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ジャースキン・フェンドリックスはなんと興味深い人なのだろう。格闘ゲームの『鉄拳』とおにぎりを愛し、怪談をテーマにした曲を作った男。ケンブリッジ大学出身で、そこで出会ったであろうデスクラッシュの ティエナン・バンクスと一緒に何年もふたりでバレンタイン・アルバムを作るような人間。そしてふたりしてフェイマスというカニエ・ウエストの曲から取られた世界一検索しにくい名前のバンドに参加する。フェイマスはブラック・カントリー・ニュー・ロードの1stアルバムのアート・ディレクションを担当したバート・プライスの舞台の劇伴を担当したが、この音楽を作った男こそジャースキン・フェンドリックスである。そして彼はまたバート・プライスが作ったブラック・カントリー・ニュー・ロードの “Track X” のビデオのなかでブラック・ミディとともに名前を出され唄われるのだ。
こうやってつらつらと経歴を書いているだけでも面白いのだけれど、なんと今度は映画のサウンドトラックを担当したのだという。本人のインスタグラムでこの発表を見たときは本当にびっくりした。まさかそこに繋がるのかと。担当する作品はヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』。インタヴューによると、2020年に〈UNTITLED (RECS)〉からリリースされたジャースキンの1stアルバム『Winterreise』をランティモスが気に入り21年の初めにメールで連絡してきたとのこと(ランティモスにとってもこれが初めての映画オリジナルの音楽だ)。とても驚いたし、おじけづいたとジャースキンは言うが、しかし『Winterreise』に収録された曲と映画のトレイラーでメイン・テーマ的に使われていた “I just hope She's Alright” を聞くと彼の音楽を求めた監督の意図がなんとなくわかるような気がしてくる。ジャースキン・フェンドリックスの音楽は美しくまっすぐに線が引かれた土台の上に、奇妙でユーモラスな違う場所からやってきた線を絡めるような作風で、まさにこの映画に通じるものがあるのだ。ピアノに大仰なエレクトロニクスを合わせた『Winterreise』に対してこのアルバムではオーケストラを使ってそれが表現されている。美しい旋律に不穏と恐れ、好奇心を刺激するような刺激と優しさが加えられ、いつだってふたつ以上の感情を誘発させる、ジャースキンの音楽はそこがなんとも魅力的だ。
『哀れなるものたち』は自殺した女性のお腹のなかにいた胎児の脳を死亡した母の体に移植して生き返らせるというグロテスクでいびつな設定を持ったいじらしく哀れにゆがんだ物語であり、異なったルールのなかで生きる主人公ベラの成長や変化を通しこの映画は語られる。周りの登場人物たちがベラのなかに自身の価値観や欲求を投影し心を悩まし、またそれを通し当たり前のように受け入れている社会のシステムを再び考えさせるような物語のなかでジャースキンの音楽は確かな存在感を発揮する。特に映画の冒頭においてそれは顕著で、セリフに頼ることなく演者の動きと音楽が一体となり状況と感情を描くようにしてシーンが次々に切り替えられていく。音楽を撮影の現場でも流したいという監督の意図のもと、ほとんどのシーンの前後で実際にスピーカーから曲を流し撮影に臨んだというエピソードが指し示すように、この映画においての音楽は背景美術とともにその場になくてはならないものだったのだろう。
