ミス・レッドとザ・バグは、トレンディなことをやろうなどという気はさらさらない。彼らはとにかく、キレッキレのライムとビートが欲しいだけ。ダンスホールでぶっ飛ばしたい、限界まで、まずはそれ。
『K.O.』はそのヴィジュアルもサウンドも、いまどき珍しくアグレッシヴなアルバムだ。もちろんアンダーグラウンドではダンスホールは再評価/再解釈の兆しを見せている。ジャマイカのイキノックスがそうだし、Raimeのような暗黒系のプロデューサーもダンスホールのカセットを出したこともそうだし、ジャングルやグライムにはつねにその成分がミックスされている。
ザ・バグのダンスホールはまた特殊だ。なにしろ最初はエイフェックス・ツインが関わっている〈Rephlex〉からのリリース。2003年のそのアルバム『Pressure』がダンスホールだった。以来彼はいろんなMCといっしょにラガ、ダブ、テクノの実験を続けている。そのなかにはUKが生んだ素晴らしい女性MC、ウォーリアー・クイーンと一緒にやった一連の12インチやフロウダンとキラー・Pをフィーチャーした「Ganja」のような忘れがたい名作もある。つまり『K.O.』は、彼のダンスホール歴の新たなる栄光の1ページとなるだろう。
イスラエル出身の、あり得ない早口で、キレッキレの声をしたこのMCのアルバム『K.O.』は、数ヶ月前にリリースされると日本でも話題になった。そして9月の上旬、ベルリンのそれぞれ別の場所にいるミス・レッドことシャロン・スターン、ザ・バグことケヴィン・マーティンとスカイプ上で合流し、21世紀的な取材をした。
イスラエルのヤッファという場所の小さいパーティでDJをしたんだけど、人がパンパンで前日にやったライヴよりも盛り上がった。で、前の方で狂ったように踊っていた赤い髪の姉妹がいて、それがミス・レッドと彼女のお姉さんだった(笑)。そのクレイジーな姉妹のひとりが、俺がDJをしている最中に肩を叩いてきて、「私にもやらせろ」って言ってきたんだ。
■まずおふたりの出会いについて、2011年テルアビブでケヴィンがDJをしたときに、ミス・レッドさんに出会ったと聞きましたが、そのときの様子を詳しく教えてください。
ケヴィン・マーティン(以下、KM):テルアビブに行った日に休みがあって、パーティに行った。その前日にバブでライヴをして、その翌日にDJを頼まれた。そのエリアはヤッファという場所で、小さいパーティでDJをしたんだけど、人がパンパンで前日にやったライヴよりもそっちの方が盛り上がっていた。で、前の方で狂ったように踊っていた赤い髪の姉妹がいて、それがミス・レッドと彼女のお姉さんだった(笑)。
シャロン・スターン(以下、SS):ハハハハ。
KM:そのクレイジーな姉妹のひとりが、俺がDJをしている最中に肩を叩いてきて、「私にもやらせろ」って言ってきたんだ。最初は「これは大丈夫か?」という感じで、普通はそういうことがあってもやらせないんだけれど、そのときは「ま、いいか」と思ってマイクを渡した。どうせ自分のライヴというよりもパーティという感じだったから、「まぁいいやちょっとやらせてやろう」みたいな感じでね。実際マイクを持たせてみたら、そのときの凄さにビックリして、すごかったね。いきなりイスラエルの真んなか、自分が知らない場所で、自分が探していたような高めのキーの声を持つ女の子に出会って、フローもバッチリで、ダンスホールみたいなジャマイカン・スタイルのMCで。自分が探し求めているようなMCに偶然出会ったことは自分でもビックリしているよ。しかもドープなだけじゃなくて攻撃的。
■攻撃的ですよね。
KM:イスラエルの真んなかで出逢えるとは思っていなかったので、そういう出会いが自分には衝撃的だった。
■イスラエルで生まれ育って、どのようにダンスホールや、レゲエというものと出会い、そしてなぜあなたはMCになったのでしょう?
SS:ダンスホールの音楽やスタイルがちょうど私に合っていた。ちょうど私の若い頃、ダンスホールのシーン自体がイスラエルで育っている時期だったし。友だちがサウンドシステムを持っていて、そういう影響もあってダンスホールの音楽を深く掘り下げるようになった。
■ダンスホールのどのようなところが魅力だったんでしょうか?
