャンはオノ・ヨーコやダイアマンダ・ギャラスなどたくさんいると思うのですが、僕の知っている限り、ほとんどが女性です。なぜだと思うか、考えを聞かせてください。

JB:うーん……考えたことなかったけど、でも言ってることはわかる。ヨーコの「アイイイイー」みたいなやつでしょ。きっと男性でもやってる人はいるんだろうけどね。確かに印象としては声を楽器のように使ってるのは女性の方が多い気がするけど、でも確信はないし、私が間違ってるかもしれないし、単純に知らないだけかもしれない。

男性では最近だとアン=ジェイムス・シャトンなどは声というより「言葉」に比重を置いているという印象が強いです。あなたの音楽は「言葉」から「声」を自由にしていると思いますか?

JB:それは間違いなくそうだと思う。やろうとする前に、音楽を作りはじめたときからすでにやっていたというか。シンガーソングライター的なものが自分にとっては自然ではなくて、サウンドをつくってるなかでたまに言葉が出てくることがある程度で……さっきの“Flowers”みたいな感じでね。だから歌詞を書くというよりも、サウンドと感情で曲ができ上がる。私の作品は基本的に全部そういうものかもしれない。もちろん例外はあるけど、ほとんどの場合は言葉がない。

男性があなたの『The Magic Place』を丸々1枚カヴァーしたら聴いてみたいですか?

JB:もちろん!

女性でもメデリン・マーキースティン・ジャーヴァンのように声だということがわからなくなるほど変形させてしまうスタイルは抵抗がありますか?

JB:何でも一度はトライしてみようと思ってるけどね。というか、よくペダルの設定をいじって遊んでるし。(実際に声を変えながら)こんな低くしたり、たかーくしたり。声を変えてハモったり。でもエフェクター以外でやることは考えたことがなかったなあ。ただ、私はかなり声域が広い方で、ものすごく高い声で歌うこともできるし、結構な低いところまで出せるから、そういうところで少し実験してはいる。

Vocaloidに興味はありますか?

JB:ペダル(※エフェクター)で十分。

ああ、佐々木渉さんには内緒にしておきます。世界で一番好きな声は誰の声ですか? 歌手でなくてもいいし。自分の声でもかまいません。

JB:ヨンシーかな。あと私の母の声もすごく好き。彼女の歌声はとても美しいの。

聞きたくない声はありますか? 

JB:怒りのラップ、怒りのメタル。“グォォォーッ”みたいなやつ。ああいうのは大嫌いで、ちょっと無理。

たとえばドナルド・トランプは言葉の内容が伝わらないとしたらハスキーで面白い声なのかなとも思うので、あくまで音として聞きたくない声ということですが。

JB:ああ、なるほどね……ゲーーーッ。

ははは。1日のうちで『Healing Is A Miracle』を聴く時間を指定しなければならないとしたら何時にしますか?

JB:自分のことを言うと、朝はまずコーヒーを入れてインターネットとEメールを開きながら音楽を聴いてるから、朝がいいかもしれない。でも夜に聴いてもいいと思う。

最後に〈リヴェンジ・インターナショナル〉からカセットでリリース予定の『Circumstance Synthesis』も同傾向の作品になるんでしょうか? それともまったく傾向の異なる作品ですか?

JB:まったく違う感じの作品で、というのもこれはマイクロソフトと共同でシスターシティ・ホテルのロビー用につくったものだから。マイクロソフトのAIを使って、カメラをホテルの屋上にセットして、レンズを空に向けてAIが空の変化を読み取って、その情報がプログラムに送られて、それをきっかけに私がつくったサウンドが流れるという。

へー。

JB:かなり複雑なんだけど、私は朝、昼、午後、夕方、夜と1日を5つの時間帯に区切ってそれぞれの時間帯のセットを作って、5つはどれも全然違うサウンドで、それを短くまとめたのがこの作品。自分がホテルのロビーにいるところを想像しながら、興味深くて美しくて、あまり静かすぎたり退屈にならないように、かと言ってホテルにチェックインするときにあまりにうるさい耳障りな音楽は聞きたくないし、でもやっぱりプロジェクト自体がとても興味深いものだったから、それにふさわしく興味深いものにしたいと思った。というのが作品の由来。

