「Man」と一致するもの

Charlie Watts - ele-king

 8月25日の晩は、誰しもがそうしたように、ストーンズのレコードを久しぶりに引っ張り出して聴いた。チャーリー・ワッツのビートに身を委ねるために他ならない。会ったこともなければ、ストーンズのライヴを経験したこともないのだが、レコードから伝わるドラミングを初めて体感したときから、彼はぼくの恩人となった。

 あのとき、いままで聞いたことのあった8ビートと決定的になにかがちがうことに気が付いた。なにがちがうのか、その正体はすぐには掴めなかったが、何故かとても大切なものだという直感があった。わからないなりに真似して叩く。なにかちがう。でも叩く。いやになる。そう繰り返しているうちに段々リズムに遠心力のようなものが働いていることに気が付いてくる。これはなんだろう? 映像からその秘密に少し近づいた。ケーブルテレビのなにかの番組でたまたまブライアン・ジョーンズが亡くなった直後のハイドパークのライヴ映像が流れていた(よくぞ2000年代にやってくれていました)。それまでの生活のなかで全く感じたことのなかった自由な雰囲気と、次々にアップで映し出される白人女性達に見惚れながらもチャーリーに目をやると、スティックを握った右手が、ライドシンバルを刻む度に顔のあたりまで上がっている。叩きにいくスピードにも増して、振り上げるスピードが早い。早速見た目だけでも真似してみる。なるほど、動作は大変だが、「チンチン」と平たく鳴っていただけのものが、少し「グアングアン」とビートが生きてきたような気がする。ここら辺りで、太鼓とスティックが当たっている以外の部分が大切なんだ、ということに感づきはじめた。そんな当たり前のことを大袈裟にと思われるかもしれないが、田舎にいて誰も教えてくれなかったから、チャーリーが恩人なのである。

 (亡くなったのは24日だそうだが)25日の朝目が覚めたら数名の友人から訃報のメールがはいっていた。会ったこともないチャーリーとのこのような思い出を引きずりながらスタジオに向かった。久しぶりに音源に合わせてストーンズを叩くためである。ぼくにとってのストーンズは、大雑把にいってジミー・ミラーのプロデューサー期で、なかでもライヴ盤『Get Yer Ya-Ya's Out!』は、チャーリーの遠心力が最もよく働いている。久しぶりに聴いて、叩いたいまでもそう感じた。吹き飛ばされそうになった。ということは逆に捉えれば少しは付いていけるようになったのだろうか。いや、スウィング感を維持しながら、岩のように安定した(ポール・マッカートニー談)ビートを刻み続けることがどれだけすごいことか改めて体感した。

 “Jumpin'n Jack Flash”の入りのスネア3発は、これだけで白飯いける。誰かと「これに関してだけはもはや遅れているのではないか」とかいいながら飲みたい。キープしながらもハットのニュアンスに富んでいるところや、キックを8分で踏んで盛り上げるのもニクいが、瞬間風速最高のフィルが毎度かっこいい。フィルといえば、パーカッションの師匠に叩いたあと必ず「返す」という極意を学んだときに、チャーリーと同じだ! と思い至ってすぐ家に帰って、思いっきり「返し」ながらフィルを真似てみたら、それっぽくなったことを思い出した。“Love In Vain”は、簡単そうだけど、やってみるとビートが軽くなってしまいがちで、改めてチャーリーに習ったつもりだったはずのものを再認識させられた。“Sympathy For The Devil”、“Street Fighting Man”は、叩けば叩くほど楽しいと同時に、踊らせるというドラマーとしての自分の役割を100%理解して演奏する紳士さが垣間見えて、これもまたチャーリーの魅力だと感じた。彼よりスーツが似合うドラマーはそうそういないだろう。なにかのインタビューで「俺のは床にべったりノビるプレイになるが、優れたパーカッショニストは俺のプレイを持ち上げてくれる」と語っていた。「べったりノビ」はしないだろうが、自分の仕事を意識しきっている様がまた紳士らしくてかっこいい。パーカッショニストも一緒にスウィングするだけできっと気持ちよいはずだ。ちなみに、ティンバレスやコンガは野蛮すぎてできないそうだ。洒落まで効いている。

 チャーリー・ワッツは、生涯を3点セットで過ごしながら、自らをジャズ・ドラマーだと思っていると語る。遠心力の源もジャズに違いない。もちろんブルースも忘れられない。でも、その独特な遠心力でもってロック・ドラムのひとつのスタイルを築き上げたことも紛れもない事実だ。さまざまな時代を経ながらも貫き続けた彼だけのスウィングに献杯!

Daichi Yamamoto - ele-king

 『Andless』は Daichi Yamamoto が表現者として、自身の殻を破るための作品だった。タイトルは「undress(服を脱ぐ)」をパラフレーズしたもの。生々しい内面の告白を、アブストラクト・ヒップホップやグライムなどUKのダンス・ミュージックをアップデートしたサウンドに乗せて、ラップ、レゲエ、ソウルなど多様な歌唱法を複雑に使い分けて楽曲に昇華していった。個人的にはリリックもトラックも “How”(Produced by Kojoe!)が特に好きだ。

 2nd アルバムとなる『WHITECUBE』は前作をさらに一歩前に進めた作品だ。Apple Music のレヴューによると本作は「白い立方体のアートスペースをイメージ」したという。ならば、そこで展示されている作品のテーマは「混乱」「愛」だろう。収録された13曲は、すべてベクトルが異なる愛を多角的に表現している。

 展示会場の入り口にあたる1曲目の “Greetings” の冒頭でシャウアウトしてるのはなんと Daichi の実父であるニック山本。嫌が応にも親子の愛を感じた。続く “Love+” では古橋悌二のインタヴューがサンプリングされる。古橋は、京都出身の芸術家で、アーティストグループ・ダムタイプの中心メンバーだった。HIV感染が明らかになり、1995年に35歳で敗血症で亡くなるまで、愛、性、差別、資本主義、搾取、矛盾、混乱をテーマに、繊細で、複雑で、洗練されていて、同時に猥雑でもある作品を発表していた。不勉強ながら “Love+” で古橋を知った。

 一夜漬けの私が古橋の多くを語るのは失礼だ。だがダムタイプの「S/N」を見て、“Love+” を聴くと、Daichi は古橋の芸術観に共感し、加えて、サンプリングやローカリズムというヒップホップのルールを用いて、26年前から変わらぬ問題に改めて一石を投じる意図があるように感じた。

 そして興味深いことに、続く “Simple” で客演の釈迦坊主はクラブで見つけた女の子を「お持ち帰り」しつつ、最近会えてない友達に「死んだりしてなきゃいいな」と思いを巡らせる。大上段の「愛」においては矛盾しているかもしれないが、それも確かに愛なのだ。

