「坂本龍一」と一致するもの

Terao Saho - ele-king

 シンガーソングライター、寺尾紗穂が6月22日にニュー・アルバム『余白のメロディ』をリリースする。間に『わたしの好きなわらべうた2』を挟みつつの、前作『北へ向かう』からは2年ぶりとなる新作で、オリジナル・アルバムとしては通算10枚目を数える。自身も参加するバンド冬にわかれてのあだち麗三郎や伊賀航ほか、多くのアーティストが参加。さらなる深みを増した歌に注目しよう。

寺尾紗穂による記念すべき通算10作目のオリジナル・アルバム『余白のメロディ』が完成。今再び、全ての人を歌の生まれる場所へと誘い出す、珠玉の作品集。

2006年のデビュー以来、現代日本を代表するシンガー・ソングライターとして数々の歌を作り続けてきた寺尾紗穂。2022年6月22日、記念すべき通算10枚目のオリジナル・アルバム『余白のメロディ』を発表する。
この世界の深淵に潜む様々な感情、光景、出来事を、類まれな才能ですくい取ってきた歌世界は、ここに至って、さらなる広がりと奥行きを獲得した。彼女の歌には、ときに鋭く社会的な問題意識も反映されてきたが、もちろん、それだけが理由で多くの者の心を捉えてきたのではない。寺尾紗穂の歌は、これまでも常に「言葉にし得ないもの」への関心と近しさを湛えており、だからこそ、聴く者の内にある深い部分に触れてきたのだ。
本作は、とりわけ「楕円の夢」以降寺尾が探求してきた、正論や正義、漂白されていく社会から距離をとった「余白」と、そこにこそ息づく希望や夢といったテーマが、最も美しい形で結晶した、キャリア史上に輝く傑作だと断言できる。日々「変わりつづける世界」への疲弊と、無情にも「変わらない世界」への絶望。あなたやわたしを取り囲む孤独が氷のように固まってしまっても、寺尾の音楽は、人がこの世界にひとしく生まれ落ちた事実を希望として浮かび上がらせ、そのこわばりをゆっくりと溶かしていく。
『余白のメロディ』は、不信に唆され、ついには歌うことのできなくなった人々を、今再び歌の生まれる場所へと誘い出す。
バンド「冬にわかれて」での活動を通し更に紐帯を強めたあだち麗三郎、伊賀航をはじめ、池田若菜、高橋三太、未知瑠、そして新進気鋭のシンガーソングライター/トラックメイカーMomの他、多くのアーティストが録音に参加し、より一層の壮麗さと繊細を増した寺尾の歌唱/ピアノ演奏を支える。
本作の核とでもいうべき曲「歌の生まれる場所」をはじめ、オリジナル曲の充実ぶりは、まさに至高といえる領域へと達した。また、「良い帰結(Good End)」ではMC.sirafuが、「期待などすてて」「灰のうた」では松井一平が歌詞を提供しており、お互いのクリエイティビティが溶け合った見事なコラボレーションを聴かせてくれる。加えて、寺尾にとっては歌の道を選ぶことになるきっかけとなった重要曲、西岡恭蔵「Glory Hallelujah」を収録、原曲の魅力を汲み取りつつ、そこへ新たな生命を吹き込んでいる。

寺尾紗穂 10th album
『余白のメロディ』

2022.06.22 in stores
品番:KHGCD-002
CD定価:¥3,000+税
発売元:こほろぎ舎
CD販売元:PCI MUSIC

01.灰のうた
 作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
02.良い帰結(Good End)
 作詞:MC.sirafu 作曲:寺尾紗穂
03.確かなことはなにも
 作詞・作曲:寺尾紗穂
04.ニセアカシアの木の下で
 作詞・作曲:寺尾紗穂
05.期待などすてて
 作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
06.森の小径
 作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦
07.光のたましい
 作詞・作曲:寺尾紗穂
08.僕の片割れ
 作詞・作曲:寺尾紗穂
09.歌の生まれる場所
 作詞・作曲:寺尾紗穂
10.Glory Hallelujah
 作詞・作曲:西岡恭蔵

[寺尾紗穂 プロフィール]
1981年11月7日生まれ。東京出身。
大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5 ミリ」(安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、CM、エッセイの分野でも活躍中。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。2019年まで10年続けることを目標に取り組んでいる。2020年3月に最新アルバム「北へ向かう」を発表。坂口恭平バンドやあだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド“冬にわかれて”でも活動中。2021年「冬にわかれて」および自身の音楽レーベルとして「こほろぎ舎」を立ち上げる。
著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)「愛し、日々」(天然文庫)「原発労働者」(講談社現代文庫)「南洋と私」(リトルモア)「あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」(集英社)「彗星の孤独」(スタンドブックス)、『天使日記』(スタンドブックス)があり、新聞、ウェブ、雑誌などでの連載を多数持つ。

interview with Shuya Okino (KYOTO JAZZ SEXTET) - ele-king


KYOTO JAZZ SEXTET feat. 森山威男
SUCCESSION

Blue Note / ユニバーサル ミュージック

Jazz

Amazon Tower HMV disk union

 DJ/プロデューサー/作曲家/クラブ運営者として四半世紀にわたりワールドワイドな活躍を続けてきた沖野修也。その活動母体とも言うべき Kyoto Jazz Massive と並行し、彼は2015年にアコースティック・ジャズ・バンド Kyoto Jazz Sextet も始動させ、これまでに2枚のアルバム『MISSION』(2015)、『UNITY』(2017年)を発表してきた。そして先日、待望の3作目『SUCCESSION』がリリースされたのだが、アーティスト名義は “KYOTO JAZZ SEXTET feat. TAKEO MORIYAMA”。そう、山下洋輔トリオなどで60年代から日本のジャズ・シーンを牽引してきた、あのドラム・モンスター森山威男(1945年生まれ)が、Kyoto Jazz Sextet のドラマー天倉正敬に代わり全曲で叩きまくっているのだ。

 森山ファンにはお馴染みの “サンライズ” や “渡良瀬” といった名曲に沖野が書下ろした “ファーザー・フォレスト” を加えた計7曲には、沖野がずっと掲げてきた「踊れるジャズ」というテーマから逸脱せんとするポジティヴな意志が溢れ、コロナ禍によって変わりつつある世界の今現在のジャズとしての新たなヴィジョンが提示されている。もちろん、これまでの作品のようにクラブでDJが客を踊るせることもできるだろう。が、同時に、自宅のソファに身を沈めてじっくりと聴き浸ることもできる。「匠の技」とも言うべきその微妙なバランス感、匙加減に、DJ/プロデューサーとして沖野が積み上げてきた経験の豊饒さ、感覚のリアルさを改めて思い知らされよう。

 何はともあれ、破格のパワーとグルーヴを堪能すべし。過去から現在、そして未来へとジャズが「継承(SUCCESSION)」されてゆく瞬間を体験できる、格調高い作品である。

僕がやってきた踊れるジャズをベースに、どうやって森山さんを引き入れるか。いったん踊れることを実現させた上で、どうやって逸脱していくか。踊らせたいけど同時に聴かせたい曲をどこに着地させるか。そこの格闘はなかなか痺れるものがありました。

森山威男さんは昨年11月20日の《Tokyo Crossover/Jazz Festival 2021》にゲスト参加し、それと前後してこのアルバム『SUCCESSION』の録音にも参加したわけですが、あのイヴェントに森山さんが参加した経緯から話していただけますか。

沖野:新木場の STUDIO COAST の閉館に伴い、クラブ・イヴェント《ageHa》もなくなるということで、昨年7年ぶりに《Tokyo Crossover/Jazz Festival 2021》の開催が決定したのですが、コロナ禍で海外勢は呼べる状況ではない。でも、日本人の出演者だけでやる以上、海外のファンが絶対うらやましがるようなラインナップにしたいと思いました。それで、目玉となるヘッドライナーを誰にするか考えた時に思い浮かんだのが森山さんでした。誰もが知っているジャズ・レジェンドであり、近年はイギリスのレーベル〈BBE〉から『East Plants』(83年)も再発されたし。あと、KYOTO JAZZ SEXTET のトランペットの類家心平が、以前森山さんのバンドでも吹いていた。これはもう森山さんしかいないなと。「KYOTO JAZZ SEXTET featuring 森山威男」にすれば、海外のジャズ系リスナーやクラブ・ミュージック好きはきっと注目してくれると思っていました。

マーク・ジュリアナとか、ここ近年のドラマー・ブームみたいなのも関係あったのかなと思ったんですけど。

沖野:まさにご指摘の通りで。ロバート・グラスパー周りとか、今、ドラムがジャズのイニシアティヴを握っているというイメージが世界的に広がりつつあるじゃないですか。「打ち込みを生で再生しているドラマー、すげー」みたいな。日本でも若いリスナーが「新しいジャズはドラマーだ!」みたいに言ってて(笑)。もちろん僕もそういった側面を否定しないです。でも、ベース・ラインとかコード進行とか、ドラマー以外のミュージシャンが醸し出す現代性や革新性も僕は常に意識しているし、プロデューサーやヴォーカリストも含めて、総合的に進化していると思っているわけで。そういった状況下で、レジェンドのドラマーを引っ張り出すのって、言わば逆の発想ですよね。KYOTO JAZZ SEXTET の上物というか、コード楽器や管楽器がオーセンティックなジャズで、ドラマーが今っぽい若手という選択肢もありましたが、それは他の人がやっているから、あえて逆にレジェンドを起用して、更に強烈な現代感覚を僕らは表現できるんですよ、というトライだったわけです。

なるほど。

沖野:やる前は、ひょっとすると森山さんワールドに僕らが持っていかれて、いわゆるメイン・ストリームのジャズになる可能性もあったし、はたまたフリー・ジャズになってダンス・ミュージックと完全に乖離してしまうという可能性もあった。どうやってジャズの現代性を表現するか、どうやって KYOTO JAZZ SEXTET らしさを出せるか、それは僕にとっても挑戦ではありました。

今、「ダンス・ミュージックと乖離する」とおっしゃいましたが、ということは沖野さんとしては今でもやはり根底には、自分達は踊れるジャズ、ダンス・ミュージックをやっているという意識があるんですね?

沖野:ベースとしてダンス・ミュージックはありますけど、今はむしろそこから離れてみたいという思いに駆られています。特に KYOTO JAZZ SEXTET はその方向性が強いですね。KYOTO JAZZ MASSIVE はやっぱりダンスありきですけど。KYOTO JAZZ SEXTET はむしろ踊れなくてもいい、もしくは踊れない方向にどんどん踏み出していきたいという気持ちが強いです。

権力との闘争なのか、メーカーとの闘争なのか、ミュージシャン同士の闘争なのか、わかりませんが、そういうぶつかる感じは若い世代のジャズ・ミュージシャンにはない。サラッとしてるというか、スマートというか。

実際に去年11月に初めて森山さんと共演した時の素朴な感想、印象を聞かせてください。

沖野:そうですね……初めてスタジオでお会いした時、僕が思っていたのと違って、森山さん、慎ましいというか、とても遠慮がちで(笑)。コロナ禍でライヴが2年間なく、全然叩いてなかったので、引退も考えられたそうなんですよ。もちろんカリスマ性というか、レジェンドに会ったという感動はありましたが、レコードでのプレイから感じていたエネルギーみたいなものは、お会いした瞬間はなかった。小柄で、とても寡黙な方だし。ところが、ドラム・ブースに入って叩き始めた瞬間に僕らの懸念は一気に吹き飛びました。リハーサル段階からものすごい音量、ものすごい手数で。音の洪水というか。アート・ブレイキーのドラムがナイアガラの滝に例えられますけど、本当に滝が流れ落ちるような状態で。メンバー全員で滝に打たれる修行、みたいな(笑)。

滝行(笑)

沖野:びっくりしましたね。2年間叩いてないって嘘でしょ、と。とにかく音がすごかった。1音目からすごかったです。

今回のアルバムでも、いきなり1曲目 “Forest Mode” の、特に後半なんてすごいですよね。

沖野:そうなんですよ。録音にもそのまま入っていますが、レコーディング中に雄叫びを上げて。あの小さな体から、これだけのパワーがどうやって出てくるのかな、と。衝撃でした。多分いつも一緒に演奏している方は、それが森山さんだという認識があるんでしょうけど。

ライヴやレコーディングでの森山さんの反応はどうでした?