なるほど。「Music for Hotel Lobbies」という感じなんですね。わかりました。どうもありがとうございました。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

Karl Forest - ele-king

 かつて Miyabi 名義で〈TREKKIE TRAX〉からもリリースのある Karl Forest が、新名義で初となるシングル「Moon & Back」を本日7月3日、リリースしている。ナイジェリア出⾝のシンガーをフィーチャーした、いまの季節にぴったりのラヴァーズ × アフロビーツな2曲を収録。今後の活躍にも注目だ。

Ryan Porter - ele-king

 カマシ・ワシントンのバンド・メンバーでもあるLAのトロンボーン奏者ライアン・ポーターが、パリで録音したライヴ・アルバムを9月9日にリリースする。カマシやブランドン・コールマンなど、おなじみの西海岸の仲間たちが集結。故ロイ・ハーグローヴのカヴァーで幕を開ける熱い一夜を追体験しよう。

RYAN PORTER
Live At New Morning, Paris

カマシ・ワシントンのバンドメンバーでも知られるトロンボーン奏者、ライアン・ポーターによる、初のライブ・アルバム!!
ライアンが師と仰ぎ続けてきた故ロイ・ハーグローヴが愛したパリのジャズ・クラブ New Morning で、
彼の楽曲からスタートする、エキサイティングな熱気溢れるライブ盤がリリース!!

Official Release HP: https://www.ringstokyo.com/ryan-porterlive

「10代でジャズを学んでいた私に大きな影響を与えてくれた」──ライアン・ポーターが16歳の時に出会って以来、師と仰ぎ続けてきた故ロイ・ハーグローヴの “Strasbourg St. Denis” でこのライヴは幕を開けます。場所はロイもお気に入りだったパリのジャズ・クラブ New Morning。メンバーはカマシ・ワシントンらウエスト・コースト・ゲット・ダウンの仲間達。最高のシチュエーションでのライアンのライヴです。堪能してください。 (原 雅明 rings プロデューサー)

Joining Porter were:
Kamasi Washington (tenor saxophone), Jumaane Smith (trumpet), Brandon Coleman (piano; keyboards), Miles Mosley (upright; electric bass), Tony Austin (drums), Nigel Glasgow (Engineer), Kevin Moo aka Daddy Kev (Mixing & Mastering)

アーティスト : RYAN PORTER (ライアン・ポーター)
タイトル : LIVE AT NEW MORNING, PARIS (ライブ・アット・ニュー・モーニング、パリス)
発売日 : 2020/9/9
価格 : 2,600円+税
レーベル/品番 : rings (RINC66)
フォーマット : CD

Tracklist :
01. Strasbourg / St. Denis (Roy Hargrove)
02. Madiba (Ryan Porter)
03. Mesosphere (Ryan Porter)
04. The Psalmnist (Ryan Porter)
05. Oscalypso (Curtis Fuller)
06. Anaya (Ryan Porter)
07. Carriacou (Ryan Porter)
& Bonus Track 収録予定

amazon : https://www.amazon.co.jp/dp/B08B8MHWH6/

Speaker Music - ele-king

三田格

 ニューヨークのアパレル・メーカー「HECHA / 做」が攻めまくっている。プロジェクト1は2018年の9月にウェブ上で行ったオール・デイ・ストリーミング。プロジェクト2は2019年のベルリン国際映画祭でジェシー・ジェフリー・ダン・ロヴィネリ(Jessie Jeffrey Dunn Rovinell)によるクィアー映画『ソー・プリティ』の上映。プロジェクト3は「黒いテクノを取り戻す(Make Techno Black Again)」(トランプのパロディです、念のため)というキャンペーン用キャップの発売。この時にテーマ曲をつくったのがスピーカー・ミュージックことディフォーレスト・ブラウン・ジュニア(以下、DBJ)という音楽ライター。プロジェクト4はオンライン・ショップの開設とポップ・アップ・イヴェントと続き、これらはすべて共感によってドライヴされるビジネス・モデル(Empathy-driven business model)を標榜するルス・アンジェリカ・フェルナンデスとティン・ディンという2人の女性が企画・推進している。プロジェクト7は「テクノは誰のもの?(Who Does Techno Belong to?)」と題された討論会の開催で、商品化され、商業化したテクノについてゲストを交えて語り合うなど、テクノに対するこだわりがハンパない。彼らの頭にあるのはとにかくデトロイト・テクノの継承と発展である。EDMのかけらもない。そして、Project10として〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』はまさに「黒いテクノを取り戻」し、「HECHA / 做」の主張を具体化した素晴らしい内容となった。〈プラネット・ミュー〉も今年、最も重要なリリースになると大きな声を上げている。何も知らずに1曲目を聴いた僕も叫びそうになった。すごい。すごいよ!!マサルさん。セクシーコマンドー。いやいや。

