「Low」と一致するもの

Public Enemy - ele-king

 80年代後半、Boogie Down Productions らと共にコンシャス・ヒップホップのムーヴメントを作り出し、さらにその革新的な音楽性によって、ヒップホップ史上最も偉大なグループのひとつとして高く評価されている Public Enemy。1987年にリリースされた1stアルバム『Yo! Bum Rush the Show』から代表作である2nd『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』(1988年)を経て、4thアルバム『Apocalypse 91... The Enemy Strikes Black』(1991年)くらいまでが彼らの作品としてのピークであるが、2000年以降も精力的に制作を続けており、今年(2020年)9月に通算15枚目のアルバムとしてリリースされたのが本作『What You Gonna Do When the Grid Goes Down?』である。

 80年代の Public Enemy をリアルタイムに知っているようなヒップホップ・ファンであっても、おそらく近年の彼らの作品をチェックしていた人は多くはないだろう。個人的にも90年代後半の時点で、彼らのメッセージや音楽性も含めて全てが時代遅れに感じていて、過去の偉大なアーティストという位置付けであったのは否めない。しかし、コロナ禍かつBLMムーヴメントが盛り上がっていた今年6月にリリースされた、DJ Premier のプロデュースによる先行シングル “State of the Union (STFU)” を初めて耳にした瞬間、あの最も輝いていた頃の Public Enemy を思い起こさずにはいられなかった。(リリース当時)大統領再選を目指していたドナルド・トランプへ向けた、Chuck D と Flava Flav が発するストレートなメッセージと DJ Premier のハードなビートは、いまの時代の空気感にも完全にフィットし、ヒップホップの持つ普遍的な力を改めて証明してくれた。

 アルバム・タイトルにある「Grid」はインターネットを意味しており、Cypress Hillと George Clinton をゲストに迎えた “GRID” では、インターネットに依存した現代社会へ警鐘を鳴らしている。正直なところ、このテーマにはあまりピンとこないのだが、2010年代以降、Public Enemy のほぼ全てのアルバムに参加し、本作のメイン・プロデューサーとも言える C-Doc が手がけるロックテイストの強い、90年代前半頃の Public Enemy らしいサウンドに乗った Chuck D のラップには往年の勢いを感じさせ、自然と頭が揺れてくる。

 本作の目玉と言えるのが、Public Enemy の代表曲のセルフリミックスである “Public Enemy Number Won” と “Fight The Power: Remix 2020” の2曲だろう。前者はオリジナルの “Public Enemy #1” そのままのトラックの上で、Beastie Boys の Mike D と Ad-Rock が初めて Public Enemy のデモを聞いたときの思い出話をイントロで語り、さらにメインの部分には Run-DMC が参加。残念ながら Run-DMC のラップに最盛期のキレは感じられないものの、Public Enemy、Beastie Boys、Run-DMC という3者の夢の共演には興奮せずにはいられない。BLMムーヴメントに呼応してシングル・リリースされた “Fight The Power: Remix 2020” には Nas、Black Thought、Rapsody、YG などベテランから若手まで幅広くゲストが参加し、原曲のメッセージ性がいまなお色褪せないことを教えてくる。

 ちなみに本作は Public Enemy の古巣でもある、いまなおアメリカを代表するヒップホップ・レーベルの〈Def Jam〉からリリースされており、実に26年ぶりのレーベル復帰となる。もちろん、今後も〈Def Jam〉との契約が続く保証もないし、本作によって彼らが第一線に復帰したというわけでもない。しかし、このアルバムによって、Public Enemy があの黄金時代の輝きを一瞬でも取り戻したことは、一ファンとしても実に喜ばしいことである。

ジオラマボーイ・パノラマガール - ele-king

 このごろ90年代のことをよく考える。夢にみるほどである。そこで私はオシャレなサブカル雑誌の編集者で六本木にある編集部を出て大通りを交差点のほうから西麻布にむかって東北へ歩いていると、大きいだけで味気ないビルが建っているべき「六本木六丁目交差点」のあたりに、私は20余年前になくなったはずの小ぶりなビルが建っていた。
「WAVE」の文字をかかげた青灰色の窓のない概観はミズっぽさがなかなか抜けない六本木の空間で異彩を放っており、甘い水にさそわれる蛍のように建物内にすいこまれると、フロア一面を無数の棚がしめており、そこには世界各地から集めたレコードがびっしりならんでいる。そうだ、ここでは4階から順繰り降りながら全フロアをくまなくみてまわるのがノルマだったと気づいた私はエレベーターで現代音楽コーナーをめざすのだが、お客さんも店員も、建物内のすべてのひとたちが知り合いなのにしだいに気味がわるくなり、地下の映画館に逃げ込むも、次から次にあらわれるモギリのみなさんがまたしても顔見知りで、ことばにならない不安をおぼえながら、おそらくフィリップ・グラスが音楽つけただかなんだかの映画をみるともなくみて、逃げ帰るようにその建物をあとに、たちよった書店で手にした雑誌の表紙に、あっ、と声をあげたのはそこに「特集岡崎京子」とあったからである。

 私はサラリーマン編集者だったときも競合他誌なるものを意識したことはないが、勤めはじめてほどない、たしか2000年あたりだったかに出た「スイッチ」のこの特集と、会社に三行半をつきつけたあたりに出た「ペン」のキリスト教の特集にはやられたと思った。なんとなれば、雑誌の特集には時代のほかにたよるあてもない。追認や迎合や、ましてや広告宣伝などではなく、それが世に出てはじめて、読みたかったのはこれなのだと気づかせるなにかを、私は先述の2誌の特集にみたのであろう。
 とはいえ「スイッチ」の特集は「岡崎京子×90年代」だった(と思う)。また恐縮なことに、私はこの号を青山ブックセンター六本木店で購入したものの1ページもめくることなく編集部内で紛失してしまい、いまにいたるも内容のひとつも知らない。やられたとかいえた義理でもないのだがしかし、テーマや書名だけでなりたつ本や雑誌というものもある。2000年代初頭岡崎京子をとりあげるのはその典型であるように私に思われた、その一方で思うのである、なぜ90年代なのか。幕を下ろしたばかりの90年代への追慕の意味合いがあったにせよ、岡崎京子は90年代の表象なのか。岡崎京子の(六本木WAVEが開店した)1983年から96年にいたる(現状での)活動期間を考えると80年代のほうが長いではないか。そしてまた90年代は特定の人物や事象に収斂する時代なのか。それはひとことでいえるようなことなのか。

 そもそもいつからが90年代なのか。この問いが多くの識者を悩ませてきたのはひとの世は数値ほどデジタルではないからである。2020年代に入った途端に2010年代が蒸発するはずもない。その線でいけば、90年代と80年代もたがいにのりいれているであろう。それさえもみるものによる視差がある――とはいえ90年代を起点に2年以上は前後しないのではないか。そうでなければディケイド切りそのものがあやふやになる。この点をふまえ、仮に1990年代のはじまりは2年前の88年だったとしよう。
 1988年は昭和63年である。世はバブル景気に湧き、リクルート事件が起こり、4月の東京ドーム公演をもってBOØWYが解散した。その2年前のチェルノブイリ事故を受けたブルーハーツの「チェルノブイリ」は自主レーベルからは出せたけどRCの『Covers』は大手だったので発売できなかったのも88年。この年の3月10日号から掲載誌が休刊の憂き目をみる11月10日号まで『ジオラマボーイ・パノラマガール』は雑誌「平凡パンチ」に連載した、作者の経歴では中期の代表作ということになろうか。

