「Noton」と一致するもの

ボストン市庁舎 - ele-king

 原題を『City Hall』という本作のおもな舞台は米国北東部マサチューセッツ州の州都ボストンの市庁舎、監督は米国はもとよりドキュメンタリーなる形式を語るに避けてはとおれないフレデリック・ワイズマン。『ボストン市庁舎』はその半世紀にわたる作家生活の集大成ともいうべき一本で、上映時間も4時間半におよぶが、稠密な力学が働きなかだるみはおぼえない。むしろ40作を超えるこれまでの作品でとりあげてきた幾多の主題の変奏を編みあげる風合いがあり、交響するモチーフがさらに広大な主題をうかびあがらせる構成は圧巻である。本作は2018年の秋と翌年の冬に撮影をおこない本国では2020年に公開した。すなわち下院を民主党がおさえた中間選挙以後に撮りはじめ、最終的に混沌した様相を呈した大統領選の渦中での公開となった。そのわりには(トランプないし共和党への)直截的なものいいはすくない、とはいえ法と秩序の美名のもと分断を煽るトランプ政権への怒りの響きも随所に聴きとれる。ただし一本の映画をひとつの空間とみなすなら、国政の動向はむしろ『ボストン市庁舎』の作品空間の外でアートがひとしなみに免れえない時代の記名性のようにふるまっている。主眼となるのはあくまで地方行政の舞台である市庁舎とそこにおけるひとびとと、それをとりまく都市の空間の広がりである。この具体的でありながらとりとめもない取材対象に、ワイズマンは視点を定めず、じゅうぶんな知識はなく、しかしぞんぶんに撮ったのち、何ヶ月もの時間を編集についやしたという。

 編集の過程ではじめてテーマや構成があらわれるのはこれまでとかわらなかったとワイズマンは本作の取材にふりかえっている。テーマについてはひとことで述べるのもおこがましいが、ひとまず「公共」にまつわるとはいえるであろう。地方自治体の行政組織はどのように意思決定をおこない、地域住民や事業者や利害関係者はいかにそこにかかわるのか。古典的でありながら、多様性と複雑さのなかで流動化する現代の都市共同体における難問へのとりくみを『ボストン市庁舎』は丹念にすくいあげていく。
 特定の人物によりかからず、関係や構造自体を志向する(ことの多い)ワイズマン映画にはめずらしく、本作には主役級の登場人物が存在する。そのひと、マーティン・ジョセフ・ウォルシュ市長は1967年ボストン生まれの民主党所属の政治家で、市内ロチェスター地区のアイリッシュ系カトリック教徒の労働者階級の家庭に生まれ、17年にわたってマサチューセッツ州議会議員をつとめたのち、2014年の市長選で民主党の市議会議員ジョン・R・コノリーをしりぞけ当選をはたしている。

 『ボストン市庁舎』は都市の喧噪がつつむ市庁舎の遠景で幕をあける。そこでは道路の補修から公園や動物の管理、電線が切れて停電しただの家主が電気を止めただの、住民からの問い合わせがひきもきらない。市庁舎の一角の会議室ではウォルシュ市長を中心に警察関係者が出席した会議がすすんでおり、地域住民のケアと、それを阻む縦割り行政の弊害について話し合っている。出席者のまなざしと市長の饒舌は彼らが彼らの仕事に真剣にとりくんでいる証であり、以後展開するシーンを予告する緒言の役割も担っている。それを受け本編は市の予算編成、住居問題、同性カップルの婚姻、レッドソックスの祝賀パレードの警備、高齢者や障害者やマイノリティの支援、貧困対策、学校や博物館などの公立施設の内情、移民問題など、住民の日々の生活にいかに行政が多面的にかかわっているのか映し出していく。スクリーン上の人物はみな、ボストンに暮らすふつうの市民だが、ワイズマンのファインダーをとおると劇映画の登場人物めいてくるのはやはり不思議である。ノンフィクションの形式がもとより虚構性を帯びるのはいうまでもないし、いかに壁の目になろうとも撮影行為は往々にして被写体を演出してしまうのに、ワイズマン映画のリアリティの置き方はほかに類をみない。絵画的な構図とムダのないカット割り、おそるべき構成力とオーディションでも開いたかのような絶妙な配役といった方法論の連立方程式が特有のリアリティをもたらすのだとしても、解の求め方は対象ごとに千差万別で、その手ざわりもむろんおのおのことなっている。『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』と『ニューヨーク公共図書館』と『インディアナ州モンロヴィア』といった2015年以降の諸作は公共という主題の社会的な変奏のようなものだが聴き心地はことなる。それらの新作をみるたびに私はこのようなひとがこの空の下のどこかにいたという、シャシン的な事物感──おそらくそれは過去時制で語ることのできる数少ない希望のかたちである──をおぼえわけもなく幸福感につつまれる。

 『ボストン市庁舎』にも印象的な人物が多々登場する。とりわけ印象にのこったのは退役軍事会のチェックのネルシャツの青年と、大麻ショップの建設にかかわる集会の参加者たち。前者はイラク、アフガニスタンへの従軍経験もある元兵士で、やはり兵士で第二次世界大戦の欧州戦線で戦死した伯父ののこした手紙がきっかけで、戦友の話を訪ね歩きはじめたのだという。いかにも軍人あがりのアーミーカットのこの男性は数十人の聴衆を前にライフルを手にしながらしゃべっていて、なぜそんなものをもちだしてきたのかといえば、ライフル好きだった伯父のことをわすれないために購入したのだという。とはいえ家族に銃を購入した気持ちなんてそうそうわかってもらえることじゃない。そこで彼は沖縄戦を戦ったという隣人をたずねることにした。隣家の住人は男性が子どものころはおっかない近所のおじさんだったが、いまでは老いと病にさいなまれみる影もない。ところが彼がライフル銃を手渡すやいなや、老いた眼に精彩が宿り、銃をふりまわしては方々に狙いをつけはじめた。仰天する男性をよそに、老人はおもむろにひきだしを開け、なかにしまった袋から日本兵の金歯をとりだし、これをお前にやる、と手渡したのだという。「40年代の戦争を批判する気は毛頭ないが」と男性は聴衆に語りかける。「彼が不機嫌な理由が分かった」

