「Noton」と一致するもの

the perfect me - ele-king

 ポップスというものの面白い一面に、構築的に作り込めば作り込むほどに、その音楽の表面部が研磨されていき、総体としてのフック(のようなもの)が後景に遠のいてしまうというのがある。こういう抽象的な言い方でピンとこないなら、例えば(特に『Aja』以降の)スティーリー・ダンの音楽について考えてもらうとわかりやすいかもしれない。ハーモニー、メロディー、リズム……それらの綿密な配置を司ろうとする「偏執的作家性」のようなものは、通常それが意識的な聴取によって発見されるまでは、「スムース」で「ポップ」な印象の中に大人しげに匿われることになる。もちろんスティーリー・ダンのふたりは、そのあたりのメカニズムにも通じているがゆえ、ハッとするほどに反構築(脱構築ではない)的な音の引き算をおこなったり、ときに異様ともおもえるほどあからさまに(それこそが彼らのルーツにジャズがあることを教えてくれるのだが)、個々の奏者の極めて一回的で火花散るようなプレイを焚べたりして、その「スムース&ポップ」を内側から壊そうとしもしたのだが。

 福岡を拠点に活動する若きミュージシャン/エンジニア Takumi Nishimura によるユニット the perfect me のセカンド・アルバム『Thus spoke gentle machine』は、彼にとっての初のソロ編成作品でもあり、その幅広い音楽性を思うさま開陳したような快作だ。ユニット名の由来は、かつて来日公演時にサポート・アクトを努めたことのある米バンド Deerhoof の曲名から。その Deerhoof をはじめとしたアヴァンなUSインディ・ロック系アクトや、その少し前の時代に全盛を迎えたポストロック系バンド、あるいはそのもっと前のオルタナ系バンドやニューウェーヴ/ポストロック、さらにはクラウトロックまでをもぐるりと視界に収めようとする折り目正しい内容は、それだけで既に、熱心なインディ・ミュージック・ファンを唸らせるに十分なものだろう。
 ステレオラブ、ハイ・ラマズ、トータス、コーネリアス、トクマルシューゴ、ロバート・ワイアット、吉村弘、10cc、ビーチボーイズ、ビートルズ、ヴァン・ダイク・パークス、ベック、ヴァニラ・ファッジ、初期ディープ・パープル、toe、ダフト・パンク、ウルフペック、ルイス・コール……各曲を聞きながら去来する様々な固有名詞が寄せては消える様は、この作品が確実に真摯な音楽愛好家によって仕立て上げられた音楽愛好家のための音楽であることを告げているが、どうやらそういう「いろいろな音楽の繚乱」を嬉しがるだけの評価に押し込めることのできない特異な煌めきがあるようだ。わかりやすく言うなら、単なる「優れた編集センス」の向こう側、というか……。

 それを読み解く鍵こそはおそらく、彼がフェイヴァリットとして上げているスティーリー・ダンの手法に通じる何かなのではないだろうか。実際、M2. “two colors expressway (album ver)” や、M14. “drive in the basement car park” は、その複雑な和音進行や構成、フレーズ的な類似からしても、かなりスティーリー・ダンっぽいともいえる。昨今、AOR風の意匠を纏うサウンドは溢れ尽くしているわけだが、スティーリー・ダンという高難度のそれに挑戦するという時点で奇特だといっていい(世界を見回せば決して珍しいというわけではないが、満足の行く習熟度で取り入れている例となるとかなり稀に思う)。
 そうしたスティーリー・ダンへの顕示的な類似にもまして感じ取りたいのは、冒頭に述べたような、構築的な手法を追求することで自然と立ち現れてしまう「ポップ&スムース」なテクスチャーに対してどうやら Perfect Me はかなり自覚的な「内部からの攻撃」を仕掛けているふうだ、ということだ。
 まずそれは、(まさにスティーリー・ダンがそうだったように)上述2曲風の曲における個々の演奏へのクローズアップに見出すことが可能だろう。ゲスト参加した Sohei Okamoto によるディーン・パークスやデヴィッド・スピノザがごときギターソロは、あきらかにこの「品の良いオルタナ風の」アルバムの中では(すごく良い意味で)浮きまくっているし、また、曲ごとに加わる白根賢一(GREAT 3, manmancers)、高桑圭(Curly Giraffe)という手練のリズム隊の「熱い」プレイにも、そういう「内部からの攻撃」を嗅ぎ取ることができるだろう。もしかすると、こうしたオルタナティヴ経由のプレイアビリティの表出を指して、コンテンポラリーなジャズとの共振を感じとることもできるかもしれない。

