「AY」と一致するもの

interview with OLD DAYS TAILOR - ele-king


OLD DAYS TAILOR
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 2008年のデビュー以来、在りし日のシンガー・ソングライターによる良質な音楽を思わせる歌世界を丁寧に紡いできた笹倉慎介。日本語ならではの詩情と温かみのあるサウンドが融合した彼の音楽は、ただ過去を見つめる視点だけにとどまらず、慌ただしさのなかで看過されてしまいがちな、都市とその郊外で日々を重ねるなかでふと見えてくる様々な風景と心象を、膨よかな筆致で描いてきた。
 今回笹倉は、かつて2014に7 inchシングル「抱きしめたい」で共演した森は生きているの元メンバー岡田拓郎(ギター)、谷口雄(ピアノ)、増村和彦(ドラム)に加え、細野晴臣のバンド他数多くのアーティストのバッキングを担当する伊賀航(ベース)、自身もシンガー・ソングライターとして活動する優河と今回がレコーディング・デビューとなる濱口ちなのふたりをコーラスとして迎えた新バンドOLD DAYS TAILORを結成した。
 各メンバーの個性が一体となるなかで生まれる「バンド・サウンド」の魅力とは。今作の大きな参照となったというジェームス・テイラーへの溢れる愛情。そして「在りし日を紡ぎ、仕立てること」によって生まれる音楽をいま奏でるということ。極めてまろやかな聴き心地を持つこの音楽世界が、その実メンバーの高度な技巧と鋭敏な感性によって丁寧に形作られているということを知るとき、私たちは笹倉やバンドメンバーと共に、本当はまだ見ぬ知るはずのない風景をふと「過ぎたことのように」慈しんでいることに気づくかもしれない。どこかでみたかもしれない風景は、永遠に古びない。この音楽は、どこかでみたようでいて、いつまでもここにあり続ける。
 笹倉慎介、岡田拓郎、谷口雄の三人のメンバーによるインタヴューをお届けする。


僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。 (笹倉)

そもそもの話なのですが、このプロジェクトが発足したきっかけはなんだったんでしょうか? 森は生きていると一緒に7 inchシングル「抱きしめたい」を作ったことから自然発生的に進んでいった感じですか?

笹倉慎介(以下、笹倉):昨年東洋化成から「レコード・ストア・デイに笹倉さんのシングルを出しませんか?」って話が来て。もちろんソロでやることもできたんですけど、「抱きしめたい」の後に、森は生きているのみんなと「いつかバンドやりたいね」って話していたのを思い出して。シングル単発企画だし、軽いノリで「バンドやっちゃうかな」って思い立ったんです。

谷口雄(以下、谷口):そんな感じの軽いノリで笹倉さんからメールが来ました(笑)。

じゃあ、はじめは今回のアルバムに先行してリリースされた「晴耕雨読」の7 inchリリースだけのつもりだったんですね。

笹倉:そう。運が良ければアルバムも出せればいいな、というのはあったんだけど。で、せっかく「晴耕雨読」がリリースされるなら、〈Pヴァイン〉へ「抱きしめたい」の再発もどうですか? って話を持っていったら、「じゃあアルバムも作ってウチからリリースしませんか?」ってトントンと話が進んで。

たしかに、OLD DAYS TAILOR結成の話を最初に耳にしてから、アルバムが出るまですごくスピーディーだなと思いました。

岡田拓郎(以下、岡田):すごく早いですよね。レコーディングも気づいたらどんどん進んでいった感じ。

谷口:僕らも途中から「これ何のために録っているんだろう?」って思っていたら「え! アルバムが出るんですか?」っていう(笑)。

笹倉さんとそのバック・バンドっていう形ではなくて、あくまでひとつのバンドとして始動したのはなぜ?

笹倉:単純に「バンド」という形にしたほうが面白い作品になるんじゃないかなと思ったんです。ソロだとバック・バンドがいようとも結局は100%僕の意見でまとまってしまう。僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。

このメンバーになった理由は?

笹倉:それは単純に楽だったから(笑)。

コミュニケーションのしやすさという意味で?

笹倉:バンドであるからには、メンバーそれぞれの主張や個性が出ないといけないけど、みんな音楽的な面でも信頼できるメンバーだし、その点も大丈夫だろうと。どんなに人間関係ができていても、一緒に音を出したときに違和感があると制作は大変。今回のメンバーはそれがほとんどない。

何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。 (笹倉)

各メンバーについてコメントいただきたいのですが、まずベースの伊賀航さん。お付き合いは古いですよね?

笹倉:伊賀さんこそ、本当に一緒にやっていて楽です(笑)。

プレイがうまいっていう意味で?

笹倉:そうですね。いろいろな演奏に参加しているという場数のことももちろんあると思いますけど、僕の音楽へのフィット感がもう抜群なので。

コーラス担当の優河さんと濱口ちなさんの女性メンバーおふたりの魅力は?

笹倉:優河ちゃんは、彼女自身のソロ活動でももちろんそうですが、めちゃくちゃ魅力的で「本格的」な歌声を持っています。

笹倉さんとのハーモニーも抜群ですよね。もうおひとりの濱口さんは普段はどんな活動している方なんでしょう?

笹倉:まだプロとしては何もしていないです(笑)。僕がオーナーを務めている(埼玉県)入間にあるカフェ兼スタジオ「guzuri recording house」のスタッフなんです。学園祭でコーラス・グループやバンドをしたことがあるようで。そのとき合唱ではっぴいえんどの“風をあつめて”をやったと言っていたので「じゃあちょっと聞かせてよ」って言ったら、歌ってくれたんです。それが本当にまっすぐな声で、これは良いなと。優河ちゃんとの良いコンビネーションになりそうだなと思いました。

増村(和彦)くんのドラムの魅力は?

笹倉:やっぱり彼も歌詞を書く人なので、言葉を聞きながらアプローチするタイム感みたいなものが良いなと思います。メロディーへ言葉をどう乗せていくかということへの感覚が鋭い。会話をすればすぐ理解してくれる。メロディーに乗せるとき、言葉の音をどう譜割するかがいちばんややこしかったりするんです。リズムを食っている、ここは食ってない、ここは伸ばしているとか、そういうことにちゃんとプレイとしてついていけているのはすごい大事ですね。精密に叩けるというよりは、歌に合わせて波を作れる。

谷口:各曲のレコーディングは、基本的に増村くんと笹倉さんのふたりでそのあたりについて会話することから始まっていましたね。

笹倉:それが終われば僕は寝てる(笑)。

谷口:俺たちが録る頃にはホントに寝てましたよね(笑)。

笹倉:全部寝てるわけじゃじゃないけど(笑)。

(笑)。鍵盤担当の谷口くんは?

笹倉:今回の制作にあたってはやはりジェームス・テイラーの音楽が下敷きにあったので、そのニュアンスを汲んだプレイをお願いました。でも、ジェームス・テイラーのバック演奏って改めてじっくり聴くと目立つようなことは何もしていないっていう……(笑)。けれど、何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。だいたい鍵盤は音が目立ってしまいがちだから。けれど今回谷口くんは期待に応えてくれました。

たしかに、ジェイムス・テイラーのバックを務めていたザ・セクションの鍵盤奏者クレイグ・ダーギーも、彼ならではの「節」みたいなは感じないですよね。

谷口:そう。何も個性がないようだけど、音楽全体で聴くと効果があるって感じ。

笹倉:でき上がったものを聴くと「谷口くん、レコーディングにいたっけ?」っていうアレンジになっていたり(笑)。

谷口:「ミックスのとき、僕の音消してませんか?」って(笑)。

音が小さいという意味じゃなくて?

谷口:違いますね。笹倉さんのアコースティック・ギターが既にもうメロディーのような性質も兼ねたものなので、それを崩さないように後押しをするようなプレイをしたら……いないように聞こえてしまう(笑)。普通にコードをガーンって弾いたら笹倉さんのギターと音が当たりまくるので、相当研究しました。

岡田:倍音だけ添える鍵盤、みたいな感じだよね。

なるほど。一聴するとギターが豊かに響いているように聞こえる感じ。

谷口:そうそう。

岡田:でも、いざ鍵盤を抜いてみるとぜんぜん違った風に聞こえると思います。

笹倉:そうですね。まさしくそういうところが上手い。

谷口:どういう風なプレイをするかっていうのはかなり迷いました。でも最終的に岡田くんもいるから良いかって思って。そしたら岡田くんがいちばん大変だったという(笑)。

岡田:そう……(笑)。僕がいちばん最後に音を重ねるから。

じゃあ、その岡田くんのギターについて。

笹倉:岡田くんもバッキングのプレイについては谷口くんと同じような感覚。僕のギターが結構歌ってしまっているので、歌っているギターをもっと充実させるようなプレイをしてくれたと思います。

やっぱりギターについてもザ・セクションのプレイのイメージで、というのがあったんでしょうか?

笹倉:そう。(ザ・セクションの)ダニー・クーチ的なプレイ。

岡田:だから僕もクーチはすごく聴いて用意してきましたね。けど、彼のプレイが参考音源としてあるような曲ならいいんですけど、ないような曲はすごく大変でした。上モノが僕と谷口くんしかいないなかで、鍵盤がアコギの倍音を担う方にいってしまったので、合いの手職人的なプレイが必要になってきて。

結果的には岡田くんのプレイが彩りとして前面に聞こえてくる感じにもなっていますよね。ギター好きとしてはたまらない感じ。

岡田:地味ギター好きには、ですね(笑)。

「これはクーチで、おっ、これはデヴィッド・スピノザで、これはデヴィッド・T・ウォーカーで、これは鈴木茂」みたいな聴き方になってしまいました(笑)。
みなさんの話を聞いて思いましたが、Jロック的なものにありがちな全体の圧を稼ぐために多重的に音を積み上げるというものとはもちろんぜんぜん違って、OLD DAYS TAILORの場合は、まずキャンパスがあってそこにお互いスペースを見つけて色を塗り合っていくっていう感じがしました。ときにあえて空白も残したり。そういうバンド感っていうのは、オーソドックスでありながらもいまならむしろ新鮮に響くかも。

岡田:基本オーヴァーダブもなかったですよね?

笹倉:うん。ほぼないですね。必要最低限のアンサンブル。

進め方としては、笹倉さんが弾き語りのデモをメンバーに渡して、そのあとは「せーの」でguzuriで録った感じですか?

笹倉:最初のシングル「晴耕雨読」に関しては事前にみんなでリハをしました。ある程度固まってきたら、リズム・セクションと僕だけブースに入ってドラム、ベース、アコギを先に録っていった形です。アルバム制作に入ってからは、まず話し合ってからリズム録りをやっていった形ですね。その段階では岡田くんと谷口くんはいてもらわなくても良かったかもね……待ち時間がとにかく長いから(笑)。

谷口:俺たちも10回くらいguzuriに行ったけど、結果そのうち3回くらいしか録ってないですからね(笑)。

ダビングの段階で呼ぶだけで良かったんじゃないか、と(笑)。

谷口:まあいま思えば、自分のプレイのためにも作業の過程を見ておいてよかったと思いますけどね。

じゃあ、基本アレンジは録音をやりながら決めていく感じ?

笹倉:プリプロ兼本番録音みたいな形ですね。

相当各メンバーの当意即妙的センスにかかっている感じがしますね。それをオッケーにできるというのがさっきおっしゃっていた信頼関係ってことなんだろうなあ。やはり理解し合っていない人同士だと成り立たなそうです。

笹倉:まあプレイについては自己責任です(笑)。

笹倉さんが「そのプレイちょっと違う」みたいにディレクションすることも?

笹倉:そういうこともあります。逆にミックスのときにはメンバーの意見もちゃんと聞いてやっていきました。

今回の録音は全てguzuriでおこなわれたんでしょうか?

笹倉:基本はそうです。1曲だけ岡田くんがオーヴァーダブを彼の自宅でやっているけど。

岡田くんと谷口くんは、guzuriで既に何回かレコーディングを経験していると思いますけど、通常のスタジオにはないあの場所ならではの魅力ってなんでしょう?

岡田:やっぱり建物全体に日が差してくるのはいいですよね。すぐ外に出られて、しかも公園の近く。

たしかに周囲の環境も素晴らしいですよね。

谷口:「息が詰まるなあ」っていう感覚がないスタジオだと思います。

都市部の密閉されたスタジオとかだと、すごく不健康な気持ちに陥るときもあるしね。夜遅くまで狭いところにいて……。

谷口:そういうのはないですね。朝は朝だし、夜は夜。人間のリズムに沿った録音ができる。

普通スタジオ作業中って、食事も出前弁当ばっかりになってしまったり。

岡田:guzuriだと、ご飯はお店の料理を食べたり、近くの店まで美味しいうどんを食べに行ったりできる。機材が足りないなというときはすぐハードオフにも行けるし(笑)。

海外の郊外スタジオとかはそういうのが割と普通みたいですよね。もっと増えればいいのになって思う。昔のリゾート・スタジオのようなものじゃなくて、もっと日常と繋がっている感じの。
今回はマスタリングまで含めてエンジニアリングは笹倉さんが全て担当しているんですね。岡田くん谷口くんからみてエンジニアとしての笹倉さんってどんな印象でしょうか?

谷口:やっぱり何と言ってもguzuriの特性を知り尽くしていますよね。スタジオとしては特殊な作りだと思うんですが、どこにマイクを立てたらどういう音になるかというのを心得ているなと思います。

岡田:録り音も、楽器の前に立って聴いているというより、楽器を弾いている位置でプレイヤー自身が聴いているような音になっているなと思います。

やはり笹倉さん自身がプレイヤーだからプレイヤー目線の音ってことなのでしょうか。

岡田:そうかもしれないですね。いわゆる専業のエンジニアさんってアンプの前で鳴っている音を録るというのが一般的だしもちろんそれも良い音ではあるんですけど、笹倉さんはぜんぜん違っていて、弾いている側がいちばん気持ち良いと思う音を捉える。ドラムについても、ドラムの前で聴くより叩いている側から聴くのが本当はいちばん気持ち良いと思うんだけど、今回の音も増村くんが座っている位置で聴いているような感じでした。

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ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。 (笹倉)


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アルバムの楽曲の話に入っていければと思います。ここ近年、笹倉さんはライヴを見に行くためだけに渡米するほど、ジェームス・テイラーにハマっていると伺っています。先ほど話にあったとおり、このアルバムでも各人のプレイ含め楽曲自体にもそのテイストが色濃く反映されていると思います。彼は単に「好きなミュージシャン」という以上の存在なんでしょうか?

笹倉:そうですね。僕がこれまで飽きないで音楽をやってこられた原動力です。10代の頃からずっとニール・ヤングを聴いてきたんですが、ニール・ヤングのプレイ・スタイルに飽きてきたというか(笑)。もちろん彼の音楽は素晴らしいんですけど、やっぱりひとりでライヴを演るとき、ニール・ヤング的表現だと曲やノリの面でできることがかなり限られてくる。その点、ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。いまはYouTubeでどう弾いているかも大体見られるけれど、あんまり僕がインターネット派じゃなかったので、耳コピをして……

ジェームス・テイラーのギターを耳コピするのは難しそうですね。

笹倉:ベースからコードを追いかけていって。そしたら意外と簡単なコードだった(笑)。

そこからいまや外国まで追いかけるくらいにハマっているってことだと思うんですが、気づいたらドンドン魅せられていったということなんでしょうか?

笹倉:とにかく聴いていると幸福感がすごいんですよね。

なるほど。ジェームス・テイラーの魅力って実はとても言葉にしづらいと思っていて……。僕も聴けば瞬時に「最高だなあ」と思うんですけど、それ以上に具体的な言葉を紡げないというか。コード・プログレッションも洗練されているし、ハーモニー感覚も繊細。朴訥としたクルーナー・ヴォイスの魅力……各論的にはいろいろあると思うのですが。

笹倉:彼はまず、歌のピッチがめちゃくちゃ良いんですよ。圧倒的に上手い。複雑な音楽性とかいろいろあると思うんですけど、単純に音楽として素晴らしく完成度が高いんですよね。

そうですね。たとえシンプルな弾き語りだとしても異常なほどにウェルメイド。

笹倉:「下手だけどいいよね」とかそういう次元ではなくて、ただ単純に「良い」っていう。

岡田くんと谷口くんのふたりにとっては、ジェームス・テイラーってどんな存在ですか?