 第二次世界大戦における米軍の遺体損壊は比較的よく知られた話で、その行為の戦争犯罪の側面に立ち入る紙幅も準備も本稿にはないが、戦場の狂気ばかりかそこには米国特有のゴシックな風土がかかわっている気がしてならない。このことは個人がその身で体験した出来事だけでなく、共同体や民族の記憶がときとしてトラウマのように働くことを思わせる。昔ながらの言い方を借りるなら、戦争はそれらを呼び出す機械であり、彼らは語りによる癒しとつながりでその呪縛を解こうとする、そのことは来賓のウォルシュ市長が自身のアルコール依存症体験を問わず語りに語りはじめる場面にもあらわれている。また退役軍事会セクションの冒頭のメイフラワー誓約やボストン茶会事件などを描いた絵画のインサートは入植にはじまるボストンの歴史を想起させもする。いうまでもなくそれらは戦いの歴史だが、太平洋戦争はむろんのこと、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン──地球上のあらゆる戦争と紛争へ関与しつづけるのが米国の歴史であることも、本編に登場する退役軍人たちの幅広い年齢層はしめしている。
 むろん歴史、倫理、道徳などの主題はときに観念的に作動しともすればパターナルな力線をともなうこともある。さらにファクト/フェイクの二分法も加味しなければならない世界認識下で、ワイズマンは可能なかぎり共同体の成員の声をあつめ、デュアリズムを乗り越えようとする。そのなかには、『ニューヨーク公共図書館』のパティ・スミスやコステロのような著名人の姿はみえないが、定量的な統計がなんらかの合意をうかびあがらせることへの期待も感じさせる。いわば映画による民主主義と共同体の再生(再演)だが、このような作品が成立するには地方行政(という一見地味なテーマ)にかかわるアクターの多元性が不可欠である。

 ひるがえって考えるに、わが国は、みなさんの地元はどうだろうか。先日の衆院選では投票率の向上を期待したもののフタを開けたら戦後3番目に低い55.93パーセントと依然低調なままである。地方自体にいたっては事情はさらに深刻で、平成31年の統一地方選など首長選も議会議員選ものきなみ5割を切っていたはずだ。身近なところからなおざりになるのは私たちの暮らしに政治がいかに根づいていかないかの証だと、クリシェにもならないお題目をくりかえしているうちに、駅前の公園は開発業者にツブされてどこにでもあるブランド店がつまった珍妙な施設にさまがわりしたりする。場合によってはそのような建物がうめつくす街を「スマート」と呼んではばからないほどには、私たち住民の感性もジェントリーになってしまったのかもしれないが、どのような合意であっても共同体の成員すべてが右にならう必要などない──となれば合意形成の過程はいかにして共同体に開かれうるのか。かけ声倒れになりがちなこの課題に、地方行政はどのようにのぞむのか。『ボストン市庁舎』はその課題に向け、住宅、インフラ、教育などの現場で建設業者や学校の先生やデパートの経営者や住民らと膝をつめて話し合う職員の姿を記録している。むろんタイミングよくカメラの前で問題が解決するわけでもない、けれどもお役仕事に終始するでもない。公共というものの遅々とした、しかしそのようにすすむしかない歩みをまのあたりにする趣がある。

 何段か前で印象的だったと述べた、作品後半の大麻ショップ出店の場面もそのひとつである。出店先は市内ではけっして裕福ではない地区で、人種の構成比率も、会場をながめると有色人種が大半をしめている。大麻店の経営者は中国系、市役所の担当課の職員が同席するなかで、種々の懸念が噴出し集会は一時紛糾するが、すくなくとも居合わせただれもがその場をないがしろにしないことは弁えているようでもある。彼らの胸中にはおそらく雇用や地域経済の発展といった利益と犯罪や治安悪化への懸念といった「迷惑施設」につきものの期待と不安が同居している。基地や原発やカジノにも一脈通じるこの課題を、ワイズマンはそれぞれの意見に耳を傾け、多様な声の反響として描き出していく。他方で、ボストンという街のカラー、ニューイングランドの州都とも目される都市の多様性とリベラルさ、そしておそらくはそこからくる格差も、カメラはみのがさない。会社の規模のせいで公共事業から閉め出される中小企業、ホームレスやマイノリティ、ウォルシュ市長は2019年年頭の施政方針演説で「市長の仕事とは市民に扉を開けること」と述べるが、その扉にたどりつけないものがいることもまたわすれてはなるまい。機会の平等を建前にした能力主義が階級上昇をなんら保証しないことは、多くの論者が実証的にも指摘することで、いまなら感覚的にも飲み込みやすいであろう。トランプ政治は有権者のくすぶった怒りを燃料に分断を煽った。反対にウォルシュは分断線を超えて響く声を集めようとする。カギとなるのは地道な合意形成の過程であり、そのためには歴史的背景への再考と共有が指標となる。NAACP(全米黒人地位向上協会)会長との会談の場面では、ウォルシュ自身幼少期(70年代)に経験した差別撤廃のためのバス通学騒動の風化への懸念を表明してもいる。
 それを映すワイズマンはみずからの歴史観をつまびらかにすることはないが、おそらくはボストンという街の来歴にむかっていることは、都市空間のすみずみにおよぶ幾多のショットにもうかがえる。舞台となる市庁舎はもちろん、官公庁や高層ビル群や下町風の街並みから住宅地まで、季節の移ろいとともにスクリーンにあらわれる風景には、画面上部を支配する空の青やレッドソックスや緊急車両の赤と冬の雪の白のトリコロールを基調に、絵画的な均整と観衆の無意識に働きかける記号的な意味を有している。たとえばうっすらと雪がつもったカトリック教会の中庭ごしに消防車がサイレンを鳴らしながら走り去っていく場面。プロテスタンティズム上陸の地の片隅のカトリシズムの痕跡と、静けさを裂く緊急車両のサインの音──このなにげないカットの象徴性にふれられたら最後、私は頭からみなおさずにはいられなかった。おかげで9時間ついやしてしまいましたが、ワイズマン的方法が包摂する共同体の潜在的多様性こそ、上からのパターナリズムやエリーティズムをいなす手立てかもしれないと思いもした。

