「坂本龍一」と一致するもの

R.I.P. Mark Stewart - ele-king

文:野田努

「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。

 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドファーザーだが、10代半ばのぼくにとってはファンクの先生だった。ジェイムズ・ブラウンが発明し、白いアメリカで生きる黒い人たちから劣等感を削除し前向きな自信を与えたこの決定的な音楽の語法を、ザ・ポップ・グループというバンドはパンクの文脈に流し込んだ。それだけでもどえらいことだが、ブリストルという地政学のなかで生まれたこのバンドは、実験音楽であると同時に脳内をふっとばす低音ダンス音楽でもあり、当時UKで起きていた移民文化にリンクするダブという概念もそこに混ぜ合わせたばかりか、さらにまたそこに、60年代のポスト・コルトレーンから広がる炎の音楽=フリー・ジャズにも手を染めていたのだった。

 カオスとファンクとの結合に相応しいそのバンドのディオニソスこそ、マーク・スチュワートに他ならなかった。彼らが標的にしたのは、資本主義であり植民地主義だったが(残念ながらいまや重要なトピックとなっている)、こうした政治的主張と音楽との融合において、最高にクールで、圧倒的に迫力があり、創造的で快楽的でもあったロック・バンドがいたとしたら、彼らだった。

 ザ・ポップ・グループとしてのずば抜けた3枚を残し、マークはザ・マフィアを名乗ってからもその手を緩めなかった。エイドリアン・シャーウッドとダブ・シンジケートのメンバーといっしょに録音したシングル「Jerusalem」(1982)とアルバム『Learning To Cope With Cowardice』(1983)は、〈ON-U Sound〉がダブの実験において、どこまでそれをやりきれるのかという、もっともラディカルな次元に没入していた時代の輝かしい記録である。サウンド・コラージュとダブとの境界線を曖昧にし抽象化した “Jerusalem” 、奈落の底から立ち上がるアヴァンギャルド・ゴスペル・ルーツ・ダブの名曲 “リヴァティ・シティ” はここに収録されている。

 新しい音楽のスタイルの出現をつねに肯定的に捉えていたマークが、ヒップホップを無視するはずがなかった。ザ・マフィアを経てソロ名義になった彼が最初に発表した、傑出したシングル「Hypnotized」と 『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade(民主主義というヴェイルに包まれた時代が終わりを告げようとしているとき)』(1985)は、オールドスクール・ヒップホップの拠点から、シュガーヒル・ギャングの主要バックメンバー3人を引き抜いての制作で、これらはシャーウッドのダブの新境地によってインダストリアル・サウンドのルーツにもなった。

 このように、マークや〈ON-U Sound〉系の音楽にすっかり魅了されたファンの度肝を次に抜いたのは、1987年の決定的なシングル盤「This Is Stranger Than Love」だった。エリック・サティにはじまり、粒子の粗いヒップホップ・ビートがミックスされるこの曲には、90年代のブリストルを案内することになるスミス&マイティが参加し、のちのちトリップホップの先駆的1枚としても認定されている。

 この頃、マークはハウス・ミュージックへの共感を示していた。じっさい、1990年にリリースされた『Metatron』に収録された「Hysteria」は、都内のテクノ系のパーティでもよくかかっていたし、1993年に初来日した際のステージは、その数年前まではダンス・ミュージックのヒットメイカーだったアダムスキーとふたりによるパフォーマンスだった。渋谷のオンエアーのステージに登場し、あの大きな身体を豪快にゆらしながらあちこち動き回り、胃袋のそこから鳴らしているかのような彼の独特のヴォーカリゼーションを、ぼくの記憶から消そうたって無理な話である。

 個人的な思い出を言うなら、もうひとつある。1999年の話だが、ぼくはロンドン市内の図書館に隣接した、コーヒー一杯1ポンドほどの食堂で、マークと待ち合わせて、会って、話を聞いたことがある。これにはいくつかの不安と驚きがあった。携帯が普及する以前の話なので、彼に指定されたその場所に、時間通りにほんとうに彼が来てくれるのか、行ってみなければ確認のしようがなかった。また、ぼくに言わせれば、自分のスーパーヒーローのひとりが、日本からダブについての話を聞きに来ただけの(つまり、彼の作品のプロモーションでもないでもない)小さなメディアのために、ブリストルという地方都市からわざわざロンドンまで来てくれるのかという心配も、じゅうぶんにあった。だいたいこういう場合は、せめてそこそこ気の利いたレストランでおこなうというのが、ひとつの作法のようなものとしてある。しかしカネのない学生同士が待ち合わせるようなその広い場所に、マークはぼくよりも先に来て、ひとり、どこにでもあるような丸いテーブルのイスに腰掛けていた。

 これは奇遇としか言いようがない。先日亡くなったジャー・シャカの話も、そのときマークから嫌というほどされた。〈ON-U Sound〉における実験旺盛な時代の(マークにとっての)重要な影響源のひとつは、ジャー・シャカだった。ぼくは幸運なことに、1992年と1993年にロンドン市内の公民館で開催されていたシャカのサウンドシステムを経験していたので、マークの話にすっかり納得した。なるほどたしかに、ロンドンにおけるシャカのシステムは、それ自体が実験的といえるほど、あり得ない低音とあり得ない音のバランスで、原曲をまったく別のものにしていたのである。

 彼の長いキャリアのなかで、ぼくにしてみれば、出さなければ良かったのにと思った作品もある。何年か前に、再結成したザ・ポップ・グループとして来日したこともあったが、いくらそこで往年の代表曲を演奏しようとも、初来日におけるアダムスキーを従えてのよれよれのライヴのときの異様な緊張感を味わうことはなかった。が、そう、しかそれもいまとなっては贅沢な話なのだ。

 マーク・スチュワート、ザ・ポップ・グループ、ザ・マフィア、これらの影響力はものすごいものがある。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドどころか、バースデー・パーティ(ニック・ケイヴ)のようなバンドだって、あのディオニソスがいなければ違ったものになっていただろう。

 フランツ・ファノンは、「抑圧された人たちは、つねに最悪を想定する」と言ったが、マークは逆で、未来に対して楽観的だった。新しいもの、若い才能をつねに褒め称え、あれだけ深刻な社会問題を取り上げてきたのに関わらず、よく笑う、あの豪快な佇まいの彼には、根っからの楽天性があった。いまぼくはそれをがんばって思い出そうとしているが、地のはるか暗い底から、ダブのベースとファンクの力強いリズムをともなって、彼の絶叫が呪いのように聞こえてくるのである。



文:三田格

 坂本龍一が83年に初めてラジオのレギュラー番組を持った「サウンドストリート」の第1回目を聞いていたら、『B2~Unit』を録音しているスタジオにスリッツのメンバーが毎日遊びに来るんだよと話している箇所があった。そして、お気に入りだというスリッツの曲をかける際に「ザ・ポップ・グループの兄弟バンド、いや、姉妹バンドです」と紹介し、ザ・ポップ・グループについてはなんの説明もなかった。第1回目の放送にもかかわらず、彼のラジオを聞いているリスナーはザ・ポップ・グループのことは知っていて当たり前といった雰囲気だった。ザ・ポップ・グループはその前年、セカンド・アルバムがリリースされると急に音楽誌で持ち上げられ、当時、大学生だった僕は波に乗ろうとする大人が大挙して現れたような気がしてしょうがなかった。ファーストに比べて明らかにフリーキーなセンスは薄まり、様式化が進んでいるというのに唐突に興奮し始めた大人たちの言動はどうにもナゾで、あの時のイヤな感じは40年経ってもいまだに身体から抜けてくれない。「ザ・ポップ・グループ」というネーミングがあまりにアイロニカルだったせいで、それはなおさらグロテスクに感じられ、資本主義的な文脈でアノニマスを気取ったネーミングはそれ自体がポップ・アートになっているという印象を倍増させる効果まであった。当時の音楽メディアがシーンを取り囲んでいた状況はXTC“This Is Pop”やPIL“Poptones”といったタイトルにも滲み出し、キング・オブ・ポップがトップに立つ日もすぐそこに迫っていた。ポップはもはや社会をテーマとして表現されるタームではなく、コマーシャリズムという姿勢に取って代わり、そのことに無自覚ではいられなくなった制度そのものを彼らは名乗っていたのである。消費主義が勢いを増す80年代の入り口でポップを対象化できなければ表現者の主体性が失われるという不安や焦燥をザ・ポップ・グループというネーミングは見事に集約していた。さらにセカンド・シングル“We Are All Prostitutes(私たちはみな金銭のために品性を落とす売春婦だ)”というタイトルはさすがに言い過ぎだと思ったけれど(いまだに少し抵抗がある)、ポップ・ミュージックをやるためにそこまで考えなければいけないのかという状況について認識できたことは大きかった。また、ザ・ポップ・グループについて何かを考えることはただの大学生でしかなかった僕が平井玄さんや粉川哲夫さんといった思想家たちと深夜ラジオで議論ができるパスポートになったことも僕にとっては少なからずだった。

 多大なインパクトを伴って現れたザ・ポップ・グループは、しかし、あっという間に解散してしまった。ザ・ポップ・グループはすぐにもピッグバッグとリップ・リグ&パニックに分かれてマテリアルやジェームズ・ブラッド・ウルマーといったフリー・ファンクの列に加わり、“Getting Up”や“You're My Kind Of Climate”がその裾野を大いに広げてくれたものの、マーク・ステュワートだけがどこかに消えてしまった。ザ・ポップ・グループが不在となった81年は僕にはパンク・ロックから続く狂騒が少し落ち着いたように感じられた年で、地下に潜った動きやドイツで始まった新たな胎動にも気づかず、個人的には音楽に対する興味が少し薄れた時期でもあった。日本では「軽ければ正義」といった風潮が蔓延し始めた時でもあり、TVをつければホール&オーツやシーナ・イーストンばかり流れていた。これが。しかし、82年になると様相が一変する。「破壊」と「創造」が必ずセットで訪れるものならば、82年はパンクによって破壊されたポップ・ミュージックが見事に再構築を成し遂げた年だと思えるほど、あらゆる場面に力が漲っていた。アソシエイツやキュアー、スクリッティ・ポリッティにファン・ボーイ・スリーと数え切れないアイディアが噴出し、それぞれが持っていた独自のヴィジョンはニュー・ロマンティクスから第2次ブリティッシュ・インヴェンジョンへと拡大していく。リップ・リグ&パニックやピッグバッグが先導したブリティッシュ・ファンクはディスコ・ビートとあいまってその原動力のひとつとなり、ナイトクラッビングがユース・カルチャーのライフスタイルとして完全に定着したのもこの時期である。ほんとに何を聞いても面白かった。ひとつだけ不満があるとしたら、それはダブの可能性が思ったほど翼を広げなかったことで、フライング・リザーズやXTCのアンディ・パートリッジによるソロ作など、ダブをジャマイカの文脈から切り離して独自の方法論に持ち込むプロデューサーが期待したほどは増えなかったこと。ダブよりもファンクというキーワードの方が大手を振るっていたというか。マーク・ステュワートがマフィアを率いて“Jerusalem”を投下したのはそんな時だった。

 83年に入ってすぐに輸入盤が届いた“Jerusalem”は祭りに投げ入れられた石のようだった。さらなる興奮を覚えた者もいれば、白けて避けてしまった者もいたことだろう。“Jerusalem”はジャケット・デザインがまずはザ・ポップ・グループと同じ刺激を回復させていた。紙を折りたたんだだけのジャケットもラフで無造作なら、引っ掻き傷のような文字はナイトクラッビングやニュー・ロマンティクスとは異なる文化の健在を表していた。ザ・ポップ・グループが放っていたヴィジュアルと言語による挑発はすべてマーク・ステュワートによるものだったと再確認させられた瞬間でもあり、“Jerusalem”やカップリングの““Welcome To Liberty City””などインダストリアル・ミュージックとダブをダイレクトに結びつけたサウンドは鮮烈のひと言で、カリブ海を遠く離れたダブ・サウンドがポップ・ミュージックの再構築ではなく「パンクの再定義」と評されたのもなるほどだった。様式化されたパンクやマイナー根性に支配されたアンダーグラウンドとは異なり、不遜で広く外に開かれた攻撃性はそれこそパンク直系であり、アソシエイツやスクリッティ・ポリッティに覚えた興奮とは異なる次元が存在していたことを一気に思い出させてくれた。パンク・ロックに触発された言説に「誰でも音楽ができる」というワン・コード・ワンダーとかスリーコード万能論のようなものがあり、その通りチープな音楽性が勢いづくという局面が当時から、あるいは現代でも少なからず存在している。それとは逆にパンクが高度な音楽性と結びついてはいけないというルールがあるわけもなく、パンクがトーン・ダウンした時期にファンクやジャズをパンクと結びつけたのがザ・ポップ・グループだったとしたら、マーク・ステュワート&マフィアは同じくそれをダブやレゲエと結びつけ、もう一度、同じインパクトまで辿り着いたのである。それはやはり並大抵のクリエイティヴィティではなかった。追ってリリースされたファースト・アルバム『Learning To Cope With Cowardice』ではさらにその方法論が縦横に展開されていた。どれだけテープを切ったり貼ったりしたのか知らないけれど、“To Have A Vision”や“Blessed Are Those Who Struggle”の目まぐるしさは格別だった。

 90年代に入ってからマーク・ステュワートがアダムスキーを伴って来日し、ボアダムズなどが出演するイヴェントで前座じみたステージやったことがあった。アダムスキーというのはレイヴ初期にコマーシャルな夢を見たスター・プロデューサーの1人で、レイヴがヒット・チャートとは異なるオルタナティヴな磁場を独自に切り開いた頃にはバカにされて放り出された存在だった。マーク・ステュワートとアダムスキーというのは、つまり、水と油のような組み合わせだったのに、これがそれなりに泥臭いテクノとしてまとまったステージを成立させていた。『Learning To Cope With Cowardice』やその後のソロ・アルバムでもそうなんだろうけれど、マーク・ステュワートのサウンドはおそらくエイドリアン・シャーウッドの力によるところが大きく、マーク・ステュワートという人は自身のアイデンティティと音楽性がそれほど強くは結びついていないのだろう。シンセーポップかと思えばニュービートとあまりに節操がなく、サイレント・ポエッツにザ・バグと交際範囲も度を越している。彼にとって大事なことは極左ともいえるメッセージを伝えることであり、イギリスでは活動家と認識されるほど明確に権力と対峙することで、確か自分のことをジャーナリストと呼んでいた時期もあった。とはいえ、彼はやはりヴォーカリストだった。目の前でマイクを握りしめていた時の存在感は圧倒的で、彼の声には独特の張りがあり、彼が敬愛していたらしきマルカム・Xに通じるカリスマ性も申し分なかった。

 ある時、インタビューを始めようと思ったらマーク・ステュワートに「腕相撲をしよう」と言われて彼の手を思いっきり握ったことがある。当たり前のことだけれど、彼の手は暖かく、少しがさがさとしていて分厚かった。あの手に二度と力が入らないと思うとやはり悲しく、どうして……という気持ちにならざるを得ない。R.I.P.