岡田:しばらく聴いていなかったんですけど、今回久々に聴き直しました。個人的にAORにハマってたことあって、特に70年代半ば以降の作品とか素晴らしいなあって改めて思ったり。それと、ジェームス・テイラーって似た人がいないなと思って。あんなに売れているのにフォロワー的な人がいないんですよね。

たしかに。兄弟たち……たとえば弟のリヴィングストンも似ているようでやっぱり違うしね。

岡田:兄のアレックスはぜんぜん違うし。

谷口:妹のケイトも違うし。

岡田:誰も真似しないというか、おそらく真似できない。今回彼の音楽を下敷きに制作してみたら本当に難くて。曲の作りもそうだし、演奏も何も演っていないよう思わせつつああ聴かせるなんて簡単なことではない。あそこまで普通にいい曲なのにオンリーワンな存在って他に浮かばないなあ、って思います。

決してトリッキーということではないのに。

谷口:そうなんです。でもやってみると難しい。

岡田:極端な話、スティーリー・ダンの方が簡単じゃないかと思います(笑)。

谷口:譜面化できない難しさみたいなのもあると思うんですよね。スティーリー・ダンは譜面にすればMIDIでも演奏できると思うんですけど、ジェームス・テイラーの音楽はおそらくMIDIでは再現できない。しかし彼自身は何を聴いてきてああいう音楽を作るようになったのかがよくわからないですよね。

岡田:ニュー・ソウル以前なのにニュー・ソウルっぽい感覚があるよね。

笹倉:そういえば「ジェームス・テイラーが影響を受けたサウンド」っていうプレイリストがAppleMusicにあったな……(iPhoneを取り出す)

岡田:(プレイリストを見ながら)サイモンとガーファンクル、ビートルズ、バッファロー・スプリングフィールド、エリック・アンダーソン、レッドベリー、ロネッツ……

う~ん、たしかにそこら辺に影響を受けているっていうのも分かるんだけど……ジェームス・テイラーのあの独特の洗練に直接的につながらない気が……67年にダニー・クーチと一緒に演った音源でその後発掘されたフライング・マシーンの音源とか聴いても既に洗練されているんだよね。ラヴィン・スプーンフルなどのハーモニー、アンダースンポンシア系のプロの作家っぽさ、あとはフレッド・ニールとかのジャジーなフォーキーさ、そういうものが融合している感じが……。

岡田:時代的にもフォーク・ロックとかに影響を受けると普通はサイケになりそうだし、本人もめちゃくちゃジャンキーだったのに曲はまったくもってフレッシュっていうのがよく分からない。見た目もすごく繊細そうでシャープで……モンテ・ヘルマンの『断絶』に出ているジェームス・テイラーの目つき、あればヤバイ(笑)。

なんだかジェームス・テイラーの話ばっかりになっちゃいましたけど(笑)……笹倉さんは日本語の自作詞をそこに載せる。アルバムを聴くと簡単にやっているように聞こえるかもしれないけど、実際はすごく大変なんだろうな、と思いました。

笹倉:メロディーから作るわけですけど、音節的にぜんぜんうまく日本語詞が乗らない。言葉の意味の面でも、日本語ならではの伝わり方がうまくメロディーにハマらなかったりします。

たしかに直接的にロックっぽい……わかりやすく言うと仮に内田裕也的な歌詞を乗せたらすごい珍味なものになってしまいそうですよね(笑)。そう思うとやはりはっぴいえんどというのは先駆的という意味でも偉大だったと思うんですけど。

笹倉:そうですね。

今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。 (笹倉)

今作でもいろいろなトライを経てこうなっていると思うんですけど、非常に上手く日本語が乗っていると思いました。我々がネイティヴだからというのもあると思いますが、日本語って言葉のチョイスによって意図していた以上に意味を発揮してしまい、それに他の要素までが支配されてしまうということがあると思うんですけど、この作品ではそれが周到に避けられているなと感じました。例えば、“過ぎたことのように”のなかでタイトルをリフレインするところとか、割とインパクトのある句が繰り返されているはずなのに、いい意味で音に埋まっている。大人の技巧を感じました。匠の技(笑)。
岡田くんと谷口くん作の曲についてもお話を聞かせてください。まず岡田くん作“午後の窓”。

笹倉:森は生きているの頃の曲なんだっけ?

岡田:元々は森は生きているの最後の方にライヴで演っていた曲ですね。

これを持ち込もうと思ったのはなぜ?

岡田:笹倉さんに「なんか曲ないの?」って言われて。僕のソロ・アルバム用にも録っていたんです。森は生きているのヴァージョンとソロ・アルバムのヴァージョンはお蔵入りしていているし、ちょうど増村くんが歌詞を書いていたし、このバンドで違うテイストのものをやってみたらどうかなって思って引っ張り出してました。

これはジェームス・テイラー的世界とは違って、若干『ロングバケーション』ぽさもあって。岡田くんの趣向が反映されつつ、しっかりバンド感もあって。ヴォーカルも岡田くんが担当して……

笹倉:いや、これ僕の声です(笑)。

え!? 岡田くんの声にそっくりじゃないですか?

谷口:似てますよね。僕も最初歌入り版が上がってきたとき「ヴォーカル、デモのまんまじゃん」って思いました(笑)。

笹倉:僕と優河ちゃんの声をユニゾンで重ねているんです。

なるほど! それでこの声の質感になっているのか……面白いなあ。
そして谷口くん作“アフター・ザ・ガール”。すごく谷口くんっぽいなあって思いました。わ、ジェイホークスみたいだ! って(笑)。

谷口:これも元々は、岡田くんから森は生きているの最後の方に「なんか曲ないの?」ってメールが来て、そのとき出した曲ですね。

岡田:そのときは結局ボツにしたんですよね(笑)。

谷口:歌詞もメロディーもなかったから、いま思えばそれで提出するっていうのもどうかと思うんですけど(笑)、どこかで使いたいなと思っていたので、今回メロディーも作って増村くんに歌詞を書いてもらって。

一瞬のホッとする感じが良いですねえ。バンドとして、ふたりの曲が入ることによって音楽性の幅が出ていて良いなと思いました。あと、大滝詠一のカヴァー、“恋の汽車ポッポ”。これは笹倉さんの選曲?

笹倉:そうです。これも実はジェームス・テイラー・スタイルなんです。ジェームス・テイラーがチャック・ベリーの“プロミスド・ランド”をカヴァーしているものがあって。そのアレンジを参考にしています。自分でこういうテイストの新曲を作るのもアリかなって思ったんですけど、バンドのあり方として、かつての音楽を紡ぎ直すというスタンスも大事にしたかったから、日本の名曲を違ったスタイルで継承するっていうのも良いなと思ったんです。ジェームス・テイラーもそうですけど、シンガー・ソングライターでも昔の曲を継承するっていうスタンスは割と欧米では一般的だし、自分もそういうのをやりたいなあと思った。

いまおっしゃった何かを継承していくという意識はOLD DAYS TAILORというバンド名にも通じますよね。ブックレットの最初のページに笹倉さんによるメッセージが入っていますよね。「在りし日を紡ぎ仕立てることで生まれた、音や言葉が……」という。ただ過去を向くのではなく、何かを継承していこうとすることの貴さ、そういう気概を感じます。一方で“過ぎたことのように”では「なにもない海を見ていると なぜだか ありもしない記憶に 胸がきしむのです」「波間に見えた舟の 知るはずのない痛みを 覚えている」という、体験してないことを体験していたことのように思う視点というのもある。過去といま、というものの繋がりへの繊細な視座を感じます。このアルバムの制作中、時間が過ぎていくことや、自分が移ろっていくことと、そういうものに対して感覚がとても鋭敏になっていたということなのでしょうか?

笹倉:そうですね。でも制作中だけというより、昔からずっと変わらない感覚かもしれないな。

谷口:たしかにguzuriの周りのあの環境で過ごしていれば、そうなるのかも。

やっぱり笹倉さんから見て「世の中もうちょっと落ち着けよ」って思いますか?

笹倉:いや、そんなことはぜんぜん思わないですね。

都会から離れた環境にあえて自分をおいて時間の流れから身を閉ざすという人もいる思うんですが、そういう感覚ではないと。

笹倉:そうです。

そうか、元々の生活がそこから始まっているわけですものね。だからこそ、アルバムに描かれている光景は、ゆったりしているところもあるんだけど、一方で現代に生きている人が皆感じている時間感覚があるのかもしれないですね。その不思議なバランス感は笹倉さんの音楽の大きな魅力のひとつだなあと感じます。

笹倉:都会も田舎も、どちらも僕は好きですね。

岡田くんと谷口くんのふたりはどうですか? 都会から逃げ出したい願望というか……。

岡田:僕も以前まで福生に住んでいていまは国立だから、そんなバタバタしている感じじゃないですね。

谷口:僕も都心在住ってわけじゃないので。

ああ、そう考えると、OLD DAYS TAILORのメンバーは武蔵野中心にみんなサバーバンな人たちでもあるんだね。そういうみんなの感覚がじんわり出ている気がします。
さて、いよいよリリースになりますが、今後の展望は?

笹倉:この先のことを考えるとなんだか疲れてきてしまって……(笑)

いろんな人にどうやって聴かれるかを想像すると、ってことですか?

笹倉:いまはあんまりそういうことを考えないで音楽に接したいんですよ。ミュージシャン主導でガシガシ宣伝のこととかも考えなきゃやっていけない時代だとは思うんですけど。音楽制作を続けていくなかでもサイクルがあって。いろいろ意識を高く持ってDIYでやっていかなくては、って思うときもあったりするんですけど、いまはもう高校生くらいの気分。

どういうことですか?(笑)

笹倉:これまでずっと自分なりに言葉と音楽の関わりをひたすら考えながらやってきて、今回のアルバムはそのひとつの結果ということになると思うんですけど、今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。でも立ち返るためのいろんなことを考えるとまたそれはそれで面倒くさくて疲れてしまうんだけど……(笑)

このアルバムもそういう気持ちに立ち返りたいというのを念頭に作ったんでしょうか?

笹倉:そうですね。

だからなのか、純粋な音を奏でる歓びに溢れていると思いましたよ。

笹倉:ありがとうござます。だからこそ、こういうことは考えたくないんだけど……やっぱりもちろんたくさんの人に聴いてもらいたいし、売れてほしいな、っていうのはありますね。あれやこれや僕が考える必要がなくなるように(笑)。

7/11にはレコ発公演も予定されていますね。ライヴはどんな感じになりそうですか?

谷口:レコーディングでも、重ねなしのリアルなバンド・サウンドそのままにライヴで再現できるように作られた作品なので、ぜひアンサンブルの気持ち良さをを聴いてほしいですね。

笹倉:なかなかライヴを頻繁にできるバンドではないので、7/11、ぜひ来てほしいです。

楽しみにしています。今日はありがとうござました。

interview with Jim O’Rourke - ele-king

 ジム・オルークのようなミュージシャンについて書くことはつねにひとつの挑戦となる。彼の作品が表面的に見える部分にとどまることはまずありえない。リスナーにたいしていかに作用しているかという部分を見えなくするためのその慎重なメカニズムは、ほとんど不可視の創造的プロセスなのである。おびただしいほどの複雑さや音楽的知性が、まるではじめから存在していたもののように、作品を完全に自然なものにし、わかりやすいものにさえしている。制作のさいに彼がとるアプローチには、アカデミックな訓練からくる要素がはっきりと含まれているにもかかわらず、その一方で、出来上がった音楽のなかには、あふれるほどの情感がこもっている。

 最近の比較的目立ったリリースであり、予期せぬかたちでロック的な作曲に回帰するものだった、2015年の『シンプル・ソングス』は、すぐに親しみをもてるロックなリフレインが、聴く者がどこをどんなふうに旅しているのかをまったく気づかせないままに、未知なる音楽的領域と完全に混じりあうようなものだった。アンビエントにフォーカスをあてた新しいレーベルである〈NEWHERE〉からリリースされた最新作『Sleep Like It’s Winter』で彼は、冷たく、危なっかしく、しかし生気にあふれた、美しい45分のインストゥルメンタルの楽曲とともに、また根本的にまったく別な音の世界に身を置いている。

E王
Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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 『シンプル・ソングス』と『Sleep Like It’s Winter』のあいだに、バンドキャンプ上でおよそ2ヶ月に一度のペースで配信された、オルークの『Streamroom』シリーズとして、22曲の別々の作品がリリースされている。そのうちのいくつかは、アーカイヴから過去の楽曲を発掘して出したもののようだが、これほど急激なリリースの流れのなかにはきっと、彼の制作を解きあかす手がかりとなる何かが見つかるはずだ。じっさい、『Sleep like It’s Winter』の直前に『Streamroom』でリリースされたもののなかには、共通する部分もある。

 アンビエント・ミュージックとは、これほどレイヤーが重ねられ、何層にも織りなされるものではない。それは定義上ほとんど分析を拒否するようなものであり、もっぱら意識の外側の部分に作用するものだ。だがそれにもかかわらず、『Sleep Like It’s Winter』は、聴きかえすたびに新たな発見がもたらされる、さまざまなアイデアに満ちた、非常に意識的なアルバムだと感じさせるものである。


たいていの人はイーノと答えるんでしょうね。だけど私の場合それは、マイケル・ナイマンの『実験音楽 ケージとその後』という本までさかのぼることになると思います。高校生のころに初めて読んだんですが、とてもすばらしい、重要な本です。


一般にアンビエントとかドローンといった言葉で評されている音楽について語るのは難しいと、個人的にはずっと思っていて……。

J:ですよね。じっさい私も、アンビエントの作品を作ってほしいというかたちで依頼されて、だからこそやってみようという気にもなったわけですが、はじめからアンビエントの作品を作ろうとしたりはしませんでしたしね。これがアンビエントのレコードだっていうものよりも、アンビエントに近いものを作ろうという感じです(笑)。私のやっていることはたいてい、〈それに近い〉ことだといえると思います。それは、〈これこそがそれだ〉っていうものとは対立するものなので。

それを聞いて思いだしたのですが、以前にもあなたは、批評家のようなやり方で音楽制作にあたるというご自身のアプローチにもとづいた発言をされていましたね。

J:はい。私は音楽を楽しみのために作っているわけではありません(笑)。たしかにそんなようなことをいいましたね。自分と比べようというわけではないですが、若いころに私は、ゴダールからのある引用を読んだんですよ。それは、「映画について批評する最良の方法は、自分でもう一本映画を作ることだ」というものでした。幸運にもまだ若いころにその言葉を知って以来、その言葉はいまもずっと私に突きささったままで、自分の制作の基礎の部分になっています。

新作にはどのくらいの時間をかけられたんでしょう?

J:だいたい2年です。

制作をはじめられたころはまだ東京に?

J:まだ東京にいました。うん、最初に依頼のあったときは東京でしたね。だけどそのころはまだほかにもいろいろと進行中の仕事がありました。なので最初の6ヶ月はたしか、じっさいに何かはじめるというよりは、いろいろと考えをめぐらせていたという感じだったと思います。いったいぜんたい「アンビエント」ってどんな意味なんだろうとか、世代によっても意味が違ってくるぞとか、そんなようなことについて、いろいろと考えていました。はじめはに依頼されたときは、「新しくアンビエントのレーベルを立ちあげたんです」といわれて、私としてはただ、「ああ、そうですか……」という感じだったんです(笑)。「特定のジャンルのレコードを作る」という発想のもとにレコードを作るなんて、ひどく忌まわしいことな気がして。だけどやってみることに決めました。逆にこんなにゾッとするようなアイデアもないなと思ったからです(笑)。アンビエント・ミュージックが嫌いなわけではありませんよ──そういうことじゃない。自分ならそんなふうに制作にはのぞまないというだけのことです。ともかく、奇妙な依頼だからこそ受けてみようと決めたわけです。

アンビエント・ミュージックと聞いて、あなたがいちばん最初に参照する足場というか、その枠組みになるようなものはなんですか?

