「Nothing」と一致するもの

Beyoncé - ele-king

 ちょうど1年ぐらい前に公開された映画『レッド・ロケット』は落ちぶれたポルノ男優がテキサスに戻り、別居していた妻の家に転がり込むところから話は始まる。サイモン・レックス演じるマイキー・セイバーは虚勢だけで生きている男で、けして弱みは見せず、マリファナを売りさばく仕事にありつくとまたたく間に勢いを取り戻していく。そして、ドーナツ・ショップで働くストロベリーちゃんをロサンゼルスで売り出せば業界でもう一花咲かせられるという野心を抱くようになり、計画を実行に移そうとする……。マイキーはエネルギッシュで猥雑、デリカシーのかけらもなく、とてもパワフルな男として描かれる。この作品が何を表現しているかは明確で、作品の冒頭、マイキーが故郷に足を踏み入れると、そこにはくたびれた看板が置いてあり、彼の背中を見送るようにして「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」の文字が大写しになる。そう、マイキー・セイバーとはトランプ支持者のことであり、『レッド・ロケット」が提示するのは「アメリカをもう一度偉大にする」とは具体的にどんな人がどんな動機で何をするのかという一例なのである。タイトルに使われた「レッド・ロケット」とは犬のペニスが勃起している状態を指すスラングで、監督のショーン・ベイカーがその前に撮った『フロリダ・プロジェクト』と同じくラスト・シーンはマイキーの願望が凝縮されたファンタジー・ショットで締めくくられる(前作では泣かされたけれど、今回の幻想は大笑い)。

 敗者としてテキサスに戻ってきたマイキー・セイバーがトランプ支持者の心情を映し出しているとしたら、テキサス出身のビヨンセがアメリカ3部作のパート2にあたる『Cowboy Carter』でテキサスやアメリカ南部を再び視野に入れる時、それは民主党支持を表明する勝ち組の視点から見えているものがここには潜んでいると疑うべきだろう。ビヨンセがパンデミックを機に制作を始めた「アメリカ3部作」のパート1にあたる『Renaissance』が都会の風景だったとしたら、自身の本名とリベラルを代表するジミー・カーターの名を掛け合わせたらしきタイトルの『Cowboy Carter』が描き出すのはカントリー・サイドの眺めであり、幼少期の記憶を更新しながら、それこそデヴェロッパーのような改造が南部の音楽に施されたものとなっている。カントリーやブルースやロックンロール、あるいはブルーグラスやザディコやニューオリンズ・ファンクがトラップやコンテンポラリーと接続され、モダンにつくり変えられた南部の心象風景として展開されている。ビヨンセ自身はそれらをクロスオーヴァーとは捉えていず、白人の音楽だと考えられているカントリー・ミュージックなどにブラック・ルーツを見出す作業だったと発言している。いわば「見落とされてきた歴史」を顕在化させる試みということだけれど、どうだろう? 実際、リンダ・マーテルを始め、カントリーと深く関わってきた黒人ミュージシャンが多数起用され、歴史の教科書を正確に書き直す性格を持たされていることは確かだけれど、ビヨンセの検証は音楽史を隅から調べ上げたように厳密なものではないし、僕にはむしろビヨンセが幼少期に聞いていたカントリーやサザン・ソウルの影響でアルバム全体に70年代のトーンを帯びていることが興味深かった。オープニングからしてザ・フーみたいだし、全体に幼少期のビヨンセがラジオを聴いているという設定らしく、ノイズの合間からチャック・ベリーが流れ、配信オンリーの “Ya Ya” ではナンシー・シナトラやビーチ・ボーイズがサンプリングされている。あるいはデラニー&ボニーやデレク&ドミノスといった70年代のサザン・ロックがダブって聞こえる曲も少なからずで、70年代に白人のロック・ミュージシャンがブラック・ミュージックに入れ込んでいた時と裏返しの心情が投影されているような気がしてくる。オリジナルの “Protector” だけでなく、 “Jolene” のようなカントリーの代表作をビヨンセがカヴァーしているというと、ふざけているとか、共和党=カントリーという図式にビヨンセが殴り込みをかけているような印象を持ちがちだけれど、70年代にエリック・クラプトンなどがやっていたことが搾取というよりは憧れに基づく行為だったように、いずれの作業も単純に音楽で人種という壁を乗り越えていたと感じられる要素の方が強い。少なくとも僕にはそう感じられた。ビヨンセが何を意図していたにせよ、『Cowboy Carter』には無意識に滲み出してしまう部分に予想外の面白さがあり、取り込んだ要素に逆に侵食されている面もあるのではないだろうか。民主党支持を表明する勝ち組ならではの平和的なヴィジョンが無邪気に展開され、単純にそれを楽しめるか、もしくは不快に感じるかは聴く人のポジションによって様々に異なることも容易に想像できる。アメリカの政治的な風土から遠く離れた日本列島で聴く限り、 “Bodyguard” は折衷派の先駆けであるスライにも聞こえるし、チャック・ベリーのカヴァー “Oh Louisiana” はレジデンツかオート・チューンを使ったスワンプ・ドッグにも聞こえてくる。ちなみに参加ミュージシャンもスティー・ワンダー、マイリー・サイラス、ポール・マッカートニー、ウイリー・ネルソン、ポスト・マローンと、どこかで線を引いて分断することがしにくいメンツになっている(そういう人たちがわざわざ選ばれている?)。また、3部作のパート2だからか、 “II Most Wanted” や “Riiverdance” のように “i” と表記すべき部分がすべて “ii” と表記され、ポール・マッカートニーのカヴァーも “Blackbiird” となっているのに、なぜか “Oh Louisiana” だけは例外的に “i” のままである(?)。

 ビヨンセはアメリカ3部作で彼女なりの『音楽図鑑』のようなものをつくりあげるつもりなのだろう。まさかのハウスやまさかのカントリーの次は、まさかのジャズか、まさかのメタルだろうか。それともパート1が東海岸でパート2が南部だったからパート3は西海岸?

 冒頭で「すべてを失ったトランプ主義者と、すべてを手に入れた民主党支持者」を対比させ、共和党支持者に僕は言及しなかった。トランプ支持者には共和党の支持者ももちろん含まれるだろうけれど、カニエ・ウエストとドナルド・トランプを繋いだキャンディス・オーウェンズのように元々は民主党支持だったという人が少なからずいて「トランプ対民主党」という構図はリベラル同士で反目し合っている内ゲバのような面も強いと僕は思っている。現在、トランプにもバイデンにも投票したくない人たちはアメリカでダブル・ヘイターズと呼ばれている。アメリカに住む僕の友人はオバマ以前からすでにそうした気持ちになっていると話してくれたことがあるし、コメディ作家のティナ・フェイは彼女の代表作『30ロック』で「(次の選挙で)みんなにはオバマに入れると言っているけれど、私は入れないもんね」とウィンクし、「民主党を信用できない」という空気を2000年代初頭に早くもギャグにしていたことはさすがだというしかない。共和党にも民主党にも入れたくない。その頃からこれが正解だったはずなのに、新自由主義に舵を切った民主党に絶望し切れなかったリベラルが単にもう一方の選択肢だったトランプや共和党支持に反転してしまったことはどう考えても視野の狭い判断でしかない。与えられたものの中からしか選べない。自動販売機の外側に選択肢を持たないとしたら、あなたは民主党を支持するビヨンセの『Renaissance』を聴きますか? それとも『Cowboy Carter』を聴きますか?

interview with Keiji Haino - ele-king

ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の対話を紹介するシリーズの2回目。今回は、高校時代からロスト・アラーフ参加までの1969~70年頃のエピソードを2本ピックアップする。ロック・シンガー灰野敬二の揺籃期である。
 ちなみに本稿がネットにアップされる頃、灰野は今年2度目のヨーロッパ公演(イタリア、ベルギー、フランス)へと旅立っているはずだ。

■ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン

灰野さんが高校時代からドアーズやブルー・チアの熱心なファンだったことは有名ですが、当時、特に好きだったミュージシャンとしては他にはどういう人たちがいたんですか?