 さて、このアルバムを「スムース&ポップ」の淵へ落とさせないもうひとつの重要な要素がなにかと問われるなら、ずばり、このアルバムの中盤部、特にM5~8へと向けて展開される「ロック」的意匠の奔出にあるのではないだろうか、と応えたい。事実、私が最も楽しんだのがこのパートで、かなり大胆なUKロック的要素(あえて具体名を出すなら、ザ・ストーン・ローゼズとか、ブラーとか)を感じたのである。私見混じりになってしまうが、こうした要素を、先のスティーリー・ダン的メロウネスや甘やかなチェンバー・ポップ~アヴァン・ポップ的な要素と同居させた例を寡聞にして他にしらなく、新世代の屈託のなさだね、といい切ってしまうのを留まらせる鈍色の異様さを放っているように思えた。わかりやすく言うなら、これらはいまもっとも「スムース&ポップ」という感触から遠いものなのではないか?
 スリージーなギター・サウンドやブルージー(とあえていわせてほしい)な歌唱が収まりの悪そうに(繰り返すが、それがなにより素晴らしい)アルバムの中腹部にその腰をデンと下ろす時、いきなりロックという重心点が「オルタナティヴ」という地平線の向こう側から突然現れ、他の「スムース&ポップ」的安寧をグリグリと揺るがしてくるようなのだ。

 そういえば、スティーリー・ダンをAORと評すると怒り出す人がいるらしいけれど、たしかに、仮に本作を「聞き心地の良いオルタナ風アヴァン・ポップ」とか形容している人を見つけたら、私も軽く憤ってしまうかもしれない。一見「よくできた」「心地よい」音楽は、肌を優しく撫でるようにみえて、そこに隠された棘がしたたかに痛点をついてくることもある。

Devils Of Moko - ele-king

 ロンドンの新進ジャズ・ピアニストとして注目を集めるドミニク・J・マーシャル。今年はソロ・アルバムの『ノマドズ・ランド』が素晴らしい出来栄えだったが、それとは別のプロジェクトでもアルバムを発表した。デヴィルズ・オブ・モコという名前のピアノ・トリオだが、もともと組んでいたドミニク・J・マーシャル・トリオ(DJMトリオ)を発展させたもので、メンバーはDJMトリオ時代のサム・ガードナー(ドラムス)と、アフリカのコンゴ出身のムレレ・マトンド(ベース)による組み合わせとなる。
 ドミニクとサム・ガードナーはリーズ音楽大出身で、そのときの学友にはやはりDJMトリオのサム・ヴィッカリーがいたほか、サウス・ロンドンを代表するピアニストのアシュリー・ヘンリーもいて、両サムはアシュリーの処女作にも参加していた。サム・ガードナーはセプタビートという人力ドラムンベース・ユニットもやっていて(以前執筆したドミニク・J・マーシャルの原稿では別人と認識していたが、どうやらサム・ガードナーとセプタビートは同一人物のようである)、タイプ的にはリチャード・スペイヴンあたりに近いドラマーだ。ほかにもサマディ・クインテットという、インド音楽や中南米音楽とコンテンポラリー・ジャズを結び付けたグループも率いるが、ここにはドミニク・J・マーシャルとサム・ヴィッカリーも参加していて、つまり彼らは昔からの友人で、日頃から親密な関係性を持つミュージシャンなのである。

 そのリーズ音楽大時代に開かれたアフリカ音楽のアンサンブルのワークショップに、コンゴからイギリスに移住してきたムレレ・マトンドが参加して、デヴィルズ・オブ・モコの原型は作られたと言える。ムレレ・マトンドはコンゴ・ディア・ントティラという、アフリカ音楽にジャズやブルース、ファンク、レゲエ、ラテンなどの要素をミックスしたグループをやっていて、昨年アルバム『360°』を〈プッシーフット〉からリリースした。〈プッシーフット〉はハウィー・Bによる伝説的なレーベルで、1990年代にはスペイサーやサイ、ドビーなどトリップホップ~アブストラクト・ヒップホップ~ダウンビート作品をリリースしていた。当時はコールドカットによる〈ニンジャ・チューン〉やジェイムズ・ラヴェルの〈モー・ワックス〉などと並ぶ存在だったが、2000年代に入ってからは活動が鈍化していた。最近になって再びリリースも活発になってきたが、アーティストや作品傾向もかつてのトリップホップ時代とは随分と変わってきているようだ。そして、このコンゴ・ディア・ントティラの繋がりで、デヴィルズ・オブ・モコのファースト・アルバム『ワン』は〈プッシーフット〉からリリースされることになった。