J:うーん、たいていの人はイーノと答えるんでしょうね。だけど私の場合それは、マイケル・ナイマンの『実験音楽 ケージとその後』という本までさかのぼることになると思います。高校生のころに初めて読んだんですが、とてもすばらしい、重要な本です。その本のなかで語られていることのなかには、イーノはほんのすこししか出てきませんし、それに(イーノ自身は)まだそのころ、「アンビエント」という言葉は使っていません。かわりに彼が参照しているのは、「家具の音楽」という(エリック・)サティのアイデアです。あとはきっと、イーノの『Discreet Music』のジャケットの裏面だと思います。あのレコードの裏では、ほかでもなく彼自身が作品の背景にあるアイデアを語っていて、あとはそれが技術的にどんなふうに作られたかを示すダイアグラムも載っているんです。あれには若いころ、かなり感化されました。だけど、アンビエント・ミュージックについて考えるとなっても、私はかならずしもイーノのことは考えませんね。というのも私は、イーノのじっさいのアンビエント作品が、つまり彼がその後にむかっていった、『アンビエント』と名づけられた一連の作品が、正直なところそれほど好きじゃないんですよね──彼を尊敬していないというわけじゃないですよ。ただ私の好みではないというだけです。ある意味では、サティによる定義のほうが好きですね。つまりそれは、「家具の音楽」で、ようするにBGMのようなものなんだということです。だとすればそうした音楽は、積極的な目的意識をもって聴かれるためのものじゃないということになりますし、リスナーは、流れてくる音楽の形式的な構造に従う必要はないということにもなるでしょう。サティの定義はある種、「アンビエント」という言葉が何を意味するかという、その言葉の捉え方の変化を促してくれるものだと思います。この作品を作りながら、私にとっていちばん大事だったのは、「ひとが作品の形式的な構造に、完全に見切りをつけてしまおうと決める境界線はどこか」ということであり、「形式的な構造は感じられるままでありながら、それがうるさく迫ってくることのない境界線はどこか」ということでした。

形式的な構造という点で、話をイーノに戻すなら、彼はどこか、音楽から演奏家をすっかり取りのぞいてしまうというアイデアに興味をもっているような部分がある気がします。

J:そいう音楽観は、私も自分の全生涯をかけてすこしずつ、ですが確実にむかっていっているものですね(笑)。その点では、ローランド・カイン(※Roland Kayn/ドイツ出身の現代音楽/電子音楽家)の存在が私にとっていちばん大きかった。彼の音楽はアンビエントだといわれたりしますが、そう呼ぶにしてはあまりに攻撃的すぎます。彼の音楽のアイデアは、システムを生みだしておきながら、あとはそれを好きなようにさせておくというものです。そんなふうに好きなようにさせておいたとしても、当初にあったアイデアが表現されたままであるような、そんなシステムをいかにして作りだすか、そこに挑戦があるわけです。過去10年のイーノの作品のいくつかや、ナンバー・ピースのようなケージの作品のいくつかに注目してみれば、彼らがそうしたシステムを作っているのがわかると思う。ケージ後期のナンバー・ピースはかなりおもしろくて、一見したところそうは見えないにもかかわらず、じっさいにそれを正確に演奏してみようとすると、かなりの厳密さが要求されるものなんですよね。カインのような人物や、イーノがやっていたこと、とくに70年代にやっていたことからいえるのは、彼らは、いずれにしろ何かしらの成果はもとめていつつも、だけどそれにたいして自分からはけっして干渉しようとはしないということだと思います。


このところ、だいたい2ヶ月に一度くらいはバンドキャンプ上に新しいものをアップされていますね。ああしたものを聴いていると、リアルタイムにではないですが、この最近あなたが何をしているか、もうだいたい把握しているような気分になります。

J:そうですね。バンドキャンプは、インターネットが生みだしたもののなかでも、例外的に好きなもののひとつなんです。聴きたいひとが50人しかいなかろうが、とにかくそこで聴けるというところが気に入っています。レコードをリリースすることで生じてしまういろんなこととは一切なんの関係もなくいられるなら、それにこしたことはありませんからね。わかってもらえると思いますが、私にとって、作品ができあがったらもうそこで終わりなんです。そのときにはもう私は、別のどこかへむかっていますからね。

そんなふうにバンドキャンプで発表された作品は、今回のアルバムに何か影響を与えましたか?

J:あのなかのひとつかふたつは、今回のアルバムの失敗したヴァージョンだといえるかもしれません(笑)。正直にいってバンドキャンプの曲は、ああいうものが聴きたいひとたちのなかの、50人とか80人のためのものなんです。「ほら、みんなこんな感じのが聴きたいんだろ、聴いてみてくれよ」っていうふうにやっているだけです。あんな感じのものは今回の作品には関係ないですね。バンドキャンプの作品にかんしていえば、80曲なら80とおりの失敗した部分があるっていう感じですかね。


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90年代の黒沢清は、この点で他の追随を許さない存在でした。たとえば『蛇の道』とか『蜘蛛の瞳』といった作品のなかで彼は、並外れたやり方で時間の問題を扱っています。ひとつのイメージに結びつけられて見られていたものを再構成し、そのなかで生まれていた時間についての知覚を再構成すること、それが彼のやり方です。


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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今回のアルバム『Sleep Like It’s Winter』のなかには、聴覚のぎりぎりの部分で聴こえてくるような音がたくさんありますね。音があらためて鳴りはじめるまでのすこしのあいだ、ほとんどまったくの沈黙(サイレンス)がおとずれることもあります。

J:うん、そうですね。80年代の後半とか90年代のはじめのころの、ごく初期の私の作品の多くには、かなりそういうものがありました。ですが若かったのもあって、まだほかの人のやり方を真似しているだけでした。私は沈黙を真似していたわけです(笑)。じっさい当時は真似したくなるようなものがたくさんあって、たとえば(ジャチント・)シェルチ(※Giacinto Scelsi/イタリア出身の現代音楽/電子音楽家)のやっていたことなんかは、大学時代ものすごくのめりこみましたね。あとは、やはりはまっていたリュック・フェラーリ(※Luc Ferrari/フランスの現代音楽/電子音楽家)の作品の多くのなかにある沈黙の意味について、真剣に考えてみたりとか。あと当時は、ハフラー・トリオとかP-16.D4(※80年代ドイツの電子ノイズ・プロジェクト)といったわけのわからないものもありました。ですが、ああいうものを本当に理解できるようになったのは、もっとずっとあとになってからでした。沈黙というのは、ラウドな部分と同じように、強弱法の一部なんです。じっさいに何かを聴く行為のなかでは、時間というものがいろいろなことを意味するものです。そして時間は、何かしらの音が流れているよりも、沈黙のなかでこそ、決定的なかたち知覚されるものです。だから沈黙とはそのまま時間でもあるといえると思います。できることなら私としては、沈黙の使い方によって、時間の知覚のされ方を拡張したいと考えてるんです──上手い具合にドラムのフィルインが入っているのと同じようなことですね。

つまり沈黙は、作品の全体的なリズムとして機能しうるということですね。

J:そう、まさにそのとおりです。今回の作品を作るにあたって、もうひとつ何度も考えたのは、作品が「アンビエント」だからといって、あるいはパーカッションの要素とかそういったものがないからといって、そこにリズムがないわけではないということです。なので、リズムの役割とは何かとか、リズムがそれ自身を主張するにはどうしたらいいかとかといったことについても、かなり考えてみる必要がありました。沈黙というのもそういう問題の一部なんです。つまり、沈黙も音声上の句読法の一種で、カンマとか、ピリオドとか、あるいはセミコロンのようなものでありえるわけですよ。もちろんその前に何があって、そのあとに何がくるかも重要ですが、大事なのは、ピリオドやカンマのあいだにある違いに気づくことができるようになるということです。今回の作品には決定的な沈黙の瞬間がひとつあって、それはカンマとして機能しています。それともう一箇所、3つのピリオドが連続して出てくる箇所もあります。すくなくとも私としてはそんなふうに考えていますね。

今回の制作をとおして、アンビエント・ミュージックのなかにもクリシェがあると思われましたか?

J:はい、それはもう完全にあります。これは制作をはじめる前からわかっていたことでもあります。というのも、私がアンビエント・ミュージックを聴かない理由は主にそれですからね。ようするに、本当に多くのアンビエントの作品がメジャー・セブンス・コードで、ハーモニーが重要視されているものばかり──つまりどうやってそれでハーモニーを生みだすかを考えているものばかりだったわけです。あとは、メジャー・ナインスもすごく多い。パーフェクト・フィフス以外では、アンビエント・ミュージックのなかで、このふたつがハーモニーをかたちづくるもので、それをつかってどうやってハーモニーを作るかが、アンビエントの問題だというわけです! 私としてはむしろ、倍音に近いものを生みだしたかったので、ハーモニーは欲しくありませんでした。ドローン風のやり方の場合、本当に問題になるのは倍音で、ハーモニーではないからです──とはいえ、こういうことは制作を進めながらその場で気づいていったことですけどね。記憶しているかぎり、失敗したヴァージョンはすべて、このふたつが混ざりあってしまっているようなものです。一度録音が終わってしまうと、ミックスの作業のあとであらためてそれを聴いたのはマスタリングのときだけで、だから、作品がどんなふうなのかは、いまはもう忘れてしまっているところがあるんですよね。失敗したものからはとても多くのものを学びましたが、できあがったものから何か学んだかといえば、ちょっと心もとないですね。答えが見つかったというより、次の問いが見つかった感じというか。これはいつものことで、ようするに私は、答えを信じてはいないんです。ある問題の解決というのは、さらに次の問いへと続いていくべきだと思っています。

まるで特定のジャンルで制作している映画監督みたいですね。あなたは、こんなふうに選ぶわけです。「あの定型を使ってすこし遊んでみようかな。いやそれとも、いっそあの定型をめちゃくちゃにしてみるのもいいな」と。

J:それはとてもよくできた喩えですね。というのも、若いときの私は、音楽なんかよりもずっと、そういうタイプの映画監督に影響されたんですよ。いつか映画監督になりたいとずっと思っていました。ですがそれには金がかかりすぎるし、だいたいどんなふうに生きていかなきゃならないかわかってしまって、けっきょく実現はしませんでしたけどね。ロバート・アルドリッチとか、リチャード・フライシャーみたいな監督には本当に影響されました。彼らは、そうしたジャルルの定型という檻のなかに身を置いているにもかかわらず、ほんとうにいろんなことをやっているんですよ。そういうところを見るのが好きでした。ウィリアム・フリードキンなんかは、私のスーパーヒーローです。本当に好きですね。『L.A.大捜査線/狼たちの街』のような映画がジャンルの決まりごとをどう扱っているかを見ると、まったく驚くべきものがありますよ。いまでは真正面からこちらを睨みつけてくるその特大サイズのポスターを持っているほどです。さっきいった制作についての考え方は、ほかの何にもまして、本当に、映画に由来しているものなんです。とにかく映画からはいろんなアプローチの仕方を学びました。

たしかに、かなり簡潔なまとまりのなかでストーリーが語られるポップ・ミュージックと比べると、たったひとつの要素がアルバム全体にまで拡張されたようなものであるアンビエント・ミュージックは、より映画的なリズムのなかで展開していくものかもしれませんね。

J:そうですね。構造についていえば、ほかの芸術の形式と比較したとき、音楽が雄弁には伝えることのできないものとして、時間を後ろむきに扱うことが挙げられると思います。音楽が時間を変えられるとしても、それは何かしらの参照軸を作ることをとおしてのことです。音楽が形式的な構造をもってはじめて、つまり構造的な参照軸やメロディーによる参照軸をもってはじめて、それが可能になるわけです。ですがもしそれが、たんに何かを思いだされるだけなら、時間を再構成したことにはなりません。90年代の黒沢清は、この点で他の追随を許さない存在でした。たとえば『蛇の道』とか『蜘蛛の瞳』といった作品のなかで彼は、並外れたやり方で時間の問題を扱っています。ひとつのイメージに結びつけられて見られていたものを再構成し、そのなかで生まれていた時間についての知覚を再構成すること、それが彼のやり方です。そんなふうにして、たったひとつのイメージからでさえ時間についての知覚を変えてしまうのです。視覚芸術にはこうしたことが可能ですし、いうまでもなく文章を書くことでもそれは可能です。だけど、それほど雄弁な仕方でそうした問題を扱うツールが、音楽にはない。かなり不器用なかたちでしかできないんです。私が大学のころから興味をもってきたのは、そうしたことです。シュトックハウゼンとか、ああいったものについて学んでいたのも、そういう問題に興味があったからでした。一連の「モメンテ」作品を制作していたシュトックハウゼンには、つねにこの問題があった。60年代から70年代にかけて、シュトックハウゼンのような作曲家たちは、音楽のなかに時間の問題をもちこんだわけです。とはいえ、じっさい驚くような成果も生まれてはいますが、いずれにしても上手くいっているとはいえないと思います。時間の問題は、音楽というジャンルのなかでいまだに問われるべきものとしてありますし、私もそれについて多くのことを考えつづけています。そしてこの問題を定期的に思いださせてくれるのは、やはり音楽よりも映画なんですよね。


ちょっと馬鹿げた例ですが、若いとき、毎年『裸のランチ』を読んでいて、読みかえすたびに、本についてよりも自分自身について学んでいることに気づいたんです。本が変わるのではなく、自分自身が変わっているのがわかったわけです。いうまでもなく本の内容が変わることはない。書かれてることは以前から変わらないですからね。


あなたは以前、音楽を制作するにあたって、定期的に自分自身を妨げるものを生みだすんだとおっしゃっていましたね。

J:いまはかつてほどではないですね。たしかにいまより若いころは、そんなふうにすることが必要だと考えていました。なんというか、いまは自然に自分自身を失敗させることができている感じです。ことさらに意識してやっているわけではなくて、私の脳がそういうふうに働いているということですかね。若いころはそうしなければいけないと思っていたわけですが。若いころといえば、そのころはまだ制作に使ういろいろな道具がなかったじゃないですか。あれは素晴らしいことですよ。道具ばかりが増えすぎてしまうのは本当に最悪なことです。道具を持てば持つほど、できることは少なくなっていく。「ああしたものには触れずにおこう」と考えることは、それ自体具体的な制約になりますからね。じっさい、この作品に使われている楽器は3つだけです──あ、失礼、4つですね。短波ラジオを楽器と見なすなら4つです。

この作品ではどなたかとのコラボレーションはありますか? それともすべてご自分で?

J:私だけです。ドラムを入れてもらおうかという計画もあったんですが、実現はしませんでした。だから、ハードディスクのなかが、使わなかったドラム入りのヴァージョンでいっぱいになっていますよ(笑)。

いまは地方にお住いなわけですが、引っ越されたことは作品に影響を与えているのでしょうか?

J:以前より制作に集中するようになったことですね。集中力を途切れさるものがあまりないので。20代前半の感じにすごく近くなっていると思います。何日も徹夜なんてこともあるくらいで。テープ・マシンをもって部屋にひきこもって、あとはもうノンストップで作業したり。いますぐにまたやりたいかといわれたらそうでもないですが、ともかくこのところは、もう一度そんな心構えをもつことができるようになりました。これは長い間できていなかったことです。

あなたは「ジム・オルーク」という名義で幅の広い音楽をプロデュースされていますが、とくに日本では、「今回はこういうプロジェクトで、こういう感じの音なんだ」というような理解がはびこっているように思います。前に私の友人がライヴをやったんですが、終わったあとに、会場のマネージャーがこんなふうにいったんです。「うーん、これなら3つの別のバンドに分けてやるべきだな」。

J:そうですね。それはとても還元的な考え方です。そしてそういう考え方はたしかに、ほかのどこよりも日本のなかで共有されてしまっているものかもしれませんね。

以前あなたは、アーティストの仕事を、バラバラなものとしてではなく総体として考えるには、いまは厳しい時代になっているとおっしゃていましたね。

J:はい、音楽の場合はその傾向がより顕著だと思います。たとえば、誰かが「ヒッチコック」といったとします──この場合ひとは、自分の好きなひとつかふたつの映画のことをいっていて、「ヒッチコックの作品」全般についていっているわけではない。こういうことが音楽の世界で一般的なものになってしまっているんですよ。というのも、音楽の世界は、そうした社会的で政治的な考え方とはっきりと結びついているからです。でも、それをどう考えるかというよりも、何よりもまず商品として存在せざるをえないポピュラー・ミュージックの分野では、そういうふうに考えるひとはそれほど多くはありません。好きか嫌いかという話とは別に、フランク・ザッパは例外的な見られ方をしている人物ですね。だいたいいつもロック・バンドと一緒にレコードを制作していたにもかかわらず、ひとは「フランク・ザッパの作品」全体について考えています。あとは、たとえばボブ・ディランのような人物もそんなふうに考えられていますね。だけどいずれにしろ彼らは例外で、一般的にはそうではない。

では、ご自分の音楽のなかには、つねに回帰するようなテーマがあるとお考えですか?