灰野敬二(以下、灰野):高校の学園祭では “サティスファクション” などを歌ったんだよ。先輩たちのバンドのシンガーとして。学園祭のためだけの即席バンドね。3年生のギタリストはジェフ・ベックに似ていた。その他にも、ビートルズやナインティーンテン・フルーツガム・カンパニー(1910 Fruitgum Company)の “サイモン・セッズ Simon Says” とか歌った。当時流行っていたロックやポップスの曲ばかり。先輩から声をかけられて参加したバンドだし、曲も先輩たちが決めていたからね。でも、“テル・ミー” と “サティスファクション” を10分ぐらいずつやった時は、普通の演奏をバックに、ドアーズ “When The Music's Over” を意識したストーリーテリング的ヴォーカルにしたんだ。あと、俺はテイスト(Taste)の「シュガー・ママ Sugar Mama」(69年のデビュー・アルバム『Taste』に収録)をやりたいと言ったの。でも、誰も知らなかった。俺は『Taste』の米盤を持ってて、特にロリー・ギャラガーのギターが大好きだったから。
 ギターに関しては、もちろん最初はエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリクスなどを熱心に聴いていたけど、ロリー・ギャラガーはそういったブルース・ロック・ギタリストとはどこか違うと感じていた。変だなと。曲の作りが、ロックでもブルースでもカントリーでもない。リフも他のギタリストとは全然違う。理論ではなく直感としてそう思った。たとえば、ジミヘンやクラプトンの音楽が五つの要素から成っているとすると、ギャラガーは七つの要素で成っている。だから、飽きない。バロック音楽的要素も感じたりして。で、当時の自分の中でギャラガーは最高のギタリストになった。ちょっと後、渋谷ジァン・ジァンなどに日本のバンドのライヴを観に行くとみんなでクラプトン大会とかやってて、フーンと思っていた。当時から日本のロック・シーンはそんな感じだったんだ。


Taste “Sugar Mama”

今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。

17才でロリー・ギャラガーの特異性をしっかり感じ取れたってのはすごいですね。

灰野:とにかくいつも “違うもの” を探し求めていたから。ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。ジミヘンもクラプトンもカッコいいけど、彼らはやはりロックの優等生なの。ギャラガーだってもちろん優等生だけど、そこにとどまらない、更に何か違うものがある。

アイリッシュという属性も関係してたんでしょうね。

灰野:そうそう。彼の表現の根底には反イギリスの感覚がある。ヤマトの人間が持ちえないセンスをアイヌや沖縄の音楽家が持っているように。俺はお前たちとは違うぞ、俺たちにも目を向けろ、という意志を感じる。彼の音楽の中にあるカントリー・テイストも、ルーツはアイリッシュ・フォークだし。

ロリー・ギャラガーの他には?

灰野:デビュー時のレッド・ツェッペリン。高校1年の冬だったと思うけど、パック・イン・ミュージックの火曜日、福田一郎さんが、日本盤はまだ出てなかったツェッペリンの1st『Led Zeppelin』(欧米では1969年1月リリース)の “You Shook Me” をかけたのを聴いてショックを受け、翌日か翌々日、日本の発売元だと思われる日本グラモフォンに電話した。「ツェッペリンのファン・クラブを作ってくれ」と。それぐらいこのデビュー・アルバムにはずっと、ものすごい愛情を持ってきた。“You Shook Me” の最後の部分のギターとヴォーカルの掛け合い、俺はあれでヴォーカリゼイションに目覚めたの。ブルー・チアのグルーヴ感とロバート・プラントのヴォーカルが、ミュージシャンとしての自分のスタート地点になったと思う。ドアーズの演劇的表現は別にして。


Led Zeppelin “You Shook Me”

 とにかく “You Shook Me” はショックで、パック・イン・ミュージックを聴いた後、寝られなくなった。当時はまだ高校を辞めてなかった頃で、翌日学校から戻るとすぐにお金を握りしめて渋谷ヤマハに駆け込んだ。当時あそこは6時15分が閉店で、学校から帰宅してから急いで行くとだいたい6時ちょい前ぐらいに着く。だから、試聴している時間などない。幸い、盤はあり、それを大事に抱えて帰宅したのを憶えている。米盤で、3000円近くした。当時は英盤はなかなか入ってこなかった。
 日本の発売元が日本グラモフォンだとどうやってわかったのか……はっきり憶えてないけど……当時の日本ではいいバンドの発売元はだいたいグラモフォンだったから、勘で電話したんだと思う。でも、電話に出た人はツェッペリンのことを知らず、話がまったく通じなかった。もしわかっている人が出ていたら、俺は日本のツェッペリン・ファン・クラブ会長になっていたかもしれない。だいたい、当時はヤードバーズやキンクスだって、日本ではあまり知られてなかったからね。
 ツェッペリンは今でも1stが一番好きだね。というか、2作目以降は関心がなくなった。1stはアヴァンギャルドでしょう。今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。
 “You Shook Me” を聴いて、音楽や歌や声に対する概念が自分の中で変わったと思う。ああいうことをしてもいいんだ、なんでもありなんだ、と。あと、ロックじゃないけど、ヴォーカリゼイションのヒントということだと、パティ・ウォーターズも大きかった。今はもうロバート・プラントは嫌いだよ。歌がヘタだから。声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

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声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

■錦糸町の実況録音

 音楽家になる決意を固めた灰野敬二が高校を中退したのは1969年、高校2年の2学期。17才になって間もなくの頃だ。そして、ロスト・アラーフに参加するのが70年7月。その間に灰野が短期間参加したバンドが錦糸町を拠点とする実況録音である。

狭山の高校を中退してからロスト・アラーフに参加するまでの1年ほどは、どういう活動をしていたんですか?

灰野:中退したちょっと後、69年の秋だったと思うけど……都内の高校に通っていた中学時代の級友から「友人のロック・バンドがシンガーを探しているんだけど、会ってみないか?」と誘われたんだ。彼は中学時代に俺に最初にビートルズを教えてくれた友人で、高校に入ってからも地元でのつきあいが続いていた。
 で、さっそくそのバンドのドラマーの実家の倉庫でバンドと対面した。川越の高校生とは違い、格好からして全員すごく洗練されてて、ギタリストなんて3才ぐらい年上に見えたし、最初、ちょっとナメられている感じもした。で、その彼からいきなりポール・バターフィールド・ブルース・バンドの “絶望の人生 I Got A Mind To Give Up Living”(66年の2nd『East-West』に収録)を歌ってみてくれと言われてね。当時、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドなんてちゃんと聴いている人はほとんどいなかったし、いきなり “絶望の人生” を歌ってくれと言われて驚いたけど、俺はちゃんと歌えた。最初の一節を歌っただけで、ナメた態度だった彼ら3人は「オーッ!」とびっくりした。結局その倉庫で2回ぐらい練習した後、メンバーの一人が通っていた高校の学園祭に出たんだ。その時一緒に出ていた別のバンドのシンガーが俺のヴォーカルを絶賛してくれたのはよく憶えている。彼は俺以上の長髪で、レッド・ツェッペリンの大ファンだった。


The Paul Butterfield Blues Band “I Got A Mind To Give Up Living”

そのバンドとはその後も一緒にやったんですか?

