「S」と一致するもの

NOT WONK - ele-king

 アルバム最後の曲 “Asshole” の冒頭、足音が聞こえた気がした。それはゆっくりと地を踏み締め進む、このバンドのことを思わせる音だった。後ろを振り返ったり足元をみたりしながら、その日その時のスピード、歩き方であゆみを進めることの大切さが、そこには宿っているように思えた。実際それは、グランドピアノのペダルを踏む音だったのだけれど。とにかく自分の耳にはそのように聞こえた。

NOT WONKの5枚目となる『Bout Foreverness』は、12年間3ピースで活動してきたバンドが、二人になったタイミングで作られた。なにかを埋め尽くすようなフィードバック・ノイズと、対照的な静けさ、問いかけるような歌声、それらを内包する多彩なエイトビートが、目の前に現れるかのように鮮明な録音で、一つの作品としてパッケージングされている。パンクを “優しさ” や “真面目さ” と捉え、社会に対して開けたメッセージを作品に反映させてきた彼らにとって、今作はもっとも個人的で、内世界を映したような内容になっている。

 タイトルにあるように、この作品の大きなテーマは「永遠性」。時間を超えて、変わらずに存在し続けること。かなり幅のあるテーマだ。音楽作品においては、どの時代でもその素晴らしさを再発見できる、不朽の名作がもつ性質ともとれる。そんな永遠性もこの作品はかね備えているが、それだけではないみたいだ。

 時間はまっすぐ前に進んでいるのだろうか? 普段生きている中でそんな疑問を抱くシーンはあまりないかもしれないが、音楽がなっている場所でそんな気分に陥ったことがある人は少なくないはずだ。BPM100で曲がスタートして気づかないぐらいのテンポチェンジによって95に変わっていくとき。遅い曲から早い曲にシフトチェンジしたとき。無音になったとき。あるいは楽器やサンプリングがリヴァースするとき。場の空気は少しずつ歪み、時が一定の速度で前に進んでいるとは思えなくなったことがないだろうか。音の前で、時間は伸び縮みしやすい。そんな音が持つ性質に、この作品は挑戦している。歌詞もだけれど、曲の「ループ」の部分にその跡がみえる。

 あらゆる音楽において意識的、無意識的につかわれる「ループ/繰り返し」。特に “Some of you” において顕著にその実験がみられる。リムショットと和音を爪弾くギターからはじまり、ツーステップに移行するとギターと変調させたヴォイスが渦巻き、ノイズのハレーションを起こすこの楽曲。途中で降り注ぐ声のサンプリングは、曲中の別パートから持ってきたものらしい。だからなのか、どの音のディレイか分からなくなるほど深いエフェクトの作用か、終わりと始まりが曖昧になっていく感覚をおぼえる。そうして終盤に刻まれるハイハットは、曲の頭に鳴らされるものと同じテンポで、確かに時が移ろっていたことを示しているのだ。また、今作の聴きどころとして、フィードバック・ノイズの使い方がある。「最終的にマニュエル・ゲッチングとかスティーヴ・ライヒの話をしながら録ってた」というインタヴュー内の発言にもあるように、フィードバック・ノイズは時として、ミニマル・ミュージックやドローンのような反復として、今作のなかで鳴っている。

 「ループ/繰り返し」の他に、「音の大小」もアルバムの中では扱われている。無音室のなかでは自分の体の音がうるさいというが、音が “小さい” ことと音が “大きい” ことの差異は思っているよりもないのではないか。そんな疑問への試行は楽曲内のダイナミズムだけでなく、アルバムの流れにもあらわれている。DCハードコア、スロウ・コアを思わせる “George Ruth” から、ボサノヴァのリズムとつぶさな歌声を取り入れた “Embrace Me” への流れ。“Same Corner” の終盤、テンポが加速しながらサックスとコンガが入り乱れ、そして断ち切られたあと、数秒あいてホワイトノイズのような空間の音からシンバルが表出する “Changed” への切り替えもそうだ。それは一見唐突なようで、シームレスにつながっている、という相反する感覚を呼び起こす。

 音楽の概念的な部分への挑戦が細やかになされた楽曲たちは、聴き手にあらゆる発見を促す。現に自分が、フィードバック・ノイズにラ・モンテ・ヤングを見出したように。音楽を聴くものにとって、こうした発見の連続がさらなる聴取の足掛かりになる。それこそが聴くことの創造性なのではないだろうか。『Bout Foreverness』はそうして、聴き手に届くことで完成していく作品なのだろう。

 ここまで述べてきたように、作品性の高い今作だが、ライヴでは毎度異なるアレンジがなされており、さながら生き物のように変化中だ。それはポスト・プロダクションに入れ込み始めた前作でも同様だったが、当時はライヴのために構築し直すようなありかただったのが、いまは毎度そのときその場に導かれるように変化させているように思う。ベースの本村拓磨が都内で活動しているからそうせざるを得ない、ということももちろんあるだろうけど。“About Foreverness” はアルバムでは部分的だったパブ・ロックのノリが前面に押し出されてコステロさながらだし、“George Ruth” はサッドコアたる湿っけは抑えられカラッと演奏される。単にいまのモードというところもあるだろうけれど、フロアの反応をみて次の曲を急に変えるという10年間で自分が見たことがなかったことも、サラッとやりのける。とにかくその場に身を委ね、どこまであがっていけるかを、セッション的な要素を含めて試みているようだ。

 NOT WONKは、音を鳴らす場所自体にもテーゼを掲げて活動してきた。昨年、今年と開催されるFAHDAYは活動拠点である苫小牧の市民会館とその周辺一帯を使っておこなわれる。表現の交換市と銘打たれたこのビッグ・パーティは、苫小牧の飲食店やクラブ、ライヴハウスとともに立ち上げられ、各地から様々な表現者をよび開催される。そして、このパーティでいうところの交換されうる表現にはきっと、表現者と呼ばれるひと以外の存在も含まれているだろう。その場に居合わせるということの影響力は案外甚大だ。とくに音を聴く場においては、誰かの話し声や咳払い、表情など、動きすべてが物理的にも間接的にも、音に影響していく。そんな相互作用にも、このバンドは立ち向かい、手触りを確かめているように思えてならない。

書籍『レイヴ・カルチャー』解説 - ele-king

 正確にそれがいつだったのかは憶えていない。2000年代に入ってから、ダンス・ミュージックがEDMと呼ばれはじめた頃、あるDJとの会話のなかでその話題になって、彼が言った言葉がいまでも忘れられないのだ。「なにせ近頃のレイヴにはスポンサーが付いているからね」、皮肉たっぷりに笑みをうかべて彼はそう言った。「マジかよ」「信じられないよな」。これは「近頃のサッカーは手を使ってもいいらしいぜ」と言われたようなもので、本質的な矛盾なのだ。そう、しかしながら、2025年に近づこうとしている現在では、むしろ逆かもしれない。「え? スポンサーも付けずにレイヴを開催するの? マジかよ」

