前作『Oxnard』からわずか5ヶ月後という短いサイクルでリリースされた、アンダーソン・パークの4枚目となるソロ・アルバム。アーティスト本人のインタヴューでの発言によると、本作は『Oxnard』とほぼ同時期にレコーディングが行なわれたようだが、エグゼクティヴ・プロデューサーであるドクター・ドレーからは『Oxnard』と比べてより自由な権限が与えられ、アンダーソン・パークの好きな形で制作することができたという。実際、今回のプロデューサー陣も前作とは多少異なった編成になっており、ドクター・ドレーもエグゼクティヴ・プロデューサーおよびミックス・エンジニアとしてのクレジットのみで、楽曲のプロデューサーとしては参加していない。それゆえにアルバム全体の仕上がりとしては、ウェストコーストならではファンク色の濃度が多少薄れて、より聞き心地の良い雰囲気になったように感じる部分もあるが、流れとしてはやはり『Venice』から『Oxnard』までのいわゆる“ビーチ・シリーズ”の延長上にある作品あるのは間違いない。
前作ではケンドリック・ラマーやスヌープ・ドッグ、プッシャ・T、J・コールといった錚々たるメンツをゲストに迎えたアダーソン・パークであるが、本作では参加しているアーティストがそれぞれビッグネームであることは変わらないものの、ゲストの器用の仕方がより自然なものになっており、良い意味で曲のパーツとしてゲスト・アーティストが見事に機能している。その効果は、前作でも1曲目のプロデュースを手がけたジャイラス・モジーとアンダーソン・パークとのコンビネーションによる“Come Home”から如実に現れており、この曲では終盤にアンドレ3000(アウトキャスト)が参加したパートがあるのだが、ジャイラス・モジー自身によるギターのリフとアンドレ3000のラップの絡み具合が実に見事で、畳み掛けるようなテクニカルなラップの立ちっぷりが、アルバム全体への期待度も上げている。プロデューサーとしてアルケミストが参加したノスタルジックなR&Bチューン“Make I Better”では、スモーキー・ロビンソンを贅沢にもコーラスとして起用して、ベテランならではの大人の色気が加えられ、一方、曲の前半部で大胆に展開する“Reachin' 2 Much”ではレイラ・ハサウェイを同じくコーラスに迎えて、曲の厚みを増すことに成功している。ゲスト起用の巧みさという意味では、ジャスミン・サリバンをフィーチャした“Good Heels”やブランディが参加した、個人的には本作中最も好きなブギーチューン“Jet Black”も実に魅力的であるが、今回、最も注目すべきはネイト・ドッグとのコラボレーションによるラスト・チューン“What Can We Do?”であろう。Gファンク・シーンを代表するシンガーであり、2011年に亡くなったネイト・ドッグであるが、この曲のプロデューサーであるフレッドレック自身が以前、プロデュースを手がけた未発表のヴォーカルを今回使用し、まるでネイト・ドッグが現代に蘇ったかのような、実にフレッシュなアンダーソン・パーク流のGファンク・チューンを完成させている。
他にも前作『Oxnard』でもコンビを組んでいたカルム・コナーと〈ストーンズ・スロウ〉のアーティストでもあるキーファーによる先行シングル曲“King James”や、ファレル・ウィリアムスがプロデュースおよびコーラスでも自ら参加している、ちょっと変則的なビート感のダンス・チューン“Twilight”など、聞きどころは多数ある。ただ、個人的にはまだ『Oxnard』の余韻が残っている状態でもあり、今後、もう少しじっくりと時間をかけてこのアルバムを聞き込んでいきたいと思う。
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発電所(kfarftwerk)がない世界に戻ることは、ジブリの映画でもない限り想像が難しい。音楽においてもそうだ。クラフトワーク(発電所)はなかったと、いまから音楽を作ろうとしている人間のなかで、そう言えるひとはあまり多くはないだろう。
テクノロジーの問題はたしかにある。終末論的にそれはかねがね題材にされてきている。が、しかし、クラフトワークはテクノロジーに対して基本的にニュートラルな立場でいる。もちろん、その中立から降りることは、たとえば“レディオアクティヴィティ”のような曲をいま演る場合は起こりうる。クラフトワークはつまり、原子力“発電所”に対する反対の立場をはっきりさせているし、そうした政治的な声明を恐れることもない。
とはいえクラフトワークがテクノロジーそのものを批判することはそうそうないし、かといって『コンピューター・ワールド』がコンピュータ礼賛のアルバムであるはずもない。ただあのアルバムは、エレクトロニクスの応用が音楽を更新させるという意味において明らかに未来的だったし、いま現在のクラフトワークの基盤となっていると言ってもいいだろう。今回の来日ライヴ(4/16~4/19まで東京、22日大阪)においても、“ナンバーズ”の非の打ちどころがないエレクトロニック・グルーヴはショーの1曲目だったし、座席で座って聴くには酷ともいえる、それは’あまりにも躍動するダンス・ビート・ミュージックだった。
1946年生まれのラルフ・ヒュッターは、いうまでもなくクラフトワークの中枢である。ヒュッターより1歳下のフローリアン・シュナイダーと1968年に出会ったことで、やがて音楽を電子化するプロジェクトの胎動がはじまった。1970年にそれがクラフトワークとなったときには、しかしまだ試行錯誤の状態、いわゆる“初期段階”だった。1973年までのあいだに残した最初の3枚のアルバムはある時期から公には封印され、いっぽうでジュリアン・コープのようにその3枚こそが名作であるという極端な意見も後を絶たないが、しかしながら、シュトックハウゼン風の電子音楽やフルクサスからの影響の名残もあるこの“初期段階”が完璧にクラフトワーク史から切り離されていないことは、セカンド・アルバムの1曲目が彼らのスタジオ名=クリング・クラングになっていることからもうかがい知れる。
だが、いま存在するクラフトワークは1974年の『アウトバーン』以降のそれである。『コンピューター・ワールド』以降の、強力なエレクトロニック・ダンス・ビートを有するプロジェクトであり、さらにまた、たったいま存在するクラフトワークは、ヒュッターをはじめ、へニング・シュミット、フリッツ・ヒルバート、そして映像を操るファルク・グリーフェンハーゲンの4人によるオーディオ・ヴィジュアル・プロジェクトとしてのそれである。
4月18日の午後、渋谷のBunkamuraオーチャードホールの小さな楽屋には、ラルフ・ヒュッターが取材のために佇んでいた。海外の記事を見るにつけ、気むずかしく、ときに取っつきづらいという、エレクトロニック・ミュージックの世界においてはなかば神のごとく尊敬されているこのドイツ人はなんともリラックスしているようだった。風評とは違って、質問者の緊張感を煽るような仕草はない。もちろん、宇宙から帰還した宇宙飛行士のようでもなかった。黒いポロシャツ姿のヒュッターは、ぼくたちに与えられた30分のあいだ丁寧に答えてくれたと思う。取材にはクラフトワークのライヴを1981年の初来日以来、日本およびUKのおいても何度も観ている赤塚りえ子さんに同行してもらった。ぼくはゆっくり録音機のボタンを押した。
みなさんが知っているように、私たちは1968年の世代です。なので、こうしたムーヴメントは私たち歴史の一部のようなものです。アートは社会にインパクトを与えるものです。芸術の自由やクリエイティヴィティがいまの社会にはもっと必要だと思います。
■ドイツ語の通訳を手配できませんでした。申し訳ないです。とはいえ彼女は良い通訳なので。
ラルフ:なにも問題ないよ。私はフランス語も喋るし、ヨーロッパに行くときはイタリア語やロシア語も使います。日本語は喋れないけど……。デュッセルドルフにはとても大きな日本人コミュニティがあります。たくさんの日本の企業も入ってきてるし、デュッセルドルフから日本まで直行便も出てるんです。私も今回それに乗ってきました。とてもレアなんですよ。普段はフランクフルトからしか直行便が出てないんです。
大昔に日本人の友だちに“Pocket Calculator”を“電卓”へと訳してもらいました。なので、私は日本語は喋れないけど日本語で唄います。
通訳:喋りはできないけど、日本語と触れてきたということですね?
ラルフ:そうです。わりと最近では、私の友だちの坂本龍一が“レディオアクティヴィティ”の歌詞の一部を訳してくれました。ですから、いまでは“レディオアクティヴィティ”も日本語で歌ってます。
ラルフ:今夜のライヴは見にきますか?
