「MARK」と一致するもの

3月のジャズ - ele-king

 シャバカ・ハッチングスは2022年の『Afrikan Culture』以来、シャバカ名義となるソロ・アルバムをリリースしてきている。『Afrikan Culture』と次作の『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』(2024年)では、これまでのメイン楽器だったサックスではなくクラリネットやフルート、さらに尺八や南米のケーナ、アフリカのムビラなどを用い、原初的で素朴な音色を生み出していた。ドラムやパーカッションなどほかのプレイヤーもプリミティヴでミニマルな演奏を心掛け、静穏として瞑想的な作品となっていく。特にカルロス・ニーニョ、ブランディ・ヤンガー、ミゲル・アットウッド・ファーガソン、エスペランザ・スポールディング、フローティング・ポインツアンドレ・3000らが参加した『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』に顕著だが、アフリカ音楽由来のスピリチュアル・ジャズとアンビエントの狭間をさまようような作品と位置づけられるだろう。この間、彼はサンズ・オブ・ケメットコメット・イズ・カミングなどほかのプロジェクトを解散、ないしは休止し、自身のソロ活動にフォーカスしてきた。2023年末からサックスの演奏を止めたシャバカは、その間にいろいろな楽器をマスターし、またエレクトロニクスを交えたプロダクションやミキシング面も充実させ、それが『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』へと繋がった。『Afrikan Culture』と『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』は、いろいろな道筋をたどってきた中でのシャバカの到達点だったと言える。

Shabaka
Of The Earth

Shabaka

 『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』から2年ぶりの新作『Of The Earth』は、過去2作をリリースした〈インパルス〉を離れ、自身で設立した〈シャバカ・レコーズ.〉からのリリースとなる。レコード会社からの制約は受けずに全く自由な立場で制作を行い、作曲、演奏、プロダクション、ミックスとすべてひとりで完結している。『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』で共演したアンドレ・3000から、恐れや気負いなく誠実に新たな次元を探求していく姿勢に刺激を受け、またシャバカが初めて買ったCDというディアンジェロの『Brown Sugar』(1995年)から、セルフ・プロデュース/セルフ・パフォーマンスによるアルバムが内包するエモーショナルな可能性に触発され、『Of The Earth』は作られた。ツアー移動中にポータブル機材で制作されたビートやループが楽曲の基盤となり、フルートのほかに久しぶりとなるサックス演奏も解禁している。南アフリカからイギリスに渡って活動したジャズ・ドラマーのルイス・モホロが2025年6月に亡くなり、彼のグループでも演奏してきたシャバカはその追悼コンサートに参加し、そこでおよそ2年ぶりにサックスを演奏した。過去2年間はフルートを中心にサックスを封印してきたが、それは彼が音楽を演奏する上でサックスであることの必然性を見出すことがなくなり、逆にほかの楽器への興味が深まったからだそうだが、そうした2年間を経て再びサックスの可能性に出会い、『Of The Earth』は作られた。

 アンビエントでプリミティヴな印象が強かった過去2作に比べ、『Of The Earth』はサンズ・オブ・ケメットやコメット・イズ・カミングなどのプロダクションで見られたリズムやビート面でのアプローチが強くなっている印象だ。代表が “Dance In Praise” や “Marwa The Mountain” で、ビート・ミュージック、ダブステップ、フットワークなどを咀嚼したリズム・トラックが用いられており、それとサックスやフルート、クラリネットなどが交わるトライバルなサウンドとなっている。シャバカがクウェイク・ベースらと組んでいた1000・キングスあたりに近いサウンドと言えよう。また、“Go Astray” では自身でラップをし、後期資本主義社会のシステムに支配された世界と向き合う力強いリリックを披露するなど、いままでになかったシャバカの新たな一面を発見できる作品だ。


Greg Foat & Sokratis Votskos with The Giorgos Pappas Trio
Impressions of Samos

Blue Crystal

 ここ数年来、さまざまなアーティストとのコラボ作品をリリースするピアニストのグレッグ・フォート。2025年はモーゼス・ボイド、ジハード・ダルウィッシュ、フォレスト・ロウなどロンドンのアーティストとのセッションが続いたが、新作『Impressions of Samos』ではギリシャのアーティストとの共演となる。ソクラテス・ヴォツコスはマルチ・リード奏者で、以前もグレッグ・フォートとの共演作がある。その2024年作の『Live at Villa Maximus, Mykonos』はギリシャのミコノス島でのライヴ録音で、ソクラテス・ヴォツコスはクラリネットとフルートを演奏していた。一方、エーゲ海のサモス島での印象をもとにした『Impressions of Samos』では、ソクラテスはアルメニア由来の民族木管楽器であるドゥドゥクを演奏する。そして、ふたりをサポートするジョルゴス・パパス・トリオは、中東から北アフリカにかけての古来の弦楽器であるウードをフィーチャーする。このように『Impressions of Samos』は、エーゲ海を中心に、ヨーロッパ、中東、北アフリカ、アジアの文化が交錯するギリシャを音楽で表現した作品である。

 “The Golden Jackals Of Samoa” でのドゥドゥクはスコットランドのバグパイプを連想させる音色で、ウードはインドのシタールを連想させる音色である。こうした民族楽器は昔からジャズの世界ではいろいろと用いられ、特にモーダル・ジャズの分野では非常に大きな役割を果たしてきた。“The Golden Jackals Of Samoa” はそうしたモーダルなテイストの異色のジャズ・ファンクで、かつてのイタリア映画のサントラやライブラリーなどに近い雰囲気を持つ。“Liberta” はモード・ジャズ、スピリチュアル・ジャズ、ジャズ・ファンクの狭間を往来するような作品で、それぞれの魅力をうまく引き出して結びつけるところがグレッグ・フォートらしいところだ。“Karsilamas” や “Eikosiefta” はアラビアや北アフリカの音楽の要素に彩られ、前者ではそれをジャズ・ファンクと結びつけてエキゾティックなグルーヴを生み、後者ではディープなスピリチュアル・ジャズへと昇華している。


Mark de Clive-Lowe, Andrea Lombardini, Tommaso Cappellato
Dreamweavers II

Mother Tongue

 マーク・ド・クライヴ・ローはロサンゼルスのジャズ・シーンだけでなく、世界のいろいろな国のミュージシャンとセッションをおこなっていて、日本人ミュージシャンと組んだローニン・アーケストラなどがある。ドラマーのトマーソ・カッペラートなどイタリア出身のミュージシャンともたびたびセッションを行っていて、2020年にはトマーソ・カッペラート、ベーシストのアンドレア・ロンバルディーニと組んで『Dreamweavers』をリリースしている。このアルバムを作った当時はローニン・アーケストラでの活動時期と重なっていたこともあり、ミュート・ビートなどで活動してきたこだま和文へのオマージュとおぼしき “Kodama Shade” や、自身のソロ作でも演奏してきた “Mizugaki” (奥秩父の瑞牆山がモチーフと目される)、高野山真言宗の那谷寺からイメージしたと思われる “Natadera Spirit Walk” など、半分日本人の血をひく彼ならではの和のモチーフが表われていた。そうした和のモチーフをジャズやフュージョン・サウンドにうまく融合させるのがマーク・ド・クライヴ・ローの真骨頂でもある。

 今度その『Dreamweavers』の第2弾が6年ぶりにリリースされた。今回も “Kaze No Michi” や “Sakura Fubuki” といった日本語のタイトル曲がある。ただし、和をモチーフにすると言っても、マーク・ド・クライヴ・ローはあくまで彼が日本の文化から受けるインスピレーションを音楽として表現するのであって、安易に和楽器を用いたり、日本の民謡の音階を取り入れるといった手法に出てはいない。“Kaze No Michi” は疾走感に満ちたスピリチュアル・ジャズで、イメージ的にはロニー・リストン・スミスあたりが近いだろう。極めてダンサブルなジャズでもあり、日本のクラブ・ジャズ・シーンとも交流のある彼らしいサウンドだ。“Terra De Luz” は彼が多大な影響を受けたアジムスへのオマージュと言える作品。このトマーソ・カッペラート、アンドレア・ロンバルディーニとのトリオ自体がアジムスそのものと言うべきプロジェクトであり、アジムスが黄金時代を迎えた1970年代から1980年代にかけての雰囲気に満ちている。J・ディラのカヴァーとなる “Raise It Up”、かつてのウェスト・ロンドン時代の盟友である故フィル・アッシャーに捧げた彼のカヴァー曲 “The Bass That Don’t Stop” ほか、ジャズとともにクラブ・カルチャーを通過したマーク・ド・クライヴ・ローらしいアルバムとなっている。“Back Channels” や “Lucid Dreams” もブロークンビーツを通過したダンサブルなジャズと言えよう。


Asher Gamedze
A Semblance: Of Return

Northern Spy

 アッシャー・ガメゼは南アフリカのケープタウンを拠点とするジャズ・ドラマーで、シカゴのジャズ・シーンとも交流があって、これまで〈インターナショナル・アンセム〉からもいろいろ作品をリリースしている。2020年頃からアルバムをリリースしているが、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのようなアフロ・ポリリズミックなフリー・ジャズ、スピリチュアル・ジャズが特徴で、2024年の『Constitution』は黒人の意識開放運動と結びついた革命思想を内包する作品だった。このときはブラック・ラングスという南アフリカのミュージシャンから成るグループを率いていたが、彼は作品ごとにグループを作っていて、今回の新作『Of Return』はア・センブランスというグループを率いてのものとなる。とは言っても、メンバーはブラック・ラングスのときと被るミュージシャンもいて、日頃から一緒に演奏しているケープタウンのミュージシャンとのセッションとなる。

 『Of Return』は南アフリカにおける汎アフリカ主義と黒人意識に根ざし、地域や政治理念などを超えた連帯を訴える作品となっている。作品の随所にアパルトヘイト抵抗運動の活動家スティーヴ・ビコの演説からとられたワードが用いられ、2025年にオランダの音楽フェスにアッシャー・ガメゼがゲスト・キュレーターとして出演した際、用意した政治的ステートメントらアルバム・タイトルが名づけられた。“Distractions” はラスト・ポエッツ調の歌というかナレーションが盛り込まれ、サウンド的には『On The Corner』(1972年)の頃のマイルス・デイヴィスを彷彿とさせる。『On The Corner』はスライ・ストーンとの交流からファンクを導入したアルバムとして知られるが、“Of The Fire” はさらにファンク度が増す。ファンカデリック的なナンバーであり、サン・ラーの “Space Is The Place” にも通じるような作品だ。アフロ・フューチャリズムを通してアッシャー・ガメゼとジョージ・クリントンやサン・ラーが繋がっていることを伺わせる。ポリリズミックで混沌としたジャズ・ファンク “War” では、シンセを用いて変調させたサウンドが印象的。こうした音を使った遊び的なところもサン・ラーと通じるところがある。

Teresa Winter, Birthmark, Guest,A Childs - ele-king

 窓の外を眺めながら、メモを読む。1月末、アメリカは150機以上の軍用機/特殊部隊を投入、ベネズエラの大統領官邸や軍事施設を爆撃。マドゥロ大統領とその妻を拘束、そのまま米軍機でニューヨークへ移送。1か月後の2月末、アメリカとイスラエルは、イラン国内の500カ所以上の目標を一斉に攻撃。ハメネイ師はピンポイントで殺害。イラン側の発表によれば、3月5日の時点で死者は1200人超。スペインのサンチェス首相は、3月4日のテレビ演説でアメリカを非難。スペイン国内にあるアメリカ軍との共同運用基地をイランへの攻撃に使用することを明確に拒否。スペインからの全輸入/貿易を停止するよう指示したトランプ大統領に対し、同首相は「報復を恐れて、世界にとって悪影響を及ぼす行為に加担することはない」と反論。ページをめくる。アメリカ開催予定のワールドカップ。ブラッター元FIFA会長は1月末、同大会の「ボイコット支持」を表明。ドイツサッカー連盟副会長のオケ・ゲトリッヒは、W杯のボイコットを真剣に検討すべきときが来たと語る。インファンティーノ現FIFA会長は、昨年、トランプ大統領にFIFA平和賞を授与。その賞は、今回初めてもうけられたもの。追記。イラン政府は湾岸/中東の親米諸国に報復攻撃。「徹底抗戦」を表明する。イラン女子代表チームは「女子アジアカップ2026」にて国歌斉唱を拒否。彼女たちはいまでもヒジャブの着用義務が強いられている。
 
 「あなたに平和はありますか?("Do You Have Peace?")」とは、デモのスローガンではない。ブリストルのJabuのレーベルである。このレーベル&コレクティヴは、とくに目立つことはないし、こんなレーベル名を持ちながら、音楽性はハードでもないしラウドでもない。まったく威勢がよくない。そうしたやる気満々の文化からは積極的に離れている。政治的/文化的躁状態とは距離をおいて、DYHPは、内省的かつ静謐な、暗く沈んでいくダブ的音響加工のスロウコアに向かっている。『メザニーン』『マクシンクェーイ』『ダミー』、そして『ヤング・エコー』直系のブリストル・サウンド。フライング・ソーサー・アタックのアンビエントを横目で見ながら、コクトー・ツインズとディス・モータル・コイルのエーテル系ドリーム・ポップを吸収し、21世紀のドローンとダーク・アンビエント、モダン・クラシカルもここに合流している。

 本作、つまりJabuの3人──O$VMV$M/ヤング・エコーのエイモス・チャイルズ、アンチボディのバースマーク、ヤング・エコーのゲスト(ジャスミン・バット)──、そしてリーズからやって来た神秘的な音楽家、テレサ・ウィンター(〈The Death Of Rave〉からの諸作で知られる)を加えた計4人によるセッション音源には、半開きになったカーテンの、窓の外から月光が部屋を照らす床の、ひんやりとした感覚までも伝わってくるような親密さがある。

 わかっただろう? 立ち上がるな。寝転べ。

 それにしてもだ。これがギグの後の「一夜限りのレコーディング」であり、オーヴァーダブ/編集なしの、即興演奏の実況録音であったことが信じられない。計4曲には、ゆっくりと霧状に広がるその儚いサウンドの魅力が漂っている。時間が経つにつれ、4人はより深いムードのなかに入っていく。眠たげに混ざり合う彼女たちの歌声とベース、ドローン、スローモーション、シロップのようなリヴァーブ……催眠的な領域がアルバムの後半には待っているが、心配無用、演奏は、最後まで崩壊することはない。
 意図的な情報の遮断、重力のない夢。このアルバムは、世界の混沌とは精神的な距離をおいて、リスナーをあらゆるものから解放された、どこか別のところに連れていくだろう。言うまでもないことだが、この即興性、不透明さ、幽霊のようなため息は、今日の文化的躁状態に対する、いかにもブリストルらしいロマン主義的対応である。