 レイヴ・カルチャーは、本質的にアンダーグラウンドな、しかし巨大なムーヴメントだった。あっという間に拡散し、ここ日本にも1992年には飛び火したことが確認されている。
 レイヴ・カルチャーから見える景色は、人それぞれだろう。汗だくで踊る人びと、笑顔、倉庫の壁、英国の田園地帯……、宗教的な体験をしてしまった人も多かったし、資本主義の向こう側を幻視してしまった人だって少なくなかった。
 本書が詳説しているように、レイヴ・カルチャーのレジャー産業化には時間を要さなかった。だが、そこから溢れ出たものすべてを資本主義が回収するには、このサブカルチャーのユートピア的な可能性のスケールのほうが上回っていた。その象徴的なシーンが、本書の第6章後半に書かれている〈スパイラル・トライブ〉と〈DiY〉が先導したフリー(無料)・レイヴだ。〈DiY〉は、ぼくが経験したレイヴのひとつである。

 それは、無許可のレイヴを禁止するための法案、CJBが法律となって(すなわち “ビル” ではなく “オーダー・アクト” になって)から4年後の、1997年のことだった。ぼくが英国の音楽文化に惹かれた理由のひとつが、政府からの弾圧に対して必ず「なにくそ」という動きが出てくるところだ。〈DiY〉は一時的自律ゾーンとしてのレイヴ・カルチャーを継承すべく活動を続けていた、イングランド中部のノッティンガムを拠点とするパーティ集団(およびレーベル)だ。1991年に始動した彼らはそれまで何度か逮捕され、何度か機材を没収されていたが、その当時もまだ無料レイヴを続けていた。
 レイヴ開催の情報は、もちろん口コミ、電話連絡のみだ。警察に知られないようにやるわけだから、フライヤーなど捲くはずがない。おおよその場所を知って、車を走らせる。牧草地帯のなかを1時間以上進むと、やがて彼方にレーザー光線が見える。うぉぉぉぉ、車内では歓声が上がる。しばらくすると、キックの音が聞こえる。会場はもう近い。さらにずっと進んでいくと、数台の車が駐車して、並んでいる。自分たちもそこに車を駐車し、暗闇のなか明るいほうに向かって歩く途中、金網のフェンスに当たったが、よく見ると、そこには人がひとり通過できる穴がこじ開けられていた。フェンスのなかに入って、草を踏みながら音のほうに進んでいくと、前方に見える倉庫のなかで人びとが踊っているのがわかる。レイヴだ。
 この話はなんどか書いているので端折るが、明け方には警察に包囲され、ぼくといっしょに行った友人たちは運良く、いま思えばほんとうに運良く朝日のなか会場を後にすることができた。そのときいっしょだった友人から、本書『レイヴ・カルチャー(原題:Alterd States)』のことを教えてられたのは、〈DiY〉の無料レイヴの興奮さめやまぬ1997年の冬だった。かくしてぼくは、その翌年ロンドンで本書の第二版を購入するのだった。

 マシュー・コリンの『レイヴ・カルチャー』は、それが出版された当時から絶賛されている。これほど包括的に、ジャーナリストとして、そしてインサイダーとしてあの時代を詳述している書物はほかにない。音楽評論家、サイモン・レイノルズの『Energy Flash : A Journey Through Rave Music and Dance Culture』もMDMAとアシッド・ハウスを触媒に急展開した1990年代のダンス・カルチャーを描いた本として知られるが、こちらは時代のなかで細部化されていくスタイル(ハウス、テクノ、ジャングル、トリップホップ、エレクトロニカ等々)を追いながら、アーティストや音楽作品にスポットを当てている。著者の好み(ジャングルへの偏愛、IDMへの嫌悪)も反映された、批評的な読み物になっている。本書にも著者の好みが反映されているのだが(ハッピー・マンデーズへの愛情、バレアリックへの他人事感)、『レイヴ・カルチャー』のすべての小見出しが「場所」の名称になっている点に注目したい。重要なのは場所なのだ。ここに著者のこだわり、レイヴの哲学が垣間見える。重要なのはスターではない。その場所に集まる人びとであって、音楽そのものなのだ。ぼくが初めて本格的なレイヴに行ったのはずいぶん遅く、1993年になる。ブリクストン郊外の工場跡地のような場所で開かれていたパーティで、もちろんフライヤーなどない電話による暗号めいた口コミによって集まっている。その際、ただひとこと伝言されるのは「場所」(通り名)なのだ。
 もっとも、そのブリクストン郊外のレイヴは、セカンド・サマー・オブ・ラヴからすでに5年も経っていたので、商業的なイベントではなかったが形式化はされていたし、ロンドンということもあってスタイリッシュな若者が多かった。しかしながらノッティンガムの無料レイヴとなると、町の電気屋がPAや照明の配線を指揮し、パートタイマー風の女性や労働者たち、あるいは大麻好きの老人とか、まあ、あまりお洒落ではない人たちもベーシック・チャンネルやロン・トレントで踊っていたのである。ぼくが最初にレイヴ・カルチャーに感じた悦びのひとつにはそれがあった。ぼくはそれ以前にも、ロックのコンサート、あるいはハスウやテクノのパーティで知らない人たちと盛り上がった経験があったけれど、それは同じ趣味の者同士の集まりだ。レイヴや、レイヴ的な感覚の強いパーティにおいては、ふだんの生活においては知り合うことのない人たちと出会うことになる。踊ったり、話したりしながら、彼ら・彼女らとの共同体感覚を覚える体験は、ぼくには新鮮だった。

