「Man」と一致するもの

食品まつり a.k.a foodman が〈Hyperdub〉と契約!! - ele-king

 これはビッグ・ニュースだ。サン・アロウの〈Sun Ark〉から名作『Aru Otoko No Densetsu』がリリースされ、すでに2年半ほどが過ぎている。次のアルバムはいったいいつ……と期待を募らせていたリスナーも多いだろう。フットワークに触発されながらその後、文字どおり唯一無二のエレクトロニック・ダンス・ミュージックをつくりつづけてきた文字どおりの異才、食品まつり a.k.a foodman が、なんと、〈Hyperdub〉と契約。7月9日に新作『Yasuragi Land』をリリースする。これは、ビッグ・ニュースだ。
 現在、新曲 “星くず展望台” が公開中。曲名どおりロマンティックな要素を持ち合わせつつも、彼らしい独特のリズムが盛大に炸裂している。この夏の必聴盤、確定でしょう。

食品まつり a.k.a foodman

名古屋在住のエレクトロニック・ミュージック・プロデューサー、
食品まつり a.k.a foodman
Pitchfork の年間ベストにも選出されるなど、
ワールドワイドな活動を続ける彼が、
レフトフィールド・ミュージックにおけるUKの最重要レーベル、
〈Hyperdub〉と契約!
最新作『Yasuragi Land』を7月9日にリリース決定!
新曲 “Hoshikuzu Tenboudai” がMVと共に解禁!

名古屋在住のエレクトロニック・ミュージック・プロデューサー、食品まつり a.k.a foodman。これまでに Pitchfork、FACT Magazine、Tiny Mix Tapes などの海外メディアで年間ベストに選出され、Unsound、Boiler Room、Low End Theory といったシーンの重要パーティーへの出演も果たしワールドワイドな活動を広げる彼が、レフトフィールド・ミュージックにおける最重要レーベル の一つ、〈Hyperdub〉と契約、最新作『Yasuragi Land』を7月9日にリリースすることが発表された。併せて新曲 “Hoshikuzu Tenboudai” のMVが現在公開中となっている。

Foodman, Hoshikuzu Tenboudai
https://youtu.be/5qUCYUI1IqA

食品まつり a.k.a foodman こと樋口貴英(ひぐちたかひで)は、名古屋市出身で、現在も名古屋を拠点に活動をしている。アーティストとしては2010年代初頭に台頭したジュークやフットワークに大きな衝撃を受け、その後の自身の音楽形成に影響を与えたという。彼が伝えているのは、ジュークやフットワークの精神と感覚であり、彼の型破りなスタイルはそれに由来するとも言える。また、他のアーティストのプロデュースも行っており、アルバムにゲスト参加している Bo Ningen の Taigen Kawabe とタッグを組んで Kiseki というデュオでの活動も行なっている。

十代の頃から人前でのパフォーマンスを続ける彼は、人と集まってジャム・セッションしていたことがこのアルバムのインスピレーションになったという。それは一人で行う制作からは得られないものであり、そこから着想を得たサウンドとフィーリングをつなげて完成したのが本作『Yasuragi Land』の核心である。

また、アーティスト名やアルバムのアートワークから想像できるように、彼は食への大きな関心を持っており、アルバムに収録したトラックタイトルにもそれが反映されている。さらに、サウナ好きでも知られる彼が定期的に通う地元の銭湯や、道の駅、パーキングエリアの食堂でのささやかな楽しみにインスパイアされた楽曲も収録されている。

ああいう所に行ったら、その場の雰囲気を楽しむことができます。自分が作りたいと思ったのは、ギターとパーカッションのサウンドを、先が見えないながらも今感じられる穏やかな社会の感覚と組み合わせた真摯なアルバム。『Yasuragi Land』はそんな ‘平穏’ な場所なんです。 ──食品まつり a.k.a foodman

今回のアルバムは〈Hyperdub〉としては珍しくベースが使用されておらず、それによって『Yasuragi Land』は爽やかで洗練された印象を与える。このハイパー・リズミック・ミュージックとも形容できる作品は、2、3のシンプルなツールを用いて制作され、リスナーに脳内でのダンス体験をもたらす。“Yasuragi” や “Parking Area” は、まるで丁寧に分解されたアコースティック・ジャズのようで、“Ari Ari” はマンガに登場するしゃっくりが飛び散ったようなディープ・ハウスだ。“Hoshikuzu Tenboudai” と “Shiboritate” はライヒのようなミニマル・ミュージックのトランス的な要素がアップデートされポリリズム化した楽曲とも表現できる。“Food Court” には機械的なリズムと素朴なメロディが入り組み、“Galley Café” ではキュートな木笛のメロディとマイクロエディットされた木製ドラムが対になっている。ヴォーカル・トラック2曲のうち、Taigen の “Michi No Eki” では、Magma の楽曲のような複雑なロックをカジュアルでデジタルに描き、“Sanbashi ft. Cotto Center” は80年代のR&Bを彷彿とさせる。アルバムを締めくくる “Minsyuku” には、ダフトパンクのトラックから拝借したようなギターが聞こえ、隙間なくもつれ合ったドラムに織り込まれている。

彼の鬼才ぶりが発揮された待望の最新作『Yasuragi Land』は〈Hyperdub〉より7月9日にリリース! 国内盤CDにはボーナストラック “Super Real Sentou” が収録され解説が付属する他、輸入盤CD、デジタルと各種フォーマットで発売される。また、輸入盤LPは8月中旬に発売される予定となっている。

label: BEAT RECORDS / Hyperdub
artist: 食品まつり a.k.a foodman
title: Yasuragi Land
release date: 2021/07/09 ON SALE
* 輸入盤LPは8月中旬発売

国内盤特典:ボーナストラック追加収録 / 解説書封入
CD予約: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11814
LP予約: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11815

tracklist:
01. Omiyage
02. Yasuragi
03. Michi No Eki ft Taigen Kawabe
04. Ari Ari
05. Shiboritate
06. Hoshikuzu Tenboudai
07. Shikaku No Sekai
08. Food Court
09. Gallery Cafe
10. Numachi
11. Parking Area
12. Iriguchi
13. Aji Fly
14. Sanbashi ft Cotto Center
15. Minsyuku
16. Super Real Sentou (Bonus Track) [国内盤CDにのみ収録]

Scotch Rolex - ele-king

 90年代シーフィール作品のリイシューがアナウンスされたばかりだけれど、10年代シーフィールのメンバーであるブライトンのシゲル・イシハラは、もともとノイズ・ミュージシャンであり、DJスコッチ・エッグの名ではチップチューンのアーティストとして知られている(『ゲーム音楽ディスクガイド』監修の hally 氏とも交流あり)。近年はワクワク・キングダムの一員としても活躍中だ。
 その彼がなんと、いまもっとも注目すべきウガンダのレーベル〈Nyege Nyege Tapes〉傘下の〈Hakuna Kulala〉から新作をリリースする(名義もスコッチ・ロレックスへと進化)。同作にはケニアのメタル・デュオ、デュマ2020年のベスト・アルバム30選出)のロード・スパイクハートも参加しているとのことで、これは聴き逃せない。超チェックです。

artist: Scotch Rolex
title: Tewari
label: Hakuna Kulala
release: April 30, 2021

tracklist:
01. UGA262000113 - Omuzira (feat. MC Yallah)
02. Success (feat. Lord Spikeheart)
03. Cheza (feat. Chrisman)
04. Nfulula Biswa (feat. Swordman Kitala)
05. Afro Samurai (feat. Don Zilla)
06. Tewari
07. Juice (feat. MC Yallah)
08. U.T.B. 88
09. Sniper (feat. Lord Spikeheart)
10. Wa kalebule
11. Lapis Lazuli (feat. Lord Spikeheart)

https://hakunakulala.bandcamp.com/album/tewari

Masahiro Takahashi & UNKNOWN ME - ele-king

 サン・アロウポカホーンティッドピーキング・ライツなどのリリースで知られるLAのレーベル〈Not Not Fun〉から、日本人アーティスト2組の新作がリリースされる。
 1組目はカナダ在住の Masahiro Takahashi によるカセット作品。さまざまな音楽や映画などからインスパイアされたアンビエント・ポップが奏でられている。
 もう1組は、やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHI、大澤悠太からなるアンビエント・メディテーション・プロジェクト、UNKNOWN ME の初のLPで、食品まつりやジム・オルークも参加している。
 どちらもチェックしておきましょう。

アメリカの〈Not Not Fun Records〉から4月30日に同時発売される、日本人アーティスト2組

◆Masahiro Takahashi / Flowering Tree, Distant Moon

カナダ在住のマルチインストゥルメンタリスト Masahiro Takahashi が、パンデミック中のトロントで1人で制作した作品『Flowering Tree, Distant Moon』を、USの老舗〈Not Not Fun レコード〉からカセットでリリース。

窓から見える花ひらく林檎の木、雅楽、移民のノスタルジア、郷愁、ジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』、アンソニー・ムーア、小泉文夫、多和田葉子などからインスパイアされた、静かでみずみずしいアンビエント・ポップ。ソフトウェアシンセサイザー、グラニュラーサンプラー、プラグインエフェクター、iPad、MIDIコントローラーとシュルティ・ボックスにより制作。空想と子守唄の間で、音楽は揺れ、輝く弧を描いて解きはなたれる。枯れた林檎の木が白く開花するまでの時間。「部屋の外の世界を夢想し、記憶の中のメロディーをたどりました」。

Japanese multi-instrumentalist Masahiro Takahashi's latest album is a meditation on seasons and distance, recorded in isolation at his temporary home studio in Toronto. Following “the coldest winter I have ever experienced,” he began crafting hushed, lush vignettes of color wheel electronics with an array of software synthesizers, granular samplers,plug-in FX, MIDI controllers, and a shruti box.

The songs sway, shimmer, and unspool in sparkling arcs, between reverie and lullaby, inspired variously by blooming apple trees, gagaku music, the “nostalgia of immigrants,” and longing for home. Flowering Tree, Distant Moon moves from soothing to surreal, a swirl of quiet melody and imagined landscapes, as transportive for its listeners as its maker: “I dreamt of places outside my room and traced the music from my memories.”

Title: Flowering Tree, Distant Moon
Artist:Masahiro Takahashi
Label: Not Not Fun
Format : Cassette Tape
Catalogue No.: NNF371
Release Date: 2021/4/30

Masahiro Takahashi マサヒロ・タカハシ

マルチインストゥルメンタリスト。ギターや鍵盤、ソフトウェアを使い、音響的なアプローチと、メロディのある音楽をつくる。2021年、アメリカのテープシーンを牽引してきた〈Not Not Fun Records〉からカセットアルバム『Flowering Tree, Distant Moon』をリリース。これまでにベルギーの〈Jj Funhouse〉をはじめ、カナダやドイツ、UK、ロシアなど海外のインディーレーベルにて作品を発表している。2019年には Takao (エムレコード)のライブメンバーとして、ララージの東京公演オープニングをつとめた。カナダ在住。
https://masahirotakahashi.bandcamp.com/


◆UNKNOWN ME / BISHINTAI

やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHI の作曲担当3人と、グラフィック・デザインおよび映像担当の大澤悠大によって構成される4人組アンビエント・ユニット「UNKNOWN ME」が、4作目となる待望の1st LP『BISHINTAI』を、米LAの老舗インディー・レーベル〈Not Not Fun〉からリリース。

都市生活者のための環境音楽であり、心と体の未知の美しさを探求する、多彩な曲調のアンビエント・メディテーション。食品まつり、ジム・オルーク、MC.sirafu、中川理沙、がゲスト参加。

The inaugural LP by Tokyo Metropolis electronica entity UNKNOWN ME, Bishintai, is a sublime synthetic suite of cosmic wellness transmissions exploring “the unknown beauty of your mind and body,” appropriately named for a kanji compound meaning “beauty, mind, body.” Crafted with software,synthesizer, steel drum, rhythm boxes, and robotic voice by the core quartet of Yakenohara, P-RUFF, H. Takahashi, and Osawa Yudai, the album unfolds like a holographic guided meditation, soothing but cybernetic,framed by subways and sky malls. Latticework electronics flicker with texture, glitch, wobble, and mirage, themed around sensory perception and body parts.

A diverse cast of collaborators assist in actualizing the collection's uniquely urban expression of new age ambient, from psychedelic footwork riddler foodman to multi-instrumentalist institution Jim O'Rourke to Japanese underground shape-shifters MC.Sirafu and Lisa Nakagawa. Although the group cites a therapeutic muse (“made for the maintenance of the minds of city dwellers”), Bishintai shimmers with an alien strangeness, too, like decentralized relaxation systems obeying sentient circuits. This is music of utopia and nowhere, channeling worlds within worlds, birthed from a sonic ethos as simple as it is sacred: “in pursuit of beautiful tones.”

