「W K」と一致するもの

mark william lewis - ele-king

 霧の街のソングライター、マーク・ウィリアム・ルイスには様々なアクセス・ポイントが存在する。映画制作・配給会社A24が始めた音楽レーベル〈A24 Music〉が契約した最初アーティストであり、バー・イタリアの3人やダブル・ヴァーゴのふたりの後ろでドラムを叩いていた男、のとりわけ『The Redeemer』の陰鬱な空気を身にまとい、ジェフ・バックリィやエリオット・スミスなどのシンガーソングライターの方向からでも辿り着くことができ、さらにはニューヨークのラッパーMIKEのアルバム『Burning Desire』やtiny deskにも姿を見つけることができる。ゴールドスミス大学でアートを学び、音を手にした詩人でもある彼は作家の父親のもとで育ち、アレン・ギンズバーグ、ジェイムズ・ジョイス、T・S・エリオットに影響を受けたようだ。そうして21年にEP「Pleasure Is Everything」22年に自主制作の1stアルバム『Living』を作り上げロンドンのアンダーグラウンド・シーンでその名をささやかれ続けてきた。

 そして今年2025年に〈A24〉からリリースされたこの2ndアルバムが素晴らしいのだ。ボブ・ディランやニール・ヤングというようなアコースティック・ギターにハーモニカを携える伝統的なシンガー・ソングライターのスタイルの土台の上にそっと色を重ねるように彼は音色のテクスチャーを置く。それはエレクトリック・ギターの柔らかく歪んだ響きであり夜の街に溶けていくようなハーモニカの音であり、控えめに添えられるシンセサイザーの粒である。
 たとえば “Spit” のような曲ではダウナーなバー・イタリア・マナーで薄く重ねるシンセと他の曲と比べて高く明瞭なヴォーカルメロディをのせる。“Petals” ではヴィニ・ライリーを強く意識したであろう浮遊感のあるギターのフレーズを中心に組み立て左右の空間に色を置いていくかのごとく音を重ねる。悪夢のように歪んだギターの音から始まる “Brain” はディーン・ブラントの要素が色濃く残り、彼がドラムを叩いていた〈World music〉のバンドたちに通じるような曲に仕上げている。
 そして彼の低く柔らかに伸びる声がこの音楽をより一層魅力的にしている。“Recent Future” や “Ugly” での寄り添うように静かに思索を重ねるバリトン・ヴォイスはもちろんのこと “Senventeen” ではエリオット・スミスを彷彿させるようなコーラスワークを披露し伸びやかな声を重ね世界を形作る。ハーモニカの音の後に続けられるそれは清涼感と同時にわずかな喪失感を与えてくる。あたかも過ぎ去った年月を見つめているかのように。「誰もそのことを話さない/何が起こったのか本当のことを誰も知らない」固有名詞を使わずにはっきりと何かを指し示すことのない彼の曖昧のささやきは音と合わさり宙にイメージを浮かばせる。距離があるからこそ俯瞰して見ることが出来る、極端ではない小さな感情のざわめきがそこにはあるのだ。

 夜の街を一人歩くときのサウンドトラック、街の明かりの粒に足音のリズム、かすかに香る人の気配、それらは夜の闇で思索する意識の中へと消えていく。マーク・ウィリアム・ルイスの音楽は徹底的に滑らかだ。付け加えられる全ての要素はアクセント、隠し味のスパイスとして機能して、決してやりすぎず中心にはなりはしない(中心におかれるのはいつだってギターとその声だ)。勢いまかせに投げ込むのではない70%の意図を弾くストレート。彼はまるで夜の風景をスケッチするかごとく音像を描いていく。シンプルにしかし謎めいて。頭の中に浮かぶそれはまるでいつか見ようと胸に抱えた映画のように反芻される。

 実のところ22年当時、バー・イタリア虫ジャケット『bedhead』のいびつな美しさにやられていた僕はマーク・ウィリアム・ルイスの整えられた映像的な美にいまいちピンと来ていなかった。だが間をおき様々な音楽を経由することで(ヴィニ・ライリーというのが自分にとってのポイントだったのかもしれない)その魅力にアクセスすることができた。そうやって改めて最初のEPから聞き直し彼の魅力に気がついたのだ。

 そう、マーク・ウィリアム・ルイスには様々なアクセスポイントが存在する。沼のようにはズブズブと沈まない、雨というには軽やかで、ひんやりと濡れるような気配がし、つかみどころがない。やはりマーク・ウィリアム・ルイスの音楽は霧なのだ。そうしてこの霧はきっと何年経っても同じように夜の孤独を優しく迎え入れてくれるだろう。冷たい空気に寄り添い幻想的に街の灯りを歪ませる、小さな空白がここにはあるのだ。

CYK - ele-king

 日本のハウス・ミュージック・コレクティヴ、CYKが結成9周年を記念し、パーティ・シリーズ〈CYK 9th Anniversary Series -Side β-〉を渋谷・WWWβにて3ヶ月連続開催。10月24日(金)、11月29日(土)、12月26日(金)の3日程でそれぞれ異なるカラーを表現する。

 9年の歩みを象徴するかのように幅広い出演者を募っており、国産名門レーベル〈NC4K〉よりStones TaroとLomaxを、DJコレクティヴ・チーム〈FULLHOUSE〉よりkengotakiとr1kuを招聘。ポスト・ハードコアを音楽性の軸としつつもダンスフロアへの理解度も高いバンド・the hatchによるDJセットも披露されるなど、その内容は多岐にわたる。たんなるお祝い事では終わらせない、実験精神あふれるアニヴァーサリー・イヴェント。

CYK 9th Anniversary Series -Side β-

DATE: 10/24(Fri) / 11/29(Sat) / 12/26(Fri)
VENUE: WWWβ
OPEN: 23:59
DOOR: ¥2,500 / ADV: ¥2,000 / U23: ¥1,500
More Info: https://www-shibuya.jp/

Side β - 1 / 10/24(Fri)
FLOOR: Stones Taro / Lomax / CYK
LOUNGE: akii / K8 / Nari
ADV. https://t.livepocket.jp/e/20251024wwwb

Side β - 2 / 11/29(Sat)
FLOOR: Kuniyuki / DNG / Kotsu / Nari
LOUNGE: the hatch (DJ) / Kotsu / michika
ADV. https://t.livepocket.jp/e/20251129wwwb

Side β - 3 / 12/26(Fri)
FLOOR: Gonno(WC / International Feel / Ostgut Ton) / Kotsu B2B kengotaki / Nari B2B r1ku
LOUNGE: DNG B2B HannaH / MIZUKI OGISU / lostbaggage
ADV. https://t.livepocket.jp/e/20251226wwwb

東京拠点のハウス・ミュージック・コレクティヴ、CYKの9周年を祝するパーティー・シリーズが、WWWβにて敢行される。本シリーズは10月から12月にかけて3ヶ月連続で開催。渋谷文化圏の物理的/文化的最深層に位置し、CYKにとってはキャリア初期の古巣の一つであるWWWβのダークなフロア。そこでハウスと共に高揚に向かう様を"Side β"と称し、10年目に向かうCYKの今後と、彼らなりのハウス・ミュージックの在り方を探っていく。

各月において同行するのは、京都拠点のレーベルNC4Kを主導しベース・ミュージックとハウスの垣根に真摯に向き合い軽やかに越えていく良き友人たちStones TaroとLomax。札幌の至宝として世代と国境を越えリスペクトを集め、2022年にCONTACTにて開催されたCYKではディープ・ハウスの果てない正史を伝導してくれたKuniyuki。近年は自身のレーベルSankaを立ち上げると共に、情熱的なストーリーを描くDJプレイをもって隆盛極まるアジア圏のクラブ・シーンでも躍動するGonno。各回においてCYKの面々と共に、フロアをどこまで連れて行ってくれるだろうか。

加えて12月には、CYKのKostu、NariとB2Bを披露してくれるkengotakiとr1ku(from FULLHOUSE)といった戦友とも呼べる両名が、パーティーへの助力を引き受けてくれた。また、パーティーの入口となるラウンジには、9年間の活動を通してCYKのメンバーそれぞれと関わりを持ってきた友人たちが登場する。それぞれの音楽への偏愛や培われた文脈/関係性を武器に、フロアとの対比や補完を繰り広げる、フレッシュでいて濃厚な社交の場となるだろう。

ここまで本文を読んでくれた熱心なクラバーであるあなたが、もしレコードを手に取ったことがあるならば。添えられるように収録されたB面の良さに時を経てから気づき、高揚する、そんな経験はないだろうか。今回のサブタイトル"Side β"は、そういった出来事とWWWβに因んでいる。今回のパーティー・シリーズが、9年という時を重ねたCYKのアニバーサリーに際して、あるいは東京クラブシーンのオルタナティブ・スペースWWWβに触れる中で、改めて純粋なハウス・ミュージックの高揚と感動に触れる機会となることを、切に願っている。

(Text by DNG)

Lawrence Watson - ele-king

 写真家ローレンス・ワトソンによる展示会「Lawrence Watson Britpop UK Rock Exhibition」が開催される。水道橋のGALLERY 2511にて、会期は10月22日(水)から10月27日(月)まで。
 ワトソンはポール・ウェラーやペット・ショップ・ボーイズ、オアシスなどのジャケット写真、ライヴ写真ん、スタジオ写真を多く手がけてきたフォトグラファー。今回の展示では、ギャラガー兄弟、ポール・ウェラー&ノエル・ギャラガー&プライマル・スクリームのコラボ・ショット、ザ・スミスのオリジナル・メンバーによる最後のフォトセッション、ペット・ショップ・ボーイズのアートワークに使用された成田空港での一枚、パルプ、そしてニーキャップなどが展示されるようだ。ぜひ足を運んでみよう。

[10月14日追記]
 ローレンス・ワトソン本人と彼の友人のドラマー、スティーヴ・シデルニク(Steve Sidelnyk、マドンナ、マッドネスなどのライヴで活躍)の来日が決定、在廊するとの情報が飛び込んできました。入場予約はこちら(https://select-type.com/rsv/?id=GQE3Z4KXcfc)から、最新情報はSNSでご確認ください(公式サイト:https://britpop.jp/、X:https://x.com/britpop_jp、Instagram:https://www.instagram.com/britpop.jp/)

