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Sufjan Stevens

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Sufjan Stevens

Carrie & Lowell

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木津毅   Apr 06,2015 UP
E王

 これは幼い日の夏の記憶にまつわるレコードである。そこにはいまよりも若い姿の家族がいて、太陽の光は眩しく、季節は永遠に終わらないように思えた……。誰の心にも、そんな夏がくすぶりつつ息づいているだろう。だがそんなパーマネント・ヴァケイションにも終わりはある。必ず。

あなたを許します、母さん
あなたの声が聞こえる
あなたのそばにいたい
でも、どんな道もいつか終わる
そう、どんな道もいつか終わる
“デス・ウィズ・ディグニティ”

 「尊厳死」と題された曲でスフィアン・スティーヴンスは、母親の死をそんなふうにそっと描写する。中年の入り口に立ったシンガーソングライターが実親の死を機に人生と向き合い、内省的なフォーク・アルバムを作るのは珍しいことではないかもしれない、が、『ピッチフォーク』のインタヴューで彼自身が語ったことによれば、事情はもう少し複雑なようだ。精神を病んでいた彼の母は彼がほんの赤ん坊のときに去ってしまい、以来彼女とは時間をともにすることはほとんどなかったという。だが幼少期のほんの数年だけ、彼女とその再婚相手と過ごした夏があった。キャリーとローウェル――それは幸福な夏の記憶だったと。
 そして時は過ぎ、スフィアンはかつて自分を「棄てた」母の死を前にして、答の出ない問いに結論を与える代わりに歌を歌っている。かすかな声で……「おまえが死者のためにうたう あの歌は何だろう?」

 スフィアン・スティーヴンスのこれまでの作品は、そのアレンジメントに重要な聴きどころがあった。管弦楽とエレクトロニカとアメリカの大地に埋もれていたフォークの、複雑で奇妙な出会い。そこに途切れのない糸を通して縫い付けていたのはイマジネイティヴで突飛ですらあるストーリーテリングであり、『イリノイ』では巨視的かつ多層的に中西部で生きる人びとの悲喜こもごもを描き出していた。対して本作はスフィアンにとってはフォーク回帰と位置づけられる作品で、変拍子もなくアレンジはごくシンプル、歌そのものを聴くアルバムだ。そして彼のアルバムにはこれまでも胸が締め付けられるような切ないフォーク・ソングがいくつか収められていたが、そんな曲たちだけが収められているのがこの『キャリー&ローウェル』である。
 本作を支えているのはストーリーテリングでもなければ巧妙な寓話や気のきいた引用でもなく、繊細な録音だ。先行して発表された“ノー・シェイズ・イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・クロス”一曲を聴くだけでそれははっきりした。その、ガラス細工のような微細な輝きには息を呑むしかなかった。親密な……というのはこういう音のあり方に使うものなのだろう。スフィアンそのひとの息づかいがバンジョーやギターの弦をはじく音と響き合うような曲がほとんどで、エレクトロニカ的な打ち込みもいくつかあるが、そのどれもがとても小さな音量で施されれている。僕は何度か街を歩いているときにイヤホンでこの歌たちを聴いたが、横を車が走っただけで音は簡単にかき消されてしまう……それはこのアルバムが、そんな煩雑な日常に埋もれそうになっている小さな記憶や感情を取り扱っていることとまったく同じだ。

 「あなたの幻とともにどうやって生きていける?/今すぐ自分の目をひきちぎればいい?/目にするものすべてが ふとあなたを思い出させる/今すぐ心をひきちぎればいい?/思うことすべてが ふとあなたに返っていく/あなたの哀しみから あなたを救ってあげたい(“ジ・オンリー・シング”)」
 本人にしか本当のところはわからないであろう個人的な由縁のあるモチーフが歌詞に溢れるなかで、ふとそんなふうに率直さが切なさをもたらす言葉がこぼれてくる。下ろされた鍵盤がやはり小さな音を鳴らす“フォース・オブ・ジュライ”ではまるきり子どものように、「ぼくの蛍」や「空にあるぼくの星」に声をかけ、そして……「僕たちはみんな死ぬんだ」とつぶやく。スフィアンはここではっきりと悲しみを見せている。それは深く、優しく、豊かな悲しみだ。自分のもとを去った母親に対して、それでも沸き起こる愛ゆえの。
 そしてまた、本作にはもうひとり重要な登場人物が現れる。ローウェル――ローウェル・ブラムス。スフィアンの血のつながらない(かつての)義父であり、〈アスマティック・キティ〉の共同設立者、そして実の父よりも父親の役割を果たしてくれたという彼に対して、“ユージーン”でスフィアンは歌う。「ぼくに泳ぎ方を教えてくれた人/ぼくの名前をちゃんと言えなかった/父親みたいに導いてくれた」、「そして今ぼくは ただあなたのそばにいたい」……この2分半にも満たない短い曲に、僕はずっと閉じ込められていたいと思った。そこではひとが誰かと偶然に出会って起こる奇跡のようなものが、いまにも消え入りそうなかすかな震えとして存在している。そしてそれを「歌」とスフィアンは呼ぶ――「歌をうたっていったいなんになる/その歌にあなたの声がけして届かないなら?」

 「むかしむかし」……タイトル・トラックでスフィアンは歌う。かつてアメリカの片隅で、壊れてしまった家族と疎遠になった親子の間でそれでも消えなかった愛、その記憶を彼は辿っていく。その意味では、歴史に跡を残すこともない無名の人びとの感情を豊かに湧出させた『イリノイ』も本作も同じだ。彼はか弱き人間への慈しみを忘れることはない。そしてこの勇敢な歌い手はいま、自分だけの悲しみを紐解いて、僕たちのもとに静かに差し出している。いまにも壊れそうなその揺らぎに耳を澄ませば、奥では夏の光が鮮やかに反射していることだろう。

木津毅