灰野:いや、それっきりだったと思うけど、その学園祭を見に来ていた人から声をかけられたんだよ。高橋さんというドラマーだった。「自分たちは錦糸町界隈でブルース・バンドをやっているんだが、歌ってくれないか?」と誘われて、会いに行った。まだバンド名がないそのグループのメンバーは皆、俺よりもちょっと年上で、俺が加入してから実況録音というバンド名をつけた。彼らは当時、フリートウッド・マックのカヴァーなどをやっていた。皆、ピーター・グリーン好きで。でも、俺がグランド・ファンク・レイルロードやMC5を歌いたいと提案したら、面白そうだからやろうということになった。その時のベイスが、70年代にカルメン・マキ&OZに参加した川上シゲ(川上茂幸)だよ。

その実況録音というバンドが、初めて参加したプロのバンドですか?

灰野:一応形の上ではギャラが発生するバンドという意味では、そういうことになるね。実際はギャラなんてなかったけど。
 実況録音はビアガーデンやゴーゴー喫茶などで演奏していた。鶯谷とかの怪しい店で。俺が実況録音で歌っていたのは、1970年の前半の半年足らずだったと思うけど、どの場所でもたいていは、一回演奏しただけで、あるいは途中で止められて、もういいと帰されていた。客が全然踊れないし、いつも俺が絶叫していたから。実況録音はロック・バンドと名乗っていたけど、彼らにしてみればロックでもなんでもなく、ノイズだったわけ。でも、メンバーも、もっと普通に歌えとかは一度も言わなかった。俺は一番年下なんだけど、彼らは常に俺に興味を持ってくれてたし、ソウルフルで礼儀正しい奴、という見方をしてくれていた。とてもいい関係だった。俺はライヴが終わると川越まで帰れないから、よく川上が泊めてくれたんだ。

客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。

実況録音の音を録音したものは残ってないんですか?

灰野:いや、まったく。もしかしたら、どこかにあるのかもしれないけど……あったとしても、俺が怒鳴っている声とかが入っていると思う。いつも「ヤメロー!」とか野次る客と怒鳴り合いをしてたから。銀座のソニー・ビルの屋上ビアガーデンでやった時のことはよく憶えている。1曲目でグランド・ファンク・レイルロードの “Are You Ready”(69年のデビュー・アルバム『On Time』に収録)をブルー・チア風にやったら、客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。もちろんギャラももらえなかった。ビートルズの “And I Love Her” とか、当時のビアガーデンの定番曲を普通にやっていればいいものをね(笑)。


Grand Funk Railroad “Are You Ready”

 実況録音のメンバーとはその後は長いことつきあいが途絶えたままだった。川上がOZなどメジャーで活動していることは知っていたけど、俺的にはOZは違うという認識だったし。でも、彼らとは数年前に再会したんだよ。ネットで調べて、ギタリストでリーダーだった伊藤寿雄さんを見つけた。伊藤さんたちは、今でも年に一度ぐらい集まってライヴをやってて、俺も彼らのライヴを観に行った。2019年の正月には、普段は錦糸町で惣菜屋をやっている伊藤さんの家に招かれて、食事もしたし。伊藤さんには俺のライヴも観てもらった。俺がギターを弾くなんて彼は知らなかったからびっくりしていたけど、「ロックだな」と言われて、うれしかった。

 ちなみに、このインタヴュー後の2022年7月2日、灰野は《三様》なるライヴ・イヴェント(高円寺 ShowBoat)で52年ぶりに伊藤、川上と一緒にステージに立った。伊藤がスタンブル・ブルース・バンド(Stumble Blues Band)のギタリストとして、川上が川上シゲ with The Sea のベイシストとして、そして灰野が川口雅巳とのデュオとしてそれぞれのライヴをこなした後、最後に、伊藤・川上・灰野 +サポート・メンバーという形で実況録音の同窓会ライヴが繰り広げられた。ステージ上で時折笑顔になる灰野を私が観たのは、後にも先にも、その時だけである。


2022年7月2日高円寺 ShowBoatでのライヴ

壊れかけのテープレコーダーズ - ele-king

 宇多田ヒカルがシミュレーション仮説に言及したり、コーネリアスこと小山田圭吾がループ量子重力理論的な思考を歌に込めたり、最近、サイエンス・フィクションにかなり近づいた哲学や物理学がポップ・ミュージックの歌詞にも影響するようになっている。それらは、現実の危うさ、不確かさ、頼りなさを積極的に肯定することで、「現実の現実感」や「現実の現実性」を忘却させ、それらに疲弊した存在を慰撫し、そこから逃避させ、この複雑怪奇な現実を生きる者の気持ちをすこし楽にさせる処方箋みたいになっているところがなくもない。「戦争の始まりを知らせる放送も/アクティヴィストの足音も届かない/この部屋にいたい もう少し」(宇多田ヒカル “あなた”)。すべては胡蝶の夢。時間は不連続であり、存在しない。そんなふうに思えたら、どんなに楽だろうか。ブルー・ピルを飲みたい者も、科学や資本主義の糖衣にくるまれたレッド・ピルを選びとりたい者も、結局、そう変わりはないように見える。そういう思考のゲーム的な傾向は現代における一種のブームのようなものにも思えるし、20世紀後半から21世紀という時代における流行だったと22世紀や23世紀の人間は──もしまだ人類という種が、この星を使いつくさずに生きながらえていたら──言うかもしれない。
 同時に、まったく無意味な対比であることはわかっていながら、こうも思う。現実の重さや確かさが増してきているのも、また事実だと。現実に起こっている戦争や殺戮は、シミュレーションでもヴァーチャルなものでもない。もちろん、戦争や殺戮だけ/こそがなにか重いものなのだと言いたいわけでもないけれど、そういうものの抗いがたい重みや確実性に打ちひしがれ、押しつぶされそうになりながら歌われる言葉も、一方で存在している。壊れかけのテープレコーダーズの『楽園から遠く離れて』は、まさにそういうことを歌っているレコードだと思う。

 壊れかけのテープレコーダーズは、リーダーの小森清貴(ヴォーカル/ギター)を中心に、遊佐春菜(ヴォーカル/オルガン)、shino(ベース)、高橋豚汁(ドラムス)からなるカルテットで、2016年、ドラマーの44Oが脱退したのちに現在のラインナップになった。小森は、大森靖子 & THEピンクトカレフ(2015年に解散)や元昆虫キッズの冷牟田敬のバンドなどでギターを弾いており、ソロ・アーティストとしても活動している。また、遊佐は、Have a Nice Day!の一員としても知られているだろう。ソロでは、〈MY BEST!〉からのインディ・ポップ的な『Spring Has Sprung』(2015年)、〈KiliKiliVilla〉からのエレクトロニックな『Another Story of Dystopia Romance』(2020年)という優れた作品をものにしており、2023年10月にもEP「夏の雫」を上梓したばかりだ。
 彼らが〈ハヤシライスレコード〉からリリースした最初のアルバム『聴こえる』(2009年)は、バンド名のとおりのローファイで荒削りなサイケデリック・ロックないしガレージ・ロック・レコードで、1960年代や1970年代の同様の音楽を、あるいは1980年代や1990年代のアンダーグラウンドでインディペンデントなそれを直接的に想起させるものだった。当時、〈ハヤシライス〉は三輪二郎や前野健太の作品も発表しており、いわゆる「東京インディ」のバンド群も現れつつある時期だったが、東高円寺のU.F.O CLUBのムードにぴったりと重なった(この形容が正しいかどうかはわからない)壊れかけのテープレコーダーズの音は、先行世代や同世代の音楽家たちとの狭間で、不思議と遊離したものに聴こえていた。
 バンドは、その頃から変わっていないといえば変わっていないし、大きく変わったといえば変わった。前作にあたる6作めのアルバム『End of the Innocent Age』は、不運にも新型コロナウイルス禍のとば口だった2020年5月に発表されていて、なおかつ、これまでになくポップや親しみやすさへの志向性が開花していた作品だった。高橋の加入も影響したのだろう、ファンクやディスコ的な16thフィールの活用など、リズムへのアプローチがまったく異なっていたのも特徴だ。

