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There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第3回 映画『金子文子と朴烈』が描かなかったこと

文:高島鈴 Mar 21,2019 UP

『何が私をこうさせたか』は、わずか23歳で獄中自殺した大正時代の活動家・金子文子が遺した膨大な自伝であるが、このタイトルは官憲が文子について最も知りたがり、文子に投げかけ続けた問いそのものである。文子はこの世に存在するものすべてをぶち壊したいと本気で思っていた。文子は大逆罪の疑いで引きずり出された法廷を舞台として、同志でありパートナーである朝鮮出身の活動家・朴烈とともに、攻撃的かつ切実な言葉で自身の思想を開陳し続けた。文子を尋問した者、裁こうとした者、取り締まらんとする者は、文子を見て思った──どうして金子文子は、「こう」なのか?

「此の呪いを何処に持って行くか、自然を呪い社会を呪い生物を呪って私は総ての物を破壊して自分は死なうと思ひます。」(『裁判記録』15ページ、カタカナをひらがなに訂正している)

 文子の思想はまぎれもなく文子のものであったが、官憲どもは文子から何度も思想を奪おうとした。やつらは文子の思想を、文子の激情を、文子という人間が心から抱いているものだと認めたくなかったのだ。頭がおかしいのではないか? そんなに激昂するのは生理だからか? 身体の具合が悪いのではないか? その思想は朴烈への義理立てなのではないか? その信念を断念するわけにはいかないか? 違う学問をするわけにはいかないか? 文子の裁判を担当した立松判事は、何度も何度も転向するよう文子を説得した。文子は「かわいそうな女の子」として憐れまれ、舐められ続けていた。
 文子の苦しみはいつも主体性にあった。無戸籍児として教育のかわりに虐待を受け続けた文子の生い立ちがどれほど選択肢のないものであったかは、自伝で確認できる通りだ。文子は教育を渇望していたが、「女だから」という理由でその意志は尊重されなかった。選びたい道を選ぶ自由はなかった。文子は存在しているようで存在していないことになっていた。その地獄から立ち上がり、「私は私自身を生きる」という信念を貫き通すために、文子は主体的に死を選んだのである。

 2月16日よりイメージフォーラムほか全国で放映中の映画『金子文子と朴烈』(原題『朴烈 植民地からのアナキスト』)は、関東大震災における朝鮮人虐殺の正当化のため「テロを企てた朝鮮人」として起訴された朴烈と文子の裁判を中心に描いた作品である。
 正直に言って、私はこの作品を高く評価できない。私が文子に強すぎる思い入れを持っているからかもしれないが、「金子文子の人生」を扱った作品として期待はずれであったと言わざるを得ないからだ。文子の人生を朴烈の人生に合わせて切り取るやり方が気にくわないからだ。今作では文子の葛藤がすっぱりと消えている。「女性」という役割、思想の変化、死との対峙について、文子が一人で考え込んでいたことは描かれない。妙に「男を愛する女」なのである。それもまた文子の一側面であるとは思うが、この作品に出てくる文子は、私が痛いほど感情移入した文子とは違う。
 そして朴烈についても、確かにかっこいいのだが、虚無主義者としての側面はほとんど描かれない。朴烈が社会に突き立てた鉾がいかに鋭いものであったか、その鉾が何を目指すものであったかについて、ありのままに描いてほしかった。