坂本龍一追悼譜 - ele-king

3日前の便り

 3月25日の夜9時24分、パートナーの方から初めてメールが来た。
 そこには、本人は送れないので「事情ご拝察のほど」とある。
 「ああ、とうとうなのか」
 白紙になった内心の画面にそういう文字列が浮かぶ。

 私は高校時代以来の付き合いだが、彼の他界を事実として知るのはみなと同じ。4月2日のTwitterを見た時である。
 その間の1週間、なにをしていたのだろうか。
 8年ぶりに新しい本を出す。その準備と新宿御苑に放射能汚染土が運び込まれる問題。両方で動きまわる。言葉どおり忙殺される毎日だった。
 一人の友が小舟を漕いで遠い海に去っていく。その背中を岸辺で見送るしかできない。もう声は届かないだろう。遠く夕陽が落ちていく水平線。その橙色のハレーションに吸い込まれる後ろ姿がどんどん小さくなるのである。

 あるときは最後から3番目の作品、映画音楽『レヴェナント:蘇えりし者』。
あらためてその音源を聴いた。
 レオナルド・デカプリオ演じる主人公が熊に体を抉られて森に横たわる場面。瀕死のまま夜の大空を見上げる。ミズーリ川沿いの大森林地帯を覆う濃紺の夜陰。無数の星々がぶちまけられている。息子を連れ去った裏切り者への怒り。さらに先住民から学んだ智慧が、彼を大地から立ち上がらせるのである。その眼が急流を見つめている。そんなシーンを思わずにはいられなかった。

 だが坂本龍一が蘇ることはなかった。
 結局、汚染水拡散反対を語るメッセージの公開も、私の新著『鉛の魂』も病床には間に合わなかったのである。

諫めること

  諌死という古い言葉がある。
 坂本龍一が去ってしばらく、そんな言葉が浮かんでいる。
 彼の優美というべき「諫死」をどう受けとめたらいいのか?
 しきりにそう思う。政治的にというより、『レヴェナント』や『async』、そして『12』の音響は、なにか大きな諌めを聴く者の身体に及ぼすからだ。

 どういうことなのか。
 ピアノが低く響くなか、大きな力に抗いつつ逝った彼の姿に、晩年のフーコーがギリシャから蘇らせた「パレーシア」を思う人もいる。「正しく生きて死を迎えること」。その姿勢を最後まで貫いた。そう言えるかもしれない。
 けれども私は、彼の孤独な打弦に「畏れ」を聴いてしまうのである。最期の3作が連作のように聞こえる。その印象は絶えることなく寄せては引いていく宇宙のさざ波だ。エリック・サティのピアノ譜には簡素な部屋がふさわしい。坂本が遺した水面には長い残照が見えるのである。

 諌死(かんし)ってなんだろう?
 東アジアでいう諫死とは、ふつう君主の過ちを臣下が死をもって諭すことだ。「論語 徴子篇」が出典らしい。主君と家臣がいた時代の話である。
 それをあえて演じた、三島由紀夫による半世紀前の惨死劇を思い浮かべればいいかもしれない。作家は駐屯地のバルコニーから「武士」になろうとしない自衛隊員を叱る。それは生き延びたスメラギを諫める声でもある。ところが下に集まる隊員たちはその説教にいら立つ。カルダンの制服を着た彼は戦地に行かなかったんじゃないの? ということはまあ措こう。

 なんでこんな話を――と思うだろう。
 実際私たちがまだ若い1970年11月25日、ハドソン川に浮かんだアルバート・アイラ―の訃報に心騒めく私と違って、坂本龍一は三島の首を見とどけようと市谷の坂を下るような人だった。同じ高校の3年生と2年生。前年の9月に校長室を占拠してから14か月たつ。
 この日の夜、新宿通りに面したピットイン・ティールームの奥まった席で、彼はすこし興奮していた。アイラ―を悼んで『ニューグラス』を聴きたい後輩に、『天人五衰』は読んだ?なんて呟く先輩なのである。麻薬の売人に殺されたテナーマンに惹かれる私は返答に困る。新宿二丁目青線のガキは四谷の高台で育った小説家にさして興味がなかったからだ。
 17歳同士でそんな会話をしたのは、私にとってつい昨日の出来事である。

時の亡霊

 しかし、半世紀たった坂本龍一の去り方はまた違うと思う。
 遺作『12』は「水になれ」と私には聴こえるのである。
 「海ゆかば」ではない。水平な諌めの譜である。そこには君も臣もいない。夕闇が迫る海と空の境い目あたりに去っていくピアニストの後ろ姿が浮き沈みするのである。
 それは、かつて彼自身が「戦場のメリークリスマス」は「海ゆかば」になってしまった――と密かに語ってくれたからだ。大島渚は先に逝った。それでも公式のステイトメントにこんな言い方は出てこないだろう。

 海ゆかば 水漬(みず)く屍(かばね)/山行かば 草生(む)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ/かえり見はせじ

 ――自分の死体が海に浮かび、山野で草が生えたとしても、私は天皇の傍で死のう。自分のことは決して顧みずに。詩は万葉集に採られた大友家持の長歌だ。この歌を5歳のころ聞いた1939年生まれの演出家、鈴木忠志はその思い出を書いている。

 私の戦争の記憶の中では、とび抜けて忘れられない旋律である。戦争が子供心にもたらした、唯一のすばらしい記憶と言っていいかもしれない。むろん当時の私には歌詞の意味はわからなかった。後に理解した時には、茫然たる想いにさせられたことは覚えている。
(SCOT ブログ鈴木忠志「見たり・聴いたり」、2011年6月23日より)

 悠久なる日輪の王。その荘厳に吸い込こまれる透明な死。その酩酊。1963年には11歳だった私の感想もたいして変わりない。なんだかわからないが、とにかく雄々しく潔い。
 それでも戦後生まれの少年。赤塚不二夫「おそ松くん」が載る『少年サンデー』が待ちどおしくてたまらないガキは、同時に『少年マガジン』で始まったちばてつやの連載「紫電改のタカ」にも惹かれる。初戦の勝利を飾ったゼロ戦と壊滅へ向かう戦争末期の紫電改は違うのである。ちばてつやの絵には幼い航空兵たちが南の島で生きようと思い悩む日常がある。大戦艦の艦橋から見る将官の眼ではない。
 前衛ばかりじゃないです、私たちも。坂本龍一と「紫電改のタカ」やうなぎ犬の話もするんだったなと思う。

 つまり「音楽は魔術」。Yellow Magic以前に、こういう違和感は坂本にも鋭く共有されている。だから1983年に自分自身が創った「戦場のメリークリスマス」のメロディーに、中国市場に進出する企業戦士たちの新しい「海ゆかば」が聞こえてしまうのである。大陸の経済が列島のそれを凌駕する25年前だ。
 これは二つの作品の比較楽曲分析ではまるでない。軍神の碑を爆破して始まる東アジア反日武装戦線の闘い。彼女/彼らが検挙されて7年という時代精神が、二つの曲に流れる音脈をつなぎ、かつ聴き分けるのである。
 時代精神のドイツ語原義は「時の亡霊」である。音楽こそ亡霊。20世紀の経験は私たちにさまざまな「亡霊」たちと付き合う術を教えてくれたのである。

水になれ

 私の中にも亡霊が棲んでいる。
 そのゴーストが『12』の楽曲を「水になれ」と聴く。
 「水になれ、Be Water」はブルース・リーの娘シャノンが書いた伝記に由来するという。その起源とされる『老子』の一篇を引こう(保立道久 現代語訳『老子』、ちくま新書』)。

 上善若水:上善(じょうぜん)は水のようなものだ。水の善、水の本性(もちまえ)は万物に利をあたえ、すべてを潤して争わない。水は多くの人の嫌がるところに流れこむ。水は道に近いのである。(原著8章、現代語訳9講)

 「善」と聞けば、誰でも説教臭い声を感じる。そこに異を立てる保立によれば老子の「善」 という考え方は、倫理的な「良い・悪い」と違って本性が自由自在な状態を意味するという。
 言ってみればこれはanarchyなのである。そしてその「善」を主語としてこの一篇を読む。 ベースには『論語』への対置がある。とりわけ孟子が上からの「仁政(おめぐみ)」を強調したのに対して、老子にとって「仁」とは「友の善」のことだと保立はいう。紀元前4世紀の中原で交わされた哲学論争の当否を判断する知識が私にはない。それでも直観する。

 最高のanarchyは水のごとし。仁なる政とは「友のanarchy」である。
 これは驚くほど爽快な理解である。
 ここまでくると、さらにジャンプした我流である。しかし1968年の小川環樹訳で『老子』に接した者には跳躍が必要である。もちろん坂本龍一も読んでいる。そして『12』には全編にわたって「水」が流れているのである。彼とは最期にこういう話がしたかったと切実に思う。
 亡くなって25日たった4月22日の夜、神宮外苑絵画館前に6000人が集まった。彼のポートレートの傍らで樹木伐採に抗して立つ人びとの体内からは水音が聞こえる。木々には天地から水が流れ込み、そして流れ出ていく――と、私の亡霊が呟くのである。

海に立つ牙

 と同時に、『async』になにか「牙」のようなものを聴きとる。
 彼は息をする最後まで「癒し」の感情を拒んだと思う。
 厳かな多重音が連なる。としても複雑な不協和音からさえ旋律は逃れる。三味線を弾く撥(ばち)から和を抜く。水の流れを清めつつ濁らせる。『12』でも、「戦場のメリークリスマス」ならオリエンタルな和合になじんでしまう波間に微かな白波が立つ瞬間がある。さらに2つの作品には、フレデリック・ジェフスキー「不屈の民」の欠片が飛び散っているのである。これは魂を濾過しなければ聞こえてこないだろう。
 「始源のサカモト」が形を変えて帰ってきた。最期の3作はそう聴こえてくるのである。

 1980年代に彼はYMOに加わり、私は山谷に流れる。バブルへ向かう時代を真逆の場所で生きたのである。それから30年近く「異論のある友情」の位置を保ってきた。これはけっこう難しい。彼がローランドのシンセサイザーを駆って世界ツアーした1年後に、寄せ場の闘いに加わった私は地面に転がる友人二人の死体を見ていた。山谷の映画を撮った二人は日の丸を背負う極道に殺されていた。それでも微かな接触はある。
 とはいえお互いに「時の亡霊」の乗りこなし方を覚えたのは、この30年間だったと思う。悪性新生物が私たちをもう一度引き合わせる。近づく死霊の影は、どうしても死にきれない魂を呼び戻すからだ。

 始まりの3作。1976年『ディスアポイントメント・ハテルマ』、1978年『千のナイフ』、1980年『B-2 UNIT』。ここにはよく砥がれた牙がある。そして電子音の歯牙を突き立てるのをためらう一瞬がある。この刹那が別の次元を開く。その技に知的な胆力を感じた。
 例えば「Riot in Lagos」。これは黒人音楽への坂本龍一の若い応えだ。まだ朴訥な機械状ファンク。腐乱したビートをかき集めて動く心臓。その心壁に触れる0.1ミリ手前で電子メスの手を止める。これが牙だ。終わりの3作でも、遠く海の彼方に去る海獣の背にそんな牙が朧げに浮かぶのである。

 ともに新生物を宿して暮らすようになってから、メールでは「龍一氏」と呼びかけるようになっていた。ベタに名を呼びながら敬意を添える。遠近を含む奇妙な言い方だが、今は水平線に向かってこう聞いてみたいのである。
―――龍一氏、奈良の暗殺者をどう思う? 