沖野:ご自分でも仰ってましたが、本当に対等の目線でセクステットのメンバーと真剣勝負してくださって。ワンテイクの曲もいくつかありましたが、曲によっては森山さんが全くOKを出さず、これは違うと言って何度かやり直したんです。実はセクステットの過去2枚のアルバムでは採用テイクは全部ファースト・テイクでしたが、今回の3枚目では初めて、ファースト・テイクが採用されなかった曲がいくつもあります。

具体的には?

沖野:ワンテイクでOKだったのは⑤ “サンライズ” と⑥ “渡良瀬”、⑦ “見上げてごらん夜の星を” の3曲だけで、それ以外は森山さんが納得いくまでやりました。たとえば④ “ノー・モア・アップル” では、納得するリズム、納得するテンポが見つからないと森山さんが言って。あと、メンバーとのコンビネーションの問題とか。これじゃダメ、これじゃダメと何度も仰って。体力的に大丈夫なのかなとか、こっちはいらぬ心配をしましたが、森山さんが妥協されることはなかったですね。これでどうでしょう? と言っても、いやー違う、正解が出てない、と。

沖野さん以下メンバーの方では、どこがまずいのかな、と戸惑う感じですか?

沖野:いや、しっかりコミュニケーションをとりました。森山さんがノレるテンポとかグルーヴ、考えているアレンジと、メンバーが一番実力を発揮できるテンポなりリズムなりグルーヴなりの接点をどうやって探すかという。もう一回音を出してなんとなくやりましょう、ではなくて、問題点が速度のことなのかリズムのことなのか、誰かの演奏なのか等々をとことん話し合った上で次のテイクに臨むという感じで。

じゃあ、レコーディングはけっこう苦労されたんですか?

沖野:とはいっても、《ageHa》の本番前の2日間で録ったので、想定内です。森山さんが加わっての僕なりのクラブDJ的グルーヴ感というか理想の照らし合わせというか、森山さん曰く「激突」みたいな部分では、苦労したというより非常に興味深かったです。だって僕は元々森山さんの曲をDJでかけていたんですから。僕がやってきた踊れるジャズをベースに、どうやって森山さんを引き入れるか。いったん踊れることを実現させた上で、どうやって逸脱していくか。踊らせたいけど同時に聴かせたい曲をどこに着地させるか。そこの格闘はなかなか痺れるものがありました。

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KYOTO JAZZ SEXTET feat. 森山威男
SUCCESSION

Blue Note / ユニバーサル ミュージック

Jazz

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日本のジャズ・ミュージシャンは、50~60年代からやってる人たちと今現在の若手では感覚もノリも気質もかなり違う気がしますが、いかがですか?

沖野:あくまで僕の主観ですが、上の世代のジャズの人って、それこそアメリカと日本とか、メジャーとマイナーとか、闘争の歴史から音を紡ぎ出していたと思うんです。でも僕らの時代って、そういうカウンター精神はあまりない。若いジャズの子たちもスルッとメジャーに行ってブレイクしたりする。闘うことの是非はともかく、あまりないのかなというのは感じます。権力との闘争なのか、メーカーとの闘争なのか、ミュージシャン同士の闘争なのか、わかりませんが、そういうぶつかる感じは若い世代のジャズ・ミュージシャンにはない。サラッとしてるというか、スマートというか。

ですよね。端的に言うとあの世代の日本のジャズ・ミュージシャンは、全てが喧嘩という感じがするんですよ。話しててもそうだし、音聴いてもそうだし。つまり、喧嘩にこそ意義があるというか、まず喧嘩しなくちゃ始まらないというか。それがまた面白さでもあるんだけど。そういった根本的な感覚のズレみたいなものは今回はなかったですか?

沖野:いや、僕が知っているジャズ・レジェンドの中では森山さんは人間的にかなり柔和だし。ただ演奏は完全に喧嘩でしたよ。《ageHa》のライヴDVDを観ていただくとわかりますが、お互いがかなりやり合っていて。特にフリー・ジャズ・パートでは、それこそ僕もカウベルやウィンドチャイムを叩きまくり、シンセサイザーの効果音で森山さんを煽りまくって。普段、僕のようなDJ/プロデューサーがライヴに絡むのは難しいのですが、本当に喧嘩状態でした(笑)。とにかく森山さんは、予定調和はダメだとずっと仰っていました。僕らもどうやって森山さんに仕掛けていくかというのが、メンバー間のミッションでしたね。

77歳でこのオファーをもらい、《ageHa》でやれて、生きててよかったよ」という森山さんの言葉を聞いて、20年後の自分にだって生きててよかったと思う可能性があるはずだという気持ちになりましたし。本当に今回は、ミュージシャンとしてだけでなく人間として森山さんからは影響を受けました。

沖野さん自身は、森山さん世代のそういった「出会い頭の即興的な喧嘩」というものに憧れがあったりしますか?

沖野:ありますね。僕は多分、ジャズDJと呼ばれる人たちの中でもそこに一番憧れがある一人だと思います。後でリミックスしやすいようにクリックを鳴らして安定したテンポで録りたがるプロデューサーもいますし、インプロは踊れないからとカットしてテーマだけでつなぐジャズDJもいる。でも僕はやっぱりインプロがあってなんぼの世界だと思うし、想像もしなかった録音が実現した時の喜びも何回も体験してきたわけで。森山さんが今まで感じてきたことや積み上げてきたこと、森山さんだけが見てきた景色が絶対あるはずです。そういった経験から僕たちに投げかけられる疑問や挑戦や挑発は、他では絶対に味わえないものでしょう。50~60年代からやってきた人たちの出す音の説得力や迫力ってやっぱり違うと思うんですよね。技術だけでなく、ここでそういくか!?  という想像を超えた表現力はレジェンド・クラスになると別格ですね。

今のコメントがこのアルバムのタイトル『SUCCESSION』(継承)をそのまま表現してるような気がします。

沖野:そうなんですよ。うちのメンバーだけではこういう作品にならなかったと思います。僕たちが知っているつもりで実は知らなかった表現方法とか、ジャズとは何かという、音による説得力をこのレコーディングとライヴでは学びましたし、それを更に僕らが継承して次の世代に伝えていかなくてはと思いました。あと、「77歳でこのオファーをもらい、《ageHa》でやれて、生きててよかったよ」という森山さんの言葉を聞いて、20年後の自分にだって生きててよかったと思う可能性があるはずだという気持ちになりましたし。本当に今回は、ミュージシャンとしてだけでなく人間として森山さんからは影響を受けました。

近年は海外でも日本の様々な音楽が注目されています。60~70年代の日本のジャズの人気も高まっていますよね。

沖野:元々、日本のフュージョンやジャズは、海外のマニアの間では人気があったんです。僕だって最初は、ジャイルズ・ピーターソンを含むロンドンの友人やDJ、ディストリビューターなどから教えてもらって日本のジャズの魅力に気づいた人間ですし。

それはいつ頃のことですか?

沖野:25歳くらいだから、今から30年ほど前です。でも、ここ数年の盛り上がりはちょっと違いますね。層が変わってきたというか。ロバート・グラスパー人気やサウス・ロンドンのジャズの盛り上がりとかもあって、若い世代のジャズ・リスナーの規模全体も大きくなっているし。お父さんがディスコのDJで生まれた時からレコードがいっぱい家にあったとか、お母さんがアシッド・ジャズ大好きで子供の頃からブラン・ニュー・ヘヴィーズを聴いてましたとか、そういう20代のジャズ・ミュージシャンやDJもヨーロッパ中にたくさんいます。今の若い子たちにとっては、トム・ミッシュクルアンビンサンダーキャットなどが、僕らが若かった30年前のジャミロクワイやブラン・ニュー・ヘヴィーズなわけです。で、トム・ミッシュやサンダーキャットなどは、多分僕らがかけてきた音楽、僕らがやってきた音楽を好きだと思う。つまり、今は二重のレイヤー、昔からのリスナーと若いリスナーが混在し、層が分厚くなっているんです。今はその両方の層に日本のジャズが受け入れられているんじゃないかな、というのが僕の分析です。

アメリカ大統領の娘さんが KYOTO JAZZ MASSIVE とか KYOTO JAZZ SEXTET のファンだったとしたら、「お父さん、日本に核兵器落とさないで、私の好きなシューヤ・オキノがいるから」みたいになるかもしれないじゃないですか。極端な例ですけど(笑)。

昔の日本のジャズのどういった点に面白さを感じるのか、そのポイントは、外国人と日本人では微妙に違うと思いますが、沖野さん自身は、日本の当時のジャズの、欧米ジャズと比べた場合の面白さ、特殊性についてどのように考えていますか。

沖野:まずは、メロディーの独自性ですね。論理的説明は難しいのですが、民謡とか童謡などのエッセンスが作曲家の潜在意識の中にあると思います。あと、使用楽器によるエキゾチシズムというのもあるんじゃないかな。60~70年代には和楽器を導入する実験も盛んにおこなわれていたし。海外のDJからも、メロディーのことはよく言われます。すごく日本ぽいと。日本のメロディーはシンプルでわかりやすいんだと。それはきっと、母音が連なる日本語の特性とも関係していると思いますね。あと、演奏テクニックが素晴らしいというのもよく言われます。それはフュージョン系の作品を指していると思いますが。

昨年(2021年)暮れに KYOTO JAZZ MASSIVE の久しぶりのアルバム『Message From A New Dawn』も出ましたが、ここで改めて KYOTO JAZZ MASSIVE と KYOTO JAZZ SEXTET の立ち位置の違いを簡単に説明してもらえますか?

沖野:KYOTO JAZZ MASSIVE は、僕と弟(沖野好洋)の合議制によるダンス・バンド。演奏の中にジャズもフュージョンもテクノもファンクもソウルも入った、よりハイブリッドなダンス・バンドです。KYOTO JAZZ SEXTET は、僕のプロデュースのジャズ・バンドで、踊れることは特に目的にはしていません。

今日のインタヴューでも何度か「踊れるジャズ」「踊ることを目的としないジャズ」という対比がありましたが、踊れない/踊らないというのは、この2年間のコロナ禍の状況も関係あるのかしら?

沖野:関係あると思います。僕自身のことも含め、この2年間家にいて、リスニング体験を楽しむ人が劇的に増えたと思います。アルバムの中から踊れる曲を1~2曲ピックアップして繋いでいくDJの僕ですら、家ではアルバム1枚かけっぱなしです。踊れる踊れないに関わらず、自分が好きな作品を通して聴くという風にリスニング・スタイルが劇的に変化した。KYOTO JAZZ SEXTET のこの新作がこの内容、構成になったのも、家で日本のジャズのアルバムを針置きっぱなしで聴き続けたことが影響していると思います。だからひょっとすると、コロナ前に森山さんとやっていたら、全編踊れるジャズになっていたかもしれない。でもコロナ禍を経て、踊れる曲ですら、聴いて楽しんでもらえるんじゃないかな、という期待もあります。同時に、僕が踊れないと思った収録曲も別のDJがダンス・ミュージックとして再発見してくれるんじゃないかという楽しみもある。今までの KYOTO JAZZ SEXTET 以上に、リスナーにとっての音楽聴取の自由度を上げる作品になったんじゃないかなと。僕自身、解き放たれた感じなんです。

沖野さんは文筆家でもあるし、Twitter でも積極的に発言されています。普段から政治意識、社会意識が強い方ですよね。社会の中でのDJ/音楽プロデューサーとしての自分の役割をどのように考えてますか?

沖野:やっぱり世代と国境を越える、というのが自分のミッションだと思っていて。

それは最近に限らず、以前からずっと?

沖野:そうです。自分の音楽を違う国の人に聴いてほしいし、上の世代とも若い世代ともコラボレートしていきたいと思ってきました。そういう気持ち、そういう音楽は偏見や憎悪から人の意識を解放する働きがあると思うんですよ。60~66年の〈ブルーノート〉作品のカヴァー・ワークだった1stアルバム『Mission』(2015年)は、アメリカと日本のジャズの関係というのが自分のテーマでしたが、僕のオリジナル曲で構成された2作目『Unity』(2017年)は、平和とか調和とか、結構ポリティカルなことを自分なりに表現したんですよ。だからヴォーカリストにも、歌詞はそういう趣旨で発注しました。世代、国籍、人種を超えるというメッセージを音楽で発信して、この世界がより良くなることに少しでも貢献できたらいいかなとは考えています。

実際に今まで活動してきて、多少なりとも実効力があったと思いますか?

