「Nothing」と一致するもの

 今ほど、人々が財政に関心を持った瞬間があっただろうか。


 日本政府と為政者のあまりの無能さに、多くの人が「日本ヤバい」と感じ始めているのではないだろうか。コロナウィルスの感染拡大とともに広がる経済的な災禍を前に、人々の積極財政を求める声が日増しに大きくなっている。

 前回、拙コラムでお伝えしたように、公務員数やその人件費、国立感染研や保健所の施設数や予算、病院のベッド数を削減し続け、危機に脆弱な社会構造にしてきた犯人は緊縮財政であったことは明らかだ。しかし、政府はこの期に及んでも病院の統廃合を促し、ベッド数を10%以上も減らす予算案を閣僚折衝で合意、一方では、前維新代表で元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏は「僕の改革で今、現場が疲弊している」としながらも「無駄は要らない」と居直る傍若無人ぶりだ。ネオリベ改革の狂気をまざまざと見せつけられては、人々の批判の声が止むこともない。

 4月7日に発表された政府の経済対策の事業規模は、GDPの20%に相当する108兆円規模になるという。しかしこの大本営発表は、最大限控えめに表現しても「ウソ」である。真水と言われる政府の新規支出額はわずか16.8兆円であった。日本政府は常に実体を大きく見せる誇大広告のトリックを使うが、この事業規模とは、政府支出により拡大する民間の投資額も含めた数字なのだ。追加の財政支出とされた29.2兆円の内訳は、昨年12月に閣議決定された事業規模26兆円の経済対策の未執行分や貸付拡大枠、財政投融資や徴税徴収の猶予なども加えるというセコい手を駆使した結果だ。国民を欺こうとする意図が透けて見えるどころか、隠そうともしない姿勢には閉口せざるを得ない。



出典;れいわ新選組・山本太郎代表のツイッターより「令和二年度 補正予算概要」

 実際の補正予算は上図のようになるが、我々国民が、竹やりだけ(マスク2枚)を持たされて本土決戦を迎えようとしている状況に、同日のツイッターでは「#ドケチ政権」がトレンド入りしていた。実際に、安倍首相が示した方針の中における各施策も、いわば、まさに、目を覆いたくなる酷さだ。政府は、「お肉券」「お魚券」があまりにも不評だったため、今度は旅行と飲食に使えるクーポンを発行することを決めた。幼稚なネーミングが批判対象になったと勘違いしたからか、「Go to Travel, Go to Eat」と名付けたクーポン券にするらしい。大喜利でもやっているつもりだろうか。

 また、日本政府は「コロナは戦後最大の経済危機」と見立て、子ども1人当たり1万円を給付する方針でもあるという。しかも6月にたった一回に限って支給するという、戦後最大の経済危機への対策がおこづかい程度の1万円とは、絶望しか感じえないだろう。

 他にも政府肝入りの対策として発表された「30万円の現金給付」、「雇用助成金制度」、「持続化給付金」も、中身を紐解けば酷いものだった。大本営の大々的な宣伝とは実態は大きく異なり、給付要件を厳しく設定し、対象も狭めるような、誇大広告に他ならない内容だった。消費者庁に通報して良いレベルだろう。

 忘れてはならないのが、1月23日に武漢が閉鎖された翌日の1月24日に、安倍首相は中国人観光客に対し、わざわざ春節ウェルカムメッセージを公開し、感染者の国内流入を後押ししたことだ。その自らの失政と緊急事態宣言により、営業休止に追い込まれた飲食店等への個別補償も「バランスを欠く」として否定しているのだから、批判を免れようはずもない。

 政府は給付対象を限定し、そして例え申請したとしても多くが給付されない制度の立て付けにした。給付要件を複雑にするのは、給付希望者を役所に来る前段階でふるいにかける為だろう。どうしてもお金を払いたくないから、事前に諦めさせようとする作戦であろうと思われる。さらに言えば、給付対象者自身が市区町村の窓口などに申請する自己申告制とし、申請時に所得が減少したことを示す資料の提出を求めているが、ただでさえ忙しい市町村の役所に、申請者が押し寄せることは不可避である。役所が感染クラスター化して機能不全に陥る可能性も想像もできない政府のあまりの無能さには頭がクラクラする。

 「日本政府のヤバさ」は他国の経済対策と比べると、より際立つ。国公労連の雑誌「KOKKO」編集者・井上伸氏は4月2日に、ツイッターで「IMFの調べ」として以下のように報告している。

 アメリカでは先週の失業数が660万を超え、僅か3週間で1600万人に達した。我が国でも緊急事態宣言が発せられた今、多くの人々が仕事を失うというのだから対岸の火事ではないが、そのアメリカでは先般議会審議を通過した2.2兆ドル(=240兆円・金融の流動性担保の4250億ドル=46.75兆円の予算を抜いたとしても193兆円))規模の経済対策に加え、さらに220兆円の財政出動、合計して総額460兆円規模の対策が予定されている。

 アメリカの240円規模の支出案に関しては、筆者のブログで詳細を報告しているのでぜひ参考にしてもらいたいところが、先日のれいわ新選組・山本太郎代表の配信番組でも取り上げてもらったことから、その重要性もご想像いただけるだろう。とにかく、アメリカは想定されうるありとあらゆるものに予算をつけているのだ。(リンク先の食料供給危機に対する米国の予算や国連・WHOの報告、先進各国の対策についてもぜひ注目いただきたい)


出典:筆者が複数のメディア情報を元に作成


 アメリカの支出案には年収約1000万円以下の、全ての国民に対する一律現金給付13万円(子供には約6万円・夫婦二人世帯なら26万円・年収約850万円以上は減額)という施策も含まれるが、世界各国でも同じような策を講じている。日本政府による「休業要請はするが補償はしない」とするわけのわからない休業補償・現金給付案とは大違いだ。

 早くから国民への一律現金給付を決めた香港(約14万円)、シンガポール(約24万円)の対策は広く知られるところだが、イギリス、フランス、ドイツの経済対策にも注目してみよう。EUではすでに、三月中から安定成長条約(SGP)といわれる財政健全化策が停止され、柔軟な財政政策を組むことが可能となって、各国が巨額の支出策を予定している。

 イギリスでは、3,915億ポンド(約52.4兆円)の経済対策を講じる。企業への220億ポンドの給付パッケージの支払いもすでに始まっていて、中小企業は2万5000ポンド(約330万円)の助成金を受け取り始めたという。

 労働者の給料の最大80%、ひと月あたり最大2500ポンド(約33万円)を補償する計画も進行している。この施策には自営業者の95%が対象とされるというが、これらの雇用維持のための費用は3ヶ月間で300~400億ポンドに膨らむとも予想される。

 また、企業の付加価値税(消費税)支払いを6月末まで猶予し、中小企業への無利子融資、家賃補償には10億ポンドの予算もつけ、三カ月間の住宅ローンの猶予する数々の施策も用意する。財政措置のほかには300億ポンドの税金の猶予措置、3310億ポンドの金融流動性措置もあげられる。