 『WHITECUBE』ではこういった矛盾が続く。それを否定も肯定もしない。あるがままを受け入れる。以降アルバム中盤は音楽についてのトピック。4曲目 “Cage Birds feat. STUTS” は音楽がもたらす解放性をバレアリックな音で肯定的に表現するが、次の5曲目 “Ego feat. JJJ” では一転して攻撃的なドリルでエゴイズムの暗黒に浸る快楽を歌う。ちなみにこの2曲だけでも1本原稿が書けるくらい素晴らしい。特に感動したのは、“Ego” で Daichi が「投げる爆弾は檸檬/飛ばす果汁まるでVenom」と文学とポップ・カルチャーをごちゃ混ぜにした猥雑なラップをすれば、JJJ はスペイン語の「Dinero, dinero, dinero」(金、金、金)と「消えろ消えろ消えろ」で踏んで応える。フレッシュを連べ打ち。かっこいいを畳み掛ける。

 そしてここから構成はさらに複雑になる。grooveman spot と Kzyboost による陽気なウェッサイチューン “Wanna Ride (The Breeze)” では「憧れていたThug」と歌う。この曲と対になっているのは9曲目 “Pray feat. 吉田沙良(モノンクル)”。幼い頃にジャマイカで経験した Thug の行き着く先の究極が描かれる。間に挟まれる “People” “Kill Me” は制作で向き合う自身の矛盾が対になっている。

 本作の愛と矛盾の複雑な構図は、10曲目 “Chaos” のフック「今日君は間違いまた強くなる/それだけの事/もがいていこう/このChaosの中で/後は振り向かずに/Going far far away」に集約されていく。

 また私は “Chaos” の「エンゼルフレンチみたく白黒じゃない/問題がC.R.E.A.Mを挟んでるみたい」というラインにも膝を打った。「C.R.E.A.M」とは言わずもがな「Cash Rules Everything Around Me」。つまり現金。おそらく地球を破壊するレベルまで膨張を続ける資本主義社会への考察だ。偶然だろうが、「Love+」でサンプリングした古橋もダムタイプの公演「S/N」で、HIVに感染した自身が(製薬会社が喧伝する)高価な “エイズ特効薬” を飲み続けることを、「サイエンスの始めた新しいビッグビジネス」と皮肉るシーンがある。

 生死すらビジネスにする現実。そんな Chaos を、あえて複雑な構造のアルバムにすることで、表現したように思えた。そんな世界を生きる私たちに「Paradise Remix Feat. mabanua, ISSUGI」で ISSUGI は言う。「外面より内面の居心地優先して作り出すParadise/お前だけが知るエントラスはお前の為だけにある、他じゃない」と。

 もしかしたら楽園の入り口は人と違うかもしれないし、昨日まで自分が思っていた答えとも違うかもしれない。だが、他ならぬあなただけのもの。こじつけかもしれないが、同じく “Paradise” の「見えないpressureにがんじがらめじゃもったいない/楽しめ誰のLife?」というラインもそんな思いで聴いた。

 “Paradise” を踏まえると “maybe” のフック「足りないもの探し疲れたら/足りてるもの数えてみたら/答えは手のひらの中/でもわからず頭Boom Shakalaka」も肯定的に響く。またさまざまインタヴューを読むと、本作の制作は「頭抱えて立ち止まるlegs」(“maybe”)で、なかなか進まなかったという。散々立ち止まってようやくたどり着いたのが、“Paradise” であり、“maybe” であり、“Love+” の「(芸術は)自分をもっと心の底から動かす原動力として捉えたい」という古橋の言葉だった。

 創作の苦しみ、自身と向き合う困難を、この混沌を極める現代社会になぞらえて表現した。それが『WHITECUBE』。ラストの “Testin’” はストレートなラヴ・ソングだ。Daichi Yamamoto にとって創作とは広義の愛と同義。親子、恋人、友人、動物、音楽、映画、読書……。自分を突き動かすピュアなパワー。当然そこに大小はない。主義主張とも違うもので、消費の対象にもなりなえない、神聖なもの。それはつねに自分のなかにあるものなのだ。

LNS & DJ Sotofett - ele-king

 毎回そのリリースが多くのディガーたちを震撼させている、ダンス・ミュージックのレフトフィールドをひた走るDJソトフェット、そんな彼とここ数年コラボを重ねるカナダはヴァンクーヴァ出身の LSN こと、Laura Sparrow のコラボ・プロジェクトのファースト・アルバム。リリースは30周年を迎えるベルリン・テクノの牙城、驚きの〈TRESOR〉より。これが同レーベルのリリースというのも納得の、デトロイト・テクノやエレクトロへの偏愛をひしひしと感じる、なんというか体幹と骨格のしっかりしたテクノ・アルバムの傑作に仕上がっています。

 ソトフェットと言えば実兄のDJフェット・バーガーとともに、リンドストロームプリンス・トーマスらとともに2000年代中頃のノルウェイのディスコ~ハウス・シーンから現れた逸材で(よりアンダーグラウンドな存在ではありますが)。ハウス~ディスコ・レーベル〈Sex Tags Mania〉を中心にその傘下や派生レーベル、さらには周辺のレーベルを束ねたディストリビューター、〈Fett Distro〉などを運営。とにかく活動は多岐にわたり、兄弟ともにそのDJプレイを筆頭に、そのリリース、〈Fett Distro〉取り扱い商品にしても、もはや “オブスキュア” という言葉ですらも薄くにじんでしまうほどの、膨大なレコード・アーカイヴの音楽的背景に裏打ちされた、もう本当に絶妙なラインを攻めてくるそんな音楽性に溢れております。

 ソトフェットの音楽性をひとことでくくるのは本当に難しいのですが、一応、これまでのリリース・キャリア的にはハウスが中心にありながらも、強烈なアシッド・ハウスやエレクトロ、さらにはダブやダンスホール、トロピカルなジャズ、ときにライヴ・エレクトロニクスやドローンなどなど、とにかくさまざまなスタイルを節操なくリリース。そのあたり、どこか膨大な自身のライブラリーに「ないもの」を作っているような感覚ではないでしょうか。まさにディープなディガーだからこそ歩めるレフトフィールドが主戦場といった感じでしょうか。でも変過ぎて無視されるような部類ではなく、みんなが注目し続けて、そのリリースが突如としてシーンを動揺させ、ザワつかせる、そんな存在感を放っています。
 音楽性というところで言えば、どこにも属さない “外し” のジャンク~ローファイ感が生み出す強めのサイケデリアと、その名義なども含めたユーモラスな “抜け” の良さでしょうか。〈Honest Jon's〉からのリリースとなった実質の 1st アルバム『Drippin' For A Tripp (Tripp-A-Dubb-Mix)』(2015年)ではスペース・ロック的な電子音から、クンビアなどの要素も感じさせるトロピカルなハウスやディスコを展開していて、わりと彼の音楽性を知るには良い標本ではないでしょうか。といってもこれまたLPオンリーなので入手が……一応、彼の Bandcamp 〈SO-PHAT〉で作品を聴けないこともないですが、むしろ混乱をきたすような断片性が支配していて、そんなところも彼らしいのですが。