J:まったくそう思いますね(笑)! どれも同じですよ。本当に同じことをやっているだけです。ピカソ本人だったか、別の誰かだったかが、ピカソの作品についていったことと同じです。「何度も何度も、ただ同じ絵ばかりを描いている」って。

『シンプ・ソングス』のようなアルバムと、今回の『Sleep Like It’s Winter』のようなアルバムとの関連性についてはどうお考えですか? あるいはカフカ鼾の『Nemutte』のような作品との関連についてはいかがでしょう?

J:私が作った、ということでしょうかね(笑)。冗談のように聞こえるかもしれませんが、ある意味で、その質問にたいする答えとしてはこれがベストだと思います。私がやろうとしていることのある側面が、ほかのものよりもよりはっきりと出ているということはあるかもしれませんが、いずれにしてもそれは、どのアルバムにも含まれていることだと思います。

私の聴いたかぎりでは、それぞれの作品をつなげているのは、要素が移りかわっていくときに聞こえてくる多様なレイヤーの存在ではないかと思うのですが。

J:『The Visitor』という作品は聴いてもらえましたか?

ええ。とはいえ、じつは今日はじめて聴いたのですが。

J:あの作品がたぶん、いちばん上手くいったものだと思います。いろいろ改善するべきとことはありますが、やってみたいと思っていた音楽にいちばん近いのはあれです。あれはもう全体が、いまおっしゃったような要素の移りかわりにかかわっているものですね、本当に──クレイマーなら、「あっちにいったりこっちにいったりしてどうしようもねえ!」って叫ぶところですよ(※クレイマーとは、『となりのサインフェルド』というアメリカのコメディ・ドラマでマイケル・リチャーズが演じている登場人物。彼が下着をブリーフからボクサーパンツに変えたら、陰嚢が揺れてまったく最悪だよ、というシーンから)。だけどそういう移りかわりについては、理論の上で考えるわけではないんです──つまり、「よし、このへんでちょっと雰囲気を変えてみよう」というふうに考えたりするわけじゃない──理論にもとづいたアイデアとか実践じゃなくて、じっさいにいろいろな要素を一緒にするときに、たいていの場合ああいうかたちになる、ってことなんですよ。絨毯を織るような感じですね。上手いアナロジーかどうかはわかりませんが、ようは、自分のやったことを音楽をとおして見せびらかすべきじゃない、っていうことです。全体をひとつにまとめるという部分に注目して見るなら、よくできた絨毯ていうのは、作り手の技術が、全体から受ける印象よりも悪目立ちしていないものであるべきですよね。だから、音楽制作のなかでいちばん難しいもの──それは作為を隠すことです。作為は隠されるべきです。この点は私にとって、本当に、ものすごく重要なことですね。

いまおっしゃったようなことは、ずっとあなたの制作の鍵になるものだったわけでしょうか?

J:ずっと考えていたことですね。いつからそんなふうに思うようになったのかは思いだせませんが、かなり若いころからそう考えていました。たぶん、そうですね……91年とか92年ごろ、それが生みだしているはずのもの以上に作品を過剰に飾りたてる習慣から抜けだしたころからだと思います。作為を隠すこと自体が、なくてはならない制作の一部なんです。制作の大部分は、それを隠すことにある。それを殺してしまうために命を与えなくてはならないものがあるわけです。いっている意味がわかってもらえますかね?(笑)

たしかに、最近のあなたの作品を聴く楽しみのひとつに、繰りかえし聴いているうちに、まったく別なものとして聴こえてくるということがありますね。

J:それを聞いて思いだしたことがあります。前にもいったことですが、私にとってすごく大事なことで、いまおっしゃったことに真正面から関係することです。高校生のころ、家から200ヤードくらいのところに映画館があって、毎日のようにかよっているうちに、だんだんとタダでいれてくれるようになったんです。だから本当に毎日かよっていたんですが、そんなかである日、やっぱり映画にいこうとすると、父がいうんです。「あの映画はもう観たじゃないか。なんでまた観にいくんだ?」。そこで私は答えんたです。だいたいこんな意味のことでした。「たくさんのひとが、たとえば1年とかそのくらいの月日をかけて、自分の人生をその映画を作るために捧げているんだよ。2時間でそれが全部理解できるなんてふうに考えるほど傲慢なことはないじゃないか」。映画の素晴らしいところは、たとえばこういうところです。いい映画ほど、その表面にすべてがあらわれることはない。コースのディナーみたいに、なんでもかんでも目の前に給仕してくれるわけではないわけです。見る者が自分から掘りさげる必要があるし、そういった共鳴がなければ機能しないものがそのなかにはある。これはとても大事なことだと思います。時間をかければかけるほど、共鳴する部分は増えていくんですよ。ちょっと馬鹿げた例ですが、若いとき、毎年『裸のランチ』を読んでいて、読みかえすたびに、本についてよりも自分自身について学んでいることに気づいたんです。本が変わるのではなく、自分自身が変わっているのがわかったわけです。いうまでもなく本の内容が変わることはない。書かれてることは以前から変わらないですからね。それもまた若いときの、とても印象ぶかい思い出のひとつですね。

いまのお話はきっと、何かに入りこんでいく自分なりの道を見つけるために、余白になるような部分をもっておくことが大事だという話ともいえるかもしれませんね。私の場合、ボウイに興味をもつまでにものすごく時間がかかったんですが、それは彼のことを「古典的なロック」と決めてかかってしまっていたからでした。だけどそんなレッテルは邪魔なものでしかなかった。ボウイの作品にはとても多くの入り口があって、だんだんと自分にあった入り口がわかっていったんです。

J:わかります。私の場合は、何年か前のキース・ジャレットですね。ECMは大好きで──とくに70年代のECMはずっと聴いてきたものでもあるので、もちろん彼のことは知ってはいましたし、好きだろうなとは思っていて、レコードも聴いてみるべきだと思っていました。それにいうまでもなく彼は、その世界におけるとても優れた人物で、しかもそれは、昨日今日の話ではないですからね。ですが最終的に彼のことがよくわかるようになったのは、本当にこの2、3年なんです……。

わかります。私がいいたいのは、入り口のドアはひとつじゃないということです。たくさんのドアがあって、私は自分自身のドアを見つけなくてはいけなかったわけです。

J:そうですね。きっかけになるようなひとつのドアがあるべきで、一度それを開けてしまえば、ほかのものは関係なくなってしまうんだと思います。それはちょうど……(笑)いやすみません、なんだか急にジェネシスの曲(※おそらく“The Chamber of 32 Doors”のことと思われる)のことを思いだしてしまった、申し訳ない!

ジェネシスの名前を出したからって謝ることはないですよ!

J:いえ、ジェネシスの名前を出したからといって謝るつもりはありません! 私ほどのジェネシス・ファンはそうはいないはずです──もちろん、ピーターが在籍していたころの話ですけどね。『眩惑のブロードウェイ』はいまでもずっと好きなアルバムです。それにしても、昔はジェネシスの名前を出したからって気まずい思いをすることなんてなかったんですけどね。

「ジェネシスの名前を出したからといって謝るつもりはありません!」 いい言葉です。このインタヴューを締めくくるのにぴったりかもしれませんね。どうもありがとうございました!

Mouse On Mars - ele-king

 ボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンとザ・ナショナルのアーロン・デスナーがウィスコンシン州で主宰するフェスティヴァル〈Eaux Claires〉は、実際に行って感じたことだが、非常にDIY的な感覚で貫かれた場だ。大企業よりは地元の顔なじみの企業がスポンサーに入り、集客のためよりはミュージシャン同士の音楽的なネットワークを可視化するためにラインナップを決める。ミュージシャンシップによってジャンルを横断し、大勢の人間や価値観がひとつの場所に集うという感覚――とりわけ、ボン・イヴェールの作品や活動に貫かれているのは、この「シェア」という感覚である。いま、ヴァーノンが音楽仲間たちと取り組んでいるコレクティヴ・プロジェクトの名前はズバリ「PEOPLE」だ。
 「PEOPLE」のラインアップには、そして、ヤン・ヴァーナーとアンディ・トマの名前もある。マウス・オン・マーズのオリジナル・アルバムとしては6年ぶり、通算11作めとなる『ディメンショナル・ピープル』は、彼らが〈Eaux Claires〉に参加した経験がかなりの部分で基になっている作品だ。大勢のゲストが参加しているという点ではコンピレーション作『21アゲイン』(14)の発想を推し進めていると言えるが、同作がモードセレクターはじめ基本的にエレクトロニック・ミュージック系のネットワークを駆使していたことに比べると、『ディメンショナル・ピープル』に現れるメンツはジャンル的に非常に多彩。ボン・イヴェール、ザ・ナショナルはもちろんのこと、サム・アミドン、ベイルート、リサ・ハニガンといったインディ・ロック/フォーク勢をはじめとして、スパンク・ロックやアマンダ・ブランク、さらには超大御所ソウル・シンガーであるスワンプ・ドッグといった意外なメンツはすべて、〈Eaux Claires〉に由来している。そしてまた、コンセプトが社会主義だというのも……ボン・イヴェールが社会主義者とまでは思わないが、「民主社会主義」を繰り返し唱えていたバーニー・サンダースの演説大会の前説をヴァーノンが担当していたことを思えば、そう遠くないと言えるだろう。少なくとも、「シェア」という感覚こそが本作のもっとも重要なテーゼである。

 アルバムはそのヴァーノンが参加し、パート1~3で構成されるタイトル・トラック“Dimensional People”から始まる。ジューク/フットワークを意識したと思われるビートがせわしなく跳ねまわるが、ジューク/フットワークではない。フリージャズとダブ、アフロビートがたっぷりと注がれたすさまじくファンキーなIDMであり、それはやがてアンビエントへと姿を変えていく。このトラックがよく本作のモードを表していて、前作『パラストロフィックス』のエレクトロニックな質感に比べてオーガニックな音色とジャンルの積極的な衝突/融合が特徴だ。管弦楽器のアンサンブルや人声が要所で施され、大勢の人間がひとつの部屋にいる情景が何度も喚起される。IDMとポスト・ロックの交流に熱があった2000年前後の空気が、現代的に更新されていると言えばいいだろうか。久しぶりの〈スリル・ジョッキー〉作だというのも本作のトピックだ。
 雑多な人間によるアンサンブルという点では発想的にボン・イヴェールと共通しているのだが、やはりというか何というか、もっとも異なるのはマウス・オン・マーズらしい素っ頓狂なユーモアが張り巡らされていることである。やる気が感じられない脱力しきったアブストラクト・ヒップホップ“Foul Mouth”、カントリー・ドローンとでも呼びたくなる“Parliament Of Aliens”、パーカッシヴでつんのめるグルーヴが躍動するメタ・ファンク“Daylight”と、爆笑ではなく思わず小さく噴き出してしまう妙ちくりんなトラックが並ぶ。きめ細かさもあるが、それを崩す余裕もある。このおかしなサウンドはマウス・オン・マーズが開発したというアプリであるElastic DrumsやfluXpadが駆使されてできたものだそうだが、テクノロジーを理知的に利用するというよりは、ただおもしろがって遊んでいるといった感じだ。実際、ヴァーノンはじめ本作に参加したメンバーがアプリで遊ぶ動画がいくつか公開されているが、みんな純粋に楽しそうだ。子どものように音を変形させ、笑っている。

 紙ele-king vol.22に掲載されたヤン・ヴァーナーの発言を読めば、彼らが真剣に社会主義の発想を現代に生かせないか、と考えたことがわかる。資本や富を分かち合うこと、対話すること、多様な価値観を認め合うこと。OPNの『エイジ・オブ』がアンチ・ヒューマニズム的な見解からエレクトロニック・ミュージックの更新を(ある意味、トレンディに)目論んでいるとすれば、マウス・オン・マーズのIDMは頑なにヒューマニズムを貫こうとしている。だがそれは頑固とはほど遠い柔軟なもので、大勢の人間のアンサンブルの目標を(予定)調和に予め設定してしまうのではなく、偶発性や事故を能動的に楽しもうとする態度である。多様性とはそういうことなのだ、と。ベイルートのザック・コンドンとスワンプ・ドッグが参加したなかばドリーミーなクロージング・トラック“Sidney In A Cup”のピースフルな音の戯れを聴いていると、ここにマウス・オン・マーズの最新の理想主義が示されているように思えてくる。


TOKYO CUTTING EDGE vol.02 - ele-king

 avex内のレーベル、cutting edge主催のイヴェント『TOKYO CUTTING EDGE vol.02』に、Chim↑Pomがインスタレーションで参加する。また、TOKYO GIRLS COLLECTIONなどの会場装飾を手がけるバルーンアーティスト・Bashicoが場内のディスプレイを担当する事が発表された。
 おっと、ちなみに出演者は、長岡亮介、SHINICHI OSAWA (MONDO GROSSO)、WONKに加えて、 jan and naomi やEYEの名の加わっています。金曜日の夜の贅沢な一夜になりそう。

TOKYO CUTTING EDGE vol.02

【日時・会場】
2018年7月6日(金曜日)  LIQUIDROOM
開場/開演 24:00 ~ 終演 28:30予定

【出演】
LIVE:長岡亮介 / jan and naomi / WONK
DJ:SHINICHI OSAWA (MONDO GROSSO) / EYE (BOREDOMS) / AYASHIGE (wrench)
Installation:Chim↑Pom
Balloon Display:Bashico

【チケット】
 一般発売
 2018年5月31日(木)10:00~
 Yahoo!チケット https://r.y-tickets.jp/tce1802
 チケットぴあ https://w.pia.jp/t/tokyocuttingedge/
 イープラス https://eplus.jp/tce2/
 ローソンチケット https://l-tike.com/tokyocuttingedge02-lawson/


*年齢制限
 ※本公演は深夜公演のため20歳未満の方のご入場はお断り致します。 本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポート/顔写真付き住民基本台帳カード/顔写真付きマイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/顔写真付き社員証/顔写真付き学生証)をご提示いただきます。身分証をご提示頂けない場合は、前売りチケットをお持ちの方でもご入場頂けませんのでご注意下さい。
※全てコピー・画像及び期限切れは不可。
※身分証をご掲示頂けず、ご入場出来ない場合であっても、チケット代の払い戻しは一切致しません。
https://cuttingedge-tokyo.jp/
info
LIQUIDROOM 03(5464)0800

COSMIC TEMPLE - ele-king

最高にクールなリズム・セクションを紹介させてくれ。
ジャズ、テクノ、ダブ、ヒップホップ、なにを載せてもびくともせず、猛烈に疾走するグルーヴ・エンジン。
窓の外には一瞬先の未来がかいま見える。

扉が開いた。なにかを掘り当てちゃった感じがする。
コズミック・テンプルのふたりがどうやってこの扉を開く鍵を見つけたのかはわからない。
だが、彼らはおのれの力で鍵を探り当て、扉を開いた。
とめどなく奔流のように流れるクリエイティヴなエネルギー。

クリエイションとは一瞬先の未来をかいま見ること。
すべては人生のすべてを賭けた壮大な洒落でもあり真剣勝負でもある。

心の奥深いところに入ってきてスイッチを入れてくれる。
自分のなかにまだ美しいものがたくさんあったなって気づかせてくれる。

コズミック・テンプル!