会場:GALLERY 2511 / 千代田区西神田2-5-11 3F
最寄り駅等:水道橋駅徒歩6分・神保町駅徒歩8分・東京ドーム徒歩10分
期間:10/22(水)~10/27(月) 13:00- 21:00(土日10:00 - 17:30最終日10/27(月)は10:00 - 15:00)
入場無料(混雑時整理券配布) / 抽選で「リアム・ギャラガー」ポスタープレゼント!
https://britpop.jp/
https://britpop.jp/,https://britpop.jp/

Duval Timothy - ele-king

 2018年から剋目すべきアンビエント作品をリリースしてきたDuval Timothy(デュヴァル・ティモシー)は、ケンドリック・ラマーの『Mr.Molare&The Big Steppers』でピアノを弾いたことで一躍知名度を高めた才人である。だが、筆者は彼をミュージシャンと呼ぶのにいささかのためらいを覚えてしまう。それは、彼が絵画や写真やデザインなどの制作も行っている、という理由からだけではない。音響を設計する手さばきに卓越した技能をもつ彼は、むしろサウンド・デザイナーと呼ぶのが相応しいと思うからだ。
 もっと言えば、彼は音楽を使って建築や彫刻に近いものを切り出しているように感じられる。空間構成のダイナミズムに長けた人なのだろう。どこにどの音を配置したらどのような効果をリスナーにもたらすかを、徹底的に知り尽くしているのではないだろうか。そうした鋭敏な感受性が新作『wishful thinking』の隅々には息づいている。

 南ロンドンとシオラレオネを拠点にしている彼は、シエラレオネの首都フリータウンに自宅兼スタジオを所有しており、そこで創作に励んでいるという。本作の作業も基本的にここで行われている。主軸となるのはギター、ベース、ピアノ、ハープシコード、エレクトロニクス、フィールド・レコーディングによる具体音である。
 そのサウンドは、流動的で浮遊感に溢れながら、いびつで整然としていない。どこか割り切れない過剰さを孕み、アンビエントと括るのを躊躇してしまう異形のものとしてある。例えば2曲目“big flex”では、端正なピアノの調べが突如ピッチベンドにより極端に歪曲/変形させられる。これには時空が歪むような効果があり、先述した過剰さのひとつの表れとみることができるだろう。

 ビートは意図的にクォンタイズされていない箇所も多く、何かが足りなかったり多すぎたりするような印象を与えるのも特徴だ。“long life”では唐突にキックが挿まれるのだが、それが続いて定則的なビートを刻むわけでもない。フィールド・レコーディングによるモーター音や話し声や車のクラクションも楽器の音と噛み合っているのかいないのか分からない。サブウーハーから発せられたような地鳴りの如きベース音が突如響くこともある。
 だが、そうした意想外の心地の悪さがクセになるのだ。次にどんな音が鳴るのか、鳴らないのか、変調されるのか、まったく予想できない。反復からの急なズラしには予定調和の欠片もなく、しばしば度胆を抜かれる。決して油断できない。

 本作でもうひとつ重要な要素はダブの発想だ。デュヴァルにとってはリー・ペリーやキング・タビーがそうだったように、レコーディング・スタジオも楽器のひとつなのだと思う。“sleep”の冒頭ではエリック・サティを想わせるピアノのフレーズが反復されるが、極端なディレイとピッチベンドのかかった音が混じり合い、もはやまったく原型を留めていない。その旋律は優美極まりないが、醸し出される空気は不穏そのものである。『ワールド・オブ・エコー』(=反響の世界)という、アーサー・ラッセルのアルバム・タイトルを連想する、という人もいるだろう。

 冒頭で建築にも触れたように、本作は左右非対称で流線形の建築物のような様相を呈している。「住宅は住む機械」と言い放った近代建築の巨匠ル・コルビジェ(1887‒1965) は活動の後期に、建築の指揮のもとで絵画や彫刻をつなぐ試みを「諸芸術の綜合」と言い表した。やや大げさに言うならば、デュヴァル・ティモシーこそは音楽の領域でそのような「綜合」を行っているように思えてならない。

Sai Sei Sei 2025 - ele-king

 アンビエントないし環境音楽の波がつづいている。11月1日(土)から2日(日)にかけ、京王多摩センターにあるグリーン・ワイズにて、アンビエントや環境音楽にフォーカスしたフェスティヴァルが開催される。ふだんは緑化事業を手掛け、近年はサウンド分野にもとりくんでいる企業のGREEN WISEと、レコード店のKankyō Records、そしてスピーカー・ブランドのADAM Audioの3者による企画で、ヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーランによる新プロジェクト、コンポニウム・アンサンブルをはじめ、尾島由郎+柴野さつき、SUGAI KEN畠山地平伊達伯欣、カール・ストーン、INOYAMA LANDなど強力な面々が集合する。都市型環境音楽フェスということで、ほかにはないロケーションで音楽を体験できそうだ。詳細は下記より。

Sai Sei Sei 2025 – GREEN WISE × Kankyō Records × ADAM Audio。
都市と自然の関係を問い直し、未来へとつながる “リジェネラティブ=再生成” な環境と文化を考える都市型フェスティバル 〈Sai Sei Sei 2025〉 を開催します。

〈Sai Sei Sei 2025〉 は、会場となるGREEN WISEの植物温室を舞台に、音楽、アート、トーク、そして食を通じて、 “リジェネラティブ=再生成” な体験を楽しむ、総合的な都市型フェスティバルです。様々な環境共生事業を展開する〈GREEN WISE〉と、住環境での音楽体験を追求する〈Kankyō Records〉のコラボレーションによって誕生しました。

出演アーティストは、Visible CloaksのSpencer Doranが新たに始動したプロジェクト〈コンポニウム・アンサンブル〉や、Yoshio Ojima + Satsuki Shibano、Carl Stone、INOYAMA LAND、Sonic Mind(Yumiko Morioka & James Greer)、Sugai Ken、Chihei Hatakeyama、Tomoyoshi Dateなど、国内外のアンビエント・エクスペリメンタルミュージックの重要アーティストたちです。

そして、このフェスティバルを象徴するような新しい音楽体験の試みとして、人間と自然の環境共生をコンセプトに数人のアーティストたちが即興演奏で空間を作る、回遊型特別ライブセッション〈Sai Sei Sei Live Installation〉が両日行われます。会場全体の音響はベルリンのスピーカーブランド〈ADAM Audio〉によるサウンドシステムを導入し、超高解像度な音楽体験を提供。

そのほか、〈GREEN WISE〉によるアートインスタレーションや、自然、生きもの、地域がつながる循環型レストラン〈Maruta〉プロデュースによるフード&ドリンク、高品質な輸入カーペットを取り扱う〈Oshima Pros〉による手触りの良いカーペットなど、人間の様々な感覚が呼び起こされるような、まったく新しいタイプのフェスティバル体験をどうぞお楽しみください。

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Sai Sei Sei 2025

開催日時:
●2025年11月1日(土)
OPEN 15:00 / CLOSE 21:00
●2025年11月2日(日)
OPEN 15:00 / CLOSE 21:00

出演アーティスト:
●11/1
・Componium Ensemble(Spencer Doran)
・Yoshio Ojima + Satsuki Shibano
・Sugai Ken
・Chihei Hatakeyama
・Tomoyoshi Date
and more...
●11/2
・Carl Stone
・INOYAMA LAND
・Sonic Mind(Yumiko Morioka & James Greer)
・Jesus Weekend
・Tatsuro Murakami
・grrrden
and more...

Art Exhibition: GREEN WISE
Sound: ADAM Audio
PA: Nekomachi
Lighting: Yasushi Harada
Carpet: Oshima Pros
Food & Drink: Maruta
Graphic Design: Yudai Osawa

開催場所:
株式会社グリーン・ワイズ(〒206-0042 東京都多摩市山王下2-2-2)
※駐車場はご利用できません。ご了承ください。
Google Map: https://maps.app.goo.gl/QDLw6eSNL9oGQGyN8

チケット(完全予約制):
●通常チケット(各日90枚限定):¥9,000
●早割チケット(各日10枚限定):¥8,000
●2daysチケット:¥16,000
↓予約はKankyō RecordsのECサイトから
URL: https://kankyorecords.com/?pid=188559316
※未就学児無料
※実物チケットはありません。当日エントランスにて、予約時に記載のお名前をお伝えください。

企画・制作:
GREEN WISE
Kankyō Records
ADAM Audio

協賛:
Maruta
Oshima Pros

イベント公式INSTAGRAMアカウント:
https://www.instagram.com/saiseisei/

Kara-Lis Coverdale - ele-king

 エストニア系カナダ人の作曲家/サウンドアーティスト、カラ=リス・カヴァーデイル。彼女はその新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』で「沈黙の向こう側にある音楽」を提示している。いわば21世紀における新しいノクターン(夜想曲)を提示するこのアルバムは、深夜の静けさを思わせる旋律がゆるやかに漂い、聴き手の感覚に揺さぶりをかけてくれる。「音」と「沈黙」の境界にある感覚を呼び覚ますのだ。

