「F」と一致するもの

Arthur Russell - ele-king

 アーサー・ラッセルのもっとも有名な作品のひとつ、『World of Echo』(1986)の元になったアイデアが表現されているという、1980年代なかばのふたつの演奏が音盤化されることになった。タイトルは『Open Vocal Phrases, Where Songs Come in And Out & Sketches For World of Echo』。CD/LP2枚組。発売は4月18日です。これは聴きたい!

Arthur Russell
Open Vocal Phrases, Where Songs Come in And Out & Sketches For World of Echo

Rough Trade/ビート

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 ミニマリズム・ドローン音楽の先駆者としても知られる、NY実験音楽の巨匠フィル・ニブロックが、アーサー・ラッセルと共に企画・プロデュースし、Experimental Intermedia(フィルがディレクションを務める、NY拠点の前衛音楽財団)にて録音が行われた本作は、アーサーが1984年に行った『SKETCHES FOR WORLD OF ECHO』と、1985年の『OPEN VOCAL PHRASES WHERE SONGS COME IN AND OUT』と題された、2つのソロ・パフォーマンスが収録されている。この2つのパフォーマンス音源が基盤となり、Battery Soundで録音されたスタジオ音源やヴォーカルと統合されて完成したのが、彼にとって生涯初となるフルレングスのソロ作品として1986年に発表され、現代音楽家としての評価を決定づけた『World of Echo』である。

「とても純粋で澄んだ音色に聴こえ、彼が機材に囲まれてうずくまるように演奏している様子が目に浮かぶ... まさに魔法のようでした。私の記憶では、彼は観客のために演奏していたのではなく、むしろ彼自身の内側で、様々な音の組み合わせを確立しようとしていました。そして、たまたま私たち数人がその場に居合わせたのです。」  トム・リー (アーサーの盟友にして生前最後のパートナー)

 本作に収録される2つのパフォーマンス音源は未編集のまま、2枚組CDと2枚組LPにて、それぞれ内容・タイトル・アートワークが異なる形で2025年4月18日(金)に発売。2枚組CDでは、2020年にカセットとデジタルのみでリリースされ、今回が初のCD化となる『SKETCHES FOR WORLD OF ECHO』と、未発表タイトル曲の「That’s The Very Reason」と「Too Early To Tell」を含む、初リリースの『OPEN VOCAL PHRASES WHERE SONGS COME IN AND OUT』の全パフォーマンスを収録。2枚組LPでは、CDと同じく初リリースの『OPEN VOCAL PHRASES WHERE SONGS COME IN AND OUT』全パフォーマンスが、Side1からSide3までに収録され、Side4では、『SKETCHES FOR WORLD OF ECHO』のパフォーマンスから「Changing Forest」と「Sunlit Water」を収録。
 CD、LP共にフルカラーのインサートと、アーサー・ラッセルのアーカイブを数多く手掛ける〈Audika Records〉の創設者、スティーブ・クヌーソンによるライナーノーツが封入され、さらに国内仕様盤CDと帯付仕様LPには、別途日本語解説書が封入される。

The Murder Capital - ele-king

 ザ・マーダー・キャピタルの音楽はとにかく不仕合せだ。
 資本主義の終わりより世界の終わりを想像する方がたやすいこの世界で、「殺人資本」もしくは「殺人の都」(注)と直訳できる不穏なアーティスト名のバンドが作る音楽は、何かもの悲しかったり、どこか敗北の雰囲気が漂っている。幸福にはなれないとわかっている。しかし、これはけっして絶望や虚無といった類の音楽ではない。喪失と再生の間で、血を流すように歌い、美しく闘うザ・マーダー・キャピタルの傷だらけで誠実な音楽が私は好きで堪らない。

 ザ・マーダー・キャピタルの概略を説明すると、彼らは2018年にアイルランド・ダブリンで結成された5人組のバンドで、1stアルバム『When I Have Fears』を2019年にリリースし、2ndアルバム『Gigi’s Recovery』を2023年にリリースした。やはり例のごとくポスト・パンク・バンドだとカテゴライズされることが多いが、2ndアルバム『Gigi’s Recovery』リリース時には「ポスト・パンクというレッテルには飽きてきた」と語り、同時代のバンド郡の一派として語られることを避け、メンバー5人が作るオリジナルで唯一無二なバンドであることを強調している。たしかに2ndアルバム『Gigi’s Recovery』で見せた新境地は、1stアルバム『When I Have Fears』で特徴的だった硬質な音の応酬は後退したものの、レディオヘッドを彷彿とさせるような複雑で洗練としたビート、甘美性と神秘性を引き立てるフィードバック・ノイズ、出口の見えない世界で一掴みの希望の砂を掬い取るようなメロディアスなラインetc……それは間違いなく彼らのオリジナリティとして孤高な異彩を放つ傑作となった。

 そして、3rdアルバム『Blindness』が2025年2月にリリースされた。『Gigi’s Recovery』の制作時は、徹底的にデモを録り長い時間をかけて制作を進めた一方で、今作では、意図的に事前のデモを一切作らずに臨んだという。その話を聞き、本作には関係ないが、2010年代後半以降のUKロックの復権に大きく影響を与えた〈Speedy Wunderground〉のダン・キャリーが『So Young』のインタヴュー(『So Young Magazine Issue 22』)で「誰かと一緒にレコードを作ると決めたら、最初の段階はとても自由で創造的に進むけれど、行ったり来たりのやりとりがそれを台なしにしてしまう」と述べていたことを思い出した。
 つまり、『Blindness』は湧き起こる本能をベースに制作したレコードだ。今作のオープニング・ナンバーであり、大胆な挑戦を意味する言葉でもある “Moonshoot” の痙攣するほど破壊衝動に満ちたサウンドによる幕開けはそのモードの一面を象徴しているが、もちろんこれは単なる原点回帰というわけではない。バンドのこれまでの進化の過程で、過度な装飾の代わりに、新たな初期衝動を掴んだようなフレッシュさと表現の豊かさがこの作品にはある。冒険心をくすぐるように軽妙に奏でられる “A Distant Life”、マス・ロック調で躍動感が魅力な “Death Of A Giant” はこれまでの彼らのトラックリストにはなかった曲調で、作品に新鮮な空気を送り込み、ジェイムズ・マクガヴァン(ヴォーカル)が「バンドの中で最も誇りに思う楽曲かもしれない」と語る6分を超える “Love of Country” では、安らかな音色のなかで、愛国心が右翼的なレトリックとして使用され、人間同士の憎しみを呼ぶものになっていることの警告を示唆しては作品全体の緊張感を引き上げている(なお、“Love of Country” はシングル曲としてもBandcampで7インチ・レコード/デジタル・ダウンロードでリリースされ、その収益の全てをMedical Aid for Palestineに寄付すると発表しているのもこのバンドの姿勢を示したものである)。
 そして、ザ・マーダー・キャピタルのストロング・ポイントが「強い音」であることを信じて疑わないが、それを最大限に引き立てている静寂さや厳粛さの使い方も一層と巧みさを増した。例えば、先行曲としてもエントリーされた “The Fall” を聴けば、静謐な歌い出しの後に、叫びにも聴こえるギター・サウンドに圧倒される。曲のピークをサビではなく、インスト部分のギター・サウンドに託したとも言えるスリリングな音は、斧のように重く、稲妻のように鋭い。キャリアを重ねてさらに凄みを増した「強い音」を充分に感じ取ることができるであろう。

 キャリア全般でのこのバンドのもうひとつの特徴はジェイムズ・マクガヴァンの詩的で生々しいヴォーカル・ワーク。緊張感に満ちた彼の告白は、デカダンスな世界観でアグレッシヴに状況打破を試みることもあれば、メランコリックに寄り添って安らぎを見出そうとすることもあるが、痛みをつねに伴うがゆえに聴き手の耳や心のかすり傷を強く惹きつける。

 とにかく、ザ・マーダー・キャピタルを聴こう。同じくダブリン出身のフォンテインズ・D.C.がみんなのヒーローであるならば、ザ・マーダー・キャピタルはあなたにとっての救世主になる。崖の淵から、這い上がるためのカタルシスへと導いてくれる。

注) 実際のアーティスト名は、ジェイムズ・マクガヴァンの友人であり詩人のポール・カラン(Paul Curran)の死に対して、世間的には自殺とされてしまう一方で、アイルランドでの精神疾患に対するサポート不足が彼を死に追いやったと感じたことが由来している。

第二回 ボブ・ディランは苦悩しない - ele-king

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』

監督:ジェームズ・マンゴールド『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『フォード vs フェラーリ』
出演:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
北米公開:2024年12月25日
原題:A COMPLETE UNKNOWN
©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
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 小学生の頃、親に連れられて、ガロの解散コンサートを観に行った。 “一枚の楽譜” という曲が好きでそれを楽しみにしていたのだけれど、当日はそれよりも “学生街の喫茶店” という曲が一番受けていた。客席の雰囲気というものを初めて経験し、大人たちにとってはガロといえば “学生街の喫茶店” なんだと理解できたものの、シャープでスピーディーな “一枚の楽譜” と違って “学生街の喫茶店” は童謡みたいで小学生の僕にはあまりぴんとこなかった。ところが「片隅で聴いていた ボブ・ディラン」という歌詞が頭に残り、「ボブ・ディランというのは誰なんだろう」という疑問がその後もついて回るようになった。ボブだから人の名前だよなと思い、文脈からして音楽家だろうとは思ったけれど、クラシックなのかポップスなのか、それ以上は見当もつかなかった。ボブ・ディランの曲を初めて耳にしたのは高校に入ってからで、ラジオから不意に流れてきた “Hurricane” のダミ声が心に残り、少し考えてから( “Hurricane” を収録した)『Desire』を買ってみた。モザンビークの独立だとか神話上の人物と結婚するとか、自分にとっては目新しい題材の歌詞が多く興味深くはあったけれど、音楽的にはあまり惹かれず、それ以上の興味は持てなかった。スペシャルズが “Maggie's Farm” を、XTCが “All Along the Watchtower” をカヴァーしていたり、デヴィッド・アレンが “Death of Rock” でロックの歴史を振り返りながらボブ・ディランだけ3回も名前を連呼するほど特別扱いしていなければ本当にそれ以上の興味は持たなかったかもしれない(RCサクセションの “いい事ばかりはありゃしない” が “Oh, Sister” を参考にしているとは、その頃はまるで気がつかなかった)。パンクやニューウェイヴがデザインのセンスを一新してしまったことも大きく、『Desire』に続いてリリースされた『Street Legal』のデザインがダサ過ぎて、それもまた興味が膨らまなかった一因だった。

