「Re」と一致するもの

書籍『レイヴ・カルチャー』解説 - ele-king

 正確にそれがいつだったのかは憶えていない。2000年代に入ってから、ダンス・ミュージックがEDMと呼ばれはじめた頃、あるDJとの会話のなかでその話題になって、彼が言った言葉がいまでも忘れられないのだ。「なにせ近頃のレイヴにはスポンサーが付いているからね」、皮肉たっぷりに笑みをうかべて彼はそう言った。「マジかよ」「信じられないよな」。これは「近頃のサッカーは手を使ってもいいらしいぜ」と言われたようなもので、本質的な矛盾なのだ。そう、しかしながら、2025年に近づこうとしている現在では、むしろ逆かもしれない。「え? スポンサーも付けずにレイヴを開催するの? マジかよ」

 レイヴ・カルチャーは、本質的にアンダーグラウンドな、しかし巨大なムーヴメントだった。あっという間に拡散し、ここ日本にも1992年には飛び火したことが確認されている。
 レイヴ・カルチャーから見える景色は、人それぞれだろう。汗だくで踊る人びと、笑顔、倉庫の壁、英国の田園地帯……、宗教的な体験をしてしまった人も多かったし、資本主義の向こう側を幻視してしまった人だって少なくなかった。
 本書が詳説しているように、レイヴ・カルチャーのレジャー産業化には時間を要さなかった。だが、そこから溢れ出たものすべてを資本主義が回収するには、このサブカルチャーのユートピア的な可能性のスケールのほうが上回っていた。その象徴的なシーンが、本書の第6章後半に書かれている〈スパイラル・トライブ〉と〈DiY〉が先導したフリー(無料)・レイヴだ。〈DiY〉は、ぼくが経験したレイヴのひとつである。

 それは、無許可のレイヴを禁止するための法案、CJBが法律となって(すなわち “ビル” ではなく “オーダー・アクト” になって)から4年後の、1997年のことだった。ぼくが英国の音楽文化に惹かれた理由のひとつが、政府からの弾圧に対して必ず「なにくそ」という動きが出てくるところだ。〈DiY〉は一時的自律ゾーンとしてのレイヴ・カルチャーを継承すべく活動を続けていた、イングランド中部のノッティンガムを拠点とするパーティ集団(およびレーベル)だ。1991年に始動した彼らはそれまで何度か逮捕され、何度か機材を没収されていたが、その当時もまだ無料レイヴを続けていた。
 レイヴ開催の情報は、もちろん口コミ、電話連絡のみだ。警察に知られないようにやるわけだから、フライヤーなど捲くはずがない。おおよその場所を知って、車を走らせる。牧草地帯のなかを1時間以上進むと、やがて彼方にレーザー光線が見える。うぉぉぉぉ、車内では歓声が上がる。しばらくすると、キックの音が聞こえる。会場はもう近い。さらにずっと進んでいくと、数台の車が駐車して、並んでいる。自分たちもそこに車を駐車し、暗闇のなか明るいほうに向かって歩く途中、金網のフェンスに当たったが、よく見ると、そこには人がひとり通過できる穴がこじ開けられていた。フェンスのなかに入って、草を踏みながら音のほうに進んでいくと、前方に見える倉庫のなかで人びとが踊っているのがわかる。レイヴだ。
 この話はなんどか書いているので端折るが、明け方には警察に包囲され、ぼくといっしょに行った友人たちは運良く、いま思えばほんとうに運良く朝日のなか会場を後にすることができた。そのときいっしょだった友人から、本書『レイヴ・カルチャー(原題:Alterd States)』のことを教えてられたのは、〈DiY〉の無料レイヴの興奮さめやまぬ1997年の冬だった。かくしてぼくは、その翌年ロンドンで本書の第二版を購入するのだった。

 マシュー・コリンの『レイヴ・カルチャー』は、それが出版された当時から絶賛されている。これほど包括的に、ジャーナリストとして、そしてインサイダーとしてあの時代を詳述している書物はほかにない。音楽評論家、サイモン・レイノルズの『Energy Flash : A Journey Through Rave Music and Dance Culture』もMDMAとアシッド・ハウスを触媒に急展開した1990年代のダンス・カルチャーを描いた本として知られるが、こちらは時代のなかで細部化されていくスタイル(ハウス、テクノ、ジャングル、トリップホップ、エレクトロニカ等々)を追いながら、アーティストや音楽作品にスポットを当てている。著者の好み(ジャングルへの偏愛、IDMへの嫌悪)も反映された、批評的な読み物になっている。本書にも著者の好みが反映されているのだが(ハッピー・マンデーズへの愛情、バレアリックへの他人事感)、『レイヴ・カルチャー』のすべての小見出しが「場所」の名称になっている点に注目したい。重要なのは場所なのだ。ここに著者のこだわり、レイヴの哲学が垣間見える。重要なのはスターではない。その場所に集まる人びとであって、音楽そのものなのだ。ぼくが初めて本格的なレイヴに行ったのはずいぶん遅く、1993年になる。ブリクストン郊外の工場跡地のような場所で開かれていたパーティで、もちろんフライヤーなどない電話による暗号めいた口コミによって集まっている。その際、ただひとこと伝言されるのは「場所」(通り名)なのだ。
 もっとも、そのブリクストン郊外のレイヴは、セカンド・サマー・オブ・ラヴからすでに5年も経っていたので、商業的なイベントではなかったが形式化はされていたし、ロンドンということもあってスタイリッシュな若者が多かった。しかしながらノッティンガムの無料レイヴとなると、町の電気屋がPAや照明の配線を指揮し、パートタイマー風の女性や労働者たち、あるいは大麻好きの老人とか、まあ、あまりお洒落ではない人たちもベーシック・チャンネルやロン・トレントで踊っていたのである。ぼくが最初にレイヴ・カルチャーに感じた悦びのひとつにはそれがあった。ぼくはそれ以前にも、ロックのコンサート、あるいはハスウやテクノのパーティで知らない人たちと盛り上がった経験があったけれど、それは同じ趣味の者同士の集まりだ。レイヴや、レイヴ的な感覚の強いパーティにおいては、ふだんの生活においては知り合うことのない人たちと出会うことになる。踊ったり、話したりしながら、彼ら・彼女らとの共同体感覚を覚える体験は、ぼくには新鮮だった。