 ただ、批判を始める前に書いておきたいことがある。この映画に込められた思想と深い怒り・悲しみについて、私は深く敬意を表し、加害者の系譜を持つ者として引き受ける覚悟を持たねばならないと考える。今作の原題が「朴烈」であるように、製作者が光を当てようとしたのは、民族主義者として日本の帝国主義に抵抗した朴烈の姿だ。作中では日本で起きたすさまじい朝鮮人差別と迫害・虐殺の歴史が描かれる。文子と朴烈の運命を狂わせた関東大震災における朝鮮人虐殺事件では、6000人以上(この数字は「わかっている限り」であり、実際はもっと多いであろう)の朝鮮人が日本人自警団によって殺害された。映画には登場しないが、例えば千葉では陸軍が捕縛した朝鮮人を各地の村落に引き渡し、分担して殺害させたというおぞましい記録が残っている。虐殺はデマと混乱のなかで市井の人々によって行われ、伝播していったのだ。決して「昔の悪い人」が犯した「誰かの罪」ではない。今作は歴史を忘れるなという悲痛な叫びそのものであり、耳をふさぐわけにいかない。
 私はアナキストであり、おのれの意志に従わないあらゆる所属を否定するが、この考えが構造的・歴史的責任を回避する言い訳になっては絶対にいけないと思っている。日本の帝国主義の被害を受けた人々からすれば、わが思想と関わりなく私の姿は加害者の流れに属するものとして映るだろう。人間として相手の苦しみを想像し、おのれにできることを考え、引き受けるべきものはきっちり引き受けたい。私はこれからこの映画への批判を書き連ねていくが、この批判は『金子文子と朴烈』が持つ政治的文脈の否定、映画の背景となる歴史の否定では決してない。そうなってはならない。
 以上、私の批判が私が尊重したい潮流をどこかで抑圧するのではないかと心配しているがゆえに、ごく長い前提を説明させてもらった。それでは内容に触れていくこととする。なお、このレビューは史料から確認できることを映画の内容と比較する内容を中心としている。映画はフィクションなんだから気にするほうが野暮だと言われるかもしれないが、史実に基づいて描いたと標榜している作品であること、この映画がどのように過去を切り取っているのかを確認するために意義のある行為であると判断した。セリフや展開など各種ネタバレへの配慮はないので、気にされる方はどうかこの先は鑑賞後に読んでいただきたいと思う。

 物語は朴烈と文子の出会いから始まる。当時「社会主義おでん」の通称で親しまれた「岩崎おでん屋」で働いていた文子が、朴烈の書いた詩「犬ころ」に魅せられ、出会い頭に告白するのだ。文子は「私もアナキストです」と名乗る。
 この時点で実際にあったこととは相当食い違っている。まず文子が朴烈と出会ったとき、二人はすでにどちらもアナキストではなくなっていた。虚無主義者=ニヒリストであり、二人とも宇宙の万物を絶滅させたいと考えていたのである。二人の思想は一貫していたわけではなく、数度の変遷があった(文子はその後再び無政府主義へ回帰し、朴烈は虚無主義のまま民族主義へ傾倒していく)。原題のサブタイトル「植民地からのアナキスト」は、映画で描かれる時期の朴烈が実際に抱いていた思想との間で齟齬があると言わざるを得ない。朴烈が主催していた結社「不逞社」は無政府主義を掲げていたものの、これは間口を広く取ったためであり、あくまで朴烈と文子にとってはニヒリズムに至るプロセスとしての無政府主義であった。
 文子はお互いがそれぞれの人生のなかで同じ思想を育てていたことに感激し、配偶者として、同志として、同棲したいと考えた。そのさいに文子は以下のことを念入りに確認している。

「[……]私日本人です。しかし、朝鮮人に対して別に偏見なんかもっていないつもりですがそれでもあなたは私に反感をおもちでしょうか」
「[……]あなたは民族運動者でしょうか……私は実は、朝鮮に永らくいたことがあるので、民族運動をやっている人々の気持ちはどうやら解るような気もしますが、何といっても私は朝鮮人でありませんから、朝鮮人のように日本に圧迫されたことがないので、そうした人たちと一緒に朝鮮の独立運動をする気にもなれないんです。ですから、あなたがもし、独立運動者でしたら、残念ですが、私はあなたと一緒になることができないんです」(『何が私をこうさせたか』400ページ)

 二つの問いに、朴烈はそれぞれノーと答えた。文子はそこで「(交際・同棲に至るための)すべての障碍は取り除かれた」と判断している。ここからわかるのは、文子は朝鮮の独立運動に深い配慮と理解を示していたとはいえ参加の意思がなかったこと、そしておのれとできる限り同一の思想を持っている者でなければパートナーにできないと考えていたことだ。それゆえに朴烈が民族主義の色合いを強めていったとき、文子は葛藤を抱えるようになる。

