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Shuta Hasunuma - ele-king

 2023年のアルバム『unpeople』以降、立体音響パフォーマンスをつづけてきた蓮沼執太。それにつらなる新作EP「+1P EP」が2月14日にリリースされる。現在、同作より “one window (instrumental)” が公開中だ。

 なお蓮沼は今年公開されるアニメ映画『花緑青が明ける日』(日本画家、四宮義俊による長編アニメ監督デビュー作)の音楽を担当してもいる。合わせてチェックしておきたい。

Shuta Hasunuma
“+1P EP”

2025.02.14(fri) releases

1: Heaven
2: Pragma
3: one window (instrumental)
4: Pluralist

蓮沼執太の4曲収録のオリジナルEP『+1P EP』がリリース。国内外から高い評価を得た前作アルバム『unpeople』(2023)以降に行ってきた立体音響によるサウンド・パフォーマンス『unpeople + 1 people』の「+ 1 people」からネーミングをとったタイトルになっている。

1曲目には、2024年開催の草月プラザ・イサムノグチ石庭『天国』での公演『unpeople -初演-』で披露された Jatinder Singh Durhailay(ジャティンダー・シン・ドゥハレ)、Johanna Tagada Hoffbeck(ジョアンナ・タガダ・ホフベック)とその愛鳥 Lemon(レモン)による大崎清夏による詩のポエトリー・リーディング作品の『Heaven』。 クラブセットでパフォーマンスをしているリズムトラックの2曲目『Pragma』。2023年リリースされた「one window」のインストゥルメンタルバージョンの3曲目『one window (instrumental)』。そしてEPの最後を飾る4曲目は7分間の壮大な『Pluralist』。マスタリングはメトロポリス・スタジオのMatt Colton(マット・コルトン)が手がける。

アルバム『unpeople』同様に田中せりがアート・ディレクションを担当し、池谷陸による写真がアートワークに起用されている。音楽的方向性、そしてビジュアルワークからも前作『unpeople』の残り香が漂うような、蓮沼執太による音響世界が作られている意欲的な小曲集となっている。

蓮沼執太|Shuta Hasunuma
音楽家、アーティスト
1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織し国内外での音楽公演をはじめ、映画、テレビ、演劇、ダンス、ファッション、広告など様々なメディアでの音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、プロジェクトを制作する。
x : @shuta_hasunuma
Instagram : @shuta_hasunuma
YouTube : https://www.youtube.com/@ShutaHasunuma/
web: https://linktr.ee/shutahasunuma

ERA - ele-king

 等身大の目線で都市の生活を歌うラッパー、ERA。その6枚目のアルバム『under the sun』が本日1月22日配信されている。客演には仙人掌、CENJU、anndy toy storeといったベテランから若手までが登場。現在、収録曲 “SWAY IN THE WIND feat. CENJU” のMVがERA自身の運営するHOW LOWのYouTubeチャンネルで公開中だ。リリースを記念してパーカーもWISDOM STOREおよびTRASMUNDOにて発売とのことなので、あわせてチェックしておきましょう。

アーティスト:ERA
タイトル:under the sun
フォーマット:CD / DIGITAL
配信リンク:https://ultravybe.lnk.to/under-the-sun
発売日:2025年1月22日

ERAの2年ぶりとなる6枚目となるアルバム。PAIN、希望、日常をテーマとした全11曲入りのアルバム。エモーショナルなリリックにERA独特のFLOWが乗る。今回はBAYAREA寄りの楽曲が多数収録されている。ERA特有のキャッチーさに華をそえているビートとERA独特のFLOWとの関係性となっていて楽しめる内容となっている。フューチャリングには仙人掌、CENJU、anndy toy storeとベテランや盟友、フレッシュな若手を起用している。アルバムの後半では苦しんでいる人達にたいしてのメッセージがある曲を収録するなど今ままでより幅が広がったERA節を展開している。是非色んな人に聞いて頂きたい。

収録曲 :
01. Favorite Food Prod. by 4thathr33
02. Summertime In The Hood feat. 仙人掌 Prod. by Cedar Law$ & kosy
03. Rooftop Prod. by Major Threat
04. In The Dream feat. anddy toy store Prod. by DJ HIGHSCHOOL
05. Name ERA Prod. by Vis The Kid
06. Swaying In The Wind feat. CENJU Prod. by K.E.M
07. Get Serious Prod. by DJ SCRATCH NICE
08. ケセラセラ Prod. by SIRCORE
09. My Life Prod. by TEMPO TUNES COLLECTION
10. 明日 Prod. by boi yanel
11. Turn The Page Prod. by MASS-HOLE

Mixed by I-DeA at FLS 6th Lab
Masters by HIroshi Shiota at SALT FIELD MASTERING
Artwork by ATER ( FUT / LPS )
Photo by Teppei Hori

PROFILE :
D.U.O TOKYOをリプレゼントするFRESHでORIGINALなTOKYO出身のMC。2011年にファーストアルバム「3 WORDS MY WORLD」をリリース。変わらずに変化していく街のHIP HOPでTOKYOからオリジナルカラーに世界を染めていく。アルバム「JEWELS」をリリース後、自らのレーベルHOW LOWを設立。「LIFE IS MOVIE」(2015)、「Culture Influences」(2018)の2枚のアルバムと EP 「Ground Music」(2020)シングル「Daily Tales」(2021)及び「Reachung」(2022) をリリース。リリースしたどのタイトルもクラッシックとして、生活の中で作用し合いながら輝き続けている。SEMINISHUKEIの作品はもちろん、BCDMG、BIM、Campanella、tofubeats、PUNPEE、仙人掌らとも楽曲をリリースしており、ERAの描く地平線は素晴らしく湾曲していてまっすぐにのびていく。エモーショナルなリリックは何かを掴むきっかけをいつだって感じさせてくれる。

The TIMERS『35周年祝賀記念品』に寄せて - ele-king

 清志郎さんは煙草を吸うときに必ず匂いを嗅いでから火をつけた。僕の周りでそんなことをする人は見たことがない。パッケージから煙草を取り出すと清志郎さんは横向きにして鼻の下にあてがい、ささッと短く左右に動かす。煙草の匂いが本当に好きなんだなと思って、ある時、清志郎さんがいつものように煙草を鼻の下に押し当てた瞬間、「必ず匂いを嗅ぐんですね」と言ったら「そんなこと言われたら、もうできなくなるじゃないか」と怒られてしまった。楽しみを奪われたという表情だった。煙草の匂いを嗅ぐのは無意識だったのかと僕はさらに驚いた。
 この正月に風邪をひき、外に出るのが億劫だったのでタイマーズの『35周年祝賀記念品』を宅配で取り寄せ、パラパラと歌詞カードを眺めていたら、「火をつけて この胸に お前の匂いを かぎたいぜ」という歌詞が目に入った(“タイマーズのテーマ” )。そうだった。レコーディング前は語尾が「ぜ」ではなく、「かぎたいよ」と歌っていたことも思い出す。「必ず匂いを嗅ぐんですね」と僕が清志郎さんに言ったのは『忌野清志郎画報 生卵』を編集していた90年代半ばで、“タイマーズのテーマ” がつくられたのはそれより7年も前。なんだよ、自分で「匂いをかぎたい」と歌ってるじゃないか。あの時、僕はなんで怒られたんだ?
 そう、それは本来、煙草でやる仕草ではないことを煙草にもしていると僕に指摘されて、煙草で済ませていたことに自分で自分に腹を立てたのだろう。同じことはビールでも繰り返された。自宅でビールを飲み、「なんだ、これでもよかったんだ」と清志郎さんは自嘲していた。2人の子どもが生まれ、明らかにライフ・スタイルを変化させ始めた清志郎さんがそこにはいた。いまから思えばセルフ・イメージを書き換えていた時期なのである。朝の4時に窓を開けて「ヤッホー!」と大声を出して、石井さんに「何やってんの!」と頭をはたかれたりしていたのは同じだったけれど。
 清志郎さんにはそれまで強迫観念があり、いつも芸術家のようにあらねばならないと考えていた。日常生活も例外ではなかった。凡人がやるようなことをやってしまうと「ダメかなあ?」と妙に照れていた。その頃はそんな清志郎さんを何度見たことか。それこそ7年前にタイマーズを始めた人と同一人物なのかと思うほど、その頃はほのぼのとしていた。そう、タイマーズの時はやはり、清志郎は人が違っていた。

「事務所の人間が現場に行くわけにはいかないから代わりに行ってくれないか」と坂田社長に僕は言われた。タイマーズがステージに立つ1週間ほど前で、「現場に行くわけにいかない」というのは事務所がタイマーズのやることに責任を負えないという意味だった。イベントの主催者に対して説明のしようがなく、実質的に「逃げる」という判断である。それは清志郎と事務所の関係がいったん白紙になったということを意味し、タイマーズというバンドが業界に足がかりさえ持てないのかと僕は心配になってしまった。僕はまだ音楽業界という場所に足を踏み入れたばかりで、ことの重大さを完全に理解できていなかった。
 硬い表情のまま坂田社長は続けた。「危ないと思ったら、メンバーをタクシーに乗せて逃がしてくれ」と。このひと言にはさすがに緊張した。タイマーズのライヴ・デビューは1988年8月2日の富士急ハイランドで行われた音楽フェスで、トッピこと三宅伸治率いるモージョー・クラブが出演するはずだった時間帯をタイマーズに譲ったものだった。モージョー・クラブが『社会復帰』でメジャー・デビューしたのはその翌年のことで、その時の観客はモージョー・クラブだろうがタイマーズだろうが、どっちにしてもよく知らないバンドだし、実際、それまで降っていた雨が止んで、まばらな拍手を受けてタイマーズの演奏が始まっても半数は無反応だった。
 残りの半数は、しかし、半狂乱ともいえる騒ぎになった。RCサクセション『カバーズ』の発売中止を知らせる広告が新聞に掲載されてからから41日後のことであり、覆面をしたゼリーの声が清志郎だとわかっただけでなく、ライヴの後半では観客の耳に “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が立て続けに飛び込んできたのだから。“Love Me Tender” が人前で演奏されたのは2回目、“Summertime Blues” は初めてだった。清志郎がなんとかタイマーズをかたちにしようと企画書をばら撒き(そこには憂歌団がバックを務めると書かれていた)、闇雲にデモ・テープを録音し始めてもマネージャーすら決まらないという事態が続いていたなか、富士急ハイランドには原盤会社だけが駆けつけた。
 富士急ハイランドが公開リハーサルみたいなものだったとすれば4日後のヒロシマ平和コンサートが本番だった。この日も無告知で、タイマーズはサプライズの登場だったにもかかわらず、彼らがステージに姿を現すや客席から「キヨシロー!」という嬌声が飛ぶ。楽屋でも大部屋の片隅でコソコソと作業し、清志郎だということは意外とバレてなかったと思うのに、彼らは一体どうやって清志郎が出ることを知ったのだろう。そうした声援には一切応えず、タイマーズは長々ともったいぶったバンド紹介を続け、ようやく “タイマーズのテーマ” が始まったと思ったら30分にも満たないステージは濃密な余韻を残してすぐに終わった。ヒロシマ平和コンサートの趣旨を踏みにじるように「偽善者はうたうよ 世界の 平和を求め」と歌ったのもさることながら、 “Summertime Blues” の間奏で清志郎が「オレは放射能を浴びてな、死にたくねえーな。麻薬中毒で死にたいぜ!」と言い捨てたことがとにかく印象的だった。
 この日のライヴはNHKが衛星中継をしていて、後で聞いたところによるとステージが終わってからNHKとは少し揉めたらしい。とはいえ、メンバーをタクシーで逃がすというほどの混乱は起きなかった。ステージを観て驚いたのか、オフィシャル・ブックを編集していた後藤繁雄さんがタイマーズのコメントを取らせて欲しいと熱心に頼んできた。僕に権限があることではないので、そこは勘弁してもらったけれど、後藤さんと話をしている間に、なんとタイマーズはイギリスのBBCから取材を受けていたらしい。それがタイマーズの初インタビューになるとは!(2番目に公開されたインタビューは僕が「パチパチ・ロックンロール」に書いたもので、それは本人の了解を得た上で僕が創作したもの。間違って引用なんかしないでね)。また、後藤さんが編集した写真集『ヒロシマ1988★ドキュメント写真集 VISUAL-AID BOOK』(クロスロード刊)は後半がほとんどタイマーズのステージ写真で占められていた。