そして同時にそれは映像のためだけの音楽ではないということも示している。撮影された映像にあわせ後から音楽をつけたものではなく、空間を作るものとしての音楽がある、だからこそこのアルバムだけでも十分に成立するのだ(実際に自分はこのアルバムを繰り返し聞いて、映画を見る前にすでにお気に入りのアルバムになっていた)。そういう意味でこれは『哀れなるものたち』の脚本にインスピレーションを受けたジャースキン・フェンドリックスのアルバムであるとも言えるのかもしれない。映画のもつテーマを反映させるために生の楽器の音を加工し、あるいは反対に電子楽器の音にフィルターをかけ奇妙な響きを持つサウンドを作り出そうとした、機械的に風が送りこまれるパイプオルガンやアコーディオンのような管楽器を、フルートやトランペットのような人が息を吹き込む楽器のように音を曲げ音程を上下させることで奇妙で不気味な感じを表現したかったとジャースキンは語るが、彼のその実験は “Bella”、“Bella and Max”、“Bella and Duncan”、“Duncan and Martha” など人の名前が冠された曲で結実する。
ランティモスにならい映画の原作となったアラスター・グレイの小説を読みながらアルバムの音楽を流したりもしたのだが、ジャースキン・フェンドリックスのこのサウンドトラックは風景やムードではなく、人を描いたものであるように自分には感じられた。そこにいる人間や、そこからいなくなった人間の存在を描き出す、何かが入り込める隙間がある音楽は、幾重にも重なった思惑交じりの視線から人間の像を浮かび上がらせる小説の雰囲気にもよくあっているようにも思えた。いずれにしてもジャースキンは人間の感情をとても大事にしている人なのだろう。寂しさと暖かさが同居する音楽にユーモアが加えられ、哀しみとおかしみの境界線を揺れ動くかのように、人の気配が積み重ねられていく。使われている楽器は違うが、1stアルバムに通じるエッセンスを持った、これは紛れもなくジャースキン・フェンドリックスの音楽だ。
80年代後半から90年代前半にかけ、ボアダムズや思い出波止場などで日本のオルタナティヴを切り拓いてきたギタリスト、山本精一。彼が「うた」にフォーカスした羅針盤のファースト・アルバム『らご』(97)がリイシューされる。なんと、初のアナログLP化だ。同時に、セカンド・アルバム『せいか』(98)も復刻される。
羅針盤といえばかつては、LABCRY(昨年なんと18年ぶりに復活!)、渚にてと共に「関西三大歌モノ・バンド」として絶大な支持を誇ったプロジェクトだ。山本精一のキャリアのなかでもっとも慈愛に満ちたバンドであり、日本のインディー・ポップ史にアコースティックな香りを添えた伝説的な存在。2005年にバンドは解散したものの、その後の山本精一&PLAYGROUNDをはじめとした「うた」を主としたプロジェクトに、その精神性はたしかに継承されている。
今回のリイシューは前述の通り『らご』『せいか』という初期作2枚になるが、「うた」路線の真骨頂である名盤『ソングライン』やミニマルなポスト・ロック的アプローチに接近していった後期の作品のヴァイナル化にも期待したい。歌心のある日本のアコースティックな音楽は、近年マヒトゥ・ザ・ピーポーやLampを筆頭に国外でも絶大な評価を獲得しつつある。アコースティックかつ音響的なサウンドの復権を夢見るばかりだ。デジタルな環境でのリスニングが一般化したいまこそ、ぜひレコードの柔らかな音像をゆっくり堪能してはいかがだろうか? とにかく、必携です。
まさに感動的な「うた」がここにある。普遍的なポップ・ミュージックの必要な要素がすべて織り込まれている永遠の名盤の呼び声高い羅針盤のアルバムが遂に初アナログLP化!!
97年にギューン・カセットからリリースされたアルバムを、スリーヴ・アートを変更し、同年、ワーナーから再発売されたファースト待望の初アナログ化!