 その独自の音楽観を理解するために、まずカヴァーデイルの歩みを振り返ってみたい。芸術家の家系に生まれたカヴァーデイルは幼少期から音楽に親しみ、5歳でピアノを始めた。早くから作曲や即興の才能を開花させ、何と13〜14歳にはカナダの複数の教会でオルガニスト兼音楽監督を務めていたという。
 その後、オンタリオ州のウェスタン・オンタリオ大学でピアノ、作曲、音楽学を学んでいる。2010年にモントリオールへ拠点を移すと、エレクトロニック音楽制作に本格的に取り組む。あのティム・ヘッカーらとも交流・共演を重ねた。
 2014年に〈Constellation Tatsu〉からカセット作品『A 480』を発表する。翌2015年には〈Sacred Phrases〉から『Aftertouches』を、〈Umor Rex〉からはLXV(デイヴィッド・サットン)との共作『Sirens』をリリースした。2017年の『Grafts』では神話的なサウンドスケープを提示し、『Aftertouches』、『Sirens』、『Grafts』の3作は、2010年代のアンビエント/実験音楽シーンで大きな注目を集め、同時代を代表する作品のひとつとなった。私見ではワン・オートリックス・ポイント・ネヴァーと並ぶ10年代的な電子音楽/アンビエントを象徴するアーティストと思っている。
 だが、アルバムリリースは2017年以降、途切れた。確かに、その後も演奏やインスタレーションなど多彩な活動を展開していたが、アルバムや音源のリリースはほとんどされなかったのだ。私は一ファンとしてリリースをずっと待ち望んでいた。
 そして2025年5月。前作『Grafts』以来、なんと8年ぶりとなる新作『From Where You Came』をノルウェー・オスロのレーベル〈Smalltown Supersound〉から発表されたのだ。しかしこのアルバムは私を少なからず困惑させた。不穏なアートワークと宗教的なアンビエント・シューゲイザーとでも形容したい音がどうしようもない齟齬を生み、どう評価すべきかすぐには分からなかったのだ。
 そのリリースから、わずか4か月後の9月、彼女はピアノ・ソロによる『A Series of Actions in a Sphere of Forever』をリリースした。アンビエントや電子音響を探求してきたカヴァーデイルが、自らの原点である「ピアノ」を通して、改めて「音とは何か」を問い直した作品であった。
 私は『A Series of Actions in a Sphere of Forever』を聴き、初めて『From Where You Came』を理解できたと思った。天国的・神話的な世界からこの苦難に満ちた現実に彼女は「帰還」したのだと思う。
 それゆえ、まず新作を語る前に、前作『From Where You Came』に触れておく必要がある。『From Where You Came』は、パリのGRMやストックホルムEMSで録音され、最終的にオンタリオの田園地帯で完成した本作には、チェリストのアン・ボーンやトロンボーン奏者カリア・ヴァンディーヴァーが参加。弦、管、鍵盤、モジュラー・シンセが交錯し、アニミズムと動物性を往還する全11曲のアンビエント・アルバムとなった。冒頭曲“Eternity”で彼女自身の声が響く。
 「すべては現実、人生は美しい」。それは生の肯定を宣言する言葉であり、喪失や孤独を幻想的な音響叙事詩へと変換していた。その二面性が、不穏なアルバムのアートワークにも刻まれている。
 一方、新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は大きな転換を示す。収録されたのは9曲のソロ・ピアノ作品のみ。これまで『Aftertouches』『Grafts』『From Where You Came』で電子音響とミニマル・ミュージックの交差を探究してきたカヴァーデイルは、今回はアコースティックの純度に耳を澄まし、ピアノの共鳴そのものに集中する。
 沈黙と静謐への傾斜は一層深まり、その音楽はブラームスのピアノ・ソナタを思わせる後期ロマン派的な気配を帯びる。ここでは「音」と「沈黙」の境界が溶け合い、聴き手は音の生成と消滅の双方に向き合う。
 まさに「沈黙の向こう側」である。天国的な宗教音楽/アンビエト・シューゲイザーからこの世界(現実)にある「沈黙」に耳を澄まし、そこにある「音」を見出すこと。受難と苦難を引き受け、「音楽」そのものを見出すこと。

 オンタリオの冬のスタジオで録音された『A Series of Actions in a Sphere of Forever』の9曲は、一見すると伝統的なノクターンの系譜に連なる。しかしそれはショパンやドビュッシーが描いた夢想的な夜ではなく、さらに深い夜更けに属する抽象的で観念的な「夜」だ。旋律は蜘蛛の糸のように繊細でありながら、濃密な流体を進むような確かな手応えをもつ。「夜を聴く」とは、空気の影に触れる行為なのかもしれない。
 1曲目 “Kõne, Vastu” は沈黙の森を歩くようにゆっくり進み、音と音の間の静寂そのものを響かせる。2曲目 “In Charge of the Hour” では、ショパンが21世紀に甦ったかのような優美な楽曲が展開される。3曲目 “Vortex” は不安定に崩れ落ちる響きが不協和に至る直前で踏みとどまり、ロマンティックな光を放つ。
 4曲目 “Circularism” では翳りの中にわずかな明るさが差し込み、遠くからピアノの高音が滲むように聴こえてくる。ここまでの流れだけでも、カヴァーデイルの作曲家としての力量は明らかだ。通俗的な旋律や単純なミニマリズムに頼らず、モダン・クラシカルの豊かな音楽性を展開している。
 5曲目 “Lowlands” ではプリペアド・ピアノを思わせる響きが現れ、6曲目 “Cumulative Resolution”、7曲目 “Turning Multitudes”、8曲目 “Soft Fold 3/4” と進むにつれ旋律は次第に明確化し、まるで朝霧の森を歩くような音楽が展開される。そして9曲目 “Suspension of Swallowed Earth” で音楽はふいに途切れ、残響だけが静謐に響きながら幕を閉じる。夜の終わり、そして夜明けの光が訪れる瞬間である。
 本作を貫くのはピアノの自然な共鳴だ。電子的処理は最小限に抑えられ、旋律をかすかに滲ませ、倍音を柔らかく重ねる程度にとどまる。演奏者の呼吸音すら取り込み、身体のリズムと楽器の響きが重なり合う。
 演奏は抽象的な音の配置ではなく、生身の呼吸を伴う出来事として立ち上がる。テンポは一貫して遅く、旋律の生成と同じくらい、その消滅の過程に重きが置かれている。減速と抑制の中から立ち上がる情感は、ルネサンス後期の旋法や戦後ミニマリズムの技法、そしてカヴァーデイル独自の音楽体系に支えられている。
 『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は、過剰な音響を排し、ピアノという最小の装置を通じて世界を再構築する試みだ。呼吸と残響、発生と消滅。そのすべてが有機的な循環を描き、聴き手を夜の深淵へと導く。このアルバムは「空間におけるハーモニーの探究」であり「沈黙へのアンチテーゼ」なのだ。ロマン派的な響きを宿しながらも同時に現代的であるのは、この音響を姿勢ゆえだろう。

 外界と身体の遭遇による不安と共鳴を描いた『From Where You Came』から、内奥の静謐を追求する『A Series of Actions in a Sphere of Forever』へ。二作を並べて聴けば、カヴァーデイルがいかに「沈黙」に挑み、その向こうにある「音楽」を切り拓いてきたのか、そのさまが鮮やかに浮かび上がるはずだ。

9月30日 レツゴー正司(レツゴー三匹) - ele-king

※安田謙一(略歴担当)による序文はこちらから

レツゴー正司(レツゴー三匹)

1940年8月10日生まれ。漫才師。兄はルーキー新一。キューピー人形のように愛くるしいボケのレツゴーじゅん、ソウル歌手の如き風貌を持ちとぼけた顔で美声をきかせるレツゴー長作とのトリオ、レツゴー三匹を結成。身体を張った舞台で人気を博す。じゅんでーす、長作でーす。三波春夫でございます。

1917.8.4-2006.9.30
●レツゴーじゅん1945.7.2―2014.5.8
●レツゴー長作1943.9.29―2018.2.1

佐藤忠志(予備校教師)

1951年5月4日生まれ。予備校講師。代々木ゼミナール講師として高級スーツに高級時計を身にまとい教壇にあがる。入試に特化した英語授業と派手なファッションとのギャップとともに、「金ピカ先生」の異名で人気者に。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などタレント活動、教育評論もこなす。

1951.5.4-2019.9.24

淡谷のり子(歌手)

1907年8月12日生まれ。歌手。東洋音楽学校の声楽科でクラシックを学び、ソプラノ歌手に。流行歌歌手に転向、シャンソン、タンゴなど洋楽の日本語カヴァーなどを歌う中で、服部良一作曲の「別れのブルース」が大ヒット。ブルースの女王と称される。晩年も「ものまね王座決定戦」の審査員で人気者に。

1907.8.12-1999.9.22

林家三平(落語家)

1925年11月30日生まれ。落語家。父は7代目柳家小三治(後の7代目林家正蔵)。テレビ「新人落語会」の司会を機にお茶の間の人気者に。「よし子さん」、「どうもすいません」などのギャグを大流行させる。死の間際、医者からの「あなたは誰ですか」という問いに「加山雄三です」と答えた。

1925.11.30-1980.9.20

今東光(作家)

1898年3月26日生まれ。作家。「悪名」、「こつまなんきん」、「河内カルメン」など河内地方が舞台の小説(映画)で人気を博す。週刊プレイボーイ連載の人生相談「極道辻説法」では無頼漢の魅力を発揮。僧侶として谷崎潤一郎、川端康成に戒名を、瀬戸内「寂聴」に法名を与える。参議院議員も務めた。

1898.3.26-1977.9.19

2パック(ラッパー)

1971年6月16日生まれ。ラッパー。ブロンクス出身。ブラックパンサー党員の両親を持つ。元デジタル・アンダーグラウンド。ソロで「カリフォルニア・ラヴ」、アルバム『オール・アイズ・オン・ミー』などヒット作を放つ。ヒップホップ界の東海岸と西海岸の抗争に巻き込まれ、96年、凶弾に倒れる。

1971.6.16-1996.9.13

毛沢東(政治家)

1893年12月26日生まれ。政治家。中国共産党の指導者として、第二次大戦後、中国国民党との内戦に勝利、49年に中華人民共和国を成立、国家主席に。近代中国の英雄としての評価と共に、強制的な粛清や大量の犠牲者を出した大躍進政策など失策も多く、権力を行使した文化大革命も強い非難も受けた。

1893.12.26-1976.9.9

黒澤明(映画監督)

1910年3月23日生まれ。映画監督。「姿三四郎」でデビュー。「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。世界のクロサワに。「野良犬」、「生きる」、「七人の侍」、「用心棒」、「天国と地獄」など多くの名作を残す。見切れていた家を「あの家消して」と指示するなど、完璧主義者の伝説も数多い。