 ベース・ミュージックとフリー・ジャズの出会い。そんな生易しい次元ではないかもしれない。1曲目にフィーチャーされているのは詩人のマイア・サナア(Maia Sanaa)で、付録としてついている45ページのブックレットは彼女の書いた理論や詩を集めたものらしい(これは未見)。DBJ自身もアミリ・バラカが提唱し、黒人音楽の歴史をまったく新しい視点で読み直したとされる批評家ツィツィ・エラ・ジャジ(Tsitsi Ella JajiI)が連帯のために提唱したステレオモダニズム理論をアルバム全体に応用したそうで、それはアメリカ産のブラック・ミュージックを読み解くためにセネガルとガーナと南アフリカの音楽を研究した成果らしい。どこがどうだかはもちろんよくわからない。わかるのは躓くように叩かれるスタッタリング・ドラムがとにかくカッコいいということと、3曲目の“Techno Is A Liberation Technology(テクノは解放のテクノロジー)”でジョン・ハッセルばりのトランペットが最初のピークをつくり出すこと。この緊張感には圧倒される。ドリルン・ベースなんて子どもの遊びだったじゃん……(いや、それはそれでいいんだけど)。続いて“Black Secret Technology Is A Traumatically Manufactured And Exported Good Necessitated By 300 Years Of Unaccounted For White Supremacist Savagery In The Founding Of The United State(野蛮な白人至上主義の上に築かれたアメリカのために300年も輸出が必要とされ、精神的な外傷を負わされてきた黒い秘密景気)”で同じく極端なスタッタリング・ドラムの背後で粒子の細かい電子音が縦横無尽に飛び回り、“A Genre Study Of Black Male Death And Dying(黒人男性の「死んだ」と「死んでいる」の調査)”ではドラムがトライバルな響きにガラッと変わり、延々と警察無線がサンプリングされる。複数のパーカッションが入り乱れる瞬間はまさしく何かが起きた感じ。

 不協和音を連打するピアノにリードされた“Of Our Spiritual Strivings(私たちの精神的努力)”はザ・ポップ・グループをベース・ミュージックに変換したかのようであり、メロウなサックスとノイズで構成された“Black Industrial Complex - Automation Repress Revolution In The Process Of Production, And Intercontinental Missiles Represent A Revolution In The Process Of Warfare(黒い複合産業 - オートメイションは生産方法を劇的に変えることを抑止し、大陸間弾道ミサイルは戦争を進化させていく)”でようやく一息つける(つけないかな)。“Super Predator(他人を犠牲にして利益を得る者)”で再び強烈なスタッタリング・ドラムが復活し、“American Marxists Have Tended To Fall Into The Trap Of Thinking Of The Negroes As Negroes, i.​e. In Race Terms, When In Fact The Negroes Have Been And Are Today The Most Oppressed And Submerged Sections Of The Workers​.​.​.(アメリカのマルクス主義者たちは黒人のことを人種的タームとして考える罠に陥りやすく、実際に黒人たちはかつても、そして、いまも抑圧され、労働者としてどっぷり社会の底に沈められている)”ではストイックなドラミングに不穏なシンセサイザーの波が押しては返すスリリングな展開。ラストはアルバム全体の余韻を先取りするようにジェフ・ミルズのコード進行を思わせるクールな“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society(階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”。物悲しいサックスの響きはマッド・マイクのそれとはあまりに対照的。デトロイト・テクノの優美なメロディやパワフルな面しか見えていないフォロワーは思いっきり反省すべきだろう。