 こうしたダークサイドは、スコットランドのグラスゴーにも広がっている。昨年レーベル・コンピをリリースした〈blush〉、夜のしじまのジャズ・アンビエントを特徴とする〈Night School〉、それから〈Somewhere Press〉も面白い作品を出している。つい先日は、民話やフォークロアをテーマにしたコンピレーション『The Black Hill, The Glass Sky』が話題になっているが、このプロジェクトにもテレサ・ウィンターは参加し、1曲提供している。そして、「エロイーズ・ベネット(イギリスの現代美術の研究者)の“場所と音響”に関するテキストへの、アーティストからの集団的なアンサー」としてまとめられたそのアンソロジーのコンセプトは、"Haunted landscape"、すなわち「かつてそこにいた人びとの気配や記憶が染み付いている風景」という「ホーントロジー(失われた場所の記憶)」にある。いかにもUKらしい、あらたな「音の生態系」なのである。

 作戦成功。彼は発見した。邪魔物は「ただ消せばいい」。会話は必要なし。我々には力がある。笛を吹くな。ルールなどないのだから。……暗くなるのを待とう。ワインとシガーは用意した。ひっそりと、この音楽的対話を、静かに楽しもうじゃないですか。床に座って。

 

 Hello Hello! hey hey! heykazmaですッ!!
 今年もよろしくねん!!
 今回は~~~⟡‎♡‧₊˚
 2/2にリリースした、わたしの1st EP「15」について!!
 ライナーノーツ的なやつ、書いちゃいますよ!!

https://www.ele-king.net/news/012128/

 まず、EPタイトルの「15」ってなに? と思うあなたへ。ズバリ言うと、わたしの年齢です♪ このEPは “15歳までの時間” をぎゅっと詰め込むことをコンセプトにしています。これまでの思い出や感覚、その時々で感じていたことを、そのまま音に残すようなイメージで制作しました。
 ジャンルは特に縛りなく、わたしが好きなものを全部詰め込んでいます。Juke / Footwork、Techno、ノイズなど、そのときつくりたかった音を素直に形にしました!!!!!!!!
 アートワークは飯田エリカっちの撮影した写真をベースに、msmsちゃまが可愛い猫の絵&heykazmaのロゴを描いてくれました!! 超お気に入りアートワークすぎる、ナイスワーク感謝すぎます!!!
 てことで、楽曲の解説をしていきますで〜♪

1. 15

 EPのリード曲 “15”⟡‎♡‧₊˚
 “ALL THAT’S FOOTWORK” という、以前わたしが制作した曲をベースに、音を足したり引いたりしながら、いまの自分の感覚で作り直した曲です。今回はポエムコア、ラップ、ビート、ベースを入れて、かなり “いまの自分” を前に出した一曲になってます•¨•.¸¸☆*・゚
 近頃は、ヘイトスピーチやレイシズムに満ちた言葉を、SNSどころかまさかの路上で(もしくは車の上から汗)聞くこともあり、正直びっくりしています。世の中がそういう傾向にある? だとしたらとてもダサい。
 わたしは、誰に何を言われても「わたしはわたし」っていう気持ちを絶対に手放したくない。
 その感覚を、そのままポエトリーとしてラップに込めています。
 どこで生まれて、どこで息して、どこで育って、どこで学んでも「わたしはわたし」。メイクすること、好きな服を着ること、誰を好きになってどこで暮らすか、全てはわたしの自由だし、あなたの自由でもある。人を傷つけなければ、それで全部OKじゃん❣️ って思ってる。
 つまり、I am Iってことや⭑
 ベースはあっしの大親友・MAIYA(illiomote)に弾いてもらいました!!
 以前、マヴのあっこゴリラちのライヴを観に行ったとき、サポートでベースを弾いているMAIYAを見て「この人最高すぎっしょ」ってなって! 今回、曲にもう一段階深みを足したいなって思ったとき、「MAIYAにお願いしよう」って自然に思えて、参加してもらうことに。結果、最高すぎて感謝しかないっすわ✩*・

2. Pre Pariiiiiiiiiiiiiiin
3. Pariiiiiiiiiiiiiiiin

 この2曲は、セットでひとつの流れとして制作しました˖⁺‧₊˚✦
 リード曲 “15” とは対極にある存在で、空気が一気にexperimentalな方向へ傾いていきます。
 “Pre pariiiiiiiiiiiiiiin” はノンビートの楽曲として始まり、音の質感や余白そのものを意識した構成に。そこから “Pariiiiiiiiiiiiiiin” でビートが立ち上がり、Technoとして再構築されていく流れになっていますっっ!
 制作のきっかけは、以前栃木県・益子町を訪れたときの体験でした。益子陶器市の会場近くで、割れた陶器の破片が地面一面に散らばっている場所があり、そこを歩いたときの音をボイスメモで録音していました。陶器が擦れる乾いた音や不規則なリズムを細かくチョップし、ビートの素材として組み立てています。
 サウンド面で特に影響を受けたのは、Mick Harrisの別名義・FRETによる『Over Depth』や、Mark Fellの『multistability』。ビートを単なるリズムではなく、構造そのものとして扱う姿勢に強く惹かれました。
 踊れるけれど安定しすぎない、気持ちいいけれどどこか落ち着かない。その曖昧なバランスを大切にしながら制作した2曲です☆≡。゚.

4. Cat Power

 “Cat Power” も “15” と同じく、もともと “€at P0wer” という曲をBandcampでリリースしていて、そのトラックをベースに、音を足したり引いたりしながら、いまの自分の感覚で再構築していった一曲です꙳·˖✶
 この曲では、私の声に加えて、飼い猫のNancyの声をサンプリングしています。
 愛おしい猫ちゃん。my sweet catって感じで、何気ないおうち時間を、いつの間にか癒しの時間に変えてくれる存在です˚✧ ˖
 全部そばで受け止めてくれる感じがして。猫、ほんとに最高。猫の力は偉大!!!
 “15” でも影響を受けているけど、この曲は特に、関西のJukeアーティスト・PICNIC WOMENや、Satanicpornocultshopから影響を受けまくって制作しました₊♪‧˚*

5. Acid Noise

 さあさあ、EPいちばんの問題作、“Acid Noise” でございます!!! 名前のとおり、Noise Music。正直、EPのなかでもかなり振り切った一曲になってますし、完成に辿り着くまでいちばん時間がかかりました……。一歩間違えると、ただ効果音を並べただけみたいになっちゃうので、そのあたりはかなり工夫しています
 この曲は、仲良し・食品まつりちゃまの “KOUGEKI ROBOT” や、我らがmasonna先生、そして今回のEPプロデューサーであるカワムラユキの旧名義、VENUS FLY TRAPPの『Egology』などをリファレンスに制作しました!!!
 EPの流れのなかで、少し空気を壊すというか、耳と感覚を一回リセットするような存在になってたらうれしいです。これもいまの自分!!˚₊‧⁺˖

 てな感じで楽曲解説は以上です。ぜひこれを知った上で聞いてみてほしいな! リファレンスをまとめたプレイリストも作ったのでよければチェックしてみてくださいな。


https://youtube.com/playlist

 こっからはEPリリースのお祝いコメントを、わたしの大好きなアーティストの方々に書いていただきました!!
 ele-king編集長・野田氏、編集部・小林氏からもいただいております!!

EPリリースおめでとう!!
DJ、パーティーオーガナイザー、コラムニストなど、様々な視点からカルチャーを俯瞰している。その中で自由な泳ぎ方を見せている。決して誰かを強制したり、価値観を押しつけているわけではなく、私はあくまでこうあり続けるという一つの個として音楽を表現しているように感じる。その異色でありながら、色彩を選び抜く力というものは、オーガナイザーとしても培った、出会うことを知らない引力を、引き合わせる力を持ち合わせているからこそ生まれてくるものだと思う。
これからまだ見ぬ化学反応を起こしてくれることでしょう。
それを目撃し続けたいです。
- 北村蕗

ビートのバリエーションの豊富さ、サウンドもトライバル感ありつつ、フィールドレコーディング的なサウンドも織り交ぜて音響的にもめちゃくちゃヤバいepです
- 食品まつり a.k.a FOODMAN

ここにエレクトロニック・ミュージック界の新星、耳を澄ませ! - 野田努 / ele-king 編集長
最初の輝きはいつまでも色あせない――期待の原石がついに転がりはじめた - 小林拓音 / ele-king 編集部

衝撃の15歳!!! 1st EPリリースおめでとうございます!!!
この年齢で、ここまで自分の世界観と音を持っているなんて、可能性しか感じません!!!
これからどんな景色を見せてくれるのか、どんな進化をしていくのか、今から楽しみすぎます!!!心からのリスペクトと応援を込めて。
- もりたみどり / WAIFU

ついにこの時が来た!!!hey様の、踊りながら飛び出してくるような立体的な躍動エネルギーを、世界が、浴びたがっている!!!!
- ShiShi Yamazaki

高円寺のあれこれレコードショップLOS APSON?周辺にて勃興するイベント、DDMメンバーとしても登場してもらっている高一エクスペリメンタル妖怪系クリエイター!?heykazmaが、新しいEPをリリースするというので聴いてみたっ!!! 現代のテンポ感で刻まれる鳴りの良いフレッシュダンサブルサウンドと、ライトなコラージュ感覚で、ポジティブなバイブスを無限に放っています!
- 山辺圭司 / LOS APSON?

heyちゃんの楽曲でベースを弾きました!オファーをもらった時にえ、ベース!?
となったんですがheykazmaの頼み断るわけがない!みんなを新しい世界に引き込んでしまうようなheyちゃんにいつもパワーをもらっているし、こうした形で大きなスタートに関われて嬉しいです。ありがとう。未来でしかない!EPリリース本当におめでとう。
- Maiya Toyama / illiomote

素晴らしいスタートライン!ポップなフットワークビートも、エクスペリメンタルなノイズも、heykazmaの血肉となって通過した痕跡を残し、めちゃくちゃエネルギッシュ!heykazmaが本格的にプロデューサーとして活動を始めたことは、これからのテクノの希望でしかない˚. ✦
- 壱タカシ

「15」。原子記号で言えば燐。空気中で自然発火する元素だ。ギリシャ語Phosphorusフォスフォロスとは、「光をもたらす者」もしくは「明の明星」。明け方太陽に先立ち光輝く金星だ。奇しくもプロデューサーのカワムラの通称はヴィーナス(金星)。このデビューEPがクラブシーンにおいて、いち早く光もたらすアルバムにならんことを!
- ヴィヴィアン佐藤

 そんなわけで、heykazma 1st EP「15」特集でした。
 ぜひみなさんサブスクで1000000000000回聴くのはもちろん、Bandcampでも音源販売中ですのでサポート何卒よろしくお願いします!!!!

 そして、お知らせ!
 heykazmaのHPができました。
 いろんな情報ここからチェックできるようになってるので、ぜひみんなみてみてね〜
 https://sites.google.com/umaa.net/heykazma-official/

 最後に、私が都内でお気に入りのベニューであり、桜台poolのオーナーでもあるカイライバンチの清水さんが、先日お亡くなりになりました。
 poolのような文化的な場を自らつくりあげ、その空間を守り続けてこられた清水さんのような先輩方がいたからこそ、私たちは自由に、そして尖った表現を続けることができたのだと心から思います。
 つい先日、友人の魔女・円香さんが主催するイベント「Circle 2026」が桜台poolで開催され、私もDJとして出演させていただきました。その際に清水さんにお会いしたばかりだったので、二週間後に訃報を知り、あらためて日々のかけがえのなさを強く感じました。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
DuctronTwin2020
 ではではまたどこかでお会いしましょう.
 またね ࣭ ⭑

shotahirama - ele-king

 20年にわたり活動してきたニューヨーク出身の電子音楽家、shotahiramaがなんと音楽活動に幕を下ろすという。ラスト・アルバムとして先週1月31日、『A Love Supreme』がリリース。「至上の愛」とはまた印象深いタイトルだけれども、同作はこれまでのソロ活動から厳選された20曲で構成されている(新曲にしてラスト・シングル “NERVOUS” も所収)。グリッチからヒップホップまで、独特の感性で活動をつづけてきた彼の、有終の美を見届けよう。

2006年にENG (エレクトロノイズ・グループ) を結成、09年にグループ解散以降はノイズ/グリッチミュージックシーンでソロアーティストとして活動を続けてきたニューヨーク出身の音楽家shotahirama。そんな彼が2026年1月31日をもって20年の音楽キャリアに幕を下ろすラストアルバムを同日リリースする。最終作は『A Love Supreme』と題され、10年代のグリッチミュージックシーンに大きな潮流を起こした「post punk」をはじめ、レゲエをフュージョンさせた傑作「Maybe Baby」やラストシングル「NERVOUS」など、ソロ転向後の作品から20曲を選曲したベストアルバムになっている。

YouTubeリンク:
『A Love Supreme』アルバムトレイラー
https://youtu.be/CC7C1YnB5Og

『NERVOUS』ミュージックビデオ
https://youtu.be/_J0BSe5a2Ag?si=z8wfw8gJ_5JzkDod

また、本作にも収録されているアンビエントトラック「Nothing But You and Me」が発売から14年の時を経て、映像作家Masashi Okamotoディレクションによる新たなミュージックビデオを公開しているのでこちらも併せて確認したい。

YouTubeリンク:
『Nothing But You and Me』ミュージックビデオ
https://youtu.be/WSxGIWsvwLM

A Love Supreme (Bandcamp Original) by shotahirama

Bandcampリンク:
https://shotahirama.bandcamp.com

1. Cut (from "Cut" SIGNAL DADA, 2018)
2. FIRE IN WHICH YOU BURN (from "GET A LOAD OF ME" SHRINE.JP, 2021)
3. IM ON FIRE (from "Stay On The Light" SIGNAL DADA, 2020)
4. KIDS TRUX (from "Conceptual Crap Vol,5" スローダウンRECORDS, 2017)
5. CRAZY (from "ZOOYORK" SIGNAL DADA, 2024)
6. THE WHOLE NINE YARDS (from by "GET A LOAD OF ME" SHRINE.JP, 2021)
7. You Dub Me Crazy (from "Maybe Baby" SIGNAL DADA, 2017)
8. Do The Right Thing (from "KETURON RIGHTS" SIGNAL DADA, 2018)
9. SLACKER (from "Rough House" SIGNAL DADA, 2019)
10. CANDY STORE (from "DON'T STRESS TOMORROW" SHRINE.JP, 2022)
11. BRAINFREEZEE (from "COLDVEIN" SIGNAL DADA, 2024)
12. FIRE AND ICE (from "APARTMENT" SIGNAL DADA, 2021)
13. STOP FRONTING (from "Rough House" SIGNAL DADA, 2019)
14. Start Breaking My Heart (from "Conceptual Crap Vol,1" スローダウンRECORDS, 2016)
15. Copernicus (from "post punk" SIGNAL DADA, 2014)
16. Nothing But You and Me (from "NICE DOLL TO TALK" SIGNAL DADA, 2012)
17. And The Elevator Music In The World Trade Center (from "Modern Lovers" Duenn, 2014 and Shrine.jp, 2016)
18. Neptune (from "Cluster" Shrine.jp, 2014 and 2016)
19. Cassini (from "Clampdown" SIGNAL DADA, 2014)
20. NERVOUS (from "NERVOUS" SIGNAL DADA, 2025)

about shotahirama:
ニューヨーク出身の音楽家・ビートメイカーshotahirama (平間翔太)。中原昌也、evala、野口順哉(空間現代)といった音楽家がコメントを寄せる。音楽批評家・畠中実による記事『デジタルのダダイスト、shotahiramaがパンク以後の電子音楽で継承するオルタナティヴな精神』をはじめ、音楽ライターの三田格やVICEマガジンなどによって複数のメディアで紹介される。Oval、Kangding Ray、Mark Fell、Ikue Mori等のジャパンツアーに出演。代表作にCDアルバム「post punk」や4枚組CDボックス「Surf」がある。