 対して LNS はエレクトロやアシッド・ハウスなど、初期のエレクトロニック・ダンス・ミュージックが持つ、チープなマシーン・グルーヴ/サウンドの虜といった感じでしょうか。わりとテクノやインダストリアル~実験的な電子音楽寄りのリリースを繰り広げるソトフェットのレーベル〈Wania〉にて、これまでソロ、コラボともにリリースしています。

 で、そんなふたりによるコラボ、これまでのリリースは4枚ほどあり(1枚はスプリット)、レトロなテクノへの思いを感じさせる、そんなリリースではありましたが、本作『Sputters』ではさらに一歩進み、前述のように本腰を入れてテクノへの偏愛を感じさせる作品となっています。簡素に打ち鳴らされるドラムマシンと最小限のシンセ・リフによる「これぞテクノ」な世界観を展開しています。ディープ・エレクトロニクス “Enter 323” の不穏な響きにはじまり、ドラムマシンの絶妙な音色変化と抜き指しでマシーン・グルーヴを醸し出し、シンセ・パットで深海を漂う “K.O. by E-GZR”、さらにこれまたドレクシア系のエレクトロがダブへと連結したような “El Dubbing”、そしてそのダブ感を引き継いだ骨太なミニマル・テクノ “Dúnn Dubbing”。このあたりのダブ感は、もはや使い古されてベタになってしまったベーシック・チャンネル由来のソレではなく、1990年代後半のハード・ミニマル勢、例えばUKのバンドゥールやスウェーデンのカリ・レケブッシュあたりを彷彿とさせる感じもあり、新鮮な響きがあります。
 インダストリアルでサイケデリックなエレクトロ “Vitri-Oil” や “Sputtering”、“Cellular Coolant” といった楽曲は、これまた “El Dubbing” と同様ドレクシアの影響を感じさせるサウンドで、その他ではカール・クレイグやそのUKのフォロワーたちのサウンドあたりを思い起こせる美しいテクノ “Shim” などなど、やはり本作には彼らのデトロイト・テクノへの偏愛を感じさせる音源が多い印象があります。彼ら “らしさ” が爆発している音源と言えば “The 606” で、ローランド TR-606 を売り払おうとした LNS をたしなめるために、その性能を引き出し作り上げた作品らしいのですが、エレクトロ・スタイルではじまり、後半のふんわりとサイケでアフロなディープ・ハウス感が重なっていくあたりは、ソトフェットのこれまでのハウス・サイドな作品のファンとしてはグッとくる感じではないでしょうか。

 どの曲に関しても、ドラムの打ち込みの妙技のグルーヴとミニマルな “量” をキープするシンセ、そしてエフェクトを含めたミキシングで聴かせてしまう、まさにテクノの “うまみ” が凝縮した作り。なんというかとにかくストレートにかっこいいテクノ・アルバムなんですね。どちらかと言えば、これまでの作品性を考えると LNS の音楽性にソトフェットが寄り沿った作品とも言えそうですが、よりチープなアシッド&エレクトロ色の強い、彼女のソロ作品を考えれば、やはりこのテクノ・サウンドはユニットの妙が出ていると考えるのが妥当でしょう。また、膨大な音楽的背景のなかから彼らがいま選んだ、絶妙な取捨選択の末に作られた作品であるというのは、これまでの作品を考えると明白で、彼らのこれまでのレフトフィールドなリリースを知れば知るほど、その活動総体にも唸らせられる、そんな作品でもあります。

Junes K - ele-king

 OLIVE OIL と Popy Oil が主宰する〈OILWORKS〉から、福岡のビートメイカー Junes K の新作『DEPAYSEMANN』がリリースされる。「ビートグランプリ CLASH 2019」の優勝者である彼は、エレクトロニカの要素も取り入れた独特のサウンドが魅力だ。ちなみにタイトルの「デペイズマン」とは、「異なるもの同士、意外なもの同士を組み合わせる」というシュルレアリスムの用語「Dépaysement」と似ているが、関係あるのだろうか? いや、コラージュやサンプリングを駆使する彼のことだ、きっと関係あるにちがいない。発売は8月25日。

artist:JUNES K(ジュネス・ケー)
title:DEPAYSEMANN(デペイズマン)
label : OILWORKS Rec.
cat : OILRECCD028
price : 2,100円(税抜) 2,310円(税込)
release : 2021年08月25日
バーコード:4988044867680

[Track List]
1.Air
2.Vibes
3.Fog
4.Surra II
5.Babymann
6.Al Mind
7.Ruby
8.YOOO
9.Olhos
10.Overmind
11.Searching
12.Alice
13.BARRON
14.Primary
15.Art Of Conversation
16.A.I.P
17.Jardin
18.$pirit
19.Blu
20.New York
21.Lightning Bug
22.Morgan
23.Souls
24.Hold On
25.Unreal
26.Clouds
27.Ras
28.Sun

All Tracks Produced by JUNES K
Mastered by Arμ-2
Artwork by JUNES K
Designed by JUNES K

昨年リリースされた“SILENT RUNNING”も各方面から称賛を受け、そのビートの実力を高く評価を集めているJUNES Kが、新たに解き放つ作品“DEPAYSEMANN”をOILWORKS Rec.からリリース!

ビートグランプリCLASH 2019の優勝から、グラフィックデザイナーとしての才能も開花させアートフルな活躍を行うJUNES K。本作では、そのアートの手法でもあるコラージュや、サンプリングなどで異質な構築を繰り広げ、異質な音の輪郭や、ビートの疾走感なども感じさせ全曲インストゥルメンタルの全28曲を収録!さらにマスタリングはArμ-2が担当し、音とビート、さらにはアート的な融合も感じさせる仕上がりに!

