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There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第5回 反誕生日会主義

文:高島鈴 May 02,2019 UP

 ハッピバースデートゥーユーハッピバースデートゥーユーハッピバースデーディーーーーーア/あああああああああああああああああああ!/●ーーーーーーーーーーちゃーーーーーーーーーん。
 逃げ出したい/暗がり/ロウソクの火/コマンドが見える/「吹き消せ!」/逆らわない=吹き消す/おめでと~~う/ああああああああああああああああああああああああああああああああ!/逃げ出したい。
 電気がつく。ケーキ=好きではない食べ物=祝福のアイコン/切り分ける/皿に盛る/横倒しになる/食べる。
 ちゃぶ台を囲む=父/母/姉/私。
 家族。「誕生日に」・「ケーキを食べる」・「家族」=ドラマで見た/優しい父/優しい母/優しい子/みんなが仲良し/実情と合致しない。
 誕生日会が不愉快だと気がついたのは小学生のころだった。それ以前は記憶にないので素直に喜んでいたのだと思う。不意に「ハッピーバースデー」の歌を歌う自分の身体が、喉を残して全部消えているような気になっているのを自覚した。喉は単独で震えている。声だけが浮いている。自分の声ではないみたいだ。歌いたくない/ここにいたくない/すぐに立ち上がって外へ逃げ出したい。

 儀礼が耐え難いほど嫌いだ。誕生日に限らず、私は成人式も卒業式も、形式化された祝福は全て嫌いである。
 空間を以て「祝福」を示すという「意向」が発生したとき、空間に参与する(させられる)人たちは、儀礼空間という大きな機械を動かすための歯車として所定の役割を果たすよう強いられる。さっきまで意志を持つ人間だった私は、急に物言わぬ歯車に変えられる。「誕生日会」なんだからここに座れ、歌を歌え、拍手しろ、ろうそく吹き消せ、ケーキを食え……これらの行動1つ1つに切実な意味はあるのか? 多くの場合ない。少なくとも私の場合はなかった。個人から個人へ祝福を伝える方法はこれ以外にも大量にあるはずなのだから、こんな決まり切った形式を真似させられるいわれはない。それでも別に歌いたくない歌を歌い、叩きたくないのに拍手し、興味のないろうそくを吹き消し、好きでもないケーキを食べるのは、「場の空気」に流されるからである。
「あるべき姿」「普通はこう」……特段説明もされない、ただそういう風に「ある」。笑みを浮かべた相手から無言で手渡されたものをつい受け取ってしまうように、儀礼は基本的に「善意」で運営されている。悪意由来のものを断るより善意由来のものを断る方がはるかに難しい。善意で生きている人間のエネルギーを前に拒絶で立ち向かうには、相手の数倍のエネルギーが必要になる。そして儀礼を切実に必要としている人もいるのだろうし、悪いと言いたいわけではない。でも私は嫌いだ。本当に嫌いだ。編まれたくない。パーツにされたくない。ロールプレイングなんてやりたくない。私は己の切実な意志を尊重し、表明の方法はその都度その都度考えたい。全てを私の関係ないところでやってほしい。全てを任意に。全てを自由参加に。

 しかし世間は「儀礼への不参加」に意味を見出す。強い意味である。たとえ「任意」「自由参加」という建前があったとしても、それは1つの異常事態として認識される(「●●ちゃん、どうしちゃったんだろうね」)。求められる行動を拒絶すると「めんどうなやつ」認定がすぐさま下される。わかっている。祝福がミーム化されていることによって、特に祝福する気持ちのない相手に対しても祝っているかのように見せかける行為がある程度可能で、それが社会の非常に面倒な人間関係を取り持っている側面は、確実にある。見せかけの祝福で救われる人がたくさんいるのもわかる。それでも「そういうのを全部やめる」選択が許される世の中でなければ、やはりおかしい。明文化されぬまま存在する同調圧力を抜け出すとき、そこに特別な意味を感じないでほしい。

 この同調圧力が最大限強くなるのは、やはり家族関係の儀礼である。私はかつて姉の結婚相手との顔合わせを強く拒絶したことがあった(今も気まずいのでなるべく避けている)。会ったことも私の意志で関わりを持ったわけでもない相手から「配偶者〈の〉妹」として従属的存在へ記号化される状況に、私は耐えられなかった。本当に耐えられなかった。「姉の結婚相手が来るなら行かない」を繰り返していた私の逃げについて父はこう言った。「お前さあ、いいかげん大人になれよ」。
 ……そういうことじゃないんだぜ、本当にそういうことじゃない。もちろん意味はわかる、「大人になれ」とは「子どもじゃないんだから」とも言い換えが可能だ。私の不参加の意志が「わがまま」であり、「子ども」のものであるから改めよということだ。儀礼空間の潤滑な運営に与するのが「大人」であり、人はもれなくこの「大人」の道に入り前に進むべきなのだと本気で思っているのだろう。そんなわけない。自ら利用されるための存在に成り下がることが成熟なら、許されなくても一生赤ちゃんでいる方がはるかにいい。この世自体、もはや途方もなく巨大な儀礼空間である。クソ息苦しい。