 ただ一人の標的だけを精密に消した者の「義と技」を、病床にいた彼はどう受け止めたのだろうか。2年前とりあえず新生物をいなした私に「おまえはいいよな」と書き送ってきたことがある。そこまで言う彼の病状は、ついにこの重い問いを許してくれなかった。
 だが、痛みの中で彼はこのことを考えていただろう。
 私の牙がそう言う。
 坂本龍一は私にとって、いつまでもそういう「海の牙」なのである。

Kali Malone featuring Stephen O’Malley & Lucy Railton - ele-king

 ストックホルムのドローン音楽家・実験音楽家カリ・マローンの新作アルバム『Does Spring Hide Its Joy』は、2019年にリリースされたパイプオルガン・ドローン作品『The Sacrificial Code』や、2022年の電子音響ドローン作品『Living Torch』などの近作と比べても、よりいっそうハードコアなドローン・アルバムだった。
 このアルバムの最大のポイントは、SUNN O))) のスティーヴン・オマリーと、〈Modern Love〉からのソロ作品もよく知られているチェロ奏者のルーシー・レイルトンというふたりの優れた音楽家・演奏家が参加している点だ。この3人がめざす音響は、エレクトロニック・ギターとチェロと、マローンによる微かな電子音の持続音が延々と続く、混じりっ気なしの純度100%の持続音、ドローン・ミュージックである。
 中途半端に音楽的な要素が入っていない持続音のみの音を聴取したいというドローン・マニアの方には絶対お勧めできるアルバムだし、同時に音楽に沈静・瞑想的な感覚を求める方にも深く推奨したいアルバムでもある。
 この『Does Spring Hide Its Joy』に収められた音のみに意識を向けて聴いているだけで、世俗の騒がしくも煩わしいあれこれを忘却することができる。世界から隔離されていく感覚こそ、本作の肝ではないかと私は考える(それについては後述する)。

 『Does Spring Hide Its Joy』は、CDでは3枚、LPでも3枚、デジタルでは総収録時間5時間という長大な作品である。フィジカル版では “Does Spring Hide Its Joy” のヴァージョン違い3曲、デジタル版では “Does Spring Hide Its Joy V1” と “Does Spring Hide Its Joy V2” のヴァージョン違いがそれぞれ、3トラックに分けて収録されている。簡単にいえば、『Living Torch』でコンパクトに提示されたドローンの作曲技法(高周波と持続音の交錯)を長時間に渡って展開したとでもいうべきか。ただ『Living Torch』に多少とも残っていた音楽的なハーモニーの要素が本作『Does Spring Hide Its Joy』はさらに希薄になっている。「音」とその「トーン」だけがある。
 だがもっとも重要なのは「時間」への意識だ。この長大な楽曲にはドローン音楽の夢である「永遠に続く音響」への希求があるように思えてならない。まるでラ・モンテ・ヤングの「永久音楽劇場」の精神を継承するかのようなドローンの真髄を聴かせてくれる作品なのだ。
 『Does Spring Hide Its Joy』が、ここまで純粋なドローン作品に仕上がったのは、エレクトリック・ギターのスティーヴン・オマリーとチェロのルーシー・レイルトンというふたりの演奏者との共演だからという側面もあるだろう。じっさいふたりの発する音は本作の印象を決定付けるほどのものだ。
 特にオマリーのエレクトリック・ギターのメタリックなトーンは本当に素晴らしい。硬質な音でありながら、ドローンという音響のに必要な微細な変化を常に生成しているのだ。むろんレイルトンのクールなチェロの響きも本作のマニシックなドローンのムードを促進させていく。電子音楽の伝説的作曲家ピーター・ジノヴィエフとの『RFG Inventions for Cello and Computer』や〈ECM〉からのリリースも有名なピアニスト/オルガン奏者キット・ダウンズとの『Subaerial』とはまた違ったマテリアルなチェロの音響を生成している。
 一方、マローンは本作ではパイプオルガンではなく、サインウェーヴ・オシレーターを用いている。マローンのサインウェーヴ・オシレーターはどこか影のようにふたりの音に寄り添っていく。まるでふたりの「音を影」のように。いわばドローンの作曲者として演者ふたりのコンダクターのようである。
 いずれにせよ3人が発するトーンが微妙な差異を発しつつもレイヤーされていく点がポイントに思える。3人の音が同時に、しかし異なる地平に存在するような多層感覚があるのだ。3人の音が微妙な差異を孕みつつ、一定の持続音として生成していくさまを集中して聴取していると深い瞑想感覚を得ることすらできる。まさにドローンの真骨頂とでいうべきリスニングを可能とするのが本作『Does Spring Hide Its Joy』なのである。

 『Does Spring Hide Its Joy』が録音されたのは2020年3月から5月というコロナウイルスの感染が世界的に増大した時期だ。当時ベルリンに滞在していたマローンたちはベルリンの複合スタジオ施設 Funkhaus(https://www.funkhaus-berlin.net)内にある「MONOM」に招かれて、本作を録音したという。いわば初期のコロナ禍、3人は世界から隔離するかのように、MONOM に滞在し、本作を作り上げたわけだ(アルバム・タイトル「春は喜びを隠すのか」という言葉も、コロナ・ウイルスが猛威をふるいはじめた2020年春の気分を伝えてくれる)。
 録音も MONOM のスタジオでおこなわれ、エディットと編集はステファン・マシュー(Schwebung Mastering)によっておこなわれた。リリースはオマリーが主宰する実験音楽レーベル〈Ideologic Organ〉である。
 ちなみに Funkhaus ではさまざまな先端的なコンサートやイベントがおこなわれ、アルヴァ・ノトと坂本龍一のコンサートも開催されたことでも知られている(https://www.funkhaus-berlin.net/p/jun18.html)。

 パイプオルガン・ドローン、ノイジーな電子音響ドローンなどで培った経験をもとに作曲された長時間ドローンを収録した本作は、コロナウィルス下で隔離されることで生まれた「停滞する時間」の感覚があるように思えた。
 時間を意識し続けることで、時が溶けていくような意識・感覚とでもいうべきか。3人は、MONOM の広い空間をほぼ占有しつつ、「時間」を考察するように本作を作り上げていったのであろう。「密室での隔離」という状況によって、マローンたちのドローン作曲・演奏技法がより研ぎ澄まされていったのではないか。
 気鋭のドローン作曲家と、ふたりの優れた演奏家が生み出す研ぎ澄まされた鋭利で美しい持続音がここにある。そしてコロナ・ウィルスの感染拡大という最悪な状況の中でも、人はこれほどまでに深い瞑想感覚をリスナーに与えてくれる芸術作品を生み出すことができることも教えてくれる。まさに希望のドローンでもある。
 『Does Spring Hide Its Joy』は、確かに長大な作品だが恐れることはない。フィジカルが3時間、デジタル版で5時間ものあいだ音に向かい合う経験は貴重だし、それでしか得られない絶対的な聴取体験はあるのだが(そして本来はそのように聴くべきなのだが)、いっぽうで聴きたいときに聴きたい時間だけ集中して聴くという方法でも本作の魅力を体験することはできるはずだ。
 ドローン音楽の現代最高峰ともいえる本作『Does Spring Hide Its Joy』。ぜひとも多くの音楽ファンに聴いてほしい。

Ishmael Reed - ele-king

 ジョージ・オーウェルの『1984』といえば、誰からも貶されない小説のひとつだと思っている人も多いだろう。モダンSFの金字塔、左翼のためのディストピア小説、あるいはまた、あれは反共産主義者や新保守主義者にとってはロシア(ソ連)を描いたものだと解釈されてきた。全体主義にビッグ・ブラザー、そして思想警察──まさにスターリズニム、東洋的専制政治そのものじゃないか、というわけだ。しかしながらひとり、その栄えある『1984』の功績を認めつつも、完璧に批判した人がいる。イシュメール・リードは1984年、かいつまんで言えばこう突っ込みをいれたのだ。あのなぁ、あんたらエリート白人にとっては1984が来るべき暗黒郷かもしれないが、私らアメリカの黒人は、かれこれ300年間も1984の世界を生きているんだがね。ぞっとすような全体主義にビッグ・ブラザー、そして思想警察に狙われてな。監視され、個人のプライヴァシーは暴かれ、マルコムXやキング牧師はFBIから自殺を勧められている。オーウェルにはそれを見通す力がなかった。こう言い放ったのである。
 イシュメール・リードはまた、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの不朽の名作『2001年宇宙の旅』についても、彼らにとっての未来にはマイノリティの男性や女性がいないらしいと、40年も前に皮肉っている。アメリカからトランプが大統領として出てきたとき、1972年にリードが『マンボ・ジャンボ』で描いたとおりになったと指摘したのは、英『ガーディアン』だった。同書がいうように「アメリカは、自らのどん欲さをニューフロンティアと呼び、気紛れで、落ち着きがなく、暴力的だ」と。

 ジョージ・クリントンが映画化を望んだどころか、いまでは最高の小説のひとつとみなされ、ペンギン・クラシックス(すなわち歴史的古典)に認定されている『マンボ・ジャンボ』が日本で翻訳されたのは原書が出てから25年後のことだったが、古びていなかったし、予言的でもあった。当時はそれこそ平岡正明が同書に感銘を受けて、さっそく自らの論説に組み込んでいるのだが(『黒い神』を参照されたし)、それもまたよく理解できる話だ。コラージュめいた実験小説とも言えるその物語(寓話)は、ジャズを讃え、ジャズで踊る黒人たちを讃え、早い話「ジャズより他に神はなし」を神話化し、白いアメリカの思い上がった歴史を、黒い世界史をもってコミカルに相対化しているのだ。
 あんな芸当は、よほどの知性とガッツがなければできるものではないのだが、リードは文筆のかたわら、音楽家としても活動している。NY前衛ラテン・ジャズの旗手キップ・ハンラハンのプロデュースによる『Conjure』(1988)は、彼の詩の朗読を交えたアルバムで、長い間、イシュメール・リードの唯一の音楽作品として認知され、そして耳の肥えた連中から評価されていた。なにせこのアルバムは、参加しているミュージシャンの顔ぶれがすごい。アラン・トゥーサン、デイヴィッド・マレイ、スティーヴ・スワロウ、ビリー・ハート、カーラ・ブレイ、アート・リンゼイ、レスター・ボウイ、タジ・マハール……そしてキップ・ハンラハンと。だから、その実力者たちの洒脱な演奏によって評価されたきらいもあり、彼はそれを快く思わなかった。イシュメール・リードだからこそ集まったミュージシャンたちなのだが、この熱血漢ときたら、自分の実力で評価されたわけではないというわけだ。

 私が刑務所に行かなかったのはジャズのおかげだ。ジャズに夢中になりすぎて、悪さをする時間がなかった──これほどジャズを愛するリードが、本格的にジャズ・ピアノを学びはじめたのは60歳を過ぎてからだった。そして80もなかばに迫った昨年、リードは彼自身のピアノ演奏をフィーチャーしたソロ・アルバムを完成させ、発表した。10代前半でギターを覚えた人が20代前半でロック・バンドでデビューする、幼少期よりピアノを習っていた恵まれた人が20代前半でデビューする、こうした話は溢れている。だが、60を過ぎてからピアノを習い、70手前で癌が見つかった小説家が84歳になって正式なデビュー・アルバムをリリースするなんていう話は、なかなか希有ではないだろうか(もうあと数週間で85だ)。
 もっともこうした前情報は、本作を聴くうえで弊害になるおそれがある。作者の特別な物語が幻想を膨らませるだろうし、それが音楽的な成果として表れるとは限らないからだ。が、心配はご無用。それを思えばなおのこと、本作は感動的に思えてくる。つまり、60からジャズ・ピアノを学んだリードにしか作れない作品という意味で、まずは素晴らしいアルバムなのだ。こんな自由な発想は、幼少期からピアノを習っていたら逆に難しいだろう。

 本作『The Hands of Grace』の表題曲は、2021年に発表した戯作のために書いた曲で、アルバムのオープナーはその題材になったジャン=ミシェル・バスキアの名が曲名にある。『Wire』によればその舞台劇は、「NYのアート界を動かしている白人至上主義における資本主義の力学を、独特の痛快さとウィットをもって検証し、バスキアに寄生して利益を得ている人物たち(アンディ・ウォーホルも含む)を特定するもの」だという。落ち目だったウォーホル並びにNYアート界は、商品としてのバスキアをちやほやし、人間としてのバスキアを犠牲にした。じつを言えばリードは、この舞台劇の資金不足を補うために、本作の発売を思い立ったのだった。アルバムに収録された前半は、その戯作「キャビアを愛した奴隷(The Slave Who Loved Caviar)」のために書いた曲が収録されている。
 リードによるピアノの独奏を録音したその前半6曲は、唖然とするほどシンプルで、遊び心がふんだんにある。実験的と言ってもいいだろう。生演奏をそのまま録って、なんの加工もなくそのまま収録しているので、とうぜんミスも、鍵盤を叩く音やリズムを取る足の音なんかもそのまま録音されている。坂本龍一の『12』のように演奏者の呼吸まで聞こえる作品だが、こちらは一本のマイクで録ったのだろう、総じてローファイで、初期シカゴ・ハウスのように粗く、荒々しい。ジャズである。
 解説によればチャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレイズ・ピアノ』を意識したようではあるが、あんな流暢な演奏はない。だが、じつに独特な雰囲気が創出されている。最初は、人を食ったようなあまりにも簡素な反復を、テンポが不安定なまま、エラーも込みで展開している。道化てみせながら相手を油断させるかのごとく、アルバムの中盤からはジャズの常套句を時折混ぜつつ、リスナーをいつの間にかこの音楽の虜にする、そんな感じだ。『マンボ・ジャンボ』で描かれた、誰もが踊ってしまう疫病「ジェス・グルー」、この演奏のなかにもそれがリンクしているんじゃないかと、同書を読んでいる人ならアートワークを見て察することだろう。
  “How High the Moon(月はいかほど高いか)” という詩の朗読もある。光沢あるジャズ・ピアノをバックに、曲のなかで月の高度(23万8900マイル)が計算される。その曲から最後までの4曲はほんとうに美しい。とくに最後の2曲は、いまは亡きパートナーと娘に捧げた曲で、アルバムの終わりには、娘ティモシーがリードの留守電に残したのであろう次のヴォイスメッセージで終わっている。「今日、外は綺麗。それだけを言いたかったの(It’s beautiful outside today, and that’s all I wanted to say.)」

 演奏によって語ることの意味を考えた小説家の、怒りと愛、瞑想と躍動、それから微笑みのこもったこのアルバムがリリースされたのは昨年末のことだが、これはもう、まったく予期しなかった嬉しいプレゼントをもらったような気分だ。こうしたソロ演奏主体の作品は、よくよく「親密的」などと評されるが、とてもじゃないけれどこれは「親密的」ではない。ぼくには遠い、ずっとずっと遠いところにある、なんというかある種の憧れだ。『Conjure』の1曲目のタイトルにもなった「ジェス・グルー」とは、そう、ジャズ/ブルース、世界を変えた黒いスピリットの根本原理、西洋的なるものを滅ぼす革命的種子を指している(たぶん)。『マンボ・ジャンボ』がいう。「黒人たちがやることはわけがわからん。で、わかったときには次のことをおっぱじめているんだ」。ちなみにイシュメール・リードについて「マイメン」とラップしたのは、ケンドリック・ラマーも尊敬するトゥパック、曲名は “Still I Rise(それでも俺は立ち上がる)” という。

(2月7日追記)イシュメール・リードに関しては、後藤譲の『黒人音楽史』にも詳しい。興味のある方はチェックして!