■ぼくたちは明日行きます。ちなみに彼女は、6年目の赤坂Blitzも、1981年の来日ライヴも観ているんですよ。
赤塚:81年の『コンピューター・ワールド』ツアーのライヴですね。
ラルフ:81年! 私たちが初めて日本に来たときですよね? たしか。
赤塚:ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのライヴも観にいきました(笑)。
ラルフ:去年のですか? いや、2年前か。
赤塚:2年前です。
ラルフ:あのロンドンでのライヴの後には、デュッセルドルフでやりましたよ。
■そろそろはじめましょうか。
ラルフ:そうですね。
■渋谷の街は歩かれましたか? 来年のオリンピックを控え、東京がいまものすごいスピードで再開発されているのがおわかりだと思いますが、どのような印象を持たれましたか?
ラルフ:ドイツではみんながオリンピックに対して反対しました。立候補として上がったときにドイツ国民が反対したんです。オリンピック自体が古すぎる文化だからです。
通訳:投票をしたってことですか?
ラルフ:はい、投票が行われました。次のオリンピックじゃなくて、もっと先のオリンピックだったと思います。そもそもオリンピックというのは、19世紀のものなんですよ。
通訳:ほとんどの国民が反対したんですか?
ラルフ:そうです。バカなことにお金を使いすぎだと思います。そうですね、だから、あ、でもハチ公は見ましたよ(笑)。
通訳:ハチは変わってないですもんね(笑)。
ラルフ:そうです(笑)。
■ブレグジットや黄色いベスト運動など、ヨーロッパはいま政治的に揺れ動いていますが、こうした状況がクラフトワークに影響を与えることはありますか?
ラルフ:みなさんが知っているように、私たちは1968年の世代です。なので、こうした(政治的)ムーヴメントは最初から私たち歴史の一部のようなものです。アートは社会に衝動を与えるものです。芸術の自由やクリエイティヴィティがいまの社会にもっとも必要なものだと思います。
通訳:こういう運動や問題があなたに刺激を与えるってことなんですね?
ラルフ:ちょっとコーヒー飲んでもいいですか? まだ時差ボケがあって……夜中に3時間ほど目がさめるんです。そのあとは普通に寝れるので大丈夫なんですけどね。生活リズムが変わっただけです。
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私たちの音楽は最初から先見の明がありました。流行を意識して作ったわけでありません。それは時代を超越したなにかです。クリング・クラング・スタジオそのものがコンセプトでした。
■21世紀に入って2枚のライヴ・アルバム(2005年の『ミニマム・マキシマム』と2018年の『3-D The Catalogue』)を出しましたが、いまのあなたは新しい曲を作ることより、昔の曲をどのように更新することができるのかということに関心があるのでしょうか?
ラルフ:私たちの音楽は最初から先見の明がありました。流行を意識して作ったわけでなかったんです。それは時代を超越したなにかでした。クリング・クラング・スタジオそのものがコンセプトでした。マルチメディアがクラフトワークのコンセプトであり、すべてのコンポジション(作曲)がコンセプト・コンポジション(概念の作曲)みたいなものです。変えたり、足したり、即興したり、再プログラムもできます。マンマシーンがそこでいろんな心理的かつ物理的な部分で稼働します。クラフトワークは私、そして当時のパートナーだったフローリアン・シュナイダーがエレクトロ・アコースティックをコンセプトにはじめました。そのときのコンセプトを元に、ほかのアーティトやミュージシャンやテクニシャンと一緒に制作をするようになりました。マンマシーンは段階を踏んだり、変わり続けたりしています。いまの時代に関連性があるからこそ“レディオアクティヴィティ”も再プログラムしたんです。1975年のテーマが現代のテーマとしても存在していますよね。
通訳:常に成長したり、変わり続けているってことですか?
ラルフ:はい。ツール・ド・フランスの2003年の100回目記念のタイミングでアルバム『ツール・ド・フランス・サウンドトラック』をリリースしましたが、去年はオープニングを飾らせてもらいました。いわばスポーツ・オーケストラと私たちが興味を持っているアートとを融合させたような試みでした。「科学」、「アート」、「社会」、これらは分けて使うべき言葉ではないと思います。私たちは同じ世界で生きていて、アーティストは音楽に止まらず、社会的創造性に関与しています。音楽が文献や映画と関連性があるからこそ、私たちはアニメーションやCGを使うんです。私はクラフトワークで使うヴィジュアルにとても興味があります。それは言語のようなものだと考えています。言葉で伝えることもありますが、イメージや音楽でしか伝えられないものもあると思います。つまり総合芸術ですね、いまもっとも興味があるものは。
■もともとパーカッションが2人いましたが、1980年代以降のクラフトワークは、1970年代よりもリズムに重きがおかれていますよね。実際、ディスコやクラブでもヒットしていました。いま現在のテクノロジーにおいて、電子化されたリズムにはまだまだ開拓の余地があるとお考えでしょうか?
ラルフ:70年代にパーカションが2人いたのは、当時もマシーンをある程度使っていて、しかしまだ不安定であって、リズムを安定させないといけなかったからです。1990年代からはコンピュータやシークエンスを導入したので、いまはもう2人は必要ないんです。いまは境界線のないプログラムされたリズムやアニメーテッド・リズムがあり、人間のメカニカル・スキルも高いです。70年代はメンタル・プログラミングをする方法を探していたんですけど、まだ存在していませんでした。知ってると思いますけど、昔のコンピュータはめちゃくちゃ大きかったんですよ。90年代からはラップトップが普及して、そこから専門業界でしか使えなかったツールが私たちも使えるようになったんです。お陰様で音楽の方向性が大きく変わりましたよね。
通訳:探し求めていたリズムを見つけることができたってことですか?
ラルフ:そうです、そうです。1976年に使っていたひとつのアナログ・シーケンスがあったんですけど、すごく大きなノブが付いていて、じつに不安定でした。いちどパリでのライヴ中にパリ内の大きな工場が次々と閉まっていて、エレクトロ・システムにショックが起きてしまい、私のアナログ・システムが全部消えてしまい、テンポもめちゃくちゃになってしまったことがありました。いまはすべてがパソコンのデータにあり、安全に機能しています。
赤塚:数年前に〈クラフトワーク 3D CONCERTS 12345678〉の日本ツアーを拝見しました。2016年はロンドンで3Dコンサートを拝見させていただきました。今回のライヴは3Dというカタチのコンサートの集大成なのでしょうか?
ラルフ:いや、まだまだ発展しますよ。すべてがライヴですから。赤坂で披露したパフォーマンスは2012年にニューヨークのMOMAではじまったものでした。「Ktaftwerk catalogue」としてのライヴです。6枚のアルバムたちに捧げる形を6時間かけて披露しようと考えたんですよ。しかしひと晩ではとても無理があったので、ひと晩で1枚のアルバムを演奏することにしました。とはいえ、『レディオアクティヴィティ』はヴァイナルで40分しかないレコードだったので、さすがにそれは短かすぎるということで、他の作品からの曲を混ぜてやりましたけどね。
この形のライヴはホッケンハイムやLAのディズニー・ミュージアム・コンサートホール、ニュージーランドやベルリン美術館、シドニー・オペラハウス、そして赤坂Blitzでやりました。ミュージアム・カタログが終わった後はまたコンサートホールやフェス、ツール・ド・フランスでもやるようになりました。サラウンドサウンド・スピーカーを設置できるところではサラウンドサウンドを使って、同時にまた3Dヴィジュアルも使いました。
今回はいろんなアルバムからいろんな曲を持ってきて、混ぜて2時間のライヴをやっています。いまのところ2回しかやっていないんですけどね。最後にやったのがベルリンのオリンピック・スタジアムでした。オリンピックには反対しますが、ライヴのために会場は使っています(笑)。
■ライヴをやっていくなかで、曲に込められた意味は、それが作曲された当時から変わることはあるのでしょうか? たとえば、“レディオアクティヴィティ”はあの曲が作られた1975年のときとは違った、よりシリアスな問題提起になっていると思いますし、“ロボット”という曲が作られた1978年は、AIがいまのように普及し、“ロボット”が身近に感じられるようになる今日よりも、ずいぶん前の時代でした。
ラルフ:気持ちは確実に違います。“ロボット”の歌詞は1977年~78年に書きました。あの歌詞では、ロボットは私たちが求めることをなんでもやってくれると歌っています。しかしこの場合のロボットという表現はマシーンの暗喩ではなく、クラフトワークにはロボットのような資質があるという意味を込めています。ロボットはチェコ語で「労働」、「働く」という意味です。それが語源です。この曲は労働について歌っていて、ゆえに少しブラックユーモアも込められています。
私たちは踊るメカニックです。クラブに行けば人はロボット・ダンスを踊っていますよね。ある種の社会学的素質みたいなもの説明しているような感じです。前回の赤坂ライヴではロボットを披露していませんでしたが、今回はしっかりプログラムして持ってきていますし、今夜から披露できます。昨日は不備があって使えなかったんです。税関でチェックされてるときに壊されてしまったんです。しかしなんとか再プログラムができたので、今夜はしっかり見れますよ。
曲に込められた意味がよりリアルになることもあります。(その主題は)時間と人間と関わりがありますから。ときに成長をしたり、ときに減少したりもします。ヨーロッパや日本、韓国、来月行く予定の香港など、行く国によって曲のテーマがよりリアルになることもあります。
質問の後半ってなんでしたっけ?