 フランスの緊急支援措置は5,592億ユーロ(約66兆円)にのぼる。企業が労働者に総給与の70%(最低賃金労働者には100%)を支払うことを二か月間補償するために85億ユーロ、収益が半減した中小企業に約60億ユーロ、税金や社保料の減免に320億ユーロ、債務返済モラトリアムに1,800億ユーロ、公共料金(ガス、電気、水道)や家賃の猶予に350億ユーロ、国民保健システムに20億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に3,020億ユーロなどの予算を予定している。

 また、国民生活に必要な食料を販売するスーパーマーケットの従業員には1000~2000ユーロ(約11万7000円~23万4000円)のボーナスも提案されているという念の入りようだ。苦境にある小規模事業所・自営業者・フリーランスには、第1段階として1500ユーロ(約18万円)を即時支給したともいう。

 ドイツでは憲法で巨額な負債を禁止しているが、それを一時的に外し対応にあたる。当面の財政支出として計上した2,360億ユーロ(27兆8500億円)をはじめ、納税猶予や金融流動性の担保等を含めて2兆600億ユーロ(242.8兆円)の措置を予定している。

 予算の内訳は、企業支援に1,850億ユーロ、零細企業・個人事業主への直接助成金が500億ユーロ、法人税等の減免・延滞費として5,000億ユーロ、児童手当や所得支援などに77億ユーロ、健康保険会社に50億ユーロ、医療緊急対策に35億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に1兆3220億ユーロなどとなっている。

 また、中小企業は面倒な審査なしに、まずは1回限りの5000ユーロ(約65万円)の援助が受けられ、子育て世帯には直接給付があり、在宅せざるを得ない親に所得の67%が保障されている他、住居費や公共料金の支払い猶予などの措置も定められているようだ。

 ほかにもスペインではベーシック・インカムが導入される予定で、経済大臣が恒久化も見越していると発言、カナダでは緊急対策手当として仕事や収入を失った人に毎月2000ドルを最大4ヶ月給付することを発表している。

 さて、このように日本と他の先進各国との経済対策をつぶさに比較すると、改めて嫉妬とも憤怒とも絶望ともつかない感情が沸き上がるのではないだろうか。世界の先進国が同じ課題に取り組む機会は多くは無いが、今回のコロナ対策では残酷なほど指導者の力量の差が出ている。あのトランプやボリス・ジョンソンですら国民と真剣に向き合い、適格な疫病・経済対策を打とうとしているのだ。我が国の首相の無能さを改めて論じる必要もないだろう。

 ゴールドマン・サックスによると、完全な都市封鎖もなく、まだ感染爆発も起こっていない日本のGDP成長率(4-6月期/同期比年率)が、マイナス25%と予想された。同社は米国の同期GDPをマイナス24%と予想しているが、米国では死者が1万5000人にも迫る大惨事となっている違いを忘れてはならない。

 また、OECDは「もし都市封鎖が3か月続き、(有効な対策を取るなどの)相殺する要素がなかった場合、一時的にGDP総額の20-25%、年間のGDP成長率で4-6%押し下げる」と報告していて、最も影響を受けるG20の国は日本(GDP総額でマイナス30%以上)であると位置づけている。残念ながら、日本政府が有効な対策を取れているようには思えない。OECDの予測する筋書きを歩む可能性も十分にありうる。


出典:松尾匡・立命館大学教授「そろそろ左派は経済を語ろう」より

 この惨禍が、政府の愚策のおかげであることすら知ることなく、自ら命を絶つ人も増えるだろう。絶望の中、我々は、コロナと、そして政府とたたかわなければならない。しかし、我々国民には財政主権がある。困っている人を助けるためにこそこの財政主権を使わなくて、いつ使うというのだ。

 緊縮財政の優等生ドイツでさえ、憲法にある均衡財政のくびきを断ち切って、人々の生活を支えようとしている。それほど、自国に生きる人々の基本的人権、生存権や幸福追求権を守らなければならないと奮起したからだろうし、それは民主主義国家であれば当然のことだ。国民国家は、国民がいなくなれば国家が成り立たないのだから。

 外国の政策担当者が「今は戦時中だ」というような言葉を発するのを聞くことも多い。ドイツのメルケル首相は「第二次世界大戦以来最大の危機」と発し、フランスではマクロン大統領が「戦争状態だ」と宣言している。フランスは来る食料供給不足を見越して、休業中の人を農業労働にマッチングさせる「農業部隊」政策を始めた。戦時下では、生き残るために必要な分野に労働力を移動させ、需給バランスをコントロールしなければならないのだ。

 ケインズは1939年に「How To Pay For The War(戦費調達論)」と題した短い書籍で、どのように平時の産業構造から戦争の為の産業構造に切り替え、国債や租税の力も借りながら、人々の消費と貯蓄、そして物価をコントロールすることで、その戦費を調達し後に返済するかを論じた。そのなかでは低所得者には減税し、より多くの報酬を払うようにと強調されている。

 公共投資により需要を創出するという、「一般理論」における彼の主張は、皮肉にも戦争という公共投資によってその正しさが証明されることとなった。ケインズの言葉を引用しよう。

もし我々が、軍備という無駄な目的のために失業を解決し得るならば、平和と言う生産的な目的のためにもそれを解決できるはずだ。 ジョン・メイナード・ケインズ

 今回のコロナ禍の影響もあり、残念ながら大統領選から撤退してしまったサンダース大統領候補の経済顧問で、MMTの創設者でもあるステファニー・ケルトン教授は「How to pay for the war」について、以下のように語る。

有名なケインズの「戦費調達論(How To Pay For The War)」は、過度なインフレを起こさずして、どのように 消費財の生産を中心とした経済から戦争をするための生産を中心とした経済へと転換させるかが書かれていましたが、ここで重要な点は(それと逆のことをやっても)物価がコントロールできるということです。 ステファニー・ケルトン教授

 言うまでもなく、物価は需給の増減により決定づけられる。ケインズ主義やMMTの真髄とは「需給のコントロール」により、いかにして完全雇用を実現するかだ。現在のような非常事態においては、まずは命を守るための国費の投入が、そして人々を失業から守ること必要だが、需要に対して供給能力の足りなくなった医療・物流・食糧・保険分野などには、労働力を投入しその供給を支えなければならない。今こそ政府が社会的共通資本に資金を投じて強固な国づくりをすべきだろう。

 一時話題となった布マスク二枚が全国に郵送され始めたようだ。政府は、やろうと思えば即時に郵送で国民に物資を届けることができるということだ。であれば、米国のように政府小切手を郵送することも可能である。これこそ、MMTで語られる内生的貨幣供給論と言われる信用創造そのものではないか。実態経済市場に新たに通貨を創造させることになり、コロナが去った後には需要を生むことにもなるだろう。

