Home > Reviews > Book Reviews > ロバート・ワイアット- マーカス・オデア著 須川宗純 訳

ロバート・ワイアットは、たいしたヒット曲もないのに、シリアスな音楽ファンなら名前くらいは知っているアーティストのひとりだ。また、世代によってとらえ方が違っているアーティストの代表格のような人だろう。本書の原題にはウィットがあって『Different Every Time』、つまり「毎回違っている」。ぼくが初めて聴いた曲は、高校時代に近所の洋盤屋で買った〈ラフトレード〉のコンピレーション盤、B面最後に入っていた“At Last I am Free”だった。
同編集盤には、デルタ5の “Mind your own Business”、ザ・スリッツ “Man Next Door”(ダブ・ヴァージョン)、ザ・ポップ・グループ “We Are All Prostitutes”、ザ・レインコーツ “In Love”、キャブス“Nag Nag Nag”、YMG “Final Day”——そしてあの決定的なスクリッティ・ポリッティ “Skank Bloc Bologna”など、初期〈ラフトレード〉の黄金クラシックがぎっしり詰まっていた。そんななかで、ワイアットの“At Last I Am Free”は浮いて聞こえた。というか、キャブスやポップ・グループのようなサウンドに痺れていた17歳にとって、テクスチュア、雰囲気、曲の構造から歌い方まで、すべてが異なっていたその曲を受け入れるのには時間が必要だったのだ。
その年、つまり1980年のことだが、ロバート・ワイアットはすごいね、とぼくに言ってきたのは、同じ高校の1学年の下の市原健太だった。現在、静岡市の鷹匠町で水曜文庫という古本屋を営んでいる気むずかしい男である。たまにエレキングでも書評をするので名前を憶えている方もいるだろう。この左翼かぶれの後輩に促されて、市原に理解できるものが自分に理解できないはずがないと、同編集盤のB面の最後の曲を繰り返し聴いたのもいまとなっては良き思い出だ。まあ、そんなこともあって、結局はその数年後、ぼくは、ビリー・ホリデーやキューバのホセ・フェルナンデス・ディアス、チリのビオレータ・パラのカヴァー、そして露骨な左翼ソング“労働組合”などを収録した作品、『Nothing can Stop Us(なにものも我々を阻止できない)』という信念の強さを感じざるを得ないタイトルの、ジャズと民族音楽を吸収した歌モノのアルバム、10曲中9曲がカヴァー曲の、ワイアットにいわく「パンクを通過したジャズ」を買うことになるのである。
“At Last I Am Free”は胸が張り裂けそうな曲で、崇高さがあって優しさもあった。なにか特別なちからがある曲だと思っていたけれど(市原に言われたわけではない)、この曲の作者が70年代ディスコのヒットメイカー、シックだったことを知ったときには心底驚いたものだ。作者のナイル・ロジャーズはもとはブラックパンサー党の隊長だった人物で、なおかつシックのようなディスコは白人ロック・リスナーのみならず、硬派な黒人音楽ファンからも批判されるか軽視されていた、そんな時代なのだ(いまでもそうか)。しかしワイアットは、この曲の歌詞の奥底にひろがる複雑な感情を読み取り、敬意をこめてカヴァーした。ぼくはこの曲が意味するものをかみしめながら聴いて、涙した。
ロバート・ワイアットの評伝を日本語で読めることは至高の喜びに値する。しかもA5版二段組みで500ページ以上あるのだから、これはもう、毎日の楽しみでしかなかった(読み終えたいま、寂寥感に包まれている)。ああ、この人の人生——28歳で半身不随になり、しかし、いや、彼はそれからまったく素晴らしい音楽作品を作り続け、同時に政治活動にも全力で身を投じたアーティスト、一時期は「自身の左翼活動や政治闘争のほうは音楽活動よりも重要だ」とまで言った男である——、その人の人生の詳細をようやく知ることができるのだ。