■Junes K プロフィール
ビートメイカー/グラフィック・デザイナー。福岡県在住。OTAIRECORDが開催する"ビートメイカーのグランプリ"である「ビートグランプリCLASH2019」の優勝者。ビートメイカー達の中ではその制作スピードとクオリティ、類似しない彼独特の世界観が高く評価されている。ヒップホップをベースに、エレクトロニカ的な空気感も含んだその作風は、ともすると退屈に聞こえてしまうヒップホップのインストゥルメンタル作品においてカラフルなサウンドと展開でリスナーを自身の世界に引きずり込む。

DJ Manny - ele-king

 “Havin’ Fun” をまずはどうぞ。USの風刺アニメ『ブーンドックス』のセリフとジャングルめいたリズムを組み合わせたこの曲が、『Signal In My Head』の核心をなす曲といえるわけではない。しかし、三軒茶屋で遊んで朝まで音楽を浴び、しまいに駅までの帰路においてもダンス・ミュージックを iPhone からえんえんと流すどうしようもない男にとって、この曲は驚きを与えるに十分すぎるサウンドだった。無事に始発に間に合い、家に帰れるかという一抹の不安が消えつつあるなか、僕は──性急で、衝動的で、落ち着かない──フットワークに類されるこのアルバムを、まだひとのまばらな電車の席に座って目を閉じ、丸ごとしっかり聴くことをすでに決意していた。

 しかし、その決意は間違いにも思える。そもそもシカゴのフットワークはフロアの音、ダンスの音、バトルの音であるのに、それを窓から朝日が漏れている電車のなかで、疲れ切った男がひとりになって聴くのはあきらかにシチュエーションとしておかしい、いや、というよりも機能しないはずだ。が、通して聴いてみると、今作はフットワークのそういった典型的な音から好んで逸脱するかのような様相を呈しており、彼が「(フットワークで)誰もやったことのないことをやりたかった」と語るように、ストイックで、激しく、屈強なフットワークに対するイメージを覆し、ハウス、ジャングル、ドラムンベースなどに接近しながら、彼のパートナーへの愛に結実した作品に仕上がっている。

 シカゴ出身のDJマニーは、10代のころからフットワークにかかわり、ほどなくして〈Teklife〉クルーに加入。今作はジューク/フットワークを世に紹介した名門〈Planet Mu〉からのリリースであり、まさにフットワークにおける王道を歩んできた存在。そんな彼がどんな音を聴かせてくれるか期待していたが、どうやらただのストレートなフットワークではないようだ。

 『Signal In My Head』は、誰かを好きになることの喜びで満ち溢れている。そこには対象となる他者(恋人、パートナー)の存在がいたるところに感じ取れ、それはトラック・タイトルやサンプリングのフレーズ、あるいは今作に通底するムードを思えば明らかだ。ハウスを感じずにはいられないハイハットのアレンジメントが印象的な “You All I Need” において、言葉はないものの温かいパッドやタイトルからも恋人へ向けた曲であることがわかる。また、ささやく声とソウルフルなヴォーカルが重なり合いながら「あなたの愛は私が必要とするすべて」と繰り返す “All I Need” はラヴ・ソングに違いないし、“Wants My Body” に至っては「見つけるわ、私の体を欲しがる誰かを」と、フットワークの独特なビートの上にちょっと狂気じみた愛が伝えられる。インタヴューにおいて、10代の彼がフットワークに入れ込む動機のひとつになったのが「女の子」だったことを(あくまで冗談交じりに)語っているのは、彼にとってフットワークは他者存在とセットだということを端的に示している。なにより、彼はシカゴからブルックリンへと移り、そこで SUCIA! というパートナー(ミュージシャンでDJマニーと共作もしている)と共に過ごしていることからも、今作の制作過程において他者の、とりわけパートナーの存在がそのサウンドと方向性に与えた影響は想像以上におおきいのではないだろうか。

 DJマニーによって作られる音のパレットに、シカゴの猥雑なゲットー・ハウスをひとつのルーツとするフットワークの、典型的な汚いワードは存在しない。「ビッチとファック」、その代わり『Signal In My Head』には「パートナーと愛」がある。それは、いままでにリリースされたフットワークとの、DJラシャドトラックスマンのような偉大な先達との違いであり、今作のもっともおおきなストロング・ポイントと言えるだろう。

 フットワークのフォームを踏襲しながら、その枠組みから繰り出されるサウンドは彼のパートナーに対する愛でにじんでいる。DJマニーはパートナーへの愛を乗せることによって、このダンス・バトルのための激しい音楽がフロアやスケートリンクを飛び越え、誰かを好きになることの喜びに伴うロマンチックな感情をアルバムに呼び込む。『Signal In My Head』は疲れくたびれて、朝日を浴びながら眠い目をこすっているような男にも響くようなサウンドだ。なぜなら踊るためのフットワークだけでなく、どこか感情に触れるような部分があるからで、それは体にではなく、心に響くからだ。

Appleblim - ele-king

 シャクルトンとともに〈スカル・ディスコ〉を運営していたローレンス・オズボーンによるソロ3作目。この10年にわたってポスト・ダブステップを模索しつつ、DJにデトロイト・テクノを取り入れてきた成果が全面的に開花したようで、良くも悪くもタンジェリン・ドリームのようになってきたシャクルトンとは対照的に重心を低く設定したリズム重視のビート・アルバムを完成させた。〈スカル・ディスコ〉を閉鎖してから10年後のリリースとなったデビュー・アルバム『Life In A Laser』(18)では何をやりたいのかよくわからなかったものが、ここへきて一気に独自のセンスを開拓したというか。『Life In A Laser』と新作の間に『Ungoverned & Ungovernable(=統治不能)』という実験的なアルバムを挟んだことも功を奏したのだろう。動機はよくわからないけれど、イアン・アービナ著『アウトロー・オーシャン』(白水社)で報告されていた「海=無法地帯」の現状を音に置き換えるという試みがダブステップやデトロイト・テクノに固執していた作曲スタイルを解体し、自由なコンポジションを促すきっかけになったのかもしれない(魔術師のジョン・ディーによって排他的経済水域が提唱されるなどイギリスがパイレーツの国であることは近代国家の成り立ちを考える上でけっこう重要で、海洋覇権の移行=ニシン漁からタラ漁に切り替わる拠点となったブリストルに住んでいたオズボーンがアービナの著作に目をつけるのはなるほど納得がいくし、藤田敏八監督『海燕ジョーの奇跡』を観ると日本にも似たような精神性が宿っている気がしてしまう)。