 『楽園から遠く離れて』は、それから4年ぶり、古巣の〈MY BEST!〉を離れて自主レーベルから発表した新作である。端的に言って、これは、彼らのキャリアの中でもっとも素晴らしいレコードだと思う。前作は若干、過度に、無理にポップへ向かっているように聴こえたが、4人は今回、そこでの試みやとりくみを引き継いで反映させつつも、バンドの根っこにある原像を改めて捉えかえして、さらにかき混ぜ、「壊れかけのテープレコーダーズらしい」としか言いようがないロックとして吐きだしている。痛快で、シリアスでありながらも聴き手を突き放さず、軽やかで、かわいらしくて、あたたかくて、どこかかなしげで、人間味にあふれている。
 プレス・リリースには、「コロナ禍、相次ぐ戦争、気候変動、、、未曽有の禍が現前する2020年代という時代の中で生まれた全8曲。この現実と向き合いながら生きていくことへの問いと意志を、信じるロック音楽へと込め、鳴らす」とある。4年間の出来事、いままさに起こっていることを直視したリリックは、とはいえ、小森らしく宗教的な言葉や終末的なイメージを挿しこみながら、個人的な視点や具体性よりも、シンボリックで示唆的な面がやはり強調されている。アクチュアルでありながらも、特定の時代性は嗅ぎとれない。失楽園と救済。過去と未来の併置。「映されたノスタルジア/進歩に潜むアイロニー」(“ノスタルジア”)。それでも、このひとつの現実の中で時間は単線的に進み、私たちは未来へと否応なしに押し流されていく。冷めつつも希望をかすかに透かして見るような現状認識は、ceroの髙城晶平が『e o』(2023年)で歌っていたことに重ならなくもない。そして、それらの言葉は、まさに、「死と再生のメロディー」(“梢”)にのせて歌われる。

 壊れかけのテープレコーダーズは、「原ロックを求め続ける」という言葉を掲げている。その意味するところを、私はよく理解できていない。ただ、たしかなのは、彼らの音楽が聴く者の深いところに眠っている原初的な記憶や感覚にアクセスしようとすることだ。彼らの歌や演奏には、どこか童謡のような簡潔さや虚飾のなさ、直接性があり、同時になんとも未完成で不器用でもあり、その率直さや純粋さは時におそろしくもある。このアルバムは、その性向が特に強く、だからこそ彼らの最高傑作たりえている。
 『楽園から遠く離れて』は、小学生時代の音楽の時間を思いおこさせる。音程の高低差が少ない簡素なメロディ、小森と遊佐のシンプルなユニゾンの歌唱、輪唱、叩きつけるようなあまりにも単純な拍子……。目的の音にめがけてストレートに向かう小森の歌唱も、遊佐のかすれた声も、私にはクラスメイトの歌や有孔ボードが一面に貼られた音楽室の景色を思いださせる。演奏楽器に「オルガン」とわざわざ明記されている遊佐のプレイは、もちろん、サイケデリック・ロックの伝統に連なるものであるのと同時に、オルガンという楽器が明治以降、近代日本における音楽教育で果たしてきた役割の大きさをもう一度意識させるものでもある。あるいは、小森の歌詞とあいまって、当然、キリスト教の世界観も強く喚起させるだろう。
 強調しておきたいのは、こういった壊れかけのテープレコーダーズの音楽は、専門的なレッスンによって鍛えられた見事なヴォーカリゼーション(ミックス・ヴォイスやらエッジ・ヴォイスやら)、せわしない転調、複雑な和音の多用、ペンタトニック・スケール、奇妙な構成や変拍子などを好んでつかうことによって特異性を増す一途をたどっているJ-POPの、ちょうど反対項に存在するものである、ということ。

 小森は以前、ある小学生の子どもがライヴに来るようになり、最前列で拳をあげて演奏を見ている、と語っていた。このアルバムこそは、そのことを見事に物語っているのではないだろうか。
 インタヴューは8年前のものなので、その小学生は下手したら成人しているかもしれない。もっと言うと、壊れかけのテープレコーダーズのライヴにはもう来なくなっているかもしれない。それでも、『楽園から遠く離れて』は、彼/彼女の奥底にあるなにかに語りかけるものをどこかに内包しているはずだ。それに、ここでたびたび歌われている「未来」というものは、疲労感と諦念を浮かべた表情が日常的に貼りついてしまった私たちのためというよりも、むしろ、彼や彼女のためにあるのだから。

 ブルース・スプリングスティーンに“レーシング・イン・ザ・ストリート”という曲がある。『Darkness on the Edge of Town(町外れの暗闇)』、日本では『闇に吠える街』という邦題で知られている1978年のアルバムのA面最後に入っている曲だ。アメリカという国おいて、車、そしてストリート・レースとは庶民的な、いや、労働者階級文化の庶民性をもっとも反映したサブカルチャーだ。ぼくは一度だけ、1998年9月、デトロイトでのストリート・レースを見物したことがある。たしかに「町外れの暗闇」に包まれた道路の、夜の深い時間だった。
 スプリングスティーンの“レーシング・イン・ザ・ストリート”が名曲なのは、元工場労働者/バスの運転手だった父親のもとに育った彼が、70年代後半の名作と言われている諸曲と同様に、洞察力をもってアメリカ労働者階級の日常をリリカルに描いている点にある。が、同曲の歌詞はそれ以上に手が込んでいる。歌のなかに「Well now, summer's here and the time is right/For racin' in the street(さあ夏だ、ストリートでのレースには良い季節)」というフレーズがあるが、言うまでもなくこれは、モータウンの超有名曲、マーサ&ザ・ヴァンデラスの“ダンシング・イン・ザ・ストリート”における「Summer's here and the time is right/For dancing in the street(夏よ、ストリートで踊るには良い季節)」へのオマージュで、しかしこの引用は、皮肉めいた言葉として機能している。何故なら、ザ・ヴァンデラスの陽気な曲における“ダンシング”は、生きるための希望であり、“反乱(暴動)”のメタファーとしても解釈できる。当時のモータウンのほかのどの曲よりもアグレッシヴだったし、実際それは公民権運動賛歌にもなった。ザ・ヴァンデラスというグループ名にも女性的だが破壊的なニュアンスがあるという。そうした60代のソウルの「やってやろうじゃないか」という活力に対して、70年代末の“レーシング・イン・ザ・ストリート”のなんと侘しいことか。「いまでは生きることを諦めたヤツまでいる/そして、少しずつ死んでいく」、スプリングスティーンはここまで歌っているのだ。