色即是空、空即是色。
お釈迦様も須弥山のサイファーでスティック片手にウインクしてるぜ、きっと。
(春日正信)

quasimodeのリズム・セクション、須長和広と今泉総之輔による「コズミック・テンプル」が7月4日に1stアルバム『TEMPLE and TREE means like a COSMIC』をリリースします。
6月26日にはApple MusicとSpotifyでアルバム先行配信開始。同日、渋谷Milky wayでライヴを行います。

Apple Music
https://itunes.apple.com/jp/album/1393926634

■リンク(Spotify)
Spotify

■配信ライヴ情報
7月4日のリリース当日には、全世界に向けてライヴ中継を配信します。

■アルバム情報

COSMIC TEMPLE
TEMPLE and TREE means like a COSMIC
Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXGS4N3

interview with Jim O’Rourke - ele-king


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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Writing about a musician like Jim O’Rourke is always a challenge. His work is rarely what it seems to be on the surface, its mechanisms carefully concealed so that how it works on you as a listener is the result of an almost invisible creative process. A huge amount of complexity and musical intelligence underscores music that feels completely natural and even obvious, as if it’s always existed. If his creative approach includes a strong element of academic discipline, his finished music nonetheless has a lot of heart.
On O’Rourke’s previous relatively high-profile release, his unexpected 2015 return to something like rock songwriting with Simple Songs, instantly familiar-sounding rock hooks would merge imperceptably into completely unexpected musical territory without you ever noticing how you’d travelled. His latest album, Sleep Like It’s Winter, released from the new, ambient-focused NEWHERE label, sees him in a radically a different sonic landscape again, with an icy, uneasy, breathtakingly beautiful 45-minute instrumental track.
Between Simple Songs and Sleep Like It’s Winter lie twenty-two separate releases in O’Rourke’s Steamroom series, which he puts out at a rate of about one every couple of months from his Bandcamp page. While some of these releases are old tracks deemed worthy of exhuming from his archives, this rapid flow of releases may also include something for those of us hoping to find clues as to his working. Certainly some of the Steamroom releases that most immediately preceded Sleep Like It’s Winter share similarities.
None of them are quite as richly layered and textured though, and while ambient music is almost by definition music that defies analysis, working primarily on the fringes of consciousness, Sleep Like It’s Winter at the same time feels like a very conscious album, full of ideas and revealing something new on every listen.

I mean, most people would say Eno. Actually it would go back to Michael Nyman’s book Experimental Music: Cage and Beyond. It’s a great, important book that I read when I was in high school.

I:
I always find it a bit difficult to talk about music that often gets described as ambient or drone…

J:
Right, well, the fact that they even asked me to make an ambient record for them, that’s why I decided to take the challenge. I didn’t set out to make an ambient record but it’s sort of about making an ambient record more than it’s an ambient record (laughing) you know? Pretty much everything I do is about what it is as opposed to being it.

I:
You’ve said before something along the lines of that you approach making music in a way kind of like a critic.

J:
Yeah, I don’t make music ‘cause I enjoy it. (Laughs) Yeah, I have said something like that. I’m not comparing myself to him but when I was young I read this quote from Godard where he said, “The best way to critique a film is to make another film,” and that stuck with me since I luckily read that as a young boy. That’s fundamental to how I work.

I:
How long did this new album take?

J:
That took about two years.

I:
Were you still living in Tokyo when you started work on it?

J:
I was still in Tokyo, yes, when they first asked me. But there was also a lot of extraneous work around that time also because I was moving. So the first six months of working on it was probably more thinking than actually putting anything down. Just thinking about what the hell that term “ambient” meant, and it means different things to different generations. At the beginning, when they asked me, it was like “We’re starting an ambient label,” and I was like, “Okay…” (laughs) Just making any record in terms of “make a record in this genre” is anathema to me, but I decided to do it because it was such a revolting idea! (Laughs) Not that I dislike ambient music – I don’t mean that. That’s just not the way I think when I make things, so it was such a bizarre proposal that I decided to do it.

I:
For ambient music what is your first natural frame of reference?

J:
I mean, most people would say Eno. Actually it would go back to Michael Nyman’s book Experimental Music: Cage and Beyond. It’s a great, important book that I read when I was in high school. There’s a bit about Eno in there talking about, and (Eno) didn’t use the word “ambient” yet, he refers (Erik) Satie’s idea of “furniture music”. And it might be on the back of his Discreet Music record, which was a big deal for me when I was a kid, because on the back of the record it’s all just him talking about these ideas and there’s also diagrams of technically how he made the music. When I think of ambient music I don’t necessarily think of Eno because Eno’s actual ambient music, when he moved on, you know those “Ambient” records, I actually don’t like those very much – no disrespect to him, but it’s just not my cup of tea. In a way I like Satie’s definition of it more: that it’s “furniture music”, that it’s like BGM: it’s not something that’s meant to be listened to with the active mind, which implies that you’re not following the formal structure of what’s going on. So it’s a sort of shift of standpoint that means “ambient” to me. For me, in making this record, the most important thing was, “Where is a line where you decide to give up on formal structures completely?” and, “Where is a line where formal structures can still be perceived but they’re not being shouted at you?”

I:
Speaking of formal structures, going back to Eno, he often seems interested in the idea of taking the musician completely out of the music

J:
For me, in that way of thinking of music, which I’ve been moving towards my entire life slowly but surely (laughs), Roland Kayn was the biggest guy for me. Someone could call his music ambient but it’s way too aggressive for that. The idea of his music is you create the system and then you just let it go. The challenge is how can you create a system that still represents the ideas even though you’ve let it go. If you look at some of the last decade or so of Cage’s scores, like the number pieces, they create these systems. These later Number Pieces of his are really interesting because, if you do them correctly, they’re really constraining even though they don’t seem to be. Whereas someone like Kayn and what Brian Eno were doing, especially in the 70’s, they still want a result but they want to be hands off about it.

I:
For those of us listening to you, it’s almost like we get to hear you, well not in real time but now it almost feels like every couple of months there’s a new thing on Bandcamp

J:
Yeah, Bandcamp is one of the few things the internet has created that I really like. I do like that it’s just there for the fifty people who want it and nothing else gets attached to it. Everything that comes with releasing records, if I have nothing to do with it that’s the happiest I could possibly be. For me, you’ve got to understand, once it’s done it’s done: I’m already gone.

I:
Did your work on those releases inform your work on this new album?

J:
I think one or two might have been failed versions. (Laughs) I mean the Bandcamp stuff, honestly it’s for the 50 or 80 people out there who want to hear that stuff. It’s just being able to be, “Here, you guys want this: go ahead.” Not that I don’t put as much work into those things. For every Bandcamp work I put up, there’s like 80 failed Bandcamp things.

I:
In Sleep Like it’s Winter, there are a lot of sounds that are happening just on the edge of hearing, where it drops to near silence for a while before the sounds build back up again.

J:
Yeah, that’s true. A lot of my really early stuff in the late ’80’s, early ’90’s was a lot of that but I think, because I was young, I was still in the mode of imitating people. I was imitating silence (laughs) because there’s a lot of that, especially in (Giaconto) Scelsi’s music, which I was really really into when I was in college. And I really appreciated the amount of silence in a lot of Luc Ferrari’s work, which I was also really really into.
Also, at that time, things like the Hafler Trio, P-16 D4a, blah blah blah, but I don’t think I really understood how to use that until later in life. Because silence is just as much a part of the dynamic as something loud. In the act of actually listening to something, time means a lot and silence is also time because you perceive time differently in silence than time with sound. Hopefully, the use of silence stretches your perception of time – it’s the same thing as having a good drum fill or something.

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Well, in terms of structure, the one thing that music can’t really do eloquently, like the other art forms, is deal with time backwards. Music can really only change time by making reference, and that can only be done if the music has a formal structure because you’re making structural reference or a melodic reference.

I:
So silence can be a function of the overall rhythm of the piece.

J:
Right, yes, exactly, yeah. Another thing I had to think about a lot when making this record is the idea that just because the music is “ambient” and doesn’t have percussion elements or whatever, that doesn’t mean it doesn’t have a rhythm. So, what role does rhythm take in this and how does it manifest itself is also something I had to think about a lot. And silence is part of that. Silence is kind of like an audio punctuation as well and it can be a comma or it can be a period. Or a semi-colon. Of course it matters what comes before and what comes after, but you really can hear the difference between a period and a comma. There’s definitely a moment of silence on this record that’s a comma and then there’s one that’s 3 periods in a row. At least that’s the way I think of it.

I:
Did you find, while making this record that there are cliches in ambient music?

J:
Oh, there definitely are. I kind of knew them before I started this because that’s mostly the reason I don’t listen to ambient music. I mean, pretty much all ambient music is major 7th chords, so harmony was going to be a big deal – how to approach harmony with this. Major 9th is also very popular: those are the two go-to harmonies in ambient music, if it isn’t just a perfect 5th. How to deal with harmony on this! I didn’t want it to just be about the overtones, because with the drone route really you’re dealing with overtones and not dealing with harmony – that was something I knew firsthand from doing it. In my memory, all the failed versions are sort of mixed up in it. Once I’ve finished the record, the only time I’ve heard it since mixing it is to check the mastering, so I kind of forget what happens in it. I learned a lot of what it wasn’t, but I don’t know if I learned what it is. I would rather find the next question than find the answer: that’s just the way I am. I mean, I don’t really believe in answers. A solution should lead to the next question.

I:
A bit like a filmmaker working in a genre, you have a choice: “Am I going to take this convention and play with it or am I going to confound this convention?”

J:
That’s a really apt comparison for me, because those kinds of filmmakers were a much bigger influence on me than music really was when I was young. I always wanted to be a filmmaker and then I found out how expensive it is and what kind of life you have to lead so that didn’t happen. Someone like Robert Aldrich or Richard Fleischer, these kinds of filmmakers were a really big deal for me because I loved watching them do all sorts of things despite being in this supposed cage of genre convention. William Friedkin is like a superhero to me: I love William Friedkin. To Live and Die in L.A., that film is amazing in what it does with genre conventions. I have a huge poster of it staring in my face right now. My way of thinking on that stuff really comes more from film than anything else. Just it really taught me a lot about approach.

I:
I wonder as well if, compared to pop music where the story is told in a very concise nugget, ambient music, where a single piece might be stretched over an entire album, works in a more cinematic rhythm.

J:
Well, in terms of structure, the one thing that music can’t really do eloquently, like the other art forms, is deal with time backwards. Music can really only change time by making reference, and that can only be done if the music has a formal structure because you’re making structural reference or a melodic reference. And that’s really only calling back, that’s not restructuring time. Kurosawa Kiyoshi, in the ‘90s, was the king of that. He deals with time in his films in the most extraordinary manner, especially Hebi no Michi (Serpent’s Path) and Kumo no Hitomi (Eyes of the Spider). The way he restructures everything you’ve seen with just an image, and your perception of time in everything you’ve seen can change from just an image. You can do that in all the visual arts, and obviously you can do that in writing, but music doesn’t have the tools to do that in such an eloquent manner. It’s really kind of clumsy. That’s something that’s always fascinated me since college, because when I was in college and studying all the Stockhausen and all that shit, that was the stuff I was really interested in. There’s this whole period of Stockhausen doing these “moment works”. I mean, the 60s and 70s was when all those guys were trying to address the problem of time in music, and the fact that they did is awesome, but it was really kinda hamfisted. It’s still a problem in music and that’s the thing I think about a lot, and film is the thing that reminds me of that constantly, more so than music does.

I:
You’ve mentioned before constantly creating roadblocks for yourself in the creation of your music.

J:
I don’t think I do that as much as I used to. When I was younger I think I needed to. I think now I sort of trip myself up naturally. I don’t even consciously do that: its just the way my brain works. I think when I was younger I had to do that. And also, when you’re younger, when you have no gear or anything, that’s a great thing, you know? Having too much gear is one of the worst things in the world. The more gear you have, the less you do. That’s a concrete restriction that you’ve got to think about, “I’m not even gonna touch any of that stuff”. There’s only three instruments on this record – no, four, sorry, if you count a short-wave radio as an instrument.

I:
Were you working with any collaborators on this record or is it all you?

J:
Yeah, it’s just me. There was one version that was going to have drums on it but it didn’t work. So there’s a hard-drive full of this stuff with drums on it that will rust away (laughs).

I:
You’re living in the countryside now. Since moving there has that impacted the way you work.

J:
I just get to work more. There’s not much distraction at all. It’s the closest to when I was in my early twenties, really. I mean, I wouldn’t sleep for days at a time: I’d really be in my room with my tape machine and just doing that non-stop. That’s not something I’d want to do now, but I can get to that frame of mind again, which is something I haven’t been able to do for a long long time.

I:
You produce a wide range of music under the name of “Jim O’Rourke”, but there’s often this sense, particularly in Japan, that “this is what this project is and this is what it sounds like”. I remember a friend of mine was playing a show and at the end the manager of the venue commented, “Yeah, that should be three different bands, what you played there”

J:
Yeah, that’s a very reductive way of thinking. I think it is more common here than anywhere else.

I:
You’ve spoken in the past that people have a hard time considering an artist’s work as a whole rather than each thing discretely.

J:
Right, I think that’s more common in music. I mean, you say “Hitchcock “ – people might mention a film or two as their favourites but they’re generally thinking “the work of Hitchcock”. But it is true in music; you would think of “the works of Morton Feldman” but that’s because that world of music does tie into that socio-political way of thinking. But in terms of popular music that really has more to do with commodity than a way of thinking, there really aren’t that many people who approach it that way. Whether you like him or not, Frank Zappa is someone who could be seen as an exception to that: people generally think of “the work of Frank Zappa”, although he was generally making records with a rock band. People think that way about someone like Bob Dylan. So there are exceptions, but in general there aren’t.

I:
Do you feel there are themes that keep coming back in your music?

J:
Oh God, yeah! (Laughs) It’s all the same thing. They’re all the same thing really. I mean, I think it’s something Picasso said or someone said it about Picasso: “You’re really just making the same painting over and over again.”

One silly example, I remember when I was younger, I would read Naked Lunch every year, and I noticed that every year I re-read it, I learned more about me than I did about the book. Because I saw more of how I had changed, in that time, than the book had changed. Because the book, of course, hadn’t changed at all: it’s always been there.


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

Amazon

I: What do you think links an album like Simple Songs to and album like Sleep Like it’s Winter or maybe Kafka’s Ibiki’s Nemutte?

J:
I guess I would say it’s that I made them. (Laughs) It sounds like a joke, but in a way I think that’s really kind of the best answer. Certain aspects of what I’m trying to do come out stronger on some things more than others. But they’re kind of all there on all of them.

I:
One thing that connects them, when I listen to them, is that I hear multiple layers to the way things transition on your records.

J:
I don’t know if you’ve heard this record I did called The Visitor.

I:
Yeah, I was listening to that today, actually.

J:
I mean, that’s probably the closest I’ve ever gotten. It still has lots of problems, but that’s the closest ever to sort of doing what I wish the music would do. And that’s really all about the transitions, really – the flipping and the flopping, as Kramer would say. I don’t think in the abstract about the transitions – I don’t think “OK, now I’m going to make this kind of transition,” – it’s not an abstract idea or an exercise, but that really is a big part of how I put things together. It’s like weaving a rug. I don’t know if that’s an apt analogy, but you don’t want the work put into the music to show. The best rug you ever saw, if you look at the way it’s put together, that work never overshadows the overall effect, hopefully. That’s the hardest thing, I think, in making music - to hide the work. You’ve gotta hide it. That’s really really important to me.

I:
Has that always been a key part of your approach?

J:
It’s always been there. I’m trying to think of where I learned that lesson, but I know I learned it very young. Definitely since like… it was like ’91, ’92 where I got out of the habit of highlighting the work more than what the work was supposed to produce.
That’s kind of part and parcel of how I work. A big percentage of the work is in hiding the work: it needs to live once you’ve killed it, you know what I mean? (Laughs)

I:
Part of the fun of listening to some of your recent records was that on multiple listens, it continues to fundamentally change.

J:
You’ve reminded me. I know I’ve said this before, but this was a big deal for me and it relates 100% to this. When I was in high school there was a movie theatre within like two hundred yards of our house and, because I would go there every day, they eventually just let me go in for free. So I was going there every day. And one day I was going there to go see a movie and my father said, “You saw that movie already, why are you going to see it?” and I remember saying to him, something to the effect of, “All of these people put like a year of their lives into making this movie. How arrogant would it be for me to think I could understand it all in two hours?” That was one of the things I really love about film: that good films didn’t have it all out there on the surface like somebody serving you a whatever course dinner. You had to dig in, and some things don’t work without that resonance, that’s very important, ‘cause time equals resonance, you know? One silly example, I remember when I was younger, I would read Naked Lunch every year, and I noticed that every year I re-read it, I learned more about me than I did about the book. Because I saw more of how I had changed, in that time, than the book had changed. Because the book, of course, hadn’t changed at all: it’s always been there. So that was also kind of a profound thing for me when I was a young ‘un.