 最後に、このとき市庁舎の責任者だったウォルシュはバイデン政権発足後、労働長官に就任、現在はチャールズ川の対岸にある名門ハーバード大の法科大学院を出た台湾系2世の元女性市議ミシェル・ウーが市長をつとめている。

Ryuichi Sakamoto + David Toop - ele-king

 薄灯りの、仄暗い空間を、ゆっくりと行き先を探りつつ、しかし確信を持った足どりで進むかのごとき音の交錯、ざわめき。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープの演奏(いや音の生成とでもいうべきか)を記録した音響作品『Garden of Shadows & Light』には、まさに静謐な音の対話のようなサウンドスケープが生まれていた。

 リリースはロンドンのエクスペリメンタル・レーベルの〈33-33〉からだ。カタログ数はそれほど多くないレーベルだが、灰野敬二とチャールズ・ヘイワードの共演盤などをリリースするなど、その厳選されたキュレーションが魅力的なレーベルである。
 それにしてもなんて美しいアルバム・タイトルだろうか。その名のとおり本作『Garden of Shadows & Light』にはサウンドによる陰影の美学がある。坂本とトゥープが鳴らす音たちの群れは、淡く、微かにして、しかし強い。偶然の豊かさを消し去ることもない。フラジャイルな音にすらも、豊穣な気配が生まれているのだ。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープは音の時間のなかを思索的に、もしくは遊歩的に進む。音の気配に敏感になり、耳をそばだて、繊細な手仕事のように音のオブジェクトを組み合わせる。そうして静謐で濃厚な音響空間が生成されていく。
 冒頭、何か叩くような、カーンと澄み切った音が鳴り響く。それに応えるかのように、やや小さな音がカツンと鳴る。やがて何かを擦る微細な音が鳴り、弦の音の残滓のような音も聴こえてくる。音はやがて音楽の原型のような響きへと変化するが、しかしそれはノイズのテクスチャーのなかに溶け込んでいく。そしてまた別の音がやってくる。彼らふたりは音を招き寄せている。

 本作には「音が訪れる」感覚がある。「おとがおとずれる」「音が音ズレる」とでも書くべきか。非同期の音たちの群れ。しかしひとつの大きな(ミニマムな?)時間を共有もしている。そのズレと時間の交錯が、音の気配を豊かにする。
 このレコードの秘めやかで、大胆な音の生成、対話、群れに耳を澄ます私たちもまた彼らが生成する音の時間に引き込まれ、音の変化、歩みを共にし、音の存在に敏感になるだろう。一音一音の存在に驚き、まるで一雫の水滴の音を聴くように静謐な時間をおくることにもなるだろう。

 『Garden of Shadows & Light』は、2018年、ロンドンはシルヴァー・ビルディングでおこなわれたライヴの録音である。映像も配信されていたので、すぐに観たことを記憶している。私は「手仕事としての音響工作」を満喫した。これぞブリコラージュと感嘆したものだ。
 なによりテクノ(ポップ)以降、20世紀後半における電子音楽のレジェンドである坂本龍一と、批評家、キュレイターとして、そしてサウンド・アーティストとしても長年に渡って活動を展開する才人デイヴィッド・トゥープとの饗宴には大いに興味を惹かれたのである。
 それから三年の月日が流れ、いまや伝説的な演奏となった音源が本年「録音作品」としてリリースされた。いま、こうしてレコード作品となったふたりの「演奏」を改めて聴き込んでみると、配信されたライヴ映像とは異なる印象に仕上がっていたことに驚きを得た。もちろん音は同じだ。しかしサウンドがもたらすパースペクティヴや時間が新鮮なのである。視覚情報が欠如されたことによって、音に対する認識が変わったのかもしれない。
 加えて坂本龍一とデイヴィッド・トゥープのこの音響ノイズ演奏には、音楽家における老境の境地が横溢していたことにも気がついた。特に本作に限らず近年の坂本の「音そのもの/音それじたい」をコンポジションするようなサウンドからは、まるで「音響のモノ派」、もしくは音の「侘び寂び」を感じた。音それ自体への感覚が横溢し、肉体性から離れ、音やモノや空気としめやかに同一化するような音響が生まれているのだ。突如として音が鳴り、それが静謐な空間性に即座に融解し、持続の只中に溶け込んでいく。音が刹那と永遠のあわいにある。
 まさに「音の海」(トゥープ)と「async」(坂本龍一)の融合か。もしくは消尽の美か。自分などはこのアルバムを晩年のサミュエル・ベケットに聴いて欲しかったと思ったほどである。もしくは武満徹に聴いてほしかったとも。武満ならばこのアルバムの、演奏の、そしてサウンドスケープを大絶賛したのではないか。

 西洋音楽を学んだ日本人音楽家が安直なオリエンタリズムに陥ることなく、日本、東アジアの音響・音楽を実践すること。それによって「世界」という場に立っていること。これは本当に稀有なことだ。坂本龍一は音そのものの原質に触れようとしている。
 00年代以降のアンビエント/ドローンを基調とした音楽作品を生み出した坂本龍一は、まずもってここが重要なのだ。高谷史郎と坂本龍一のオペラ『TIME』の東洋と西洋、ネットフリックス配信の『ベケット』の職人的な音楽のなかに不意に満ちるドローン、『ミナマタ』の西欧的和声のむこうに交錯する無時間的な響きの交錯など、近年の坂本龍一の仕事は、どの作品も西欧と東アジアが透明な水と空気のなかで清冽に鳴り響くような音楽/音響を生み出している。
 そう考えると2018年の時点で、このような音を鳴らしていた本アルバムの録音はとても重要に思えてくる。2017年の『async』から2020年代の坂本龍一の音をつなぐ音。対して西洋人であるトゥープが、これほどまでに非西欧的なノイズ・音響・時間感覚を発露できることに深い知性と卓抜な感性を感じた。