 『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』はボブ・ディランのデビューからニューポート・フォーク・フェスティバルで大ブーイングを浴びるまでを扱った作品。監督は『フォードvsフェラーリ』や『LOGAN/ローガン』のジェームズ・マンゴールド。『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でがジョニー・キャッシュとジューン・カーターの激しいラヴ・ストーリーを主軸に置いたのと同様、ここでもマンゴールドはボブ・ディランとスージー・ロトロによるラヴ・ストーリーに大きな比重を置いている(中絶というエピソードを避けたかったのか、スージー・ロトロはシルヴィ・ルッソという名前に変えられている)。ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメはまるでボブ・ディランそのもの……と絶賛したいところだけれど、どのシーンをとってもボブ・ディランの気持ちが伝わって来ないため、中盤をすぎても挫折のないサクセス・ストーリーにはなかなか引き込まれず、シャラメの顔がマーク・アーモンドに似ていることもあって、個人的には「ポール・アトレイデに続いてボブ・ディランを演じているティモシー・シャラメ」という認知バイアスから最後まで脱却できなかった。ボブ・ディランの熱心なファンであればおそらく……ボブ・ディランそっくりに見えたのだろう。シャラメの歌は完成度が高くて説得力もあり、トム・ヒドルトンのハンク・ウィリアムズは超えたかも。

 ウィノナ・ライダーの人気が凋落するきっかけとなった『17歳のカルテ』や、前述した諸作でもマンゴールド作品のオープニングはたいてい主人公が自動車に乗っているシーンから始まる。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』もディランがバスに乗ってニューヨークに向かうところから始まる(『3時10分、決断のとき』や『ナイト&デイ』などもちろんそうではない作品もある)。『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」はバスがすでに刑務所の前に止められていてジョニー・キャッシュの演奏は始まっているものの、誰かが自動車でどこかへ向かうと物語が動き出すという構造は共通していて、バスを降りたボブ・ディランが「目的地を通り過ぎているよ」と言われるのはその後の彼の人生をうまく言い表した言葉にもなっている。ニュージャージーまで引き返したところでディランは病室のウッディ・ガスリーと見舞いに来ていたピート・シーガーと出会い、デビューへの足がかりが開けていく。ピート・シーガーを演じたエドワード・ノートンは柔和な老け顔が実に板についていて、キャリア初期に多重人格や密売人や奇術師などエキセントリックな悪役ばかりやっていたことがウソのよう。

 一方、エル・ファニング演じるシルヴィ・ルッソは活動家ではなく画家という設定に変えられ、存在感がやや薄められている。セカンド・アルバム『The Freewheelin' Bob Dylan』のジャケットでディランと身を寄せ合っているスージー・ロトロはディランにランボーやブレヒトのことを教えるなどディランの作詞に大きな影響を与えたとされているにもかかわらず、その辺りはほとんど触れられていない。ルッソはなんとも飾り気がなく、60年代から70年代にかけて珍しくなかった女性のライフ・スタイルを上手く再現していて(いま同じ格好をするとノーメイク、ノーブラの「干物女」と呼ばれてしまう)、ディランとの同棲生活も甘ったるいムードが欠如しているところはなんともそれらしい。ルッソはフォーク復興運動の拠点となっていた教会で初めてボブ・ディランと出会う。運命的な出会いに意味を持たせるシーンにもかかわらず、このシークエンスだけが黒人たちを音楽文化の主体として描いたシーンでもあり、ギリギリのところでホワイト・ウォッシュになることが回避されている。リトル・リチャードについてボブ・ディランが言及したり、ラジオでブルース・マンと即興でセッションするなどディランの音楽には黒人文化の影響があったという描写もなかったわけではないけれど、それ以上にニューポート・フォーク・フェスティバルの会場は白人たちで埋め尽くされ、グルーピーもマネージャーもプロデューサーもすべて白人で、音楽業界は白人だらけ、悪くいえば教会でテープに録った黒人たちの伝統音楽を白人が奪って白人の文化につくり直しているプロセスが「フォーク復興運動」に見えてしまう作品なのである。それこそポール・グリフィンがいなければディランのバック・バンドも白人だらけで目も当てられなかったかもしれない(これも途中から入ってきたアル・クーパーにいいところは持って行かれてしまう)。そういえばピート・シーガーの妻が日本人だったことは僕は知らなかった。そういう意味ではアジア系のプレゼンスは示されていた。

 どのシーンをとってもボブ・ディランの気持ちがまったくわからないのとは対照的にルッソの戸惑いや悲しみはダイレクトに伝わってくる。ルッソと名前を変えている時点で彼女の存在はフィクションであり、ボブ・ディランが苦悩したり、喜怒哀楽を一度も示すことがないのは故意に演出されたことで、他人から影響を受ける場面は意図的に消し去られているのだろう。ルッソにディランが依存している場面がぜんぜんない上に、どの場面でもディランが天才的に振る舞い、なにひとつ失敗がないので、ルッソの問いに答えてディランが自分を神様だと思っていると話す場面では思わず「カニエ・ウエストか!」とつっこんでしまった(監督のカットがかかってからエル・ファニングとティモシー・シャラメが爆笑したと思いたい)。スージ・ロトロとボブ・ディランの関係はちなみにフィリップ・K・ディックとクレオ・アポストロリデエス(『アルべマス」のレイチェルなど)が「共産主義の影響下で行動する女性とそれを受けて思索する男性」という組み合わせだったことを思い出させる(公民権運動にコミットしたディランに対してディックは執筆活動を中止してベトナム反戦にのめり込む)。

 ボブ・ディランの描き方はどこかで見た覚えがあると思ったら日本のTVドラマによく出てくる男性たちの振る舞いだと思った。多くを語らず、独りよがりで、自分を周囲に合わせる気がまるでない。ディランだからそれが許されるというレイアウトに従って、ルッソ同様、中盤以降はジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)もピート・シーガーも気持ちいいほどディランに振り回され、周囲が傷心を余儀なくされる場面の連続となっていく。ディランにとって恩人であるはずのピート・シーガーがここまで雑巾のように扱われるとは思わなかったけれど、エドワード・ノートンの表情があまりに情けなく、それはブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンにノートン演じる「僕」が翻弄される『ファイト・クラブ』の役柄と重なってしまうほどであった。そう、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を観て『ファイト・クラブ』を思い出すとは思わなかったけれど、『ファイト・クラブ』というのは70年代に爆破活動を繰り返したテロ組織、ウェザーマンが90年代の「僕」に強迫観念として取りつく作品で、「ウェザーマン(天気予報士)」という組織名はボブ・ディランの “Subterranean Homesick Blues” から「どっちに風が吹くか、それを知るのに天気予報士は必要ない(You don't need a weather man to know which way the wind blows)に由来すると思えば、それもまた妙な符号に思えてくる。

 ディランにとっては人よりも作品が優先なのである。表現がすべてに優先される。(以下、ネタバレというか解釈)ディランが何を考えているのかわからない。ディランの気持ちがまったく理解できないからこそ、ニューポート・フォーク・フェスティバルでディランが楽器をエレクトリックに持ち替えたことがどれだけのショックだったかということがこの作品を通じて追体験できる。少なくとも僕はそうだった。ディランの考えや気持ちが手に取るようにわかっていたら、きっとそうはいかなかっただろう。あるいはその後の歴史を知っているということがその場で起きることをストレートには直観させてくれなかったのではないだろうか。そういう意味ではディランについてなにがしかのことがわかっている人の方がこの映画は楽しめなかったはずで、自分がフェスの会場にいたらどう感じたのか、ボブ・ディランがポップ・ミュージックの歴史を書き換えたという認識は存在していなかった空間でディランの側に立つことはそれだけでもう失敗であり、ディランの行動を不可解なものとして感じさせるように冒頭から仕掛けてきた意味がなくなってしまったことだろう。僕はディランが楽器をエレクトリックに持ち替えたシーンが最初はとても暴力的に感じられ、「なんで!」と不快な気分になりかけた。監督が意図したほど「客や主催者を怒らせることで爽快な気分になる」ことはなく、しかし、曲が進むに連れて「わからないけど面白い!」という感情が湧き上がってきた。出演者でディランの暴挙を止めるどころか、背中を押したのがジョニー・キャッシュ(ボイド・ホルブルック)で、彼がディランをどう思っていたのか、そこはもっと描かれていてもよかったと思う。キャッシュを無法者として描く場面はあっても、彼がフォーク・フェスティバルでエレクトリックをよしとする根拠は説明不足だし、後にはデペッシュ・モードまでカヴァーする彼のモダンさがディランに影響したのか、しなかったのか、エレクトリックへの持ち替えをクライマックスとするなら、そこはもう少し描くべきではなかったかと(ちなみにジョニー・キャッシュがカヴァーした “Personal Jesus” はニナ・ハーゲンもカントリー・ソウル風にカヴァー)。