 さあ、我々が何をなすべきかわかってきた。財政主権を手に、政府に語りかけよう。

Adrian Younge & Ali Shaheed Muhammad - ele-king

 ジョン・ライドンがセックス・ピストルズを脱退するときに言い放って以来、いろいろなロック・ミュージシャンが口にしてきた「ロックは死んだ」というフレーズ。ミュージシャンによってそれぞれの思いがあるのだろうが、ジョン・ライドンの場合は停滞した既存のロックへの批判と訣別であり、パブリック・イメージ・リミテッドによっていままでとは違うオルタナティヴで新しい道を切り開いていった。そして、このたび新しいレーベルの〈ジャズ・イズ・デッド〉が誕生した。マルチ・ミュージシャンでプロデューサーのエイドリアン・ヤングが興したレーベルで、『ジャズ・イズ・デッド』というニュー・プロジェクトを始めるために作ったようだ。イヴェントなどの企画もやっていて、いまのところカッサ・オーヴァーオールシャバカ・ハッチングスらのライヴが予定されている。エイドリアン・ヤングは〈リニア・ラブズ〉という自主レーベルを運営していて、〈ジャズ・イズ・デッド〉はその傍系にあたるのだろう。

 エイドリアン・ヤングは1960~70年代のソウル、ファンク、ジャズなどをモチーフに、ヴィンテージな楽器を用いてサントラ的な展開をしつつも、現在のヒップホップやR&Bの要素を融合した音作りを一貫してやってきた。ソウルズ・オブ・ミスチーフ、デルフォニックス、ゴーストフェイス・キラー、ビラル、RZA、バスタ・ライムズ、スヌープ・ドッグ、ケンドリック・ラマーステレオラブレティシア・サディエールなど幅広い面々と作品制作、コラボ、共演をしているが、近年はア・トライブ・コールド・クエストのDJ/プロデューサーのアリ・シャヒード・ムハマドと組んで、『ザ・ミッドナイト・アワー』というプロジェクトをやっている。これはサンプリングを用いずに全て生演奏でおこなうというもので、ビラル、レティシア・サディエール、シーロー、ラファエル・サディーク、マーシャ・アンブロージアス、クエストラヴ、ジェイムズ・ポイザー、キーヨン・ハロルドらが参加し、サウンド的にはダークなサイケデリック・ソウルと形容すべきものだった。『ジャズ・イズ・デッド』も再びアリ・シャヒード・ムハマドとのコラボで、方向性としては『ザ・ミッドナイト・アワー』の延長線上にある。ただし、今回は大きなミッションを課していて、それはジャズ界の偉大なミュージシャン、レジェンドたちと共演をおこなうということである。それらレジェンドたちが作ってきたジャズの歴史、伝統といったものを否定するような『ジャズ・イズ・デッド』という言葉に対し、ある意味それを真逆でいくようなプロジェクトであるかもしれないが、エイドリアン・ヤングとしては彼のヒーローだったり、影響を受けてきたヴェテラン・ミュージシャンたちと対峙することによって、自分にとって初めて新しい視界が広がるということなのかもしれない。

 アルバムはよくこれだけの大物共演者が集まったな、というようなキャスティングがおこなわれている。ヒップホップ世代からも絶大な人気を集めるロイ・エアーズを筆頭に、アート・ブレイキー、マイルス・デイヴィス、マッコイ・タイナーなどジャズ・ジャイアンツたちと共演してきたゲイリー・バーツ、1970年代の〈ブラック・ジャズ〉で当時の夫人のジーン・カーンと共にスピリチュアル・ジャズを展開したダグ・カーン、ギル・スコット・ヘロンと長年に渡るパートナーだったブライアン・ジャクソン、ブラジルが生んだスーパー・トリオのアジムス、そのアジムスが最初はバック・バンドを務めていたマルコス・ヴァーリに、彼らとも縁が深いジョアン・ドナートといった顔ぶれだ。そのほかバック演奏のミュージシャン名はクレジットされていないが、恐らくはエイドリアンが率いるバンドのヴェニス・ドーンのメンバーが中心となって演奏しているのか、またはエイドリアンとアリ・シャヒードが全て多重録音でやっているのだろう。使用する楽器の傾向や音色などは『ザ・ミッドナイト・アワー』やエイドリアンのこれまでの作品と同様で、オーガニックで温もりや奥行きのあるサウンドを展開している。

 “ヘイ・ラヴァー” にはロイ・エアーズがフィーチャーされるが、ヴィブラフォン・プレーヤーではなくシンガーとして起用している。ロイの作品でいくと “エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン” や “サーチング” タイプのメロウ・グルーヴだが、より深く沈み込むようなグルーヴを持っている。ゲイリー・バーツのサックスをフィーチャーした “ディスタント・モード” は、変則的なドラム・ビートが印象的な1曲で、カッサ・オーヴァーオールやバッドバッドノットグッドなど新しいモードを持つジャズに近い。ギル・スコット・ヘロンとの双頭バンドでは鍵盤奏者として鳴らしたブライアン・ジャクソンだが、彼をフィーチャーした “ナンシー・ウィルソン” (恐らく2018年に他界したジャズ・シンガーのナンシー・ウィルソンに捧げた曲なのだろう)では、もうひとつの顔であるフルート奏者という側面を見せている。サントラ系の音作りを得意とするエイドリアン・ヤングだが、彼のそうした優美さが反映された曲となっている。ジョアン・ドナートをフィーチャーした “コネクサォン” は、アルバムの中でもっともタイトでアグレッシヴなビートを持つジャズ・ファンク。ジョアン・ドナートが1970年に発表した『ア・バッド・ドナート』に繋がるような1曲で、当時の彼がやっていた実験的かつファンキーなキーボード・プレイが再現されている。一変してリリカルなムードの “ダウン・ディープ” には、ダグ・カーンのオルガンをフィーチャー。彼は昨年も『フリー・フォー・オール』というニュー・アルバムを出していたのだが、ゴスペル・タッチのオルガンを前面に出した演奏をやっていて、ここでもそうした姿を見ることができる。アジムスをフィーチャーした “アポカリプティコ” は、アナログ・シンセが不穏な唸りを上げる、まさに1970年代中盤のアジムス・サウンドを再現したようなブラジリアン・ファンク。当時のアジムスもサントラをよく手掛けていたのだが、改めてエイドリアン・ヤングと彼らの間にある共通項を見せてくれるようだ。マルコス・ヴァーリが歌う “ナオ・サイア・ダ・プラサ” も、ちょうどアジムスが演奏していた頃の『プレヴィサオ・ド・テンポ』を彷彿とさせる仕上がりとなっている。ラストの “ジャズ・イズ・デッド” はザ・ミッドナイト・アワーをフィーチャーとなっていて、『ザ・ミッドナイト・アワー』のダーク・サイケデリック・ソウルを発展させたものとなっている。それぞれの曲にゲスト・ミュージシャンへのリスペクトの念が感じられるわけだが、今回の『ジャズ・イズ・デッド』は「001」と番号が振られており、今後もシリーズ化していく目論見があるのだろう。今回の人選を見る限り、次は誰と一緒にやるのか、そんな興味も抱かせる。

Massive Attack - ele-king

 マッシヴ・アタックが大胆な動きを見せている。ブリストルのレストラン経営者や農家、生産者たちの組合である「ブリストル・フード・ユニオン」のクラウドファンディング・キャンペーン「フィード・ザ・フロントライン」に、なんと1万ポンド(約135万円)を寄付しているのだ。同キャンペーンは、新型コロナウイルスのパンデミック下で働き続けている NHS (イギリスの国民保健サービス)のスタッフや、医療現場の第一線で活躍している労働者たちに無償で食事を提供するためのもので、マッシヴ・アタックは目標額=2万ポンドの半分を担ったことになる。これにより同キャンペーンは一気に加速したようだ。

Aphex Twin - ele-king

 先日この緊急事態における注意喚起のメッセージをポストし、その後 user18081971 名義でいくつかのトラックを公開し続けていたエイフェックス・ツインが、急遽、本日4月10日の18時にライヴ・ストリーミングをおこなうことになった(ロンドン時間、日本時間では4月10日の26時=4月11日の深夜2時)。配信されるのは昨年の9月に録音された「ウェアハウス・プロジェクト」のフル・セットで、ユーチューブフェイスブックのページをとおして共有される。映像は彼の相棒としてすっかり定着した感のあるワイアードコアが担当。今週末はお部屋でブレインダンス!