 MDMAがレイヴ・カルチャーの燃料になったことは隠しようのない事実だ。では、このドラッグがなければ何も生まれなかったのかと言えば、そうではないだろう。1970年代の英国にはノーザン・ソウルと呼ばれるアンダーグラウンド・パーティの文化があった。レイヴ・カルチャーの青写真と言われるそれは、英国中北部の労働者階級の若者たちから生まれ、発展したもので、公民館のような場所を借りて、DJがかけるアメリカ産のブラック・ダンス・ミュージック(この場合は、70年代のシカゴやデトロイト、フィラデルフィアのソウル)にあわせて汗だくになって踊るシーンだ。〈DiY〉の音楽的師匠がシカゴのディープ・ハウスだったことは、彼らがノーザン・ソウルの伝統と繋がっていることを物語っている。
 また、第6章で詳述されているように、1980年代の英国にはヒッピー・アナーキストによる無料フェスティヴァルのシーンが、政府からの弾圧に遭いながらも成長していた。そして、それがレイヴ・カルチャーと交差したとき、大衆文化におけるもっともアナーキーな形態が具現化する。1992年5月22日から一週間ぶっ通しで開催されたキャッスルモートン(その公共の場)でのレイヴは、イギリス史上最大級の非合法フリー・レイヴとなった。この一大事件が、いかに警察の監視を煙に巻きながら実行されたかは本書に詳しい。それは歴史的な出来事で、とどのつまり、英国における監視社会の強化とレイヴ禁止への必要性を国家に強く認識させたのは、5万人を集めたこの無料パーティだった。
 その背景には、マーガレット・サッチャーの新自由主義によって変えられた社会構造や価値観がある。幸福とは物質的な豊かさを意味し、町の個人商店は企業の進出にとって閉店を迫られ、誰もがクレジットカードを持てるようになり、人生とは熾烈な競争を意味するようになった。囲い込みなき支配が進行するなか、レイヴ・カルチャーにおける過剰さに若者たちの希望の見えなさが反映されていたのだとしたら、仮にMDMAがなかったとしても、既存のシステムを寄る辺としないなんらかの集団的な熱狂は起きていたと考えられる。
 だが、やはり、MDMAがなければこの文化は生まれなかった。ドラッグに関する評価は慎重にならなければならないが、共感力や愛情をありえないほど増大させてしまうエクスターがダンス・カルチャーと融合したことで、多くの人間が同じ場所で同じ時間、前代未聞と言えるほどの前向きな世界を幻視したことの意味は小さいものではなかった、少なくとも音楽にとっては。レイヴ・カルチャーを起点に、その後10年のあいだにいったいどれほどのすばらしい音楽が創出されたことか。
 初期のジャングルのシーン(第7章を参照)から登場した4ヒーローがよくよく主張するように、レイヴ・カルチャー(ことにジャングル)のすべてをMDMAと結びつけるのは間違っている。同ユニットのマーク・マックはこれまで口が酸っぱくなるくらいに強調している。自分が行ったレイヴでぶっ飛んでいたのはごく少数で、ほとんどのダンサーはドラッグ無しで踊っていたと。レイヴの現場にいた人間のひとりとして言えば、その通りだと思う。シラフで踊っていた人たちや4ヒーローのようにアンチ・ドラッグのアーティストは何人もいる。
 だからMDMAがすべてではないが、しかしやはり、その影響は否めない。たとえば、どんなかたちにせよ、日常的な思考の枠組みを超越してしまうことは、当たり前だと思っていた観念を相対化する。反資本主義へとハンドルを切ったフリー・レイヴのシーンもさることながら、もうひとつ象徴的だったのは、1993年に起きたニューエイジ・トラヴェラーズの顕在化だった。レイヴを経験し、学校や親から教えられた人生の設計図が必ずしも絶対的なものではないと気付いた子どもたちが次から次へと家出し、ニューエイジ・トラヴェラーズ、すなわちキャラバンを住居とする流浪の民となったという話で、そのほとんどが中産階級の子どもたちだったことも、先述したレイヴ禁止法案の可決を急がせている。

 1994年に可決されたレイヴ禁止法として知られる悪名高き「Criminal Justice and Public Order Act」は、若者文化/カウンター・カルチャーに対する明白な政治的な弾圧であると同時に、公共空間をめぐる政治的議論にも発展した。ぼくが催涙ガスを浴びたのは、1993年(ちなみにこの年ぼくは都合6回渡英している)秋の反CJBデモに参加したときのことだった。それはレイヴのみならず集会の自由/公共権を奪うものを意味するとして、多くの一般市民が反対デモに参加した。数万人の参加者はトラファルガー広場に集まって、ハイドパークを終点として市の中心街をシュプレヒコールしながら歩いたわけだけだが、ハイドパークの入口にまで来たとき、警官隊が整列しているそのすぐ近くに一台の大きなトラックが待ち構えていた。そして、こともあろうかそのトラック(のちに〈DiY〉と判明)は、いきなり爆音でハウス・ミュージックを鳴らしたのである。すると、そのうちのひとりがトラックのルーフによじ登って踊りはじめ、ズボンを脱ぎ、警官隊に向かってお尻を突き出したそのときだった。デモ隊からわれんばかりの歓声があがると、人びとが石を持って警官隊めがけて投げた。
 これが、翌朝の新聞の一面で報道された(人頭税反対のとき以来の)暴動のはじまりだった。ハイドパークには火が点けられ、暴れる人びとを威圧するため騎馬隊が大勢やって来た。ぼくは必死で逃げ回りながら、セントラルパークを脱して、通り沿いのマクドナルドに入ったものの、しかし店の窓ガラスにも投石があり、ガラスは割れ、流血もあり、テーブルの下に身をかがめるという……いまでもそのときの光景をありありと思い出すことができる。レイヴ・カルチャーは、たんなる快楽主義を燃料としただけだったのに、これほど大きな社会的/政治的な出来事でもあった。それが市民運動化する展開、336ページから338ページにわたって紹介されている〈リクレイム・ザ・ストリート(ストリートを取り戻せ)〉こそ、日本のサウンドデモがヒントにした発想/形態である。

 その後英国では、アカデミアにおいてもレイヴ・カルチャーは研究されている。その典型的な例をいえば、監視資本主義社会や権力を研究したフーコー/ドゥルーズ的な解読がある。国家が管理する時間からの逸脱、すなわち純粋な無用性による自律ゾーンが大衆文化によって生まれたという歴史的な事実は、これからもさらに研究され、語り継がれていくことだろう。
 2023年には、おもにフリー・レイヴに焦点を当てたドキュメンタリー映画『Free Party: A Folk History』が公開された。また、いまでは伝説となったキャッスルモートンでのフリー・レイヴに関しては、2017年にはBBCが『Castlemorton: The Rave That Changed the Law』というドキュメンタリーを制作し、放送した。レイヴ・カルチャーに関する決定的な文献としてベストセラーとなった本書も、2010年には新装改訂版が出版されている。
 この日本版は2010年版の完訳というわけで、最初に著者が2009年に書いた序文が加えられている。「あれは特別な時代だった」、ぼくもまったくその通りだと思う。そしてコリンが自らに問うてるように、ぼくも自分に問い続けている。それ以上の何かだったのか? それともただたんにドラッグ熱にうかれてやってしまったことなのか? 決定的な回答などないが、あれが特別な何かだったことはたしかだ。コリンは、あのシーンのインサイダーのひとりとして、ほんとうに意味のある本を書いてくれた。ぼくは本書のほとんどすべてに共感できるが、もっとも好きなのは、じつはハッピー・マンデーズに関して書かれたところかもしれない。理由は、個人的にとくに好きだったわけではないこのバンドのことを、本書を読んで好きになったからだ。
 本書はたった一行(スコットランド紙幣のばらまき事件)しか触れられていないが、ほとんどの音楽ジャーナリズムがレイヴ・カルチャーを「顔が見えない、音楽性がない、無意味だ」と酷評してい時代に、レイヴの高揚、(サッチャーが不要なものとした)連帯性、型破りな推進力をポップ・ミュージックとして表現したのがザ・KLFだったことも追記しておきたい。また、ロック・バンドのパルプの1995年の曲、“Sorted for E's and Wizz”についても記しておくべきだろう。これは、M25環状道路から少し離れた場所にある広場で、何千人もの人びとと一緒に過ごすことについて歌った曲である。じっさい彼らのヒット曲“Common People”はトニー・ブレア時代のアウトサイダーたちのアンセムとなって、この曲は人びとをレイヴのように盛り上がらせたのだった。