沖野:日本人に対するイメージの変化に、微力ながらも貢献できたかなとは思います。もちろん坂本龍一さんとか北野武さんとか、サッカー選手や野球選手の活躍ありきですよ(笑)。ありきだけど、実際僕がDJとして行くことで、様々な国の人が一か所に集まったりした。音楽大使と言うとおおげさですが、世界平和への貢献実績はゼロではないと思います。時々冗談で言うんですが、アメリカ大統領の娘さんが KYOTO JAZZ MASSIVE とか KYOTO JAZZ SEXTET のファンだったとしたら、「お父さん、日本に核兵器落とさないで、私の好きなシューヤ・オキノがいるから」みたいになるかもしれないじゃないですか。極端な例ですけど(笑)。音楽とか文化が持っている力は侮れないと僕はずっと思ってきました。微力ではあるけど、これからも世代と人種と国境を越えることをテーマに音楽を作り続けていきたいですし、世界を旅していきたいです。

 

[LIVE INFORMATION]

KYOTO JAZZ SEXTET feat. 森山威男
~New Album “SUCCESSION” Release Live

2022年5月26日(木)ブルーノート東京
www.bluenote.co.jp/jp/artists/kyoto-jazz-sextet

FUJI ROCK FESTIVAL’22 出演
2022年7月30日(土)新潟県 湯沢町 苗場スキー場
https://www.fujirockfestival.com/

[RELEASE INFORMATION]

沖野修也率いる精鋭たちとレジェンダリー・ドラマーの劇的な出会い。
日本ジャズの過去と現在を繋ぎ、その延長線上にある明日を照らし出す。

●ワールドワイドな活動を展開するDJ/楽プロデューサー・ユニット、Kyoto Jazz Massive の沖野修也が2015年に始動させたアコースティック・ジャズ・ユニット、KYOTO JAZZ SEXTET。単なる懐古趣味にとどまらず、“ジャズの現在” を表現することをコンセプトとし、これまでに『MISSION』(2015年)、『UNITY』(2017年)という2枚のアルバムを発表しました。
●5年ぶりの新作では、ジャパニーズ・ジャズ・ドラムの最高峰、森山威男を全面フィーチャー。両者は2021年11月20日に新木場ageHa@STUDIO COAST にて開催された Tokyo Crossover/Jazz Festival 2021 にヘッドライナーとして出演し初共演。世代を超えた気迫みなぎるコラボレーションで、オーディエンスを圧倒しました。
●アルバムには、クラブ・ジャズ・リスナーにも人気の森山の代表的レパートリーに加え、沖野修也書き下ろしの新曲「ファーザー・フォレスト」を収録。オール・アナログ録音による骨太でダイナミックなサウンドも魅力です。

artist: KYOTO JAZZ SEXTET feat. 森山威男
title: SUCCESSION
label: Blue Note / ユニバーサル ミュージック

KYOTO JAZZ SEXTET
類家心平 trumpet
栗原 健 tenor saxophone
平戸祐介 piano
小泉P克人 bass
沖野修也(vision, sound effect on 渡良瀬)
featuring
森山威男 drums

Produced by 沖野修也 (Kyoto Jazz Massive)
Recorded, Mixed and Mastered by 吉川昭仁 (STUDIO Dedé)

tracklist:
1. フォレスト・モード
2. 風
3. ファーザー・フォレスト
4. ノー・モア・アップル
5. サンライズ
6. 渡良瀬
7. 見上げてごらん夜の星を

Phew / Friday Night Plans - ele-king

 昨年の『New Decade』をはじめ、近年ますます精力的に活動している Phew と、新世代シンガー Friday Night Plans による2マン・ライヴが渋谷 WWW にて5月2日に開催される。ふたりは今回が初の顔合わせ。それぞれ異なるタイプの音楽をやっているように映る2組だけに、いったいどんな化学反応が生み出されるのか、いまから楽しみになるライヴだ。チケットなど詳細は下記をご参照ください。

Phew / Friday Night Plans初となる2マンライブが5月2日(月祝前)WWWにて開催決定!!

PhewとFriday Night Plansの初となる2マンライブが、5月2日(月祝前)WWWにて開催が決定した。

伝説のアート・パンク・バンド、アーント・サリーの創設メンバーであり、現在も精力的にソロ作品をリリース、
声と電子音楽を組み合わせた作品でエレクトロニック・アーティストとしても世界的な評価を得るPhewと、
竹内まりやの「Plastic Love」のカバーが海外で評価されるも、
昨年から「レコードの音質」をテーマに実験的な制作を行い3枚のEPを立て続けにリリース。
新たな音世界を提示し、先日行われた自主企画イベントにてライブ活動を再始動させたFriday Night Plans。
両者初顔合わせとなる貴重な一夜をお見逃しなく。

公演フライヤーは写真を寺沢美遊が撮影し、フライヤーデザインをpooteeが手がけた。
チケットはただ今より一般販売開始!

タイトル:Phew / Friday Night Plans
日程:2022年5月2日(月祝前)
会場:WWW
出演:Phew / Friday Night Plans
時間:OPEN 18:45 / START 19:30
前売:¥3,800 (税込 / オールスタンディング / ドリンク代別)
問合:WWW 03-5458-7685

チケット:
一般発売 / 4月5日(火)19:00~ e+ 【https://eplus.jp/phew-fnp-www/
※本公演は「ライブハウス・ライブホールにおける新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づいた対策を講じ、開催いたします。
チケットのご購入、ご来場の際は「新型コロナウイルス感染拡大予防対策の実施について」を必ずご確認いただき、ご同意の上でチケットのご購入とご来場をお願いいたします。

公演ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/014377.php


Phew
伝説のアート・パンク・バンド、アーント・サリーの創設メンバーであり、1979年解散後はソロとして活動を続け、1980年に坂本龍一とのコラボレーション・シングルをリリース、1981年には、コニー・プランク、CANのホルガー・シューカイとヤキ・リーペツァイトと制作した1stソロ・アルバム『Phew』を発売。1992年、MUTEレーベルより発売された3rdアルバム『Our Likeness』は、再びコニー・プランクのスタジオにて、CANのヤキ・リーベツァイト、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアレックサンダー・ハッケ、そしてDAFのクリスロ・ハースと制作された。2010年代に入り、声と電子音楽を組み合わせた作品を次々に発売し、エレクトロニック・アーティストとしても世界的評価を高めた。ピッチフォークは「日本のアンダーグラウンド・レジェンド」と評している。また、アナ・ダ・シルヴァ(レインコーツ)、山本精一(ex.ボアダムス)等とのコラボレーション作品も発売。2021年10月、最新ソロ・アルバム『ニュー・ディケイド』はTraffic/Muteより世界発売。


Friday Night Plans
Friday Night Plans(フライデーナイトプランズ)は、東京をベースに活動するボーカルの Masumi を主体とした 音楽プロジェクト。東京都出身で日本人の父とフィリピン人の母を持つ Masumi は、2018年7月から Friday Night Plans の活動を開始し、その楽曲が Spotify や Apple Music を中心に国内外で話題となり、同年12月にリリースした竹内まりやの「Plastic Love」カバーが海外で評価される。2019年11月15日(Fri)にリリースされた 2nd EP「Complex」は、ポジティブで直接的な表現が主流の現代において、土臭い人間の精神世界を詩的に表現しており、ネガティブを否定せずに直視することによって、どこか次の段階を模索するための "今" が描かれているように感じられる。「Complex」からの第1弾先行シングル「All The Dots」はUK版「i-D Magazine」に取り上げられ、第2弾先行シングル「Decoy」は米人気メディア「The FADER」に取り上げられ「BBC RADIO 1Xtra」にて選曲されるなど、海外メディアからも注目されている。12月6日(Fri)にリリースされた 9th 配信 Single「HONDA」はインディーズながら "Honda「VEZEL」CM ソング" に選曲された。2021年1月から「レコードの音質」をテーマに実験的な制作を続けており、2021年4月30日(Fri)に3rd EP「Embers」、8月27日(Fri)に4th EP「When I Get My Playground Back」、2022年1月28日(Fri)に5th EP「In The Rearview」をリリースしている。

Friday Night Plans
https://linktr.ee/FridayNightPlans

 先週末、おもにヨーロッパにおける音楽関係者の連帯をお伝えしたが、去る3月5日土曜、新宿駅南口にて反戦集会《No War 0305 Presented by 全感覚祭》が開催された。目的は、ウクライナ侵略によって「危機的な状況に置かれているあらゆる人たちへのサポートと寄付を募る」こと。およそ1万人が集まったという。
 呼びかけたのはGEZANの主宰するレーベル〈十三月〉で、趣旨に賛同した七尾旅人、大友良英、折坂悠太、カネコアヤノ、原田郁子(clammbon)、踊ってばかりの国といったアーティストたちがパフォーマンスを披露、種々のスピーチもおこなわれた。
 2011年の震災や原発の爆発、2015年安保などを経て日本でも有事の際に街頭に出かけること、声を上げることが普通になってきている。毎日暗いニュースが報じられるなか、そのこと自体は未来を感じさせてくれる前向きなトピックと言えよう。呼びかけたGEZAN、出演者やスタッフたち、そしてそこに集まった1万人に拍手を。ますます混迷をきわめるウクライナ情勢だが、きっと私たちにも何かできることがあるはずだ。
 各種寄付先は下記を参照ください。

GEZAN主宰レーベル・十三月の呼びかけによる街宣『No War 0305』、新宿駅南口におよそ1万人が集結。反戦を訴える。

3月5日(土)、プーチン大統領が起こしたウクライナ侵略によって傷つき、危機的な状況に置かれているあらゆる人たちへのサポートと寄付を募るため、GEZAN主宰レーベル・十三月の呼びかけに賛同したアーティストらによるライブとスピーチによる反戦街宣『No War 0305 Presented by 全感覚祭』が新宿駅南口にて繰り広げられた。

午後12時30分、「暴力には暴力で対抗する以外の可能性をみんなで考えたい」という篠田ミル(yahyel)の開会宣言からはじまり、トップバッターのカネコアヤノへ。その後もライブとトークが交互に進行され、ラストのGEZANライブ、そして津田大介、折坂悠太、マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)による締めのクロストークまで、午後6時過ぎまで続いた街宣におよそ1万人が集結。その様子は十三月とポリタスTVのYouTubeにてそれぞれ生配信され、常時およそ4000人が視聴。「No War」という1点を軸に連帯を示した。

さまざまなアートワークが有機的にコラージュされ、花が生けられた象徴的な仮設ステージは多くのボランティアスタッフの力を借りて当日の早朝から組み上げられた。
また、当日までに募集され、会場で掲げられたプラカードのデザインは下記インスタグラムにて公開されている。
https://www.instagram.com/no_war_0305/

主催の十三月はウクライナ人道支援に繋がる8つの団体を紹介したQRコード付きのチラシにて直接の寄付を呼びかけ、さらに当日街頭で募ったドネーションにも約300万円が集まり、これらを全てウクライナ人道支援にあてることを発表。
また同時に、ステージ設営や印刷費、交通費など、今回の街宣にかかった必要最低限の運営経費を募っている。

▼『No War 0305』運営への寄付宛先
銀行名:PayPay銀行(0033)
銀行支店名:ビジネス営業部(005)
口座:普通:4026231
口座名義:ド)ジュウサンガツ

▼『No War 0305』概要
#NOWAR0305
「No War 0305」と題して、新宿南口にて戦争反対とウクライナ侵略によって傷ついた人たちのサポートを呼びかけます。

―――
2022年3月5日(土) 12:30-til sunset
会場 : 新宿駅南口

ステートメント
https://gezan.net/2022/03/post-2820/

Presented by 全感覚祭
―――

【内容】
No War. 戦争反対。
プーチン大統領が起こしたウクライナ侵略によって傷つき、危機的な状況に置かれているあらゆる人たちへのサポートと寄付を呼びかけます。この状況に対していまだ言葉にならない漠然とした思いを持っている全ての人たちと共に、この場を持ちたいと思います。