 物質、空気、微かな光、闇、空間、静謐さ。時間、非同期。音。まさに「Gardens of Shadows & Light」。そう本アルバムには21世紀の「陰翳礼讃」の感性にみちている。薄暗い光と陰影の美学がここにある。

edbl - ele-king

 いろいろとサウス・ロンドンが話題に上る昨今だが、ひとくちにサウス・ロンドンと言ってもいろいろなタイプのアーティストがいる。いちばん注目を集めるのがペッカムあたりを中心としたサウス・ロンドンのジャズ・シーンだが、その中でも同じジャズの括りながらやっていることはかなり異なっていたりする。
 近年勢いのあるのがサウス・ロンドンのロック・シーンで、ブリクストンのゴート・ガールはじめファット・ホワイト・ファミリードライ・クリーニングなど新しいアーティストが次々と登場している。そしてもうひとつがシンガー・ソングライターたちで、トム・ミッシュロイル・カーナージェイミー・アイザックオスカー・ジェロームキング・クルール、プーマ・ブルー、ジョルジャ・スミス、エゴ・エラ・メイなどが出てきた。オーストラリアから移住してきたジョーダン・ラカイもこうした中に含まれる。
 シンガー・ソングライターと言ってもこれまたいろいろなタイプがいて、ロック寄りのキング・クルール、ジャズ寄りのプーマ・ブルー、ヒップホップ寄りのロイル・カーナー、ソウル寄りのジェイミー・アイザックと音楽性はそれぞれ異なる。ラップを得意とする者、純粋な歌を得意とする者さまざまで、ソングライティング方法もミュージシャン・タイプの人からビートメイカー・タイプの人といろいろだ。また、オスカー・ジェロームはジャズ方面でも活動するミュージシャンでもあり、トム・ミッシュもジャズ・ミュージシャンとのコラボをいろいろおこなっている。

 edbl(エド・ブラック)もこうしたサウス・ロンドンを拠点とするアーティストで、トム・ミッシュなどシンガー・ソングライターの括りに入れられる。と言っても彼自身は歌わないので、純粋に言えばソングライター/トラックメイカーとなる。
 もともとリヴァプール近郊のチェスター出身で、リヴァプール芸術学校に進学して音楽を専攻している。最初はロックを聴いていたエドだが、リヴァプール芸術学校時代にシンガー&ギタリストのエディ・スレイマンと出会って一緒に音楽を作るようになり、彼の影響でヒップホップやR&Bへと興味が変わる。エディ・スレイマンとバンド活動をする中で、ソングライティングやギターをはじめとした楽器演奏のスキルを磨き、その後ブリクストンに移り住んでソロで活動している。2019年に初リーダー作品をリリースし、その後ビート集やミックステープをリリースし、そうして作られた50曲ほどの作品の中から選りすぐられた日本独自の編集アルバムが『サウス・ロンドン・サウンズ』である。

 ギター、キーボード、ドラム・マシンを操るエドは、まずギターのコードから楽曲作りをはじめ、それに合わせてビート・メイキングをしていくスタイルだ。センチメンタルなギター・リフにはじまる “ノスタルジア” あたりが、そうしたギターを中心とした作曲を身上とするエド・ブラックらしさが出たナンバーである。この曲ではタウラ・ラムという女性シンガーが歌っているが、そのほかにもコフィ・ストーン、ザック・セッド、ティリー・ヴァレンタイン、キャリー・バクスター、ジャーキ・モンノ、ヘミ・ムーア、ブラン・マズ、アイザック・ワディントン、ジェイ・アレクザンダー、ジョー・ベイ、JAE と多くのシンガーやラッパーたちがフィーチャーされている。エドと同じくロンドンを中心とした新進の若手アーティストたちで、次のトム・ミッシュ、次のジョルジャ・スミスを担う人材である。本作を聴くと、エド・ブラック以外にもまだ名の知られていないアーティストたちがこんなに控えているのかと、サウス・ロンドン及びロンドンの人材の豊富さに驚かせられる。

 JAE が歌うネオ・ソウル調の “レス・トーク” はじめ、全体的にR&Bマナーの楽曲が多い。アイザック・ワディントンが歌う “ザ・ウェイ・シングス・ワー” はトム・ミッシュの作品に繋がるような楽曲で、エドのエモーショナルなギター・ソロもフィーチャーされる。“ワット・ネクスト” や “マグピーズ” などインスト曲も充実していて、ブラジリアン風味のギター・リフとホーン・アンサンブルが印象的な “ワット・ネクスト” では、J・ディラ譲りとも言えるビート・メイキングが冴えている。“マグピーズ” におけるエレピとギターのコンビネーションも心地よく、基本的にエド・ブラックはこうしたメロウネスを生み出すツボを心得たアーティストだというのがよくわかる。“edblギター”もギターを中心にエレピ、ホーンの演奏によって美しいメロディを紡いでいくナンバー。フランスのFKJ、アメリカのキーファーなど、ここのところ生楽器演奏をふんだんに用いた美メロのトラックメイカーが人気を博しているが、エド・ブラックも今後そうしたひとりに数えられることになるだろう。

FNCY - ele-king

 いまやヒップホップに限らず、フィーチャリングやコラボレーションという手法はクリエイティヴィティの幅やファン層を広げるための常套手段となっているが、そうやって共演からはじまったアーティスト同士の関係がその後、グループ、あるいはユニットへと発展していくケースも少なくない。ZEN-LA-ROCK、G.RINA、鎮座DOPENESS からなるユニット、FNCY(ファンシー)も元々はソロ・アーティストして活動していた彼らが、お互いの作品で共演したことをきっかけに結成されたわけだが、3人のスタイルやバックグラウンドは全く異なる。強い個性を放つ3人が結びついたことによる高い総合力とそれぞれの絶妙なバランス感は、通常のヒップホップ・グループが容易には到達することはできない域にいる。

