「Lea Lea」と一致するもの

AJ Tracey - ele-king

 「グライムの次世代」からオールラウンダーMCへ

 2014年以降のグライム“リヴァイヴァル” のなかで、SNSやインターネット・ラジオでは次世代のグライムMCが頭角を現してきた。ストームジーノヴェリストといった才能とともに注目を集めてきたのがエージェー・トレーシー(AJ Tracey)だ。2012年よりビッグ・ズー、ジェイ・アモらとクルーMTP(My Team Paid)を組み、ヒップホップやグライムのミックステープをリリースする一方、ソロ名義で2015年にリリースした2枚のEP「The Front」「Alex Moran」はグライム・シーンを釘付けにした。

初期のキャリアを決定づけたヒットチューン :
AJ Tracey - Naila

 その後2016年~2017年にはEP「Lil Tracey」「Secure the Bag!」でトラップ色の強いメロディックなトラックにも自在に乗りこなす幅を見せ、昨年にはUSのヒットメイカー、バウワー(Baauer)とのコラボレーションを実現。「AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)」では、ミドルテンポのアフロビーツを乗りこなし大ヒット、夏のアンセムとしてYoutubeだけで2000万回以上の再生回数を記録した。

AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)

 数多くの客演やコラボレーションを経て、2019年2月、子ヤギを抱えたジャケットでリリースさえたデビューアルバム「AJ Tracey」は、G.O.A.T (greatest of all time)であることを証明するようにその才能を存分に発揮している。彼がが他のMCと一線を画してきたのは、トラップ、アフロビーツに対応する柔軟なフローと、「グライムMC」であることに囚われないトピックの幅である。
 とくに今作に収録されている“Wifey Riddim”は彼のパーソナリティを示している。自分の元カノやWifey(妻のように真剣な関係な彼女のこと)とのトピックを扱ったこのシリーズは、彼のスピットする本人の経験談、ストーリーが魅力となっている。

  ロンドン、西ロンドン、キングスロード近くのチェルシー
  彼女はエリアの郵便番号に興味もないし、
  彼女が住んでる郵便番号なんて知りもしない
  エセックスの双子は知ってるけど、
  俺のことを求めすぎて無理になった
  言っておくが、俺はそういう人はwifeしない

   Yo, I've got this ting from London West London,
    Chelsea, near Kings Road
   She don't care about my area code
   She's about like she ain't aware of the road
   And I know twins from Essex
   But one of them wants me bad,
   I might dead it
   I don't wife these tings, I'll stress it

“Wifey Riddm” (EP『The Front』より)

 本作に収録されている“Wifey Riddim 3”でも、彼の女性に対する考え方や女性遍歴がスムーズなラップに載せて披露されている。

 これは“Wifey” Pt.3 、
 俺のグッチは「盲目的な愛」って言ってるけど見えないな
 きみは俺のWifeyにはなれないけど、ジーンズを脱いだ姿が見たいな
 これは“Wifey”Pt.3 、俺の携帯を鳴らしまくっても、
 おれは「読む」にしたままだ*
 友だちとはもう終わりだぜ、
 俺はプレイボーイ、いろんなシーンから女の子をゲットする

 *スマホの通知欄にあるメッセージを開かないという意味

 It's "Wifey" part three My Gucci says,
  "Blind for love," I can’t see, yeah
 My girl, you can't be
 But I wanna see you up and out of them jeans, yeah
 It's "Wifey" part three If you’re blowin' up my phone,
 I'll leave you on "Read," yeah
 I'm done with them fiends (Uh)
 I'm a playboy, babe, got girl from all scenes, yeah (Ayy, ayy)
   

“Wifey Riddim 3”

 こうしたトピックを披露するのは、男性らしさ、ハードコアさ、バトル性を追求することの多いUKラップ・シーンにおいて異色だ。比較的スラングの少なくわかりやすい言葉選びとメロディックなセンスは彼の音楽性を高めているが、さらに彼の見た目の醸し出す雰囲気には、父親がトリニダード出身であるというミックスルーツも関係しているかもしれない。彼自身、しばし南国のロケーションでミュージック・ヴィデオを撮影しているが、その姿には見応えがあって白々しく見えない。
 そして最近のラッパーと同じように、プラダやグッチ、バレンシアガ、フェンディといったラグジュアリー・ブランド、またヴィー・ロン(V LONE)やオフホワイト(Off-White)といったUSのストリート・ブランドを言及しているが、そうしたブランド名には引っ張られない存在感を放っている。

AJ Tracey - LO(V/S)ER

 アルバム前半をアフロビーツのミドルテンポな曲が占めるのに対して、アルバム後半にはハードで聴き応えのあるグライムトラックやクラブ映えするトラックが収録されている。
 とくにギグス(Giggs)を客演に迎えた“Nothing But Net”には耳を奪われた。

 奴らはフローについてペラペラ話してるけど
 俺が一番バッドで一番マッド、
 そういうラッパーは俺のつま先に及ばない
 キルしてカマす、あいつらは後ろに下がっとけ
 ラップしまくって、祈ってるって、
 お前は(自分のお葬式の)手向けの薔薇でも用意しときな

 Niggas chattin' and braggin' about flows (Uh?)
 I'm the baddest and maddest, I got these rappers on toes (Woah)
 Killin' and spillin', I hope these brothers lay low
 'Cause I'm sprayin' and prayin', you're gonna have to lay rose (Lay low)

AJ Tracey & Giggs“Nothing But Net”

 高速フローとそれをまったく無理なくはめ込む技量、さらに内容も自分のラップスキルについてラップしながらそのスキルを見せつけるという部分で非常にウィットに富んでいる。客演のギグスに対してもまったく引けを取っていない。  自分の出身地をタイトルにした“Ladbroke Grove”ではUKガラージ・スタイルのトラックのうえを往年のガラージMCスタイルでラップ、コーラスに参加しているJorja Smithのヴォーカルも素晴らしい。

 アフロビーツからクラブ・トラックまで、本作を手がけているトラックメイカーの人選も興味深い。以前UKラップ・プロデューサー特集で取り上げたナイジ(Nyge)やADP、スティール・バングルス(Steel Banglez)、カデンザ(Cadenza)といったUKラップのヒットメイカー、さらにリル・ウジ・バード(Lil Uzi Vert)を手がけてきたマーリー・ロー(Maaly Raw)、アップカミングなMCでもあるマリック・ナインティファイブ(Malik Ninety Five)、グライムのヒット曲をプロデュースしてきたサー・スパイロ(Sir Spyro)、スウェフタ・ビーター(Swifta Beater)、さらにUKガラージのDJ/プロデューサーとして知られるコンダクタ(Conducta)らが参加。幅を持ちつつもバランス感のある人選に彼の賢さが光る。

 前半ではトレンドのアフロビーツを自在に乗りこなし、後半ではグライム、トラップ、UKガラージといったUKクラブ・ミュージックをアップデートする。AJ Traceyのデビュー・アルバムはオールラウンドな才能が存分に発揮した作品となっている。

The Matthew Herbert Big Band - ele-king

 やはり、きました。2016年の国民投票の結果を受け、ブレグジットに抗議するビッグ・バンドを編成し、各地をツアーしていたマシュー・ハーバート。日本にもおよそ1年前に来日し、ブルーノートで素晴らしいライヴを披露してくれましたが、そのビッグ・バンド名義でのアルバムがついにリリースされます。同作にはEU加盟国出身のミュージシャンが1000人以上(!)も参加しているそうで、さらにはアート・リンゼイの名も。発売日は、イギリスがEUを離脱する3月29日。これまでもさまざまなコンセプトにもとづいて作品を発表してきたハーバートですが、はたして今回、彼はイギリスのEU離脱にたいしどのような試みで対峙しているのか──楽しみです。

The Matthew Herbert Big Band
『The State Between Us』
(ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド/ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
2019.3.29 (金) 発売

★鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11年振りとなるアルバムをリリース!!
★今回のコンセプトはイギリスのEU脱退に対する抗議! EU全加盟国のミュージシャン、アーティストとのコラボレート・アルバム! 発売日はEU脱退日=2019年3月29日!
★アート・リンゼイ、マルチ・インストルメンタル・プレイヤーであるメルツ、ラヘル・デビビ・デッサレーニ、パトリック・クラーク、ソロ・インストルメンタリストであるエンリコ・ラヴァ、ヴァイロン・ウォーレン、シェイラ・モーリス・グレイ、ナサニエル・クロスら総勢1000名以上のEU加盟国出身のミュージシャンが参加。更に劇作家キャリル・チャーチル、18世紀の英国詩人パーシー・ビッシュ・シェリー、16世紀の詩人ジョン・ダン、更にイギリス独立党の政治家らの言葉が歌詞に仕様されている。今作アートワークにはベルギー出身のフォトグラファー、エヴァ・ヴァーマンデルの写真を基に芸術家サラ・ホッパーがアートワークを制作した。

不動の人気・支持を誇るダンス・ミュージック/サンプリング界の鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11 年振りとなるアルバムをリリースする。ハーバートは作品毎に設定するコンセプトを基にアルバムを制作しファンを魅了してきた。本作はイギリスのEU 脱退に対して抗議する為に、EU全加盟国のミュージシャン、アーティスト達とのコラボレートで制作された。ハーバートはEU脱退がイギリスの国民投票で決定した後、イギリス、ヨーロッパ、日本をビッグ・バンド編成でツアーしプロジェクトの締めくくりとして本アルバムをEU脱退の日=2019年3月29日にリリースする。

artist: The Matthew Herbert Big Band (ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド)
title: The State Between Us (ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
label: Accidental / Hostess
format: 2CD
cat no: HSU-10288/9
pos: 4582214518947
発売日: 2019/3/29 (金) 世界同時発売
定価: 2,590円+税
■ボーナストラック、歌詞対訳、ライナーノーツ付(予定)

【TRACKLIST】
01. A Devotion Upon Emergent Occasions
02. Fiesta
03. You're Welcome Here
04. Run It Down
05. The Tower
06. An A-Z Of Endangered Animals
07. Reisezehrung
08. Moonlight Serenade
09. Be Still
10. The Words
11. The Special Relationship
12. Where's Home
13. Fish And Chips
14. Backstop (Newbury to Strabane)
15. Feedback
16. Women Of England

https://hostess.co.jp/releases/2019/03/HSU-10288-89.html

【バイオグラフィー】
1972年、BBCの録音技師だった父親のもとに生まれる。幼児期からピアノとヴァイオリンを学ぶ。エクセター大学で演劇を専攻したのち、1995年に Wishmountain 名義で音楽活動をスタートさせる。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット、レディオボーイ、本名のマシュー・ハーバートなど様々な名義を使い分け、次々に作品を発表。彼の作品はミニマル・ハウスからミュジーク・コンクレート、社会・政治色の強いプロテスト・ポップに至るまでジャンル、内容を越え多岐に亘っている。また、プロデューサーとしても、ビョーク、REM、ジョン・ケイル、ヨーコ・オノ、セルジュ・ゲンズブール等のアーティストのプロデュースおよびリミックスを手掛けている。2010年、本名であるマシュー・ハーバート名義で「ONE」シリーズ3作品(ワン・ワン、ワン・クラブ、ワン・ピッグ)をリリース。2014年には4曲収録EPを3作品連続でリリースしている。そして2015年に『ザ・シェイクス』を発表し HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER で来日公演を行う。2016 年、アルバム『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』を発表。2016&2017年に開催した HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER ではレジデントDJとして2年連続出演、更に2017年にビッグ・バンドとしてモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン、ブルーノート・トウキョウ(単独2日間)での来日公演を行った。

お詫びと訂正 - ele-king

 2月5日にアップした、沢井陽子のコラム「Random Access N.Y./vol.110 史上最悪のスーパーボウル騒動」にて、複数の読者からいくつかの間違いの指摘がありました。
 事実誤認と誤解を招く表現があったことをここに深くお詫び申し上げます。
 筆者に確認したうえで、以下の3点について訂正させていただきます。

①ハーフタイムのショウは伝統的にノーギャラなので、カーディBが膨大なギャラを蹴った、というのは何がソースか、という点。

 カーディーBの件は、筆者が「たくさんのお金を犠牲にしてショーをやる」という話を「ギャラを蹴る」というふうに読み間違えてしまったとのことでした。

“I got to sacrifice a lot of money to perform. But there’s a man who sacrificed his job for us, so we got to stand behind him.”
私は演奏するためにたくさんのお金を犠牲にしないといけない。でも、私たちのために、自分の仕事を犠牲にしている人もいるから彼(コリン・キャパニック)を支持するべき。

https://www.apnews.com/8b5d8a59de03402c948b1b0341cb8615

②トム・ブラディ選手がトランプ支持者という点(つながりはあるらしいが、公に支持を表明しているのか)

 公にはしていませんが、NYの筆者のまわりでは、支持者だ思っているひとは少なくないようです。トランプとは友だち(https://www.thedailybeast.com/inside-tom-brady-and-donald-trumps-14-year-bromance)なのでサポートする、という話らしいのですが。