TechnoByobu - ele-king

 屏風と言えば狩野派、それはしかし江戸時代までのこと。21世紀の屏風界に新風吹きたるなり。君は「TechnoByobu(テクノ屏風)」を知っているか? それは音楽レーベルでもある〈ユーマ〉がこの度販売する、テクノのアートワークを洋金箔の上に施した屏風。第一弾となる「Electronic Fan Girl」は、アーティストのルー・ビーチ氏が、YMO世界デビュー時のワールドワイド版ファースト・アルバム『Yellow Magic Orchestra』のジャケットとして作成した有名なアートワークを、118年の歴史を持つ歴清社の技術により洋金箔(真鍮箔)の上に施したNFT証明書付き作品です。 
 
■オフィシャルムービー

 「2021年に設立20周年を迎えたユーマはTechnoByobuを同社の20周年記念プロジェクトと位置け、今後も国内外の著名なアーティスト、クリエイターによるアートを、日本の伝統の美および先端技術NFTと融合させ、テクノの精神を体現したアートピースを企画、販売していきます」とのことです。

Number:TB-01
Title:Electronic Fan Girl
Artist:Lou Beach
サイズ:五尺二曲(縦:約1500mm × 横:約1400mm)
重量:約4㎏
NFT証明書:Startrail PORT
価格:880,000円(税込)
販売数量:50隻
2023年3月3日よりWebサイト(https://technobyobu.jp/)にて受注販売を開始
また、販売を記念してTwitterキャンペーンも本日2月3日より行います。
Twitter

■Lou Beach(ルー・ビーチ)
マドンナ、ポリスなどのアルバムアートワークを手掛け、70〜80年代に大活躍したアメリカのコラージュアーティスト。「Electronic Fan Girl(TB-01)」のイラストは、1979年に日本が誇るテクノポップ・バンド、Yellow Magic Orchestra(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)のワールドワイド版ファースト・アルバムのジャケットとして描かれた作品です。
世界30か国以上で発売されたこのアルバムは世界各国で熱狂的に愛されましたが、それにはルー・ビーチ氏によるこのイラストレーションも大きく寄与しました。1979年当時、フジヤマ・ゲイシャというイメージだった日本は、同時に、ハイテクやハイファッションの国に変わりつつありました。ルー・ビーチ氏のこのイラストレーションは、そんな伝統と未来が同居する日本の新しいイメージを、YMOの楽曲とともに広めたのです。
2011年、YMOがおよそ30年ぶりのアメリカ・ツアーを行ったとき、このイラストレーションのタトゥーを入れたアメリカ人ファンを目にしてメンバーが驚いたという逸話は有名です。それほど熱狂的に愛されるイラストレーションを纏ったTechnoByobuは、日本のみならずインターナショナルでも熱く愛されるに違いありません。
URL:https://loubeach.com/
Twitter:https://twitter.com/XActo11

■ユーマ株式会社 U/M/A/A Inc. (United Music And Arts)(企画・製作・販売)
国内外の音楽とアート(メディアアート、ファッション、アニメ、ゲーム、マンガ、ガジェット等)をUniteしていく新しいカタチのレコード会社です。クラブ / エレクトロニック・ミュージックからインターネット発ボーカロイド/アニメソング・プロデューサーまで、クオリティー・ミュージックをジャンルレスに展開しています。1970年代末に日本が世界に誇るイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の音楽を生み出したアルファレコードに勤務していた創業者が、YMOのテクノ・ポップの先進性とユニークネスを現代に継承する会社として設立したのがユーマであり、今回その精神を持って企画したのがTechnoByobuとなります。YMOメンバーによるユニット、Sketch Show(2003)、HAS(2004)のヨーロッパ公演や、YMOのトリビュートバンド『Yellow Magic Children #01』(2019)のリリース等、YMOに関連する事業も行っています。

■歴清社(屏風)
https://rekiseisha.com/
広島で118年の歴史を持つ「歴清社」。特許をもつ洋金箔押紙の製造方法は海外でも認められる唯一無二の伝統技術。帝国ホテル、宮内庁、西本願寺はもとより、CHANEL、GUCCIなどの高級ファッションブランドまで、その製造方法により生み出された様々な箔製品のクオリティーは国内のみならず、世界で評価を得ています。

■Startrail PORT(NFT証明書)
https://startrail.io/
TechnoByobuには、NFT(Non-Fungible Token)を活用したアート証明書「Startrail PORT」が実装されています。作品に埋め込まれたチップをスマートフォンで読み込むことでNFT証明書を確認できます。TechnoByobuの一隻一隻には固有のNFT証明書アドレスが割り振られており、作品の真性が保証されるとともに来歴も明らかになり、従来難しかったセキュアな証明書管理や2次取引から作家、ライセンスホルダーへの収益還元等の実験的なエコシステムを創出しま

■立花ハジメ(ロゴデザイン)
このTechnoByobuのロゴは音楽家、アーティストとしてYMOとならび1970年代末からテクノを実践してきた立花ハジメ氏(ソロのほか、プラスチックス、Hmなど)によるものです。立花ハジメ氏は1970年代からグラフィック・デザイナーとしても活躍されていて、これまで多くのグラフィック作品、舞台美術、ロゴ・デザインを手がけています。

■発売記念Twitterキャンペーン開催
発売を記念してTwitterキャンペーンを開催します(2023年2月3日〜2月23日)。
・参加者全員に非売品のTechnoByobu Compact Repli-card (1/8スケール)をプレゼント。
・さらに2/13以降に配送される“TechnoByobu Compact Repri-card“の写真を撮ってツイートしてくれた方の中から優秀賞に選ばれた10名様を、3月3日に都内で開催予定の“TechnoByobuお披露目イベント”へご招待。
<参加方法>
◆2/3〜2/12
1.TechnoByobuのTwitterアカウント(https://twitter.com/TechnoByobu)をフォローし、キャンペーンのツイートをRT
2.ツイートに記載されたリンクよりフォームに回答
◆2/13〜2/23
3.2/13以降に発送される“TechnoByobu Compact Repri-card“の写真を撮って写真にメンション@TechnoByobuを付けてツイート

 

John Cale - ele-king

 音楽を愛したことでも知られる19世紀のドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、譜面のなかにダ・カーポ記号がある意味について独自の解釈をしている。すなわち、もういちど最初から繰り返すということは、音楽に込められたものは一回聴いただけでは理解できないほど深いからだと。これが言葉表現の場合、ダ・カーポされたらゲンナリすること請け合いだ(たとえばここにD.C.があったら、読者はこの文章を見捨てるに違いない)。音楽は繰り返し聴かれることを歓迎するし、なんどもダ・カーポして聴かなければわからない音楽もある。そう、ジョン・ケイルの新作『マーシー』のように。

 今年81歳になるロック界のレジェンドの説明をここでする必要はなかろう。ジョン・ケイルは故郷ウェールズを離れロンドン大学に進学し、そしてアメリカに渡ると60年代のクラシック音楽界における若い世代による革命──実験音楽ないしはミニマル・ミュージックないしはドローン──と出会う。それらをケイルがロックに持ち込んだことでロックはサウンド面において飛躍を成し遂げ可能性をモノにした。彼はヴェルヴェッツの音楽監督であったばかりか、プロデューサーとしてもソロ・アーティストとしても、すでにいくつもの名作を(わりといい歳になってからも)残している。巨匠もいいところというか、ロック界の生きるオルタナ史みたいな人である。

 何年か前、あれはちょうどブレイディみかこ氏の授賞式があった晩のこと、青山のブルーノートでジョン・ケイルのライヴを見た。ギターを弾いて歌うステージのジョン・ケイルは若々しく、シンプルに再現された彼の名曲の数々にオーディエンスは酔った。ケイルのソロ作を聴き入った過去をお持ちの方ならわかるように、彼にはまず、それが彼だとすぐにわかるあの渋い声がある。その魅力的な声が、この新作『マーシー』ではエフェクトがかけられ茫漠とし、靄にかかっているごとしなのだ。ひと昔前のチルウェイヴやドリーム・ポップのように。
 今作『マーシー』におけるトピックとしてまずあるのは、若手(あくまでケイルから見た場合の若手だが)インディ系アーティストたちとエレクトロニック・ミュージック界のレフトフィールドにいるふたりとのコラボである。80歳になっても好奇心や冒険心を失わず、面白いことをやっている若い世代(あくまでケイルから見た場合だが)に自らアプローチする。プライドだってあるし、だれにもできることではない。今作のゲスト陣のなかにローレル・ヘイローアクトレスの名を見たとき、さすがジョン・ケイルは何がいいのかわかってらっしゃると感服したものだった。彼らとの共作はアルバムの最初の2曲に配置されている。当たり前だが、期待は否応なしに高まる。
 しかしながら、アルバムのオープナーであるヘイローとの表題曲“Mercy”は、苦しみに身悶えする、装飾過剰でもったいぶった葬送曲にしか思えなかった。巨匠を前に恐縮してしまったのか、そもそもヘイローはこの曲のどこにいるのだろうかと、これがぼくの第一印象だ。続くアクトレスが参加した“Marilyn Monroe's Legs(マリリン・モンローの足)”にしてもそうだ。不明瞭なケイルのかったるい歌が全体を包みこんでしまい、ビートはあるが、変則エレクトロニクスの旗手は曲の影のなかに潜んでしまっている。曲の輪郭がはっきりしはじめるのは3曲目の“Noise of You”からで、それでも後半のコッテリした弦楽合奏がぼくにはきつい。よく言えば重厚で、悪く言えば音の隙間、静寂や間というものがないのだ。ジャズ・ピアノにはじまる“Story of Blood”では、SSWのワイズ・ブラッドをフィーチャーしながら多少の抑揚感をこのアルバムで初めてみせている。この曲にはケイルらしい、魅力的な良いメロディがあるにはあるのだが、声は依然としておぼろげなまま……。

 かつてのコラボレーター、イーノの評伝によると、ケイルは(共作した当時は完璧なノンポリの政治嫌いだったイーノと違って)すべての新聞に目を通すほどの人だったそうだ。『ガーディアン』に掲載された今作に関してのインタヴューによれば、ケイルはいま「人類はレンガの壁にぶつかった」という認識を持っている。ぼくは『マーシー』の、ぼくには忍耐(と繰り返し)を要したアルバムの冒頭を聴きながら、彼がかつて手がけた傑作のひとつ、ニコの『ザ・マーブル・インデックス』を思い出すにいたった。いや、これはじつは、昨年うちから日本版を刊行したマーク・フィッシャーの『奇妙なものとぞっとするもの』のなかに出てくる作品だったので、ぼくは数十年ぶりに聴いたばかりだったのだ。ニコの件のアルバムは、ケイルの編曲によって彼女の荒廃した内面を残酷なまでに描いた傑作だが、あのときのケイルと今作はどこか繋がっている。言うなれば果てしなく暗い夜が続くという、それは暗澹たる今日の世界(そしてヨーロッパの衰退)のメタファーであり、また、ひょっとしたら彼の内面の荒れ地にも関わっているかもしれない。過ぎ去った日々への言及のほとんどは、このアルバムにおいては苦々しいものとして繰り返されている。

 アルバムは中盤からケイル節とも言える、多少のメリハリをもたせているが、陰鬱さが消えることはない。ケイルが描こうとする鬱々とした世界のあたかも一部となっているかのようなゲスト陣のなかで、アニマル・コレクティヴが異質な存在としてアルバムに面白い効果を与えているのは予想外だった。21世紀サイケデリックの使徒たるアニマル・コレクティヴがここにいるのは、ヴェルヴェッツとビーチ・ボーイズが同じステージにいるようなもので……というのは言い過ぎだが、とにかく意表を突いている。
 アニマル・コレクティヴによってスイッチが入ったのか、アルバム後半は前半にくらべるとずいぶん入りやすい。あれだけヒップホップ(とくにドクター・ドレ)を評価してきたのに関わらず、そのスジのゲストがいないのは残念な話ではあるのだが、ある意味もっとも意外なゲスト、ハウス・プロデューサーのセヴン・デイヴィス・ジュニアが参加した2曲“Night Crawling” と“Not The End Of The World” では、いまどきの音楽に相応しく音数は削ぎ落とされ、ファンクのリズムが刻まれている。しかも後者の曲でサウンド・エフェクトを担当しているのは、LAビート・シーンから登場したトキモンスタだったりする。