 物語は東京郊外の高校生である津田沼ハルコと神奈川健一のすれちがいと出会いを軸に、ふたりの家庭や学校生活がからまる構図をとっている。設定への特段の註記はないが、時制はおそらく作品連載時と同じく1988年、舞台は東京の郊外であることは主人公の名前があっけらかんとしめしている。本作はほかにも、岡崎作品を同定する指標である音楽、ファッション、風俗への遊戯的な言及があり、そのことは文化系男女の共感の入口であるばかりか、作者の人間観ひいては人物造形の土台ともなる。事物性をつきつめたはてにあらわれるモノになった身体同士が擦れるさいにたてるあの乾いた孤独な音が岡崎京子の主調音であれば、それは1989年の『Pink』で剥き出しになり、このあたりを90年代のはじまりとするのが至当だが、すでにしてそれは1988年の『ジオラマボーイ・パノラマガール』に潜んでもいた。
 80年代から90年代へのグラーデションが『ジオラマ~』を彩っている。『リバーズ・エッジ』や『ヘルター・スケルター』など、映画にもなった後期の代表作と比して『ジオラマ~』には作家として洗練の課程で整理すべき雑多な要素が手つかずでのこっている。広津和郎なら散文精神とでも呼びそうなものと娯楽性の帳尻をどのようにあわせるか。瀬田なつき監督の『ジオラマボーイ・パノラマガール』にのぞむにあたって、私がもっとも興味をおぼえたのはその点だった。

 結論からもうしますと、瀬田なつきは原作の輪郭をなぞりながらも『ジオラマボーイ・パノラマガール』をまったく新しい物語に「再生」している。主人公の渋谷ハルコと神奈川ケンイチを演じるのは山田杏奈と鈴木仁。俊英ふたりの存在感には高校生の男女の出会いとすれちがい、恋や片思いといった一大事を描くにうってつけのみずみずしさがある。
 その一方で、物語の設定には異同がある。ハルコの苗字は津田沼から渋谷にかわり、彼らの生活圏もどこぞの匿名的な郊外から湾岸方面に移っている。そのことはスクリーンに映る光景が如実に物語るが、現在の空気と地続きの景色を前にして、私は90年代にはしぶとくのこっていた中心と周縁といった二項対立の枠組みがきれいさっぱりなくなっているのに気づいた。渋谷と津田沼は本来、パルコとパルコレッツ、ラフォーレ原宿とラフォーレ原宿・松山ほどの隔たりがあったはずだが、標準化の波にあらわれた世界における差異は類似性のバージョンとして誤差の範疇に収斂する。このことは些末なようでいて1990年代と2020年代の懸隔をみるうえで不可避であるばかりか物語の主題とも密接にかかわっている。なんとなれば『ジオラマボーイ・パノラマガール』とはタイトルがあらわすとおりトポスの物語なのである。

 原作の副題「“BOY MEETS GIRL!” STORY “IN SHU-GO-JU-TAKU”」もまた、作者がこの作品を場所性から構想していたことをほのめかす。むろん創作における構想などきっかけにすぎず、マンガも映画も、ときにそのことをわすれたようにすすむが、彼らがよってたつのもそのような場所であるのにかわりはない。作中では集合住宅に住むハルコと戸建て住まいのケンイチの対比が基調となる。では集合住宅と戸建てとのちがいとはなにか。この問いに橋本治は『ぼくたちの近代史』で家には外があるがマンションには内側しかない、と答えている。さらに家庭の主婦などはちょっとばかしカンちがいしているのかもしれないが、彼女らは家庭に仕えるのでも家庭というカテゴリーに仕えるのでもなく、「家」という建物に仕えている、と喝破するのである。
「家というものが町の中に、そのような置かれ方をしてしまっているんだから、家に仕えるしかないわけで、これを断つ為には家から消えるしかないってんで、俺もう、家なんか見るのもやだってマンションに行っちゃったのね、逃げるように。
 家っていうのは一つの観念なんだよね。この観念てのは、とっても土着的なもので、とってもオバサン的なもので、主人を待望するものでもあるけど、決して主人を存在させないようなもので、適応というものを強制するもの。「家庭が」じゃないのね。家ね。家という建物ね。建物が存在する為、存在するだけで、そこに意味というのが派生しちゃうから、家というものは、それだけの意味を持つのね」(橋本治/ぼくたちの近代史/河出文庫)

 橋本の論旨は戸建て住まいのケンイチの両親が不在のかたちで空位になっているところなど、物語の無意識をいいあてるかにみえる。「オバサン的」など、PC的にどうかなーといわれそうなものいいもあるにせよ、そこにはおそらく江藤淳が『成熟と喪失』でこころみたような家父長制分析への橋本からの柔和な回答の側面もあっただろう。本稿ではただでさえ広げすぎの風呂敷をこれ以上広げないためにもこの点は指摘するにとどめるがしかし、橋本の上の発言が1987年11月15日のものであることには留意すべきであろう。
 なぜ日づけまではっきしているかといえば、『ぼくたちの近代史』の元になった講演がこの日おこなわれたから。会場となったのはパルコやWAVEの親会社でもある西武百貨店は池袋店のコミュニティカレッジ、企画の担当者はカルチャーセンターに勤めていたころの保坂和志である。二度の休憩と三度衣裳替えをはさみ三部構成で都合六時間、しゃべりまくりだったという講演のテーマは多岐にわたる。先の発言があらわれるのは「リーダーはもう来ない」と題した第二部。ここで橋本は先の発言につづき「これ(家/筆者註)は何かに似ているって、実はこれ、「田舎」に似てるんだよ」とつづけている。なかなか刺激的な発言だが、そのことばはバブル期につきすすんだ80年代末の時代の空気をまとっている。そしてその空気はおそらく『ジオラマボーイ・パノラマガール』執筆時の岡崎京子が呼吸していたものでもある。
 都市が郊外にむけて自己増殖するような、80年末から90年代初頭にかけたうわついた感じはいまはどこにもない。瀬田なつきはそれらを二度目の東京五輪をあてこんだ2019年の再開発の風景で代用する。舞台が湾岸らへんなのはそのせいだろうが、その一方で橋本のいう「マンション(都会)vs家(田舎)」的な対立の構図もいまでは描きづらい。90年代から現在にいたる失われた30年は成長だけでなくそこから派生する都会や理想的な生活への憧憬をも阻害した。原作のハルコが嫌悪する生活臭も都心へのあこがれも当時よりはずっとうすい。閉塞感の質がちがうといえばいいだろうか、ケンイチは原作でも映画でもある日衝動的に学校を退学するが、そのような高校生はいまでは稀少な部類なのではないか。いまなら辞める前にひきこもるか不登校になる。時間の重み、いや刹那の質みたいなものがきっと変わったのだろう――そんなふうにも30年前に高校生だった私は思う。
 それらの変化にたいして場所性だけが例外というわけにもいかない。先に述べた『ぼくたちの近代史』の第二部「リーダーはもう来ない」につづく第三部を橋本は「原っぱの理論」と名づけている。橋本はそこで原っぱという社会がほしいという。世の中がいくら縮まってもみんなでつくる混沌を存在させる場所、町という秩序のなかにあって、私有権はありそうだけど世間の支配体制のおよばない子どもたちの社交の場のような。高度経済成長期はそんなのが近所のそこここにあった、昭和の最後にバブル景気がおこり、平成がはじまり時代が90年代にはいったころ、街中の原っぱは不動産になった。むろん拡張する都市は郊外をうみだしつづけその外殻には原っぱがある。とはいえ橋本のいう原っぱは阪神淡路大震災とオウム事件が分断する90年代の後半にいたって、岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で描く不吉なものが横たわる現実界にも似た境界域になった。