 もともとアフリカ音楽のサークルから始まったデヴィルズ・オブ・モコだが、メンバーがそれぞれいろいろな活動をする中で音楽性も徐々に変化していき、現在はコンテンポラリー・ジャズにヒップホップ、ロック、クラブ・サウンドなどの要素を融合したものとなっている。ゴーゴー・ペンギンあたりに近いピアノ・トリオと言えるだろう。ただし “ヴァタ” “ザンバ” “ゾジンボ” など曲名にはアフリカの言葉が多く使われていて、根底にはアフリカ音楽からの影響が流れている。たとえばアフロビートのようなわかりやすい形でアフリカ音楽を取り込むのではなく、スワヒリ語で夢を意味する “ンドト” のようにポリリズミックなサムのドラムスや、どこかアフリカン・ハープのコラを想起させるドミニクのピアノにより、モダンに進化したアフリカ音楽とジャズの融合を見せてくれる。
 基本的にメンバー3人の生演奏によるアルバムだが、“アルゴリズム” や “サンダイアル” や “ホーム” に見られるようにドミニクはグランド・ピアノに加えて随所でシンセも用い、アコースティック・サウンドに巧みにエレクトリク・サウンドも織り交ぜたものとなっている。“スペース” のトリッキーで複雑なリズム・パターンや、“ホエアズ・ジ・ワン” のスリリングなベース・ランニングもいまの新世代ジャズらしいものだ。“オリヴィア” はヒップホップ経由のメロウなジャズ・ファンクといった趣で、“ゾジンボ” のビートはドラムンベースを咀嚼したものとなっている。ジャズの洗練されたインテリジェンスにクラブ・サウンドに代表される現代的なモチーフを忍ばせ、そして土着性や民族性と切り離した形でアフリカ音楽の要素も融合したのがデヴィルズ・オブ・モコの音楽である。


Isayahh Wuddha - ele-king

 来年はきっと、音楽の風向きが大きく変わる──昨年末、編集後記にそう書いた。そのときはもちろん新型コロナウイルスのことなんて知らなかったし、ミネアポリスでの事件を受けてこんなにも世界各地で抗議や蜂起が頻発することになるなんて想像すらしていなかった。そしてもちろん、イサヤ・ウッダのことだって知らなかった。今年は音楽をとりまく状況にも大きな変化が生じているが、しかしイサヤ・ウッダは、その変わった風向きをこそこれから牽引していくことになるのではないかという、不思議な可能性を強く感じさせる。

 冒頭 “Feel” の最初の10秒を聴くだけでわかるだろう。そもそも出音がちがうのだ。折り重なるチープな電子音と、ラップと歌のあいだをたゆたう脱力気味のヴォーカルは、このアルバム全体を貫く最大の魅力である。「プローンが佐藤伸治にも坂本慎太郎にも変身できるヴォーカリスト兼ギタリストを迎えてファンクに挑んだ作品」とでも形容すればしっくりくるだろうか。どことなくマニー・マークや90年代の〈Ninja Tune〉を思わせる遊び心も感じられる。部分においてレトロではあるが、しかし全体としてはまちがいなく今日の音楽としかいいようのない現代性を携えてもいる。イサヤ・ウッダ、彼はいったい何者なのか?
 2曲目の “Elephant Wave” は本作の顔とも呼ぶべき曲である。分節された「ア・イ・ウ・エ・オ」の発声、絶妙な距離感でちゃかちゃかと鳴りつづけるパーカッション(?)にギターの弦の残響、甘い甘~い主旋律にJBばりのシャウト……ここには宅録インディ・ポップの魅力すべてが詰めこまれている、とまでいってしまうと誉めすぎだろうか。
 ロウファイとはたんに音質が悪いことを指すのではない。ロウファイにはロウファイの聞かせ方がある。たとえばジャイルス・ピーターソンがラジオでプレイしたという “Something In Blue” では、ほかの曲より強めに設定されたキックの音が背後のサーッというノイズに穴をあけるような効果をもたらしている(居眠りしそうになったときにシャーペンでまぶたを刺す感覚に近いというか)。あるいは “Emerald” における打楽器的な声の扱いと、ささやかなダブの快楽。最終曲 “Ever” ではクラシカルふうのギターがほかの曲とは異なる落ち着いたムードを運びこんでいるが、ヴォーカルを茶化すように挿入される電子音がそれをぶち壊してもいる。これら数々の創意工夫に耳を傾けていると、イサヤ・ウッダこそ音響派であると、そう断言したくなってくる。

 これほど充実したサウンドを呈示されると、いったいどんな音楽を聴いて育ってきたのか気になるところだが、沖野修也のラジオに出演した際の本人の発言によれば、2019年の2月にマイケル・ジャクソンの自伝を読み、そのピュアネスとプロ根性に感銘を受け、翌3月にじぶんでも音楽をつくりはじめたのだという。そうしてレコーディングされた音源を昨年7月に〈maquis records〉からカセットテープでリリース、バンドキャンプにもアップロードしていたためロンドンのレーベル〈WotNot〉の目にとまり、このたび再構成&リマスタリングを経て新装リリースされることになったという次第(ちなみに〈WotNot〉はこれまでにK15や、ザ・コメット・イズ・カミングのシャバカ以外のふたりから成るユニット=サッカー96などをリリースしている)。
 同ラジオで「共感できるアーティストは?」と問われたイサヤ・ウッダは、「テーム・インパラの前座をやりたい」「んミィバンドが好き」「京都の本日休演のヴォーカリストとは友だちになった」と答えている。いまいちつかみどころがないが、ある種のサイケデリアや、ポップネスのなかにさりげなく散りばめられた実験性のようなものに惹きつけられるのかもしれない(バンドキャンプの公式情報によれば、かつてはアルバート・アイラーや阿部薫にも影響を受けたそうなのだけれど、その痕跡は少なくともこのアルバムからは聴きとれない。むしろ Can などのほうがピンとくるのだが、そのあたりはどうなんだろう)。
 大阪生まれ、京都在住、将来はポルトガルに住みたいというイサヤ・ウッダ、いまだ謎の多いアーティストではあるが、いずれなにか大きなことを成しとげそうな気配がぷんぷん漂っている。「期待の新人」ということばは、彼のようなアーティストのためにこそ存在しているにちがいない。近いうちにつぎのアルバムも予定されているようなので、楽しみに待っていよう。