 深南部からニューヨークに出てきたというDBJは、以前は本人名義で実験音楽に多くの時間を割いてきた。どちらかというと活動はアート寄りで、2017年にスザンヌ・フィオール・キュレイトリアル・フェローシップの奨励を得るとMoMAの別館など様々な場所で作品を発表し、ヒートシックなどの名義で〈パン〉からリリースがあるスティーヴ・ウォーウィックとの共作「E-M」などですぐにも知名度を上げていく。DJなどではヒップホップやテクノを扱うこともあったDBJは、しかし、自分で作曲するとなるとフィールド・レコーディングや延々とスピーチを続けているものがメインで、昨年末に〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックとしてのデビュー作『Of Desire, Longing』もゴソゴソとしたドローンの変形サウンドが46分36秒にわたって持続するだけ。いわゆるダンス・ミュージックではまったくない(あ、安倍晋三の言い回しがうつった!)。『Black Nationalist Sonic Weaponry』の前哨戦となったのはケプラ(Kepla)とのコラボレイト・アルバム『The Wages Of Being Black Is Death』(19)で、控え目だけれど、パーカッション・サウンドが取り入れられ、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の青写真がここには確実に描かれている。言葉とサウンドの比重が逆転し、「メイク・テクノ・ブラック・アゲイン」を自らが実行に移した感じだろう。“Sunken Place in Reverse...a Cancelled Future, a Horizon of a Pipe Dream(逆さに沈没した場所……キャンセルされた未来、空想の地平線)”から『Black Nationalist Sonic Weaponry』まではあと一歩である。“Sophisticated Genocide - American Industrialized Culture is Designed to Flush Out Non-performing/Non-conforming Black Male Bodies(洗練された大量虐殺 - アメリカの産業文化は役に立たない黒人男性の肉体を追い出すようにつくられている)”で組み合わされたリズムとドローンのコンビネイションもDBJが助走段階に入っていることを告げ知らせている。さらに『Black Nationalist Sonic Weaponry』と2日違いでリリースされたDBJ名義『Further Expressions Of Hi-Tech Soul』は1時間に及ぶスタッタリング・ドラムにマッド・マイクを思わせる雄大なシンセサイザーがやや重々しく被せられていくスタイルで、彼の作品にしては言葉がまったく使用されず、この試みもまたテクノを新たな次元に持ち上げたものといえる。タイトルはマッド・マイクを意識したものではなく、耐久と適応を強いられてきた黒人の歴史とその肉体を表すものだという。

 シリアからオマール・スレイマンが飛び出し、ウクライナからヴァクラが頭角を現したように、紛争が起きることを察知して優れた音楽がその予兆を奏でることはままあることだろう。アメリカでブラックライヴズマターが再び拡大する直前、僕はピンク・シイフ(Pink Siifu)によるパンク・ラップにいささか慄いていた。ここまでアナーキーなヒップホップ・サウンドはそうそうない。しかし、録音時期から考えて、それをも上回る音楽的な爆発を起こしていたのはDBJだった。19日に配信が開始されたということは、各曲のタイトルはブラックライヴズマターを受けて考えられたものに違いない。厳密にいうとブラックライヴズマター以後につくられた最初の作品とは言えないだろうけれど、そのような時間的な境界線上にあったことを考えれば、『Black Nationalist Sonic Weaponry』をブラックライヴズマター後に現れた最初の音楽作品として考えてかまわないのではないだろうか。〈プラネット・ミュー〉からのステートメントは「(『Black Nationalist Sonic Weaponry』は)野蛮な新自由主義を超克し、白人のテクノ・ユートピアが描き出す架空の経済成長に負うことがない未来へと歩み出す作品だ」と結ばれている。また、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の収益はすべて「Black Emotional and Mental Health (BEAM) 」と「the Movement 4 Black Lives」に寄付される。

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野田努

デトロイト・テクノはアメリカのポップ・カルチャーから欠落し、反メディア的であるために、国のスキャン・システムから完全に抜け落ちてしまっている。(略)アメリカのメディア風景全体を補強しているエンパワーメントの論理からテクノは脱退する。それらすべての指令から逃れて可視化するために、あるいは人びとの声を聞くために、人びとの歴史を語るために。──コドウォ・エシュン『More Brilliant Than The Sun』(高橋勇人訳)