【アピール】
Hanna Frolova(モデル・東京在住ウクライナ人)
折坂悠太
アンナ(会社員/東京在住ロシア人)
七尾旅人
永井玲衣(哲学研究者)
坂口恭平
辻愛沙子(株式会社arca CEO)
大友良英
切腹ピストルズ
カネコアヤノ
中村涼香(KNOW NUKES TOKYO共同代表)
原田郁子(clammbon)
篠田ミル
津田大介(ジャーナリスト / メディア・アクティビスト)
踊ってばかりの国
井上榛香(ライター)
テニスコーツ
坂本龍一(メッセージ代読)
GEZAN

【会場・アートワーク提供】
北山雅和
Akira the Hustler
竹川宣彰
大澤悠大
佐藤重雄
今井俊介
チョン・ユギョン
大塚隆史
パク・サンヒョン
谷澤紗和子
BuBu de la Madeleine
げいまきまき
森隆司
川名潤
石黒恵太
COLD VVAR
薮内美佐子
山/完全版
今井健太郎
平野太一
青木陵子+伊藤存
竹﨑和征
碓井ゆい
島崎ろでぃー
Loneliness Books
阿部海太 / 阿部航太
工藤夏海
長谷川唯
キム・ミョンファ
semimarow
杨健
奈良美智

【寄付の説明と寄付先一覧】
戦争は人の命を奪い、人の暮らしを奪います。ウクライナ国内では軍事施設だけでなく、住居、学校、病院・衛生施設までもがロシア軍によって攻撃されています。爆撃だけでなく、食料や水の不足によっても市民の命が危険にさらされています。

一方で、国外に避難した人たちも同様に、困難な状況に置かれています。国連によると、すでに100万人以上がウクライナから隣国へ避難し、今後400万人以上が難民となるおそれがあります。その多くは子どもや女性です。避難先ではまず衣食住が保障されなければなりません。そして、精神的なケア、性暴力や搾取からの保護、性的マイノリティへの差別や人種・民族差別のない安心できる居場所の提供なども必要です。

日本で暮らす私たちは寄付という形で困難な状況にある人たちをサポートすることができます。
戦争が人間の命を奪うなら、私たちは人間の命を支えましょう。

以下にあげる寄付先は、すべて人道支援が目的とされた団体です。

・在日ウクライナ大使館
大使館への寄付は避難者の生活支援、インフラ復旧、住宅再建などに使用し、武器には使われないと説明しています。
三菱UFJ 銀行
広尾支店 047
普通
口座番号0972597
エンバシーオブウクライナ

・ユニセフ「ウクライナ緊急募金」
ウクライナにおける継続的な人道支援。クレカや携帯キャリア決済などで寄付ができるほか、郵便局窓口からの振込みもできる。楽天ポイントによる寄付も可能(詳細は楽天クラッチ募金サイト)。
https://www.unicef.or.jp/news/2022/0043.html

・UNHCR
国連の難民支援機関。難民・避難民の保護と支援。クレカ、コンビニ払い、ゆうちょ銀行などで寄付ができる。楽天ポイントによる寄付も可能(詳細は楽天クラッチ募金サイト)
https://www.japanforunhcr.org/campaign/ukraine

・ピース・ウィンズジャパン
国内外で人道支援や災害支援を行う団体。ウクライナ国内の支援団体と提携し、医療物資などを提供。クレカ、銀行・郵便局振込みで寄付が可能。
https://peace-winds.org/support/ukraine

・Insight Ukraine
あらゆる社会的属性の平等のためのウクライナの団体。サイトはウクライナ語と英語(ページ最下部より寄付ページへ)。クレカ、グーグルペイなどで寄付が可能。
https://www.insight-ukraine.org/

・Fight for rights
ウクライナの障害者支援団体 。サイトはウクライナ語と英語(ПІДТРИМКА У КРИЗІ / SUPPORT PWDS IN CRISISより寄付ページへ)。クレカ、グーグルペイなどで寄付が可能。
https://ffr.org.ua/support-in-crisis

・Voices of children
ウクライナの戦禍の子どもたちのサポート。主に心理的、心理社会的支援。サイトはウクライナ語、英語、ドイツ語、スペイン語。クレカ、グーグルペイなどで寄付が可能。
https://voices.org.ua/en/

・uahospitals
ウクライナの医療機関の支援窓口。ウクライナ各地の病院への医療資源の提供。サイトは英語。クレカによる寄付が可能。
https://4agc.com/fundraiser_pages/e9aca7e4-13d5-4e67-b6bd-548f94822793#.YhjmJ5PP0bn%E2%81%A0

interview with Francesco Tristano - ele-king

バッハは生涯一度もドイツから出たことがなくてね。110パーセント、ドイツ人ってひとで。ところが彼は世界じゅうの音楽を知っていた。イタリア音楽にも、イギリス音楽にも非常に興味を抱いていた。あの頃からもう、音楽は国境を越えていた、ということ。

 デリック・メイカール・クレイグとのコラボで知られるピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。2017年にはグレン・グールド生誕85周年を祝うコンサートに坂本龍一アルヴァ・ノトフェネスらとともに出演(翌年ライヴ盤としてリリース)、エレクトロニック・ミュージックとの接点を有する稀有なクラシック音楽家だ。その大きな特徴は感情を揺さぶるメロディと、クラブ・ミュージックのような躍動感あふれる鍵盤叩き・指使いにある。
 新作のテーマは古楽。ざっくり言えばバロック以前、中世やルネサンスの西洋音楽を指す用語だ。しかし解釈は一様ではなく、バロックを含めるケースもあるらしい。今回トリスターノがとりあげているのはピーター・フィリップス(1560頃~1628)、ジョン・ブル(1562頃~1628)、オーランド・ギボンズ(1583~1625)、ジローラモ・フレスコバルディ(1583~1643)といった、ちょうどルネサンスからバロックへの移行期(16世紀終わり頃から17世紀初頭)に活躍した作曲家たちである。フレスコバルディ以外はブリテン島の出身だが、当時の西洋ハイ・カルチャーの中心のひとつはフランドル(現在のオランダ、ベルギー、フランスにまたがる地域)だったため、ギボンズ以外はみな当地と深い縁を持っている(イギリス版チェンバロにあたるヴァージナルの音楽を手がけている点も共通)。
 まあなんにせよ、一般的な西洋クラシック音楽のイメージを特徴づけている狭義の調性(ハ長調とかニ短調とか)がはじまったのはバロックからなので、いわばその黎明期に活躍したひとたちと言えよう。その後クラシック音楽は長い調性の時代を経て無調へと至り、さらにはテープの切り貼りや極小単位の反復(調性の復活)、偶然性の導入など数々の前衛的試み・実験を繰り広げてきた。それら20世紀後半の「前進」を経て、いま古楽に向き合うことはなにを意味するのか?
 情感豊かな自身のオリジナル曲のあいまに、古楽や古楽を独自にアレンジした曲を織り交ぜつつ、他方でエフェクトも多用した『On Early Music』は、もしかしたらその答えのひとつなのかもしれない。今日的な引用精神? 失われた過去の復権? いやいや、パンデミックで移動が困難になった現代、鍵はどうやら「越境」にあったようだ。

原曲はヴィヴァルディだけれども、バッハはそうだとすら言わなかった。過去の時代がコピーレフトだったとしたら、現在の我々はコピーライトの時代を生きている。何もかも守られているし、ぼくたちはさらなる境界線を引いているわけ──知的財産権、ソフトウェアの知的所有権等々、いまやなんだってそうだ。で、ぼくはそれには反対でね。

お住まいはいまもバルセロナですか?

フランチェスコ・トリスターノ(以下FT):バルセロナとルクセンブルクを往復する状態だね。だから正直、いまの自分がどこに暮らしているのか、我ながらよくわからなくなってる(苦笑)。それに、ぼくは頭のなかでは常にどこか他のところにいるしね……。というわけで、いま取材を受けているのはルクセンブルクからとはいえ、ご覧の通り(と、ZOOM画面の背景に使われていた世界地図を振り返って)全世界が背後に広がっているわけで、ぼくはいたるところにいるし、と同時にどこにもいないんだ(笑)。

ルクセンブルク、あるいはスペインのコロナはどのような状況なのでしょうか? 人びとは自由に動け、買い物などは普通にできるのか、音楽イベントは開催されているのか、ロックダウンはあるのか、など教えてください。

FT:ああ、現時点で移動/外出規制はないね。バルセロナ、ルクセンブルク両国で規制はないけれども、唯一、いまも起きるのは──ぼくの子どもたちはまだ学童でね──学校で感染者が出たら、生徒は一定期間自主隔離することになる。感染例の数次第だけれども、2週間前に我が家も10日間、自宅で過ごした。学校で感染者が出たからね。でもまあ、ぼくたちもこの状況に慣れつつある──というか(苦笑)、世界のいまの働き方/動き方、そこにもうすっかり慣れっこになっているし。ただ、今回は欧州内での移動はそれほど規制が厳しくないから、そこはいい点だね、自由に動ける。

坂本(以下、□):音楽イベント、コンサート/リサイタルの開催状況はいかがでしょう? お客を入れて演奏はできるんですか?

FT:ああ、その土地次第で可能だよ。国ごとに状況は異なるわけだし、というかおなじ国でも、各地方によってちがう。たとえばドイツで言えば、エッセンといったドイツ北部は問題なしでも、バヴァリア(=バイエルン)地方のドイツ南部はたしか25パーセントしか観客を入れないといった具合だし、本当にどこにいるかに依る。スペインとルクセンブルクのカルチャーへの対応はこれまで非常によかったね、というのもスペインは、クラシック音楽とエレクトロニック音楽、そのどちらの会場も最初に再開許可した国のひとつだったから。たしか現時点では、エレクトロニック・ミュージックのイベントに関してはまだ規制があって、クラブやフェスの運営はむずかしいけれども、そちらもじきにノーマルな状態に戻るだろう、そう思っている。

今回の新作のきっかけになったのは日の出の時間帯の独特の「エネルギー」とのことですが、早朝ランニングはいまも続けているのでしょうか?

FT:(笑)ああ、もちろん! 日の出の「マジック・アワー」はランニングに最適な時間帯だ。たとえば今日は──いまはルクセンブルクにいるから、いつもと気候がちがってね。かなり冷えるし、雨も多い。でも、今朝は朝5時に家を出たから、あたりはまだ真っ暗な頃合いで、小さなフラッシュライトを携帯して林の中を走った。で、非常にエキサイティングな瞬間に出くわしてね──というのもたまに野生動物を見かけるんだ、シカだの、コウモリだの……。

(笑)いいですね!

FT:でも、今朝出くわしたもっとも美しいアート、それは鳥たちのさえずりを耳にしたことだった。いまは日の出の時刻も少し早まったとはいえ、少し前まで、本当にまだ朝が暗くてね、というのもルクセンブルクはかなり北、北緯49度に位置するから(訳註:北海道よりやや緯度が高い)。っていうか、きみ(通訳)はロンドンにいるから、それ以上に北だよね……。ともあれ、こちらは冬は朝8時頃まで明るくならないんだ、最近は8時より少し前に明るくなるようになったけれども。というわけで、いまの時期に早朝ランニングに出かけると、完全に真っ暗なんだ。日の出を目指して普段ぼくが走っているバルセロナに較べると、はるかに暗い。ところが今朝は、鳥たちのさえずりが聞こえたし、あれは素晴らしかった。ファンタスティックだった。

ロンドンでも、「夜明けのさえずり(dawn chorus)」は聞こえます。黒ツグミ、スズメ等々、きれいな歌ですよね。私も大好きです。

FT:うんうん。

ネオ・クラシカルは単純に間違い、用語として誤りだから。ネオ・クラシカルは20世紀の非常に明確な一時期を指すものであって、ストラヴィンスキー、プーランク、プロコフィエフといった作曲家たちが、クラシック期、すなわちハイドンやモーツァルトの時代にインスパイアされて音楽を書いた時期を意味する。

素人から見ると、クラシック音楽といえばイタリアか、バッハ以降はドイツ/オーストリアが中心に見えます。今回取り上げられているのは、ジローラモ・フレスコバルディを除けばみなイギリスの作曲家です。当時の「辺境」とまで言うと語弊があるかもしれませんが、16世紀頃のあまり知られていないイギリスの古楽にフォーカスした理由は?