 以下は、最近サウンドクラウドにアップロードされた6曲。

いまやキャラクターとして全国の音楽ファンで知らぬ者なき『レコスケくん』を生み出した本秀康、待望の最新画集発売決定!


『WORLD RECORD』のジャケを、どうしても本さんに描いてもらいたくて会いに行った。(本誌対談より)
──髙城晶平(cero)

本さんが僕に気づいてくれて、「おお、なんか始まったぞ」って感じがした。(本誌対談より) ──前野健太
本さんはめっちゃわたしのなかにバーン!っていますよ。(本誌対談より) ──カネコアヤノ


ファースト画集『ハロー・グッドバイ』から20年、セカンド『MOTO book ~本本~』から12年(干支ひとまわり)。

そして今回のサードは、ルーツロックからアジアン・ポップス、日本インディーまで、古今東西の音楽をこよなく、かつ偏愛し続けてきた本秀康ならではの「ミュージシャンと音楽」に徹底的にこだわったセレクト!

自身で主宰する7インチ・レーベル、雷音(ライオン)レコードのジャケットの原画をはじめ、この12年に本秀康が手がけた数々のジャケット、表紙、グッズデザインなどに使用された作品の原画をほぼ初出しで掲載します!

カネコアヤノ、前野健太、髙城晶平(cero)との特別対談も掲載!

本秀康、初めての全部音楽の画集!

デザイン:岡田崇

本秀康 (MOTO, Hideyasu)
1969年(ロックの年)京都生まれ。イラストレーター/漫画家/7inchレコードレーベル「雷音レコード」主宰。著書に『レコスケくん』(ミュージック・マガジン)、『あげものブルース』(亜紀書房)、『ワイルドマウンテン』(小学館)、『たのしい人生 完全版』(青林工藝舎)などがある。


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R.I.P. Krzysztof Penderecki - ele-king