1910.3.23-1998.9.6

 今日、それがジャズであれブルースであれロックであれハウスであれラップであれ、「ポップ・ミュージック」と英語で括られてきた音楽とは、アメリカで生まれ(そしてイギリスとのキャッチボールのなかで)発展してきた音楽のことを指す。しかしながらアメリカとは、今日のトランプ政権を見れば一目瞭然だが、世界中に害悪をまき散らしてもいる。そう、そんなことはわかっている。ここで問題にしたいのは、そんな単純なことではない。

 単なる暴君に見えるトランプと彼のチームだが、じつのところ、かつて極右に抗したカウンター・カルチャーの論法を極右のなかに取り込んでいるのである。そう、かつて反抗のシンボルだったビートニク的なドレスダウン、ヒッピー的なオーガニック志向、ポップ・アート的なキャッチーなセンス、ファッション的なトレンドをテック産業の起業家たちが取り入れているように。
 悔しいけれどそうなのだ。で、彼らが解放した政治思想においては、もはや左派エリートの批判からもみずからを解放させている。彼らは民主主義を否定し、とにかく彼らの「自由」を手にしようとしている——これを専門用語で、「新反動(ネオ・リアクション)」と呼ぶ。カルトに思えるこんな考え方が、しかしホワイトハウスの頭脳を動かしている——事態は思っている以上にやっかいだ。なぜなら、自己批判能力を欠いた意識高い系が、ただただ彼らを批判し続けているあいだ、オルタ右翼は力をつけ、ヘタしたら私たちはガラス越しに彼らの革命を見ていただけだったのかもしれないのだから。

 いまアメリカで起きていることが何なんか、そもそもアメリカとはいったいどんな国なのか、なんでアメリカからかくも世界中を魅了するブラック・ミュージックが生まれたのか、そして日本人にとってそれはどんな意味があるのか、TVやネットからは見えないアメリカがここにある。
 これは文化戦争だ。「さよならアメリカ、さよならニッポン」……ではなく、これはあらためて「こんにちわアメリカ」なのだ。ふだんアメリカの音楽に親しんでいる読者のみなさん、より深く現在のアメリカを知っておこう、文化のなかの迷子にならないためにも。そんなわけで『アメリカ──すでに革命は起こっていたのか』、ためになるのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

『別冊ele-king アメリカ──すでに革命は起こっていたのか 新反動主義の時代におけるカルチャーの可能性』

インタヴュー:
・基本をおさらい、アメリカのはじまりから現在トランプがしていることの意味まで ▶渡辺靖
・アメリカを知るために、まずは二つの大きな矛盾に気づこう ▶大澤真幸
・ブラック・カルチャーが超重要な理由 ▶酒井隆史
・直近、ここ半年ほどのアメリカの状況を押さえておこう ▶三牧聖子
・話題の「新反動主義」ってなに? ▶岡本裕一朗
・いま「カウンターエリート」と呼ばれる人たちが出てきている ▶石田健

コラム:
・試しにアメリカから生まれた音楽がいっさいなかった世界を想像してみると…… ▶イアン・F・マーティン
・歴代大統領が掲げたキャッチフレーズからヴォネガットを連想してみる ▶水越真紀
・ケンドリック・ラマーを単純に支持できない理由 ▶緊那羅:Desi La
・数々の映画からアメリカの深層心理を探ってみる ▶三田格
・アメリカでは自分たちが世界の中心だと教えられる ▶ジリアン・マーシャル
・ヒップホップとトランプの親和性はつねにあった、でもそれだけじゃなくて…… ▶二木信
・トランプ的なもののルーツは、じつはヨーロッパにあり? ▶土田修
・アメリカへの複雑な思い、ウィルコの音楽を聴きながら ▶木津毅

編者:ele-king編集部
菊判/192ページ
ISBN:978-4-910511-97-9
本体1,800円+税
2025年9月22日発売

https://www.ele-king.net/books/011912/

目次

序文──もしくは21世紀の文化戦争から(野田努)

■インタヴュー
渡辺靖 アメリカは再び求心力を取り戻すことができるのか──破壊者にして救世主、トランプがもたらした「分断」のゆくえ
石田健 リベラルを敵視する「カウンターエリート」たちが夢見る未来──トランプ政権に影響を与えたピーター・ティールとカーティス・ヤーヴィンの思想
大澤真幸 アメリカという国の特殊性──過剰な宗教性、根強い黒人差別、そして異様なまでの冷戦への情熱
三牧聖子 いまこそ本当のポピュリストが求められている──2025年、アメリカ合衆国の現在地
岡本裕一朗 新反動主義が共感を集めることができた理由──ピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィンが登場してきた背景
酒井隆史 カウンター・カルチャーを再構築すること──ブラック・カルチャーからネオリベラリズムをとらえるとアメリカが見えてくる

■コラム
さよならアメリカ、さよなら日本(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
多様性の夢と包摂のパラドックス(水越真紀)
我が魂を引き裂くもの(緊那羅:デジ・ラ/野田努訳)
アメリカは「世界の終わり」を夢見ている(三田格)
国のない女──アメリカでアメリカ人として生まれ育つということは?(ジリアン・マーシャル/江口理恵訳)
ヒップホップの「抵抗」について考える──彼らはただ韻を踏んでいるだけではないのだ(二木信)
「米国第一主義」の源流はヨーロッパにあった?──欧州「極右」勢力の台頭とトランピズム(土田修)
アメリカを巡る曖昧な愛情(木津毅)

アメリカを知るためのブック・ガイド
(野田努、水越真紀、三田格、土田修、木津毅、二木信、小林拓音)

interview with Lucrecia Dalt - ele-king

 このインタヴューは、いまから10年ちょい前の話からはじまる。エレクトロニック・ミュージックのシーンでは明らかに異変がおきていて、それはざっくり大別すると、ニューエイジ的なるものとそうではないものだった。そして後者においては、ダンス・カルチャーの周縁部かその外側で、特筆すべき混淆が起きていたことが、時間が経ったいまではよりクリアに見える。それは、クラシックの分野で前衛音楽と括られるものとさまざまな大衆音楽(ないしはモダン・クラシカル、ノイズ、アンビエントやなんか)との雑交で、あたかもニューエイジ的な居心地の良さに反するかのような、サウンドの考究者たちの、遊び心のこもった冒険だった。
 このマージナルなシーンでは、多くの女性たちが目立っていたことも特筆すべきだろう。ローレル・ヘイロー、フェリシア・アトキンスン、サラ・ダヴァチー、クライン、メデリン・マーキー、ケイトリン・オーレリア・スミス、ホーリー・ハーンドン、クララ・ルイス、コリーンetc——コロンビア出身で、当時はベルリンに住んでいたルクレシア・ダルトもそんなひとりだった。

 前作『¡Ay!』によっていっきにその名を広めたダルトだが、それに次ぐ新作『A Danger to Ourselves』は、さらに多くのファンの心を掴むアルバムとなっている。ラテン版スコット・ウォーカーというか、南半球のポーティスヘッドというか、この暗闇のなかの光沢は、彼女の味のある「歌」、そして凝ったサウンド工作によって構成されている。ネジが狂ったクンビアのリズムからはじまるアルバムの冒頭“cosa rara”は、マッシヴ・アタックをコロンビアの地下室にテレポートしたかのようだ。この喩えに沿えば、デイヴィッド・シルヴィアンはトリッキーで、つまり幽霊のようにこの曲に参入する。しかし、それに続く曲“Amorcito Caradura”ではジュリー・クルーズめいたドリーミーな舞台をみせ、広大な視界へとリスナーを連れ出すのだ。そして、ラテン・ジャズ・エレクトロニカ(などと呼んでみたくなる)“stelliformia”やレトロ・ポップとグリッチとの美しい協奏“divina”等々——妖光を放つ曲がいくつも収録されたこのアルバムは、間違いなく今年のベストの1枚に入るだろう。

 ダルトは、現在アメリカに住んでいる。ロンドン在住の坂本麻里子氏に質問表を渡し、取材は日本時間の深夜に決行された。彼女の人となりもわかるインタヴューになったと思う。


Photo : Sammy Oortman Gerlings @sammyoortmangerlings

私の家は女性仕立屋の家柄で、ドレスや洋服を作っていて。それで個人相手の洋裁レッスンをおこない、そのかたわらで音楽を作っていった。そうしながらデモ・テープをMySpaceにアップしたところ、グートルン・グートが「コンピレーションに参加しないか」とコンタクトを取ってくれて。あれがもう、自分にとっては非常に強力なシグナルだったというか……

あなたの新作を聴いているとき、たまたまコーヘイ・マツナガと話す機会がありました。

ルクレシア・ダルト(LD):そうなんですか! ワーオ……!(嬉しそうに笑いながら)コーヘイとはもうずいぶん長いこと音信不通になっているけれども……。

「今度、ルクレシア・ダルトにインタヴューするんだよ」と彼に言ったら、喜んでくれて。10年前、コーヘイがベルリンに住んでいた頃、彼はあなたやローレル・ヘイローらと交流があったそうですね。とくにあなたには良くしてもらった思い出ばかりのようでした。

LD:わぁ、嬉しいな。

いっしょに公園に行ったり、自転車をプレゼントされたり——

LD:アハハッ! いや、あれは私のルームメイト。彼女がバースデー・プレゼントとして、彼に自転車をあげたんです。それに誕生パーティも開いて。

はい、お誕生会をしてもらったと言っていました。

LD:あのときはゼリーをたくさんこしらえました(笑)。

(笑)ゼリーを??

LD:(笑)ええ、彼が誕生日にゼリーのなかに浮かびたいと言っていたので、私たちはゼリーでいっぱいのケーキを作ったり、とにかくゼリーまみれになって。アハハハハッ! ゼリー中心のパーティで、あれはとても楽しかった……。

なるほど。それにジュリア・ホルターを紹介してもらったりした、と教えてくれました。こういう楽しそうな話を聞くと、まだベルリンの家賃も安かった時代、そにには、ボヘミアン気質のアーティストたちのコミュニティ的なところがあったのかなと想像します。

LD:はい。

ちょうどその当時は、〈PAN〉みたいなレーベルの周辺には、ダンスフロアとアカデミアとポストパンクの溝を埋めるようなエレクトロニック・ミュージックのシーンが発展途上でしたよね。あの頃は、みなさんどんな感じで活動されていたのでしょうか?

