Home > Reviews > Film Reviews > ディエゴ・マラドーナ 二つの顔
ぼくの記憶では、史上何人かの天才に類するであろうずば抜けたサッカー選手のなかで、マラドーナほどその転落が望まれた選手はいない。1994年のワールドカップ開催中のドーピング検査で陽性となったとき、ほらみたことかという空気はあった。1990年のイタリア大会のときもマラドーナには悪い評判があったようだし、じっさい大会中は彼がボールを触っただけで激しいブーイングが起きている。当時、彼はイタリアのセリエAで活躍していた、いや、していたからこそ彼は大衆の憎悪を浴びた。そして卑しい人たちはドラッグ・スキャンダルによる彼の転落劇を心密かに喜んだ。が、それもこれも彼が超越的なサッカー選手であったことの証でもある。
エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY エイミー』の監督をはじめ、オアシスのドキュメンタリー映画『オアシス スーパーソニック』の製作総指も務めたアシフ・カパディア監督による『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を見ると、あらためてマラドーナが最強の選手であったことが確認できる。彼はあまりにもスーパーだった。
子どもの頃にサッカーをやったことのある人間なら、誰もが最初に夢見ることがある。それは自分がひとりでボールをドリブルして、前に立ちはだかる相手をかわして、かわして、そして最後にゴールを決めるという夢だ。が、年齢を重ねるなかでそれはファンタジーでしかないという現実に気づかされる。中学にでもなれば、そこそこ上手い子たちも持ちすぎればコーチから怒られるし、そもそもドリブル自体が簡単なプレイではない。彼の時代はいまほど戦術的にコンパクトな陣形ではなかったので現代よりもやりやすかったということはあるにせよ、とにかくマラドーナはそれをプロのレヴェルでやってのける選手だった。誰もが子ども時代に夢見るプレイを彼はやる──それこそがマラドーナが犯した最大の罪だった。コカインなど関係ない。そんなものはこの天才にとってつかの間の気晴らしでしかなかっただろう……などと書いてしまうぼくはいまもなお重度のファンである。
組織重視で、スポーツマン精神重視の欧州サッカーの伝統においては、マラドーナはムカツク南米野郎の典型だ。かつてマンチェスター・ユナイティッドを率いて黄金時代を築いたファーガソン監督は、市のすべてのナイトクラブに連絡を入れて、選手が夜遊びしたら通報するという徹底的な規律のもと選手を管理したというエピソードがあるように、夜な夜ないろんな種類のダンスに高じるマラドーナのような選手が歴史ある欧州サッカーにおいて成功することは、決して多くの人たちから歓迎されることではない。が、水道どころか下水すらないアルゼンチンの貧困エリアで生まれ育ったマラドーナは、彼の左足によって、階級も伝統も超越し、彼を見下したすべての連中の鼻をへし折ってやった。ブラック・ミュージックやロックのイディオムでいえば、それはスッタガリー的な格好良さだ。小さいものが大きいものを混乱させ、やっつけ、あっと言わせるという。
ぼくはマラドーナの映像を2本、本(自伝/評伝)を2冊所有している。VHSで持っているドキュメンタリーは、貧困エリアでリフティングする少年時代の映像からはじまり、彼のキャリアがざっと紹介され、冒頭の映像で終わる。もう1本はDVDで、少年時代の映像はなく、まあ決まりの彼の物語──86年のメキシコ大会における対イングランド戦の神の手と5人抜き、そしてドラッグ・スキャンダルが語られている。
本(自伝/評伝)のほうも、当たり前だが2冊の描き方は違っている。アマゾンレビューで評価の高い『マラドーナ自伝』よりも、じつはそれより先にベースボールマガジン社から出た『ディエゴ・マラドーナの真実』のほうがだんぜん面白い。後者はマラドーナの出自についても、アルゼンチンの社会状況についても詳述しており、また本人にとって都合の悪い話しもずばずば書いているがゆえの評伝ならではのジャーナリズム性と内容の濃さがある。まあいずれにせよ、マラドーナはすでに映像でも評伝でも多く語られている。ゆえに『AMY エイミー』の監督がマラドーナのドキュメンタリーを作ったと聞いても、主題としてそれほど新鮮みがあるわけではない。すでに彼の物語は広く知られているし、描き方もすでに複数あるからだ。だが、そういった不利な条件を前提にして言っても、これはよくできたドキュメンタリーで、5点満点で4点以上は付けたい作品である。