『ジオラマボーイ・パノラマガール』が描くそこからさらに四半世紀後の世界である。そこではファッションも音楽も流行も、村上春樹の受容の程度も十代の男女の性愛の経験値も90年代とはへだたりがある。日々の暮らしの平坦さひとつとってもそうだ。あの時代からこの方ずっと真っ平らな日々ばっかだったわけはない――、大袈裟にいうとそのことの希望も絶望も描くのが物語の再生であり、この文字面からしてめんどくさそうなことを瀬田なつきは『ジオラマボーイ・パノラマガール』でやってのけている。注目すべきは終始すれちがいつづけたハルコとケンイチがはじめて出会うマンションを建設中のタワマンに置き換えたところ。それにより瀬田は原作の主題は現代的にアップデイトし、あからさまな文明批評を回避する。ゴダール風の冥府降り(昇り?)や不法占拠のパンキッシュさは瀬田なつきと岡崎京子というふたりの作家が二重写しになる場面である。そのはてにあらわれるハルコとケンイチの対面の場面での山田杏奈の表情の変化はとても印象にのこった。このときのハルコの表情の変化には顔色が変わるという慣用句をこえて物語のそれまでの時間をひきうける輝きがある。また余談めいて恐縮だが、映画版は「パン屋襲撃」のくだりがないぶん、『東京ガールズブラボー』が自転車泥棒の逸話を援用している。ほかにも、おばあさんの魂がのりうつるというオカルト要素がUFO的なセカイ系の話に置き換わるなど、90年来来のファンには原作との異同をくらべる楽しみもあるが、私をふくめた古株たちは作中で大塚寧々が演じるハルコの母親と同じ場所にすでに退いているともいえる。小沢健二の「ラブリー」が流れる場面は1990年代(前半)と2020年の若者をつなぐ回路となるが、時間的にも空間的にも多層性を潜在させる世界を側面から支えているのは山口元輝の音楽である。映画音楽を手がけるのははじめということだが、クラブのくだりやエンディング曲など、懐の広さと作品との距離のとりかたなど、映画音楽作家の資質のゆたかさをしめしている。

映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』予告編

Park Hye Jin - ele-king

 2018年に「If U Want It」をリリースし、今年〈Ninja Tune〉からの12インチ「How Can I」が話題となったソウルのプロデューサー/シンガーのパク・ヘジン(박혜진)、この9月には〈Domino〉からブラッド・オレンジとの共作 “CALL ME (Freestyle)”も発表している彼女の緊急来日公演が決定した。12月18日@渋谷CONTACT、12月19日(土)@大阪BLACK CHAMBER。今後どんどん成長を遂げていくだろう彼女の現在を、この耳で確認しておくチャンス。しっかり感染対策しつつ、ぜひ会場へ。


世界が注目する新鋭パク・へジンの緊急来日が決定!
前売(限定枚数)の先行発売を開始!

박혜진 Park Hye Jin
and more

TOKYO | 2020/12/18 (FRI) CONTACT
OSAKA | 2020/12/19 (SAT) BLACK CHAMBER

今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのパク・ヘジンの緊急来日が決定!
2018年のデビュー以降、ベルリンのベルグハイン/パノラマ・バー、イビザのDC-10でのプレイ、そしてプリマベーラ・サウンドへの出演や〈88rising〉主催のフェスティバル『HEAD IN THE CLOUDS FESTIVAL』、さらにジェイミー・エックス・エックスとのロンドンでの共演など、瞬く間に活躍の場を世界へ広げていったDJ、ラッパー、シンガーソングライターとして活躍するパク・へジン。その後〈NINJA TUNE〉と契約し、今年6月にリリースした最新EP「How can I」は発売されるや否や世界中で完売店が続出。最近では、ブラッド・オレンジとのコラボ曲が発表されるなど、その勢いは止まることをしらない。主要音楽メディアやファッションメディアから称賛され、大きな注目と期待を集めている。これは見逃せない!

今回の緊急来日に合わせて、海外で制作され SOLD OUT となっていた「How can I」EPのジャケ写Tシャツを数量限定の再生産が決定! 本日より BEATINK オフィシャルサイトにて、受注受付スタート。商品は12月上旬より順次発送される予定。

How can I T-shirt のご予約はこちら
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11565

박혜진 Park Hye Jin - Can you (Official Video)
https://youtu.be/WUiapHwpEdc

Blood Orange & 박혜진 Park Hye Jin - CALL ME (Freestyle) (Official Video)
https://youtu.be/wPr8zRCQV10

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【東京】
公演日:2020年12月18日(金)
会場:CONTACT TOKYO (https://www.contacttokyo.com)
OPEN / START 22:00
前売:¥3,300 (税込) | 当日:¥4,000
※ 20歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。写真付き身分証をご持参ください。
※ You must be over 20 with photo ID.
INFO: BEATINK 03-5768-1277 [www.beatink.com] / CONTACT 03-6427-8107 [https://www.contacttokyo.com]

【大阪】
公演日:2020年12月19日(土)
会場:BLACK CHAMBER (クリエイティブセンター大阪 https://www.namura.cc/)
OPEN / START 15:00
前売:¥3,000 (税込) | 当日:¥3,500
※ 別途1ドリンク代金¥600必要
INFO:CIRCUS OSAKA https://circus-osaka.com

チケット発売:
先行発売:11/11(水)正午12:00〜
◆BEATINK (https://beatink.zaiko.io/e/ParkHyeJinJP2020)

一般発売:11月14日(土)〜
◆イープラス (https://eplus.jp/)
◆BEATINK (https://beatink.zaiko.io/e/ParkHyeJinJP2020)

企画制作:BEATINK

Gus Dapperton - ele-king

 弱さという壁を乗り越える方法を、NYの若きシンガーソングライター、ガス・ダパートン(Gus Dapparton)はどうやら知っているらしい。プロデューサーとしての才能も持つ優れた音楽性、特徴的な髪型やファッションセンスなど独自かつキャッチーなスタイルで各方面から支持を得る彼は、ポップ・アイコンの新星として光を浴びる存在だ。そんな彼の約2年ぶりのアルバムとなる最新作『Orca』は、ガス・ダパートンの影の側面、自身の内なる弱さと向き合おうとする姿がリアルに描かれている。

 最近ではニュージーランドのポップシンガー、ベニー(BENEE)とのシングル作 “Supalonely feat. Gus Dapparton” がヒットし、昨今を賑わすZ世代のアーティストとしてさらなる注目を集めるなかリリースされた本作。獰猛な哺乳類・シャチの名をタイトルに冠し、彼が過去に経験したトラウマや痛み、ツアー中に抱えたかつての苦悩と対峙しながら償いと赦しを探求していく……というテーマが全体を通して語られてゆく。そのテーマを生々しく強調したのは、デビュー・アルバム『Where Polly People Go to Read』でも際立っていた、耳を惹きつけるキャッチーな歌声だ。ベッドルーム・ポップ的な前作では語りかけてくるような印象だったが、今回は力強く振り絞り出したり、ときにはシャウトしたりとアグレッシヴな歌い方へと変化している。しっかりと聴かせにかかる歌声と、ギターやピアノなどの生音を取り入れたバンド・サウンドとの重なりには、ノスタルジックな切なさというよりも、まだ熱を持つ生傷に消毒液を垂らしたときのひりつきにも近い心のしびれを感じてしまった。

 サウンドと同様、ひりついた叫びや想いが生々しくいたいけに表れたリリック。それでも、楽曲からは孤独さや悲壮感といったネガティヴな印象が払拭され、むしろピュアなポップ・サウンドとして真剣に聴けてしまうのはなぜだろう。その理由は、メンタルに傷を負った自身と向き合おうとする姿と、周囲への感謝をストレートに歌った “First Aid” の終盤には彼の本名が第三者的に登場したり、“My Say So” では客演で参加した Chela が、まるで赦しを与えるかのように歌っていたり、幼少期の臨死体験が元となった “Post Humorous” のリリック・ビデオでは彼の友人らがリップシンクしていたりと、彼を支える多くの存在が本作を彩っているからであろう。人が弱さや苦しみを乗り越えるには、つらく険しい過程を共にするつながりの存在が欠かせないということを意味するかのように。そう気づかされると同時に “Medicine” “Swan Song” でクライマックスを迎えると、なんだか泣きはらしたあとの爽快感にも似た前向きで鮮やかな感傷が胸に残った。