 タイマーズはライヴ、とにかくライヴだった。毎回、何をやるかわからないし、「ロックとブルースと演歌とジャリタレ・ポップスをユーゴーした新しい日本の音楽」と企画書でぶち上げていた通り、スキッフルあり、演歌あり、フォーク・ロックありで、1回のステージのなかでも展開がまったく読めなかった。RCとの連続性でいうと“去年の今頃” や“あの子の悪い噂” が豊富なヴァリエーションに化けて周囲を取り囲み、上からも下からも襲ってきたという感じだろうか。横浜国立大学の学園祭では階段教室のようなつくりが災いして後方から前方に押し寄せてきた客の波に写真家のおおくぼひさこさんが押しつぶされて救急車で運ばれてしまい、コンサートの中止を訴える主催者の声を遮ってライヴを再開してしまうほどバンドの勢いが何よりも優先されていた。横浜国大ではその日の新聞の見出しを見て出番直前に “創価学会(住職誘拐)” をつくってしまうほど勢いがあり、客席もかなりの混乱に見舞われたけれど、続く泉谷しげる&ルーザーが堂々とステージを終えたのに対し、翌年行われた学園祭ツアーでは成城学園で同じようにタイマーズがパニックを引き起こし、トリのティアドロップスは中止になってしまった。
 とはいえ、清志郎のなかには言いたいことはライヴで訴えるしかないという背水の陣にも似た感情も僕はあったと思う。『カバーズ』のような作品を発売中止にしてしまうレコード産業に対して構造的な失望を覚え(清志郎の言い方では「音楽業界を見放した」となり、ライヴの録音自由化宣言へとながっていく)、自分が最後に立つ所はステージであり、最後はそこしかないという思いが強くなったと僕には感じられた(RCサクセションが80年代初頭にブレイクした際、清志郎は「レコードなんてチラシみたいなものだぜ」と発言していた)。具体的にそうした考えを本人から聞いたわけではないけれど、当時は「夜をぶっとばせ!」というラジオ番組で構成を担当させてもらっていたため、メディアが必ずしも自分の味方ではないと清志郎が考えざるを得ない感覚があることは充分に理解していたつもりである。
 それこそ同ラジオでスタジオ・ライヴの許可が下り、“アイ・シャル・ビー・リリースト” や “ヘルプ” といった曲をやれるとなった時、清志郎さんは過剰に喜んでいた。自分の番組なんだから「やれて当然」と思うのではなく、リアルタイムで自分の気持ちを表現できることが常に保証されていないと思っていなければ出てこない反応がその時は示されていた。地方と中央の関係やスポンサーの住所にも規定があるなど話はかなり込み入ってしまうので省くけれど、清志郎にとってはいわばFM大阪がFM東京の盾になってくれ、この時ばかりは自分の味方になってくれたという感じだったのだろう(その前の週にFM大阪からは “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が放送禁止、FM東京からは『カバーズ』全曲が放送禁止という通達が来ていた。自分の番組で自分の新作が1曲もオン・エアできないのである。FM東京がネットし始めなければ少なくともFM大阪ではあれこれとオン・エアできたわけで、FM東京に対する反感はあの時から始まったと思う)。
 タイマーズのライヴが過熱していくのは、だから、当然のことで、それこそ「ソウル・バンドになってしまった」と一部で揶揄されていたRCサクセションとは対極のロックンロール・バンドであり、歌詞もあからさまに権力を題材にすることが増えていった。あるいは皮肉を前面に出すことで、 “ファンからの贈り物” や “キミかわいいね” といった初期の作風に戻ったともいえ、そのために曲に勢いがつけやすかったともいえる。ヒロシマ平和コンサートで演奏された “Summertime Blues” はとくにアコースティックとは思えない迫力で、88年の時点ではまだアコースティック・セットだったタイマーズがベース以外はエレクトリックに編成を変えた89年よりもインパクトではまさっていたと感じられた(NHKに録音が残っているはずだから「ヒロシマ平和コンサート」のライヴも『Rhapsody』のようなターニング・ポイントのライヴ盤として残すべきでは?)。

 レコード産業に対する失望だけでなく、タイマーズにはRCサクセションに対する失望も色濃く滲み出ていた。清志郎さんによると『カバーズ』が発売中止と聞かされても怒っていたのは自分だけで、タイマーズとして抗議の意を示したことは「本当はRCでやりたかった」ことだも話していた。発売中止を受けて行われたライヴの記録『コブラの悩み』のリハーサルでは、通しリハの前に清志郎さんが新たにつくってきたダスティ・スプリングフィールドの替え歌 “素晴らしすぎて” をみんなに聞かせるという一幕があった。曲が終わっても誰1人声を発さず、数秒の沈黙を受けて清志郎は投げ出すように「じゃ、やめよう」とあっさり曲を取り下げてしまった。ヒロシマ平和コンサートの3日ぐらい後のことで、タイマーズとして得た充実感とはあまりに対照的な空気がそこには流れていた。通しリハが進み、 “イマジン”を一度演奏しかけてストップし、「この曲は元気にやろう!」と清志郎がメンバーに注意を喚起したことが印象に残っている。
 RCサクセションとの距離感は、しかし、『カバーズ』の発売中止よりもずっと以前から広がっていた。東芝EMIの御殿場工場で『カバーズ』のアナログ盤がプレスされる直前にラッカー盤で試聴するという行程があり、その日が清志郎さんの誕生日と重なっていると知った僕は「アサヒグラフ」に「清志郎が富士山で誕生日を祝う」という企画を出して写真家の川上尚見さんと共にプレス工場に乗り込んだ。試聴室に入ってみると、そこには清志郎さんと、なぜか石井さんがいた。空いている椅子に僕たちは腰をかけ、手持ち無沙汰にラッカー盤の到着を待っていると、清志郎さんが沈黙を破って「あいつら、最終的にどんな音で鳴るのか、興味がないんだよ」とポツリと言った。僕はとくに疑問には思っていなかったのだけれど、他のメンバーが誰も来ない理由を説明しようとしたのだろう。その時、僕は清志郎さんと知り合ってまだ1年ちょっとしか経っていなかった頃で、RCサクセションの内部がどのようなパワー・バランスで成り立っているのかぜんぜんわかっていなかった。「ああ」とかなんとか生返事をして、頭のなかでは清志郎さん以外のメンバーは音質には興味がないということなのかなと考えたり。しかし、それから3年後にはRCサクセションが活動を停止していたことを思うと、あれは思ったよりも重いひと言だったのだなといま頃になって考え直している。
『コブラの悩み』が収録された夏の日比谷野音は異様な物々しさに包まれ、ライヴの空気もそれに引き摺られて緊張感が増していた。『カバーズ』からの6曲に加えて“言論の自由”や“セルフポートレート”といったプロテスト・ソング、放射能のことを最初に取り上げた“SHELTER OF LOVE”なども演奏されたけれど、全体に抗議調で押し通したわけではなく、『MARVY』から “コール・ミー” や『BLUE』から“よそ者” 、さらに “トランジスタ・ラジオ”、“ラプソディ” と、意外なほどヒット・パレード的な内容でもあった。“アイ・シャル・ビー・リリースト” は、スタジオ・ライヴで歌われた「西から東まで」ではなく「東の芝にも」に歌詞が変わり、“あきれて物も言えない” はいくらなんでもテンポが速過ぎた。ちなみに『コブラの悩み』というのはライヴ盤につけられたタイトルで、ライヴ当日は「SPECIAL FOR SUMMER NIGHT」というタイトルが付けられていた。

 野音が終わるとタイマーズのデモ・テープづくりが本格化し、あっという間に38曲を録音して19曲をトラック・ダウン(これをダビングしたテープがどこでどうやって高杉弾の手に渡ったのか、それをまたコピーしたものがセンター街の彼の店で飛ぶように売れたという)。 “原発賛成音頭” など何曲かは「夜をぶっとばせ!」でデモ・テープのままオン・エアもされ、年末には江戸屋レコードからのリリースが検討されていたものの、年が明けるとしばらくして『コブラの悩み』と同じく東芝EMIからリリースされることになった。最終的にロンドンでレコーディングするとか伊豆でレコーディングするとか、方針が何度も変わるなか、箱根合宿などを行ってアルバムの構想は徐々にまとまっていく。タイマーズの曲はカバーも多く(大喪の礼を揶揄した“カプリオーレ” はブラームスの曲に歌詞をつけたもの)、テーマ的にも『カバーズ』の流れをダイレクトに汲んだりもするなか、『カバーズ』で他人の曲をあれこれといじくったことで手癖から解放されたことも大きな成果だったと本人は語っていた。 “シークレット・エージェント・マン”から“不死身のタイマーズ”、や“争いの河”、 “悪い星の下に” から“Mama Please Come Back”、といった感じだろうか。ロックンロールやロカビリーが多いのは三宅伸治の影響だろう。『カバーズ』のアウトテイクに加山雄三の “君といつまでも”があり、 “ロックン仁義”のセリフ・パートなどはそこからの流れという感じもあった( “ロックン仁義”が演歌なのは「イカ天」やバンド・ブームを嫌っていた清志郎の皮肉が振り切れたということだと思う)。 “総理大臣、でスライを意識したあたりもRCサクセションにはなかった一面で、このような音楽性の広げ方はピーター、ポール&マリーやピンク・フロイドを柔軟に消化した『楽しい夕に』のヴァージョン・アップにも思えてくる。
 エレクトリックに編成を変え、メジャーからのレコード発売が前提となった89年のヒロシマ平和コンサートはゲリラ出演ではなく、初めから予定に組み込まれたことで早くも様式性を楽しむ態度が強くなっていたものの、周囲の期待はかつてなく増大していた。それこそイレギュラーが身上のタイマーズといえどもバンドが軌道に乗ると頭をもたげてくる予定調和との戦いが始まったのである。しかし、それをぶち破るようにファースト・シングル “デイ・ドリーム・ビリーバー” が発売された2日後、タイマーズはフジテレビ「ヒットスタジオR&N」で事件を起こす。清志郎がTVのゴールデン・タイムでクレージー・キャッツのような音楽コントの番組をやりたいと坂田社長に提案したことから始まったラジオ番組「夜をぶっとばせ!」は清志郎の思いとはだいぶかけ離れた内容になってしまったけれど、FM大阪だけで放送されていた時期はそれなりに自由にやっていた。視聴率がいいのでこれがFM東京にネットされることが決まり、実際に放送シフトが変わる1週間前に『カバーズ』の発売中止という巡り合わせになってしまい、スタッフから何からいろんなことがいっぺんに変わってしまった。FM大阪が “Love Me Tender” と “Summertime Blues” を放送禁止にすると言ってきたことだってどうかとは思うけれど、FM東京が『カバーズ』全曲放送禁止と通達してきたのはあまりにも過剰反応であり、『カバーズ』が世に出ないことに自分の番組まで加担するというのは清志郎にとってどれほどの屈辱だったことか。現場でも対応の仕方がよくわからなかったので初回の放送は2ヴァージョン制作されたり、スタジオを変えたり、バタバタしっぱなしで、その波をなんとか乗り越え、清志郎が次の放送でスタジオ・ライヴをやりたいと申し出てくれたことで一気に方向性が明確になった。その結果、清志郎と三宅伸治が行なったライヴがそのままタイマーズの雛形になっていく。三宅伸治は自分のバンドがデビューするタイミングだったのに、よくぞあれだけ頑張ったと思う。残りのメンバーを集めたのも、確か彼だったと思う。
 その後もFM東京は納品したテープにあれこれと文句をつけてくることが多く、FM東京からのクレームは清志郎に伝えたこともあったし、伝えなかったこともあったけれど、辟易としながらも僕らが態度を改めたことはなかった。むしろ新作を一切プロモーションできないのに番組を続けていく意味はあるのかという疑問を悪ふざけに転化しなければやっていられなかったところあった。FM東京の担当者は最終回の収録まで一回も現場に来なかった。「ヒットスタジオR&N」で “FM東京” が演奏された次の日には清志郎の家に召集がかかり、前日の録画をみんなで爆笑しながら鑑賞することになった。現場にマネージャーとして赴いていた片岡たまきは、彼女の夫であるロケットマツがアコーディオンでタイマーズの演奏に加わっていたのに “FM東京” をやるとは知らされていず、さすがにあとで夫婦喧嘩になったらしい。また、当時の荒井社長とたまきはFM東京の重役室に謝りに来いと命じられ、頭を下げに行ったものの、謝りながら耐えきれずに吹き出してしまったという(ここまでがFM東京事件という感じですwww)。ちなみに清志郎は最初、ジュリーをもじってジュレーと名乗っていて「それだったらゼリーの方がいい」と提言したのが片岡たまき。
「ヒットスタジオR&N」のライヴは短いので何度もリピートして観ているうちに石井さんが “FM東京” を歌い出す時、「クリちゃん、泡吹いてるよ」と言い出した(石井さんは清志郎のことを本名で“クリちゃん” と呼ぶ)。確かにゼリーの口元からは泡が噴き出してた。そう言われて清志郎も笑っていたけれど、そうなんだよ、けして清志郎はロックの化身だとか強靭な精神力の持ち主とかではなく、勇気を振り絞ってあれをやったのである。「イキがったりビビったりして」と “ドカドカうるさいR&Rバンド” で歌っていたように清志郎だって自分が持てる以上の力を出そうと必死だったのである。次の年に清志郎は “空がまた暗くなる”で 「おとなだろ 勇気をだせよ」と歌っていた。あれは当時のディレクターに向けた言葉なのかなと僕は思っていたけれど、案外、自分自身に言い聞かせていたことなのかも。