 『名もなき者』の原題は「A COMPLETE UNKNOWN」で、これを「まったくの無名」という意味で『名もなき者』という邦題にしたのだろう。しかし、作品を通して観ると「無名時代」と呼べるのは冒頭の数分だけで、ディランはすぐにもスターダムを駆け上がり、物語の大半は無名どころかディラン本人さえ知名度に振り回され、辟易とするシーンの方が長い。なので、「A COMPLETE UNKNOWN」は知名度を表すのではなく、まったく意味がわからないもの、それこそ「UNKNOWN」を教科書通りに「未知」と訳した方がいいのではないだろうか。「まるで意味不明」あるいは「お手上げ」とか、ディランを理解不能なものとして表現しているタイトルだと考えた方がしっくりくるのではないだろうか。境界性人格障害を扱った『17歳のカルテ』でリサ・ロウ(アンジェリーナ・ジョリー)がどうして暴力的に振舞うのか、あるいはアメ車がイタ車に戦いを挑む『フォードvsフェラーリ』でキャロル・シェルビー(マット・デイモン)やケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)がなぜそうまでスピードを出すことにこだわるのかさっぱりわからなかったように、意味不明な行動をする人間にマンゴールドは魅力を感じ、その磁場に観客も引きずり込んでいく。それこそ「THE」ではなく「A」なので、ディラン個人のことでさえないのかもしれないし、こういった人たちはわけがわからないからこそ語る価値があるというような。無茶な人たちがこの世界を前に進めていく。多様性を突き詰めたサーカスを始める『グレイテスト・ショーマン』しかり、考えようによっては『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は、あからさまに「MAKE AMERICA GREAT」な『フォードvsフェラーリ』の流れを受けてトランプ時代を情緒的に肯定する作品だともいえる(両作は同じ60年代前半が舞台)。*3月5日付記--ショーン・ベイカー監督『レッド・ロケット』はトランプ時代の再来を批評的に予見した作品で、トランプが焦点化しない低所得層に光を当て続けたベイカーの新作『アノーラ』が『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を抑えてアカデミー作品賞をとったのはなかなかに示唆的。

 僕がこれまでに観た数少ない音楽映画のなかで最も感心したのはグレン・グールドのドキュメンタリー映画『天才ピアニストの愛と孤独』だった。この作品だけがグールドは何者かという結論を出していない作品で、エピソードを並べれば並べるほどグールドという人が何者なのかわからなくなり、時に赤塚不二夫に見えたり、それもまた一面でしかなく、つくり手がもはや「わかりません!」と降参しているつくり方なのである。でも、そうなんだろうと思う。グレン・グールドとかボブ・ディランが何者であるかなんてそう簡単にわかるわけがなく、いくらでもわかった風な結論を与えて音楽映画というものはつくられがちである。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』という作品はそういうつくり方はしていない。この作品は60年代前半のディランを語り尽くされたドラマとして再現しなかったことが快挙であり、ディランが頭を抱えて苦悩するシーンが1秒もないことを楽しむべきなのである。(2024年2月22日記)

R.I.P. Roy Ayers - ele-king

 クラブ・ミュージックを聴く者にとってジャズ・ミュージシャンと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、マイルス・デイヴィスでもジョン・コルトレーンでもなく、ロイ・エアーズだろう。それほどロイ・エアーズはクラブ・ミュージックと切っても切れないほど縁が深く、愛されてきたミュージシャンである。そんなロイ・エアーズが去る3月4日に亡くなった。長い闘病生活の末にニューヨークで家族に看取られて亡くなったそうで、享年84歳。2019年にブルーノートでライヴをおこなったのが最後の来日公演となったが、そのときは78歳ながら元気な姿を見せてくれていた。また、2020年にはエイドリアン・ヤングとアリ・シャヒード・ムハマドの『Jazz Is Dead』に参加し、その後も長く続くプロジェクトのきっかけにもなっていた。こうして現役の第一線で活躍していた彼がいつ頃から闘病生活を送っていたのかはよくわからないが、80歳くらいまでヴァイタリティに満ちた音楽生活を送れたのは彼にとって幸せなことだったろう。長く、そして濃密な音楽人生だった。

 ロイ・エアーズは1940年9月10日にロサンゼルスで生まれた。5歳のときにジャズ・ヴィブラフォンの祖であるライオネル・ハンプトンからマレットをプレゼントされ、ジャズ・ヴァイブ奏者の道を志す。1963年にピアニストのジャック・ウィルソンのグループでレコーディングをスタートし、そこでヴィブラフォン演奏の土台を築く。当時の西海岸はウェスト・コースト・ジャズの全盛期で、そうした中で自身のデビュー・アルバムとなる『West Coast Vibes』も同年にリリース。ジャック・ウィルソンが全面協力したこのアルバムは、“Out Of Sight” や “Ricardo’s Dilemma” という素晴らしいモーダル・ジャズを収録する。後年のユビキティ時代とは異なるロイのクールな魅力が詰まったアルバムだ。
 その後ニューヨークに移住し、フルート奏者のハービー・マンのバンドに加入。そして、マンが契約する〈アトランティック〉から1967年にリーダー・アルバムの『Virgo Vibes』を発表。チャールズ・トリヴァー、ジョー・ヘンダーソン、レジー・ワークマンらが参加したこのアルバムは、モードや新主流派といった1960年代のメインストリーム・ジャズの流れを汲むもので、こうした路線でハービー・ハンコック、ロン・カーターらと共演した『Stoned Soul Picnic』(1968年)、『Daddy Bug』(1969年)をリリースしていく。また、マンのグループで初来日した折、マン監修のもとカルテット編成で日本録音となるアルバムも発表している(ロイは日本のレコード会社と縁が深く、ユビキティ時代にも日本盤オンリーの『Live At The Montreux Jazz Festival』をリリースしている)。

 こうして正統的なジャズの道を進んできたロイだが、〈ポリドール〉へ移籍した1970年にジャズ・ファンクへ方向転換した『Ubiquity』をリリース。以後、このアルバムからグループ名をとったユビキティを率い、『He’s Coming』(1972年)、『Virgo Red』(1973年)、『Red Black & Green』(1973年)、『Change Up The Groove』(1974年)などをリリースしていく。ユビキティの屋台骨を担ったのは鍵盤奏者でアレンジャーのハリー・ウィテカーで、後にブラック・ルネッサンスのプロジェクトを興したことでも知られる人物だ。ほかにもフィリップ・ウー、エドウィン・バードソング、フスト・アルマリオ、ジェイムズ・メイソンなど多くのミュージシャンが参加し、またアルバムによってディー・ディー・ブリッジウォーター、シルヴィア・ストリップリンらのシンガーも擁していて、ロイは彼らをまとめるトータル・プロデューサー的な立ち位置であった。ユビキティではヴィブラフォン以外に鍵盤も演奏し、歌も歌うロイだが、自分が前面に出るよりもこうした仲間のミュージシャンたちをサポートし、バンド全体で音を聴かせる方向性を持っていた。

 モス・デフやケンドリック・ラマーらのサンプリング・ソースとして有名な『He’s Coming』の“We Live In Brooklyn Baby”に代表されるように、ユビキティ初期は硬質でアブストラクトなムードの漂う作品が印象的だったが、1975年の『A Tear To Smile』あたりからはグルーヴ感に富むダンサブルな楽曲が増えていく。ちなみにこのアルバムに収録された “2000 Black” は4ヒーローのディーゴがレーベル名にしたほどで、後世のアーティストにロイがいかに多大な影響を与えていたかを示している。
 一方、『Mystic Voyage』(1975年)や『Everybody Loves The Sunshine』(1976年)にはメロディアスでゆったりとしたミドル~スロー・テンポの曲があり、後にメロウ・グルーヴと称される。時代的にはディスコが始まった頃で、ロイはいちはやくそうした要素を取り入れるなど、時代を読む嗅覚にも長けていた。ユビキティ最終作となった『Lifeline』(1977年)の “Running Away” はガラージ・クラシックでハウス系DJのバイブルでもあるし(同時にア・トライブ・コールド・クエストやコモンらのサンプリング・ソースとしても有名)、ソロ名義の『You Send Me』(1978年)の “Can’t You See Me” や “Get On Up, Get On Down”、『Fever』(1979年)の “Love Will Bring Us Back Together” はブギー・クラシックとして、後年になっても長く聴かれ繋がれる。
 『Let’s Do It』(1978年)の“Sweet Tears”(『He’s Coming』収録曲の再演)は後にニューヨリカン・ソウルで自身も参加してカヴァーする。マスターズ・アット・ワークとは縁が深く、『Feeling Good』(1982年)の “Our Time Is Coming” も後年に彼らとコラボしてセルフ・カヴァーしている。ヒップホップ、ハウス、クラブ・ジャズ、レア・グルーヴなど、あらゆる方向のDJやクラブ・ミュージック・ラヴァーからリスペクトされたロイ・エアーズである。

1960年代、1970年代、1980年代と時代によって音楽性を変化させたロイだが、それは好奇心や探求心が旺盛だったことの表れでもある。1979年にアフリカ・ツアーをした際に前座を務めたフェラ・クティと意気投合し、『Music Of Many Colors』を制作する。1981年に『Africa, Center Of The World』をリリースするが、これはフェラ・クティとボブ・マーリーに捧げたもの。1983年の『Lots Of Love』収録の “Black Family” もフェラ・クティとの共演からインスパイアされたもので、アフロビートにラップ調のヴォーカルを乗せたスタイルという具合に、アフロビートやレゲエを柔軟に取り入れた時代もあった。

 ロイの功績としては、自身のレーベルある〈ウノ・メロディック〉を運営し、自分の作品以外にも様々なアーティストを世に送り出したことも挙げられる。シルヴィア・ストリップリン、エイティーズ・レディーズ、フスト・アルマリオ、エセル・ビティらが〈ウノ・メロディック〉出身で、“Daylight” やロイの “Everybody Loves The Sunshine” のカヴァーで知られるランプも彼のプロデュースによるものだ。後輩や後進に対して広く道筋を付けてくれたアーティストであり、前述のニューヨリカン・ソウル(マスターズ・アット・ワーク)やエイドリアン・ヤング&アリ・シャヒード・ムハマドとのコラボなどはその表れと言える。日本においてもクロマニョンが “Midnight Magic” という曲で共演するなど、ロイをリスペクトして共演やコラボする例は世界中に広がった。ロイはそうした申し出を快く引き受けてくれる懐の深い人物であり、多くの人から愛されたミュージシャンだった。

つねに思い出そうとする
ただ楽しい時間を過ごすことを
パンダ・ベア “Comfy in Nautica”