 言うまでもないことだが、「車」(ないしは「道路」)はアメリカのロック/ポップにおいて重要なモチーフである。ストリート・レースに関しては映画『アメリカン・グラフィティ』でも描かれているし、カー・ソングに関してはザ・ビーチ・ボーイズのお家芸とさえ言える(いまでは『Greatest Car Songs』という編集盤まである)。しかしザ・ビーチ・ボーイズの「車」には、無邪気さや自慢話こそあれ、労働者階級との繋がりが完璧に欠落している。リロイ・ジョーンズの『ブルース・ピープル(ブルースの魂)』(1963)にも、T型フォードは黒人でも初めて手が届く「貧乏人の車」だったと記されている。ウィリアムズ・S・バロウズのような固有名詞とはまったく無縁な家庭に育ったスプリングスティーンには、「車」について歌わけなければならない理由があった。
 スプリングスティーンというロック・ミュージシャンが重要なのは、ひとつには、1970年代後半、彼ほどアメリカの労働者階級の日常を直視し、時代に取り残された彼ら/彼女らについての曲を書いた人物はいなかったという点にある。さらに言えば、そのリアリズムを、日本の文化人がヤンキー文化を美化し、ロマンティックに捉えてしまうようなこととは違って、なんとも辛辣で、ありのままの葛藤、さもなければ嫌悪感まで描いている点にあるように思う。“ボーン・トゥ・ラン”がいい例だ。威勢のいいあの曲は、労働者階級の街に漂う閉塞感からなにがなんでも逃避したいという強烈な願望を歌っている。60年代の黒人ソウルの、いわば公的な前向きさと違って、彼はこうした、私的で日常的なロマンティシズム(物語)、個人的な救済の可能性を歌っている、というか、そうするしかなかったのだろう。E・ ストリート・バンドに故クラレンス・クレモンズがいたように、彼がライヴにおいて、白人も黒人も結束する労働者の文化の美しい姿を表現していたとしても、スプリングスティーンの正直さは、『闇に吠える街』の次作においては絶望へと向かっている。“ザ・リバー”という曲がそれだ。

 デイヴ・マーシュにいわく、彼にとって「何か讃える歌がいっさいはいっていない初めてのアルバム」の表題曲“ザ・リバー”でひとつキーになるのは、歌の主人公が地方で暮らす労働組合員であるというところだ。スプリングスティーンの数ある曲のなかで、もっとも打ちひしがれている曲のひとつである“ザ・リバー”における、主人公の人生から見える労働者階級コミュニティが朽ちていく様は、その前年にあたる1979年にブロンディ(デボラ・ハリー)が歌った“ユニオン・シティ・ブルー(組合の街の憂鬱)”で描かれている途方に暮れたやりきれなさと重なる。ぼくは高校生だった頃、これらロックの歌詞に「組合」という言葉が出てくることに違和感を覚え、それがなんでなのか気になっていたのだけれど、昨年になって、ようやく少しわかった気がする。考えてみれば当たり前の話だが、アメリカの近代社会において反乱の火種にさえなっていた、資本家にとってはやっかいな、いまふうに言うなら資本主義にとってうざったい存在以外の何物でもなかった労働組合および労働者コミュニティが、1970年代前半のリチャード・ニクソン時代にゆっくりと牙を抜かれ解体させられていくのだ。その時代、「労働者階級は自らを破滅させる能力以外の主体性を剥奪される。ここには解放への道はなく、ただ絶望感が押し寄せるだけだ。(…)かつて労働者たちを活気づかせていた結束力は、人種的憎悪に変わってしまった」。そして、「全国ストライキ率は急落し、経済的に武装解除された労働者階級というエディ・サドロウスキーの悪夢が現実のものとなった。70年代の初めには全米で約250万人の労働者が1000人以上のストライキに従事していた。1980年代になるとこの統計は以前の数分の1となり、大規模なストライキに参加した労働者は合計で10万人から30万人程度だった。また、大規模な争議行為も初期の約400件から1980年代半ばには約50件にまで減少した」(*)

 1998年のデトロイトのストリート・レースは、しかしスプリングスティーンのメランコリーとはだいぶ違っていた。「町外れの暗闇」のなかの人だかり。すさまじい爆音。日本人のぼくには異様な光景でしかない。白人も黒人も、男も女も、若いのも年寄りもいる。しばらくすると警察がやって来て、そこにいた全員(ぼくも含め)がいっせいに逃げる。「レースも、ベースボールと同じように、人種に関係なく参加できるんだ」とマイク・バンクスはあとから説明した。彼は賞金稼ぎのレーサーだったし、稼いだ金をつぎ込んで〈サブマージ〉という、なかば組合めいたインディ・レーベルをサポートする組織を設立した。2000年代以降のデトロイトのシーンでもっとも重要なリリースを何枚も出しているオマー・Sもレーサーで、いまでもレースをやっている。オマー・Sに関して言えば、申し分のないほどの名声を得てもフォードの工場で働いていた労働者のひとりだ。バンクスもオマー・Sも、なにせデトロイトの人たちなのだからニクソン政権の犠牲者と言える。しかし、音楽産業の巨大な歯車のなかにはいないアンダーグラウンドな彼らは、日常からの逃避としてもレースに参加してない。オマー・Sが彼いわく人種差別のはびこる工場で働くのは、家族のために保険証を手にすることができるからだ(いま現在は不明)。

 スプリングスティーンは、“ダンシング・イン・ザ・ストリート”という曲が、アメリカ北部の黒人たちの前向きさ、もっと言えば世界を変えようとする情熱さえも結果として表現していたことをちゃんとわかっていた。そもそも、黒人ソウルとロックンロールの融合を自らの音楽的な基盤とする彼が、モータウンの祝祭的音楽を引用しながら、モノクロームの沈黙のなかの勝ち目のないメロドラマたる“レーシング・イン・ザ・ストリート”を書いたことは、当時の彼に、世界の不吉な変動への予感があったことを思わざるを得ない。同じ時代、映画『タクシードライバー』(1976)でマーティン・スコセッシが描いた労働者トラヴィスにおいては、孤立し、もはや異端への憎悪と自己破壊への衝動(ないしは宙ぶらりんにさせられたリビドー)しか残されていないかのようだ。それを思えばスプリングスティーンはずいぶんと優しいし、どこまでもヒューマンに見える。だから、恋人、家族、生まれ故郷の街、こうした身近な拠り所が崩壊していったとき、“ザ・リバー”が仮に反抗よりも諦めに荷担していたとしても、ぼくには文句は言えない。それを覆すために、いや、覆したように見せるための、それがほんの一瞬の空しきシャドーボクシングだったとしても、“ボーン・イン・ザ・USA”(1984)においてはパワフルに振る舞う彼がいたのだろうから。
 厚い胸板、白いTシャツとジーンズという典型的な労働社会階級の男性の美学をもって、そのファッションと熱唱されるサビのフレーズゆえに家父長制的かつ愛国歌という大いなる誤解を受けた曲、左派からはこっぴどく批判され、右派ポピュリストには利用されたその曲を、ぼくは彼の初来日のライヴでも聴いている。何にもわかっちゃいない若者のひとりとしてだが、いま思い返せば、バブル経済真っ只中の日本で、ベトナム帰還兵の痛みや失業者たちの絶望、死人たちの街を歌ったあの曲で盛り上がったというのは、そういうものだと言われてしまえばそれまでだが、どうにも釈然としないものがあったのは当のスプリングスティーンだったのではないだろうか。
 ファンにはお馴染みの話だが、“ボーン・イン・ザ・USA”は、もともとは『ネブラスカ』制作中に生まれた曲で、当初のセッションではあの歌詞全体に通底する「絶望感」が際立った、暗く沈んだ曲調だった。拳を振り回すような、アップリフティングな曲ではなかったのだ。しかも複雑なのは、この曲の歌詞には、彼の理想とする人種的統合をほのめかすように、またしてもマーサ&ザ・ヴァンデラスのヒット曲へのじつに巧妙なオマージュが挿入されている。ただしこちらでは、「Nowhere to run(逃げる場所はどこにもない)」と。