 ジャングルについて書かれた第7章「都市のブルーズ」が気に入っているのは、1992年当時の爆発したてのこのシーンの現場を体験しているからでもある。サイモン・レイノルズはそれを「ハードコア連続体」と、なかば通俗のロマン化と言えなくないも言葉で賞揚しているが、多くの批評家が過小評価したこの移民文化は、たしかに過剰なシーンだった。その章に登場するシャット・アップ・アンド・ダンスについて若干の補足をしておく。英国特有のサウンドシステム文化とアメリカのヒップホップ/そしてソウルIIソウルに影響され誕生したSUADによる楽曲は、当初はブレイクビート・ハウスと呼ばれ、メインストリームのアーティストの露骨なサンプルが使われていたことで知られる。海賊ラジオを介してヒットした彼らの曲は、アンダーグラウンド内での成功として完結されるはずだった。ところが、1992年に“Raving I’m Raving”なる曲が国内チャートの2位という大ヒットによっては急変した。この前年のアメリカでは、ビズ・マーキーの“Alone Again”のサンプリング使用をめぐる裁判があった。最終的に裁判官がそれを「窃盗」と判決したことで歴史は急変し、サンプリングを使った音楽すべてが態度をあらためなければならなくなった。英国のSUADは、ヒットしたばかりに“Raving I’m Raving”に関するサンプリング使用で訴訟を起こされたばかりではない。過去の楽曲ににまでもその調査はおよび、結局、彼らはヒットしたがゆえにレーベルを畳むしかなかった。2004年、10年ぶりにアルバムを発表したSUADは政治的に先鋭化され、そのタイトルは『リクレイム・ザ・ストリート』だった。

 マシュー・コリンはノッティンガム出身のジャーナリストで、本書は彼にとって初の著書になる。2001年には西側諸国では詳細が見えづらい、ユーゴスラビアのベオグラードにおけるパブリック・エナミーやザ・クラッシュ、デトロイトのアンダーグラウンド・レジスタンスの影響力とセルビアの反体制文化を支えるラジオ局〈B92〉を描いた『This is Serbia Calling』をもってさらに評価を高めている。2007年にはセルビアからジョージア、ウクライナまでの若者たちの社会運動を現地取材し、掘り下げた『The Time of the Rebels』を上梓、2015年にはマーク・フィッシャーのZero出版からパブリック・エナミーおよびフェラ・クティ、ラヴ・パレード、プッシー・ライオットなど、音楽が政治・社会運動とどう交差するかを綴った『Pop Grenade』を刊行、多くの識者からの賛辞を得ている。『ビッグ・イシュー』、『i-D』、『タイム・アウト』といったメディアのウェブサイト編集者も務め、『ガーディアン』、『オブザーヴァー』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』をはじめ数多くの新聞や雑誌に寄稿している。BBCやアルジャジーラといった国際メディアの特派員も経験しているコリンだが、本書を読めばわかるように音楽への愛情、ことに民衆に力を与えるレベル・ミュージックに対する共感には並々ならぬものがある。 

文:野田努

interview with Louis and Ozzy Osbourne - ele-king

 以下に紹介するのは、『ele-king』1999年4/5月号に掲載されたオジー・オズボーンとその息子でDJのルイス・オズボーン(取材時の年齢は23歳)との対話である。オジー・オズボーンがジェフ・ミルズやデリック・メイの曲について言及している記事は世界広しと言えどこれしかないと思うので、彼の死を悼みつつ、これを特別公開することにした。


7月のジャズ - ele-king

 オーストラリアやニュージーランドはジャズの伝統が長い国ではないが、逆にジャズにまつわる様々な影響を取り入れることに長けた国でもあり、特に1990年代後半から2000年代以降はクラブ・ジャズを経由したアーティストを多く生み出している。ニュージーランドでは、現在はロサンゼルスで活動するマーク・ド・クライヴローや、ロンドンでも活動していたネイサン・ヘインズなどは、ジャズの下地があった上でクラブ・サウンドにも接近して一時代を築いたミュージシャンである。ニュージーランドのオークランドを拠点とするサークリング・サンも、そうした系譜に位置するバンドのひとつと言える。
 バンドの中心人物はカナダ生まれのジュリアン・ダインで、もともとDJとして頭角を現し、その後バーナード・パーディーからドラムの手ほどきを受け、ミゼル兄弟とレコーディングをおこなうなど、ミュージシャンとしての道も進むようになる。2009年に『Pins & Digits』というソロ・アルバムをリリースし、2011年にはセカンド・アルバムの『Glimpse』をリリースするが、この頃はスティーヴ・スペイセックのようなエレクトリック・ダウンテンポ・ソウルをやっていた。2018年の『Teal』では自身は各種楽器を演奏するようになっていて、ロード・エコーやレディ6などとセッションをおこなっている。このあたりから生演奏の比重が増す音作りへと変化していくのだが、リリース元はUKの〈サウンドウェイ〉で、このレーベルはアフロやカリビアン系のサウンドを得意とする。サークリング・サンをリリースするのも〈サウンドウェイ〉で、この頃からのコネクションが続いている。

The Circling Sun
Orbits

Soundway

 サークリング・サンのデビューは2023年の『Spirits』で、メンバーにはネイサン・ヘインズのバンドで活動してきたベン・トゥルーア(ベース)はじめ、キャメロン・アレン(テナー・サックス、フルート)、ジョン・ユン・リー(フルート、ソプラノ・サックス、クラリネット)、フィン・スコールズ(トランペット、トロンボーン、チューバ、ヴィヴラフォン)などが参加していた。ジュリアン・ダイン自身はドラムス、パーカッション演奏のほか、全体をまとめるバンド・リーダー/プロデューサーとしての役割も担う。宇宙をイメージするようなアルバム・ジャケットが示すように、ファラオ・サンダースアリス・コルトレーンサン・ラーなどにインスパイアされたスピリチュアル・ジャズと言える。DJでもあるジュリアン・ダインが率いるだけに、そうしたスピリチュアル・ジャズのエッセンスをまといつつ、クラブ・ジャズとしての聴き易さも兼ね備えている。ラテンやブラジリアン・リズム、コーラスの導入にそうした点が表われており、1990年代後半~2000年代のクラブ・ジャズ・シーンを通過したDJでないとなかなかこうしたセンスは身につかないだろう。

 新作の『Orbits』も、『Spirits』と対になるような宇宙をイメージしたジャケットで、前作の路線を踏襲している。演奏メンバーも前作を引き継ぎつつ、ジョン・キャプテイン(ピアノ、キーボード、シンセ、ギター)、ケニー・スターリング(パーカッション、シンセ)といったメンバーも参加。コーラス隊は前作からさらにパワーアップし、ラヴ・アフィニティ・コーラスという名前もついている。コーラス隊を擁したスピリチュアル・ジャズというとカマシ・ワシントンが思い浮かぶが、サークリング・サンの場合はカマシほど重く激しいものではなく、どちらかと言えばグルーヴィーさや軽やかさを感じさせるもの。例えば “Constellation” などはアジムスやロニー・リストン・スミスあたりに近い感性を持ち、ファラオ・サンダースと比較しても1980年前後の〈テレサ〉時代のサウンドを想起させるようなものだ。コーラスの使い方も “You’ve Got Have A Freedom” を彷彿とさせる。“Flying” はそのままアジムスの作品と言ってもおかしくないし、“Seki” にはロニー・リストン・スミスが持つ透明な美しさが流れている。“Mizu(水)” “Teeth” “Evening” と、今回はスピリチュアル・ジャズの中でもブラジリアン・フュージョンやラテン・フュージョン寄りの作品が多いところが特徴だ。また、1970年代の〈ブルーノート〉のミゼル兄弟のプロダクションに対するオマージュも随所に見受けられる。