Title:BISHINTAI
Artist:UNKNOWN ME
Label: Not Not Fun
Format : Record, Digital & Streaming
Catalogue No.: NNF360
Release Date: 2021/4/30

UNKNOWN ME

やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHIの作曲担当3人と、グラフィック・デザインおよび映像担当の大澤悠太によって構成される4人組アンビエント・ユニット。“誰でもない誰かの心象風景を建築する” をコンセプトに、イマジネーションを使って時間や場所を自在に行き来しながら、アンビエント、ニューエイジ、バレアリックといった音楽性で様々な感情や情景を描き出す。2016年7月にデビュー・カセット「SUNDAY VOID」をリリース。2016年11月には、7インチ「AWA EP」を、2017年2月には米LAの老舗インディー・レーベル〈Not Not Fun〉より亜熱帯をテーマにした「subtropics」を、2018年12月には同じく〈Not Not Fun〉より20世紀の宇宙事業をテーマにした「ASTRONAUTS」をリリース。「subtropics」は、英国「FACT Magazine」の注目作に選ばれ、アンビエント・リバイバルのキー・パーソン「ジジ・マシン」の来日公演や、電子音楽×デジタルアートの世界的な祭典「MUTEK」などでライブを行った。2021年4月、都市生活者のための環境音楽であり、心と体の未知の美しさをテーマにした待望の1st LP『BISHINTAI』をリリース。

interview with Tune-Yards - ele-king

E王
Tune-Yards
sketchy

4AD/ビート
※日本盤には歌詞対訳あり。

Indie RockElectronicPolitical PopSoul

 どうしたらこの社会はよくなるのだろう。こんな身も蓋もない言葉の前には、いつだってシニシズムが現れる。関係ねー、そう思ったほうが楽だろう。だが、好むと好まざるとに関わらず、ステージ上でドラムを叩きながらダンスし歌うことで知られるチューン・ヤーズのメリル・ガーバスは、そんなことを真面目に考えているインディ系のミュージシャンとして知られている。しかもその音楽はこの10年、いろんな国のメディアやリスナーから支持され続けている。チューン・ヤーズのような音楽があること自体、我々にとって幸福なことなのだから。
 チューン・ヤーズの主題は、白人至上主義、人種差別、気候変動、フェミニズム、資本主義の欠陥や都市の再開発などであって、恋愛やドラッグの話ではない。そして彼女の明瞭なオピニオンと思考の痕跡は、たいていの場合リズム主導のダンサブルな音楽とともにある。5枚目のアルバムとなる本作『sketchy』も例外ではない。前作以上に内省的な一面があるとはいえ、それでもパワフルだし、聡明で、知的で、喜ばしくもあり、ときにはアジってもいる。

 さて、メディアや芸能界、あるいはポップ音楽やアニメの世界には、おうおうにして男社会が望むであろう女が描かれている。こうした女性像、お決まりのジェンダーを破壊したのが、パンク〜ポスト・パンクの女性たちだった。ぼくの思春期は、彼女たちに教育されたと言っていいだろう(出来は悪いが、アイドルに熱をあげることもなかった)。チューン・ヤーズのメリル・ガーバスもそうした、世界が押しつける性から解放されている女性のひとりで、この話はじつはBLMにも繫がっている。

 BLMを紐解けば、その発端には奴隷貿易があり、その背後には植民地主義がある。植民地主義とは人種差別だけの問題ではない。子供から大人になる過程の青年期における教育と深く関わっている。ヨーロッパから教育を輸入した日本も同じで、それは、男はこうあるべきで女はこうあるべきだという設定のことでもある。本来ロックとはその設定を破壊する音楽であり、じっさいその役目を果たしてきた。だから過去に戻りたい人がいるいっぽうで、チューン・ヤーズのように内面化された設定を破壊して未来に進みたい人はいまもいる。

 チューン・ヤーズはしかも、軽やかなスリーヴデザインや彼らの明るい写真とは裏腹に、深い。政治をテーマにしつつ、正しいと思っていることの背後に自分を隠さない。例えば白人の特権についての考察など困難なテーマにも、真摯に向き合っている。そのことは以下のインタヴューを読んでもらえればわかるだろう。
 もうひとつ重要なのは、チューン・ヤーズは言うなれば左翼で、一貫して“ポリティカル”ではあるが、その音楽はじつにポップでもあるということだ。もう少しサウンドについて訊けば良かったと思わないわけではないが、やはりこの人たちには、BLMやトランプ、あるいはアリエル・ピンクついて訊かないわけにはいかなかった。そしてチューン・ヤーズを構成するふたり、メリル・ガーバスと彼女のパートナーのネイト・ブレナーは、彼らの葛藤もふくめ、しっかりと質問に答えてくれた。

わたしたちは「自分の近辺にトランプ支持者はいない、彼らからはかけ離れている」、そう思っているわけだけど、じつはトランプは多くの意味で真実を語っているんじゃないかと。
もちろん、ここで言うのは注意書きつきの「真実」だけどね、彼は嘘八百だし。

今日はお時間いただきありがとうございます。

メリル・ガーバス&ネイト・ブレナー:こちらこそ!

さて──(カウチに並んで座っているふたりの膝の上にペットの子犬が割り込んできてじゃれる)お、こんにちは! あなたは誰? 男の子かな、女の子かな?

メリル・ガーバス(以下メリル):(笑)女の子。

めちゃくちゃ可愛いですねー。

メリル:フフフッ!

以前にも増してパワフルな作品で、しかもより強いメッセージがあるアルバムになりましたね。アルバムの最後が叫び声で終わっているのはなぜですか? やりたいことをやった後に自然と出てしまった叫びなのかと受け止めましたが。

メリル:いや、あれはじつはわたしの妹(ルース・ガーバス)の声。彼女は素晴らしいシンガーでね。とにかく彼女のやったことを気に入ったんだ、音程を合わせる云々を気にせずに生(き)のまま、少しリヴァーブをかけた程度の彼女のヴォイスが。すごくクールな響きだと思ったし──あっ、あれにリヴァーブはかけていないっけ。純粋に彼女の声だけだ。で、あれが自分にはとても強烈に響いたし、素晴らしいと思った。あっ!(子犬が急にクッション相手に猛烈にじゃれはじめたのをあきれて眺めつつ)あー、この子、ちょっと興奮気味。クックックックックックッ!

ネイト・ブレナー(以下ネイト):(苦笑)

メリル:(ひとしきり笑いこける)……えーと、うん。とにかくあの声をちょっとフィーチャーしたいと思ったし、これといった意味/概念を持たせるつもりは自分にはなかった。それよりもっと、あの叫びの音響としての要素のほうが重要だったし、ばっちりだと思えた。(ネイトに向かって)彼も使うのがいいと確信させてくれたし。

ネイト:フフフッ!

アルバムの歌詞には直球なアジテーションが多いように思います。それというのも、やはりいまの時代状況という背景があると思います。社会的にも動乱の多い時期ですし。

メリル:うん。

アルバム・タイトルの『sketchy』は時代をスケッチする、そんな時代状況を描くということですよね?

メリル:フム。物事にひとつに限らず違った意味がいろいろある、というのはいいなと思うんだよね。で、「sketchy」という言葉だけど、いまというのはわたしからすれば、しっかり揺るぎないものとは思えないことが多い、不安定な時期であって。だから、物事は鉛筆で輪郭をざっと描いたスケッチ(素描)程度に思えるし、それだけにいまのわたしたちは未来をあまり遠くまで見通すことができずにいる、というのが背景にあるアイディア。
それもあるし、「sketchy」という言葉の使い方には「あんまり信用できない」というのもあって(sketchy=不完全な、不十分な、漠然とした等の意味もあり)。だから、「things are kinda sketchy(なんか胡散臭いなあ)」なんてたまに言うでしょ?

ああ、はい。

メリル:あんまり真剣に捉えるべきじゃないとか、眉唾ななにか、怪しいから疑ってかかれ、という。その意味合いも、このアルバムでわたしたちが取り上げた様々な事柄の多くにとてもぴったりだと思う──付け加えると、あの言葉はわたし自身にも当てはまるんだろうな!(笑)

(笑)へえ、それはなぜ?

メリル:いやだから、聴き手も疑問を抱くべきだろう、みたいな発想から来てる。歌詞はわたしの書いたものだけれども、じゃあそれを書いている主体、このわたしはどんな人間なんだ? と。その面も考慮に入れて欲しいってこと。

covid-19のパニックがはじまって1年が経ちますが、この1年は本当にいろんなことが起きました。BLMもあったし、アメリカではトランプにQアノンなどいろいろ。日本ではこの1年政府の汚職や不祥事が続き、オリンピック問題や女性差別問題もいま持ち上がっています。ほかにも香港やミュンマーの民主化を求めるデモとか、世界の北半球だけでもいろんなことが起きていますよね。全地球で言えば気候変動問題もあります。

メリル&ネイト:(うなずきながら聞いている)

こうした諸問題は、じつはひとつに繫がっているという見方もあるわけですが、いろいろあるなかで、今作がこの激動の時代とどのように絡んでいるのかを教えて下さい。

メリル:そうだな、多くの意味で願っているのは……このアルバムを書いたのはパンデミックが起きる以前のことで。アルバムを仕上げ、ミキシング・エンジニアに音源を送ろうとしていた、まさにその矢先にこっちでパンデミックがはじまった。というわけで楽曲のテーマの多く、たとえば“hold yourself”(※本作のクライマックスであるこの曲の解説は後述されています)などは、わたしにとってあれは間違いなく──もう42歳になりつつある、れっきとした大人である自分が過去を振り返るのはどういうことか、という曲で。
わたしは1979年生まれだけど、ということはあの時点でわたしたちは温室効果ガスの存在を知っていて、それが気象変動に影響する可能性も知っていた。ところが当時の権力側はそれに対してなにもしなかったわけ。それにもちろん、現在のわたしたちが未来のために進んで払うべき犠牲や変化のために下せる様々な決断、それらが起きていない点にも目を向けている。いくつかの歌はよりはっきりとジェントリフィケーション(都市の再開発)について、あるいは心の準備について歌っているし、収録曲の多くが……たとえばいま言った“hold yourself”は明確に「これ」と言う事柄について歌っている曲とはいえ、それでもなお、音楽そのものも含めて、いま現在と繫がっていて意義のあるものであって欲しいな、と。

いろんな問題やトラブルのうちのなにかひとつにフォーカスしたというよりも、あなたに興味のあるいくつかの問題やテーマ、それに対するあなたの反応が組合わさったアルバム?

メリル:(うなずきつつ)うん、それもあるし、たとえ人びとが「この問題」、「あの問題」なんて具合に箇条書きにするとしても──この国(アメリカ)では、「気象変動問題」、「人種差別による不平等」といった具合に、物事を分けて考える傾向があるんだよね。けれども、それらのじつに多くは、完全に相関関係にあって。

ですよね、こんな風に(と、両手の指を絡ませ合うジェスチャー)。

メリル:(笑)そう。

ネイト:(笑顔でうなずく)

メリル:だから気象変動ひとつを取り上げるとしても、と同時にそれは有色人(people of color)や貧しい人びとにそれがもたらすインパクトについて話すということであって。あるいは避難民、暮らしてきた土地から移動させられた人びとについて、気象変動によっていろんな社会にのしかかる重圧について考えることでもある。正直言って、そこまで含めて問題が語られるのを耳にすることはあまりない。だけどこの、「パンデミックが起きている」ということ自体、気象変動ととても密接に関わっているわけで。なのにわたしたちは、どうして我々はこうなってしまったのか、なぜここに行き着いてしまったのか? すら語り合っていないという(苦笑)。もちろん、いずれそれについて語り合わざるを得なくなると思う。でも、言い換えればそれは……好むと好まざるとに関わらず、こうした状況は何年も、というかもう数ディケイドにもわたって準備され、互いに関わり合ってきたものだ、と。で、それはこれからも続くだろう、そう思ってる。

誰だって、臭いものにはフタをして、現状や自分たちのライフスタイルを維持する方が楽ですしね。でも、変化のときなんだと思います。

メリル&ネイト:そう。

1曲目の“nowhere, man”、2曲目の“make it right.”は男性社会への怒りと女性への激励のような展開ですが、いきなりどうしてこのような出だしになったのでしょうか?

メリル:必ずしも、曲のテーマゆえにああいう出だしにしたとは思わないな。わたしたちがアルバムの曲順を決めるときに決め手になるのは、大抵はとにかく……

ネイト:……歌詞の内容よりむしろ、その曲のテンポや曲の持つエネルギーを重視する。

メリル:ある意味、理にかなっているのかも……

ネイト:そうだよ。音楽的に強烈なフィーリングのある曲は歌詞の面でもパンチがあるわけで。だから“nowhere, man”みたいな曲が最初に来る、と。

メリル:なるほど。(ネイトと分析し合うノリになっていたので、取材者に説明する姿勢に切り替えて)さて、うん、あの2曲のどちらにも、たしかにエネルギーが宿ってる。リズム面でのエネルギーがね。だから、たぶんあの2曲をオープニングに持ってきたのは、歌詞の内容云々よりも音楽的な選択だった、わたしたちはそう思ってる。

冒頭から聴き手のアテンションをがっちりつかもうとした?

メリル:そういうこと。

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言い換えれば、内在化した女性蔑視を抱えているのは、なにも男性ばかりとは限らない、ということ。
自分のなかのミソジニーの正体を見極め、それを変えていくのは難しい。

質問者(=野田)もよく妻を怒らせているので偉そうなことを言える立場ではないのですが──

ネイト:ハハハッ!

日本が男女同権に関して後進国なのは知ってますか?