 2019年にリリースされた FNCY の1st 『FNCY』から約2年ぶりのリリースとなる 2nd アルバム『FNCY BY FNCY』。昨年リリースされた「TOKYO LUV EP」の楽曲も本作には収録されているが、ヒップホップを下地にしながらブギー/ファンク、ニュージャック・スウィングといった前作の流れを踏襲しつつ、さらに音楽的な広がりを描いている。例えば “THE NIGHT IS YOUNG” でのダンスホール・レゲエ、“COSMO” でのベース・ミュージック、“REP ME” でのヒップハウスといった音楽的要素は個々のメンバーの過去の流れとも見事にマッチしているし、そこに3人の声が乗ることでその魅力は倍増している。本作にプロデューサーとしてトラックを提供しているのはメンバーの中では G.RINA だけであるが(他には grooveman Spot、BTB特効、オランダの Jengi がプロデューサーとして参加)、実は3人ともがDJとしても活躍しており、これだけ幅広いスタイルを打ち出しながらも、FNCYとして見事にひとつにまとまっているのは、DJとしての彼らの柔軟かつ優れたセンスに寄る部分も大きいだろう。

 リリックに関しては、やはりこの時期に作られたということもあり、“FU-TSU-U(NEW NORMAL)” のようにコロナ禍だからこそのメッセージを強く感じる箇所は多い。しかし、そこは決して悲観的にならずに、前を向いてパーティを続けていくという彼らの強い意志が感じられ、コロナが落ち着いてきたいまの状況にも実にしっくりと響いてくる。そして、ヴォーカリストという観点でいうと、本作の肝(きも)は鎮座DOPENESS の歌と G.RINA のラップだ。もちろん前作でも披露されていた要素であるが、ラッパーである鎮座DOPENESS はより自由にメロディを奏で、シンガーである G.RINA は自身が元来ラッパーではないことをプラスに置き換えながら彼女ならではのフロウを聞かせる。ラップと歌の融合なんていまどき珍しいことではないが、個人的な好みで言わせてもらえば FNCY はそのトップレベルにあると思う。
 ちなみに本作収録の “COSMO” にゆるふわギャング、“あなたになりたい” に YOU THE ROCK★をそれぞれフィーチャした「COSMOになりたいRemix EP」も素晴らしい内容なので、こちらも合わせてぜひ!

Squid - ele-king

 スクイッドって、やっぱり良いバンドですね。素晴らしい! なぜなら彼らの新しいリミックス・シングルのリミキサーがロレイン・ジェイムズコージー・ファニ・トゥッティなのだから。
 この、なんとも心憎いリミックス盤を出したばかりのUKのバンドのインタヴューは、年末号のエレキングで読めます。こうご期待。
 
 https://brightgreenfield.squidband.uk/remixes

SAULT - ele-king

 何かと人騒がせだが、その実態がなかなか掴めない SAULT (スーともソーとも呼ばれるが、以降は便宜的にスーで統一する)。彼らのニュー・アルバム『ナイン』が突如発表されたのは去る6月25日のことで、Spotifyでは99日間限定でストリーミングやダウンロード購入ができるが、それを過ぎる10月2日以降は消えてしまうということだった。期間限定というフレーズは人びとの購買意欲をそそる常套手段だが、スーの場合のそれは何やら警告のようでもあり、実際に現在は聴くことができなくなっている(そのときに予約受付されていたレコードやCDが輸入盤店にも入荷してきている状況ではある)。アルバム・タイトルの『9』と99日という限定期間を合わせた999という連番は占いで言うところのエンジェル・ナンバーで、新しい物語や出会いがはじまるという希望を抱かせる数字であると共に、イギリスの緊急通報用の電話番号でもある。何かと意味ありげな999だけれど、『ナイン』の場合は後者のイメージに近いだろうか。
 スーにとって2019年の『5』と『7』、2020年の無題の連作『ブラック・イズ』『ライズ』に続く5枚目のアルバムで、極めてハイ・ペースで作品を創作し続けている。しかもその首謀者であるインフローことディーン・ジョサイア・カヴァーは、同時にマイケル・キワヌカ、リトル・シムズ、ジャングルのプロデュースもおこない、2021年だけを見てもリトル・シムズの『サムタイムズ・アイ・マイト・ビー・イントロヴァート』、ジャングルの『フォー・エヴァー』、スーのメンバーでもあるクレオ・ソルの『マザー』と3枚のアルバム・プロデュース、ないしは共同プロデュースしているのだから、並大抵の才能の持ち主でないことがわかるだろう。

 スーのこれまでを振り返ると、ソウル、ファンク、ロック、パンク、ニュー・ウェイヴ、アフロ、エスノなどがゴチャ混ぜになったような祝祭的なサウンドの『5』と『7』、ブラック・ライヴズ・マター運動にも連なる怒りや悲しみのパワーが込められた『ブラック・イズ』と『ライズ』だった。
 一方、『ナイン』はロンドンを代表するシンガー・ソングライターのジャック・ペニャーテと数曲でコラボしていることが象徴するように、改めてロンドンのいまを切り取ったものである。“ロンドンズ・ギャング” と “ユー・フロム・ロンドン” とロンドンがタイトルの曲がふたつあり、また “フィアー” “ビター・ストリーツ” “トラップ・ライフ” などヴァイオレンスをイメージさせる曲が並んでいる。そしてアルコール中毒者をズバリ指す “アルコール”。ロンドンのストリートにおける酒や麻薬、暴力や金を描いた『ナイン』はいままで以上に過酷な内容となっていて、『ブラック・イズ』と『ライズ』の政治的姿勢を引き継いでいる。
 “ハハ” から “フィアー” に至るアルバム前半の流れはそうしたスーのアジテーショナルな姿勢を体現していて、これまでに見られた祝祭性は影を潜め、ハードなポスト・パンク的サウンドを見せている。土着的なブレイクビーツと猥雑なコーラスによる “トラップ・ライフ”、不穏なベース・ラインとミニ・モーグの唸りに呪文のようなポエトリー・リーディングが重なる “フィアー” あたりは、かつてのESGやリキッド・リキッドあたりを彷彿とさせる作品だ。

