Home > Interviews > interview with Ben Frost - ダイアン、僕らはコントロール過剰な世界に生きている
リズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。
■ではちょっと話題を変えましょう。あなたの作品は、曲やタイトルまですごく理知的にコンセプチュアルに作られているようでいて、同時に激しさや、感情的でロマンチックなものなどが噴出しているようにも思われます。ご自身ではよりどちらの性質が強いと思っていますか?
BF:エモーショナルな部分もコンセプチュアルな部分も両方あるよ。アートっていうものについて自分自身が高度な教育を受けたわけではないけれど、私には、自分の中のアートな部分がヴィジュアル的で立体的に見えている。そして、きちんとコンセプトを立ててそれらをかためていくことが好きなんだ。それによって自分のなかのどこにどういう引出しがあるのか、そこに何が入っているのかを確認することができる。
たとえば、コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。
アルバムを作るからには、ちゃんとしたものを作りたい。その意識はすごく強いと思う。出すからにはよいものを……不要なものは出したくないんだ。世のなかには不要なもの、どうでもいいものがすごくたくさんある。音楽にしても、人は似たようなものを量産しがちだけれども、はっきりいってそんなものは作りたくない。自分が伝えたいことが入っていること、何か新しいものであること、それが必須だよ。だからたとえ何年かかろうと、それがないことには次のアルバムを作らない。いちばんよくないのは「そろそろ時期だな」って思って制作することだね。
これは世に出さなきゃいけないと認識できるものじゃないと──もし先に誰かがやっていると思ったら、今作だって出していないよ。新しいエレメントを世界に提案したい、その姿勢は確実に必要なものだね。自分に才能があるとかっていうことではなくて、発信者であるというスタンスは譲れないものだよ。
コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。
■なるほど、新しいエレメントというところでは、今作では明確にリズムやビートというものが意識されているように思われますが、いかがでしょう。“ノーラン”や“ザ・ティース・ビハインド・キッシーズ”“セカント(scecant)”なんかの、ビートというよりも鉄槌を振り下ろすような打撃の感覚はどこからくるものなんでしょうか。
BF:その3つの曲については、とくに燃料が投下されて燃えあがっていくようなエネルギーが感じられるかもしれないね。ただ、これまでは基本的にリズムを音楽の中心に据えることを避けてきた。というのも、リズムを中心とする音楽にはすごく長い歴史がある──石器時代にさえあっただろうからね。それはものを叩いて音を出して高揚感を得るという古くからあるスタイルであって、だからリズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。
指摘してくれた3曲については、苦い薬でも砂糖をまぶせば飲めるように、そのまま差し出すと難解すぎるものについて、少し手を加えて咀嚼しやすくしようとした部分があるんだ。そういうガイドとしての役割を果たしているのがこれらの曲におけるリズムだと思うよ。音楽を作るときは、自分自身のために作っているし、自分自身が感動するかどうかを指針にしているから、オーディエンスのことは頭から外している。自分自身が曲作りの中心にいる、リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。
■リズムの内側に自分がいる……たしかに、外在的なビートではないかもしれませんね。
BF:それに、今回はアルバム全体の長さがやや短いんじゃないかと思う。多くの人はひとつのアルバムの中でアップダウンを作って、息抜きをさせたり長く聴かせるストーリー性を持たせようとしたりするよね。だけど私はそういうのが嫌なんだ。息抜きは聴く前か聴いた後にしてほしい。とにかくアルバムのあいだはぎゅっと凝縮したものでありたいと思う。
オーロラというのは、じつはひとつの物質なんだ。それをいろんなアングルから見ている。曲によってアングルがちがって、寄りで見ているものがあったり、引きで見ているものがあったりする。でも根本的にはひとつの物体をいろんな角度から見たのがこのアルバムなんだよ。
■もしかしたらいま言っていただいたことと重なるかもしれませんが、あなたのフィールド・レコーディングに対するスタンスをおうかがいしたいです。フィールド・レコーディングにおいては「何を」録りたいと思いますか? 素材なのか、感情なのか、土地の文化なのか……。今回は2011年から2013年までの、コンゴやニューヨーク、あるいはアイスランドなどで採音したとのことですね。
BF:いろんな国に行ったんだけれども、フィールド・レコーディングは、その国々を点と点でつないで、隙間を埋めていくようなものだったと思うよ。ドラマ『ツイン・ピークス』の最初のほうの場面で、エージェントのクーパーがダイアンに電話をかけて言うセリフに、とても印象に残っているものがある。「自分の家を離れたら、環境をコントロールする力はそこで100%失われる」──というようなね。でも現代社会においてはもうそうではないような気がするんだ。インターネットがあればいつでもどこにいても友人や家族に連絡できるし、Facebookなんかもそれを手助けよね。それはまるで、自分の環境を連れて世界中を回るようなものだよ。だから、僕自身の世界体験もそうなんだ。コンゴであれどこであれ、そこでした経験はいろいろあって、見たもの聞いたもの味わったものもたくさん存在するけれども、そこにあるものをそのまま反映するという意味でのリアリティを掴み出したいわけではない。そんな究極のリアリズムは持ち合わせていないんだ。もっと、自分なりのリアリティを生み出す手助けになるもの、もしくは自分の中で咀嚼して生み出す新しいリアリティというべきもの、それから、見たままではなくて本来そうあるはずの物事の姿……それを自分の得た経験の中からアダプトしていくというのが、私のフィールド・レコーディングだよ。
■なるほど、モバイル・コミュニティというか、人との関係性のなかに世界がすっぽり入ってしまうというか。
BF:ははは、そうだよ。それはとてもコントロール過剰な世界さ。
取材:橋元優歩(2014年10月30日)
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