『35周年祝賀記念品』はオリジナル・アルバムのリマスターに、2006年版に追加収録されていたシングルのカップリング曲と2016年のスペシャル・エディションからDisc2の10曲を合わせたCD2、そして、未発表の9曲を収録したCD3の3枚組。 “FM東京” はともかくとしてライヴで繰り返された “明星即席ラーメン” や “Summertime Blues(天皇ヴァージョン)”などがもう一度聞きたかったけれど、 ライヴとはまた異なる世界観で作品を構築したのは清志郎の考えでもあるので、そこは致し方ないところでしょう。オリジナル・アルバムについてはここまで書いてきたことと重複してしまうので省略するとして、CD3について多少の補足。オリジナル・アルバムは東京でトラック・ダウンした19曲に加えてロンドンでレコーディングした23曲の計42曲から17曲を選んだもので、ロンドンに行ってからつくった“ブツ”は間に合わず、そのまま日の目を見なかった。タイマーズでもなかなかに物騒なイメージが広がる“ブツ”は三宅伸治がリード・ヴォーカルを取る曲で、スタジオ・テイクがようやくここに収録されることに(ライヴ・ヴァージョンは『不死身のタイマーズ』に収録)。僕はその頃、たまたまロンドンに1週間ほど遊びに行っていて、タイマーズが来ていると聞いてスタジオに顔を出してみたら、その日は“覚醒剤音頭”のオーヴァーダビングをやっていた。ブックレットにはクレジットがないけれど、その時、スタジオにいた女性たち全員でコーラスをつけたら面白いということになり、原盤会社の相沢社長、マネージャーのたまき、そしてライターの水越真紀が「ツイホー!」と叫び、普段はクールにしている相沢社長が「ツイホー!」と叫ぶ姿に一堂、笑いをこらえきれず、レコーディングが終わるとスタジオ内が爆笑だったことを思い出す(これもライヴ・ヴァージョンが『復活!! The Timers』と『不死身のタイマーズ』に収録)。ちなみに僕は東京で “デイ・ドリーム・ビリーバー” に手拍子で参加しています。後拍で二連打です。CD3には“デイ・ドリーム・ビリーバー” の「2024 MIX」も収録されています。“Mama Please Come Back”はタイマーズだけでなくRCのライヴでもやっていた曲で、スタジオ・テイクは初収録。ライヴよりも雰囲気がぐっと濃厚になり、音の回り方がユニークな仕上がり。この曲は独特のベース・ラインがカンの “Vitamin-C” とまったく同じで、ちょっとビビります。 “BAKANCE” はベースのボビーこと川上剛が在籍していたヒルビリー・バップスに清志郎が提供した曲で、GS風の青春ポップスをレザー・シャープスのライヴ・アルバム『HAPPY HEADS』に続いてタイマーズとしてもセルフ・カバー。あまりにも爽やかでたじろぐアレンジだけれど、これと較べてみると宮城宗典がちゃんと自分の曲にして歌っていたこともよくわかる。 “LONG TIME AGO” は89年のヒロシマ平和コンサートで演奏したライヴ・ヴァージョンを収録。急にここだけ生々しくなり、収録された意図が不明確になる(全体に誰がどういう基準で選曲したのか趣旨を説明してほしかった)。
 さらに最後は“君はLove Me Tender を聴いたか?”。『コブラの悩み』に最初の30秒だけ収録され、すぐに途切れていた曲で、『コブラの悩み』と同じ年のクリスマス武道館で行われたRCサクセションのライヴでも披露された曲。タイマーズ名義のアルバムに収録されるのはどうなんだろうと思うけれど、正式なリリースとなったことは素直に喜びたい(実際にはリズム・マシーンを使って清志郎が1人で録音した曲であり、最初に世に出たのは武道館の10日ほど前に放送された「夜をぶっとばせ!」。清志郎はリスナーにカセットを用意してと呼びかけた))。『カバーズ』に先駆けて発売中止となったシングル“Love Me Tender”は “Summertime Blues”と違って反原発の歌ではなく、反核の歌であり、発売中止となったことでかえって広く知れ渡った状況を批評的に扱った側面と、石井さんが購読していた赤旗に書かれていた「原子力発電所で、実は核兵器をつくっているのではないか」と疑う記事の内容を合体させて表裏一体とし、そうとでも考えなければ発売中止にするほどの意味が理解できないという、いわば自らの上に降りかかった状況をきちんと整理して筋道をつけた曲である。題材と向き合う時に必ずしも客観性を重視しないニュージャーナリズムのような視点が活きていて、事件の渦中にあって混乱しがちな立場にもかかわらず、冷静に問題意識を明確にしているのはさすが。清志郎本人が自慢するポイントとしては“Love Me Tender”と同じコード進行で異なるメロディをつけたことだそうです。 『35周年祝賀記念品』を聴いていて、『カバーズ』の発売中止とタイマーズの活動を通じて清志郎が本当に感じていたことは、 「こんな でたらめな街を さよならしたいよ」(“タイマーズのテーマ”)と、「レコード会社も新聞も雑誌もFMも バ~カ~み~た~い~」(“君はLove Me Tender を聴いたか?”)という部分だったんじゃないかと僕は改めて思った。『生卵』の編集をしていた頃、「竜平くんには自分がいる狭い世界ではなく、もっと広い世界で活躍してほしい」と言っていたことを思い出す。

 RCサクセションのライヴが大阪であった際、メンバーとは別に清志郎さんだけを先に大阪に行かせ、「夜をぶっとばせ!」の収録を現地でやることになった。大阪に連れていくのは僕の役目になり、朝早く清志郎さんを起こしに行った。睡眠時間を確保する習慣がない清志郎さんはガン寝していてまったく起きる気配もなく、ただ僕はじりじりと玄関で待っていた。起きない……。起きない……。起きない……。起きない……。まだ鳩の森神社の近くにある狭い家に住んでいた頃で、ようやく目を覚ました清志郎が朝ごはんを食べている様子もなんとなく伝わってくる。この家に清志郎さんと2人でいた時、インターフォンが鳴って「ピザの配達です」とファンが押し入ろうとしたことがあった。そういうことはしょっちゅうあるらしい。玄関の前まで来たファンを清志郎さんは顔は出さずに「もうするんじゃないよ」とインターフォン越しに優しく諭していた。いまから思えばあまりにもアクセスしやすい家だった。朝ごはんを食べなければ絶対に外に出ない清志郎さんがようやく食べ終わり、タクシーに詰め込んで、なんとかオン・タイムで新幹線に乗せることができた。ガランとしたグリーン車にたった2人だけだった。「寝て行きますよね?」と清志郎さんに言うと「決めつけるなよ」とまた怒られてしまった。5分もしないうちに清志郎は寝ていた。
 2009年5月9日、清志郎さんが目を覚まさないと聞いた4万3000人のファンが青山墓地に清志郎さんを起こしに来た。大勢の人が清志郎さんの名前を呼んでいる。悲痛な声。か細い声。無骨な声。そうした声援に清志郎さんはまたしても応えない。今度こ清志郎は本当に目を覚まさなかった。会場の外にボビーこと川上剛がいた。「なかに入りたくなくて」と彼は言った。しばらくそこで昔話をした。どういうわけかガロン・ドランクの話で一番盛り上がってしまった。てっきり音楽を続けていると思っていた僕は川上剛がもう音楽はやめたと聞いて本当にショックだった。「無理ですよ」と言った彼の声はとても乾いていた。タイマーズなのに。タイマーズをやっていた人が音楽活動を続けられないのか。そんな国なのか。
 タイマーズ35周年、おめでとうございます。当分、あなた方の伝説を乗り越える才能は出て来ないことでしょう。


(川上剛の回想)


(パーこと杉山章二丸のお店案内)

ele-king presents HIP HOP 2024-25 - ele-king

ヒップホップ/ラップ・ミュージックの年刊専門誌が創刊!

たったいま、アメリカで起きていること、
これを読めば、USヒップホップの “現在” がわかる!!

現在のUSヒップホップのメインストリーム概観、乱立するサブジャンル解説、ヒップホップと大統領選、『ヒップホップ・ジェネレーション』の著者=ジェフ・チャンのインタヴュー、海外アーティストの来日ライヴ・レポート、そして、2024年ベスト・アルバム50を発表!!

Kendrick Lamar, MIKE, BossMan Dlow, Latto, Xaviersobased, Rapsody, Tyler, The Creator, Doechii, Common & Pete Rock, GloRilla, ScHoolboy Q and more...

菊判218×152/160ページ

目次

Intro (For the First Issue) 二木信

[巻頭対談]
歴史的ビーフからサウスの女性ラッパーの躍進、カントリーとの蜜月、ベテランの健闘まで
――2024年のアメリカのヒップホップでは何が起こっていたのか?(池城美菜子×渡辺志保)

[インタヴュー]
ミーガン・ザ・スタリオン、グロリラの元気と、タナハシ・コーツの勇気に出会えた年──押野素子
私の役割はコミュニティの歴史を伝えること──ジェフ・チャン(通訳:SRCFLP)
海外アーティスト来日ライヴ・レポート!──PoLoGod.×$hirutaro
ShotGunDandyが解説する2024年ベスト・パンチライン!

2024年ベスト・アルバム50
二木信、アボかど、池城美菜子、市川タツキ、イワタルウヤ、奧田翔 、小澤俊亮、小林雅明、島岡奈央、高久大輝、つやちゃん、野田努、長谷川町蔵、吉田雅史、渡辺志保

[コラム]
サブジャンルが乱立する2024年。シーンでは何が起きている?(アボかど)
あらゆる戦争が交差するストリートから生まれる音楽──bigsosとムスタファについて(磯部涼)
ラッパーほど信頼できる存在はいないだろ?──ヒップホップと大統領選(辰巳JUNK)
「USヒップホップ」の境界線をかく乱する──2024年のサウンドの冒険(つやちゃん)
2024年の怪物キメラへ──ビーフの裏側で誰が本当に殺されていたのか(緊那羅:Desi La/青木絵美訳)
アンビエント・ラップというオルタナティヴの発生現場(野田努)
私はアンチ・カーディ・Bじゃない──フィメール・ラップのいくつもの物語(島岡奈央)
50周年を迎えたヒップホップと「年齢」の壁(ネコ型)
ヒップホップ・メディアは「ほとんどがゴミ」なのか?──岐路に立たされるジャーナリズム(竹田ダニエル)
2024年のヒップホップ・カルチャーと社会──そして「政治」とは何か?(塚田桂子)
ラップの虚構性とキャンセル・カルチャー(小林雅明)
燃えつきることなく燃えつづける「反ポップ」のともしび──アンチポップ・コンソーティアムのふたりがそろって新作を出した年(小林拓音)

レコード店が選ぶ2024年のベスト10
ディスクユニオン/EBBTIDE RECORDS/HMV record shop 渋谷/Jazzy Sport Shimokitazawa/JET SET KYOTO/Manhattan Records/VINYL DEALER

BONUS TRACK まだまだあった! 2024年の見過ごせない注目作

[編集・監修者プロフィール]
二木信(ふたつぎ・しん)
1981年生。ライター。『素人の乱』(松本哉との共編著)、単著に『しくじるなよ、ルーディ』、企画・構成に漢 a.k.a. GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』、編集協力に『ele-king vol.27 特集:日本ラップの現状レポート』、『文藝別冊 ケンドリック・ラマー』など。

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『ele-king presents HIP HOP 2024-25』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

●36、39、52、55、94、97、114、117、130、133、136、149ページ ショルダー

誤 COLUNM
正 COLUMN

●101ページ 下段最終行

誤 ジャフ・チャン
正 ジェフ・チャン

●153ページ 右段チャート7番目

誤 BIGMUTHA
正 BbyMutha

●159ページ プロフィール記載漏れ

奧田翔(おくだ・しょう)
1989年3月2日生まれ。宮城県仙台市出身。2008年、大学入学を機に上京。入会したキックボクシング・ジムでかかっていたBGMをきっかけにヒップホップ/R&Bを聴き始める。主な仕事にケンドリック・ラマーらの国内盤ライナーノーツ、YouTubeチャンネル『HIPHOPで学ぶ英語』など。最近毎朝コールドシャワーを浴びている。

●159ページ 左段

誤 池城美奈子
正 池城美菜子

COMPUMA - ele-king

 まだキリリとした寒さと、春の暖かなまどろみが混ざりあう、新たなる息吹も感じる浅春の候、2025年3月6日(木)、渋谷はWWWにてCOMPUMAのワンマン・ライヴを開催のお知らせです。昨秋リリースの、『A View』以来、2年ぶりとなった新作アルバム『horizons』のリリース・パーティ。
 『horizons』は、コンピューマ、自身のルーツとなる熊本は江津湖のほとりでの散策を、エレクトロニックな質感とともにイマジナリーなサウンドスケープとして描き出した作品で、淡くまじり合う豊かな色彩でその情景を宿したエレクトロ~ダウンテンポ~アンビエント etc、を展開。年末には待望のデジタル配信もスタート、さらには今後、アナログLP化も予定されている模様。

 今回のコンピューマ・ライヴも音響に内田直之、映像に住吉清隆と、鉄壁の三すくみ。同地で幾度か行われたライヴでも訪れた知覚の新たな体験は、今回もまた別の扉も開けてくれることでしょう。
 さらに今回はオープニング・アクトとして、ANJI(あんじ)というアーティストが登場する。彼女は2012年生まれ滋賀県在住で、盲学校中学部1年生。視神経形成異常症により生まれつき全盲のアーティストだが、幼い頃から楽器と戯れ、現在ではビートメイクやライヴ・パフォーマンスを行っている。脱線3のM.C.BOOがそんな彼女の演奏動画をコンピューマに紹介したことが発端となり、その音に感銘を受けたコンピューマのリクエストによって今回のオープニング・アクトとしての出演が決定した。
 当日どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか。自然も、人間も新たな一歩を踏み出す春という季節に、そして新たなる音楽体験へと一歩踏み出す、そんなワンマン・ライヴになることは、まず間違いないだろう。(河村祐介)

 こちらの公演詳細は下記、前売チケットはただいまより販売開始となる。

■COMPUMA『horizons』Release ONE-MAN

■出演 :
COMPUMA(音響:内田直之、映像:住吉清隆)
Opening Act : ANJI

2025年3月6日(木曜日)開場/開演 18:30/19:30
WWW
前売券(2025年1月15日(水曜日)19:00発売):
 一般 : 3,500円/U25 : 2,500円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
前売券取扱箇所:イープラス
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

※U25チケットは25歳以下のお客様がご購入可能なチケットです。
ご入場時に年齢確認のため顔写真付き身分証明書の提示が必要となります。

ARTWORK : 鈴木聖

▽COMPUMA 2nd Album『horizons』INFO
アーティスト : COMPUMA
タイトル : horizons
リリース日 : 2024年9月20日(金)
レーベル : SOMETHING ABOUT
品番 : SOMETHING ABOUT 008
フォーマット : CD(デジパック+ブックレット)
CD価格 : ¥2,500(税込)
URLs : https://linkco.re/ETZvyenP


◇トラックリスト
1. horizons 1 / 2. horizons 2 / 3. horizons 3 / 4. horizons 4 5. horizons Interlude / 6. view 2 electro / 7. horizons 5

マスタリング:中村宗一郎
アートワーク:鈴木聖

Whatever The Weather - ele-king

 昨年は二度目の来日公演が実現、mouse on the keysのライヴへの出演も話題を呼んだロレイン・ジェイムズ。そのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーのセカンド・アルバムがリリースされることになった。3月14日、おなじみの〈Ghostly International〉から発売(CDは日本盤のみ)。現在、新曲 “12°C” のMVが公開されているが、このヴィデオもジェイムズ本人が手がけたものだという。アルバム、楽しみにしておきましょう。
 なお、ファースト・アルバムのレヴューはこちらから。

Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!先行ファースト・シングル「12°C」がMVと共に公開!

Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているサウス・ロンドンのプロデューサー、Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!

そして先行ファースト・シングル「12°C」が公開されました。この曲はアルバムのクロージング・トラックで、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、魂を揺さぶるような充実感を生み出している感動的な楽曲です。Loraine本人が手がけたミュージック・ビデオも同時に公開されております。

Whatever The Weather new single “12°C” out now

Whatever The Weather – 12°C (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=p4BgcSlKd0g

The video was self-made by Loraine James.

Whatever The Weather new album “Whatever The Weather II” 3/14 release

Artist: Whatever The Weather
Title: Whatever The Weather II
Label: PLANCHA / Ghostly International
Cat#: ARTPL-230
Format: CD
Release Date: 2025.03.14
Price (CD): 2,200 yen + tax

※日本独自CD化
※ボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

WTW第二章!Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているLoraine JamesのWHATEVER THE WEATHER名義での待望のセカンド・アルバムが完成!

ロンドン拠点のLoraine Jamesは、エレクトロニック・ミュージックの第一人者として名を馳せる一方、洗練された作曲、骨太な実験、予測不可能で複雑なプログラミングを融合させることで、そのサウンド・アイデンティティを確立してきた。名門レーベルHyperdubからリリースされる彼女の本名名義での作品は、IDMの影響を受け、ヴォーカルを多用したコラボレーションが多いのに対し、別名義であるWhatever The Weatherでは印象主義的で内面的な視線のアプローチをみせている。セカンド・アルバムとなる『Whatever The Weather II』では、催眠術のようなアンビエンスから、斑模様のリズム、日記的なフィールド・レコーディングの切り刻まれたコラージュまで、重層的なテクスチャーの豊かな世界がシームレスに流れていく。その結果、デジタルとアナログのさまざまな方法で加工された有機的な要素と人間的な要素の説得力のある結合から生まれた、独特の分断された美しさが生まれた。

レコーディング時の「感情の温度」に基づいて『Whatever The Weather』というタイトルをつけたが、彼女はレコーディングされた作品を改めて聴くと温度計の温度とは全く別の場所に感じられることがよくある、と述べている。それは環境の気まぐれであり、前作とその南極のイメージに比べれば、本作『Whatever The Weather II』は暖かい作品である。それは、再びCollin Hughesが撮影したジャケット写真の砂漠の気候や、Justin Hunt Sloaneがデザインしたパッケージが物語っている。また、両アルバムに共通しているのは、友人でありコラボレーターでもあるJoshua Eustis (aka Telefon Tel Aviv)のマスタリング作業で、彼は複雑な音に鋭い耳を傾け、驚くほど立体的なサウンド体験を作り上げている。

アルバムの冒頭を飾る「1°C」では、Loraineが「ちょっと肌寒いね…夏になるのが待ち遠しいよ」と話し、粒状の音と散在するヴォーカル・サンプルの層が浮かび上がる。この言い表せないムードは「3°C」にも引き継がれ、高周波の振動がステレオ・フィールドを飛び交い、力強くミニマルなキックが壊れたスピーカー・コーンを揺らし、広々としたシンセのハーモニーがはじけ、霧の中に消えていく。アルバム中最も長尺の「20°C」は、会話とマイナー・キーのコードの喧噪の中で白昼夢を見た後、グリッチでスタッカートなパーカッション・パターンの連続が花開く。「8°C」は、最小限の対位法で彩られた、1つのさまようようなキーボード・ラインに乗っている。これらの瞬間、Loraineは拡散するアイデアから難なく秩序を導き出し、遊び心のある自発性が共通の糸を生み出している。

このプロジェクトについて語る上で、最初の『Whatever The Weather』LP(Ghostly, 2022年)は『Reflection』(Hyperdub, 2021年)と同時期に制作されたこと、そして彼女の2つの音楽的心構えの間にはある程度のスタイルの相互作用があったことを指摘している当時、彼女はPitchforkのPhilip Sherburneにジャンルに対する思いを語り、「そう、私はIDMを作るほとんどの人とは違って見えるかもしれないし、違う時代から来たけれど、その言葉が否定的か肯定的かはあまり気にしていない。私の音楽はIDMだと思うし、他のものからインスピレーションを得て、それを融合させながら自分なりのアレンジをしている」。今回は、数か月間、この別名義とその特徴の開発に集中してエネルギーを注いだ。コラボレーターはおらず、ビートは少なく、主に本能と即興に基づいたプロセスだった。

このアルバムの特異なサウンドは、彼女がソフトウェアよりもハードウェアを好んだことに起因している。シンセサイザーのバッテリーは、ほとんどオーバーダビングされることなく、数々のペダルによって変調、変形、再構築され、各アレンジメントが作成された瞬間に効果的に固定されている。ポスト・プロダクションでは、アーティストが最も重要視しているシーケンスに最大の努力が払われた。全体として、この組曲は、季節の移り変わりと自然主義的な優美さの感覚にふさわしい満ち引きを見せる。

この曲では、東京の遊び場にいる子供たちの心に響くエコーが、断続的に鳴り響く静寂を突き抜け、オフキルターな泡のような音色に包まれる。ここでLoraineは、彼女の多くの強みのひとつである、大胆不敵な音のコラージュへのアプローチを、野心的な実験と驚きに満ちたテンポによって高めている。同じ音空間に長く留まることに満足しない「15°C」は、ソフトなパッドと輝くカウンター・メロディが続き、突然、回転する機械の中の緩んだ部品を模倣した、耳障りで周期的なリズムが加わる。 Loraineの作品の多くがそうであるように、彼女の手によってのみ意味をなす内部論理を帯びている。
クロージング・トラックの「12°C」は、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、実に珍しい、魂を揺さぶるような充実感を生み出している。その最後の瞬間、私たちは初めて、彼女のピッチシフトした声の上で、物憂げなアコースティック・ギターと優しく指でタップするビートを耳にする。これは、皮肉な曖昧さでアルバムを締めくくるコールバックであり、地平線の向こうにさらに何かが見つかるというヒントである。『Whatever The Weather II』には、まるでネガフィルムのような形式的な構成と、ウィット、インテリジェンス、そしてスキルで常識を覆すような、そんな魅力的な箇所がに満ちている。

マスタリングは引き続きTelefon Tel AvivことJoshua Eustisが担当。CDリリースは日本のみで、ボーナス・トラックが追加収録。

Track list:
01. 1°C
02. 3°C
03. 18°C
04. 20°C
05. 23°C (Intermittent Sunshine)
06. 5°C
07. 8°C
08. 26°C
09. 11°C (Intermittent Rain)
10. 9°C
11. 15°C
12. 12°C
13. null (Bouns Track for Japan)

Loraine James // Whatever The Weather

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得た。

私、VINYLVERSEの開発チームに所属しています。このアプリ、まだベータ版ですので、少々わかりづらい部分も多いかと思います。皆様にうまく使っていただけるよう、ここで簡単に紹介させていただきます。

VINYLVERSEは、レコード好きのために作られた音楽アプリです。このアプリには大きく分けて2 つの主要な機能があって、初めて使うとちょっと複雑に感じるかもしれません。
でも慣れてくるとすごく楽しくなります(自分で使っていてそう思います)。
今回はその楽しい部分の中心である「ギャラリー機能」をピックアップしてご紹介します。
(※もう1つの大きな機能であるPHYGITAL VINYL(NFTとレコードを融合した技術)の管理はまた別の機会に紹介いたします!)

ギャラリー機能について

ギャラリー機能はとてもシンプルです。自身の所有するレコードをアプリ上でコレクションとして整理・閲覧することができます。

レコードの追加方法

1.アプリ下段の中央にあるブルーのボタンを押すとカメラが起動します。

2.レコードジャケットを撮影すると、外部データベースから該当レコードのデータが自動的に取得され、アプリに表⽰されます。

3.表示されたレコード情報にある「マイギャラリーに追加」をタップすれば、自分のギャラリーに保存されます。

■ここで注意点!!

・現在、画像検索機能の改良を進めております。そのため、⼀部の画像検索がうまく機能しない場合があります。今すぐ活用できるのはテキスト検索です。

・検索窓にレコードのタイトルや品番を入力すると該当レコードが表示されるので、タップしてギャラリーに追加してください。
※なかなか出てこない場合は、正式な名称や品番をネットで検索してコピペしてください。


マスターとバージョンについて

ギャラリーに追加できるのはバージョンのみです。レコードには複数のバージョンが存在し、それらを束ねているのがマスターです。所有するレコードの該当バージョンを選んでギャラリーに追加してください。

ギャラリーを作り上げよう

1枚ずつレコードをギャラリーに追加していき、自分だけのコレクションを完成させましょう。 50枚ほど揃うと、なかなか見応えのあるギャラリーが作れますよ。

他のユーザーのギャラリーを見る

VINYLVERSEでは、他のユーザーをフォローし、そのギャラリーを閲覧することができます。現時点では他者の投稿が見れるタイムライン機能は未実装ですが、現在開発中です。

では、どうやって他のユーザーを見つけるのでしょうか?

※裏技(1)ユーザーを探す

1. 検索窓に「A」と入力して検索します。(アルファベット1文字であればOKです)

2. 検索結果の⼀番下に「ユーザー」が表示されるので、「すべて表示」をタップします。

3. 現時点で登録されているすべてのユーザーが表示されます。興味のあるユーザーを見つけてフォローしてみましょう。


VINYLVERSEの使い方を広げよう

基本的にこのアプリは無料で利用できるので、どのボタンを押しても基本的には問題ありません。なのでまずはいろいろな機能を試してください。そのうちの⼀つなのですが、ギャラリーに追加したレコードにはオーナーカードというものがついてきます。

このカードでは以下のような情報を記録できます。
•盤やジャケットの状態
•個人的なメモ(他のユーザーからは閲覧されません)

またデータベースの写真ではなく、自分のレコードの写真をアップしたい方は以下の方法があります。

※裏技(2)自分が所有するジャケット写真を登録可能

1. レコードをタップします。

2. 画面右上にある『・・・』ボタンをタップし「レコードを編集」を選択

3. 「写真をアップロード」を押して撮影、もしくはアルバムから登録された写真を選択→「~カバー写真に保存」を選択してから「保存」をタップ。

他にもさまざまな機能がありますので試してみてください。
今後もさらにアップデートを重ねていく予定です。
(常にアップデートしていますので随時ご確認いただけると幸いです)

先にも書きましたが「ギャラリー機能」はとてもシンプルです。アプリを通じて、自分の好きなレコードを並べているだけですが、これは、自身の趣味性や価値観、さらには音楽との関係性が自然と映し出されるように感じています。この行為自体が⼀種のアートであり、音楽活動であり、自己表現のひとつと言えるのではないでしょうか。自分だけのセレクトで作られた唯⼀無⼆のギャラリーには、並べた瞬間に得られる満足感や、新たな発見が詰まっています。それは、まるで自分自身を再発見する旅のように思います。ぜひ、自分なりの使い方を見つけて、楽しんでください。

VINYLVERSE アプリ

 今年の正月は、例年にないほど惨めなモノだった。年末から身体のだるさは感じていたけれど、まあ、なんとかなるでしょ! と楽観的な姿勢を崩さずやり過ごす算段だった……のだが……元旦の昼過ぎから体調は悪化し、夜に熱を計れば38度。これはやばいと、翌日、開業中の病院を探し行ってはみたものの、待合室に入りきれない30人ほどの患者たちが野戦病院さながら道ばたでうずくまっているではないですか。なすすべなく2時間ほど待って診てもらい、その夜は39度まで上がった。
 というわけで、じつを言うといまもまだ本調子にはほど遠いのです。咳は出るし身体はだるい。体調はいっこうに優れないのでありますが、編集部コバヤシからの情け容赦ないプレッシャーがこうして文字を綴らせている、というわけではありません。正月のあいだずっと寝ていたので、リハビリがてら書いてみようと思う。

 音楽ファンにとってのここ数十年の年末年始の風物といえば、各メディアの「年間ベスト・アルバム」だ。昔と違っていまはネットで多くのメディアのベスト50なりベスト100なりを見ることができるので、ぼくもご多分の漏れず、(『レジデント・アドヴァイザー』と『ミックスマグ』以外の)いろんなメディアのいろんな順位を楽しんでいる。順位を決めるは、それぞれのメディアの考え/姿勢/好みだろうし、それぞれのリストを見ながら聴いていなかった作品を聴いてみたり、順位の意味を読み解いたりするのがぼくには面白かったりする。
 こうした、いろんなメディアのいろんな年間ベストの時代は、ネットによって1950年代から1990年代まで続いた大衆音楽の生態系が破壊されたことによって現出している(*)。だから当初は、このような状態が良きことなのかどうなのか、正直なところ懐疑的だった。昔なら、日本在住者が『ガーディアン』をチェックすることなどなかった。そして昔なら、『NME』が2年連続で年間アルバムの1位をパブリック・エネミーにしたことは音楽ファンにとってその後何年も語りつがれる大事件だった。1989年にはストーン・ローゼズのデビュー・アルバムではなくデ・ラ・ソウルを1位に選んだことも洞察力に富んだ順位として記憶されている。
 昔は読むメディアも限られていた。順位に対するメディアと読者の緊張感/思い込みに関して言えば、年齢的なこともあったのだろうけれど、いまとは比較にならない。自分が好きなアルバムの順位が低かったりすると、本気で頭にきていたものだったよなぁ……と、そんなことを回想しながら、思いはさらに昔へと飛ぶ。
 ぼくが音楽を好きになったのは、小学4年生以降に夢中になったラジオに原因がある。あの頃──1970年代なかば以降の日本のラジオ放送では「チャート」番組のようなものがいくつかあって、ぼくはそんなものをよく聴き漁っていたのだ。とくに「全米ポップス・チャート」みたいな番組が好きで、お恥ずかしい話だが、中学生になるとノートにその週の順位を記録するようにもなった(*2)。自分にとってはすべてが新しい世界に思えたのだろう。