 同棲を始めた直後、文子が提案した三つの誓約を壁に張り出し、母印を押すシーンが登場する。張り紙は氏名を除いてハングル表記になっていたので、原文直訳なのか多少アレンジが加わっているのかはうまく確認できなかったが、この誓約じたいは実際に存在しており、その内容は以下のようなものだった。

 宣言1:「同志として同棲する事」
 宣言2:「運動の方面に於ては私が女性であると云ふ観念を除去す可き事」
 宣言3:「一方が思想的に堕落して権力者と握手する事が出来た場合には直ちに共同生活を解く事」
 約束:「相互は主義の為めにする運動に協力する事」
(『裁判記録』19ページ、カタカナをひらがなに訂正している)

 三つの宣言が文子から朴烈への要請、最後の約束は互いに取り決めたものだろう。注目したいのは宣言2である。
 文子と朴烈が同棲を開始した1922年に二人に会った文子の母親の証言によると、朴烈と同棲して朝鮮人参商をしていたころの文子は、髪を切り、朝鮮服を着て、男性の格好で生活していたという。文子の男装は女性扱いに対する抵抗であった。性別を理由に主体性を奪われ続けた自身の経験を参照した文子が、主体的に生きるために選んだ試みだったのだ。さらに和服ではなく朝鮮服を選んだことには、日本人でありながら日本人が憎くて仕方ないと独白した文子の葛藤が見えるように思われる。「女性」に疲弊し、「日本人」であることに苦悩し、それでもどうしようもなく「女性」であり「日本人」である自身に向き合わざるを得ない。この苦悩のなかで、文子は「女性」「日本人」の記号を避け、身にまとわりつくものを必死に振り切ろうとしていたのではないか。
 文子は獄中で「あたしの宣言として」と題した手紙を書き送っている。

「同一戦線上に立つ者の間に、何の性的差別観の必要があらうか。性慾の対象としてゞも見ない限り、女とか、男とか云ふ様な特殊な資格が、何の役に立つであらう。同じ人間でいいではないか。そしてそれ以上に何が必要であらうか。
 妾はセックスに関しては、至極だらしのない考へしか持っていない。政敵直接行動に関しては無条件なのだ。だがそれと同時に妾が一個の人間として起つ時、即ち反抗者として起つ時、性に関する諸諸のこと、男なる資格に於て活きてゐる動物──さうしたものは妾の前に、一足の破れ草履程の価値をも持ってゐないことを宣言する。
 今の妾が求めてゐるものは、男ではない。女ではない。人間ばかりである。」(『金子文子』328~329ページ)

 文子は自分が性交渉を持つことについてあまりよい印象を持っていないようだ。それは幼いころに見てしまった父親の不倫現場の影響かもしれないし、朴烈と出会う前の悲しい性体験の影響かもしれないが、それ以上におそらく「女」という立場そのものへの葛藤があったのだと思う。文子の言葉を裏返すと、「性慾の対象」とする場合は女や男という立場が役に立つ、ということになる。文子は自身が性欲を持つときは「女」であると感じ、その自認と「女」扱いに苦悩している自分との間で板挟みになっていたのではないだろうか。
 文子はただ人間として平等に築かれた信頼関係のみを他者とおのれとの関係の前提とすることを「あたしの宣言」としている。性別を理由に舐められ続けた文子の言葉は、現代に生きるわれわれの胸にも強く響く。
 映画では宣言2について掘り下げられない。「あたしの宣言」も出てこない。また、作中の文子はずっと髪も長いままで、日常着には着物をまとい、容姿を褒めそやす野次にも笑顔で応え、性的な言葉を判事相手に挑発的に告げてみせる、コケティッシュな「いい女」だ。この描き方には強い違和感を覚えた。