Chari Chari - ele-king

 冒頭から私ごとで恐縮だが、自粛期間でジャズをたくさん掘る機会に恵まれた。見つけたアルバムのひとつにアルバート・アイラー『Music Is the Healing Force of the Universe』という作品がある。1969年リリース、遡ること約50年前のフリー・ジャズ。内容もさることながら、アルバムのタイトルにとくに強く惹かれるものがあった。『音楽は万物の癒しの力』音楽と同時に言葉の持つチカラは本当に偉大だ。そしていまから紹介するChari Chari『We hear the last decades dreaming』も音楽、そして言葉の持っている「癒しの力」を携えた1枚になっている。

 20年以上のキャリアを誇るDJ/プロデューサー、井上薫がChari Chari名義で放った新作。この名義では実に18年ぶりとなるアルバムで、2016年に12インチレコードでリリースされた「Fading Away / Luna De Lobos」などを含む全12曲が収録。「作曲、ミックス、マスタリング、という行程をある時期から完全に独りの作業として行っていった」と自身のブログでも語るように(是非このブログもレヴューと併せて読んでいただきたい)細部まで非常に拘り抜かれたアルバムになっている。

 イントロやアウトロなどを除けばほぼ全てが6分〜10分を超える非常に濃い内容の楽曲が揃っており、電車窓の情景を思い起こさせるような1曲目“Tokyo 4.51”が現実からアルバムが秘める異世界への橋渡しになっている。アルバムを何度か聴いていくと大きく分けて3つの構成に分かれているように感じており(是非機会があればご本人に確認したいところ)、それぞれのトラック・タイトルに“Dream = 夢”“Agua = 水”“Haze = 霧”と一寸先の見えないような幻想的な世界観が広がる1〜4曲。幻想を飛び出し、山奥や草原といった大自然の力を感じるような5〜8曲。そしてエレクトロニックでダンス・ミュージックのグルーヴも併せ持った9〜12曲。どれも井上薫自身のバックグラウンドでもある民族音楽やアンビエント、ミニマルなサウンドがこのアルバムの随所にも散りばめられており、それらが絶妙なレイヤーで増えたり減ったりを繰り返す。

 サウンドと並行してアートワークやタイトルにも強烈なメッセージが印字されており、ジャケットに記された「Music for Requiem Ritual」= 「安息の儀式のための音楽」がこのアルバムの最大のコンセプトになっている。奇しくも2020年、コロナ禍という人類の価値観や経済活動を覆す節目でリリースされたこのアルバムは18年という時を超えて本当に奇跡のような絶妙のタイミングでリリースされたとしか言いようがない。引き続き先行きの見えない世の中に不安を抱えながらも、このアルバムが持つ「癒しの力」にどっぷりと浸かりながら、過去そして未来の10年、20年(decades)に想いを馳せるのがリスナーとしてのアルバムのアンサーになるのかもしれない。

 往年の井上薫 / Chari Chariファンはもちろん、今回初めてChari Chariの存在を知った人にとっても、この挑戦的でコンセプチュアルなアルバムを是非一度聴いて欲しいと思うし、このレビューが少しでもそれを後押しできれば幸いだ。

校了しました - ele-king

 いよいよ暑くなってきましたが、おかげさまで別エレ最新号『ブラック・パワーに捧ぐ』が無事校了となりました。BLM以降の現在とリンクしつつ、ブラック・カルチャーを称える特集です。
 去年の年間ベスト1位に選出したムーア・マザーをはじめ、アンダーグラウンド・レジスタンスのマッド・マイク&コーネリアス・ハリス、先日ベネフィシャリーズとしてすばらしいアルバムを発表したばかりのジェフ・ミルズに、批評家グレッグ・テイトのインタヴューも掲載。「10年代のブラック・ミュージック」「10年代のデトロイト」「コンシャス・ラップ」にフォーカスした必聴盤計130枚の紹介に加え、映画や文学、歴史など、黒人文化を知るための必携の1冊に仕上がっていると自負しています。

 そして、同日発売となる田中 “hally” 治久監修の『ゲーム音楽ディスクガイド2』、こちらも無事校了しています。ご好評いただいた『ゲーム音楽ディスクガイド』から1年ちょい、新たな執筆陣も迎えつつ、前巻に収まりきらなかった名盤たちはもちろんのこと、今回はアンダーグラウンド系のサンプリングやリミックス、同人アレンジなどの非公式音源も追求し、さらにはレコード化されていない音源まで取り扱っています。はっきり言って、すごいです。それに加え、ディープなゲーマーとしても知られるピエール瀧の特別インタヴューも掲載。これまた入魂の1冊です。