I:
Perhaps there’s also this idea of having the space to find you way into something. It took me forever to get into Bowie because at first I thought it was “classic rock”, which just had so much baggage attached to it. But because there were so many entry-points into his work I eventually found one that worked for me.

J:
I can understand that. I had that a few years ago with Keith Jarrett. He was someone I knew I was supposed to like and I should have ‘cause I love ECM –70s ECM, the stuff I grew up on. And of course, he’s like a towering figure in that world and it took a long long time. It’s really only in the past two or three years that I finally cracked the code with him.

I:
I can understand that. I guess the point for me is that there wasn’t a single door. There were multiple doors in and I had to find mine.

J:
Right. Well I think there has to be like one initial door and when you open that door there’s all the other doors. Just like… (Laughs) I immediately thought of Genesis, sorry!

I:
You don’t have to apologize for Genesis!

J:
Oh, I will never apologise for Genesis! You’re never going to find a more hardcore Genesis fan than me – Peter era, of course. The Lamb Lies Down on Broadway is my favourite album of all time. But, you know, Genesis wasn’t embarrassing when I was growing up.

I:
Maybe “I will never apologise for Genesis!” is a good sentiment to end on. Thanks!

9 イン・サークルズ(2) - ele-king

 アフリカのリズムは「ワン」がいろんなところに共存していて、というか拍の頭という概念が薄く、「あなたはここにいるからわたしはここにいます」と全体のなかの居所をみんな知っていて、集合体となる。道半ばながらこのような理解をしているのだが、トニー・アレンのドラミングは「ワン」は共有するにしても4肢のドラマーがそんなアフリカのリズムのように各々の居所に隙間を抜くように共存しながらエンジンとなって、しかも曲に合わせて変幻自在に動く。



 トニー・アレンによるモーゼス・ボイドへのクリニックはリズム的示唆に富んでいる。7:30~の短いミニマル・フレーズを伝えるシーンはもっともエキサイティング。フレーズで取り込もうとするモーゼスを制止するかのように、まずは右足のバスドラム、左足のフットハイハットからひとつ目のエンジンを確認する。次に左手のスネア。このとき、もうフレーズと言ってもいいものになっているのだが、それはあくまでもできあがってきたもので、フレーズから逆算していく4ウェイ的発想ではなく、右足、左足、左手が歯車のように絡んでいることに注目したい。そして、最後に参加する右手は4ビートに近い。絶妙にいわゆるスイングはしないところがクールだ。各々シンプルながら1人の中に4人いる。
 これを見ながら、アフリカの太鼓を練習しながら4拍目から1拍目へドンドンとすることさえもわからなくなったことがあったのを思い出した。そのときは、あまりになっていないだけだったのだが、「なんか違う」ながらドラムでかなりのフレーズを覚えていたにも関わらずそんな次第な上、同時にその理由を突きつけられたような気がした。しかし、はて、今だってどうだろう。ともすれば陥りがちなフレーズ先行が顔を出すことが大いにあるのではないかという反省を促される動画だ。しかも、気持ちよくだからにくい。楽観的なだけだろうか。その点アフリカのリズム・アンサンブルは本当によくできている。各々は絶妙に絡んでひとつの大きなうねりを形成する。その実はシンプルで、その輪に入ることができたとき最高の練習のひとつになると信じて続けている。

 「でもさ、実はみんな同じものじゃない? ハウスにジャズ云々、いろいろとジャンルはあるものの、要は同じ。誰もがあらゆるものを分け隔てなく聴いている、と。ほんと、ソウルフルな音楽か、リズミックな音楽かどうかってことがすべてなんだしさ」

 そう語るカマール・ウィリアムス筆頭に、多文化で、それに裏付けられた説得力のあるDIY精神(そうが故にリズムも気持ちところから外れないというような共通認識が生まれているのかもしれない)満載である南ロンドンならではのチャレンジは、ジャイルス・ピーターソンのブラウンズウッドからリリースされた『We Out Here』に凝縮されている。別冊ele-king『カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』に、ここ数年起こっていることの一部始終が記されているが、僕のお気に入り3枚を挙げるなら、Yussef Kamaal『Black Focus』、Joe Armon-Jones『Starting Today』、Kamaal Williams『Return』。トニー・アレン直の影響が面白いとか、面白くないとかではなくて、曲に寄り添いながら、ときに寄り添わずに、自分たちのフレージングをしながら、気持ちいいところから外れようとはしないチャレンジが面白い。モーゼス・ボイド最高です。
 ところで、僕は2年程前にロンドンに行った。そのとき、交差点に信号が少ないのに車が譲り合うともなくするすると通り抜けていくところや、フィッシュ・アンド・チップス屋の兄ちゃんが手持ち無沙汰にポテトを入れる箱をクルクル回しながら、注文を受けて適当に頷いたと思ったらするするときれいに納めていくのを見て、リズムを感じたのだが、これを聞いてどう思われるだろうか? 立ち止まってはものを見ないとでも言うのだろうか。考え過ぎなことは承知で何かご意見があれば伺ってみたい。

 「“アフロフューチャリズム”という用語にはものすごくたくさんの定義を目にしてきたけれど、むしろ僕はこの用語自体が流動的で、それ自体が広い意味を持つようになって、より多くの人たちが自分たちの作品の背景として取り入れるようになったという点が気に入っている。まるでこの言葉そのものが生き物のように、多くの定義を取り込み続けている」  シャバカ・ハッチングス

 僕は、アフロフューチャリズムとは言えない代わりに、イン・サークルズ。堂々巡りなりに気持ちいいところから外れないようGONNOさんとグッド・ヴァイブスを目指すライヴが近づいてきた。

2018年7月8日(日) Open 17:00 / Start 18:00 GONNO × MASUMURA 『In Circles』リリースパーティー 会場:代官山UNIT 出演:GONNO × MASUMURA GUEST:トリプルファイヤー Adv ¥3,300 / Door ¥3,800 (ともに+1D) 2018年7月11日(水) 開場 18:30 開演 19:30 OLD DAYS TAILOR デビューアルバム 『 OLD DAYS TAILOR 』リリースパーティー 会場:吉祥寺スターパインズカフェ 出演:OLD DAYS TAILOR ゲスト:湯川トーベン(b) 前売り: ¥3,300 / 当日 ¥3,800(ともに+1D)


Afrodeutsche - ele-king

 近年アンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージック・シーンにおいてもっとも尖鋭的かつ批評的な実践を試みているのは、2015年にンキシ、エンジェル・ホ、チーノ・アモービの3人によって起ち上げられた〈NON〉だろう。世界じゅうに散らばったディアスポラを「ノン=非」という否定の形で繋ぎ合わせることによって新たな共同体の可能性を探るという彼らのコンセプトは、徐々に当初の「ブラック・ディアスポラ」から幅を広げ、今日ではより多彩なアーティストたちを招き入れるにいたっている。その横断性はたとえば今春リリースされた3部作『NON Worldwide Compilation Trilogy Volume 1 - 3』にも表れているが、そんな彼らの未来的なイメージの背後にはアフロフューチャリズムとドレクシアが横たわってもいる。そしてここへきて、そのコンセプトやバックグラウンドを一手に引き受けるかのような強烈な作品が現れた。

 アフロドイチェことヘンリエッタ・スミス=ローラは、マンチェスターを拠点に活動しているプロデューサーである。彼女は上述の〈NON〉のコンピにも“I Know Not What I Do”というトラックを提供しているが、その活動は10年ほど前まで遡ることができる。彼女はなんと、かつて808ステイトのグラハム・マッセイが4人のオルガン奏者とともに結成したシスターズ・オブ・トランジスターズなるグループの一員だったのである(同グループは2009年に〈ディス・イズ・ミュージック〉からアルバム『At The Ferranti Institute』を発表している)。またそれとはべつに彼女は、同じくマッセイとともにサン・ラーのトリビュート・バンドにも参加している。

 コーンウォールの隣に位置するデヴォンで育ったヘンリエッタは、マンチェスターへ移り住んだのち自身のアイデンティティを探りはじめ、音楽制作を開始したのだという。彼女の父親はガーナ人で、その先祖にはロシア人やドイツ人も混ざっているそうだ。「アフロドイチェ(アフロ=ジャーマン)」なるステージネームにはその複雑なルーツが織り込まれているわけだけど、そのようにディアスポリックな背景を持つ彼女が〈NON〉と接続したのはほとんど必然と言っていい(彼女は5月にNTSラジオにてンキシとともにパフォーマンスをおこなってもいる)。
 そのアフロドイチェのデビュー・アルバムがこの『Break Before Make』だ。リリース元が〈スカム〉というのがまた象徴的で、これは〈ウォープ〉が今年再始動させたサブ・レーベルの〈アーコラ〉でンキシをフックアップしたことと対応している。つまり、かつてテクノ~エレクトロニカを牽引した大御所レーベルまでもが、いま〈NON〉の動きを無視できなくなっているということだ(ちなみに、彼女を〈スカム〉へ繋いだのはおそらくグラハム・マッセイだろう。彼はマソニックス名義で2006年に〈スカム〉から深海をテーマにしたアルバムをリリースしており、〈ビート〉から日本盤も発売されている)。

 冒頭の冷ややかなシンセの響きから、アフロドイチェがドレクシアから多大な影響を受けていることがわかる。2曲目の“And!”は、昇降しながら反復するゲーム音楽のようなそのシンセ音をもって、はやくもこのアルバムのハイライトを提示している。5曲目“Now What”や7曲目“Blanket Ban”、あるいは先行公開された8曲目“Filandank”などに漂うSF感とダークネスは、かのデトロイトのデュオほど過激ではないものの、まず間違いなく彼らのサウンドに範をとったものだろう。

 ドレクシアといえば、件の〈NON〉のコンピと同じころに〈ラッキミー〉からリリースされたスティーヴン・ジュリアンのLPにもその影響が色濃く滲み出ていたけれど、アフロドイチェのこのアルバムはそのようなドレクシア再評価の波を決定づける強度を具えている。
 亡霊のように現代へと回帰してくるドレクシア、深化と拡張を続ける〈NON〉、その背後に横たわるアフロフューチャリズムという想像力――それらの交錯に関しては紙エレ最新号で濃厚な特集を組んでいるので、ぜひそちらをご一読いただきたいが、この『Break Before Make』はまさにその三者の結節を見事に体現しているという点において、いまもっとも注目すべき1枚と言える。

Jim O'Rourke - ele-king

 ジム・オルークがソロCD(フィジカル)作品としては3年ぶりとなる新作アルバムをリリースした。リリースは〈felicity〉の兄弟レーベル〈NEWHERE MUSIC〉から。同レーベルは「アンビエント、 ニューエイジ、ドローン、ポストクラシカル、等々。これらジャンルの境界線を取り払い 「エレクトロニック・ライト・ミュージック」 と定義付けて電子的な軽音楽を創造するニューブランド」と称されており、本作『sleep like it's winter』は、王舟 & BIOMAN『Villa Tereze』についでレーベル2作目のリリース作品となる。その霞んだ空気と霧のような音響は、オルーク作品のなかでも異彩を放つ仕上がりであり、今後も参照され続けていくに違いない重要なアルバムといえる。音と音が折り重なることで生まれる時間の層のなんという繊細さ、豊穣さだろうか。

 そもそもジム・オルークという類まれな才能を誇る音楽家は、20世紀音楽の「時間の層」をいくつも折り重ねることで、複雑な時間軸を内包した音楽を作曲してきた人物だ。彼の楽曲において構成されるさまざまな音のモジュールは、「接続」というより映画/映像でいうところの「ディゾルブ」のように折り重なり、そして、つながっている。
 むろん、それはたんに「手法」の問題だけに留まらない。つまりは「歴史」への接続だ。そこにおいて折り重ねられるものは、個々の音楽モジュールそれ自体の時の流れと、音楽の歴史である。90年代以降、ジム・オルークが「音楽」に導入したもっとも重要な要素は、このメタ音楽の生成・構成であった。彼の音楽がドローン、ノイズ、インプロヴィゼーション、ポップ・ミュージック、電子音楽、映画音楽という領域を超えて成立しえるのも、メタ的視線(聴覚)で音楽史を捉え、音楽として再構成しているからだろう。
 デヴィッド・グラッブスとのガスター・デル・ソルを経て発表されたソロ・アルバム『ユリイカ』(1999)などでは、ジョン・フェイヒィ、ヴァン・ダイク・パークスなどのアメリカーナ/大衆音楽(の異端?)とトニー・コンラッドの実験音楽/現代音楽を、「現代アメリカの民族音楽」として、メタ的に作曲・構成したことを思い出してみればいい。
 ディゾルブする歴史・音楽。オルーク作品において、複数/単数の歴史/音楽が重なり合う。聴き手はその重なり合うさまを聴いている。それは歴史以降の音楽だ。歴史は終わっても、歴史以降の世界は続く。以降の世界で耳を拓くこと。音楽を聴くこと。オルークの録音作品は、それを突き詰めている。

 当然、本作も同様なのだが、ここではかつてのアメリカ音楽的なものはそれほど全面化していない。それらは音の層のなかにすでに融解している。アルバムは全部で45分ほどあるが、トラック分けされておらず長尺1曲である。とはいえドローン作品のように一定の持続音が微細に変化していくわけでもない。さまざまな録音素材(演奏や電子音なども含む)がつながり、ひとつの大きな変化を「語っていく」かのような構成になっているのだ。
 その意味で、彼の初期の長尺ドローン作品『Disengage』(1992)や、『Mizu No Nai Umi』(2005)、『Long Nigh』(2008.1990)、「Jim O'Rourke & Christoph Heemann」名義『Plastic Palace People Vol. 1』(2011、1991)、同じく「Jim O'Rourke & Christoph Heemann」名義『Plastic Palace People Vol. 2』(2011、1991)、「Fennesz&Jim O'Rourke」名義『It's Hard For Me To Say I’m Sorry』(2016)、「Kassel Jaeger&Jim O'Rourke」名義『Wakes On Cerulean』(2017)や、自身のバンドキャンプ「Steamroom」で定期的にリリースされている音響作品などを思い出しもする。長尺1曲でサウンドが接続し、変化していく『Happy Days』(1997)、『Bad Timing』(1997)、『The Visitor』(2009)や、カフカ鼾の『Okite』(2014)、『Nemutte』(2016)も想起することもできるだろう。また「ディゾルブ的な編集」という意味では8cmCDとしてリリースされた映画的な環境音楽作品『Rules Of Reduction』(1993)も重要な参照点になるはずだ。

 本アルバムも、このような「ディゾルブ的」感覚が見事に生成していた。アルバムの色彩が、どこか霞んだような冬の響きから、春の夜明けのようなサウンドへと微細に、かつ明瞭に変化を遂げているのである。また、冒頭の霞んだ持続音、少し湿ったピアノ、低音のベースのようなドローンがそれぞれ別の時間を有しているかのようにレイヤーされていく展開にも、折り重なる音響の時間が生まれているように感じられた。
 個人的には冒頭のベース的な持続音に加えて、18分から20分あたりの、密やかな鳥の声の音や環境音の挿入を経て、暗さから明るさに変化しつつあるドローン/環境音のパートにも惹かれた。冬/夜から春/夜明けへと移行する中間の音響的なトーンが生成しており、楽曲全体が「ディゾルブ的」に重なっていく感覚を覚えたのだ。また、楽曲全体に空気のように満ちている繊細な電子音も素晴らしい。
 本作の音楽の構成・作曲にはジム・オルーク単独作品特有の感覚と技法の現在形が封じ込められている。録音は2017年にオルークの「Steamroom」で行われ、おそらくペダルスティール、ピアノ、シンセなどの録音素材を、ジム・オルークがひとりで時間をかけて編集したのだろう。直近の作品では「Kassel Jaeger&Jim O'Rourke」名義の『Wakes On Cerulean』にも共通する質感を感じる(ジム・オルークのなかではこういったコラボレーションとバンドキャンプで定期的に配信されているアルバムと、今回のようなソロ作品との差異はそれほど付けていないのだろう。すべては自身の音楽として繋がっている)。ジム・オルークのなかでは録音とミックスと作曲が分かちがたく一体化しているのだろう。
 では、それによってどのような音楽が生成しているのだろうか。私見では、声のない音響作品であっても、どこか感情と感覚が淡く交錯する「歌」のようなものが折り重なる音響のむこうから、微かに感じられるのだ。かつてのオルーク作品をもじっていうならば「こえのないうた」とでもいうべきか。