メリル&ネイト:(首を横に振って)いいや。

たとえばつい最近も、オリンピック会長の女性蔑視発言が問題になりました。彼によれば「女性は喋り過ぎる」んだそうで。

メリル:ひぇーっ??(目を丸くする)

ネイト:あいたた!(驚いた表情でメリルと顔を見合わせる)

ほかにも育児休暇もほとんどの企業で認められず夫婦別姓も実現しそうにない等々、いろいろあります。

メリル:なるほど。

日本での女性に対する姿勢等については、あまりご存知ないようですね。

メリル:いいえ、知らない。知らなかったな、それは。っていうか、あなたみたいな人に教えてもらうまで、わたしたちには知りようがないし。ノー、知らなかった。

BLMにおける民衆の蜂起には並々ならぬ思いがあったと思います。というのも、あなたは、2011年の『WHOKILL』の時点で、オークランドの地下鉄で丸腰の黒人が警官に射殺された事件を問題視していましたから(※“Doorstep”でオスカー・グラント射殺事件を取り上げた)。また、今作の“silence”という曲ではGrace Lee Boggsという、ブラック・パワーとフェミニズムにも関与していた女性活動家の言葉も絡んでいるようですね。

メリル:ええ。

まずはあなたがBLMをどう捉えているのかを教えて下さい。ポジティヴな変化が起きている?

メリル:イエス! そう。猛烈にポジティヴなことだし、だからこそ、この国でじつに多くの白人がBLMに反撃し激しい巻き返しも起きているんだと思う。というのも、BLMは本当に、ものすごくパワフルで、義心から起きている運動だから。希望に満ちあふれたムーヴメントだし、真の意味での前進を達成させる方法や実際に物事を前に進めるための知恵を備えた国内のオーガナイザーや活動家たちがたくさん参加している。

なぜGrace Lee Boggsの言葉を歌詞に引用したかについてもお聞かせ下さい。残念ながら彼女のことを当方はあまり知らないので、ぜひ。

メリル:グレイス・リー・ボグスは、中国系アメリカ人の活動家。デトロイト出身、というか生涯の大半をデトロイトで過ごした人だった(※グレイス・リー・ボグス/1915−2015。中国移民二世の社会活動家/哲学者/フェミニストで、C.L.R.ジェームズやラーヤ・ドゥエナフスカヤといった社会主義理論家と活動と共にした後、同じく活動家である夫ジェイムス・ボグスと1953年にデトロイトに転居し社会運動や執筆活動をおこなった)。
 少し前に亡くなったはずで、それで彼女の作品や活動に興味を抱く人がいま増えている。でも、注目されているのは、彼女は人びとに対して相手を強く非難・糾弾する姿勢をとらないように、わたしたちの思考回路や「物事はこう変化すべきだ」という考え方に関してあまり強硬にならないようにと諭したからであって。むしろ、わたしたちが自分自身に向かって「自分がこの世界に求める変化を実現するために、自分はどう変化する必要があるだろう?」と問う行為を彼女は求めた。
 で、それはきっと、その手の「相手をやりこめる」型の非難調の政治をわたしたちは長いこと、これまでの人生ずっと目にしてきたからなんだと思う。この国では民主党と共和党がいがみ合い、二党間で意見がえんえん行ったり来たりするばかりで、実際はなんにも前に進んでいない気がする。
 で、少なくともわたしにとっては、彼女の哲学がとても魅力的なものと映るのは、「自分はどう変わればいいのか」という考え方なら、それはわたし自身の手に負える範疇だし、自分自身の変容であれば自分にもコントロールできるし、変容に自主的に集中できる。そうやって、この決して楽ではない自己改革の過程のなかにあっても、強さ、パワー、クリエイティヴィティを見つけ出していこう、と。
 それもあるし、「信じる」ってことだと思う──これは実際にわたし自身感じていることだけど、信じることがわたしたちみんなを繋げているというのかな──だから、誰もがなにかを信じて常にそれを実践していれば、もしかしてたぶん、世界も実際に変化するんじゃないか? と。そのパワーを、たとえば権力者や政党の手に委ねるのではなくて。

変化はわたしたちのなかにある。対立する意見を持つ人びとを非難するのではなく、わたしたち自身のなかから変化を作り出していこう、と。

メリル:(うなずきながら)それは“nowhere, man”みたいな曲にも当てはまる。たしかにあの曲は、誰かを非難しているように聞こえるかもしれない。でも、と同時にわたしはあの曲で自問してもいる。要するに、「女とはなんであるか」という問いに答えきれない、そんな自分のなかにあるのはなんなんだろう? という疑問(苦笑)。

(苦笑)

メリル:(笑)言い換えれば、内在化した女性蔑視を抱えているのは、なにも男性ばかりとは限らない、ということ。

そこはいまだに自分(=通訳)も葛藤します。れっきとしたフェミニストではありませんが、そんな自分でも「なんでこうなるの?」という疑問に出くわしてきました。ただ、よく考えると、女性である自分のなかにもたしかに女性蔑視は巣食っていて。

メリル:うん。

自分の考え方は生まれ育った文化や社会に形作られたものでもあるし、家族他を見て「これが当たり前だ」と思って育った面もあって、難しいです。

メリル:うん。自分のなかのミソジニーの正体を見極め、それを変えていくのは難しい。それは、わたしも同じ。

誰もがなにかを信じてそれを実践していれば、もしかして世界も変化するんじゃないか? と。
そのパワーを、権力者や政党の手に委ねるのではなくて。

E王
Tune-Yards
sketchy

4AD/ビート
※日本盤には歌詞対訳あり。

Indie RockElectronicFunkSoul

“silence”という曲、これはパート1は“when we say <we>”の副題があり、パート2は“who is <we>”ですが、歌詞にある主体のweとは、誰のことでしょう?

メリル:あの曲で発したかった疑問は……わたしたちがよく使う「we(我々)」という言葉、そこに込められた意味は何なのかを問いたかった。別の言い方をすれば……自分にもよく分からなくて(苦笑)。だから、自分の速度をゆるめてじっくり考えない限り、「自分が言う<we>は、実際は誰を指しているんだろう?」というのは曖昧で。自分の想像力のなかで、自分の考えている主体とは誰なのか。あるいは、そこに自分が含めていないのは誰だろう、という点に関してね。たとえばこっちでラジオを聞いていたとして──ラジオの提供するニュースに関してわたしたちも満足しているし、報道ももっと先進的で、「少なくとも、自分たちはフォックス・ニュースを聞いてはいないし」と。

ハハハ!

メリル:(苦笑)うん。ところが、それでもやっぱり含みはあるわけで。だから、自分たちの聞いているラジオ局で誰かが「我々(we)」という主語を発すると、いまの自分はつい耳をそばだてて「フム。ここでラジオの言っているこの<we>って、誰を指すのかな?」と考えてしまう。「we」という言葉/主体を使っているけど、それを使っているのはそれにふさわしい人だろうか? ここで彼らの言っていることは誰もを含めたインクルーシヴな意見? それとも仮定としての「we」なんだろうか? と考える。たぶん仮定の「we」のほうが多いと思うし、ということは、その「我々(we)」に含まれない人びととの間にある壁を叩き壊すことにはならない。だから、この曲の疑問を発するのは自分には重要なことに思える。とりわけいまのように、わたしたちが地球の未来を決めつつある段階ではね。誰について、そして誰のために発言しているのか、それを常に自覚する必要がわたしたちにはあるんじゃないか、と。

“hold yourself”の歌詞の根底にあるのは、白人文化の過去に対する批判、もしくはあなたの親の世代による一種の裏切りに対する眼差しですよね? この曲で言いたかったことを説明してもらえますか。

メリル:そうした思いは、間違いなくあの曲に含まれてる(苦笑)。ただ、話しにくいテーマなんだよね、わたしは両親を心から愛しているし、べつに親に「裏切られた」と思ってはいないから。でも……たぶん、自分たち自身も──わたしたちに子供はいないけど、なろうと思えば親になっていてもおかしくない、そういう年代に自分たちも達した。で、おそらく人生のそういう一時期に入ったことで、「親だって子供」という概念を理解できるようになったんじゃないかと。この歳になっても、この世界について知らないことがまだ山ほどあると感じる自分がいるんだし(苦笑)、それを思えば自分の親だってわかっていなくて当然。自分に子供がいたとしたら、子供はわたしを見て「親だから、わかってやっているんだろう」とお手本にするだろうけど、じつはそんなわたしにもまだ理解しきれちゃいない、という。

(苦笑)ですよね。

メリル:フッフッフッフッフッ! というわけで……その意味では正直、少し悲しみも混じる。だから、あの曲で歌っているフィーリングの大半、わたしからすればそれは、悲嘆ってことになる。それくらい、「もう取り返しがつかない、手遅れだ」と感じるものがたくさんあるってことだから。そう感じるくらい、わたしたちはいろんなものを壊滅してきてしまったんだ、という。(苦笑)ぶっちゃけ、そうでしょ。それに、無力感もあると思う。自分たちに子供はいないけど、普段からキッズとたくさん接しているし、子持ちの友人も多い。だから、感覚としてはこう……なにかが起きつつある場面をスローモーションで眺めている感じ。大災害が起こりつつあるのを低速で見ている。

ネイト:うんうん。

メリル:夢のなかで悲劇がゆったり展開していくのをただ眺めている、みたいな。でも、夢だから自分には手の出しようがない、悲劇が起こるのを食い止めることはできない。そういう感覚があの曲にはある。

ほんと悲しいですね、それは。

メリル:うん、ほんとそう。

でも、これまでもそうした無力さを感じて悩んだひとはいたと思います。それに、たとえばBLMを見ていると、若い世代に限っていえば、そうした社会的な意識はそうとう更新されているように思いました。報道を見ていると、若い白人のキッズが多くBLMに参加していて、旧世代よりも団結心がありそうで。そこに希望が持てます。

メリル&ネイト::うん(うなずく)。

去年の10月のアメリカ人ライターのラリー・フィッツモーリスとの取材で、あなたの政治意識が若い頃から芽生えたことや、ブレヒトの人生に関する本を読んでいること、マルクス主義や共産主義について話している記事を読みました。

メリル:うん。

では、音楽の分野において、あなたが政治的に信頼を寄せているミュージシャンに誰がいますか?

メリル:ああ……その質問は楽じゃないな(と考えつつ)。たくさんい過ぎて「このひと」と特定しにくいから。わたしたちの音楽仲間のじつに多くが同じような思いを共有しているし、この世界で正義と平等とが実現するのを求めていて、気象変動問題にも対応している。うん、だから……(苦笑)たぶん、アメリカってこうなんだろうな。要するに、自分の生活する狭い範囲、その範疇ではほとんどの人間が自分と同じように考えている、と。となるとそこで生じる問題は、では、自分と同じ考え方をもたない人びとと会話を交わし、彼らと相互交流するにはどうすればいいのか?ということで。そうは言っても、もちろん、オークランド(※メリルとネイトが暮らす米西海岸の都市)もすごく多様だけどね。たとえば、そのなかでも非常に「進んでいる」とされるエリアですら、やっぱりトランプ支持者はいるし、彼らはいまどう感じているのやら、想像もつかない(苦笑)

(笑)

メリル:(笑)でも、いわゆる「先進的なムーヴメント」のなかですら──それはそうよね、異なるアプローチや視点があるんだし。ただ、そんなわたしたちは白人的過ぎる。大卒の学歴があり、アート系のキャリアを築いている、そういう人が多いし……だから、わたしたち(=高学歴の白人)こそ多くの人びとにとって問題だ、という(苦笑)。

いや、必ずしも問題ばかりだとは思いませんが。

メリル:うん、もちろん。ただ、わたしたち自身、自分たちのいま暮らしているこの地域のジェントリフィケーション(都市の再開発)の一端を担っているわけで。その責任を、わたしたちは問われるべきだと思う。

ロンドンからこのZOOM通話に参加していますが──

メリル:えっ、そうなんだ?!

はい。たとえばわたしの暮らす南ロンドンも、以前は荒っぽいとされていましたが、ジェントリフィケーションが進んで小じゃれたコーヒー店やクラフト・ビールのお店等々が増えて中流階級の住民が流入しています。

メリル:なるほど。

おかげで、治安はよくなったかもしれません。ただ、主に貧しい人びとが住んでいたエリアとそのコミュニティが乗っ取られたという感覚はありますし、そんなことを言っている自分もジェントリフィケーションの一因かもしれませんし。

メリル:日本でも起きている?

日本でもジェントリフィケーションは起きているでしょうね。というか、世界的な現象なんじゃないでしょうか?

メリル:ああ、そうよね。

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チューン・ヤーズをはじめた当時、わたしはアフリカ音楽ばっかり聴いていたのが大きい。
自分が内面化していたのはアフリカ音楽とそのリズムだった。
たとえば“Bizness”は明らかにフェラ・クティとトニー・アレンに多くを負っている。

ちなみに、パンク・ロックからの影響は? あなたたちのバックグラウンドはパンクやインディペンデントなDIYカルチャーにあると思っています。パンクやその周辺のDIYコミュニティは先進的な思想を掲げ、人びとを啓蒙しようとし、社会における不平等とも闘ってきました。あなたたちも強く影響されましたか?