 MDMAがレイヴ・カルチャーの燃料になったことは隠しようのない事実だ。では、このドラッグがなければ何も生まれなかったのかと言えば、そうではないだろう。1970年代の英国にはノーザン・ソウルと呼ばれるアンダーグラウンド・パーティの文化があった。レイヴ・カルチャーの青写真と言われるそれは、英国中北部の労働者階級の若者たちから生まれ、発展したもので、公民館のような場所を借りて、DJがかけるアメリカ産のブラック・ダンス・ミュージック(この場合は、70年代のシカゴやデトロイト、フィラデルフィアのソウル)にあわせて汗だくになって踊るシーンだ。〈DiY〉の音楽的師匠がシカゴのディープ・ハウスだったことは、彼らがノーザン・ソウルの伝統と繋がっていることを物語っている。
 また、第6章で詳述されているように、1980年代の英国にはヒッピー・アナーキストによる無料フェスティヴァルのシーンが、政府からの弾圧に遭いながらも成長していた。そして、それがレイヴ・カルチャーと交差したとき、大衆文化におけるもっともアナーキーな形態が具現化する。1992年5月22日から一週間ぶっ通しで開催されたキャッスルモートン(その公共の場)でのレイヴは、イギリス史上最大級の非合法フリー・レイヴとなった。この一大事件が、いかに警察の監視を煙に巻きながら実行されたかは本書に詳しい。それは歴史的な出来事で、とどのつまり、英国における監視社会の強化とレイヴ禁止への必要性を国家に強く認識させたのは、5万人を集めたこの無料パーティだった。
 その背景には、マーガレット・サッチャーの新自由主義によって変えられた社会構造や価値観がある。幸福とは物質的な豊かさを意味し、町の個人商店は企業の進出にとって閉店を迫られ、誰もがクレジットカードを持てるようになり、人生とは熾烈な競争を意味するようになった。囲い込みなき支配が進行するなか、レイヴ・カルチャーにおける過剰さに若者たちの希望の見えなさが反映されていたのだとしたら、仮にMDMAがなかったとしても、既存のシステムを寄る辺としないなんらかの集団的な熱狂は起きていたと考えられる。
 だが、やはり、MDMAがなければこの文化は生まれなかった。ドラッグに関する評価は慎重にならなければならないが、共感力や愛情をありえないほど増大させてしまうエクスターがダンス・カルチャーと融合したことで、多くの人間が同じ場所で同じ時間、前代未聞と言えるほどの前向きな世界を幻視したことの意味は小さいものではなかった、少なくとも音楽にとっては。レイヴ・カルチャーを起点に、その後10年のあいだにいったいどれほどのすばらしい音楽が創出されたことか。
 初期のジャングルのシーン(第7章を参照)から登場した4ヒーローがよくよく主張するように、レイヴ・カルチャー(ことにジャングル)のすべてをMDMAと結びつけるのは間違っている。同ユニットのマーク・マックはこれまで口が酸っぱくなるくらいに強調している。自分が行ったレイヴでぶっ飛んでいたのはごく少数で、ほとんどのダンサーはドラッグ無しで踊っていたと。レイヴの現場にいた人間のひとりとして言えば、その通りだと思う。シラフで踊っていた人たちや4ヒーローのようにアンチ・ドラッグのアーティストは何人もいる。
 だからMDMAがすべてではないが、しかしやはり、その影響は否めない。たとえば、どんなかたちにせよ、日常的な思考の枠組みを超越してしまうことは、当たり前だと思っていた観念を相対化する。反資本主義へとハンドルを切ったフリー・レイヴのシーンもさることながら、もうひとつ象徴的だったのは、1993年に起きたニューエイジ・トラヴェラーズの顕在化だった。レイヴを経験し、学校や親から教えられた人生の設計図が必ずしも絶対的なものではないと気付いた子どもたちが次から次へと家出し、ニューエイジ・トラヴェラーズ、すなわちキャラバンを住居とする流浪の民となったという話で、そのほとんどが中産階級の子どもたちだったことも、先述したレイヴ禁止法案の可決を急がせている。

 1994年に可決されたレイヴ禁止法として知られる悪名高き「Criminal Justice and Public Order Act」は、若者文化/カウンター・カルチャーに対する明白な政治的な弾圧であると同時に、公共空間をめぐる政治的議論にも発展した。ぼくが催涙ガスを浴びたのは、1993年(ちなみにこの年ぼくは都合6回渡英している)秋の反CJBデモに参加したときのことだった。それはレイヴのみならず集会の自由/公共権を奪うものを意味するとして、多くの一般市民が反対デモに参加した。数万人の参加者はトラファルガー広場に集まって、ハイドパークを終点として市の中心街をシュプレヒコールしながら歩いたわけだけだが、ハイドパークの入口にまで来たとき、警官隊が整列しているそのすぐ近くに一台の大きなトラックが待ち構えていた。そして、こともあろうかそのトラック(のちに〈DiY〉と判明)は、いきなり爆音でハウス・ミュージックを鳴らしたのである。すると、そのうちのひとりがトラックのルーフによじ登って踊りはじめ、ズボンを脱ぎ、警官隊に向かってお尻を突き出したそのときだった。デモ隊からわれんばかりの歓声があがると、人びとが石を持って警官隊めがけて投げた。
 これが、翌朝の新聞の一面で報道された(人頭税反対のとき以来の)暴動のはじまりだった。ハイドパークには火が点けられ、暴れる人びとを威圧するため騎馬隊が大勢やって来た。ぼくは必死で逃げ回りながら、セントラルパークを脱して、通り沿いのマクドナルドに入ったものの、しかし店の窓ガラスにも投石があり、ガラスは割れ、流血もあり、テーブルの下に身をかがめるという……いまでもそのときの光景をありありと思い出すことができる。レイヴ・カルチャーは、たんなる快楽主義を燃料としただけだったのに、これほど大きな社会的/政治的な出来事でもあった。それが市民運動化する展開、336ページから338ページにわたって紹介されている〈リクレイム・ザ・ストリート(ストリートを取り戻せ)〉こそ、日本のサウンドデモがヒントにした発想/形態である。

 その後英国では、アカデミアにおいてもレイヴ・カルチャーは研究されている。その典型的な例をいえば、監視資本主義社会や権力を研究したフーコー/ドゥルーズ的な解読がある。国家が管理する時間からの逸脱、すなわち純粋な無用性による自律ゾーンが大衆文化によって生まれたという歴史的な事実は、これからもさらに研究され、語り継がれていくことだろう。
 2023年には、おもにフリー・レイヴに焦点を当てたドキュメンタリー映画『Free Party: A Folk History』が公開された。また、いまでは伝説となったキャッスルモートンでのフリー・レイヴに関しては、2017年にはBBCが『Castlemorton: The Rave That Changed the Law』というドキュメンタリーを制作し、放送した。レイヴ・カルチャーに関する決定的な文献としてベストセラーとなった本書も、2010年には新装改訂版が出版されている。
 この日本版は2010年版の完訳というわけで、最初に著者が2009年に書いた序文が加えられている。「あれは特別な時代だった」、ぼくもまったくその通りだと思う。そしてコリンが自らに問うてるように、ぼくも自分に問い続けている。それ以上の何かだったのか? それともただたんにドラッグ熱にうかれてやってしまったことなのか? 決定的な回答などないが、あれが特別な何かだったことはたしかだ。コリンは、あのシーンのインサイダーのひとりとして、ほんとうに意味のある本を書いてくれた。ぼくは本書のほとんどすべてに共感できるが、もっとも好きなのは、じつはハッピー・マンデーズに関して書かれたところかもしれない。理由は、個人的にとくに好きだったわけではないこのバンドのことを、本書を読んで好きになったからだ。
 本書はたった一行(スコットランド紙幣のばらまき事件)しか触れられていないが、ほとんどの音楽ジャーナリズムがレイヴ・カルチャーを「顔が見えない、音楽性がない、無意味だ」と酷評してい時代に、レイヴの高揚、(サッチャーが不要なものとした)連帯性、型破りな推進力をポップ・ミュージックとして表現したのがザ・KLFだったことも追記しておきたい。また、ロック・バンドのパルプの1995年の曲、“Sorted for E's and Wizz”についても記しておくべきだろう。これは、M25環状道路から少し離れた場所にある広場で、何千人もの人びとと一緒に過ごすことについて歌った曲である。じっさい彼らのヒット曲“Common People”はトニー・ブレア時代のアウトサイダーたちのアンセムとなって、この曲は人びとをレイヴのように盛り上がらせたのだった。