  クラスターなる文言をはじめて意識したのはもちろんこのたびのコロナ騒動ではなく、じつはメビウスとレデリウスによるクラウトロックの大看板であるあのクラスターでもなく、ペンデレツキだった──かもしれない、といささかぼんやりした文末になったのは私は音楽にのめりこみだしたのは十代のころ愛聴したNHK FMの『現代の音楽』だったのは以前にも述べたが、ある日いつものように夜更かしの友のラジオに耳を傾けているとスピーカーのむこうから耳慣れない単語が聞こえてきた。現代の音楽にはトーン・クラスターと呼ばれる技法があり、切れ目なく、五線紙上の一定の領域をぬりつぶすかのような音(トーン)の塊(クラスター)は聴感上つよいインパクをのこすと番組司会者は述べられ、例にあげた作曲家のなかにペンデレツキの名前もあった。記憶はさだかではないが、おそらく東欧の作曲家を特集していたのであろう、ペンデレツキというツンデレした名前とともに消えのこったトーン・クラスターのことばの響きのかっこよさに中学生だった私はころりとまいった。前衛的な音楽に興味はめばえていたとはいえ、譜面上でくりひろげる難解な方法を理解できるはずもなく、そもそも譜面どころかその手のレコードが入ってくる気配さえないシマの一画にあってはトランジスタラジオがキャッチするヒットなナンバーがたよりで、それとて音の断片や片言隻句を跳躍台に想像の翼を広げなければ歴史に眠る音楽の鉱脈の尻尾はつかめない、そのような環境でトーン・クラスターの方法は名は体をあらしてわかりやすく、ロックもジャズも、1980年代なかごろだったので当時すでにラップもチャートにあがっていたが、雑駁にそれらを聴取する中坊には訴えかけるなにかがあった。
 ブレスのない稠密な音の帯はつよさにおいてはノイズを、時間のながさではドローンを想起させ現象する音楽の前衛性を担保する。私ははじめてトーン・クラスターを認識したのは80年代なかばだったと書いた。当時の楽壇の趨勢はさておき、ミニマリズムをひとつの境に、このときすでにモダニティを体現するものとしての前衛はその歴史的役目を終えた観なきにもあらず、前衛らしい前衛といえば、万博のパビリオンがそうであるようにおおぶりでそのぶんかさばる感じがあった。そのような印象は作品に重厚なオーラをまとわせる反面音楽の顔つきをいかめしくもする。西ヨーロッパと北米という西洋音楽の中心地では音楽の前線の担い手は前衛から実験へと移っていた。前衛と実験の相違点については、私は幾度となく述べ、単純に腑分けできない両義性を前提に、作品の結果が予測できるか否かという基本的見地ひとつとっても、楽理の領域をひろげるほど新しくありながら細部までコントロールの利いた(結果が予測できる)音楽作品、いうなれば「全体音楽」としての前衛は、私がはじめてペンデレツキの音楽にふれたころには機能不全におちいりかけていた。とはいえときはいまだ1980年代なかば、共産圏と資本主義が対立した冷戦構図は人々の世界認識の土台をなし、ペンデレツキの故国ポーランドは東側の大国だった。むろんそこには歴史的な経緯がある、ポーランドのたどった数奇な命運はおのおので調べられたいが、前世紀二度の大戦に翻弄されたかの国の歴史は1933年生まれで、3歳年長の野坂昭如いうところの焼け跡世代にあたる作曲家の作品にも消せない影をおとしている。ポーランドでは戦後、ペンデレツキのみならず、ポーランド楽派の始祖ルトスワフスキをはじめ、作曲家集団グループ49の面々や同世代のグレツキをふくむ前衛派が台頭するが、その趣きは独仏伊と英米をのぞく欧州周辺およびスラブ地方に散発的に興った往年の国民楽派とかさなるものがあった。民俗と風土、すなわち国民国家を背景におくものとしての音楽。20世紀中葉のポーランドの作曲家たちの肥沃な作品の数々をこのことばに集約するのは乱暴だとしても、私が彼らに惹かれた理由のひとつにはピカピカにポストモダン化した西側諸国の失った翳りのようなものにあったのはまちがいない。それこそレトロスペクティヴの記号ではないかとおっしゃられると返すことばもないが、モダニズムの旨味も往々にしてそのような影の下にかくれているもの。前衛とは王道の影であるからこそ、ときに彼方まで伸張するのである(逆に短くもなったりするが)。
 2020年3月29日日曜日、ポーランド南部のクラクフ、生地でもあるこの町の近郊で86年の天寿をまっとうしたクシシトフ・ペンデレツキがその前衛ぶりを歴史に刻印したのはなんといっても他界する60年前、26歳のころの“広島の犠牲者に捧げる哀歌 Tren ofiarom Hiroszimy”であろう。この10分にみたない激越な哀歌は冒頭で述べたトーン・クラスターのお手本でもある。
 編成はヴァイオリン24艇、以下ヴィオラ10、チェロ10、コントラバス8の52の弦楽器群。それらがそれぞれの最高音や最低音を爪弾き弓で擦り叩き、場合によっては駒の後ろ側を弾いたりボディを打ちつけたりする、ペンデレツキはそれらの音を審美艇に空間に配置するというより一本の糸のように撚り合わせ、すると密集する音は塊(クラスター)となり意思をもつかのようにうねりはじめる。各楽器群は少数の班にわかれ、冒頭ではそれらにより音響をつみあげる書法をとるが、数秒後には退潮し、弱音から音の遠近を強調した空間性の高い表現へ、さらにまた音塊化した音まで、自在に闊達に変化する、にもかかわらず、全体に重力のようなものを感じるのは束になった弦の音がくっきりした輪郭を空間に描くからであろう。アヴァンギャルドクラシック──というのも語義矛盾だが──の名に恥じない名曲であり、未聴の方はなるたけ大音量でお聴きいただきたいが、“広島の犠牲者に捧げる哀歌”はペンデレツキという作家のもうひとつの特徴もひじょうにうまくいいあらわしている。ご承知のとおり、この曲の題名は第二次世界大戦時の広島への原爆投下による犠牲者を哀悼する曲であることを意味している。ところがペンデレツキがこの曲をわずか2日(!)で書きあげたとき、最初につけた題名は曲の長さを示す“8分37秒”とそっけないものだった。ケージの代表曲(?)“4分33秒”の向こうをはるかのごときそこはかとない野心も感じさせる題名だが、それが数度の国際コンクールへの出展を経て、私たちがよく知る当のものになった。その理由を、ペンデレツキは広島の原爆投下にまつわるドキュメンタリーをみたことにもとめ、そこに彼自身の戦争体験と共鳴するものをみとめたがゆえの変更だったと述べる一方でかならずしも政治的な見解を示すものではないと注意もうながしている。このことは“広島”がなんらかの言語的な主題(文学性)をもった標題音楽ではなく、真逆であることを意味する。と同時に、いちどでも意味を付与したものはもはやそれなしで語れないということばと事物の意味作用における厄介な関係性を暗示する好例でもある。むろんそこにはペンデレツキの音楽の映像を喚起する力をみなければならないのだが。あるいは大きな物語を記しうる最後の時代の国民作曲家が代弁する集合無意識とでもいえばよいか、いずれにせよこのような音楽とイメージのポジとネガが反転するような関係はポーランド楽派の重鎮にもうひとつの顔をあたえもした。
 すなわち映画音楽の分野である。彼の名をサウンドトラックをとおして耳にされた方もすくなくないであろう。フリードキンの1973年の『エクソシスト』はじめ、キューブリックの『シャイニング』(1980年)、リンチ作品では1990年の『ワイルド・アット・ハート』や2017年放映のテレビ版『ツイン・ピークス』にも、名だたる監督の歴史的名作がサウンドトラックにその楽曲を収めている、その点でペンデレツキは映画音楽の作曲家でもある。もっともスクリーンにながれる彼の音楽はもともと映画のために書きおろしたものではない。たとえばキューブリックの『シャイニング』、ジャック・ニコルソン演じる主人公ジャックが冬のあいだホテルの管理人の職にありついたのを妻に電話で知らせるシーン。超能力をもつ息子ダニーはやがてむかえる惨劇を予知し、ホテルのエレベーターホールを血の海が満たすヴィジョンをいだく。この映像にキューブリックはペンデレツキの1974年の“ヤコブの夢/ヤコブの目覚め”をあわせるのだが、題名からおわかりのとおりこの曲の材料は聖書である。むろん教典はかならずしも現代人の人倫にかなうことばかりではないのでこれをもって瀆神的とはいえないし、禍々しさは美しさの陰画なのかもしれない。オラトリオの一種だとすると、1965年の合唱曲“ルカ受難曲”の緊張感の高さ、調性感の薄さこそ、ペンデレツキの作品にあらわれる宗教観なのではないか。そもそも私たちは“広島”について述べたさいに標題がもたらす錯覚に留意すしといっていなかった——などといった堂々めぐりにおちいりがちなのも、ペンデレツキの音楽の多面性に由来するであろう。『エクソシスト』のサウンドトラックがおさめる名曲「オーケストラとテープのためのカノン」(1962年)になぞえらえるなら、ペンデレツキは音と意味(言語)のカノンが通用した時代、モダニズム(前衛)の最良の時代を体現したひとりであり、70年代後半以の保守化の波にのみこまれた点でも前衛らしい道行きたどった作曲家だった。晩年は病の床に伏せていたというが、YouTubeには「Polymorphia」(この曲も『エクソシスト』のサントラに入ってます)をみずから振る元気なペンデレツキの動画があがっている。ご覧いただくと、作曲家がいかにして弦楽器から多様な響きをひきだしたか、苦心の一端がかいまみえよう。“広島”のころはこんな弾き方すると楽器がいたむからと楽団に演奏を拒まれたこともあったという。いまではそれが現代の音楽を代表する一曲となり、世界各地の舞台にかかりつづけている。私は読者諸兄には機会があれば“広島”の譜面を手にとっていただきたい。音楽があらわすものの奥行きと広がりを視覚的に理解するとともに、そこにいたる課程に思いを馳せれば、前衛とは発明の異名でありその道ははてしないとおわかりいただけるであろう。ざんねんながら、クシシトフ・ペンデレツキの前衛の道は2020年3月29日をもって途切れた、いや途切れたかにみえて、20世紀音楽の歴史のピースとして、恐怖をよびおこすフィルムのいちぶとして私たちの日々に潜在し、凡庸な響きにあきあきした耳を未聴の領野や誘いだそうと働きかけることはおそらくまちがいない。

Werner Dafeldecker - ele-king

 インプロヴィゼーション・グループ「POLWECHSEL」のメンバーで、ウィーンのベース奏者/作曲家のヴェルナー・ダーフェルデッカーの電子音響/音楽アルバム『Parallel Darks』が、ローレンス・イングリッシュが主宰するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Room40〉よりリリースされた。

 ダーフェルデッカーには控えめで思慮深い印象の音楽家・演奏家の印象がある。いつも物静かに誰かの傍に佇んでいる、というような。じじつソロのリリースは、優れた演奏家・音楽家とのコラボレーションがほとんどだった。例えるならウィーンの音楽家・音響作家のキーパーソンのような役割か。じっさい私もフェネスやマーティン・ブランドルマイヤーとの競演作『Till The Old World’s Blown Up And A New One Is Created』やヴァレリオ・トリコリとジョン・ケージの「ウィリアム・ミックス」をリアライズした『Williams Mix Extended』などのアルバムを愛聴していた。どれも自分の聴きたい音が鳴っていた。

