Home > Reviews > Album Reviews > Tyler, the Creator- Call Me If You Get Lost
いま現在もしジョイ・ディヴィジョンという名前のバンドがデビューしたら、どんなことになるのだろうか。1979年に彼らが登場したとき、ほとんどの人はこのバンドがナチのシンパだとは思わなかった。スージー・スーは鉤十字の腕章をしたために殴打されもしたが、メディアもファンも彼女をファシストだとは思いもしなかった。が、21世紀のいま同じことをしたらそうはいかないだろう。SNSを使ってコールアウトされるばかりか、ヘタしたらそれは拡散の娯楽(ヴァイラル・エンタテインメント)と化し、公的な屈辱(パブリック・シェイム)を味わい、そしてキャンセルされ、一生を台なしにされるかもしれない。時代は変わった。21世紀の現代ではチャールズ・ブコウスキーも昔のようには読めないのだろう。
10年前、タイラー・ザ・クリエイターの『ゴブリン』を手放しに賞賛してしまったことをぼくは後悔した。ラップ・ミュージックをサウンドだけで評価することのリスクは間違いなくある。1999年にエミネムが“My Name Is”において性的暴力をも含んだ言葉をラップしたときも非難は多々あったが、白人下層階級出身のラッパーへの理解も同じようにあった。しかし、2011年の『ゴブリン』は、エミネムでも2ライヴ・クルーでもカンニバル・コープスでもアナル・カントでも受けなかったようなインパクトで、シリアスな批判を食らっている。そのひとつにあるのが、1枚のアルバム中に213回もゲイを罵倒するのは想像力の欠如だと辛辣な批判を書いたロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』(野中モモ訳)だった。
海外のポップ・カルチャーに親しんでいる人にはお馴染みの話かもしれないが、この10年欧米では人種、ジェンダー、障害者への人権意識がいっきに高まっている。安倍前首相はこうした先進国の時流とは逆行した政治/教育に終始したわけだが、タイラーが歌詞に問題ありとメイ前英首相から入国をキャンセルさせられた背景には、公序良俗への脅威というよりは、こうした文化状況の変化が大きかったのだと思う。タイラーは、フェミニスト団体からの抗議によってオーストラリア公演もキャンセルされている。
自分で蒔いた種とはいえ、タイラーはこうした逆風のなかでコンセプチャルだった『フラワー・ボーイ』以降、その作品をもって世間を見返してきた。PC を前に萎縮している様子もないし、ある意味中指を引っ込めてもいないだろう。ゆえにいまでもヘイターは少なくないと思われる。しかし、『バスタード』や『ゴブリン』の頃とは違った自分を見せているし、眩いばかりのブラック・ポップ・ミュージックが押し寄せる前作『IGOR』が各処において賞賛の嵐を起こしたことは記憶に新しい。
言うまでもなくぼくはSupremeを着てスケートする20歳ではないし、日がな一日部屋に籠もっているオタクでもないが、タイラーが“Deathcamp”という昔の曲中で、実存的な苦闘に満ちた『イルマティック』よりも遊び心ある『In Search Of...』を持ち上げたことを興味深く思っている。N*E*R*Dが登場した時代はまだ黒人のキッズがスケート文化とリンクすることはあまりなかったように思うし、タイラーもまた人種や文化のステロタイプを打破するアーティストのひとりだと思える。彼がGGアレンを意識したかどうかまでは知らないけれど、オッド・フューチャーの初期段階においては、黒いソウルよりも白いパンクからのインスピレーションが際立っていた。そういう意味では彼もまたアイデンティティ・ポリティクスの使徒であり、文化闘争の当事者でもある。CANのもっとも有名な曲“スプーン”の、あまり有名ではないソニック・ユースによるリミックスをループさせてラップするほどだから、時代に逆行した自民党と違って、彼のクリエイティヴィティは時流に乗ったものだと言えるだろう。なにせ水曜日のカンパネラをLAに呼ぶくらいのセンスの持ち主だったりもする。
で、ここまで書いておいてこれを言うのもナンだが、ぼくにはタイラーの言葉の際どさを楽しむほどの英語力はないので、結局いまもサウンドとしての面白さに重点を置いている(『ウルフ』、『フラワー・ボーイ』と『チェリー・ボム』は対訳付きの日本盤CDがあります)。BLM への彼のリアクションは知りたいところではあるが、「密度の高い万華鏡のようなアルバム」と中道左派を代表する『ガーディアン』が大絶賛の本作『Call Me If You Get Lost』にかつてのように火種になる言葉はないと思われるし、サウンドとしては前作『IGOR』の続編的な内容と言える。要するに、エッジが利いているスタイリッシュでヴァラエティ豊かなブラック・ポップ・ミュージックのアルバム。しかも、それをやるのはいまダサいとでも言わんばかりに、トラップもなければオートチューンもない。
たとえばアルバムにある“Sweet / I Thought You Wanted To Dance”は、80年代半ばのスクリッティ・ポリッティを思わせるニューウェイヴ調のポップ・レゲエという、『ゴブリン』からは想像もつかない透明感のあるメロウな曲で、リル・ウェインが参加した“Hot Wind Blows”における70年代スピリチュアル・ジャズめいたフルートのサンプリングはメランコリックだがピースフルでさえある。90年代のポップR&Bスタイルの“Wusyaname”はいささかクリシェに思えるが、1曲目のDJドラマとの共作“Sir Baudelaire”におけるジャジーな響きと激しいラップとのコントラストには引きがあり、ストイックでミニマルなブレイクビートが際立つ“Massa”や“Lumberjack”もクールで、ファレル・ウィリアムスが参加した“Juggernaut”もリズムが面白い。 “Wilshire”もビートが出色で、8分もあるというのにまったく飽きさせない。前作の“Earfquake”のようなメロディアスなポップ・ソングよりも、ダンサブルなヒップホップ・ビートが通底する今作のほうがぼくは好みかな。
というわけで『Call Me If You Get Lost』で泣きはしないが、充分に楽しませてもらっている。派手なサンプリングが印象的な最後の曲“Safari”では、彼ら自身が無茶苦茶楽しんでいることがよくわかる。そういえば“Manifesto”なる曲では「キャンセルされる前に俺がキャンセルした」などという強気なラインがあるようだが、もしタイラー・ザ・クリエイターが誇らしげに見えたのなら、時代に体当たりしている彼のもうひとつの側面に、また別の感情が湧き上がってきそうでもある。ジャケットにデザインされた身分証明書の名前の欄には、19世紀後半のパリでその作品の性描写や悪魔主義を告訴(キャンセル)された詩人の名前、タイラー・ボードレールと記されている。
野田努