メリル:……たぶん、ネイトはこう答えるんじゃないかな──

ネイト:(苦笑)

メリル:(笑)──パンクから、音楽的にはべつに影響されてない、って。ただ、精神性という意味ではイエス、影響された。パンク・ロックはそれほどがっつり聴いているわけじゃないんだ。ふたりとも、正直そんなに聴かないし……いや、そうは言ってもラモーンズの曲は聴いたことがあるし、ザ・クラッシュの音楽はよく聴く。ただ、それだって自分にとっては、クラッシュを聴くのは彼らがレゲエを取り入れていたからであって。

ネイト:そうだね。

メリル:彼らはそうやって、ほかの音楽伝統の数々を自らの音楽に含めていたし。だから、パンク・ロックおよびそのDIYな精神については、たしかに自分も影響を受けたと思う。そうは言っても、アメリカのパンク・シーンの多くは白人が圧倒的に大多数を占めることが多く、ゆえにそれぞれ問題を抱えていた、そこは承知しているんだけどね。ただ、あの「パワーは自分たちの側にある」というパンクの気風とか、巨大な力を持つ大企業に支配されずにリリースされた唯一の音楽だったこと、そして金銭目当てではなくたってポピュラーな音楽を作ることはできると教えてくれた、そういった意味では、うん、パンクは確実に、わたしの信条システムのなかに大きな位置を占めている。

なるほど。はじめてチューン・ヤーズを聴いたときはザ・スリッツを重ねてしまったので、ポスト・パンクに影響されたのかな? と思ったんです。

メリル:うんうん。わたしの耳を通過してきた音楽はたくさんあるし、きっとそのなかにスリッツも混ざっているんだろうな。それもあるし、単に「美しい」だとか、「天使のような歌声」と形容される以外の女性の声を耳にするのって……それが誰であれ、「女性の声はこういうもの」と普通思われているものとは違う歌い方をする女性シンガー、大声で張りさけぶひとたちは(笑)、わたしにはとても大切な存在。

アフリカのリズムを取り入れるきっかけはなんだったんでしょうか? またどうして自分の音楽にパーカッシヴな律動を取り入れたいと思ったのですか? 

メリル:べつに「そうしよう」と決めてやったことではなくて……いまあれをやろうと思ったら、たぶん二の足を踏むだろうな。それくらい、(アフリカン・リズムを白人が取り入れるのは)問題をたくさん引っ張り出す行為だから(苦笑)。
でも、それよりむしろ──チューン・ヤーズをはじめた当時、わたしはアフリカ音楽ばっかり聴いていたのが大きい。自分が消化し内面化していたのはアフリカ音楽とそのリズムだった。たとえば“Bizness”(『whokill』収録)は明らかにフェラ・クティとトニー・アレンに多くを負っているし、ほかにもいろいろある。ああ、もちろん『Nikki Nack』(2014)も。あのアルバムはとくにそうだな、実際にハイチに行ってハイチ音楽とダンスを習った上で、現地の音楽を学んだことで生まれたレコードだから。でも、意図して取り入れたのではなく、良くも悪くも、わたし自身が心から反応した音楽がアフリカ音楽だった。
それもあるし、アフリカ音楽へのアクセス路もあったから。要は、大学を卒業した頃にインターネットが存在するようになった、と(笑)。子供の頃からアフリカ音楽をいくつか聴いて育った面もあるとはいえ、目覚めたきっかけの多くはやっぱり、インターネットの登場以来もっと多くの音楽に触れることができるようになった、そこだろうな。でも──うん、さらに付け加えれば、わたしたちのどちらも、主にアフリカン・ディアスポラによる音楽を聴きながら育ったわけで。それはニューオーリンズ産の音楽かもしれないし、ジャズかもしれない。マリやナイジェリアの音楽、ジャマイカの音楽等々にハマっていったし……。うん、そういった音楽にわたしはとにかく、常に惹き付けられてきた。本当に、ごく若い頃からね。

それはもしかして、あなたはダンスが好きだからでは?

メリル:ああ、たぶんそう! アッハッハッハッハッ! たしかに、踊るのはずっと好きだから(笑)。

アメリカのことで、今回あなたに訊きたかったことがひとつあります。1月のトランプ騒動(議会乱入事件)の際にアリエル・ピンクもワシントンに出向き、トランプ応援を表明しましたよね。

メリル&ネイト:ああ……(顔をしかめる)。

音楽コミュニティ、とくにインディ音楽シーンの住人はまず反トランプ派だろうと思っていたのであれはかなりショッキングだったんですが、なぜ彼のような人がトランピストになるのか、あなたの意見を聞かせて下さい。

メリル:……(フ〜〜〜ッと大きく息をついて考え込み、ネイトと顔を見合わせる)

ネイト:……ぼくにもさっぱりわからない。不思議に思う、っていうか、同じ質問を自分自身に「なんで?」と尋ねているくらいで。

メリル:(苦笑)

ネイト:(苦笑)

メリル:答えるのは難しいな。ほかの誰かさんの頭のなかがどうなっているかを勝手に憶測したくはないし。ただ、ひとつ思うのは、わたしたちは……フム、これはどう言ったらちゃんと伝わるかな?(と軽く考え込んで)……うん、だから、わたしたちは「自分の近辺にトランプ支持者はいない、彼らからはかけ離れている」、そう思っているわけだけど、じつはトランプは多くの意味で真実を語っているんじゃないかと。彼は形式張らずに言いたい放題で、この、一種の──いや、もちろん、ここで言うのは注意書きつきの「真実」だけどね、彼は嘘八百だし。けれども彼は……

ネイト:……彼はそれこそ、もうひとつのリアリティを作り出してしまったって感じがする。だから、彼の支持者になると、その人間は彼の言う何もかもを鵜吞みにするようになり、メディアの報道は一切信じなくなる。大統領選で彼は破れたわけだけど、そのオルタナティヴなリアリティのなかでは勝ったことになっている、と。深くハマっていけばハマっていくほど、人びとは彼の言葉に心酔しのめり込み、完全に彼を支持するようになる、みたいなことだと思う。彼らの見方だと、実際のリアリティ/現実がちゃんとあるのに、彼らにとってそれはぜんぶ嘘だ、ということになって……(首を横に振りながら)いや、ぼくにもさっぱりわからないんだけどさ!

メリル:(吹き出す)クハハハハハッ!

ネイト:ただまあ、そんな風にいったんワームホールにものすごく深く、深く落ち込んでしまうと、突如として別の場所に抜ける、みたいなことじゃないかと。そこでは真実は何なのか、リアリティは何なのかがもはやわからなくなる。上昇が下降になり、下降しているつもりが上昇していたり、いわばあべこべの世界という。

メリル:(話し出そうとして)ごめん、発言を中断させた?

ネイト:いいよ、気にしないで。

メリル:いや、わたしにもひとつ言わせて。考えるんだけど……というか、つい思ってしまうんだよね……真実やなにかを想像し責任を負うことって、とりわけ白人男性にとっては、難し過ぎてやれないことなのかな? って──(「白人男性」に含まれるネイトに向かって)いや、あなたは除くから安心して。

(笑)

メリル:ただ、白人男性はいまや様々な批判にさらされているわけで。たとえば“nowhere, man”でわたしが取っ組み合っている疑問は、あなたはどんな風に──というか、自分を例にとって言うと、白人としてのこのわたしは、自分の生きるこの社会、そのすべてが自分(=白人)のために築かれたものであるという現実、それをどう受け止めるか? ということで。で、トランプが白人男性に対して──もちろん白人男性以外にもたくさんいるけど、彼がとくに白人男性層に向けて言っているのは「現実は悲惨過ぎる。事態がこんなにひどいなんてあり得ない、嘘に違いない。だからわたしの言うことを信じなさい」みたいなことで。
で、そういうひとたちが考えるのは……自分の環境を支配すること、そこなんだと思う。いまは生きているのがおっかない、本当におそろしい時代だし、だからこそ自分自身の引き起こしてきたいろんな破滅・破壊や苦痛の数々を自覚し脅威を感じるよりも、むしろ自分なりのこの世界の理解・把握にしがみつくことを選ぶ、そういう人びとが一部に出て来るんだろうな。

E王
Tune-Yards
sketchy

4AD/ビート
※日本盤には歌詞対訳あり。

Indie RockElectronicFunkSoul

最後の質問というかお願いですが、“be not afraid.”に込めたあなたの思いについて話してもらえますか?

メリル:あれは……(ネイトに向かって)音楽的なフィーリングでなにを表現したかったか、覚えてる?

ネイト:(おどけた表情で「思い出せない」という仕草)

メリル:フッフッフッ!……あの曲のヘヴィなドラム・ループが本当に気に入ったんだ。どこかしらこう、地に足の着いた感覚を抱くし、たくさんの人間があのループに合わせて行進できそうな、そんな気がした(笑)。歌詞の面で言えば、あれはわたしからのお願い、でしょうね。あの曲で、わたしは自分をもっと責任を問われるポジションに置いていて、進んで責任を問われたがっている。自分の周囲にいる愛する人たち、彼らに、これまでわたしがどんな風に彼らを傷つけてきたか、それをわたしに教えてもらいたいと思ってる。
それにあの曲の多くには、いままさに大きくなっている子供たちに向けたもの、というフィーリングもあって。彼らに対して「いいよ、はっきり言ってくれて大丈夫。わたしは批判を受け止められるから」と呼びかけている、みたいな。これまで自分が数多くの害と破壊を引き起こしてきたことは自覚しているし、あなたたちの未来をより困難にしているもの、自分がその一端を担ってきたのはわたしも承知しているから、と。
だからあの曲は、そういう決して楽ではないことをやろうという誘いだし、耳に痛い言葉を聞かせてちょうだい、と招いている。どうかあなたの言葉を聞かせて、我慢して内にため込んだりしないで欲しいし、わたしに直球でぶつけてくれていいんだよ、と。

質問は以上です。今日はお時間いただき、どうもありがとうございます!

メリル&ネイト:こちらこそ、ありがとう!

新作をわたしもとても気に入っていますし──

メリル:ありがとう。

──あなたたちが再びツアーできる日が来るのを祈っています。

メリル:同感〜〜〜っ! ほんとそう! ともあれ、起きて取材に付き合ってくれて本当にありがとう。ロンドンでしょ? そっちはいま何時?

えーと、午前1時45分です。

メリル&ネイト:(仰天した表情で口々に叫ぶ)えええぇーっ!? まさか!

(苦笑)

メリル:そうなんだ? なんてこと……(とひたすら申し訳ない表情)

いや、よくあることなんで。あんまり気にしないでください。

メリル:本当に、本当にありがとう。
(子犬がまたもふたりの膝に飛び乗って画面に割り込み、大あくびする)

(笑)遊んでもらいたいみたいですね。じゃあこのへんで。

メリル:(子犬を愛おしげに眺めて笑顔)クックックックッ!

さようなら、お元気で!

メリル&ネイト:ありがとう! おやすみなさーい!

Jlin × SOPHIE - ele-king

 ポーランドで毎年開催されている音楽とアートの祭典《Unsound Festival》が、初めてのアルバムをリリースした。
 おもに同フェスに関わってきたアーティストたちによる楽曲が収められており(どれもパンデミックに対する応答として委嘱された作品のようだ)、エッセイや詩、小説などから成る325ページにもおよぶ本とのセットも用意されている。
 冒頭のクリス・ワトソンにはじまり、ニコラス・ジャーベン・フロストムーア・マザーディフォレスト・ブラウン・ジュニアティム・ヘッカーなど、強力な面々が大集合しているが、目玉はやはりジェイリンソフィーのコラボだろう。
 ほかにも上海の 33EMYBW、スウェーデンの Varg²™、ナイロビのスリックバックなど、近年要注目のアンダーグラウンドの精鋭たちが参加しており、ショウケースとしても楽しめる内容になっている。ヴァイナルは4月16日に発売。

Various
Intermission
Unsound Festival
March 5th, 2021

01. Chris Watson - Unlocked
02. Bastarda - Aperte
03. Slater, Guðnadóttir, Grisey - Happy, Healthy, Safe
04. mixed by Nicolás Jaar - Aho Ssan, Angel Bat Dawid, Dirar Kalash, Ellen Fullman, Księżyc, Laraaji, Nicolás Jaar, Paweł Szamburski, Resina, Rolando Hernandez and Wukir Suryadi - Weavings (Part 1)
05. Zosia Hołubowska and Julia Giertz - Community of Grieving (Part 1)
06. Ben Frost, Trevor Tweeten & Richard Mosse - Fire Front near Humaitá (excerpt from Double-Blind)
07. Lutto Lento - Good Morning Go Tears
08. Jlin X SOPHIE - JSLOIPNHIE
09. 33EMYBW - The Room
10. Varg2™ & VTSS - VARGTSS2
11. Moor Mother & Geng - This Week
12. Slikback - ZETSUBO
13. DeForrest Brown, Jr. & James Hoff - Project for Revolution in New York
14. Tim Hecker, Agata Harz & Katarzyna Smoluk - Demeter & Johannes' Song of Pandemia
15. Jana Winderen - re_Surge

https://unsoundfestival.bandcamp.com/album/v-a-intermission

変遷する阿部薫のサウンド像について - ele-king

 3月3日にLOFT 9 Shibuyaで伊基公袁(イギー・コーエン)監督のドキュメンタリー映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』がプレミア上映された。30分に満たない短編映画であり、阿部薫本人の映像は登場しないものの、さまざまな立場の人物による証言から稀代のサックス奏者を新鮮な視点で照らし出す、きわめて現代的な作品に仕上がっていた。


