Home > Reviews > Album Reviews > Daniel Haaksman- With Love, From Berlin
もはや多様性は販促の道具である。ダイヴァーシティの称揚が「なんでもあり」の状況を誘発しかねないというのはだいぶまえから言われていた気がするけれど、いまやそれは完全に企業や資本にとってこそ有用な、使い勝手のいい概念に成り下がっている。多様性を褒めそやすことの何が問題かといえば、それが社会における異質なもの同士の敵対性や、そのような軋轢を生み出す構造それじたいを隠蔽してしまう点で、極論すれば「貧困だってひとつの個性でしょ」なんてことになりかねない。いや、「自己責任」が大人気のこの国ではすでにそうなってしまっているのかもしれないが、とまれ企業は多様な価値観を推奨しさえすれば善良なるイメージを獲得することができ、己が与し支えるシステムの歪みなんか気にせず、思う存分営利活動に邁進できるというわけだ。多様性は収益を生む。素晴らしい。
ダニエル・ハークスマンはベルリンを拠点に活動するベテランのDJ/プロデューサーである。レーベル〈Man〉の運営などをとおしていわゆるワールド・ミュージックとベース・ミュージックとの境界を更新し続けてきた彼は、かつてコンピレイション『Rio Baile Funk』を編むことで世界じゅうにバイリ・ファンキを広めた陰の重要人物でもあるが、そのハークスマンにとって3枚目のスタジオ・アルバムとなるこの『With Love, From Berlin』は、国際都市としてのベルリンをテーマに掲げている。ベルリンという街がロンドンやパリと異なるのは、その国際性がグローバル企業や金融産業によってではなく、観光や外国人の(自然な)流入によって担保されている点である、とレーベルのインフォメイションは説明していて、ほんとうにそう言えるのかどうかは判断がつかないけれど、少なくともハークスマンはそのようにベルリンをレプリゼントしたいということだろう。ようするにベルリンは、資本主導ではないかたちで多様性が花開いた稀有な都市なんだよと、そういう話である。
まずはシベーリの起用に嬉しくなる。彼女は偉大なるブラジル音楽の遺産とエレクトロニカの音響的冒険とを両立させるサンパウロ出身のシンガーソングライターで、2006年に『The Shine Of Dried Electric Leaves』という良作を残しているが(日本盤にはハーバートによるリミックスも収録、『21世紀ブラジル音楽ガイド』をお持ちの方は34頁を参照)、彼女を迎えた冒頭の“Corpo Sujeito”や、それに続く“La Añoranza”(こちらのゲストはバルカン・ビート・ボックスのサックス奏者オリ・カプランとペルーのデング・デング・デングなるグループ、そしてジャイルス・ピーターソンの「ワールドワイドFM」でも番組を持つ中南米音楽セレクターのココ・マリア)がもっともよく体現しているように、ソカなどアフロ・カリビアンのリズムを流用して骨格を成形しながら、そこにダブステップ以降のベースを注入、上モノや言語で世界各地の要素を際立たせつつ、それらすべてをリズム&サウンド的なベルリン式ダブの音響で包み込む──というのがアルバム全体の基本路線なのだけれど、ストリングスとコーラスが印象的な3曲目“Overture”によく表れているように、どの曲も音と音のあいだの空隙がほんとうに豊かだ。この音の間合いは、それぞれのマテリアルが互いに異なるもの同士であることを確認させる役割を担っていると言える。そのおかげで、さまざまな素材が同居しているにもかかわらず、ごちゃごちゃした感じはいっさいない。
取り合わせの妙もまたこのアルバムの醍醐味だ。ポール・セント・ヒレアーを招いた4曲目“City Life”やトリを飾る“Wolkenreise”のバンドネオンとダブ、ザップ・ママの娘だというK・ズィアとシカゴの大物ロバート・オーウェンズを同時に呼び寄せたシングル曲“24-7”のレゲトン・ハウスなど、どの曲も巧みなさじ加減によりサウンド相互の異質性がしっかりと保護されている。全体の鍵を握るのは8曲目の“Occupy Berlin”だろう。タイトルからして反金融・反資本の機運に同調するこの曲は、背後に敷かれたシンセの持続音とブラカ・ソム・システマのカラフによる言の葉が、随所で乱れ舞うパーカッションの独特な響きとリズムを引き立てていて、音同士の闘いとでも言おうか、われわれリスナーの耳を大いに楽しませてくれる。
とまあそんなふうにこのアルバムにはなんとも多彩な要素がぎゅうぎゅうに詰め込まれているわけだけど、ぜんぜんこれ見よがしじゃないというか、エキゾ感を売りにするような側面は皆無で、かといって相対的な並列化に与するわけでもなく、すべての音がきわめてクールな佇まいで互いの特異性を示し合っている。多様性の称揚によって覆い隠される、個々の対立それじたいを救うこと──それはグローバル資本とはべつの角度からダイヴァーシティを捉え返そうとするハークスマンの、静かに燃えたぎるアティテュードの表れにほかなるまい。ベース・ミュージックのグローバルなあり方、ひいては安易な多様性の讃美それじたいを問い直す、刺戟に満ちたアルバムだ。
小林拓音