SS:ダンスホールが持っている爆発的なエネルギー。スペースにすごくエネルギーを感じる。ダンスホールのリズムで使う周波数も。スペースといったのはリズムのなかのスペースという意味ではなくて、ダンスホールの雰囲気だったり、雰囲気が作るエネルギーだったり、攻撃的な感じだったり、そういうムードのこと。
■イスラエルでダンスホールはポピュラーなものですか? それとも、マイナーでアンダーグラウンドなものなのでしょうか?
SS:いまはかなりポピュラーなポップ・ミュージックとしてイスラエルで盛り上がっているけど、10年前はすごくアンダーグラウンドだった。
■2011年にケヴィンとミス・レッドさんが出会って、2015年に最初のアルバムをフリー・ダウンロードでリリースしましたが、それまでの間にはおふたりでどのようなやり取りがあったのですか?
KM:俺はそのときロンドンに住んでいた。「もしもシャロンがロンドンに移ってきたらもっとチャンスがあるし、一緒に何かできる機会が増えると思うんだけど」と彼女に言ったら、彼女はすぐこっちのヨーロッパによく来るようになった。で、彼女とアフター・パーティで出会った日、俺は彼女のことが気に入ったので、翌日一緒にレコーディングをしないかと誘ったんだ。アフター・パーティが終わったのは朝の4時。俺がスタジオを見つけられたのは朝の10時。で、「いまからレコーディングをしようぜ」と言ったら、彼女は全然やる気で、二日酔いでけっこうベロベロだったにも関わらず、無事にちゃんと時間通りに現れたよ。レコーディング自体も上手くいって、これを1回だけで終わりにしないで今後続けていったらもっと良いものができるかもしれないと話した。俺はロンドンに帰ったあと、「もしもシャロンがロンドンやヨーロッパに来るようになればもっとこういうことができるし、君にとっても面白い機会があるよ」と誘ったら、シャロンは「私行く!」という感じで。俺は彼女のそういう情熱がすごく気に入っている。
■最初のアルバムはマーク・プリチャードやマムダンスも協力していますが、「こんな素晴らしMCがいるから一緒にやろうぜ」みたいな感じでケヴィンが声をかけて集まってきたんですか?
KM:最初にミックス・テープで使った曲というのは、もともと俺がシャロンにこういうスタイルで、こういう音楽で、こういうディレクションでMCをのっけてやったらすごくフューチャリスティックな新しい感じのものになるんじゃないかみたいなアイデアがあってやった。最初にマーク・プリチャードたちの音をシャロンに聴かせて、これはすごく新しいものができるし、これがやりたいディレクションのひとつなんだという話をした。シャロンもそのコンセプトやアイデアをすごく気に入ったよ。で、そのあと俺がマムダンスや各プロデューサーにコンタクトをとった。俺とミス・レッドがやった“Diss Mi Army”という曲を送って、こういう面白くてヤバいMCがいるから、トラックを使ってもらえるか? ってコンタクトをとったんだ。
■ミス・レッドさんから見て、曲であったり、コンセプトであったり、ケヴィンがやっていることのどんなところが魅力的だと思いましたか?
SS:彼の音楽を聴いたことがあったし、さっき言ったミックス・テープみたいなコンセプトを元にプロダクションをスタートできることはめちゃくちゃエキサイティングだった。ダンスホールとはまた違った、新しくてあんまりないようなものをミックスしてやるなんて最高よね。それに、わたしはもともとケヴィンのプロダクションがすごく好きだったから。
■今回の『K.O.』を聴いて、ケヴィンはダンスホールが好きなんだなとあらためて思いました。ザ・バグ名義で最初にだしたアルバム『Pressure』(2003年)の頃からすごく一貫したものがあって、それがアップデートされたかたちをやっているようなふうにも思ったのですが、ケヴィンはなぜダンスホールというものにこんなに長く強く惹かれ続けているのですか?