 ジャングルについて書かれた第7章「都市のブルーズ」が気に入っているのは、1992年当時の爆発したてのこのシーンの現場を体験しているからでもある。サイモン・レイノルズはそれを「ハードコア連続体」と、なかば通俗のロマン化と言えなくないも言葉で賞揚しているが、多くの批評家が過小評価したこの移民文化は、たしかに過剰なシーンだった。その章に登場するシャット・アップ・アンド・ダンスについて若干の補足をしておく。英国特有のサウンドシステム文化とアメリカのヒップホップ/そしてソウルIIソウルに影響され誕生したSUADによる楽曲は、当初はブレイクビート・ハウスと呼ばれ、メインストリームのアーティストの露骨なサンプルが使われていたことで知られる。海賊ラジオを介してヒットした彼らの曲は、アンダーグラウンド内での成功として完結されるはずだった。ところが、1992年に“Raving I’m Raving”なる曲が国内チャートの2位という大ヒットによっては急変した。この前年のアメリカでは、ビズ・マーキーの“Alone Again”のサンプリング使用をめぐる裁判があった。最終的に裁判官がそれを「窃盗」と判決したことで歴史は急変し、サンプリングを使った音楽すべてが態度をあらためなければならなくなった。英国のSUADは、ヒットしたばかりに“Raving I’m Raving”に関するサンプリング使用で訴訟を起こされたばかりではない。過去の楽曲ににまでもその調査はおよび、結局、彼らはヒットしたがゆえにレーベルを畳むしかなかった。2004年、10年ぶりにアルバムを発表したSUADは政治的に先鋭化され、そのタイトルは『リクレイム・ザ・ストリート』だった。

 マシュー・コリンはノッティンガム出身のジャーナリストで、本書は彼にとって初の著書になる。2001年には西側諸国では詳細が見えづらい、ユーゴスラビアのベオグラードにおけるパブリック・エナミーやザ・クラッシュ、デトロイトのアンダーグラウンド・レジスタンスの影響力とセルビアの反体制文化を支えるラジオ局〈B92〉を描いた『This is Serbia Calling』をもってさらに評価を高めている。2007年にはセルビアからジョージア、ウクライナまでの若者たちの社会運動を現地取材し、掘り下げた『The Time of the Rebels』を上梓、2015年にはマーク・フィッシャーのZero出版からパブリック・エナミーおよびフェラ・クティ、ラヴ・パレード、プッシー・ライオットなど、音楽が政治・社会運動とどう交差するかを綴った『Pop Grenade』を刊行、多くの識者からの賛辞を得ている。『ビッグ・イシュー』、『i-D』、『タイム・アウト』といったメディアのウェブサイト編集者も務め、『ガーディアン』、『オブザーヴァー』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』をはじめ数多くの新聞や雑誌に寄稿している。BBCやアルジャジーラといった国際メディアの特派員も経験しているコリンだが、本書を読めばわかるように音楽への愛情、ことに民衆に力を与えるレベル・ミュージックに対する共感には並々ならぬものがある。 

文:野田努

interview with Louis and Ozzy Osbourne - ele-king

 以下に紹介するのは、『ele-king』1999年4/5月号に掲載されたオジー・オズボーンとその息子でDJのルイス・オズボーン(取材時の年齢は23歳)との対話である。オジー・オズボーンがジェフ・ミルズやデリック・メイの曲について言及している記事は世界広しと言えどこれしかないと思うので、彼の死を悼みつつ、これを特別公開することにした。


7月のジャズ - ele-king

 オーストラリアやニュージーランドはジャズの伝統が長い国ではないが、逆にジャズにまつわる様々な影響を取り入れることに長けた国でもあり、特に1990年代後半から2000年代以降はクラブ・ジャズを経由したアーティストを多く生み出している。ニュージーランドでは、現在はロサンゼルスで活動するマーク・ド・クライヴローや、ロンドンでも活動していたネイサン・ヘインズなどは、ジャズの下地があった上でクラブ・サウンドにも接近して一時代を築いたミュージシャンである。ニュージーランドのオークランドを拠点とするサークリング・サンも、そうした系譜に位置するバンドのひとつと言える。
 バンドの中心人物はカナダ生まれのジュリアン・ダインで、もともとDJとして頭角を現し、その後バーナード・パーディーからドラムの手ほどきを受け、ミゼル兄弟とレコーディングをおこなうなど、ミュージシャンとしての道も進むようになる。2009年に『Pins & Digits』というソロ・アルバムをリリースし、2011年にはセカンド・アルバムの『Glimpse』をリリースするが、この頃はスティーヴ・スペイセックのようなエレクトリック・ダウンテンポ・ソウルをやっていた。2018年の『Teal』では自身は各種楽器を演奏するようになっていて、ロード・エコーやレディ6などとセッションをおこなっている。このあたりから生演奏の比重が増す音作りへと変化していくのだが、リリース元はUKの〈サウンドウェイ〉で、このレーベルはアフロやカリビアン系のサウンドを得意とする。サークリング・サンをリリースするのも〈サウンドウェイ〉で、この頃からのコネクションが続いている。

The Circling Sun
Orbits

Soundway

 サークリング・サンのデビューは2023年の『Spirits』で、メンバーにはネイサン・ヘインズのバンドで活動してきたベン・トゥルーア(ベース)はじめ、キャメロン・アレン(テナー・サックス、フルート)、ジョン・ユン・リー(フルート、ソプラノ・サックス、クラリネット)、フィン・スコールズ(トランペット、トロンボーン、チューバ、ヴィヴラフォン)などが参加していた。ジュリアン・ダイン自身はドラムス、パーカッション演奏のほか、全体をまとめるバンド・リーダー/プロデューサーとしての役割も担う。宇宙をイメージするようなアルバム・ジャケットが示すように、ファラオ・サンダースアリス・コルトレーンサン・ラーなどにインスパイアされたスピリチュアル・ジャズと言える。DJでもあるジュリアン・ダインが率いるだけに、そうしたスピリチュアル・ジャズのエッセンスをまといつつ、クラブ・ジャズとしての聴き易さも兼ね備えている。ラテンやブラジリアン・リズム、コーラスの導入にそうした点が表われており、1990年代後半~2000年代のクラブ・ジャズ・シーンを通過したDJでないとなかなかこうしたセンスは身につかないだろう。

 新作の『Orbits』も、『Spirits』と対になるような宇宙をイメージしたジャケットで、前作の路線を踏襲している。演奏メンバーも前作を引き継ぎつつ、ジョン・キャプテイン(ピアノ、キーボード、シンセ、ギター)、ケニー・スターリング(パーカッション、シンセ)といったメンバーも参加。コーラス隊は前作からさらにパワーアップし、ラヴ・アフィニティ・コーラスという名前もついている。コーラス隊を擁したスピリチュアル・ジャズというとカマシ・ワシントンが思い浮かぶが、サークリング・サンの場合はカマシほど重く激しいものではなく、どちらかと言えばグルーヴィーさや軽やかさを感じさせるもの。例えば “Constellation” などはアジムスやロニー・リストン・スミスあたりに近い感性を持ち、ファラオ・サンダースと比較しても1980年前後の〈テレサ〉時代のサウンドを想起させるようなものだ。コーラスの使い方も “You’ve Got Have A Freedom” を彷彿とさせる。“Flying” はそのままアジムスの作品と言ってもおかしくないし、“Seki” にはロニー・リストン・スミスが持つ透明な美しさが流れている。“Mizu(水)” “Teeth” “Evening” と、今回はスピリチュアル・ジャズの中でもブラジリアン・フュージョンやラテン・フュージョン寄りの作品が多いところが特徴だ。また、1970年代の〈ブルーノート〉のミゼル兄弟のプロダクションに対するオマージュも随所に見受けられる。