冒頭の「永遠〈えいえん〉のうた」から、山本精一がこれまでに見せてきた表現とは遠く離れたポップ・ソングが並ぶ。
耳への心地よさと皮一枚下にはヒリヒリとした緊張感が漲っている。むしろ、その人懐こさゆえに、聴き手の弛緩した意識の奥深くに忍び込むような、そんな歌たち。
プロコル・ハルムの名盤『ソルティ・ドッグ』収録曲「巡礼者の道」のカヴァー、「HOWLING SUN」も収録。思えば"うたもの"という不思議な新造語も、山本精一が歌いはじめたことに対応して急設されたものだったと思い知らされる。

アーティスト:羅針盤
タイトル:らご
品番:PLP-8098
発売日:2024年6月19日
定価:¥4,387(税抜価格¥3,980)
レーベル:P-VINE REORDS
山本精一が歌うバンド、としての機能から更に深化した2枚目待望のアナログ化。話し言葉のように作為のない歌声が、歌そのものに同化。ポップ・ソングをある種の擬態とするなら、このアルバムは完璧にその役割を果たしている。目を凝らしても輪郭を捉えることなど出来ない。
かといって曖昧とは無縁。ビーチ・ボーイズへの偏愛を感じさせる「せいか」から、ネオ・アコと呼んでは失礼なフォーク・ソング「アコースティック」、ニューウェイヴな「クールダウン」とまるで山本精一のリスナーとしての遍歴を追っているようでもあり。10分近くの大曲「カラーズ」にはドラマもなく、クライマックスも訪れない。が、一度この歌に囚われたら最後、永久に頭の中で鳴り続ける。

アーティスト:羅針盤
タイトル:せいか
品番:PLP-8099
発売日:2024年6月19日
定価:¥4,387(税抜価格¥3,980)
レーベル:P-VINE REORDS
一年前のいまごろはまだマスクを装着するのが大多数にとっての日常だった。新型コロナウイルス感染症の5類への移行が今年の5月8日。もちろん、すでに2022年の時点でいろんなものがリスタートしていて状況は整いはじめていたし、ヨーロッパなどではもっと早くからそうなっていたわけだけれど、2023年は日本でも前年とは比較にならないほどたくさんのライヴやパーティ、フェスが催され、多くの人びとが外での興行を楽しんだのではないかと思う。パンデミックへの反動がこの列島でも本格的に爆発したのが2023年だったのではないだろうか。とくに若い世代のあいだでダンス熱が高まったことは記憶にとどめておきたい事象だ。
ということはしかし、じきそのカウンターも訪れるということにちがいない。それがどういったかたちになるのか予言することなど不可能ではあるものの、もしかしたら2024年は新たな音楽の波が押し寄せてくるかもしれない。ともあれこの「カウンター」という考え方は、なんでも「 “サブ” カル」扱いされる現代にあって、けっこう重要なんじゃないかと思う。
振り返れば今夏はひとつの出来事が起こったのだった。テイラー・スウィフトのヴァイナルにプレスミスがあり、まったくべつの音源が収録されていたのだ。かわりに盤に刻まれていたのはロンドンの〈Above Board Projects〉による90年代半ばのUK産エレクトロニック・ミュージックを集めたコンピ『Happy Land』。冒頭キャバレー・ヴォルテールを聴いたスウィフティーズのひとりは大いに戸惑い、事態をSNSに投稿、それを見たフォロワーが「呪われているから止めろ」と助言するにいたる。
なにもかもが並列化されフラットになり、そこに優劣はなく、各々がそれぞれの趣味を追求すればいい時代──そんなふうに言われるようになって久しいけれど、じつはそうではなかったということをこの事件はほのめかしている。多文化相対主義の行きつく果ては結局、市場で圧倒的な力を持っている「コンテンツ」を楽しむ感受性こそが正しいものとして、勝者として君臨する世界だった、と。でなければ「呪われている」なんて単語は出てこない。これは逆にいえば、まだ「呪われている」ことが有効でもあるということで、つまりオルタナティヴな世界を想像することはいまなおじゅうぶん可能だということではないだろうか。
つい先日90歳で亡くなったイタリアの哲学者はこんなことを言っている。
芸術は、価格に還元された単一性にさまざまな特異性からなるマルチチュードを対置するという意味において、反市場なんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』廣瀬純+榊原達哉+立木康介訳、月曜社、2007年、106頁)