 ジャングルやエレクトロなど多彩なリズムを取り入れた『Infinite Hieroglyphics(=無限の象形文字)』で最も目覚ましい変化を遂げているのがベース。ジュークやジャズ・ベースを予想外に変形させるなどいままで経験したことのないようなベース・ラインがとにかく腰に絡みつき、細かいパーカッション・ワークと組み合わせた“A Madman's Nod”やマッシヴ・アタックがジュークをやっているような“Zephyr”など、ウガンダやエクアドルのクラブ・シーンには期待できないベース・サウンドの醍醐味をこれでもかとぶつけてくる。『Life In A Laser』に収録されていた“Flows From Within”を順当に発展させた路線にはマッド・マイクによる「Red Plane」シリーズを4ヒーローがリミックスしたようなスリルが横溢し、明らかに“Sex In Zero Gravity”を意識した“Shimmered”など「20年後のデトロイト・テクノ」ここにありという感じも(オズボーンは時々URのTシャツを着てDJをしている)。

 テッセラやジョイ・オービソンなど多くのプロデューサーと同じくスペシャル・リクエスト『Soul Music』(13)に影響されてジャングルを再発見し、ハーフタイムかと思えばジャングル以前のブレイクビートをソフィスティケイトさせて応用する感覚もポール・ウールフォード以降の流れを引き継いだものとなるらしい(イギリス人のジャングルに対するこだわりは、ここ数年、80年代のレア・グルーヴ運動に匹敵するものを見せている)。一方で、ベルリンへの移住が影響したのか、ベーシック・チャンネルとスピーカー・ミュージックをカチ合わせたような“Beelike”も素晴らしく(サブ・ベースがぶんぶん唸っていて、確かに“蜂みたい”かも)、まだまだ化学反応が長引く気配を見せている。タイトル曲などともにこの辺りが次の流れになっていくのかもしれず、ジ・オーブ“Little Fluffy Clouds”をサム・ビンガがリミックスしたような“Stand Firm”が個人的にはベストか。最後だけがなんとなく唐突で、マッド・マイク全開になってしまうというか……レイヴに対する強い思いがそうさせるようで、ロックダウンによって、かえってレイヴに対する思いが吹き出し、丸川珠代ほどではないものの、あっという間に異次元に連れ去られる。ロウ・エンド・アクティヴィストことパトリック・コンウェイと組んだトリニティ・カーボン名義のアルバムも前後してリリースされているが、こちらは大して面白くない。

ralph - ele-king

 初めて “斜に構える” を聴いたとき、素朴にかっこいいなと思った。「交わる気はねえ」「馴れ合いなら首を吊ればOK」と、シーン外部の視座を持った低い独特の声が、EGL & Double Clapperz によるコールドなダブステップ・サウンドと調和している。既存の日本のラップ/ヒップホップに宣戦布告しているようにも聞こえた。この組み合わせなら、ふだんラップばかりを聴いているわけではない自分でも入っていける──ニュース記事を書いた当時そう昂奮したのを覚えている。紙エレ最新号で彼らをフィーチャーした動機も、そこにあった。
 ひとつ裏話を明かせば、表紙をだれにするかしぼりこむ過程で、じつは ralph も候補のひとりにあがっていたのだ(ものすごく悩み、迷い、議論を重ねた結果、これまでのキャリアに敬意を表し ISSUGI を選んだが)。ちなみに Double Clapperz についても補足しておくと、彼らは Tohji がデビューするきっかけになったアーティストでもあった。
 ともあれ2017年の “斜に構える” 以降、ralph は少しずつ名をあげていくことになる。2018年に DBridge、Double Clapperz、Kabuki とのコラボ曲 “Hero” に参加、2019年には初のEP「REASON」を発表し、昨年2月の “Selfish” でより広汎に注目を集めることに成功。つづけて同曲を収めるセカンドEP「BLACK BANDANA」を送り出し、オーディション番組「ラップスタア誕生!」で圧倒的な存在感を誇示、みごと優勝を果たした(同年末には Leon Fanourakis & YamieZimmer とのコラボ曲も投下)。そうして去る6月末にリリースされたのが、彼にとって初のまとまった作品となるこの『24oz』だ。

 前半はこれまでの ralph のイメージを踏襲している。本人が「ハードなモードをチョイス」(“Zone”)と宣言しているとおり、「圧倒的闘争心」「かっさらうこの土地を」(“Roll Up”)、「まだ足りねえ work in progress」(“WIP”)と、リリックは戦闘的で野心に燃えている。トラックや声質に惑わされて見落としてしまいがちだが、ralph のラップの魅力はストレートに日本語の表現を追求するところにある。トラップやマンブル・ラップのスタイルを採用するラッパーが多い新世代のなかにあって、まさにその点こそが ralph を特異な存在たらしめているのだ。ゆえに比較的ことばも聴きとりやすく、ぼくのようにすぐ疲れてしまう中年のおっさんにはありがたい(高速なのでそれでも大変だけど)。
 トラックも進化している。エスキー・クリックとストリングスを活用した “Zone”、太いベースのうえで弦をより壮大に響かせる “Roll Up”、ミニマルな弦の反復を背後に敷いた “WIP”(SEEDA が客演)と、これまでのグライム~UKドリルの路線を引き継ぎつつ、新たな試みがなされている。紙エレ最新号のインタヴューで UKD は、2019年の “No Flex Man” で初めてサンプリングを導入したことを明かしているが、その手法は後の “Selfish” や「BLACK BANDANA」の “FACE” における印象的な声使いに結実。今回のストリングス使いは、それにつづく新境地と言えよう。

 より興味深いのは後半だ。スキットを経て本作はがらりと様相を変える。「いつものたまり場 ここも居場所ではないなと思うよ」「負けた数だけはだれにも負けねえ」(“RUDEBOY NEEDS”)と、リリックは内省的な側面が目立つようになっていく。クライマックスは EGL 手がける “Villains” だろう(愛知は知立の C.O.S.A. が客演)。ラップはハード・モードを解除し、感情を噛みしめ、しぼり出すようなスタイルへと変化。「善を盾にとったヒーローが俺たちの粗を探す/この音止めたきゃ殺せ いまここで」と、みずからをヴィランに見立て叙情的に単語を紡いでいく彼の姿はかつて見られなかったものだ。端的に、エモい。
 ことばを噛みしめるようなこの表現法からぼくは、『LIFE STORY』以降の BOSS の発声を思い浮かべた。THA BLUE HERB について ralph は「聴きすぎて身に染みついてる」と上述のインタヴューで語っているが、今回の表現法は彼が「ラップスタア誕生!」の決勝で見せたパフォーマンスと似ている。あのとき ralph は、「未来は俺等の手の中」というフレーズで自身の出番を締めくくったのだった。彼のなかで BOSS の存在はそうとう大きいにちがいない。
 そんなラップにあわせ、トラックのほうも変化している。声ネタを活かした “Window Shopping” や、おなじく声ネタと感傷的なピアノが主導権を握る “RUDEBOY NENE” は、従来の ralph にはなかったサウンドだ。これらの曲は、プロデューサーたる Double Clapperz のルーツの一端が、グライムやUKドリルといったストリート・ミュージックにだけでなく、tofubeats に代表される10年代前半の、ネット発カルチャーにも存していることを確認させてくれる。あるいは〈TREKKIE TRAX〉の Carpainter が手がけた2ステップの “D.N.R”(若手シンガーの AJAH が客演)。同曲はダンス・カルチャーとの接点を確保しており、ぼくのようにヒップホップにどっぷりつかっているわけではない人間のこころを確実につかむ1曲に仕上がっている。