 この『Parallel Darks』は、そんなダーフェルデッカーのソロ・アルバムの2作目である。ソロ1作目『Small Worlds』は、ジョン・ティルバリーやクラウス・ラングが参加したインプロヴィゼーション/エクスペリメンタル・ジャズ作品だったので、電子音響作品としては本作が最初のソロ作品となる。つまりは30年という長いキャリアを誇る彼の「電子音楽家」としての側面を象徴する重要なアルバムなのだ。じじつ非常に高密度な音響の集積によって、まるで森の中を漂う濃厚な霧のようなアトモスフィアを放つ音響作品に仕上がっていた。カラカラと乾いた音が鳴り、霧のようなドローンがレイヤーされる。そして遠くから聴こえるような鐘の音が鳴る。暗く、硬質。ときに柔らかい。何より不穏で美しい。

https://www.youtube.com/watch?v=Ai9VAP229Ck

https://www.youtube.com/watch?v=KMnfAXhySfI

 アルバムはデータ版では “Parallel Dark Part One” から “Parallel Darks Part Six” まで6トラックに分かれているが、LPにはA面とB面で “Parallel Dark I” と “Parallel Dark II” というつながった2曲構成だ。いずれにせよアルバム全体で「Parallel Dark」という音響世界を形成しているのだろう。録音は2018年と2019年に渡っておこなわれたという。
 サウンドは環境録音や電子ノイズが幾重にも重ねられていく手法で組み上げられていた。この手法自体は電子音響作品ではオーソドックスな方法論かもしれないが、ダーフェルデッカーならではの演奏家・音楽家としての鋭い感覚によって、音によって世界の気配を探るような音響空間が生成されていく。音と音が交錯する。衝突し、やがて融解する。それぞれの音を存在と対立を静かに演出し、しかしすべては世界の中に呑みこまれ、溶けていく。

 音の存在に敏感になるとき、人の神経は緊張し、世界の些細な変化を敏感に感じ取ろうとする。音響作品の聴取において、聴き手の耳は世界の不穏さを聴きとるように緊張している。だが同時にひとつひとつの音(ノイズ、電子音、環境音)に恍惚になってもいる。優れた音響作品は、聴き手に緊張と恍惚という引き裂かれた状態を与えてくれるものだ。それこそが音響作品が「音楽」である理由でもある。なぜなら「音楽」とは音響による緊張と恍惚の持続と反復だから。
 『Parallel Darks』は、音、ノイズ、環境音などのいくつものサウンド・レイヤーが「ここではない別の場所」を思わせる音響空間を生成することで、緊張と恍惚の瞬間を持続させている。個々の音の存在感が際立っているからだろうか、静かに燃える炎と降り続ける雨のようなチリチリとした乾いた音に耳を澄ますと聴き手の意識は別の世界へと飛ばされる。そこは暗い森の中を一歩一歩、周囲の音に耳を澄ましながら歩き続けるような聴取体験でもある。暗い森の中を彷徨するような感覚が横溢する。まさに「パラレル/ダーク」な一作だ。

ディエゴ・マラドーナ 二つの顔 - ele-king

 ぼくの記憶では、史上何人かの天才に類するであろうずば抜けたサッカー選手のなかで、マラドーナほどその転落が望まれた選手はいない。1994年のワールドカップ開催中のドーピング検査で陽性となったとき、ほらみたことかという空気はあった。1990年のイタリア大会のときもマラドーナには悪い評判があったようだし、じっさい大会中は彼がボールを触っただけで激しいブーイングが起きている。当時、彼はイタリアのセリエAで活躍していた、いや、していたからこそ彼は大衆の憎悪を浴びた。そして卑しい人たちはドラッグ・スキャンダルによる彼の転落劇を心密かに喜んだ。が、それもこれも彼が超越的なサッカー選手であったことの証でもある。

 エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY エイミー』の監督をはじめ、オアシスのドキュメンタリー映画『オアシス スーパーソニック』の製作総指も務めたアシフ・カパディア監督による『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を見ると、あらためてマラドーナが最強の選手であったことが確認できる。彼はあまりにもスーパーだった。
 子どもの頃にサッカーをやったことのある人間なら、誰もが最初に夢見ることがある。それは自分がひとりでボールをドリブルして、前に立ちはだかる相手をかわして、かわして、そして最後にゴールを決めるという夢だ。が、年齢を重ねるなかでそれはファンタジーでしかないという現実に気づかされる。中学にでもなれば、そこそこ上手い子たちも持ちすぎればコーチから怒られるし、そもそもドリブル自体が簡単なプレイではない。彼の時代はいまほど戦術的にコンパクトな陣形ではなかったので現代よりもやりやすかったということはあるにせよ、とにかくマラドーナはそれをプロのレヴェルでやってのける選手だった。誰もが子ども時代に夢見るプレイを彼はやる──それこそがマラドーナが犯した最大の罪だった。コカインなど関係ない。そんなものはこの天才にとってつかの間の気晴らしでしかなかっただろう……などと書いてしまうぼくはいまもなお重度のファンである。

 組織重視で、スポーツマン精神重視の欧州サッカーの伝統においては、マラドーナはムカツク南米野郎の典型だ。かつてマンチェスター・ユナイティッドを率いて黄金時代を築いたファーガソン監督は、市のすべてのナイトクラブに連絡を入れて、選手が夜遊びしたら通報するという徹底的な規律のもと選手を管理したというエピソードがあるように、夜な夜ないろんな種類のダンスに高じるマラドーナのような選手が歴史ある欧州サッカーにおいて成功することは、決して多くの人たちから歓迎されることではない。が、水道どころか下水すらないアルゼンチンの貧困エリアで生まれ育ったマラドーナは、彼の左足によって、階級も伝統も超越し、彼を見下したすべての連中の鼻をへし折ってやった。ブラック・ミュージックやロックのイディオムでいえば、それはスッタガリー的な格好良さだ。小さいものが大きいものを混乱させ、やっつけ、あっと言わせるという。

 ぼくはマラドーナの映像を2本、本(自伝/評伝)を2冊所有している。VHSで持っているドキュメンタリーは、貧困エリアでリフティングする少年時代の映像からはじまり、彼のキャリアがざっと紹介され、冒頭の映像で終わる。もう1本はDVDで、少年時代の映像はなく、まあ決まりの彼の物語──86年のメキシコ大会における対イングランド戦の神の手と5人抜き、そしてドラッグ・スキャンダルが語られている。
 本(自伝/評伝)のほうも、当たり前だが2冊の描き方は違っている。アマゾンレビューで評価の高い『マラドーナ自伝』よりも、じつはそれより先にベースボールマガジン社から出た『ディエゴ・マラドーナの真実』のほうがだんぜん面白い。後者はマラドーナの出自についても、アルゼンチンの社会状況についても詳述しており、また本人にとって都合の悪い話しもずばずば書いているがゆえの評伝ならではのジャーナリズム性と内容の濃さがある。まあいずれにせよ、マラドーナはすでに映像でも評伝でも多く語られている。ゆえに『AMY エイミー』の監督がマラドーナのドキュメンタリーを作ったと聞いても、主題としてそれほど新鮮みがあるわけではない。すでに彼の物語は広く知られているし、描き方もすでに複数あるからだ。だが、そういった不利な条件を前提にして言っても、これはよくできたドキュメンタリーで、5点満点で4点以上は付けたい作品である。