KM:『Pressure』のときは、ダンスホールを使って実験をする感じだった。ダンスホールのリズムを使ってフリーキーなことをするというね。Steely & Clevieが手掛けた“Street Sweeper”という曲があった。聴いたことがないようなリディムで、俺は当時かなりやられた。それが俺のスタート地点。そのリズムが作られたのは90年代だったけれど、超未来的な感じだった。ビートがスプリングする感じ、フロアで踊っている女の子のケツとリズムのスウィングがシンクロするような感じ、そういうちょっとワイルドなところも良かったし、とにかくリズムの未来的なところにやられたね。
■“Street Sweeper”がきっかけだったんですね。
KM:そう。最初にダンスホールのリズムを使って実験したのはテクノ・アニマル時代だった。あるライヴの終盤、相方のジャスティンに「自分が最近作っているダンスホールのリズムをかけて良いか」って言って、それをかけたことがあった。テクノ・アニマルのお客さんというのは男ばかりでね、みんな髭が生えていて、フードを被っているような奴らなんだけど、連中はダンスホールのリズムがかかるといっせいにフロアの後ろにいってしまった。で、その代りに彼らのガールフレンドが前の方に来たと(笑)。みんなステージの上にあがって踊りだしたりとかして。ジャマイカン・スタイルというよりは、もっとアグレッシヴな感じだったけど、ダンスホールのスウィングする感じが女の子を躍らせるのにすごく重要ということにそのとき気付いたよ。
■素晴らしい発見ですね。
KM:まったくな……で、あのころはDJスカッドという友だちがいて、彼が作った“Total Destruction”というトラックの上に Admiral Baileyのアカペラを載せている曲があった。俺の『Pressure』もノイズだけど、リズムがあって、ジャマイカMCが入っている。このアイデアは最初はその辺からきた。そのときDJスカッドに、「このアイデアを使って他のローカルの黒人のMCとかジャマイカのMCと一緒にやったらどうだ?」と言ったんだけど、彼は乗り気じゃなかった。このアイデアや方向性は面白いから、だったら俺がやったろうと、それで俺のダンスホールがはじまった。
[[SplitPage]]アフター・パーティが4時くらいに終わって、俺がスタジオを見つけられたのは朝の10時くらいだった。で、「いまからレコーディングをしようぜ」と言ったら、彼女は全然やる気で、二日酔いでけっこうベロベロだったにも関わらず、無事にちゃんと時間通りに現れたよ。
■ダンスホールはケヴィンにとって身近な音楽だったんですか?
KM:ああ。俺が20年前くらいにロンドンに住んでいたとき、北西のエリアに住んでいたひとは基本的にはジャマイカ移民のひとだったり、パキスタン人だったり、白人が少ないエリアだったから。そのころは家の周りにレコード屋がいっぱいあったんだけど、レコード屋はみんな黒人ばっかりで、売っているレコードはダンスホールばかり。そこにいつもレコードを買いに行った。で、俺以外ほかに白人が居ないから、レジに並ぶといつも自分がいちばん後回しにされた(苦笑)。そういう状況だった。毎週そのレコード屋に行くたびに、新しいリリースが山ほど入っている。新しいレコードといっても同じリズムに違うMCが乗っているものが10枚レコードにされていたりとか。で、彼らの言っている歌詞はセックスとか暴力とかばっかりで……。でもそういうところって基本的な人間のエネルギーだと思うから。とにかく、そういうレコード屋に通って、ダンスホールとかバッシュメントのリズムを毎週ディグっていたんだよ。
■そういうダンスホールの姿勢には、あなたのルーツであるパンクとの共通点もありましたか?
KM:ダンスホールとの出会いやアティチュードはパンクだ。ただし、サウンドはパンクよりもさらに進んでいる。当時そういう音楽を望んでいたお客さんが毎リリース毎リリース、新しいもの新しいものを望んでいた。俺はそのころ音楽を作りはじめたばかりだから、どういうテクノロジーを使って音楽は作れるのかということが全然わからなかった。自分にとっては新しいエネルギーがあるようなパンクな音楽が、そのとき知らないテクノロジーで作られているということに関してサイエンス・フィクションな印象をすごく受けていた。
■いまの話は『K.O.』にも繫がりますよね?
KM:いま話した経験や自分がショックを受けたことが今回のミス・レッド『K.O.』に繋がっている。過去何年かのダンスホールは俺にとってはすごくコマーシャルで面白くなかった。もともとダンスホールというものは新しいものをどんどんプッシュしていくような、いわばカッティング・エッジな音楽だったから。だからこそミス・レッドと一緒にそういうものを作っていこうとしたわけで、『K.O.』がある。
■ミス・レッドさん、『K.O.』のリリックはあなたの経験からきていると思いますが、どんなことを言葉にしているのでしょうか?