Greg Foat & Forest Law
Midnight Wave

Blue Crystal

 エセックス出身でロンドンを拠点に活動するマルチ・アーティストのアレックス・バーク。彼のプロジェクトであるフォレスト・ロウについては、2024年リリースのデビュー・アルバム『Zero』を本コラムで紹介したことがあるが、それから約1年ぶりの新作はロンドンのピアニストで様々なアーティストとのコラボをおこなうグレッグ・フォートとの共演となった。そして、注目すべきは『Zero』のときとフォレスト・ロウのメンバーがガラっと変わり、トム・ハーバート(ベース)、モーゼス・ボイド(ドラムス)、アイドリス・ラーマン(テナー・サックス)と、南ロンドン周辺のジャズ・セッションで多く名を見る強者たちが駆けつけていること。トム・ハーバートはマリンバ、モーゼス・ボイドはシロフォン(バラフォン)も演奏するなど、なかなか異色のセッションとなっている。

 作品のテーマとしては、ワイト島出身のアーティストであり伝説のサーファーだったデイヴ・グレイの芸術と人生にインスパイアされ、人生、死、絵画、サーフィンをテーマとした作品が収められている。こうしたコンセプト作りはサントラ的な作品を得意とするグレッグ・フォートによるものだろう。フォレスト・ロウ(アレックス・バーク)は今回はヴォーカリスト兼作詞家という役割に徹していて、グレッグ・フォートとして初めてヴォーカリストをフィーチャーしたアルバムになっている。“Imaginary Magnitude” は1970年代後半のブリット・ファンクをリヴァイヴァルさせたようなサウンドで、そこにブロークンビーツなどクラブ・サウンドのエッセンスを取り入れている。ジャイルス・ピーターソンとブルーイによる STR4TA(ストラータ)に近いサウンドで、“I Vibrate” におけるフォレスト・ロウのヴォーカルもレヴェル42のマーク・キングを彷彿とさせる。ちなみにレヴェル42もワイト島出身なので、何らかの意識があるのかもしれない。“The Undertow” はブリット・ファンクとは異なる作品だが、前述のとおりマリンバやシロフォンを前面に打ち出したエキゾティックなアンビエント・サウンドで、自然との結びつきが深いサーフィンというスポーツを表現しているのだろう。


Collettivo Immaginario
Oltreoceano

Domanda Music

 コレッティヴォ・イマジナリオはドラマーのトマーソ・カッペラートを中心とするユニットで、ピアニストのアルベルト・リンチェット、ベーシストのニコロ・マセットによるトリオとなる。イタリア出身のトマーソはロサンゼルスに渡って活動し、マーク・ド・クライヴ・ローなどとセッションしているが、たびたびロサンゼルスとロンドン、イタリアのミラノを行き来しながら演奏しており、コレッティヴォ・イマジナリオはミラノで録音をおこなっている。クラブ・サウンドやエレクトリック・サウンドの要素も取り入れ、スペイシーな風味の作品を得意とするトマーソ・カッペラートだが、このコレッティヴォ・イマジナリオもそうした持ち味を生かしたもので、それから1970年代のイタリアのピエロ・ウミリアーニ、ピエロ・ピッチオーニらに代表されるサントラやライブラリー・ミュージックにも多大なインスピレーションを受けているそうだ。

 2022年に『Trasfoma』というアルバムをリリースし、今回の『Oltreoceano』が2作目となる。『Trasfoma』は3人のみの録音で、ヴォーカルを入れる際もニコロとトマーソが担当していたのだが、『Oltreoceano』ではスピリチュアル・ジャズのレジェンド的なシンガーであるドワイト・トリブルほか、メイリー・トッド、モッキー、ダニーロ・プレッソー(モーター・シティ・ドラム・アンサンブル)など、ジャズ・シーン、クラブ・シーンの両面から多彩なゲスト参加がある。そのドワイト・トリブルのワードレス・ヴォイスをフィーチャーした “Vento Eterno” は、テンポの速いアフロ・サンバ・リズムによるスピリチュアル・ジャズ。野性味溢れるコーラス・ワークや哀愁に満ちたメロディなど、エドゥ・ロボの “Casa Forte” を連想させるような楽曲である。ダニーロ・プレッソーをフィーチャーした “Tempo Al Tempo” は、ディープ・ハウスやブロークンビーツのエッセンスを取り入れたジャズ・ファンク。1970年代のラリー・ヤングやハービー・ハンコックあたりへのオマージュが伺えるほか、途中から転調してアジムス的なブラジリアン・フュージョンへと変化していく。


Mocky
Music Will Explain (Choir Music Vol. 1)

Stones Throw

 モッキーことドミニク・サロレはカナダ出身で、ロンドン、アムステルダム、ベルリン、ロサンゼルスと世界中の街を移り住みながら活動するシンガー・ソングライター/マルチ・ミュージシャン。ジャンルレスで枠にとらわれない音楽性を持ち、ロック、テクノ、ヒップホップなどと幅広い音楽性を見せてきたが、2015年の『Key Change』あたりからがジャズやモダン・クラシカルを取り入れたポップな作品を作っている。この『Key Change』や2018年の『A Day At United』はロサンゼルスへ移住した頃の作品で、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、マーク・ド・クライヴローらLAジャズ勢との共作となる。また、ジェイミー・リデルファイストゴンザレスケレラモーゼス・サムニーカニエ・ウェストといった様々なアーティストと共演しつつ、自身の作品では彼独特の世界に染め上げる稀有な存在でもある。なお、前述のコレッティヴォ・イマジナリオの『Oltreoceano』にもゲスト参加している。

 そんなモッキーの新作『Music Will Explain』は、コーラス・ミュージックというサブ・タイトルが付けられているように、和声をテーマにした作品集となる。『Key Change』にもヴォーカル作品はいろいろあり、ケレラ、モーゼス・サムニー、ニア・アンドリュース、ミロシュ(ライ)、ココ・O(クアドロン、ブーム・クラップ・バチェラーズ)らがシンガーとして参加していたのだが、今回はより和声のハーモニーにフォーカスしたものと言える。モッキーは自身でヴォーカルのほか、ベース、ギター、ピアノ、キーボード、パーカッション、フルートなどを演奏し、ミゲル・アットウッド・ファーガソンのストリングスはじめハープ、ハーモニカ、クイーカなどいろいろな楽器が使われる。そして、コーラスにはニア・アンドリュース、メイリー・トッドなど総勢15名ほどが加わる。

