Home > Reviews > Album Reviews > Mariam Rezaei- Bown
快適さは怠惰という不幸な副産物をもたらす。ハイテクは、以前には手の届かなかったものを手にするアクセスへの入り口であり、また同時に、もはや現代人には関係ないと思われる過去の素晴らしい発明を略奪する。ターンテーブルはそのひとつだ。現在、どれだけのクラブにターンテーブルがあり、どれだけのDJがその使い方を知っているのだろうか? 手を挙げてください。
アーティストとしてのDJは、90年代の人びとにとっては馴染みある呼称だった。単なるビート・メーカーではない。さまざまな場面でアーティストが機材を酷使し、シンプルだが神秘的な機材から次の刺激的な音を求め永遠とスクラッチしているのを見るのは珍しいことではなかった。クレート・ディギング世代は法則に従って生きていたが、その法則のひとつは、法則など存在しないということだった。初期のDJ(dis)はこのこと(this)を知っていた。彼らは、ミキシングとスクラッチがマッドマックス的行為であって、多くの効果を生み出すことができるという可能性をわかっていた。ラップDJはオリジナルの科学者で、スクラッチDJは核爆発をうずまかせる物理学者だった。大友良英、クリスチャン・マークレー、DJ Q-bert、DJスプーキーなど、世界中の数多くのDJが針とレコードの西部のガンマンだった。しかしそれも、CDJの影で止まった。
マリアム・レザエイ(https://mariamrezaei.com/)はいま、廃墟と化したレコード・カルチャーのなかを孤独に歩いている。ミキシングとは、ただボタンを押すことだと思い込んでいるSDメモリーカードの怠け者DJたちに食われそうになっているのだ。しかしだからマリアムは、レコード科学者という埃まみれのマントを手にした英雄なのだ。だいたい一人でいることの喜びは、自分自身のサウンドを自分のものとして育てることができる。
甘美な香りを漂わせ、同好の士を惹きつけ、さらに成長するための庭とする。『Bown』はトリプティクスの一部であり、ユニークなサウンド・マニピュレーションだ。数曲を除くと、トレードマークのDJらしい音は聴き取れない。なので、誰がどの音を作ったのか推測するゲームとしても面白い。
学問の世界のように文脈が重要であるならば、楽器としてのターンテーブルが重要な意味を持つだろう。しかしながら、Youtubeでの扱いもない、あまりよくわかっていない新規リスナーにとっては、これといったDJサウンドが不在の本作の、音楽をありのまま享受することに繋がる。それはある意味幸運で、その多様な魅力を楽しむことができるのだ。
同じようなトラックはほとんどなく、コラボレーターがそれぞれのトラックに異なるテイストで触れる甘美な虹のような効果を生み出すのに一役買っている。ターンテーブルの美しさは、それを包み込むレコードとそれに続く操作によって輝く。この作品は、マリアムがソースを凌駕し、独自の技巧でそびえ立つ砂音の城を築くために到達した高みをもって印象的で、それはヴァイナル熟練者の豊かな成果なのでだ。
文 緊那羅:デジラ