Jay Electronica - ele-king

 ジェイ・エレクトロニカという名の「謎」が帰ってきた。しかも、実にあっけらかんとした明るい笑みを浮かべて。自分自身の宇宙のタイムスケジュールに基づき、極めて正気なやり方で、わずか5日間のうちに5つの作品をリリースしたのだ。
 多くのアーティストが望み、多くのラッパーが部屋に足を踏み入れる際に「持っている」と言い張るもの、それが「リップ(威信)」だ。しかしジェイは異種の生き物である。スワッグ(虚勢)を自慢したり、大勢のセキュリティやアシスタントを引き連れたり、単に「なんとなく」という理由だけでわずか20kmの距離をプライベートジェットで飛んだりするような人間ではない。ジェイ・エレクトロニカはそのような世界には住んでいないが、まるでドクター・ストレンジが新たな魔術やポータルを呼び出すかのように、それ以上の尊敬を勝ち得ている。
 ヒップホップ界に25年身を置き、技術的な記録としてのデビュー(MySpaceでだ!……MySpaceを覚えているだろうか?)は2007年(後にオフライン化)であったにもかかわらず、ジェイのアルバムは片手では数えきれなかった。これまでは。いまや、両手が必要だ。だが、それ以上はいらない。

 おそらく49歳の誕生日を祝うためだろうか(確証はないので引用しないでほしいが)、ジェイは5日間で1枚でも2枚でも3枚でも4枚でもなく、5つもの作品をリリースした。まずInstagramで発表され、続いてTwitter(X)のアカウント、そして〈Roc Nation〉が続いたこの衝撃的なニュースは、完全なサプライズだった。まるでエイプリルフールのジョークのようだが、それが届けられたのはどんよりとした9月だった。

 文字通り、彼が3枚目のアルバムをリリースした瞬間にこの記事を書き始めたのだが、インターネット上の噂で「19枚のアルバムを出すかもしれない」と囁かれたため、筆を止めざるを得なかった。だから、状況が落ち着くまで数日待った。この地球外生命体のような事態を百科事典的に紐解くため、少し時間をかけて整理させてほしい。まず、これを見てくれ。

  Act I: Eternal Sunshine (The Pledge) /永遠の陽光(誓約)— 2025年9月17日
  Act II: The Patents of Nobility (The Turn)/貴族の特許状(転機) — 2025年9月18日
  A Written Testimony: Leaflets /書面による証言:リーフレット— 2025年9月19日
  A Written Testimony: Power at the Rate of My Dreams /書面による証言:夢の速度で流れる力— 2025年9月19日
  A Written Testimony: Mars, The Inhabited Planet /書面による証言:火星、居住可能な惑星 — 2025年9月21日

 ジェイ・エレクトロニカという男において、「苦悩するアーティストがスタジオに引きこもり、翌年に新作を出す」という古くからの不測の事態やロマンチックなステレオタイプは当てはまらない。彼は業界を気にせず、業界だけで生きているわけでもなく、業界から自尊心を得ているわけでもない。1週間以内に5枚のアルバムをリリースするという発想は、ラップ界では前代未聞であり、業界の幹部たちからは恐れられることだ。
 しかし、主流に抗うことこそが誰よりも彼に似合っている。適切な説明をするならば、彼はメインストリームのラップ・ゲームの圏外に身を置きつつ、同時にその中心に存在している、ということだろう。少なくとも世界中で、このような空間に生息しているラップ・アーティストは他にいない。Jay-Zの親友であり、彼のレーベル〈Roc Nation〉に守られ、エリカ・バドゥの親友かつ相談相手であり、彼女の子供の一人の父親でもある。その一方で、ヒップホップ業界により意図的に深く組み込まれている数多くのプロデューサーやラッパーたちとも、電話一本でつながる距離にいるのだ。

 ジェイ・エレクトロニカという謎は、彼が最初に登場したときや、その後の『What The Fuck is a Jay Electronica?』(2012年)の頃の初期の熱狂とはまた別物だ。当初から彼は際立っていたが、スタイル的には、ケンドリック・ラマーをはじめとする多くのアーティストが好んだ「1小節に100万語を詰め込む」タイプのラップとまだ競い合っていた。しかし、リークや客演を重ね、「Exhibit A」(2009年)のようなシングルを経て、彼は独自の地位を確立し、その台座を勝ち取った。
 何年もラジオから音沙汰がなく、Instagramで難解な投稿を繰り返していても、一度ヴァースがリークされたりトラックがドロップされたりすれば、ファンは狂喜乱舞し、あらゆる単語、引用、フレーズを徹底的に解剖する。その磁力を持つ声の明快さと語彙、より正しい道へと導く父親のような言葉のジェスチャー、そして物語を語るという絶対的な意図が、単に誰にも理解できないトラックを作るために言葉を並べるだけの業界の多くの人びとから彼を隔てている。
 かつて誰かに「なぜジェイを聴くべきなのか」と聞かれたことがある。私はこう答えた。ジェイはサビ(コーラス)に辿り着くためにヴァースや節を急いで終わらせようとは決してしない、と。そもそも、彼はサビ(コーラス)を書かないことも多い。すべての言葉が重要で詩的であり、それはまるで村の人びとに歴史を語り継ぐセネガルの語り部「グリオ」のようだ。ジェイは「変な奴」として知られているが、その「変な奴」は、イスラム教の戒律への全面的な献身を軸とした難解な情報の断片を丹念に紐解き、聖書の証言、アウトサイダー的な思考、そしてモス・デフのような巧みさが絡み合う濃密なウェブを作り上げる。
 彼の言っていることは聞き取れるし、その語りに首を振りながら、その過程で何かを学ぶことができる。彼の最高のトラックを聴くことは、言葉遣い、テナー(音域)、聴衆の理解への予見が最優先される説教者の礼拝に出席するようなものだ。

 さらに重要なのは、彼が「時間」を気にしていないことだ。夏のリリースのスケジュールに間に合わせようと急ぐことなど、クソ食らえだと思っている。はっきりさせておくと、9月の5つのリリースのうち、『Act 1』と『Act 2』は新作ではない。デジタルのものは誰かのウェブサイトやハードドライブのどこかにあるはずだが、1と2はどちらも一瞬現れては消えていた。『Act 1』は、ジョン・ブリオンによる映画『エターナル・サンシャイン』のスコアをインストに使用した、2007年のムード溢れる15分のミックステープだ。MySpaceを通じて公開され、20年近くインターネット上を漂っていたが、公式なものではなかった。
 『Act 2』はリークされ、Jay-ZのTidal(※レーベルではなくストリーミングサービス)を通じてリリースされたが、同じ月(2020年)のうちに葬り去られ、5年経ってようやく再浮上した。先に述べたように、ジェイは時間を気にしない。リークの数ヶ月前に出された2020年の『A Written Testimony』の勢いがあったにもかかわらず、今年までそれを再び世に出そうとアクセルを踏むことはなかった。そして、2025年の『A Written Testimony』シリーズは形式上は新作だが、正直なところ、それらのトラックがいつ制作されたのかはわからない。録音された音楽に対するジェイの特異な性質は、彼の全アウトプットが、制作時期に関わらずいつでも貸し出し可能な彼専用のライブラリであるかのように感じさせる。時間は捉えどころがない。

 アウトプットは少なく限定的だが、熱狂的なファンにとってそれは許容範囲内だ。しかし、2020年の『A Written Testimony』と、今回の2025年の5つの新作を比較せずにはいられない。喩えるなら、2020年の『A Written Testimony』は銀座の職人が握った寿司やおにぎりのようだった。対して、2025年のリリース群(『Act 1』と 『Act 2』、そして3つのアルバム『Power at the Rate of My Dreams』『Mars, The Inhabited Planet』『Leaflets』)は、地元の祭りの屋台で手早く作られた焼きそばに近い。
 2020年の『A Written Testimony』は、心地よく調和した鋭いトラックのコレクションだった。ハードなビートから、鋭い感情、さらには部分的な信仰心まで、繰り返し読み解くことができた。一方、『Act 1』は瞑想のようであり、『Act 2』は2020年のアルバムに近い、より弾むようなトラックと流れるようなビートがある。車で仕事に向かうなら、『Life on Mars』や『Bonnie and Clyde』を再生するといい。

 2025年の3つの『A Written Testimony』は、まさに「証言(Testimonies)」が、別々のトラックでありながら編み合わされたもののようだ。各アルバムが、辛うじてアルバムと呼べる程度であることは心に留めておいてほしい。EPと呼ぶべきだろうか? 私の不満のいくつかは間違いなくここにある。各EPが死ぬほど短いのだ。どれも20分をかろうじて超える程度だ。それに加えて、使用されているサンプルの量が異常だ。3分のトラックであっても、ジェイが物語を語っているのはわずか1分程度だったりする。

 ここでのプロデューサーワークは、J・ディラやパブリック・エネミーのような意味で精巧に作られたものではない。サンプルは延々と流され続け、カット&ペーストされて再解釈されたり踊らされたりする「音のオブジェクト」としてではなく、歴史の遺物のように、そのオリジナルの意味をそのまま保存しようとしている。だから、もしプレイボーイ・カルティのようなバンガー(盛り上がる曲)を期待しているなら、ひどく失望することになるだろう。そして、もし君が1990年以降に生まれたのなら、同情する。選ばれたサンプルの多くは、君たちが生まれるずっと前の映画やインタヴュー、その他のメディアからのものだからだ。出典を知らなければ、なぜそのサンプルが面白いのかを理解するのは難しい。
 だが、それは許される。ジェイ・エレクトロニカが口を開けば、リスナーは一語一句、あらゆる引用を精査し、Wikipediaやインターネットを駆使して理解しようとするからだ。

 『Power at the Rate of My Dreams』に収録された、ラッパーのウエストサイド・ガンとの“Best Wishes”を例に挙げてみよう。3分間のトラックで、ジェイがラップしているのはわずか1分だが、その言葉は……こんな感じだ。

「マイクを渡された瞬間に 仕事に取り掛かる 俺の舌は マスター・ファード(ネイション・オブ・イスラムの創始者)自身の手によって 絹へと変わる 『トップ5』リストにいる奴らなら 誰にだって深手を負わせてやるさ もし俺が 蛇から進化したドラゴンと戦っていなければな」

 そして

「左 右 左 右 左 右 夜に木の葉のように 俺の夢のなかを漂う」
「信じる者たちのための 蝶 心臓が標的で 鼓膜が受信機だ」

 ジェイは難解な知識、とくにイスラム教とUFOのファンだ。それらと、彼が信仰から感じる光とともに人間の悲惨な存在について語る心揺さぶる能力の組み合わせは、『Leaflets』収録の“Is It Possible that The Honorable Elijah Muhammed is Still Physically Alive??(名誉あるイライジャ・ムハンマドは、いまも物理的に生きている可能性があるだろうか??)”において強力に発揮されている。

「空にあるあの街のことが いつも気になっていた あの眩い光と 色鮮やかな輝きとともに 空に美しく浮かぶ街 あの金と エメラルドと サファイア そしてジャスパー(碧玉)と 真珠に囲まれた 真実にして生ける神の 玉座」

 ここでジェイは、UFOとの「ロサンゼルスの戦い」の証拠とされる話について詩的に語り、それが人生に苦しむ女性と混ざり合い、その出来事が信仰の必要性を強める。曲は、ネイション・オブ・イスラムの指導者であり創設者である名誉あるイライジャ・ムハンマドの歴史を語る人物の声で終わる。

彼女がもっとも嫌いだと言った色が不可視(インビジブル)
水着姿のストーリーのコメントにそれを固定した
日の光のなかでは 彼女は背が高く
無敵(インビンシブル)に感じている
だが夜になれば 誰かのセクションで
小さく 説き伏せられやすくなる
また別の堕ちた星が別のクレーターに激突する
なぜ俺に尋ねた?
俺たちは救世主が必要なのかと?

 ジェイ・エレクトロニカの素晴らしさを理解し評価することは、彼の決して静かではない「矛盾」と向き合うことでもある。ネイション・オブ・イスラムの極めて熱心な信奉者であるジェイは、5つのリリースの機会を利用して、各リリースのカヴァーにネイションが使用する象徴的なシンボルを採用した。アートワークはどれも派手ではなく、新規のリスナーを誘うようなものではない。最近の人はアートワークにそれほど注意を払わないので、それは避けられたひとつのハードルと言える。しかし、彼の曲の多くでは、名誉あるイライジャ・ムハンマドの名前が絶えず賛美のなかで使われている。
 歴史的に見てこれは興味深いことだ。ネイション・オブ・イスラムは、公民権運動時代のアメリカにおける白人至上主義の人種差別や、キリスト教会を通じたそのつながりの影響を回避しようとしたイスラム教の信奉者たちによって誕生した。多くの受刑者がしばしば「神を見出す」場所において、1960年代以降、マルコムXがそうしたように、多くの者がアッラーを見出した。
 ネイション・オブ・イスラム以前のアメリカの歴史の大部分において、イスラム教徒の大きな存在はなかった(多くの奴隷にされたアフリカ人がキリスト教への改宗を強要されたため)。そのため、黒人コミュニティにとって、キリスト教やそこから生じた生ぬるい活動に対する「信仰の対抗軸」として、ネイション・オブ・イスラムの影響力は強かった。しかし、いまは2025年だ。アメリカに住む元来のイスラム教諸国出身のイスラム教徒の数は、ネイション・オブ・イスラムの信奉者よりも遥かに多く、彼らのなかでネイションを重視する者はほとんどいない。したがって、いまネイションの信奉者であることは、かつてほど重要ではない。そして、名誉あるイライジャ・ムハンマドとマルコムX(彼は今日でも絶大な敬愛を集めている)のあいだの歴史的経緯が、事態をさらに複雑にしている。

 ジェイ・エレクトロニカは、ラップ界のサン・ラ、あるいはMFドゥームのような存在だ。両者とも不屈の精神を持ち、自らの信念に対して100%の信頼を置いていた(あるいは置いている)。まったく揺るがない。アウトサイダーとしてのジェイの信仰は、他のアウトサイダーに対する彼の支持と同じくらい強い。それが名誉あるイライジャ・ムハンマドであろうと、P・ディディ(??!!!!!!!)であろうと。
 そう、あのP・ディディだ。ホテルの廊下で恋人を打ちのめし、あざだらけにして置き去りにする姿が世界中に晒された、あのP・ディディだ。この記事を読んでいる頃にはすでに判決が出ているかもしれないが、売春目的の移送の罪で有罪判決を受け、量刑を言い渡されようとしている、あのP・ディディだ。そのP・ディディが、『Leaflets』の最初のトラック“Abracadabra“のイントロの声として、刑務所から直接電話でジェイに指示を送っているのだ。ジェイは、指示を示すために犬を連れてP・ディディの裁判所に現れた男でもある。