Greg Foat & Forest Law
Midnight Wave

Blue Crystal

 エセックス出身でロンドンを拠点に活動するマルチ・アーティストのアレックス・バーク。彼のプロジェクトであるフォレスト・ロウについては、2024年リリースのデビュー・アルバム『Zero』を本コラムで紹介したことがあるが、それから約1年ぶりの新作はロンドンのピアニストで様々なアーティストとのコラボをおこなうグレッグ・フォートとの共演となった。そして、注目すべきは『Zero』のときとフォレスト・ロウのメンバーがガラっと変わり、トム・ハーバート(ベース)、モーゼス・ボイド(ドラムス)、アイドリス・ラーマン(テナー・サックス)と、南ロンドン周辺のジャズ・セッションで多く名を見る強者たちが駆けつけていること。トム・ハーバートはマリンバ、モーゼス・ボイドはシロフォン(バラフォン)も演奏するなど、なかなか異色のセッションとなっている。

 作品のテーマとしては、ワイト島出身のアーティストであり伝説のサーファーだったデイヴ・グレイの芸術と人生にインスパイアされ、人生、死、絵画、サーフィンをテーマとした作品が収められている。こうしたコンセプト作りはサントラ的な作品を得意とするグレッグ・フォートによるものだろう。フォレスト・ロウ(アレックス・バーク)は今回はヴォーカリスト兼作詞家という役割に徹していて、グレッグ・フォートとして初めてヴォーカリストをフィーチャーしたアルバムになっている。“Imaginary Magnitude” は1970年代後半のブリット・ファンクをリヴァイヴァルさせたようなサウンドで、そこにブロークンビーツなどクラブ・サウンドのエッセンスを取り入れている。ジャイルス・ピーターソンとブルーイによる STR4TA(ストラータ)に近いサウンドで、“I Vibrate” におけるフォレスト・ロウのヴォーカルもレヴェル42のマーク・キングを彷彿とさせる。ちなみにレヴェル42もワイト島出身なので、何らかの意識があるのかもしれない。“The Undertow” はブリット・ファンクとは異なる作品だが、前述のとおりマリンバやシロフォンを前面に打ち出したエキゾティックなアンビエント・サウンドで、自然との結びつきが深いサーフィンというスポーツを表現しているのだろう。


Collettivo Immaginario
Oltreoceano

Domanda Music

 コレッティヴォ・イマジナリオはドラマーのトマーソ・カッペラートを中心とするユニットで、ピアニストのアルベルト・リンチェット、ベーシストのニコロ・マセットによるトリオとなる。イタリア出身のトマーソはロサンゼルスに渡って活動し、マーク・ド・クライヴ・ローなどとセッションしているが、たびたびロサンゼルスとロンドン、イタリアのミラノを行き来しながら演奏しており、コレッティヴォ・イマジナリオはミラノで録音をおこなっている。クラブ・サウンドやエレクトリック・サウンドの要素も取り入れ、スペイシーな風味の作品を得意とするトマーソ・カッペラートだが、このコレッティヴォ・イマジナリオもそうした持ち味を生かしたもので、それから1970年代のイタリアのピエロ・ウミリアーニ、ピエロ・ピッチオーニらに代表されるサントラやライブラリー・ミュージックにも多大なインスピレーションを受けているそうだ。

 2022年に『Trasfoma』というアルバムをリリースし、今回の『Oltreoceano』が2作目となる。『Trasfoma』は3人のみの録音で、ヴォーカルを入れる際もニコロとトマーソが担当していたのだが、『Oltreoceano』ではスピリチュアル・ジャズのレジェンド的なシンガーであるドワイト・トリブルほか、メイリー・トッド、モッキー、ダニーロ・プレッソー(モーター・シティ・ドラム・アンサンブル)など、ジャズ・シーン、クラブ・シーンの両面から多彩なゲスト参加がある。そのドワイト・トリブルのワードレス・ヴォイスをフィーチャーした “Vento Eterno” は、テンポの速いアフロ・サンバ・リズムによるスピリチュアル・ジャズ。野性味溢れるコーラス・ワークや哀愁に満ちたメロディなど、エドゥ・ロボの “Casa Forte” を連想させるような楽曲である。ダニーロ・プレッソーをフィーチャーした “Tempo Al Tempo” は、ディープ・ハウスやブロークンビーツのエッセンスを取り入れたジャズ・ファンク。1970年代のラリー・ヤングやハービー・ハンコックあたりへのオマージュが伺えるほか、途中から転調してアジムス的なブラジリアン・フュージョンへと変化していく。


Mocky
Music Will Explain (Choir Music Vol. 1)

Stones Throw

 モッキーことドミニク・サロレはカナダ出身で、ロンドン、アムステルダム、ベルリン、ロサンゼルスと世界中の街を移り住みながら活動するシンガー・ソングライター/マルチ・ミュージシャン。ジャンルレスで枠にとらわれない音楽性を持ち、ロック、テクノ、ヒップホップなどと幅広い音楽性を見せてきたが、2015年の『Key Change』あたりからがジャズやモダン・クラシカルを取り入れたポップな作品を作っている。この『Key Change』や2018年の『A Day At United』はロサンゼルスへ移住した頃の作品で、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、マーク・ド・クライヴローらLAジャズ勢との共作となる。また、ジェイミー・リデルファイストゴンザレスケレラモーゼス・サムニーカニエ・ウェストといった様々なアーティストと共演しつつ、自身の作品では彼独特の世界に染め上げる稀有な存在でもある。なお、前述のコレッティヴォ・イマジナリオの『Oltreoceano』にもゲスト参加している。

 そんなモッキーの新作『Music Will Explain』は、コーラス・ミュージックというサブ・タイトルが付けられているように、和声をテーマにした作品集となる。『Key Change』にもヴォーカル作品はいろいろあり、ケレラ、モーゼス・サムニー、ニア・アンドリュース、ミロシュ(ライ)、ココ・O(クアドロン、ブーム・クラップ・バチェラーズ)らがシンガーとして参加していたのだが、今回はより和声のハーモニーにフォーカスしたものと言える。モッキーは自身でヴォーカルのほか、ベース、ギター、ピアノ、キーボード、パーカッション、フルートなどを演奏し、ミゲル・アットウッド・ファーガソンのストリングスはじめハープ、ハーモニカ、クイーカなどいろいろな楽器が使われる。そして、コーラスにはニア・アンドリュース、メイリー・トッドなど総勢15名ほどが加わる。

 “Infinite Vibrations” はドリーミーなソフト・ロックで、コーラス・ワークを含めて1960年代のフリー・デザインを彷彿とさせる。1990年代の渋谷系からハイ・ラマズステレオラブなど後世に多大な影響を与えたヴォーカル・グループのフリー・デザインだが、モッキーの本作もそうした系譜に繋がる1枚と言える。そして、カーメン・マクレエ、サラ・ヴォーンらの歌唱で知られ、アウトラインズがサラ・ヴォーン・ヴァージョンをサンプリングした “Just A Little Lovin’” もカヴァー。バリー・マン作曲、シンシア・ワイル作詞により、もともとダスティ・スプリングフィールドの歌で世に出た楽曲だが、前述のとおりジャズ・ヴォーカルの名曲としても知られる。今回はソフト・ロック調のジャズ・ヴァージョンといった趣で、1960年代後半から20年代初頭のカリフォルニアで活動した伝説のフィリピン系姉妹少女5人グループのサード・ウェイヴを彷彿とさせる