FT:なるほど。まあ、ご指摘の通りだよ。クラシック音楽について語るとき、我々には大抵、イギリスの作曲家たちのレパートリーは思い浮かばない。けれども、イギリスのレパートリー/イギリス人コンポーザーというのは、非常に重要な存在なんだ。あの、後期ルネサンスの時代には、音楽世界の中心はイギリス、そしてベルギーとオランダにあったし、あれらのエリアから実に多くのクリエイティヴィティが発信されていた。あの当時、マスターに修行入りし学ぶべく、たくさんの人びとが目指した地もあそこだった。で、ときが流れ、現在ぼくたちはああした音楽とはあまり繫がっていない。というのも、さっききみが言ったように、クラシック音楽界にはドイツ、そしてイタリアに、フランスのものも多いと思うけれど、こうしたイギリスや欧州の北部──いわゆる Low Lands(訳註:低地。Low Countries とも呼ばれるネーデルラント地域の意。現在のベネルクス三国に当たるエリア)、オランダやベルギー産のものはあまり多くない。ああ、たぶん、そこにフランス北部も足していいかもしれない。ところが、これらの音楽は今回の作品に本当に大きな存在であり、ぼくがフォーカスをすべて当てた対象だったし、だからもちろんアルバムにフィーチャーされることになるだろう、と。ただ、ぼくにとってイタリア音楽は避けて通ることができなくてね。もちろんぼくはイタリア系だし、子どもの頃はイタリア人の祖母と暮らしていたし。ああ、それに、イギリス人作曲家の何人かも、イタリア名を名乗ったことがあったんだよ。イタリア人であることは当時それだけめちゃクールだったし、あるいは少なくとも「イタリア風の名前」であるのはかっこいいとされた。

(笑)

FT:いや、だからなんだよ! 本当の話で、たとえばピーター・フィリップスは、「ペトロ・フィリッピ(Petro Philippi)」を自称したしね。実際、ぼくが彼のスコアに出くわしたときも、「へえ、ペトロ・フィリッピっていうのか。イタリア人らしいな、どんな音楽だろう?」と思って少しリサーチしてみたところ、「このひと、イギリス人じゃないか!」と。

(笑)

FT:本名はピーター・フィリップスだった、と(笑)。そんなわけで、その点を指摘するのは本当に興味ぶかいことだと思う──ということは、当時の音楽的なクリエイティヴィティの中心地で生まれ、これらの素晴らしい音楽(いわゆるヴァージナル音楽)を書いていた彼らですら、「イタリアはイケてる。いちばんかっこいい」と考えていた、ということだからね。だからなんだ、このアルバムの文脈にイギリス人作曲家だけではなく、イタリア音楽も少し含めるのは面白いだろう、と思ったのは。いつも思うからね、ある意味ぼくたちはみんなイタリア人というか、イタリア系はみんなの中にちょっと混じっている、と(笑)。たとえばアルゼンチンに行くと、イタリア系が多いから(訳註:人種のるつぼであるアルゼンチンの人口は植民地時代の名残りでスペイン/イタリア系が多く、その6割近くに何らかの形でイタリア系が混じっているとされる)。

オーランド・ギボンズの曲は、『Glenn Gould Gathering』(2018)でも演奏していましたね。今回もそのときとおなじ曲を演奏しています。グールドもギボンズを好んでいたようですが、あなたがギボンズに惹かれる理由は?

FT:これらのピース、古楽は本当に、音楽全般に関して言って、自分にとっての初恋の相手のひとつだったからね。出会いは小さかった子ども時代にまでさかのぼるし、古楽(early music)・早朝の日の出(early sunrise)・幼少期(early childhood)と、実際、しっかり繫がっているんだ。で、これらのオーランド・ギボンズの作品をぼくはずーっと演奏してきたし、文字通り、ニューヨークに移った1998年頃、当時16歳だったけれども、あの頃からもうプレイしてきたくらいだった。いま言われた通り、たしかに坂本龍一の「Glenn Gould Gathering」(訳註:坂本龍一キュレーションによるグレン・グールド生誕85周年記念イベント)でも演奏して、あのコンサートはライヴ・アルバムとして発表されることになった。けれども、ぼくはずっと、自分自身のスタジオ・ヴァージョンを録音したい、そう思ってきたんだ。というのも、あれは本当に、非常に長い間ぼくのそばに付き添ってきた作品だし、ただ、これまできちんとしたスタジオ録音をする機会がなかった。ライヴで演奏したことはあるし、その実況録音は発表されているけれども、スタジオ録音ではない。プロダクションという意味で、今回はまったく別物なんだ。

私は未聴なのですが、あなたはフレスコバルディも2007年のアルバムで取り上げていたようですね。バッハは彼の「音楽の華(Fiori musicali / Musical Flowers)」で対位法を学んだそうですが、フレスコバルディの成し遂げたこととはなんだったのでしょうか?

FT:それはとても興味ぶかい質問だね。というのも、フレスコバルディは──フレスコバルディは何よりまず、ぼくの最愛のコンポーザーのひとりである、と。彼のことは本当に、もっとも驚かされる、もっとも素晴らしい作曲家だと思っているし、作品の今日性と興味深さを維持するための、実に驚異的なトリックをいくつも知っていたひとだった。で、そこには連続性があるんだ。というのも──そういえば、バッハは、生涯一度もドイツから出たことがなくてね。それくらい骨の髄までドイツ人、と。

(笑)

FT:(笑)。110パーセント、ドイツ人ってひとで、生涯ドイツで暮らした。ところが、彼は世界じゅうの音楽を知っていた。イタリア音楽にも、イギリス音楽にも非常に興味を抱いていたし、だから彼は “イタリア協奏曲” やジーグ(を含む “イギリス組曲” など)といった、ドイツ原産ではないさまざまな舞曲を作ったわけ。で、バッハはとりわけフローベルガー(ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー/Johann Jakob Froberger)の音楽に興味があってね。フローベルガーは作曲家で、ぼくの知る限り音楽的な神童で、フレスコバルディの門下生だった。だからこの、鍵盤楽器向けにどう作曲すればいいか、というスタイル面での連続性が存在するんだ。そのスタイルはときにスティルス・ファンタスティクス(訳註:stylus fantasticus。初期バロック音楽のスタイルのひとつ)とも形容されるけれども、実にクレイジーで装飾的なキーボード奏法というかな。鍵盤楽器は鍵盤を押しさえすればすごい速弾きができるし、達人奏法をやれる、と。あれは間違いなく、ぼくがフレスコバルディ経由でフローベルガーからヒントを得たところだったし、それより後の世代で言えばJ・S・バッハからもヒントを得た。こうしたことは本当に重要なんだ、音楽に国境はないと気づかせてくれるから。生涯母国から出たことのなかったバッハにも国境はなかったんだ、彼はイタリア風のスタイルで作曲していたんだしね。だからあの頃からもう、音楽は国境を越えていた、ということ。これは興味ぶかいことで──というのも、言うまでもなく日本には現在入国規制があって(訳註:取材時の2月上旬)、アーティスト本人は行くことができない。けれども、アートは渡っていけるし、音楽も自由に旅ができる。音楽は日本のひとたちにもシェアしてもらえるわけだし、この点はワンダフルだ。ぼく自身はいま、日本に行くことは許されない。けれども、ぼくの音楽が、願わくは日本の人びとのソウルに触れてくれればいいな、と。音楽はボーダーという概念を持たないし、ぼくたちにも国境/境界線はない。音楽は常に、国と国の間にまたがる境界線、それを越えて広がっていくものだから。

おっしゃる通りです。それは、音楽のジャンルにしてもおなじことかと思います。クラシック音楽、モダンなポップやロック音楽、ヒップホップにジャズ……いろいろとありますが、どれも要は、大きなひとつの「音楽」と呼ばれるものなわけで。

FT:その通り! うんうん。だからたぶん、国境であれなんであれ、固定したボーダーはない、ということ。ぼくのように、非常にコンテンポラリーな響きの古楽のレコードだって作れるわけだし──だから、関係ないっていうこと。

(笑)ですね。そんなあなたはある意味、密輸業者のいい例かもしれません。

FT:ハハハッ!

(笑)色んな音楽を密輸入/出するひと、というか。

FT:(笑)なるほど、密輸品ね。うん、それはいい。

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古楽はしばしば、本当に古めかしい、非常に難解で奇妙な、一種のオタク音楽として扱われる。ぼくにとって課題はその逆なんだ。いかにして古楽を若い人びとにとってセクシーなものにできるだろう? ということ。

ジョン・ブルもオーランド・ギボンズもおもに、パイプオルガンを用いる教会音楽か、あるいはイギリス版チェンバロであるヴァージナルを用いた世俗的な音楽(ヴァージナル音楽)の作曲家でした。今回、当時は存在しなかったピアノで演奏しており、またエレクトロニックな処理も為されています。もし、時代考証に基づいて当時の演奏形態を再現することを重視する古楽演奏家からクレームが来たら、なんと答えますか?

FT:ああ、もちろん。そうした「純粋主義者」がいることも、ある意味大切だとぼくは思っている。彼らは伝統を守っているからだし……まあ、それが音楽のピュアさを維持しているかどうか、そこは自分にはわからないけれども……。

「ピュアさ」がそもそも存在しないわけですしね。

FT:だから、そもそもあの当時の録音音源は残っていないんだし。時代考証を重視する純粋主義者たちがレコーディングした作品にしたって、果たしてそれがどこまで「当時」のままなのか、忠実なのかは、知りようがないわけで……。ほんと、ぼくたちにはわからないからね。ここで話しているのはいまから何百年も前の音楽のことだし、音源も動画も残っちゃいないから。でも、そうした批評に自分がどう答えるか? と言えば──ぼくは反応しない。クレームや批評には応対しない。ぼくは誰かに対して「思い知らせてやる」って思いや、あるいは自分の正当性を求めて音楽をやっているわけじゃないから。というか、向こうに興味があるならお互いのアイディアを論じ合うことだってできるし、そうやってどの要素が彼らを動揺させるのか、突き止めることだってできる。自分がレパートリーを不当に扱っているとは思わないし、というかその逆で、自分はレパートリーに奉仕していると思う。だから、バッハにしても──彼は他のコンポーザーの音楽を元に、それらの彼自身のヴァージョンをやったことがあった。たとえば彼のピアノ協奏曲のいくつかは、原曲はヴィヴァルディだけれども、それを異なる楽器向けに編曲したものだしね(訳註:ヴァイオリンとチェロのコンチェルトをピアノ/オルガン向けにアレンジ)。けれどもバッハはそうだとすら言わなかったし、「ヴィヴァルディから借りてきた主題」とすら明かさずに、単に “協奏曲第2番/作:ヨハン・セバスチャン・バッハ” としか書かなかった。いまや、ぼくたちはこうしたことからずいぶん隔たった地点にいるし、過去の時代がコピーレフトだったとしたら、現在の我々はコピーライトの時代を生きている(訳註:コピーレフトは、著作権は守りつつ、その二次利用や改作等を制限しないという考え方。コンピュータ・プログラムのソースコードから派生した発想)。何もかも守られているし、ぼくたちはさらなる境界線を引いているわけ──知的財産権、ソフトウェアの知的所有権等々、いまやなんだってそうだ。で、ぼくはそれには反対でね。さっきも話したように、音楽は境界線知らずだと思うし……もちろん、存命中のアーティストの音楽をサンプリング音源として無断使用する、それは問題だ。そこは明解にすべきだと思う。事実、ぼく自身、その点は非常にクリアにしているし──たとえぼくの利用する、あるいは借りてくる音楽の作家、彼らはとっくの昔に、何世紀も前に亡くなっていても。そうであっても、ぼくは “フランチェスコ・トリスターノのガリヤルド” ではなく、“ジョン・ブルのニ調のガリヤルドによって” と呼ぶ。ぼくはたしかにその音楽を用いているけれども、と同時にぼくはそこに揚力を与え、アップデートしてもいる。そうやって、古いものに文脈を作り出しているんだ。それはとても大事なことだと思う……これはレパートリーの別の活用法だ、ということであって、ぼくにはすぐに物事を「ダメだ」と決めつけるような批判的なところは一切ない。だから人びとに対しても、了見が狭いノリで批判しないことを期待する。それは、ぼくが音楽に対して自由に接しているからだし、もちろん、音楽は自由。音楽は、いったん楽譜に残されてしまえば、「どういう響きになるか?」なんて気にしないからね。というか、これらの作曲家たちは、自分の書いた作品が500年後も演奏されているなんて、考えすらしなかっただろうな。そんなわけで、うん、ぼくは今回取り上げた音楽で非常に自由にやらせてもらったし──もちろん、人びとにぼくの考え方に同意してもらうよう、彼らに強制するのは無理な話だし、中にはこの作品に多くの批判点を見出すひともいくらか出てくるのかもしれないよ? だけど、それはオーケイ、構わないんだ。自分の音楽の作り方は正しい、と証明する必要はぼくにはないと思っているし、そうした批判にわざわざ答えなくていいと思う。

新作のテーマはタイトルどおり古楽ですが、ご自身作曲の5曲は、現代的な情緒を表現しているように感じ、古楽的ではないように聞こえました(とくに8曲め “リトルネッロ” と14曲め “第2チャッコーナ”)。むしろ、ご自身の曲のあいまに、思い出のように古楽が挟まれている、という印象です。このような構成にしたのはなぜ?