阿部薫の実家には遺影が飾られている。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 映画は軋るようなサックス・サウンドを彷彿させる走行音が鳴り響くなか、列車に揺られて阿部薫の墓所へと向かうシーンから幕を開ける。カメラはその後、神奈川県川崎市にある実家を訪ね、住宅の一室で実の母・坂本喜久代が息子との思い出を振り返るシーンを映し出していく。いまやオリジナル盤が70万円もの高額で売買されているというレコード『解体的交感』の元になった同名コンサートに親戚一同で足を運んだ話。あるいはライヴのフライヤーやチケットなどが几帳面にファイリングされている様子など、ここで浮かび上がってくるのはことあるごとに神聖視されてきた伝説のミュージシャンではなく、ごく普通に親の愛情を受けて育った一人の人間の姿だ。一方、映画の節々には2015年に新宿ピットインで開催された阿部薫トリビュート・イベントの記録映像が挿入されており、大谷能生、大友良英、纐纈雅代、竹田賢一、吉田隆一らさまざまな世代の5名のミュージシャンによるトークとライヴがモノクロームの映像でテンポよく流される。阿部薫とは同時代を生きた存在であり、あるいは多大なる影響をもたらした先達であり、あるいは音楽的な分析対象でもあるといったふうに、それぞれの立場によって異なる人物像が形成されていく。映画の終盤では阿部薫のサックスの音源が繰り返しループされたあと、サンプリング・コラージュの様相を呈しつつ、突如として小さな子供が玩具のサックスを吹きながら遊ぶシーンへと移り変わって幕を閉じる。映画内で吉田隆一は阿部薫について「自分のやりたいことに特化して、そのための技術を身につけた人」と評していたが、ジャズをはじめとした既存の音楽語法を習得することだけが「技術」ではないことを考えれば、たしかに阿部薫は、彼にしか出すことができない音のために完璧な表現手段を身につけた、きわめて技巧的なミュージシャンだったと言える。だが同時にそのサウンドは、あたかも列車が軋む走行音=環境音や、子供が無邪気に遊びながら玩具のサックスを吹く音と、ほとんど等しい美しさを湛えているようにも聴こえはしないだろうか。あるがままの響きと原初的な音の歓びが、研ぎ澄まされた技術の果てにある極北のサウンドと重なり合うこと。


千歳飴を手に持つ幼少期の阿部薫のポートレート。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 LOFT 9 Shibuyaでは、上映前に竹田賢一と吉田隆一が短いトークをおこない、上映終了後にはライターの大坪ケムタを司会に吉田隆一、柳樂光隆、沼田順、伊基公袁らによるトーク・セッションがおこなわれた。興味深いのは、阿部薫の音楽がマーク・ターナーやジョシュア・レッドマンら現代ジャズのサックス奏者によるミニマルで抑制された音色と比べられるかと思えば、ジャンルとしてのノイズ・ミュージックを聴く耳で体験する快楽が引き合いに出され、あるいはクラシック音楽のサックス奏者であるマルセル・ミュールとの類似が指摘されるなど、ジャンルを異にするさまざまなミュージシャンが議論の俎上に載せられたことだった。1970年代に活躍した阿部薫は、いまや日本のフリー・ジャズのコンテクストのみならず、多種多様な音楽を横に並べて聴きどころを探ることができるのだ。とりわけ昨年は、論集『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』が文遊社から刊行されたほか、未発表音源『STATION '70』、『LIVE AT JAZZBED』、『19770916@AYLER. SAPPORO』が立て続けにリリースされるなど、阿部薫はここにきてあらためて注目を集めることになったミュージシャンの一人でもある。パンデミックによって音楽状況が激変したニーゼロ年代に、彼の音は、あるいはその生き方は、どのように捉え直すことができるのだろうか。そのことを考えるためにも、このタイミングで彼の音楽を振り返っておくことは有意義だろう。以下のテキストは、阿部薫が音楽活動を始めてから没後半世紀が経過した現在に至るまでにリリースされてきたほぼすべてのアルバムを、発表された順に辿り直すことによって、時代ごとにどのようなサウンド像が形成されてきたのかを素描する試みである。あくまでも素描であり、証言や資料を交えたより一層精緻な検証と考察が必要であることは論を俟たないが、少なくとも、時代ごとに異なるコンテクストで魅力を放ってきたその音/音楽に潜在する可能性は、いまだ汲み尽くされることなく未来へと開かれていると言うことはできるだろう。

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前提──録音物によって再構成されるミュージシャンの軌跡

 1949年5月3日、神奈川県川崎市出身。本名・坂本薫。68年に地元のジャズ・スポット「オレオ」でデビュー。アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地への楽旅も敢行。73年には作家の鈴木いづみと出会い、結婚。74年冬ごろから翌75年夏にかけて一時的に表舞台から姿を消し、その前後で演奏内容も大きく変化している。70年代前半はスピード感あふれるパッセージと矢継ぎ早に繰り出される洪水のような音の奔流を得意としていたものの、音楽活動を再開してからは沈黙と間の比重が増し表現的かつ即物的な音の実験へと向かうようになる。サックスやバス・クラリネット、ハーモニカといった吹奏楽器のほか、とりわけ晩年はピアノ、ドラムス、ギター、シンセサイザーなど多種多様な楽器を積極的に使用。また生涯を通じて既存の楽曲の旋律を即興演奏のなかで繰り返し取り上げ、そのバリエーションは歌謡曲 “アカシアの雨がやむとき” や童謡 “花嫁人形” からボブ・ディランの名曲 “風に吹かれて”、さらに “チム・チム・チェリー” “恋人よ我に帰れ” “暗い日曜日” “レフト・アローン” “ロンリー・ウーマン” といったジャズ・スタンダードとしても知られる作品まで多岐にわたる。1978年9月9日、前日に睡眠薬ブロバリンを98錠服用したことによる急性胃穿孔で死去──云々。

 いま現在わたしたちが阿部薫を聴くということは、粗雑に描いても以上のような情報に加えて時代状況をめぐるコンテクストを念頭におきながら彼の音楽に接することを少なからず意味している。わたしたちはいまや、発掘録音や特典盤を含め50枚以上のアルバム、あるいは同時代を生きた関係者の証言、批評家が残したテキスト、ファンのエッセー、さらには幼少期から晩年までを断片的に写し取った写真や演奏する姿をありありと観察することのできる映像まで、膨大な情報を参照することによって、それなりの精度で阿部薫という一人のミュージシャンの足跡を辿り直すことができる。データ化された彼の情報を縫合することによって、あたかも同時代を生きているかのようにリアルな感触をともないながら彼の音楽を再構成してみせることができる。なかには稲葉真弓の小説そして同書を原作にした若松孝二監督の映画『エンドレス・ワルツ』のように、虚構を織り交ぜた物語として劇的な生涯を知ることもできるかもしれない──むろん死を分割払いしていく破滅的な思想を阿部薫の音と足跡にそのまま当て嵌めてしまうこともまた現実に回収し得ない一種の虚構的振る舞いであると言えるものの。いずれにしてもそのような情報が増えれば増えるほど、阿部薫というミュージシャンの「本当の姿」すなわちその音楽の「真実」に近づくことができるように見える。

 だがしかし、このように全体像をイメージしたうえで阿部薫の音楽に接するということ自体が、彼の死後半世紀近く経過し、数多くの資料に容易にアクセスできるようになった現在であればこそ経験できる出来事であるということには留意しなければならない。いまやわたしたちは阿部薫の名前が冠された録音作品について、それが最盛期か否か、晩年か否か、同時期に私生活ではどのような変化があったのかを知ることができるものの、少なくとも同時代にあっては、いかに彼の音楽が死の匂いを濃厚に漂わせていようとも、死の直前の演奏だとはつゆ知らずに「晩年」の音楽を聴いていただろうし、ある録音物を10年という短い活動期間の時間軸上に配置するパースペクティヴも得ようがなかったはずである。新たな情報が客観的事実の正確性をより一層高めることはあったとしても、新たな録音物が日の目を見ることは阿部薫の音楽の「真実」に近づくのではなく、むしろそのサウンド像にこれまでとは異なる視点を設けることを可能とする出来事であるに他ならない。以上のことを踏まえ、本稿ではこれまでリリースされてきた音源を彼の人生に沿ってクロノロジカルに並べるのではなく、むしろ録音物がリリースされることでどのようなサウンド像がその都度形成されてきたのかを素描するべく、三つの時代に分けて音盤を見ていくこととする。三つの時代とは、作者が存命中あるいは没後数年間を含む1970年代〜80年代前半、再評価の機運が高まった1980年代後半〜ゼロ年代前半、そして阿部薫をインターネット上に浮遊する音声ファイルの一つとして聴くことが容易に可能となったゼロ年代後半以降である*。

(註)
* なお本稿は阿部薫の完全なディスコグラフィーを目指す性格のテキストではないため、特典盤やリイシュー盤など言及していない作品もあることをここに付記しておく。また個人史ではなく録音受容史をテーマに据えているため、アルバムには録音年ではなくリリース年を年号として付している。

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同時代の響き──1970年代〜80年代前半

 阿部薫が存命中にリリースされたアルバムは数えるほどしかない。サックス奏者の高木元輝率いるトリオに飛び入り参加したトラックが収録されている『幻野』(1971年)と海賊盤の『WINTER 1972』(1974年頃)を、本人の名義が記されていないため除くのであれば、代表的なアルバムとしては音楽批評家の間章プロデュースによる『解体的交感』(1970年)と『なしくずしの死』(1976年)の2枚を挙げることができる。前者はギター奏者の高柳昌行と結成したデュオ「ニュー・ディレクション」による約1時間のセッションであり、新宿厚生年金会館小ホールで1970年に開催された同名コンサートを収録したものである。ノイジーだがフリー・ジャズ的な快楽とは異なる起承転結のない演奏が延々と続き、途中で阿部はハーモニカに持ち替え一瞬静寂が辺りを包むものの、基本的には激しい音のエネルギーが放射され続けていく。ルイ=フェルディナン・セリーヌの代表的な小説『夜の果てへの旅』の一節を朗読するミシェル・シモンの声から幕を開ける後者は、セリーヌのもう一つの代表作『なしくずしの死』のタイトルにあやかった1975年の同名コンサートと、その二日前のリハーサルを兼ねたレコーディング・セッションを収録した2枚組の大作である。音楽的な性質を帯びる前にフレーズを切断していく円熟期の阿部の演奏を捉えた貴重な記録であり、聴き返すたびに快楽のポイントが変異していくような、彼が残した作品のなかでもっとも既存の価値基準の彼岸をいくサウンドとでもいうべき、アルト・サックスとソプラニーノを用いたソロ・インプロヴィゼーションのまさに極北をいく作品である。


『なしくずしの死』

 『なしくずしの死』がリリースされた翌年の1977年から78年にかけて、やはり間章プロデュースによる海外のミュージシャンを迎えたスタジオ・セッションが録音されている。米国のドラマーであるミルフォード・グレイヴスとともにセッションをおこなった『メディテイション・アマング・アス』(1977年)は、阿部のほか近藤等則(トランペット)、高木元輝(テナー・サックス)、土取利行(パーカッション)が参加した作品だ。力強いドラミングを中心にクインテット編成で祝祭的な演奏をおこない、ミルフォードによるピアノおよびヴォイスの使用がスピリチュアルな雰囲気を醸し出すセッションのなかで、阿部はあくまでも全体のアンサンブルの一員としての役割を担っている。英国のギター奏者デレク・ベイリーが初来日した78年に録音された『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』(1978年)は、ミルフォードを歓待した国内メンバーに吉沢元治(コントラバス)を加えた計六人が参加し、ベイリーとともにデュオまたはトリオでのセッションをおこなっている。阿部はベイリー、高木とのトリオ・セッションに参加しており、同じサックス奏者である高木の演奏と比較することで阿部に独自の音の鋭さと切り込みの速さがより一層際立って響いてくることだろう。なお2003年に復刻された際、全メンバーが参加したセクステット編成での集団即興がボーナストラックとして付されることになったのだが、阿部が残した音源のなかで最も多人数であろうこの演奏でも彼のサックスの鋭さと独立独歩の精神は際立っている。


のちに音盤化された1975年のコンサート「なしくずしの死」の半券。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 1978年に阿部が急逝すると、ドラマーの豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」のセッションを収録した『オーヴァーハング・パーティー』が翌79年に追悼盤としてリリースされた。ここで阿部はサックスのほかクラリネットやハーモニカ、ギター、ピアノ、マリンバなども演奏しており、まるで音遊びするかのような愉しさと、サックスだけでは決して到達し得ない音の領域を開拓する実験性を聴くことができる。81年にはデュオ作品として吉沢元治とのセッションを収めた『北〈NORD〉』がリリースされている。内容は『なしくずしの死』と同じ二種類の会場でおこなわれた演奏の記録である。静謐さのなかに一触即発の雰囲気を湛えたすこぶる緊張感あふれる音楽だ。一方で同年にリリースされた『彗星パルティータ』はソロ・アルバムで、阿部と親交の深かった劇作家で劇団駒場の主宰者・芥正彦プロデュースによる1973年の録音。70年代前半の阿部が到達した超絶的なテクニックをあますところなく収めており、高域の特殊な音響や地鳴りのような低域のノイズ、そしてフレージングの速度と、どれを取ってもきわめてレベルの高い内容となっている。さらにライヴ録音ではなく芥の自室兼劇団駒場のスタジオで録音されたということもあり、演奏がクリアな音質でダイレクトに耳に届くところも印象的だ。最後に付け加えておくと、評伝集『阿部薫1949 - 1978』(文遊社、1994年)で複数の人物が証言しているように、阿部が生きた時代にはライヴへと足を運んだ観客の一部が私的にカセットで演奏を録音し知人友人らとシェアしていた。それもまた録音物としての阿部の受容形態の一つであり、なかにはのちに発掘音源として音盤化された作品もある。