 そしてジェイは、献身、天使のような詩、アイコンとしての地位、そして独特で疑問の残る選択のあいだで危うい綱渡りをしながら、奇妙な方法でプロデュースされ、パッケージされ、リリースされるクラシックなトラックを作り上げている男なのだ。


The enigma that is Jay Electronica has returned and he wears a bright smile very plainly. 5 releases in just 5 days released by his own universe`s time schedule, very sanely. Rep is what most artists want and what many rappers claim they have when they walk into a room. But Jay is a different creature. Never one to gloat about swag or tow a conglomeration of security and assistants around or fly private jets to locations only a 20 kilometer distance away just because. Jay Electronica doesn`t inhabit that world but commands more respect as if he were Doctor Strange conjuring new magics and portals. Despite being in hip hop for 25 years and his technically recorded debut (on MySpace!!!! - do you remember MySpace????? ) in 2007 (then taken offline), you can`t count Jay albums on one hand. Until now. Now you need 2 hands. But no more than that.
I`m guessing maybe to celebrate his 49th birthday (don`t quote me cause I really don`t know), Jay released not one, not two, not three, not four, but five releases within five days. Announced first via Instagram, then his twitter account followed by Roc Nation, the bombshell came as a complete surprise. Almost like a April Fool`s Day joke except it came out in gloomy September. Literally as I started writing this article upon the release of his 3rd album, I had to stop cause internet rumors stated he might be releasing 19 albums! So I waited a few more days til the coast was clear. Do to the encyclopedic nature of this near extraterrestrial situation, allow me a bit of time to unpack things. First, peep this :

Act I: Eternal Sunshine (The Pledge) — September 17, 2025
Act II: The Patents of Nobility (The Turn) — September 18, 2025
A Written Testimony: Leaflets — September 19, 2025
A Written Testimony: Power at the Rate of My Dreams — September 19, 2025 A Written Testimony: Mars, The Inhabited Planet — September 21, 2025

With Jay Electronica, the age old contingency, the age old romantic stereotype of a tortured artist holing up in a studio, to release new work in the following year doesn`t fit with Jay Electronica. He doesn`t care about the industry, doesn`t live solely off the industry, and doesn`t maintain his self-respect from the industry. The idea of releasing 5 albums within a week is unheard of in rap and quite feared of by industry exes. But going against the grain fits him more than anyone else. A proper explanation might be he is living off grid of the main stream rap game while also being in the center. There is probably no other rap artist at least in the world that inhabits such a space. A close friend of Jay Z and protected by his Roc Nation label, a close friend and confidante of Erykah Badu while also being the father of one of her children, and also a phone call away from numerous other producers and rappers who are more intentionally imbedded in the hip hop industry.

The enigma that is Jay Electronica is not the same as the initial hype when he first came out or afterwards on “What The Fuck is a Jay Electronica?” (2012). From the start, he stood out but stylistically, he was still competing with the usual a-miliion-words-per-bar type of rap popular a la Kendrick Lamar and many others. But with each leak and cameo appearance and singles like “Exhibit A” (2009), he grew into his own and earned his pedestal. Despite continuous years of near radio silence and often cryptic posts on Instagram, once a bar leaks out, once a track drops, fans go rabid and pick apart every word, reference and phrasing. The clarity of his magnetic voice and wording, the fatherly like verbal gesturing toward a more righteous path, and total intention on telling a story separates him from many of the industry who often throw words together just to make a track that really no one can understand. Someone once asked me why they should listen to Jay. I relayed that Jay is never in a race to finish a bar or a stanza to get to a chorus. Often he doesn`t write them anyway. Every word is important and poetic like a griot of Senegal telling a village of their history. Jay is known as a weird dude and that weird dude picks apart esoteric bits of information that often revolve around his total devotion to Islamic observance creating a thick web of biblical testimony, outsider thought and Mos Def like finesse. You can hear what he is saying, and you can head nod to his relaying and learn something in the process. Listening to his best tracks is like attending a preacher‘s service where diction, tenor, anticipation of the attendee`s understanding is paramount.

More importantly though, he doesn`t care about time. He ain`t rushing to make it in time for the summer schedule or shit like that. To be clear from his 5 September releases, both Act 1 and 2 are not new. Everything digital is somewhere on someone`s website or hard drive available but both 1 and 2 have appeared and were disappeared in a flash. Act 1, a moody 2007 15-minute mixtape instrumentally based off of Jon Brion’s Eternal Sunshine of the Spotless Mind score, put out via MySpace, has been bouncing around the internet for almost 2 decades but never official. Act 2 was leaked, released through Jay Z`s Tidal and bodied within the same month (2000) disappearing only to finally re-appear 5 years later. As I said Jay doesn`t care about time. Despite the momentum from 2000`s “A Written Testimony” put out several months before the leak, there was no foot on the gas to get it out to the public again until this year. And though the 2025 “A Written Testimony” releases are technically new, we honestly don`t know when the tracks were made. Jay`s peculiar nature toward his recorded music makes it seem as if his total output is a library for him to check out tracks to make releases regardless of when they were made. Time is elusive.

Output is low and liminal and this for his rabid fans is forgivable. But it is impossible to not compare A Written Testimony (2020) to his 5 new 2025 releases. If I may be poetic , A Written Testimony (2020) was like Ginza crafted sushi and onigiri, where as his 2025 releases, Act 1 and 2, and the 3 albums under the “A Written Testimony : Power at the Rate of My Dreams, A Written Testimony : Mars, The Inhabited Planet, and A Written Testimony : Leaflets” are more in the vain of yakisoba (fried noodles) thrown together at a food stall at a local festival. A Written Testimony (2020) was a collection of sharp tracks that fit together quite comfortably. One could pore over them repeatedly. From hard beats to the acute emotional, even partially devotional. Act 1 is like a meditation and Act 2 is closer to A Written Testimony (2020) with bouncier tracks and a beat flowing. Press play on “Life on Mars” and “Bonnie and Clyde” if listening in a car to work.
The three A Written Testimony (2025) seem to be exactly that - testimonies woven together despite being separate tracks. Keep in mind that each album is barely an album! Call them eps maybe? And for sure some of my gripes are exactly here cause each ep is short as hell. Each barely past the 20 minute mark. Add to that the amount of samples used is insane. Even on a 3 minute track, you will find Jay telling tales for only a minute. Production here isn`t well crafted in the Dilla or Public Enemy sense. Samples are left to go on and on with the original meaning of the samples meant to be preserved as they are, like relics of history instead of as sound objects cut and pasted to be reinterpreted or danced to. So if you are expecting bangers a la Playboi Carti, you will be horribly disappointed. And if you are born past 1990, I feel for you cause many of the samples selected are from movies, interviews, or other outlets way before your time.
Understanding why each sample is interesting is difficult when you don`t know the source.

But that is forgiven. When Jay Electronica speaks, listeners pore over each word, reference and make good use of Wikipedia and the rest of the internet to understand.

Let me illustrate with “Best Wishes” from “Power at the Rate of My Dreams,” recorded with rapper Westside Gunn. A 3 minute track with Jay tapped in rapping for only for a minute but the words bro.....the words.

“Soon as they put the mic in my hand, I get straight to workin' My tongue turn into silks by Master Fard in person I'd give anybody in a 'Top 5' list a serious hurtin' If I wasn't at war with the Dragon who evolved from the Serpent”

and

“Left
Right
Left
Right
Floating through my dreams like a leaf at night
Left
Right
Butterflies for the believers
The heart is the target, the eardrum is the receiver”

Jay is a fan of esoteric knowledge, more specifically with Islam and UFOs. The combination of them with his own heartfelt ability to speak on the dire existence of humans with the light he feels coming from his faith is powerful on “Is It Possible that The Honorable Elijah Muhammed is Still Physically Alive??” From “Leaflets”

“I always wondered 'bout that city in the sky With all that bright light and all them colors, looking pretty in the sky With all that gold, and all that emerald, and all that sapphire And all that jasper, and all that pearl around the throne Of the true and living God”

Here Jay waxes poetic on purported evidence of a battle of Los Angeles with UFOs that then gets mixed with a woman suffering in her life and that event strengthening the need for belief. The song them ends with someone telling the history of The Honorable Elijah Muhammed, the head and creator of the Nation of Islam.

“The color that she said she hate the most of all, invisible She pinned it to her comments on her Stories in her swimming suit In the daylight, she be feeling tall and invincible But at night she in somebody section, small and convincible Another fallen star to crash another crater So why you had to ask me if we actually need a savior?”

Understanding and appreciating the brilliance of Jay Electronica is also coupled with his not so quiet contradictions. A deep, deep follower of the Nation of Islam, Jay took the opportunity of his 5 releases to use symbolism used by the Nation for the covers for each one of his releases. None of the artwork is flashy or inviting for newcomers. Most people recently don`t pay that much attention to artwork so that is one hurdle avoided. But in many of his songs, the name of The Honorable Elijah Muhammed is continuously used in praise.

Historically this is interesting as the Nation of Islam came into existence from devotees of Islam who wanted to circumvent the influence of white racism in America and its connection through the Christian church in the civil rights era. Where many inmates often “find God,” from the 1960`s onward, many also found Allah just like Malcolm X did. Before the Nation of Islam for much of America`s existence, there was no major presence of Muslims in America (as many enslaved Africans were forced to convert to Christianity), so the Nation of Islam`s influence was strong as a counterweight of faith to Christianity for the Black community and the tepid activism that sprouted from it. However, it is now 2025, and the number of Muslims originally from Islam practicing countries living in America, is way greater than the followers of the Nation of Islam, and few if any of them shower any importance on the Nation. Hence being a follower of the Nation now, is basically, is not as important as it once was. And the history between The Honorable Elijah Muhammed and Malcolm X (who is still greatly beloved to this day ) adds more complication to the cake.

Jay Electronica is kinda like the Sun Ra of rap or an MF Doom. Both have / had indomitable spirits and 100 percent faith toward their convictions. Totally unbending. Jay`s faith as an outsider is as strong as his support for other outsiders is as well. Whether The Honorable Elijah Muhammed or P-Diddy (????!!!!!!!). Yes, that P-Diddy. The one who was seen worldwide beating his girlfriend in the hallway of a hotel leaving her battered and bruised. That P-Diddy, who is about to be sentenced (by the time you read this, he may already be sentenced ), having been found guilty of two counts of transportation for prostitution. That P-Diddy, who is the intro voice to the first track “Abracadabra” from Leaflets, giving his support to Jay via phone directly from prison !? Jay is the same guy who pulled up to P-Diddy`s courthouse with his dogs to show support. And Jay is the guy who walks a funny tightrope between devotion, angelic poetry, icon status, and unique questionable choices while creating classic tracks produced, packaged, and released in strange ways.

2025年のFINALBY( ) - ele-king

 この過去の夏、大阪の歴史的建造物であるミソノビルの閉鎖/解体の発表に対する悲しみは、その歴史と長寿を祝うための一連のパフォーマンスによって明るいものとなった。7月5日に予定されていたそのパフォーマンスのひとつは、∈Y∋(BOREDOMS)による新プロジェクトFINALBY( )(発音 ― Final B Empty/ファイナルビーエンプティ)であり、大阪を拠点とするCOSMIC LABとのコラボレーションであった。大阪音楽シーンの伝説である∈Y∋は、間違いなく、このビルの長寿を祝う最適な人物だった。興奮した私は、すぐにチケットを購入し、関西への旅を計画した。不運なことに、いまはもう11月の終わりであり、スケジュールの都合でその旅をキャンセルせざるを得なかったことに、いまだに軽い痛みを覚える。ああ、なんという惨めさ! 叶わなかった夏の記憶。家に居なければならなかった悲しみは、ほとんど耐えがたいものだった。

 しかし運命とは不思議なもので、東京では∈Y∋関連のイベントが次々と行われている。逃した夏の機会を補って余りあるほどに。∈Y∋は渋谷の中心ど真ん中、ミヤシタパーク3階のgallery SAIで開催された新しい展覧会Mapocy(まぽチー)のために東京に戻って、さらに、歌舞伎町のZERO TOKYOにおけるFINALBY( )の東京初演があった。それから、歌舞伎町の王城ビルでのBENTEN2のための∈Y∋の2024年のARV100パフォーマンスのマルチスクリーン・インスタレーションもあって、Art Tokyo Week でのC.O.L.O.(COSMICLAB)による小さなサプライズ・コンサート、さらに締めくくりとしてMUTEK Japanの巨大ステージでのC.O.L.O.とのユニークなオーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスがあった。
 日本のオルタナティヴ・シーンにおける最大級の革新者としての∈Y∋の多く多くの年月にもかかわらず、BOREDOMSの非活動とより散発的なソロ活動が相まって、∈Y∋は数年間“混沌の中心”にいなかった。だからこそ、半年の間にこれだけ多くのイベントがあることは、一種の“再紹介”のように感じられる。新たな歴史をつくるための完璧なタイミングだ。私が最後にBOREDOMSのライヴを見たときのひとつは、∈Y∋がステージ上で足を骨折し、痛みにもかかわらず演奏を続けたときだった。だから、まだ気づいていないなら言っておくが、∈Y∋関連の出来事はしばしば歴史的なのだ。私はこの秋のこれらすべての素晴らしい体験をレポートにまとめた。

MAPOCY

 5つの部屋に分かれ、とくに4つ目はほとんど“隠し部屋”のようなサプライズになっている。本展「MAPOCY」は、∈Y∋のジャンク・アート的な作風を巨大インスタレーションとして展開したもので、現在も活動をともにするPUZZLE PUNKSのパートナー、マルチメディア・アーティストの大竹伸朗の気配と、彼がしばしば扱うドラムのシンバルというモチーフが混ざり合っている。
 まず圧倒されるのは、とにかく“緑”。これでもかというほど緑。壁に取り付けられたキャンバス、シンバル、ビニールシート、ガラクタの数々——あらゆるものに緑のペンキがぶちまけられている。床にまで飛び散っていて、空間全体が緑色の施工現場のようでもあり、同時に、初期∈Y∋作品でも見られた木片の寄せ集めによるギザギザの形状がそこかしこに出現している。
 ひとつ目の部屋は床と壁にオブジェが置かれた比較的ゆとりのある空間だったが、ふたつ目に入ると一転、大小さまざまな物体が山のように積み上がり、すべてが同じ緑に染められている。天井からはビニールシートが垂れ下がり、換気用のファンが絶えず唸っている。最初はまとまった形など見えず、ただ“ノイズ”だけがある。正直なところ非常に混乱を招く展示だが、もし音楽におけるノイズに惹かれる人なら、聴覚的ノイズと物質としてのノイズに大差はないとすぐ理解できるだろう。
 混沌は3つ目の部屋でも続く。奥の隅にほとんど真っ暗な空間へと続く黒い入口が見え、その向こうに“4つ目の部屋”がある。ここはFINALBY( )のメンバーたちと制作した映像作品が、三面の細長いクリーンに巻物のように投影されるダイナミックな空間だ。黒いビニールシートで覆われた小さな穴をくぐって入ると、モノクロームの点滅するプログラム図形と、轟音のノイズ・ミュージックが部屋全体を震わせている。精密にピクセル化された映像は、伝統的なアジアの雲や花の意匠を再構成し、左右から現れては中央でぶつかり、新たな幾何学へと変容していく。その視覚的なカオスは池田亮司のもっとも衝撃的な作品を思わせつつ、より柔らかく親しみのある感触を残す。ここを先に観たことで続くFINALBY( )のライブがどのようなものになるのか、無自覚のままヒントを得ることになった。
 最後の5つ目の部屋は、これまでの強烈な表現から一度“息をつかせる”空間だ。出口前の壁一面に、古い手描き作品と実際のアナログ盤が組み合わされて展示されており、紙のドローイングという∈Y∋の原点的な表現へと立ち返る、一種の後味として配置されている。