 ガス・ダパートンはこんな場面でも、内なる弱さを乗り越えるためのもうひとつの方法を誰かに与えていたようだ。以前、とある TikTok スターが #BLM 運動の一環としてアップしたキング牧師からの引用キャプション付きの自撮りに批判が殺到した際、彼はこう呼びかけた。「Just because you caption your selfies with an MLK quote doesn't mean this isn't shallow as f**k. (自撮りにマーティン・ルーサー・キングの言葉を引用したからといって、これが浅はかでないという意味ではない)」。このかなり厳しいメッセージを受けた TikTok スターは、しでかしたことの重大さを受け止め謝罪し、世界が直面する問題に対し自ら深く学んだ上で声を上げていくと姿勢を改めたそう。彼の言葉がつながりとなり、ほかの誰かが抱える弱さを乗り越えようとさせたのだ。

 もうガス・ダパートンはただのポップ・アイコンの新星ではないのかもしれない。弱さを乗り越えた彼はいま、人びとから光を浴びる存在ではなく、人びとを光へと導くポップ・スターとしての輝きを新たに放ちはじめていると思う。

Eartheater - ele-king

 例年のようなお祭り騒ぎは見られなかった。仮装しているひとも少なめで、でも人出じたいは前週までの土曜よりも確実に増えていたように思う。つまり、やじうまが多かったということだろうか? 10月31日の夜、ハチ公前の風景。
 コロナ時代におけるハロウィーンはいったいどうなってしまうのだろう──なんて考えなくてもいいことを考えてしまったのは、彼女の背に生えた羽根に見とれてしまったから。他方で尻には火がついている。〆切でも迫っているのだろうか? これくらいはもうインスタ時代のスタンダードなのかもしれないけれど、ジャケがアルカばりにたいへんなことになっている(じっさい、フォトグラファーはアルカを撮ったこともあるダニエル・サンヴァルト)。わたしはじぶんのスタイルをカスタマイズする──かつてそう宣言した彼女らしいヴィジュアル表現だ。
 農場で育ち、馬を友とするアレクサンドラ・ドリューチンによるプロジェクト、アースイーター4枚目のアルバムは『不死鳥』と題されている。ずばり、再生の象徴だ。生物の屍体は土へと還り、またべつの生命の肥やしになる──と彼女は紙エレ23号のインタヴューでも語っている。そういう輪廻転生のような話に彼女は、どうしようもなく自己を重ねてしまうのだろう。
 過剰に視覚に訴えかけるアートワークや「わたしの肌にしたたる炎」なる副題からもわかるとおり、今回のアルバムはコンセプト的にかなり熱い1枚に仕上がっている。前作『IRISIRI』の「水」とは対照的だ。とはいえ溶岩や火山など、地質学的な対象から着想を得ているところは、相変わらず彼女が人新世的な音楽家でありつづけていることを物語っている。
 そんな本作のパッションをもっともよくあらわしているのは、キャッチーなメロディの映える “Volcano” だろう。「欲しいのはいい感じの激突」「山頂をさらに突き上げるために/黙れ/地震を引き起こせ、2枚のプレートのように/岩盤をずらせ/わが火山よ」なんて歌詞は──地震大国に暮らすわれわれには笑えない話だが──まるで蜂起を呼びかける革命家のようでさえある。山岳派、ドリューチン。

 ひるがえってサウンドのほうは、しかし、まったくといっていいほど熱気を感じさせない。むしろ「涼やか」と形容したほうがふさわしいムードに覆われている。ポイントは室内楽の導入だろう。じつはくだんの “Volcano” も、「プラグを引っこ抜けば究極の反ドラッグになるかも/むしろわたしはこっちの(アンプラグドな)生活の中毒」というフレーズではじまっている。これは、本作がエレクトロニクスよりもアクースティック・サウンドを主体としていることのメタ的な確認だ。
 前作やそれと同時期に制作されたミックステープ『Trinity』とは異なり、ここにはテクノのビートもなければトラップのビートもない。“Burning Feather” や “Kiss of The Phoenix” のようにエクスペリメンタルな電子音を聞かせてくれるトラックもあるにはあるが、ひたすら弦の反復で押し通す “Metallic Taste of Patience” なんかはストレートに「モダン・クラシカル」と呼ぶべき曲だろう。ヴァイオリン、チェロ、フルートを担当する楽団、ジ・アンサンブル・デ・カマラの貢献は大きい。“Below The Clavicle” などで挿入されるハープも本作に落ち着いた雰囲気をもたらしている。スペインのサラゴサで録音した影響なのか、いくつかの曲でギターがスパニッシュな響きを携えているのも聴きどころだ。
 もっとも注目すべきはやはり、ドリューチンの声ということになるのだろう。ときにやさしく囁くように、ときに叫ぶように、曲ごとに不安定な表情を見せる彼女のヴォーカルは、「涼しげな」室内楽サウンドとは裏腹に、どこまでも激しく燃え上がり死の淵から蘇る、不死鳥の葛藤を表現している。このアンバランスこそが本作のキモだ。
 前作で高い評価を獲得したがゆえに、尻に火がついてしまったドリューチン。きっとこんなふうに彼女はこれからも都度、おのれのスタイルをカスタマイズしていくにちがいない。

Laura Cannell - ele-king

 相変わらず美しく、そして深みのある音楽だこと。心が嬉しくなるとはこういう音楽のことだろう。
 ローラ・キャネルはイギリスのヴァイオリン奏者であり、インプロヴァイザーである。オリヴァー・コーツの新作のように、キャネルの作品もまずはその音(トーン)によって決定する。それは忘れがたいトーンで、あまりに独自なトーンと響きゆえに、一瞬にしてその場の空気を変えてしまう。あるいはまた、静かで情熱的で、ぎょっとするような強度のある倍音を有している。それはまるで、彼女が自然界と話しているかのような、ある種の言語に思える。
 曲のなかには、ヨーロッパ各処の中世の音楽、スティーヴ・ライヒ風のミニマリズム、レデリウス的な室内楽が混ざっている。とくに近代以前の古いもの──国家がとくに誇りとしていないような、中世の旋律や民謡など──を掘り起こすことは、キャネルのおそらく全作品に通底するコンセプトだ(松山晋也氏なら、この曲は地中海のあのエリアで、この曲は東欧のどこそこで、などと言い当てられるかもしれない)。
 そして場所。
 2014年の実質的なソロ・デビュー作『Quick Sparrows Over The Black Earth』によって注目された彼女は、場所を選んで演奏し、録音している。どこでもいいわけではない。2016年の『Simultaneous Flight Movement』は海沿いの灯台で、2017年の『Hunter Huntress Hawker』と前作『The Sky Untuned』は小さな村の古く荒廃した教会で、今作『The Earth With Her Crowns(彼女の冠をした地球)』は水力発電所で演奏し、録音した。場所もキャネルの作品においては、いわばメタレベルでの楽器である。
 
 クワイエタスはキャネルの音楽を“エイシェント・フューチャリズム(古代・未来主義)”と呼んでいる。以前書いたことの繰り返しになってしまうが、最近は、アイルランド出身のアーニェ・オドワイアー(Áine O'Dwyer)、あるいはアースイーターなんか、エイシェント・フューチャリズム的なアプローチをする人が目につくようになった。自然現象と過去への畏敬の念、そこに未来(それは手法的な未来でもあり、必ずしも楽天的ではない未来である)が絡み合う、強い主張のこもったヴィジョンが空の彼方まで広がる。ちなみに、エイシェント・フューチャリズムの始祖をひとり挙げるとしたら、ぼくはサン・ラーだと思う。