 いずれも発売は8月26日。どうぞお楽しみに。

Sound Of Japan - ele-king

 近年、文化のグローバル化、インターネットの普及、趣味の細分化によって日本の音楽が海外から、10年前にくらべてずいぶん広く注目されているのはみなさん周知の通り。ここ1~2年で言えば、細野晴臣への評価の高さはすごい、いまや細野さんはNTSでも番組を持っているほど(しかもこれがなかなか面白い内容なんですよ)。
 とはいえ、ひとこと日本の音楽といってもそれはもういろいろあって、シティ・ポップと吉村弘ばかりが売れているわけではない(笑)。先日ele-kingの石原洋のインタヴュー記事が海外サイトに訳されたように、多ジャンルわたっての注目であって、民謡クルセイダーズだってコロナが無ければこの夏は欧州を旅していたはずですから。
 で、そんななかでBBCレディオ3が日本の音楽の特番を放送しているのは、とうとうそんな時代になったのかと、じつに興味深い話だ。東京在住のNick Luscombeさんが現代音楽からシティ・ポップ、アヴァンギャルドからフォーク、伝統音楽までなんでも選曲するという。すでに2回が放送済みで、3回目は8月9日の現地時間の午後11というから、日本時間では8月10日の朝7時になるのかな。最近、鶏も早起きしているワタクシ=野田はチェックしてみようと思っています。
 日本の音楽もこうして海外に開かれていくことで、よりサウンドが重視されるだろうし、まあ、これはポジティヴなことだと思います。

A Certain Ratio - ele-king

 これがじつに格好いい曲なんですよ。ACR(ア・サートゥン・レシオ)の12年ぶりのアルバム『ACR ロコ』に収録された“Yo Yo Gi”。ラテン・パーカッションからはじまりハウスへと展開するダンス・トラックで、長年マンチェスターでニュー・オーダーとともにバンド形態によってダンス・カルチャーにコミットしてきたベテランだけのことはある。今年のはじめに来日した際にフィールド・レコーディングした山手線のアナウス入りの曲で、MVにも東京で撮影された風景が流れている。



 1978年に始動したACRは、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーとともにマンチェスターの〈ファクトリー〉を代表するバンドとしてデビュー。レーベルの1枚目のシングルがACRだった。また、ニュー・オーダーはエレクトロを介してダンスフロアへと接近したのに対して、ACRはファンクとラテンのリズムをもって向かった。80年代なかばに脱退した初期メンバーは、のちにクアンド・クアンゴへと、そしてUKで最初期のハウス・プロジェクトのT-COYへと発展する。いっぽうのACRはメジャー契約後の80年代後半にいきなりシングル「The Big E」とフランキー・ナックルズのリミックス擁する「Backs To The Wall」をリリースするという、まさにUKダンス・カルチャーととに生きてきている。2000年代初頭におきたポストパンク・リヴァイヴァルにおいて、もっとも再評価されたのがACRで、12年ぶりのアルバムになる新作『ACR ロコ』は彼らの40年の集大成的な内容になっている。9/25発売まで待とう。

interview with AbuQadim Haqq - ele-king

 「深海居住人(Deep Sea Dweller)」として、1992年にドレクシアは初めて世界にその存在を知らしめた。翌年には「あぶくのメトロポリス」(93)、そして「分子によるエンハンスメント(強化)」(94)、「未知なる水域」(94)、「水のなかの侵入」(95)、「帰路への旅」(95)、「ドレクシアの帰還」(96)、「探索」(97)……すべて12インチ・シングルだが、それの音楽においては、水歩行人、ロードッサ、波跳ね人、ダートホウヴェン魚人、ブロウフィン博士……といったキャラクターが登場する。16世紀の奴隷船において、海に落とされた病人たちが水中生物として変異し、生き延び、繁栄し、そこにユートピアを築いていたというのがドレクシアがレコードと音楽によって繰り広げた物語である。
 デトロイトのゲットーの地下室で変異したクラフトワーク直系のエレクトロによってファンタジーは語られ、主要な作者であるジェイムス・スティントンがこの世から消えてからはなおのこと、生前よりもいっそう広く、そしてむしろリアルタイムで知らなかった世代によって語り継がれている。ドレクシアほど、後からそしてまた後からと評価が高まっていったアーティストは珍しい。

 長年にわたってデトロイト・テクノのヴィジュアル面をになってきたアブドゥール・ハック(最近、アブカディム・ハックと改名)が、5年の歳月をかけて描き上げたのが、このたびベルリンの〈Tresor〉から刊行されたグラフィック・ノベル版『The Book of Drexciya Vol.』だ。編集部小林がなけなしの大枚をはたいて〈Tresor〉から直接購入したこの本は、いまなら多額の送料不要でディスクユニオンで購入できる。メデタシである。
 そんなわけで、日本のファンにはすっかりおなじみのハックの声をお届けしましょう。通訳を手伝ってくれたのは、日本のTVゲームやジャズ喫茶のドキュメンタリー映像作品を制作しているニック・ドワイヤー。14歳のときに聴いたジェフ・ミルズのミックスCDがきっかけてエレクトロニック・ミュージックを好きになった彼にとっても、ハックはヒーローです。

