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前野健太

J-Pop

前野健太

サクラ

felicity

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柴崎祐二   May 09,2018 UP

 ギター1本携えて強烈な歌を吐き出す「フォーク・シンガー」前野健太が登場してきた時の、あの電撃的歓び。私を含めた少なくないファンが、2007年第1作『ロマンスカー』に痺れ、2009年作『さみしいだけ』で枕を濡らし、同年公開映画『ライブテープ』での勇姿に声援を送った。
 それからも絶えることなく、マエケンは極めて精力的に、且つ目まぐるしく活動を続けてきた。2011年に第三作『ファック・ミー』を自主リリースしたあと、松江哲明監督作品『トーキョードリフター』で再びの主演を務める。2013年にはジム・オルークとタッグを組んだ『オレらは肉の歩く朝』、そして『ハッピーランチ』と、充実作を立て続けに発表。その後、音楽活動と並行して、文筆業や映画/舞台俳優としての活動も本格化し、ここ最近では地上波テレビにも登場し、お茶の間にもその鮮烈なキャラクターを浸透させつつある。
 まさかここまでマエケンが人気者になるなんて! と少し虚を突かれるような思いを抱きつつも、しかし一方で、マエケンならいまの活躍は当然だ、とも思うのだった。

 今作『サクラ』は、約4年ぶりのオリジナル・アルバムとなる。様々な場面で彼の姿を見かける機会が増えようとも、やはり何はなくとも彼の新しい歌を聴きたいと思っていたリスナーにとっては、まさに待望という他ないだろう。
 今回、まず何と言っても注目すべきは、ひとつの弾き語り曲を除き4人のプロデューサー陣に各曲のアレンジが委ねられているという点だろう。ceroの荒内佑、元・森は生きているの岡田拓郎、前作以前からの盟友である石橋英子、そしてあの「恋するフォーチュンクッキー」を手掛けたJ-POP界の俊英、武藤星児が各楽曲のプロデュースと編曲を全面的に手がけているのだ。
 マエケンは、4人のプロデューサーへ制作の全てを一任したという。歌手とプロフェッショナルなアレンジャーの蜜月によって支えられた黄金期歌謡曲を彷彿とさせるプロセスを導入することで、これまでの自作自演アーティスト像から、個性豊かなオケ(とあえて言いたい)の上で活き活きと歌唱する「歌い手」前野健太が誕生することになった。
 
 cero荒内が手がけた1曲目“山に囲まれても”は、ピアノと木管楽器がイントロで穏やかに立ち上がり、マエケンの朗々とした歌が現れる。素朴な品格を湛えながらもふんわりとアーバンな風を送り込むようなアレンジの妙味とともに、なにより歌の表情の変化に驚く。ボイストレーニングに通った成果でもあるというその声は、かつてより余裕を感じさせるとともに、響き全体に円味と太い芯が与えられている。
 同じく荒内の手がけた続く2曲目“今の時代がいちばんいいよ”は、2015年にリリースされた同名のCDブック収録版がギター弾き語りだったのに対し、様々な楽器が導入され膨よかで広がりに満ちたアレンジが施されている。ウッド・ベースが闊達に動き、アコースティック・ギターのストロークが軽やかに刻まれ、その上にマエケンの自信に満ちた歌声が載る様は、まるであのヴァン・モリソンによる名盤『アストラル・ウィークス』のようでもある。
 
 3曲目“アマクサマンボ・ブギ”のプロデュースは、武藤星児の手による。高速に叩き出されるビートは、元祖ブギ女王・笠置シヅ子による一連作を思わせつつも、ここではよりパンキーに疾走する。ドライブ感あるAmazonsによる女声コーラスが粋を添え、まるでネオロカ歌謡とでもいうべき特異な世界が演出される。
 武藤は続く4曲目“嵐~星での暮らし”も手がけているが、この曲こそ本作の特異性を象徴するものだろう。“恋するフォーチュンクッキー”マナーも感じさせつつ、マエケンという強い個性と結びつくことで、通常あまり意識上に上ることが無い「J-POP性」のエッセンスをむしろ強く提示・発散する。打ち込みビートとシンセ・ホーンの響きこそは、我々日本人のソウルに強く刻まれた音楽的心象なのだ、ということが、逆説的に浮き彫りになる。そしてその上で、マエケンはかつてないほどの細微なニュアンス・コントロールを用いながら堂々と歌う。ナイス・マッチともミス・マッチとも言い難い、この妙な快感よ。
 武藤はさらに12曲目「ロマンティックにいかせて」も担当。“赤いスイートピー”を思い起こさせるような甘い和音進行を最大限に活かすような80’sミドル・オブ・ロード風のアレンジは流石の一言。そう、例えば来生たかおや佐藤隆など、あの時代の男性シンガーのみが持ち得ただろう色香がマエケンの歌声にこのような形で宿るとは。ギンギンのサステインで闖入してくるギター・ソロなど、実に悶絶もの。