 『The Earth With Her Crowns』はリリースされてからすでに数か月が経っているのだが、初夏、真夏、そして秋から冬へと、ぼくは前作同様このアルバムを部屋のなかでなんども聴いている。彼女の高度な演奏技術ゆえに、曲はオーヴァーダブしたかのように聴けてしまうけれど、すべては彼女ひとりによる即興で、驚くべきは、すべては一台のヴァイオリン(そしてリコーダー)によって演奏されている。
 ローラ・キャネルの演奏は、そしてきわめて詩的で、記憶を反響させ、閉ざされた思いを解放するかのようだ。そう、だからためしに空を眺めながら聴いて欲しいですね。胸の奥から得も知れない感覚がこみ上げてくるだろう。

Jam City - ele-king

 ジャム・シティことジャック・ラザムが帰ってきた。2015年の『Dream A Garden』から5年、ついに新たなアルバムが送り出される。タイトルは『Pillowland』、発売は来週11月13日で、今回は〈Night Slugs〉ではなく自身のレーベル〈Earthly〉からのリリースとなっている。
 プレスリリースによれば、疑念と痛みと混乱と変化に満ちた自らの生活に向きあった結果、アンフェタミン漬けで甘~いポップの夢景色のなかに逃避した内容になっているらしい。ふむ。楽しみに来週を待とう。

Jam City
Pillowland

Earthly

01. Pillowland (2:28)
02. Sweetjoy (2:50)
03. Cartwheel (3:38)
04. Actor (2:01)
05. They Eat The Young (2:30)
06. Baby Desert Nobody (1:32)
07. Climb Back Down (3:26)
08. Cruel Joke (4:50)
09. I Don't Wanna Dream About It Anymore (5:05)
10. Cherry (4:05)

Written & Produced by Jam City
Mixed by Liam Howe and Jam City
Mastered by Precise
All artwork by Jakob Haglof
All photography by Sylwia Wozniak

https://pillowland.org/

第5回 ハラキリを選ばない生き方 - ele-king

 ハッピーハロウィン。あなたがこのコラムを読んでいる頃にはもう、ハロウィンは終わっているだろう。思い立ってdocsに文章ファイルを作成した今日は10月30日。思い立っただけで書きたいことはまだ抽象的で、その抽象的な要素どうしが脳内で4次元構造を作りながら漂っているような状態だ。書き終わる頃にはクリスマスが見えているかもしれないし、一応メリークリスマスとも書いておこうか。

 ハロウィンは明日に迫っているが、世間の浮き足立った空気は今年は感じない。ここ数年の渋谷での激しい盛り上がりが嘘のようだ。去年の今頃、初めての Protest Rave を渋谷で行なった。あの熱気が遠い過去のように感じられる。世界は変わってしまったのだ。ハロウィンといえば年に一度唯一ゴスやダークな世界観のものが表の世界でフィーチャーされる、あるいは表の世界の住人に利用される日だが、そのダークな側の世界は私が日常的に接している世界でもある。そしてそのことを思っていると、なぜ私はダークな力に惹かれ、いつから私はそのダークな力に惹かれはじめたのだろうかと、思いがけず自分の人生を振り返ってしまっていた。おそらく私のコラムを読む人の大半もまたその魅力を知っている側の人だろうと思う。昼/夜、明/暗、陽/陰、天使/悪魔、ライトサイド/ダークサイド、地上/地下などと、世界はしばしば二分される。その二分された世界で私は後者に自分の居場所を見出した。

 私はクリスチャンの家庭で育った。夕食の前には神に祈り、日曜日は礼拝と教会学校に行って聖書を学んだ。自身で選択するまで洗礼は受けなくて良いという親の方針のおかげで私はクリスチャンではない。無神論者のいま、その方針には感謝している。念のために記しておくが、私は神を信じないが、宗教や他者が神を信じることを否定しない。聖書を学ぶ中で天使/悪魔という概念をまず得ることになった。その頃はビートルズが好きでよく聴いていた。
 小学校3年生のときに転校をした。二つ下の弟と両親の四人で住むには木造のアパートは狭すぎたため、郊外に引っ越すことになった。転校後に仲良くなった友人の証言によると、私は転校初日から挨拶もろくにせずにノートにずっと絵を描いていたらしい。よく覚えていない。その学校では “先生のお気に入り”(嘘つき)と喧嘩をして理不尽に怒られたことが何度かあったことを覚えている。神様は全てを見ておられます。なら証言台にも立ってくれ。その頃は KISS が好きだった。血を吐いたり火を吹いたりするのに憧れていた。他のクラスメイトはモーニング娘。を聴いていた。サンタクロースはいなかった。
 その後、順調に反抗期を迎えた私の反抗心は生物学上の親ではなく、宗教上の父=神に、そしてその宗教に向いた。悪魔という存在は、神に対する忠誠心の強化のために排他的で二元論的な価値観が生み出した存在だと私は主張していた。正統派の絵に描いたような中二病に正しい時期に罹患して良かったと思う。その頃よく聴いていたのは Dr Dre と Sean Paul、あと Marilyn Manson や Sum 41。不良の先輩の影響で Cyber Trance も少し。制服の下にバンドTや ALBA ROSA のTシャツを着て、ボタンを開けた制服のシャツの隙間から見えるTシャツの色や、背中に透かして見えるTシャツの柄で精一杯の自己主張をしていた。

 こうしてローティーンまでの人生を過ごし、中二病的な症状が治ったあともいろいろなものと何度も衝突し、そうして自我が成長していくに従い、はじめに書いた後者の世界に自分の居場所を見出していくことになった。
 良い子じゃいられなくなったとき、良い信徒になれなかったとき、お手本に忠実になれなかったとき、その決まり切った価値観から否定されたとき、そこにまた別の世界/生き方/可能性/未来が選択可能だということを示してくれたのがダークサイドのものたちだった。

 「罪を告白せよ」「神はいつも正しい」と言われ、ペニー・ランボーとスティーヴ・イグノラントは「SO WHAT!」と叫んだ。「要するに良い事ー悪い事、ホンモノーニセモノっていう二律背反で物事を考えていくと、どんどん視野が狭くなっていくのさ」と江戸アケミは諭した。彼は幼いときに洗礼を受けたクリスチャンだったが、後に棄教した。坂口安吾は『堕落論』の中で「日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか。私はハラキリを好まない」と記した。二律背反で物事を考えていくと世界は非常にシンプルになる。神の側、あるいは良い事の側、正当な手順の側、ハラキリの側、文頭に書いた前者の側は二律背反で物事を考え、それに反するものを罪/悪魔/悪いこと/ニセモノ/堕落とカテゴライズしてきた。しかし、世界はより複雑であり、前者の側は無数にある選択肢のひとつに過ぎず、そしてその集合以外の場所にも無限の選択肢が存在する。選択肢は生き方であり可能性であり、無限の選択肢は無限の未来を生む。そして無限の未来は必ず希望を内包する。坂口安吾はその「正当」と「堕落」の間に存在する人間性に対する態度の差を指摘した。前者は人間らしさを恐れるあまり規律や戒律によって、あるいは力によってそれを制限しようとする。私もハラキリを好まない。彼は続けて「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と記した。私はダークな力を借りて、そのハラキリを選ばない生き方の中に自身を見出した。二律背反的な思考で大きなものに寄り掛かり、そこに自身のアイデンティティを同化させて依存していては、真に人間らしい自分らしさを発見することができないどころか、その二律背反的な思考で寄り掛かった大きなものに反する人に対しては、その存在をも攻撃し、否定するようになる。規律や戒律によって、あるいは力によって人間らしさや自分らしさが否定されるとき、私たちはそれに向かって「SO WHAT!」と叫ばなければいけない。私は私のやり方で「SO WHAT!」と叫ぶ。君は君のやり方で「SO WHAT!」と叫ぶ。「SO WHAT!」と叫んだ先にこそ二律背反から解放された自由があり、そこでのみ真に自分自身を発見し、救われることができる。江戸アケミは「救われたいんだよ。けど、宗教は嫌なんだよ。だから、何に救われたいかって言ったらリズムで救われたいんだよ」と言っていた。その救いとはまさにこの、自分自身を発見した先にある救いなのではないだろうか。「SO WHAT!」と叫んだ先には無限の可能性や未来があり、その中には必ず希望があり、救いがある。もう一度言う。規律や戒律によって、あるいは力によって人間らしさや自分らしさが否定されるとき、私たちはそれに向かって「SO WHAT!」と叫ばなければいけない。

 ゲイやレズビアンのカップルは子供が産めません。SO WHAT!
 ピンクは女の子の色です。ブルーは男の子の色です。SO WHAT!
 大麻は違法です。SO WHAT!
 日本人らしくありません。SO WHAT!
 言葉遣いが良くないです。SO WHAT!
 そんなんじゃお嫁にいけません。SO WHAT!
 タトゥーは悪の象徴です。SO WHAT!
 あなたの言動は政府の方針に反します。SO WHAT!
 So what, so what, so what, so what, so what, so what, so what, SO WHAT!!!