FT:なるほど。今回のアルバムの取り組みで、ぼくは三つの異なる音楽制作の手順を踏んだ。ひとつは、古楽を相手に、書かれたままの100パーセントの形で演奏し、何も足さず何も引かず、忠実に演奏する、というもの。ふたつめは、古楽作品を用いて、そこから別の何かをリクリエイトする──ただし、原材料におなじものを使って。それに当たるのが “クリストバル・デ・モラレスの「死の悲しみが私を取り囲み」によって” や、“ジョン・ブルのニ調のガリヤルドによって”、“ジローラモ・フレスコバルディの4つのクーラントによって” になるし、これらの楽曲では異なるスタジオ技術を使い、様々な要素も足し引きし、もっとこう、「リミックスした」というのに近いと思う。三つめは、ぼく自身のコンポジション。そのすべてで古楽からインスピレーションを受けているし、中には非常に明確な「これ」という場合もある──ごく短い、ちょっとした要素だけれどね、ベース・ラインや、とある和音面のカデンス、あるいはリズムということだってある。たとえばチャッコーナは、音楽を回転させていくリズムのことだ。というわけで、これら三つの手順が『On Early Music』のトラック・リストを構成しているわけだけれども、聴いたひとの何人かからこんなことを言われたんだ──「何がすごいって、どれがきみの曲で、どれが古楽で、どれが新しい響きを持つものの昔の音楽なのか、わからなくなるところだ」ってね。すべて混じり合っていて、混乱してしまう、と。で、ぼくは言ったんだ、「それこそまさに重要なところ。このアルバムのポイントがそれなんだ」と。境界ははっきりしていない、というのかな? だって、境界線は存在しないから。これは一部に新しい音楽、ぼくの音楽も含まれる、古楽のアルバムだ。けれども本当のところ、これはぼくの音楽であって、ぼくの音楽の作り方。だから今回の音楽では、古楽を演奏するのであれ、古い音楽にインスパイアされた音楽を自分で新たに書くのであれ、古楽をベースにそれをリミックスする/自己流のコンテンポラリーなヴァージョンを作るのであれ、非常に自由にやったね。

ご自身のピアノにエレクトロニクスを合わせるとき、もっとも注意を払っていること、または苦労していることはなんですか?

FT:そうだなぁ……そんなにむずかしくはないんだよ。だから、ぼくにとってはそれらもすべて原材料みたいなものだし、その意味では料理をするのに近い。

(笑)

FT:たとえばぼくがキッチンに立つと、色んな食材を使って料理する。オリーヴ・オイルも使うし、ニンニク、塩……とさまざまな材料を用いて、実に多彩な結果が生まれてくる。音楽を作るときもそれとおなじなんだ、ぼくの手元には材料──もちろんニンニクやオイルじゃないけれども──リズム、メロディ、サウンドの音色、ハーモニー等があるし、それらの材料をちがうやり方で混ぜることで色々な成果が生じる、と。音楽の美しさがそれだね。で、その質問に関して言えば、たとえばこのアルバムではすべてのサウンドが、ひとつ残らずピアノでクリエイトされている。シンセサイザーもドラム・マシンも使っていないし、ほかの楽器は一切使わずピアノのみ。けれどもいったんピアノのサウンドを録ったところで、ぼくがスタジオを用いて何をするかと言えば、それらのサウンドに手を加え、別の形に変えることができるようになる。これもまた、ぼくたちは境界をぼやかしているということ、アコースティック・ピアノとは何か? エレクトロニックなスタジオ技術とは? というふたつの境目を曖昧にしているってことなんだ。ぼくの好きなのがそれなんだ、そうやって自分のサウンドをクリエイトするのが大好きだし、過去10年以上にわたりやってきたこともそれだ。だから、それらのテクニックを行き来しながら作業をしているとき、何かがここで終わり、そして別の何かがはじまる……という境目はあまり明瞭ではないんだ。

クラシック音楽とエレクトロニック・ミュージックを融合した音楽を指すときに、しばしば「モダン・クラシカル」ということばが用いられます。この語がはらむ矛盾について、どう思いますか?

FT:まあ……いいんじゃない(苦笑)? 素晴らしい形容ではないけれども、ただ、「ネオ・クラシカル」と呼ばれるよりはいいと思う。というのも、ネオ・クラシカルは単純に間違い、用語として誤りだから。ネオ・クラシカルは20世紀の非常に明確な一時期を指すものであって、ストラヴィンスキー、プーランク、プロコフィエフといった作曲家たちが、クラシック期、すなわちハイドンやモーツァルトの時代にインスパイアされて音楽を書いた時期を意味する。とはいえ、彼らは和音やオーケストレーションを過去から変え、それがネオ・クラシカル=新古典主義になった。本来の意味はそれだし、だからあのタームだけだな、ぼくが「それはちがう」と感じるのは。それに、「クロスオーヴァー」もあんまり好きではない。というのも、あれもまたはっきりした意味のある用語だし、あれはたしか60年代後期~70年代初期にかけて……いや、50年代後期からだったかな? ともかく、ジャズ・ミュージシャンの名声が高まり、彼らが初めてクラシック音楽のコンサート・ホールで演奏するのを許されたときのことを意味する。多くはアフリカン・アメリカンのミュージシャンだった彼らが、装いも変え、白人聴衆を相手にクラシック音楽の会場で演奏するようになり、カーネギー・ホールでジャズが演奏されるようになったのもここからだった。クロスオーヴァー(横断)が指すのは、そのことだ。だから、その本来の意味とは較べようがないと思うね、そこにはもともと、非常に異なる社会的なニュアンス・文脈がふくまれていたわけで。で、モダン・クラシカルという言葉は、たしかに矛盾している。けれども、この世の中に矛盾することはいくらだってあるわけだし。ぼくたちも日々、数限りない矛盾と関わっているんだし、そう考えれば、モダン・クラシカルはぼくとしても許せる矛盾だし、と。それに「ニュー・クラシカル」もありだし、「コンテンポラリー・クラシカル」だって大丈夫。っていうか、たぶんコンテンポラリー・クラシカルがぼくのいちばん好きなタームだろうな、というのもあれは、コンテンポラリーな音楽でありつつ、アコースティックなサウンドを思い起こさせる何かの備わった音楽、という意味になるから。だけど、ほんと──ごく正直なところを言わせてもらうと、ぼくはこれらの言葉を、まったく気にしちゃいないんだ。

(笑)

FT:これらのいろんなレッテルはね。さっきも話したように、音楽は自由を意味するし、だからぼくたちにレッテルは不要。ミュージシャンとしてのぼくたちには、必要ない。まあ、もしかしたら、レコード・レーベル、あるいは音楽雑誌にとっては、受け手の注意を何かに向けて喚起するためにレッテルを貼る必要があるのかもしれないよね? ただ、我々コンポーザー、パフォーマー、音楽家にしてみれば、レッテルは要らないんだ。

ぼくたちは音楽的に何もかもが起きた後の、汎エヴリシング的な時代に生きている──ストリーミングのアプリを持っていれば900年ぶん近いレパートリーを聴くことができるし、しかもワン・クリックで済む。それはグレイトな点だけれども、同時に危険な点でもある。というのも、ぼくたちはフォーカスを失ってしまうから。

クラシック音楽の歴史は前進の歴史でした。20世紀後半にはテープを用いた音楽、偶然性の音楽など、さまざまな「前衛」と「実験」がありました。それらを経た後の現代において、古楽に取り組むことはどのような意味を持ちますか?

FT:たぶん、その理由のひとつは、古楽はしばしば、本当に古めかしい、非常に難解で奇妙な、一種のオタク音楽として扱われるからじゃないかと。要するに、マニアックな古楽ファンのために演奏されるマニアックな音楽、というか。けれどもぼくにとっては、課題はその逆なんだ。いかにして古楽を若い人びとにとってセクシーなものにできるだろう? どうやったらアクセスしやすく、かつ、彼らにとって魅力的な音楽にできるだろう? ということであって。そうすることで、彼らにも「わぁ、知ってすらいなかった、こんな音楽の世界がまるごとひとつあるとは!」と気づいてもらいたい。きみの言うように、ぼくたちは音楽的に何もかもが起きた後の、汎エヴリシング的な時代に生きているよね──ストリーミングのアプリを持っていれば600年ぶんのレパートリー、いや、グレゴリオ聖歌からはじまる900年ぶん近いレパートリーを聴くことができるし、しかもワン・クリックで済むわけだから。しかも、きみが携帯電話のアプリでスピーカーから音楽を流している一方で、兄弟、あるいは母親も家の中でおなじことをやっていて、でも、彼らは別の時代の別の音楽を聴いている。そうやってふたつの音楽が混ざり合うわけで、いまはミックス・エヴリシングな、何もかもが一斉に起きている時代だ、と。で、それは今日(こんにち)のグレイトな点だけれども、と同時に、ある意味危険な点でもある。というのも、ぼくたちはフォーカスを失ってしまうから。なんだってワン・クリックで聴くことができるとなれば、ぼくたちのアテンション・スパンだって15秒とか、30秒に縮まってしまうだろう。で、今回やったレコーディング作業でぼくが気に入っている点のひとつは、それがかなり特定されていたところでね。ぼくのとてもオープンな、あるいはフリーで不特定な、と呼んでもらってもいいけれども、そういう音楽の作り方においては、あれはかなり厳密だった。というのも、本当に自分の注意力・関心のすべてをあれらのレパートリー群、500年も前に生まれたものに対して注いだわけだから……。けれども、あの音楽を作ったのは2021年であって、こうして2022年に発表することになったわけで、うん、そこにはきっとコンテンポラリーな魅力があるはずだよ。

2年ほど前のインタヴューで「ふだんテクノやエレクトロニック・ミュージックを聴いているひとにおすすめの、最近のクラシカルの音楽家を教えてください」と質問したところ、ブルース・ブルベイカー(Bruce Brubaker)を推薦してくださいました。今日もまたおなじ質問をしたとしたら、答えもおなじになりますか?

FT:(笑)音楽を作っている友人はたくさんおすすめできるよ! 音楽における自由に関するぼくの視点を共有している友人たち、特にクラシック音楽界の人びとを──まあ、他にいい形容がないからそう呼ぶけどね、「クラシック音楽界」って、なんのことやら(苦笑)。そうだな、ちょっと考えさせてくれる? ここ最近、自分がよく聴いている音源のひとつと言えば……待って、携帯をチェックしてみるよ(と、端末を引っ張り出し画面をスクロールする)……ストリーミングのアプリを起動しようとしてるんだけど、少々時間がかかっていて……。

テクノやエレクトロニック・ミュージック好きなひとにおすすめのクラシック作曲家、ではどうでしょう?