 “Infinite Vibrations” はドリーミーなソフト・ロックで、コーラス・ワークを含めて1960年代のフリー・デザインを彷彿とさせる。1990年代の渋谷系からハイ・ラマズステレオラブなど後世に多大な影響を与えたヴォーカル・グループのフリー・デザインだが、モッキーの本作もそうした系譜に繋がる1枚と言える。そして、カーメン・マクレエ、サラ・ヴォーンらの歌唱で知られ、アウトラインズがサラ・ヴォーン・ヴァージョンをサンプリングした “Just A Little Lovin’” もカヴァー。バリー・マン作曲、シンシア・ワイル作詞により、もともとダスティ・スプリングフィールドの歌で世に出た楽曲だが、前述のとおりジャズ・ヴォーカルの名曲としても知られる。今回はソフト・ロック調のジャズ・ヴァージョンといった趣で、1960年代後半から20年代初頭のカリフォルニアで活動した伝説のフィリピン系姉妹少女5人グループのサード・ウェイヴを彷彿とさせる

Grischa Lichtenberger - ele-king

 「Ostranenie(異化)」とは、1920~1930年代のロシア・フォルマリズムを代表するソビエト連邦の言語学者・文芸評論家ヴィクトル・シクロフスキーが提唱した概念・理論である(演劇の文脈ではブレヒトによる異化効果が広く知られる)。
 芸術の役割は、「慣れ」によって鈍化した知覚を揺さぶり、対象をあらためて認識させることにある。それがシクロフスキーの主張だった。「見慣れたもの」を「見慣れぬもの」として再提示し、感覚の自動化に抗うこと。その装置としての方法論が「異化」なのである。

 ドイツのサウンド・アーティスト/音楽家グリシャ・リヒテンベルガーの新作『Ostranenie』は、この「異化」の音楽的実践にほかならない。電子音響における緻密な実験で知られるグリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』において、もっとも親密で情緒的な楽器といえるピアノを軸に、その音を分解・再構築し、聴覚そのものの認知構造を問い直す。リリースはドイツの電子音響レーベル〈Raster〉から。
 2012年に〈Raster-Noton〉からリリースされたファースト・アルバム『and IV [inertia]』以降、オウテカやカールステン・ニコライから影響を受けた作家として知られるグリシャ・リヒテンベルガーだが、このピアノ音響作品はキャリアにおける明確な転機といえよう。2019年に〈Raster〉からリリースされた電子音響とジャズの融合を試みた『Re: Phgrp (Reworking »Consequences« By Philipp G)』を経由して以降、自らの音楽をメタ的に再検証する試みともいえるアルバムに仕上がっていた。
 本作『Ostranenie』に収録された全13曲は、いずれも1~3分ほどの即興的なピアノ小品で構成されている。冒頭の1曲目 “what lies beneath 3 arp” を聴いた瞬間、アーティストを間違えたのではないかと錯覚するほどだった。かつての彼の音楽からは想像もできない、ドビュッシーやラヴェルといったフランス印象派、あるいはサティを思わせるような響きがそこにはあった。モーダルな和声、あいまいな拍節、断片的な旋律が交錯する美しいピアノ曲だ。
 だが、この『Ostranenie』に甘味料のような抒情はない。どの楽曲もフランス印象派のような響きを放ちつつも、どこか機械の音楽のような冷徹さを持っている。加えて4曲目 “spiderman” や5曲目 “chilling adventures of sabrina” あたりから現代的な音響編集とグリッチによる「断絶」が意識的に挿入されることで、音のエンヴェロープや残響も人工的に操作される。
 グリシャ・リヒテンベルガー特有の精緻なデジタル処理によって構造はズラされ、音の質感は変容する。聴き込むほどに、ピアノの響きが原音のままではないことに気づかされる。曇り、濁り、にじみ、そして時に破綻していく音。深く崩れるリヴァーブ、歪んだエフェクト、断続的に挿入されるグリッチ。楽曲の「中心」はぼやけ、記憶の断片が浮かんでは消える……。そんな印象を残すアルバムなのだ。聴き手は、何かを思い出しかけているのに、最後まで辿り着けない。全体を通じて、そのような感覚が貫かれている、とでもいうべきか。情緒は徹底して削ぎ落とされている。

 クラシカルとデジタルの境界線で、グリシャ・リヒテンベルガーが目指しているのは単なる20世紀印象派の再演ではない。いわゆるノスタルジーを拒絶しつつ、音楽とは情緒の装置という事実そのものを批評/解体し、なおかつその先にある「感覚の再起動」=「異化」を見出す。
 グリシャ・リヒテンベルガーの関心は音楽による情動の喚起ではないのだ。むしろその情動の解体にある。ピアノという情緒的な媒介を使いながら、感情がいかに条件反射的に作動するかを露呈させ、「聴くこと」そのものを宙づりにしてみせる。「美しい」と感じた瞬間に、その感受性の自動性に切り込みを入れる。それが『Ostranenie』の核心といえよう。
 加えてグリシャ・リヒテンベルガーの問題意識は、「没入文化」に対する批評的なスタンスにあるように思える。各楽曲のタイトルには、“spiderman”、“stranger things”、“mad men”、“irma vep” といった映画やドラマのシリーズ名が並ぶ(シーズン数やエピソード番号まで明記されている)。これらはポップ・カルチャーへのオマージュのようでいて、そのじつ、メディア環境へのアイロニーだ。アルゴリズムによる選別とレコメンドが支配する現代社会において、「感情の即時反応」ばかりが促進され、「意味」や「文脈」は平板化されつつある。音楽もまた、「癒やし」「集中」「感動」といったラベルとともに、機能的に消費されている。
 『Ostranenie』は、そうした現状に対する明確な異議申し立てといえる。ここでは感情は決して「わかりやすく」提供されない。リスナーは、受動的な快楽ではなく、能動的な聴覚の再構築へと促される。楽曲は意味を拒みながらも、静かに、しかし確実に、感覚の深層へと楔を打ち込んでいくだろう。グリシャ・リヒテンベルガーは、日常に埋もれた音や記憶、感情の断片を、異化というフィルターを通じて再提示するわけだ。即興性と構築性、詩情と冷徹さ、アナログとデジタルの往復運動。そのなかで彼は、「慣れ親しみ」という知覚そのものを揺さぶりをかける。つまり「異化」だ。

 再構成されるピアノ。異化される情緒。『Ostranenie』という「ピアノ楽曲集」は決して「耳に優しい音楽」ではない。グリシャ・リヒテンベルガーは、一音一音を通じて、世界を見慣れぬものとして差し出す。『Ostranenie』は、その意味で、現代におけるもっとも静かで、もっとも過激なプロテストのひとつといえないか。
 グリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』で、自らの到達点をまたひとつ更新した。もしも坂本龍一が『Ostranenie』を耳にしたなら、彼はいったい何を、どのように語っただろうか。そんな想像をめぐらせながら、私は今日も『Ostranenie』を聴き返している。