 本作の朴烈は実にかっこいい。ひょうひょうと振る舞うイ・ジェフンの肉声で語られる天皇制批判には非常にしびれた。もっとやっちまえと叫びたくなる(今作の「応援上映」があったらどうなるのか、大いに興味がある)。
 しかし作中に出てくる朴烈の思想は帝国主義・朝鮮民族迫害への抵抗を宣言する部分がほとんどで、虚無主義者としての朴烈の言葉はほとんど出てこない。著作を執筆するシーンでちらりと「俺の宣言」(先に引用した「あたしの宣言として」と関連があるのかもしれない)の一部「滅ぼせ! 総べてのものを滅ぼせ」のあたりが読まれたと思うが、それぐらいしかないのだ。朴烈が目指した社会は、朝鮮独立を中継点としているが、その理想の終点は宇宙の万物の絶滅にあった。

「滅ぼせ! 総べてのものを滅ぼせ
 火を付けろ! 爆弾を飛ばせ!
 毒を振り撒け! ギロチンを設けよ! 政府に、議会に、監獄に、工場に、人間の市に、寺院に、教会に、学校に、町に、村に。
 斯うして総べてのものを滅ぼすんだ。赤い血を以って最も醜悪にして愚劣なる人類に依って汚されたる世界を洗ひ清めるんだ。さうして俺自身も死んで行くのだ。其処に真の自由があり、平等があり、平和があるんだ。真に善美なる虚無の世界があるんだ。
 嗚呼最も醜悪にして愚劣なる総べての人類よ! 有ゆる罪悪の源泉! 何うか願はくば汝等自身の滅亡の為めに幸あれ、虚無の為めに祝福あれ!」(『裁判記録』77ページ)

 これが映画で読まれた「俺の宣言」の最終段落に当たる部分だ。これは搾取される朝鮮半島、蔓延する迫害、運動を行うなかで繰り返した決裂を経験した朴烈がたどり着いた、人類に対する最後の愛である。徹底してニヒリストであった朴烈の生について、もっと立体的に描いてもよかったはずだ。

 ついで大審院のシーンについて言及したい。徹底的に帝国と敵対する決意をした朴烈と文子は、裁判の場を意見表明のために利用する。その終盤、1926年2月27日の大審院公判の場面で文子が読み上げる手記「二十六日夜半」は、自らににじり寄ってきた死と距離なく向き合った文子の切実な言葉が綴られている。

「私は朴を知って居る。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める。そして外の仲間に対しては云はふ。私は此の事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。──と。」(『金子文子』7ページ)

 この文子の宣言はただの愛の告白ではない。
 文子が死を覚悟するうえで最も苦悩したのは、爆弾事件が文子自身の主体的な計画ではなかったという点だった。そもそも爆弾事件は実現可能性も計画の具体性も薄く、大逆罪として裁かれる正当な理由のない案件であるが、文子はさらに裁かれるいわれのない位置にあった。文子は自分が一言謝り、反省したふりさえすれば出所できるであろうことも知っていた。その道を選ぼうかと悩んでいた。文子だって死にたくはなかった。自分の意志で起こしたわけではない事件によって死刑になることは、果たして主体的な行動だと言えるのか。文子はおのれの関与について考えぬいた末、自らのなかに爆弾事件に同意する叛逆の意志があることを理由に「私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める」と言ったのである。
 またこの手記は、朴烈と「同志」として付き合うことにこだわり抜いてきた文子が、すでに自らと違う政治思想の道を歩んでいた朴烈を、その差異を超えて愛すると宣言するものでもある。このときの文子はもう虚無主義者ではなく、自分は何主義者かわからないが「個人主義的無政府主義」であろう、と判断していた。人間が権力のない共同体を築く世界について再び想像し始めていたのだ。かつて「私は世の中の『愛』といふものを極端から否定して居ります」(『金子文子』298ページ)とすら言った文子が死の間際に口にした「愛」に、私は断絶を超える巨大な何かを見る。
 映画では文子と朴烈の思想の食い違いとそれに対する苦悩は描写されないため、この言葉は朴烈と意志も運命も共にすることを了承する愛の告白のように聞こえる。しかし「二十六日夜半」の意義は、文子と朴烈という「二人」の関係のなかで位置付けるより、文子という「一個人」の人生がたどり着いた境地であることが重要だと思う。この手記を読み上げるまでにかかった長い長い文子の思索の旅こそ、私は尊重したい。