 娘がまだ幼稚園に通っていたとき、いっしょに近所を歩いていたら、自転車に乗った警官が2名ぼくたちの前を通り過ぎた。傍らにいた娘を見ると、思い切り敬礼している。「なにやってんだよ?」と訊くと「おまわりさんと仲良くなれれば、何かあったときに助けてくれるじゃん」と答えた。たしかにこの社会では最初、そう教えられるものである。おまわりさんはみんなを守ってくれると。
 その娘もいま11歳となって、アメリカで警官が黒人をとっちめている映像をいっしょに見ている。このリアルは、彼女が学校では教えられていないリアルだ。時間はかかるだろうが、これから彼女に“黒い物語”を話さなければならない。すなわち信じ込まされていた話が必ずも正しくはなかったということを。ブラックライヴズマターに若い白人が多いのは、彼ら・彼女らが子どもの頃に教えられたリアル(歴史、社会)が欺瞞的だったことに腹を立てているからだろう。

 「地球人を飼いならす平凡な視聴覚プログラムは、人びとの心を濁らせて人種間に壁を作る」とはかつての、30年前のデトロイトのURなるアーティストがレコードに印刷した言葉だが、時代が変わるときはいっきに変わるものだ。NYのスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)なる黒人青年は、いま、山頂で空気で肺をめいっぱい膨らませるかのようにデトロイト・テクノとフリー・ジャズを我が身に吸い込み、そして更新しようとしている。ディフォレスト・ブラウン・ジュニア(DeForrest Brown Jr.)名義でリリースしたアルバム『Further Expressions Of Hi-Tech Soul(ハイテック・ソウルのさらなる表現)』のアートワークは、エシュンの『More Brilliant Than The Sun』を読んでいる彼自身の姿である。そして、“Hi-Tech Soul”とはデリック・メイの造語であり、そのコンセプトの重要性をDBJは1週間前に出たばかりのスピーカー・ミュージック名義のアルバムに併せて作ったブックレット(フリーでDLできる)のなかで解説している。
 ブックレットにおいては、URの『インターステラー・フュージティヴ』のアルバムのアートワークが紹介され、そしてドレクシアの『ザ・クエスト』のCD版に掲載された奴隷貿易という西欧社会の歴史(学校では教えられることのない)が再掲されている。それがこれからスピーカー・ミュージック(DBJ)を聴こうとする人たちへのひとつヒントだが、しかし、彼のサウンドには、21世紀のフットワークやベース・ミュージックを通過した斬新なリズム──ディスコとは切り離されたエレクトロニック・アフリカン・パーカッション──がある。リズムは彼の武器だが、さらにフリー・ジャズのエッセンスを融合させ、そう、URの“ファイナル・フロンティア”を30年分のアップデートに成功させている。それが、スピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』の最後の曲、“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society (階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”だ。ちなみにニグロとは、黒人が主体的に自らを呼んだ言葉ではない、植民主義における白人が彼らをそう呼んだのであって、問題の根源は植民主義を生んでしまった思想なり文明なりにあると。
 スピーカー・ミュージックはサウンドの発展のさせ方もさることながら、コンセプトの研磨においても抜かりがない。今回の抗議運動は歴史的モニュメントの破壊にまでことが及んでいるが、ブラックライヴズターが反人種人差別にとどまらず、それ(=奴隷制度や植民主義)が黒人ではなく白人の歴史から来ていることを若い世代の白人が声を出していることに未来があるとは言えないだろうか。人びとの声は、DBJがブックレットの最初に引用したアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の1967年の言葉「我々はポスト・アメリカの形態を欲する」とリンクしている。そして、連帯(solidarity)を呼びかけているこの音楽は、パブリック・エナミー〜UR以来の、確信的なポリティカル・ブラック・ミュージックと言えよう。(彼はいま『黒いカウンター・カルチャーの結集』なる著書を準備中だとか)