 そして、5曲目は元・森は生きているの岡田拓郎が手掛けた。これも前述の武藤とは違った意味で強烈に「あの時代」を感じさせるトラックだが、昨今のシティ・ポップ再評価のなかから、現代へと繋がる要素を取り出して純化・培養させる手腕は流石の一言。佐藤博の80年前後諸作の如きアーバン且つバレアリックな響きの中に、マエケンのジェントルな歌声がフロートし、夢見心地のメロウ歌謡世界となっている。
 続く6曲目“マイ・スウィート・リトル・ダンサー”では、マエケンが出会ったストリップ・ダンサー「さゆみ」について歌われる。このように女性固有名詞を歌の中に綴るという、いかにも歌謡曲的な行き方が、まったく嫌味にならずに織り込まれるのだ。前曲に続き岡田がアレンジを手掛けたオケは、ニール・ヤング“Out On The Weekend”を思わせ、フェードアウト後再び焦燥感に満ちたフリーキーなサックスとマエケンの絶唱ボーカルが出現するところなどは、まるで南正人の名作『回帰線』的歌謡アシッド・フォーク世界だ。
 岡田は更に8曲目“SHINJUKU AVENUE”も担当した。先述の“今の時代がいちばんいいよ”と偶然呼応するような『アストラル・ウィークス』的世界にも聞こえてくるが、スティール・ギターの繊細な音色や精緻な音響処理に、かつての森は生きているの作品をはじめとした岡田自身の美意識が色濃く反映されており、新宿について歌われる歌詞と相まって、強く風街的心象風景を立ち上がせるのだった。
 
 
 そして、7、10、11、13曲目の計4曲と、4人のプロデューサーのなかで最多の楽曲を担当した石橋英子。マエケンとの息の合ったコラボレーションぶりということでは、やはり抜群の成果を上げていると言って良いだろう。
 7曲目“大通りのブルース”で聞かれる、自身の流麗でいてほのかな苦味を湛えたピアノプレイ、ジム・オルークによるギター、ジョー・タリアによるドラムが紡ぎ出す世界は、石橋が今マエケンの最良の音楽的理解者であるということを強く感じさせるものだ。普段着のままのマエケンに、さっとブレザーを羽織らせるような、そんなリラックスした当意即妙が漂う。
 10曲目“人生って”。まるでエレファント・カシマシ“悲しみの果て”を思わせる思い切ったイントロにつづいて、ソフトな語り口で「ジャズ喫茶のママが言った」とマエケンが歌い出し、シャウト、サックスの嘶きと続く流れの堂々たることといったら! 歌謡曲とジャパニーズ・ロック的世界の習合を、こんな新鮮に響かせることが出来るのは、一重に「攻める」と「退く」のバランス感覚の緻密さの技あってこそだろう。
 11曲目“いのちのきらめき”は、一転して静謐な美しさに満たされる。中高音域のドローンが空間に淡い色彩を漂わせる中、「どうして」という、疑問形でありながら希求にも似た詞が反復されていく。シルキーな音像の中に、さらにギターとドラムが静かに彩りを加えていく。まるでこれは、「ニュー・エイジ歌謡」とでも言おうか。
 そして13曲目にして終曲の“防波堤”。これも先述の「嵐~星での暮らし~」と併せて本作を象徴する1曲だろう。いつになくロマンティックな言葉遣いで描かれる恋愛風景を優しく包み込むオケ。この美しき、そしてオルタナティヴな「中庸」よ。荒木一郎を思わせるマンダムな節回しにそっと寄り添い、あくまで歌をとその歌手を主演として際立たせようとする筆致。マエケンが目指した歌謡世界はまさにこれだ! という風格が立ち上り、アルバム・クローザーにふさわしい曲だ。

 今私は、ああ、「歌手」の歌を聴いたんだ、という非常な満足感とともにある。一個のエポックな歌謡作品として、歌がマエケンを召喚し、歌わせしめているような、そんな感触は、かつてあった綺羅星の如き歌謡曲を「プロ」の歌唱で聴いたときの充実感に似ている。
 しかしそれでもマエケンの歌である限り、歌と同じくらい、マエケンそのものも、相変わらず聞こえてくるのだ。どんなフィールドで活動しようとも、サングラスの奥に覗くあの優しげな瞳で、常に身の回りを鋭くピュアーに眺めるその視点だけは変わらない。どれだけ身の回りが激しく移ろおうとも、美しいものを美しいままに、はっしと掴まえようと、時に身悶えのするほどの真摯さで向かい合う、そんな姿が多くの人を魅了する結果であるに違いない。
 様々なパートナーを得て完成されたこの堂々たる『サクラ』。シンプルな言葉遣いによって外へ開かれた印象を与える歌詞表現ともに、味わえば味わうほどに、ウェルメイドで繚乱たるアレンジの妙味の虜になると同時に、そこで遊ぶマエケン自身のジュブナイルが、かえって我々の胸に迫り来る。
 ジャケット写真にはサングラスを外し、眩しそうにするマエケンの姿。でもその瞳はこれまで以上にキラリンとしているではないか。

柴崎祐二