 最終局面、無期懲役に減刑された二人はそれぞれ異なる刑務所へ移管されることとなる。朴烈は千葉へ、文子は宇都宮へ。映画ではこの離別を決定的なものとして描き、移送のシーンの直後に朴烈が文子の死を告知されるシーンが持ち込まれていた。ここに時系列にまつわる説明はない。
 そのまま鑑賞すれば、いかにも文子は朴烈と別れたことによって自殺を遂げたかのような印象だ。しかし実際に文子が自殺したのは移送から三ヶ月半後のことである。文子が死を選んだ背景については恩赦への抵抗であると解釈する向きが強いが、山田昭次は移送後の三ヶ月半の間に文通のいっさいを禁じられ読書を強く制限されたことを原因の第一として推察している。すなわち判決確定後も続いた転向政策に対する抵抗として自殺が選ばれたと判断しているのだ。
 文子が何を思って自死したかはわからない。文子が遺書を書かなかったとは考えられないが、遺書は残されていない。自殺の理由が一つに絞れるとも思わない。しかし文子が最期の三ヶ月半、読書も文通も抑圧されたまま死ぬまで獄に繋がれる自分を想像していたであろうことは見逃せない。自身の生育環境ではいっさい与えられなかった読み書きと学問を強く志向した文子の人生に照らして考えれば、文子の生から無期限に文字と交感を奪う仕打ちはこれ以上ないほど堪えたことだろう。この苦痛と絶望は、映画ではほとんどあらわれない。

 映画の最後に表示されるテロップも心苦しいものだった。一言一句覚えているわけではないが、朴烈が建国勲章(朝鮮独立に功績のあった個人を表彰する韓国の勲章)を受勲したこと、さらに弁護士布施辰治が日本人として初めて建国勲章を受勲したことが示されていた。もちろん意味はわかる。民族主義者としての朴烈を描いた切実な映画なのだから。帝国主義への抵抗がナショナリズムに接続するのは、朝鮮半島が日本によって搾取され尽くし蹂躙され尽くした以上当たり前だ。何度もいうが明らかに今作の主題は民族主義者としての朴烈なのだ。
 そのうえで、それでも、ここまで文子を取り上げてくれたというのに、結局国から表彰された男の話で終わるのは、やはりどうにもやるせなかった。こんな終わり方をするのなら、わざわざ邦題に文子の名前など入れないでほしかった。
 昨年秋に、文子は「日本人」として二人目の「建国勲章」を受けたという。これは映画公開後のできごとなのでテロップには出てこない。なんども言うが文子は最終的には無政府主義者としてその生涯を終えている。申し訳ないが、死者に鞭打つとはこのことか、と思わずにいられない。

 私は文子が好きだ。心から尊敬し、嫉妬し、感情移入し、今も文子に揺すぶられている。ここまで書き連ねてきた内容は相当私自身の感傷と解釈が含まれているだろうと思う。書かずにいられねえという気持ちだけで書いた。どうしようもないから書いた。
 この文章が今作の勢いを止めることはあってはならないと思う。何度もいうがこの映画に込められた思いは悲痛かつ切実で、歴史的責任を伴う。その一方で、『金子文子と朴烈』があらゆる場所から浮遊する「一人」と「一人」でもあったことを、私は忘れたくないのだ。

「時折は、かつてかうした不逞の一人間が、女性らしくない人間が存在してゐた。そしてこの人間が幾分にせよ、貴方とかなり永い間、しかも深い間交際し続けて来た──と云ふ事実を思い出して下さい。」(『金子文子』333ページ)



参考文献

再審準備会編『朴烈・金子文子裁判記録』黒色戦線社、1991年

(注:同一タイトルの著作として1977年に発行されたものがあるが、こちらは原資料の写真を掲載したものであり、私が入手した1991年度版は活字版である。こちらに掲載されているのは調書が中心で、大審院入り後の公判の内容は掲載されていない。よって公判で語られた言葉はほかの書籍からの孫引きとなっている。)

山田昭次『金子文子──自己・天皇制国家・朝鮮人──』影書房、1996年

金子文子『何がわたしをこうさせたか』岩波書店、2017年

Profile

高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

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