FINALBY( )

 FINALBY( )が初めて姿を現したのは、観客の多くがその存在を知らぬまま迎えた2021年のフジロックだった。以来、その公演歴は香港、大阪、そして今回の東京のみと極めて限定的だ。∈Y∋が音楽家であると同時に卓越したヴィジュアル・アーティストであることはよく知られているが、これほどまでにステージ上で視覚と音響が正面衝突した例は稀だ。私の目には、テクノロジーを全面的にアップデートして蘇った現代版ハナタラシのようにも映る。∈Y∋は、身体性を伴う新しいパフォーマンスを構築しており、それはパフォーマンス・アートと、ノイズマシンや照明、センサーと接続されたオブジェ群とが密接に絡み合ったものだ。この技術面を支えるFINALBY( )の共同制作者は、COSMIC LAB(C.O.L.O.主宰)、アートエンジニアの堀尾寛太、そしてプログラマーの新美太基である。デジタライズされた∈Y∋——まさにテクノロジー時代が生んだ独自の結晶だと言える。
 私自身、この新しい方向性の萌芽を、パンデミック前の原宿で偶然目撃する幸運に恵まれた。2019年、TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku で開催されたBOREDOMSのTシャツ展でのことだ。∈Y∋はフェイスマイクを付け、両手に装着したモーション・センサー内蔵のサウンドマシンからノイズを放ちながら、黒いジャケットの下に隠れた装置を動かし、通常のマイクに縛られない歌唱を試みていた。ここにはすでにFINALBY( )の原型があった。また、このとき∈Y∋は巨大な円錐形オブジェへの偏愛を初めて披露している。黒いコーンの底部にセンサーが仕込まれており、それを持ち上げて振るたび、音は揺らぎ、形状の奇妙さも相まって視覚的にも滑稽で魅力的だった。背後には技術面を支えるエンジニアが控えており、30名ほどのファンしかいない小部屋での濃密な光景は、後に東京で結実するまでに6年かかった構想の出発点を示していた。

 FINALBY( )を観に行く前、気分を高めようと私はBOREDOMSの入手困難な問題作『Super Roots 5』を久々に取り出した。重厚なドラムとシンバルへ傾斜していく初期段階にあたる一枚で、1曲=1時間という構成、ほぼ一本調子の宇宙的トーンに泡立つノイズとシンバルが折り重なる——「曲」というより「体験」だ。これを聴くと、1982年のある出来事を思い出す。
 1982年、前衛ギタリスト/作曲家グレン・ブランカは『Symphony No.2 – The Peak of the Sacred』をライヴで披露した。副題「聖性の頂」は本来その作品固有のものだが、彼のエモーショナルな創作全般を言い当てる表現でもある。複雑な転調をほぼ廃したこの交響曲は、天上のエネルギーが雷鳴のように連続して吹き荒れる、彼の作品中もっとも強烈な体験のひとつだった。
「聖性の頂」とは、人間が自己を超越するための、絶えず恍惚と狂喜を更新し続ける音楽を指す。∈Y∋がBOADRUMシリーズやその他の公演で追求してきた方向性は、明言されていなくとも、まさにその頂点に向かう試みだったと私は感じている。「曲」よりも「経験」を重視する姿勢——それは彼の精神性と音楽性が複雑に深化してきた証でもある。FINALBY( )の公演中、∈Y∋はまさにその「聖性の頂」に到達しようとしていた。

2025年10月25日 FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED
presented by COSMIC LAB & TST ENTERTAINMENT CO.,LTD.

FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

 当日の「FINALBY( )Live in 歌舞伎町Expanded」というフルタイトルの公演は、実に2時間ノンストップのパフォーマンス作品だった。事前告知からは想像もできない構成である。チケットを買った時点で「2時間」とあったため、DJか何かが挟まるのだろうと勝手に思っていたが、違った。2時間まるごとが、巨大なノイズの奔流と悦楽的ヴィジュアルの対話で満ちていた。
 ステージ中央には、光に照らされ巨大なカップケーキのように見える“何か”が鎮座している。後にそれが、∈Y∋ がジェンベのように叩くノイズ・ジェネレーターであると知った。ステージ上には複数のコーンが配置され、最大のものは宙吊りになっていて、∈Y∋の身長を完全に覆うほど巨大だった(実際、後半で∈Y∋がその内部に隠れる場面があった)。さらに、フロア中央、観客のほとんどが囲むようにして別の巨大コーンが置かれ、公演後半ではそのコーンが発光し、∈Y∋の手で回転させられる仕掛けになっていた。
 ZEROTOKYOという会場は、巨大なメインスクリーンに加え、左右と背後にも細長いスクリーンが連なる独特の構造で、360度的な没入感を生み出す。MAPOCYで見たモノクロームのデジタル雲はここでも再登場し、背面や側面から湧き上がるため、観客は携帯で“映え”を狙う余裕を失い、その瞬間に没入せざるを得なくなる。近年まれに見る、記録では再現不可能な体験だった。
 奇妙なパンク・バンドから出発し、90分超の儀式的公演を構築できる存在へと変貌したBOREDOMS。その中心人物である∈Y∋は、観客の細胞レベルに作用する「悟性の構造」を知り尽くしている。聖性の頂。

 公演の最後、∈Y∋は稀にみる“口頭での解説”を行い、コーンの群れを「家族」だと呼んだ。FINALBY( )の本当のメンバーはコーンであり、人間はその媒体にすぎないのだと。※詳しくは∈Y∋本人が10月26日付でInstagramに投稿した説明を参照してほしい。
 この一連の経験は、初期舞踏、ローリー・アンダーソン、フィリップ・グラスらの系譜に連なる、ダイナミックなパフォーマンスアートの華麗な再誕に等しかった。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

∈Y∋ × C.O.L.O(COSMICLAB)@ MUTEK JAPAN

 渋谷で開催されたMUTEK JAPAN 2025で、∈Y∋はC.O.L.O.とともに初めてこのフェスのステージに立った。ART WEEK TOKYO(11月5日)のサプライズ公演をさらに拡張し、より長く、より“怪物的”な形で提示したものだ。FINALBY( )とは異なり、形式上は伝統的なオーディオビジュアル公演に近いが、幸いにも遥かに奔放だった。多くのMUTEK出演者が“引き算の美学”で勝負するなか、これは「足し算の極北」とも呼べる公演だった。
 FINALBY( )が2時間のノイズの海へ沈めるような体験だったのに対し、今回の2人は長いテーブルに並んで立ち、背後の巨大スクリーンとともに、∈Y∋のDJ PICA PICA PICA的な狂騒を現代化したような世界を作り上げた。FINALBY( )のノイズ成分と、モノクロームのフリッカー映像、そして近年∈Y∋が執着するハイパー・サイケデリックなシンゲリ(singeli)が高密度に衝突し合う。言語化困難なコラージュも大量に挟まれる。
 ∈Y∋の音楽とヴィジュアルは、まるでドラッグまみれのポップアートだ。C.O.L.O.は∈Y∋の衝動を鏡のように反射し、狂気じみたフリッカー花、精神を攪拌する幾何学模様、スクリーンいっぱいの“眼”、ハートやブタの絵文字が奇妙な規則性で踊り、そのあとにはスローモーションのデコトラ事故寸前3D映像が続く。強度は綿密に計算され、現実味がないほど完璧だった。息つく暇もない全頭脳的ラッシュ。

 ここ数ヶ月の間に、∈Y∋の唯一無二の表現が多角的に更新される様子を目撃してきた者として、2026年にさらに何が生まれるのか、ただ祈るばかりである。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda


Sadness at the announcement of the closing / demolition of the historic Misono building in Osaka this past summer was brightened with a string of performances to celebrate the history and longevity of the famous landmark. One of those performances, scheduled on July 5th, was EYE`s (Boredoms) new project FinalBy ( ) **(pronounced - Final B Empty) (ファイナルビーエンプティ), a

collaboration with Osaka based COSMICLAB. EYE, a legend in the the Osaka music scene, was definitely the best choice to celebrate the building`s longetivity. Excited, I immediately purchased and planned my trip to Kansai. Unfortunately, it`s now the end of November and I still feel a light sting of having had to cancel said trip due to schedule conflicts. Oh the misery! A summer memory unrealized. My sadness at having to stay home was almost unbearable.

Fate though works wonders and Tokyo is enjoying a string of of EYE related events. More than enough to make up for the missed summer opportunity. EYE has returned to Tokyo for a new exhibition, Mapocy (まぽチー), smack dab in the center of Shibuya

on the third floor of Miyashita Park at gallery SAI, the Tokyo premiere of FINALBY ( ) at ZERO TOKYO in Kabukicho, a multi- screen installation of EYE`s ARV100 performance in 2024 for BENTEN2 at 王城ビル (also in Kabukicho), a small surprise concert

with C.O.L.O. (COSMICLAB) at Art Tokyo Week, and a unique audiovisual performance with C.O.L.O. on a huge stage for MUTEK Japan to round it out. Despite EYE`s many many years as one of the greatest innovators in the alternative scenes of Japan, the inactivity of the Boredoms coupled with more sporadic solo

activities means that EYE hasn`t been at the center of the chaos for some years. So with this many events within just half a year, it feels like a reintroduction of sorts. Perfect for creating new history. One of the last times I saw the Boredoms live was when EYE broke his leg on stage and kept performing despite the pain. So if you haven`t guessed so far, anything EYE related is often historic. I have compiled all of these great experiences this fall in a report.

MAPOCY

Separated into 5 rooms with the 4th almost a secret surprise, MAPOCY reflects EYE`s junk art style as a large installation closely in line with his ongoing PUZZLE PUNKS partner, multi-media artist Ohtake Shinro, mixed with his other common collaborator, the drum cymbal.

The installation is very, very, very, very, very green. Green paint splattered on canvases installed on the walls, on cymbals, on plastic sheets, on junk items. There is green paint literally everywhere including the floor. Almost like an artistic, construction site mixed with wooden assemblages, created into jagged shapes you can see in older EYE works. While the first room was spacious with objects on the floor and wall, the second room was chaotically littered and piled up with numerous objects of different types completely splattered with the same green paint, plastic sheets hanging down and a fan constantly going to keep possible fumes from making anyone sick. There were no coherent shapes at first, just noise. The site is honestly incredibly confusing and confounding but if you have any taste for noise in your music, I would say there is no difference between aural noise or physical noise.


The chaos continues in the 3rd room where in the far corner you might see a dark entrance way into a near pitch black room. The 4th room is a dynamic 3 wall screen scroll-like video of his work with the other members of FINALBY ( ). Only viewable by entering through a small hole created with black plastic sheets, the room literally reverberates with the intensity of the monochrome flashing programmed shapes and the noise music blasting. The images carefully pixelated reimagine traditional Asian cloud flower designs colliding into each other becoming new geometry. Often starting from the far left and far right side, they eventually meet in the center and evolve into new forms. The visual cacophony reminded me of Ikeda Ryoji`s most impactful works but with a fresh and friendly take. Visiting this exhibition first gave me a good unknowing hint of what the following FINALBY ( ) would be like.

The last room is a calm down from the bold expressions of the previous ones. Only one wall of older very familiar hand drawn art combined with physical lps before the exit, it was an interesting last taste offering a comparison to EYE`s initial choice of expression - paper drawings.

FINALBY ( )

FINALBY ( ) first debuted at Fuji Rock in 2021 in front of an unknowing crowd. Since then, FINALBY ( ) has performed only in Hong Kong, Osaka, and now Tokyo. We all know that EYE is a visual artist on top of being a musician but rarely has his visual side collided justly with the music on stage. Like an updated and rebirthed technological Hanatarash (by my eye), EYE has developed a new strong, physical performance more like


performance art coupled with objects connected to noise machines, lights, and sensors. His technical collaborators = other members of FINALBY ( ) are COSMICLAB (directed by C.O.L.O.), art engineer Horio Kanta, and programmer Niimi Taiki. This is very much a digitized EYE. Without a doubt a unique combination of our technical age.

I was lucky enough to witness the beginning of this new venture toward multi media in a small room in Harajuku before the pandemic. At TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku in 2019 for a BOREDOMS t-shirt exhibition, EYE wore a face mic and a black jacket somewhat covering two motion detecting sound machines attached to both his hands that emitted noises. Activating the sensors with motion and singing unbound by a regular mic, EYE was experimenting with the beginning of what would become FINALBY ( ). Here EYE also introduced his obsession with large cones as sound devices. To match his clothing, EYE had a black cone with sensors on the bottom. Picking it up and waving it around affected the sounds emitted and provided funny eye candy as cones are naturally bottom heavy and odd shaped. Behind EYE was an engineer to support the technical side of the performance. Having witnessed this very intimate performance in a room full of 30 or so fans, I can now see the initial development and vision that took 6 years to materialize in Tokyo.

To prepare and hype myself up for going to see FINALBY
( ), I dusted off a copy of the Boredoms` Super Roots 5, one of their most difficult to attain recordings and also their most abstract. At the beginning of their heavy drum and cymbal phase, the one track album is one hour long and basically one long cosmic tone

maintained straight with bubbling noise and cymbals. There is no song per se. Only a holy experience. This reminds me of 1982.

In 1982, the avant garde guitar composer, Glenn Branca performed live his work Symphony 2 with the added title “The Peak of the Sacred.” Only meant for that work in particular, that title though often describes much of his most emotional work. Symphony 2, one of the least complex of his works in terms of multiple chord changes, was one of his best for the sheer intensity and almost god-like continuous blasts of angelic amorphous energy that felt like thunder in the air.

The idea of the peak of the sacred evokes music that is continuously euphoric and orgasmic for humans to rise beyond themselves. EYE`s direction of the Boredoms with the BOADRUM series and other performances I feel were meant to reach “ the peak of the sacred” whether explicitly expressed or not. EYE`s focus on the “experience” over the “song” illustrates his evolving and complex mental state and music focus since then. Throughout FINALBY
( ), I keenly felt EYE reach “ the peak of the sacred” as only he could.

FINALBY ( ) Live in Kabukicho Expanded (the full title of the night) was a 2 hour uninterrupted performance art piece which didn't advertise itself to be that. Genius. When purchasing the ticket, I noticed that the performance was supposed to be 2 hours but I assumed that there would be a dj or something. No, it was 2 full hours of huge blasts of noise with EYE and matching euphoric visuals designed to create a dialogue that worked very perfectly.