LD:記憶を呼び起こしてもらえて、とても嬉しいです。あの頃自分がいた時/場所を思い出しますね……あの時代のことはちょっと忘れ気味になっていました。というのも、あれは私が自作レコードの大半を作曲したアパートメント、あそこに移る以前の話なので。当時私はまだ友人と同居していましたし、暮らしていたのはとても妙なアパートメントで、バスルームは共同で屋外にありました(笑)。
 だからおっしゃる通り、何もかも、とてもボヘミアンな雰囲気でした。けれども私たちはあの頃に、コーヘイ、ラシャド・ベッカー、ローレル・へイローといった面々と過ごすチャンスを得たわけで……思うに異なる文脈を通じて、だったんでしょうね。非常にまとまりのあるコミュニティがあったとは思いませんし、むしろ個別のグループがポケット的に存在していて、とあるスペースに行くと出くわす面々がいて、また他の場所に行くと別の人びとと出会う、という具合で。私はずっととても多くの領域で実験してきたので、そういった可能性の数々を、音楽/ミュージシャン小集団のすべてを通り抜けて行くことができました。

坂本:なるほど。ゆるやかに連携した、異なる細胞群のようなものですね。

LD:ええ、そういうことです。少なくとも私自身はそう捉えていた。さまざまなグループに参加していましたし、そうするうちに私のいた集団の人びとはもっと「アーティストたち」になっていったというか……まあ、もっと折衷的でいろいろな人々の集まりだったんですけどね。それにあの頃のベルリンには、エレクトロニック・ミュージックのプロダクションの本当に多彩なレヴェルに触れられる、という側面がありました。おっしゃっていた通り、知的/アカデミックなものからより身体/感情に訴えるパンク的なもの、そしてもっと純粋にエレクトロニックなものまで。ですからベルリン時代は素晴らしかったなと感じます。


Photo : Louie Perea @perea.photo

つまりボレロの歌もロバート・アシュリーも、私にとっては同レヴェルに存在し得るし、かつそのどちらもリズム、質感、テクスト等について考える際のアーティストとしての私の組成にとって同等に重要。

あの時代、かつて前衛と括られていた音楽、リュック・フェラーリ、ロバート・アシュリー、アルヴィン・ルシエ等々を、アカデミアの文脈から切り離して現代のエレクトロニック・ミュージックのなかで再文脈化するみたいなことがあったと思います。かつてアカデミアのなかで聴かれていたような音楽が、いきなDJミュージックのひとつとして面白がられるみたいな。またその一方、あなたは〈Other People〉から発表したミックス作品では、さらに前衛ジャズを中心に選曲し、ドゥルッティ・コラムやコイルなどと交えていました。こうした、世界の非商業的な実験音楽を横断的に探索するみたいな動きが、なぜあの頃に起きたんだと思いますか?

LD:うーん、どうしてだったんでしょうね(笑)? とにかく……それが私のアートに対する考え方の一部だ、としか。本当に多くのさまざまなソース/諸グループから影響を受けるということですし、いまの例で言えばドゥルッティ・コラム、そしてロバート・アシュリーなんて、いっしょにするのはほとんど不可能に思えますけど(苦笑)、どういうわけか私からすれば理にかなっている。
 口で説明するのはむずかしいんですが、思うに——あの頃、私は友人で素晴らしいアーティストであるラヒーナ・デ・ミゲル(Regina de Miguel)とコラボレートしていて、そのときとても自由を感じました。彼女はヴィジュアル・アート畑出身の人なので、実に多彩なソースから影響を引いてそれらをミックスしていた。あれがとにかく、自由奔放に物事を混ぜ合わせることを恐れるな、というインスピレーションを自分にもたらしてくれたんじゃないかと思います。それに、感じるんです……だから、アーティストは脳の持つ折衷性を享受すべきだし、そのあるがままを許し、存在させてあげよう、と。
 というのも、そういう状態が起こるのは素晴らしいことだと思うんです! 私はコロンビア出身なので、そうしたさまざまなものはすべて同じレヴェルにある、というか。つまりボレロの歌もロバート・アシュリーも、私にとっては同レヴェルに存在し得るし、かつそのどちらもリズム、質感、テクスト等について考える際のアーティストとしての私の組成にとって同等に重要。ロバート・アシュリーは言うまでもなく、スポークン・ワーズ部がとても複雑ですよね。もちろんローリー・アンダースンにも同じことが言えますし、他にも数多くいますが。だからミュージシャンであれば、そうやって数限りない可能性に触れることになる、というのに近い。音楽のおかげでそうした小領域の数々に参加できるのは最高だと思います。あるときはジュリアン・ラーバー(Julian Rohrhuber)のような人と同じステージに立ち、今度はフェリックス・クビーン(Felix Kubin)と一緒にプレイし、その次にはもっと伝統的な意味でのバンドとも共演できる。そうした様々な飛び地のなかで居心地良く、自分をエイリアンのように感じるのが本当に好きなんです(笑)。

坂本:外世界からの訪問者、と。

LD:(笑)その通り。それは好きですね。

なんでこんなことを訊いたのかというと、あの時代、エレクトロニック・ミュージックのシーンは、癒し的なニューエイジに向かった人たちと、あなたやローレルやコーヘイのように過去の前衛を探索した人たちとに大別されると思うからです。

LD:はい。

リーマンショックから数年後の(暗いご時世のはじまりの)ことなので、ニューエイジに向かいたくなる気持ちもわからなくないのですが、その一方で、敢えて難解な音楽のほうに向かうってどういうことだったんだろうかと興味深く思っているからです。

LD:(笑)なるほど。私の場合——そこに関しては、バルセロナ現代美術館(MACBA)の功績も認めなくちゃいけません。というのも、同館のウェブラジオ主任のアナ・ラモス、彼女は本当に素晴らしい人で、サウンドの収集はもちろん、極めて複雑な音楽を制作したアーティストの作品を紹介することも考えた。彼女がウェブラジオ向けのポッドキャストを編集するのを当時手伝っていたおかげで、自分がそれまでまったく知らなかった驚異的なマテリアルの数々に触れることになった。それに彼女は、フランスのGRM(Groupe de Recherches Musicales/音楽研究グループ)でのレジデンシーにも招待してくれました。で、あの頃私はアーロン・ディロウェイ、これまたテープ・ループ等々に非常に入れ込んでいる人とのコラボレーションもはじめていて……
 というわけで、そうですね、「どうしてか」を説明するのはむずかしいんですが、思うにたぶん——ああ、ベルリンではCTMというフェスティヴァルも開催されていますね。CTMも、私たちにああした音楽を表現するためのスペースを提供してくれた重要なプラットフォームだと感じます。ですから私たちは現代美術館でああした、あらゆる類いの物事をミックスすることをやっていましたし、それは音楽的な領域はもちろん、それとは別の文脈においてもつじつまが合っていた。CTMフェスティヴァルは、異なるさまざまな主題にのめり込んでいたああした多彩な人びとを探し出し、出演させるという意味でとても賢明だったなと。ですから、ローレル・へイローの音楽と私の音楽には大きな隔たりがあると思う人もいるでしょうが、もしかしたら私たちは、知的な参照点の多くは共有しているかもしれない。で、それはほぼ同時期に起こっていたわけで、私たちはたとえば『The Wire』誌だったり——

坂本:(笑)なるほど。

LD:——(笑)たまたま同じ書籍を読んでいたからかもしれません。そんなわけでどういうわけか、私からすれば何もかもが均等化しましたし、音楽についての異なる考え方を抱くチャンスがもたらされた。それがアーティストとしての自分の成り立ちの一部になってくれて、本当に良かったと思います。

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ですから私たちは現代美術館でああした、あらゆる類いの物事をミックスすることをやっていましたし、それは音楽的な領域はもちろん、それとは別の文脈においてもつじつまが合っていた。

質問は、コロンビア時代の話になります。あなたがコロンビアのメデジン大学で土木工学を専攻した理由はなんでしょうか? ちょっと珍しい選択に思えますが……。

LD:(苦笑)たしかに。まあ、子供の頃はあれと同じくらいアートにも興味があったと思います。歌も好きで、絵も描いたし、バレエ教室に通ってダンスを学んだ。ただ、私にはとても理路整然と組織的な、すごく頭脳派とでもいうのか(笑)、数学・物理学等々が大好きな面もあるんです。80年代にコロンビアで育ったわけですが、あの頃「音楽で食べていく」という発想は、実際的・実利的に言っても当然のごとく筋が通らなかった。ですからとにかく、音楽は趣味になっていくんだろうな……と思いましたし、あくまで本業はエンジニアであって、アーティスティックな面は片手間に、自分の心を満足させるために(笑)音楽を作ろう、と。
 ところが工学の勉強を修了し、とある会社で働きはじめたところ、たちまち——あれは25歳のときでしたが、「自分が生きたい人生はこれじゃない」と悟りました。で、「いまこそ、そのタイミングだ」と思いましたし——と言っても、会社や仕事に対してまったく不平はありません。本当に素晴らしい職業だったと思います。ただとにかく、自分の直観とのコネクション、そしてアーティストになりたいという思いがとても恋しく思えて。で、私の父、そして友人のリカルドも「だったら少しの間やってみたら? 試しに2年くらいやってみて様子を見ればいい」と言ってくれた。それで「オーケイ、縫製業でお金はなんとか作れそうだ」と判断しました。
 私の家は女性仕立屋の家柄で、ドレスや洋服を作っていて。それで個人相手の洋裁レッスンをおこない、そのかたわらで音楽を作っていった。そうしながらデモ・テープをMySpaceにアップしたところ、グートルン・グート[※初期ノイバウテン、マラリア!等]が「コンピレーションに参加しないか」とコンタクトを取ってくれて。あれがもう、自分にとっては非常に強力なシグナルだったというか……グートルン・グートみたいにとても、とても重要な、シーンを、とくに女性アーティストのシーンを支援し続けてきた人が、自分のやっていることに何かを聴き取ってくれたんだ! と思いましたから。当時は自宅のベッドルームで、ごく安物のマイクロフォンに、MIDIキーボードひとつを相手に音楽を作っていました。それっきり。他には何も無し。でも、彼女は私のやっていたプロセスを信じてくれたし、私も「やっているこれらのことについて、ひたすら自分の直観を信じてそこに賭けよう」と感じはじめた。
 以後、土木系エンジニア業は振り返らずにやって来ました。そんなわけで、音楽の道を選んでからすいぶん経ったいまとなっては、自分が土木工学を学んだのは奇妙に思えますね、エンジニア職を辞めてもう20年にもなりますから(笑)。

その、音楽の道を選んだ決心について、あなたは『The Wire』とのインタヴューで「バルセロナのMACBAで開催された哲学者ジル・ドゥルーズに関する会議に参加することになって。彼の時間観について語り合ううちに、遂にすべてに納得がいくようになっていきました」と答えています。ドゥルーズの時間観(idea of time)について話したことがどうしてあなたに音楽の道へと進ませたのか、もうちょい説明を加えてもらってもいいでしょうか?