R.I.P. Ozzy Osbourne - ele-king

 デイヴィッド・ボウイといい、坂本龍一といい、自身の死期を見定めて人生の締めくくりに向かうアーティストが増えているようだ。そういう時代になってきたということなのだろう。7月7日、バーミンガムで行われた『Back To The Beginning: Ozzy’s Final Bow』は今世紀最大のメタル・フェスだった。長らくパーキンソン病を患っていたオジー・オズボーンが引退を宣言し、最終公演としてブラック・サバスのオリジナル・メンバーが代表曲中の代表曲4曲を演奏した。“War Pigs”で幕開けというのも彼らの意志を感じさせる。ほかにも新旧の様々なアーティストたちがオジーのために集結した。しばらくはSNSにバックステージで記念写真に興じる出演者たちの姿で溢れた。みんな楽しそうだし、オジーが大好きなのが伝わってきた。

 オジー・オズボーンことジョン・マイケル・オズボーンは英国の工業都市バーミンガムの労働者階級の出身で、10代にして酒浸りのやさぐれた生活を送る中でバンドを結成する。当初のバンド名は「ザ・ポルカ・タルク・ブルース・バンド」、まもなく「アース」と改名。もともとはブルース・バンドとしてスタートしており、サックスとスライドギター奏者のいる6人編成だったが、最終的にはギターのトニー・アイオミ、ベースのギーザー・バトラー、ベースのビル・ワードが残る。「アース」というバンド名はのちにディラン・カールソンが自身のバンド名として引用し、ドゥーム~ドローン・ミュージックのパイオニアとなる(それに対抗したのがスティーヴン・オマリーのSUNN O)))なのだが、それはまた別の話)。
 やがてイタリアのホラー映画『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』を観たギーザー・バトラーが、「怖いものは人気がある」と思いつき、バンド名をそのままいただくことになる。ビートルズにおけるインド思想やジミー・ペイジにおけるアレイスター・クロウリーといったガチな傾倒とちがい、サバスのオカルト/悪魔趣味は発端がホラー映画だったことからもわかるようにあくまでエンタメだった。
 1970年2月、13日の金曜日にファースト・アルバム『黒い安息日』をリリース。冒頭に収録されたタイトル曲“Black Sabbath”ではわずか三音のシンプルなリフながら、“トライトーン”と呼ばれる邪悪な音階による禍々しいリフと、オジーの切羽詰まった歌声が恐怖感を募らせる。60年代後半からメタルのルーツとされるようなハード・ロックが出現して人気を博してはいたし、ヘヴィ・メタルという言葉がジャンル名として定着するのは70年代後半のことだが、ヘヴィさと禍々しさを徹底して追求したブラック・サバスこそがヘヴィ・メタルの開祖だったとされている。
 ファースト・アルバムの時点では、まだブルース・バンドだった時代の名残を聴くこともできる。“The Wizard”ではオジーによるハーモニカがフィーチャアされているし、“Warning”と“Evil Woman”の2曲はブルースのカヴァーだ。
 以後、代表曲“Paranoid”と“Iron Man”を収録した2nd『パラノイド』、ギターのチューニングを一音半下げてより一層ヘヴィとなった『マスター・オブ・リアリティ』、より音楽性を広げていった『ブラック・サバス 4』『血まみれの安息日』と、名作を連発していく。
 歌詞のモチーフとしてはホラー/オカルト以外に反戦歌“War Pigs”やドラッグ・ソング“Sweet Leaf”“Snowblind”などがある。作詞を主に手掛けていたのはオジーではなくバトラーだった。バンド名の名付け親でもあり、バンドのコンセプトメーカーだったと言っていいだろう。それを具現化させたのがアイオミの作り出すリフであり、オジーの歌だった。

 バンドは次第にドラッグやアルコール問題が顕在化していき、70年代末にはついにオジーが脱退(解雇)。アメリカに拠点を移してソロ活動を開始し、若きギタリスト、ランディ・ローズをパートナーに迎えたソロ・アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』は、当時のLAメタルの流行もあって大成功を収める。
 当時のオジーはアルコールやコカインに溺れ滅茶苦茶な状態だった。よく語られる「鳩の首を食いちぎる」「ステージに投げ込まれたコウモリの死骸の首を食いちぎる」といった奇行エピソードはだいたいこの頃のことである。後に妻となる敏腕マネージャーのシャロンの助けもあり、次第に生活も立て直し安定したキャリアを築いていく。そのさまは2020年のMV「Under the Graveyard」でも描かれている(だいぶ美化されている気はするが)。

 オジーのソロ作は狼男に扮した『月に吠える』のアートワークやMVなどからもわかるようなホラー趣味を展開していたが、サバス時代以上にエンタメ度が高く、禍々しさよりは愛嬌のあるポップさが印象に残る。80年代のホラー映画ブームにも連動していたのだろう。一方で、“Good Bye to Romance”“Diary of a Madman”など内省的な曲が増えてくる。とはいえ作詞は依然としてオジー自身によるものよりは外部ライターや共作が多い。これはオジーが若い頃からディスクレシアに悩まされていたこととも関係があるかもしれない。

 オジーの脱退後、いわゆる「様式メタル」化の進んでいったブラック・サバスは、90年代前半ごろまでは日本ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどと比べて評価は低く、キワモノというかB級扱いだったように思う(メタル界での評価は別として)。だが、グランジ~オルタナティヴ・ロックの台頭にともなってオジー時代のサバスの再評価が始まった。カート・コベインがフェイヴァリットに挙げていただけでなく、サウンドガーデンやアリス・イン・チェインズなど明らかにサバス影響下にあるバンドが登場してくる。また、「世界一速いバンド」ナパーム・デスのシンガーだったリー・ドリアンが結成した「世界一遅いバンド」カテドラルも初期サバスを主要な参照元としており、その後のドゥーム・メタルの隆盛につながってゆく。
 90年代後半には自身の名を冠したロック・フェス「オズフェスト」の開催を始める。97年の第2回からはツアー形式をとり、オジーのソロとオリジナル編成によるブラック・サバスのダブルヘッド・ライナーとなった。旧来のヘヴィメタルにとどまらず、若手のメタルコアやオルタナティヴ・メタルなど新旧とりまぜたラインナップによる・ヘヴィ・ミュージックのショーケースとして人気を博した。2005年には日本からザ・マッド・カプセル・マーケッツが出演。2013年には日本でも開催された。2002年にはMTVでリアリティ番組「オズボーンズ」の放映が開始。オジーとその家族の生活に密着してお茶の間の人気者になる。

 はっきり言って「歌がうまい」という人ではない。なんでも歌いこなすというタイプではなく、何を歌ってもオジーにしかならない。ヘヴィメタルの帝王と呼ばれてはいるものの、独特の軽みのある声と粘っこい歌い方は、正統派のメタル・シンガーとはだいぶ異なる唯一無二のものだ。2005年のカヴァー・アルバム『Under Cover』では長年のビートルズ愛を発揮してビートルズおよびジョン・レノンの曲が3曲も収録されていたほか、キング・クリムゾン“21世紀の精神異常者”、ストーンズ“悪魔を憐れむ歌”、クリーム“サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ”といった捻りのない選曲に捻りのないアレンジで、楽しそうに歌ってるのが微笑ましい。
 2019年にパーキンソン病に罹患してからは明確に「締め」を意識し始めたように思う。とくに2020年のアルバム『オーディナリー・マン』は先述の“Under the Graveyard”のほか、「有名になる準備などできていなかった」「俺は平凡な男として死にたくはない」と歌われるタイトル曲など、自身の人生を振り返る曲が目立つ。

