Home > News > RIP > Charlie Watts - チャーリー・ワッツ追悼私記
8月25日の晩は、誰しもがそうしたように、ストーンズのレコードを久しぶりに引っ張り出して聴いた。チャーリー・ワッツのビートに身を委ねるために他ならない。会ったこともなければ、ストーンズのライヴを経験したこともないのだが、レコードから伝わるドラミングを初めて体感したときから、彼はぼくの恩人となった。
あのとき、いままで聞いたことのあった8ビートと決定的になにかがちがうことに気が付いた。なにがちがうのか、その正体はすぐには掴めなかったが、何故かとても大切なものだという直感があった。わからないなりに真似して叩く。なにかちがう。でも叩く。いやになる。そう繰り返しているうちに段々リズムに遠心力のようなものが働いていることに気が付いてくる。これはなんだろう? 映像からその秘密に少し近づいた。ケーブルテレビのなにかの番組でたまたまブライアン・ジョーンズが亡くなった直後のハイドパークのライヴ映像が流れていた(よくぞ2000年代にやってくれていました)。それまでの生活のなかで全く感じたことのなかった自由な雰囲気と、次々にアップで映し出される白人女性達に見惚れながらもチャーリーに目をやると、スティックを握った右手が、ライドシンバルを刻む度に顔のあたりまで上がっている。叩きにいくスピードにも増して、振り上げるスピードが早い。早速見た目だけでも真似してみる。なるほど、動作は大変だが、「チンチン」と平たく鳴っていただけのものが、少し「グアングアン」とビートが生きてきたような気がする。ここら辺りで、太鼓とスティックが当たっている以外の部分が大切なんだ、ということに感づきはじめた。そんな当たり前のことを大袈裟にと思われるかもしれないが、田舎にいて誰も教えてくれなかったから、チャーリーが恩人なのである。
(亡くなったのは24日だそうだが)25日の朝目が覚めたら数名の友人から訃報のメールがはいっていた。会ったこともないチャーリーとのこのような思い出を引きずりながらスタジオに向かった。久しぶりに音源に合わせてストーンズを叩くためである。ぼくにとってのストーンズは、大雑把にいってジミー・ミラーのプロデューサー期で、なかでもライヴ盤『Get Yer Ya-Ya's Out!』は、チャーリーの遠心力が最もよく働いている。久しぶりに聴いて、叩いたいまでもそう感じた。吹き飛ばされそうになった。ということは逆に捉えれば少しは付いていけるようになったのだろうか。いや、スウィング感を維持しながら、岩のように安定した(ポール・マッカートニー談)ビートを刻み続けることがどれだけすごいことか改めて体感した。
“Jumpin'n Jack Flash”の入りのスネア3発は、これだけで白飯いける。誰かと「これに関してだけはもはや遅れているのではないか」とかいいながら飲みたい。キープしながらもハットのニュアンスに富んでいるところや、キックを8分で踏んで盛り上げるのもニクいが、瞬間風速最高のフィルが毎度かっこいい。フィルといえば、パーカッションの師匠に叩いたあと必ず「返す」という極意を学んだときに、チャーリーと同じだ! と思い至ってすぐ家に帰って、思いっきり「返し」ながらフィルを真似てみたら、それっぽくなったことを思い出した。“Love In Vain”は、簡単そうだけど、やってみるとビートが軽くなってしまいがちで、改めてチャーリーに習ったつもりだったはずのものを再認識させられた。“Sympathy For The Devil”、“Street Fighting Man”は、叩けば叩くほど楽しいと同時に、踊らせるというドラマーとしての自分の役割を100%理解して演奏する紳士さが垣間見えて、これもまたチャーリーの魅力だと感じた。彼よりスーツが似合うドラマーはそうそういないだろう。なにかのインタビューで「俺のは床にべったりノビるプレイになるが、優れたパーカッショニストは俺のプレイを持ち上げてくれる」と語っていた。「べったりノビ」はしないだろうが、自分の仕事を意識しきっている様がまた紳士らしくてかっこいい。パーカッショニストも一緒にスウィングするだけできっと気持ちよいはずだ。ちなみに、ティンバレスやコンガは野蛮すぎてできないそうだ。洒落まで効いている。
チャーリー・ワッツは、生涯を3点セットで過ごしながら、自らをジャズ・ドラマーだと思っていると語る。遠心力の源もジャズに違いない。もちろんブルースも忘れられない。でも、その独特な遠心力でもってロック・ドラムのひとつのスタイルを築き上げたことも紛れもない事実だ。さまざまな時代を経ながらも貫き続けた彼だけのスウィングに献杯!
増村和彦