 海に向かって彼女が手を振っている。逆光で陰になっているが、その表情は微笑んでいるに違いない。ザ・ビーチ・ボーイズの“グッド・ヴァイブレーション”は、58年後のいま聴いても、驚くべきほど革命的なポップ・ソングであることがわかるのだから、当時としてはそうとうな衝撃だったことだろう。プロダクションにおける実験性もさることながら、ポップ界のチャーリー・ブラウンことブライアン・ウィルソンのユートピア的な思いが、もはや海、夏、サーフィン、車、女の子たち……といった10代の男子が思い描くその範疇にはおさまらない、より高次な、宇宙規模での愛らしきものとしても脈打っていると、そんなたわごとも言いたくなる。ザ・ビートルズからクラフトワーク、山下達郎からジーザス&メリー・チェイン、多くの音楽家を打ちのめしてきたのもむべなるかなである。

 ノア・レノックス、パンダ・ベアの名で知られるアメリカはバルチモア出身で、ポルトガルはリスボン在住のミュージシャンも、子供で純粋、という意味ではインディ界のチャーリー・ブラウンだったのかもしれないが、ネヴァーランドの住人ではなかった。大人になることを受け入れて、それを宣言したような曲も発表している(“My Girl”という曲である)。彼はまたウィルソンと同様、サイケデリアの扉を開けたひとりではあって、しかしウィルソンと違ってその部屋から出ていったようには思えない。レノックスはいまでもそこにいて音楽を作っている。大人になったいまも、そして離婚を経験したいまも。

 アニマル・コレクティヴとの出会い方にはふた通りの回路があった。ひとつの回路は、90年代からずっと、グランジのハイプに惑わされずに、オルタナ・カントリーをはじめ、USアンダーグラウンドで活況を見せていたインディ・ロックをしつこく追いかけていた連中である。
 もうひとつは、このバンドを世に広めた〈ファット・キャット〉経由だ。もともとは、90年代前半はコヴェント・ガーデンの外れの地下に店を構えるレコード店で、当初はロンドンにおけるデトロイト・テクノの拠点のような品揃えだった。〈Warp〉がまだレイヴに片足を突っ込んでいたころ、無名時代のAFXやB12のような音源は、この小さな店が中心となってプロモートした(そしてこの時代、ぼくは幸運にも「おまえここに住んでいると思っていたよ」と間違われたくらいに通った)。
 90年代後半、その目利きを活かしてレーベル事業をはじめた〈ファット・キャット〉は、ポスト・レイヴ時代における先導者のひとつとなって、ブレイクコア、ポスト・ロック、IDM、グリッチ……といった細分化されたアンダーグラウンドにおける起点となるような作品をいくつもリリースしている。そして、やがてはポスト・クラシカルでひと山当てるこのレーベルが先鞭を付けたのが、アニマル・コレクティヴであり、ヴァシュティ・バニヤンといった、当時としては新鮮に思えた「フォーキー」なサウンドだった。ぼくはこの流れでアニマル・コレクティヴを知り、聴いて、好きになったひとりである。
 好きになった最大の理由はその音響的な新鮮さにあったが、そこからくみ取れるポスト・レイヴのサイケデリアにおける喜びと、そして悲しみに心動かされもした。『キャンプファイア・ソングス』(2003)——あの酔っぱらった、いかれたフォーク・ソングが大好きだった。商業化されたレイヴよりも友人とキャンプに行ってたき火をしながら歌う方がたしかに楽しい。だが、しかし、その先に何があるというのか……それでもぼくは、ニュー・レイヴではなくこちらを選んだことにまったく迷いはなかった。

 そう、それでブライアン・ウィルソンが1966年に制作しながら幻となった『スマイル』の2004年版を、発売から数年後に聴いて「お、なんかアニマル・コレクティヴみたいじゃん」と思ったのだが、いやいや、周知のようにレノックスがザ・ビーチ・ボーイズに影響されているのである。とはいえ、レノックスが取り入れたウィルソン風のメロディラインとハーモニーには、ウィルソンが影響を受けたザ・フォー・フレッシュメン(50年代に人気を博した男性ヴォーカル・カルテット)のような透明感はない。初期はローファイで、賛美歌めいてもいたし、なんか違うのだ。チャック・ベリーからの影響を波乗りの感覚へと変換したグルーヴもない。が、その代わりと言ってはなんだが、キング・タビーやハリー・ムンディ(メロウなダブの達人)をはじめとする70年代ジャマイカの音響職人たちからの影響をレノックスなりの水中遊泳へと変換したかのような奇妙なウィアードダブ・サウンドがあった。
 〈ドミノ〉に移籍してからのアニマル・コレクティヴ/パンダ・ベアを特徴づけるのは、ソフト・トリップなサイケデリアの工作室とそのポップな展開だが、それは果たして手段としてのサイケデリアか目的としてのそれか、どちらなのだろうかと。ウィルソンにとってのそれが手段であったことは、“ゴッド・オンリー・ノウズ”のような曲で聴ける我が身を引き裂くほどの愛を聴けばわかるが、レノックスにとってのそれも、ユートピストとしての彼のヴィジョンを描くための手段である、とぼくは思っている。
 レノックスは、ザ・ビーチ・ボーイズの1965年の有名な歌詞のラインをそのまま音楽制作において実行しているかのようだ——つまり、“She Knows Me Too Well” で歌われる「ときには愛を伝えるのに、ぼくは奇妙ウィアードな方法をとってしまう」と。その奇妙さウィアードが彼のサイケデリアであって、だが、しかしその本質はレノックスが『パーソン・ピッチ』(2007)で歌っていることなのだろう、すなわち「つねに思い出そうとするんだ/ただ、楽しい時間を過ごすことを」と。

 もっとも彼は言葉のひとではない。じっさい昔のインタヴューで、歌詞やメロディよりもまずは土台となるサウンドを優先して作っていると話している。ソニック・ブームとの共作もそうだが、『パーソン・ピッチ』(2007)における水中めいた音響──サーフ音楽とダブ&テクノの融合、忘れてもらっては困るがここにはウラディスラヴ・ディレイら北欧ダブ・ミニマリズムからの影響も含まれている。『メリウェザー・ポスト・パビリオン』(2008)の冒頭における轟音とエーテル状のゆらめき、もちろん『トムボーイ』(2011)や『ブーイ』(2019)においてもそうだ。彼の奇妙なウィアード音響アイデアの具現化は、音響工作によるサイケデリアと説明できるだろう。
 『トムボーイ』の歌詞においてサーフボードを人生に喩えたように、レノックスの作品ごとのサイケデリアはその描き方であって、結果として描かれたものは、総じて温かく愛らしいものに溢れている。愛がなければ生きる価値はないと言わんばかりの1966年のウィルソンとパラレルな関係にあると言えるかもしれないが、そこには男子が夢見る夏も車も女の子もいない。そして、アッパーにはならず、かといってダウナーにもならない。 “My Girl” によれば、「欲しいものはあまりない。ゆるぎない魂と血と、小さな娘と伴侶と、生活できる住処が欲しいだけ」なのだ。

 「サイケデリック治療で奇跡的な結果が得られる人は多いのだから、探求する価値のある行為であることは間違いないね」と、レノックスはあるインタヴューで答えている。人生の暗い側面を追求した(我が愛しき)80年代のUKインディーズ——「ぼくが欲しいものはぼくが決して得られないもの。それは信頼できる恋人とベッド」——とは対照的に、パンダ・ベアの音楽はたとえ「幸せについての悲しい歌」であったとしても、人生を前進させようとする温さから離れない。その微笑みにイラつくことがないかと言えば、ぶっちゃけたところあるにはあるのだが、レノックスの柔らかさがいまもまだ欠如しているとしたら、この音楽は反時代的で、46歳になっても初心を忘れずにあらたな音響アイデアをひねり出していることにはあらためて敬意を表したいと思う次第である。
 新作『シニスター・グリフト』、「不吉な詐欺」なるタイトルのニュー・アルバムは、既述したように彼が「伴侶」と別れてからの作品で、人生の悲しみのなかで制作されているはずだが、またしてもここでブライアン・ウィルソン流の歌メロを引っ張り出している……そればかりか、アルバムを音響アイデア満載のポップス集としてまとめあげている。早い話、これまでのキャリアにおいて、もっともグルーヴィーなポップ・ソングと呼びうるもののレパートリーを披露しているのだ。人生の悲しみをポップスで乗り越える、うん、それはそれでひとつの哲学じゃないか。
 「ぼくの心は壊れる前に折れる」——アルバム冒頭の曲のこの痛々しい言葉は、60年代風の軽快なビートとメロディで中和され、その浮ついた曲調に少々面を食らうが、「小さな娘」をフィーチャーしたトロピカルな2曲目“Anywhere but Here”の陽光とダブの音響工作による心地良きゆるさにはまったく逆らえない自分がいる(『フロウ・モーション』期のカンのようだ)。同じことがペダル・スティールを効果的に使った“50mg”、ザ・ビートルズめいたキャッチーなサイケデリア“Ends Meet”にも言えるだろう。ぼくが思うに、前半の4曲はほとんど完璧な展開だ。
 後半のはじまり、レゲエのリズムを応用した“Just as Well”も悪くはないが、続く“Ferry Lady”におけるダブのアイデアが秀逸で、未練がましい歌詞とは裏腹のリー・ペリーめいた遊び心は、これまでもレノックスのソロ作ではたびたび顔を出しているとはいえ、その突出した成果だと言える。
 徒労感を露呈する歌詞とサウンドの“Venom's In”以降の2曲──“Left in the Cold”と“Elegy for Noah Lou”は、前半の明るさとは対極の冷たい洞窟で、しかし2003年あたりからレノックスの音楽を聴いているファンにしたら、俺たちのパンダ・ベアが帰ってきたと思うかもしれない魅惑的な曲でもある。ことにアルバムでもっとも長尺の後者は、あの素晴らしき『サング・トングス』における冬の冷たさのアンビエンスにリンクしているのではないかと。シンディ・リーが参加したクローザーの“Defense”は、『ピッチフォーク』の読者のためにあるわけではないだろうが(両者とも同メディアがフックアップした)、キラキラしたギターと力強いリズムをもったこの曲を聴いてからふたたび冒頭の“Praise”を聴いてみると、世界は違って見えるから不思議だ。