 そして、父親を殺されたというストリート・キッズのマイケル・オフォのモノローグをフィーチャーした “マイクズ・ストーリー” を挟み、アルバム後半は一変して繊細で内省的な作品が並ぶ。クレオ・ソルが歌う “ビター・ストリーツ” は、彼女のソロ・アルバムでも見られたようなフォーキーなネオ・ソウル調作品。ただし、彼女のアルバムにあった母親の愛や喜びを描いたものではなく、過酷なストリート・ライフを美しいメロディに乗せた逆説的なもの。切々と紡ぐバラードの “アルコール” も、感傷的な歌やメロディがアルコール浸りの惨めな生活とのコントラストを生む。
 リトル・シムズも参加した “ユー・フロム・ロンドン” は、ロンドン訛りの英語をからかうアメリカ人を歌った裏返しのロンドン賛歌。メロウな曲調とリトル・シムズの誇張されたラップが好対照だ。“ナイン” もクレオ・ソルらしいアコースティック・ソウルで、ジャングルのジョシュ・ロイド・ワトソンも曲作りに参加してロータリー・コネクション張りの世界を繰り広げる。そして、最後は “ライツ・イン・ユア・ハンズ” で未来への希望を抱かせつつアルバムは幕を閉じる。ゴスペル調の荘厳で美しいこの曲には、スーのソウル・ミュージックへの愛情がたっぷりと詰まっている。
 パンキッシュにはじまってソウルフルに終わる、スーのストリート・オペラとでも言うべき『ナイン』だ。

Grouper - ele-king

 Shade=物陰、リズ・ハリスらしいタイトルだ。彼女の音楽はつねに、太陽より月光、月光より月影、そして石よりも水、外的ではなく内的な動きにおけるさまざまなヴァリエーションだった。ハリスの作品は、ぼくがこの10年、ずっと追いかけている音楽のひとつで、今朝、待ち焦がれていたその新作がようやく届いた。先行発表されていた2曲を何度も聴いていたので、いつものこととはいえ今回のアルバムもきっと素晴らしいだろうと思っていた。で、いざじっさい聴いてみるとやはり間違いなかった。
 
 2005年の自主リリースされたCDrがリズ・ハリスの最初の作品だった。タイトルの「Grouper」とは、彼女が育ったサンフランシスコの、ゲオルギー・グルジェフに影響されたカルト・コミューンの名前から取られている。突然両親が変わることさえあったという「Grouper」では、子供はいわば実験対象だった。カルト内では虐待や抑圧も多々あったというが、こうした特殊な生い立ちがハリスの音楽にまったく影響していないと考えるほうが不自然だろう。
 ハリスは、彼女の自我に深く傷を残したであろうそのコミューン名をしかし自らのプロジェクト名とし、2008年にUKの〈Type〉からリリースされた『死せる鹿を丘に引きずりながら(Dragging a Dead Deer Up a Hill)』によって一躍脚光を浴びた。これは彼女の出自がまだ知られていなかった頃の話で、エーテル状の音楽性からコクトー・ツインズと比較されたそのアルバムのスリーヴには、魔女めいた服装をした少女時代のハリスがいる(ぼくは長年別の人物と思っていたのだが、どうやら本人らしい。本当かな?)。それはともかく、音楽はいわゆるゴシックでもシューゲイザーでもない。フォークがその基盤にあることはたしかだが、それは人間の攻撃性をいっきに解除するかのような、繊細でどこまでも静的なフォークなのだ。
 それからハリスは、2011年に自身のレーベル〈Yellow Electric〉から連作『 A I A : Alien Observer』と『 A I A : Dream Loss 』をリリースする。これらはより実験色が強く、歌としての輪郭は滲むようにぼやけ、洞窟の奥深くで演奏しているかのようなその独特な響きゆえにドローン・フォーク/アンビエント・フォークなどと形容された作品だった。ぼくがグルーパーのファンになったのもこの2枚から
 
 繰り返そう。グルーパーの音楽は、どんな作品であれ、極めて静的で、言葉が主張するものではない(彼女は言っている。「歌は、言葉がわからなくても伝えることができる」と)。が、これほど強く、みごとと言っていいほど「ひとり」を感じる音楽をぼくはほかに知らない。たとえ夕刻時の銀座線のホームの人混みのなかであろうと、イヤフォンを通じてこの音楽がぼくの鼓膜を振動させた途端に、ぼくは瞬く間に「孤独」になる。それは不快ではないが快感でもない。憂鬱でも不幸でもない。ただただ、そうなることを知覚する。2013年の『ボートで死んだ男(The Man Who Died In His Boat)』、そして「政治的な怒りと感情的な残骸のドキュメント」と彼女自身が説明した2014年『Ruins』にも、ハリスにしか表現できないその独特な感覚から広がる音響工作のヴァリエーションが試みられている。
 こうした流れとは異なる路線を見せたのが、2018年の『Grid Of Points』だった。ここでは、それまで頻繁に採用していたフィールド・レコーディングや抽象的なエレクトリック・ノイズなどの音響実験を排して、シンプルにピアノをバックに歌っている。最新作の『Shade』もその延長にあるわけだが、作品でフィーチャーされている楽器はピアノではなくギターで、前作以上に飛び抜けてシンプルなフォーク・アルバムとなっている。グルーパー史上、もっともポップな作品と言ってもいい。