COMPUMA & 竹久圏 - ele-king

 これは珍しいテーマの作品だ。COMPUMAとギタリストの竹久圏による新たな共作は、京都の老舗茶問屋=宇治香園(創業155年)が掲げる「茶+光+音」のコンセプトに呼応している。
 5年前の共作『SOMETHING IN THE AIR -the soul of quiet light and shadow layer-』のその後を踏まえた内容のようで、なんでもふたりはこの5年で廃園と化してしまった茶園をじっさいに訪れ、着想を得たという。詳しい経緯は下記、宇治香園の茶師・小嶋宏一氏のメッセージをお読みいただきたいが、その根底には茶は光と音と同等か、それ以上のものだという考えが横たわっているようだ。
 アートワークは前回に引き続き五木田智央と鈴木聖が担当。ヴィジュアルにも注目です。

COMPUMAと竹久圏(KIRIHITO/GROUP)による5年ぶりの新作!
2020年11月11日(水)発売

今作は、京都の老舗茶問屋、宇治香園の創業155年の記念の年、同社が取り組んできた音と光で茶を表現する “Tealightsound” シリーズ最新作、大野松雄「茶の木仏のつぶやき」に続く「番外編」として制作されたもので、“Tealightsound” の原点ともなっている、COMPUMA feat. 竹久圏による前作「SOMETHING IN THE AIR ‒ the soul of quiet light and shadow layer -」から5年を経て、廃園となりジャングルのように変貌してしまった茶園にふたりが再訪し、あらためてその茶園よりインスピレーションを得て「音を聴く」という行為を見つめ直して向かいあったサウンドスケープと心象風景を模索する意欲作となっている。アートワークは前作に続き、画家・五木田智央とデザイナー・鈴木聖によるもの。

アーティスト: COMPUMA & 竹久圏
タイトル: Reflection
レーベル: 宇治香園 / SOMETHING ABOUT
品番: UJKCD-5188
形態: CD
定価: ¥2200(税抜) / ¥2420(税込)
JANコード: 4970277051882

01. The Back of the Forest
02. Decaying Field
03. Nostalgia
04. Time and Space
05. Between the Leaves
06. Reflection of Light pt.2
07. Meguriai (An Affair to Remember)
08. Flow Motion
09. The Other Side of the Light
10. Shinobi
11. Enka (Twilight Zone)

Compuma: Electronics, Field Recording
Ken Takehisa: Acoustic and Electric Guitar, Kalimba
Hacchi: Harmonica

Mixed by Compuma and Ken Takehisa
Recorded and Mastered by Hacchi at B1 Umegaoka-Studio, 2020

Produced by Compuma for Something About Productions, 2020

Field Recording Captured at the Tea Plantation in the Mountain of South Kyoto in June 2020

Painting: Tomoo Gokita
Photographs: Koichi Matsunaga
Design: Satoshi Suzuki

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京都の老舗茶問屋〈宇治香園〉の創業150年を記念して、“Tealightsound” を掲げるシリーズの第1弾「SOMETHING IN THE AIR -the soul of quiet light and shadow layer-」を制作したCOMPUMAと竹久圏のコンビが、シリーズ第7弾のリリースを機に5年ぶりに帰ってきました。
COMPUMAによる様々な虫や気配を模したような電子音と、竹久圏が奏でる郷愁ギターに、廃園となった茶畑の時間経過フィールドレコーディング素材が様々な場面で立ち現れ、タイムトリップ感を誘発します。日常のリフレッシュとして役立ちそうな、良質サウンドスケープな内容です。
──山辺圭司/LOS APSON?

Silver ratio (白銀比)という言葉が浮かんだ。圏さんとCOMPUMA氏は直感的に銀色を想起させる二人である。しかしアルミとクロモリの自転車のように、材質も重量感もどっこい違う二人の組み合わせでもある。ギターの音が細やかな筋書きをつくっている。電子の粒子が水や草木の中をくぐって悠々と息をしている。物語が本格的に動き出しそうなところで、ぷつりと幕。こんな音楽が使われている映画を銀幕で観たいんだよな。
──威力

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Reflection に寄せて

こんにちは。私は京都南端の茶問屋、宇治香園で茶師をしております、小嶋宏一と申します。茶師とは、品種や標高で異なる茶葉の特徴を利き分け、組み合わせ、代々続く銘柄を作る、お茶の調合師のような職人のことです。私はお茶が大好きで、その魅力をさまざまな場面でお伝えしたいと考えています。

当園では毎年、創業を茶の起源再考の機会として、光と音で茶を表現する Tea+Light+Sound= “Tealightsound” というコンセプトのもと、茶を感じるクリエイターの方々に作品を制作していただいています。
茶のすばらしさ、魅力を体感していただくには、実際に茶葉にお湯を注ぎ、そこから滲み出した雫を口に含んでいただくのが一番です。しかしそこには、地理的、空間的な制約が生じます。光(アート、写真、デザイン、映像)や音(音楽)は、そうした制約を超え、その存在を伝えることができます。

また一方、茶は飲料、植物、精神文化の拠点となるような多面的存在ですが、日々茶づくりを行う中で、実はもっと巨大な何かなのではないか、と感じるようになりました。そうしたことを、茶と似た質を持つ光と音と共に伝える試みが "Tealightsound" です。

この "Tealightsound" という概念は、平成二十七年の創業記念作品、COMPUMA feat. 竹久圏 / 「Something in the Air ‒ the soul of quiet light and shadow layer -」制作時にぼんやりと思い描いていたことを、徐々に言葉にしてゆく過程で生まれました。いわば「Something~」は、"Tealightsound" の原点なのです。
それから五年の歳月を経て、COMPUMAさんと竹久圏さんに、改めてその原点に向き合っていただく機会を得ました。「Something~」は、とある茶園に捧げるレクイエム、と当時のCOMPUMAさんは書いておられますが、実際その茶園は録音直後に放棄されて廃園となり、その言葉が(偶然)現実化しました。

今、茶業界では急須で飲むお茶離れから若い生産者が減少し、重労働を伴う山間茶園の手入れが難しくなって、放棄される所が急増しています。いったん放棄されるや自然の力はすさまじく、雑草が生い茂って以前の姿に戻すことは極めて困難です。このすばらしい力を秘めた茶の魅力をもっと広く伝えることで、茶に興味を持つ人が増え、茶園に若い力が戻ってきてほしいと、切に願います。

本作「Reflection」は、廃園と化して五年を経た茶園に再訪し、フィールドレコーディングを行うことから制作をスタートしました。かつて美しかった茶園がジャングルのように変貌した姿を前にして、お二人には様々な思いが去来したことと思います。そうした諸々を含めての「Reflection」。何が変わり、何が変わらなかったのか。ぜひ「Something~」と聴き比べていただきたいと思います。