 ぼくがいちばん最初に好きになったアニマル・コレクティヴの曲は、“The Softest Voice(もっともソフトな声)”である。昔、たまにDJをやっていた頃、クラブでこの曲をかけたらいっきにフロアからひとがいなくなったことがある。「もう家に帰って、パジャマを着てベッドに入ろう」、クラバーたちはそう言われた気分になったのかもしれない。ノア・レノックスが20年以上ものあいだサイケデリック・ポップなるものを追求し、拡張させ、そこに新しいアイデアを放り込んでは忘れがたい作品を複数枚作ってきたことはじゅうぶん称賛に値する。ハードであることをぼくは決して嫌悪しているわけではないけれど、ハード・ロックの時代にソフト・ロックが軽んじられたように、ソフトなものはつねにハードなものに押しつぶされそうになる。サーフ・ポップをダブと接続することで切り開かれたサイケデリアは、じつはソフトなものにこそまだやれることがあるんだと言わんばかりに、我々の耳を楽しませ、心をざわめかせる。ノア・レノックスが暮らすリスボンは、ベルリンでは生活費が高くて住めないというボヘミアンたちが集まっている街である。美しい海もある。さあ、みんなで手を振ろう。

【蛇足】
パンダ・ベアのキャリアにおいて例外的な作品はふたつある。911直後に制作された『ダンス・マナテー』(2001)、そしてレノックスの父親の死が大きな影響をおよぼしている『ヤング・プレイヤー』(2004)だ。後者はファンのあいだでは人気作だが、ぼくは彼の作品で唯一ダークな前者もまったく嫌いではない。

new book - ele-king

 批評家にしてビートメイカー、そしてMCでもある吉田雅史の新しい単著、『アンビバレント・ヒップホップ』が本日3月7日、ゲンロンより刊行される。アメリカだけでなく日本のラッパーについても紙幅が費やされているが、各章のタイトルを眺めてみると「フロウ」「ビート」といった音楽的なテーマはもちろん、「リアル」「オーセンティシティ」「風景」といった興味深い切り口も用意されている。ヒップホップやそれをとりまく状況について考えたいとき、いろいろとヒントになってくれそうな本だ。電子批評誌『ゲンロンβ』での連載をもとにしつつも、大部分が書き下ろしという気合いの入った1冊。ぜひ手にとってみよう。

吉田雅史
アンビバレント・ヒップホップ

ゲンロン
四六判並製/424頁

特設ページ
https://webgenron.com/articles/ambivalent-hiphop

Shinichiro Watanabe - ele-king

 昨年からお伝えしてきた渡辺信一郎監督による最新作『LAZARUS ラザロ』、カマシ・ワシントン、ボノボ、フローティング・ポインツという豪華な面子が音楽を手がけたことでも話題の同作だが、ついに放送開始日が決定している。4月6日(日)夜11時45分からテレ東系にて放送スタート、ほか各配信プラットフォームでも見られるとのこと。新たなヴィデオも公開されているのでチェックしておきましょう。3月7日(金)には新宿バルト9にて先行上映会が、3月15日(土)には第1話の無料先行上映会がアニメイト店舗で実施されるそうで、詳しくは公式サイトをチェック(https://lazarus.aniplex.co.jp)。
 なお、これを機にわれわれエレキングも特集号『別冊ele-king 『LAZARUS ラザロ』と渡辺信一郎の世界』を準備中です。お楽しみに!

Marta de Pascalis - ele-king

 マルタ・デ・パスカリスはベルリン在住のイタリア人コンポーザー/サウンド・デザイナー/シンセサイザー奏者だ。これまで《Berlin Atonal》や《Mutek》といったフェス、カフェ・オトなどでパフォーマンスをおこなってきた彼女は、『Quitratue』(2014)、『Anzar』(2016)、『Her Core』(2018)、『Sonus Ruinae』(2020)とコンスタントに作品も発表、なかでもカテリーナ・バルビエリ主宰の〈Light Years〉から送り出された最新作『Sky Flesh』(2023)は評判となり、日本でも多くのレコード店でソールドアウトになっているという。そんな彼女による来日公演ツアーが開催中です(巡業先は新潟、名古屋、加西、京都、大阪、東京)。お近くの方は足を運んでみよう。

【ツアースケジュール】
3月2日(日) 東京 落合 Soup
 イベント名//Electronication in Japan

 共演//SNH + Ayami Suzuki + Kyosuke Terada(VJ),Kurando, natsuehitsuji, Geoff Matters dj: Inqapool
3月8日(土) 新潟 ビュー福島潟
 イベント名//experimental rooms #47
 共演//福島麗秋山 + 福島諭 DJ: Jacob D. Fabregas
3月13日(木) 名古屋 Duct
 イベント名// Ante-nnA
 共演//KAMAGEN, Ek dui tin char, CazU-23 DJ: Ohasyyy VJ Yum
3月15日(土) 加西 Tobira Records
イベント名// in store show case vol.62
 共演//Perila, Computer Station, Daniel Majer, Kochou no Yume dj: Kaoru, nishihiroshi, RAlooE
3月17日(月) 京都 UrBANGUILD
 共演//立石雷、Krikor Kouchian dj: KJ Trypta
3月20日(木) 大阪 Environment 0g
 イベント名//Aural Execution for Argument
 共演//Ryo Murakami, 黒岩あすか + foreign.f + Dagdrøm, Vesparium Role dj: Zodiak, Junya Hirano
3月21日(金) 京都 外
 イベント名//Marina di Jodoji
 共演//Kazumichi Komatsu, Vís, 1729
3月26日(水) 東京 Forestlimit
 イベント名/ /K/A/T/O Massacre
 共演//TBA

Horsegirl - ele-king

 2018年あるいは19年、パンデミックが世界の様式を変える前にギター・バンドがクールなものだと再び知らしめた若者たちの熱は世界中に広がり、そうして発展していった。サウスロンドン・ウィンドミルでのインディ・シーンは言うまでもなく、アミル・アンド・ザ・スニッファーズを生んだメルボルンでもトゥワインやデリヴァリーなどエネルギーを感じるバンドが出てきているし、シカゴにはなんといってもハロガロのコミュニティがある。ノイ!の名曲 “Hallogallo” からその名を取ったというシカゴの10代の若者カイ・スレイターのジンの初号が出たのが21年のこと(80年代のパンクのジンに影響を受けたこのジンはタイプライターで書かれている)。ハロガロのホームページには「YOUTH REVOLUTION NOW」の素晴らしい文字が踊る。このカイ・スレイターがやっているプロジェクトが〈K RECORDS〉からアルバムが出る60年代のサイケ・ポップに影響を受けたようなシャープ・ピンズであり、所属しているバンドがティーンビートを体現したライフガードだ。ライフガードにはホースガールのペネロペ・ローウェンスタインの弟のアイザックがいて、ホースガールの最初のシングルを録音したのが少し年上のフリコのニコ・カペタンであって……とどんどんその輪が広がっていく。もともとはハロガロ・キッズと称する趣味の合う遊び仲間で友情を育みそれぞれに音楽を作っていたのだというが、パンデミックを挟みそれが理想的に大きくなった。ジンを作りTシャツを作りイベントを開催し、ビデオを撮り、ヴィジュアルを決める。音楽とそれ以外のものが結びついたDIY精神でのつながり、シカゴで、世界中で、音楽が好きな若者たちが自分の居場所があると感じられるコミュニティを作りたい、そうした思いがあったのだと彼らは言う。

 ホースガールはそんなコミュニティのなかで育まれそれぞれの感性を磨いていった。ギターとヴォーカルのノラ・チェンとペネロペ・ローウェンスタイン、そしてドラムのジジ・リースからなる3ピース・バンド、ペネロペの家の地下室で練習しソニック・ユースやクリーナーズ・フロム・ヴィーナスに憧れた音楽を奏でる。そうしてこの仲間内のクールなバンドが〈マタドール〉と契約し、DIY精神を持ったままで大きな場所に進出していったのだ。どうしたってそこに理想的なインディ・バンドのストーリーを夢見てしまうものだが、ホースガールはその期待に見事応えて見せてくれた。10代の高校生活のレコードだったと自ら評する1stアルバム『Versions of Modern Performance』は80年代や90年代のオルタナ・バンドへの愛に溢れていて、それが時を経た20年代の新しいギター・ミュージックとして提示され多くのインディ・ロック・ファンに受け入れられた。小さな場所で鳴らされる大きな音、そこにはユース・カルチャーのなかにある音楽の根源的な魅力が詰まっていたように僕には思えた。

 そうして25年の2ndアルバム『Phonetics On and On』でもってホースガールは第2章に入った。大学に進学するためにニューヨークでの暮らしが始まり、新たな街での生活のなかで音楽が生まれる。さりとてシカゴの街は思い出のなかの場所ではなく頻繁に帰る繋がりのある場所で、実際にこの2ndアルバムも24年の冬にシカゴで録音されたものだ。シカゴの伝説的なバンド、ウィルコのアルバムを手がけたケイト・ル・ボンのプロデュースのもと、ウィルコのスタジオ The Loft で作られたこの音楽は1stアルバムの延長線上にありながら耳に入ってくる音の感じが明らかに違う。ディストーションで歪められたギターの音はシンプルなものに置き換えられて、ソニック・ユースというよりはヴェルヴェット・アンダーグラウンドが頭に浮かぶようなものになった。あるいはヤング・マーブル・ジャイアンツのようなスカスカの音の隙間に存在の魔法を浮かべせるようなそんなバンドになったのだ。余計なものをそぎ落としたなんて表現はしっくりこない。なぜなら最初から足されてなどいないからだ。必要十分というのも違う。どうしてかと言うとこの音数の少ない乾いた空間のなかにしか存在しないエネルギーがあるからだ。プロデュースを務めたケイト・ル・ボンは「無理に形を崩すことはない。洗練させようとしてもあなたたち3人がやったら自然とそうなるのだから」と言ったというがそれはまさに的を射ているように感じられる。僕はここにストロークスの『Is This It』を重ねてしまう。そう、これこそがそれなのだ。過去の黄金がこれ以上ないような形でモダンに提示される。繰り返されるリフに繰り返されるギター・ミュージックの歴史、その繰り返しの違いのなかにこそロックンロールの熱が生まれる。