 まず『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』の見所は、──これはサッカーファン的で近視眼的な意見かもしれないが──、イタリアのセリエA時代の映像にある。イタリア南部のチームの水色のユニフォームを着たマラドーナがたくさん見れるという、映像的にも貴重だが、それはカパディア監督による隠喩としての“マラドーナ”においても重要な意味を持っている。アルゼンチンの名門ボカ・ジュニオールズでの活躍によって世界的な超ビッグ・クラブのバルセロナFCに移籍したマラドーナだが、スペインでは相手に削られ、削られ、ケガをして、彼の良さを発揮できずに過ごした。そして次に移籍したのがイタリアのナポリというチームだった。マラドーナは、プロなら誰もが憧れるイタリア北部の金満ビッグ・クラブではなく、タイトルにはさっぱり縁のない貧しい南部の弱小チームを選んだ。
 そして北部のビッグ・クラブは、南部の弱小チームをここぞとばかりに差別する。「ナポリの人間は石けんをつかわない奴ら/ナポリは病気で、クソで、イタリアの恥/マラドーナのためならケツも出す」、これはユベントスのウルトラ(※熱狂的なサポーター)が歌っていた歌だが、ほかにも「風呂に入れ/アパルトヘイト/ビョーキもち/イタリアの下水」などと書かれた横断幕がスタジアムを囲むという……まあほとんど子ども同士の喧嘩だが(笑)、「ナポリっこはイタリアのアフリカ人だ、差別されている」とマラドーナが語っているように、容赦ないヘイトを彼とナポリは浴びまくる。が、しかし、こうした罵詈雑言もマラドーナの叙情詩においては引き立て役に過ぎなかった。怒りと逆境をバネに、彼はナポリの順位を上げるどころか、当時のヨーロッパにおいてもっともレヴェルの高かったリーグの優勝チームにまでするのである。それが映画のひとつのクライマックスだ。
 しかしながらこの天才は、彼が“マラドーナ”になったときから脊柱に故障があった。夜も眠れないほどの痛みがあったというが、それでも“ディエゴ”は“マラドーナ”であることを自らに強いた。ナポリでは神のように崇められ、いっぽうTVのレポーターから着ている服さえ皮肉られるほどの田舎の成金として扱われ、また他方では弱者が勝つという番狂わせを好まないファンからは徹底的に憎まれる。さらに皮肉なのは、彼はピッチで無心にボールを追っているときにだけ解放されるのだ。こうした紙一重の矛盾のなかで20代の“マラドーナ”はいま見ても呆れるほどのスーパーなプレイをする。小さい身体と短い足を使った曲芸であり、予測や計算をものともしない超人である。

 基本的にスポーツは大衆的で、たいていの人が見ても楽しめる。ぼくは子どもの頃からプロスポーツが大好きで、小中高までは、見れるものはほとんど見ていたと言ってよい。そしていま、こうしてスポーツ観戦ができない生活を送っていると、自分がいままでいかにプロスポーツとともに生きてきたのかをあらためて思い知る。スポーツ観戦は、音楽や文化よりもぐっと敷居が低いので、そこにはいろんな人間がいる。思想的にも、趣味的にもまったく合わない人間と隣の席になって、しかしいっしょに喜ぶということはスポーツ観戦にしかできない素晴らしい瞬間である。はやくこの世界でまたスポーツ観戦ができることを祈るばかりだ。『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は6月5日からの上映が予定されているが、本当にその頃には映画館にも行けますように。

 そういえば、この映画では描かれていないが、マラドーナにはもうひとつ、ゲバラとカストロの入れ墨を入れていることや、そしてチャベスの支持者でもあったことからもわかるように反米主義者であり、反貧困という顔もある。マラドーナは簡単そうに見えて、奥が深いのである。とはいえ、『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』がいいのは、監督が主観を述べずに、見た人が自由に解釈できる点にもある。


R.I.P. Pape Diouf - ele-king

 パプ・ディウフとはアフリカ系としては初の、ヨーロッパの一流クラブの会長に就任した人物。人種と階級を超えてフランスのサッカー界、ひいては欧州のサッカーに変化をもたらしたディウフもまたこの数週間のあいだ世界中で亡くなっている多くの人のひとりとなった。新型コロナに感染し、3月31日セネガルで息を引き取っている。
 ディウフの人生は、望みさえして努力を怠らなければ何にでもなれるというお手本のような人生だった。アフリカのチャドでセネガル出身の両親のもとに生まれたディウフは、18歳でフランスのマルセイユに移住すると兵役に就き、それから郵便局員となった。大学での勉強を諦め、地元メディアで(サッカー・チームの)マルセイユの記事を書くフリーのジャーナリストとして働く機会を得ると、全国スポーツ紙でも仕事をするようになる。そしてマルセイユに関わった人脈を活かして,彼は(いまほど代理業が盛んでなかった時代の)エージェントとして精力的に働くようになる。1996年に浦和レッズでプレーしたコートジボワール出身のボリ(ブッフバルト在籍時のDFのひとりですね)は、じつはディウフの最初のクライアントのひとりだった。彼がエージェントを務めた有名選手にはガーナ出身のマルセル・デサイーやコートジボワール出身のドログバもいる。ともにマルセイユを経てプレミアのチェルシーで爆発した選手である。
 2004年、マルセイユの会長で実業家のロベール・ルイ・ドレフュスはディウフをチームの幹部に入れている。そして2004年後半にディウフはクラブの会長となり、2009年までその職を続けた。
 ディウフの死は、やり手のエージェントで、かつてクラブの会長だった人物以上のものとして、多くのサッカーリジェンドたちから哀悼の意が表されている。大きな存在だったのだろう。兄貴肌で、クライアント=選手にとっては家族の一員のような存在だったことは、彼を父のように慕ったボリの言葉からも理解できる。苦労人だったからこそ他人の気持ちがわかる人物だったのかもしれない。が、違った角度から彼の人生を見ると、ディウフの栄光はグローバリゼーションの賜物でもあった、ということにも頭はめぐる。このパンデミックによって、少なくとも欧州におけるグローバリゼーションは、もう以前のようにはいかないだろうし、そういう意味ではひとつの時代を象徴した人物の死としても受け止めてもいいかもしれない。とはいえ、チェルシー時代のドログバの活躍の影には彼のような人の尽力があったことは事実だし、やはり偉大な人だったのだろう。その死は『ガーディアン』から『ニュー・ヨーク・タイムズ』にまで大きく報じられている。
 ちなみに彼が会長を務めていたマルセイユは、フランスのリーグではパリ・サンジェルマンと双璧を成す強豪で、日本人選手では、あまり試合には出れなかったが中田浩二が在籍したこともあり、現在は酒井宏樹が所属している。