Brady backed off a little when his wife clearly told him to, said that he didn’t actually have political opinions at all, that actually he was “a positive person,” and that Trump was just his friend he supported because he always supports his friends, even if he did think it would be cool if he won.
トム・ブラディの妻は「トムは政治的な意見はまったくなく、ポジティヴな人で、トランプは彼の友だちだったから、彼が勝ったら良いねと支持するの」と言う。

https://www.thedailybeast.com/tom-bradys-new-england-patriots-are-team-maga-whether-they-like-it-or-not?ref=scroll

③30年以上前からあるのに、「ビヨンセ以来スーパーボウルがアメリカでもっとも注目されるショウになった」という点

 こちらは筆者の個人的な見解です。なので、「ビヨンセ以来、私のなかではスーパーボウルはがアメリカでもっとも重要なショウになった」と表現すべきでした。

 以上です。記事のほうは、修正させていただいております。申し訳ございませんでした。

編集部・野田努

マデイラディグ実験音楽フェスティヴァル - ele-king

「あんなに楽しいフェスは経験したことがなかった。だからフェスが嫌いなひとのために、自分でもやってみようと思ったんだ」

 ポルトガルのマデイラ島で開催されている、マデイラディグ実験音楽フェスティヴァルのオーガナイズ・リーダーであるマイケル・ローゼンは、大西洋を見晴らす崖に面したホテルのバーのバルコニーに座っている。雨と汗と泥にまみれた、よくあるフェスの体験からは数百マイルも隔たった雰囲気がそこにはある。というかその雰囲気は、ほかのどんな場所にも似ていないものだ。
 フェスの来場者の大半が滞在する小さな町ポンタ・ド・ソルは、高く深い谷の上に位置している。フェスの運営を取り仕切るメインとなる中継地点であるホテル、エスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルはとくに素晴らしく、まるで崖沿いを切りだしたようにして作られていて、海に沿った通りからはただ、崖の岩肌を上に向かってホテルへと至る、すっきりとした作りのコンクリート製のエレヴェーターだけが見えている。

 エスタラージェンでのアフター・パーティーや毎晩行われるライヴはあるが、フェスのメインとなるプログラムは、ホテルから車ですこし移動したところにあるアート・センターで行われる、午後の二つのショーのみである。

 ローゼンは次のように述べている。「毎日たくさんのパフォーマンスが行われるフェスが好きじゃないんだ。テントを張って、雨が降って、人混みに囲まれてっていうやつがね。僕らが借りている会場のキャパは200人くらいで、それがちょうどホテルが受けいれられる上限でもあるから、そのくらいが集客の上限なんだよ」

 フェスは金曜の夜、ポルトガルのサウンド・アーティスト、ルイ・P・アンドラーデ&アイレス[Rui P. Andrade & Aires]によるアンビエント・セットとともに開幕し、アナーキーで混沌としたフィンランドのデュオ、アムネジア・スキャナー[Amnesia Scanner]によるデス・ディスコがそれに続く。マデイラディグのプログラムはみな、多くの人が実験音楽と理解しているものの元にゆるやかに収まる音楽ばかりなわけだが、主催者側がはっきりと意図して普通とは異なったアプローチを見せているこの組みあわせ方によって、2組のアーティストのあいだにある違いが強調されることになっている。


アナ・ダ・シルヴァとフュー

 日曜日の夜は、不気味さや打楽器のような調子や、美しさや激しさのあいだで移り変わっていく自らの演奏から生みだされるループによって音楽を構築する、ポーランドのチェリスト、レジーナ[Resina]の演奏とともに始まる。彼女の演奏は、つねに変化するアニメーションによるコラージュや、戦争の映像、自然や文明や、コミュニケーションやテクノロジーといったものの相互の関係を映しだすヴィデオの上映を背景して行われる。コミュニケーションというテーマは、より遊び心に満ちたものとして、ただ一つのテーブル・ランプに照らしだされた多くの電子機材を前に演奏される、アナ・ダ・シルヴァ[Ana da Silva]とフュー[Phew]による、めまぐるしい展開によって方向感覚を狂わせるようなライヴのなかでも取りあげられている。参加したアーティストのなかで、フェスの開催日に到着したフューはもっとも遠くからやってきている人物だが、その一方でダ・シルヴァは、生まれ育った島に戻ってくるかたちとなっている。2人のアーティストのあいだにあるこのコントラストは、それぞれの言語を使い、ひとつひとつの言葉にたいし、ユニークかつときに不協和音的な解釈を与えている彼女たちのパフォーマンスそのもののなかにも、はっきりとその姿を見せているものだ。演奏のある地点で彼女たちは、曲間のおしゃべりの一部分を取りあげてループさせ、それをパフォーマンスのなかに組みこむことで、ライヴのもつ遊び心に満ちた親密な性格を強調している。

 ローゼンは、そうした彼女たちのライヴを生む根底にある自身の哲学を次のように説明している。「普通では一緒に見ることのないような二組のアーティストに同じ舞台に上がってもらうんだ。まったく異なっているように見えながら、だけど質の部分で繋がっているアーティストにね」

 こうしたアプローチは、ドイツのクラブ「キエツザロン」[Kiezsalon]で彼がオーガナイズしているイヴェントにも見られるもので、マデイラディグについて理解するためには、多少ベルリンのことについて触れておく必要がある。というのも、ローゼン以外のオーガナイザーだけではなく、オーディエンスの大半もその街からやってきているからだ。

 ローゼンはベルリンのシーンを退屈でバラバラなままの状態だと述べている。いわくそこには、すでに存在しているオーディエンスに媚びたありきたりなイヴェントばかりがあり、結果として、シーンやジャンルを分断する区別を強化することになっているのだという。オーストリアを拠点にしたスロバニアのミュージシャンであるマヤ・オソイニク[Maja Osojnik]もやはりこの点を繰りかえし、彼女が暮らしているウィーンも同じように、まれに土着的な「ヴィーナーリート」[Wienerlied]という民謡の一種がジャンルを横断した影響を見せているくらいで、パンクがあり実験的な音楽があるというかたちで、内部での音楽シーンの分断という状況にあると述べている。東京のインディーでアンダーグラウンドなシーンのなかに深くかかわっている人たちもきっと、すぐに同じような状況に思いあたることだろう。


マヤ・オソイニク

 マヤ・オソイニクは、パリを拠点としたカナダのミュージシャンであるエリック・シュノー[Eric Chenaux]による、キャプテン・ビーフハートの経由したニック・ドレイクといった雰囲気のジャズ・フォークの後に続いて、金曜日の夜の最後に出演した。シュノーの演奏が、いったん心地よく美しく伝統的な音楽的発想を取りあげ、それをさまざまなかたちで逸脱させていくことによって特徴づけられるものであるのにたいし、オソイニクの音楽は、不協和音の生みだすことを恐れることなくさまざまな要素を重ねていき、そのすべてが、彼女がときに「ディストピア的な日記」と呼ぶ、音によるひとつの物語をかたちづくるものにしている。全体の雰囲気や演奏に通底する低音やパルス音は、催眠的でインダストリアルな高まりを見せ、オソイニクのヴォーカルは、豊かな抑揚をもった中世の歌曲からポストパンクの熱を帯びた怒りまで、自在に変化していくものとなっている。


エリック・シュノー

 後に彼女と話したさいオソイニクは、同時代の音楽からの影響ももちろんあるが、古典的な音楽教育を受けてきのだという事実を明かしてくれた。一三〇〇年代にフランスのアヴィニオンに捕囚されていた教皇たちのためだけに作曲された、あまり知られていない音楽に興味があるのだと、興奮気味に彼女はいう。自身が受けてきた折衷的で渦を巻くような影響にかんして彼女は、次のように述べている。「いろんな音楽をアカデミックに学んでみた結果、そこには多くの並行性があることに気づいたんです。たしかに規則は違うし、アプローチも違う、根底にある美学も違っていますが、同じ鼓動が感じられるときがあるんです」

 シュノーとオソイニクが共有しているのは、二組のライヴがともにどこかで、人間は複雑で、つねに仲良く議論しているわけではないのだという事実を感じさせるものだという点にある。したがってオーディエンスにたいするメッセージは、オソイニクがいうとおり、「目を覚ますこと。受けとるだけでいるのをやめて、探すことをはじめること」にあるのだといえる。

 マデイラディグは、多くの点で伝統的な音楽フェスと異なるものとなっているわけだが、一方でそれは、参加する者たちのなかに普通とは異なる現実を創造するというその一点において、真の意味で伝統的なフェスティヴァルといえるものとなっている。フェスの初日の時点では、どこか気後れしたような初参加者と毎年参加しているヴェテランのあいだに目に見えるはっきりとした違いがあったが、フェスのオーガナイズの仕方によって、そこにはすぐに、その場にいる人間たちによる共同体の感覚が育まれることとなっていた。イベントの後の食事やエスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルでのアフター・パーティーは、交流の機会となり、毎回あるメイン会場への車での移動が、参加者をひとつにすることを促している。日中に辺りの自然のなかや最寄りの大きな町であるファンシャルへ旅することは二重の意味をもっていて、参加者がひとつのグループとして絆を深める機会となっていると同時に、イヴェントの会場でもあるホテルの盛りあがりからの息抜きとしても機能している。

 またマデイラ島は並外れて美しい島であると同時に、不思議なことにどこかで日本に似たところもある場所だといえる。通りに沿ってその島を旅していると、山がちな景色が必然的にトンネルのなかを多く通ることを強いてくるわけだが、気がつけばやがて古い通りに出て、島がその本当の姿を見せてくる。そこには雲を突きぬけ緑で覆われた、ぐっと力強く迫りだしている火山の多い地形があり、谷に沿って並ぶ家々や急な勾配に沿った畑があり、浅くコンクリートで舗装されれ、海まで続く川が見られる。海を見張らしながら、古い時代の商人たちが登った道のひとつを登っていたとき、ポルトガルの現地スタッフのひとりが、「この景色を見るためには、ここまで登ってこなきゃいけないんですよ」と述べていた。

 美しさを見いだすためには努力が必要だというこの発想は、風景についてだけではなく、音楽についても当てはまるものだろう。フェスの最終日は、カナダのアーティストであるジェシカ・モス[Jessica Moss]による繊細で複雑なヴァイオリンの演奏とともに始まる。彼女はマデイラディグに参加する多くのアーティスト同様、ループによってレイヤーを生みだし、自らの音楽のなかにテクスチャーとパターン(そしてパターン内部におけるパターン)を作りだしている。その後に続くのは、デンマークのデュオであるダミアン・ドゥブロヴニク[Damien Dubrovnik]によるハーシュ・ノイズの荒々しい音である。彼らはまるでモルモン教徒の制服のモデルのような出で立ちでステージに上がり、会場を音による恐怖で連打していく。


ダミアン・ドゥブロヴニク

 マデイラディグは間違いなく、オーディエンスにたいし、このフェスがステージ上で生みだそうとする美のために協力するように求めているのだといえるが、一般的にいって実験音楽にかんするイヴェントや、とくに遠方からの参加を前提とした特殊なフェスには、参加を阻む誤った種類の障害を設けてしまうという危険性が存在しているものである。すぐに思い当たることだが、日本で行われる同様のイベントは、全員ではないにしろ、多くの熱心なファンには厳しい金額が参加費として設定されているし、結果としてそのことが、音楽シーンの断片化を助長し、多くの地方都市における文化の空洞化に繋がることとなってしまっている。
 マデイラディグの参加費は目をみはるほど安い(チケットの料金は4日間で8000円ほどであり、ホテルの価格も納得のいく範囲に維持されている)。だがいずれにしてもそれは、もっぱら市場の情けによって生き残っているだけであるヨーロッパのアートを手助けしている、ファウンディング・モデルなしには機能しなかったものだといえるだろう。ローゼンはこうした状況を自覚したうえで、それでもやはり、難解で聞きなれないような音楽を集めるイヴェントは、可能なかぎりアクセスしやすいものではくてはならないという点にこだわる。

 「音楽にかかわりのないような人にも届いてほしいと思っているんだ」。「ホテルの予約間違い」でフェスを知り、結果として、いまでは毎年参加しているベルギーのカップルの話をしながら、ローゼンはそんなふうにいう。

 「文化を近づきやすいものにしたい。これは音楽だけじゃなく、文学でも哲学でも何でもそうであるべきだと思う。誰もが参加できるファンドによるフェス、政府から資金を引きだすフェスというかたちで、僕はそれを立証しているんだよ」

https://digitalinberlin.eu/program2018/

Madeiradig experimental music festival
November 30 (Fri) to December 3 (Mon)

by Ian F. Martin

“I've never been a fan of festivals, so I wanted to make one for people who don't like festivals.”

Michael Rosen, the lead organiser of the Madeiradig experimental music festival on the Portuguese island of Madeira, is sitting on the balcony of a hotel bar, situated on a cliffside overlooking the Atlantic Ocean. It feels a million miles from a typical festival experience, drenched in a cocktail of rain, sweat and mud. It feels a million miles from anywhere.