専門用語があってよくわからないけれど、でもなんとなくわかる。市場の感受性に還元されない音楽だってありうるんだ、と。そんなわけでわれわれはオルタナティヴな音楽をサポートするメディアとしての役割を来年もしっかり果たしていきたい。2024年はどんな音楽と出会うことができるのか、いまから楽しみでならない。
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2023年、ele-king books は27冊の本を刊行している。協力してくださった多くの方々、購読してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。2024年もele-kingならびにele-king booksをよろしくお願いします。
それではみなさん、よいお年を。
快適さは怠惰という不幸な副産物をもたらす。ハイテクは、以前には手の届かなかったものを手にするアクセスへの入り口であり、また同時に、もはや現代人には関係ないと思われる過去の素晴らしい発明を略奪する。ターンテーブルはそのひとつだ。現在、どれだけのクラブにターンテーブルがあり、どれだけのDJがその使い方を知っているのだろうか? 手を挙げてください。
アーティストとしてのDJは、90年代の人びとにとっては馴染みある呼称だった。単なるビート・メーカーではない。さまざまな場面でアーティストが機材を酷使し、シンプルだが神秘的な機材から次の刺激的な音を求め永遠とスクラッチしているのを見るのは珍しいことではなかった。クレート・ディギング世代は法則に従って生きていたが、その法則のひとつは、法則など存在しないということだった。初期のDJ(dis)はこのこと(this)を知っていた。彼らは、ミキシングとスクラッチがマッドマックス的行為であって、多くの効果を生み出すことができるという可能性をわかっていた。ラップDJはオリジナルの科学者で、スクラッチDJは核爆発をうずまかせる物理学者だった。大友良英、クリスチャン・マークレー、DJ Q-bert、DJスプーキーなど、世界中の数多くのDJが針とレコードの西部のガンマンだった。しかしそれも、CDJの影で止まった。
マリアム・レザエイ(https://mariamrezaei.com/)はいま、廃墟と化したレコード・カルチャーのなかを孤独に歩いている。ミキシングとは、ただボタンを押すことだと思い込んでいるSDメモリーカードの怠け者DJたちに食われそうになっているのだ。しかしだからマリアムは、レコード科学者という埃まみれのマントを手にした英雄なのだ。だいたい一人でいることの喜びは、自分自身のサウンドを自分のものとして育てることができる。
甘美な香りを漂わせ、同好の士を惹きつけ、さらに成長するための庭とする。『Bown』はトリプティクスの一部であり、ユニークなサウンド・マニピュレーションだ。数曲を除くと、トレードマークのDJらしい音は聴き取れない。なので、誰がどの音を作ったのか推測するゲームとしても面白い。
学問の世界のように文脈が重要であるならば、楽器としてのターンテーブルが重要な意味を持つだろう。しかしながら、Youtubeでの扱いもない、あまりよくわかっていない新規リスナーにとっては、これといったDJサウンドが不在の本作の、音楽をありのまま享受することに繋がる。それはある意味幸運で、その多様な魅力を楽しむことができるのだ。
同じようなトラックはほとんどなく、コラボレーターがそれぞれのトラックに異なるテイストで触れる甘美な虹のような効果を生み出すのに一役買っている。ターンテーブルの美しさは、それを包み込むレコードとそれに続く操作によって輝く。この作品は、マリアムがソースを凌駕し、独自の技巧でそびえ立つ砂音の城を築くために到達した高みをもって印象的で、それはヴァイナル熟練者の豊かな成果なのでだ。
デトロイトが生んだ偉大なミュージシャンのひとり、アンプ・フィドラーことジョセフ・アンソニー・フィドラーの訃報が12月17日に届いた。1958年5月17日デトロイト生まれの享年65才。巨大なアフロ・ヘアとヒゲがトレードマークのキーボード奏者/シンガー/作曲家だが、2022年より原因不明の病に罹って闘病生活を送っており、地元デトロイトでは12月10日より治療費を賄うためのクラウド・ファンディングが開始されたばかりだったが、その矢先のことだった。