On stage at the center was a “thing” that I could only describe as a light illuminated huge cupcake. That “thing” I learned later was a noise generator that EYE could tap at like a djembe. Across the

stage were several more cones with the largest suspended in air at the front of stage so massive it could cover EYE from head to toe (which it later did). In the center of the floor surrounded by the majority of the audience right before the sound and visual mixing booth of another huge - I do mean huge - cone on a platform that later would light and spin in a circle pushed by EYE. During the performance EYE moved back and forth from the stage to the floor centered cone. ZEROTOKYO, for the many who have never been inside it, is a venue unique in having not only a huge stage screen but long thin screens on the left, right, and back wall making a 360 degree surround experience.

The monochrome digital clouds from Mapocy re-introduced themselves here, they emerged from the back and the sides making everyone have to be present in the moment instead of looking for the next instagram moment with their phones. Unlike any performance I have been to in years, this was first time in ages where no documentation could do justice to each person`s experience that night. Whether with the noise assault or the constantly shifting orientation of the images.

EYE, having changed the Boredoms from an unusual, quirky punk group to a band capable of performing hour and a half concerts has attained the psychological knowledge few have of how to construct enlightening performances of such depth that change the molecules of the crowd. The peak of the sacred.

EYE named the group of cones a family and stated so at the end of the performance in a rare commentary of his ideas to the audience. The cones were a family and the real members of FINALBY ( ) making the human members only conduits. *** Please refer to his exact explanation of the cones posted on

October 26th on EYE`s own Instagram account. The total experience felt like a great rebirth of dynamic performance art in the tradition of early Butoh, Laurie Anderson, Philip Glass, and others.

EYE with C.O.L.O of COSMICLAB at MUTEK JAPAN

Held in Shibuya, EYE for the first time ever graced the stage of the 2025 edition of MUTEK JAPAN with C.O.L.O. (COSMICLAB) presenting a more fantastic and longer version of the surprise performance they did for ART WEEK TOKYO on Nov. 5. Unlike FINALBY ( ), this performance was closer to a traditional audiovisual performance but luckily more unhinged. Most performers of MUTEK try to impress with a less-is-more aesthetic but this was a case of more-is-so-much-more one. The FINALBY (
) concert was a submersion in 2 hours of near constant noise. The MUTEK performance of C.O.L.O. and EYE, standing together at a long table shadowed by a huge screen behind, was closer to EYE`s manic DJ PICA PICA PICA mix style. An incredible soup of noise portions of FINALBY ( ) with the same monochrome flicker visuals side by side with hyper psychedelic hardcore singeli music reflecting his ongoing fascination with the manic genre. And tons of near indescribable collages in between.

EYE`s music and visual style is like pop art on acid. C.O.L.O. convinced me he was the best collaborator for EYE, brilliantly reflecting EYE`s impulses assaulting the audience with demented flicker flowers, mind-altering geometry, a sea of eyes (totally tongue in cheek), heart and pig emojis dancing across the screen in similar patterns followed by near collision slow motion disaster 3D video game scenes of Dekotora trucks loosing their wheels. The intensity


was beautifully calculated and unreal. A full head rush with barely a moment to breath.

With so many perspectives of EYE`s singular always evolving expression in only a few months time, I can only pray that 2026 brings us more.

 2025年11月4日、200万人を超える有権者が、民主社会主義者ゾーハラン・マムダニをニューヨーク市の新市長に選出した。
 街の空気は歓喜に満ちていた。深夜を過ぎても人びとの歓声が響き、ブルックリンの自室からさえ聞こえたほどだ。おそらく、それはマムダニが多くの人にとって「消極的選択」ではなく、理想的な候補だったからだろう。
 じっさい彼の主な対立候補は、腐敗し、女癖が悪く、性的加害者でもあるアンドリュー・クオモだった。彼はCOVID政策によって1万5千人もの高齢者を死に追いやった人物である。クオモは「SAY NO TO ZO(ゾーにノーを)」という露骨なスローガンを掲げ、無所属として出馬した。言うまでもなく、この失墜した元州知事は9%の大差で敗れ、共和党の牙城であるスタテン島でのみ辛うじて過半数を得ただけだった。
 だが、そもそもなぜ共和党員たち──ドナルド・トランプ本人を含めて──は、じっさいの共和党候補(第三の奇策候補、カーティス・スリワ)を批判し、三代にわたってニューヨーク州民主党政治に深く関わってきた「無所属」候補クオモに投票するよう呼びかけたのだろうか?1
 ニューヨーク市において、民主党と共和党のあいだの従来の党派の境界線が正式に崩壊しつつあるいま、真の政治的分断が明らかになっている——それは、富裕層の利益を守る金権政治に深く根ざした候補者たち(クオモやトランプのような)と、労働者階級を守るためにアメリカの政治的体制そのものを真剣に脅かす候補者たち(マムダーニ、そして言うまでもなく2016年の大統領選におけるバーニー・サンダースのような)との対立である。

 多くのアメリカ人は、民主主義と資本主義を混同している。制限なく富を追求できることこそが民主社会における自由の証だと信じているのだ──たとえ自分たちの生活がつつましいものであっても。
 私はかつて父にこの混同を問いただしたことを覚えている。私はこう説明した。資本主義は必然的に独占に行き着く。独占は「選択」という民主主義の根本理念を狭めてしまうのだと。父は笑い、心を開いたようで、ただ一言こう返した。「A+だな」
 アメリカの政治もまた同じように独占されている。「よりマシな悪を選ぶ」というお決まりの構図だけでなく、共和党と民主党がじつは同じ企業支配のコインの表裏に過ぎない、というあまりに明白な現実によってもそれは表れている。両党は献金者やロビイストの利益を守り、その結果、アメリカ国民の大多数が犠牲になっている。
 たとえば、アンドリュー・クオモの選挙資金の多くは億万長者のスーパーPACから供給されていた。一方、マムダニの選挙運動は、彼のために戸別訪問を行った10万人以上の草の根ボランティア集団によって支えられていた。
 さらに、マムダニの掲げた「私たちが住める都市(A City We Can Afford)」というメッセージは、ニューヨークが直面するもっとも差し迫った問題──すなわち、800万人の住民のうち200万人が貧困ライン以下で暮らし、ワンルームアパートの平均家賃が月4,000ドル(約61万6千円)に達しているという「手の届かない都市」の危機──をまさに突いていた。これはまさしく「アフォーダビリティ・クライシス(生活費危機)」である。
 金持ちへの課税、保育の無償化、無料のバス運行──こうしたマムダニの主要な公約は、本来であれば「急進的」と見なされるべきではない(なぜなら、これらの施策は他の多くの国々ではすでに実現しているものだからだ)。
 だが、資本主義と民主主義をいまだに同一視し、「トリクルダウン経済」の約束にすがる多くのアメリカ人にとっては、マムダニの構想は「成功者への罰」のように映るかもしれない。じっさい、「悪しき政府が勤勉な民間市民の財産を奪う」という観念こそ、アメリカに長らく根づいてきた社会主義への恐怖の中核をなしている。
 選挙後、保守系メディアはすでに「富裕層のニューヨーカーたちはマムダニの課税案を避けるために街を脱出し、結果的に西洋世界の金融首都は壊滅的な経済的打撃を受けるだろう」と騒ぎ立てている。
 しかしマムダニ自身が人気番組『ザ・デイリー・ショー』の司会者でありコメディアンでもあるジョン・スチュワートに説明したところによれば、彼の意図はきわめて穏当だ。年収100万ドル以上の人たちに対してわずか2%の増税をおこない、法人税率を11.6%に引き上げるだけだという。そして彼は冗談めかしてこう指摘した──その税率は「社会主義共和国ニュージャージー(お隣の州)」とまったく同じだ、と。
 母の言葉を借りれば──「分かち合えない成功に、いったい何の意味があるの?」
 それに、あの億万長者たちは自分たちの労働者のおかげで金持ちになったんじゃないの?

 はぁ……悲しいことに、「富裕層の1%よりも労働者階級を優先する政治家」という発想は、現実にはいまもなお“急進的”な逸脱と見なされている──おそらくだからこそ、マムダニの構想は、(もちろんそのマスメディアは例によってあのうるさい億万長者たちの所有物なのだが)「せいぜい実現不可能な夢」「最悪の場合は危険思想」としてこき下ろされているのだ……。
 いや、そこに「古典的な人種差別」も加えておこう。
 率直に言って、イスラム教徒の移民が、政教分離の理念をほとんど忘れ去ったこの国で(マムダニがどの神を信仰していようと、そんなことどうでもいいはずだ)市長の座を勝ち取ったことを、私たちは祝うべきだ。
 しかもここは、自由の女神像を擁する都市なのだ。

 さて、ここで私は白状しよう。私は政治との関係に複雑な思いを抱いている。
 というのも、私がこれまで出会ったなかでもっとも不寛容な人びとの一部は、進歩主義者たちだった──これは誇張ではない。ほんの数か月前のことだ。私は敬愛する進歩派の友人に、97歳になる私の大叔母の話を嬉々として語った。彼女は生涯を通じて共和党支持者だったのだが、「トランプはアメリカに起こった最悪の出来事だ」と宣言したのだ。私は興奮していたし、これは良い兆候だと考えた。アメリカ(および資本主義社会全体)を蝕む問題が、もはや単純に「共和党」対「民主党」という二分法では整理できなくなっている証だと思ったのだ。だが、友人の反応はこうだった。「ふうん。でも彼女がそのほかの人生で共和党に投票し続けたなら、別に希望は感じないけどね」
 また別の「超」進歩派の(元)友人にはこう言われたこともある。
 「白人であるあなたは、奴隷制に対してカルマ的責任を負っているのよ。」
 ……それって、「進歩的」というよりも「懲罰的」じゃない?
 私はまた、進歩派の政策がしばしば、学歴的にも経済的にも恵まれた人びとの閉じた共鳴空間のなかで構想され、理論上は「正しいこと」を目指していても、現実的な実行への配慮が欠けているのではないか、とも恐れている。たとえば「警察予算を削減せよ(Defund the Police)」運動は、アメリカの都市部に住む有色人種のあいだで驚くほど物議を醸した。なぜなら、十分な社会改革が伴わないまま警察の役割を縮小すれば、犯罪が増加するのではという不安があったからだ。
 そして2023年の『ニューヨーク・タイムズ』によれば、まさにその懸念は現実となった(注目すべきは、マムダニ自身も選挙が近づくにつれて警察批判をやや穏健なトーンへと修正した点だ)。
 さらに言えば、マムダニは移民ではあるが、彼自身こう語っている──映画監督と大学教授の両親に支えられ、裕福で一流の教育を受けて育った、と。
 だから、正直に言おう。貧困ライン以下で育った私としては、「一生セーフティ・ネットのなかにいた裕福な子どもが労働者階級を代表する」と自任することに、どこか懐疑的で、あるいは反感すら覚える部分もある。
  だが、いっぽうで──少なくとも誰かが、ニューヨーク(そしてアメリカ)における富と権力の不均衡に真正面から取り組もうとしている。そのこと自体は、称賛すべきことではないだろうか。私自身の境遇はさておき、もっと大きな部分で、私はこの政治家を誇りに思っている。その名はゾーハラン・マムダニだ。
 ……いや、カーティス・スリワも、少しだけ。
 二人の候補はすべての点で意見が一致していたわけではないが、どちらの選挙運動も生活費の高騰を中心課題とし、どちらもドナルド・トランプから攻撃を受け、そしてどちらも「ホームレス問題など、地域社会の課題を警察が過剰に負担している」という認識で一致していた。
 ただし、スリワは「警察官を増やすことが解決策だ」と考えているのに対し、マムダニは彼の最良の政策だと私が思う構想を掲げている──すなわち、「行動的健康緊急支援課(Behavioral Health Emergency Assistance Response Division)」を新設し、精神衛生の危機に対処する専門チームを配置することで、十分な訓練を受けていない警察の負担を軽減するという計画だ。政策上の違いはあれど、この“昔ながらの共和党員”と“民主社会主義者”は、ニューヨークが直面する主要な問題について──とくに「いわゆる穏健派」アンドリュー・クオモへの共通の嫌悪──で一致している。

 それって、すごいことだ。

 マムダニの当選によって、「左」と「右」を分ける線は、これまでになく刺激的な形でぼやけはじめている。新しいニューヨークの夜明けにあたって、私はマムダニが、自らの歴史的勝利を正当に導いた理想を現実のものにしてくれることを願っている。また、進歩派が、これから拡大していく「二項対立を超えた政治的基盤」と真摯に結びつく機会を大切にしてほしい。
 そして──民主社会主義者として史上初めてニューヨーク市長に選ばれ、かつ前例のない草の根運動で勝利したこの人物が、「富豪支配は避けられない運命ではない」という事実を、他の民主主義国家にも示してくれることを願っている。

¹ トランプの公式な支持声明によれば:「私は、成功の実績を持つ民主党員が勝つ方がはるかに望ましい。あなたが個人的にアンドリュー・クオモを好きであろうとなかろうと、他に選択肢はない。彼に投票し、素晴らしい仕事をしてくれることを願うべきだ。彼にはそれができる。マムダニにはできない」


Bridging the Political Divide: On Zohran Mamdani Winning New York’s Mayoral Election


by Jillian Marshall, PhD

On November 4th, 2025, over two million voters elected Zohran Mamdani — a Democratic Socialist — as the new mayor of the New York.
The mood in the city was ebullient: I heard people cheering well past midnight, even from inside my Brooklyn apartment. Perhaps this is because Mamdani was many people’s ideal choice, rather than the mere “lesser of two evils.” Indeed, his primary opposition — the corrupt, philandering sexual predator Andrew Cuomo, who sent fifteen thousand seniors to their deaths with his covid policies — ran as an Independent, and with the explicit campaign slogan of “SAY NO TO ZO.” Needless to say, the disgraced former governor lost by a hefty 9% margin, and only gained a majority of votes in Staten Island: New York’s Republican stronghold.
But why did Republicans, including Donald Trump himself, denounce an actual Republican (the wild card third candidate of Curtis Sliwa), and urge people to vote for an “Independent” candidate who’s actually steeped in three generations of Democratic New York State politics?1
With the traditional party lines between Democrats and Republicans in New York City officially crumbling, the real political divide is revealed: candidates entrenched in the plutocracy who protect the interests of the rich (like Cuomo and Trump), and those who seriously threaten the American political establishment to protect the working class (like Mamdani— and Bernie Sanders before him in the 2016 presidential election, for that matter).
Many Americans confuse democracy with capitalism, believing that the ability to pursue wealth without restriction represents the freedom afforded by a democratic society— even if they themselves live modest lifestyles. I remember challenging my father on this conflation. I explained that capitalism inevitably leads to monopoly, which limits the principles of “choice” on which democratic ideals hinge. He laughed and, with his mind successfully opened, said just one thing in response: “A+.”
American politics are similarly monopolized, as expressed not only with the “lesser of two evils” conundrum, but also with the increasingly obvious truth that the Republican and Democratic parties are two sides of the same corporate coin that protect donor and lobbyist interests, at the (literal) expense of the American majority. For instance, Andrew Cuomo’s campaign received much of its funding from billionaire super PACS, while Mamdani’s campaign was defined by its grassroots troupe over 100,000 volunteers who canvassed on his behalf. What’s more, Mamdani’s message of making this “A City We Can Afford” addresses arguably the most pressing issue facing New York: two of its eight million residents live in poverty, and the average rent for a one bedroom apartment is $4000 (about 616,000 JPY) a month. This is nothing short of an
1 As per Trump’s official endorsement: “I would much rather see a Democrat, who has had a Record of Success, WIN. Whether you personally like Andrew Cuomo or not, you really have no choice. You must vote for him, and hope he does a fantastic job. He is capable of it, Mamdani is not.”