 つまるところ私は、あらゆるものに対して「それ本気で思ってんの?」と感じているのだと思う。本気じゃないものが嫌いなのだ。やるなと言っているわけじゃない。誕生日を祝うなら真剣に相手にとってよいと思うことをやりたいし、形式的な「祝福」を無理やりやらされるような状況を作る社会はクソだと思っているのだ。突き詰めて突き詰めて突き詰めて突き詰めて、やっと見える何かが、私にとっては何よりも重要である。雑な気持ちで臨みたくない。全額ベット、これに尽きる。
 この文章を書いているのは2019年4月下旬で、ちょうどちまたに横溢する改元の話題にとてもいらだっているところだ。三島由紀夫ばりに天皇を愛している人が改元を全力で祝っているならそれはそれで個人の自由じゃねと思うのみだが(ただ友達になれる気はしない)、そういうわけでもなさそうなのになんとなく「平成最後の●●」「令和初めての●●」を連呼しているやつらにはヘドが出るのだ。本気で考えろ、お前にとって元号って何なんだよ! 天皇制と元号について本気で考えたうえで祝福してるのか? 天皇家の人間に人権がないのを承知した上で代替わりを祝ってるのか? いまだに社会に「支配者」の係累を「象徴」として戴いている状況に何も思うところはないのか? 本気で祝うならこういう質問をちゃんと胸を張って回答するなり最低限自信を持ってはねのけるなりした上で祝え!

 ……。
 わかってはいる、この気持ちが深く考えていることが偉いとか考えないやつはバカだとか、そういう思想に転化してしまったら元も子もないし、現時点でも偉そうなことを言っていると思われる場合はあるだろうし、実際人によって「本気」の尺度が違うことも重々理解している。私のものの考え方が「重い」ことも自覚している。今まで何度も「楽しんでいるんだから水をさすな」と言われた経験がある。抗っても抗いきれないときはいくらでもある。
 それでも「これが嫌いなんだよ!」と一人称ではっきり書いているのは、意思表示する野良犬はいればいるほどよいという考えを前提として、絶対にこの儀礼社会にムカついている人がいるはずだと考えているからだ。これを読んで共感してくれた人がいたら、ぜひ最低限1年に1回ぐらいは儀礼への参与をさりげなく拒否してほしい。
 アナキスト人類学者のジェームズ・C・スコットは、著書『実践 日々のアナキズム──世界に抗う土着の秩序の作り方』(岩波書店)の中で、「アナキスト柔軟体操」なる仕草を提唱している。いわく、いつか自らの信条のために重大なルール違反をする日がくる。そのXデイにスムーズに法を犯すためには、常日頃からささいな法律違反をして身体を柔軟にほぐしておくべきだろうというのだ。スコットが具体的にやっているのは信号無視である。車がいないのに赤信号が灯っているとき、あえて待たずにさっさと渡ってしまうとか、そういうちょっとした行為でいい。それを意識的にやる。この柔軟体操の積み重ねが、少しずつトップダウンのクソな秩序に風穴を開けるきっかけになり得る。儀礼空間の歯車を積極的に辞任していくことが、いつか大きな自由に向けた崩壊を招く可能性は大いにある。
 式典への参加拒否だけでなくてもいい。巨大な儀礼空間としての社会に抗うためには、例えば突然意味不明な言葉を叫ぶとか、帰り道で突然靴を脱ぐとか、社会のなかで想定されている行為の外へ逸脱していく行為が重要だと私は思っている。結局会話でも移動でも生活のなかには「普通こうする」という明文化されていないルールが潜んでいて、それらがどこかで誰かを追い詰める。あらゆるものがミーム化された社会とは、結局「普通」しか許さない社会、「異常」をつまはじきにする社会なんじゃないかと思う。殺意、怒り、イラつきは、自分の首を絞めるためだけではなく、柔軟体操に使うべきだ。誰もしない話をし、嫌いなものを大いに指摘し、式典をフケて、何の前触れもなく走り出す。秩序だって古アパートの壁紙みたいに端っこから毎日爪でちまちまめくっていけば、いつかべろっと全部剥がれる日が来るはずだ。

Profile

高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

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