 独特の声質によるストレートな日本語のラップ表現と、グライムやUKドリルから影響を受けたトラックとのマッチング。そのねじれこそ ralph の音楽が持つ最大の魅力であり武器だった。だが本作後半では、ラップもトラックもさらに表現の幅を広げている。
 紙エレのインタヴューで ralph は「リスナーの耳を成長させ」たいと語っていた。それはおもに日本ラップ/ヒップホップ・ファンを想定した発言なのだろうが、多くの趣向を凝らしたこの『24oz』は、ぼくのようにふだんラップをそれほど聴かないリスナー、来るべき新たな訪問者たちにもドアを開放してくれている。閉じないラップ・ミュージックの好例だ。

Tyler, the Creator - ele-king

 いま現在もしジョイ・ディヴィジョンという名前のバンドがデビューしたら、どんなことになるのだろうか。1979年に彼らが登場したとき、ほとんどの人はこのバンドがナチのシンパだとは思わなかった。スージー・スーは鉤十字の腕章をしたために殴打されもしたが、メディアもファンも彼女をファシストだとは思いもしなかった。が、21世紀のいま同じことをしたらそうはいかないだろう。SNSを使ってコールアウトされるばかりか、ヘタしたらそれは拡散の娯楽(ヴァイラル・エンタテインメント)と化し、公的な屈辱(パブリック・シェイム)を味わい、そしてキャンセルされ、一生を台なしにされるかもしれない。時代は変わった。21世紀の現代ではチャールズ・ブコウスキーも昔のようには読めないのだろう。

 10年前、タイラー・ザ・クリエイターの『ゴブリン』を手放しに賞賛してしまったことをぼくは後悔した。ラップ・ミュージックをサウンドだけで評価することのリスクは間違いなくある。1999年にエミネムが“My Name Is”において性的暴力をも含んだ言葉をラップしたときも非難は多々あったが、白人下層階級出身のラッパーへの理解も同じようにあった。しかし、2011年の『ゴブリン』は、エミネムでも2ライヴ・クルーでもカンニバル・コープスでもアナル・カントでも受けなかったようなインパクトで、シリアスな批判を食らっている。そのひとつにあるのが、1枚のアルバム中に213回もゲイを罵倒するのは想像力の欠如だと辛辣な批判を書いたロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』(野中モモ訳)だった。
 海外のポップ・カルチャーに親しんでいる人にはお馴染みの話かもしれないが、この10年欧米では人種、ジェンダー、障害者への人権意識がいっきに高まっている。安倍前首相はこうした先進国の時流とは逆行した政治/教育に終始したわけだが、タイラーが歌詞に問題ありとメイ前英首相から入国をキャンセルさせられた背景には、公序良俗への脅威というよりは、こうした文化状況の変化が大きかったのだと思う。タイラーは、フェミニスト団体からの抗議によってオーストラリア公演もキャンセルされている。
 自分で蒔いた種とはいえ、タイラーはこうした逆風のなかでコンセプチャルだった『フラワー・ボーイ』以降、その作品をもって世間を見返してきた。PC を前に萎縮している様子もないし、ある意味中指を引っ込めてもいないだろう。ゆえにいまでもヘイターは少なくないと思われる。しかし、『バスタード』や『ゴブリン』の頃とは違った自分を見せているし、眩いばかりのブラック・ポップ・ミュージックが押し寄せる前作『IGOR』が各処において賞賛の嵐を起こしたことは記憶に新しい。

 言うまでもなくぼくはSupremeを着てスケートする20歳ではないし、日がな一日部屋に籠もっているオタクでもないが、タイラーが“Deathcamp”という昔の曲中で、実存的な苦闘に満ちた『イルマティック』よりも遊び心ある『In Search Of...』を持ち上げたことを興味深く思っている。N*E*R*Dが登場した時代はまだ黒人のキッズがスケート文化とリンクすることはあまりなかったように思うし、タイラーもまた人種や文化のステロタイプを打破するアーティストのひとりだと思える。彼がGGアレンを意識したかどうかまでは知らないけれど、オッド・フューチャーの初期段階においては、黒いソウルよりも白いパンクからのインスピレーションが際立っていた。そういう意味では彼もまたアイデンティティ・ポリティクスの使徒であり、文化闘争の当事者でもある。CANのもっとも有名な曲“スプーン”の、あまり有名ではないソニック・ユースによるリミックスをループさせてラップするほどだから、時代に逆行した自民党と違って、彼のクリエイティヴィティは時流に乗ったものだと言えるだろう。なにせ水曜日のカンパネラをLAに呼ぶくらいのセンスの持ち主だったりもする。