 ともあれ、このアルバムが「ジム・オルークのソロCD作品」としてリリースされたことの意味はやはり大きい。なぜなら、このような日々の創作/コラボレーションにおける思考錯誤と実践の成果が、この1枚の銀盤に、驚異的な創作力の成果として集約されているのだから。となれば、われわれリスナーは、その事実に耳を傾け、オルークが本作に込めた音楽・音響の移り変わりに注意深く耳を傾け、より深いリスニングの時間を得ることが大切のはずだ。そう、繰り返し聴くことだ。
 じじつ、本アルバムを手にされた方は、今後の人生において何度も何度も、まるで水を求めるように折に触れて聴き返すに違いない。いわば人生の傍らにあるエクスペリメンタル・ミュージック。かつてジム・オルークが、その再発盤にライナーを執筆したルチアーノ・チリオ『Dialoghi Del Presente』の横に本作を置いてみると、意外としっくりくる作品ではないかとも思う。20世紀音楽の歴史が、繊細な実験性と上質なロマンティシズムのなかに凝縮されているのだ。

interview with jan and naomi - ele-king

 2014年、デビュー直後のjan and naomiのライヴに偶然接することが出来たのだが、美しく儚げな男性ふたりが、極めて繊細にコントロールされた弱音の響きを紡ぎ出す様に、非常なインパクトを受けたのだった。ファッション・モデルをもこなすというその出で立ちのシャープさ、そして奏でられる音楽の圧倒的幽玄。アートの匂いを強烈に振りまきながらも、まるでこの街でないどこかからふと現れた超俗的な佇まい。
 その後もEPリリースやフジロックへの出演などを経て着実のその特異な存在感を浸透させていくなかで、彼らの表現は「狂気的に静かな音楽」とも称されるようになっていったという。なるほどこのファースト・アルバム『Fracture』は、その言葉に強く頷くことの出来る出色の内容だ。

 広がりあるサウンドケープや抑制のきいたエレクトロニクスの用法からは、所謂チル・ウェイブ以降のサイケデリック感覚が強くにじみながらも、ジェイムス・ブレイクやキング・クルールといったサウンドメイカー達とも共通するような透徹した音響意識を感じさせる。しかしながら、メロディーとそれを届ける歌はあくまでインディー・フォーク的であり、その意味で、かつてのサッド・コア~スロウ・コアのアクト達に通じるような、静謐な「うたもの」としての快楽性も備えている。

 また、ほぼ全曲が英語詞で構成されているその歌詞世界も、彼らの「狂気的に静かな音楽」を創り出す重要な要素となっている。全編において、神(逆説的に、ときに悪魔的なものへの憧憬も隠さない)や愛といった形而上学的存在への問いかけが染み出す。しかし、ゴスペル音楽のような、熱狂的な覚醒や躍動は締め出され、その変わりに、甘く物憂げな静謐がメロウネスとなって全体を浸す。

邦訳:あなたがいないと、大空を羽ばたく羽をなくしたようだ/何度あなたがこの世界に存在したかと思っただろうか/何度あなたが実存すると思っただろうか、/何度もそう思った ‘Forest’

 こういったペシミスティックなヴィジョンは、近代以来の放蕩への回心・贖罪を経て救済へと向うべきだったはずの現代の文明が、むしろ日々自らの手で神を葬り、救済を遠ざけてしまったことで代わりに引き寄せることとなったニヒリズムに強く培養されているようにも見える。一方で、そういった諦念の淀みの中でも、

邦訳:ここはあなた夢の入り口、今までのことには別れを告げて/この折れた骨で、エスの街から抜け出すのだ/私たちの夢のためにその約束は守って、今まで見てきた罪に別れを告げて ‘Fracture’

 とタイトル曲に歌われるように、これまで重ねてしまった罪を見つめつつも、新たなフェイズを切り開こうとする心性を垣間見せもする。


jan and naomi
Fracture

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 耽美的音楽と審美性から、ある種「浮世離れした」存在と見做されそうなjanとnaomiによる音楽は、その実、「諦念」と「希求」、「破壊」と「再生」の間に揺れる生活者の告白として、極めて実直で真摯なものだとも言える。
 この、蠱惑的なほどに極めて静謐な音楽は、静寂に取り囲まれるとときに静寂そのものが我々を圧するような不安を喚起するように、静謐であるがゆえ我々を内省へと誘い、内省の果には実存世界の外延へと連れ出しもする。熟れ、爛れ、饐えを抱えながら、それでも今、救いを希求する。破壊を受け入れながら、そこから新たな物語を紡いでいく。
 卓越した現代のレクイエム集であるとともに、賛美歌集とも言える本作『Fracture』をリリースしたjanとnaomiのふたりに話をきいた。

naomiさんと一緒に音楽を作りはじめた時期、反骨精神のある音楽がすごく好きで。そのなかで何がいちばんパンクなのかって考えたときに、もちろん大きい音を出して真正面からぶつかっていくのもすごくカッコいいんだけど、東京の渋谷で、絶えず様々な音が無秩序に鳴っているところで、それを「フッ」と止めるというようなことがもっともパンクかな、と思ったんです。

2016年の前作EP『Leeloo and Alexandra』のリリース以降、フジロックやロシアのフェス(V-ROX FESTIVAL)への出演や、映画『Amy Said』の音楽担当など、いろいろなフィールドで活動してきたかと思うのですが、そういった経験は今作に制作に影響を与えていますか?

jan(以下j):いちばん大きかったのは映画音楽制作の経験ですね。

naomi(以下n):劇伴すべてとエンディング・テーマを、という依頼で。限られた予算内で多くの楽曲を作らなくてはいけなかったので、レコーディング・スタジオに入る予算も無くて、自宅で完パケまでもっていけるようなやり方をしっかりしなくてはいけなかった。だから自然と俺もjanもDTM的に制作する環境が整ってきて。それは今作の制作を進める上で影響がありましたね。今までは、生ドラムと、アンプから出しているギターの音を主軸にしていたものが多かったんですけど、そういうプロセスではない楽曲が増えたというのがあります。

いままでは普通にプリプロを制作して、それをスタジオへ持っていって、というようなスタイル?

n:そうですね。

今回はふたりがお互い事前にデモを投げあって、みたいな感じ?

j:お互いに交換するっていうよりは、基本スタジオに入るまでは別々に形を作って、スタジオに入ったらふたりでいろいろ遊ぶっていうやり方だったかな。

そういうプロセスがアルバムの音にも反映されている気がしますね。これまでに比べてギターよりもピアノが目立ってきている感じとか、エレクトロニクス音の比重も増えている気がしました。

j:naomiさんが打ち込みで作るものもあれば、俺がシンセサイザーを使うということもあったり。あと家でヴォーカルも取れる環境になったことも大きかった。

新作についての話に本格的に入る前に、映画『Amy said』の音楽制作について訊いておきたいんですけど、おふたりの音楽は所謂映像喚起力が強いなという気がしていて。基本英語詞であるにも関わらず、特定の風景を喚起させるというか。監督の村本さんとしても、そのあたりを汲んでのオファーだったと思いますか?

j:たぶん最初は監督もそういう気持ちだったと思うんだけど、徐々に監督にも明確なヴィジョンがあるっていうことがわかってきて。

n:打ち合わせのときにラフの映像を見ながら「具体的に思っていることがあったら教えてください」って言ったら、めちゃ具体的で(笑)。

「こういう音をここに入れてください」的な?

n:そうです。「何年代の誰々みたいな音楽が欲しい」とか、「ここはテクノで言うとあの時代の感じ」とか、「バーで鳴っているBGMも欲しい、このマスターはこの年代の音楽に影響を受けているから、たぶんかかっているのはこういう音楽だ」といったような。

そういう意味では、アーティストっていうよりプロの映画音楽作家さん的な感じですね。それが経験としては大きかったと。

n:そうなんです。いままでトライしなかったこともできたし。「トミー・ゲレロみたいな曲で」というようなオーダーとかもあったな。

映画音楽って、監督によって全然やり方違うみたいですよね。厳密に音符レベルで指定してくる人もいれば、「ふわっとした感じでお願いします」みたいな人もいる、と。いろんなミュージシャンに映画音楽制作の話を聴くと、みなさん「大変だけどいろいろ鍛えられる」というようなことを言いますね。

n:それはかなりありますね。

j:結局、僕らも映画音楽のプロじゃないから、作ったものにはjan and naomiらしさはやっぱり残ってはいるんですけどね。

今回のアルバムはとくに映像喚起力が強いなと思いました。各曲、何か具体的な映像世界を想定した上で曲作りしていくんでしょうか?

j:前作までは割と、イメージや言葉の輪郭を帯びていないものを曲のなかに投げ込んで聴き手にそのエッセンスを自由に解釈して欲しい、というのがあったんですが、今回、自分が歌詞を書いたものに関しては具体的にして、抽象表現は抑えてストーリーテリングする感じでやりたいなあ、と思いました。聞き手によってはもしかしたら以前より映像性がなくなったと思うこともあるかも知れないけれど、割と自分的には具体的なヴィジョンが見えたものを投げ込んでいるというイメージです。

場面設定的がしっかりある感じを受けました。

j:劇っぽくつくれたらな、と思っていました。

各曲、曲ごとにテーマを先に設定して、そこから作っていく、という形ですかね?

j:俺が作った曲は最初に歌詞書いてという感じだったんですけど、naomiさんは?

n:はじめはテーマはとくに決めないですね。何か映像にあてはめるような作り方もしていない。

曲を作っていく段階で徐々にテーマのようなものがあぶり出されていく、と。

n:そうですね。

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janの声は独特で、音程がなくても成立するような感覚があって。ひとりで活動していた頃やjan and naomiの初期にはそういう曲がけっこうあるんですが、音程が合っていないないというかズレているのかな、というのも含めて味にするような歌声と歌い方もできる。


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Fracture

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先ほどデモは各人で作っていくと言っていましたが、その後のふたりのキャッチボールってどうやっているんでしょう?

n:普通のバンドと違うところだと思うんですが、僕たちはデモをつくったら基本的にはそれで完成というイメージ。今回は、その後レコーディング・スタジオで録っていくなかで、もう一方がその上でいろいろと遊ぶ、みたいな感じでした。家で8割9割仕上げて、スタジオでしか録れないものを録り直したというようなやり方が多かったですね。

j:その遊び方もまったく定形があるわけじゃなくて。例えばお互いが作った曲について、演奏的にはほぼ何もしてなくても、意見をひとつの楽器として織り交ぜていく、というか。例えば俺が演奏して歌ったものに、naomiさんが「ああしたほうが良いと思う、こうした方が良いと思う」と言うことが、jan and naomiの音楽の色というか、ひとつのフィルターとなっていると思います。

細かなアレンジとかもほぼ作曲者の主導で?

n:俺の曲はそうでした。janのものは、弾き語りのデモが用意してあって、セッションしながらレコーディングしていく、みたいな感じでしたね。

j:割合コラージュっぽく部分的に、っていうのが今回はとくに多かったかな。

一般的な、Aメロ固めて、Bメロ固めて、構成作り込んでいって、プリプロ作って、スタジオにもっていって、録って、ラフミックスして、みたいな感じで作っていないのだろうな、というのは感じました。音の差し引きなども当意即妙にその場でやっているのもけっこうあるんだろうだとうな、という。非常に作り込まれているのに一方でセッション感もあるという、不思議なバランスだなと思いました。

j:ミックスがはじまってから音を足すこともありましたね。

ミックスはエンジニアさんと?

j:メールベースで意見を言い合ってという感じですね。

音像の部分でも、一聴して全体にすごく深さと広がりがありつつ、曲ごとの緩急もあって、構成的なこだわりも感じました。

j:最近になって思い出したのは、互いの曲が徐々にビルドアップされていく上で、この曲はEQ的にビルドアップしたから、あの曲のこの部分をちょっとマイナスしてみようとか、そういうことがあったな、ということ。例えばnaomiさんがある曲のなかでシンセサイザーにリバーブを深くかける判断をしたときに、俺のこの曲のリバーブは逆にもう少しカットして、マットな曲の響かせ方にしようかな、とか。それがレコーディング~ミックスのプロセスのなかで多くあった気がしますね。

それぞれすごく空間的な処理なんだけど、1曲1曲の粒立ちというか個性みたいなものがちゃんとありますよね。曲ごとでBPMに幅があるとかじゃないのに、そういう各曲の個性がある。

j:たしかに自然とbpmだけはそんなに離れていない形になりましたね。

野田:音響はすごく独特ですよね。俺も聴いて思いますね。

「ダーク」といえばいいのか……重いけど広がりのある空気感というか。おふたりの音楽的趣向が音響デザインに反映されてるんでしょうか?

j:あまり何かに影響されてこうなったというのはないかな。それより、日々naomiさんとライヴをして一緒にお酒飲んだりとか、そういう普段の生活のなかから得たことが大きいかもしれない。大概そういうことって歌詞にしか影響しないと思うんだけど、お酒を飲んでいるところでかかっていた音楽とかが無意識に影響しているのかも。

もともとおふたりは、渋谷の百軒店で別々で活動している中で知り合ったらしいですね。例えば学生時代に出会って、とかいうような場合、お互いどんな音楽が好きとか話をする中でバンドに発展するというのが一般的かなと思うのですが、おふたりの場合は、どういう形で音楽的ルーツの共有といったことが行われたのでしょうか。

j:「これが好き、あれが好き」っていう音楽の話をする前に、曲を一緒につくる機会があって。それで出来た曲がいい感じだったんです。

n:もともとjanの音楽が好きだったし、janももしかしたら俺の音楽を好きでいてくれたのかしれない。だから最初に曲を一緒に作ってみても上手く行ったということなんじゃないかな。

野田:性格的に気があったとか?

n:俺のほうが年上で、ちょうど良い年の離れ方だったっていうのもあるかもしれないですね。物事を決める時にもケンカしないし、素直に譲れるし、janも譲ってくれることもあるし。

野田:性格を陰と陽に分けるとすると、どちらがどちらですか?

n:場面によるんですけど、基本的には通常時はjanの方が陽で俺が陰。でもお酒を飲むと俺のほうが陽になる。janは逆にお酒を飲むとどんどん陰に向かっていく(笑)。

野田:そういう観点からもバランスが良いんですね。お互い陽になっちゃうとね(笑)。

j:取り留めのないことに(笑) 3年に1回くらい稀にふたりとも陽になるときもありますけどね(笑)

ふたりとも歌声の面でもまったく違った個性を持っていますよね。naomiさんはハイトーンヴォイス。janさんは、レナード・コーエンなども思わせるような低い声。お互いの歌声の魅力を挙げるとしたら?

j:naomiさんの声は怖いくらい透き通っていて、そのホーリーな感じに感動します。

n:janの声は独特で、音程がなくても成立するような感覚があって。ひとりで活動していた頃やjan and naomiの初期にはそういう曲がけっこうあるんですが、音程が合っていないないというかズレているのかな、というのも含めて味にするような歌声と歌い方もできる。今回は歌い方を試行錯誤してヴォーカルのテイク数も重なっていきましたが、以前は1回録っても5回録っても全部OKという感じだった。厳密に言うと外れているけど、それがむしろ良い、っていう。

j:今回のように抽象性が薄い曲の場合、いままでの歌い方だとどうしても説得力がなくて、歌い方を変えた曲もありました。

ちなみに、技術的な影響を受けているかどうかは別として好きなシンガーっていますか?

j:エルヴィス(プレスリー)かな。

おお、意外な気がしつつ……でもわかる気もする……。

野田:ほんとに? 冗談とかではなくて(笑)?

j:本当ですよ(笑)。子供の頃から好きで、いまも変わらず好きかな。

どんなところが好きですか?

j:なんといえばいいか……聴いた瞬間に自然とゾワッとするというか。神聖なときもあれば、すごく悪魔的なときもある。そういったものに魅了されるんです。そういった振れ幅があるものは、エルヴィスに限らず好きですね。でも、エルヴィスはその究極形といえる歌声だなあと個人的に思います。