■“レディオアクティヴィティ”もそうですよね?
ラルフ:そもそも“レディオアクティヴィティ”はコンビネーションについての曲でした。エレクトロニック・ミュージックとラジオとの関連性はとても重要です。エレクトロニック・ミュージック自体がラジオ局やラジオのツールから生まれてきたものですからね。昔はフランスやドイツで深夜ラジオから流れるエレクトロニック装置の音を聞いていたんですよ。
放射能は、ドイツと日本にとってよく議論されるテーマですよね。何年か前に東京で行われた(坂本龍一主宰の)〈No Nukes〉に出演しました。そのとき坂本龍一が私の歌詞を少し日本語に訳してくれたんです。いまでも訳してもらったまま歌っています。私たちの音楽はオープンでシンフォニックなコンセプトがありますから。おかげさまで、“レディオアクティヴィティ”には「日本の放射能」という日本語の歌詞が入りました。私は日本語は喋れませんが、音声的に歌えるように龍一が訳してくれたんです。だからいまは歌えています。
私たちの音楽は時代とともに変わります。印刷をすればモノが完成するという出版物とは違います。(曲は)生きているし、時間とともに働きます。私たちはアートの世界から来たんです。人生のなかのハプニングがアートになり、60年代後期の出来事から生まれています。映像やヴィジュアルや言語とともに作り上げているんです。
そうだ、あなたがたにあとでロボット見せましょうか?
一同:ぜひ!
ラルフ:ただ、ときどきロボットを見た途端、私たちに興味をなくす人たちがいるんです(笑)。ただ興味をなくすんです。じつに興味深いリアクションですよね。
■『MIX』のころから、ライヴやアートワークで自分たちをロボットに見立てていますよね。
ラルフ:マシーンへの感嘆なんですよ。だから私はクラフトワークがマシーンであるという風に歌詞を書いたんです。音楽の世界では人間とマシーンのあいだにインタラクションがあります。ミュージック・マシーンと表現していただいてもいいです。マンマシーンは人生のなかの人間である証明になる心理やシチュエーションを表現しています。マシーンとともに生きるという表現もあります。さっきも話したように昔はパワー障害で音が使えなくなったというのに、昨日はリハーサルで一瞬トラブルがあり、2秒ほど音が止まってしまいました。が、すぐに何もなかったかのように元どおりになったんです。
■ロボットに関して、デトロイトのマイク・バンクスが英『WIRE』の取材で、とても面白いことを言っています。自分たちの影響がクラフトワークで良かったのは、ロボットには人種も年齢もないからだと。こうした解釈をどのように思いますか?
ラルフ:マイク・バンクスは仲の良いデトロイトの友だちです。90年代にイギリスで行われたテクノのフェスティヴァルで共演したんです。
赤塚:私もそこにいました!
※1997年のトライバル・ギャザリング:フェスの開催中にクラフトワークのライヴがはじまると、デトロイト・テクノのテントはリスペクトを込めて自らそのテントを閉めた。また、今回のライヴにおいても、クラフトワークが21世紀に発表している数少ない新曲のうちのひとつ、“Planet Of Vision”(“エキスポ2000”のURリミックスが元になっている)を演奏し、ドイツとデトロイトとのテクノ同盟を主張している。ちなみにその歌詞のサビはこうだ。「Detroit Germany We're so electric」
ラルフ:マイクがいう、人種を越えているという解釈は真実だと思います。彼は正しいことを言っています。音楽になんらかの価値があるとすれば、それは音楽がオープンであるところ、音楽を使って通信ができるところ、音楽に波があることや音楽というもののイメージが分離されておらず、劣化もしないところだと思います。
ベルリンの壁がまだ建っていた頃、私たちは東ドイツでライヴをすることが許されていませんでした。でもラジオ波は壁を越えました。そして壁の向こうにいる人たち、ロシアやポーランドやチェコにいた人たちが私たちの音楽を聴いていたんです。1989年に壁が崩壊したその年に初めてベルリンでライヴができたんですけど、お客さんがみんな私たちの音楽を知っていました。壁は物理的にその場所に行くことを防ぐことはできても音楽を止めることはできませんでした。音楽とラジオ波はグローバルなんです。
そうそう、もうひとつ言わなければならないのは、私たちはもちろん60年代のモータウンやソウル、ファンクなどのデトロイト・ミュージックにインスパイアされていたということです(笑)。
■ここ数年のクリング・クラング・スタジオにおける……
ラルフ:あ、もうひとつ言い足してもいいですか? 私たちはホアン・アトキンスとも仲がいいんです。彼はクラフトワークのシーケンスにインスパイされてサイボトロンを結成したアーティストです。こうして、音楽が人を繋げたり、お互いにインスピレーションを与え合ったりできるきっかけにることは、素晴らしいことですよね。あ、ごめんなさい(笑)。
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私が自転車で大怪我を負ったというのはフェイクニュースです。別の年にいちど転んだことはありましたけど。そのときは3~4日病院で過ごしました。で、前にフェイク・ニュースを流されたので、そのときは病院で新しい脳をもらったというフェイク・ニュースを自ら流しました。
■大丈夫です(笑)。ここ数年のクリング・クラング・スタジオにおける作業はどんなものがあるのでしょうか? ソフトウェアの開発やヴィジュアル・テクノロジーの開発などでしょうか?
ラルフ:ソーラー・エネルギーを導入しました。ソーラー・エネルギーを導入したり、新しい歌詞を作ったり、まだ秘密ですが新しいプロジェクトをはじめたりしています。新しいプロジェクトの話は完成するまで口外できません。
あとは、昔のアーカイヴをアナログからデジタルフォーマットに移行するすることを楽しんでいます。2、3人くらいしかいない小さな会社なんです。ステージで見る4人がコミュニケーションを取りながら力を合わせて今回のツアーやミュージアム・ツアーを可能にしています。最近ルイビトンでも演奏したんですけど、オーナーはアートをとても支持している方でした。彼は、2日前に火災が起きてしまったノートル・ダム大聖堂に多額のお金を寄付したんです。人と人の触れ合いや対話から生まれる音楽、アート、ヴィジュアルアーツや言語のインスピレーションですよね。私は残念ながら日本語は喋りはできないけど、いろんな言語を使います。“電卓”は友だちに訳してもらってから何度も日本語で歌っているのでもう慣れていますが、坂本龍一に訳してもらった“レディオアクティヴィティ”はまだパソコンの画面を見て読みながらじゃないと歌えません。で、えーと、(クリング・クラング)スタジオではインタラクティヴ・ミュージックを3Dアニメーションと3Dイメージで作り上げるのに励んでいます。未来のためのコンセプト作りもやってます。
■最後にぼくも自転車好きなので訊きたいのですが、かつて自転車で大怪我されたことがあると聞きましたが……
ラルフ:それはフェイクニュースです。
通訳:全部がフェイクなんですか? 怪我すらしていないってことですか?
ラルフ:そもそも、その話をしている人たちは、私と一緒にサイクリングしたことがありません。別の年にいちど転んだことはありましたけど。そのときは3~4日病院で過ごしました。で、前にフェイク・ニュースを流されたので、そのときは病院で新しい脳をもらったというフェイク・ニュースを自ら流しました。(一同笑)でもこの怪我は仕事や生活には何の影響も及ぼしていません。
通訳:軽傷だったって事ですか?