 そしていま、デジタルな世界におけるいろんなメディアのいろんな年間ベストを、「うーん」、「なるほどなぁ」、「そうかぁ?」、「やっぱりなぁ」、「これは聴いてなかったなぁ」、なんて独り言をつぶやきながら見ているのである。たとえば、 『ピッチフォーク』がシンディ・リーを1位にしたのは予想通りだった。まあ、これはこれでいい。これは同メディアの原点回帰だと解釈している。そんなことよりぼくにとっての問題は、チャーリーだ。多くのメディが賞賛する『brat』だが、そもそもぼくはチャーリーXCXがどうも苦手であることもここに白状しておこう。ポップ・ミュージックにおけるハイブリッド性とその展開、嫌いな話ではない。しかも彼女は、大枠で言えばクラブ系エレクトロニック・ミュージック。それでも『brat』を素直に楽しめないのは、古典的なポップのナルシズムを逆手に取った、PC Music以降のポスト・モダニズムな感性を理解できないからではないと思う。これはもう、単にぼくが年老いているからだ。ぼくのような老兵にはブリトニー・スピアーズのデビュー・アルバムで充分だし、もっと言えば、それをいまさら聴き直したいとも思わない。(しかしなんでもまた近年になってマライア、ブランディ、ブリトニーなのかという話はまたいつか)
 セイント・エティエンヌのメンバーで、音楽ライターであり音楽史研究家でもあるボブ・スタンレーの著書『Let's Do It- The Birth of Pop Music- A History』には、この世界にポップが誕生したときの、じつに象徴的な逸話が紹介されている。

『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の45歳の批評家ヘンリー・T・フィンクはワーグナーの信奉者であった。彼は大衆音楽やサロン・ソング、あるいは街角での口笛さえも好まなかったが、1900年2月、彼は来るべき世紀について、辛辣ではあるが悲観的な見解を示した。「ある日の午後、裏庭の花に水を撒いていると、通りすがりの少年が、それまで聞いたことのない曲を口笛で吹いた」。フィンクは目を細めてその「不快な下品さ」に顔をしかめながらも、「夏のあいだ、1000回は耳にするだろう」と感じていた。そして、彼の予言は真実を言い当てた。1、2週間も経つと、街中の少年たちがその曲を口笛で吹き、他の男たちは鼻歌で口ずさみ、10人に1人の女性がピアノで弾いていた」。フィンクは「まるで伝染病のようだった」と吐き捨てた。彼が耳にした曲は数か月間は地元でも全国でも避けられないものとなるほど、「ヒット」したのだ。

 そう、かつては自分も外で口笛を吹く少年のひとりとしてロックやパンクを聴き、ハウスやテクノを聴いたのであった。間違っても、「不快な下品さ」に顔をしかめるフィンクではなかった。だがねコバヤシ君、生態系崩壊後において事態はそう単純なものではなくなったのだよ。今日では、笛を吹く少年たちも進化している。細分化もしているし、彼らがいる街角は、昔のようにひとつではない。フィンクのほうも、1900年とは違っていまではずいぶん物わかりが良くなっていることだろう。
 また、ポップであることを拒否した音楽(モダン・ジャズ、ポスト・パンクなど)に惹かれていたりすると、別の情熱も高まったりするものなのだ。自分はポップ・ミュージックから音楽に入った人間だが、ポップでない音楽がどんどん好きになっている。でも、自分がどこから来ているのかはわかっている。だから、こうしていまも21世紀の末裔たちの、いろんなメディアのいろんな順位を気にしているんだと思う。
 平均的に高順位だったアルバムのなかで自分が聴いていなかった1枚に、ジェシカ・プラットの新作がある。サウンド面で言えば聴きやすいメロディックなフォーク・ロックで、ノスタルジックに感じられる。これは否定ではない。シンディ・リーのアルバムにも、60年代のガールズ・グループ、たとえばザ・シュレルズやザ・ジェイネッツなんかを彷彿させるロマンティックな曲がいくつかある。ぼくが昨年好きだったピープル・ライク・アスは、前衛的手法で60年代のこの手の、いわゆるブリル・ビルディング系ポップスをサンプリングして夢の世界を描いていた。ていうことは……なんだぁ、みんな同じようなことを思っていたんだなぁ。ポップの世界では、大人が新しいものに警戒心を抱き、若者が過去を甘美に思うとき、こうしたトレンドがたびたび生まれているのである。
 でも待てよ、そう考えるとチャーリーはどうだろうか? 未来的なのだろうか? いや、彼女こそ、後ろを見ながら前を向いている典型でもある。この、後ろを見ながら前に進むというのは、ポップの世界では何度も繰り返されてきている。既述のストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがまさにそれだ。 “アイアム・ザ・リザレクション” は60年代モータウンのリズムとメロディをハウスのテンポに落とし込み、独自の言葉が歌われている。彼らは同郷のハッピー・マンデーズと違ってダンス・シーンとほとんど関係がなかったが、 “フールズ・ゴールド” でボビー・バードの “ホット・パンツ” をループさせたりしているうちに、セカンド・サマー・オブ・ラヴを象徴するバンドになった。そして、それにもかかわらず、当時の『NME』(アシッド・ハウスを大いに扱っていたメディア)は、1989年のベスト・アルバムの1位を、ほとんどすべてにおいて新しかった『3フィート・ハイ&ライジング』に決めたのだった。

 ポップ・ミュージックにおける実験性は、ときに気まぐれだ。遊び心ゆえに形式的な境界線を飛び越える。また、1976年の作品でいみじくもカンが記したように、「偽物」であることは逆説的な「真実」でもある。往々にして「偽物」がおもしろいポップを創出したりもするし、そしてすぐに廃れもする(*3)。ぼくの机のうえのパソコンからは、いまも『brat』が流れている。つい先ほど、すぐにそれに反応した松島君がやって来て、彼の昨年のDJセットでは同アルバムからエディットしたものをかけていることを教えてくれた(なるほど、じゃあ松島君のDJのなかで聴いたら印象が変わるかもね)。ほかにもチャーリーに関して彼は一家言あるみたいだが、彼のマシンガントークの相手をする体力がいまのぼくにはない。ただ、松島君が言うように、同作は良くも悪くも洗練され過ぎてもいる。ぼく的に言えば、ちょっと過去を尊重し過ぎているかな……という話はもうどうでもいい。よしわかった、音楽には時代を知る手がかりがある。2025年は後ろを見ながら前に進めばいいのだな。
 では最後にもういちど確認しておこう。優れたポップ・ソングとは、順位や人気が決めることではない。その曲が、あなたの人生についてより多くを語っているとあなたが思っているかどうか、これがひとつの基準である。古くても新しくてもいい。2025年、そんな曲と出会えたらいいよね。

(2025年1月9日)


(*)
 若者文化が形成され、7インチEPが普及、ラジオがそれを流し、英国で『NME』が創刊されたのが50年代のこと。おおよそ我々がざっくり思うところのポップ・ミュージック業界はその頃にカタチが生まれ、60年代から70年代にかけて成長し、1990年代まで続いた。
 さて、そもそもポップ・ミュージックとは、主観的に使われる言葉ではあるが、ここではまず売るために作られた音楽を指している。つまりセックス・ピストルズもホアン・アトキンスもポップ音楽。だから、スタンレーが言うように地元の酒場で仲間内で歌っている歌はポップにはならない。ポップ・ミュージックとはもちろんポピュラー・ミュージックの略で、スタンレーの長年の研究によれば、この言葉が世に出たのは、1901年の英国の演劇業界紙『The Stage』に掲載された広告においてだった。「マネージャー募集。世界最大の優良図書館であるロンドン音楽貸出図書館にすぐ応募のこと。最新のポップ・ミュージックばかり。アルジャーノン・クラーク経営、ロンドン・ロード18番地、バーンズSW13」。ちなみに1900年当時の英国おける最大のポピュラー・ミュージックといえばミュージック・ホール。歌手と作家、興行主も労働者階級という、大戦前まで栄華をほこった大衆芸術。
 ともかく最初の「ポップ・ミュージック」は、限りある広告スペースに適当すべく短縮された言葉だった。そして、やや遅れてアメリカでは当時の新しい音楽形式、ラグタイムが誕生し、これをもって、より広い社会の枠組みにおけるポップ・ミュージック業界はスタートする。19世紀末に生まれたラグタイムとは、アメリカらしい、もっとも古いブラック・ポップ・ミュージックで、つまりビートがあり、シンコペーションがあった。たちまち踊り出したくなるようなミニマルな音楽で、とくにルールはなく、楽譜を必要としなかった。ラグタイムのピアノが弾けたら女性にもてたし、スコット・ジョプリンという売れっ子もいた。当初は安酒場や売春宿といったアンダーグラウンドでしか聴けなかったが、それがスタジオで録音され、最終的にはシェラック盤(78回転の10インチ)になる。ティン・パン・アレーはラグタイムを簡素化し、注文に応じて大量生産されるポピュラー音楽としてこのスタイルをさらに売った。そしてその人気の高まりにおいて、こりゃまあ、たんなる騒音、穀物倉庫の音楽だな、などという批判も噴出した。
 こんな話を書いていると、ブロンクスでヒップホップ、シカゴでハウスが生まれていったことと、最近ではジュークが生まれていったことと同じようなことが120年前には起きていたんだなぁとしみじみと思う。決定的な違いは、1900年当時の世界にはまだ「若者」という概念も存在もなかったことだ。「英国では15歳も50歳も同じように土曜の夜に給料をはたいて同じ演目を観に同じミュージック・ホールに通っていた」とスタンレーは書いている。世界史に「若者文化」が登場するのは、第二次大戦後のことである。

(*2)
 ぼくがラジオ少年としてチャート番組を聴いていた70年代なかば以降は、あとから考えてみると、悲しいかな、アメリカの売れ線ポップスのほとんどが低調だった時代と一致している。たとえば、ドゥービー・ブラザーズにジョン・デンバー、リンダ・ロンシュタット(オリジナルより遙かに気迫を欠いた “ヒートウェイヴ”) 、イーグルス(富裕ヒッピーの憂鬱)……70年代ポップスの発信地としての西海岸(通称ローレル・キャニオン)衰退期におけるカントリー・ポップ、じゃあ英国はどうだったかと言えば、ベイ・シティ・ローラーズにクイーン……、デイヴィッド・ボウイの『ロウ』を好きになるにはあと数年必要だったし、ドナ・サマーを楽しむには若すぎた。70年代なかばの、たとえばスタイリスティックスの “愛がすべて”やスリー・ディグリーズ の “天使のささやき” ような素晴らしいポップスとぼくが出会うのは、ずっと先の話になる。というわけで、AMラジオの深夜放送で聞いたRCサクセションのほうがよほどがつんときたし、ローレル・キャニオン系末期の感覚にうんざりしたぼくが、たとえばニール・ヤングの『トゥナイツ・ザ・ナイト』のようなアルバムと出会うには、オルタナ・カントリーの回路が必要だった。とはいえ、1978年以降、つまりパンク以降のニューウェイヴの時代にはたくさんの優れたポップ・チューンが生まれている。しかしその頃にはぼくはもうラジオ少年ではなかった。

(*3)
 歴史を振り返れば、たとえばブームタウン・ラッツやポリスのような、リアルタイムでは人気も評価もあったバンドが、いつしか時間のなかでほとんど愛されなくなっていくという事例や、ザ・KLFの一連のヒット曲のように瞬発力こそ凄かったが数年後には飽きられていった曲も少なくない。それとは対照的に、売れてはいたけれど評価はされていなかった曲が、いつしか時間のなかで評価を高めていった事例も、ほとんどのディスコ・ミュージックをはじめ数多くある。

interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones - ele-king

ジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べてもジョーのコードのチョイスはすごくいい。(沖野)

 これはもはやジャズではなくルーツ・レゲエそのものではないか──ジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルをチェックしたリスナーの多くはおそらく面食らったにちがいない。
 大胆にアフロビートやラテン音楽などをとりいれる雑食的スタイルで10年代後半以降のUKジャズを牽引してきたグループのひと組、エズラ・コレクティヴ。その鍵盤奏者であり、ソロ・アーティストとしても確固たる地位を築きあげているのがジョー・アーモン・ジョーンズだ。UKらしいというか、おなじトゥモロウズ・ウォリアーズで学んだヌバイア・ガルシア同様、音楽的冒険を厭わない彼の射程にももともとレゲエ/ダブが含まれており、その影響は当初から作品に反映されてきた。
 しかしここまでストレートなルーツ・サウンドに舵を切るとだれが予想できただろう。12月6日にリリースされた「Sorrow」によくあらわれているように、2024年にジョーンズが自身のレーベルから送り出した3枚の12インチ・シリーズは、どれもこれまで以上に深くダブに傾斜している。ただ、さりげなく3枚ともB面にローズ・ピアノ・ヴァージョンが収められている点は見過ごせない。それらのヴァージョンからは、通常異なる文脈にあると思われている音楽との接点を探ろうと果敢に奮闘する、ひとりのジャズ・ミュージシャンの姿が浮かび上がってくるからだ。
 そんなジョー・アーモン・ジョーンズのことをかねてより高く評価してきたのがKYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也である。2024年にデビュー30周年を迎えた沖野は、これまでKYOTO JAZZ MASSIVEがカヴァーしてきた曲を集めたコンピレイション『KJM COVERS』を12月4日にリリースしている。彼らがどんな音楽からインスパイアされてきたのか俯瞰できるありがたい1枚だが、ブギーからブロークンビーツまで横断するその軽やかな身ぶりは、ジョー・アーモン・ジョーンズの越境性と共通するところかもしれない。
 そんなわけで、ほぼおなじタイミングで最新タイトルを発表したふたり、昨秋来日していたジョー・アーモン・ジョーンズと、まもなくKYOTO JAZZ MASSIVEとしてリリース・ライヴ(1月16日@COTTON CLUB)を控える沖野修也による特別対談をお届けしよう。

優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。(JAJ)

おふたりが直接対面するのは、今回が初めてですか?