LD:私は哲学者ではないので、彼の大きな作業を完全に理解し、説明するのはもちろん無理です。でも思うに、視覚的な面で——なんというか、あの会議の講演者が時間について、「時間の折り重なり」というドゥルーズの時間観を話しはじめたんですね、著書『襞:ライプニッツとバロック』でも彼が模索したところですが。そこで自分にとってすべてつじつまが合いはじめたのは、私自身も、自分のやっていることは決して直線的ではないと思うからです。つまり、私のやっていることはもつれ合いのようなもので、そのなかから徐々に何かが意味を成していく、という。こんな風に(と、両手を重ね合わせ層を描くジェスチャー)。そこから、地質学を考えはじめました。たとえば深いところにある地層が突如隆起して、土地景観を変化させてしまうことがありますよね。
 というわけで、時間の非直線性に関するあのちょっとしたコメントを聞いて、その後も長いあいだ、大いに考えさせられることになって(笑)。それに、自分が土木系エンジニアとして働いていた事実を正当化する方法を見つけようとしてもいた、というか。エンジニアとしてさまざまな研究をおこなっていたとき、土壌分析他のために地質学由来のインフォメーションを常に考慮に入れていました。で、そのパートはいつも私には詩のように思えたんです、というのもそうした情報を通じて、その文脈において何が起こっていたのか、突如として自分は何千年も昔に引き戻されるので。そうやって「ここのこの土壌は、こんな風に探査できる」「ここはこういう風に切り出せる」と言えるだけでも、さまざまな形状やフォルムの基盤となるものを作り上げられますが、それでも私たちははるか昔の地層の情報すべてに責任を負っている、という。
 ですからある意味あのおかげで、エンジニアとしての自分の記憶群をよみがえらせるひとつの方法がもたらされました。そして、詩とそれが私自身の文脈に持ち込んでくれるさまざまなイメージに沿って活動していくやり方も。それでなんというか、(苦笑)かつて自分が長いあいだエンジニアとして働いた事実との一貫性、なぜそうだったかの根拠がもたらされたというか。

音楽をやるうえで、まずはバルセロナに移住したのはなぜでしょうか? スペイン語圏であることが大きかったのでしょうか? また、そこからベルリンに移住した理由は?

LD:バルセロナに移ったのは、私の当時のパートナー、彼があそこで暮らしていたからです。一緒に暮らしたくて移住することにしました。そのおかげで、彼の視点・考え方等々を通じて、それまでとはまったく違う人生が自分の前に開けましたね。
 続いてベルリンに移ったのは……あの頃にもう、「自分には変化が必要だ」と感じていました。ベルリンは良さそうに思えましたし、先ほどあなたがおっしゃったように、当時のベルリンはまだ物価・家賃も安く、とてもクリエイティヴな街で。それに、もっと刺激に富んだ環境に身を置く機会を自分に与えたいと思ったんです。30代前半でしたし、「よし!」と——だから、自分にはまだとても急な思いつきを実践できそうに思えましたし、そこで荷物は段ボール箱4つだけでベルリンに移った。最初に暮らした部屋は家賃が90ユーロだったんです!

坂本:(笑)嘘のような話ですね……。

LD:(笑)ええ。だから生活もちゃんと成り立つ、みたいな。と言ってもごく狭い小部屋で、ベッドの脇に「スタジオ」を組んで……というものでしたが、そんな風にはじまりました。そして、たしか音楽委員会(Berlin Music Board)という名称の機関に助成金を申請し、それでドイツ映画研究をスタートするきっかけが生まれた。そこから、ドイツで私が初めて作ったアルバム『Ou』(2015)に繫がりました。というわけで、実に多くの人びとと出会い様々な形でインスパイアされることになった、とても大事な場所になりましたね。

いえ、『¡Ay!』はブレイクスルー作品ですが、その前の作品、『No Era Sólida』が生まれた背景/経緯をお話いただけますでしょうか?

LD:『No Era Sólida』はとても……自然に無理なく出来ていった、声を用いてどんなことができるかを探った作品ですね。とても多くの事柄が元になった作品ですが、とにかくアイディアとしては、どうやったら自分自身を、自分の声を解放し、そうすることでそれをほぼ自律した存在にできるだろうか、ということでした。アフリカのルンバ音楽等を聴いて頭をそれに馴らし、そのフィーリングを念頭に置きながら、言葉や、ヴォイスのフローの邪魔になるものをすべて排するようにしました。
 あの頃ラシャド・ベッカーと親しくて、実際、ノード・モジュラーとヴォコーダーの可能性を探るように励ましてくれたのは彼でした。それで私は、一般的ないわゆる「ヴォコーダーのサウンド」とは違うものを出すにはどうすればいいか、かなりリサーチしはじめたんです。「どうやったらやれるだろう?」とものすごくオタクっぽくハマりましたし(笑)、『No Era Sólida』はだいたい、そういう風にできた作品です。とてものびのび自然にやったアルバムですし、そのほとんどはファースト・テイクというか。もちろんその後でいくつかの要素にプロダクション面で手も加えましたが、主要なアイディアは「とても即興性の高いジェスチャーからどうやってアルバムを1枚作るか?」にあった、そういう作品です。

アーロン・ディロウェイとの共作『Lucy & Aaron』はたいへんユニークなものでしたが——

LD:フフフッ!

あなたにとって彼との共同作業はどんな意味がありましたか?

LD:とても意義がありました。というのも、私は彼の作品/活動が本当に好きで――彼のライヴ・ショウが大好きなんです。彼とはMADEIRADiGというフェスティヴァルでいっしょになったことがあって。ポルトガル領の、アフリカ大陸に近いマデイラ島で開催されるフェスなんですが、彼がそこで演奏しているのを観て、テープ・ループくらいとても単純なものを使ってリズムを生む、という彼の考え方に強い感銘を受けた。彼のリズムは、テープ・ループの反復から生じるという類いのものです。
 そんなわけで私たちがコラボでとったプロセスはとても素敵でした。私から彼にシグナルを送り、彼がそれをキャッチしてループをこしらえ、ふたりでとても奇妙な素材を作り出し、それに載せて私が歌う。そしてそれを軸に更にオーディオ部も録音し……という感じで、お互いの発するシグナルと、それぞれに異なる作業のやり方とに作用し合った。アーロン・ディロウェイ、そして新作でのアレックス・ラザロもそうですが、私自身のヴォキャブラリーの、自分の歌の感覚の上に積み重ねていく可能性をもたらしてくれる、ああいうコラボレーションは私にはレアなんです。
 ですからアーロン・ディロウェイとの共作レコードで、私たちは「歌のフォルム」を少し探っていたなと感じます。たとえば〝Ojazo〟、あの曲を私はほとんどもうフラメンコの歌、フラメンコのラメント[※節の一種]に近いものにしたいと思いましたが、でも実際はそれとは無関係なテープ・ループの上に載っている、という。あのレコードは本当に気に入っています。あの作品にふたりで取り組めて本当に良かった。


Photo : Louie Perea @perea.photo

デイヴィッド・シルヴィアンはまず何よりも、指導者ですね。そして言うまでもなく、その指導の過程を通じていろいろなことが起こった。たとえば何曲かでギターを弾いていますし、ドラムスの録音場面にも立ち会い、コメントをいろいろと出してくれた。彼との仕事で本当にたくさん学んでいます。

デイヴィッド・シルヴィアンとはどのように知り合ったのでしょうか? 

LD:2、3年前にツィッター(現X)経由で彼にメッセージを送ったんです。私は『¡Ay!』を作っていて——というかリリースしようとしていたところで、あのアルバムの制作において彼の作品の影響が非常に大きかったと本人に伝えたかったので。とくにシンセサイザーのサウンド、そして歌としてのフォルムを維持しようとしつつもサウンド面に関しては自由奔放にやろう、という彼の独特な考え方ですね。それをきっかけにふたりの間で対話が始まり、仲良しになり、そしてその対話はいまも続いている……という(笑)

そうした流れで恊働することになった、と。彼の耽美的なアプローチは、あなたの世界と親和性があると思います。『A Danger to Ourselves』というアルバムにとって、彼の果たした役割はどのようなものだったとお考えでしょうか? 指導者/良き相談役?

