Home > Reviews > Album Reviews > Logos- Imperial Flood
これは最新のダンス・ミュージック・レコードだ。「えっ、いったいどこが?」と思われる方もいるかもしれない。たしかにどのトラックもほぼビートレスだし、あってもビートは断片化されている。その意味で相当にエクスペリメンタルな音楽であることには違いない。しかしこの『Imperial Flood』は、あのロゴスの新作アルバムである。となればここにはリズム/律動の拡張があると考えるべきではないか。
ロゴス(ジェームス・パーカー)はかつて「ウェイトレス=無重力」というサウンド・スタイルによって、インダストリアル/テクノやアンビエント以降のUKグライムの新しいビート・ミュージックを創作した人物である。彼の関わったアルバムをざっと振り返ってみても、2013年にソロ作品『Cold Mission』(〈Keysound Recordings〉)、2015年にマムダンスとのコラボレーション作品『Proto』(〈Tectonic〉)、2016年にロゴスとマムダンスが主宰する〈Different Circles〉のレーベル・コンピレーション『Different Circles』などを継続的に送り出し、しかもそのどれもが先端的音楽マニアたちの耳と身体の律動と感性を刺激する傑作ばかりであった。いわば「テクノ」の概念を拡張したのだ。
そんな先端音楽シーンの最重要人物のひとりであるロゴスの新作『Imperial Flood』が、自身の〈Different Circles〉からついにリリースされたわけだ。となれば「新しい律動への意志」が問われているとすべきではないか。じじつ、『Cold Mission』以来の待望ともいえるソロ・アルバムであるのだが、そのサウンドは6年の月日の流れを反映したかのようにわれわれの予想を超え、新しい電子音響空間が生成していたのだ。〈Different Circles〉から2018年にリリースされたシェヴェル『Always Yours』のビート・ミュージックの実験性を継承しつつ、ビートにとらわれないモダンな先見性に富んだ電子音楽に仕上がっていた。ここにはリズムと持続への考察と実践がある。では、それはいったいどういうものか。このアルバム全体が、一種の「問い」に私には思えた。
アルバムには全9曲が収録されている。どのトラックもビートよりも電子音のミニマルな持続や反復を基調にしつつ、加工された具体音・環境音がレイヤーされている構造となっていた。インダスリアルのように重厚であり、アンビエントのように情景的でもある。いわゆるシネマティックなムードも濃厚だ。とはいえチルアウトが目的のアルバム/トラックではない。耳のありようを規定しない「緊張感」が持続しているからだ。
曲を順にみていこう。まず1曲め“Arrival (T2 Mix)”と2曲め“Marsh Lantern”のビートレスにしてオーセンティックなシンセ・サウンドからして、その意志を明瞭に聴きとることができた。つまり彼が「UKグライム以降」という立ち位置すら超越し、まったく独自の「電子音楽の現在」を刻印するような作品を生み出そうとしていることが分かってくる。
続く3曲め“Flash Forward (Ambi Mix)”はアシッドなシーケンスが反復し、薄いリズムがレイヤーされるシンプルなトラックである。2019年におけるアシッド・リヴァイヴァルだ。4曲め“Lighthouse Dub”では“Arrival (T2 Mix)”と“Marsh Lantern”の波打つように反復するオーセンティックな電子音楽が継承され、断続的/性急なグライム的ビートがレイヤーされる。どこか不穏なムードを醸し出す極めて独創的なトラックである。
5曲め“Omega Point”では環境音・具体音と霞んだ電子音が折り重なり、シネマティックかつダークなムードが生成されていく。わずか2分57秒ほどのトラックだが、アルバムのコア(中心)に位置し、本作のムードやテーマ(曲名からして!)を象徴する曲に思えた。続く6曲め“Zoned In”は盟友マムダンスが参加した本作のビート・トラックを代表する曲だ。まさにアシッド・テクノな仕上がりで、本作中もっともストレートなダンス・トラックである。
7曲め“Occitan Twilight Pyre”は微かにノイジーな音が生成変化する実験音楽的トラック。何かを静かに押しつぶす音と高音域のスプレーのようなノイズによるASMR的な快楽が横溢している。8曲め“Stentorian”はリズムの連打とアトモスフィアな電子音が交錯する。名作『Cold Mission』を思い出させるトラックであり、「ウェイトレス」の現在形を提示しているようにも思えた。やがてビートは(「オメガ・ポイント」の先に)消失・融解し、9曲め“Weather System Over Plaistow”へと辿り付く。この終曲でも波打つように反復する霞んだ電子音が展開されていく。どこか懐かしく、しかし聴いたことのないサウンドだ。
本作の電子音は70年代のドイツの電子音楽(クラウトワークやタンジェリン・ドリーム)のごときサウンドでもあり、同時に10年代以降/グライム以降ともいえる未知のサウンドがトラック内に溶け合っているのだ。
知っている。だが聴いたことがない。本作には「未聴感」が濃厚に漂っている。UKのグライム以降の最先端のビート・トラックを提示したマムダンスとロゴスのシングル「FFS/BMT」(2017)に横溢する「新しさ」の「その先」を見出そうとする強い意志を強く感じる。それはいわば「複雑さ」から「単純さ」を選択し、電子音/音のマテリアルな質感へと聴き手の意識を向かわせようとする意志だ。むろん「素朴さ」への反動ではない。ロゴスは常に「聴きなれた音」から「未知の音」のプレゼンテーションを行ってきたアーティストではないか。その意味でジェームス・パーカーはもはや「ウェイトレス」だけに拘っていないし、その先を意識しているのだろう。
じっさい、本作『Imperial Flood』は、ビート・ミュージックとミュジーク・コンクレートとドイツ電子音楽とアシッドテクノの融合/交錯するような作品に仕上がっていた。じじつ、あるトラックはオーセンティックな電子音楽であり、あるトラックはアシッドテクノのモダン化であり、あるトラックはインダストリアル/テクノ以降のモダンなミュジーク・コンクレートである。こう書くと多様な音楽性によるトラックが収録された雑多なアルバムのように思うかもしれないが、アルバム全体はモノトーンのムードで統一されてもいる(このクールなミニマリズムはロゴスとマムダンス、〈Different Circles〉からリリースされた音楽に共通する)。
同時に聴き込むほどに乾いた砂が手から零れていくような「つかみどころのなさ」を感じてもくる。これはネガティブな意味ではない。そうではなく新しい音楽を聴いたときによく感じる現象である。提示された音の遠近法がこれまでの聴き手のそれに収まっていないのだ。この「とりとめのなさ」「つかみどころのなさ」にこそ新しい電子音楽の胎動があると私は考える。
「とりとめのなさ」「つかみどころのなさ」「未聴感」。「未聴感」は、いわば過渡的な状態を意味するものだ。「新しさ」をいわば「不定形な状態」とすると、「新しさ」とは「過渡的」な状態を常に/意識的に選択し、その絶え間ない変化のただ中に身を置こうとするタフな意志の表出といえる。そう、ロゴスは、そのような「未知の新しさ」を希求・提示する稀有なアーティストなのだ。
デンシノオト