  “mercy” とは神からの慈悲を意味する宗教的な言葉だが、宗教は関係ないと『ガーディアン』の取材でジョン・ケイルは言う。そうはいえこの御仁は “Story of Blood” のMVで神父めいた衣装で登場しているから、じつに紛らわしい。そのタイトル曲の通りに、祈りはこのアルバムのエッセンスのひとつだ。「慈悲を、慈悲を、慈悲を私に」とケイルは何度も歌っている。「寒い、寒い、寒い、命あってのもの、いや、命なんてどうでもいい」
 音楽にダ・カーポは必要である。坂本龍一の『12』だって、半年ぐらい聴いたうえで書くべきなのだろう。だからケイルの『マーシー』も、なんども聴いているうちに、装飾的で、朧朧たるアルバム冒頭の全体像も少しは見えてきた。思うに、とにかくこの老音楽家は、現世を、ヨーロッパの没落を、とことん憂いているのだ。重厚な演奏の楽曲の魅力もその抑えがたい切なさにあるのだろうし、ヘイローやアクトレス、あるいはセヴン・デイヴィス・ジュニアらが果たした役割も、その重さにケイルとは別種のセンスによって変化を与え、多少は和らげることにあるのかもしれない。ことに涙とは無縁のアクトレスのエレクトロニクスは、彼の個性を活かしきれているとは言いがたいが、多少は効果的だった。
 とはいえ、降りしきる雨の暗い空の下がこれほど似合う音楽もない。だが、ケイルの情熱が向かう先がそのさらに向こう側にあることは、たしかなのだ。

坂本龍一 - ele-king

内田 学(a.k.a.Why Sheep?)

 坂本龍一とは何者なのだろう。アーティスト・芸能人・文化人・社会運動家、そうだ、俳優であったことさえある。たしかにそれらのどの側面も彼はもっている。だが、どれも坂本の本質を真っ向から言い当てていないように思う。
 では彼の紡ぎ出す音楽は、サウンドトラック・現代音楽・大衆音楽・民族音楽のどこに位置するのか、たしかに、そのどの領域にも踏み込んでいる、やはり坂本龍一はただただ音楽人なのだ、と、いまさらではあるが、この『12』を聴いて痛感した。アーティストという漠然としたものではなく、彼の血、肉、骨、細胞に至るまで、音楽を宿しているのだ。
 音源の資料に添えられた坂本龍一本人の短いメモには、音による日記のようなものと自らこのアルバムを評している。実際、そうなのだろう、収録曲のすべてのタイトルも日付のみ付されている。まるで記号のように。それは大きな手術を経て、疲弊しきった心と身体を癒すための作業だったともある。
 実際、坂本は、いままで定期的に行っていたソロ・コンサートを1ステージ通して行う体力はもう自分にはないと発言している。そしてライヴが気力と体力を求められるように、アルバム制作というのも、気力と体力が求められる。
 ことに、坂本のように直感力はもちろん、その思考の明晰さや論理性を持つ作家にとってはアルバム制作、ことに、他から委嘱されたサウンドトラックなどの作品と区別して、あえてオリジナル・アルバムと銘打たれている過去作品においては、アルバムを構成するそれぞれの楽曲から全体に至るまで、(作為的な場合を除いて)アルバムに通底するインスピレーション、そしてそれらを構成するそれぞれの楽曲まで、コンセプトというロジックに覆われているように思う。
 しかしこの『12』が、過去のオリジナル・アルバムと決定的に異なる点はそこにある。何度も繰り返し聴くうちにふと気付いたのは、いわゆる坂本が得意とする論理性や合理性のようなものが、欠落ではなく排除されているのだ。
 例えばひとつ前の、『async』(非同期の意)は、坂本自身が、「人に聞かせるのがもったいない」と評したアルバムだが、そのタイトルとは裏腹にそれは“andata”を主題としながらも、恒星の周囲を回る惑星、さらにその周囲に位置する衛星のように、変奏曲、派生曲で構成されたアルバムであったように思う。そして“andata”こそ、力作というより、作家としてのひとつの到達点となる作品のように思えるのだ。なるほど、坂本が主催した「Glenn Gould Gathering」で、バッハの「フーガの技法」の次の曲として配置されたのも頷ける。
 ところがこの『12』を何度も通じて聴く限り、3種類以上の音が重ねられている曲はないことに気づく。また、いまの技術なら簡単に除去できる偶発的なノイズや、マイクのヒスノイズもそのまま剥き出しである。坂本龍一ともなれば、エンジニアにそれらの作業を託すことも容易なことであろうはずなのに。
 また、技術的な点ではあるが、ピアノにかけられているエフェクトも、後から修正できるようなアフター・エフェクトではなく、後から修正の効かない「かけ録り」で録音されている。つまり、これらの曲を今までのように時間をかけて推敲してロジックで構築していくことをハナから想定していないのである。
 坂本に限らず一般的には、コンセプト・アルバムを制作する場合は、個々の楽曲の細部から、全体の俯瞰図に至るまで、行きつ戻りつ観照するものだが、この『12』は、その作業は行われていないのだ。ロジックがないから起承転結ももちろんない。ただただ水平線を眺めているような感覚を覚える。
 つまりは観念的に創作されたものでないということである。では何であるかいえば、むしろ瞑想なのだと思う。ヒトや動物が、睡眠時に呼吸が自然と浅くなり安定するように、坂本自身が深い瞑想状態に入り、音と対峙している様子がまるで目の前で行われているようにさえうかがえるのだ。それは音を視て観照するのとは違い、あたかも触覚によって手探りで音を弄っているかのようでもある。どこか20世紀初頭の自動筆記(オートマティスム)にも通じるかもしれない。そして、この緩やかな呼吸、脈動/テンポは、それを聴くものを同じ空(クウ)に誘おうとしているのだ。
 闘病の日々、ただただ日記をつけるように行っていた瞑想。ここまで後から手を加えられていないにも関わらず、その集中力、瞬発力と骨の髄まで染み込んだ音楽的感性を、病身の身でありながら絞り出す強靭な精神は驚異としか言いようがない。
 多少でもこのアルバムに作者の恣意性があるとしたら、数ある日記的スケッチのなかから、これらのトラックを選別したこと、そして時系列ではなく意図されて曲順が構成されていることだろう。
 個々の楽曲についての分析は割愛するとして、最後の曲に配置されたトラックは、坂本龍一からのメッセージのように思えて仕方がない。その内容は聴く者によって違うかもしれないが。

 本来このような作品、後の坂本龍一の研究者が発表するような作品を自らリリースしたこと、その意味も大きい。いわゆる「頭の中を覗く」のではなく、音楽人として細胞レベルまで露呈する。それも自らの意思で。あたかも検体を差し出すかのように。「後はまかせた」とでもいうかのように。

 この『12』が坂本龍一のオリジナル・アルバムとして音楽史においてどのような位置付けになるかは、まだ語られるべきではないが、坂本龍一という音楽人を知るためには貴重な音源であることは間違いない。教授、本当にありがとうございました。(1月15日記)

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デンシノオト

 音を置く------。ひとつひとつ丁寧に、慈しみながら、繊細に、 音がノイズが、旋律が、音の庭に、そっと置かれていく。
 坂本龍一の6年ぶりのアルバム『12』を聴いて、そんな印象を持った。坂本龍一が、ひとりでコツコツと、まるで毎日の大切な仕事のように、いうならば「音の庭師」のように、音を丁寧に、繊細に、置いていく光景が脳裏に浮かんだのだ。静かな庭に響く音たち。サイレント・ガーデンのような音楽とでもいうべきか。唐突だが、私は、どこか後期の武満徹の透明な響きを連想した。
 同時に『12』は00年代以降の坂本龍一が追求していたアンビエント/クラシカルな音響作品の結晶体ではないかと思う。この20年ほどの坂本龍一の活動が、静謐な音響のなかにミニマムに、そして複雑に息づいている。

 では、『12』は、これまでの坂本龍一のアルバムのなかでどのように位置付けにある作品だろうか。ひとことでいえばとてもパーソナルな作品だと思った。
 サウンドのムードとしては『async』(2017)の後半、 “ff” や “garden” を継承する透明なアンビエンスを展開している。しかし『async』よりもさらにパーソナルな音だ。これまでのようにコンプセプトを立てたソロアルバムではなく、いわば「日記」のように制作された楽曲を収めたアルバムゆえ、より個人的な音に感じられるのは当然かもしれない。
 スケッチのようなアンビエント/電子音楽を収めたアルバムというならば、2002年にリリースされた『COMICA』がある。『COMICA』は9.11から受けた衝撃を治癒するかのように内省的な電子音楽を展開していたという意味では、『12』との共通項を見出すことが可能だ(私見では『COMICA』があるからこそ2004年の『キャズム』があり、『キャズム』があるからこそ、2009年の『out of noise』が生まれ、あの傑作『async』に至ったと考えている)。しかし『COMICA』の楽曲は、ある程度は編集されていたようだが、この『12』の楽曲はほぼ無編集のまま収録されているという違いがある。
 さらに、1曲目、5曲目、7曲目などで聴くことができるシンセサイザーの音色や響きについては、『愛の悪魔』(1999)や『デリダ』(2002)の内省的な電子音/電子音楽も思い出しもする。クリアな残響が美しいミニマルなピアノ曲という意味では、『トニー滝谷』(2007)などのミニマルなサウンドトラックも想起してしまう。とはいえ『愛の悪魔』『デリダ』『トニー滝谷』は、映画音楽である。映画作品あってこそ作られた音楽だ。一方、『12』は、まるで日記をつけるように演奏・録音された楽曲であり、作品の成立過程がまるで異なる(私見だが『トニー滝谷』クリスタルな残響に満ちた透明なピアノの音は、『out of noise』以降のソロアルバムの音に受け継がれているように思える)。
 加えて坂本龍一のルーツがこれ以上ないほどに素直に表現されているパーソナルな作品という点では、ピアノ・ソロの『BTTB』(1999)系譜の作品と位置付けることもできるかもしれない。8曲目 “20220302 - sarabande” などは、普通のポップスではあまり使われない複雑な転調が自然に用いられ、より洗練・成熟した「20年後の『BTTB』」とでも称したい楽曲を収録している。だが、『BTTB』はピアノソロ・アルバムでもあり、電子音楽・電子音響的な要素はないという差異がある。
 小節構造にとらわれない自由な演奏/音響の記録という意味では、クリスチャン・フェネスとの共作『Flumina』(2011)を思わせもする。加えて冷たく美しいシンセサイザーの響きという意味では、アルヴァ・ノトと共作したサウンドトラック『レヴェナント』(2015)の音響のようでもある。00年代以降、彼らとの共作が、坂本に与えた影響を大きいことに違いはないが、『12』のサウンドは、純度100%の坂本龍一の音楽である。
 つまり、本作『12』は、2009年の『out of noise』、2017年の『async』のオリジナル・ソロ・アルバムで追求されたアンビエント音響、1999年の『愛の悪魔』、2002年の『デリダ』、2007年の『トニー滝谷』などのサウンドトラック・ワークで披露されたパーソナルなシンセやピアノの響き、アルヴァ・ノトやフェネスなどの電子音響アーティストとの共作による電子音とピアノの融合、1999年の『BTTB』で実現したバック・トゥー・ベーシックな坂本のピアノ楽曲など、坂本龍一の四つの系譜が交錯しつつ、しかしそのどれからも微かに逸脱している稀有なアルバムということにある。
 しかし坂本ファンであれば、じつは、この『12』のような「完全なソロ」、つまりは彼の音の結晶を聴きたかったのではないかと想像してしまう。じじつ私がそうだ。『12』は、私にとって長年夢見ていたようなアルバムなのである。私はこのアルバムをすでに深く愛してしまっている。
 このアルバムに満ちている美しさ、清潔さ、透明さ。それは意図されたものというより、ごく自然に坂本龍一の身体を通じて表出した結果ではないか。大病を患った坂本龍一が自身の心と体を癒すために、日々の感覚のままに、編み上げられたアルバムだからだろうか。
 じっさい坂本龍一は、このアルバムをつくるきっかけについて、治療後、それまでは音楽を聴いたり、作ったりする体力がなかったが、ある日、シンセサイザーの音を浴びたくなり、何も決めずにただ演奏したことが始まりだったという。その曲が、本作の1曲目 “20210310” に収められている曲らしい。以降、日記を書くように徒然なるままに、音のスケッチを残していった。いわば音による治癒のようなものを感じつつ、編まれていった曲たちといえよう。つまり自身の体力と病、そして坂本の長年にわたる音楽の経験が交錯し、一種、身体に作用するような音楽・音響作品に仕上がっていったのではないか。
 楽曲名から推測するに、2021年3月に2022年4月までに制作された12曲が収録されているが、坂本はこの「12」という数字に特別な意味は持たせていないと語っている(2023年1月1日・NHK FM放送・ラジオ特番「坂本龍一ニューイヤー・スペシャル」より)。
 曲名も制作日がわかるような簡素な数字になっている(自分としてはこのシンプルなミニマムさに河原温のミニマルアートを思い出してしまった)。 ただ「12」という数字には坂本がこだわり続けてきた時間の概念を象徴しているとも『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の最終回(「新潮」2023年2月号)でで語っている。たしかにこのアルバムを聴いていると「時」を意識する。
 シンセサイザーのシャワーのような曲に始まり、やがてピアノと電子音、環境音が交錯する電子音響になり、再びシンセサイザーによるアンビエントを経て、より洗練された「作曲」を意識した曲に変化し、メタリックな、鈴のような金属音でアルバムは終わる。まるで時の円環のように私は、またアルバム冒頭に戻り、はじめからアルバムを聴いてしまう。くりかえし、くりかえし…。
 音から音楽へ、そして音へ。私は、その曲すべてに、いや音のすべてに、音の一音、音の一粒を慈しむような感情を感じた。もちろん「美しい」という言葉は批評の放棄かもしれないが、しかしやはり「美しい」と私は何度もつぶやきたい。『12』はとても美しいアルバムだ。
 加えて『12』の収録曲を繰り返し聴いていると、まるでピアノやシンセサイザーの音色を間近で感じるような距離の近さを感じてしまった。曲が生まれる瞬間を聴いているような感覚とでもいうべきか。では「距離の近さ」とは何だろうか。私は、坂本龍一の生の「呼吸」が音楽に反映しているからではないかとも思えたのだ。
 その点から3曲目 “20220123” と4曲目 “20220123に注目したい。この2曲は、ピアノと環境音が、まるで森の中をゆっくりと歩くように交錯する瞑想的なトラックだ。そこに何か呼吸のような、もしくは環境音のような音が一定に反復されていく。私は勝手にこのスー、ハーという音を坂本の呼吸=リズムのように感じ取ってしまった。続く4曲目 “20220123” でも即興的なピアノに環境音がレイヤーされ、そこに呼吸音とも鳥の鳴き声ともいえる音が繰り返される。
 この2曲のピアノは即興的であり、「呼吸」は少し浅く、苦しげである。しかしその呼吸もまた透明な音楽の中に次第に溶けていくかのように残響を響かせる。まるで音によって身体が治癒されていくように。なによりピアノの透明な響きと「間」が実に美しい。呼吸。残響。間。ここにあるのは「時間」というものの美しい提示だと思う。