SS:『K.O.』のメインのモチーフというのは自分が何を経験してきたのかということ。自分のバックグラウンドはジャマイカではなくて、イスラエル。だからジャマイカのリリックは書けないし、書く必要もない。基本的に過去何年間に自分に何が起きたのかということが歌詞のもとになっている。自分がイスラエルにいたときに、イスラエルで何が起きているかだったり、何が自分のことを自由にさせないか……、何が自分にとっての義務なのか……、わたしはそういう強制させられていることすべてをK.O.したい。全部自由に解き放ちたいということが、リリックの基本的なコンセプトというかテーマになっている。
■ジャケットのスリーブアートワークになっているボクサーの写真はミス・レッドさんのおじいさんなんですよね。ホロコーストから逃れてモロッコで暮らしていたということですが、おじいさんの写真をジャケットにした理由は?
SS:レコーディングの最中におじいさんが亡くなった。それがこの写真を使った理由のひとつでもある。おじいさんから聞いた話だったり、私とおじいさんとの間の精神的な繋がりはすごく強い。おじいさんから聞いた話が私にとっての人生の支柱になっているし、すごく影響を受けている人物。
■本当にボクサーだったんですね。
SS:彼はボクサーだった。おじいさんはユダヤ人で、もともとモロッコに住んでいたんだけど、モロッコにユダヤ人がいるということで精神的な迫害だったり、差別をうけていた。精神的にも戦っていかなければいかなかったし、ボクサーとしても戦うということで、肉体的にも精神的にも闘いを挑んでいて、そういうところは私にとって大きなインスピレーションだった。だからK.O.するというアルバムのジャケットにおじいさんの写真を使った。
■日本から見て、あなたが生まれ育って生活していた状況というのはなかなか想像できないところがあります。どんなものだったのかということを教えてください。
SS:ハイファという街で育ったけど、他の街とはかなり違う街だった。私が生まれ育ったイスラエルのハイファという街は、アラブ人とユダヤ人がけっこうミックスしているところで、ハイファ以外の他の都市は、アラブ人や、パレスチナ人や、ユダヤ人が分割されている。人種だけではなくて宗教でも皆バラバラに住んでいて、例えばユダヤ教だったり、イスラム教だったり、キリスト教でもみんなバラバラに住んでいるわ。あとはアラブ人だったりユダヤ人だったり、すごいいろいろばらばらに皆が住んでいて、全然交わらない。でもハイファだけはそれが混ざって生活している、ミックスカルチャーな街ね。
■ハイファは庶民的な街ですか?
SS:エルサレムに行ったりすると緊張感がすごいけど、ハイファはそんなことはない。フレンドリーで、みんなリラックスしている。
■ミス・レッドさんの音楽にとって大切なものはなんだと思いますか?
SS:自分の心を自由にさせてくれたり、自分を解き放たせることができるということ。
■ちょっと前にトランプがイスラエルの首都はエルサレムだと言って世界を混乱させていますが、その影響は『K.O.』のなかに入っているのでしょうか?
SS:トランプがクソみたいなことをする前から、イスラエルでは混乱だったり、殺人とかが起きていた。私にとってはそれが当たり前だった。自分がイスラエルのなかにいて、言いたいことだったり、言いたくても言えなかったこと、そういうことがアルバムにはある。自分が表現したいことができないというのはフラストレーションだった。だからわたしはヨーロッパに移住したんだし。
■ケヴィンからみて、『K.O.』というアルバムは何を攻撃していると思いますか。
KM:基本的にひとの頭をこのアグレッシブさで爆発させる。この攻撃性というのは、人を傷つけるようなサド的な攻撃性ではなくて、人を照らすファイアーのようなものだ。ファイアーは人生であり、情熱だ。ジャマイカのダンスホール・スタイルをコピーして、同じようなことをやろうとするんじゃない。自分が辿ってきたポストパンクの道をダンスというものを使って、もっと未来のものを作っていきたい。最近は安全な音楽が世のなかに多すぎると思う。音楽は人びとにとって、いちばん最初にみんなを掴むものではなくなってしまっている。音楽の価値がすごく下がってしまっている。ビジネスのツールになってしまっているんじゃないのかな。『K.O.』はまずはとりあえずは楽しくて、電気が走るようなそういうヤバいものを作ろうって。とりあえずこれを聴いたときにみんなの頭がおかしくなるような(笑)。例えばデス・グリップスの最初の頃のライヴだったり、オウテカのライヴだったりとか、そういう生生しさ、それにタビーズのようなすごいプロデューサーが残したアイデアをミックスしたようなものを作りたいと思っていた。
■言い足りないことがあったら最後にお願いします。
KM:台風で日本が大変なことになっていると聞いたので、心配しているんだ。
■ありがとうございました。
KM&SS:アリガトウゴザイマス!
