 オレゴン州のポートランドで長年暮らしてきたハリスは、昨年は同地のブラック・ライヴズ・マターに積極的に関わっていたが、いろんな事情があって引っ越したようだ。最近のWireに掲載されたインタヴューによれば、彼女が精神不安を抱えているとき、いまもポートランドに住んでいる友人のマリサ・アンダーソンから言われた「水を探しなさい」という言葉を頼りに、ハリスは太平洋沿いの海の近くに移住した。録音の半分はカリフォルニアのタマルパイス山という海から離れた場所でおこなわれているが、作品は、ハリスの説明によれば、いま住んでいる土地の海岸の風景と繋がっている。たしかに、アルバムの冒頭は“海を追って(Followed The Ocean)”とある。それはホワイト・ノイズがミックスされ、過剰にエフェクト処理された昔ながらのグルーパー・サウンドで、この曲が終わって2曲目の“Unclean Mind”がはじまると、どこか別の世界に瞬間移動したかのように場面はいっきに変わる。以降の曲のほとんどは、おおよそアコースティック・ギターと歌だけで構成されている。しかもメロディや歌よりもギター演奏の運指の音量のほうが大きいという、いままで以上に静的な瞬間がたびたびある。また、10年前の作品からにじみ出ていたような不安と悲しみは、この新作のどこかにはあるのかもしれないけれど、しかし『Shade』には、なにかしら清々しさが混ざっているように感じるのだ。もちろん、いまこの作品を聴いているぼくは「ひとり」だ。しかし同時に、心のざわめきには風通しのよい、そう、たしかに水を見つけたときのささやかな喜びがある。
  アンビエントめいた音響実験に関しては、2019年から着手したNivhek名義にて、今後も継続されていくのだろう。

WWW & WWW X - ele-king

 さまざまなライヴ、パーティ、イヴェントを開催してきた渋谷のヴェニュー、WWW および WWW X が「センキョ割」を実施することを発表している。来る衆院選で投票を済ませた方限定で、ドリンクチケットを配布するとのこと。期日前投票も対象で、また、実施期間外の公演のチケットを持っている場合でも対応してくれるそうだ。
 飲食店などが投票へ行った人びとになんらかの割引を実施するのは海外ではよくおこなわれていることだが、これまで日本の音楽業界でも故・飯島直樹氏のレコード・ショップ「Disc Shop Zero」などが取り入れてきた。規模の大きい WWW および WWW X の今回の決断は、まさに英断と言えるだろう。
 ちなみに、先週末にはコムアイをはじめ、俳優などの著名人14名が投票を呼びかける動画「VOICE PROJECT 投票はあなたの声」がユーチューブで公開されている。ようやく日本でもアーティストなどによる態度表明が定着していきつつある。
 第49回衆議院議員総選挙の投票日は10月31日(日)、期日前投票は10月20日(水)~10月30日(土)。

2021年 第49回衆議院総選挙での「センキョ割」実施について

WWW、WWW Xでは衆議院総選挙の投票証明をお持ちの方へ、「センキョ割」としてドリンクチケットをプレゼントします。

[投票日]
2021年10月31日(日)

[センキョ割 実施期間]
2021年10月20日(水)〜11月7日(日)

[センキョ割 参加方法]
・お一人様一回まで参加可能です。
・「投票証明」として投票済証、もしくは投票所の看板前でご自身(or学生証や免許証などのID)を撮影した写真をお持ちください。
・期日前投票も対象となります。
・実施期間中の公演チケットをお持ちでない方も、WWW、WWW X受付にて対応いたします。
・ドリンクチケットは2022年2月末まで有効です。有効期間内にWWW、WWW Xで行われる公演にてご利用頂けます。
 
[ご来場の際の注意事項]
・公演の開場時間付近は、お客様誘導のため対応ができかねる場合がございます。事前にWWW HPにてスケジュールをご確認の上、開場時間を避けたご来場をお願い致します。
・10/26(火)、11/1(月)は休館日となります。
・必ずマスクをご着用の上、ご来場をお願い致します。公演へ参加される方は、WWWの「新型コロナウィルス感染拡大予防に関する注意事項」のご確認と遵守をお願い致します。

WWW:03-5458-7685
WWW X:03-5458-7688

※当社は一般社団法人選挙割協会の規則を遵守しております。特定政党、候補者を応援する形で拡散などする行為を固く禁じます。

Autechre × Humanoid - ele-king

 11月19日に『Chiastic Slide』と『LP5』がヴァイナルでリイシューされることになっているオウテカ。彼らがヒューマノイドのレイヴ・アンセムをリミックスしている。
 より正確を期せば、ヒューマノイドが1988年に発表した “Stakker Humanoid” を本人がアップデイトした “sT8818r” という2019年の曲があり、今回オウテカがリミックスしたのは後者のほう。12月3日にベルギーの〈De:tuned〉からリリースされるEP「sT8818r Humanoid」に収録される。
 ヒューマイノドは、後にフューチャー・サウンド・オブ・ロンドンを結成するブライアン・ドーガンズによるプロジェクトで、〈Rephlex〉からも編集盤が出ている。“Stakker Humanoid” は多くのひとから愛され続けているレイヴ・アンセムだ(88年当時UKのシングル・チャートで17位をマーク、その後何度もリイシューされている)。
 なお「sT8818r Humanoid」にはオウテカのリミックス以外にも、原曲 “Stakker Humanoid” のリマスター・ヴァージョンと、ルーク・ヴァイバートおよびマイク・ドレッドそれぞれによる “sT8818r” のリミックスが収録される。アートワークはデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソン。すぐになくなりそうなので、早めに予約しておこう。
 しかし、こういう盤が出るということは、もしかしたらイギリスの一部の人びとはレイヴ・モードなのかもしれない。感染者数はえらいことになっているものの、日常的な検査は続いており、死者数が増えないようなら政府はこのまま行くようだ。もうバンドはがんがんツアーに出ているし、なんだか日本とはえらい違いですな……
 いまや「レイヴ」という言葉はいろんなところで目にするようになっているが、実際に90年代のイギリスでなにが起きていたのかを知るためにも、ぜひ『レイヴ・カルチャー』を手にとっていただけると嬉しい。