FT:(携帯画面を眺めながら)オーケイ! そうだね、最近ぼくが聴いているのは……あ、ちなみにひとつだけ指摘すると、ブルース・ブルベイカーはコンポーザーではなく、彼はピアニストだよ。

失礼しました。

FT:彼は他のアーティストの音楽を演奏するミュージシャンで、たとえばフィリップ・グラス、先日85歳になったばかりのはずだけど、彼の作品なんかを取り上げている。さてと……いま、ぼくはガーション・キングスレイの音楽に非常に興味があるんだ。

そうなんですか! それは意外な……。

FT:キングスレイは世界的にとても有名な、ほとんど誰でも知っている音楽を書いたけれども、それが彼の作品だとは誰も知らない、という。とても興味ぶかいよ、この “ポップコーン” という曲は本当に有名だし、何度も繰り返し、色んな形で使われてきた。80年代にセガのヴィデオ・ゲームで使われ、テレビ番組の主題歌になったり。で、基本的に彼は世界初のシンセサイザー・オーケストラを作り出したひとなんだ、最初のシンセ・バンドをね。だから、書いたのはクラシック音楽だったのに、それをシンセサイザーで演奏したからクラシックに聞こえなかった。で、“ポップコーン” の原曲音源、1968年にレコーディングされたと思うけど、あれはまるでつい昨日作られたもののように響く。本当にタイムレスな音楽だし、「音楽は時間を超越する」の実に素晴らしい例じゃないかと思うよ、いちいち「これはクラシック音楽」、「非クラシック音楽」、「新たなクラシック音楽」云々のレッテルを貼る必要がない、というか。音楽にはこの、「時間の枠組み/国境/スタイル面での境界線を守らない」資質が備わっているということだし、うん、ここ最近のぼくはカーション・キングスレイの音楽にかなりハマっているね。それに、彼もクラシック音楽の主題を使っていろいろやったことがあってね。ベートーヴェンの “エリーゼのために” のヴァージョンや、いくつかバッハも取り上げたり。すごくファンキィなものがあるから、ガーション・キングスレイの音楽はおすすめだ。

質問は以上です、今日は本当にありがとうございました。

FT:こちらこそ。

あながたコンサートのために日本に行ける日が、なるべく早く来るのを祈っていますので。

FT:うん、ぼくもだよ、そうなればいいね!

Jenny Hval - ele-king

 それまで足場にしていたブルックリンの〈Sacred Bones〉を離れ、ロンドンの名門〈4AD〉へ移籍することが報じられたのが去る11月。言葉とサウンド、その両面で高い評価を得てきたオスロのシンガー/プロデューサー、昨年はロスト・ガールズとしてもすばらしいアルバムを送り届けてくれたジェニー・ヴァルの新作がリリースされる。それに先がけ、ほのかにアフロを感じさせる新曲 “Year of Love” のMVも公開。“Jupiter” に続きまたも意味ありげな映像に仕上がっています。発売は3月11日。楽しみに待っていよう。

JENNY HVAL
ジェニー・ヴァル〈4AD〉移籍第一弾アルバム3月11日発売決定
同作より新曲「Year of Love」MV解禁!!

2019年にリリースされた前作『The Practice of Love』が絶賛され、ホーヴァル・ヴォルデンとのユニット、ロスト・ガールズでの活動も高い評価を獲得している北欧アヴァン・ポップの至宝ジェニー・ヴァルが最新アルバム『Classic Objects』を3月11日に〈4AD〉よりリリース。同作より作品の冒頭を飾る「Year of Love」のMVが解禁された。

Jenny Hval - 'Year of Love'
https://youtu.be/2i2oJJwgLTk

〈4AD〉デビュー曲「Jupiter」に続く今回のシングルは、ポール・サイモンの『The Rhythm Of The Saints』を彷彿とさせるパーカッシヴなサウンドスケープにヴァルのシルキーな歌声がたなびく楽曲で、ライヴ・パフォーマンス中に目の前でオーディエンスから求婚されたという実話に基づき、この困惑から既婚者であるプライヴェートな自分とアーティストとしての自分の関係性を問うアイデンティティの探求をテーマにしている。また、MVはヴァルとジェニー・バーガー・マイハー、そしてアニー・ビエルスキーの3人によって監督された。

パンデミックによりアーティスト活動が中断されたことによって、音楽や芸術活動がいかに不安定な労働であるかという普通の人間として当然抱く感覚を経たことによって、とにかくシンプルな物語を書くことにフォーカスしていったという本作はどの曲にも透明感と高揚感のあるヴァースとコーラスが存在するポップ・アルバムへと昇華されていった。また、アルバムは前作に続き坂本龍一やビョークといった大物アーティストからアレックスGやプーマ・ブルーといったインディ・アクトまで幅広く手がける才媛ヘバ・カドリーがエンジニアを務め、作品の神秘性を引き出している。

2022年3月11日(金)に世界同時発売となる最新作『Classic Objects』の国内流通仕様盤CDには解説および歌詞対訳を封入。アナログ盤は通常盤に加え、数量限定ブルー・ヴァイナルが同時リリース。本日より各店にて随時予約がスタートする。

label: BEAT RECORDS / 4AD
artist: Jenny Hval
title: Classic Objects
release date: 2022/03/22 FRI ON SALE

CD 国内仕様盤
 4AD0431CDJP(解説・歌詞対訳付) 2,200円+税
CD 輸入盤
 4AD0431CD 1,850円+税
LP 限定盤
 4AD0431LPE(Blue Vinyl / LTD) 2,850円+税
LP 輸入盤
 4AD0431LP 2,850円+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12331

You'll Never Get To Heaven - ele-king

 なぜ私たちが来たのか
 いつだってうまく思い出せない
 わからない
 私たちはなぜ来たのだろう
ブライアン・イーノ“バイ・ディス・リヴァー”

 “バイ・ディス・リヴァー”は、曲もいいが歌詞もいい。人生の真理だ。イーノが1977年にリリースした『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』の収録曲で、ドイツの電子音楽デュオ、クラスターとの共作としても知られているこの名曲をカヴァーしていのがアルヴァ・ノト&坂本龍一、マーティン・ゴア(デペッシュ・モード)、それからエレキングでお馴染みのイアン・F・マーティンと、ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン(以下、YNGTH)というシニカルな名前で活動するカナダの電子音楽デュオである。
 YNGTHは、2012年にデビューして以来、2014年にくだんのカヴァーをふくむシングルを1枚、それから2017年にセカンド・アルバムを出しているだけで、だからこの10年で本作を入れてわずか4作品しかないのだが寡作家というわけではない。メンバーのチャック・ブレイゼヴィックは、ドリームスプロテイション、スロー・アタック・アンサンブルというふたつのプロジェクトでも活動している。前者はエレクトロニック、後者はクラシカルで、両者ともに音数は少なく、ともに空間があり、とにかくドリーミーだ。要するにサウンドの指向性は、YNGTHとさほど変わらなかったりする。スタイルがアンビエントであろうとシンセポップであろうとクラシカルであろうと、彼らの音楽は蒸気であり、綿であり、夢のなか。「You'll Never Get To Heaven=決して天国へは行けない」というバンド名は、反語なのである。
 
 あてどなく歩き、ふと気がついたら川辺にいる。前に進めず立ち止まり、空を仰いで、どうしてここに来たのか理由が思い出せないことをそのとき知る——カフカめいた人生観を彷彿させるこれがイーノによるオリジナル版“バイ・ディス・リヴァー”だと言うのなら、YNGTHによるカヴァーは、川辺で立ち往生しながら別次元に入って気持ちよくなってしまっている。思い出せないことは快楽とでも言うかのように。そう、天国にしか行けない。
 もっとも、ドリーミーではあるが潔癖症的で、なるほど日本の「環境音楽」に影響を受けたという話も頷けなくもないのだが、かつては、彼らのサウンドからレイランド・カービー(ケアテイカー)めいた“幽霊たちのボールルーム”を引き出した人もいたのだった。たしかに、少し手を伸ばせばボーズ・オブ・カナダやブロードキャストにも届くのかもしれない。が、他方ではエリック・サティのカヴァーもしている彼らのアンビエントには上品な静寂があり、癒やしもあり、滲むように広がるアリス・ハンセンのささやき声は、彼らの美しい空間を演出する一要素として機能している。『降雪列車にあなたの月光帽子を振る』というタイトルはノスタルジーというよりはシュールであって、じっさいこれは詩的な音楽でもある。
 まあ、好きなように解釈すればいいだけの話だ。1年の終わりというのはとかく感傷的になりがちで、ひとりでこの音楽に浸るにはもってこいの時期だったりもする。いやー、なにかと疲れました。我々はyahooニュースやそのコメント欄や新聞の見出しのなかに生きているのではない。ときには休息、川辺に佇むことが必要なのだ。

Alva Noto - ele-king

 グリッチとパルス。ノイズとリズム。グリッドとドローン。厳密な建築と設計。それらの組み合わせによるミニマルな電子音響音楽。そのむこうにある濃厚なノスタルジア。未来。カールステン・ニコライが20年以上にわたって生み出してきたミニマルなエレクトロニック・サウンドは、電子音響におけるパイアニアのひとつとして現在進行形で君臨している。
 しかしそのサウンドはけっして固定化していない。常に変化を遂げている。90年代のノト名義のノイズとパルスによるウルトラ・ミニマルなサウンドスケープ、00年代以降のアルヴァ・ノト名義で展開されたグリッチと電子音とリズムの交錯によるネクスト・テクノといった趣のトラック、そして透明なカーテンのような電子音響以降のドローン/アンビエント作品、坂本龍一とのコラボレーション作品で展開するピアニズムと電子音響が交錯し、高貴な響きすら発している楽曲、言葉が電子音響のなかで分解され、リズミックな音響ポエトリー・リーディングにまで昇華したフランスの詩人アン=ジェームス・シャトンとの共作アルバムまで、どの音楽も電子音楽・電子音響の領域を拡張するものである。

 そして本年リリースされた新作アルバム『HYbr:ID Vol.1』は、カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトのアルバムの中でも一、二を争う傑作ではないかと思う。もちろん、カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトのアルバムはどの作品もクオリティが高い。だが本作では彼がこれまでおこなってきた実験の数々が、極めて高密度で融合しているように感じられたのだ。ちなみにリリースはカールステン自身が主宰する〈noton〉からである。

 このアルバムの楽曲は、もともとは19年にベルリン国立歌劇場で上演されたリチャード・シーガルの振付/演出のベルリン国立バレエ団によるコンテンポラリー・バレエ作品「Oval」のためにカールステン・ニコライがアルヴァ・ノト名義で作曲した音源である。
 「コンテンポラリー・バレエのための音楽」という制約の多いなかで、彼は自身がこれまで培ってきた技法のすべてを投入しているような音響空間を生成していく。00年代以降に展開された「uni」シリーズのリズム/ビート、「Xerrox」シリーズのアンビエント/ドローンが、まさにハイブリッドな音楽技法によって見事に統合されているのだ。まさに00年代~10年代のカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトの総括にしてネクストを指し示すようなアルバムなのである。

 透明な電子音、パルスのようなリズム、微かなノイズが空間的に配置され、重力と無重量を超えるようなサウンドスケープを展開している。加えて本作ではコンテンポラリー・バレエのための電子音響という面もあるからか、反復の感覚(コンポション)がこれまでのカールステン・ニコライのトラックとはやや異なり、反復と非反復を往復するような構成になっているのだ(どこか故ミカ・ヴァイニオの音響を思わせるトラックに仕上がっているのも興味深い)。いままで聴いたカールステンのサウンドを超えるような音にも思えた。ミニマルと反ミニマル。反復と非反復。人間と機械などの相反するもの、まさに「ハイブリッド」なサウンドスケープが展開されていたのである。

 レーベルのインフォメーションによると、「映画のような映像技術とハドロン、ブラックホール、コライダーなど、トラックタイトルにもなっている科学的事象が描かれた静止画像にインスパイアされたという作品で、天体の物理現象やフィクションをダンスの動きを結びつける形を模索しながら制作が行われた」という(https://noton.info/product/n-056/)。
 いわば自然現象とテクノロジカルな技術と20世紀以降のアートフォームを援用しつつサウンドを生成し、それを人間の肉体の運動に落とし込むというようなことがおこなわれているのだろうか。それは先にあげた反復(機械)と非反復(人間)の交錯に結晶しているのかもしれない。