affordability crisis.
Taxing the rich, offering universal childcare, and providing free bus services — among Mamdani’s biggest promises — shouldn’t be considered radical proposals (especially when such amenities exist in many other countries). Yet for the many Americans who still equate capitalism with democracy (and cling to the promises of “trickle down economics”), Mamdani’s ideas may seem like punishing the successful. In fact, the notion that an evil government will steal hard- working private citizens’ riches defines the US’s long-standing fear of socialism. Post-election, conservative media outlets are already claiming that wealthy New Yorkers will flee the city to avoid Mamdani’s proposed tax hikes, which they predict will economically devastate the financial capital of the Western World. But as Mamdani explained to Jon Stewart — a comedian news anchor who hosts a popular program called The Daily Show — he only wants to raise taxes 2% for people making over a million dollars a year, and raise the corporate tax rate to 11.6%— which, he jokingly points out, is identical to those in “the socialist republic of New Jersey,” New York’s neighboring state.
To quote my mother: what’s success if you can’t share it? And didn’t those billionaires get rich off their workers?
Sigh... the sad truth is that it IS a radical departure for a politician to prioritize the working class above the 1%— and maybe that’s why media outlets (owned by those pesky billionaires, naturally) are smearing Mamdani’s vision as unattainable at best, and dangerous at worst ... well, alongside the media’s ol’ fashioned racism. Full stop: we should celebrate that a Muslim immigrant won the mayoral seat in a country that’s all but forgotten about the separation of church and state (who cares what God Mamdani worships?), and in a city home to the Statue of Liberty.
Now, I’ll admit that I have a complicated relationship with politics. I’ve found progressives to be some of the most intolerant people I’ve ever met— and that’s not an exaggeration. Just a few months ago, I shared with a dear progressive friend of mine how proud I was that my 97 year- old, lifelong Republican great aunt declared Trump the worst thing to ever happen to America. I was excited, and considered this a positive sign that the issues plaguing the US (and capitalistic societies more generally) are no longer neatly divided into “Republican” and “Democrat”. But my friend simply remarked, “Well, since she voted Republican for the rest of her life, I’m not exactly encouraged.” Another time, an ultra-progressive (former) friend told me that, as a white person, I’m “karmically responsible for slavery.”
This is more punitive than progressive, no?
I also fear that progressive policies, so often conceived in an echo chamber of the academically and socioeconomically privileged, strive to do the right thing in theory, but have limited regard with practice. The Defund the Police movement, for example, was surprisingly controversial amongst people of color in American cities because of the fear that crime would spike without adequate social reform to take policing’s place— and according to the New York Times in 2023, that’s exactly what happened (worth noting is Mamdani adopted a more moderate critique of police closer to the election). And while Mamdani is an immigrant, he openly admits that, with

supportive filmmaker/professor parents, he was raised with money and access to first-class education. So, I won’t lie: as someone who grew up below the poverty line, a part of me is skeptical or even resentful of a rich kid with a life-long safety net taking it upon himself to represent the working class.
But on the other hand... at least someone’s committed to taking on the imbalance of wealth and power in New York (and the US) in a meaningful, direct, way. My personal background aside, an even bigger part of me proudly recognizes that politician as Zohran Mamdani.
Well, him and Curtis Sliwa, in a weird way. While the two candidates didn’t see eye-to-eye on everything, both centered their campaigns around the cost of living, both were attacked by Donald Trump, and both agree that police are overburdened with tackling homelessness and other community issues. But whereas Sliwa believes that more police are the solution, Mamdani plans to implement what I think is his best policy: creating a Behavioral Health Emergency Assistance Response Division to address mental health crises and take the burden off woefully unequipped police officers. Their policy differences aside, the old school Republican and the Democratic Socialist agree on key issues facing New York — starting with their mutual disdain for the so-called “moderate” Andrew Cuomo.
And that is amazing.
With Mamdani’s election, the lines between Left and Right are beginning to blur in an exciting new way. In the dawn of a new New York City, I hope Mamdani can bring to life the visions that rightfully earned him his historic win. I also hope that progressives embrace opportunities to connect with a growing, post-binary political base— regardless of what, hopefully, are increasingly irrelevant party lines. And I hope that the incumbent Democratic Socialist mayor of New York City, who won with his unprecedented grassroots campaign, inspires other democracies that plutocracy need not be inevitable.

¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U - ele-king

 2026年にはコーチェラ・フェスティヴァルへの出演も決定し、いまや世界からもっとも注目される日本人DJとなった¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U(行松陽介)。インターネット上でのヴァイラルによってプレイ・スタイルへのイメージは変化したかもしれないが、その本質が実験的でエッジーな音楽を求めつづける生粋の好事家であることに変わりはない。

 そんな¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$Uがかつてのホームであった大阪を拠点に主催していたパーティ・シリーズ〈Zone Unknown〉が、渋谷・WWWの15周年公演シリーズとして開催。これまでイキノックスやKamixloなどアヴァンギャルドなアーティストたちを招聘したのち、活動の変化にともない一時休止。今年ベルリンにて再始動した同シリーズが、初の東京編としてデイ・タイムで開催される。

 出演者にはUKよりマーク・フェルライアン・トレイナー親子を招聘し、ローカル・アクトとして盟友YPY(日野浩志郎)、京都のエクスペリメンタル・セレクターAkaneが出演。ライトニング演出は現代美術とクラブ・カルチャーを行き来するデュオ・MESが担当。メインストリームとアンダーグラウンドの両極に立つ彼の、いまの真意に触れられる一夜となるか。

Wang One - ele-king

 インターネットはインディ・アーティストと彼ら/彼女らをサポートする人々に大きな恩恵を与えてきた。ネットがなければ〈Maltine Records〉や〈TREKKIE TRAX〉の台頭はあり得ず、『Pitchfork』が「日本の重要なインターネット・レーベル10選」という特集を組むこともなかったかもしれない。我々リスナーも、ほとんど週替わりで出現するスターたちに心を躍らせた。

 中国でもそれは同じらしく、南京出身のLola Oneと上海出身のCase Wangによるインディ・エレクトロニック・ユニット “Wang One” も、それに類する経験を経てきた。音楽コンシェルジュ・ふくりゅう氏によるインタヴューの中で、ふたりは「ほとんどの曲をNetEaseから学んだ」と認めている。そこではダフト・パンクやYMOの楽曲が次々とサジェストされ、自身がサイトにアップロードした自作曲がコミュニティ内で高い評価を獲得した。

 陰謀論が跳梁跋扈し、今日も元気にヘイトが駆け回っている電脳空間。けれども、そこにはまだ見ぬ音楽を求めてさまよう者とそれに応えようとするコミュニティの蜜月の関係があった。この大海から誕生したスターも枚挙に暇がない。

 日本ではハチP(米津玄師)をはじめ多くのプロデューサーがニコニコ動画から羽ばたいていったが、それぞれシグネチャーなサウンドは確認できるものの、音楽ジャンルとして「これ」と特定できるケースは少なかった。1曲の中にロック的な要素があり、パンクっぽいニュアンスがあり、エレクトロの手触りがある。

 Wang Oneはユニットとしてこれまで4曲発表してきたが、いずれも異なる世界観とテクスチャーで構成されている。デビュー・シングル “Walk On Shame” はファンキーなディスコ・チューンで、2曲目の “Oh Young Boy” はチャーチズとラナ・デル・レイが共にスタジオ入りを果たしたような内容だ。そして最新シングル “IDK - idontknowwhatyoutalkingabout-” では、アシッド・ハウスの上でLolaのパンク・ヴォーカルが響いている。ダンスフロアに根差しながら、射程はもっと長い。鳴らされてるのが真夜中のクラブだけでなく、そこは夕方のライヴ・ハウスかもしれないし、野外フェスのステージかもしれない。手探りの部分もあるだろうが、ふたりのサウンドはさまざまなポテンシャルを秘めている。

 そういった紆余曲折をレーベルとして続けたのが、まさしく〈TREKKIE TRAX〉だ。彼らが “IDK - idontknowwhatyoutalkingabout-” のリミックスを手掛けたのは、なかば必然めいたものを感じられる。その上、彼らはULTRA JAPAN 2025のメインステージでこの曲をプレイした。レーベル・クルーであるFellsiusの “Boss House” や、彼らがここぞというときにかけるOutlanderの “The Vamp (TTC Kick Rebuild)” など、〈TREKKIE TRAX〉総集編のようなDJセットの中で燦然と輝く “IDK (TREKKIE TRAX CREW Remix)”。“Strings of Life” が香るピアノのリフに、脱構築されたビートがお台場の空に舞った。

 同じく “IDK” のリミキサーとして、ベルリンを拠点に音楽シーンで暗躍するマーク・リーダーもクレジットに名を連ねている。マンチェスター育ちの彼は、ニュー・オーダーの “Blue Monday” の誕生に立ち会い、石野卓球をベルリンへ送り込んだ。また彼は、Wang Oneと同郷のインディ・バンド “STOLEN” の世界デビュー・アルバム『Fragment』のプロデューサーを務め、自身のレーベル〈MFS〉からリリースさせた。大陸間を横断しながら活動する様はまさに “密輸人”。なお、彼は『Fragment』に収録された “Chaos” のリミックスVer.も提供しており、そちらも大変クールだった。

 今回の “IDK -idontknowwhatyoutalkingabout-(Mark Reeder's Got You Remix)”では原曲にみられるTB-303のニュアンスを尊重しつつ、妖しげなシンセのサウンドをまぶした。ちなみにSTOLENが2024年1月30日と2月1日に大阪と東京でライブを行った際、Wang Oneはスペシャル・アクトとして抜擢されている。このとき披露したのは5曲程度だったが、インパクトは十分だった。

 そしてもうひとり、“IDK” のリミキサーがいる。それが10代なかばのDJ/作曲家・heykazma。“音に溶ける” パーティ〈yuu.ten〉のオーガナイザーでもあるheykazmaは、バイレファンキやジューク/フットワークのようなアブストラクなビートで老獪な音のジャーニーを紡ぎ出す。個人的な体感ではheykazmaのリミックスが最もフロアライクで、構成も明確だったように感じる。

 先のインタヴューによれば、Caseのルーツのひとつにゲーム音楽があるという。作中で流れるサウンドトラックによって、ダンス・ミュージックをはじめとする海外の音楽に開眼していった。昨今の中国ではオーセンティックなテクノやハウスがゲーム音楽として実装されるケースもあり、多くの才能あるトラックメイカーがビッグ・タイトルに関わっている。たとえばTSARなどはYellow Clawのレーベル〈Barong Family〉からのリリースで知られるChaceと共に中国の音楽ファンの間で並べて語られることもあったが、いまや『崩壊:スターレイル』をけん引する存在だ。

 インターネットを介して未知の音楽を発見し、自作曲を発表する。そしてゲームへと回帰。つまりいま、ダンス・ミュージックと接触するのに生身の空間でパーティを開く必要もないのだが、我々はフロアへと誘われてゆく。10代のパーティ・オーガナイザーが率先してイベントをうつのだから、やはりそこには特別な磁場があるのだ。マーク・リーダー、〈TREKKIE TRAX〉、heykazma。3世代にわたって証明されたのは、ネットの有象無象から生まれた情熱の行方なのかもしれない。

 そして中国の大海にも、我々が獲得してきた熱量や憧れと同じ類のものがただよっていた。それらがひとつ形として結実したのが、今回のリミックス盤だ。混沌とする昨今、音楽に世界や社会を背負わせるのは重すぎるかもしれない。だが、本作にはかつて我々がみたユートピアの片鱗がある。

R.I.P. D’Angelo - ele-king

緊那羅:Desi La(訳:編集部)

 人は大衆音楽における「才能」について、歌声や見た目の特別さを指して語りがちだ。どんなふうに歌い、叫び、あるいは甘く歌い上げるのか、とか。だが、音を「どのように聴いているのか」、そしてさまざまなジャンルの音楽をレゴブロックのように組み合わせ、過去の黄金の瞬間を細かく分解し、それを吸収し、「なんてこった!」と神々しいまでに独自なひらめきにうなずきながら、人びとを椅子から立ち上がらせ、心を動かすようなかたちに再構築する、その才能についてはあまり語られないかもしれない。D’Angeloは、2025年10月14日、わずか51歳という若さでこの世を去った。彼をめぐっては、メディア、共演者、ファン、そして彼のイメージや遺産で商売をしようとするSNS上の人びとから、さまざまな思い出が語られるだろうけれど、彼に正しく敬意を捧げるためには、彼を「ミュージシャン」と呼ぶだけでは足りないと私は思っている。彼はむしろ「技師(エンジニア)」であり、「建築家」だった。プリンスやマイルス・デイヴィス、パーラメントのように音楽を構築した偉大な建築家たちの系譜に属する存在だ。

 インスタグラムを何気なくスクロールしていたとき、私は残念ながら、あの“Untitled (How Does It Feel)”のヴィデオでの一瞬の性的イメージばかりを強調するインフルエンサーたちの投稿を目にしてしまった。彼を性的対象としてしか見ないそうした悪魔的な心性こそが、いくつかある理由のうちのひとつ——彼がキャリアの大部分を通して長く姿を消していた理由のひとつ——ではないのか。あの映像で焼きついた彼の官能的なイメージは、当時の大衆の記憶から決して消えることはないだろう。が、それは彼の真の才能を示すものではなかった。彼を讃えるということは、彼が望んだかたちで見られること、そして彼の激しい努力の結実を讃えることでもある。

 D’Angelo——本名マイケル・ユージーン・アーチャー——はヴァージニア州の生まれで、ファレルと同郷である(ヴァージニアの水にはたしかに何かがあるのだろう)。彼は教会の少年として育ち、ゴスペルを愛し、そしてソウル、ロック、ファンクの黄金時代の巨人たち——アル・グリーン、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ、プリンスなど——に憧れた。彼のヒーローもまた、みんな同じく「建築家」だった。音に対する鋭敏な耳を持ち、アレンジ、バンドの選択、そして全体的なプレゼンテーションにおいて非凡なセンスを備えた音楽家たちだ。彼は成長するにつれて、それらの創造者たちの手がけた構造を解きほぐし、彼らがどう音楽を創出しているのかを考究した。とりわけ、プリンスだ。彼がひとりでスタジオとサウンド全体を完全に支配していたその姿に魅了され、「あれが自分だ」と感じたはずだ。