ぼくより上の世代にとってのワイアットは、なによりもソフト・マシーンの創設メンバーであり、カンタベリー系と括られる奇数拍子マニアのバンドたちによるジャズ・ロックの中心人物、ケヴィン・エアーズやデイヴィッド・アレンといった、シド・バレット系のサイケデリックな時代における玄人好みのソングライター、といったところだろうか。もしくは、ブライアン・イーノとの交流が深く、フィル・マンザネラ、フレッド・フリスやカーラ・ブレイ、クリス・カトラーたちとも盟友で、〈オブスキュア〉からリリースされたジョン・ケージ作品で歌っている人物、『ミュージック・フォー・エアポーツ』の1曲目でピアノを弾いている人、として記憶している人も少なくないだろう。ここ日本では、ソフト・マシーンの『サード』、マッチング・モールの“オー・キャロライン”、そしてあの『ロック・ボトム』の作者としてのワイアットがもっと有名かもしれない。まあとにかく、20代の活動を見ただけでも、Different Every Timeだったりする。
中産階級の裕福な家庭で生まれ育ち、早熟なジャズ・ファンだったワイアット。彼のことをなかば聖人のように見ていたぼくにとって意外だったのは、若き日のワイアットだ。ドラッグにこそ手を染めなかったものの(中産階級的な身だしなみに反するそうだ)、彼はずいぶんと好色で、奔放で、上半身裸のドラマーとしてその名を馳せ、そしてある時期から酒浸りの日々を送っていた。とんでもない飲んだくれだったようで、それが原因で自分が作ったバンド=ソフト・マシーンから追い出されてもいる。4階の窓から転落し脊椎を骨折したのも、不運と言うよりは、当時のワイアットの酒量とその振る舞いを思えば、決して不自然なことでもなかったようだ。周知のように、車椅子生活になってから彼は、しかしいまだ傑作としてゆるぎない評価の『ロック・ボトム(どん底)』(1974)を作る。そしてその次に来るのが、近年評価を高めている、前衛ジャズとの接合を果たした『ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャード』(1975)になる。
貧乏を受け入れながら、拝金主義者リチャード・ブランソンの〈ヴァージン〉に見切りを付けたワイアットに、できたばかりのインディ・レーベル〈ラフトレード〉のジェフ・トラヴィスを紹介したのは、かのヴィヴィアン・ゴールドマンだった。同レーベルの社会主義的な運営にワイアットが共鳴したのは言うまでもない。この本でぼくがとくに知りたかったのは、ワイアットの政治性の出自とその展開だった。英国には政治と向き合うミュージシャンは数多くいるが、彼ほどがっぷりと、むしろ音楽よりも政治に情熱を注いできた人はそういるものではない。マッチング・モールで毛沢東を引用していたものの、彼が本格的にマルクスを勉強するのはそのあと。労働党ではなく共産党の党員になるのは、彼が〈ラフトレード〉と関わりを持つようになった時期(70年代末)になる。
1968年という年を政治的には無色で過ごしたワイアットだったが、誰かの影響で政治的になったわけではなかった。ワイアットにとっての左翼活動は、彼と生涯のパートナー、アルフィーのふたりが自分たちなりに勉強を重ね、そして態度を明らかにし、具体的に行動をした、そのひとつの答えだった。1979年当時「共産党員になること」は──イーノの証言によれば時代遅れの「ダサい」ことだったとしても、街角に立って(ワイアットは車椅子に座って)炭鉱労働者たちのための募金運動をしたり、盟友クリス・カトラーと生活保護基金のための作品リリースまでしている。ワイアットにおける政治活動は本気であって、人生を捧げる行為だった。
党員となった80年代のワイアットは、忘れがたい共同作品をいくつも出している。ベン・ワットとの「Summer into Winter」をはじめ、英国内で愛国主義が最高潮に達したときに放った、エルヴィス・コステロとの有名なアンチ・サッチャー・ソング「Shipbuilding」、ジェリー・ダマーズとのナミビア救済のための「The Wind of Change」、そして、トレイシー・ソーンやサイモン・ブースらとともにチリの政治的連帯を呼びかけるボサノヴァ「Venceremos (We will Win)」(ワーキング・ウィークの曲として発表)。1985年には10年ぶりのソロ・アルバムも発表し、1989年には、坂本龍一の『Beauty』にも参加した。