 で、ここまで書いておいてこれを言うのもナンだが、ぼくにはタイラーの言葉の際どさを楽しむほどの英語力はないので、結局いまもサウンドとしての面白さに重点を置いている(『ウルフ』、『フラワー・ボーイ』と『チェリー・ボム』は対訳付きの日本盤CDがあります)。BLM への彼のリアクションは知りたいところではあるが、「密度の高い万華鏡のようなアルバム」と中道左派を代表する『ガーディアン』が大絶賛の本作『Call Me If You Get Lost』にかつてのように火種になる言葉はないと思われるし、サウンドとしては前作『IGOR』の続編的な内容と言える。要するに、エッジが利いているスタイリッシュでヴァラエティ豊かなブラック・ポップ・ミュージックのアルバム。しかも、それをやるのはいまダサいとでも言わんばかりに、トラップもなければオートチューンもない。
 たとえばアルバムにある“Sweet / I Thought You Wanted To Dance”は、80年代半ばのスクリッティ・ポリッティを思わせるニューウェイヴ調のポップ・レゲエという、『ゴブリン』からは想像もつかない透明感のあるメロウな曲で、リル・ウェインが参加した“Hot Wind Blows”における70年代スピリチュアル・ジャズめいたフルートのサンプリングはメランコリックだがピースフルでさえある。90年代のポップR&Bスタイルの“Wusyaname”はいささかクリシェに思えるが、1曲目のDJドラマとの共作“Sir Baudelaire”におけるジャジーな響きと激しいラップとのコントラストには引きがあり、ストイックでミニマルなブレイクビートが際立つ“Massa”や“Lumberjack”もクールで、ファレル・ウィリアムスが参加した“Juggernaut”もリズムが面白い。 “Wilshire”もビートが出色で、8分もあるというのにまったく飽きさせない。前作の“Earfquake”のようなメロディアスなポップ・ソングよりも、ダンサブルなヒップホップ・ビートが通底する今作のほうがぼくは好みかな。
 というわけで『Call Me If You Get Lost』で泣きはしないが、充分に楽しませてもらっている。派手なサンプリングが印象的な最後の曲“Safari”では、彼ら自身が無茶苦茶楽しんでいることがよくわかる。そういえば“Manifesto”なる曲では「キャンセルされる前に俺がキャンセルした」などという強気なラインがあるようだが、もしタイラー・ザ・クリエイターが誇らしげに見えたのなら、時代に体当たりしている彼のもうひとつの側面に、また別の感情が湧き上がってきそうでもある。ジャケットにデザインされた身分証明書の名前の欄には、19世紀後半のパリでその作品の性描写や悪魔主義を告訴(キャンセル)された詩人の名前、タイラー・ボードレールと記されている。

Paul Johnson - ele-king

野田努

 ケリー・ハンドに続いて悲しいニュースが届いた。8月4日、シカゴのハウスDJ/プロデューサーのポール・ジョンソンが新型コロナに感染し、集中治療室において死去した。1971年シカゴのサウスサイド生まれ、50歳だった。

 ポール・ジョンソンは、シカゴ・ハウス第二世代を代表するひとりで、たとえば90年代前半はオランダの〈Djax-Up-Beats〉から、ディケイドの後半はUKの〈Peacefrog〉、そして2000年代も欧州の複数のレーベルから作品を出しているように、国際的な評価の高いプロデューサーだったが、彼の主戦場はゲットー・ハウスで知られる〈Dance Mania〉であり、〈Cajual〉であり、〈Dust Traxx〉だったりと、地元のシカゴのレーベルからまるで生活必需品であるかのように大量にリリースされた12インチ・シングルだった。
 ぼくがもっとも思い入れのある作品はもちろん1996年の『Feel The Music』で、これはもう、この時期のロン・トレントやシェ・ダミエ、そしてグレン・アンダーグラウンドらの諸作と並ぶ、シカゴ・ディープ・ハウスの名盤中の名盤だろう(中古で見つけたら迷わないほうがいい)。こうした美しくソウルフルな作品を出すいっぽうで、ポール・ジョンソンはシカゴのダーティでファンキーなゲットー・ハウスの魅力も大量の12インチ・シングル(一説には300枚以上とも?)において追求した。フットワークのプロデューサーで知られるRPブーが尊敬するのもうなずける話で、当たり前だが、彼の音楽はすべてダンスのためにあったし、そのダンスには、1987年に銃で撃たれてのちに片足を失い、そして2010年の自動車事故によってもう片方の足を失ってしまう元ブレイクダンサーという経歴の、このDJすべての情熱が注がれていた。
 彼の作品のなかには、1999年のいちど聴いたら忘れられない“Get Get Down”のようなメインストリームでのヒット曲もある。ダフト・パンクのヒーローでもあったポール・ジョンソンは、両足を失ってからも精力的にDJを続け、作品を出し続け、そしてシカゴの素晴らしいグルーヴを世界中に撒き散らしていた。誰でも入っていける彼の音楽は、もちろんこの先も多くの人たちをダンスさせるだろうし、変わりなくシカゴの魅力を伝えていくのだろう。

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渡部政浩

 すこし記憶をたどってみる。たぶん、僕がこのシカゴのレジェンドを知ったのは高校生のころ、ダフト・パンク“Teachers”を聴いたときのことだったと思う。機械的なビートとベースにのせて、ハウス・ミュージックにおいて重要な役割を果たしてきたシカゴのDJたちの名前が、まずは「ポール・ジョンソン」にはじまり、そこから「DJファンク、DJスニーク、DJラッシュ……」と、たんたんと歌われてゆく(語られてゆく、と言うべきか)。あるいは、ダフト・パンクが1997年に提供したBBC Essential Mixにおいて、自身の曲やパリ、デトロイトを織り交ぜつつ、そこにはDJディーオン、ジャミン・ジェラルド、ロイ・デイヴィス・ジュニア、カジミアのようなゲットー・ハウス、シカゴ・ハウスへの敬意があり、なによりこのすばらしいミックスはポール・ジョンソンの“Hear The Music”で幕を上げたのだった。

 偶然にも、“Teachers”とミックスのはじまりはどちらもポール・ジョンソンだったわけだが、当時の僕はといえば、彼のこのサンプル・ヘヴィーなハウス・ミュージックにすぐ入れ込んだわけではなかった。むしろ、EDMが全盛をきわめていた学生時代において、つまり過剰な上昇と下降(EDMにおけるビルドアップ、ドロップの構造)が溢れかえっていたときにおいて、彼の提供する、反復とフィルター、音の抜き差しによってテンションとグルーヴを創出するサウンドは、かなしいかな、まだ僕の耳と体ではまったく反応しなかった。が、この高校生がシカゴ・ハウスとポール・ジョンソンを教えられた(Teaching)ことによって、そのときはなにもわからなかったとしても、時を経て、ときおり迂回しながら、すこしづつ理解していくことで、僕の音楽体験はのちのちおおきな広がりをみせることになる。彼の音楽に出会っていなければ、僕は90年代のシカゴにおける素晴らしいハウス・ミュージック――ゲットー・ハウスよりもディープ・ハウスを好んで聴いていた――をほぼ知らずに過ごすことになったのだ。そう思うとすこしぞっとする。

『Feel The Music』をいまでもときおり家で流すが、このシカゴから鳴らされるサウンドが、宝石のようなディープ・ハウスの集まりであるという事実は、僕にとってはささやかなことに過ぎない(もちろん、めちゃくちゃ好きだけど)。それ以上にポール・ジョンソンは、まだ遭遇したことのない音を聴かせてくれたひとりだったし、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックへ招待してくれたきっかけだったのだ。