ラルフ:はい。アルバムにもツアーにも影響は出ませんでした。新しい脳を手に入れただけです(笑)。
■で、あなたの自転車好きは有名ですが(公式サイトではサイクリング用グッズを売っている)、なにゆえにあなたはそこまで自転車を愛しているのでしょう?
ラルフ:サイクリング自体からはとてもインスピレーションをもらいます。はじめたのは70年代後期でした。スタジオの外でできることを探していたのがきっかけです。昔のスタジオというのは暗くて、密閉されてて、防音環境だったので、何年もスタジオにこもってばかりの生活を送っていときに、それはなんだか私が生きていく上では正しくない環境だと感じはじめたんです。私は外に出ようと思いました。しかし、歩いて散歩したりするのは、私にはペースが遅すぎたんです。私はスキーなど他のスポーツもやりますよ。
で、そのときに私たちは気づいたんですよ。ちょうどオランダの近くに住んでいて、オランダではサイクリング文化が発達していました。フランスでの経験からツール・ド・フランスのことを知りました。もちろん、このサイクリングを始めたことがのちの「ツール・ド・フランス」に繋がっています。
サイクリングを通して、音楽の延長線上みたいな感覚を見出したんです。自転車に乗るマン・マシーンのようなものですね。完璧なインディペンダントになれるんです。行きたいところに行けるし、精神的にも体力的にもリフレッシュができる。音楽に似ています。残念ながら日本は道路が逆(車両は左側通行)なので、私は日本ではサイクリングできません。しかしサイクリングは音楽を作る上でインスピレーションを与えてくれる素晴らしいものです。フランスやイタリアをサイクリングしたり、サイクリングを通じて世界のことを学んだりできるんですよ。サイクリング・イベントで会えるサイクリング仲間もできました。
では、ロボットを見ましょうか?
クラフトワークのライヴは、彼らの大衆主義の成果のひとつと言える。3Dメガネをしたオーディエンスは、ただひたすら純粋にショーを楽しむ。もちろん“レディオアクティヴィティ”のような例外はあるにせよ、基本的にぼくたちはエレクトロ・ポップの発明者のステージを2時間のあいだ無心に楽しむのだ。そしてそれは決してあなどることのできない素晴らしい体験だった。
ヒット曲のオンパレードのライヴではあるが、たとえばかわいらしいポップ・ソングだと思っていた“電卓”が電子のうねりを有するファンクで再現されると座っている身体が不自由に感じてならない。そのように曲はアップデートされている。個人的にもっとも好きな曲のひとつ、“ツール・ド・フランス”は、レトロな映像をともなって展開する。そこには、デジタルに統率されているであろう現在のクラフトワークが、しかしアナログに対する愛着があることを示している。そしてもちろんクラフトワークがファンキーであることはライヴで充分に証明されている。ステージ衣装を見るだけでもおわかりになるだろう。
ヒュッターが自ら言ったように、クラフトワークには「先見の明」があった。エレクトロ・ポップだけではない。ヒップホップ、ハウス、テクノ、あるいはそのミュータントたち、つまりダブステップやトラップにいたるまで、ほとんど多くのエレクトロニック・ダンス・ミュージックには1968年にふたりのドイツ人が始動させたコンセプトに借りがある。
クラフトワークは古くならない。それはカンやヴェルヴェット・アンダーグラウンドが古くならないのと似ているのかもしれない。つまり、完璧にオリジナルで、ヒュッターが自ら説明するように、それは流行を気にして作ったものではない、ただ自分たちで発明したものだからだ。もしクラフトワークが古くなるとしたら、それは我々がロボットを笑えなくなったとき、人間たち自身が本物のロボットになったときだろう。
アルバム・タイトルはジャメイカ・キンケイドが〈ザ・ニューヨーカー〉に1978年に発表した短編『ガール』からの引用。キンケイドはカリブ海東部の島々からなるアンティグア・バーブーダ出身の作家で、とくに初期の自伝的な作品群では母と娘の関係を軸にして、隠喩的にポスト・コロニアルにおける支配/被支配の緊張を描き出していた。ある種、地域性を問わずに共感を得る思春期の少女の物語として。
だけど、どうなのだろう。この、素晴らしくなめらかに仕上げられたヘラド・ネグロとしては6枚め、ロベルト・カルロス・ラングによる『ディス・イズ・ハウ・ユー・スマイル』にどれほど「ポスト・コロニアル」というテーマが入りこんでいるのか、シンプルな英語詞はまだしもスペイン語がここで「響き」に聞こえてしまう僕には、正直わからない。それに何よりも……サウンドにおいて、エクアドル移民である彼のルーツとしてのラテン音楽とゼロ年代ブルックリンの成果が綺麗に溶け合っているではないか。すでに「ボラ・デ・ニエベのベッドルーム・ポップ・ヴァージョン」などと形容されているように、ラテンからの音楽的恩恵がここでは21世紀型のドリーミーなポップ・ミュージックへと見事に変換されている。
サヴァス&サヴァラスへの参加やジュリアナ・バーウィックとのコラボレーション、それに前作までスフィアン・スティーヴンスが主宰する〈アズマティック・キティ〉からリリースしていたことからもわかるが、北米インディの美味しいところを気持ちよく漂ってきたカルロス・ラング。ヘラド・ネグロ名義はブルックリンに移ったゼロ年代後半から使用しているが、なるほど前作『Private Energy』をあらためて聴き直すと、いかにもアニマル・コレクティヴ以降の遊びに満ちたエクスペリメンタル・ポップの跡を見出すことができる。だが、〈RVNG〉からのリリースとなる本作ではオープナーの“Please Won't Please”から、簡素なリズムとあくまで柔らかいシンセの調べに乗せて線の細い歌がゆるく、優しく続けられる。わたしたちがゼロ年代後半によく親しんだアンビエント・ポップのフィーリングが、10年かけた洗練を経て届けられる……きめ細かく変わってゆく光を浴びながら。もちろん、ヘラド・ネグロらしいトロピカル・サイケなフォーク・ナンバー“Pais Nublado”なども耳を引くが、ハイライトのひとつである“Running”などはそれこそライのファンも思わずうっとりするようなメロウなソウル・チューンである。いずれにせよ、それらが大きな起伏を生み出さないように生音のオーガニックな響きを大切にしながら、じつにゆったりと連なっていく。いくらかファンキーなグルーヴを感じさせるミドルテンポの“Seen My Aura”、伝統的なラテン・フォーク・ギターとスティール・パンの音色が控えめに寄り添う“Sabana de Luz”、曲によって要素は変われど、穏やかなサイケデリアが途切れることはない。
前作で「若く、ラテンで、誇り高い」や「僕のブラウンの肌」といった象徴的な言葉を並べていたカルロス・ラングだが、本作における彼のラテン人としてのアイデンティティはあくまで音として彼の現在地と和解している。わたしたちがスフィアン・スティーヴンスとデヴェンドラ・バンハートとサヴァス&サヴァラスとアニマル・コレクティヴを地続きで聴くような感覚が本作でひとつになっており、ルーツにも現在にも等しくオープン・マインドな佇まいや自然体の折衷性はブラジルのシンガーソングライターであるフーベルの昨年絶賛されたアルバム辺りにも通じるだろう。映画『ROMA/ローマ』を例に挙げるまでもなく北米において中南米との関係性が問われている昨今だが、英語とスペイン語、ベッドルーム・ポップとラテン・フォークが継ぎ目なく共存する本作を聴いていると、音楽は「ポスト・コロニアル」のその先を模索しているように思えてならない。
これは最新のダンス・ミュージック・レコードだ。「えっ、いったいどこが?」と思われる方もいるかもしれない。たしかにどのトラックもほぼビートレスだし、あってもビートは断片化されている。その意味で相当にエクスペリメンタルな音楽であることには違いない。しかしこの『Imperial Flood』は、あのロゴスの新作アルバムである。となればここにはリズム/律動の拡張があると考えるべきではないか。