 最後のコンサートとなった『Back To The Beginning』チャリティコンサートとして総額2億ドル以上をあつめ、バーミンガム小児病院、エイコーン小児ホスピス、キュア・パーキンソンに寄付されたという。オジーはすでに歩行もままならない状態だったため椅子に座っての出演で、おそらく本当に最期の力を振り絞ってのパフォーマンスだったのだろうが、どの写真を観ても満面の笑顔ばかりでそんなことを微塵も感じさせない。だからこそ、あれからわずか2週間で亡くなってしまったことがいまでも信じられない。

Rave Culture - ele-king

 『レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語』、長らく入手困難状態にありましたが重版しました。重版の奥付(いちばん最後のページ)にはQRコードがあり、読み込むと特典の野田努の解説(久保憲司とともに、日本人ライターとしては当時のUKレイヴを経験している数少ないひとり)が読めます(7月31日以降)。
 同書は、当時のイギリスの社会背景のなか、アシッド・ハウスとMDMAを引き金に誕生し、やがて英国を揺るがすほど猛威をふるったこのサブカルチャーのありのままの歴史が読める本で、マシュー・コリンという信用できる真面目なジャーナリストが書いた名著です。
 また、同時に、これまた長らく入手困難状態にあった『ハウス・ディフィニティヴ』も重版しました。ハウス・ミュージックは、ぼくたちにとってつねに故郷です。一家に一冊。よろしくお願いします。

レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語
マシュー・コリン(著)坂本麻里子(訳)
四六判並製/448ページ
ISBN: 978-4-910511-02-3
本体 2,700円+税

https://www.ele-king.net/books/008314/

HOUSE definitive 増補改訂版
西村公輝(監修)猪股恭哉+三田格(協力)
A5判並製/オールカラー/304ページ
ISBN: 978-4-910511-48-1
本体 2,700円+税

https://www.ele-king.net/books/009195/

DMBQ - ele-king

 前回はMERZBOW、PHEW、WOOL & THE PANTSという組み合わせで実施された、DMBQが主催する公演シリーズ《AWAKE》。今年は10月7日(火)、渋谷クアトロにて開催されることになった。こたびのDMBQ以外の出演者は、オルタナティヴR&Bバンドのんoonと、OOIOOで、またまた興味深い組み合わせとなっている。
 チケットの先行発売はQuattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて7月26日から7月28日まで、一般発売は8月2日より開始とのこと。

「DMBQ Presents AWAKE」

出演:DMBQ, んoon, OOIOO

10月7日(火)
澁谷クラブクアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,500 当日¥5,500
・Quattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて
7月26日~7月28日まで先行発売。

・一般発売は8月2日より開始。

DANNY JIN - ele-king

 先日の春ねむりにつづき、勇敢な曲が発表されている。日本とパレスティナ双方にルーツをもつ東京在住のラッパー、DANNY JIN。彼が一昨日公開した “FxCK 排外主義(団結前夜Diss)” は、「差別主義者」に向けた曲だという。
 DANNY JINはこの春、セカンド・アルバム『Dream…』をリリースしたばかり。勇気あるラッパーのアクションと、そして音楽に注目だ。

Chaos In The CBD - ele-king

 「胸に残らない映画を観よう」と歌ったロック・ミュージシャンは誰だっけ? この歌詞の本意はわからないが、初めて聴いたとき直感的に良い言葉だなと思った。僕は何かを見たり聴いたりすると、調べて、考えて、もっと理解したいとその対象に心を砕きがちな類の人間ではある。まだ10~20代前半のころは、音楽にもっとのめり込んで、音楽によりおおきな期待を寄せていたし、音楽が驚きを与え続けてくれるものだと素朴に信じていた。
 しかし、かなしいかな、週5で8時間労働をこなさねばならない労働者には、いつまでも青く眩しい学生時代の音楽オタクの気概ではいられないときもある。──ときに疲れきった金曜の夜には、ポップコーン片手に気軽に観られる “胸に残らない” 映画が良い気持ちにさせてくれるように。いまの気分において、そんな音楽を無性に求めたくなる瞬間もあるのだ。
 そんな僕のモードから言わせると、カオス・イン・ザ・CBDの初フルレングス・アルバム『A Deeper Life』はとても体に馴染んだ。誤解を恐れずに言えば、一聴したときは驚きと呼ぶべきほどではなかったかもしれない。しかし、ディープ・ハウスを軸にジャズ、ボサノヴァ、ラテンやダウンテンポなど多彩に展開するこの作品は、のめり込むより寄り添いを、驚きよりも親密な喜びを提供してくれる、まさに気持ちよく胸を駆け抜けてゆくような聴き心地のよいサウンドで溢れていると感じた。
 2曲目 “Mountain Mover” のスティーヴ・ハイエットめいたチルでスローダウンな気分から、初めはバレアリックな雰囲気をも予感する。彼らが「イビサからクラブを取ったところ」と表現する故郷ニュージーランドでのフィールド・レコーディングも影響しているのだろうか、今夏の暑気払いのための格好のサウンドトラックにもなり得るだろう。他方で、ここにはNYハウスのレジェンド、ブレイズのジョシュ・ミランを迎えた “I Wanna Tell Somebody” があり、ブロークン・ビーツの重要人物ネイサン・ヘインズのサックスもあれば、四つ打ちに乗ったヴォーカル曲も(さらにはグライムのノヴェリストも!)ある。もちろん、アリーシャ・ジョイともコラボするフィン・リーズと組んだ “Ōtaki” のような、らしさを感じさせるジャジーなディープ・ハウスもね。
 いやはや、『A Deeper Life』は日々の生活に寄り添いながら感情を優しく刺激してくれるサウンドだ。気持ちいい風があっという間に駆け抜けて、胸には残らないような感覚。
 そもそも、彼らがジャズやハウスのシーンが交差するサウス・ロンドンに移り住み、かの重要レーベル〈Rhythm Section International〉からの「Midnight In Peckham」でブレイクを果たしてからじつに10年を経ての今作。僕を含めハウス・ラヴァーからすれば待望のリリースに違いない。世はニューエイジだと、あるいはトランスのリヴァイバルだと騒ぐなか、彼らはいま現在への明らかな接続、応答は選ばなかったようだ。ラリー・ハードやケリ・チャンドラーをはじめ先達が築きあげた90年代ディープ・ハウスの連なりに立ち、そのマインドを忠実に守りつつ良質なハウスを誠実に追求した。その姿勢には素直に心を打たれたし、東京の片隅のいちハウサーとして最大限のリスペクトを送りたい。ああ、なんて喜ばしいハウス・ミュージック!

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