Home > Reviews > Album Reviews > Water From Your Eyes- It's A Beautiful Place

One Small Step、小さな一歩と名付けられた電子の水音(僕にはそれが電子の川のせせらぎのように聞こえる)からこのアルバムははじまる。ニューヨークのデュオ、ウォーター・フロム・ユア・アイズの新しいアルバムは壮大な叙事詩のような感覚と小さなベッドルームで描く空想の物語の感覚を同時に与えてくる。前作からさらに大きくギターに光を当て多彩なサウンドと組み合わせた最新作、そのなかで歌うレイチェル・ブラウンの声はネイト・エイモスの作りだすノイズの壁の向こうから聞こえてくるような曖昧さがある。だから聞き手である我々はカメラのピントを合わせるようにして、ヘッドフォンの間に存在する器官を用いチューニングを試みるのだ。そうすると曖昧だった世界が見えてくるような気がする。
バンドを紹介する文章にはY2K以降のポップ・ソングの再構成、ニューメタルのバックビートというような言葉が並んでいる。繰り返しアルバムを聞いていると僕にはそうした部分にプラスしてこのデュオがベッドルームのプロデューサーとアンダーグラウンド・シーンのギター・バンドの間の存在に思えてくる。たとえばアルバムの7番目のトラック “Playing Classics” のかかっている隣の部屋にはニューヨークで刺激的なパーティ・ミュージックを生み出しているファッカーズがいるような気がするし、その奥にはサングラスをかけた The Dare の姿が見え隠れするといった具合に。あるいは “Born 2” のようなギターのノイズに包まれた曲でこのふたりはフィラデルフィアのシューゲイズ・バンド、ゼイ・アー・ガッティング・ア・ボディ・オブ・ウォーターやアトランタの Sword II(タイトル的にもインスピレーションのもとになったのではという思いがよぎる)のようなバンドと共演を重ねる存在に変身する。そのどちらの要素にしてもごく自然、そうであるのが当たり前というふうにアルバムのなか、あるいは曲のなかに存在するのだ。ジャンルを混ぜるという感覚は少し時代遅れになり、意識することが特異であるという時代になりつつある(「あえて」と強調することが意味になるような感じだ)。そんな中でこの音楽は、曖昧なままに拡張する。まるで何にもしていないかのように、当たり前のようにその先へ。自分にはそれがたまらなくクールな振る舞いに思えるのだ(より細かく言えば現在の WFYE は前作『Everyone's Crushed』のリワーク・アルバム『Crushed By Everyone』に名前を連ねた面々の流れの中にいるのだろう)。
もちろんただ足すだけでは素晴らしい音楽は出てこない。この時代(Y2K以降のポップ・ソングとSNSの時代)において大切なのはおそらくどのタイミングで何が必要か、どんな分量が適切なのかを判断する感覚と編集能力で、WFYEはそれが抜群なのだ。音が抜かれ足され、せわしなさの一歩手前の感覚でドラマチックに次の展開へと移行する。様々な要素が存在するにもかかわらず曲はけっして長尺にならず、頭のなかで映画のワン・シーンがフラッシュバックするかのように強烈なイメージを植え付ける。スポークン・ワードのポスト・パンク・バンドが伝えるような物語ではない、短く曖昧なそれは、しかしだからこそ容易に他のイメージと結びつく。曲間を繋ぐ、ときには一曲のなかで他のイメージを結びつける役目を持っている電子音(それは “Spaceship” によく現れている)は次のイメージへと見事に結合し、そうしてあふれ出した水のように我々を川の流れのなかへといざなうのだ。
この29分という収録時間にこのデュオのセンスが詰まっているといっても過言ではないだろう。10曲入りのアルバムとしては短いようにも思える収録時間で、この数字を眺めているとおおよそ満足できそうにないような気がするのだが、何度も聞くとこれがベストなのだと自然と思うようになっている。このボリュームと拡張するように劇的に広がる曲たちが、あれはなんだったのかと目覚めてから考える夢のような余韻を残す(だから我々はその感覚を掴もうともう一度その夢を見ようとする)。
くっきりとした輪郭を持った曖昧な存在、ベッドルームのプロデューサーとアンダーグラウンドのギター・バンドの間を繋ぐようなウォーター・フロム・ユア・アイズはこの拡張の時代においてのセンスというものを表しているのかもしれない。いずれにしてもアルバムの最初から最後までこのデュオの美学が詰まっているのは間違いない。