まず『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』の見所は、──これはサッカーファン的で近視眼的な意見かもしれないが──、イタリアのセリエA時代の映像にある。イタリア南部のチームの水色のユニフォームを着たマラドーナがたくさん見れるという、映像的にも貴重だが、それはカパディア監督による隠喩としての“マラドーナ”においても重要な意味を持っている。アルゼンチンの名門ボカ・ジュニオールズでの活躍によって世界的な超ビッグ・クラブのバルセロナFCに移籍したマラドーナだが、スペインでは相手に削られ、削られ、ケガをして、彼の良さを発揮できずに過ごした。そして次に移籍したのがイタリアのナポリというチームだった。マラドーナは、プロなら誰もが憧れるイタリア北部の金満ビッグ・クラブではなく、タイトルにはさっぱり縁のない貧しい南部の弱小チームを選んだ。
そして北部のビッグ・クラブは、南部の弱小チームをここぞとばかりに差別する。「ナポリの人間は石けんをつかわない奴ら/ナポリは病気で、クソで、イタリアの恥/マラドーナのためならケツも出す」、これはユベントスのウルトラ(※熱狂的なサポーター)が歌っていた歌だが、ほかにも「風呂に入れ/アパルトヘイト/ビョーキもち/イタリアの下水」などと書かれた横断幕がスタジアムを囲むという……まあほとんど子ども同士の喧嘩だが(笑)、「ナポリっこはイタリアのアフリカ人だ、差別されている」とマラドーナが語っているように、容赦ないヘイトを彼とナポリは浴びまくる。が、しかし、こうした罵詈雑言もマラドーナの叙情詩においては引き立て役に過ぎなかった。怒りと逆境をバネに、彼はナポリの順位を上げるどころか、当時のヨーロッパにおいてもっともレヴェルの高かったリーグの優勝チームにまでするのである。それが映画のひとつのクライマックスだ。
しかしながらこの天才は、彼が“マラドーナ”になったときから脊柱に故障があった。夜も眠れないほどの痛みがあったというが、それでも“ディエゴ”は“マラドーナ”であることを自らに強いた。ナポリでは神のように崇められ、いっぽうTVのレポーターから着ている服さえ皮肉られるほどの田舎の成金として扱われ、また他方では弱者が勝つという番狂わせを好まないファンからは徹底的に憎まれる。さらに皮肉なのは、彼はピッチで無心にボールを追っているときにだけ解放されるのだ。こうした紙一重の矛盾のなかで20代の“マラドーナ”はいま見ても呆れるほどのスーパーなプレイをする。小さい身体と短い足を使った曲芸であり、予測や計算をものともしない超人である。
基本的にスポーツは大衆的で、たいていの人が見ても楽しめる。ぼくは子どもの頃からプロスポーツが大好きで、小中高までは、見れるものはほとんど見ていたと言ってよい。そしていま、こうしてスポーツ観戦ができない生活を送っていると、自分がいままでいかにプロスポーツとともに生きてきたのかをあらためて思い知る。スポーツ観戦は、音楽や文化よりもぐっと敷居が低いので、そこにはいろんな人間がいる。思想的にも、趣味的にもまったく合わない人間と隣の席になって、しかしいっしょに喜ぶということはスポーツ観戦にしかできない素晴らしい瞬間である。はやくこの世界でまたスポーツ観戦ができることを祈るばかりだ。『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は6月5日からの上映が予定されているが、本当にその頃には映画館にも行けますように。
そういえば、この映画では描かれていないが、マラドーナにはもうひとつ、ゲバラとカストロの入れ墨を入れていることや、そしてチャベスの支持者でもあったことからもわかるように反米主義者であり、反貧困という顔もある。マラドーナは簡単そうに見えて、奥が深いのである。とはいえ、『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』がいいのは、監督が主観を述べずに、見た人が自由に解釈できる点にもある。
野田努