 ディフォレスト・ブラウン・ジュニアは、革命前史として、サン・ラ、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、ミルフォード・グレイヴス、ノア・ハワード、クリフォード・ソーントンといったアーティストたちの作品をリストアップしている。そう、ジャズなのである。これら60年代末〜70年代前半のフリー・ジャズと90年代のデトロイト・テクノとの溝を埋めようというのがDBJの企みであろう。
 また、インスピレーションのひとつに状況主義にも影響を与えたフランスの思想家アンリ・ルフェーヴルの名も挙げているが、大それた固有名詞が並んでいるからといって、身構える必要はない。テクノは、音を感じるところからはじまる。まずは何よりも、ここにはサウンドの強度がある。能書きをすっ飛ばして聴いても充分にカッコいい。アーチー・シェップのアルバムのように。ただひとつだけ言いたいのは、世のなかには「いま聴かなくていつ聴くのよ」という音楽があり、これはまさにいま聴く音楽だ、ということ。世界が“黒い物語”を必要としているまさにいまこのときに、である。

Fools - ele-king

 リスナーを親しみやすく快適な世界に連れて行き、開放性と好奇心の深い感覚を維持しながら、発見されていない何かを探求する──レーベルからこんな風にセルフ・プロモーションされたらもう書くこともないのだが、2020年の奇妙な時期に、これほどポジティヴで好奇心を誘う作品がリリースされて耳に届いたことは幸運だった。
 部屋で音楽を楽しむしかないとき、アムステルダムの〈Music From Memory〉のカタログは、アンビエント、ニュー・エイジ、圧倒的熱量でしかなし得ない発掘音源、また、それに呼応するような新譜でもって、好奇心と共にぼくたちを甘美なサイケデリアに導いてくれた。グリズリー・ベアのドラマーであるクリストファー・ベアのソロ・プロジェクト『Fool's Harp Vol. 1』は、極まったホームリスニングと孤独のなかによく浸透してくれる、〈Music From Memory〉の新たなマスターピースに他ならない。

 2012年『Shields』のリリース後、メンバー感の距離をおいたというグリズリー・ベアが、2016年に再集合して、2017年にリリースした『Painted Ruins』は、インディ・ロックと呼ばれているなかでもっともリズムのエッジが効いた作品のひとつだった。絶対トニー・アレン好きでしょ、では済まされないアフロのロックへの取り込み方が絶妙で、例えば“Four Cypresses”は、アフロビート的リズムをエンジンにして、そこに集まってくるようなシンセとギターが相俟ってビルドアップしていくというアフロ的陶酔から、ロック的展開も忘れずにいきなり超ロックなフィルのあとちゃんとサビになだれ込んでいくあたり、プレイはもちろん曲の根幹にもアフロの要素がさりげなく入り込んでいて独特の質感を得ている。“Aquarian”のやたら長いアウトロもそれだけでアフロぽいが、8ビートでも気持ちよさそうなギターリフに対してアフロビート的ドラムが続くのも痛快。そもそも、このドラマーは、8ビートを叩かせてもリズムを把握する空間がめちゃくちゃ大きくて、気持ちいいしどこか変わっている。例えば、“Mourning Sound”では、それがよくわかる。再集合でのお互いのアイデアからはじまったものが、次なるアイデアで融解し、バンドサウンドを勝ち得ているかのようなロマンを感じて、そのリズムアイデアの発信にドラマーが関与していないわけもなく、また純粋にドラミングの魅力にも溢れていたので、そのとき強くクリストファー・ベアの名前を刻んだのだが、Foolsとしてさらに正体を暴いてくれた。

 2019年の夏に6週間の期間を設けて、各楽器を自分で録音して、そこに即興で音を重ねながら作った今作品は、アルバムというよりミックステープに近いという。「一連の楽器の探求を行い、直感に従い、何が形になるかを見ながら、一時的に別の世界に移動して音楽に関連性を感じさせる瞑想的で自己反映的な性質を発見していった」というようなことを自身のインスタグラムで見受けたが、素直に受け取ってよいほどに、孤独な作業に対してムードは重くなく、遠くで鳴っている音を、丁寧にたぐり寄せているかのようなサウンドスケープは、「発見されていない何か」に思えてくる。楽器探求のあり方としてこれほど刺激的なところもそうだし、アンビエント的でありながらリズムのもつ少し強引な力が生き生きと働いていて、リスナーを強要せずにスピーカーの前から離さないというところもあまり他の作品で出会わない魅力かもしれない。
 #1“Rintocco”のアンビエントらしい心地よい音の切れ間から、#2“Source”でコンガが登場してウーリッツァーと揺蕩うあたり、曲間までも機能しながら、たしかにリスナーを開放的な空間へ運んでくれるし、曲の後半で絶妙なところでドラムが登場する感覚は、たしかにミックステープのようでもある。あまり、ネタバレしても仕方ないのだが、その後も作品通してアンビエント的でありながら、ちょうどよいところでリズムがでてくる感じがニクい。#9“Thanks”は、アンビエントとクラブミュージックの親和性をどことなく感じられて、同じく〈Music From Memory〉からリリースされているJonny NashやKuniyukiさんと少し重なる部分もあった。7拍子が気持ちよい#11“Nnuunn”は、少しノンスタンダードぽさもあって親しみやすい。孤独のなかで作られたこの作品は孤独のなかにあって、親しみやすく、よく響く。
 タイトルにVol.1とあるだけに、Vol.2にも期待です。レコードの豊穣な音質を、贅沢に小さい音で聴きながら待ちましょう。