ドレクシアの深い部分をもっと表現したいという気持ちが強かった。ジェイムス・スティントンは他にもプロジェクトがあったけど、僕と彼とが一緒にやったほうがより彼の世界を描けるんじゃないかと思った。

ハック、グッモーニン(笑)。

ハック:ヘイ! グッドイヴィニング(笑)!

いまそっちは何時?

ハック:朝の6時。

早いね。

ハック:オールウェイズ!

今日、通訳を手伝ってくれる友人のニック・ドワイヤーを紹介するよ。

ニック:お会いできて嬉しいです。いま東京に住んでいるけど、生まれはニュージーランドです。※この取材の1週間後にはビザの関係で帰国。

ハック:クール。

ニック:最後に東京に来たのはいつ?

ハック:2017年だね。

もう何回も来ているよね。ハックは日本に多くの友だちがいるから。

ハック:ハッハハハ、イエス。

じゃあ、質問しますね。このプロジェクトはいつ、どのように発展したんですか?

ハック:5~6年前に、キャラクター……まずは水中のキャラクターを使ってストーリーを考えはじめたんだよ。ドレクシアの王様というのが話の原点でね。

じゃあ、これはあなたのオリジナル作品とみていいですよね?

ハック:イエス。ドレクシアのコンセプトを元にした僕のオリジナルだよ。

これはシリーズになるんですよね?

ハック:ハイ。

では、もうすでにこの後の脚本もあるんだ?

ハック:いま2作目のシナリオを思案中。

ドレクシアはミステリアスで、ファンはそれぞれが自分のドレクシアのイメージを持っているでしょ? だからドレクシアの世界を具象化するのってリスキーでもあるわけだけど、そこはどう思う?

ハック:いや、そこまでリスキーだとは思わなかったな。むしろ、ドレクシアの深い部分をもっと表現したいという気持ちが強かった。ジェイムス・スティントンは他にもプロジェクトがあったけど、僕と彼とが一緒にやったほうがより彼の世界を描けるんじゃないかと思った。

たくさんのキャラクターがいるけど、ハックのお気に入りは?

ハック:ドクター・ブローフィン(Dr. Blowfin/アルバム『The Quest』に登場)だね。

ニック:それはなんで?

ハック:知的で、ドレクシア文明を作ったひとりでもある。話を作っているうちにどんどん好きになったキャラクターだね。

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ジェイムス・スティントンはとても頭が切れる人で、でも笑顔もステキで、礼儀正しくていい人だった。僕は彼の音楽が大好きで、天才だと思っていたよ。よくサイエンス・フィクションや自分のコンセプトについて話をしていたよ。

ハック:ところで、いま(ZOOM画面に)新しい訪問者がいるけど誰?

編集部のコバヤシ。彼が〈TRESOR〉から直接本を買ったんだよ。

ハック:Arigatogozaimashita!

ニックは憶えてる? かつて君を取材したミスター・コバヤシ。

ニック:おー、コバヤシさん!

小林:イエス。

ニック:ハウ・アー・ユー!?

小林:アイム・ファイン。

じゃ、次の質問。ジェイムス・スティントンと初めて会ったのはいつ?

ハック:90年代初頭。いちばん最初のサブマージのオフィスで会った。あの建物はいまは駐車場になっているけど。そのときはあまり話さなかったね。挨拶したぐらいだった。

彼はどんな人だったの?

ハック:とても頭が切れる人で、でも笑顔もステキで、礼儀正しくていい人だった。僕は彼の音楽が大好きで、天才だと思っていたよ。よくサイエンス・フィクションや自分のコンセプトについて話をしていたよ。 ニック:どういうSF?

ハック:(ハックがアートワークを手掛けた)『Neptune's Lair』のときは『スター・ウォーズ』の話をしたのを憶えているよ。ちょうどシリーズが再スタートして『ファントム・メナス』が公開されたタイミングだったんだよ。あとは『スタートレック』とか。

ハック、その昔のサブマージの建物の駐車場の壁に、大きなタギングでドレクシアが描いた「ファック・メジャー・カンパニー」っていう言葉をよく憶えているよ。

ハック:おー、そうだったね。

彼にはすごく反抗心があったよね。

ハック:イエス。

『Neptune's Lair』のとき、アートワークについて彼となんか話しましたか?

ハック:あのアートワークを描く前に彼が僕に言ったのは、フューチャリスティックな乗り物が欲しいってことだったね。それと戦士のキャラクターも欲しいって言われた。あとは、彼らが住む場所、バブル・メトロポリスがどういうところか、“Aqua Worm Hole”(「Bubble Metropolis」収録)はどうするかとか、細かい話もしたよ。

ハックが描いたイカが好きなんだけど、あれはどこから来たの?