ロゴス(ジェームス・パーカー)はかつて「ウェイトレス=無重力」というサウンド・スタイルによって、インダストリアル/テクノやアンビエント以降のUKグライムの新しいビート・ミュージックを創作した人物である。彼の関わったアルバムをざっと振り返ってみても、2013年にソロ作品『Cold Mission』(〈Keysound Recordings〉)、2015年にマムダンスとのコラボレーション作品『Proto』(〈Tectonic〉)、2016年にロゴスとマムダンスが主宰する〈Different Circles〉のレーベル・コンピレーション『Different Circles』などを継続的に送り出し、しかもそのどれもが先端的音楽マニアたちの耳と身体の律動と感性を刺激する傑作ばかりであった。いわば「テクノ」の概念を拡張したのだ。
そんな先端音楽シーンの最重要人物のひとりであるロゴスの新作『Imperial Flood』が、自身の〈Different Circles〉からついにリリースされたわけだ。となれば「新しい律動への意志」が問われているとすべきではないか。じじつ、『Cold Mission』以来の待望ともいえるソロ・アルバムであるのだが、そのサウンドは6年の月日の流れを反映したかのようにわれわれの予想を超え、新しい電子音響空間が生成していたのだ。〈Different Circles〉から2018年にリリースされたシェヴェル『Always Yours』のビート・ミュージックの実験性を継承しつつ、ビートにとらわれないモダンな先見性に富んだ電子音楽に仕上がっていた。ここにはリズムと持続への考察と実践がある。では、それはいったいどういうものか。このアルバム全体が、一種の「問い」に私には思えた。
アルバムには全9曲が収録されている。どのトラックもビートよりも電子音のミニマルな持続や反復を基調にしつつ、加工された具体音・環境音がレイヤーされている構造となっていた。インダスリアルのように重厚であり、アンビエントのように情景的でもある。いわゆるシネマティックなムードも濃厚だ。とはいえチルアウトが目的のアルバム/トラックではない。耳のありようを規定しない「緊張感」が持続しているからだ。
曲を順にみていこう。まず1曲め“Arrival (T2 Mix)”と2曲め“Marsh Lantern”のビートレスにしてオーセンティックなシンセ・サウンドからして、その意志を明瞭に聴きとることができた。つまり彼が「UKグライム以降」という立ち位置すら超越し、まったく独自の「電子音楽の現在」を刻印するような作品を生み出そうとしていることが分かってくる。
続く3曲め“Flash Forward (Ambi Mix)”はアシッドなシーケンスが反復し、薄いリズムがレイヤーされるシンプルなトラックである。2019年におけるアシッド・リヴァイヴァルだ。4曲め“Lighthouse Dub”では“Arrival (T2 Mix)”と“Marsh Lantern”の波打つように反復するオーセンティックな電子音楽が継承され、断続的/性急なグライム的ビートがレイヤーされる。どこか不穏なムードを醸し出す極めて独創的なトラックである。
5曲め“Omega Point”では環境音・具体音と霞んだ電子音が折り重なり、シネマティックかつダークなムードが生成されていく。わずか2分57秒ほどのトラックだが、アルバムのコア(中心)に位置し、本作のムードやテーマ(曲名からして!)を象徴する曲に思えた。続く6曲め“Zoned In”は盟友マムダンスが参加した本作のビート・トラックを代表する曲だ。まさにアシッド・テクノな仕上がりで、本作中もっともストレートなダンス・トラックである。
7曲め“Occitan Twilight Pyre”は微かにノイジーな音が生成変化する実験音楽的トラック。何かを静かに押しつぶす音と高音域のスプレーのようなノイズによるASMR的な快楽が横溢している。8曲め“Stentorian”はリズムの連打とアトモスフィアな電子音が交錯する。名作『Cold Mission』を思い出させるトラックであり、「ウェイトレス」の現在形を提示しているようにも思えた。やがてビートは(「オメガ・ポイント」の先に)消失・融解し、9曲め“Weather System Over Plaistow”へと辿り付く。この終曲でも波打つように反復する霞んだ電子音が展開されていく。どこか懐かしく、しかし聴いたことのないサウンドだ。
本作の電子音は70年代のドイツの電子音楽(クラウトワークやタンジェリン・ドリーム)のごときサウンドでもあり、同時に10年代以降/グライム以降ともいえる未知のサウンドがトラック内に溶け合っているのだ。
知っている。だが聴いたことがない。本作には「未聴感」が濃厚に漂っている。UKのグライム以降の最先端のビート・トラックを提示したマムダンスとロゴスのシングル「FFS/BMT」(2017)に横溢する「新しさ」の「その先」を見出そうとする強い意志を強く感じる。それはいわば「複雑さ」から「単純さ」を選択し、電子音/音のマテリアルな質感へと聴き手の意識を向かわせようとする意志だ。むろん「素朴さ」への反動ではない。ロゴスは常に「聴きなれた音」から「未知の音」のプレゼンテーションを行ってきたアーティストではないか。その意味でジェームス・パーカーはもはや「ウェイトレス」だけに拘っていないし、その先を意識しているのだろう。
じっさい、本作『Imperial Flood』は、ビート・ミュージックとミュジーク・コンクレートとドイツ電子音楽とアシッドテクノの融合/交錯するような作品に仕上がっていた。じじつ、あるトラックはオーセンティックな電子音楽であり、あるトラックはアシッドテクノのモダン化であり、あるトラックはインダストリアル/テクノ以降のモダンなミュジーク・コンクレートである。こう書くと多様な音楽性によるトラックが収録された雑多なアルバムのように思うかもしれないが、アルバム全体はモノトーンのムードで統一されてもいる(このクールなミニマリズムはロゴスとマムダンス、〈Different Circles〉からリリースされた音楽に共通する)。
同時に聴き込むほどに乾いた砂が手から零れていくような「つかみどころのなさ」を感じてもくる。これはネガティブな意味ではない。そうではなく新しい音楽を聴いたときによく感じる現象である。提示された音の遠近法がこれまでの聴き手のそれに収まっていないのだ。この「とりとめのなさ」「つかみどころのなさ」にこそ新しい電子音楽の胎動があると私は考える。
「とりとめのなさ」「つかみどころのなさ」「未聴感」。「未聴感」は、いわば過渡的な状態を意味するものだ。「新しさ」をいわば「不定形な状態」とすると、「新しさ」とは「過渡的」な状態を常に/意識的に選択し、その絶え間ない変化のただ中に身を置こうとするタフな意志の表出といえる。そう、ロゴスは、そのような「未知の新しさ」を希求・提示する稀有なアーティストなのだ。
最初に聴いたのは「スターリニズム」という7インチだった。報道では、「遠藤ミチロウはパンク・ロックのゴッドファーザーと呼ばれている」などと書かれているが、どうなんだろうか。
というのも、スターリンが登場したときはUKではパンクはすでに過去のもので、「スターリニズム」がリリースされた1981年においてはポストパンクすらも過渡期を迎えようとしていた。この年PiLは『フラワーズ・オブ・ロマンス』を発表し、ジョイ・ディヴィジョンの残党がニュー・オーダーを始動させている。ザ・スペシャルズが最後の力を振り絞って「ゴーストタウン」を出して、ザ・レインコーツがセカンドを、ニュー・エイジ・ステッパーズが最初のアルバムを発表している。パンクが終わり、アンチ・ロックンロール主義的なポストパンクが沸点に達しているときに、「スターリニズム」の1曲目に収録された“豚に真珠”のパンクのクリシェ(常套句)というべきサウンドに、1977年に逆戻りしたかのような錯覚を覚えたのも致し方ない。が、と同時に、それが日本人が体験できなかった1977年のUKを追体験したいという憧れなどから来ているものではないことも、高校生だったぼくにもわかっていた。
1982年にリリースされたスターリンの最初のアルバム『trash』は、いわばメタ・パンク・アルバムである。異様さのなかに喜びを見出そうとするパンク・ロックの一要素を拡大し、陳腐であることを逆手に取った作品で、しかもそれは素晴らしい反復によるドライヴ感と遠藤ミチロウにしか書けない独特の歌詞と、そしてある種独特の妖艶さをも有している。
「全テノ革命的変態諸君!!/我々の日常ハ/ドブノ中デ御飯ヲブチマケル/食エナイモノヲ食アサル」