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再評価の機運──1980年代後半~ゼロ年代前半

 およそ8年の空白を経た1989年、阿部のあらたなアルバムとして、死の約二週間前の演奏を捉えた未発表音源『Last Date 8.28, 1978』がリリースされた。同時に、阿部と同時代を生きた人々の証言や資料などを収集した『阿部薫覚書』(ランダムスケッチ、1989年)も刊行。これを契機に再評価の機運が高まっていった。『Last Date 8.28, 1978』にはサックス、ギター、ハーモニカの三つの演奏が収められており、なかでも死の間際とは思えない闊達自在なサックス演奏と、タンギングを駆使した独創的なハーモニカ演奏が特筆に価する。同作品をリリースしたディスクユニオンのレーベル〈DIW〉は続けて阿部が70年代後半に頻繁にライヴをおこなっていた東京・初台のライヴ・スペース「騒」での演奏を収録した『ソロ・ライヴ・アット・騒』シリーズを1990年から91年にかけて計10作品リリース。晩年の貴重な記録であるとともに、70年代前半とは異なる沈黙と間を取り入れた減算の美学とでもいうべき姿勢を聴き取ることができる。こうした傾向は『スタジオ・セッション 1976.3.12』(1992年)にも刻まれているが、特定のスペースにおける演奏を辿り直すことができる録音としては、福島のジャズ喫茶「パスタン」でおこなわれた演奏の記録が全12枚の『Live At Passe-Tamps』(1998年)シリーズとして発表されている。同シリーズには阿部がシンセサイザーやエフェクトをかけたハーモニカ、ギター・フィードバックを駆使したライヴなど、電子音楽あるいはミュジーク・コンクレートの音像にも近い実験的色合いの濃い演奏も記録されており、サックス奏者とは異なる彼の即物的な音響現象に注目していた側面を垣間見ることができる。


『Last Date 8.28, 1978』

 〈DIW〉に加えて阿部薫再評価に貢献したもう一つの特筆すべきレーベルが、明大前モダーンミュージック店主でもあった生悦住英夫が主宰する〈PSFレコード〉である。同レーベルでは「J.I. COLLECTION」シリーズとして阿部薫をはじめとした日本のフリー・ジャズ黎明期の発掘録音を多数発表しており、『またの日の夢物語』(1994年)や『光輝く忍耐』(1994年)、『木曜日の夜』(1995年)といった70年代前半の切れ味鋭い阿部のソロ・インプロヴィゼーションの記録から、最初期の録音でありピアノとドラムスを率いたリーダー・トリオの音源『1970年3月、新宿』(1995年)、そしてかつて高柳昌行とともに「ニュー・ディレクション」として活動していたドラマーの山崎弘(現・比呂志)とのデュオを収めた『Jazz Bed』(1995年)などがリリースされている。また、やや時間をおいて2012年には「マイ・フーリッシュ・ハート」や「いそしぎ」など録音としてはあまり残っていないスタンダード・ナンバーを演奏に取り入れた『遥かな旅路』も発表。阿部は即興演奏のなかで繰り返し叙情的な旋律の歌謡曲やジャズ・スタンダード、あるいはポピュラー・ソングなどを取り上げ、あるときは原型がわからなくなるほどの解体と再構築を施し、あるときは演奏語彙のストックとしてサンプリングのように引用しているのだが、そうした彼の側面を見事に捉えた3枚のアルバムとして、1997年に徳間ジャパンのパンク/オルタナティヴ専門レーベル〈WAX〉から世に出されたドラマー佐藤康和(YAS-KAZ)とのデュオ作『アカシアの雨がやむとき』およびソロ作『風に吹かれて』『暗い日曜日』を挙げることができるだろう。

 世紀転換後の2001年には〈DIW〉から高柳昌行と阿部薫のデュオ「ニュー・ディレクション」による音源『集団投射』『漸次投射』の2枚が発表された。『解体的交感』から数日後の演奏であるものの録音状態が大きく異なり、空間に迸るノイズをリアルに刻印したサウンドは一聴するだけでも圧倒される内容となっている。この時期、評伝集『阿部薫1949 - 1978』の増補改訂版が刊行されたほか、既発音源のリイシューなども盛んにおこなわれている。あらたな音源としてはさらに〈DIW〉から『Last Date 8.28, 1978』の翌日に録音された最晩年の作品である『The Last Recording』(2003年)がリリース。「騒」のシリーズをはじめ主に70年代後半の演奏を数多く世に出した〈DIW〉と、70年代前半の録音を立て続けに発表した〈PSFレコード〉の活動は、阿部薫の音楽性の変容を音響として明らかにし、約10年という短い活動期間に一つのパースペクティヴを与えることに資しただろう。なお90年代からゼロ年代にかけては海外のレーベルからも2枚のアルバムがリリースされている。デレク・ベイリー来日時のセッションを記録した『Aida's Call』(1999年)は音質が悪いものの資料的価値はあり、終盤では間章の声も聴くことができる。一方、豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」の演奏を記録した『Overhang Party / Senzei』(2004年)は、国内でリリースされた作品と同年のセッションだが内容は大きく異なり、アルト・サックスに徹した阿部が豊住の激しいドラムスと白熱したデュオを繰り広げる様子を聴き取ることができる。

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ポスト・インターネット時代──ゼロ年代後半以降

 レコードやCDとしてリリースされた音盤は、すでにこの世を去った阿部薫の音楽を聴覚によって検証可能としたものの、数年経つと廃盤となることもあり、一般的なリスナーにとってはアクセスすることが難しい作品が多かった。しかしインターネットの普及はこうした状況を大きく変えていく。たとえば以前、とある海外のミュージシャンと会話した際、阿部薫の話題に花が咲いたことがある。その人物はアルバムをほとんどすべて聴いたことがあるというものの、聞けば自宅の近くに日本のマイナーな音盤を置いているレコード店はなく、フィジカルで所有することなくインターネットを通じて阿部薫の音源を聴き込んだらしい。たしかに骨董品として不当な高値で取引されている音盤は、マニアならいざ知らず、端的に阿部の音を聴きたいという異国の地で暮らすミュージシャンにとって、手の届く距離にあるものではないだろう。そしてそうした時代にあって阿部の音楽は否応なく音声ファイルの一つとして、伝説や物語から切り離された音響として、古今東西の音と等しくアクセス可能なものとしてインターネット上を浮遊しているのである──むろんそこにステレオタイプな日本趣味の眼差しを向けられることが皆無だとは言い切れないものの。いずれにせよかつて阿部が求めたような、既存のジャンルやイメージとしての音楽ではなく端的に音そのものであることは、いまや聴取環境の条件の一つとなっており、あらゆるしがらみから遠く離れて彼が残した音楽を聴き、演奏技術として模倣し、あるいは音響現象として検証することが可能な時代を迎えている**。


トリオ時代のニュー・ディレクションの音源は昨年『LIVE AT JAZZBED』として発掘リリースされた。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 とはいえ一方ではゼロ年代後半以降も阿部の未発表音源は続々とリリースされている。東京・八王子のジャズ喫茶「アローン」が閉店するに際してサックス奏者の井上敬三、ドラマーの中村達也とトリオでセッションした約20分間の音源が収録されている『Live at 八王子アローン Sep.3.1977』(2015年)は、つねに独立独歩の精神を貫いていた阿部の共演者とのコミュニケーションが垣間見える記録だ。たしかに相手の音に露骨に反応することはないものの、共演者と無関係に音を出しているわけではなく、互いにソロ回しをしたり相手が演奏できる間を用意したりしていることがわかる。また豊住芳三郎とのデュオ・アルバム『MANNYOKA』(2018年)は海外からリリースされた作品で、『Overhang Party / Senzei』と同じくフリー・ジャズ的な熱狂が刻印されている。そして2020年前半には3枚の発掘音源が日の目を見ることとなる。『解体的交感』直前の高柳昌行とのデュオを収めた『STATION '70』は、とりわけ1曲目 “漸次投射” の繊細な音のありようがデュオの新たな価値を照らし出している。さらにこの二人にドラマーの山崎弘を加えた編成での録音が『LIVE AT JAZZBED』で、2012年に『未発表音源+初期音源』として出された劣悪な音源の一部で聴くことのできた幻のトリオを存分に堪能できるようになった。さらに『19770916@AYLER. SAPPORO』は札幌のジャズ喫茶「アイラー」での演奏を録音したものであり、スピード感あふれるパッセージやノイジーな特殊音響、間を重視したアプローチ、あるいは既存の楽曲を引用した聴き手の記憶をまさぐるような叙情性など、サックス奏者としての阿部の魅力が凝縮されて詰め込まれた稀有な作品となっている。


『19770916@AYLER. SAPPORO』(※録音年月日は正しくは1977年9月18日)

 復刻盤を含めて阿部薫のアルバムは今後もリリースされ続けることだろう。まだ世に出ていないものの録音されているという証言が残された音源や、音盤化されることなくインターネット上で流通している未発表音源もある。だがその一方で彼の演奏を記録した音源はあくまでも有限であり、いずれはすべての録音が出尽くしてしまう日が来るはずだ。しかしたとえ阿部薫の生涯を記録したすべての音がアクセス可能となったとしても、それはそのまま彼の「本当の姿」に迫ることを必ずしも意味するわけではない。むろん事実としてより正しい情報に塗り替えられることはあるにせよ、わたしたちは聴き手としての有限な経験のうちで阿部薫の音楽を恣意的に切り取ることによってはじめて全体像を仮構することができるのであって、あらたなアルバムのリリースはサウンド像の完全性に向かうのではなく、むしろこうした切断の契機に多様性を担保するものであるに他ならない。そして彼の個人史はわずか29年間という短い尺度のなかに収めることができるのだとしても、この意味でわたしたちはこれからも録音物と阿部薫の音楽を異なるやり方で紐付けることによって連綿と受容史を紡いでいくこととなるに違いない。それは彼の音楽から価値を見出すためのあらたな基準を設定し、あるいは現在とは別種の聴き方を生み出し、さらには彼の演奏の録音を立脚点とするあらたなミュージシャンの試みを創出することへと向かい続けるだろう。

(註)
** ところで阿部薫の音楽がときに難解なものとして一般的なリスナーを遠ざけてしまうことには、少なくとも「価値基準の複数性」と「神秘化」という二種類の要因があるように思われる。前者はたとえば運指の速度やアタックの強度、ノイジーな音色など高度な演奏技術の快楽的側面に加えて、ノスタルジーを喚起させる旋律の引用や間を重視した表現主義的なアプローチ、あるいはどんな快楽にも寄り添うことのない非イディオム的な即興演奏、さらにアルト・サックスを用いた圧倒的な個性とは真反対をいくような匿名的な多楽器主義など、一つの評価軸には回収することのできない、場合によっては矛盾し得る複数の価値が彼の音楽には同居しているのである。後者については阿部薫存命中に代表作をプロデュースした間章による晦渋なテキストはもとより、80年代後半以降の再評価時代に一部の支持者が実際にライヴを経験しない限り検証不可能な現象を説明抜きで称揚したことも挙げることができる。たとえば1991年に放送された深夜番組『PRE STAGE・異形の天才シリーズ①〜阿部薫とその時代〜』で議論された「演奏していないにもかかわらず、音が出ている」というあたかも耳音響放射のような体験を「わかる人にはわかる」と片付けてしまうことは、その真偽を検証することのできない後続の世代には知り得ない「神秘」を否応なく呼び込んでしまう。そして以上のような「価値基準の複数性」および「神秘化」のいずれにおいても、一般的なリスナーが聴くことを楽しもうとするや否や「阿部薫の魅力はそんなところにはない」というエリート主義的な文言が壁のように立ちはだかってきたのである。しかし本稿で主張しているように阿部薫のサウンド像に「真の姿」などというものは存在せず、どのような価値基準の側面であっても、あるいはたとえ録音物であっても、それぞれのリスナーがそれぞれの視点から魅力を感じ取ることができるはずだ──むしろそのように非エリート主義的な開かれた音楽である点が阿部薫の最大の魅力だと言えるのではないだろうか。

Mia Doi Todd - ele-king

 90年代から活躍するシンガーソングライターであり、ビルド・アン・アークなどとのコラボでも知られるLAのミア・ドイ・トッドが新作をリリースする。芯がありつつも透き通った歌声は健在、ゲストたちも非常に豪華だ。ジェフ・パーカーにサム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、そしてララージまで。注目の1枚です。

MIA DOI TODD
Music Life

空間を浄化させる神秘的な歌声を持つ、ミア・ドイ・トッドのニュー・アルバム!! ロサンゼルスでレコーディングされたこのアルバムには、ジェフ・パーカー、マネー・マーク、ファビアーノ・ド・ナシメント、サム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、ララージ等がゲスト参加した、至福の1枚。ボーナス・トラックを加え、日本限定盤ハイレゾ MQA 対応仕様のCDでリリース!!