 ドナルド・トランプの恐ろしさは、マイノリティや労働者階級からも支持されていることにもある。スプリングスティーンがいまやあのレーガン時代さえ懐かしむほどトランプに対しての嫌悪を露わにし、再選したら移住するとまで言っているのは、彼にとってのアメリカの、大事にしていた何かが消滅したのだと悟るということである。今年に入ってぼくは、 “レーシング・イン・ザ・ストリート”を何回も聴いた。『闇に吠える街』を聴き、『ザ・リバー』を聴いた。これはマーク・フィッシャーの『ポスト資本主義の欲望』(左右社)を読んだことに端を発している。同書のフィッシャーの弁によれば、マーガレット・サッチャーよりも先に新自由主義を実践した政治家はリチャード・ニクソンだ。ニクソンが分断させ、骨抜きにしていった労働者階級の共同体/文化的基板、もしくはその自尊心やアイデンティティと必死で向き合っていたのがスプリングスティーンだったと、フィッシャーが同書で紹介しているジェファーソン・カウィーの本を読んで、ぼくはようやく理解した。彼はそこから全力で逃げようとしたが、どうしようもなく愛してもいた。そこになんとか未来を見出そうと努力したのだろうけれど、誠実さにおいてそれは極めて困難なことだったのだろう。こんにちの日本であらためて彼の曲を聴いていると、もはや遠い国の憧れのヒーローの曲としてではなく、まあ、ぶっちゃけて言えば、良くも悪くも精神的強壮剤としてしか聴いていなかった40年前よりも、ずっと切なくスプリングスティーンの歌が入ってくるのだ。

 何も持たずに生まれてきた
 そのほうがいい
 何かを得るとすぐに
 彼らはそれを奪おうとする者を送り込んでくるのだから
“サムシング・イン・ザ・ナイト”

(*)Jefferson Cowie, Stayin' Alive: The 1970s and the Last Days of the Working Class , New York, 2010

tofubeats - ele-king

 光陰矢のごとし、最新アルバム『REFLECTION』からもう2年が経つ。このたびアナウンスされたtofubeatsの新作はなんと、全曲ハウスに振り切ったEP「NOBODY」。彼自身のヴォーカルはなく、かわりに全曲でAI歌声合成ソフトが使用されているという(アートワークもかなり気になりますね)。4月26日より配信開始、リード曲 “I CAN FEEL IT(Single Mix)” は本日公開されている。かねてよりハウス愛を表現してきたtofubeatsだ。フロアライクな1枚、楽しみにしておこう。

tofubeats、フロアライクなHOUSEミュージックを全曲AI歌声合成ソフトで制作したEP「NOBODY」を4月26日にデジタル配信! 本日よりリードトラック「I CAN FEEL IT(Single Mix)」を配信開始

tofubeatsがアルバム「REFLECTION」(2022)から約 2 年ぶりとなる新作 EPをリリース。
様々なアーティストとの共演、サウンドトラック制作や楽曲提供などの多岐にわたる活動を経てリリースされるEPは、コロナ禍を経てフロアライクなHOUSE MUSIC をコンセプトに、全曲のボーカルをAI 歌声合成ソフトで制作した意欲作。

前作のアルバムでは、tofubeats本人のボーカルやゲストも迎えた多彩な作品となっていたが新作「NOBODY」は全曲AI歌声合成ソフトのSynthesizer Vを使用したボーカルで制作。タイトルが象徴しているように実像のない歌声がそれぞれのトラック上で発するメッセージが、無機質ながら不思議な熱量とグルーヴを感じさせる作品となっている。

全6曲、8トラック入りのEPのリードトラック「I CAN FEEL IT (Single Mix)」は本日より先行で配信がされているのでぜひチェックしてほしい。

[tofubeatsコメント]
皆様いかがお過ごしでしょうか、tofubeatsです。

特に意識していなかったのですが自分のボーカルが1曲も入っていないEPが完成してしまいました。

オートチューンをそっ閉じしたtofubeatsの「雰囲気」ってやつもぜひ感じていただけると幸いです(結局機械の歌った歌なんですけどね)。ぜひ先行シングルのI CAN FEEL ITからお楽しみください。

[リリース情報]
・「I CAN FEEL IT (Single Mix)」先行配信中
・EP「NOBODY」 4月26日 デジタル配信開始
https://tofubeats.lnk.to/NOBODY

tofubeatsオフィシャルサイト
https://www.tofubeats.com/

Mars89 - ele-king

 東京を拠点にDJからプロテスト・レイヴまで精力的に活動をつづけるMars89が、新たにレーベルを始動する。その名も〈Nocturnal Technology〉。資料によれば、「80年代のインダストリアルやニューウェーヴの姿勢にインスパイアされ、現代のオーディエンス向けにアップデートされた」レーベルだという。レーベル名には、「DJ技術が夜間に活気づく」という意味がこめられているそうで、なるほど、暗闇のなかでも音波でモノを捉えるコウモリがロゴなのはコンセプトにぴったりだ。
 気になる最初のリリースは、Mars89自身と、ダブやサウンドシステム文化から影響を受けたカナダはブリティッシュコロンビア拠点のアート集団──この3月には〈Riddim Chango〉からもリリースしている──シーカーズインターナショナルによるコラボレイション作品。アシッド・ハウスやブリープ・テクノ、初期のレイヴ・ミュージックに触発されつつ、インダストリアルなものもとりいれた内容に仕上がっているようだ。フォーマットはカセットテープとデジタルの2種。ちなみにカセットテープには再生プラスティックを使用しており(レーベルTシャツもオーガニックコットン100%+ハンドプリント仕様)、彼のこだわりがうかがえる。
 Mars89の新たな試みから目が離せない。

artist: Mars89, SeekersInternational
title: DANGEROUS COMBINATION
label: Nocturnal Technology
release: April 18, 2024
format: Cassette, Digital

tracklist:
01. Dangerous Combination
02. Baddest Clash
03. Can't Ovaa
04. Big Up Worldwide
05. New King In The Street
06. Body Break
07. Selektaaa
08. Come Round Ya
09. Helicopter
10. [Jack] Till Morning
11. Untitled ICE

KARAN! & TToten - ele-king

 ブラジル発祥のマッシヴかつハードなダンス・ミュージック、バイレファンキ(ファンキ)の勢いが止まらない。首都リオ・デ・ジャネイロの深部であるスラム街、ファヴェーラにて誕生したゲットー・ミュージックはその熱量と音圧、独特のリズムが00年代に大きな注目を集め、さまざまなアーティストやリスナーに刺激を与えた。その後も2020年代の現在に至るまで、無数のジャンルを飲み込みながら独自の方向性に進化を遂げている。

 そんなバイレファンキは今日の日本でも人気を博していて、たとえばハイパーポップ世代のラウドな音像を得意とするビートメイカー、hirihiriや、その名のとおりバイレファンキを軸としたハイ・エナジーなセレクトで絶大な信頼を誇るDJ、バイレファンキかけ子などが、ブラジリアン・ダンス・ミュージックを主としたDJセットやバイレファンキ由来のトラック・メイキングを通じ、日本各地を盛り上げている。

 そして2024年、ついに最新のブラジリアン・サウンドを手がけるブラジル本国のアーティスト、KARAN!とTTotenの両名を迎えた初のジャパン・ツアーが東名阪3会場にて5月に開催決定。両名ともファンキを土台にベース・ミュージックの柔軟性を吸収した “ファベーラ・ベース” なるジャンルを提唱しており、現地でのリアルな肌感覚をもとに同ジャンルのさらなるアップデートを試みている。

 KARAN!とTTotenのジャパン・ツアーは、全日程をバイレファンキかけ子が帯同しつつ5月22日(水)よりスタート。ポスト・コロナ以降のハイヴリッドな感性を持つアーティスト、cyber milkちゃんとDJ/スタイリストとして活動するALTF4によるイベント〈shampoo〉が手がける大阪COMPASSでのデイ・パーティにはじまり、5月24日(金)には栄のローカル・シーンを支えるヴェニュー、club Good Weatherを舞台に名古屋公演をオールナイト開催、そして5月25日には渋谷、CIRCUS TOKYOでのツアー・ファイナルが開催決定している。
 とくに東京公演にはokadada、坂田律子をはじめとした中南米のダンス・ミュージックにも精通した実力者が名を連ね、ライヴ・アクトとして日本でいち早くバイレファンキ✕サンプリング・ミュージックの可能性をナードな感性とともに探った2danimeghettoのMPCを用いた即興演奏が披露されるなど、現在の日本におけるバイレファンキの受容を総括したようなラインナップとなっている。
 ファンキ・ラヴァーのための特別な一夜を各会場で体感し、バイレファンキの現在形とブラジリアン・ダンス・ミュージックへの深い愛情を存分に楽しんでいこう。

KARAN! + TToten JapanTour!!