また本年は、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が世界を覆い、様々な価値観を塗り替えたことで記憶される年になろうかと思います。「Reflection」は、そんなコロナ禍のさなか、緊急事態宣言解除後の六月より制作が開始され、十月に完成しました。作品は、望むと望まざるとにかかわらずその時代を映し込みますが、今作は五年後、そして十年後に、どのように聴かれるのか、とても興味深いです。お茶にエージング(熟成)があるように、音楽にも別の形のエージングがあるのかもしれません。これから今作とともに歳月を重ね、それを味わい、確かめてゆきたいと思います。

この作品を、すばらしい音楽、アートワーク、写真、デザインの集まりとして体験していただくとともに、茶そのものにも興味をもっていただき、茶の世界に足を踏み入れるきっかけにしてもらえましたら、とてもうれしく思います。

令和二年十月二十二日
宇治香園 茶師
小嶋宏一

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COMPUMA (松永耕一 / KOICHI MATSUNAGA)
1968年熊本生まれ。ADS(アステロイド・デザート・ソングス)、スマーフ男組での活動を経て、DJとしては、国内外の数多くのアーティストDJ達との共演やサポートを経ながら、日本全国の個性溢れるさまざまな場所で日々フレッシュでユニークなジャンルを横断したイマジナリーな音楽世界を探求している。自身のプロジェクト SOMETHING ABOUT より MIXCD の新たな提案を試みたサウンドスケープなミックス「Something In The Air」シリーズ、悪魔の沼での活動などDJミックスを中心にオリジナル、リミックスなど意欲作も多数。一方で、長年にわたるレコードCDバイヤーとして培った経験から、BGMをテーマに選曲コンピレーションCD「Soup Stock Tokyoの音楽」など、ショップBGM、フェス、ショーの選曲等、アート、ファッション、音と音楽にまつわる様々なシーンと空間で幅広く活動している。Berlin Atonal 2017、Meakusma Festival 2018 への出演、ヨーロッパ海外ラジオ局へのミックス提供など、近年は国内外でも精力的に活動の幅を広げて
いる。
https://compuma.blogspot.jp/

竹久 圏 (KEN TAKEHISA)
ギタリスト兼ボーカリスト兼コンポーザー兼プロデューサー。10才の時にクラッシックギターを始める。12才でパンク・ニューウェーブに打ちのめされる。94年、DUO編成のロックバンド "KIRIHITO" を結成。ギター、ボーカル、シンセ(足)を同時にプレイするスタイルで、ハイテンションなオリジナルサウンドを構築。その唯一無比のサウンドとライブパフォーマンスは海外での評価も高く、現在までに通算4枚のアルバムをリリースしている。2006年にはソロアルバム『Yia sas! / Takehisa Ken & The Spectacrewz (power shovel audio)』を発表。ダブ、ハウス、ロック、ヒップホップ、エレクトロニカを竹久独特のギターリフで繋ぐ、あらゆるジャンルの才能とのコラボレーションとなる大作となった。繊細かつダイナミズムな音楽性のインストバンド "GROUP"、DISCOでPUNKな魅力溢れる "younGSounds" にもギタリスト兼コンポーザー、あるいはアイデアマンとして参加中。その他にも、UA、FLYING RHYTHMS、イルリメ、一十三十一、やけのはら、田我流 等のライブバンドや録音にも参加している。これら完全に趣きの異なる様々なバンド活動以外にも映画音楽の制作やバンドプロデューサーとしての顔も見せ始め、活動のフィールドを拡げている。
https://www.takehisaken.com/

R.I.P. 近藤等則 - ele-king

 近藤等則にインタヴューする機会はたった1度しかなかったが、その時の印象は今なお鮮烈に残っている。とにかく、目力の強い人なのだ。そして語気も荒い。会った瞬間に「極道」という文字が頭をよぎった。本人は普通にしゃべっているのだろうが、あの鋭い眼光と話し方は、傍から見ればケンカをふっかけているように思われるはずだ。私のひとつ前のインタヴュワーだった知人と後日会った時、彼は「ビビッちゃって何を話したのか全然記憶にない」と笑っていた。もちろん私も緊張マックスだった。この時の取材(2015年2月)は、“枯葉” や “サマータイム” といったお馴染みのスタンダード・ナンバーばかりを近藤のエレクトリック・トランペットとイタリア人トラックメイカーのエレクトロニク・サウンドでカヴァしたムーディーなアルバム『Toshinori Kondo plays Standards~あなたは恋を知らない』に関するものだったのだが、私が開口一番「闘う男というパブリック・イメージからすると、意外ですね」と言い終わる前に「俺はこのアルバムでも闘ってるつもりだよ!」と語気荒く返され、冷や汗がタラリと流れたのだった。そう、実際、近藤等則は70年代のデビュー時から一貫して闘い続けた男なのだ。

 1948年12月15日、愛媛県今治市で生まれた近藤等則(本名は俊則)は京都大学(工学部に入学後、文学部に転部・卒業)在学中からジャズ・トランペットに本格的にのめりこんでゆき、やがて日米のフリー・ジャズ/フリー・ミュージック・シーンで頭角を現してゆく。その雌伏期──60年代末期から70年代半ばのことを、当時の近藤の盟友・土取利行(ピーター・ブルック劇団の音楽監督その他、世界的に活躍してきたパーカッショニスト)はかつて私にこう語ってくれた。いい機会なので紹介しておこう。
 「私(土取)はGSバンドのドラマーを経てジャズに転向し、70年に大阪にできたSUB(サブ)というジャズ喫茶で働き始めた。その頃、サブによくセッションに来ていた京大生の近藤等則と仲良くなったが、当時彼は、オーネット・コールマンに刺激されてフリーに傾きつつあった。間もなく私と近藤はベイシストを加えて、トリオでフリー・ジャズをやりだした。72年、近藤の大学卒業を機に、私たちは一緒に東京に出た。深夜バスに乗って。私は住み込みで新聞配達を始め、近藤は奥さんと一緒に幼稚園で住み込みの守衛をやった。私たちはその幼稚園や、多摩川の河原、鶴川の和光大学の軽音楽部などで練習を続けた。
 近藤と私は、新宿ピットインのそばにあった〈ニュー・ジャズ・ホール〉のオーディションを受け、デュオで昼間演奏するようになった。当時そこには、まだ無名の阿部薫、高木元輝、沖至、坂田明なども出ていた。私たちはすぐに『ジャズ批評』誌などで “山下洋輔を超えるフリー・ジャズの猛禽獣” などと紹介され、徐々に名前を知られるようになっていった。そして近藤は山下洋輔と、私は高木元輝と一緒にやり始めた。それが73~74年頃のことだ」

 75~76年にはレコーディングもスタート。近藤が録音に参加した最初の作品は、筒井康隆の小説をモティーフにした山下洋輔のアルバム『家』(76年)で、次が、同じく山下を中心とするユニット、ジャム・ライス・セクステット(Jam Rice Sextet)の『Jam Rice Relaxin'』(76年)。また、それらと前後して浅川マキのライヴ盤『灯ともし頃』(76年)にも坂本龍一などと共に参加している。ちなみに、盟友の土取も、76年に坂本との即興コラボ・アルバム『ディスアポイントメント - ハテルマ』をリリースしている。
 当時の近藤は、いわゆるフリー・ジャズ畑の新星トランペッターと目されていたわけだが、しかし彼は(そして土取も)60年代以降のある種のマナー(手くせ)が滲みついたフリー・ジャズには当時から息苦しさを感じており、その先にあるもっと自由な音楽を目指していたという。その思いを形にした最初の試みが、エヴォリューション・アンサンブル・ユニティ(Evolution Ensemble Unity)だ。これは75年、故・間章が組織したフリー・ミュージック・コレクティヴで、高木元輝、近藤等則、土取利行、徳弘崇、豊住芳三郎などのメンバーがデレク・ベイリーや小杉武久(タージ・マハル旅行団)などとも交流しつつ、“即興とは何か” という大テーマの下に新しい表現を探求した。