The village of Ponta do Sol, where most of the festival guests stay, nestles in the mouth of a tall, deep valley. The main organisational hub of the festival's activities, the hotel Estalagem da Ponta do Sol, is a particularly striking, looking almost as if it has been carved out of the cliffsides, visible from the road only by the thin, concrete elevator shaft that rises skywards out of the rock towards the hotel proper.

The main festival programme is limited to two shows an evening, held at an arts centre a short coach ride away, while the Estalagem hosts after-parties with DJs and live acts into the morning every night.

“I don't like festivals where there are lots of performances every day – all the tents, rain, crowds,” explains Rosen, “The capacity of the auditorium we use is about 200 people, which is also all the hotels in Ponta do Sol can accommodate, so that’s the audience limit.”

The opening Friday night of the festival opens with a spacious, ambient set by Portuguese sound artists Rui P. Andrade & Aires, which is followed by the anarchic, chaotic death disco of Finnish duo Amnesia Scanner. While Madeiradig’s programme all falls loosely under what most people would understand as experimental music, it’s clear through the choices of pairings that the organisers are keen to see different approaches rub up against each other.

Saturday night opens with Polish cellist Resina, whose music builds around loops that draw from her instrument sounds variously eerie, percussive, beautiful and harsh. Set against this are video projections featuring an ever-shifting collage of animations and images exploring subjects such as war and the relationship between nature, civilisation, communication and technology. The theme of communication recurs more playfully in the lively and disorientating set by Ana da Silva and Phew, performing behind masses of electronic equipment and lit intimately by a single table lamp. Of all the artists at the festival, Phew has travelled by far the furthest to be there, having arrived from Japan on the first day, while da Silva is revisiting the island where she was born. This contrast between the two performers informs the performance, with each member delivering their vocals in the other’s language, adding their own unique and sometimes dissonant takes on the words. At one point, they pick up and loop what seem to be snatches of inter-song backchat and integrate that into the performance, reiterating the playful and intimate nature of the set.

Rosen explains his philosophy as being based on, “Placing two artists on the same stage who you wouldn’t normally see together. Artists who are connected in terms of quality, but nonetheless quite different.”

It's an approach that he follows with the “Kiezsalon” events he organises in Berlin as well, and in understanding Madeiradig, we really need to talk a bit about Berlin, since that's where not only othe organisers but the vast majority of the audience come from.

Rosen describes the scene in Berlin as boring and fragmented, with events typically pandering to existing audiences, in the process reinforcing the divisions that separate scenes and genres. Austrian-based Slovenian musician Maja Osojnik echoes the point, saying that her adopted hometown of Vienna suffers from similar internal divisions in the music scene, with punk, experimental and the unique local “Wienerlied” folk style rarely interacting. Anyone who has spent much time immersed in the Tokyo indie and underground music scene will find their complaints immediately familiar.

Maya Osojnik closed Sunday night after the rhythmically dislocated Nick Drake-via-Captain Beefheart jazz-folk of Paris-based Canadian musician Eric Chenaux. While Chenaux’ set was characterised by the way he would take conventionally pretty or beautiful musical ideas and then investigate multiply ways of knocking them off centre, Osojni's music layers element over element, not shying away from dissonance, but bringing them all together in the service of a single sonic narrative – what she sometimes calles a “dystopic diary”. Tones, drones and pulses build up to a hypnotic, industrial crescendo, Osojnik’s vocals ranging from richly intoned, almost medieval sounding singing to haranguing postpunk rage.

Speaking to her later, she reveals that, despite her more contemporary influences, she was classically trained and she talks excitedly about her interest in obscure music composed only for the exiled popes of the French town of Avignon in the 1300s. She explains her music's eclectic swirl of influences, saying, “Studying all this music academically made me realise that there were many parallels. There are different rules, different approaches, different aesthetics, but you can find the same heartbeat.”

Where Chenaux and Osojnik are perhaps similar is that their sets both feel in some way like people having complex and not always friendly discussions with themselves. The challenge to the audience is, as Osojnik puts it, “To wake up. To stop receiving and start seeking.”

Despite the many ways Madeiradig diverges from a traditional music festival, one way it is a traditional festival in a very real sense is in the way it creates a kind of alternate reality around its attendees. On the first day, there is a visible division between the rather intimidated-looking first-timers and the veterans who return every year, but the way the festival is organised very quickly fosters a sense of community among those present. Post-event food and after-party entertainment at the Estalagem da Ponta do Sol give us opportunities to interact, while the ritual of the coach trip to the main venue regularly hustles everyone together. During the daytime, trips into the countryside and the main town of Funchal served the dual purpose of giving us chance to bond as a group and at the same time breaking us out of the hotel-venue bubble.

And it has to be said that Madeira is an extraordinarily beautiful island, but also one in some ways strangely reminiscent of Japan. Travelling around it by road, the mountainous landscape means that you spend a lot of your time in tunnels, but finally finding our way out onto the old roads, the island’s real form revealed itself, the volcanic topography thrusting aggressively skyward, piercing the clouds, swaddled in thick vegetation, houses clinging to valleysides and farmland carved out of steep slopes, shallow, concrete-lined rivers racing seaward. Hiking along one of the crumbling ancient merchants’ roads, overlooking the ocean, one of the local Portuguese staff remarked that, “To get this beauty, you have to work for it.”

The idea that to find beauty requires effort feels just as appropriate to music as it does to a landscape. The closing night of the festival opens with the fragile, fractal violin of Canadian artist Jessica Moss, who, like many artists at Madeiradig uses loops to build layers, textures and patterns (and patterns within patterns) in her music. She is followed by a raw blast of harsh noise, delivered by Danish duo Damien Dubrovnik, who stalk the stage like models from a Mormon menswear catalogue, pummeling the theatre with sonic terror.

While Madeiradig undoubtedly wants its audience to work for the beauty it gives a stage to, there is always a danger with experimental music events in general, and exotic “destination festivals” in particular, that they put up the wrong kinds of barriers to participation. It's easy to imagine a similar event in Japan being priced far out of the ability of any but the most dedicated fans to access, and that in turn feeds the fragmentation of the music scene and contributes to the cultural hollowing-out of much of rural Japan.

Madeiradig is remarkably cheap (a festival ticket costs about ¥8,000 for four days, and the hotels are also kept very reasonable) and I don't think it's unfair to say that it would never be able to function without the arts funding model that ensures European arts aren't left solely at the mercy of the market. Rosen is aware of this situation, and adamant that an event offering difficult or unusual music needs to be as accessible as possible.

“I want to reach people who have nothing to do with music,” he explains, recounting the story of a couple from Belgium who discovered the festival because of “a booking mistake” and ended up returning every year.

“I want to make culture accessible, and this should be true not just for music but also literature, philosophy, anything,” he continues, “I make a point that at a funded festival – one that’s getting money from the government – anyone should be able to go.”

The Future Eve featuring Robert Wyatt - ele-king

 日本人アーティストによるThe Future Eveというプロジェクトが、ロバート・ワイアットとのコラボ作品を3月に〈flau〉からリリースする。
 The Future EveのTomo Akikawabayaなるひとは、調べてみるとじつは活動歴が長いアーティストで、80年代にアルバムを6枚もリリースしている。初期はダークウェイヴ系のシンセポップで、discogsを見ると作品は耽美的なデザインにまとわれている。最近アメリカの〈Minimal Wave〉というレーベルがそれら作品を発掘し、コンピレーションとしてリリースした。にわかに再評価されているらしい。
 The Future Eveがロバート・ワイアットにコタクトを取ったのは、1998年のことだというが、当時まったく無名で遠方に住んでいた彼の申し出に対して、ワイアットは快く応じたそうだ。
 いずれにしても、今回のアルバムは20年の歳月を経てのリリースになる。聴いて感じ、なんとも幽玄な世界というか、これは、注目するしかないでしょう。

■ The Future Eve featuring Robert Wyatt - KiTsuNe / Brian The Fox

Title: KiTsuNe / Brian The Fox
Artist: The Future Eve featuring Robert Wyatt
CAT#: FLAU61
Release Date: March 22th, 2019
Format: 2LP/2CD/DIGITAL
Product URL: https://flau.jp/releases/kitsune-brian-the-fox/
Pre-Order: https://flau.bandcamp.com/album/kitsune-brian-the-fox


 音楽活動の停止を発表しているRobert WyattとTomo Akikawabayaとして近年再評価が進んでいる日本人アーティストThのプロジェクトThe Future Eveのコラボレーション作品が発表。

 KiTsuNe / Brian The Foxは、Tomo Akikawabayaとして80年代より活動し、Minimal Waveからのリイシューによって近年世界的な再評価が高まる日本人アーティストThが、ロバート・ワイアットから1998年に受け取った1本のDATテープから始まったコラボレーション作品。録音された一篇の詩とベーシックなトラックがThのギター、半谷高明によるシンセサイザー、ミックスによって拡張され、膨大なワイアットのコラボレーションの中でも最もオブスキュアな作品となったオリジナル・バージョン(Disc1)。無常を見るかのように繰り返されるワイアットの声と詩、テープのMIDI変換によってプリミティヴな音階を獲得し、まるでアクションペインティングのように特異な動きへと変貌を遂げ、生命の輪廻が表現されたというリング・バージョン(Disc2)。電子エスノ・アンビエントともコールドウェイヴの極北とも呼べるかのような強烈な密度を持ったこの作品は、成長と増幅を遂げ、様々なプロジェクトが現在も派生している「KiTsuNe」の広大な世界の端緒となる貴重なドキュメントといえます。
 DISC1「02.03」はワイアットのアルバムCuckoolandに収録された「Tom Hay’s Fox」の原曲。マスタリングをTaylor Deupreeが担当、アートワークにはTh自らが撮り下ろした写真が使用され、デザインをModern Love諸作を手がけるRadu Prepeleacが手がけています。


 20世紀も終わりが近づいてきた頃、Thからこんなメッセージが届く‐
「僕たちが作業を出来るような新しい素材がありますか?」
 素材はあった。Brian the Foxだ。宙に浮いていてまだ手の入っていない、ベーシックなアイデアのままだった。
 私の曲には珍しく、厳格なテンポは無く、俳句よりも短い詩!を書こうとしたものだった。
 曲の最後は即興だった‐間をおいてから最後の和音になるのは、どの和音にするか決めかねていたからだ…(自宅のカセットを使いテープに直接録音、「作品」ではなかった。)
 彼らは私のアイデアを美しく高めていった。
── Robert Wyatt


interview with Mark Stewart - ele-king

当時初めてマーク・スチュワート+マフィアでブリストルでライヴをやったことは、ブリストル・シーンが生まれるきっかけになった。このアルバムはバンクシーがいちばん好きなアルバムだし、ダディーGのお気に入りでもある。

 ただ生きるのに、なぜこうも金がかかるのだろう……。いや〜、きつい。だれにとってもこのきつい新自由主義しか生きる道はない、ひとびとにそう信じ込ませるリアリズムを分析し描いたのがマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』という本で、その副題は「ほかに道はないのか?」だ。本当に、ほかに道はないのか? ぼくたちはこの終わりなき倦怠感のなかでじたばたするしかないのだろうか? 
 音楽ファンであるフィッシャーが、そうしたやっかいな資本主義リアリズムにおける外部の可能性について思考をめぐらせるとき、レイヴ・カルチャーやダブに行き着くのは納得のいく話ではあるけれど、それは過ぎ去った昔のことではないのかという声もあろう。が、「ほかの道」は意外なことに、いちど殺され死滅したものたちこそがしめすかもしれない。死者が無言であるとはかぎらないのである。

 1970年代なかばのリー・ペリーがジャマイカで繰り広げた音響実験は、UKに渡るとパンクを通過して、エイドリアン・シャーウッドによってさらに拡張された。そのクライマックスのひとつに数えられる1983年の『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス』は、味気ない灰色の街の抑圧のなかにさえも「ほかにも道はあるだろう」と言っているようだ。バンクシーがこのアルバムを好きなのはなんとなくわかるような気がする。ここには抵抗とともに至福の王国(=エルサレム)も描かれている。熱狂的でもあるのだ。マッシヴ・アタックのダディーGがこれをいちばん好んでいる理由は明白だ。『ラーニング・トゥ〜』は、マーク・スチュワートの数あるアルバムのなかでもっともレゲエ寄りだからだろう。
 とはいうものの、ルーツ・レゲエ・バンド、クリエイション・レベルあるいはダブ・シンジケートのメンバーたち、そしてエイドリアン・シャーウッドといっしょに作り上げた『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス』は、初期の〈On-U〉におけるダブの冒険が次のステージ(=オールドスクールのヒップホップ・ビート)へと進む手前の作品である。以下のインタヴューでマーク・スチュワート自らが言っているように、ザ・ポップ・グループのジャズ・ファンク路線からレゲエへとシフトするちょうどのその真っ直中を通過したあたりにドロップされている。なるほどそのサウンドは、たしかにのちのBurialにも繫がっている。

 マーク・スチュワートは読書家で、博識である。そしてその表現が頭でっかちにならないのは彼が本当にいろんな音楽を愛しているからで、たとえばこのインタヴューでいうと、それはスキンヘッドの話に垣間見れる。政治的な人間は、とかく右だ左だと分ける。しかしよく行くパブにはスキンヘッドもいる。自分と同じように、このきつい社会を生きている人間のひとりとして。だから意見はちがっても、マーク・スチュワートは彼らと対話する。そうした人間的な泥臭さは、音楽ならではのものである。

マーク・フィッシャーと同じくらいパンクでワクワクさせる理論を提唱したのがすでに他界したフランスの哲学者のジル・ドゥルーズで、彼に関する展示会を今年の終わりにゲントで企画しているんだ。ジャン・ボードリヤールやジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ。彼らの執筆は、それこそジョー・ストラマーが描く歌詞の世界と同じくらいクールだった。

こんにちは。今回は野田努さんというジャーナリストからの質問になります。これまで何度も取材を受けていると思いますが、よろしくとのことです。

マーク:俺からもよろしく伝えてくれ。日本には数人クールなジャーナリストがいるから顔を見たら誰かすぐにわかるだろう。

ありがとうございます。で、早速ですが、最初にまず、お元気ですか? 