 モダン・ラヴァーズの “Roadrunner” を思わせる “Where’d You Go?” で始まり素晴らしいコーラス・ワークを持つ “Rock City” を経由して遠くに向かうこのアルバムは1stアルバムとは違った種類の感動を届けてくれる。ホースガールのこれからの時間の中で素晴らしいアンセムになる可能性を持った “Julie” あるいは “2468”、“Switch Over”、“Sport Meets Sound” エトセトラ、エトセトラ、アルバムのほとんどの曲で聞かれる「ドゥドゥドゥ」「ダッダダッダダッタ」のような言葉にならない言葉がギターの上でリズムを生み出し心を躍らせる。それはいにしえから続くポップ・ミュージックの呪法とも言えるようなもので、それこそがこのアルバムをより一層魅力的にしているものだ。シンプルな、それでいて奥行きのある音と言葉の間の響き、それはまさにこのアルバムのギターのようにとどろき、合わさり、この音楽に魔法をかける。

 ホースガールはこの2ndアルバムで本当に素晴らしい場所に行ったのだと思う。シカゴのDIYコミュニティの精神を持ったまま、その外側の空気を吸って、内向きになりすぎないポップで実験的な音楽を作り上げた。それはまさにインディ・ミュージックの理想だ。そうしてきっとここに続く若者たちがまた現れるのだろう。その繰り返しのなかにこそ黄金は存在し、歴史はそうやって形作られていく。

interview with Elliot Galvin - ele-king

 イギリスの現代ジャズ・シーンに新たな地殻変動が起きつつある。そう感じさせるに足るアルバムが〈ギアボックス・レコーズ〉からリリースされた。鬼才ピアニスト、エリオット・ガルヴィンによる5年ぶり6枚目のリーダー作『The Ruin』である。

 エリオット・ガルヴィンは1991年生まれ。トム・マクレディー(b)、サイモン・ロス(ds)と組んだピアノ・トリオ編成で2014年にデビュー・アルバム『Dreamland』をリリースしている。アヴァンギャルドかつキャッチーで、月並みな言い方だがおもちゃ箱をひっくり返したような爽快さに満ちた──という点でオルタレーションズとの親和性も感じさせる──ジャズ・ミュージックは、続く2016年のセカンド・アルバム『Punch』では使用楽器の種類も増してさらなる深化を遂げた。その一方でガルヴィンはロンドンのフリー・インプロヴィゼーションのシーンでも頭角を現し、重鎮ドラマーのマーク・サンダースとデュオ作『Weather』を2017年に残している。さらにはトランペット奏者/作曲家のローラ・ジャード率いる4人組バンド「ダイナソー」の一員としても活躍、同じく2017年に発表したファースト・アルバム『Together, As One』はマーキュリー・プライズにノミネートされた。世間的にはこの作品が最も知られているだろうか。あるいはエマ=ジーン・サックレイのグループに加わり、デビューEP「Walrus」(2016)から名前を連ねている。

 ジャズを基調としたストレンジなピアノ・トリオ、インプロヴァイザーとしての活動、そしてさまざまなグループでの演奏と、ガルヴィンはテン年代半ば頃より目覚ましく活躍してきた。ちょうど同時期、イギリスの新世代ジャズ・ミュージシャンたちが注目され始めていた。ジャイルス・ピーターソンによるコンピレーション・アルバム『We Out Here』が出たのは2018年。2020年には『Blue Note Re:imagined』がリリースされた。これらのアルバムにはまさにイギリスの新世代が集っていたわけだが、そこにガルヴィンは参加していなかった。彼はいわばオルタナティヴな道を歩んでいた。

 2018年、3枚目のアルバムとしてリリースした『The Influencing Machine』は、作家で文化史家のマイク・ジェイによる同名書籍からインスピレーションを得たコンセプチュアルな作品だった。ドラマーがサイモン・ロスからダイナソーのメンバーでもあるコリー・ディックに代わり、ベースのトム・マクレディーはエレキギターも手に取り、ガルヴィンはシンセサイザーの電子音を大胆に導入した。翌2019年に発表した4枚目のアルバム『Modern Times』では一転、一発録りでレコードにダイレクトに録音するというアナログな手法をあえて用いることによって、デジタル化に突き進む時代の向こうを張るようなライヴ感溢れるアルバムを仕上げてみせた。そしてコロナ・パンデミック直前の2020年1月には初のソロ・インプロヴィゼーション・ライヴ・アルバム『Live In Paris, At Fondation Louis Vuitton』を世に送り出した。

 それから5年の歳月が過ぎ、新世代と呼ばれたジャズ・ミュージシャンたちもキャリアを積み重ね、さまざまに変化していった。象徴的なのはシャバカ・ハッチングスの「方向転換」だろう。エリオット・ガルヴィンもまた新たなステージへと歩を進めた。最新作『The Ruin』は、これまでのトリオを一新し、ベース&ヴォイスでルース・ゴラー、ドラムでセバスチャン・ロックフォードが参加。さらにリゲティ弦楽四重奏団、そして一部楽曲ではシャバカも客演している。サウンドはダークな質感を纏い、緻密なポストプロダクションが施され、まるでドゥームメタルのような重苦しささえ漂わせている──ローファイなピアノの響きから苛烈なブラストビートまで実に幅広い音楽性を呑み込みつつ、しかし、その中でガルヴィンのインプロヴァイザーとしての資質がピアノおよびシンセサイザーを通じて刻まれてもいる。まさに新境地である。そしてこのコンテンポラリーなエクスペリメンタル・ミュージックとでも言うしかないサウンドが、イギリスの現代ジャズ・シーンのもう一つの新たな方向性を切り拓いているようにも思うのだ。

 ならばエリオット・ガルヴィンはこれまでどのような道のりを歩き、そしてどのようにして現在地に辿り着いたのか。あるいはジャズ・ミュージシャンである彼はイギリスにおけるフリー・インプロヴィゼーションの歴史とどのように関わり、テン年代を通じてどのように変化していったのか。まずは彼の出身大学であり、多数のジャズ・ミュージシャンを輩出してきた名門校として知られるトリニティ・ラバンでの話を突端に、その足跡を紐解いていった。

ジャズだけではなくて、副コースとして作曲も学んでいたので、クラシックの作曲家をよく聴いていました。たとえばジェルジ・リゲティやイーゴリ・ストラヴィンスキーをたくさん研究しましたね。

まずは音楽的なバックグラウンドについて教えてください。あなたはトリニティ・ラバンのジャズ・コース出身ですよね?

エリオット・ガルヴィン(Elliot Galvin、以下EG):そうです。トリニティ・ラバンに通っていました。ちょうど時代が良かったのか、僕と同時期に優秀なミュージシャンがたくさんいたので、とてもいい勉強になったと思ってます。僕が参加しているバンドのダイナソーで長年一緒に演奏してきたローラ・ジャードもそうだし、2年ほど下にはジョー・アーモン=ジョーンズヌバイア・ガルシアもいて、本当に素晴らしい雰囲気がありました。先生も素晴らしかった。僕が習ったピアノの先生はリアム・ノーブルという人で、とても優れた演奏家です。他にも、ルース・チューブスやポーラー・ベアのメンバーとしても知られるサックス奏者のマーク・ロックハートもいました。そういう人たちから学ぶことができて、とても良い環境でした。

ジャズは進学前から演奏していましたか?

EG:最初にピアノを習い始めたのは6歳で、いわゆるクラシックの先生に就いていました。11歳頃まで習っていたんですが、結構厳格なやり方を教える人だったので、実を言うと途中であまり面白くなくなってしまった。これは自分には向いていないかもしれない、少しコントロールされすぎているなと思って。で、その次に習ったのがジャズ・ピアノの先生でした。そしたら今度はインプロヴィゼーションで自分で勝手に音楽を創っていいという、そういう教え方をしてくれたので、僕がやりたいことはこれじゃないかなと思うようになり、ピアノを弾くことに夢中になりました。それが12歳の頃。幸運なことに僕の両親はかなりのレコード・コレクターでもあったので、たとえばウェイン・ショーターを聴いたりして、どんどんジャズの世界が広がっていきました。だからトリニティ・ラバンに進学する頃には、もうすでに、ジャズこそが自分のやりたいことだという考えは固まっていました。

ジャズ・コースで特に研究したミュージシャンやピアニストはいましたか?

EG:当時興味を持っていたということで言うと、ジャズだけではなくて、副コースとして作曲も学んでいたので、クラシックの作曲家をよく聴いていました。たとえばジェルジ・リゲティやイーゴリ・ストラヴィンスキーをたくさん研究しましたね。ジャズで言うと、キース・ジャレットやハービー・ハンコックのようなジャズ・ジャイアンツはもちろん、もっとコンテンポラリーなところではジェリ・アレンにハマりました。あとセシル・テイラーのような実験的なミュージシャンも好きでした。幅広いスペクトラムのさまざまな音楽を聴いてました。

デビュー当時、あなたの音楽とジャンゴ・ベイツを並べて評する人もいました。ジャンゴ・ベイツはイギリスの一風変わった作曲家/ピアニストとして独特の音楽を創ってきた人物ですが、彼に関して特に研究したり、聴き込んだりした時期はありましたか?

EG:実は大学に入る前は、あまりジャンゴ・ベイツのことを知らなかったんです。大学に入ってから、ローラをはじめ一緒に勉強してる仲間たちが彼の音楽を教えてくれて。それ以来、かなりインスピレーションを受けていることはたしかです。なぜなら彼は素晴らしいインプロヴァイザーであり、かつ作曲家でもあるからです。彼もやはり、さまざまな場所から影響を受け、ジャズでありながらユニークな音楽を創り出す人として、僕も尊敬していました。実際、ジャンゴ・ベイツがロンドンに住んでいた時、何回かレッスンを受けたこともあるんですよ。彼がどんなふうに考えているのか直接知ることができて、とても貴重な経験になりました。

僕がいつも立ち戻ってくる作曲家はバッハなんです。メロディーをどう作曲し、音楽をどう構築するかという点で、やっぱりバッハに戻っていく傾向はあります。

トリニティ・ラバンの修士課程ではクラシックの作曲を専攻していますよね。なぜジャズではなくてクラシックの作曲に進んだのでしょうか?