 ハローハローこちら Mars89。聞こえてるかな? 先月のコラムではマトリックス・ワールドの話の続きをするぞ! って予告をして、文章も書いてたんだけど、もっとしなきゃいけない話ができちゃったからその話をする。手記としては、いま書かなきゃいけないことを書く方が目的にかなってるしね。
 僕が今から話しかけるのは、僕と同じような人。それは、日本に住んでる日本人で、数世代遡ってみてもみんな日本人で、シスジェンダーでヘテロセクシャルの男。で、ちょっと頭とか目とか口が悪い程度で、だいたい健康に過ごしていて、夜には潜り込めるベッドがある。たぶんこの文章を読んでる人の多くはそんな感じだと思う。
 いろんな条件を書いてみたけど、これから一つでも外れると一気に生き辛くなるということを僕たちは知らない。想像するのが難しいと言った方が正確かもしれないね。僕は本名を名乗ることに恐怖心を覚えたこともなければ証明書や在留カードを持つ義務もない。入試で勝手に減点されたり、性的な嫌がらせを日常的に受けたりしないし、性別のせいで給料が安いのに、物件を選ぶときに防犯を気にして割高な物件を選ばなくてはいけないなんてこともない。自分が恋した相手の性別が興味の対象になることもなかった。君もそうでしょう? あらゆる人がこういう生き辛さを抱えている社会の中で僕たちは、そんなことを考えなくても済むという大きな特権を与えられているんだ。
 ここまで書けば、相当カンの悪い人でも僕がいま話そうとしているのが差別の話だと気がついていると思う。一週間ほど前に George Floyd 氏が警官によるヘイトクライムで殺された事件を機に、いま世界中で Black Lives Matter のアクションが活発化しているね。それを受けて、いまこの場所でいくつかの特権を持つ人間として、同じ側にいる君たちに向けてこの文章を書いている。(自戒も含めて)
 差別ってのはめちゃめちゃ最悪なことだという大前提は共有されているものとする。差別万歳! 何が悪いんだよ! って人は、とりあえず自分の心臓をえぐり出して食べるとか(よく噛んでね)、地面に頭を打ち付けるとか(あらかじめブルーシートを敷いておくといいよ)、しっかり勉強するとかして考えを改めてから出直してきてもらいたい。

 それでは本題に。
 僕は自民党議員の杉田水脈の「LGBTQは子供を作らないから生産性がない」という発言に抗議するために自民党本部前に集まったり、外国人差別に抗議するデモに参加したりしたんだけど、そのときに「ゲイなの?」とか「日本人でしょ?」という意見を目にしたんだよね。いわゆる「当事者でもないのに」ってやつ。この「当事者」という言葉をよく覚えておいてほしい。
 例えば、君が路上で通り魔にあったとする。そのとき、問題があるのは通り魔? それとも君? もちろん通り魔だよね。差別だってそう。問題があるのは差別される側じゃなくて、差別を生み出す社会の側。そう考えたときに、問題に向き合うべき「当事者」ってのは誰のことだろう? その社会を構成する一人一人じゃないかな?
 性善説とか性悪説の話じゃないんだけど、人は生まれながらにして差別意識を持っていると思う? 僕はNOだと思う。この社会のシステムが人に差別意識ってものを、少しずつ少しずつ刷り込んでいくんだと思ってる。で、そのシステムの中で僕たちには特権が与えられるんだけど、その特権には、そのシステムと戦うために使うって使い道もある。
 アメリカでの BLM 運動の中で、警官の前に立ちはだかった白人たちがいたよね。警官は相手が黒人だと容赦なく暴力をふるってきたが、白人(特に白人女性)が相手だと手を出しにくい。その特権を利用して自ら盾になったんだ。これが僕たちがやらなきゃいけないこと。フロントラインで差別主義者と戦うのも使い道の一つだし、差別されてる人たちの声や情報を拡散するのも一つ。他にも日常的に使えることがたくさんある。