60年代の政治的抵抗や70年代のパンクへの共振と嫌悪と自虐が混ざり合ったその言葉は、タブーに挑戦するというUKパンクからの影響の日本における実践でもあったし、日本のアングラ・フォーク(ないしはエログロナンセンス)とパンクとの接続でもあった。ファンの女の子たちが嬉しそうに「ブタのキンタマ/ウシのクソ/世界の便所」とリズミカルに歌っていた光景をいまでも覚えている。時代はバブル期に差し掛かろうとしていたが、自分たちが生きている場所が「便所」ぐらいに思っていたほうが気が楽だった。
ぼくが最初にライヴを見れたのは、『Stop Jap』を出す直前ぐらいの横浜のライヴハウスでの演奏だった。高校の同級生といっしょに行って、ステージから何か飛んでくるぞとこわごわ後方で見ていたのだった(そして本当に飛んできた)。
昨年の春、三鷹の喫茶店で初めて遠藤ミチロウさんにお会いする機会があった。すでに膠原病を患っており、片足が麻痺しているといって松葉杖で階段を上っていた。ぼくは戸川純さんのミチロウさんについて書いた原稿を渡し、なぜか宇川直宏の話になり、ほかにも1時間ほど話したと思う。
「“メシ食わせろ”って、いまこの時代のなかで聴くとむちゃくちゃ切実に聴こえますよね」と言ったら、「本当にそうだよね」と静かにうなずかれていた。「“Stop Jap”とかもね」、ミチロウさんはすかさずそう付け加えた。
それからぼくは、自分の日本の音楽に対する関心は欧米からの影響と自らの土着性とをどう折り合いを付けるのかという点にあることを話したら、「そう、土着性なんだよ」とやや語気を強めて言った。その話しっぷりのなかには、さあいままさに自分がやらんとする挑戦への情熱が込められていたように感じられた。
UKにおける重要なパンク・バンドと同様に、結局のところスターリンもまた自らが築き上げた破壊の美学に自らが縛られていくことなる。が、しかし先駆者とはそういうものだ。スターリンが登場する以前のパンク/ニューウェイヴ系のライヴハウスは、どちらかといえば文化系のにおいが強いところだったが、スターリンのライヴには街でぶいぶい言わせてそうな兄さんがたも多く集まるようになっていた。女の子にも人気があったし、Tシャツに黒いジーンズという安上がりのパンク・ファッションを普及させもした。そう考えると日本においてパンクをメジャーに引き上げたのはたしかに遠藤ミチロウとスターリンだったのだろう。それはしかしパンクが終わったあとのパンクの一形態であり、パンクが日本に土着化した第一歩でもあった。
あー、ハラが減った。さあ、みんなで“メシ食わせろ”を合唱しよう。
野田努
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遠藤ミチロウと最後にことばをかわしたとき、彼はパンクだった。場所は新宿ロフトだった。2015年11月17日、大里俊晴の七回忌にあたる年、タコ、すなわちSHINDACO、いうなれば死んだ子としてよみがえったガセネタでベースを弾くよう、山崎春美に命じられたとき、参加した多士済々というか魑魅魍魎というか(最上級の褒めことばです)、そのような面々のなかにミチロウさんの顔もあった。解剖台の上でミシンとこうもり傘が衝突するような春美さんの思いつきにはしばしばメンくらわされるが、しかしこのときほど春美さんのシュルレアリスティックな発想に感謝したこともなかった。なんとなれば、編集や書きものの仕事をとおして存じあげていても、まさか一緒に音を出すとは思ってもみない方々と演奏したからで、そのいちいちをここに記すのはながくなるのでさしひかえるが、なかでもミチロウさんのバックでベースを弾いたのは忘れられない記憶である。
正直にいえば、はじまるまでは懐疑的なところがなかったとはいえない。音楽において、バンドなりミュージシャンなりが伝説的であればあるほど、彼らの音楽は言説の皮膜に覆われ、情報化社会ではなおさら、聴き手は音を聴くよりもその表層をなぞり、意味の読みとりにかまけつづける、そのようなあり方に奉仕する以上のことが、ミュージシャンでもない私にできるとは思わなかったのである。とはいえ春美さんの勅命を断るほどの胆力は私にはない。いきおい末席をけがすほどの演奏でお茶を濁すことになるのではないか──不安をいだきつつ立ったロフトの舞台はブラインドで客席と仕切られていて、所定の位置についたメンバーは客席からはみえない。ブラインドごしにフロアにながれるBMGとお客さんのざわめきがとどく。フロントの立ち位置に山崎春美と遠藤ミチロウがついた。演奏がはじまる、その一瞬前、舞台の上のすべてのものが、楽器や機材にいたるまで、リズムを合わせるように息をのむ、そのときミチロウさんがくるりとふりかえり、にっこりと微笑まれたのである。
幕があがると同時に、ミチロウさんが手にしたサイレンが唸る。ザ・スターリンのドラマーでもあった乾純さんが重々しいエイトビートを刻みはじめ、成田宗弘さんのギターがノイズの塊を発する。私はE弦を八分で弾く、「メシ喰わせろ」のちの「ワルシャワの幻想」である。数秒前まで、穏やかにステージにたたずんでいた小柄なミチロウさんの姿はすでになかった。客席にペットボトルの水をふりまき、拳をふりあげ「乾杯!」と叫ぶ彼はありし日のパンクの姿をひきうけ、再構成し、現在に体現する、私はざんねんながら表情はみえなかったが、その背中はさっきまでの私のわだかまりをふきとばすものがあった。すなわちパンクとはなんだったのかという過去形の設問への実践による回答の拒否である。同時にそれは歴史の格納庫に回収したがる伝説への愚直なあがきでもあったのではないか。
遠藤ミチロウとはじめて言葉をかわしたとき、彼はフォークだった。場所は山形市内だった。いまから四半世紀前、当時私は仙台に住む学生だったが、隣県で開催した三上寛と友川かずき(現カズキ)に遠藤ミチロウをくわえたジョイントライヴにはせさんじたのである。企画自体は商店街のお祭りの催しのような感じで、なぜこのようなどぎつい顔ぶれのライヴが商店街の一角(ほんとうに商店街の一角だったんでんすよ)で開催したかはいまもってナゾだが、子どもが走りまわり、老人がとおまきにするなかで、たしか三上寛さんがトップバッターで友川さんミチロウさんと歌い継ぐ光景はなかなかにシュールだった。当時ミチロウさんはザのつかないスターリンからソロ活動に移り、ギター一本かかえて単身全国をまわりはじたころで、たしか責任転嫁というパンクバンドのヴォーカルでミチロウさんと交流のあったバイト先の店長の車に同乗させもらって山形に向かったのだった。ミチロウさんは福島の出身だが、山形大を出ており、その縁もあって、青森の三上寛、秋田の友川かずきとジョイントすることになったのであろう。私は三上、友川の両名については、明大前のモダーンミュージックのレーベル「PSF」の諸作で音楽性は認識していたが、『50』(1995年)の前だったので、弾き語りのミチロウの予備知識はほとんどなかった。ところがそのライヴでもっとも印象にのこったのは遠藤ミチロウだったのである。東北の磁場と地続きの感のある三上、友川両氏とは対照的に、遠藤ミチロウは東北という圏域あるいは故郷や家の観念にあらがいつつ、GSやドアーズに憧れた音楽体験の原点をかたちづくった場に身を置くことの両価性に喜悦するように歌っていた。その印象の由来はギター一本で長尺になった「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」のせいだったかもしれないが、フォークという形式以前に、ことばの詩性や虚構性よりも自身の裡の原風景に正対しながら、そこから離反しようとする彼の音楽の力線は日本という中央封建社会を炙りだすものであり、私たちはそれらの歌をときにパンクと呼び、名もなき声を代弁するものとしてあるときはフォークロアとみなしてきたのではなかったか。
遠藤ミチロウがこの世を去ったあくる日の晩、私は渋谷o-nestにいた。時代はまだ平成だった。豊田道倫のレコ発ライヴで、その日は私がはじめて遠藤ミチロウの歌を生で聴いた日に共演していた三上寛がゲストで出演していた。もはや歌とも話芸ともつかない語りのなかで三上寛は寺山修司の言を引いて、日本は戦後「家」を喪い「家庭」になったと述べていた。遠藤ミチロウの透徹した直観が問題にしてきのも、おそらくはそのような社会の変化であるとともに、その土台にある、ウワモノをいくらつくりかえても拭えない土の発する匂いのようなものだったのだろう、と私は令和の世になった最初の日に伝え聞いた遠藤ミチロウの訃報に思った。遠藤ミチロウのなかではパンクもロックもフォークも同根であり、サウンドは時代のドキュメントだった。90年代以降、ことに近年はそれまでの自身の活動を総括する悠揚とした趣もあった。つまるところそれらはジャンルの装飾を排したただの音楽にすぎない。とはいえ素っ裸の肉体が頭から輝くような音楽がほかにあっただろうか。