Cleo Sol - ele-king

 この6月にロンドンの覆面的なプロジェクトである SAULT(スー)が、99日後に消えるというニュー・アルバムの『ナイン』をリリースして話題となった。そのスーのメンバーであり、リトル・シムズの『グレイ・エリア』(2019年)や新作の『サムタイムズ・アイ・マイト・ビー・イントロヴァート』にも参加するクレオ・ソル。この2作はスーのインフロー(ディーン・ジョサイア・カヴァー)が全面的なプロデューサーを務め、リトル・シムズの音楽性にスーが極めて親密に関わっていることを示しているのだが、『サムタイムズ~』の中にはクレオ・ソルがフィーチャーされた “マザー” という曲がある。ナイジェリア系のリトル・シムズがアフリカはじめ世界の女性たちを鼓舞するナンバーなのだが、同時に母親となったクレオ・ソルに捧げられたナンバーでもある。そして、『サムタイムズ~』と同時期に『マザー』と題したクレオ・ソルのアルバムもリリースされた。アルバム・ジャケットには赤ん坊を抱きかかえたクレオ・ソルのポートレイトがある。

 クレオ・ソルはまたの名をクレオパトラ・ニコリックといい(『サムタイムズ~』の中でもなぜかクレオ・ソルとクレオパトラ・ニコリックの名義が併用されている)、ウェスト・ロンドンのラドブローク・グローヴで1990年に生まれた。セルビア人とスペイン人の混血である母、ジャマイカ人の父ともにミュージシャンで、特にシンガーをやっていた母親の才能を受け継いだ。ちなみにラドブローク・グローヴはノッティング・ヒルのカーニヴァルで有名で、彼女もそのお祭りにはいつも参加していたそうだ。ソウル、ジャズ、ラテン、レゲエなどさまざまな音楽を聴いて育ち、スパイス・ガールズからフランク・オーシャンなどもお気に入りという彼女だが、音楽の和音という面ではスティーヴィー・ワンダーの “ドンチュー・ウォリー・バウト・ア・シング” に理想を見出している。10代半ばから本格的なヴォーカル・レッスンを受け、スペイン語で太陽を表わすソルを用いたクレオ・ソルの名前を使うようになる。

 プロのシンガーとなったクレオは、グライムのパイオニア的なプロデューサーであるダヴィンチと一緒に仕事をするようになり、彼のアルバムの『ライダー』(2009年)にフィーチャーされる(そこではクレアという名前を用いていた)。そうした繋がりからダヴィンチ、ロール・ディープ、レッチ23、アグロ・サントスらによる2010年のオレンジ・ロックコープスのアンセム “ギヴ・ア・リトル・ラヴ” にもフィーチャーされ、UKでは一躍その名を知られることになる。その後、ダヴィンチのプロデュースで “ラヴ・ベース” や “コール・フォー・ミー” などをラジオ・ヒットさせるのだが、当時の2010年代初頭はEDMのような派手目のダンス・サウンドのシンガーというイメージだった。

 その後しばらく見かけなかったクレオだが、彼女の名を再び発見したのはリトル・シムズの『グレイ・エリア』で、そこで一緒に仕事をしたインフローと共にスーを結成している。かつては人の書いた曲をただ歌っていたクレオだが、活動休止期間中に作詞・作曲についてもマスターしたようで、すっかりシンガー・ソングライターへと変貌していた。そして、2020年にはインフローのプロデュースのもと『ローズ・イン・ザ・ダーク』というソロ・アルバムをリリースするが、それはダヴィンチと一緒に仕事をしていた頃と180度イメージを一新したものだ。スーのアルバムともまたカラーが異なっていて、エリカ・バドゥあたりを彷彿させるオーガニックでジャジーな質感のネオ・ソウル系の作品集だ。彼女の理想とするスティーヴィー・ワンダーの作品にも通じるアルバムであり、本来的に彼女がやりたかった音楽なのだろう。それに続く『マザー』は2枚目のアルバムとなる。

 『ローズ・イン・ザ・ダーク』から『マザー』への間、コロナによるステイ・ホームがある一方でクレオは母親となった。『マザー』のジャケットは柔らかな太陽の光が差し込む部屋で赤ん坊を抱きかかえてくつろぐクレオの写真で、母になった喜びや子供への愛情が詰まったアルバムとなっている。その代表と言えるのが “ワン・デイ” で、この6月に生まれたばかりの子供のことを歌ったナンバーだ。しっとりとしたピアノをバックにクレオが優しく歌う “ワン・デイ” はかつてのキャロル・キングを彷彿とさせるようなはじまりで、『ローズ・イン・ザ・ダーク』と比較しても『マザー』がさらにアコースティックでフォーキーなテイストとなっていることを示す。そして単にシンプルでメロディアスな曲というわけではなく、8分25秒という比較的長めの中で複雑で豊かな和音展開を見せるあたり、スティーヴィー・ワンダーの影響も大いにあることがわかる。

 アルバム全体のプロデュースは前作に続いてインフローが務め、今回は “ハート・フル・オブ・ラヴ” に見られるようにオーケストラルなアレンジによって、優しく包み込むようなサウンド・メイクが際立っている。また、多重録音によるコーラス・アレンジの素晴らしさも随所に見られる。と言っても過剰なアレンジが施されているわけではなく、“ドント・レット・ミー・フォール” や “プロミセス” のようにあくまでクレオの歌を中心に、アコースティック・ピアノやアコースティック・ギターが寄り添う構成。ややラテンやボサノヴァ的なフレイヴァーも感じさせるところはキャロル・キング的であり、現在では同じロンドンのシンガー・ソングライターのリアン・ラ・ハヴァスあたりに通じるものも感じさせる。“スピリット” における厳かなコーラスとオーケストレーションはゴスペル・クワイア風で、ロータリー・コネクションやミニー・リパートンを手掛けたチャールズ・ステップニー的なプロデュース・ワークである。“ミュージック” の前半はまさにミニー・リパートンの “レ・フルール” を連想させるが、後半はタンゴをイメージしたような優美なオーケストラ演奏が展開される2段構成だ。ちなみにキャロル・キングも1971年に『ミュージック』という名アルバムを残しているのだが、クレオも何かしら意識しているのかもしれない。

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