沖野:いえ、以前から何度も会っていました。最初はジャイルズ・ピーターソンの《Worldwide Festival》で。あと、コロナ前に大阪でエズラ・コレクティヴのライヴがあったときに、ジョーはぼくのラジオ番組で「ベスト・ニュー・アーティスト」というのを受賞していましたので、トロフィーをあげました(笑)。大阪まで持っていったんですよ、トロフィーを。そのときに初めてちゃんと話をしました。

JAJ:2019年ころだったと思う。

沖野:最後に会ったのは去年の《We Out Here》というフェスティヴァルで、彼はエズラ・コレクティヴとしてメインステージにいたんですが、ぼくもKyoto Jazz Massiveとして早い時間にライヴをやって。そのときにも会いましたね。

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは以前インタヴューでKyoto Jazz Massiveのことをすばらしいと発言していましたが、Kyoto Jazz Massiveの音楽と出会ったのはいつごろで、どういう経緯で知ったんですか?

JAJ:Kyoto Jazz Massiveは日本のアーティストで最初に好きになったバンドなんだ。たぶん、ジャイルズ・ピーターソンがプレイしていたのを聴いて知ったのが出会いだったんじゃないかな。それで興味を持って、作品を聴いたりライヴを観たりしてすごくいいなと思って。

逆に沖野さんがジョー・アーモン・ジョーンズの存在を知ったのはいつごろでしょうか。

沖野:ぼくもジャイルズがかけていたのがきっかけで。『Starting Today』に収録されていた曲を彼がかけていて。

JAJ:『Starting Today』はアルバムって呼ぶひともいればEPって呼ぶひともいるんだ。

沖野:以降、ジョー・アーモン・ジョーンズの名前の音源が出るたびにチェックしていて、自分のラジオ番組でもかかて、アウォードにもノミネートして。

JAJ:ジャズがつないでくれたコネクションだよね。とてもありがたいと思う。

沖野:ジョーの音楽はコードのセンスがいいんですよ。ぼくはジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べても彼のコードのチョイスはすごくいい。もちろん作曲能力もすばらしいんですが、最初にぼくが惹かれたのはコード感ですね。

JAJ:いま名前が挙がったひとたちはぼくのヒーローでもあります。Kyoto Jazz Massiveの音楽は、たとえばロンドンのような都会に住んでいると「ジャズとはこういうものだ」っていう固定観念があって、みんな同じようなことをやっているし過去のコピーに陥りがちなんだけど、それらとはまったく違った音楽性、サウンドにたいするアプローチを感じて、そこにすごく惹かれた。新しいエネルギーを感じたね。ジャズっていうのは本来そういうものであるべきで、他人と違った新しいアプローチこそジャズのすべてだと思うんだけど、まさにそれをやっているなと思った。

雑食性または横断性はおふたりの音楽に共通するものかもしれません。

沖野:もともとジャズってハイブリッドな音楽ですし、ぼくはさっきコードのことしかいいませんでしたけど、ジョーの音楽にはいろんなエッセンスが入ってもいる。ジャズ、フュージョン、ソウルにファンクに、R&Bにレゲエに、アフロビート。そのミックスされた感じが彼の魅力でもあるし、ぼくらに共通するジャズのあり方かなと思います。混ざってる要素が必ずしも一致してるわけではないんですが、いろんな音楽をとりこんで自分のサウンドにするという点はKyoto Jazz Massiveにもジョー・アーモン・ジョーンズにも共通する要素だと思いますし、指向性は似ているかもしれないですね。

JAJ:その意見には賛成だね。いろんなジャンルをとりこむか、もしくはまったく新しいジャンルを生み出すものがジャズだと思っています。ぼくが好きな尊敬しているジャズ・ミュージシャンもそういうことをずっとやってきていると思う。ロンドンに来て、音楽を勉強するためにカレッジに入ったとき、そこでは「スウィングがジャズにとって大切だ」とか「技術的にどうインパクトを与えるか」といったような部分ばかりが強調されていて、学生たちもそういうことに執着していたんだけど、ぼくが思うジャズはもっと「音楽のための音楽をつくる」ものというか、コンセプトありきで、自分の発想のなかで自由に音楽をつくっていくものなんじゃないかな、とずっと考えていて。たとえばソウルフルなものをつくるのでもいいし、即興でもいいんだけど、優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。

沖野:こういうふうにしっかり語れるのも彼のすごいところ(笑)。自分の意見をしっかりもっているひとだなと思います。日本にはなかなかいないですね。UKのひとたちは年齢はそこまで関係なくおなじ視点で話せるんですよ。それもあってぼくはロンドンが好きですね。

JAJ:いまのイギリスには2種類の上の世代がいて、いちばん上の世代のなかには、若いひとたちがやっていることには興味を示さず、若いひとたちのギグを観に行ったり音楽を聴いたりはしないんだ。自分のやっていることだけで完結しているような、ちょっとオタクっぽいひとたちがメインで、自分のやっていることと違うことを受け容れられないひともいる。一方で、自分にも若いときがあって、自分が新しいことをやりはじめたときに上の世代がどう感じたかをちゃんとおぼえているひともいて。
 たとえばギャリー・クロスビーがいい例だと思う。彼は若者が新しいことをはじめるとき、それに興味を持ってサポートをしてくれるんだ。自分がエズラ・コレクティヴをはじめたときも手厚いサポートをしてくれて、「どんな音楽をやっても大丈夫だし、どんな服装でも大丈夫だよ」って受け容れてくれた。UKのジャズ・シーン全体もいまはそういう方向に向かっていて、若いひとたちをもっとサポートしていこうというムードになっているから、それはすごくいいことだととらえています。

レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。(JAJ)

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは2024年に3枚シングルを出しています。これまでもダブの要素は大きな特徴でしたが、今回のシリーズはジャズとのブレンドではなくかなりストレートなルーツ・サウンドですよね。

沖野:ぼくもびっくりしました。ぐっとルーツに寄っていて。でもヴァージョンがあって、最新シングル「Sorrow」も、ホーンが入っているもの(“Sorrowful Horns”)とローズ・ピアノのもの(“Sorrowful Rhodes”)が収録されていて、アウトプットをちゃんと考えているなと思いました。「ルーツに寄ったね」ってみんなから言われることを想定したうえでフェンダー・ローズを弾きまくっているのがすごく気持ちよくて。発信の仕方を練っているなと感じましたね。

最初の「Wrong Side Of Town」でもヌバイア・ガルシアのサックスがフィーチャーされていました。

JAJ:レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて、たとえばA面にはヴォーカル・ヴァージョンとダブ・ヴァージョン、B面にはホーン・ヴァージョンとディージェイ・ヴァージョンが入っていたり。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。キング・タビーにしても、いろんなヴァージョンのものをひとつにまとめてリリースして。そういうやり方はもともとはジャズの大ファンだったひとによって発明されたんじゃないかな、って考えることもある。たとえばジャズのスタンダード “Autumn Leaves” もいろんなひとが新たなスタイル演奏したり新しいヴァージョンをつくってきた。そういうことに面白さを感じる。

昨年ヌバイア・ガルシアに取材したときにロンドンのサウンドシステム文化で育ったことが大きいと言っていたんですが、ジョー・アーモンさんもやはりおなじ文化から影響を受けてきたのでしょうか?

JAJ:さまざまな音楽のジャンルの多くはロンドンから出てきたもので、たとえばドラムンベースもそのひとつだけど、そういったもののルーツをたどるとかならずダブやサウンドシステム文化に行きつく。だからダブやサウンドシステムは、ジャズに限らずいろんなジャンルに影響を与えていると思う。
 ぼくは田舎育ちだから、ロンドンのサウンドシステム文化で育ったわけではなくて。上京してきた17歳、18歳のころに出会ったんだ。サウンドシステムでプレイされる音楽はある意味で守られたジャンルというか、ラジオで聴くことはできなくて、そういう場やなにかのイヴェントに行かないと出会えない音楽だった。それ以前からレゲエ自体はふつうに聴いていたけど、強くおぼえている初めてのダブの体験は、ロンドンのスカラというヴェニューでやっていた《University of Dub》ってパーティだね。通常のイヴェントであれば、みんなDJのプレイに集中しているけど、そこではひとつの部屋にふたつのサウンドシステムがあって、ひとつのサウンドシステムで30分プレイして、次にもうひとつのサウンドシステムで30分プレイする、っていうのを行ったり来たりするような感じなんだ。両サイドから音楽が流れてきてクラッシュしているような瞬間もあった。最初はそれぞれが違ったものをひとつの部屋でかけているということにすごく混乱したけれど、来ているオーディエンスもDJがそれぞれやっていることにフォーカスするというよりも、部屋全体に流れている音楽を楽しんでいたのがすごく印象的だった。DJのことを見ているというより、音楽そのものを聴いているような感じがしてね。そこでは自分の好きなDJ、たとえばムーディマンなんかもプレイしていたんだけど、そういうDJたちを観る感覚ではなくて、純粋に音楽を楽しめたんだ。

沖野さんにお伺いしたいんですが、「ジャズとダブ」というキーワードからはどういった作品が思い浮かびますか?

沖野:意外と少ないんですよね。自分のキャリアのなかでもレゲエとかダブの影響が入った曲って2曲しかプロデュースしたことがなくて。MONDO GROSSOがカヴァーしたことでも知られるファラオ・サンダースの “Oh Lord, Let Me Do No Wrong” (1987年)はレゲエ寄りの曲ですね。MONDO GROSSOのカヴァーはキーボードがスタイル・カウンシルのミック・タルボットで、ヴォーカルは2年前に亡くなってしまったんですが、UKのソウル・シンガーのノエル・マッコイでした。その後、MASA COLLECTIVE(Sleep Walkerのサックス奏者、中村雅人によるソロ・プロジェクト)でおなじノエル・マッコイをヴォーカルにフィーチャーして、フレディ・マクレガーの “Natural Collie” をカヴァーしています(2007年)。ジャザノヴァのマネージャーのダニエル・ヴェストが〈Best Seven〉というダブのレーベルをやっているんですが、“Natural Collie” もライセンスされてそこから出ていますね。
 あとはやっぱりエズラ・コレクティヴになりますよね。最近の、ヤスミン・レイシーとコラボした “God Gave Me Feet For Dancing”(最新作『Dance, No One's Watching』収録)ではジャズとダブのテンポが入り混じっていて。すごくよくできた曲なんです、遅いテンポと早いテンポが混在していて。だから、レゲエのエッセンスをとりいれるうえではやっぱり、エズラ・コレクティヴやジョー・アーモン・ジョーンズがすごく参考になる。もし次のKyoto Jazz Massiveの曲にレゲエとかダブのエッセンスが入っていたら、それは彼に影響を受けたものになると思います(笑)。

JAJ:やっぱり自分たちの世代だと、たとえばハービー・ハンコックのようなレジェンドからインスパイアされることが正しいとされがちなんだけど、それは間違っていて、やっぱり同世代やおなじ時代の音楽家からもインスピレーションを受けるべきだと思う。

自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。(沖野)

ジョー・アーモンさんの「Sorrow」とほぼおなじタイミングで、Kyoto Jazz Massiveのデビュー30周年記念盤『KJM COVERS』もリリースされましたね。これまでのカヴァー曲を集めたコンピレイションですが、なぜカヴァー集になったんでしょうか?