ハック:あれが(ドレクシアの)乗り物だよ。あの頃はよくディスカバリー・チャンネルを見ていて深海の番組があったんだけど、そこで泳いでいるイカを見ながら「これだ」と思ったね。

小林:佐藤大さんとはどういうやり取りで進めていったんですか?

ハック:とにかくストーリーを作るのに手伝ってもらった。僕が絵を描いて、彼が言葉を載せてくれて。基本的にはEメールのやりとりで進めていったね。

ニック:いつからの知り合い?

ハック:2000年代初頭、かれこれ15年以上は経つね。

ハックが考えるドレクシアとは?

ハック:音楽があり、コンセプトがある。そのコンセプトにはアフリカから連れ出されていった人たちが、困難を乗り越えて、新たに文明を作るという物語がある。そのためによりよい自分に変えていくっていうことが僕にとってのドレクシアだよ。

小林:あなたの描いたドレクシアの物語を見ていると、絵から古代を感じるし、過去と未来が両方混ざっていると思ったんですが、そこは意識したんですか。

ハック:おっしゃる通り。古代と未来を繋げるのはコンセプトになっている。武器もそうだし、いろんなものが古代や神話を参照しているんだよ。

ニック:日本のアニメは好き?

ハック:もちろん。

ニック:とくに好きなのは?

ハック:新しい『攻殻機動隊』のシリーズ。

ニック:今回のプロジェクトでなにがいちばん楽しかったですか?

ハック:完成させたことだね。ハッハハハ。いや、本当に時間がかかったし、何人も関わっているから、完成させるのにはけっこう努力が必要だったんだよ。

じゃあ、最後の質問です。あなたはなぜアイアン・メイデンが好きなんですか(笑)?

ハック:ギャッハハハ! 高校時代、僕はすごいオタクであまり音楽は聴いてなかったんだよ。ある日友だちがカセットテープをくれたんだけど、全曲ヘヴィーメタルだった。で、そのなかでいちばん気に入ったのがアイアン・メイデンだったんだ。いまでも大ファンです(笑)!

(7月8日、zoomにて取材)

Natalie Slade - ele-king

 フローティング・ポインツやヘンリー・ウーなどエレクトロニックなダンス・サウンドをリリースする一方で、ファティマのようなオーガニック・ソウルもリリースする〈イーグロ〉。今度〈イーグロ〉から新たに登場したナタリー・スレイドは、そのファティマの路線を引き継ぐようなシンガー・ソングライターである。彼女はオーストラリアのシドニー出身で、ヒップホップ系のプロデューサーであるレイ・ライアンと一緒にフランコというユニットを組んでいる。いわゆるヒップホップ・ソウル、エレクトロ・ソウルをやっていて、昨年は〈ロウ・キー・ソース〉というレーベルからEPリリースしている。そのほかスティーヴ・スペイセックが〈イーグロ〉からリリースした『ナチュラル・サイ・ファイ』(2018年)にも参加していて、そうした縁で今回のソロ・デビュー・アルバム『コントロール』のリリースに繋がったようだ。

 アルバム・プロデュースはハイエイタス・カイヨーテ(編注:コーネリアスのリミキサーとしても知られる)のキーボード奏者のサイモン・マーヴィンが手掛けていて、その同僚であるベーシストのポール・ベンダーも楽曲によって参加している。ハイエイタス・カイヨーテ自体はここのところずっと作品のリリースがないが、昨年サイモンとポールはセオ・パリッシュと共演して12インチを出したほか、その12インチでも一緒にやっていたマルチ・プレイヤーのサイレントジェイの作品にも参加して、それがジャイルス・ピーターソンによるオーストラリアのアーティストを集めたコンピ『サニー・サイド・アップ』に収録されるなど、ほかでの活動もいろいろやっている。サイモンやポールにとって『コントロール』は、そうした課外活動の一環と言えるだろう。
 ハイエイタス・カイヨーテのネイ・パームとナタリー・スレイドを比較すると、オペラ調のエキセントリックな歌も披露するネイに対して、ナタリーはよりストレートなソウル・シンガーとしての資質を持っていて、“ヒューミディティ”のようなしっとりと落ち着いた歌声が魅力となっている。サイモンのプロダクションはそうしたナタリーの歌の魅力を引き出すもので、様々な音楽性が結びついたハイエイタス・カイヨーテでのプロダクションのなかでもソウル寄りに振ったものとなっている。