LD:はい。彼はまず何よりも、指導者ですね。そして言うまでもなく、その指導の過程を通じていろいろなことが起こった。たとえば何曲かでギターを弾いていますし、ドラムスの録音場面にも立ち会い、コメントをいろいろと出してくれた。で、私はアルバムのプリ・ミックスを自分でやり、その上で彼が最終的なミキシングをまとめた。ですから実に多くのレヴェルで関わり、貢献してくれている。自分にはツールが不足していると感じたというか……だから、彼との仕事で本当にたくさん学んでいます。ヴォイスのレコーディングひとつとっても——あれは私にはまったく謎の領域で、これ以前はとても苦戦してきました。ところが彼と一緒に作業することで、私はとても特別なマイクロフォンを購入することになり、非常に多くの物事について、これまでとはかなり違う考え方をするようになっていった。彼は……自分が「ここにあるべきだ」と思った通りの場所にヴォイスを据える、その助けをしてくれました。彼みたいな人にしか、その助言はできなかっただろう、そう思います。というのも彼は——だから、彼自身の音楽にしても、たとえば『Blemish』(2003)でヴォイスはほとんどもう、聴き手の心にまっすぐ届く、そんな感じ。で、私は本当に、ヴォイスに込めた情動性を超えたかったし、ミキシングの技術を通じてそれを達成したかった。彼はそれを可能にしてくれたと思います。

新作がどのように生まれたのかを知りたく思います。前作『¡Ay!』のようなひとつのテーマに沿ったコンセプチュアルな作品ではない、『A Danger to Ourselves』はあなたの生活/人生経験から生まれた音楽という理解でいいのでしょうか?

LD:間違いなくそうですね、今回はもっと私自身が出ています。ただ、自分の生きてきた経験を通じ、そこにどうフィクションを交えるか、という面もあります——私の歌はときに、核となるアイディアはとてもシンプルな事柄、ロマンティシズムや官能性、人生をパートナーと共にする、といったことだったりします。そして、その上にシュルレアリズムといったフィクションの層を重ねていく。たとえば〝mala sangre〟では、私が何を描写しようとしているかはっきり目に浮かぶと思います。ほとんどネオ・ノワール映画の一場面に近いというか、何か奇妙なことが起こっているように思える。けれども奇妙だなんてことはなくて、とてつもなく大きな情熱を抱くとああしたことを実際に感じるんです。だから私はある意味作為的なトリックを使って、とてもストレンジな、この「愛」なる現象を説明しようとしている、という。

新作は、いままで以上に「歌」が際立ったアルバムだと思いました。もちろんすべての曲にはあなた独自のテクスチャーがあるのですが、誤解を恐れずに言えば、これはルクレシア・ダルト流のポップ・ミュージックではないのかと。

LD:ええ、そうだと思います。同感。

ほとんどパーカッションで構成される〝cosa rara〟でも歌が耳に入ってきます。2曲目の〝amorcito caradura〟などは、ジュリー・クルーズ風のドリーム・ポップに近いものを感じました。アルバム中もっともポップな〝divina〟も魅力的な曲です。

LD:ありがとう。

作者の狙いとしては「歌」であること、「ポップ・ミュージック」の領域に接近することは意識されたのでしょうか?

LD:ポップなアルバムを作るのが重要、というわけではありません。ただ、いつもそう思うのですが、私はバラッド、シンプルなバラッドが本当に好きで。たとえばザ・フリートウッズのようなグループの歌ですね。それで、シンプルなバラッドくらい効き目のあるものを作り出す方法は何かないだろうかとずっと考えてきました——ただし、自分のヴォキャブラリーと作業の仕方を用いて。というわけで、あれは自分への問いかけに過ぎませんし、〝divina〟のように歌になったと感じる例もありますし、〝covenstead blues〟のような凍り付いたバラッドというか、ぞっとするような、ダークなトラックもある。それでもシンプルなコード群にまで絞り込めば、ああした曲だってジャズ・ミュージシャンが演奏するとシンプルなスタンダード曲的なものになるだろう、と(笑)。
 だから、さまざまなレイヤーすべてをひとつにまとめる、というアイディアが好きなんだと思います。なぜなら私にはまだ、ああした多彩なインフォメーションのすべて、それらも「私」なわけですが、それらが必要なので。それはつまりサウンド・デザイン、音でデザインされた世界ということですし、サウンドと空間を特殊なやり方で考えてみるわけです。たとえば、遠くにあったように思えた要素が急に目の前に迫って来る、とか。ああいうやり方で曲を作ると、本当に楽しいなと感じます。コンポーザーとして、私はひとつの環境を、それ自体のリアリティを内包している世界を作り出したい、というか。そして、そこに奇妙さと共に美も持ち込みたい。というのも、自分を満足させてくれるのがそういう音楽なので。で、このアルバムで私はそういうことをやらずにいられなかったし、しっくりきました。実際、このようなアルバムをもっと作り続けていけたら良いな、と思っているくらいです。

あなたの「歌」にはジャズからの影響も感じるのですが、実際のところ意識されているのでしょうか?

LD:はい。ジャズの数々の側面が大好きですし、たとえばジャズ・ソングが……そうですね、具体的な例を挙げたいんですが(とPCスクリーンをチェックしながらつぶやく)、最近聴いたもので、あのタイトルは……ちょっと待ってください……ああ! チャーリー・へイデンの、キース・ジャレットも参加したデュエット集アルバム『Closeness』(1976)。これはもう、本当に傑出した作品です。とくに〝Ellen David〟というピースや——あるいは私のファイヴァリットなジャズ・レコードの1枚であるギル・エヴァンスの『ギル・エヴァンスの個性と発展 (The Individualism of Gil Evans)』(1964)にしろ、マイルス・デイヴィスのサントラ『死刑台のエレベーター』(1958)にしろ、情動面で惜しみないジャズを聴きながらその中を旅していくのがとにかく好きで。
 それにジャズ界のミュージシャン相手の方が、自分は概して仕事しやすい気がします。というのも、彼らは演奏楽器に関してとても変化に対応しやすく、実験に対しても非常にオープンなので。クラシック音楽を学んだ人の場合、「思いつく限りヘンな音を出してもらえますか?」と頼むと、怪訝な顔で「どういう意味でしょう?」なんて答えが返ってくることもたまにある(苦笑)。対してジャズ・ミュージシャンにそう話すと、「ああ、良いね! 弦でこんな音を出せる。やってみよう!」と。今作でベースを担当してくれたサイラス・キャンベルの場合、最高でした。彼は狙いを見事に把握してくれましたし……すご過ぎでした(笑)。私もたまに、「1秒でいったいいくつの音を出せるの? こんなのあり得ない」と思ったくらいで。しかもコントロールはばっちり、という。でも、何かの一部になり、それに対してオープンになるのは、とてもシンプルなことだったりする。私もフリーにやっていたし、とある時点で彼もほぐれてくれて、〝hasta el final〟のエンディングのアップライト・ベース部は本当に見事だと思いますが、あれはすべて彼の即興のテイクなんです。このレコードに彼があれを持ち込んでくれたのは、とにかくアメイジングです。でも、それはドラマーのアレックス・ラザロも同じですね。彼はジャズ・パーカッション学を修了したので、その道のエキスパート。だから彼も、コンポーザー/混成者として自由になるためのインフォメーションをすべて備えている人だと思います。

アートワークの写真とヴィジュアルについてのあなたの狙いを教えてください。

LD:ああ、あれはある意味、議論の的になっていて——

坂本:(笑)そうなんですか?

LD:(苦笑)はい。あのジャケットが気に入らない、あるいは私の表情が好きじゃない、という人が多くて。ただ、自分としては——このアルバムは多くの部分で、「自己を省みる」という発想に触れていると感じます。たとえばジャン・コクトーは「鏡を見ると人は死に近づくことになる」[※映画『オルフェ』/1950に関する発言]と言いました。なぜなら鏡は、見る者に時の経過を思い出させてくれるとも言えるからです。で、私はたまに自分の見た目を確認できるこの道具がなかったら、世界はどんなに違っていただろう? という空想をもてあそぶことがあります。もしかしたらもう少し自由で、さまざまなことに対する心配もやや薄まるんじゃないでしょうか?
 というわけで、私は忘れないための方法として自己イメージを使っていますし、またある意味では闘ってもいる。私たちは自分たちをどんな風に提示するか、という点について。ですから私からすれば、ほとんど誰も予期しなかったような、そういう表現を今回やれてとても良かった。というのも、満足し切った喜びの表情等々はとてもよく目にしますが、自分は「いや違う、このレコードにはもっと迫力のある、攻撃的とすら言えるイメージが必要だ」と感じたので。アルバムのタイトルにも「a danger to ourselves(自分たち自身を傷つけかねない危険)」を選びましたし、だからある意味自分自身と闘っているとも言えます。愛を掘り下げているのと同じくらい、このアルバムはその点、自ら招く危険も探求していますね。つまり、何かを考え過ぎたり、あるいは自ら植え付けてしまった内なる狂った声に耳を傾け過ぎることを通じて、自らを危険にさらすこともある、という。

ところで、あなたは現在アメリカが拠点だそうですね?

LD:はい。南西部にいます。

いまなぜアメリカに移住したのでしょうか? 政治的には決して良い状況ではないと思われますが。

LD:(苦笑)ええ、その通りですよね……ただ、私はかなり奇妙なポケットめいた、砂漠地帯に暮らしていて、ここは本当に、とてもマジカルな生活環境だと思います。いまここで暮らせるのは、何もかもから隔絶したアウトサイダー的存在に近いというか。そうですね、日々私たちが目にしている現実の外側にいる気がします。自然にふっと思い立って、ここに来ることにしたんです(笑)。恋人との関係を続けていこうという思いもありましたし……。

坂本:すみません、何もあなたの私生活を詮索するつもりではないんですが――

LD:(笑)わかっています。構いませんよ!