 アルバムには全9トラックが収録されている。いかにも10年代のアルヴァ・ノト的な2曲目 “HYbr:ID oval hadron II” もまるで魅力的だが、「Xerrox」シリーズ的なアンビエンス感覚に非反復的なサウンドが交錯し、透明でありながら不穏なムードを放つ3曲目 “HYbr:ID oval blackhole” が何より本アルバムのサウンドを象徴しているように思えた。いわば不安定、非反復の美学とでもいうべきか。
 この曲を経た4曲目 “HYbr:ID oval random” では自動生成するような細やかなリズムがクリスタルな電子音響とミックスされていく。5曲目 “HYbr:ID oval spin” では “HYbr:ID oval blackhole” のようなサウンドをより緻密にしたような音響空間を展開する。不定形に放たれる音の粒といささかダークなトーンの電子が交錯し、まるで映画のサウンドトラックのように聴こえてくる。
 以降、アルバムはまるで仮説と証明を繰り返すように、もしくは演算をおこなうかのように、リズムとアンビエントが交錯し、緻密に、そして大胆に音響世界を展開していくだろう。どこまでも澄み切ったクリアでクリスタルな音は、聴く側の知覚を明晰に磨き上げてくれるような感覚を発していた。聴いているととにかく「世界」が明晰に感じられるのだ。

 そしてアルバムはクールネスな温度を保ったまま、しかし次第にテンションを上げつつクライマックスといえる9曲目 “HYbr:ID oval p-dance” に至る。ここでカールステンは惜しげもなく近年のアルヴァ・ノト的な(つまり「uni」シリーズ的な)ミニマルにしてマシニックなリズム/ビートを展開している。もちろん、これまでアルバムを通して培ってきた不穏な電子音響ノイズも、しっかりとトラックに仕込まれている点も聴き逃せない。まさに20年以上に渡る彼の技量が圧縮したようなトラックといえよう。ラストの10曲目 “HYbr:ID oval noise” では、規則的に打たれる低音に、まるで人口の雨や風のような電子音響が重なり、透明な夜とでも形容したいほどの音響空間を構築する。圧倒的なサウンドスケープだ。

 “HYbr:ID oval noise” に限らず本作はどこか天候や宇宙などの超自然現象を電子音響でシミュレートしているような雰囲気がある。それがカールステンのミニマム/マシニックな音世界をよりいっそう深く、大きなものに変化させたたのではないか。未来の電子音響世界など誰にもわからないが、しかし、このアルバムの音に未知と既知が交錯しているのは違いない。音楽はまだまだ進化する。そんな「可能性」を感じさせてくれる稀有なアルバムといえよう。

 「ハイブリッド」シリーズのVol.1と名付けられていることからも想像できるように、このシリーズもまた続くのだろう。期待が高まる。

Ryuichi Sakamoto + David Toop - ele-king

 薄灯りの、仄暗い空間を、ゆっくりと行き先を探りつつ、しかし確信を持った足どりで進むかのごとき音の交錯、ざわめき。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープの演奏(いや音の生成とでもいうべきか)を記録した音響作品『Garden of Shadows & Light』には、まさに静謐な音の対話のようなサウンドスケープが生まれていた。

 リリースはロンドンのエクスペリメンタル・レーベルの〈33-33〉からだ。カタログ数はそれほど多くないレーベルだが、灰野敬二とチャールズ・ヘイワードの共演盤などをリリースするなど、その厳選されたキュレーションが魅力的なレーベルである。
 それにしてもなんて美しいアルバム・タイトルだろうか。その名のとおり本作『Garden of Shadows & Light』にはサウンドによる陰影の美学がある。坂本とトゥープが鳴らす音たちの群れは、淡く、微かにして、しかし強い。偶然の豊かさを消し去ることもない。フラジャイルな音にすらも、豊穣な気配が生まれているのだ。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープは音の時間のなかを思索的に、もしくは遊歩的に進む。音の気配に敏感になり、耳をそばだて、繊細な手仕事のように音のオブジェクトを組み合わせる。そうして静謐で濃厚な音響空間が生成されていく。
 冒頭、何か叩くような、カーンと澄み切った音が鳴り響く。それに応えるかのように、やや小さな音がカツンと鳴る。やがて何かを擦る微細な音が鳴り、弦の音の残滓のような音も聴こえてくる。音はやがて音楽の原型のような響きへと変化するが、しかしそれはノイズのテクスチャーのなかに溶け込んでいく。そしてまた別の音がやってくる。彼らふたりは音を招き寄せている。

 本作には「音が訪れる」感覚がある。「おとがおとずれる」「音が音ズレる」とでも書くべきか。非同期の音たちの群れ。しかしひとつの大きな(ミニマムな?)時間を共有もしている。そのズレと時間の交錯が、音の気配を豊かにする。
 このレコードの秘めやかで、大胆な音の生成、対話、群れに耳を澄ます私たちもまた彼らが生成する音の時間に引き込まれ、音の変化、歩みを共にし、音の存在に敏感になるだろう。一音一音の存在に驚き、まるで一雫の水滴の音を聴くように静謐な時間をおくることにもなるだろう。

 『Garden of Shadows & Light』は、2018年、ロンドンはシルヴァー・ビルディングでおこなわれたライヴの録音である。映像も配信されていたので、すぐに観たことを記憶している。私は「手仕事としての音響工作」を満喫した。これぞブリコラージュと感嘆したものだ。
 なによりテクノ(ポップ)以降、20世紀後半における電子音楽のレジェンドである坂本龍一と、批評家、キュレイターとして、そしてサウンド・アーティストとしても長年に渡って活動を展開する才人デイヴィッド・トゥープとの饗宴には大いに興味を惹かれたのである。
 それから三年の月日が流れ、いまや伝説的な演奏となった音源が本年「録音作品」としてリリースされた。いま、こうしてレコード作品となったふたりの「演奏」を改めて聴き込んでみると、配信されたライヴ映像とは異なる印象に仕上がっていたことに驚きを得た。もちろん音は同じだ。しかしサウンドがもたらすパースペクティヴや時間が新鮮なのである。視覚情報が欠如されたことによって、音に対する認識が変わったのかもしれない。
 加えて坂本龍一とデイヴィッド・トゥープのこの音響ノイズ演奏には、音楽家における老境の境地が横溢していたことにも気がついた。特に本作に限らず近年の坂本の「音そのもの/音それじたい」をコンポジションするようなサウンドからは、まるで「音響のモノ派」、もしくは音の「侘び寂び」を感じた。音それ自体への感覚が横溢し、肉体性から離れ、音やモノや空気としめやかに同一化するような音響が生まれているのだ。突如として音が鳴り、それが静謐な空間性に即座に融解し、持続の只中に溶け込んでいく。音が刹那と永遠のあわいにある。
 まさに「音の海」(トゥープ)と「async」(坂本龍一)の融合か。もしくは消尽の美か。自分などはこのアルバムを晩年のサミュエル・ベケットに聴いて欲しかったと思ったほどである。もしくは武満徹に聴いてほしかったとも。武満ならばこのアルバムの、演奏の、そしてサウンドスケープを大絶賛したのではないか。

 西洋音楽を学んだ日本人音楽家が安直なオリエンタリズムに陥ることなく、日本、東アジアの音響・音楽を実践すること。それによって「世界」という場に立っていること。これは本当に稀有なことだ。坂本龍一は音そのものの原質に触れようとしている。
 00年代以降のアンビエント/ドローンを基調とした音楽作品を生み出した坂本龍一は、まずもってここが重要なのだ。高谷史郎と坂本龍一のオペラ『TIME』の東洋と西洋、ネットフリックス配信の『ベケット』の職人的な音楽のなかに不意に満ちるドローン、『ミナマタ』の西欧的和声のむこうに交錯する無時間的な響きの交錯など、近年の坂本龍一の仕事は、どの作品も西欧と東アジアが透明な水と空気のなかで清冽に鳴り響くような音楽/音響を生み出している。
 そう考えると2018年の時点で、このような音を鳴らしていた本アルバムの録音はとても重要に思えてくる。2017年の『async』から2020年代の坂本龍一の音をつなぐ音。対して西洋人であるトゥープが、これほどまでに非西欧的なノイズ・音響・時間感覚を発露できることに深い知性と卓抜な感性を感じた。

 物質、空気、微かな光、闇、空間、静謐さ。時間、非同期。音。まさに「Gardens of Shadows & Light」。そう本アルバムには21世紀の「陰翳礼讃」の感性にみちている。薄暗い光と陰影の美学がここにある。

地点×空間現代 - ele-king

 ただいまわが国は国会討論の真っ只中なわけですが、経済政策は切実な問題のひとつです。安倍政権時代を通して、日本の貧困率は先進国では中国、アメリカに次いで3番目に高いという、深刻な問題になってしまったのです。そんな時代の空気に合っているとしか思えないゴーリキーの『どん底』、あるいは、インターネット社会における引きこもりにも通じるドストエフスキーの『地下室の手記』などを京都を拠点に活動する劇団「地点」(https://chiten.org/)が音楽バンド「空間現代」とともに、吉祥寺シアターにて連続公演します。
 上演するのは上記の2作のほか、革命への思いと絶望が交錯するブレヒトの戯曲『ファッツァー』、太宰治の『グッド・バイ』も同時上映。どの作品もじつに興味深いです。
 期間は11月18日から12月9日まで。4作が順番に上映されます。『どん底』は11月18 日〜21日、『地下室の手記』は11月25日〜28日、『ファッツァー』は12月2日〜12月5日、『グッド・バイ』は12月9日〜13日。詳しくはホームページを参照してください。URL https://chiten.org

レパートリー連続上演 全公演共通
■会場
吉祥寺シアター
180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町 1-33-22 TEL. 0422-22-0911
■チケット発売日
2021 年 10 月 23 日(土)
■料金 (全席指定席)
一般 前売 3,800 円/当日 4,300 円
学生 前売 3,000 円/当日 3,500 円
4 演目セット券 前売のみ 13,000 円 *地点のみ取扱・枚数限定
■チケット取扱
https://teket.jp/events
*「地点」で検索
*クレジットカード及びコンビニ決済
▽武蔵野文化事業団
https://yyk1.ka-ruku.com/musashino-s/
TEL.0422-54-2011(9:00-20:00)
▽ローソンチケット
https://l-tike.com/chiten2021/
▽演劇最強論-ing (手数料無料、チケット代のみで購入可)
https://www.engekisaikyoron.net/
▽地点
https://chiten.org/
(4演目セット券のみ取扱・申し込み後に銀行振込が必要になります)
新型コロナウイルス感染症の拡大防止策についてご確認のうえ、ご来場ください。
■お問合せ 地点 075-888-5343 info@chiten.org


地点(ちてん)
演出家・三浦基が代表をつとめる。既存のテキストを独自の手法によって再構成・コラージュして上演 する。言葉の抑揚やリズムをずらし、意味から自由になることでかえって言葉そのものを剥き出しにす る手法は、しばしば音楽的と評される。2005 年、東京から京都へ移転。2013 年には本拠地・京都に 廃墟状態の元ライブハウスをリノベーションしたアトリエ「アンダースロー」を開場。レパートリーの 上演と新作の制作をコンスタントに行っている。2012 年にはロンドン・グローブ座からの依頼で初の シェイクスピア作品『コリオレイナス』の上演を成功させるなど、海外での評価も高い。2006 年、ミ ラー作『るつぼ』でカイロ国際舞台芸術祭ベストセノグラフィー賞受賞。2017 年、イプセン作『ヘッ ダ・ガブラー』で読売演劇大賞作品賞受賞。

空間現代(くうかんげんだい)
2006年結成。メンバーは野口順哉(gt/vo)、古谷野慶輔(ba)、山田英晶(dr)。編集・複製・反復・ エラー的な発想で制作された楽曲を、スリーピースバンドの形態で演奏。これによるねじれ、 負荷が 齎すユーモラスかつストイックなライブパフォーマンスを特徴とする。地点との共同制作にブレヒト作『ファッツァー』(2013年)、マヤコフスキー作『ミステリヤ・ブッフ』(2015年)、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』(2017年)。2016年、京都・錦林車庫前にライブハウス「外」をオープン。2018年11月3日に空間現代×坂本龍一『ZURERU』をリリース。2019年5月、最新アルバム『Palm』をリリース。2019年度、京都市芸術文化特別奨励者。

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