Grischa Lichtenberger - ele-king

 「Ostranenie(異化)」とは、1920~1930年代のロシア・フォルマリズムを代表するソビエト連邦の言語学者・文芸評論家ヴィクトル・シクロフスキーが提唱した概念・理論である(演劇の文脈ではブレヒトによる異化効果が広く知られる)。
 芸術の役割は、「慣れ」によって鈍化した知覚を揺さぶり、対象をあらためて認識させることにある。それがシクロフスキーの主張だった。「見慣れたもの」を「見慣れぬもの」として再提示し、感覚の自動化に抗うこと。その装置としての方法論が「異化」なのである。

 ドイツのサウンド・アーティスト/音楽家グリシャ・リヒテンベルガーの新作『Ostranenie』は、この「異化」の音楽的実践にほかならない。電子音響における緻密な実験で知られるグリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』において、もっとも親密で情緒的な楽器といえるピアノを軸に、その音を分解・再構築し、聴覚そのものの認知構造を問い直す。リリースはドイツの電子音響レーベル〈Raster〉から。
 2012年に〈Raster-Noton〉からリリースされたファースト・アルバム『and IV [inertia]』以降、オウテカやカールステン・ニコライから影響を受けた作家として知られるグリシャ・リヒテンベルガーだが、このピアノ音響作品はキャリアにおける明確な転機といえよう。2019年に〈Raster〉からリリースされた電子音響とジャズの融合を試みた『Re: Phgrp (Reworking »Consequences« By Philipp G)』を経由して以降、自らの音楽をメタ的に再検証する試みともいえるアルバムに仕上がっていた。
 本作『Ostranenie』に収録された全13曲は、いずれも1~3分ほどの即興的なピアノ小品で構成されている。冒頭の1曲目 “what lies beneath 3 arp” を聴いた瞬間、アーティストを間違えたのではないかと錯覚するほどだった。かつての彼の音楽からは想像もできない、ドビュッシーやラヴェルといったフランス印象派、あるいはサティを思わせるような響きがそこにはあった。モーダルな和声、あいまいな拍節、断片的な旋律が交錯する美しいピアノ曲だ。
 だが、この『Ostranenie』に甘味料のような抒情はない。どの楽曲もフランス印象派のような響きを放ちつつも、どこか機械の音楽のような冷徹さを持っている。加えて4曲目 “spiderman” や5曲目 “chilling adventures of sabrina” あたりから現代的な音響編集とグリッチによる「断絶」が意識的に挿入されることで、音のエンヴェロープや残響も人工的に操作される。
 グリシャ・リヒテンベルガー特有の精緻なデジタル処理によって構造はズラされ、音の質感は変容する。聴き込むほどに、ピアノの響きが原音のままではないことに気づかされる。曇り、濁り、にじみ、そして時に破綻していく音。深く崩れるリヴァーブ、歪んだエフェクト、断続的に挿入されるグリッチ。楽曲の「中心」はぼやけ、記憶の断片が浮かんでは消える……。そんな印象を残すアルバムなのだ。聴き手は、何かを思い出しかけているのに、最後まで辿り着けない。全体を通じて、そのような感覚が貫かれている、とでもいうべきか。情緒は徹底して削ぎ落とされている。

 クラシカルとデジタルの境界線で、グリシャ・リヒテンベルガーが目指しているのは単なる20世紀印象派の再演ではない。いわゆるノスタルジーを拒絶しつつ、音楽とは情緒の装置という事実そのものを批評/解体し、なおかつその先にある「感覚の再起動」=「異化」を見出す。
 グリシャ・リヒテンベルガーの関心は音楽による情動の喚起ではないのだ。むしろその情動の解体にある。ピアノという情緒的な媒介を使いながら、感情がいかに条件反射的に作動するかを露呈させ、「聴くこと」そのものを宙づりにしてみせる。「美しい」と感じた瞬間に、その感受性の自動性に切り込みを入れる。それが『Ostranenie』の核心といえよう。
 加えてグリシャ・リヒテンベルガーの問題意識は、「没入文化」に対する批評的なスタンスにあるように思える。各楽曲のタイトルには、“spiderman”、“stranger things”、“mad men”、“irma vep” といった映画やドラマのシリーズ名が並ぶ(シーズン数やエピソード番号まで明記されている)。これらはポップ・カルチャーへのオマージュのようでいて、そのじつ、メディア環境へのアイロニーだ。アルゴリズムによる選別とレコメンドが支配する現代社会において、「感情の即時反応」ばかりが促進され、「意味」や「文脈」は平板化されつつある。音楽もまた、「癒やし」「集中」「感動」といったラベルとともに、機能的に消費されている。
 『Ostranenie』は、そうした現状に対する明確な異議申し立てといえる。ここでは感情は決して「わかりやすく」提供されない。リスナーは、受動的な快楽ではなく、能動的な聴覚の再構築へと促される。楽曲は意味を拒みながらも、静かに、しかし確実に、感覚の深層へと楔を打ち込んでいくだろう。グリシャ・リヒテンベルガーは、日常に埋もれた音や記憶、感情の断片を、異化というフィルターを通じて再提示するわけだ。即興性と構築性、詩情と冷徹さ、アナログとデジタルの往復運動。そのなかで彼は、「慣れ親しみ」という知覚そのものを揺さぶりをかける。つまり「異化」だ。

 再構成されるピアノ。異化される情緒。『Ostranenie』という「ピアノ楽曲集」は決して「耳に優しい音楽」ではない。グリシャ・リヒテンベルガーは、一音一音を通じて、世界を見慣れぬものとして差し出す。『Ostranenie』は、その意味で、現代におけるもっとも静かで、もっとも過激なプロテストのひとつといえないか。
 グリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』で、自らの到達点をまたひとつ更新した。もしも坂本龍一が『Ostranenie』を耳にしたなら、彼はいったい何を、どのように語っただろうか。そんな想像をめぐらせながら、私は今日も『Ostranenie』を聴き返している。

R.I.P. Ozzy Osbourne - ele-king

 デイヴィッド・ボウイといい、坂本龍一といい、自身の死期を見定めて人生の締めくくりに向かうアーティストが増えているようだ。そういう時代になってきたということなのだろう。7月7日、バーミンガムで行われた『Back To The Beginning: Ozzy’s Final Bow』は今世紀最大のメタル・フェスだった。長らくパーキンソン病を患っていたオジー・オズボーンが引退を宣言し、最終公演としてブラック・サバスのオリジナル・メンバーが代表曲中の代表曲4曲を演奏した。“War Pigs”で幕開けというのも彼らの意志を感じさせる。ほかにも新旧の様々なアーティストたちがオジーのために集結した。しばらくはSNSにバックステージで記念写真に興じる出演者たちの姿で溢れた。みんな楽しそうだし、オジーが大好きなのが伝わってきた。