EG:それはいい質問ですね。いわゆる大学という環境でジャズを学んでいると、ある特定の音楽のセクションだけを学ばなければならないことがあります。そのように特化することは、それはそれでとても興味深いものですけど、僕はそれ以外にどんなものがあるのか、他にどんな音楽を聴いて、どんなものからインスピレーションを得られるのかを見てみたいと思いました。それで修士課程では作曲を専攻することにしました。先ほど説明したように修士課程の前にクラシックの作曲を学ぶ機会があって、そういう中で自分が普段ジャズでやっているのとは違うアプローチに触れることができて、興味を持つようになりました。いわゆる自分の音楽的な視野を広げたかったということですね。

先ほどリゲティやストラヴィンスキーの名前が挙がりましたが、クラシックで言うと、他にどんな作曲家を研究していましたか?

EG:やっぱり20世紀の作曲家が多かったかなと思います。ヤニス・クセナキスとか、ミニマル・ミュージックの作曲家たち、スティーヴ・ライヒとか。あとは19世紀以前の作曲家、たとえばルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンやヨハン・ゼバスティアン・バッハ。僕がいつも立ち戻ってくる作曲家はバッハなんです。おそらく僕もピアノ奏者だからだと思うんですが、メロディーをどう作曲し、音楽をどう構築するかという点で、やっぱりバッハに戻っていく傾向はあります。

トリニティ・ラバンでは同時期に才能溢れたミュージシャンがたくさんいたとおっしゃいました。ダイナソーというバンドも、トリニティ・ラバンの同級生を中心に生まれたグループですよね?

EG:そうです。リーダーがトランペットのローラ、キーボードが僕で、ローラと僕は同級生。ドラムのコリー・ディックとベースのコナー・チャップリンは一つ下の学年です。コナーと僕はノルウェーのサックス奏者マリウス・ネセットのバンドでも一緒に演奏しています。それと僕はローラと会うことがとても多くて、なぜなら結婚しているから(笑)。それはともかく、みんな大学で出会ったんです。

僕自身の過去を掘り下げるようなもの、アルバム全体がほぼ自伝的なものになるようなパーソナルな音楽を創りたかったんです。

ダイナソーというバンドについてもう少し詳しく聞かせてください。どのようなバンドで、どのような音楽を実現しようとしているのでしょうか?

EG:基本的にはリーダーのローラが曲を書いて渡してきて、それを僕らがどうやって音にしていくのか、どうやってアプローチするのが一番良いのかを考えるというやり方です。最初の2枚のアルバムでは僕はキーボードで参加していたんですが、特に2枚目の『Wonder Trail』(2018)では、シンセ・サウンドを作ったり、どういう音が特定の状況でより効果的かを考えたりして、僕からのインプットがかなり多く入り込んだアルバムになったんじゃないかと思います。でも、基本はローラが書いた曲に僕たちが命を吹き込む、曲の中に自分たちの声を見つけ出すという作業をしていました。

トリニティ・ラバンに通っていた同世代のミュージシャンで言うと、ヌバイア・ガルシアやジョー・アーモン=ジョーンズ、モーゼス・ボイドもいましたよね。彼らはジャイルス・ピーターソンの〈ブラウンズウッド〉からリリースされた『We Out Here』(2018)というコンピレーション・アルバムに参加しています。一方でダイナソーのメンバーはそこには参加していないものの、ファースト・アルバム『Together, As One』(2016)がマーキュリー・プライズにノミネートされるなど、同じく2010年代に頭角を現したイギリスのジャズ界の新世代として注目を集めてきました。それぞれ別々の文脈で活動してきたように見えるのですが、大学時代、彼らとの交流はなかったのでしょうか?

EG:単純にこれは学年差なんじゃないかと思ってます。ローラをはじめ僕らダイナソー組に関しては、ヌバイアたちより2~3上なんですよね。なので僕らの方が先に始めて、自分たちのやりたい方向性で音楽を作っていった。それからちょっと遅れて入学したヌバイアたちの世代が、僕らとは違うものを作り始めたっていうことなんじゃないかと思う。でも狭い世界なので、もういまとなってはお互いのことをみんなが知っています。当初は、僕らはすでに音楽的に探求したい方向性を定めていたから、僕らが作ったものと彼らが作ったものとの間にクロスオーバーするところはあまりなかったけれど、お互いにだんだん一緒にやる機会も増えて、いまではお互いの音楽を聴いたりサポートし合ったりするようになりました。

もうひとつ大学関係で言うと、あなたがずっと一緒に活動しているエマ=ジーン・サックレイもトリニティ・ラバン出身ですよね。彼女とは学年が違うと思いますが、どういうきっかけで繋がりができたのですか?

EG:出会ったのはトリニティ・ラバンです。僕が学部生のときに、彼女はもう作曲の修士課程に在籍していました。で、トリニティ・ラバンで始まったロンドン・サウンドペインティング・オーケストラという即興アンサンブルがあって、そこにエマも僕も参加していたんです。他にもたくさんの人が参加していて、いま一緒に活動しているようなミュージシャンたちもいました。その後、エマがトリニティ・ラバンでの最後の演奏を終えたとき、「これから自分のバンドを始めるのだけど、一緒にやらない?」と僕に声をかけてきてくれて。それで彼女のバンドで演奏することになりました。彼女の最初のレコーディングにも参加して、僕はキーボードで、たくさんのツアーを一緒に回りました。いまでも仲のいい友だちですよ。

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『The Ruin』というタイトルは、古代アングロサクソンの詩が元になっているんですけど、廃墟や過去から何かを再構築するのがいかに難しいか、というような内容の詩なんです。それはまさに僕が考えていたことと響き合っていた。

ロンドン・サウンドペインティング・オーケストラというのはウォルター・トンプソンの発案したサウンドペインティングを取り入れたグループでしょうか?

EG:そう、よくご存じで! ピアニストで作曲家のディエゴ・ギメルスが設立した、イギリスで初めてのサウンドペインティングのオーケストラなんです。

そうなんですね。東京にもあるんですよ、サックス奏者の小西遼さんという方が立ち上げたTokyo sound-paintingというパフォーマンス・ワークショップが。ところで、あなたはジャズに限らず即興音楽のシーンでも活動しているところがユニークな点だと思うのですが、イギリスにはデレク・ベイリーやジョン・スティーヴンス、AMMなどから始まるフリー・インプロヴィゼーションの長い歴史がありますよね。どのようなきっかけでそうした即興音楽シーンでもライヴをするようになったのでしょうか?

EG:どちらかというと、僕はジャズや作曲よりもインプロヴィゼーションの方が先にありました。子どもの頃にジャズ・ピアノの先生から即興で好きなように創っていいんだということを学んだ話をしたけれど、それもジャズというよりインプロヴィゼーションの面白さに興奮したんです。すごく楽しかった。そしてその後、ロンドンに出てきてから、自由に即興演奏をするライヴが開催されていることを知りました。ロンドン・サウンドペインティング・オーケストラでの演奏体験もあり、僕はこういうことをやりたいし、これが自分にできることかもしれないと思えた。あなたがおっしゃるようにロンドンには即興音楽の非常に長い歴史があります。僕が活動を始めた頃にはデレク・ベイリーはすでにいませんでしたが、エヴァン・パーカーは健在で、たとえばマーク・サンダースのようなドラマーもいました。マークとはデュオで即興演奏のアルバム(『Weather』2017)も作りました。さまざまな出会いがあり、素晴らしい人たちが大勢いて、誰もがフレンドリーでオープンなコミュニティです。すごく寛容な人たちが多いので、楽しく活動することができていますね。

フリー・インプロヴィゼーションという観点からは、特に研究したピアニストはいますか? 一口にピアノによる即興と言ってもいろいろなアプローチがあるわけですが。

EG:たしかにいろんなピアニストがいます。フリー・インプロヴィゼーションの世界に限定しても、いろんなタイプのピアニストがいますよね。でも、さっきも名前を挙げたセシル・テイラーはやっぱり重要な存在で、彼から離れるのは難しい。彼は間違いなく素晴らしい即興ピアニストだから。もっと最近の人物だと、クレイグ・テイボーンかな。彼はインプロヴィゼーションも素晴らしいし、ソロ・ピアニストとしても優れていて、2020年に僕がリリースしたピアノによるソロ・インプロヴィゼーションのライヴ盤『Live In Paris, At Fondation Louis Vuitton 2020』があるんですけど、その時のライヴのファースト・セットはクレイグのソロだったんです。僕はセカンド・セットで、彼の演奏を観て、実際に会って話すこともできて、とても刺激を受けました。あとはパット・トーマス。彼はイギリス出身で、ピアニストとしてもインプロヴァイザーとしても素晴らしいです。

1990年代から2000年代にかけて、EAI(エレクトロアコースティック・インプロヴィゼーション)と呼ばれる即興音楽の新しい潮流が世界中の都市で同時多発的に出現し始めました。ロンドンにもマーク・ウォステルやロードリ・デイヴィス等々が登場し、尺八の演奏でも知られるクライヴ・ベル──彼はザ・コメット・イズ・カミングのドラマー、ベータマックスことマックス・ハレットの父ですね──は「ニュー・ロンドン・サイレンス」と題した記事を書いています。そうしたロンドンの音楽潮流に対する興味はありましたか?