大阪公演
会場: CONPASS OSAKA
日時: 5/22(水)
START 18:00 CLOSE 22:30
前売: ¥2000 当日: ¥2500
TICKET : https://forms.gle/4HMPLiA8oNufeJT18

DJ:
KARAN! (from Brazil)
TToten (from Brazil)
バイレファンキかけ子
ALTF4
cyber milkちゃん
Junya Hirano(environment 0g/remodel)

名古屋公演 (To Be Announced)
会場: club GOODWEATHER
日時: 5/24(金) midnight

DJ:
KARAN! (from Brazil)
TToten (from Brazil)
バイレファンキかけ子
and more

東京公演
会場: CIRCUS TOKYO
日時: 5/25(土) START 23:00
前売: ¥2500 当日: ¥3000 学生: ¥2000
TICKET : https://circus.zaiko.io/e/karanttoten

Live:
2danimeghetto

DJ:
KARAN! (from Brazil)
TToten (from Brazil)
AXELERATOR
バイレファンキかけ子
hirihiri
okadada
pìccolo
坂田律子

KRM & KMRU - ele-king

 ザ・バグ名義で知られるケヴィン・リチャード・マーティン(KRM)と、ケニア出身ベルリン拠点のアンビエント作家、〈Editions Mego〉からの作品で注目を集めたジョセフ・カマル(KMRU)とのコラボレイションが実現することになった。アルバム『Disconnect』はブライトンの〈Phantom Limb〉より6月14日にリリース。その後にはおなじセッションから生まれたEP「Otherness」も予定されているとのこと。興味深い組み合わせに注目です。

artist: KRM & KMRU
title: Disconnect
label: Phantom Limb
release: 14th June 2024
tracklist:

01. Differences
02. Arkives
03. Difference
04. Ark
05. Differ
06. Arcs

Tashi Wada - ele-king

 フルクサスとも関わった作曲家ヨシ・ワダの息子にして、ジュリア・ホルターのコラボレイターでもあるLAのタシ・ワダ。自身のレーベル〈Saltern〉や〈RVNG Intl.〉などで実験的な試みをつづけてきた彼のニュー・アルバムが6月7日にリリースされる。題して『What Is Not Strange?』、父の死から娘の誕生までの期間に制作された作品だという。現在、ジュリア・ホルターを迎えた新曲が先行公開中だが、いやこれはアルバムも大いに期待できそうです。収益の一部は国境なき医師団に寄付されるとのこと。

Tashi Wadaのニュー・アルバム『What Is Not Strange?』がRVNG Intl.から6/7にリリース決定。
Julia Holterをフィーチャーした新曲「Grand Trine」をリリース&Dicky Bahtoが手がけたMV公開。

フルクサスの中心人物でもあった故Yoshi Wada氏のご子息でもあるロサンゼルスを拠点とするコンポーザーTashi Wadaのニュー・アルバム『What Is Not Strange?』がRVNG Intl.から6月7日にリリース決定。
先行ファースト・シングルとして長年のコラボレーターでありパートナーでもあるJulia Holter(昨年12月には共に来日)をフィーチャーした「Grand Trine」をリリース。
この曲は当時生まれたばかりだったTashi WadaとJulia Holterの娘の星図に存在する、正三角形を形成する惑星の占星術的な配置にその名前が由来している。Tashi Wadaのきらめくリチューンされたハープシコード・サウンドが、Julia Holterの伸びやかなヴォーカル、Ezra BuchlaとDevin Hoffの流線形のストリングス、Corey Fogelのラウンチングでパワフルなドラムによって高められていく。まるで惑星間の宮廷音楽のようであり、生命のサイクルに対する野心的な賛歌である。

合わせてTashiとJuliaの長年のコラボレーターであるDicky Bahtoが手がけた印象派的な同曲のミュージック・ビデオも公開されました。

Tashi Wada new single “Grand Trine” out now

Artist: Tashi Wada
Title: Grand Trine
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Format: Digital Single
Listen/Buy: https://orcd.co/glwqb41

Tashi Wada – Grand Trine [Official Video]
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=fIbkbwliaOU

Directed by Dicky Bahto

Tashi Wada new album “What Is Not Strange?” out on June 7

Artist: Tashi Wada
Title: What Is Not Strange?
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-216
Format: CD / Digital

※解説付き予定

Release Date: 2024.06.07
Price (CD): 2,200 yen + tax

“ドリーム・ミュージック” ロサンゼルスを拠点に活動する作曲家Tashi Wadaのニュー・アルバムであり、これまでで最も遠大で情熱的な音楽で構成されている作品が完成。父親Yoshi Wadaの死から娘の誕生までを含む期間にわたって書かれ、録音されたこのアルバムでは、ワダが新しい様式の恍惚とした歌をベースにした新しい表現方法を通して、「生きていること」、「死」、「自分の居場所を見つけること」といった広範な物語を探求するため、内面を見つめ直した作品となっている。濃密なフォルム、峻烈なコントラスト、明白な超現実性は、最小限の手段で知覚的効果を引き出した彼の初期の作品とは異なる重みを持っているかもしれないが、『What Is Not Strange?’』の核心は依然として実験と予期せぬ結果にある。

ワダは『What Is Not Strange?』をドリーム・ミュージックと呼び、”特定するのが難しい感情状態”と”瞬間から瞬間への変容”を宿している。自己の体験的知識によって生得的な真理を探求することは、ワダがアメリカのシュルレアリスムの詩人フィリップ・ラマンティアの著作に没頭していたことに影響されている。アルバムのタイトルをラマンティアの詩から取ったことに加え、彼は、私たちはまさに同じ世界の反映であるため、世界の秘密は私たちの中にあるという先見の明のある詩人の信念に触発された。しかし、このアルバムの基本的な前提は、そこに「そこ」は存在しないという感覚である。足元の地面さえ不確かなのだ。この内面性があるように見える『What Is Not Strange?』の理念と音楽は安易なカテゴライズを拒み、過去、現在、未来のビジョンのように展開する。

ミニマリズム音楽と、父Yoshi Wadaが中心人物であったフルクサス芸術運動の不朽の遺産を肌で感じながら育ったワダは、父の偉大な貢献によるインサイダーとして、また2人の移民の息子として、アジア系アメリカ人としてのアウトサイダーとして、アカデミーと90年代以降のアメリカのアンダーグラウンドを渡り歩いてきた。本作で彼は、この系譜を再文脈化し、推定される信条を無視し、より大きく、より複雑なアレンジメントで最大主義的アプローチを主張する。