※文中いちぶ敬称略としました。
松村正人
今年もサウス・ロンドンを中心とするUKジャズ勢は精力的に活動をおこなっていて、先日紹介したザ・コメット・イズ・カミングやヌビヤン・ツイストのほか、ココロコ、シード・アンサンブル、テオン・クロス、サラ・タンディ、ロージー・タートン、イル・コンシダード、ルビー・ラシュトン、アルファ・ミスト、シカダなどのアルバムがリリースされている。そうした中でもっとも注目を集めるのがエズラ・コレクティヴによる初のアルバム『ユー・キャント・スティール・マイ・ジョイ』だ。
エズラ・コレクティヴはフェミ・コレオソ(ドラムス)とTJ・コレオソ(ベース)の兄弟を中心に、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、キーボード)、ディラン・ジョーンズ(トランペット)、ジェイムズ・モリソン(サックス)からなる5人組で、これまでサウス・ロンドンのジャズ・シーンを牽引してきたバンドである。トゥモローズ・ウォリアーズで出会った彼らは2012年にバンドを結成し、ライヴ活動中心に名を上げていき、ファラオ・モンチのヨーロッパ・ツアーでも演奏を務めた。作品はこれまでに「チャプター7」(2016年)、「ファン・パブロ:ザ・フィロソファー」(2017年)という2枚のEPをリリースしており、後者はジャイルス・ピーターソンの「ワールドワイド・アワーズ」で2018年度のベスト・アルバムに輝いている(便宜的にアルバムとカテゴライズされているが、実際にはミニ・アルバムだった)。南ロンドン勢の中でも特に高い人気を誇るグループで、ジョー・アーモン・ジョーンズは既にソロ・アルバムの『スターティング・トゥデイ』(2018年)をリリースし、他のメンバーも様々な作品に客演していたのだが、なかなかファースト・アルバムがリリースされてこなかったので、この『ユー・キャント・スティール・マイ・ジョイ』はまさに待望の一枚だ。
エズラ・コレクティヴの音楽性の柱はジャズ、ジャズ・ファンク、アフロで、そこにレゲエ、ラテン、カリビアン、ヒップホップ、ブロークンビーツなどの要素も混ざってくる。特にアフリカ系のコレオソ兄弟が作り出すビートは、トニー・アレンをルーツとするアフロビートの影響を色濃く受けており、それがエズラ・コレクティヴ最大の特徴とも言える。そうしたアフロビートとジャズの結びつきに、扇情的なホーン・セクションが組み合わさって、エズラ・コレクティヴのサウンドは南ロンドン勢の中でもっともパワフルでダンサンブルなものとなっている。『ユー・キャント・スティール・マイ・ジョイ』はそうした彼らの姿を余すところなく伝えてくれる。演奏は5人のメンバーのほか、“ホワット・アム・アイ・トゥ・ドゥ?”でロイル・カーナーがヴォーカル参加。彼もちょうど『ノット・ウェイヴング、バット・ドローイング』を出したばかりと話題の人だが、そのアルバムにも参加していたシンガー・ソングライターのジョルジャ・スミスも“リーズン・イン・ディスガイズ”で歌っている。ほかにフェラ・クティのカヴァーの“シャカラ”にはココロコのメンバーも参加。パーカッションはファン・パブロというローマ教皇ヨハネ・パウロと同名のミュージシャンになっているが、これは「ファン・パブロ:ザ・フィロソファー」のときと同じくメンバーの変名クレジットだろう。
オープニングの“スペース・イズ・ザ・プレイス”はサン・ラーのカヴァーで、「ファン・パブロ:ザ・フィロソファー」でもやっていたのだが、今回はそれとは異なるヒップホップ的アプローチによる演奏で、アルバム全体のイントロダクション的な役割を果たしている。アート・アンサンブル・オブ・シカゴを思わせるようなフリーキーなジャズから、最後はヒップホップ・ビートで締め括られる“ホワイ・ユー・マッド?”、レゲエ調の“レッド・ワイン”を経て、“クエスト・フォー・コイン”はブロークンビーツを取り入れた演奏で、クラブ・ジャズとの親和性の高いエズラ・コレクティヴらしいナンバーと言える。ジョルジャ・スミスをフィーチャーした“リーズン・イン・ディスガイズ”はネオ・ソウルを取り入れたもので、ロイル・カーナーをフィーチャーした“ホワット・アム・アイ・トゥ・ドゥ?”はヒップホップと、今のジャズらしいアプローチが続く。
ここまでの前半の流れも悪くはないが、エズラ・コレクティヴらしさという点では後半のアフロビートを中心とした作品群に圧倒されるだろう。一口にアフロビートと言っても様々なリズムを繰り出しており、“ピープル・セイヴド”のようなロー・テンポのディープなタイプあり、“クリス・アンド・ジェーン”や“サン・パウロ”のようにラテンやカリビアン、サンバ・ビートと組み合わせた躍動的なタイプありと、とても幅広くて表情豊かだ。“キング・オブ・ザ・ジャングル”はスピリチュアルなアフロ・ジャズ、“ユー・キャント・スティール・マイ・ジョイ”はブロークンビーツ+アフロビートというダンサブルなサウンドだ。一方でジョー・アーモン・ジョーンズのソロ・ピアノによる“フィロソファーII”はスパニッシュ調のメロディによるクラシカルな作品。この曲の「ファン・パブロ:ザ・フィロソファー」でのヴァージョンはアッパーなアフロビートだったので、表現力の幅広さに驚かされる。最後はフェラ・クティの作品の中でも屈指の人気曲の“シャカラ”をカヴァーしていて、ココロコを交えた分厚いホーン・セクションが活躍する。エズラ・コレクティヴのライヴ・バンドとしての魅力が最大限に発揮された演奏と言えるだろう。彼らの演奏はリズムから組み立てられることが多く、アフロビートはその端的なものだが、そうしたビートが持つ生命力に貫かれたアルバムだ。
stillichimiya の一員としても活躍する田我流のソロとしては実に7年ぶりとなる待望のサード・アルバム。前作『B級映画のように2』リリース以降も、バンド・プロジェクトである“田我流とカイザーソゼ”名義でのアルバム・リリースや、ヒップホップを中心とした数々のアーティストやプロデューサーの作品にゲスト出演を果たしたり、さらにライヴ活動も精力的に続けてきたことで、この7年間の彼に対する評価は常に上昇を続けている。その彼の魅力はリリックから滲み出てくる等身大の人間臭さや、その裏にあるユーモアの部分だけではない。常に真っ直ぐ芯を通しながらも、時にはやんちゃに振る舞ったかと思えば、しっかりと男としての色気すらも漂わせる。声の良さやラッパーとしての存在感の強さはもちろんのこと、ヒップホップとしての新しさもあれば、どこかオールドスクールなフレイヴァも匂わせ、山梨県を拠点に活動していることも、彼にとってはハンデどころか大きなプラスになっている。日本人ラッパーとして、これほどまでに全方位的な要素を備えている人物は他に見当たらず、本作『Ride On Time』は、そんな田我流の魅力が十二分に詰まった傑作だ。
今回のアルバムでまず特筆すべきは、“Falcon a.k.a. Never Ending One Loop”名義で田我流自身が実質的にメイン・プロデューサーを務めているところだろう。これまで Falcon としてはビートCDや僅かなプロデュース作を発表してきただけであったが、本作ではその自らのサウンドによって見事にアルバム全体のカラーを作り上げている。さらに田我流にとっても代表曲である“ゆれる”を手がけた EVISBEATS を筆頭に、DJ UPPERCUT、Automatic (ゆるふわギャング)、VaVa、KM、ジュークのビートメイカーである Ace-up といった、実に幅広いメンツをプロデューサーとして揃え、この鉄壁な布陣によって作品として強度はさらに増している。これらの色彩豊かなサウンドに対して、田我流自身のラップも実にバラエティ豊かなスタイルを繰り広げており、“Vaporwave”のように敢えて今っぽいスタイルを取り入れたり、あるいは“Cola”のように歌を披露してみたり、自らの新しい引き出しを次々と広げている。もちろん、同時にタイトル曲“Ride On Time”や盟友、EVISBEATS との“Changes”のような彼自身の王道とも言えるスタイルも健在だ。