 オジー・オズボーンことジョン・マイケル・オズボーンは英国の工業都市バーミンガムの労働者階級の出身で、10代にして酒浸りのやさぐれた生活を送る中でバンドを結成する。当初のバンド名は「ザ・ポルカ・タルク・ブルース・バンド」、まもなく「アース」と改名。もともとはブルース・バンドとしてスタートしており、サックスとスライドギター奏者のいる6人編成だったが、最終的にはギターのトニー・アイオミ、ベースのギーザー・バトラー、ベースのビル・ワードが残る。「アース」というバンド名はのちにディラン・カールソンが自身のバンド名として引用し、ドゥーム~ドローン・ミュージックのパイオニアとなる(それに対抗したのがスティーヴン・オマリーのSUNN O)))なのだが、それはまた別の話)。
 やがてイタリアのホラー映画『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』を観たギーザー・バトラーが、「怖いものは人気がある」と思いつき、バンド名をそのままいただくことになる。ビートルズにおけるインド思想やジミー・ペイジにおけるアレイスター・クロウリーといったガチな傾倒とちがい、サバスのオカルト/悪魔趣味は発端がホラー映画だったことからもわかるようにあくまでエンタメだった。
 1970年2月、13日の金曜日にファースト・アルバム『黒い安息日』をリリース。冒頭に収録されたタイトル曲“Black Sabbath”ではわずか三音のシンプルなリフながら、“トライトーン”と呼ばれる邪悪な音階による禍々しいリフと、オジーの切羽詰まった歌声が恐怖感を募らせる。60年代後半からメタルのルーツとされるようなハード・ロックが出現して人気を博してはいたし、ヘヴィ・メタルという言葉がジャンル名として定着するのは70年代後半のことだが、ヘヴィさと禍々しさを徹底して追求したブラック・サバスこそがヘヴィ・メタルの開祖だったとされている。
 ファースト・アルバムの時点では、まだブルース・バンドだった時代の名残を聴くこともできる。“The Wizard”ではオジーによるハーモニカがフィーチャアされているし、“Warning”と“Evil Woman”の2曲はブルースのカヴァーだ。
 以後、代表曲“Paranoid”と“Iron Man”を収録した2nd『パラノイド』、ギターのチューニングを一音半下げてより一層ヘヴィとなった『マスター・オブ・リアリティ』、より音楽性を広げていった『ブラック・サバス 4』『血まみれの安息日』と、名作を連発していく。
 歌詞のモチーフとしてはホラー/オカルト以外に反戦歌“War Pigs”やドラッグ・ソング“Sweet Leaf”“Snowblind”などがある。作詞を主に手掛けていたのはオジーではなくバトラーだった。バンド名の名付け親でもあり、バンドのコンセプトメーカーだったと言っていいだろう。それを具現化させたのがアイオミの作り出すリフであり、オジーの歌だった。

 バンドは次第にドラッグやアルコール問題が顕在化していき、70年代末にはついにオジーが脱退(解雇)。アメリカに拠点を移してソロ活動を開始し、若きギタリスト、ランディ・ローズをパートナーに迎えたソロ・アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』は、当時のLAメタルの流行もあって大成功を収める。
 当時のオジーはアルコールやコカインに溺れ滅茶苦茶な状態だった。よく語られる「鳩の首を食いちぎる」「ステージに投げ込まれたコウモリの死骸の首を食いちぎる」といった奇行エピソードはだいたいこの頃のことである。後に妻となる敏腕マネージャーのシャロンの助けもあり、次第に生活も立て直し安定したキャリアを築いていく。そのさまは2020年のMV「Under the Graveyard」でも描かれている(だいぶ美化されている気はするが)。

 オジーのソロ作は狼男に扮した『月に吠える』のアートワークやMVなどからもわかるようなホラー趣味を展開していたが、サバス時代以上にエンタメ度が高く、禍々しさよりは愛嬌のあるポップさが印象に残る。80年代のホラー映画ブームにも連動していたのだろう。一方で、“Good Bye to Romance”“Diary of a Madman”など内省的な曲が増えてくる。とはいえ作詞は依然としてオジー自身によるものよりは外部ライターや共作が多い。これはオジーが若い頃からディスクレシアに悩まされていたこととも関係があるかもしれない。

 オジーの脱退後、いわゆる「様式メタル」化の進んでいったブラック・サバスは、90年代前半ごろまでは日本ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどと比べて評価は低く、キワモノというかB級扱いだったように思う(メタル界での評価は別として)。だが、グランジ~オルタナティヴ・ロックの台頭にともなってオジー時代のサバスの再評価が始まった。カート・コベインがフェイヴァリットに挙げていただけでなく、サウンドガーデンやアリス・イン・チェインズなど明らかにサバス影響下にあるバンドが登場してくる。また、「世界一速いバンド」ナパーム・デスのシンガーだったリー・ドリアンが結成した「世界一遅いバンド」カテドラルも初期サバスを主要な参照元としており、その後のドゥーム・メタルの隆盛につながってゆく。
 90年代後半には自身の名を冠したロック・フェス「オズフェスト」の開催を始める。97年の第2回からはツアー形式をとり、オジーのソロとオリジナル編成によるブラック・サバスのダブルヘッド・ライナーとなった。旧来のヘヴィメタルにとどまらず、若手のメタルコアやオルタナティヴ・メタルなど新旧とりまぜたラインナップによる・ヘヴィ・ミュージックのショーケースとして人気を博した。2005年には日本からザ・マッド・カプセル・マーケッツが出演。2013年には日本でも開催された。2002年にはMTVでリアリティ番組「オズボーンズ」の放映が開始。オジーとその家族の生活に密着してお茶の間の人気者になる。

 はっきり言って「歌がうまい」という人ではない。なんでも歌いこなすというタイプではなく、何を歌ってもオジーにしかならない。ヘヴィメタルの帝王と呼ばれてはいるものの、独特の軽みのある声と粘っこい歌い方は、正統派のメタル・シンガーとはだいぶ異なる唯一無二のものだ。2005年のカヴァー・アルバム『Under Cover』では長年のビートルズ愛を発揮してビートルズおよびジョン・レノンの曲が3曲も収録されていたほか、キング・クリムゾン“21世紀の精神異常者”、ストーンズ“悪魔を憐れむ歌”、クリーム“サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ”といった捻りのない選曲に捻りのないアレンジで、楽しそうに歌ってるのが微笑ましい。
 2019年にパーキンソン病に罹患してからは明確に「締め」を意識し始めたように思う。とくに2020年のアルバム『オーディナリー・マン』は先述の“Under the Graveyard”のほか、「有名になる準備などできていなかった」「俺は平凡な男として死にたくはない」と歌われるタイトル曲など、自身の人生を振り返る曲が目立つ。

 最後のコンサートとなった『Back To The Beginning』チャリティコンサートとして総額2億ドル以上をあつめ、バーミンガム小児病院、エイコーン小児ホスピス、キュア・パーキンソンに寄付されたという。オジーはすでに歩行もままならない状態だったため椅子に座っての出演で、おそらく本当に最期の力を振り絞ってのパフォーマンスだったのだろうが、どの写真を観ても満面の笑顔ばかりでそんなことを微塵も感じさせない。だからこそ、あれからわずか2週間で亡くなってしまったことがいまでも信じられない。

Rave Culture - ele-king

 『レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語』、長らく入手困難状態にありましたが重版しました。重版の奥付(いちばん最後のページ)にはQRコードがあり、読み込むと特典の野田努の解説(久保憲司とともに、日本人ライターとしては当時のUKレイヴを経験している数少ないひとり)が読めます(7月31日以降)。
 同書は、当時のイギリスの社会背景のなか、アシッド・ハウスとMDMAを引き金に誕生し、やがて英国を揺るがすほど猛威をふるったこのサブカルチャーのありのままの歴史が読める本で、マシュー・コリンという信用できる真面目なジャーナリストが書いた名著です。
 また、同時に、これまた長らく入手困難状態にあった『ハウス・ディフィニティヴ』も重版しました。ハウス・ミュージックは、ぼくたちにとってつねに故郷です。一家に一冊。よろしくお願いします。

レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語
マシュー・コリン(著)坂本麻里子(訳)
四六判並製/448ページ
ISBN: 978-4-910511-02-3
本体 2,700円+税

https://www.ele-king.net/books/008314/

HOUSE definitive 増補改訂版
西村公輝(監修)猪股恭哉+三田格(協力)
A5判並製/オールカラー/304ページ
ISBN: 978-4-910511-48-1
本体 2,700円+税

https://www.ele-king.net/books/009195/

DMBQ - ele-king

 前回はMERZBOW、PHEW、WOOL & THE PANTSという組み合わせで実施された、DMBQが主催する公演シリーズ《AWAKE》。今年は10月7日(火)、渋谷クアトロにて開催されることになった。こたびのDMBQ以外の出演者は、オルタナティヴR&Bバンドのんoonと、OOIOOで、またまた興味深い組み合わせとなっている。
 チケットの先行発売はQuattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて7月26日から7月28日まで、一般発売は8月2日より開始とのこと。

「DMBQ Presents AWAKE」

出演:DMBQ, んoon, OOIOO

10月7日(火)
澁谷クラブクアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,500 当日¥5,500
・Quattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて
7月26日~7月28日まで先行発売。

・一般発売は8月2日より開始。

DANNY JIN - ele-king

 先日の春ねむりにつづき、勇敢な曲が発表されている。日本とパレスティナ双方にルーツをもつ東京在住のラッパー、DANNY JIN。彼が一昨日公開した “FxCK 排外主義(団結前夜Diss)” は、「差別主義者」に向けた曲だという。
 DANNY JINはこの春、セカンド・アルバム『Dream…』をリリースしたばかり。勇気あるラッパーのアクションと、そして音楽に注目だ。

Chaos In The CBD - ele-king

 「胸に残らない映画を観よう」と歌ったロック・ミュージシャンは誰だっけ? この歌詞の本意はわからないが、初めて聴いたとき直感的に良い言葉だなと思った。僕は何かを見たり聴いたりすると、調べて、考えて、もっと理解したいとその対象に心を砕きがちな類の人間ではある。まだ10~20代前半のころは、音楽にもっとのめり込んで、音楽によりおおきな期待を寄せていたし、音楽が驚きを与え続けてくれるものだと素朴に信じていた。
 しかし、かなしいかな、週5で8時間労働をこなさねばならない労働者には、いつまでも青く眩しい学生時代の音楽オタクの気概ではいられないときもある。──ときに疲れきった金曜の夜には、ポップコーン片手に気軽に観られる “胸に残らない” 映画が良い気持ちにさせてくれるように。いまの気分において、そんな音楽を無性に求めたくなる瞬間もあるのだ。
 そんな僕のモードから言わせると、カオス・イン・ザ・CBDの初フルレングス・アルバム『A Deeper Life』はとても体に馴染んだ。誤解を恐れずに言えば、一聴したときは驚きと呼ぶべきほどではなかったかもしれない。しかし、ディープ・ハウスを軸にジャズ、ボサノヴァ、ラテンやダウンテンポなど多彩に展開するこの作品は、のめり込むより寄り添いを、驚きよりも親密な喜びを提供してくれる、まさに気持ちよく胸を駆け抜けてゆくような聴き心地のよいサウンドで溢れていると感じた。
 2曲目 “Mountain Mover” のスティーヴ・ハイエットめいたチルでスローダウンな気分から、初めはバレアリックな雰囲気をも予感する。彼らが「イビサからクラブを取ったところ」と表現する故郷ニュージーランドでのフィールド・レコーディングも影響しているのだろうか、今夏の暑気払いのための格好のサウンドトラックにもなり得るだろう。他方で、ここにはNYハウスのレジェンド、ブレイズのジョシュ・ミランを迎えた “I Wanna Tell Somebody” があり、ブロークン・ビーツの重要人物ネイサン・ヘインズのサックスもあれば、四つ打ちに乗ったヴォーカル曲も(さらにはグライムのノヴェリストも!)ある。もちろん、アリーシャ・ジョイともコラボするフィン・リーズと組んだ “Ōtaki” のような、らしさを感じさせるジャジーなディープ・ハウスもね。
 いやはや、『A Deeper Life』は日々の生活に寄り添いながら感情を優しく刺激してくれるサウンドだ。気持ちいい風があっという間に駆け抜けて、胸には残らないような感覚。
 そもそも、彼らがジャズやハウスのシーンが交差するサウス・ロンドンに移り住み、かの重要レーベル〈Rhythm Section International〉からの「Midnight In Peckham」でブレイクを果たしてからじつに10年を経ての今作。僕を含めハウス・ラヴァーからすれば待望のリリースに違いない。世はニューエイジだと、あるいはトランスのリヴァイバルだと騒ぐなか、彼らはいま現在への明らかな接続、応答は選ばなかったようだ。ラリー・ハードやケリ・チャンドラーをはじめ先達が築きあげた90年代ディープ・ハウスの連なりに立ち、そのマインドを忠実に守りつつ良質なハウスを誠実に追求した。その姿勢には素直に心を打たれたし、東京の片隅のいちハウサーとして最大限のリスペクトを送りたい。ああ、なんて喜ばしいハウス・ミュージック!

レコードはとても不思議な存在だ。デジタルのように正確ではない。聴くたびに少しずつ違う顔を見せる。針が落ちるたびに、あの「パチッ」というノイズが混ざる。でも、それがいい。むしろ、それがなければ物足りないとすら感じる。

いま、音楽は誰もがスマホ一つで持ち歩ける時代。SpotifyもYouTubeもある。なのに、なぜか再生が面倒なレコードを手に取る人が増えている。その理由は、ファッションでも、ノスタルジーでもない。「不完全さ」ゆえの魅力にこそ、人は惹かれているのではないだろうか。

ノイズ、ひずみ、わずかなピッチの揺らぎ。現代の完璧に整ったデジタル音楽とは正反対の、こうしたブレのある音が、かえって音楽を「生きているもの」として感じさせてくれる。

音楽を取り巻く環境があまりに「汚れの無い」ものになりすぎた昨今、あえて「雑味」の多いメディアであるレコードを選ぶ人たちが増えている。

私たちはレコードという存在にどんなこだわりを持ち、どんな魅力を感じているのか。単なる音の再生装置ではない、「人の手が宿る音の媒体」としてのレコードを巡って、レコードの今の現場に関わる3人が、製造と鑑賞、そして「雑味」について語り合う。

話はレコード・プレス工場、『VINYL GOES AROUND PRESSING(VGAP)』の片隅で行われた。

水谷:やっぱさ、レコード・プレス工場って、実際のところプレスの工程で音が良くなるわけじゃないよね?