 高校生から大学生にかけての、僕のこの個人的な経験はかけがいないものだ。つまり、まったくわからなかったものがわかるようになること、まったく駄目だと思っていたものが素晴らしく聴こえるようになること、その過程に音楽の重要な喜びのひとつがあると思うし、ポール・ジョンソンの音楽は、僕にその経験をさせてくれた。アンダーグラウンドな音楽に魅力があることも、ほんとうに素晴らしいものはときに理解し難いということも、ハウス・ミュージックは最高だということも……すべて、いまでは僕にとって自明のように感じられることだが、それは彼の音楽がひとつのきっかけとなって、僕の体に染み込んでいる考えなのだと思える。いろいろなことを教えてくれました、ありがとう。

K-Hand - ele-king

 デトロイトのテクノ/ハウスのDJでありプロデューサーとして知られるK-ハンド(ケリー・ハンド)が逝去したことが8月3日に判明した。死因は現在不明だが、親しい友人によって確認されたという話だ。56歳だったというから、デトロイト・テクノのオリジネイターたちとほとんど同じ世代になる。黒人女性DJがまだ珍しかった時代からおよそ30年以上にわたって活動してきた彼女の死に、世界中から哀悼のコメントが寄せられている。

 デトロイトで生まれ育った彼女は、80年代にはNYのパラダイス・ガラージ、シカゴのミュージック・ボックスといった伝説のクラブに通うことで最良のダンス・ミュージックを吸収した。地元デトロイトの電話会社で働きながらDJをはじめ、そして1990年には自分のレーベルを立ち上げて作品を発表するようになると、1993年にレーベル名を〈Acacia Records〉と改名し、K-ハンド名義としてのトラックをリリースしていく。日本で彼女の名前が知られるようになったのも〈Acacia〉以降で、とくにクロード・ヤング(凄腕のDJで、初期の彼女における共作者)とのスプリット盤「Everybody」は初期の人気盤だった。
 90年代の彼女のトラックの特徴のひとつはシカゴのアシッド・ハウス風の野太いリズムにあり、1994年に〈Warp〉からリリースされた「Global Warning」にもその個性は活かされている。ちなみに同タイトルは気候変動に警鐘を鳴らしているのではなく、当時のダンス・カルチャーの勢いを表現しているであろうことは、同曲のサンプリング・ソースにいちばん良い時期のラヴ・パレードのテーマ曲(Der Klang Der Familie )があることからもうかがえよう。
 初来日は1995年のYellowだったか。ぼくが彼女のDJを最後に聴いたのは、 もうずいぶん前の話で、2001年にデトロイトのハートプラザで開催されたDEMF期間中のことだったが、その年に彼女は〈Tresor〉から『Detroit-History Part 1』という同フェスティヴァルに捧げたアルバムをリリースしている。テクノ、ゲットー、アシッド、ディープ・ハウスなど、いろんなスタイルの楽曲を作ってきたケリー・ハンドだが、テクノ系で1枚選べと言われたら、ラリー・レヴァンとケン・コリアーの思い出にも捧げられ、彼女をサポートしたURとジェフ・ミルズへの感謝が記されている同作品になるだろう。シングルで1枚と言えば、迷うことなく2004年に〈Third Ear〉からリリースされた「Moody EP」だ。彼女の最高のディープ・ハウスが聴けるこの4曲入りは、音楽的にはデトロイト・ビートダウンにリンクしている。
 それにしてもあれだけ強烈な個がひしめくデトロイトのアンダーグラウンド・シーンで早い時期からレジデンシーとなり、DJプレイをもって頭角を表すことは並大抵のことではなかったと推察する。デトロイトのファーストレディが切り拓いた道は、むしろこれから先の未来においてより評価されていくのだろう。ほんとうにお疲れ様でした。

K-Hand Best 11 - Selected By M87 a.k.a everywhereman

1. Etat Solide - Think About It 〈UK House Records〉(1990)

自身のレーベル(後に 〈Acacia Records〉へと改名)からの別名義による初リリース。タイトル曲(Sous-Terrain Mix)のブリーピーなド変態ベースがスゴい。

2. K. Hand Featuring Rhythm Formation - Rhythm Is Back 〈Acacia Records〉(1993)

みんな大好きJoey Beltram「Energy Flash」のベースラインを堂々と引用し、彼女のとびきりファンキーな才能を世に知らしめた傑作。

3. K. Hand / Claude Young - Everybody / You Give Me 〈Acacia Records〉(1993)

女声サンプルが連呼する「Everybody」は、オランダの 〈EC Records〉にもライセンスされ、全世界のフロアで轟いた。地元デトロイト・イーストサイドの後輩、Claude Youngの出世も後押し。

4. K HAND - Global Warning 〈Warp Records〉(1994)

〈Warp〉からの唯一のリリース。「Der Klang Der Familie」のお馴染みフレーズをサンプリングしたタイトル曲は、石野卓球氏もお気に入り。

5. K. Hand - Acid Nation 〈Loriz Sounds〉(1995)

盤面に自らが主宰するレーベルのロゴがデカデカと印刷されたピクチャーディスクにてリリース。アシッドベースの名士ぶりを発揮している。

6. K-Hand / Graffiti - Roots / Graffiti's Theme 〈Sublime Records〉(1996)

デトロイト・テクノのアーティストにヒップホップを製作してもらうという企画の一環。愛機、MPC3000を駆使したディープなトラックで新境地を見せてくれた。

7.K. Hand - Project 69 EP 〈Acacia Records〉(1997)

スカスカのリズムトラックと無慈悲なボイス・サンプルが、シカゴの〈Dance Mania〉の作品群と同じ匂いを漂わせる。彼女の心は常にゲットーと共にあった。

8.K. Hand - Project 5 EP 〈Acacia Records〉(1997)

Mike Banksから伝授されたアングラ魂が発する実験的な土着グルーヴは彼女そのもの。収録曲「Candlelights」は、02年に<LIQUIDROOM>にて開催されたURのパーティでRed PlanetなるDJがプレイ。

9.K. Hand - Supernatural〈Pandamonium〉(1999)

KDJの盟友として知られるサックス奏者Norma Jean Bellが主宰するレーベルから。デトロイトのシンガー、Billy LoことBill Beaverが作詞を手掛けたソウルフルな逸品に仕上がっている。

10.K. Hand - Detroit-History Part 1 〈Tresor〉(2001)

地元デトロイトへの感謝を込めて制作された集大成アルバム。裏ジャケには、Carl Craig、Larry Levan、Ken Collier、Mike Banks、Jeff Millsといった先達への謝意も記されている。

11.K-Hand - Project 6 EP 〈Acacia Records〉(2017)

Bee Geesネタの「You Stepped Right Into My Life」では、往年のディスコからのサンプリングも得意とする彼女の才能が炸裂。自らのレーベルからは本作が最後のリリースとなった。

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