沖野:じつはぼく、Kyoto Jazz Massiveではカヴァーを禁止しているんです。むかしイギリスの先輩DJに「日本人アーティストはカヴァーが多すぎる」と言われたことがあって。ぼく自身も “Still In Love”(2011年)というローズ・ロイスのカヴァーがヒットしたりしているので、Kyoto Jazz Massiveとしては封印しているんですよ。だからこの先もカヴァーはやらないと思うんですが、30周年記念としてなにかしら出したいなと思ったときに、こういう区切りであればファンへの感謝として、これまで出してきたカヴァーをまとめるのも許されるかなと。それと、次のアルバムを出すにあたって、自分たちが影響を受けてきた音楽をもう一度検証する機会でもあった。ただ、先ほど話に出た “Natural Collie” は諸事情あって漏れているんですけど(笑)。

最後に、おふたりそれぞれ、音楽活動をしていくうえでポリシーのようなものがあれば教えてください。

JAJ:ひとつ言えるのは、自分がバンドで曲を書くときは、各パートの音楽性をメンバーに押しつけるんじゃなくて、メンバーごとに解釈を任せられるように、オープンな部分を残しておくことはかならず念頭に置いているね。それはたとえばデューク・エリントンがやっていたことでもあるんだけど、ぼくは彼のやり方を参照していて、その姿勢を自分の創作にもとりいれている。すばらしいジャズのアーティストたちは──たとえばマイルス・デイヴィスもそういった余白をバンド・メンバーに与えていたと思うから、そういうことは心がけているね。

沖野:ぼくの場合は、これまで出した曲よりいい曲を書くこと、それにしか興味がないんです……ってあらゆるインタヴューで答えています(笑)。できれば、ハービー・ハンコックとスティーヴィー・ワンダーのあいだにかけられる曲とか、ロイ・エアーズとかアース・ウィンド・アンド・ファイアのあいだにかけられる曲をつくりたいと思っているんです。もちろんすごく高い目標ですし、ぼくは現時点ではまだその域には達していない。だから、自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。そういうことは、かならずしもレジェンドたちだけではなくて、ヤスミン・レイシーとジョー・アーモン・ジョーンズのあいだにかけられる曲とか、ヌバイア・ガルシアとエズラ・コレクティヴのあいだにかけられる曲とか、ぼくはコンポーザーですがDJでもあるので、やはりこの曲とこの曲のあいだに挟みたい、ということはよく考えるんですね。
 もうひとつは、繰り返しになりますが、できればカヴァーはやりたくない(笑)。カヴァーにもどの曲をどうアレンジするのかっていう面白さがあるんですが、やはりオリジナルで勝負したいなと思っています。

Talking about Mark Fisher’s K-Punk - ele-king

 まもなく彼が亡くなってから8度目の1月がやってくる。この間、ここ日本でもマーク・フィッシャーの紹介は進み、2024年はついにそのすべての単著が日本語で読めるようになった。音楽をはじめ映画やSF文学といったポピュラー・カルチャーから鋭い思想を紡いでいったイギリスの批評家──死後に刊行されたアンソロジー『K-PUNK』はその最後の単著にあたる。
 文学や映画、TVドラマについての論考をまとめた『夢想のメソッド』、音楽や政治をめぐって舌鋒が振るわれる『自分の武器を選べ』、表題の未発表原稿だけでなく主著『資本主義リアリズム』の本人による平易な解説も収めた『アシッド・コミュニズム』──日本では三分冊のかたちで刊行された大著『K-PUNK』は、フィッシャーの出発点であるブログ「k-punk」の主要テキストを軸に、『ガーディアン』などに掲載された文章から各種インタヴュー、未完の草稿までを網羅している。つまり、若かりし初期のフィッシャーから晩年の彼にいたるまで、その変化のプロセスを知るうえでも見過ごせない1冊というわけだ。
 そこで以下、シリーズ完結を記念し、『K-PUNK』の訳者のうち3名による特別座談会をお届けしよう。第2巻『自分の武器を選べ』で音楽パートの翻訳に参加したロンドン在住の髙橋勇人、『資本主義リアリズム』の訳者であり、今回第3巻『アシッド・コミュニズム』を担当したセバスチャン・ブロイと河南瑠莉──それぞれどのようにフィッシャーの著作と出会い、彼の文章のどこに惹かれ、いかにしてその思想を継承・発展しようとしているのだろうか。

マーク・フィッシャーとの出会い

なによりほかにはいないんですよね、こういう書き方をするひとは。社会的なポジションについて、イギリスに固有の音楽や文学、映画などの文化的、社会的状況に即して書きつづけている。(髙橋)

マーク・フィッシャーの『K-PUNK』日本語版が完結したということで、訳者のみなさんにいろいろお話をお伺いできればと思います。まずは、それぞれがマーク・フィッシャーの文章と出会ったきっかけから教えてください。

ブロイ:『n+1』というニューヨークに拠点をもつ文芸誌をよく読んでいるのですが、そこに『資本主義リアリズム』に触れた評論が載っていたのがきっかけだったように覚えています。実際に読んでみたら、ポストモダニズムの「後」の世界への展望、そしてクリティークの行き詰まりを冷徹に分析したその眼差しに惹かれました。

河南:わたしが彼の思想に初めて触れたのは2013年か14年で、ベルリンの大学院に通いはじめたころでした。その時点で彼の「資本主義リアリズム」ということばを聞いたことのないひとはあんまりいなくて、名前としてはみんな知っているというくらいの知名度がすでにありました。大学院で美学のコースをとっていたときに、「資本主義下における美学とはなにか」というようなことをディスカッションする機会がよくありました。当時は加速主義がトレンドだったこともあって、その文脈でよくフィッシャーが言及されていましたね。でもそのときはちゃんとは読んでいなくて。あるときセバスチャンが『資本主義リアリズム』を本気で読みはじめて、翻訳したいと。なぜ翻訳したくなったのか、おぼえていますか?

ブロイ:たしか2014年から15年にかけての冬、ふたりでクロイツベルクにいたとき、バーでビールを飲みながら『資本主義リアリズム』の話をして。「そういえばこの人、まだ邦訳がぜんぜん出ていないよね」というところから話が進んで、その後、とりあえず2章ほどサンプルとして翻訳し、出版社を探しながら「日本語訳に興味はありませんか?」ってマーク・フィッシャー本人にもメールを送ってみたんです。数日後に好意的な返事が戻ってきて、イギリスの出版社(Zer0 Books)の担当者につないでもらうことになりました。そこから彼とのやりとりがはじまりましたね。

髙橋:『資本主義リアリズム』の邦訳〔※堀之内出版〕が出たのは、原書が出てからけっこう時間が経ってからでしたよね〔※原著は2009年、邦訳は2018年〕。10年近く差がありますけど、訳すときに時間が経ってしまっていたことによる誤差のようなものは感じませんでしたか?

ブロイ:感じましたね。

河南:翻訳をはじめた時点で『資本主義リアリズム』の原書が出てから数年経っていましたし、ブログの「K-PUNK」での初出からは10年以上経っていた文章もあったと思うんです〔※『資本主義リアリズム』にはブログの「K-PUNK」の文章をもとにしたものも収録されている〕。ただ、セバスチャンが何度もフィッシャーに連絡をとっていて、その返事からコアの問題意識はいまだに変わっていないなという印象は受けました。もう終わってしまった過去の著作を日本に移植するのではなく、あくまで現代につうじる問題を著者のフィッシャーと共有しながら、べつの言語に訳している、という感覚がありましたね。ただ翻訳に時間がかかってしまって、紙として出たのは2018年の2月で、そのときにはいろいろ状況が変わってしまいましたが……

『資本主義リアリズム』のカヴァーは、なぜレディオヘッドのアートワークとおなじヴィジュアルだったんですか?

河南:よく聞かれるのですが、あれはレディオヘッドのアートワークにも使われたことのある連作のなかのひとつで、ロンドンの地図がモチーフの作品です。アーティストでありライターであるスタンリー・ダンウッドさんの作品と、フィッシャーの文章には、資本主義下のイギリス生活の奇妙さを捉えた部分が共通していると思い、セバスチャンがダンウッドさんに連絡をとったところ、向こうも好意的で、どんどん話が進んでいきました。

髙橋:ダンウッドがフィッシャーの読者だったというのはいい話ですね。(編集長の)野田さんはよく「マーク・フィッシャーは絶対レディオヘッドは好きじゃなかったでしょ」ってぼくに話していて。

編集部でもときどきその話は出ます(笑)。

髙橋:でもダンウッドさんがフィッシャーに賛同してくれたというのは、フィッシャーの本がほかのひとを刺戟して、それが具現化したということだから。

ブロイ:しかもダンウッドさんはこの作品を無料で使わせてくれたんですよ。きっと構想に納得してくれた部分があったんでしょうね。

河南:ダンウッドさんはレディオヘッドと密接に関わって仕事をしてきた一方で、あくまでひとりのグラフィック・アーティストでもあります。彼がひとりの作家としてフィッシャーの邦訳の企画に手を貸してくれたというのは重要なことだと思います。

髙橋くんが出会ったきっかけは?

髙橋:ぼくは実家が浜松なんですが、2009年に上京して、2010年に早稲田に入ります。その年に野中モモさんによるサイモン・レイノルズ『Rip it Up and Start Again』の翻訳も出て〔※『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』、シンコーミュージック〕、そこからいろいろ調べるようになったんです。2010年前後って音楽的に面白い時期でしたよね。ジェイムズ・ブレイクジ・XXサブトラクトなど、イギリスからすばらしい音楽がたくさん出てきた。ぼくはUKのダンス・ミュージックが好きだったんですが、そこから掘り下げていくと、どんなひとでもかならず〈Hyperdub〉に行き着くんですよ。当時は日本でも〈ビート〉さんのおかげで日本盤が流通していましたし、雑誌を読んでいたらレーベル主宰者のコード9がどんな人間かもわかってきた。コード9だけ明らかにほかのミュージシャンとはちがうんです。DJをやる一方で哲学の博士号をもっていたり大学でも教えていたり。ちなみにそういったことは雑誌『remix』で知ったんですが、そのときコード9をインタヴューしていたのが野田さんでしたね。
 そうしていろいろ調べていくうちにCCRUを知り、ブログの「K-PUNK」も発見します。最初は正直、読みにくいウェブ・デザインだなと思っていました(笑)。でも書いてあることが面白かった。当時ぼくはベリアルが大好きだったんですけど、『わが人生の幽霊たち』に収録されている、彼のファースト・アルバム『Burial』(2006年)のレヴューも「K-PUNK」に載っていました。大学一年生といえば、ちょうどドゥルーズとかデリダとかの現代思想を読みはじめる時期じゃないですか。それで「K-PUNK」を読んで、「音楽を論じるのにデリダを使っているのか」と興味をもったのがはじまりでしたね。ちなみに2010年だから、もう『資本主義リアリズム』(の原書)は出ていたんですが、それを読むのはもうちょっと後になります。その後2011年、3・11があった年にぼくはグラスゴーに留学するんですが、当時行ったデモの現場で「capitalist realism」という単語を見かけたような記憶がありますね。そして日本に帰ってきて、ele-kingで働いていたときに、これまで読んできた現代思想を音楽や美術との関係でもっとしっかり読み深めてみようと思って、強くフィッシャーを意識するようになりました。『資本主義リアリズム』を読みはじめたのはそのときですね。

なるほど。髙橋くんはその後、今度はロンドンに渡るわけですが、フィッシャーと会ったことはあるんですか?

髙橋:ぼくがふたたび渡英したのは2016年でしたが、そのまえに野田さんから「お前はコジュウォ・エシュンを絶対に訳さなきゃダメだ」と言われていて、ちょうど訳しはじめていた時期だったんです。渡英後コジュウォ・エシュン本人とは話したりメールしたりしていたんですけど、フィッシャーとは直接やりとりする機会はありませんでした。ぼくが修士過程をやっていたのはゴールドスミスの社会学部なんですが、マーク・フィッシャーやコジュウォ・エシュンは視覚文化学部というところで教えていて。いちど教員室までコジュウォ・エシュンを尋ねたことがあって、そのときは不在だったんですが、マーク・フィッシャーとおなじ部屋でしたね。2017年の2月からふたりの授業を聴講する予定だったんですが、その1月にフィッシャーが亡くなってしまって。学部全体が戦慄していた感じでした。授業も休講になりましたし。ともあれ、エシュンやコード9とは会う機会もありましたので、ポストCCRUの交流関係はよく知っていると言えると思います。その後、ゴールドスミスの文化研究学部でぼくの博論の指導教官になったマシュー・フラーはフィッシャーの旧友で、彼が亡くなったときにはその家族を支援するためのクラウド・ファンディングを立ち上げていましたね。

ブロイさんはフィッシャーの講義を受けていたんですか?

ブロイ:ゴールドスミスには2015年にカンファレンスで行ったことはあるんですが、講義は受けていないですね。マークさんとはメールでやりとりはしていたんですけど、そのときはゴールドスミスには2日くらいしかいなくて、風邪を引いていたのもあって、会う機会がありませんでした。じつは、『資本主義リアリズム』刊行を機に、マーク・フィッシャーを日本に呼ぼうと思っていたんですよ。企画が完成したことを伝えられないまま決別となり、ほんとに残念でした。

河南:みんな出会った文脈が違うのが面白いですよね。髙橋さんは音楽からで、わたしは美術論からで、政治思想にかんする英米の雑誌をたくさん読んでいるセバスチャンはそうした左派的な文脈からで。その交差点にフィッシャーがいたっていうこと自体が、彼の仕事の広さを物語っています。
 わたしの場合は美術の文脈ですが、当時その文脈では、「なにをやっても資本にとりこまれてしまうんだったら、昔のアヴァンギャルドがやっていたような、外部を目指すとか、変わったことをやるっていう戦略(いわゆる侵犯)はもう通用しなくなるんじゃないか」というようなことが盛んに議論されていました。なにをやってもとりこまれてしまうことを専門用語で「包摂」というのですが、2015年ころまでは「資本の外部を目指すのが難しければ、それを逆手にとって、資本の内部から破壊すればいいんじゃないか」というような、左派加速主義的な考え方が一定の説得力をもっていた時期がありましたね。もちろん、フィッシャーを加速主義者だと言ってしまうと彼を矮小化してしまうことになりますので注意が必要ですが。

ブロイ:それまでみんながふわっと、ぼんやり感じていたような、「こういう手法がもう通用しない」ということが、フィッシャーのようなひとを通じて前景化して、よりはっきりしたことばになった、という感覚はありましたね。ぼくはアメリカ文学をよく読んでいたんですが、90年代以降のアメリカ文学史のなかでも、フィッシャーの議論と響き合うような考え方が浮上するようになりました。とりわけデイヴィッド・フォスター・ウォレスに代表される「新誠実」(New Sincerity)と呼ばれた現象はそうですね。1993年に書かれたエッセイのなかで彼は、それまでの文学におけるポストモダニズムの風潮、とくにアイロニーの支配的役割について鋭い考察をしました。「当初、偽善や固定観念を破壊する手段として機能していたアイロニーが、当時のTV文化のなかではすでに普遍化してしまったので、その有効性の大部分を失い、『反逆』からむしろ『共犯』へと変質してしまった」という議論を展開します。そして彼は、これからは状況が逆転し、真摯さや共感といった「自分の身を晒すもの」が再び出てくるようになり、そこにかつてアイロニーが果たしていたような解放的な力が宿るのではないか、という可能性をほのめかしています。このような「ポスト・アイロニー」の文脈のなかに、フィッシャーの批評的な論調をみてとることも可能でしょう。

マーク・フィッシャーの魅力

いろんな失敗をしながらも、そういう自分の変化を恐れずに露出していったところがあります。それが、ひとりの「思考する個人」としてどうあるべきかという姿の、ロールモデルになっているのではないかなと思います。(河南)

お三方はそれぞれ、マーク・フィッシャーのどういうところに惹かれますか?