彼の訃報はジョージ・クリントン(Pファンク)やクエストラヴ(ザ・ルーツ)などのSNSで伝えられたのだが、誰もが知る著名なミュージシャンというわけではなく、ソロ・アーティストとして活躍するよりも、スタジオ・ミュージシャンとかバック・ミュージシャンといった仕事で力を発揮するタイプだった。デトロイトにはモータウンの昔からそうした裏方仕事をするミュージシャンが多くいたのだが、アンプも音楽仲間の間で評価の高いミュージシャンズ・ミュージシャンだったのだろう。カリブ海のセント・トーマス島出身の父親を持つ彼は、幼い頃からピアノを習い、オークランド大学とウェイン州立大学に入学してジャズ・ピアニトのハロルド・マッキニーに師事した。マッキニーと言えば〈トライブ〉の一員としてデトロイトのジャズ・シーンを支えた人物。同時に音楽教師や芸術会館での音楽監督なども務め、晩年は音楽教育に力を注いできた。そうした人からの教えを受け、アンプも自身が脚光を浴びるよりも、音楽シーンを支えることのほうに興味があったのかもしれない。
大学卒業後のアンプは、ドゥー・ワップ・グループのエンチャントメントのツアー・ミュージシャンを務めるなどしていたが、そうした中で彼の演奏の入ったテープがPファンクのキーボード奏者のバーニー・ウォレルの手に渡り、それを聴いたジョージ・クリントンが大いに気に入ったという。バーニーは丁度Pファンクを脱退するタイミングにあり、1984年にその後任としてアンプは招かれた。10年ほどPファンクの一員として活動する中、兄のバブズとミスター・フィドラーというグループも結成している。1990年にアルバムをリリースするも販売は芳しくなく、その後はセッション・ミュージシャンとして生計を立てていった。彼が関わったセッションやレコーディングには、プリンス、ワズ(ノット・ワズ)、ジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、フィッシュボーン、シール、ステファニー・マッケイ、コリーヌ・ベイリー・レイなどのミュージシャンが挙がるが、なかでもマックスウェルのデビュー・アルバム『アーバン・ハング・スイーツ』(1996年)への参加が名高いだろう。当時はマックスウェルのようなネオ・ソウルが出はじめた頃で、そうしたムーヴメントにアンプも関わっていたと言える。
アンプの関わったミュージシャンはソウルやファンク、ヒップホップからハウスやテクノと幅広く、例えばJディラやQティップ(ア・トライブ・コールド・クエスト)にサンプラーのアカイMPCの使い方を教えたのは彼だった。一方、ムーディーマン、セオ・パリッシュたちと共演し、アンプ・ドッグ・ナイト名義で “アイム・ドゥーイング・ファイン” (2002年)など、ハウスのレコードをムーディーマンの〈マホガニー・ミュージック〉からリリースしている。カール・クレイグの発案によるプロジェクトにも参加し、ジャズ、ソウル、ファンクなどが連なるデトロイトという街の音楽を表現した『ザ・デトロイト・エクスペリメント』(2002年)も発表した。また、〈ストラット〉のミュージシャンのセッション・シリーズとして知られる『インスピレーション・インフォメーション』の第一回を飾ったのは、アンプとスライ&ロビーだった。2010年代に入ってからは、ウィル・セッションズというデトロイトのジャズ・グループと何度か共演し、数枚のアルバムもリリースしている。アンプの人生にはあらゆる音楽が存在していたのだ。
長年の多彩な活動の割に、功名心がそれほど強くなかったのか、アンプのソロ名義の作品は多くはない。初めてのソロ・アルバム『ワルツ・オブ・ア・ゲットー・フライ』(2003年)がリリースされたのも、彼が43才のときだ。ジョージ・クリントン、Jディラ、ラファエル・サディーク、ジョン・アーノルドから兄のバブズまで参加したこの遅咲きのソロ・アルバムは、Pファンクでの経験を生かしたファンクやソウル・ナンバーから、ムーディーマンとのセッションから生まれたようなハウス・ナンバーの “スーパーフィシャル”、そしてジャズ、ヒップホップ、R&Bと彼が通過してきた良質な音楽のエッセンスが詰まった素晴らしいものだ。なかでも個人的にもっとも好きなナンバーはゴスペルの影響を感じさせる “アイ・ビリーヴ・イン・ユー”。女性コーラスをバックにピアノの弾き語りで切々と歌う曲で、スライ・ストーンを思わせる枯れた歌声がとても染みる。彼のミュージシャンシップや人となりがダイレクトに伝わってくる楽曲だ。
なお、生前にレッド・ブルでおこなわれたアンプの講義が、彼の人生やキャリア、音楽観などを伝えてくれるインタヴューとなっているので、興味のある方は読んでみるといいだろう。
Amp Fiddler | Red Bull Music Academy