マーク:元気にやっているよ。ありがとう。君の方はどうだ? 

はい、元気です。

マーク:お願いがひとつあるんだが、彼から質問されているって雰囲気を出す意味で、低い声で話してもらえるかな。

(笑)かなり無理がありますが、できる限り頑張ります。で、パリの黄色いベスト運動をどのように受け止めましたか? 

マーク:正直多忙過ぎて状況を詳しく把握できてないから答えるのは難しい。言えることは、同じベストの括りで違う内容の抗議運動が多発しているということだ。政治的な質問ばかりになるのかな。取材を受けると政治のことばかり聞かれるもんだから。

政治の質問ばかりではありません。

マーク:俺をマーガレット・サッチャーと勘違いしているのだろうか。

そんなことはありません。

マーク:それが俺からの答えだ。

フランスでは68年の5月革命以来のできごとだと解釈している向きもあるようです。だとしたら、その影響、余波はUKにもおよぶはずですが、じっさいのところいかがでしょうか?

マーク:どうだか。もしいま君と俺が地元のパブで話をしていたとしたら、一緒に(黄色いベスト運動について)グーグル検索してそれを元に話ができただろう。でも俺は限られた情報しか持ち合わせていない。フランスに住む友人も大勢いる。彼らからそれぞれ違う視点からの話は聞いている。町ごとに抗議内容が違うんだ(※UKではむしろ右派が黄色いベストを着て、EU離脱に向けてのデモ行動をしている)。
 フランスは元々抗議活動が盛んな国だ。農家でさえ地元の自治体に肥料を遺棄して抗議運動をするくらいなんだから、そういった抗議活動は伝統的に存在する。それがいま組織化されつつあるようだ。発端になったのはどうやら燃料費の増加か何かのようで、消費者による抗議デモのようだ。でも詳細は知らないからコメントは避けたい。

まあ、これがまた信じられないような話でね。まるで『レイダース失われたアーク』のようだったよ。エルサレムのソロモン王の神殿の地下を一生懸命掘って聖なる埋蔵品を発掘したテンプル騎士団そのものだ。

マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』は読まれましたか?

マーク:もちろん読んだよ。マーク・フィッシャーは親しい友人でもあった。彼は何年もの間俺の音楽を応援し続けてくれた。ミドルセックス州から多くの理論家が出てきた時期があった。〈Hyperdub〉所属のKode9を含む、素晴らしく頭脳明晰な連中だ。urbanomics (都市経済学)についての考察だ。マークの提唱は、パリに住む俺のかつてのシチュアシオニストの友人たちを彷彿とさせる。それと記号学(semiotics)も。今回の再発に辺り、マークの志を継承するイタリアの理論家(※おそらくフェリックス・ガタリのこと)たち、Obsolete Capitalism(※ガタリを使った12インチをリリースしている!)と組んで、エッセイを書いてもらった。当然、マーク本人にエッセイを執筆して貰いたかったが、彼は自決してしまった……。
 マークの頭のなかは輝くダイヤのようだった。彼は音楽を愛した人でもあった。彼の葬儀では俺も弔辞を述べた。彼の兄弟にも声をかけてもらった。頭脳明晰な連中が俺の音楽から様々な思想を見出していることに俺自身が驚いている。(自分の作品に)そんなものが存在していたなんて俺自身も知らなかった。驚きでしかない。このアルバム(『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス(Learning To Cope With Cowardice)』)がきっかけでインダストリアル・ミュージック、トリップホップが生まれたと言われるけど、何故なのか俺にはわからない。俺はいまでも無邪気に、子供のように、いまだに好き勝手実験を繰り返している。なぜかはわからないけど、柔軟な考えを持てば、周りも柔軟な考えを持つようになる、ということなんだろう。質問に戻ると、マークは素晴らしい。原稿を集めた本が再発されたようだ(※k-punk: The Collected and Unpublished Writings of Mark Fisher 2004-2016)。
 個人的には彼と同じくらいパンクでワクワクさせる理論を提唱したのがすでに他界したフランスの哲学者のジル・ドゥルーズで、彼に関する展示会を今年の終わりにゲントで企画している。ジャン・ボードリヤールやジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ……。彼らの執筆は、それこそジョー・ストラマーが描く歌詞の世界と同じくらいクールだった。本当に素晴らしい。人びとはもっと彼らのような人たちの書物を読むべきだ。俺にとってのきっかけはシチュアシオニストやダダイズムだった。俺はそういう原稿をハイパーテキストと呼んで魅力を感じているし、アイディアを拝借することもある。おっと、ここではそんなこと言っちゃだめだな。

なぜ上記の質問をしたかというと、〈ミュート〉から送られてきた資料に、マーク・フィッシャーが『ラーニング・トゥ〜』への讃辞を送っていたという旨が記されていたからです。じつは今月末、マーク・フィッシャーが『ラーニング・トゥ〜』について触れている原稿も収録した『Ghosts of My Life』の日本版『わが人生の幽霊たち』を刊行します。

マーク:彼は本も出すのか。

はい。

マーク:最大の敬意を送るよ。俺からも日本で出してもらいたい本があるかもしれない。ところで誰が翻訳をしているんだ?

翻訳者までは把握していないです。すみません。

マーク:ぜひ、同じ理論家の人に訳してもらいたいものだね。俺自身ボードリヤールやボードレールの訳書も多く読むからわかる。その筋の人にしかわからない行間の意味などがちゃんと汲み取れる人でないとなかなか訳すのは難しい。(※訳者の五井健太郎はシュルレリスム研究が専門)

わかりました、そのように伝えておきます。それでは、アルバムについて伺っていきたいのですが、言うまでもなく、『ラーニング・トゥ〜 』は、あのポストパンク時代においても、もっともインパクトの強い作品の1枚であることは、リアルタイムで聴いたこの質問者にはよくわかります。革命的なサウンドからアートワークにいたるまで、あなたのソロ・キャリアにおいてももっとも素晴らしい1枚に挙げられる作品だと思います。その名盤にヴァージョン違いをふくむとはいえ10曲もの未発表音源「The Lost Tapes」が残っていたことがまずは驚きでした。これはいったいどういうことなのか、あらためて説明をお願いします。

マーク:まあ、これがまた信じられないような話でね。まるで『レイダース失われたアーク』のようだったよ。エルサレムのソロモン王の神殿の地下を一生懸命掘って聖なる埋蔵品を発掘したテンプル騎士団そのものだ。今回のプロセスを説明するなら、超自然な考古学だ。『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade』のアルバムでも同じことが起ころうとしている。発売から何年も経っているにも関わらず、再発を考えはじめた途端に、どこからともなく人が現れて、「こんな音源がありますけど」と言ってくるんだ。世にも不思議な物語さ。
当時、このアルバムを完成させてから数年経った後にロンドンのエイドリアン(・シャーウッド)の家を訪ねたとき、雨が降っていたんだけど、マスターテープを詰め込んだ箱が外に置いてあったんだ。で、「これどうするつもり?」と聞いたんだ。当時は経費節約のためにマスターテープをそのまま再利用することが多かったからね。例えばリー・ペリーなんかは同じテープを何度も何度も使っていたよ。前に録音したものの上から上書きしてしまうんだ。で、エイドリアンは「家に置き場所がなくてね」と答えたんだ。これは「荷物を減らせ」って奥さんから言われるようになる前の話だ。友だちはみんな持っているCDを処分されないように隠すのに必死だよ」。

日本でも「断捨離」って言うんですよ。

マーク:(笑)女性がハマるんだよね。君の旦那さんも気の毒に。

で、マスターテープの話の続きをお願いします。

マーク:そうそう。で、てっきりマスターテープはすべてなくなってしまったと思っていたんだ。でも、当時から俺はなんでもすべて録音していた。何をやるにもエンジニアに「これを1/4インチテープに録音しておいてくれ」とお願いしていた。というのもマルチ・ダブ、マルチ・テ-プの手法をとっていたから。俺がとったアプローチは、曲を構築する際に、違うテープから一番いい部分をつなぎ合わせたというもので、タイトル曲の“Learning To Cope With Cawardice”なんかは1曲だけで87のエディットがあった。細かいテープの切れ端を壁に全部貼り付けて、「ああでもない、こうでもない」と、まるでシュールレアリズムのモンタージュのようにつなぎ合わせていったんだ。
で、これらの元ネタになった音源、つまり、我々が切り刻んでしまう前のちゃんと楽曲の形をしていた音源が収められていたテープがあって、俺はてっきりそれもすべて処分されてしまったとものだと思っていた。それがいきなりだ。何年も活動していると世界中でコンサートに何度も来る客と親しくなるわけだけど、俺もエイドリアンも親しくしている医者で〈On-U〉の熱狂的ファンがいて、その人から「マーク、古いマスターテープを大量に修復したんだ」と連絡があった。だから「へえ、『ラーニング・トゥ〜』からは何かある?」と聞いたんだ。ちょうど〈Mute〉から再発の話をもらっていたから。そしたら「いくらでもあるから送るよ」と言ってくれたんだ。
というわけで、エイドリアンとふたりで彼のスタジオで修復された当時のマスターテープを全部聴き直す作業をした。なかには30分間ひたすらハイハットとスネアにいろんなエコーを試しに掛けているだけのテープもあった。ルー・リードの『メタル・マシン・ミュージック』ではないが、変わった音を出そうとしてね。俺とエイドリアンが聴く分には面白いけど、〈On-U〉以外の人間が聴いて面白いとは思わないような(笑)。
今回再発盤を出すにあたり、俺もエイドリアンも深く関わっていて、きちんとした物語を伝えたかった。掘り出した音源をラジオ番組のような形で公開することにしたんだ。「これは流石に退屈だろう」という部分だけを除いただけで、他は当時のものをそのまま残している。これらのマスターテープはどういうわけだかポルトガルに流れ着いて、それをオランダに住む俺の友人が、ポルトガルにいる持ち主とファンが集まるチャットで知り合って、オランダで修復作業をして我々に送ってくれたんだ。
他にも似たようなことがあった。アメリカに住むファンがThe Mafiaでのライヴ音源を送ってくれた。そうやって音源を大事に持っていてくれる人たちが世の中にはいるもんだ。
俺もかつてロキシー・ミュージックで同じことをやっていたけどね。我々がまだ子供だった頃、ロキシー・ミュージックのコンサートにカセット録音機をコートに隠して内緒で持ち込んだものだった。今回にしても、レコード会社の倉庫にあった単なるデモ・テープの寄せ集めにならなくて本当に良かったと思っている。
個人的にはいつだって未来のものを発信したいと思っているよ。過去の作品を再発をするのであれば、絶対にクールなインディ・レーベルから、自分たちがすべて監修をおこなう形でしかやりたくない。アートワークから使う紙の材質に至るまですべてに関わっている。実際俺とエイドリアンは今回の「The Lost Tapes」をまとめるのに、オリジナルのアルバムよりも多くの時間を費やしているんだ。

未発表音源の「The Lost Tapes」のクオリティも申し分のないものでした。これらの曲をお蔵入りにした理由は、当時のあなたとエイドリアンが求めていたサウンドには達していなかったからなんでしょうか?

マーク:いや。単に実験的なことがしたかったんだ。美しい曲を書いたら、まずはそれを壊すところからはじめるんだ。つまり、できた曲を録音して、そのテープを切り刻んで、風変わりなものにする。なぜなら、そうしたいと思ったから。それがこそが自分の表現方法だと思ったから。それだけだ。

“Conspirasy”のような曲にはジャズへのアプローチも見られますが、これなんかはシャバカ・ハッチングスをも彷彿させるというか。ほかにも“May I”にしても、とても実験的なサウンドですよね?