牧野:そうですね。そこはよく誤解されがちですけど。

水谷:我々の最大の使命って、カッティング(音源をラッカーでコーティングされたアルミニウム製の円盤に物理的に刻み込む工程)を経て作られたスタンパー(レコード盤をプレス成型するための金型)の音を、どれだけ忠実にヴァイナル製のレコードとして再現できるかってことだよね。

牧野:まさにそこなんです。

水谷:でも、あえてうちのプレスのこだわりを挙げるとすれば、うちのプレスマシンってボイラー式なんですよ。電気式もあるんですがボイラーにしたんですね。「電気炊飯器とガス炊飯器」の違いって言えばわかりやすいのですが、別にどっちが絶対いいって話じゃないけど、やっぱり火力が強い分、ガスの方がスピーディーに美味しく炊けるっていう。

牧野:それに近い感覚はありますね。

水谷:電気式だと、同じ時間内で作れる枚数が半分くらいになっちゃうし、熱量が足りなくてプレスのときにレコードが意図せず分厚くなっちゃう。つまり、意図してないのになんでも「重量盤(通常より厚くて重いレコード)」になってしまう。

牧野:そうなんです。もちろん重量盤が好まれることもありますけど、必要以上に厚いと、見た目もバランス悪くなるし、何より材料費が無駄にかかる。結果的に製造価格も上げざるを得ないですし。だから、うちが電気式にしなかったのは本当に正解だったと思ってます。

山崎:そうなんですね。確かに7インチなのに無駄に分厚いレコードってたまにありますね。ところでプレス・エンジニアとして、マッキー(牧野)は何か特に「こだわってること」ってあるの?

牧野:こだわりというか、レコードづくりって、ものすごく繊細な作業なんですよ。日本って四季がはっきりしてて、湿気が多い/少ないなど色々な時期があるじゃないですか? だから、工場の室内環境が日々違うんです。もちろん空調設備は整っていますが、でも外気の変化で、マシンの設定も左右されるんです。前日と同じ設定じゃ通用しない。その日ごとに最適な条件を探って調整してるんです。たとえば、「今日は寒いな」とか。そういう時にボイラーの温度をちょっと上げたり、圧力をかける時間を数秒減らしたり。そういう微調整を毎日やってます。もう、経験と勘の世界ですね。「今日はこういう陽気だから、こうしよう」っていう感覚が、1年やってみてデータと一緒に自分の中に蓄積されています。

山崎:完全に職人の世界だね。レコード・プレスって、一夜漬けでなんとかなるようなもんじゃないんだね。

水谷:ほんとそう。ただプレス機を買えば良い音のレコードが作れる、なんて甘いもんじゃない。ボタンを一つ押せば自動でできるってものではないですね。

牧野:まさにその通りです。調子のいい日もあれば、うまくいかない日もある。そういう微妙な変化を察知して、その日の環境に合わせて調整していく。

山崎:そうやって、1枚1枚に気持ちが込められてるんだね。レコードって大量生産だけど、やってることはほぼ手仕事って感じだね。

牧野:はい、文字通り手を抜けないですね。

山崎:レコードは生き物ですね。作るのは本当に大変だと思います。でも、VGAPでプレスされたレコードって、かなり音がいいと思うんですよ。これは社長の前だからって媚を売っているわけでもないし、この記事が公になるからって自社の宣伝のつもりで言ってるわけでもなくて。音の鳴りが「いい音楽」として聴こえるんですよね。

水谷:真央さん(山崎)が一番そう言ってくれていますよ(笑)。でも実際、そういう声ってちょくちょく届いていて。先日もジム・オルークが、うちでプレスしたフェネス(Fennesz)のレコードを聴いて、「音がいい、素晴らしいプレッシング!」って絶賛してくれたんですよ。

山崎:それはすごいですね。ジム・オルークって、音に対してものすごくこだわる人だから、彼がそう言うってことは間違いないですね。しかも、それを聞いて僕の耳も間違ってなかったんだなって、ちょっと安心しました。

水谷:そもそもレコードって「音がいい」ってよく言われるけど、解像度とかクリアさみたいなスペック的な基準で言えば、CDの方が優れてるはずなんですよ。だから、なんでレコードが音がいいって言われるのか、説明しづらい部分もある。でも、今、真央さんが言ったように、「いい音」っていうより「いい音楽」として耳に届く、その感覚なんですよね。

牧野:でも、完璧さを求める人にとっては、レコードってちょっと不安定なものに感じるかもしれないです。ノイズはあるし同じ盤でもどうしても微妙な個体差が出たりしますから。そういう意味では、CDの方が「製品」としては優秀だと言えるかもしれません。

水谷:いや、レコードはノイズや個体差があるからいいんです。

山崎:僕もそう思います。昔はCDが登場する前、レコードには「ノイズがあって当然」という認識があって、それが当たり前に受け入れられていました。でも今は、CDやデジタル音源のように、均一でクリーンな音が当たり前になっている。なのでレコードにも同じレベルのクオリティを期待してしまう人も増えているかもしれないんだけれども、レコードのあらゆる雑音を「ノイズ」として徹底的に排除してしまうと、逆に音の「味」が消えてしまうこともあると思います。

水谷:そうですね。製品のクオリティを上げようとする美意識は大切だと思うんですが、それと「ちょっとでも雑音があったら受け入れられない」みたいな潔癖的な排他性は違う気がします。ただ近年は後者のような感覚から、ほんの少しの「雑音」や「揺らぎ」に耐えられない人が増えている側面もありますね。

山崎:昔に比べたらちょっとした「揺らぎ」や「雑味」に価値を見いだす感覚自体が薄れてきているように感じます。

水谷:でも音楽って、譜面通りに機械的に演奏されたものよりも、ほんの少しのズレや余韻、人間らしさの中にこそ感動があると思うんですよね。レコードも同じで、完璧にはならないからこそ尊い。不安定だからこそ儚さがあって、それが美しさにもつながる。物って使えば傷がつくものだし、レコードもそう。だからこそ愛おしい。

牧野:僕の仕事としては、できる限り出荷時のエラー要素は取り除かなければいけないし、そのクオリティを上げる努力は日々しています。でも、おっしゃる通り芸術的な観点での判断の方が大切なので音楽的な味わいや勢いまでそいでしまわないように気をつけています。

水谷:レコードにはデジタルでは再現できない生々しさとか、あたたかみって確かにある。CDのように、完全に均一な製品をレコードで作ることはできません。むしろ同じじゃないから僕は「それがいいんじゃないかな」と思います。それがレコードの本質かもしれない。

山崎:吹きガラスや陶芸のように、手仕事ならではの味わいに魅力があると感じる人もいます。「不完全の中にある美しさ」を見出すという感性って人の本質にはありますよね。

水谷:カレーの「アク」や「焦げ」じゃないですが、「雑味」があるからこそ、「旨味」が生まれる。レコードもいわば「大人の味」で、その「雑味」を味わうのが楽しみ方の一つだと思います。
昔、工場ができる前、我が社でリリースした、ある世界的なアーティストにテストプレスの確認をしてもらったことがありました。ほんのわずか音に「雑味」が入っていたようで、厳しい指摘をされるかと思ったのですが、返ってきた言葉は「このままでいってくれ。レコードってそういうものでしょ」と。その方も相当なレコード好きで、この事は今でも強く印象に残っています。
いま、またレコードのそうした「不完全」さに価値を見直す人が少しずつ増えてきているように感じます。だからこそ、レコードは再び注目されているんじゃないですかね。

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おかげさまで現在、「VINYL GOES AROUND PRESSING」は各方面からたくさんのご依頼をいただき、ありがたいことに日々忙しくさせていただいております。
多くの著名な方々にもご依頼を受けており大変感謝しておりますが、私たちVGAPが目指しているのは、次世代を担う新たなアーティストたちのサポートになること。
現在、どこにも所属せずDIYで活動しているアーティストを支援するプログラムも準備中で、まもなく発表できる予定です。

今後とも「VINYL GOES AROUND PRESSING」を、どうぞよろしくお願いいたします。

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