 こういう問題を語るとき、マジョリティとマイノリティって書き方をするのが一般的な気がするけど、ここではあえてそう書かなかった。なぜなら文字通りの数の問題じゃなくて、力関係の問題だから。この社会のシステムは誰が誰のために作っているのか? 文字通りのマジョリティではないんだよね。それは、金を持ってるやつ、権力を持ってるやつ、いわゆる「勝ち組」みたいな、ほんの一握りの既得権益層。2011年の Occupy Wall Street で使われたスローガンは「We are the 99%」。上位1%の富裕層だけが蓄えを増やし続けていることへの抗議だった。そういう層が「自分たち側」のためにシステムを作っていて、その中には差別意識が染み込んでいる。ブリストルでは先日、奴隷の売買で財を成した Edward Colston の像が引き倒されて Avon 川に投げ込まれたよね。そして、その動きはUK中へと広まっているらしい。街や国への貢献から奴隷商を偉人として扱うのは、人を人と思わず、ただの商品として扱うことを当然のこととして、それで経済を発展させた社会のままの意識の上に成り立つ考え方だと思う。Netflix に『13th』という大変良いドキュメンタリー・フィルムがあるからぜひ見てほしい。合衆国憲法の修正13条が奴隷制度を隠して生きながらえさせる抜け穴だという内容だ。奴隷で財を成した者たちが、既得権益を失わないために作ったシステムと言えるよね。人を人と思わない奴が、それで財を成すってのは海の向こうに限った話じゃないんだよ。この過労死大国の日本は、まさにそういう人を人と思わない既得権益者たちによって、搾取の構造が内包されたシステムが作られているんだよね。竹中平蔵なんてまさに現代の奴隷商人だと思うよ。彼らは身分制度(見えにくくカモフラージュされてるけど、ここにもバッチリ存在してる)を固定化し再生産することで、自分たちの利益を守って、さらにブクブクと肥え太ろうとしている。親の収入と受けられる教育の相関関係、受けた教育と収入の相関関係なんかを調べてみるとわかりやすいかな。

 ちょっと話が散らかっちゃった気がするけど、今アメリカで BLM が抵抗しているのは差別なんだけど、それは社会の中にシステムとして組み込まれた差別で、ここ日本にも同様に抵抗しなくてはいけない差別とシステムが存在するってことが言いたかった。
 僕の大好きな曲、Smith & Mighty の “No Justice” のリリックにはこういう一節がある。

The reason why our lives they are so rough.
Because the system is unjust.
And the reason why the system is unjust.
Because it's not made for us.

 システムというものを少しでも具体的に見ることができたら、この曲の持つパワーも具体的に感じられると思う。

 これは「人類 vs 人を人と思わないクソ野郎」の戦いだし、社会のシステムそのものを問い直す動きだと思うんだ。僕たちは奴らが決めた「勝ち組」ではないけど、負けたつもりなんてないし、自分たちが持ってるものを使ってあらゆる方法で戦っていかなくてはいけない。人類のあらゆる権利や尊厳をかけた戦いだからね。

 とにかくできるだけ早く書かなきゃと思って急いでアイデアをまとめたから、ちょっと伝わりにくい箇所があるかもしれないけど、これが僕の今の文章力の限界だから許してほしい。間違いがあったらぜひ指摘してほしい。僕はまだまだ日々勉強中だし、分からないことがいっぱいある。この1週間だけでも多くのことを学んだ。みんなもきっとそうだと思う。少しずつでも学んで、知るということは前進するためにとても大事なことだと思う。

 次回こそは前回の続きを書きたいし、それまで大きな事件が起きないことを願って。
 The power to the people they must be released✊

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