マーク:いまも昔もそう。いまも何時間分もの新しい楽曲の音源に囲まれている。さらには近所のスタジオの仲間が一緒に取り組んでいる新しい曲を10曲届けてくれたところだ。常日頃から楽曲を多く作っていて、そのなかから、そのときどきで選りすぐったものだけが作品として世に出る、ということだ。「作りたい」という衝動が絶え間なく押し寄せる。マーク・フィッシャーも同じだっただろう。彼も絶えず書き続けていた未発表の原稿が何箱もベルリンの自宅にあるだろう。創造を止めることはできない。いざ作品を出すときにはそれらから抽出して、ひとつの声明としてうまく組み合わせて形にいく。
よく質問されるんだけど、自分の制作プロセスを言葉で説明するのは難しい。でも、今度の「The Lost Tapes」も、ひとつの声明として満足しているね。いま考えると、当時マフィアとしての最初のコンサートとザ・ポップ・グループとしての最後のコンサートは同じ日に行われたんだよ。ちょうどそのころ、核軍縮キャンペーンに深く関わっていて、ロンドンで行われた核兵器に反対する大きなデモに参加したんだ。団体のトップに「音楽があった方がいい」と言われて、「ちょうどいい。自分もバンドをやっているし、友人のキリング・ジョークなんかにも声を掛けてみるよ」と言った。
そこで俺は古いプロテスト・ソングを歌いたかったんだ。集まった群衆の年長者たちも共感できるような曲を歌いたかった。トラファルガー広場に50万人も集まったんだよ。ライオンの像の内側がステージだった。で、アメリカでいうところの“ウィ・シャル・オーヴァーカム”のイギリス版となるプロテスト・ソングと言えば、ウィリアム・ブレイクによる“ジェルサレム(エルサレム)” (※1804年の作品でユートピアとしてのイギリスを歌っている愛国歌)だった。社会主義的アンセムだった。デモでどうしてもその曲を歌いたいと思った。でも当時のザ・ポップ・グループはフリー・ジャズっぽい方向性に行っていて、それに対して俺は“ジェルサレム” のレゲエ・ヴァージョンがやりたかったんだよ。だから、ザ・ポップ・グループが演奏した数時間後に俺はまたステージに戻って、そのときに一緒に演奏したのが、ジャマイカ生まれでイギリス育ちのラスタファリアのマフィアの連中だった。まったく同じ日にふたつのグループで入れ替わるようにライヴを行ったんだ。
あのときのデモに参加したことがきっかけで社会活動や抗議運動の精神が芽生えたし、いまでもそれは変わらない。今回の再発にあたっても、イギリスのあるチャリティーと手を組んでいるんだ。古い流し釣り漁船を何隻も改装して、水上の診療所に変貌させて、世界各地の戦地に送り込んで、地雷などで負傷を負った子供たちを治療する活動を支援している。

今回のリリースに際して、あらたに手を加えたのはどんなところでしょうか?

マーク:新たに手を加えた部分はない。

そうなんですね。

マーク:さっきも話したように、どの曲も10ヴァージョンほど録音して、それらをバラバラに切り刻んで、違うテイクを組み合わせて構築していくんだ。重ねて録りも多用している。だから「The Lost Tapes」に入っている曲にしても、“Conspirasy”のようなジャズっぽいものから、“Paranoia”、“Vision”といった曲はどれも、アルバムに収録する曲のために切り刻む前の元ネタ音源のようなものなんだ。“Jeruselum”はサウンド・エフェクトを乗せる前のプロトタイプのようなものだ。これらはすべて当時録音したものをそのまま収録している。劣化部分を修復したマスターテープを何時間分も聴き返して、これ、というものを選び出したんだ。もうあんな高音は出せないよ。

じっさいのところ、このアルバムはどのくらいの期間で制作されたものなのでしょう?

マーク:制作をどこからどこまでって考えるかにもよるけど。歌詞のアイディアの話をし出したら、例えば“Liberty City”なんかはタイトルのヒントになったのはマイアミ近郊の人種暴動が起きた町だった。ちょうど自分が当時住んでいたブリストルのセイント・ポールズでも同様に暴動(1980年)が起きていた。“The Paranoia of Power”はロンドンの地下に眠る秘密のシェルターについての本がヒントになった。アイディアはいつ何時どこからでも湧いてくるものだ。歌詞に関してはそれこそ9歳にまでさかのぼることだってある。その一方でレコーディングに関しては、かなり短時間で作った。その頃にはエイドリアンが〈On-U Sound〉でいろいろなクールな作品をすでに手がけていたから面白いミュージシャンたちが大勢溜まっていた。サックスのデッドリー・ヘッドリーはプリンス・ファー・ライと組んでいて、彼はもともと多くの素晴らしいホーン・プレイヤーを輩出しているジャマイカのAlpha Boys School出身だ。ザ・ポップ・グループのジョン・ボティングトンも何曲かにギターで参加してくれている。オリジナル・アルバムはじつは制作にあまり時間がかかっていないんだ。実際スタジオを使った日数で考えるとね。ただし、夜通しの作業だった。当時は深夜の方が料金が割安だったからね。

アルバム・タイトルにある「Cowardice(卑怯者)」はどのような意味で使われたのでしょうか? その意味を21世紀のいま再解釈するとどんな風になりますか?

マーク:基本的に俺は当時もいまも変わっていない。むしろより無邪気で子供のようになったくらいだ。当時と比べて多くを学んだ。再発は来週発売だけど、これまで話をした人からよく言われるのは、この作品の歌詞がいかにいまの時代にぴったり当てはまるか、ということだ。難民問題、暴動、パラノイヤ、はいまの時代も健在だ。俺はある時代に特化した歌詞は書かない。自分なりの意味付けはあるけどね。
 最近もザ・ポップ・グループの古い音源を掘り起こしていたんだけど、こういう古い作品をあらためて聴き返してみて面白いのは、──『ラーニング・トゥ〜』を作ったときに自分が何歳だったか忘れたけど、例えば22歳だったとして──、22歳の自分が年月を超えて語りかけてきて、アドヴァイスをくれている感覚になる。交霊会みたいな感じさ。俺はまだ死んでいないけど(笑)、上手く説明できないな。
 基本的に俺は説教師ではない。人に何かを説き勧めようとしているわけじゃない。俺がやっていることというのは、アイディアの断片を、ちょっとした情報や面白いサウンドとともに全部鍋に投げ入れてごった煮にして世に出すんだ。「俺は面白いと思って作りました」って感じでね。そこからまた誰か他の人が断片を組み取って何かを生み出すかもしれない。大きな壊れたジグソーパズルみたいになることがある。原理原則があるわけじゃない。もっと開けたものなんだ。道教にも「the path of the open hand」という教えがあるように。

数年後にはジーザス&メリー・チェインがレコーディングを行っていた。CRASSもいて、FUGAZIもいた。アメリカのハードコアの創成期だった。素晴らしかったよ。そこで出会ったジャマイカ生まれのミュージシャンたちとレコーディングしたことと、ザ・ポップ・グループで訪れたアメリカで耳にしたヒップホップからの影響がこのアルバムの礎になっている。

それにしても“Liberty City”は、ジェントリフィケーションによって高級化された世界の都市、ロンドン、NY、パリ、ベルリン、そして東京もそうですが、ネオリベラリズム支配によって灰色と化した都市においてはあまりにもハマリすぎの鎮魂歌として聴こえます。

マーク:当時何が起きていたかというと、ちょうどこのアルバムの曲作りをしていた頃、俺が生まれ育った街でいまでも頻繁に行くブリストルで、UKで初めて黒人居住区で暴動が起きたんだ。俺の母親が生まれ育った地域で、俺もレゲエ・クラブに良く通っていた。警察があるカフェを強制捜査しようとして、セイント・ポールズの街全体が暴徒化したんだ。ちょうどこのアルバムを作っていた頃だ。ちょうど同じ頃にテレビのニュースでマイアミで起きた暴動が報道されたのを見たんだ。そしたら、その町の名前がLiberty Cityだという。その名前をそのままタイトルに拝借させてもらった。これは当時のでも、いま起きていることでもない。これから起きるかもしれないことかもしれない。詩(Poetry)という言葉はあまり使いたくないけど、自由に解釈できる限定されないモチーフなんだ。それは、支配や洗脳という発想だ。カルト教団についての面白いドキュメンタリーを見てたんだけど、消費主義も同じで、消費主義が横行しているあまり、人びとは現実に目を向けないような仕組みになっているという発想。言葉で説明するのは難しい。だから俺は歌詞を書く。歌詞は音楽と組み合わさったときに大きな影響力を持つ。そういう発言をすると、まるでスティングになったような気分になる(笑)。
 今度マークの本を出すという話があったけど、いまのジェントリフィケーションの話にしても、俺は永遠の楽観主義者だ。俺の友人の多くは不満ばかりを口にする。俺はFacebookで世界中のアーティストや執筆家、活動家と繋がっている。なかには頭脳明晰なのに、「昔は良かった」というような愚痴ばかりこぼす連中もいて、たまにうんざりしてしまう。変化には新しい可能性がついてくるものだ。だから俺の哲学は、明日の世界に目を向けて、新しいテクノロジーや発明をすべて、自分たちのために使いこなすということだ。そうやって物事を自分流にアレンジして利用すればいい。何もせずに「最悪だ。お先真っ暗だ」と不平を言ってても何もはじまらない。諸刃の剣なんだ。インターネットにしても最初に考案したティム・バーナーズ=リーの当初の発想は非常に理想主義的だった。欲しい情報が自由に何でも得られる、と言う。それがいまではいろいろ規制しようと言う動きになっている。そのこと自体はこのアルバムとは関係ないかもしれないけど、そういった不都合なことは常にいろいろ起きるものなんだ。トランプ政権のことにしても何にしても文句ばかり言って、まったく行動を起こそうとしない友人たちには呆れるよ。it only takes for good people to do nothing for evil to prevail (善人が何もしないことが悪を蔓延らせる要因だ)という格言があって、いま、何が問題かというと、意識の高い人たちが、どちら側の思想だろうと、みんな文句う言うだけで、何もしてない。前向きな提案や、次の選挙に向けた準備をすればいい。
 俺は永遠に楽観主義だ。いまの世のなかにも素晴らしい理想を掲げた素晴らしい人材は多くいる。民主主義に則った選挙で誰かが当選したということであれば、それは文化を反映している。人びとの考えを変えるには、その文化、そして思想を広めることだ。パンクが起きるまで、小さい地方都市には何もなかった。でもいまではアート・センターやユース・センターができている。そういう地元レヴェルでは確実に積み上げられているんだ。

ちなみにあなたはインターネットやスマートフォンとどのように付き合っていますか?

マーク:テクノロジーは人びとを解放する、という概念を持っている。現代ではパンクもデジタル化が進んでる。インターネットが文明開化に拍車をかけている。いまではアフリカの砂漠の真んなかでヤギ使いが衛星電話を使って子供に助けを呼ぶことだってできる。世界は確実に変化している。最近他界した俺の父親はイカれた科学者だったのだが、研究開発の分野での進化発展は想像を超えるほど凄く先をいっていて、スマートフォンといった消費者向けの製品でさえ、AIやアルゴリズムといった技術は開発者たちでさえ全貌を把握しきれていない。我々が生活しているのはまだ中世かもしれないが、画面の向こう側の光ファイバーの先の世界はまるで違う。それらのゲートウェイを支配する人たちこそが世界を支配する人たちなんだ。
 支配の話は別にして、こういう技術を恐れるのではなく、積極的に利用するべきだと俺は思う。ティム・バーナーズ=リーは非常に理想主義的な意図でインターネットを発明した。『ラーニング・トゥ〜』の頃からすでに人びとは自由な電子の領域について話をした。報道の自由、検閲反対と言った議論はいつの時代もある。中世にも活版印刷の登場で同じことが起きた。いつでも対応できるように、新しい技術に関しても常にアンテナを張ってないといけないと思う。

あなたたちとCRASSのようなアナルコ・パンクとは当時どのような結びつきをされていたのでしょうか?

マーク:不思議な縁があって、いま元フガジのイアン・マッケイと組んで何かやろうとしているんだ。彼のことはすごく尊敬している。当時もだし、いまもそうだけど、俺が〈Mute〉と契約しているのには理由がある。自分たちのレーベルもある。ディストリビューションの政治から自分たちを切り離し、独立してDIYですべてやることで検閲に対抗することが、音楽そのものと同じくらい重要だった。インディ・レーベルという発想だ。〈ラフ・トレード〉、〈Mute〉、〈Soul Jazz〉、〈On-U Sound〉といったレーベルとは深い関わりがあった。つまりは、チャンネルを開けておくための手段だった。
 〈Mute〉のダニエル・ミラーがインディであることの重要性を語っている。君はマークの本を出すと言うが、日本でそんなことをしようとする出版社は他にそうそういないだろう。そういう人たちの存在が自由を支えているんだ。CRASSのディストリビューションにしてもCRASSのスタジオにしても、非常に開放的で社会主義的だった。そんな彼らの思想に敬意を持っていた。それと、その場に集まる人たちも魅力だった。数年後にはジーザス&メリー・チェインがレコーディングを行っていた。CRASSもいて、FUGAZIもいた。アメリカのハードコアの創成期だった。素晴らしかったよ。そこで出会ったジャマイカ生まれのミュージシャンたちとレコーディングしたことと、ザ・ポップ・グループで訪れたアメリカで耳にしたヒップホップからの影響がこのアルバムの礎になっている。彼らはみんな同志だった。いまでもそう。ペニー・ランボー(CRASSの創始者)は俺の大事な友人だ。

あなたから見て、『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カウアディス』においてもっとも重要な点はなんだと思いますか?