 音楽業界が何かとレッテルを貼りたがるなかで、D’Angeloが『Brown Sugar』でシーンに登場し、最初のすばらしい成功を収めてから、彼には「ネオ・ソウル」という称号が与えられた。1995年のデビュー当時から、そして続いて登場したエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997年)などと並び、その呼称は一定の妥当性を持っていたと言える。というのも、ヒップホップはもともとソウル/ファンクに影響を受けており、ネオ・ソウルの進化は、文化的にも経済的にも支配的となったヒップホップからの影響の「フィードバック・ループ」を示していたからだ。セクシーでチルなヴァイブス、しかもストリートの匂いもある。
 じっさいD’Angelo はネオ・ソウルの特徴をすべて体現していた——ヒップホップの影響を受けたタイトなビート、滑らかなヴォーカル、無駄のないプロダクション、社会的意識をもった歌詞、グルーヴに乗った重心の低いフロー、そして技巧に走らないセクシーな歌声……。
 多くのミュージシャンとは異なり、D’Angeloが遺した公式アルバムはわずか3枚のみだ。しかしそのどれもが前作を凌ぐ傑作であり、『Black Messiah』(2014)はまさにその頂点に立つ作品だった。彼が病に倒れる前に取り組んでいた未発表の音楽も、いずれ何らかの形で日の目を見ることになるだろうが、現時点では、『Black Messiah』こそが彼の到達点であり頂点である。もちろんそれは、『Voodoo』(2000)や『Brown Sugar』を軽んじてよいという意味ではない。むしろいまとなっては、これら2作を、音楽だけにすべてを賭けたひとりの男が歩んできた、その進化の道筋としても味わえる。

 もし私が「ブラックネス(黒人性)」という概念を音楽的革命として講義する授業を開くとしたら、『Black Messiah』収録の“The Door”という曲をかけるだろう。70年代的なハーモニーとファンクのリフが全編を覆い、厚みのあるファンク・ベースが鳴り響き、1940年代のブルーズ的スライド・ギターのクレッシェンドでは、スライドが弦に擦れる音までミックスに残されている。90年代的なデジタル録音のようなアンプ・ディストーションはなく、リラックスしたホンキートンク調のビートに乗せたファルセットの歌声。ファンク特有の切れ味あるストップ&スタートのイントネーションがありながら、歌唱技巧を排している。そしてたしかなダウンビートが、教室で机を叩いてビートを刻み、まわりの仲間が手拍子を合わせていた高校時代のあの瞬間を黒人たちに思い起こさせる。そうしたすべてが、この1曲のなかに凝縮されている。
 D’Angelo はまた、「ブラック/アフリカ的な音楽学習法」の価値を体現していた。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、あるいはアフリカの伝統音楽——いずれにおいても、黒人音楽とは共同体的な営みであり、集中して意図的に聴くことによって成り立っている。複数のパートが重層的に動きながらも、汗をかくことなく完璧に同期している。ビートとビートのあいだにはたっぷりとした呼吸がある。「重要なのは何を演奏するかではなく、何を演奏しないかだ」とマイルス・デイヴィスが言ったように。
 デビュー作で成功を収めたにもかかわらず、D’Angelo は資本主義的商業システム——すなわち大手レーベルという獣——の餌食になることを拒んだ。アーティストの首筋に息を吹きかけ、スタジオに押しかけては「早くリリースを」「長いツアーを」「最大の利益を」と迫る連中に対して、彼は「くそくらえ」と言い放ち、ルーツのクエストラヴとともに5年間もの冬眠に入ったのだ。……5年だ! 大学の学位を取るより長い。その「大学」が『Voodoo』であり、さらにそれを3倍にしたものが『Black Messiah』だった。
 反資本主義的な精神を貫きながら、D’Angelo は「ブラック・ヒストリーの音」を追い求め、それに人生を捧げた。彼は、過去の偉大な音楽家たちの独自性の蒐集家であり、各アルバムの制作にあたっては、その音楽を研究し、向き合い、ジャムし、さらにまた向き合い、あらたな協働者を招き入れてはまた向き合い、ヴォーカルだけで2年を費やしてもなお、音楽とともに座り続けた。その結果、『Voodoo』と『Black Messiah』は聴く者の前で雲を切り裂き、天を開く。細部にまでこだわり抜いたサウンド・デザインが機能する要素を徹底的に磨き上げ、極限まで高めている。
 建築家とは機械や建物の「内部構造」を見る者である。それを組み合わせることで以前よりも高い創意を生み出す。構造の逆解析を行い、どの瞬間においても楽曲を「最高なもの」として立ち上がらせる。そのような能力を持つ者。D’Angeloには「駄作」と呼べるアルバムがひとつもない。それは、彼が——良い意味で——あまりにも「良いアルバムを作ること」に執心していたからだ。そして、彼は待ち、さらに待ち続け、それが熟するのを見届けた。

 D’Angelo の壮大さ、彼のパフォーマンス、優しさ、録音作品は、視界の果てまで広がるほどの賛辞の波を呼び起こした。しかし残念なことに、彼を苦しめたある種の悪魔が誘発した逮捕、依存、鬱などが彼の早すぎる死に影響した可能性がある。皮肉なことに、彼を押し上げたその「社会的イメージ」こそが彼の首にかかった重すぎる錨となり、彼はそこから抜け出そうともがいた。注目すべきは、『Black Messiah』がD’Angeloのアルバムのなかで唯一、彼自身の姿がジャケットの表にもその裏面にも登場していない作品であるという点だ。焦点は完全に「作品そのもの」に置かれている。
 彼の焦点は、つねに芸術そのものに向けられていたのだ。そして2025年のいま、私たちはようやくその全体像を享受できるのである。その美しさ——彼の微笑み、その語り口、彼が遺した物語とそこに刻まれた教訓、そして何よりも音楽への絶対的な献身——そのすべてを、ありのままに味わえるのだ。


People often talk of talent as if it`s only a person’s singular singing voice or their particular look. How they sing, shout or croon. But not enough of how they hear and put the Lego blocks of multiple genres of music together, pick apart the golden moments of excellence of the past, take them in and head nod to the “goddamn!” pure heavenly idiosyncrasies and reassemble them in a way that move people from their seats and into their hearts. D`Angelo has left us at the early age of 51 years old this past October 14th 2025. There will be many memories of him from media, collaborators, fans and social media types looking to capitalize on his image and legacy. But to properly give tribute to him, I feel it`s appropriate to knight him not a mere musician but an engineer. An architect. In the vein of other architects like Prince or Miles Davis or Parliament. Doomscrolling on Instagram, I unfortunately ran across posts by influencers only emphasizing his sexuality from that one moment in time with the video "Untitled (How Does It Feel)", but that objectifying demon mind is actually the reason among several others for his long absence for the majority of his career. That image will never disappear from the public conscious of that time but that wasn`t his talent. To honor him is to honor how he wanted to be seen and the result of his intense efforts.

D`Angelo, born Michael Eugene Archer in Virginia, just like Pharrell (I think there is something in the water in VA for sure), was a church boy who grew up with love for the Gospel and love for the titans of the soul, rock, and funk era, i.e. Al Green, Jimi Hendrix, Fela Kuti, and Prince just to name a few. All his heroes were also fellow architects. Musicians with keen ears for sound, arrangement, band selection, and overall presentation. And as he grew up dissecting those creators and how they moved - he particularly was mesmerized by Prince`s one man command over the studio and his sound - D`Angelo said that`s me.

With the music industries need to label, D`Angelo`s entry into the scene and initial success with “Brown Sugar” was given the mantle of Neo-Soul. And to some extent with his debut in the 1995 and other titanic releases in the same period like Erykah Badu`s Baduizm in 1997, this is warranted as hip hop was initially influenced by soul/funk and Neo-Soul`s evolution signaled a feedback loop of influence by the dominance of hip hop culturally and financially. Sexy chill vibes but street.

D`Angelo exhibited the hallmarks of what was to be Neo- Soul; clear, hard hip-hop influenced beats, smooth vocals, uncluttered productions, socially relevant lyrics, in the pocket groove heavy flows, and sexy vocals that avoided theatrical gymnastics.

Until many musicians, D`Angelo leaves behind only 3 official albums. But each one is a classic greater than the one before with “Black Messiah” being the crowning achievement. I`m sure that music he was working on before his previously unannounced cancer disabled him will see the light of day in some way, but for now “Black Messiah” is the apex of his known work. That doesn`t mean sleep on “Voodoo” or “Brown Sugar.” Instead, just enjoy the evolution from a man solely focused on it.

If I could teach a class on blackness as a concept of musical revolution, I might play a song like “The Door” from “Black Messiah.” An unassuming song drenched in 70`s harmonic funk recitations, thick funk bass, 1940`s blues slide crescendos with the noise of the slide gracing the strings left in the mix, no amp distortion a la 1990`s digital recording, falsetto singing to a relaxed honky tonk sing song beat, the crispness of funk stop start intonation leaving out vocal gymnastics, and a solid down beat that gives black people memories of that guy in the class room who banged on the desk in high school to make a fire beat while his friends clapped in unison around. All of this in one song.

D`Angelo also represents the value of the Black / African method of studying music. Black music, whether blues or gospel or jazz or traditional African, is a communal situation filled with intensive intentional listening, focused and deliberate, layered instrumentation with multiple parts moving but in sync without breaking a sweat. Lots of breathing between the beats. “It`s not what you play but what you don`t” as Miles Davis used to say. D`Angelo despite his debut album success, refused to be the meat for the capitalist commercial beasts that major labels often are, breathing down the necks of artists, visiting them in the studio in effort to push them for a quick release, a long tour, and maximum profits. D`Angelo said fuck them and went into a five year hibernation with Questlove of The Roots ..... 5 YEARS!!!! just to produce “Voodoo.” 5 years is longer than

getting your degree in university. In this case though, the university was “Voodoo” and then times that by 3 with “Black Messiah.” Anti-capitalist in his endeavours, D`Angelo rested on his devotion to the “sound” of Black history in his eyes. A collector of the idiosyncrasies among his favorite musicians of the past, in making each album, he studied and sat with the music, jammed and sat with the music, invited new collaborators and then sat with the music, spent almost 2 years just doing vocals and still sat with the music. And it shows cause in particular “Voodoo” and “Black Messiah” separate the clouds from the heavens for listeners, letting loose a sound design meticulous with it`s attention to the things that work and amping them up.

An architect sees the inside of the machine or the building, the innerworks that when put together create greater ingenuity that before, reversed analysis of construction that allows each song to be see at a moment`s notice as great. D`Angelo doesn`t have any bad albums because he was too intent (in a good way) to make a good album. And he waited and waited til it gestated.

Though the grandeur of D`Angelo, his performances, his kindness, his recordings created waves of accolades that rolled exponentially as far as the eye could see, unfortunately certain demons haunted him leading to arrests, addiction, depression and so forth, all of which may have contributed to his untimely departure. His social image, the very thing that propelled him forward became an albatross, too heavy to bear but he did his best to break free. Take deep note that “Black Messiah” is the only D`Angelo album where he doesn`t appear on the cover or back sleeve. The focus was fully on his art. The beauty now of 2025 is we can enjoy the beauty of his smile, his diction, his stories, lessons learned and absolute devotion to music.

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高橋芳朗

 ディアンジェロが逝ってしまった。死因は膵臓癌。51歳だった。かつての公私におけるパートナー、アンジー・ストーンが3月1日に交通事故で他界したのがまだ記憶に新しい中での思いがけない訃報。プリンスと共に彼の最大のインスピレーション源だったスライ・ストーンも6月9日に亡くなったばかりだ。スライの死を受けて、ディアンジェロの諸作を改めて聴き直していた方も多かったと思う。

 ディアンジェロは、1990年代以降で最も強大な影響力を有したアーティストのひとりだ。ただし、彼が30年に及ぶキャリアで残したアルバムはたったの3作。1995年の『Brown Sugar』、2000年の『Voodoo』、そして2014年の『Black Messiah』。もともと完璧主義だったことに加え、2000年代は薬物/アルコール依存、相次ぐ逮捕騒動などで活動が停滞。寡作ぶりに拍車をかけることになった。

 ディアンジェロの3作のアルバムはすべて掛け値なしに破格の傑作といえるが、彼は現在に至る名声を実質最初の2作で確立している。人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動を背景に作られ、ザ・ルーツのクエストラヴが「俺たちの世代にとっての『There's a Riot Goin' On』」と激賞した『Black Messiah』も強力だが、真のゲームチェンジャーはやはり『Brown Sugar』と『Voodoo』。特に『Voodoo』は決定的だった。

 ビヨンセはディアンジェロへの追悼コメントで彼を「The Pioneer of Neo-Soul」と讃えたが、ディアンジェロが『Brown Sugar』と『Voodoo』によって果たした功績を端的にまとめるならば、それはまさに「ネオソウルの音楽像を作り上げたこと」となる。ディアンジェロが編み出したネオソウル・サウンドの最大の特徴は、J・ディラの作風に着想を得た揺らぎ(ズレ)のあるビート、そこから生じる聴く者をじわじわと引きずり込んでいくような深みのあるグルーヴ。その原点といえる試みは『Brown Sugar』収録の “Me and Those Dreamin' Eyes of Mine” で確認できるが、完成を迎えるのは5年後の『Voodoo』まで待たなくてはならない。

 『Voodoo』のビートの革新性は、レコーディング時の数々の逸話が浮き彫りにしてくれる。たとえば、ギタリストとしてのゲスト参加が決まっていたレニー・クラヴィッツがサンプル・トラックのドラム・パターンに違和感を訴えて「これでは演奏ができない」と辞退したエピソードなどは、ディアンジェロが描いていたヴィジョンがいかにセオリーから逸脱していたかを示す好例だろう。だが、何よりも興味深いのは『Voodoo』の大半の曲でドラムを担当しているクエストラヴの証言だ。彼はレコーディングに際して、ディアンジェロから「徹底的に正確さを削ぎ落としてほしい。絶対にうまくいくから俺を信じろ。グルーヴをキープしつつ、とにかくだらしなく叩くんだ」と要求されたという。

 正確さこそが命であると考えていたクエストラヴはディアンジェロの注文通りに演奏するのに約1ヶ月もの時間を費やしたそうだが、その成果──クエストラヴが言うところの「泥酔しているかのような演奏」──が最も如実に表れているのが以降ネオソウルのひとつのプロトタイプとして継承されていくことになる “Playa Playa”や “Chicken Grease” だ。ここで打ち出されているフィーリングは現在ネオソウルとして紹介されているあらゆる作品から聴き取れるのはもちろん、もはや今日のモダン・ミュージックを語る上で欠かせないものになっている。

 ミュージック・ビデオと併せてディアンジェロのアイコンになっている “Untitled (How Does it Feel)” がたくさんのオマージュ・ソングを生み出し続けている事実も含め、彼と『Voodoo』の遺伝子はいまもなおそこかしこで見つけることができる。ディアンジェロのデビューから30年、『Voodoo』のリリースから25年。これだけの歳月を経ているにもかかわらず、そのレガシーがなんら古びることなくフレッシュなアイデアとして有効性を維持しているのは驚異的と言うほかない。1990年代にデビューしたレジェンドのなかでも、ディアンジェロの音楽は若い世代にとって比較的「近い」位置にあったのではないだろうか。

 でもだからこそ、この世界にディアンジェロがいない現実をなかなか受け止めきれずにいる。ジョージ・クリントンがケンドリック・ラマーやフライング・ロータスとコラボするような未来が、きっと彼にもあったと思うのだ。

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