 音を置く。鳴らす。聴く。呼吸をする。すると持続と変化が起こる。ときに反復も逸脱ある。まるで「生きること」そのものように。生を治癒するように。そうして時間が無限に連なっていく。坂本龍一が「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」最終回(「新潮」2023年2月号)でひいていた武満徹『時の園丁』の言葉を思い出した。
『12』のミニマルな音響のなかには、無限の時/音の螺旋階段がうごめいている。2023年から未来に託すような名盤として、これからも聴き継がれていくに違いない。(1月7日記)

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野田努

 ぼくはこのアルバムを詩的な作品として受け取っている。これら12曲のなかには、恍惚とした瞬間もあれば喜びや哀歌めいたところもあり、甘美だが無常観すら感じるところもある。ほとんどピアノとシンセサイザーだけで作られて、日記のごとく記録(録音)された12曲は、即興めいているが、それぞれ異なる主旨/アプローチ/展開を見せている。
 『12』がすごいのは、死と向き合った音楽家の、肉体的にも精神的にもギリギリの状態を経験したうえで奏でる音楽がどんなものになるのかという、時折息づかいも聞こえるほど、それ自体がexperience(実験/体験)でありながらも、そうした壮絶な遍歴から切り離して聴くこともできる点にある。それほどこの音楽からは、慈しみのようなものが滲み出ている。それはある意味謙虚な佇まいで、誰もが入っていける寛容な音楽として記録されているのだ。
 とはいえ、やはりここからは強いものを感じないわけにもいかない。坂本龍一は、かつて自分のことを「アウターナショナル」という造語で形容した。ここ数年の日本のエレクトロニック・ミュージックにおいて、あるいはロックにおいても、日本的なエスニシティを強調することで西欧に受ける音楽が散見されるようになった。それはそれでひとつのやり方だろう。しかし、日本のどの音楽家よりも国際舞台において評価され、活動してきている坂本龍一は、自らの属性を日本の外側だと表現したことは忘れたくない。流浪の民のごとき存在であることを主張し、「国は存在しない、理想郷」、そのような言葉で自らの属性を語っているが、この『12』においてもその意思は貫かれている。

 音楽には受容力があり、言葉にすることのできない感覚さえ表現することができる。これは清浄で、超越的な音楽なのだろうか。繰り返すようだが、『12』は、たとえば歴史的なアンビエント作品、『ミュージック・フォー・エアポーツ』や『アンビエント・ワークスvol.ll』なんかと同列に聴くことだって可能なアルバムでもある。 “世界はぼくが思っているよりも速く動いている” 、この年末年始ずっと聴いていた、ディラン・へナーという(坂本龍一を尊敬している)いま注目のUKの若いアンビエント作家の新曲のひとつだが、『12』は、ぼくのなかでは、彼のやはり同じように詩的かつ哲学的な作品ともリンクしている。世俗的なものと切り離されているとは思えないが、世俗的な暗い底流からは解き放たれた音楽であることはたしかだろう。ここまでのところぼくがとくに好きなのは 3曲目“20211201” と 7曲目“20220214” 。どちらも残響音がたまらない。

 いずれにせよ、これはなんて美しい音楽であることか。そしてこれは誰も傷つけたりしない。いまはただただ聴いている。オリエンタリズムを否定しグレン・グールドを愛したエドワード・W・サイードなら「ユートピア的」と形容したかもしれないが、ユートピックでもディストピックでもない、より根源的なものに向かっているようにも感じる。最後の曲では、じつに暗示的に、ツリーチャイム(?)のような音だけが鳴っている。それはぼくには自然の音との回路のように聞こえるし、仮に『12』が個人的な作品だとしても、そこは確実に開かれているのだ。(1月10日記)

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三田格

 どうしてそうなったのか覚えていないのだけれど、大学生だった僕と小山登美夫は、その日、新宿アルタのステージにいた。映画『戦場のメリークリスマス』のプロモーション・イヴェントで、僕たちは「戦メリ」に夢中な若者たちという設定でステージ上の椅子に座っていた。2人ともまだ映画は観ていなくて、要するにサクラだった。ステージには30人ぐらいが3列に分けて座らされ、僕らから5席ほど右に坂本さんがいた。前口上のようなものが長くて、僕らは多少、緊張していたけれど、坂本さんはとっくに飽きてしまったらしく、やたらと目でこちらに合図を送ってくる。最初はなんだかわからなかった。坂本さんは視線をこっちに向けながらひっきりなしに眉毛を上下させている。もちろん面識はない。初対面というか、ただ近くにいるだけである。『戦場のメリークリスマス』という映画の意義が語られ続けているなか、坂本さんの眉毛は上下し続ける。僕も小山も吹き出すのを我慢して下を向いてこらえていた。しばらくしてからまた坂本さんの方をちらっと見ると、まだやっている。あのしつこさには参った。ようやくイヴェントが本題に入って坂本さんが若者たちの質問に答える時間が始まり、僕らは解放された(イヴェントの後で僕は坂本さんに “君に胸キュン。” を勝手にリミックスしたテープを渡し、それが坂本さんの番組でオン・エアされたのに、その時の放送を聞き逃してしまい、そのテープが放送されたことを教えてくれたのは砂原良徳だった。さすが「カルトQ」)。10年ぐらい前に坂本さんがドミューンに出演した際、打ち上げでたまたま隣の席になった僕はアルタのイヴェントのことを訊いてみた。なぜ僕らを笑わせようとしたのかと。坂本さんは爆笑して、「覚えていない! あの頃のことはなんにも覚えてない!」と実に楽しそうだった。「忙しすぎてなんにも覚えてないんだよ!」。そして、日本酒の中瓶を取り出すと「これは貴重なお酒で、美味しいから飲んでみて」という。僕はお酒が飲めないというか、お酒を飲むと偏頭痛が大爆発してしまうので、「いや、飲めないんです」と言うと、「いいから飲んで」と引き下がらない。「いやいやいや」と僕がいうと「いいから、いいから」とお酒を注ぎ始める。あのしつこさは変わっていなかった。僕は手塚治虫の酒や赤塚不二夫の酒を飲み、赤瀬川原平やビートたけしのお酒も飲んだ。忌野清志郎のビールもちょくちょく口にしている。ここで坂本龍一の酒だけ飲まないのもなんだよなと思い、頭痛のことは忘れてちょっと飲んでみた。基本的に飲まないので味のことはわからないけれど、それはとても美味しく、なんというか滑らか~で不思議な世界に出会ったような気がした。「お、美味しいですね」。「そうだろー」。坂本さんの眉毛がまた上がった。

 かつてスタジオボイスで坂本さんにインタヴューした際、坂本さんに「アンビエント・ミュージックはつくったことがない」と断言されてしまった。それもかなりきっぱりと。そんな無茶なと思ったけれど、それ以上追求しても眉毛が動くだけだと思って僕はあっさりと引き下がった。なので、『12』を前にして1曲目からアンビエント……と書き出すわけにもいかず、昨年から延々と悩み続け、晦日も正月も雑煮も初荷も通り過ぎ、そうか、この滑らかで不思議な感触はアンビエントではなく、お酒を飲んで気持ちよくなった状態、そう、酩酊音楽と呼べばいいのではないかと思いついた。日本酒の中瓶を持ち歩く坂本龍一の音楽を説明するのにぴったりのカテゴライズではないだろうか。『Gohatto』も『Elephantism』も『Comica』も『Alexei and the Spring』も『Love Is The Devil』もみな酩酊音楽の系譜に属している。坂本音楽の謎がこれでひとつ整理できた。ふー。それでは『12』を紐解いていこう。ここで安心して筆を置くと原稿料がもらえなくなる。『12』は何か遠くのことに想いを馳せているような酩酊音楽で幕を開ける。ブライアン・イーノ “An Ending (Ascent)” を思わせる悲しいドローン。いきなりエモーショナルで、生と死の境界を見つめるかのように透き通った諦観が冒頭から胸を撃つ。喜怒哀楽のどこにも寄せなかった『Comica』とはまったく違う。続く “20211130” からはアルヴァ・ノトとのコラボ・シリーズと同趣向で、少しばかり希望が増大し、ハロルド・バッド『The Room』がニューエイジぎりぎりと評されたように曲の表面を弱々しさが覆いつつ、背後に隠されたテンションが印象派の尊厳を仰ぎ見る。初ソロが『宇宙~人類の夢と希望~』だし、『Esperanto』や『The Fantasy Of Light & Life』の一部を聴くと坂本龍一は気質的にはニューエイジで、それは手塚治虫の影響であり、生まれ変わったら人類学者になりたいと言っていたことからもわかる通り人類全体に対する慈愛や興味が音楽から滲み出している。かといって一時期の知識人たちのようにオウム真理教や統一教会といった個別のニューエイジに引きずられなかったのはやはり知性や教養といった歯止めが効いていたからだろう。ひっきりなしに聞こえるのは坂本の息遣いだろうか。肩の上にジョン・ケージが乗っかっている。酩酊音楽というより、だんだんと瞑想音楽になってきたかと思いきや、息遣いがフィジカルな場面を想像させることで、完全にはスピってしまわない効果を上げている。続く “20211201” もアルヴァ・ノトとのコラボ・シリーズをさらにゆっくりと展開する感じか。余韻が主役。そして、病気をすると肺が弱り、呼吸が短くなるはずなのに、同じように息遣いを混ぜながら8分を超える長い曲に挑んだ “20220123” 。『Comica』にはなかった微妙な透明感が宿り、それがまた儚さを無限に醸し出している。教授、やっぱりこれはアンビエント・ミュージッ……いえ、なんでもありません。
 5曲目で『12』は一転する。重苦しく波打つシンセサイザーは “Carrying Glass(『The Revenant』)” から深刻さを割引いて、ムルコフや伊福部昭よりも92年のレイヴ・ヒット、ユーフォリア “Mercurial” に途中から被さるシンセサイザーをそのまま取り出した感もあり、当然のことながらブリープのループやトライバル・パーカッションは入ってこない。延々とシンセサイザーがとぐろを巻き、アシッドな汗が滲み出る。このグラマラスな厚み。ゴシックを気取った酩酊モードにもほどがある。 “20220207” で再び前半のタッチに戻り、不完全に反復されるミニマルの断片に18番ともいえるピアノの高音でアクセントをつけたイーノ “1/1” のオマージュか。 “戦場のメリークリスマス” で果たした西洋と東洋のクラッシュは継続され、とんでもなく想像力を広げさせてもらうと、上海華夏民族楽団が “ウルトラQのメイン・テーマ” をチョップしてスクリュードさせた大衆音楽の供養にも聞こえる。ジャズ系のダン・ニコルズがスマホだけで録音したという『Mattering And Meaning』にも一脈で通じるものがあり、とくに “Yeh Yeh” は近しい発想に思える。 “20220214” はただ静かにしていたいという気分が反映されているのか、前述の “An Ending (Ascent)” から歓びを差し引き、PIL “Radio 4” をスローダウンさせたようなシンセ・ドローン。喜びや楽しさにもエネルギーは必要だから、その手前で立ち止まり、ただここに「ある」というだけで恩寵があるという価値観がここには刻印されている。酩酊音楽はここまでとなり、以後はピアノ曲に移り、唯一、ヘンデルのカバーらしき副題がつけられた “20220302 - sarabande” は輪郭のはっきりとしたピアノが前景化している(音響のせいなのか、知識のない僕にはラフマニノフ “嬰ハ短調” に聞こえてしまう)。演奏はかなりゆっくりで、アンチ・ドラッグ系の人力スクリュード・プレイというか。続く3曲も短いピアノ・ソロで、『BTTB』でいえば “intermezzo” の系統。坂本龍一のピアノは( “aqua” みたいなものでなければ)どこを切ってもラヴェル(やサティ)が出てくるような気がする(知識が乏しいのでよくわからない)。悲しいともそれを押し殺しているとも、あるいは、メランコリーというのとも違って、前頭葉のどこかにある感情なんだろうけど、ひとまずは言語化できない楽しみができたと強がっておこう。80年代は坂本龍一のつくった音楽が時代の音になったけれど、90年代はハウスやブレイクビーツなど他人がつくったフォーマットを自分流に聞かせるだけで別に坂本龍一じゃなくてもいいんじゃないかと思う曲が多かった。それが『御法度』や『BTTB』で自分の音を取り戻し、坂本龍一でなければならないピアノ曲に昇華させ、それがここにも4曲並んでいる。クロージング・トラックは静かな鐘の音。これまでも時々鳴らされていた音だけれど、こうも続くとドビュッシーがパリ万博で聞いたガムランの音がそのまま坂本龍一のオブセッションとなっていまだに響き続けているかのようである。