マーク:俺にとって意義深かったのは、ザ・ポップ・グループはまだ若くて、一緒に楽器を覚えて、誰の靴がいちばん尖っているかって言うようなパンクの影響が強かったのに対して、大のレゲエ好きだった自分が何度も聴いた作品で実際に弾いてるミュージシャンたちとプレイできたのが大きかった。プリンス・ファー・ライやジュニア・デルガードやリー・ペリーは俺にとっての英雄だ。そんな彼らの作品に参加していた大物ジャマイカ・ミュージシャンたちが俺を認めてくれたことが嬉しかった。ぶっ飛んだアイディアを抱えたまだ若造だった俺に。
 それからエイドリアン・シャーウッドの柔軟な姿勢が俺を成長させてくれた。お互い切磋琢磨して影響し合ってともに成長した。いまでもしょっちゅう仕事をしている。何かお互い感じ合うものがあるのだろう。なんだか涙ぐんできたよ(笑)。
 そこには魔法があった。過去を振り返ることは葬式までとっておけばいいと思っているから俺はしないんだけど、当時のセッションを思い起こすと、ひっくり返すと魔法が起きていた。「現実をひっくり返す」という発想で、何か「ここだ」って思ったときに「ひっくり返してみよう」と言うと、何かが起こるんだ。シャーマンに近いものがあった。音楽の世界にはもっとジャニス・ジョップリンやジム・モリソンのような別次元に行っちゃう人がもっと必要だ。パティ・スミスもそうだった。彼女と仕事をしたとき、別次元に行っていた。シャーマンのようにね。でも周りに支えてくれる人も必要だ。ビジネス面を見てくれる人、プロデューサー、ミュージシャンたち。彼らがいてくれるから安心して途方もないことができる。「何をやってるんだ」「こんなのはナンセンスだ」と言わない人たちだ。「精神病院に入れるぞ」とかね。

(笑)あなたは数年前はスリーフォード・モッズを誉めていますが、彼ら以降であなたが共感するアーティストはいますか?

マーク:イギリスにOctavianという素晴らしいラッパーがいる。彼は3、4年ホームレスだったんだけど、素晴らしい作品を次々と出している。あとは、ハンズというアーティストがいて。昔はゲットーテックと呼んでいたんだけど、マイアミ・ベースっていうのか、いま、ベース・ミュージックがまた面白い。あとブリストルも、いまでも自分の誇りだ。友人がバンクシーと仲が良くて彼についての本を書いたんだけど、当時初めてマーク・スチュワート+マフィアでブリストルでライヴをやったことは、ブリストル・シーンが生まれるきっかけになった。このアルバムはバンクシーがいちばん好きなアルバムだし、ダディーGのお気に入りでもある。
 いまのブリストル・シーンも、Giant SwanやKahn、Young Echo Collectiveといった若手が素晴らしい作品を出しているのがとても嬉しい。あの街の何かがそうさせるのだろう。いつの時代も刺激的だ。いま世界中で起きているポスト・パンク・リヴァイヴァルのお陰もあって、若手のアーティストが、我々が当時やっていたのと同じような実験を無邪気にやっている。フリー・ジャズやダブ・レゲエを、いまは機材もすごく進化していて、ブーティー・ベース・サウンドといったいまならでの音と融合させていて、当時我々がやっていたのと同じような精神で変形が生まれる。彼らにとって『ラーニング・トゥ〜』を聴くことは、例えば我々がサン・ラーを聴いてた感覚に近いのだろう。彼らの創造の泉の源泉になれることは嬉しい限りだ。

ブレグジットをめぐる議論が白熱していますが、いったいどうなのか誰にもわからないのが現状だと思いますが、あなたはどうなって欲しいと思っていますか?

マーク:ひと言で答えられるものではない。政治の話題を取り上げるのであれば、答えはマーク・フィッシャーの著書くらい長くなる覚悟が必要だ。問題は、みんなが本質を見失っていることだ。ニュースはこの話題をばかりを取り上げているが、肝心なことが議論されていない。本当に何が起きているのか、俺にもわからないし、誰にもわかっていない。しかも、今後の経済の動向を予測して金儲けをしている連中もいるそうだ。一体どうなっているんだか。俺自身は「◯◯反対」とか「△△反対」という明確な姿勢をとっていない。でも、みんながこれまでにない形で政治に関心を寄せていることは興味深い。
 もし受け入れられない意見に直面したとき、必要なのは対話だ。昔パブでつるんでいた頃を思い出すと、友人のなかにはスキンヘッドになって馬鹿げた活動をしはじめた奴らもいた。右翼で暴力的なこともした。でもブリストルは小さい街だからパブの数も限られている。彼らにしても、夜遊びに行く場所といったら、ブラック・ミュージックを流している店に来て踊るしかなかった。ただ無視するのではなく、対話が重要だ。俺は親戚ともちゃんと話をする。母方の家族は普通のワーキングクラスのブリストル人たちだ。みんな違う意見を持っている。それぞれが自分の考えを示して対話ができれば、その対話を通じて、彼らも自分も何かを学ぶことができる。そうやってコミュニティーはひとつになれるんだ。ただ反対するばかりで「それは間違っている。自分が正しい」としか言わないようだといつまでも溝は埋まらない。そして一般市民は自分たちの声を誰も聞いてくれない、と思ってしまう。
イギリスには根深い階級問題がある。俺がしばらく住んでいたドイツのベルリンにはあまり階級問題がなかった。日本もそうではないだろうか。工場で働く人たちも、それなりの賃金が与えられる。イギリスでは金持ちが労働者をクソみたいに扱う。これは中世の時代にまで遡る。一般労働者、さらには職人たちへのリスペクトがまったくない。いまは少しでも多く賃金を削り取ろうと必死だ。なぜか労働者を下に見ている。でも一概に労働者の方がいいとも限らない。ただ羨ましいと思っているかもしれない。事情はいろいろ入り組んでいる。最悪なのはスケープゴートを見つけ出して責任をすべてなすりつけることだ。それこそが本質を見失っている。
 人は目の前の現実に責任を取らないといけない。俺は敢えて結論を出さないように努めている。今朝のニュースだと、メイ首相は国会で通そうとした法案を棄却された。どうしてそういう話になったのかはわからない。保守党を支持する人たち、労働党を支持する人たちはそれぞれの言い分がある。他の角度からも見てみようと思って新聞の経済欄を見てみると、ポンドが上がっているんだ。市場に投資している人たちは、この混乱に乗じて儲けているんだ。マルコム・マクラーレンがかつての言っていたように「混乱は金になる」んだ。
例えば戦争なんかも、当初国民に伝えられていた理由とはまったく違う背景があったことを20年後に知る。今度のEU離脱の件も20年後に振り返ったときに、まったく違う力が動いていたって明らかになるかもしれない。それが良いとか、悪いとか言っているのではなく、それが現実だって話で、その現実をできるだけ把握して、参加することが大事なんだ。
なかなか面白い時代だと思う。新しい時代を切り開くチャンスであり、新しい取り組み方というのも生まれるだろう。過去ばかり振り返っていても駄目だ。なかには冷戦時代を「良い時代だったと」目を潤ませながら懐かしむ人がいる。理解に苦しむよ。最近書いた曲があって“Forever Now”という曲なんだけど、最低でも「いま」に目を向けて生きる。仏教徒の教えにもあるように。でもできるなら「未来」に目を向けて生きようよ。「未来」を我々の手で築くんだ。だって、「未来」はそこにあるのだから。ジョー・ストラマーの言葉にもある。「未来はまだ書かれていない」って。これが結びだ。

今日はありがとうございました。

マーク:ジャーナリストの彼に伝えてくれ。なかなか良い思想を持っていると。応援してくれてありがとう。マーク(フィッシャー)も感謝しているだろう。

Fennesz - ele-king

 嬉しいニュースが飛び込んできた。2001年に発表されたあまりにも美しい『Endless Summer』で、その後のエレクトロニカ~アンビエントの流れに大きな影響を与えたフェネス。以降もあまたの良作を送りだし、数えきれぬほどのコラボを試みてきた彼が、ソロ名義としてはじつに5年ぶりとなるニュー・アルバム『Agora』をリリースする。3月27日、日本先行発売。現在アルバムのダイジェスト音源が公開中だが……これは名作の予感がひしひし! なお、今回の新作にあわせて旧譜3タイトルもスペシャル・プライスにて再発されるとのこと。詳細は下記をチェック。

フェネス(Fennesz)ことクリスチャン・フェネス、5年ぶりのニュー・アルバム、3月27日、日本先行発売!

フェネスことクリスチャン・フェネス、途方もなく感動的な傑作『ベーチュ』(2014年)以来5年ぶりとなるニュー・アルバム! エレクトロニック・ミュージックを革新させつづけてきたフェネスがまたしても新たな地平を切り拓く!

■2001年にオーストリアの電子音響レーベル、〈ミゴ〉からリリースした今や絶対的名盤との誉れ高いアルバム『エンドレス・サマー』で一躍、その名前と評価を揺るぎないものにしたフェネスことクリスチャン・フェネス。その後、デイヴィッド・シルヴィアンや坂本龍一、YMO、大友良英、Sachiko M、中村としまるからスパークルホースやマイク・パットンにいたるまで、多岐に渡るアーティストとコラボレート/ライヴ演奏してきた彼が、古巣の旧〈ミゴ〉、現〈エディションズ・ミゴ〉から発表した通算第6作『ベーチュ』(2014年)以来5年ぶりにリリースするニュー・アルバム。
■英〈タッチ〉からのリリースとなるフェネスの通算第7作『アゴーラ』(ポルトガル語で「今」の意。古代ギリシャ語で「広場」「市場」といった意味もある)。フェネスは本作において、またしてもデジタル・ミュージックの新たな領域を開拓している。ここにはフェネスのすべてがある。グリッチ・ノイズ、アンビエント・ドローン、大胆に加工されたギター、ラディカリズム、ロマンティシズム、センチメンタリズム、ポップネス……。それらが比類なきセンスとバランス感覚をもって大胆かつ繊細に混合、編集され、圧倒的なまでに美しい音世界を構築している。おそろしく純度の高い音の粒子が渦を巻き、変調されたギターと交錯し、誰も聴いたことがないサウンドスケープを表出する。名状しがたい感動が押し寄せてくる。
■本作はフェネスの最高傑作である。

フェネスは語る。「単純な話なんだ。ちゃんとした作業ができるスタジオを一時的に失ってしまって、すべての機材を自宅の狭いベッドルームに移動しなくてはならなくなったんだ。そこでこのアルバムを録音したんだ。すべてヘッドフォンで作ったんだよ。最初はかなりフラストレーションがたまる状況だったんだけど、その後、1990年代にはじめてレコードを作った頃に戻ったように感じられたんだ。結局のところ、刺激的だった。ほんの少しの機材しか使ってないんだよ。自由にできるすべての機材や楽器を接続する勇気すら持てなかった。手元にあったものだけ使ったんだ」

以下にてアルバムの4曲をメドレーで試聴できます。
https://fenneszreleases.bandcamp.com/track/umbrella

フェネスはギターとコンピューターを使用して、広大かつ複雑な音楽性を持った、揺らめき、渦を巻くような電子音をクリエイトしている。「想像してほしい。エレクトリック・ギターがクリシェやそのあらゆる物質的な限界から切り離され、新しく大胆な音楽的言語を形作るさまを」(米シティ新聞)。彼の瑞々しく光り輝く楽曲は、けっして無菌のコンピューター実験のようなものではない。それらはむしろ、肉眼では見えないような熱帯雨林の昆虫の生活や、大気の自然現象、そして固有の自然主義がそれぞれの曲に浸透するさまを観察した繊細な記録に似ている。

www.fennesz.com

ARTIST: FENNESZ
Title: Agora
アーティスト:フェネス
タイトル:アゴーラ
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PCD-25273
フォーマット:CD
価格:定価:¥2,500+税
発売日:2019年3月27日(水)
日本盤のみのボーナス・トラック1曲収録
日本先行発売

Track listing:
1. In My Room (12:28)
2. Rainfall (11:58)
3. Agora (12:09)
4. We Trigger the Sun (10:29)
5. Domicile* (6:38)

*Bonus Track

Recorded at Kaiserstudios, Vienna, August, September 2018
Rainfall: Vocals Katharina Caecilia Fennesz
Agora: Field recordings Manfred Neuwirth, vocals Mira Waldmann
Mastered by Denis Blackham @ Skye
Photography & design by Jon Wozencroft

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フェネスことクリスチャン・フェネス、約5年ぶりのニュー・アルバムのリリースを祝し、彼が〈ミゴ〉~〈エディションズ・ミゴ〉から発表した旧作3枚を期間生産限定のスペシャル・プライスにて同時発売!