EG:そのムーヴメントのことはわかります。ただ、僕がメドウェイからロンドンに出てきた2010年頃には、すでにムーヴメントとしては過去のものになっていました。もちろん、そのムーヴメントに関わっていたミュージシャンは当時も活躍していましたし、僕も聴いたりチェックしたりしていましたが、大きなインスピレーションを受けるほど深くのめり込んだわけではなかった。むしろ僕が意識していたのは、スティーヴ・ベレスフォードやマーク・サンダースのような人たちでした。

2011年にドイツで「Just Not Cricket!」という音楽フェスティバルが開催されました。イギリスの即興音楽をテーマに4世代にわたるミュージシャンを紹介する内容で、演奏記録が4枚組のアルバムでリリースされていますが、当時最も若い世代のひとりとして位置づけられていたのがシャバカ・ハッチングスでした。あなたはさらにその後の世代に当たるわけですが、2010年代以降のイギリスのフリー・インプロヴィゼーションのシーンがどのように変化したのか、あるいはどんなトピックがあったのか、あくまでもあなたが見てきた景色で構わないので、教えていただけますか。

EG:それは興味深い、面白い質問ですね。たくさんのトピックがありますけど……フリー・インプロヴィゼーションのことを考えると、僕らがどんな場所で音楽を演奏してきたのか、その会場のことが頭に浮かびます。たとえばボート=ティン(Boat-Ting)という、実験音楽や現代詩のカッティング・エッジなイベントがロンドンにはあって、船の上でインプロヴィゼーションをおこなうのだけど、そこではたくさんの興味深いことが起こりました。有名なカフェ・オトは、いろんな人たちがインプロヴィゼーションを介して集まる場所として、いまやとても重要な場所になっています。ムーヴメントとその変化ということで言うと、いろんな分野から背景の異なるミュージシャンたちが集まってインプロヴィゼーションに取り組んでいるのが、いまの特殊性じゃないかと思ってます。ベース奏者のカイアス・ウィリアムズ(Caius Williams)が立ち上げたイベント・シリーズがあるんですが、それなんかも本当に幅広くて。たとえばコビー・セイのようなスポークン・ワードを使うミュージシャンもいれば、マーク・サンダースやジョン・エドワーズのような少し上の世代の人たちもいて、さらにギタリスト/作曲家のタラ・カニンガム(Tara Cunningham)のような新しい才能までいる。ジャズもロックもヒップホップも、さまざまなバックグラウンドを持つ人びとがインプロヴィゼーションの場で集まり、そして集まったことによって少し変わった何かを作り出している。とても面白いことが起きていると感じています。

モジュラー・シンセに興味を持って、いろいろな実験を試していたんです。自分で組み立てて、さまざまな方法でいろいろなものと接続できるのが面白くて。

ここからは最新アルバム『The Ruin』についてお伺いします。とりわけ2018年の『The Influencing Machine』以降、アルバムごとに異なるコンセプトを明確に打ち出してきたと思うのですが、『The Ruin』はどのようなコンセプトで制作しましたか?

EG:自分の人生や世の中で起きたことに対して、自分なりに反応を示していくことを音楽でやりたいと考えるようになったのが『The Influencing Machine』の頃なんです。コンセプトを立てたり、もっと面白いことを探求したりするようになったのは、ちょうどイギリスでブレグジットが起きた直後のことでした。アメリカではドナルド・トランプが大統領に就任して、世界的に物事が変化していると感じた。だから、自分のコンセプトについてもっとクリエイティヴに反応する必要があると感じたんです。

なるほど。

EG:今回の『The Ruin』について最初に考え始めたのは、コロナウイルスによるロックダウンの終わりの頃でした。僕は「何かを作らなければ」と思った。コロナ禍によって僕の生活もみんなの人生も変わってしまったから、物事を違った視点で考えたいと思いました。そして、とても個人的で内省的なものにたどり着きました。僕自身の過去を掘り下げるようなもの、アルバム全体がほぼ自伝的なものになるようなパーソナルな音楽を創りたかったんです。実はアルバムを録音する直前に、僕が子どもの頃に初めて手にしたピアノを売らなければならない状況になって、売る前に何か形に残さなければと思い、そのピアノで即興演奏をしてiPhoneで録音しました。その録音を2年ほど経ってから取り出して、今回のアルバムの出発点として使いました。その即興演奏の録音と、自分の過去や歴史を中心にアルバム全体を構築していこう、ということがアイデアの種でした。そこから他にもたくさんのものが加わっていきました。あと『The Ruin』というタイトルは、古代アングロサクソンの詩が元になっているんですけど、廃墟や過去──過去もある意味廃墟ですよね──から何かを再構築するのがいかに難しいか、というような内容の詩なんです。それはまさに僕が考えていたことと響き合っていた。だからその詩からもインスピレーションを受けて作ったのが今回のアルバムです。

結果的に今回は、ライヴ・レコーディングだった前作、前々作とは違い、ポストプロダクションを駆使した録音作品ならではのアルバムになったと思います。そういったポストプロダクションやサウンドデザインの側面は、現代音楽由来の電子音楽/多重録音からの影響が大きいのでしょうか? それともポップスのプロダクションからの影響の方が大きいのでしょうか。

EG:それも面白い質問ですね。ある意味、両方から影響を受けていると思います。ただ実は今回、コロナ禍のロックダウン期間中に、僕はモジュラー・シンセに興味を持って、いろいろな実験を試していたんです。自分で組み立てて、さまざまな方法でいろいろなものと接続できるのが面白くて。その可能性や音を探求していくうちに、レコードでもそれを試したい、レコードではどうやったらできるだろうか、ということにも興味が湧きました。その意味ではテクノロジーがきっかけになっているとも言える。ただ、同時に、僕が聴く音楽の幅が広がっているのも事実です。コンテンポラリーなヒップホップであったり、たとえばジェイペグマフィアのような、より実験的でエレクトロニックな音作りに興味を持って、いろいろな可能性に耳を傾けるようになりました。

以前にシャバカが取り組んでいた、楽器一本、クラリネット一本で吹くインプロヴィゼーションのサウンドがやっぱり大好きで。ロックダウンを通して彼は尺八やフルートを演奏するようになりました。それは方向転換というより、僕からしたら原点回帰なんです。

『The Ruin』は、あなたのこれまでの作品の中で最もジャズ色が希薄だとも感じました。その理由のひとつがおそらくメンバーだと思います。ルース・ゴラー、セバスチャン・ロックフォード、リゲティ弦楽四重奏団、シャバカ・ハッチングスが参加していますが、なぜこれまでのトリオとは異なるメンバーで録音に臨んだのでしょうか?

EG:ドラムのセバスチャンは、彼が結成したポーラー・ベアというバンドが僕は大好きで。ベース&ヴォイスのルースは『Skylla』というファースト・ソロ・アルバムを2021年に出しているんですけど、それがとても素晴らしかった。そういった活動や作品を通じて、以前から彼らのことを愛していて、とても影響を受けてきたので、一緒にやったら素晴らしい音楽ができると思ったんです。今回はこれまでとは別のことを試したくて、一緒に演奏したことのないミュージシャンたちと組んでみたいという思いもあったので、彼らに声をかけて、インプロヴィゼーションで音楽を作っていきました。彼らが奏でる音は本当にインスピレーションに富んだもので、それを聴いた瞬間、今回のアルバムの核になると確信しました。

リゲティ弦楽四重奏団は、あなたの最初のレコーディングで共演した面々でもありますよね。

EG:そうです。彼らに今回のアルバムに参加してもらうことは早い段階から考えてました。理由はふたつありました。ひとつはいまおっしゃっていただいたように、リゲティ弦楽四重奏団はローラの最初のアルバム『Landing Ground』(2012)に参加していて、つまり僕が初めてレコーディングしたアルバムから一緒にやっていた人たちだったので、そういったパーソナルな繋がりがある彼らに今回のアルバムに参加してもらいたかった。もうひとつは自分の作曲家としての幅を広げたいということがありました。弦楽四重奏のサウンドを前提に自分で曲を作っていくことに挑戦したかったので、その点ではとても自由にそのサウンドで実験することができました。

最後の質問です。やはり聞かなければならないのはシャバカの参加についてです。彼はそれこそコロナ禍を経る中で三つのメイン・プロジェクトを停止して、サックスも手放し、尺八やフルートを演奏するという方向転換を遂げました。あなたはシャバカの最近のツアーにメンバーとして参加していますが、彼のどのようなところに魅力を感じ、今回のアルバムへの参加をオファーしたのでしょうか?

EG:もともと僕はロンドンに引っ越してきた頃にシャバカの演奏をよく聴いていました。その頃の彼はフリー・インプロヴィゼーションの文脈でクラリネットを演奏していたんです。僕が彼を知ったきっかけはその演奏で、聴き馴染んでいたのも彼のクラリネットの即興的な響きでした。その後、彼はサンズ・オブ・ケメットやザ・コメット・イズ・カミング、シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズといったグループで活躍し、サックス奏者として大々的に知られるようになっていきました。でも僕はそれ以前に彼が取り組んでいた、楽器一本、クラリネット一本で吹くインプロヴィゼーションのサウンドがやっぱり大好きで。そうした中、ロックダウンを通して彼は尺八やフルートを演奏するようになりました。それは方向転換というより、僕からしたら原点回帰なんです。フルートに戻ってきた! と思った。久々にそういう音を聴くことができて、僕はとてもエキサイトしました。インスタで彼がアップしていく映像をずっと追いかけていて、フルート一本で演奏している姿をずっと見続けてきました。それは僕の頭の中に強く刻まれていきました。そして今回アルバムを制作している途中、頭の中でそのサウンドが鳴って、これは彼に頼むしかないと思ったんです。で、シャバカに話をしたら快く引き受けてくれて、時間も惜しまず協力してくれました。彼は1日だけセッションに参加して、たくさんのデュオの即興演奏をしました。その中から1曲を選んでアルバムに収録しています。バンドに合わせてフルートを演奏している部分は、同時にレコーディングするのが難しかったので、バンドの音だけ先に録っておいて、そこに彼に入ってフルートを吹いてもらいました。たったワンテイクで素晴らしい演奏になりました。それに、シャバカとドラマーのセバスチャンには長い付き合いがあるんですよね。何年も一緒に演奏してきた間柄だったので、レコーディングは別々でも、やっぱりその関係性が滲み出ていてとても嬉しかったです。今回のアルバムにシャバカに参加してもらえて本当によかったなと思っています。

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