 昨年は『Thriller』の40周年記念盤で初めてマイケル・ジャクソン版 “Behind the Mask” を聴いた。想像以上にこれがよかった。アレンジも原曲に忠実で、ポップスとしての完成度は高かった。原盤権を手放すことがカヴァーの条件だったそうで、坂本龍一がそれに応じなかったために『Thriller』への収録は見送られたという。もしも収録されていたらポップ・ミュージックの全体像はいまと少しは異なるものになっていたのだろうか。そうでもないのだろうか。坂本さん本人が “Behind the Mask” のリフはキンクス “You Really Got Me” と同じだったことに後で気がついたと話していて、当時、 “You Really Got Me” のカヴァーで売れまくりだったエディ・ヴァン・ヘイレンが『Thriller』でギターを弾いていたということはなかなかの符合だったとも思う。いずれにしろ坂本龍一はその翌年、 “戦場のメリークリスマス” がベルトルッチの耳にとまって世界に躍り出ることになり、日本では「世界の坂本」として奇妙な立ち位置を占めるようになる。80年代は北野武や村上春樹、川久保玲や安藤忠雄など「世界」に実力を認めさせた日本の文化人を多く輩出していて、なぜか「世界の川久保」とか「世界の村上」とは言われず、その後も「世界の宮崎」とか「世界の草間」もなく、ただ1人坂本龍一だけが「世界」呼ばわりされていた。日本で評価されるということは評価してくれた人の奴隷になると同義で、やがてはその権力を禅譲されるという習慣(家父長制度)がどこまでも染み渡り、若い才能が自由に活動する土壌が整っているとはとても言えないのだけれど、「世界の坂本」がそうした制度の外側で自由に動けたことは大いなる利点であると同時にいったん村の外に出てしまうと日本の村社会には戻りにくいという難点もあった。坂本龍一はそのまま藤田嗣治やオノ・ヨーコのように海外の才能になりきることもありだったという気がするけれど、坂本は日本を愛していると何度も発言し、00年代以降は政治的発言を有効にするために、無意識かもしれないけれど、ダウンタウンとの芸者ガールズだったり、労務者のコスプレをしてTVに出るなど、いわば「足立区のたけし 世界の北野」というパロディと同じ要領で日本の村社会に底辺から出入りする方法を見つけていく(日本人はスゴい才能にひれ伏す気持ちが薄く、どういうわけか素人芸を好むので、圧倒的な才能を実のところは煙たがっていて、自分たちよりも下に見える振る舞いをすれば「親しみやすい」といって受け入れるところが多分にある)。日本の村社会にはそのような抜け道があることを坂本龍一は教えてくれ、そして、そうまでして坂本が日本の才能であり続けてくれたことに感謝すべきではないかと思う。『12』というアルバムを僕は「日本の坂本」として聴きたい。(1月7日記)

高橋幸宏 音楽の歴史 - ele-king

 高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。
 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。
 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。
 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦にサディスティック・ミカ・バンドへ勧誘されたことだろう。1972年のことだ。ここから、アーティストとしての高橋幸宏の人生が本格的にスタートした。
 本稿ではサディスティック・ミカ・バンド以降、波乱の、そして充実したアーティスト活動を辿り、そのときどきに残した名作を紹介していきたい。決して “ライディーン” だけの人ではなかったことがよくわかるはずだ。

サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(1974)

 サディスティック・ミカ・バンドの2作目。英国で発売されたファースト・アルバムを聴いた英国人プロデューサーのクリス・トーマスがバンドに興味を持ち、プロデュースを申し入れた。当時ピンク・フロイドとの仕事で有名だったが、トーマスはそれまでビートルズやプロコム・ハルム、ロキシー・ミュージックといった高橋幸宏のルーツとなるアーティストを手がけていただけに、まさに運命の出会いでもあった。このアルバムでは高橋幸宏の楽曲は採用されていないが、やがてサディステック・ミカ・バンドでドラマーとしてだけではなく、作曲者としての才能も開花していくことになる。同バンドは1975年に英国でロキシー・ミュージックのツアーの前座を務め、観客として観に来ていた後のジャパンのスティーヴ・ジャンセンが高橋幸宏のドラミングに大きく影響されたというのは有名な逸話。日本のロックの歴史に残る名盤でもある。

 サディスティック・ミカ・バンドが1975年に解散したあとは、高橋幸宏はフュージョン・バンドのサディスティックスに在籍しつつ、セッション・ミュージシャンとしての活動を続けるが、1978年に細野晴臣からイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に勧誘される。と同時に、坂本龍一をコ・プロデューサーとして初のソロ・アルバムも制作。

高橋ユキヒロ『サラヴァ!』(1978)

 直後のYMOやそれ以前のバンドのキャリアとはまたちがう、フレンチ・ポップやボサノヴァなど落ち着いた世界を提示したソロとしてのデビュー・アルバム。同時期にソロ・デビューを果たした坂本龍一のオーケストレーション、アレンジが耳を惹く。とても26歳の若者の作品とは思えないが、本人としてはヴォーカルの一部に不満を持っていたとのことで、2018年にヴォーカルのみを新録した『サラヴァ! サラヴァ!』を発表している。40年の時を経たシンガーとしての円熟が際立ったが、この若さあふれるオリジナルもやはりいい。

イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979)

 YMOのセカンド・アルバム。本作の収録の “ライディーン” は当時シングルで大ヒットしたにとどまらず、21世紀に至るまでCM曲、パチンコのBGM、携帯電話の着信音、はたまたプロ野球での応援曲などさまざまなシーンで流れる日本の風景の音となった。その “ライディーン” だけでなく、YMOのニューウェイヴ化を加速したアルバム・タイトル曲もYMOの歴史にとって重要な作品となった。

イエロー・マジック・オーケストラ『BGM』(1981)

 大ヒットして時代のアイコンとして消費されることに疲れたYMOが素となって脱ポップを行った一枚。TR-808とプロフェット5をメインの楽器とし、それまでのわかりやすいテクノポップとは一線を画すアルバムに。そんななかで高橋幸宏単独作の “バレエ” 、細野晴臣との共作曲 “キュー” にはデカダンなロマンティシズムが滲む高橋幸宏らしい楽曲に。神経症となっていた苦しみも見せる “カムフラージュ” も重要な作品だろう。

高橋幸宏『ニウ・ロマンティック』(1981)

  “ロマン神経症” という副題(邦題)もついたソロとしては3作目のアルバム。本作とYMOの『BGM』、鈴木慶一とのユニットのザ・ビートニクスの『出口主義』と1981年に発表された高橋幸宏の関連3作はどれも傑作で、この時期の創作に対する巨大なモチベーションには畏怖するほかはない。収録曲の “ドリップ・ドライ・アイズ” はもともとサンディーへの提供曲だが、ここでセルフ・カヴァー。デニス・ボヴェルは同曲を聴いて世界最高のダブ・ポップ・ソングだと驚愕したと後にインタビューで話している。

 YMO散開後、改めてソロ・アーティストとして歩んでいった高橋幸宏。その作品からはYMO時代のわかりやすい過激さや先進性は見えにくくなっていったが、そのぶん楽曲のよさが浮き彫りにもなっていった。

高橋幸宏『EGO』(1988)

 YMO散開後5年という節目の年にリリースされた9枚目のソロ・アルバム。親しい知己の死やさまざまな重圧を感じながら制作されたこのアルバムでは、冒頭のサイケデリックなビートルズ・カヴァー “トゥモロー・ネヴァー・ノウズ” や鈴木慶一作詞の “レフト・バンク” など重い曲の印象が強いが、高橋幸宏がキャリアを通して定期的に作っていったエレクトロ・ファンク曲の “エロティック” や80年代末シンセ・ポップのお手本のような “ルック・オブ・ラヴ” など隠れた名曲も配置されたバランスのよい中期の重要作。細野晴臣、坂本龍一、クリス・モズデルといったYMO人脈の恒常的な参加もここで一区切りつくことになる。

高橋幸宏『Heart of Hurt』(1993)

 高橋幸宏のソロとしてのキャリアを総括するセルフ・カヴァー・アルバム。デビュー作の “サラヴァ!” からJ-POPの最前線で奮闘した近作まで、アコースティックな響きで再構築。 “蜉蝣” には大貫妙子が、 “ドリップ・ドライ・アイズ” にはサンディーがゲスト・ヴォーカルで参加している。高橋幸宏の楽曲のよさとヴォーカリストとしての魅力を再確認するには最適の1枚。

高橋幸宏『ザ・ディアレスト・フール』(1999)

 1997年に立ち上げた自身のレーベル、コンシピオからの1枚。1990年代を通して続いたJ-POP的な立ち位置からはずれ、テクノや打ち込みの音楽への回帰が鮮明になってくる。収録曲の約半数が鈴木慶一とのザ・ビートニクスとしての共作だが、他の曲ではスティーヴ・ジャンセン、砂原良徳、元ストーン・ローゼズのギタリスト、アジズ・イブラヒムなども参加。21世紀の高橋幸宏の音楽の予告アルバムのような趣きもある。

 21世紀に入ると、高橋幸宏はソロ・アーティストとしての活動と並行して、ザ・ビートニクス、サディスティック・ミカ・バンド、YMO(さまざまな名義で)といったかつてのバンドの再始動とともに、若いアーティストたちとの新バンドの結成も行った。

スケッチ・ショウ『Loop Hole』(2003)

 細野晴臣とのユニットのセカンド・アルバム。デビュー作の『オーディオ・スポンジ』(2002)がエレクトロニカとポップ・ソングの折衷のアルバムで、それはそれで魅力があったのだが、エレクトロニカ、電子音楽に舵を振り切った本作がやはり映える。前作に続き坂本龍一が参加して後のYMOの再再結成へと繋がっていく一枚。小山田圭吾も参加して重要な役割を果たしている。

高橋幸宏『ブルー・ムーン・ブルー』(2006)

 スケッチ・ショウなどの課外活動が多かったため、6年半ぶりのリリースとなったひさしぶりのソロ・アルバム。21世紀以降のエレクトロニカ、電子音楽路線と、高橋幸宏ならではのロマンティックな作風が自然と融合した21世紀の高橋幸宏を代表する1枚となった。ブライアン・イーノ&ジョン・ケイルのカヴァー “レイ・マイ・ラヴ” のほか、80年代の名曲の再構築 “スティル・ウォーキング・トゥ・ザ・ビート” 、メルツのアルベルト・クンゼやハー・スペース・ホリディのマーク・ビアンキをゲストに迎えての曲など聴きどころが多い。

pupa 『Dreaming Pupa』(2010)

 高野寛、原田知世、高田漣、堀江博久、ゴンドウトモヒコとのバンドの2作目。まだどこか手探りの感があったファースト・アルバムにくらべて、多くのライヴをこなした後だけにそれぞれの個性が有機的に絡み合い、バンドとしてのその後が楽しみだったが高橋幸宏の死去によって活動が途絶えたまま本作がラスト・アルバムに。

高橋幸宏『Life Anew』(2013)

 ソロとしてのラスト・アルバムということになるが、実態としてはジェームズ・イハ、高桑圭、堀江博久、ゴンドウトモヒコとの新バンド、イン・フェイズのアルバムとなっている。高橋幸宏のルーツである60〜70年代のロック・サウンドに回帰した1枚。本作の制作前に自身の音楽ルーツを紹介する半自伝本『心に訊く音楽、心に効く音楽』(PHP新書)を上梓しており、この時期の高橋幸宏のモードがそちらに振れたということだろう。以降、ソロでの活動もその路線を踏襲していくことになった。

METAFIVE『Meta』(2016)

 ソロとは一線を画した最後のバンド活動がMETAFIVEだった。テイ・トウワ、小山田圭吾、砂原良徳、ゴンドウトモヒコ、LEO今井というそれぞれソロとしてのキャリアを確立していたアーティストたちによる、いわばエレクトロニック・スーパー・バンド、スーパー・セッション。以前から親交を重ねてきた間柄だけにこのファースト・アルバムからバンドとしての一体感は完成しており、ライヴ活動も盛んに行った。エレクトロ・ファンクの冒頭曲 “Don’t Move” から怒涛。

ザ・ビートニクス『Exitentialist A Xie Xie』(2018)

 1981年から断続的に活動してきた鈴木慶一とのユニットの最後のアルバム。pupaやMETAFIVEが幻となってしまったその先を見たかったという思いを抱かせるのに対して、本作は、本人たちにそのつもりはなかったはずだが、いま聴くと長年の活動を見事に完結させた作品とも思える。ニール・ヤングのカヴァー作品など同世代のふたりのルーツであるオールド・スクールのロック作品からユニットのデビュー作からここまでのさまざまな音楽的変遷がそこここに現れている。アルバムのラスト曲 “シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA” は赤塚不二夫原作のアニメ “おそ松さん” の主題歌で、TRIOに影響を受けた明るく楽しいニューウェイヴ・ダンス・ポップ。ライヴではコミカルなフリ付きで演奏された。2018年の高橋幸宏の誕生パーティではDJがかけたこの曲に合わせて高橋幸宏と鈴木慶一がフリ付きで踊り、一般のファンも大勢いた会場内が熱く盛り上がったことをいまでも思い出す。

 ここに挙げたアルバム以外にも、高橋幸宏作品はどれもおもしろい。J-POPの本道をいくような作品も、椎名誠映画のサントラや山本耀司のショーのためのインストゥルメンタル・アルバムにも意外な魅力がある。プロデューサーとして手がけた多くの名作も忘れがたい。いつか機会があればそれらも紹介したい。
 幸宏さん、たくさんの素敵な音楽をありがとうございました!