 とは言ってもいろいろなタイプのトラックが並び、ヴァリエーションの豊かさを感じさせる点はさすがだ。たとえばギミ・ヤ・ラヴ”はドラムンベース調のリズムで、“コントロール”はヴードゥー調のアフリカン・リズムにブロークンビーツを混ぜたようなもの。そして“クラウド・カヴァー”をはじめ、オーガニックなサウンドとエレクトリックなサウンドを巧みに融合したプロダクションが敷かれ、そのあたりはファティマやスティーヴ・スペイセックの作品にも共通する〈イーグロ〉のカラーと言える。“ラヴ・ライト”はポール・ベンダーの方がメイン・プロデューサーとなった楽曲で、ネオ・ソウルとジャズの結びつきはハイエイタス・カイヨーテの世界を受け継ぐもの。フォーキー・ソウルとでも言うべき“レター・トゥ・マイセルフ”は、アコースティックな質感の強いポールの演奏も聴きどころだ。

 そして、やはりナタリーの歌声は非常に魅力的だ。“アイ・ウォント・クライ”はソウル・シンガーの歌い方に沿いつつ、ところどころでジャズ・シンガー的なスキャットも織り交ぜている。ジャズ・ファンクとソウルの中間的な“カラー”ではディープなフィーリングを見事に発散している。
 一方、同じディープさに彩られた“ゼア・イズ・ライト・イン・エヴリシング”では、幻想的でスピリチュアルなムードを表現する歌声を聴かせる。この曲ではサイモンの演奏するピアノも楽曲の美しさにピッタリとマッチしている。アフター・アワーズ調の“サンデー・モーニング”は、往年のロイ・エアーズや彼が手掛けたランプを彷彿とさせるメロウ・ソウル。かつてロイ・エアーズが見出したシルヴィア・ストリップリンのような存在、そんな可能性を秘めたシンガーがナタリー・スレイドだ。

Freddie Gibbs & The Alchemist - ele-king

 ギャングスタ・ラップというフィールドにて活躍しながら、Madlibとのコラボレーション(=MadGibbs)によってリリースした2枚のアルバム『Piñata』(2014年)、『Bandana』(2019年)により、アンダーグランド・ヒップホップのファン層からも高い支持を得ているFreddie Gibbs(フレディー・ギブズ)。かたや、Mobb DeepやDilated Peoplesなど様々なアーティストの作品でプロデュースを手がける一方で、エミネムのオフィシャルDJを務めるなどメジャーなフィールドでも活躍し、さらにMadlibの実弟であるOh NoとのGangreneやEvidence(Dilated Peoples)とのStep Brothersなどコラボレーション・プロジェクトも多数展開してきたベテラン・プロデューサーのThe Alchemist(ジ・アルケミスト)。2018年にはラッパーのCurren$yを加えた3人でアルバム『Fetti』をリリースしている彼らであるが、今回、ついに2人でのタッグによるコラボレーション・アルバム『Alfredo』を発表した。

 この『Alfredo』というタイトルは、当然、2人の名前("Al"chemist+"Fred"die)からきているわけだが、英語の固有名詞「Alfred」ではなく、あえてイタリア語のスペルにしていることが、本作のコンセプトにも繋がっている。90年代頃から様々なヒップホップ・アーティストが映画『ゴッドファーザー』などに代表される、いわゆるマフィア映画から強い影響を受け、その世界観を反映した曲が多数作られるなど、マフィア映画はヒップホップ・カルチャーを形作るひとつの要素にもなってきた。ギャングスタ・ラッパーとしてのバックグラウンドを持つFreddie Gibbsにとってもマフィアの世界観は当然相性が良く、実際、Madlibのコラボレーション作品などでもドラッグ・ディーリング(取引)をテーマに高度なストーリーテラーっぷりを披露してきた。

 LAを拠点にアンダーグランドからメジャーまで様々なアーティストの作品を手がけ、多くの共通項を持つMadlibとThe Alchemistという2人の偉大なプロデューサーであるが、ヒリヒリするような緊張感を持ちながら、2人のアーティストの究極の掛け算による格好良さを追求していたMadGibbsによる2作と比べて、The Alchemistは今回のアルバムをまるで一本の映画を撮るかのように組み立てている。クライム(犯罪)ストーリーがベースにありながらも、非常にドラマティックで優雅な雰囲気が強く出ており、それはまさにマフィア映画の空気感そのもので、エレキギターが悲しく鳴り響くトラックが非常に印象的なオープニング曲“1985”から、2人の描く世界は高いレベルで完成している。

 本作の目玉のひとつが、Rick Rossをフィーチャした“Scottie Beam”であるが、同曲のPVにあるような、この2人ならではのギャングスタ・ラップ的なイメージを描きながらも「Black Lives Matter」ムーヴメントとも繋がるようなリリックもあったりと、実に巧みかつ複雑に絡み合っている。かと思えば、“Something to Rap About”では、Freddie Gibbsとはまったく異なるスタイルの流れにあるタイラー・ザ・クリエイターがゲスト参加し、本作にまた別の風を送り込んでおり、この辺りはプロデューサーとしてのThe Alchemistの采配の巧妙さも感じさせる。

 Madlibとはまた別のやり方でFreddie Gibbsの魅力をさらに引き出したThe Alchemistとの今回のコラボレーション。MadGibbsと同様に、今後もこの2人の作品がリリースされることを強く望みたい。

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