どこかでjanさんの歌声が「スコット・ウォーカーを思わせる」と評されいてるのを見ましたけれど、彼の歌にもそういう振れ幅がある気がしますね。

J:そうですね。でもスコット・ウォーカーの歌声も美しくて好きなんですが、甘さがないかな、と。エルヴィスにはそれもあるな、と感じます。

naomiさんは?

n:玉置浩二。

また意外な。

n:あとASKA。

おお……。

n:歌がいいって思う人って誰かなあ、っていまずっと考えてて。一番最初に出てきたのが玉置浩二。

それは親の影響で聴いていたとか?

n:2年くらい前に、僕らがよくいく渋谷の「カラス」でケヴィンさんっていう常連さんが、玉置浩二をずっとかけて歌の魅力を店中の人に語っていた夜があって。安全地帯含め玉置浩二の存在は知っていたけど、「歌が良い」っていう耳で聴いたことはなくて。で、「ああ、良いな」と。

ASKAは?

n:ASKAの歌もやっぱり本当に独特で、歌い出して2秒で「あ、これASKAだ」って思わせる声の独特さ。歌上手い人っていうのはたくさんいるけど、玉置浩二も含めその人だけの「節」があるな、っていう人に憧れる。

自分の声の帯域に近いとかは関係なく……その人だけの個性がある歌声が好きということですね。

n:正直ジェイムス・ブレイクとボン・イヴェールのヴォーカルの差とかわからないですよ。好きな人はわかるんでしょうけど。自分の歌に関しても、「あれだったら誰が歌っても一緒じゃん」ってなったら嫌だな、っていうのはあります。

野田:jan and naomiを聴いて日本的だとは全然思わなかったし、言われなければ日本のアーティストだって気づかずに聴いてしまえると思うんですよね。だからいまの「玉置浩二の歌が好き」っていうのは無理して言ったんじゃないかなと疑っていますけどね(笑)。本当はジェイムス・ブレイクやボン・イヴェールが好きでしょ! ライバル心があって言えないんじゃないんですか(笑)?

n:いや、そんなことないですよ(笑)。

j:でも今回のアルバム、外国人の友達に聞かせると、「アニメっぽい」って言うんですよ。

へえ~。

j:微妙な細かいところに、アニメ的にニュアンスがある、と。

無意識で出てしまう日本固有の土着性みたいなことなんでしょうか……?

j:おそらく。歌謡曲感ということの延長線上なのかもしれないですけど、アニメっぽいメロディだったりピアノのフレーズが入っていると言われて、確かにそういう耳で聞き直したら、そうなんですよね。ジブリっぽさというか…久石譲的なものを連想させる要素が意外と入ったりしているのかもなあ、と思いました。

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勇気づけられたのはSTRUGGLE FOR PRIDE。音源ももちろん聴いてますが、やっぱりライヴですかね。

おふたりとも育ちは日本ですか?

n:俺はニュージーランドに90年代の5年間くらい住んでいたことがあります。

J-POPが日本から耳に入ってきて意識したりとかは?

n:当時はJ-POPを聴きたかったですけどインターネットもなかったから簡単に聴けなかった。憧れはありましたけど。

janさんは?

j:俺は幼少期から日本です。

では日本の音楽には10代のときから普通に触れていて。

j:それがあんまり……母が好きな洋楽が家ではよくかかっていましたね。ニルヴァーナとかPJハーヴェイとかその当時のリアルタイムなもの。

それでも滲み出てしまう日本の土着感というのがある意味魅力ということですかね。何かミーム的に受け継がれているものが無意識に入っているのかも知れないと……。ちょっと話を変えて、アルバムのタイトルについてですが、「Fracture」という単語には「骨折」とか「硬いものが玉砕する」とか、ちょっと物騒な意味であったり、または「複雑性」という意味もあるみたいですが。

j:辞書をひいて大体初めに出てくる意味は「骨折」ですね。

n:これは実際の経験談から来ているタイトルです。

骨折の経験ってこと?

n:そうなんです。このアルバムのジャケットの打ち合わせも兼ねてアートワークをやってくれたChim↑Pomたちと飲んだ日の帰りに、泥酔していて高円寺の住宅街で足を折ったんです。

野田:もう治ったの?

n:大体。まだボルトとか鉄板入ってるんですけど。

え、けっこうな骨折だ。

n:で、アルバム・タイトルをどうしようって考えていたときに、「骨折」って英語で何ていうんだろう、って調べて。単純に「broken bone」だと思っていたけど、「fracture」っていう言葉があると知って。しかも、janが過去に映画に出ていることがあって、そのタイトルもまた「fracture」で。あ、これタイトルに良いかもなって思ってすぐjanに相談しました。骨が折れる、硬いものが壊れる……破壊、と連想をしていくなかで、僕らがいま生きている2017年~2018年の渋谷を見ると、ビルがどんどん壊されて再開発されている。そこから、時代とも「fracture」というワードが共鳴しているかも知れないと思って、俺の肉体とこの街との繋がりもある、と。初めはそんなに意味を持たせるつもりもなかったんですけど、自然とそうなっていった。

仮にこの曲たちからひとつ言葉を抽出せよとなったとき、「fracture」ってすごくピッタリなワードだと思いました。

n:そうですよね。その気もなく歌詞書いていたら、破壊と再生というイメージが立ち上がってきたというか。終わりからまた物語がはじまるといったイメージ。

いきなり1曲目のタイトルが“THE END”という。ドアーズの同名曲はアルバムの最終曲でしたが、今作では幕開けの曲として置かれている。これにはなにかこうした意図があると思うのですが。

n:そう。曲順上これだけはこうした理由があって。アルバムを作るとなると、いままで作ってきたEPよりちゃんと曲順を考えなくてはならない。けれど、各曲歌詞も「これが最初で、これが次で、これがその次で」といったように時系列的に並べる感じではないし、どうやって決めようかなって思っていたんです。けどこのM1を“THE END”というタイトルにしたとき、ふと、映画も最後に“THE END”となって終わるけど、その映画の世界では明日もあるはずだ、と思って。終わりからはじまるなにかもあるはずだ、と思ったんです。

ネガティヴなモチーフ、終焉、破壊、そして罪の意識、喪失、諦念が散りばめられながら、そして一方で再生への希望も求めている……。実際に「神」という言葉も出てくるし、キリスト教的世界観を強く感じたんですが、それはやはり意識して?

j:とくに意識的というわけではないかもしれません。宗教ついても興味を持っていろいろ勉強もしたんですけど、教義そのものというよりキリスト教美術のあり方が好きで、そういう文献を読んでいたりするから、自然とそれが反映されているかもしれない。そういったなかで、人が何かにすがったり祈ったりするプロセスが凄く美しいなと思うことがあって。地獄から天国へ這い上がる願望だったり、人間の根本的な祈りの心性に魅了されることが多いです。

そういった祈りの賛美という感情がある一方で、諦めというか、すごく膿み疲れている感じというか……ある種の厭世的世界観とのバランスが興味深かったです。日本語訳詞を読んで「こんなダークなことを歌っていたのか」と驚きました。いま自身がそういうモードなのか、前々から本質的ににそういう傾向があるのか。

j:うーん。諦めがあって、しかし祈る気持ちが生まれて、けれどまた諦めて、みたいなエンドレスなループが常にあるかもしれないですね。

衝撃的だったのが「悪魔」というモチーフが頻出でした。しかもその誘惑に惹かれている自己というのが描かれている気がして。歌詞のなかにそういった表現を入れるというのは勇気あることだなと思いました。これは、自らの弱さを表明しているのか、それとも純粋に「悪」というものへ憧れがあるのか。

j:いや、憧れと言うより、悪魔も神もどちらも美しい、という視点で物事をみたいということの現れだと思います。「神も悪魔だし、同時に悪魔も神である」という思いでいます。

naomiさんもそういう世界の見方に対しては共感できる?

n:俺は直接的にはそこまで共感することはなくて……。俺の曲の場合は、あくまで物語というか、そこに作者たる俺の本心や主観的な感情が表れているっていうわけではないですけね。

そのときに物語を駆動させるものは?

n:例えばさっきも話に出た渋谷の再開発で見えてくる破壊と再生というもの……。僕らが制作に至るまで、そして歌詞が完成するまでの日々の歩みですね。それこそ、こうやってみなさんと知り合って話すなかで感じたこととか、友だちと飲んで骨折ったこととか、飲みすぎちゃったこととか、そういったことがベースにあるんでしょうね。

いまの時代これくらいダークな力がある歌詞って珍しいなという気がしました。アメリカン・ゴシックのような世界、例えばある時期のジョニー・キャッシュとか、デヴィッド・リンチとか……それを渋谷っていう風景にオーヴァーラップさせると、ここで描かれているような世界になるのかな、とも思いました。

j:どこにでも潜んでいる伝統的な悪のエネルギーみたいなもの、絶対に変わらない悪のようなものが少しでも輪郭化されて、認識することができれば、逆に恐れがなくなるんじゃないかな、って思うことがあって。無視することでは恐れは解消できないけど、認識することで怯えがなくなるのではないか、というような。

見ないことによって却って知らぬうちにその悪に取り込まれてしまうかも知れない、というね。怖いものをあえて見ることで強くなる、という感覚は分かる気がします。いまの「恐れ」ということで思い出しましたが、やはりこの音楽の、特異ともいうべき静かさについても伺いたいです。静かさって、リラックスもさせるけど時にすごく不安を喚起させもしますよね。子供の頃、周りが静か過ぎることで逆に泣き出してしまったりとか。

J:わかります。

「静か」というのは心地いいということだけではない、という意識があるのかなと思ったのですが。

j:naomiさんと一緒に音楽を作りはじめた時期、反骨精神のある音楽がすごく好きで。そのなかで何がいちばんパンクなのかって考えるときに、もちろん大きい音を出して真正面からぶつかっていくのもすごくカッコいいんだけど、東京の渋谷で、絶えず様々な音が無秩序に鳴っているところで、それを「フッ」と止めるというようなことがもっとも、パンクかな、と思ったんです。

なるほど。コデインとかロウとか、かつてスロウコアと呼ばれたバンドたちも、ポスト・ハードコア的文脈から出てきたということを思い起こさせる話ですね。わちゃわちゃしたものがレベル・ミュージックの主流だと思われがちなところに、カウンター加えてやろう、というような?

j:そうですね。

野田:では自分たちが勇気づけられた音楽ってなんですか?

n:STRUGGLE FOR PRIDE。音源ももちろん聴いてますが、やっぱりライヴですかね。

野田:いつ観たんですか?

n:「RAW LIFE」の頃に初めて観て。

それはどういう意味で勇気づけられたんでしょう?

n:「音楽をやろう!」って思ったんです。「俺もやりたい!」って。みんなが楽しそうにしていて。「RAW LIFE」とか「CHAOS PARK」とかで、大きな規模じゃなくても、自分たちで手作りの楽しい空間が作れるんだ、っていう気持ちを持った。僕らもいつも飲食店とかでライヴをするけど、店の人と俺たちとお客さんだけで勝手にやっている感じ。そういうのはあの時の経験に勇気づけられているかもしれないです。

janさんは?

j:具体的に「この出来事」というのはないんですけど、聖歌かな。いろんな音楽を聴いて、ああだこうだいろいろ考えはじめちゃうときに、ふとグレゴリオ聖歌のレコードをかけたりする。自分の心臓の鼓動だけ聞いて、それに正直にいれば良いんだという気持ちに戻れる。

僕は聖歌を聴いていると美しいなと思うと同時にちょっと空恐ろしくなってくることもあって……。

j:そういう風に感じるプロセス自体も一気にフッとなくなって、子宮のなかにいる胎児のような気持ちになる。完全に無意識に状態になれる。瞑想とは違うんですけど。普段の生活で人と話したことなどは、記憶としては蓄積されていくんだけど、その記憶のなかにだけに埋もれないようにする。その、埋もれないでいられるというこが喜び。

お話しているとふたりで本当にタイプが違いますね。

野田:そうだよねえ。SFP v.s.聖歌だもんね(笑)。

違いもあるけど、でも一緒に演っていると。

野田:むしろ違いがあるからこそ合うんじゃないですかね。

具体的な方向性は違えど、ふたりともエクストリームなものが好きってことは共通しているということですかね?

n:ハッとさせられるものが好き。

変にバランスを取ろうとしているものより振り切れたものが好き?

n:うん。

j:エクストリームなもの、例えばノイズとか聴いていても、俺は聖歌と同じ様に聞こえることもあったりしますね。

音楽以外にもいろいろファッションやアートにも興味があって実際にも繋がりがあると思うのですが、それらについてもやはりエクストリームなものが好きですか?

j:うん。

n:好きですね。

例えばさっきも話に出た渋谷の再開発で見えてくる破壊と再生というもの……。僕らが制作に至るまで、そして歌詞が完成するまでの日々の歩みですね。


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野田:アートワークをChim↑Pomにお願いしようと思った理由は?

n:Chim↑Pomとは去年の夏に出会って、彼らのイベントに呼んでもらってライヴをやって。ジャケットは自分たちがやるよりも誰か外部の人に頼みたいなってずっと思っていて、誰か面白い人いないかなって考えていた時、年末に新宿で演ったライヴにまたChim↑Pomが観に来てくれて。ちょうどレコーディングも中盤に差し掛かっていて、そろそろアートワーク周りの話を本格的にしなきゃなってときに彼らに再会したから、その場のインスピレーションで「ジャケの制作とかやるんですか?」って訊いてみたら「いいよ」って言ってくれたので、お願いすることしたんです。

内容はChim↑Pomに一任って感じ?

n:そうですね。いくつか提案してもらって、その中から一つだけ選ばせてもらいました。

(ジャケットを見ながら)これって、琥珀ですかね……? 琥珀のなかに何かが入っている…?

j:いや、ドラム缶なんですよ、それ。

n:ドラム缶の中にエリイちゃんが入っているのを実際に上から撮ったらしいです。

え! そんなんだ。全然気づかなかったけど、そう言われてみるとたしかに人間が入っている。

j:ドラム缶に閉じ込められている女性っていうのが、寂れゆく都市、再生していく都市というこのアルバムの世界観に合っていると思います。

なにかの動物の受精卵のようなものかな、とも思いました。

n:そういう解釈もいいですよね。蓄光印刷にしてもらったので、これが暗闇で光るんですよ。それも受精卵とか、かぐや姫のような感じがあっていいなと思う。

野田:俺は繭のなかに人間がいる、と思ったんだよね。jan and naomiの音楽はどこかシェルターっぽいから、そのなかにいる女の子というふうな見方だった。まさかドラム缶だったとは。Chim↑PomとかSFPとか、渋谷の話とか、基本的にjan and naomiはアティチュードがパンクなんだね。

n:そうだと思います。だから、ジェイムス・ブレイクとボン・イヴェールに対して興味ないのも理解してくれました(笑)?

◎ツアー情報

【Fracture tour 2018】

2018年6月23日(土) 北海道・札幌PROVO
前売り:¥2,500 (税込・1Drink別)
PROVO電話予約:011-211-4821
メール予約:osso@provo.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】PROVO 011-211-4821

2018年7月14日(土) 福岡・UNION SODA
前売り:¥2,500 (1Drink別)
チケットぴあ P-コード: 118-465
Live Pocket : https://t.livepocket.jp/e/4dw_4
メール予約 : info@herbay.co.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】HERBAY 092-406-8466 / info@herbay.co.jp

2018年7月16日(月祝) 京都・UrBANGUILD
前売り:¥2,500 (1Drink別)
Urbanguild HP予約:https://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/180716_fracturetour2018
ePlus:https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002262177P0030001
【問】Urbanguild 075-212-1125

2018年7月21日(土) 東京 ドイツ文化会館 OAGホール(6/9チケット発売)
前売り: 立ち見¥2,500・座席指定¥3,500 (1Drink別)
ePlus:https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002262177P0030003
【問】Slowhand Relation inc. 03-3496-2400


◎イベント出演

7/6 TOKYO CUTTING EDGE vol.02
@ liquidroom open/start 24:00
ticket now on sale
Line Up:長岡亮介 / jan and naomi / WONK DJ:SHINICHI OSAWA(MONDO GROSSO) / EYヨ(BOREDOMS) / DJ AYASHIGE(wrench)
https://cuttingedge-tokyo.jp/

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