ただ、アメリカに移るタイミングとしては、いまはかなりやばいのではないか? と。

LD:はい、そうですよね。その点はちゃんと自覚していますが、と同時に……このエリアで実に素晴らしいアーティストの数々に出会ってきましたし、自分は本当に恵まれていると思います。それにこの砂漠、景色の美しさも息を呑むほど素晴らしいですし、自分はそれらからインスピレーションを受け続け、かつ私たちがいま生きているクレイジーな現実の中で活動を続ける励みをもらっているんだ、そう思います。

(了)

9月のジャズ - ele-king

 英国はレゲエをはじめ、スカやダブ、ダンスホールなどの影響が強い国である。かつて統治下にあったジャマイカからの移民が多く住み、サウンドシステムなどの音楽文化やダブ・ミックスの手法が育まれていくなかで、レゲエやダブはほかの音楽と交配してきた歴史がある。それはジャズの世界においても言えるところであり、今月はそうしたレゲエ/ダブの要素が濃厚な作品が集まった。

Steam Down
I Realised It Was Me

Ganix Recordings

 スティーム・ダウンはマルチ・インスト奏者のアナンセことウェイン・フランシスによって2017年に結成されたグループで、音楽制作からイベント開催など複合的な活動をおこなう。ウェイン・フランシスはかつてユナイテッド・ヴァイブレーションズのメンバーで、テオン・クロスやイル・コンシダードなど南ロンドンのジャズ・シーンのアーティストらの作品にも加わると同時に、ディーゴ&カイディ、IGカルチャー、ポール・ホワイトなどクラブ・カルチャーにも関わってきた。
 ロンドン南東部のペッカムを拠点に活動するスティーム・ダウンは、ドミニック・キャニングなどのジャズ・ミュージシャンからラッパーやシンガーもいろいろと参加しており、ライヴやレコーディングごとにメンバーが入れ替わるコレクティブに近い形態である。2019年にデビュー・シングルの “Free My Skin” をリリースするが、アフロビートとダブステップ、グライムが結びついたエズラ・コレクティヴに近いようなナンバーで、自らをアフロ・パンク・バンドと形容する彼ららしい作品と言える。その後、2020年に〈ブルーノート〉のオムニバス企画『Blue Note Re:Imagined』への参加を経て、2021年にEPの「Five Fruit」を発表。ジャズ、アフロ、ヒップホップ、グライム、R&B、ドラムンベース、ダブステップなどが結びついたストリート・サウンドを展開している。ジャズとクラブ・サウンドの融合具合では、エズラ・コレクティヴ、ブルーラブビーツノイエ・グラフィック・アンサンブルなどに匹敵するか、それ以上とも言える。

 その『Five Fruit』から久々にリリースしたのがファースト・アルバムの『I Realized It Was Me』となる。今回もジャズとアフロやクラブ・サウンドの融合は見られるが、全体に感じられるのはレゲエやダブとの結びつきの深さである。“Sum Of Thing” はボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、アスワド、サード・ワールドといったレゲエのレジェンドたちを彷彿とさせる作品で、ソウルやファンク、ジャズ・ファンクと結びついて独特のUKレゲエが生み出された英国の音楽文化ならではの果実と言える。シンガー/ラッパーのアフロノート・ズーをフィーチャーした “Tempest” は、ジャズとダブ、ダブステップを融合した作品でサンズ・オブ・ケメットに近い作品。アフロノート・ズーの歌も、例えばホレス・アンディやビム・シャーマンのような往年のレゲエ・シンガーのそれを彷彿とさせる。“Let It Go” は深みのあるダビーなソウル・ナンバーで、サックスやドラムの即興的な演奏は南ロンドンのジャズらしい。レゲエやダブ・カルチャーと密接に結びついていたマッシヴ・アタックやスミス&マイティーなど、ブリストル・サウンドやトリップ・ホップと近似する部分も見いだせる楽曲だ。


Joe Armon-Jones
All The Quiet (Part 1) / All The Quiet (Part 2)

Aquarii / ビート

 リリースとしては春から夏にかけてだが、ジョー・アーモン・ジョーンズが『All The Quiet』をパート1と2に分けてリリースした。ジョー・アーモン・ジョーンズは自身のレーベルの〈アクエリー〉を2021年にリリースしてから、ジャズよりもほかの音楽的要素の強い作品をリリースする傾向があり、2024年にリリースした「Wrong Side Of Town」「Ceasefire」「Sorrow」という一連の12インチEPは、完全なレゲエ/ダブ集というべきものだった。『All The Quiet』についてはジャズ・ファンク、アフロ、ソウル、ブロークンビーツ、ヒップホップなど雑多な要素が結びついたジョー・アーモン・ジョーンズらしいアルバムであるが、やはり彼の音楽的基盤のひとつであるレゲエやダブの要素も入っている。

 演奏メンバーは全てクレジットされていないが、ヌバイア・ガルシアオスカー・ジェロームといったいつも演奏を共にするメンバーが参加。そして、ウー・ルー、ヤスミン・レイシー、グリーンティー・ペン、ハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニらがシンガーとして参加。このなかでハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニはアフロ・レゲエやラガマフィン系の歌を持ち味とする人たちだ。ハク・ベイカーをフィーチャーしたパート2の “Acknowledgement Is Key” はディープなテイストのジャズ・ファンクで、ジョー・アーモン・ジョーンズの鍵盤演奏も往年のウェルドン・アーヴィンを彷彿とさせる。楽曲全体にダビーなミックスが施されており、後半のハク・ベイカーの歌はナイヤビンギのようにラスタファリの思想に満ちている。スピリチュアリズムという点ではルーツ・レゲエに通じる作品と言えよう。
 アシェバーをフィーチャーしたパート1の “Kingfisher” は、ブロークンビーツ調のリズムとアシェバーの開放感に満ちたヴォーカルが結びついて、ジャマイカン・ジャズというかカリビアン・ジャズとでも言うような作品となっている。パート1の “Lifetones” は1980年代初頭のポスト・パンク~ニューウェイヴの時代に活動した幻のエレクトロニック・ダブ・ユニットで、近年再評価が進むライフトーンズに捧げた楽曲だろうか。ほかの曲においても大々的にレゲエのモチーフはなくとも、メロディの断片にその片鱗が見られたり、ダブ・ミックスの手法を用いるなど、ジョー・アーモン・ジョーンズにとってのレゲエ/ダブの影響が随所に感じられるアルバムだ。


Ebi Soda
Frank Dean And Andrew

Tru Thoughts

 ブライトン出身のエビ・ソーダも、リーダーのウィル・イートンがトロンボーン奏者ということもあり、ジャズやジャズ・ファンクとレゲエ/ダブを折衷した音楽を一貫してやっているバンドだ。アルバムは2022年にセカンド・アルバムの『Honk If You’re Sad』をリリースしているが、ゲストにヤズ・アーメッドを迎え、重低音の効いたリズム・セクションとホーン群の情熱的な演奏にエレクトロニクスを交え、全体的にはダビーな空間構成がなされた作品だった。そうしたダブの影響下にあるサウンドと、サイケやクラウトロック、ニューウェイヴの要素も交えた混沌とした世界も楽しめるところもあったわけだが、それから3年ぶりの新作『Frank Dean And Andrew』が完成した。

 今回は今まで以上にダブの要素が強い作品集だ。“Bamboo” というタイトルや、中国とベトナムのハーフである英国人ラッパーのジアンボをフィーチャーした “Red In Tokyo” など、日本や東洋に馴染みのある曲が並んでいるが、その “Bamboo” はダビーなサウンド・エフェクトを交えたメロウなジャズ・ファンク。どっしりと低音を支えるリズム・セクション、メランコリックなメロディや空間構築、低音のトロンボーンやトランペットなどの管楽器のアンサンブルなど、全てにおいてダブからの影響が強い楽曲だ。“When Pluto Was A Planet And Everything Was Cool” はダブステップ調のビートを持つダークな楽曲で、リチャード・スペイヴンゴーゴー・ペンギンなどにも通じる。クラブ・サウンドも柔軟に取り入れるエビ・ソーダらしい楽曲だ。“Horticulturalists Nightmare” はサイケデリックで前衛的な側面も持つ楽曲だが、リズム構成やミックスなどにおいてやはりダブの影響が強い。“Grilly” や “Toucan” についても言えるのだが、今作は演奏はもちろんのこと、ことさらミックスにおいてダブの手法が大々的に用いられている点が特徴と言えるだろう。


Nat Birchall
Liberated Sounds

Na-Bi

 マンチェスター出身のナット・バーチャルはキャリア的にはベテランに属するサックス奏者で、ジョン・コルトレーンファラオ・サンダースの系譜に属するプレイヤーである。彼のずっと後輩にあたるマシュー・ハルソールがそのサックスに惚れ込み、自身のバンドで演奏してもらって数々のアルバムをレコーディングしたほか、ナット・バーチャルもマシューが主宰する〈ゴンドワナ〉からリーダー作品を数枚リリースしている。それらは基本的にシリアスなモード・ジャズ、スピリチュアル・ジャズと呼ぶべき作品集だが、一方でブレッドウィナーズというレゲエ/ダブ・バンドを組むプロデューサーのアル・ブレッドウィナーや、スカタライツのドン・ドラモンドの息子であるヴィン・ゴードンなどとコラボして、完全なレゲエ/ダブのアルバムもリリースしている。それもアルバム1枚というわけではなく、数枚のアルバムやダブ・ミックス・アルバム、7インチ、12インチに渡る数々のリリースがあるので、ナット・バーチャルは相当レゲエやダブに入れ込んでいるのだろう。

 新作の『Liberated Sounds』はアル・ブレッドウィナーやヴィン・ゴードンなどの力を借りることなく、すべての楽器演奏(サックス、フルート、ベース、ドラムス、ピアノ、キーボード、ギター、パーカッションなど)とプロデュース、ミックス、レコーディング、マスタリングなど全ての業務をナット・バーチャルただひとりでおこなっている。表題曲の “Liberated Sounds” を筆頭に、1960年代後半にジャマイカからイギリスに渡って広まったスカにインスパイアされたアルバムである。なかでもドン・ドラモンド、トミー・マコック、ローランド・アルフォンソ、レスター・スターリング、ババ・ブルックス、デイジー・ムーア、ロイド・ブレベット、アーネスト・ラングリン、ジャッキー・ミットゥー、ロイド・ニブ、ドラムバゴなどに対するオマージュとナット自身が述べているのだが、こうした面々の名前が上がるところから、彼がいかにジャマイカ音楽に対して知識や愛情を持っているかが伺い知れる。こうしたミュージシャンの多くはもともとジャズ・ミュージシャンで、プリンス・バスターズ・オールスターズ、スカタライツ、ババ・ブルクス・バンド、キング・エドワーズ・グループといったバンドで演奏してきた。そこにはジャマイカにおけるジャズとレゲエの関係性があり、ナット・バーチャルもそこを理解した上で、ジャズなりレゲエやスカなりを演奏していることがわかる。

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