Official HP :
https://www.ringstokyo.com/miadoitoddml

ミア・ドイ・トッドのLAの自宅を取材で訪れたのは、もう10年以上前のことだ。カルロス・ニーニョも一緒にいた。あの頃、ビルド・アン・アークでも歌っていたミアは、特別なシンガーソングライターだった。誰もが彼女の才能を讃えていた。現在の彼女も変わることなく、ジェフ・パーカーやサム・ゲンデルら新たな仲間たちの素晴らしいサポートも受けて新作を完成させた。これは、音楽に包まれる歓びに溢れたアルバム、そう断言できる。(原雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : MIA DOI TODD (ミア・ドイ・トッド)
タイトル : Music Life (ミュージック・ライフ)
発売日 : 2021/4/21
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings (RINC76)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Tracklist :
01. Music Life
02. Take Me to the Mountain
03. My Fisherman
04. Little Bird
05. Mohinder and the Maharani
06. If I Don't Have You
07. Wainiha Valley
08. Daughter of Hope
+Japan Bonus Track

R.I.P. Bunny Wailer - ele-king

 ついにこの日が来てしまったか。2週間前にUロイの訃報を聞いたショックも冷めやらぬうちに、レゲエ史上最高のグループであるボブ・マーリー、ピーター・トッシュとのオリジナル・ウェイラーズ最後の生存者、“ジャー・B”、バニー・ウェイラー(ネヴィル・リヴィングストンOM)が浮世を去った。つまりただの訃報ではない。ひとつの歴史の終焉の知らせである。
 73歳はいかにも早いし、Uロイより5歳も若い。しかし多くのファンは、そうしたことが起きはしまいかと心配していたと思う。2年前に軽い脳卒中を起こし、昨年の夏に再度の卒中に見舞われていた。その直前の5月末、彼が長年連れ添ってきた妻が失踪したニュースが報じられ、世界中のファンが心を痛めていた。その妻は、ウェイラーズのアイランドからのセカンド・アルバム『Burnin'』の「Hallelujah Time」や「Pass It On」に作曲者としてクレジットされているジーン・ワットである。家族は懸賞金を出し、報道やSNSでも情報が拡散されるうちに夫ジャー・Bの憔悴も伝えられるようになり、その矢先の入院だった。結局、シスター・ジーンとの再会を果たすことなく、そのキングストンのアンドゥルー・メモリアル病院にてこの3月2日を迎えた。
 最初期の名義はWailing Wailersだったし、彼らはWail 'N Soul 'Mというレーベルも持った。バニー・ウェイラーは、その“嘆き悲しむ(wail)”人民の代弁者たるグループの宿命を名前に引き取り、その偉業を最後まで守り、体現し続けた人物である。そして最後の最後まで、その名の通り嘆き悲しんだ人生だったことになるだろう。

 スタジオ・ワンでのスカ期の作品『The Wailing Wailers』、また『Soul Rebels』に代表されるリー・ペリーとの名作群、アイランドからの『Catch a Fire』と『Burnin'』までのウェイラーズ期は、レゲエうんぬん以前に、全ポピュラー音楽ファンにとっての必須科目と言える。しかし、ソロ第1作、1976年の『Blackheart Man』はといえば、それもまた誰も疑う者のないルーツ・ロック・レゲエの金字塔であり、おそらくマーリーも含めたアイランド・レーベルの全レゲエ作品の中でも最高傑作と言えそうな逸品だ。その次作『Protest』は、個人的にレゲエに開眼した一作だった。レゲエのレの字も知らない時分に聴いて、雷に打たれたようなショックを受けた。そのあともウェイラーは、ルーツ・マスターでありながら、ファンクもダンスホールもラップも取り入れるオープンな音楽性で魅せてくれた。
 その反面、マーリーやトッシュのようなメディア好きのする派手な露出もキャッチーな言動もなく、目立たないところで黙々と作品を作っていた、というのが80年代までの彼に対する一般的なパブリック・イメージだろう。一説によると、ソロ・デビューから6年は本国ジャマイカでもステイジに立たず、飛行機嫌いということもあってか10年間はアメリカ公演の記録も残っていないらしい。しかし一度ステイジに立てば3時間に及ぶマラソン・ライヴを敢行し、とにかくそのショウは物凄いらしいという噂が世を駆け巡るも、ヨーロッパの地さえ初めて踏んだのが1990年、そして日本でその勇姿を拝むにはさらにもう少し待たなくてはならなかった。
 1992年だったか、93年だったかだけが今、定かではない。実現した来日公演は、東京有明コロシアムで3夜連続という、ちょっと今では考えられない規模の大イヴェントであった。前座にスライ&ロビー・ショウケイス(アネット・ブリセット、ハーフ・パイント、マイケル・ローズ)を据え、そのあとでウェイラーはスピリチュアル・ルーツ・セットとダンス・セットの2部構成で計2時間半歌いまくり、そのパフォーマンスの厚みと凄みを目の当たりにして畏怖の念に打たれつつ、食い入るように聴いた。あの3日間の屋外公演は過去に体験したレゲエ・ショウの中で最も印象深いもののひとつだ。後年パリで見たライヴ・ハウス公演は本当に3時間あったが、うち結構な時間がありがたいお説教であった。それも忘れ難い思い出だ。

 ここ最近では、アディダスのTシャツ事件が心に残っている。エイドリアン・ブートが撮影した上半身裸でサッカーに興じている70年代のウェイラーの有名な写真がある(『GQ』の〈The Last Wailer〉という記事で使われているこれだ)。アディダス社はこの半裸姿に自社のTシャツを着せたグラフイック加工を施し、それをプリントしたTシャツを製造、世界中で販売したのである。ぼくが1枚のTシャツに5千円を払ったのは人生でただの1度きりだ。しかし、のちの報道で驚かされる。そのTシャツのことをウェイラー本人が知らされていなかったのだ。彼が抗議すると、アディダス社はたった3,000USDでことを収めようとし、オリジナル・ウェイラーズ、かつ3度のグラミー受賞者に対するその不誠実な謝罪の態度に激怒したウェイラーは2013年、同社を相手どって1億USDの損害賠償訴訟を起こした。こちらも気の毒でそのTシャツを着る気がしなくなったので実害を被ったことになるが、それよりあの大企業の商品の企画から製品化までに関わった人たちが、誰もバニー・ウェイラーを知らなかったことにショックを受けた。あの大企業がグラミー受賞者の写真を本人に無断で使うわけがない。
 彼にとって自分のプライドが傷つけられたことは、ウェイラーズのレガシーに対する侮辱でもあった。加えて、知らないうちに自分が巨大多国籍企業の金儲けのタネにされていたのだ、それも“名も無いラスタ”と思われて。ジャー・Bは、気がつけば自分が「バビロンとは何か?」という問いに対する相当な模範解答の渦中にいたのである。

 それとは全く規模が違うが、ぼくにも、彼の気位の高さを個人的に実感した思い出がある。ユニバーサルからアイランド・レーベルの音源を使ったコンピレイションCDの制作を依頼された際、その1曲目に『Protest』収録の“Get Up Stand Up”を持ってこようと考えた。マーリーとトッシュの共作曲をウェイラーが歌う、オリジナル・ウェイラーズ、ひいてはアイランドのレゲエ・ラインを象徴する1曲としてだ。そして同曲を起点にしてアーティスト十数組の曲をセレクトしたが、他の全員が使用を許諾してくれたのに、バニー・ウェイラーただひとりが許可してくれなかったのである。コンピレイションなんぞに入れてくれるな、ということらしかった。お陰でアイディアをいちから練り直すことになったのだったが、彼の人となりを身近に感じられた気がして妙に嬉しかった。

 そんな風に自分の人生と作品に関してのみならず、彼がラスタファリアンとしても持っていた揺るぎないプライドは、アディダスの件と同じ2013年、レゲエ・ファン以外にも例のスヌープ・ライオンの一件で知られるところとなった。スヌープ・ドッグが改名、ルーツ&カルチャーに接近し、レゲエ・アルバムを出したときの話である。自分がボブ・マーリーの生まれ変わりだと主張し、マーリーの家族が歓迎してくれたことでその転身を正当化した。その宗旨替えについてのドキュメンタリー映画『スヌープ・ドッグ/ロード・トゥ・ライオン』まで観た上でウェイラーは、スヌープがマーリーの名を汚し、ラスタファリアンの“シンボル”の数々を商売のために不正に利用しており、その言葉にも態度にもラスタを名乗る資格など全く認められないと喝破したのであった。マーリーの家族が歓迎したというが、その家族の誰よりも前にマーリーとトレンチタウンの一つ屋根の下で暮らす家族だったのは彼なのである。その言葉のインパクトがどれだけ重たいものだったかは、スヌープ・ドッグのその後が物語っている。

 これでオリジナル・ウェイラーズはみな鬼籍に入った。いい音楽をたくさん残してくれたことに心から感謝したい(と思える人は、実はそんなに多くない)。そしてシスター・ジーンのことが心配である。認知症を患っていたらしい。ジャー・Bもバビロンにいつまでも心が残ってしまう。

interview with Smerz - ele-king

DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。(アンリエット)

 スメーツが登場したとき、多くのリスナーが惹きつけられたのは彼女たちの音楽のクールな(冷たい)感触だったのではないだろうか。重たく金属的なビート、素っ気のない電子音の連なり、体温の感じられない醒めた歌。「Okay」(2017年)と「Have Fun」(2018年)の2枚のEPは当時、インダストリアル・リヴァイヴァルとオルタナティヴR&Bの北欧からの応答といちおうは位置づけられたが、その冷ややかさはどこかミステリアスなままで、スカンディナヴィアの冬の暗がりから微笑んでいるようだった。
 ノルウェーの首都オスロで育ち、同じ高校に通っていたにも関わらずデンマークはコペンハーゲンの音楽学校で親しくなったというアンリエット・モッツフェルトとカタリーナ・モッツフェルトのふたりは、ジューク/フットワークへの共通の関心などからエレクトロニック・ミュージックに接近。両者ともプロデューサーとシンガーを兼ね、ふたりの緊密な関係性をあくまで軸としてDIYにトラックを制作していく。〈XL〉から「Have Fun」をリリースする頃には、エリカ・ド・カシエールとともにコペンハーゲンの新しいR&Bとして注目されることとなった。

 だから、期待の新星としては間髪入れずにフル・アルバムをリリースしそうなものだが、ふたりは慣習に囚われずにしばしの沈黙に突入する。3年ほどのブランクを経ていよいよ放たれたデビュー作『Believer』は、なるほどEP群からかなりの飛距離を感じさせるものとなった。
 ダークなトーンのエレクトロニックR&Bという路線は踏襲しながら、オペラやクラシック、コンテンポラリー・ミュージック的な管弦楽の要素を大胆に、しかし断片的に導入。さらにノルウェーのトラッド・フォークの引用も加わり、異形のマシーン・ミュージックが出現している。“Rain” の気だるげでミニマルなR&Bにはエキゾチックな室内楽がまとわりつき、歌を中心に置いたシンプルなピアノ・バラッド “Sonette” にもひどくアブストラクトなシンセが響いてくる。聖と俗とがエレクトロニック・ミュージックのもとで入り乱れるのはビョークの新世代的な展開とも言えるかもしれないが、しかし、スメーツにはビョークのような情熱的なエモーションはない。
貪欲な実験が立て続けに繰り広げられるアルバムのなかで、思いがけずストレートにポップな “Flashing” などを聴くとむしろ煙に巻かれたような気分になるが、サイバーな響きと北欧フォークの土着的な旋律が同座するこの曲からはアヴァンとポップの微妙な領域を進もうとする意思が感じられる。ジャンル・ミックスが当たり前になった時代に、ほかにはない配合で音楽を混ぜ合わせて新しいものを生み出そうとすること。それも、どこまでもクールに。
 すべてのクリエイションを自分たちで掌握する女性ふたりのデュオというところも現代的だし、ラース・フォン・トリアーの諸作を思わせるミュージック・ヴィデオなどヴィジュアル展開を見るとファッショナブルな存在になっていくだろうことも予感させるが、何よりもそのサウンドにおいて、『Believer』はポップ・ミュージックのこの先の可能性を静かに照らしている。

ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手。(カタリーナ)

日本では現状ノルウェー出身のデュオと紹介されることが多いのですが、現在もデンマークのコペンハーゲンを拠点にしているのでしょうか? 自分たちの意識としては、「コペンハーゲンのデュオ」というアイデンティティのほうが強いですか?

アンリエット(以下H):わたしたちはいまそれぞれ違う都市にいるのね。カタリーナはオスロにいて、わたしはコペンハーゲンにいる。どちらの都市も違った意味でわたしたちの活動にとって大切だと思う。

初めてのインタヴューですので、基本的なところから少し聞かせてください。初期のバイオを見ると、DJラシャドジェシー・ランザに影響を受けたとありますが、結成時にふたりを強く結びつけた共通のアーティストや作品はどういったものでしょうか? 音楽以外でもだいじょうぶです。

カタリーナ(以下C):かなり昔の話になるね。たくさんあるから難しいけど、デンマークの音楽をふたりでよく聴いていた。でもやっぱりDJラシャドの音楽が当時のわたしたちを象徴していると思う。わたしたちにとってすごく新しいものに感じられたし、彼の平然とした態度もカッコ良かったし、複雑なリズムで遊ぶ感じも楽しくて好きだった。

H:そうね、DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。

初期のライヴの映像を見ると、おふたりとも機材を触り、歌っていますが、楽曲制作においておふたりの役割分担のようなものはありますか?

C:楽曲制作のときの役割分担はとくにないよね。ライヴのときはヴォーカルのパフォーマンスがメインになるから、機材はバックトラックをかけるくらいしか使っていないの。今回のアルバムでは過去に作ったトラックを生演奏してみた。アンリエットはヴァイオリンを弾いて、わたしはピアノを弾いている。でもライヴのときは、できあがったバックトラックを披露するという形で機材を使っているね。

H:楽曲制作のときはまた別のプロセスで、わたしが何かひとつのことをやって、カタリーナがまた別のことをやったりという感じで進めている。そうすることによって、おたがいを補完するような音楽にしていく。だからおたがいからフィードバックを受け合っているというプロセスなのね。たとえば、カタリーナがビートを作っていたら、わたしはそこからインスピレーションを得て、何か次のことをしようと思う。それをお互いの間で繰り返してやっている感じね。

EP「Okay」や「Have Fun」の時点でスメーツの個性はかなりできあがっていたと思っていたので、『Believer』でのサウンドの拡張には驚きました。デビュー・アルバムとしては時間をかけたほうだと思うのですが、それは音楽的な関心の幅がこの3年で一気に広がったからですか?