既知の量の不安定性は、「What Is Not Strange?」の方法論に反映されている。ワダはキーボード演奏を自由にするために独自のパラメータを設定し、フランスの作曲家で音楽理論家のJean-Philippe Rameauが提案した18世紀初頭の音律に基づいたシステムにProphetとOberheimのシンセをチューニングした。「そこから、耳と感触で音楽を浮かび上がらせました」と振り返り、「チューニングの不規則なハーモニーと重なり合うキーボードの馴染みのある感触とその引きが私の演奏を導き、最終的にアルバムのサウンドとハーモニーの世界を形作りました。」と語っている。
『What Is Not Strange?』の参加メンバーは、実験音楽、ポップス、ジャズ、エレクトロニック・ミュージックなど、様々な分野のロサンゼルスのミュージシャンからなる結束の固いコミュニティから集められている。長年のコラボレーターでありパートナーでもあるJulia Holterは、彼女の特徴である高らかなヴォーカルでワダの作曲を高めている。パーカッショニストのCorey Fogelは 、パワフルでありながら繊細なオーケストラ・プレイでアルバム全体に貢献し、ヴィオラ奏者のEzra BuchlaとベーシストのDevin Hoffは 、拡散する弦楽器のテクスチャーとメロディックなインタープレイを提供している。このアルバムは、Chris Cohenが南カリフォルニアの様々なスタジオで録音し、Stephan Mathieuがミキシングとマスタリングを担当した。「この音楽はかなり直感的に書かれたもので、近年、家族や友人とライブ・グループを結成し、ツアーを数多くこなしてきたことに起因しています」とワダは言う。

オープニングのタイトル・トラックでは、立ち上がるシンセのパルスが、不穏でありながら吉兆なムードを醸し出し、バンドをフォーメイションへと誘う。アルバムの目玉である「Grand Trine」は、これまでの作品の中で最も輝かしい音楽である。ワダの重厚なハープシコードとJulia Holterの紛れもない声が組み合わさり、惑星間の宮廷音楽のように感じられる。タイトルは、ワダとホルターの娘の星座図にある正三角形を形成する3つの惑星の配置にちなんでいる。バンドは「Flame of Perfect Form」で原始的なサイケデリアへと融合し、トリオ編成の「Subaru」では、フォークと日本のシンセ・ポップが楽観的にブレンドされ、星に手を伸ばす。最後から2番目のトラック「Plume」では、彼のこれまでの音楽に存在していた哀愁漂うドローンが、楽しげでやんちゃなキーボード・ソロと一気に絡み合う。

ワダは『What Is Not Strange?(何がおかしくないか)』で、野性的な実験の基盤を確立し、決定的な声明を作り上げ、彼の身近な、そして拡大した音楽的ファミリーの助けを借りて、広がりのある新しい音世界を形作った。ルーツは深まり、増殖する。本作は、アーティストがコントロールを放棄し、得体の知れないものに語りかけるサウンドである。ワダが回想する:「まだ泳ぎに自信がない頃、海に入って、足の指先が地面につかなくなり、ゆっくりと浮き上がった幼い頃の記憶がある。恐怖と爽快感でいっぱいだった。底が抜けて、深いところに出て、広々とした開放感の中で、自分と、上空の空と下界の海の底知れなさを感じるんだ」。

Tashi WadaとRVNG Intl.を代表して、このリリースの収益の一部は、紛争、伝染病、災害、または医療から排除された影響を受けている人々に人道的医療支援を提供する非政府組織「国境なき医師団」に寄付されます。

TRACK LIST:

01. What Is Not Strange?
02. Grand Trine
03. Revealed Night
04. Asleep to the World
05. Flame of Perfect Form
06. Under the Earth
07. Subaru
08. Time of Birds
09. Calling
10. Plume
11. This World’s Beauty

Bingo Fury - ele-king

 ブリストルの青年ジャック・オグボーンのプロジェクト、ビンゴ・フューリー。彼は石畳の冷たさと厳かな空気が漂う街を描いた映画のサウンドトラックのような音楽を奏でている。2020年、白黒の画面のなか、小さな教会の前でジャズとノーウェーヴを混ぜた音楽にあわせ歌っていた若者のバンドがあっという間に解散した後、彼は残ったメンバー数人とともにビンゴ・フューリーという50年代、60年代のノワール映画から抜け出たようなペルソナをまとい再び表舞台に帰ってきた。
 ビンゴ・フューリーの名が初めて世に現れたのは同年にリリースされたコロナ禍における音楽ヴェニューを守るためのチャリティー・コンピ・アルバム『Group Therapy Vol. 1』だった。ゴート・ガールのロッティのソロ名義ムッシー・P、ブリストルの年上の盟友ロビー&モナ、ザ・ラウンジ・ソサエティ、ソーリー、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのルイス・エヴァンスのグッド・ウィズ・ペアレンツ、果ては 〈Speedy WunderGround〉ダン・キャリーのサヴェージ・ゲイリーまで、そうそうたるメンバーのなかに収められた小さなデモは部屋のなかの空気がそのまま入っているかのような暖かさがあって、いまこうやって聞くとビンゴ・フューリーのコンセプトがこのときすでに完成していたようにも思える。キーボードで弾き語られるそれはまるで映画のなかに挿入されるワン・シーンのように映像的で、そして音楽が作り出す空気を表現しているようだった。

「僕はそれ(ビンゴ・フューリー)を人生よりも大きなものにしたかったんだ……映画みたいになることを僕は求めた」。地元ブリストルのメディア365Bristolのインタヴュー(2022年)にジャック・オグボーンはそんな言葉を残しているが、その言葉通りビンゴ・フューリーの音楽は音楽のためだけのものではないのだろう。ミュージック・ヴィデオや写真がどのような影響を曲に与えるのか? もしくは曲がヴィデオやビンゴ・フューリーというプロジェクトにどんな影響を与えるのか? 彼は考え、このペルソナが生きる世界を構築しようと試みた。それはデヴィッド・ボウイが70年代にジギー・スターダストとしておこなったことと同じようなことなのかもしれないが、ビンゴ・フューリーは違う星ではなく、ブリストルの片隅に存在する現実の隣にあるほんの少しズレた世界を作り出したのだ。冷たい空気と暗闇、窓のなかの明かり、アートワークに描かれた彼の姿は等身大を離れ、想像の世界、物語の確かな美しさを提示する。

 そんな風に作られたこの1stアルバムの世界は暗く柔らかに日常のなかに溶けていく。地元ブリストルの教会で録音されたというジャズともノーウェーヴとも言えないような音楽はギラギラと目を引くような派手なものではなく、不協和音の緊張とそれに反するような安らぎの両方を持ち、ピアノとコルネットが空気を作り感情に静かに波を立てていく。それはまさに日常に寄り添うサウンドトラックのようであって、心のなかの景色をほんの少し特別なものに変えていくのだ。
 いくつものムードが交じり合い同時に存在するという感覚はともすればぼんやりとしたものともとらえられかねないが、しかしこれこそがこの奇妙な心地の良い空間を作り出しているものなのだろう。たとえば何かが起きそうな不穏な空気を作り出すホーンにピアノ、どこかから聞こえる物音、渦巻くような危険な気配を持った “I'll Be Mountains” はしかし、結局は何も起きずに静かにフェードアウトしていく。「パンのように霧をちぎる」。抽象的な歌詞をわずかに抑揚をつけてオグボーンは歌い、それがなにもない日常の空気のなかに溶けて消えていく。ほんの少しのズレにほんの少しの心地よさ、それは壮大なものではなく感情の機微みたいなもので、何かの気配や物音がズレや違和感を作り出し漂う空気を形作っていく。“Power Drill” や “Mr Stark” といったギターやエフェクトが引っ張っていくような曲であっても、裏で鳴るピアノや落ち着いた低い声のヴォーカルがチグハグなムードを作り出し心を極端な方向に持っていかせない。そうしてそれがこの奇妙に落ち着く空間を作り出すのだ。
 ビンゴ・フューリーは空気を描く、28分と少しの短い収録時間とも相まってこのアルバムは日常の小さなサウンドトラックとして素晴らしく機能する。繰り返し聞くたびに心に触る静かな刺激がなんとも心地よくなっていく。

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