ARTIST: FENNESZ
Title: Hotel Paral.lel
アーティスト:フェネス
タイトル:ホテル・パラレル~デラックス・エディション
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PCD-18856
フォーマット:CD
価格:定価:¥1,850+税
発売日:2019年3月27日(水)
日本盤のみのボーナス・トラック1曲収録
初回限定生産

フェネスが1997年にリリースした記念すべきファースト・アルバムのデラックス・エディション(2007年)。

ARTIST: FENNESZ
Title: Endless Summer
アーティスト:フェネス
タイトル:エンドレス・サマー~デラックス・エディション
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PCD-18857
フォーマット:CD
価格:定価:¥1,850+税
発売日:2019年3月27日(水)
日本盤のみのボーナス・トラック1曲収録
初回限定生産

フェネスが2001年にリリースした絶対的名盤『エンドレス・サマー』のデラックス・エディション(2006年)。

ARTIST: FENNESZ
Title: Bécs
アーティスト:フェネス
タイトル:ベーチュ
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PCD-18858
フォーマット:CD
価格:定価:¥1,850+税
発売日:2019年3月27日(水)
日本盤のみのボーナス・トラック1曲収録
初回限定生産

フェネスの名を決定的なものにしたエポックメイキング作『エンドレス・サマー』(2001年)の流れを汲む大傑作(2014年)。

On-U Sound - ele-king

 いやー、嬉しいニュースですね。かなり久びさな気がします。〈On-U〉がそのときどきのレーベルのモードをコンパイルするショウケース・シリーズ、『Pay It All Back』の最新作が3月29日に発売されます。
 最初の『Vol. 1』のリリースは1984年で、その後1988年、1991年……と不定期に続けられてきた同シリーズですけれども、00年代以降は長らく休止状態にありました。今回のトラックリストを眺めてみると、ホレス・アンディリー・ペリーといった問答無用の巨匠から、まもなくファーストがリイシューされるマーク・ステュワートに、思想家のマーク・フィッシャーが『わが人生の幽霊たち』(こちらもまもなく刊行)で論じたリトル・アックスなど、〈On-U〉を代表する面々はもちろんのこと、ルーツ・マヌーヴァやコールドカットやLSK、さらに日本からはリクル・マイにせんねんもんだいも参加するなど、00年代以降の〈On-U〉を切りとった内容になっているようです。これはたかまりますね。詳細は下記をば。

Pay It All Back

〈On-U Sound〉より、《Pay It All Back》の最新作のリリースが3月29日に決定! リー・スクラッチ・ペリーやルーツ・マヌーヴァらの新録音源や未発表曲を含む全18曲入り! 日本からはリクル・マイ、にせんねんもんだいが参加!

ポストパンク、ダンス・ミュージックなど様々なスタイルの中でダブを体現するエイドリアン・シャーウッドが率いるUKの〈On-U Sound〉より、1984年に初めてリリースされた《Pay It All Back》シリーズの待望の最新作、『Pay It All Back Volume 7』のリリースがついに実現! リリースに先立ってトレイラーと先行解禁曲“Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich”が公開された。

Pay It All Back Volume 7 Trailer
https://youtu.be/Ro8QcLi5azg

Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich
iTunes: https://apple.co/2W5AA6l
Apple: https://apple.co/2R36YD1
Spotify: https://spoti.fi/2DmeqW0

今回の作品にはルーツ・マヌーヴァ、リー・スクラッチ・ペリー、コールドカット、ゲイリー・ルーカス(from キャプテン・ビーフハート)、マーク・スチュワート、ホレス・アンディといった錚々たるアーティスト達の新録音源、過去音源の別ヴァージョン、そして未発表曲などを収録した、まさにファン垂涎モノの内容となっている。また、日本からはリクル・マイ、にせんねんもんだいが参加している。

LPとCDには〈On-Sound〉のバックカタログが全て乗った28ページのブックレットが付属し、デジタル配信のない、フィジカル限定の音源も収録されている。また、アルバム・ジャケットにはクラフト紙が使用された、スペシャルな仕様となっている。

〈On-U Sound〉からのスペシャル・リリース『Pay It All Back Volume 7』は3月29日にLP、CD、デジタルでリリース。iTunes Storeでアルバムを予約すると、公開中の“Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich”がいち早くダウンロードできる。

label: On-U Sound / Beat Records
artist: VARIOUS ARTISTS
title: Pay It All Back Volume 7
cat no.: BRONU143
release date: 2019/03/29 FRI ON SALE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10072

TRACKLISTING
01. Roots Manuva & Doug Wimbish - Spit Bits
02. Sherwood & Pinch (ft. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich
03. Horace Andy - Mr Bassie (Play Rub A Dub)
04. Neyssatou & Likkle Mai - War
05. Lee “Scratch” Perry - African Starship
06. Denise Sherwood - Ghost Heart
07. Higher Authorities - Neptune Version*
08. Sherwood & Pinch ft. LSK - Fake Days
09. Congo Natty - UK All Stars In Dub
10. Mark Stewart - Favour
11. LSK and Adrian Sherwood - The Way Of The World
12. Gary Lucas with Arkell & Hargreaves - Toby’s Place
13. Nisennenmondai - A’ - Live in Dub (Edit)
14. African Head Charge - Flim
15. Los Gaiteros de San Jacinto - Fuego de Cumbia / Dub de Sangre Pura (Dub Mix)
16. Little Axe - Deep River (The Payback Mix)
17. Ghetto Priest ft. Junior Delgado & 2 Bad Card - Slave State
18. Coldcut ft. Roots Manuva - Beat Your Chest

Mira Calix - ele-king

 ミラ・カリックス――紙エレ23号でも少しだけ触れたけれど、彼女はとてもおもしろいアーティストだ。90年代半ばにエレクトロニカの文脈から浮上してきた彼女は、2000年に『One On One』という良作を残し、その後ゼロ年代には現代音楽をおもなレパートリーとするロンドン・シンフォニエッタや、昨年アルバムをリリースしたオリヴァー・コーツ、そしてなんと虫たち(文字どおり虫です)と共演。以降も映画や演劇のスコア、インスタレイションなどをつうじて精力的に活動を続けてきた。
 そんな彼女が久しぶりにフィジカル作品を発表する。〈Warp〉からのリリースは2008年の『The Elephant In The Room』以来じつに10年ぶりだが、公開された新曲“rightclick”は予想以上に低音が効いていて、初期ともゼロ年代とも異なる趣を携えている。これは早くほかの曲も聴きたいですね。ミラ・カリックスの新作EP「utopia」は1月25日、10インチ・ヴァイナルとデジタルにて発売。

mira calix

〈WARP〉初期より活躍する才女、ミラ・カリックスが〈WARP〉からは10年ぶりとなるEPのリリースが決定! 新曲“rightclick”のMVが解禁!

レディオヘッドのサポートアクトへの抜擢やボーズ・オブ・カナダのリミックスなどで話題を呼び、初期より〈WARP〉の屋台骨的な活躍をしてきたミラ・カリックス。〈WARP〉からは10年ぶりとなるEP、「utopia」が1月25日に発売されることが決定し、同時にEPに収録される楽曲“rightclick”のMVが公開された。

mira calix - rightclick
https://www.youtube.com/watch?v=w1mZWs1Neis

このEP制作のように、自分にタイム・リミットや厳しいルール、幅の狭い音の種類を与えること、ライター、プロデューサー、ミュージシャンとして完全に自主的に取り組むことはとても新鮮だった。それはある意味で自分のルーツ、〈WARP〉から初めて10インチのヴァイナルをリリースした時に戻ってくるような感じだけれど、全く新しいもののような遊び心があるようにも感じたわ。 - Mira Calix

彼女の最近のプロジェクトは、野心的な合唱音楽作品やパフォーマンス・アーティスト、独特なスピーカー拡散システムなどを取り入れたサウンド・インスタレーションといった活動が中心になっており、10年ぶりとなる〈WARP〉からのリリースに関しては自身が「全く新しいもののような遊び心があるようにも感じた」と語るように、フレッシュさを感じさせる内容となっている。

待望の10年ぶりとなるEPは1月25日にアナログとデジタル配信でのリリースを予定しており、iTunes Store でアルバムを予約すると公開中の“rightclick”がいち早くダウンロードできる。

label: Warp Records
artist: mira calix
title: utopia
release date: 2019/01/25 FRI ON SALE

[tracklist]
1. rightclick
2. just go along
3. upper ups
4. bite me

more info:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10043

interview with Laraaji - ele-king

 去る9月、ヴィジブル・クロークス以降のニューエイジ・リヴァイヴァルともリンクするかたちで、すなわちある意味ではベストとも言えるタイミングで単独初来日を果たしたアンビエント~ニューエイジの巨星、ララージ。そのこれまでの歩みについてはこちらの記事を参照していただきたいが、往年のファンから若者までをまえに、いっさいブレることなく独特の静謐なサウンドを披露してくれたララージ本人は、現在いくつかの位相が交錯しそのもともとの意味がよくわからなくなっている「ニューエイジ」という言葉について、どのように考えているのだろうか。興味深いことに彼は取材中、何度もそれが「実験」であることを強調している。つまり? 鮮やかなオレンジの衣装を身にまとって現れた生ける伝説、彼自身の言葉をお届けしよう。

ニューエイジは、ナウエイジという言い方もできる。「now」というのは「new」な状態がずっと続いているということだ。いまというこの瞬間が続いている状態が「new」なんだ。古くならないということだね。

いつもオレンジの衣装を身につけていますが、その色にはどのような意味があるのですか?

ララージ(Laraaji、以下L):私は太陽の色と呼んでいる。80年代の頭ころ、実験的にというか無意識にこういう色を着ることが多くなっていったんだ。私のスピリチュアル系の先生が言ってくれたことがあって、70年代くらいからこのサンカラーは、自分の内面を表出させる「イニシエイション」の色なんだそうだ。そもそもこの色には「炎」とか「自分を変える(トランスフォーメイション)」という意味合いもある。太陽が沈むことによって古い自分が滅し、太陽が昇るときに新しい自分が生まれる――そういう生まれ変わり、更新みたいなことを意味する。太陽の色にはそういう効果があるんだよ。それともうひとつ、自分が務めるサーヴィス、仕える自分としてのユニフォームでもある。真の自分、もしくはその周りの他の人たちのほんとうの姿に仕える自分だね。

そういったことを考えるようになったのはやはり、70年代に東洋の神秘主義に出会ったことが大きいのでしょうか?

L:東洋哲学に出会ったことで、それをどういうふうに実現していけばいいか、よりフォーカスを絞れた側面はあると思う。そもそも私はバプテスト教会育ちで、「ジーザスとは?」というような環境で育っている。ジーザスこそが理想だから、「ああいうふうになりたい、ああいう良き存在になりたい」と思って育ってきた。「良き存在」とはどういう存在かというと、周りの人のスピリットを昂揚させて昇華させてあげられるような、飛翔させてあげられるような、そういう存在になりたいということだけれども、それは人を笑わせることでもできる。それでコメディとか、役者の道を考えたりもしたんだが、70年代に具体的にメディテイションとか東洋哲学とかメタフィジックス(形而上学)みたいなものに出会い、それを知ることによって、もっと大きなスケールで何かを実現したり、人の魂を軽くするようなことができるんじゃないかと思うようになった。思考科学(サイエンス・オブ・マインド)とか、ポジティヴなものの考え方(ポジティヴ・シンキング)とか、そういうものをより追求するようになって、「これは音楽でもできるんじゃないか」と思うようになった。それでそのふたつの考え方にもとづいて音楽をやっていたらイーノとの出会いがあって、どんどん世界が広がって、繋がっていくことになるんだ。さきほど「他の人たちへのサーヴィス」という言葉を使ったけれど、「音楽で何か人の役に立つことができるんじゃないか」と思って活動していくなかで、ヘルプを求めている人が向こうから寄ってくるようになってきたんだ。それが私の音楽活動の流れだね。

現在の技術をもってすれば、たとえば車のなかでも大聖堂で聴いているような響きで音を楽しむことができる。ニューエイジとは、そういう新たなリスニング経験ができる時代という意味だ。

これはもう何度も訊かれていることだとは思いますが、あらためてイーノとの出会いについて教えてください。

L:私は当時プロデューサーを探していた。自分の音楽を導いてくれる人が欲しくてね。じつは当時はイーノの名前も知らなかったんだ。1978年、ニューヨーク・シティのワシントン・スクエア・パークで私は、目をつぶって、蓮座に脚を組んで、エレクトリック・チターを弾きながら、その音をパナソニックの小さなアンプから出して、演奏をしていた。演奏が終わると、チターのケースに入っているお金を数えた。一枚だけ、お金ではなくてメモが入っていた。読んでみると、それがイーノからの誘いの手紙だったんだ。いま自分は近くのヴィレッジに住んでいて音楽を作っているから訪ねてこい、と書いてあった。「一緒にやりたい」という趣旨のことが書かれていた。それでじっさいに行ってみた。1、2時間そこで話をしたんだけれど、アンビエント云々という話になったときに、私はそれがなんなのかまったくわからなかった。しかし一緒にやったらおもしろそうだとは思ったので、スタジオに入って、実験的にやってみることには合意した。その結果として生まれたのが、『Day Of Radiance』だった。

あなたの音楽もアンビエントと呼ばれることがありますが、それについてはどう思います?