ぼくのようなリスナーは、ポストモダン的にロラン・バルトにならい、作品は作者に隷属するものではなく受け手のなかで完成するものだと思っている。だから、じつを言えば作者が何を言おうが……という立場でいる。だが、しかし優れた評伝を読むことの面白さは、評伝を書くに値する深みをもった人生、すなわち思考することを諦めないアーティストの想像だにしなかった事実を知ることにある。“At Last I am Free”以降の全作品にはジャズへの愛情が注がれ、そして政治への辛辣な言及がある。右翼勢力への反論を込めた『オールド・ロトゥンハット』(1985)、「パルスチナは国だ」と歌う『ドンデスタン』(1991)、なかには政治色の薄い『シュリープ』(1997)もあるが、英米のアフガニスタン侵攻を糾弾する『クックーランド』(2003)、イスラエル軍によるレバノン爆撃に言及した『コミック・オペラ』(2007)……と、党を脱退したあとも毅然としたマルクス主義者であり続けるワイアットは、揺るぎない不屈の精神の持ち主に見えるかもしれない。ところが彼は、長年アルコール依存症で苦しみ、鬱病と不眠症にかかり、二度も自殺未遂をしている。本書における準主役、アルフィーも『コミック・オペラ』の頃は鬱病に苦しんだ。
「痛ましいほどの誠実さ」、『Nothing can Stop Us』のライナーでワイアットは自らをこう表現している。彼はパンクを知ると、左派議員の講演会ではなくザ・クラッシュやザ・スペシャルズのライヴに行くようになる。そしてツートーンに熱狂し、移民文化と労働者階級の音楽を演奏する彼らと一体感を覚え、ジェリー・ダマーズやザ・ビートが自分にとって最後のロック/ポップスだったという。
ワイアットは、ポストパンクと精神的な同盟関係にあった。ザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァは「人としては天使」と賞賛し、スクリッティ・ポリッティのグリーンは心底ワイアット・ファンであったと、そう本書に書かれている。言われてみればたしかに、 ワイアットがピアノを弾いた“ザ・スウィーテスト・ガール”(初期〈ラフトレード〉の最高の名曲)にはその影響がある。グリーンの歌詞も歌い方もワイアット風だ——「世界でもっとも醜悪な彼らは、どうしてぼくにこんな酷い仕打ちをするのだろう」
その後も多くのアーティストとワイアットは共演している。クリス・カーターとコージー・ファニ・トッティ、パスカル・コムラード、ウルトラマリン、ビョーク……『シュリープ』にはポール・ウェラー、エヴェン・パーカー、ブライアン・イーノが参加しているが、この3人を集めることができるのは、おそらくワイアットくらいのものだろう。
いったい彼のなかの何が人を惹きつけるのだろう。戦後すぐに生まれたワイアットにとって、その将来、またしても右翼的な熱狂が繰り返されたことは許しがたい事態だった。だが、同時に左派内部における裏切りや失望も味わい、そのことも数枚の作品のなかで言及している。ワイアットはアメリカを大量虐殺のうえで成り立った国だと歌い、他方では、じっさいの政治的闘争の渦中にいる人たちが好んで歌う優しいバラードを彼も歌った。ワイアットとアルフィーがマルクスを勉強したのは、いち生活者として、何が自分を不幸にしているのか、どうしたら自分は幸せになれるのか、その答えを見つけるためだった。21世紀のいま、同じ疑問をいだいた20代の男女が、その答えを金儲けだと言ったところで驚きはない。何が自分を不幸にしているのか、どうしたら自分は幸せになれるのか。本書『ロバート・ワイアット』の核心にあるのはそこで、ワイアットとアルフィーふたりによるその試行錯誤と回答が、A5版二段組みでおよそ500ページ分あるのだ。
野田努