EEUの旗揚げコンサート(75年8月13日、青山タワー・ホール)から

翌76年に近藤(tp)、高木(sax)、吉田盛雄(b)のトリオ編成で制作されたEEU唯一のアルバム『Concrete Voices』では、隙間を意識した脱フリー・ジャズ的表現がより明確に志向されている。

 そして78年、近藤はよりヴィヴィッドなフリー・ミュージックの戦場を求めて渡米。80年代初頭までの数年間、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドを拠点にたくさんの音楽家たちと共演を重ねていった。“マッド・ワールド・ミュージック” と呼ばれていたという当時の仲間たちのサークル──ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、ユージン・チャドボーン、ウィリアム・パーカー、ヘンリー・カイザー、トリスタン・ホイジンガー、ビル・ラズウェル、ジョン・オズワルド(プランダーフォニックス!)等々の顔ぶれからも、近藤が目指していた新しい世界が窺える。NY時代には、ジャズ・クラブよりもCBGBなどロック系のハコによく通い(スーサイドが一番のお気に入りだったという)、台頭しつつあったヒップホップ/DJカルチャーにも強く惹かれたという。この時期、近藤は自身で設立したインディ・レーベル〈Bellows〉を中心に、たくさんのアルバムをリリースしているが、ジャズでもロックでもない実験を通して、“フリー” であることの自由さと不自由さ、限界と可能性を体得していったのだった。


ジョン・オズワルド、ヘンリー・カイザーとのトリオによる『Moose And Salmon』(78年)から



スティーヴ・ベレスフォード+トリスタン・ホイジンガー+デイヴィッド・トゥープ+近藤のクァルテットが英Yレコーズから出したアルバム『Imitation Of Life』(81年)から “Whoosshh”

 その成果と新しいヴィジョンを具現化していくのが、82年の帰国後だ。83年には、豊住芳三郎やセシル・モンローらとチベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド(Tibetan Blue Air Liquid Band)を結成(渡辺香津美もゲスト・ギタリストとして参加)し、初のメジャー・アルバム『空中浮遊』を発表。NYロフト・ジャズやファンク、ニューウェイヴ/ノー・ウェイヴ、ヒップホップ、レゲエ、純邦楽など各種民族音楽を煮詰めたこのフュージョン作品によって、近藤等則という音楽家の名はジャズ・マニア以外のリスナーの間でも注目されるようになった。


チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド『空中浮遊』(83年)

 そして翌84年には、チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンドを発展解消して近藤等則IMA(International Music Activism の略)を結成し、アルバム『大変』を発表。フリクションのレック(ギターとベイスを随時スイッチ)、ドラムの山木秀夫、キーボードの富樫春生などの才人たちをメンバーに擁したこのパワー・ユニットは、10年弱の間に10枚のアルバムを発表し、商業的にもかなりの成功を収めた。日本や韓国などの伝統音楽家やDJをゲストに招き入れるなど、新しい才能、新しいモード、新しいテクノロジーを積極的に取り入れながら時代に対峙するその姿勢は、マイルズ・デイヴィスのエレクトリック・ジャズ・ロック期(60年代末~70年代半ば)を思い出させたりもする。というか、近藤自身もきっと意識していたはずだ。都市のコンクリートと共振するハイパー・モダンなサウンドとそれを支える広範な文化的視野を特徴とする近藤の表現は、YMOファミリーやムーンライダーズ、マライア/清水靖晃などと並び、80年代日本ならではの音楽文化遺産と言っていいだろう。


近藤等則IMA『Konton』から “Gan” (86年)


近藤等則IMA『Tokyo Rose』(90年)

 また、この時代の近藤は、TVの深夜番組の司会者をやったり、CMにも出演するなど、お茶の間にまで顔を売る一方、海外のミュージシャンとのコラボレイション(グローブ・ユニティ・オーケストラへの参加など)も積極的に続け、活動の幅を地球規模に広げていった。70年代からの仲間ビル・ラズウェルがプロデュースしたハービー・ハンコックの『Sound-System』(84年)などは、参加作品の中でも特に有名だ。


資生堂 CM(88年)


ハービー・ハンコック『Sound-System』の近藤参加曲 “Sound System”

 人気も金もあった近藤は、しかし93年に突然IMAを解散し、アムステルダムへ移住。そして〈地球を吹く〉という新しいプロジェクトを掲げて、大自然の中で空や山や海や砂漠や星に向かってラッパを吹き始めたのだった。件のインタヴューの中では、当時のことをこう回想している。
 「80年代にIMAを作った理由は、20世紀のすべての音楽を日本人の自分なりに統合してやろうと思ったからなんだ。フリー・ジャズ、ファンク、パンク、ロック、日本の民俗音楽……そういったすべての要素を混ぜ合わせて、我々日本人がどんなグルーヴの音楽を作れるのか、挑戦した。実際、その目論見以上の反響があったけど、それは元々俺にとっては最後のまとめだった。だからIMAも90年代初頭にはおしまいにして、次に行った。21世紀の音楽をイメージして」
 つまり近藤の中では、“21世紀の音楽をイメージする”=“大自然に向けて演奏する” ことだったわけだ。彼は「ねえちゃんからネイチャーだな」と笑いをとりつつ、こう続ける。
 「21世紀の音楽と20世紀の音楽の決定的な違いは何か……その一つは、ネイチャーだ。人類史上最大の都市文明が開化したのが20世紀であり、その音楽は都市の中で生まれ、消費された。音楽は人間どうしのコミュニケイション・ツールになった。99.9%の20世紀音楽は、客に聴かせるためのものだった。神に向かって演奏したり、火山に向けて祈るような音楽は、20世紀には誰もやらなかった。そこで、“自然との関係性を考えた音楽” というテーマが俺の中で出てきたわけだけど、それは、昔から目指していた “日本人ならではの音楽” というもうひとつのテーマとも矛盾することなく、そのまま〈地球を吹く〉プロジェクトにつながっていったんだ。当然テクノロジーの発達を認めた上でなくては新しい表現もないと思うので、トランペットもエレクトリックにしなくてはいけないし、デジタル・サウンドもはずせない」


〈Blow The Earth ~地球を吹く〉シリーズからペルー編

 ちなみに、〈Apollo/R&S〉からもリリースされ評判になったDJクラッシュとのコラボ・アルバム『記憶 Ki-Oku』(96年)や、端唄の栄芝師匠との共演作『The 吉原』(03年)なども、彼の中では何の違和感もなく「21世紀の音楽」として生まれた企画だったはずだ。
 こうして20年近く世界各地で大自然とひとりで格闘し続けた近藤は、2012年には再び東京に拠点を戻し、既に始めていた〈地球を吹く~日本編〉を続行。翌13年にはドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』を発表した。


『地球を吹く in Japan』から

 近年は、アムス時代に録りためた膨大な量の音源を自身の〈Toshinori Kondo Recordings〉から次々とリリースしつつ、2018年にはIMAを再編(近藤等則IMA21)するなど、旺盛な活動を続けた。亡くなった2020年10月17日の翌日にも、イラストレイターの黒田征太郎、ドラマーの中村達也とのコラボでライヴ・ペインティング・パフォーマンスをやることになっていた。何の前触れもなく逝ってしまったのは悲しくはある。だが、その唐突さもまた、一瞬も立ち止まることなく走り続けた近藤らしい最期だとも思える。
 「俺は21世紀の音楽という自分のコンセプト、ヴィジョンを人に語ることはなかったけど、これからはしっかりと語りかけてゆきたい。ネイチャー、スピリット、テクノロジーという三位一体をベイスにして新しい音楽を作ろうと呼びかけてゆきたい」とギラついた目で語られた力強い言葉の先にどんな風景が現れるのか、見たかったけど。黙祷。

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