L:それを拒絶するつもりはないよ。それでマーケティングがうまくいくなら、レコード会社が「それが良い」というなら、「どうぞ」と思う。私が音楽をプレイするときは、自分が置かれている環境に浸りきる。一緒に音楽を聴いてくれているリスナーが、音の鳴っている環境に自分を没入させるとでもいうのかな。そういうことができる音楽だという意味では、アンビエントという定義に合致するのかなとは思う。たぶん私がやる音楽は、聴こうと思って聴かなくてもその場に身を置くだけで何かが感じられるタイプの音楽だと思う。夢を見ているような感覚になるかもしれないし、もしかしたら聴きながらクリエイティヴな思想を巡らす人もいるかもしれないし、あるいは何も考えない無の状態になる人もいるかもしれない。そういうふうに、音の鳴っている環境がその人になんらかの影響を与えるというのがアンビエント・ミュージックであるならば、そういう意味においてアンビエントと呼ばれることはたしかにそうだと思う。けれども、もし自分で呼ぶのであれば、「美しいインプロヴァイゼイション音楽」、もしくは「実験的で神秘的な音楽」、そういった呼び方になるね。

他方でニューエイジと括られることもありますよね。その言葉についてはどうですか?

L:ニューエイジについては、「新しいリスニング体験ができる時代」という意味で捉えている。いまのテクノロジー、技術的な進歩によって可能になった、自分たちの耳で捉えることのできるサウンドのテクスチャーとか新たな聴き方があると思う。たとえば、みんな車のなかで聴いたり家で聴いたりすると思うけれど、より良い音でより良いテクスチャーでその音を体験できる時代がいまはある。それがニューエイジだと、私は思っているよ。その意味においてならニューエイジは(私の音楽に)あてはまる。それはいまは、もしかしたら耳だけではなくて身体で感じる音楽になっているのかもしれないし、トランスを感じさせてくれるようなものという意味なのかもしれない。たとえば現在の技術をもってすれば、車のなかで聴いていても、カテドラル(大聖堂)で聴いているような響きで音を楽しむことも可能だろう。そういう新たなリスニング経験ができる時代という意味だね。
 他方でニューエイジは、「ナウエイジ」という言い方もできるかもしれない。ようするに「いま」という時間がどこまでも持続するようなリスニング体験ということで、それを可能にしてくれる音楽に使われるのがドローンだったり、空間を活かした音作りであったり、いわゆるアンビエントと呼ばれる音楽だったりするわけだ。この音楽を聴いていると「いま」という時間が永遠に続くような感覚を味わわせてくれる。ナウエイジ・ミュージックというのも私の音楽にあてはまる言葉なのかもしれないね。

その永遠に続くかのような「いま」というのは、鳴っている音を聴いている(瞬間的な)「いま」ということでしょうか? それとも、もうちょっと広い意味での「いま」ということでしょうか?

L:「new=now」というか、いまというこの瞬間が続いている状態が「new」なんだと思う。古くならないということ。その状態を可能にしてくれるメディテイションとかトランスというものがあって、その間に味わっている「いま」というこの瞬間のことだ。それが永遠にずっと続いていくような感覚。でもじつを言うと、「new」も「now」も人間が作ったものではなくて、自然界のなかにすでに存在している、内蔵されている音の周波数みたいなものなんだ。精神性だよね。「now」というのは「new」な状態がずっと続いていること。そういう意味において、私の言うニューエイジ、ニューエイジ音楽というのはコマーシャルなニューエイジ音楽とは別物だね。私の言っているニューエイジは、それがロックだろうがジャズだろうが、あるいはまったく異文化の音楽でもよいんだけれども、たとえば西洋の人がはじめてガムランを聴いて体験したときに、まったく新しいと思うその感覚、それこそがおそらく私の言いたいニューエイジなのだと思う。
 たとえば、ある音楽でぜんぜん知らない意外な昂揚感を味わったとする。自分の身体から魂が離脱するような感覚を味わったり、それまで知らなかったヒーリングの感覚を味わったり、思いも寄らないイメージが自分のなかに沸いてきたり。そういうことをはじめて味わわせてくれる音楽があるとすると、その「はじめて」「新しい」という感覚がずーっと持続することこそが私の目指すニューエイジ音楽なんだ。他方ではコマーシャルなニューエイジ音楽というのもあって、それはそのときだけ新しければいいから、来月は違うものが、来年はまた違うものがニューエイジになっていく。ひるがえって私の音楽には、その新しい「いま」という感覚が永遠に続くトランス感やドローン感みたいなものがある。そういう意味でのニューエイジだ。ヒーリング体験にもいろいろあると思うが、既存のありがちなヒーリング体験でも、伝統的なヒーリング体験でもない、新しい癒しの体験を与えてくれる音楽だ。

レコード店がラベリングするようなコマーシャルなニューエイジにはある種の現実逃避というか、つらい現実から逃げる手助けをしてくれるようなニュアンスが負わされていることもあると思いますが、あなたのニューエイジにそういう側面はない?

L:そういった逃避的なものを提供するニューエイジ音楽は背骨のない音楽だね。ようするにオルタナティヴなクラシック音楽とか、あるいは実験的なクラシック音楽とか、いろいろな呼ばれ方をするクラシック系の音楽もそういう棚に並んでいると思うけれど、そこで作り手のミュージシャンに「ぜひこれをみんなに伝えたい」という強い思いがあれば、それはそれなりの音楽として表れるだろう。たとえば「ニューエイジ」という名前にカテゴライズされていなくても、ジャズ系の人で本当にヒーリングの力のあるコンテンポラリーな音楽を作っている人はいる。ただそういう人たちがやっていることは、「ニューエイジ」というオブラートに包んだような、安全な感じのする響きでみんなが安心して聴けるような、そういう音楽としてはみんなが認めていないのだろうね。「ニューエイジ」からは、「けっして洗練された耳を持たなくても、誰でも安心して楽しめる音楽ですよ」というようなニュアンスを私は感じる。私の言うニューエイジとは、ほんとうにチャクラからみなぎるエネルギーだったり感情だったり、そういったものに真に根差した音楽で、聴き手がアラスカの人だろうが台北の人だろうが理屈ではなく訴えかけてくるものを理解できる、そういう音楽のことだから、「ニューエイジ」の棚に行っても見つからないかもしれない。「ニューエイジ」の棚で見つかるのはまたべつの種類のものなんじゃないかな。

あなたの音楽にはそのときそのときの時代や社会の状況が映し出されていると思いますか?

L:答えはイエスだね。ただ、そうだな……時代そのものというよりも、時代にたいして自分がどうレスポンスしたいかという気持ちが表れているんだと思う。だから、ものすごく過激な時代であれば、私は逆に、自分の音楽でみんなをもっとリラックスするほうへと導いてあげたいと思う。そのような表れ方だね。

ということはやはり、あなたが活動してきた40年間は過激な時代だったということでしょうか?

L:たぶんそういうことだと思う。過激というのにもいろいろあると思うが、私が最近とくに思うのは、とにかく情報過多ということだ。みんなが歩きながらつねにiPhoneを見ているような状況がある。そうするとインフォメイションが一気にガーッと頭のなかへと流れ込んでくる。そういう時代だからこそ、音楽を聴いているときくらいは軽やかに、余裕のあるシンプルな気持ちになってもらいたい。音楽を作るときの私の目的は、そういった日常や世界の慌しさからシフトさせてあげられるような、そういうものを提供したいんだ。

みんなが歩きながらつねにiPhoneを見ている。情報が一気に頭のなかへと流れ込んでくる。そういう時代だからこそ、音楽を聴いているときくらいは軽やかに、余裕のあるシンプルな気持ちになってもらいたい。

これまでいろんな相手とコラボしてきましたが、2010年代に入ってからはとくに若い世代とのコラボが活発になった印象があります。また、10年代にはあなたの作品が数多くリイシューされるようにもなりました。なぜいまそのようにあなたの音楽が求められているのだと思いますか?

L:そういう話を振られるまで自分では考えたこともなかったな。おそらく私の初期の作品はイノセントで、いろいろと無邪気に探訪していた時代の作品だから、それがいまの若者の気分に合致するんじゃないかな。その罪のなさだったり遊び心だったり、あるいは当時はまったく洗練された機械を使っていなかったから、その垢抜けない感じだったり……言うなればトイ・ミュージック、楽しいおもちゃのような音楽だったからね、それがいまの20代や30代頭くらいの、いろんなことを疑問に思ったり問いかけたりしている世代の人たちにとって安心感があるというか、そういう人たちの気持ちに訴えたということなのかもしれない。私が「自分は何者なのか?」ということを探りあぐねていたころの音楽、それがぴったりくるというのはわかるような気がするね。あの頃の私は既成概念にとらわれず、「こういう音であるべきだ、こういうテクニックを使うべきだ」と言ってくるような権威にたいして、やんわりと反発しながら音楽を作っていて、箱からはみだしたいという思いがあった。その結果としての実験性だった。

いまでも音楽を作るうえで何かに反抗することはありますか?

L:そう言われてみると、いまは外に対して反逆・反抗するというより、自分のなかにガイダンスを求めるという状況になっているから、それが若い人たちに伝わっているのかもしれないね。私はつねに音楽をとおしてより高い導きを与えるということをやっているつもりだから、何を信じてよいかわからなかったり次の段階に進むにはどうしたらいいのか迷っていたりする人たちに、それが伝わるのかもしれない。私の求める高次のガイダンスのようなものが、音楽をつうじて彼らに伝わっている、それが若い人たちに喜ばれる理由かもしれないと、いま思ったよ。私自身は現在、何かに対して反抗するということは考えていない。むしろ自分のなかで、「より革新的でありたい」とか「実験的でありたい」とか、あるいはそのためにリスクを負うとか、そういうことを追求しながら音楽を作っている。洞察というべきかな。そういういま私のなかで起こっていることが、音楽をとおして若い人たちに訴えかけているということなのかもしれないね。

マシューデヴィッドの〈Leaving〉から音源がリイシューされたり、カルロス・ニーニョやラス・Gと仕事をしたりと、最近はLAシーンとの接点が目立つ印象があります。

L:LAというより、カリフォルニアかな。それらはどれも、私がライヴでカリフォルニアへ行って、そこで出会った人たちとの話のなかからはじまったプロジェクトなんだ。フレンドリーで、ほんとうに居心地のいい仲間たちだよ。気づいたらそうなっていたという感じだね。私から頼んだことはない。コンサートを見た人たちからEメールが来るようになって、という感じだな。

近年の作品ではサン・アロウとの共作がけっこう好きなのですが、それも自然ななりゆきではじまったものだったのでしょうか?

L:あれはツアー中のライヴ録りなんだよ。キュー・ジャンクション(Qu Junktions)が組んだツアーだったんだけれど、サン・アロウと一緒にまわっている最中に録った音源から良いところをとって作ったアルバムだ。

昨年はブラジルのサンバ歌手、エルザ・ソアーレスをリミックスしていましたね。

L:BBCで一緒にやったやつだな。スタジオの手配だった。実験プロジェクトのなかで一緒にやったものだ。インターネット配信で……ちょっと番組の名前が思い出せないが、BBCがアーカイヴしている。

最近注目しているアーティストや作品はありますか?

L:エリック・アーロン(Eric Aron)という人の作品。それとスティーヴ・ローチ(Steve Roach)、ジョン・セリー(Jonn Serrie)。エリックとジョンは、シンセサイザーの使い方が、自分がそのなかに身を置いていると気持ちが良くて、それにすごく冒険心がある。先見の明があるような気がするんだ。

長いあいだ音楽を続けてきて、機材だったり考え方だったりいろいろ変化した部分もあると思いますが、40年間あなたの音楽に一貫しているものはなんでしょう?

L:冒険だね。求める、探求する旅。本来の自分の姿をより深く知りたい、その思いで音楽を作っている、その旅、クエスト、これはずっと変わっていないと思う。そのために、静かな部分とか、いまを持続させるとか、そういうことを意識しながらやっていて、それはむかしから変わらないと思う。

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