R.I.P. Yukihiro Takahashi - ele-king

 高橋幸宏が亡くなった。今はただただ悲しい。寂しい。もちろん私はいちファン、いちリスナーでしかない。氏と交流のあった方の悲しみは、もっともっと深いだろう。坂本龍一のあのグレーのツイートのように。
 しかしわれわれファンも皆、深い喪失感に襲われているはずだ。あの高橋幸宏がこの世から旅立った。これから高橋幸宏のいない世界なのだ。悲しくてやりきれない。なぜだろう。答えは簡単だ。ある意味、高橋幸宏こそテクノポップだった。もちろんYMOは3人揃ってこそYMOだが、テクノポップとしてのYMOを象徴したのは高橋幸宏だったのではないかと私は思うのだ。彼のドラムはYMOの脈動だし、彼のヴォーカルはYMOのトレードマークだったし、彼のスタイリングはYMOの美意識だった。
 脈動。トレードマーク。美意識。ここから導きだされることは簡単だ。憧れだ。端的にいおう。皆、あなたのようになりたかった(でも誰もなれない。当たり前だ)。スタイリッシュでクール、ユーモアと優しさ。鋭さとセンチメリズム。そしてヨーロッパ的な美学。すべてが憧れだった。その高橋幸宏が消えた。旅立った。こうなりたかった「大人」が消えたのだ。悲しいに決まっている。
 それにしても「追悼、高橋幸宏」と書いたときの非現実感が凄まじい。それが現実であることの残酷さ、辛さを噛み締めつつ書いていこう。故人の才能と功績を思う存分讃えよう。それが追悼だ。魂を悼むのだ。

 最初に書いたように高橋幸宏は、日本のエレクトロニック・ミュージックを象徴するアーティストだ。テクノからエレクトロニカまで、彼が日本のポップ・ミュージックに海外のエレクトロニック・ミュージックの新しい潮流を導入した功績はあまりに大きい。80年代のソロ・ワークは、日本における最良のニューウェイヴだったことを思いだそう。
 もちろんリンゴ・スター直系のドラマーとして実力はいうまでもないし、ジョージ・ハリスン的な歌唱方法を、より硬質にしたヴォーカリストとしての魅力も言うまでもない。あえて言えば彼はビートルズのダークホースをひとりで体現した日本人ミュージシャンだったのだ。
 
 ここまで書けば分かる。彼はエレクトロニック・ミュージックに留まらず、70年代以降の日本のポップ・ミュージックを代表するような稀有な存在なのである。
 加藤和彦、細野晴臣、坂本龍一、鈴木慶一、スティーブ・ジャンセン、高野寛、東京スカパラダイスオーケストラ、砂原良徳、小山田圭吾、原田知世、LEO今井、ラブサイケデリコなど、錚々たる面々の、個性の異なる優れた音楽家たちとつながってきた。そう、高橋幸宏は音楽家と音楽家、ひいては音楽と人を繋ぐ人だった。
 だからバンドの数も多い。関わった自身のバンド名をあげるだけでも目眩がする。サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックス、YMO、ビートニクス、パルス、スケッチショウ、ヒューマン・オーディオ・スポンジ、HASYMO、ピューパ、イン・フェーズ、メタファイヴ……。そのどれもが日本のポップ・ミュージックの豊穣さを体現するバンドばかりだ。この目も眩むようなリストのなかで私がとくに愛するのは再生YMO『テクノドン』(1993)、ビートニクス『M.R.I』(2001)、スケッチショウ『LOOPHOLE』(2003)、ピューパ『floating pupa』(2008)だ。 
 もちろんミュージシャン/ドラマーとしての客演は星の数ほどあり、私などよりマニアの方が詳しいだろう。個人的に印象深い参加アルバムと言えば加藤和彦のヨーロッパ三部作(『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』)だろうか。
 また高橋幸宏のドラミングといえば、スネアの鋭い音が魅力だが、個人的にはハイハットの細かな刻みも大好きだった。彼のドラミングの鋭さを知りたい方はまずはイエロー・マジック・オーケストラのグリークシアターの1979年のライヴ映像を観てほしい。録音としては『GijónYMO - Yellow Magic Orchestra Live In Gijón 19/6 08』(2008)、『LondonYMO - Yellow Magic Orchestra Live In London 15/6 08』(2008)、『No Nukes 2012』(2015)など、00年代以降のYMOのライヴ録音を熟成されたドラミングを満喫できる。
 何よりソロ・ワークを忘れてはならない。私が彼のアルバムでもっとも愛するのは『ニウロマンティック』(1981)と『Ray Of Hope』(1998)と『ブルー・ムーン・ブルー』(2006)である。この3枚を聴いても分かるように高橋幸宏のソロ・アルバムは時代をサウンドのモードを象徴してきた。80年代のニューウェイヴ(シンセ・ポップ)、90年代のフォーキーなポップ・ミュージック、00年代のエレクトロニカ、10年代のルーツ・バック的なロック・バンド編成の再解釈と時代を超えてさまざまなスタイルの音楽を奏でてきた。その上でいえば、80年代のYMO以降、「テクノ」を忘れずに追求してきたのも彼だった。その総決算がメタファイヴの2枚だったように思う(彼のソロ・ワークに必ずテクノ・トラックが入っていたことを思い出そう)。
 コラボレーション/ゲスト参加では、ドイツのフォークトロニカ・ユニット、ラリ・プナ『Our Inventions』(2010)の収録曲“Out There”が忘れ難いように、彼は00年代エレクトロニカを積極的に紹介した功労者でもある。ちなみに最後のレコーディングは、2022年8月にリリースされた大貫妙子の“ふたりの星をさがそう”(網守将平・編曲)のセルフカヴァーだったという(網守将平のツイートによる)。
 プロデュース・ワークも数多くあるが、意外なところでユニコーンのEBIが1991年にリリースしたアルバム『MUSEE』を思い出す人も多いのではないか。プロデュースをムーンライダーズの面々と分け合っており、幸宏サイトではスティーブ・ジャンセンも参加しているという隠れ(?)名盤である。

 この多彩な音楽遍歴の過程において、高橋幸宏の周りには、いつも多く音楽家が集まり、新しい音楽を奏でていた。しかし中心にいるはずの彼は少し離れた場所から、集まった音楽家たちを見つめ、穏やかな微笑をたたえている、そんな印象がある。
 その鋭いドラミングとは相反するような微笑。微笑の向こうに、いいようのない孤独さがあるようにも思えた。それこそ高橋幸宏のロマンティシズムとセンチメンタリズムの結晶のようなものだったのかもしれない。
 でもそこに生を否定するものは何ひとつなかった。師であるはずの加藤和彦が亡くなったときも、私の知る限りではメディアで受けたインタヴューはひとつだけで、その死について語ることはなかったはず。彼は生きることで死者への追悼としたのだと思う。
 だからわれわれもそうしなければならない。最後の彼の曲はメタファイヴの“シー・ユー・アゲイン”だった。また、会おう。最後に残したツイートは、みんなありがとうだった。

 訃報を知って私はスケッチショウの『LOOPHOLE』の最後に収録された“ステラ”を聴いた。星屑、スターダストになってしまった人たちへの優しいレクイエムのような美しいフォークトロニカだ。
 ベタベタした悲しみは高橋幸宏には似合わない。青空のしたで少しだけ泣くような気高いロマンティシズムこそ高橋幸宏だ。でも、今はこの曲を聴いて乾いた瞳を濡らすことを許してほしい。あなたの存在を感じることができなくなったから。でも、ボク、大丈夫!といえるときは必ずくる。なぜって?あなたの音楽はここにあるから。明日も明後日もその次も。『サラヴァ!』ではじまって、“シー・ユー・アゲイン”で終わる粋な音楽人生のすべてがあるのだから。

 “ドリップ・ドライ・アイズ”、“元気ならうれしいね”、“シー・ユー・アゲイン”、“ステラ”、“今日の空”を心の中で再生しながら(今はまだ聴けない。いや、本当のことをいえば“ステラ”だけは一度聴いた)、この文章を書き上げました。どうか安らかに。その魂に平穏を。

Tomoyoshi Date - ele-king

 2022年、夏。日本ではブライアン・イーノの存在感が強まっていた。ゴージャスで華々しい大興行というわけではない展覧会「AMBIENT KYOTO」が想像以上の盛り上がりを見せたことは、暴力の吹きすさぶ大変な年にあって、落ち着いて物事を考えたいと願う人びとが多くいたことのあらわれだったのかもしれない。
 あるいは土壌が整っていたからとも言える。海外から眺めたとき、横田進吉村弘など、日本はアンビエント大国に映るだろう。伊達伯欣(トモヨシ)もまた、盟友ともいえる畠山地平と並び、00年代後半以降の日本のアンビエントを代表するプロデューサーだ。その新作は、イーノ『Music for Airports』を想起させる。12月19日にリリースされた同作は、日本の人びとがあらためてオリジナルの「アンビエント」に向き合うことになった2022年を締めくくるにふさわしく、そして、年始のどこか虚ろなこのムードにも適した音楽に仕上がっている。

『Music for Airports』を継承しようとする意志は、2011年のセカンド『Otoha』にすでによくあらわれていた。ピアノ以外にもギターやヴィブラフォン、アコーディオンなど多くの楽器がフィーチャーされた賑やかなファースト『Human Being』(2008)から一転、思い切ってピアノの旋律とフィールド・レコーディングとの共存に力点を置いた『Otoha』は、現代において『Music for Airports』の復権と更新を宣言するアルバムだったと言える。いかに『Music for Airports』を継承し、発展させていくか──それが音楽家としての伊達の使命だ。単独名義としては3枚目となる『438Hz As It Is, As You Are』もその系譜に連なる、ピアノが印象的な作品である。端的に、すごくいいアンビエント・アルバムだと思う。
 本作は「古いピアノを438Hzに調律して録音し、レコードのピッチを、その時の気分に合わせて自由に調整する」というコンセプトでつくられている。彼史上もっとも音質にこだわった作品でもあるという。『Music for Airports』同様、曲数は4。デジタル版にはそれぞれの45回転と33回転、計8トラックが収録されている。
 かさかさと微細な具体音がピアノを引き立てる “光”。あたたかな音階にベルがさりげない彩りを添える “熱”。じっさいにフィールド・レコーディングされた水音を交えつつも、あくまでピアノでその穏やかさを表現する “水”。小刻みに震える電子音と鳥たちの鳴き声がコントラストをなす “土”。どの曲も穏やかで、やさしい。
 振り返れば、彼の関わる作品のほとんどは明るく平穏で、日だまりのような安らぎに満ちていた。ダークで重々しかったり、寂寥感を漂わせる類のアンビエントとは真逆のアプローチだ。伊達の朗らかなサウンドは、シューゲイズから影響を受け、ときにサイケデリックな表情を見せる畠山とも異なっている。2007年のデビュー作、すなわち畠山とのオピトープ(Opitope)のアルバムは、そんな両者のよい部分がうまく折衷された作品だった。
 現時点で4枚(うち1枚は坂本龍一との共演盤)を残すメイン・プロジェクト、コリー・フラーとのイルハ(Illuha)もそうだし、ベットウィーン(Between)やメロディア(Melodía)といったユニット、近年のスタン・フヴァール(Stijn Hüwels)Asuna らとのコラボもそうだ。伊達のやさしさはおそらく、医者という職業よりもむしろ、彼の人柄に由来するものなのだろうと思う。それは本作のタイトル、「あるがまま、あなたのままに」ということばにもよくあらわれている。

 近年はクレア・ロウセイウラフェリシア・アトキンソンといった才能が頭角をあらわし高く評価されている。そういった音楽のファンで、すでに20年近くこの国で活躍している伊達の音楽をまだ知らないひとは、ぜひとも彼に注目してほしい。それは、この暗いご時世にひとときのカームダウンを体験させてくれるからという理由だけではない。最初の「アンビエント」がどのような音楽だったのか、思い出させてもくれるから。

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