フィーチャリングに関しては C.O.S.A. (“Wave”)とシンガーの NTsKi (“Anywhere”)とふたりのみであるが、いずれもゲストのカラーもしっかり反映された見事な出来で、さらにスキット“Small Talk From KB”での KILLER-BONG の存在感も絶妙なアクセントになっている。他にもイントロ明けの田我流節が全開な“Hustle”での鮮やかな疾走感であったり、ファースト・アルバム『作品集 JUST』からの続編である“Back In The Day 2”でのネタ使いも含めた良い意味でのイナタさや、素直に苦悩をリリックに綴った“Deep Soul”など、全ての曲が聞きどころと言えるほど、隙間なくアルバム全体に魅力が溢れている。頭から最後まで、じっくりと何度も何度も噛み締めてほしい作品だ。
「JUST ZINE」とは“ライブやパーティに遊びに行った時に、カッコいい人達に口頭で頼んでページを作って貰うというコンセプト”で制作されているオムニバス形式のZINEで、アンダーグラウンド・シーンのアーティストやレーベル、ショップオーナーなどがページを彩っている。
昨年末にリリースされた第3号は「Book issue」と題して、本や読書をテーマに、今回も熱い面々がテキストやアートワークを提供。ハードコアやヒップホップのシーンには密かに熱心な読書家が多く、各人の思い入れが白黒コピーのページから溢れている。 ネット通販は各店すでにほぼ Sold Out 状態、下高井戸トラスムンドなど限られたショップでしか手に入らないが、運良く出会うことができたらぜひ手にとってみてほしい。
JUST ZINE 3 Book issue
A5サイズ、28p(表紙除く)。
1,000円(税込)
参加者(掲載順)
NEUDAZE
SADSUMMER/マスヤマ
noise
HATE(MOONSCAPE/BOOT DOWN THE DOOR)
Rakuya Katagiri
馬場 裕介
ippei matsui
TRASMUNDO浜崎
Joji Nakamura
KTYL
YURI
e
373
ikm
You Suzuki
DEATHRO
中野 賢太
SOILEDDOVE
COTTON DOPE
WACKWACK
今里(STRUGGLE FOR PRIDE)
柿沼実(BUSHBASH)
THE JOB LOT CLUB
※下高井戸トラスムンドなどで販売中
6月1日(土曜日)、新宿のロフト・カフェ〈ロフト〉にて、ele-kingでも活躍中のライター/レーベル主宰者のイアン・マーティンとライター/写真家の久保憲司によるトークがあります。テーマは「日本と欧米のインディ・シーンは完全に死んでしまったのか」。熱いトークになるのか、あるいは捻くれ英国文化と直球日本文化の大いなるすれ違いになるのか……、まあ、たぶんその両方でしょうな。お酒でも飲んでひやかしに行きましょう。
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/rockcafe/116752
OPEN 18:00 / START 19:00
前売(web予約)¥1,500/当日¥2,000(+要1オーダー)
チケット予約
【ナビゲーター】イアン・F・マーティン vs 久保憲司
日本と欧米のインディ・シーンは完全に死んでしまったのか、ポップ・ミュージックに占領された
音楽シーンに未来はあるのか、こんな難しい話をしながらも今本当に面白い音楽を紹介しながら楽しくお酒でも飲みましょう。松田聖子から渋谷系、ナンバーガールからAKB48までを論じるイアン・F・マーティンに日本、欧米の音楽の問題点を聞きまくります。
もはや多様性は販促の道具である。ダイヴァーシティの称揚が「なんでもあり」の状況を誘発しかねないというのはだいぶまえから言われていた気がするけれど、いまやそれは完全に企業や資本にとってこそ有用な、使い勝手のいい概念に成り下がっている。多様性を褒めそやすことの何が問題かといえば、それが社会における異質なもの同士の敵対性や、そのような軋轢を生み出す構造それじたいを隠蔽してしまう点で、極論すれば「貧困だってひとつの個性でしょ」なんてことになりかねない。いや、「自己責任」が大人気のこの国ではすでにそうなってしまっているのかもしれないが、とまれ企業は多様な価値観を推奨しさえすれば善良なるイメージを獲得することができ、己が与し支えるシステムの歪みなんか気にせず、思う存分営利活動に邁進できるというわけだ。多様性は収益を生む。素晴らしい。
ダニエル・ハークスマンはベルリンを拠点に活動するベテランのDJ/プロデューサーである。レーベル〈Man〉の運営などをとおしていわゆるワールド・ミュージックとベース・ミュージックとの境界を更新し続けてきた彼は、かつてコンピレイション『Rio Baile Funk』を編むことで世界じゅうにバイリ・ファンキを広めた陰の重要人物でもあるが、そのハークスマンにとって3枚目のスタジオ・アルバムとなるこの『With Love, From Berlin』は、国際都市としてのベルリンをテーマに掲げている。ベルリンという街がロンドンやパリと異なるのは、その国際性がグローバル企業や金融産業によってではなく、観光や外国人の(自然な)流入によって担保されている点である、とレーベルのインフォメイションは説明していて、ほんとうにそう言えるのかどうかは判断がつかないけれど、少なくともハークスマンはそのようにベルリンをレプリゼントしたいということだろう。ようするにベルリンは、資本主導ではないかたちで多様性が花開いた稀有な都市なんだよと、そういう話である。
まずはシベーリの起用に嬉しくなる。彼女は偉大なるブラジル音楽の遺産とエレクトロニカの音響的冒険とを両立させるサンパウロ出身のシンガーソングライターで、2006年に『The Shine Of Dried Electric Leaves』という良作を残しているが(日本盤にはハーバートによるリミックスも収録、『21世紀ブラジル音楽ガイド』をお持ちの方は34頁を参照)、彼女を迎えた冒頭の“Corpo Sujeito”や、それに続く“La Añoranza”(こちらのゲストはバルカン・ビート・ボックスのサックス奏者オリ・カプランとペルーのデング・デング・デングなるグループ、そしてジャイルス・ピーターソンの「ワールドワイドFM」でも番組を持つ中南米音楽セレクターのココ・マリア)がもっともよく体現しているように、ソカなどアフロ・カリビアンのリズムを流用して骨格を成形しながら、そこにダブステップ以降のベースを注入、上モノや言語で世界各地の要素を際立たせつつ、それらすべてをリズム&サウンド的なベルリン式ダブの音響で包み込む──というのがアルバム全体の基本路線なのだけれど、ストリングスとコーラスが印象的な3曲目“Overture”によく表れているように、どの曲も音と音のあいだの空隙がほんとうに豊かだ。この音の間合いは、それぞれのマテリアルが互いに異なるもの同士であることを確認させる役割を担っていると言える。そのおかげで、さまざまな素材が同居しているにもかかわらず、ごちゃごちゃした感じはいっさいない。
取り合わせの妙もまたこのアルバムの醍醐味だ。ポール・セント・ヒレアーを招いた4曲目“City Life”やトリを飾る“Wolkenreise”のバンドネオンとダブ、ザップ・ママの娘だというK・ズィアとシカゴの大物ロバート・オーウェンズを同時に呼び寄せたシングル曲“24-7”のレゲトン・ハウスなど、どの曲も巧みなさじ加減によりサウンド相互の異質性がしっかりと保護されている。全体の鍵を握るのは8曲目の“Occupy Berlin”だろう。タイトルからして反金融・反資本の機運に同調するこの曲は、背後に敷かれたシンセの持続音とブラカ・ソム・システマのカラフによる言の葉が、随所で乱れ舞うパーカッションの独特な響きとリズムを引き立てていて、音同士の闘いとでも言おうか、われわれリスナーの耳を大いに楽しませてくれる。
とまあそんなふうにこのアルバムにはなんとも多彩な要素がぎゅうぎゅうに詰め込まれているわけだけど、ぜんぜんこれ見よがしじゃないというか、エキゾ感を売りにするような側面は皆無で、かといって相対的な並列化に与するわけでもなく、すべての音がきわめてクールな佇まいで互いの特異性を示し合っている。多様性の称揚によって覆い隠される、個々の対立それじたいを救うこと──それはグローバル資本とはべつの角度からダイヴァーシティを捉え返そうとするハークスマンの、静かに燃えたぎるアティテュードの表れにほかなるまい。ベース・ミュージックのグローバルなあり方、ひいては安易な多様性の讃美それじたいを問い直す、刺戟に満ちたアルバムだ。