R.I.P. Bill Withers - ele-king

 3月30日にビル・ウィザースが心臓の合併症で亡くなった。享年81歳。彼の死は翌31日に遺族によって「私たちは最愛の、献身的だった夫と父を亡くし、打ちのめされています。詩と音楽で世界とつながろうと突き動かされる心を持つ孤独な男だった彼は、人々に率直に語りかけ、お互いに結びつけてきました」という声明と共に伝えられた。ソウル・シンガーではアレサ・フランクリンが2018年8月に亡くなったとき以来、日本でもかなり大きな扱いでニュースとなり、まさにソウル界のレジェンドだった。実際、ソウル界にとってカーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイらに並ぶような存在だったと思う。ビル・ウィザースの影響力はソウル界はもちろん、幅広い分野に及んでいて、SNS上にはレニー・クラヴィッツ、ブライアン・ウィルソン、サミー・ヘイガー、レッチリのフリーらの追悼メッセージが寄せられた。オバマ前大統領は「ビル・ウィザースは真のアメリカン・マスターだった。働く人々の日々の喜びや悲しみに根差した彼の音楽はソウルフルで、賢明で、人生を肯定していた。厳しい時代に効く完璧な強壮剤だ」とコメントしている。アメリカ人にとって、いちシンガーを超える存在だったのかもしれない。折しも新型コロナ・ウィルスのパンデミックに脅かされるいま、ビルの代表曲である “リーン・オン・ミー” は人類の希望と連帯を繋ぐ一曲として、カナダのカントリー歌手のテニル・タウンズが仲間たちと一緒にカヴァーしている。この曲はクラブ・ヌーヴォーはじめいろいろなアーティストがカヴァーし、人種・国籍・性別・ジャンル・時代などを超越し、さまざまな人たちに愛されてきた。いまのこの困難な状況におけるアンセムたりえる曲なのだ。

 1938年7月4日、ウェスト・ヴァージニア州スラブ・フォークのアフリカ系黒人の一般家庭で生まれたビル・ウィザースは、高校卒業後に海軍へ入隊し、除隊後はカリフォルニアに移って牛乳配達人を始めたのを皮切りに、ロサンゼルスのダグラス航空機の部品工場やフォード・モーターで働いていた。子供の頃は吃音症に悩んで長年に渡って矯正に務めていたというエピソードがあり、音楽とはさほど関りのある生活はしてこなかった。スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンのように、幼少期から才能を開花させたミュージシャンとは真逆の人物である。そんなある日、ナイトクラブでルー・ロウルズが歌っているのを見て、一晩で自分の給料の何ヵ月分も稼げるシンガーの生活に憧れ、ギターを買って弾き語りを始めた。独学で音楽を学んで、工場の仕事の合間に歌を作っては書き貯め、自主レーベルからシングルを出すもパッとせず。そんな仕事をしながら歌う日々が続くなか、デモテープが〈サセックス〉の重役の目に留まる。そして〈スタックス〉でザ・MG’sを率いて一時代を築いたブッカー・T・ジョーンズをプロデューサーに迎え、1971年にファースト・アルバムの『ジャスト・アズ・アイ・アム』を録音する。赤レンガの倉庫で工具箱を持ったビルの写真をジャケットに使ったこのアルバムからは、“エイント・ノー・サンシャイン” “グランマズ・ハンズ” という代表曲が生まれる。失恋を歌った前者、亡き祖母をしのんだ後者と、どちらも市井の普通の人たちの生活に寄り添うものだった。かつてザ・ルーツのクエストラヴは、ビル・ウィザースについて「マイケル・ジャクソンやマイケル・ジューダンのようなスーパースターではなく、最後のアフリカ系の普通の人」「黒人にとってのブルース・スプリングスティーンのような存在」と述べたことがある。最初からショー・ビジネスの華やかなスポットを浴びて登場したのではなく、ついちょっと前まで工場で働いていたシンガー・ソングライター。そしてアメリカのごくごくありふれた日常風景、一般的な労働者の視線、それを歌にするのがビル・ウィザースだった。

 1972年にはセカンド・アルバム『スティル・ビル』を発表し、ここからは前述の “リーン・オン・ミー” はじめ、“ユーズ・ミー” “フー・イズ・ヒー(アンド・ワット・イズ・ヒー・トゥ・ユー)?” “キッシング・マイ・ラヴ” が生まれる。彼の最高傑作と言っていいアルバムだ。彼のスタイルはリズム・アンド・ブルースにフォークやファンクを混ぜたもので、演奏はギターの弾き語りにベース、ドラムス、ピアノがつく程度のとても簡素なもの。だからこそ、ストレートに心の内を綴った歌詞や、飾り気のない真摯な歌声が多くの人たちの共感を呼ぶ。「心や体が弱っているときは僕に寄りかかっていいよ。友達だから助けてあげるよ。僕が弱って誰かの助けが必要なときまではね」と歌う “リーン・オン・ミー” のように。〈サセックス〉倒産後は〈コロムビア〉に移籍し、1977年にはヒット曲の “ラヴリー・デイ” を含む『メナジェリー』を発表。日常を生きる喜びを綴った “ラヴリー・デイ” にも、偉大な音楽家とかセレブなアーティストではないビル・ウィザース、平凡ないち市民であるビル・ウィザースの姿がある。1981年にはジャズ・サックス奏者のグローヴァー・ワシントン・ジュニアの “ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス” (アルバム『ワインライト』に収録)にシンガーとしてフィーチャーされ、グラミーのベスト・R&B・ソング賞を獲得するなど大ヒット。現在でいうところのスムース・ジャズの草分け的な曲で、当時は日本でもメジャー・ヒットしたのだが、この曲のイメージからビル・ウィザースのことをバブリーでお洒落なシンガーというイメージを持つ人も少なくない。しかしビル自身はそれとは正反対で、普通の生活を普通に歌うことを信条とする。むしろ虚飾に満ちたショー・ビジネスの生活が肌には合わず、また黒人差別がはびこるレコード会社の姿勢などにもいや気が差してしまい、1985年のアルバム『ワッチング・ユー・ワッチング・ミー』を最後に、音楽界から引退してしまう。実働期間は長くはなかったが、ビル・ウィザースの音楽、そして音楽に対する姿勢は後進のアーティストにも多大な影響を与え、ジョン・レジェンド、アロー・ブラック、ウィル・アイ・アムからグレゴリー・ポーターに至るまで、その痕跡を見出すことができる。“エイント・ノー・サンシャイン” “グランマズ・ハンズ” “リーン・オン・ミー” “ユーズ・ミー”と、ビルの書いたさまざまな曲がカヴァーされ続けている。

 引退後はビル・ウィザースが公の場に現れることはほとんどなかったが、そうした中で2015年にスティーヴィー・ワンダーの推薦でロックンロールの殿堂入りを果たし、表彰席に出席してスティーヴィーやジョン・レジェンドと一緒に “リーン・オン・ミー” を歌っている。そのときのビルのコメントでこの追悼文を締めくくりたい。「私は短い音楽キャリアの中でいくつか曲を書いたけど、いろいろなジャンルのいろいろな人たちがそれらを歌ってくれた。私は決して名音楽家ではないけれど、人が共感するような曲を書いてくることができた。ウェスト・ヴァージニアのスラブ・フォーク出身者から見て、これは故郷にとって悪いことじゃないよね」

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