C:そうだと思う。新しい音楽にずっとインスパイアされ続けていると、自分の作品が完成したとなかなか思えなくて。新しい発見がつねにあったり、何か新しいことをやりたいという衝動につねに駆られていると、アルバムの完成というものが見えなくなってしまう。でもそういうことをやりたいという大切な時期があったから、今回のアルバムという形になった。

H:新しい音楽を作りたいという時期がしばらくあったのよね。

C:でもアルバム制作の時期のなかにも様々な段階があったね。ひとつの時期というわけではなかった。

通訳:制作中にも複数の段階があったというわけですね。

C:その通り。

ポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつ。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。(アンリエット)

とくにEPにおいてコンテンポラリーR&Bからの影響が強いように思います。スメーツはトラックだけでもじゅうぶんに個性的で実験的ですが、ポップな歌の要素を捨てることもないですよね。スメーツにとって歌のポップさはなぜ重要なのでしょうか?

C:ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。音楽の聴き方はひとによって違うから一概には言えないけれど、個人的には、ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手だと思っている。

H:それにポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつだとわたしは思っている。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。いろいろな工夫をしてポップな音楽に仕上げていくのは楽しいよね。

ただ、歌の入っている曲においても、R&Bのヒット曲のようにエモーショナルに歌い上げないですし、スメーツにはどこか冷たさや醒めた感覚がつねにあるように思えます。この美意識はどこから来るものなのでしょうか?

C:それは意図的なものではないよ。それはわたしたちの作業の仕方から来るものなのかもしれないし、わたしたちの能力や技術によるものなのかもしれない。

H:わたしたちがインスパイアされた、ソースとなった音楽がわたしたちにそういう影響を与えて、その結果としてわたしたちの音楽にそういう雰囲気が含まれているのかもしれない。でもたしかに意図したものではないね。

C:それはパソコンで作業しているからなのかとたまに思う。パソコンだと、ピアノやギターを弾いて作曲するときとは違って、(画面を)縦に見ながら作業することが多いでしょ。でもわたしたちはその作業方法を少し変えていこうとしていて、もう少し横に進めていく感じの作業にしたいと思っている。パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがちだと思う。

リズムは初期からジューク/フットワークの影響がありますよね。あなたたちから見て、フットワークの面白さはどういったところにありますか?

C:ヒップホップと共通する要素があって、リズムがあって、とても直感的なところ。ひとを引きつける要素があるところ。フットワークは作るのが難しい部分もあるけれど、その瞬間を楽しめるし、ミックスをするのも楽しい。いいエネルギーがある。

H:難しい部分があるから、すべてを見透かすことができないというか、聴いていて毎回新しい発見があると思う。

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パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがち。(カタリーナ)

『Believer』ではオペラやコンテンポラリー・ミュージックの要素が強く入っていることが初期のEPとの大きな違いですが、これはアンリエットさんが作曲を学んでいることが関係しているのでしょうか。そうした要素を、スメーツのエレクトロニック・ミュージックとミックスしようという発想は自然に生まれたものですか?

H:いえ、その発想は、わたしが学校で学んだこととは直接的な関係はないと思う。むしろスメーツとして、いままでよりも幅広いことをやってみようというチャレンジから来ているんじゃないかな。

C:いつだったか忘れてしまったけれど、わたしとアンリエットがとても美しい音楽を聴いていて、それをとても楽しんでいたのね。そして、「このスタイルをわたしたちなりに解釈して音楽に反映させてみよう」ということになった。それがアルバムの曲になるなんてそのときは思っていなかったし、とくに何かを意図したわけではなかったんだけど、この宇宙でわたしたちが何を作れるかやってみよう、という気持ちで制作していたから。

H:でも「これからは新しいことをやろう!」というわかりやすいシフトがあったわけでもなくて。

C:楽しそうだからやってみようか、くらいの気持ちだったよね。

H:昔からそういうアプローチでやってきたんだけど、もう少し幅を広げてみようと今回は思ったんだ。

『Believer』を制作しているこの3年ほどで、おふたりが共通して強く刺激を受けたアーティストや作品は具体的にありますか?

C&H:(即答)バッハ!

C:インスピレーションとして挙げるにはリスクの高い答えかもしれないけど(笑)

通訳:バッハの音楽はタイムレスですよね、複雑なものもあるし。

C:そう! 簡単な音楽ではないけれど、バッハには強いインスピレーションを受けた。それ以外には、コペンハーゲンの音楽シーンにいる友人たちにも刺激を受けたよね。コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。

また、北欧の伝統的な文化の探究がヴィジュアル面においてもサウンド面においても『Believer』にはありますよね。これは今回、意識的にアクセスしたものなのでしょうか?

C:サウンド面は意識的なものではないね。アルバムでも、音楽のどの部分が北欧的なのかをピンポイントするのは説明しづらいと思う。でもヴィジュアル面に関しては、わたしたちが去年のロックダウンの最中に主に北欧にいて、ヴィジュアルを制作していたから、そういう選択肢を取るのが自然だった。

コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。(カタリーナ)

“I don’t talk about that much” のミュージック・ヴィデオで見られるのは、ノルウェーのハリングダンスでしょうか? 日本ではあまり馴染みがないものなのですが、どういったところにその魅力がありますか?

C:社交ダンスの一種で、どの国にもそういう踊りがあると思う。人びとが集って踊ることによってコミュニケーションを取っている。みんながその踊りという共通言語を知っているから。それってすごく美しいことだと思うのね。ノルウェーにもハリングダンスがまだあれば良いのにと思う。この要素は、パーティにもあれば良いのにと思うものだから。話さなくても、みんなといっしょにいるという一体感があって楽しめる方法。そしてみんながルールを知っている。ハリングダンスもそういう踊りで、色々なパターンに分かれているんだけど、「スプリンガード(訳注:ハリングダンスのパターンのひとつだと思います)をやりましょう!」となれば、みんなどういう動きかを知っていて、どのように踊れば良いのかを知っている。みんなといっしょになってコミュニケーションできる良い方法だと思う。ハリングダンスを通じて、自分のパーソナルな部分も表現することもできるし。そういう魅力があるね。

通訳:ではノルウェーにはハリングダンスは現在はないということですか? 昔の伝統的な踊りということでしょうか?

C:そう、昔の伝統的な踊りね。

ベンジャミン・バロンさんが監督した『Believer』の一連のヴィジュアル・イメージには、北欧の土着的な文化の要素が見られます。本作のヴィジュアル面においてのテーマはどういったものでしたか? また、それをどのように作り上げていったのでしょうか?

C:トレイラーのヴィジュアルを作ったときは、まずアルバムを聴き返して、サウンドには演劇っぽい、ドラマっぽい感じがあると思ったのね。アルバムの曲に登場する様々なシーンが感じられるトレイラーを作ろうと思った。それはより大きな物語から抜粋されたシーンなんだけどね。大きな物語というのは、スメーツの過去3年間の人生。アルバムはその一部。トレイラーはそれをさらに縮小したものということになるね。トレイラーのドラマティックな要素を活用したかった。トレイラーって、それぞれの物語の肝心な部分にすぐ行けて、何の結末も見えないじゃない? そういうのが楽しいと思ったんだ。設定に関しては、時代背景や場所がどこか分からないように、様々な要素を織り交ぜたね。

EP「Have Fun」のジャケットのイメージも強力でしたよね。シスターフッドと言うにはダークなムードもあったように思いますが、スメーツの表現と現代のフェミニズムの間にはどのような関係がありますか?

C:関係をピンポイントで説明するのは難しいけど、現代の時代において女性であることについての物語を語ることによって、フェミニズムの流れの一部という意味になると思う。わたしたちの個人的な物語を共有して、ほかのひとが共感してくれることが大切なのかもしれない。

H:いろいろな物語を共有していくことによって、人びとの視野が少し広くなれば良いと思う。

夢や期待が現実と合致するときもあればしないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態。(カタリーナ)

タイトル・トラック “Believer” は歌詞を見るとラヴ・ソングと言えると思いますが、「Believer」という言葉は現代社会を見るとどこか暗喩的な響きがあるように思えます。この言葉をアルバム・タイトルにした理由は何でしょうか?

C:夢や期待というものが、現実と合致するときもあれば合致しないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態を指している。その気持ちを総括したくて『Believer』というタイトルをつけた。

“Hester” や “I don’t talk about that much” には強力にレイヴ的なサウンドが入っていますが、レイヴ・カルチャーに思い入れはありますか?

H:レイヴ・カルチャーに強い思い入れはないけれど、コペンハーゲンには良いクラブ・シーンやテクノ・シーンがあるからそこからインスピレーションは得ている。

C:でも、昔のレイヴ音楽というか、多幸感がある感じの音楽には影響を受けているよね。

H:ユーロビートとかね。

C:そうそう、ああいう音楽には多幸感が強く現れていて、そういう要素をわたしたちの音楽にも取り入れたかった。そのような音楽が生み出す感覚というものに興味があるから。

クレジットを見るとペダー・マネルフェルト(Peder Mannerfelt)がいくつかのトラックで参加していますが、彼が本作で果たした役割はどういったものでしたか?

C:彼はわたしたちの音楽にとても良いフィードバックをくれた。完成したアルバムを通しで聴くというセッションをしたんだけど、最初にいっしょに聴いてもらったひとがペダーだった。彼の意見を聞けたのも良かったし、わたしたちも第三者といっしょに聴いたことによって、少し離れたスタンスからアルバムを聴くことができたと思う。そのときが、アルバム制作の過程におけるマイルストーンだった。彼といっしょに音楽を聴いたときに、わたしたちはアルバムを作っていたんだと初めて気づいたね。それまでは、ただいろいろなトラックを作っているという感覚だったから。ストックホルムにある彼のスタジオにはシンセサイザーがたくさんあって、“Lux” というトラックで彼はシンセサイザーを弾いてくれたり、ほかでもミキシングを手伝ってくれた。でも彼にいちばん感謝しているのは彼からのフィードバックね。

H:彼はとても良いひとで、良い友人という感じなのね。彼は外の人間だから、それが良かった。彼と過ごした1週間はとても素敵な時間だった。

現在、世界中がきわめて特殊な状況下に置かれているなかでのリリースですが、あなたたちにとって『Believer』はどのようなシチュエーションでリスナーに聴いてほしい作品ですか?

C:それはリスナーの自由だと思う。でも数多くのシチュエーションで聴いてもらえたら嬉しいね。

H:わたしも同感。わたしは洗い物をしているときに音楽を聴くのが大好きなんだ。

C:アルバムを通しで聴くように作ったんだけど、それも絶対そうしなくちゃいけないというわけでもない。でも一応、アルバムとしてまとめた作品ね。

『Believer』はスメーツが現代のエッジーなポップ・ミュージックとシンクロしながら、しかしどれとも異なる個性を見せつけたアルバムだと感じました。あなたたちにとっては、『Believer』でもっとも達成できたと思えるのはどういったことでしょうか?

C:アルバムがリリースされる前に、何を達成できたのかを答えるのは難しいけれど、わたしたちがアルバムを作ってきた過程は本当に素敵な時間で貴重だった。

H:わたしもそう思う。

C:それに、音楽を作っている過程で素敵な時間をたくさん過ごしてきたら、そこから何か良いものが生まれるかもしれないと思うのね。わたしたちがいっしょに制作をして、つねに会話をして、その会話の内容を音楽に反映できたことに満足感を得ている。それに制作中は、つねに新しいものを作りたいという欲求があって、その感覚があったこと自体に達成感を抱いているね。

H:それから、音楽を制作しているときにふたりで遊びながら演奏しているときも達成感があったね(笑)

通訳:とても楽しんで制作ができたようで素晴らしいですね!

H:次のアルバムも作るよ!

Satomimagae - ele-king

 サトミマガエ、憶えてらっしゃるだろうか? かつて畠山地平のレーベル〈White Paddy Mountain〉から作品を発表していた、あまりに独自の世界観を表現するフォークシンガーだ。安易な喩えで恐縮だが、あえてわかりやすく言えば、Grouperと比肩されうるサウンドの持ち主である。孤高の……という言葉も現代は安っぽく使われているが、彼女には相応しいのではないだろうか。
 彼女の新しいアルバムが〈RVNG Intl.〉からリリースされることになった。4月23日、タイトルは『Hanazono』。先行シングル曲「Numa」はリリースされたばかり。忘れがたい音楽が待っています。

Satomimagae – Numa [Video]

Satomimagae
Hanazono

PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-151
CD / Digital
2021.04.23
2,000yen + 税

Track List:
01. Hebisan
02. Manuke
03. Suiheisen
04. Tsuchi
05. Houkou
06. Uzu
07. Kaze
08. Numa
09. Ashi
10. Ondo
11. Kouji
12. Uchu
13. Kunugi (Bonus Track)

※日本独自CD化
※ボーナス・トラック1曲収録
※ヴァイナルはUSはRVNG Intl.、オランダはGuruguru Brainからリリース

Pre-order: https://orcd.co/r6qoo37

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