髙橋:まず前提として、ぼくはイギリス在住ですが、日本人としてここで暮らすということは、エイリアンとして生きることを意味します。なので、もともとイギリス人であるフィッシャーとおなじ視点では語れません。あくまでそれを踏まえたうえでの話ですが、いまぼくが惹かれているのは、フィッシャーがイギリスにおける階級意識にもとづいて文章を書くところですね。イギリスの階級やその意識を理解するうえで、彼の文章は非常に参考になるというか。
 たとえば『K-PUNK』には、マンチェスター出身のバンド、ザ・フォールについての文章が入っていますよね〔※「クラーケンのメモレックス」、『自分の武器を選べ』所収〕。あれは完全にホラーと階級の話です。「ヴァンパイア城からの脱出」〔※『アシッド・コミュニズム』所収〕にも出てきますが、「労働者階級の出自をもつ者が社会のなかでどのようにして立ち位置を確保しなければならないか」とか、「どのようにして自分がいま属している社会的なもの・構造的なものにたいして自覚的になるか」というような話なんですね。フィッシャーはその例として、労働者階級に生まれながら知的なものに目覚めた自身を怪物として歌ったマーク・E・スミスについて書いている。そんなスミスの出自について、大衆的なホラー作家のM・R・ジェイムズなどを参照しながら書くというフィッシャーの姿勢は魅力的に感じます。なによりほかにはいないんですよね、こういう書き方をするひとは。社会的なポジションについて、イギリスに固有の音楽や文学、映画などの文化的、社会的状況に即して書きつづけている。イギリスの階級社会は日本とはやはり意識的な面で違っています。物質的な部分、たとえばアクセスできる技術だったりサーヴィスの面では日本とイギリスは似ているところも多いですが、社会構造のなかにいる自己のとらえ方にかんしては、イギリスと日本とでは何百光年も離れていますね。

ブロイ:共感できますね。

河南:わたしは、フィッシャーを読むようになって10年以上が経過するなかで、惹かれる部分も変わってきました。大学院生として初めてフィッシャーに触れたときは、そのシャープさ、理論的な精密さだったり、アグレッシヴで論争的な物言いに惹かれていました。でもいざ自分が働くようになって、ある意味フィッシャーと同じく、そしていま話しているこの3人ともそうだと思うんですが、高等教育機関で不安定雇用で働くようになると、理論のための理論ではなくて、理論と生活を媒介していくようなものが必要になってきます。

髙橋:100パーセント同意ですね。

河南:10数年前には面白いと思っていた「この対象について、理論を駆使して論破してやる!」みたいなことにはもうまったく魅力を感じなくなったんです。だからわたしは後期のフィッシャーにすごく惹かれるんですけれど、フィッシャー本人も自分の経験に応じて自分の見方を変えることを厭わなかった。思想家はつねにアップデートしてくので、特定のある時期に書いたものがすべてではないんです。すごく当たり前の話なんですが、でも読み手はそれを忘れがちです。「フーコーが○○年に書いたものがフーコーの思想だ」とか、そういうふうに考えてはいけない。フィッシャーも、大学院生としてCCRUにいたときと、いざ自分がイギリスの新自由主義下の雇用形態のなかで働きはじめて不安定労働者になってからとでは文体が変わっているように思います。ジャーゴンや記号を爆発させて読み手を圧倒させるような文体から徐々に離れていっていますよね。フィッシャーはインターネットで書いていたからこそ、いろんな失敗をしながらも、そういう自分の変化を恐れずに露出していったところがあります。それが、ひとりの「思考する個人」としてどうあるべきかという姿の、ロールモデルになっているのではないかなと思います。
 ただし、失敗もしながらですけどね。フィッシャーも「ヴァンパイア城からの脱出」でやらかしています。先ほど髙橋さんが階級の問題についておっしゃっていましたが、階級の問題に注目することは、同時に、ほかの問題に盲目的になることでもあります。そういう側面が「ヴァンパイア城からの脱出」のフィッシャーにあったことは否めない。でもフィッシャーはそれを自分で反省して観点を更新しつづけること、思想家として可塑的であることを亡くなる最後まで追求していた、そこが尊敬するところですね。ただ、追求しすぎて槍が自分に戻ってきてしまった面もあるとは思うんですが。

ブロイ:おふたりの話と響きあうところもあると思うんですが、ぼくの場合は、フィッシャーを読む以前にまず、アドルノやベンヤミンのようなマルクス主義の哲学や思想をたくさん読んでいました。そういう経路からフィッシャーに出会って、10年ちょっと前に初めて『資本主義リアリズム』を読んだときに親近感をおぼえたのは、20代後半のいち生活者の知的な関心と通じるものがあったからです。「この著者は自分と似たような目線で世界を見ているんだな」と。その目線には深い洞察力があって、一見平凡だったりささやかに見えるものをより大きな理論的なトピックまでつなげていく才能がありました。それは彼のひとつの魅力だと思います。
 もうひとつの魅力は、マルクス主義の理論には、レイモンド・ウィリアムズやアドルノのように、日常生活に焦点を当てた考察のそれなりに長い伝統があるんですが、そこにフィッシャーの先例を見ることもできます。資本主義下における日常生活をイデオロギーや意識の観点から分析したアドルノの『ミニマ・モラリア』なんかはまさにそうですね。他方で、フィッシャーにはそうしたマルクス主義の系統とは一線を画すところもあります。生きられた経験を重視しながら、エリート主義的な「硬さ」にはとらわれず、大衆性やユーモア、普通のものにたいする愛を感じさせるところです。いわば、大学教授の立場からではなく、むしろぼくたちのような普通のひと、ジャンクやポピュラーなものと共存しながら生きる不安定労働者とおなじ目線や経験から書かれた『ミニマ・モラリア』ですね。

髙橋:たしかにそこはほかにいないかもしれませんね。日本にもあまり似た書き手はいないですよね。國分功一郎さんは少し似ているのかなと思いましたけどね。アプローチは違いますが、ふたりともスピノザについて考えていたり、共通点もあるんですよね。哲学と文化、社会的事例をリンクさせて、社会的状況のなかにおける自分からものごとを考えたり、「自然」とされているものを疑い、人間の精神状況を条件づけるものをとりまく社会に見出したり。これは書く視点が生活のなかから生じるような、書き手の「高さ」の問題です。ぼくはフィッシャーと國分さんの文章をパラレルに読んでいたおぼえがあります。

ブロイ:フィッシャーを読んでいると、その書き方や姿勢に勇気をもらっているような感覚がありましたね。『資本主義リアリズム』の翻訳が出たときに、「話が深刻すぎて落ち込んだ」というような感想も見られたんですが(笑)、ぼくは読んで勇気をもらいましたよ。弱さ、葛藤や矛盾を隠すことなく、現代社会の問題と向き合いながら、それでも希望を探りつづけるという知的な態度に勇気づけられるんです。理想論であるとか、ナイーヴだとか、この種の批判を恐れないどころか、それを引き受ける覚悟さえ示しているのです。このような姿勢が、読者にも政治的思考と表現への勇気を与えるものだと思います。

髙橋:すべての文章がそうというわけではないですが、読者を感動させるのが上手だなとは思いますね。

河南:書き方でいうと、フィッシャーの文章を訳すのはすごく難しくないですか(笑)?

髙橋:音楽パート、大変でしたよ。さっきのザ・フォールの文章は、歌詞が感覚的でかなり難解なので、それにたいするフィッシャーの批評も、難解にならざるをえなかったというか。

河南:学術論文は平坦だから訳すのはある意味では簡単なんです。でもフィッシャーは技巧的であったり、洒落っけがあったりして難しい。

髙橋:ぼくが『K-PUNK』の音楽パートを訳したのは、ちょうど自分の博論を出し終えたタイミングでした。フィッシャーも最初に書いていましたよね、苦行を強いられた博論のリハビリとして「K-PUNK」をはじめたと。同じように、ぼくの頭も博論後でクレイジーになりつつの作業だったので、翻訳が修行のように感じられたときもありました(笑)。でも、彼の学術的なトピックにかんする記述がもつ独自の平易さには救われる思いもしましたね。

ブロイ:とくに音楽の「情景」にまつわるくだりがほんとうに難しいです。形容詞、メタファーの使い方であったり、一文がすごく長かったり。

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『K-PUNK』でいちばん好きな文章

「この著者は自分と似たような目線で世界を見ているんだな」と。その目線には深い洞察力があって、一見平凡だったりささやかに見えるものをより大きな理論的なトピックまでつなげていく才能がありました。(ブロイ)

『K-PUNK』のなかでみなさんがいちばん好きなフィッシャーの文章を教えてください。

髙橋:ぼくは、フィッシャーが音楽を論じるとき、テクスチャーのような「モノ」の側面に着目して論じるのがうまいと思っています。たとえば『わが人生の幽霊たち』でいえば、ベリアルやザ・ケアテイカーの音楽にあるレコードのクラックル・ノイズに注目して論じていましたよね。そのアイディアは『K-PUNK』にもあります。今回訳していて、またリアルタイムで読んでいたときもいちばん好きだったのは、DJラシャドの『Double Cup』(2013年)についての文章〔※「ブレイク・イット・ダウン」、『自分の武器を選べ』所収〕です。そこで論じられているのは、フットワークというとても速い音楽、BPMが160~170ある音楽です。そのリズムのぎこちなさについて、当時ネットで流行っていたGIFアニメのぎこちなさとつなげて論じていて、批評のしかたとして面白いと思いました。たとえば、ラシャドは「アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー、アラヴユアラヴユアラヴユアラヴユ」みたいな感じで、だれのものかもわからない声をぶつ切りにしてカットアップしているんですが、それをウィリアム・バロウズの『爆発した切符』におけるカットアップと接合するところも興味深い。そういうふうにリズムや音の「モノ」的なところに着目するところが魅力的です。
 さらにいえば、そのカットアップから、どこから来たのかわからないけれど愛がそこに存在している、その叙情性みたいなものについても論じていて。ダンス・ミュージックを論じるときに、愛の観点から書くひとってあまりいなかったというか、むしろ避けられていた気がするんです。フィッシャーは『奇妙なものとぞっとするもの』でも映画『インターステラー』について愛の観点から書いていましたけど、彼はそういうちょっとクサいかもしれない視点から、通常ことばの表現からは遠いと思われているダンス・ミュージックを、ことばが持つマジックみたいなものとつなげて語っている。

ブロイ:ぼくは、やはり3巻目の『アシッド・コミュニズム』を担当した身としては、「アシッド・コミュニズム」〔※『アシッド・コミュニズム』所収〕と「ヴァンパイア城からの脱出」が目玉かなと思います。

河南:やはりそのふたつですね。

ブロイ:「No Future 2012」〔※『アシッド・コミュニズム』所収〕も好きですよ。シチュアシオニスト的な散歩の話が民族誌学的に書かれていて、風景論として面白いです。資本主義の仕組みとともに描かれる風景が変化していくんですが、そのなかには写真論も音楽論も織り込まれていて、フィッシャーの多元性がよくあらわれている文章だと思いました。

河南:「ヴァンパイア城からの脱出」は、それ自体が好きというよりも、「ヴァンパイア城からの脱出」から「アシッド・コミュニズム」へと向かうその過程が好きですね。だからセットです。「アシッド・コミュニズム」には、先ほど髙橋さんがおっしゃっていた愛の話であったり、セバスチャンが言っていたような、これまでの左派的な文章にはなかった解放感があったりします。それは、欲望の肯定について、抑圧の否定について正面から書いているからです。それまでの左派的な言説は、「資本主義の抑圧がひどいのでわたしは傷ついている」「われわれはどれほど傷を負ってきたか」というような話に始終する傾向がありました。左派的な資本主義批判にとって、資本主義は欲望を助長させるものだから、欲望の肯定はタブーだったんです。フィッシャーは、そんなふうに欲望を否定する左派には限界があるということを、ポップ・カルチャーの再評価やマルクーゼへの言及などの理論的なフレームワークのなかで論じていく。もちろん、そのまま過去のカウンター・カルチャーへ戻ることもできないということもわかったうえで、ではいま、どういう条件で欲望を再肯定して新しいコミュニティをつくることができるのか、ということを書いています。なので、ひとつだけ選ぶなら「アシッド・コミュニズム」ですね。

ブロイ:「ヴァンパイア城の脱出」は、じつは読んだときけっこう笑っちゃったんですよね。

髙橋:わかります。ぼくも笑いました。ツイッター上だけで批判した気になっているネオ・アナーキストのくだりとか、自分の周りにもこういうやつ本当にいるなって思いました(笑)。

ブロイ:論争としての力があるテキストだと思うんですよね。「アシッド・コミュニズム」では「不思議の国のアリス」の映画化の話が出てきますが、資本主義社会で暮らす大人のぎくしゃくした行動や怒りが不思議なものとして描かれている。アリスの視点、子どもの視点から観たらおかしなものなのに、という書き方で、そういうところも読んでいて面白かったですね。

イギリスやドイツでのマーク・フィッシャーの位置づけ

どこから来たのかわからないけれど愛がそこに存在している、その叙情性みたいなものについても論じていて。ダンス・ミュージックを論じるときに、愛の観点から書くひとってあまりいなかったというか、むしろ避けられていた気がするんです。(髙橋)

本国イギリスではフィッシャーはどのように受容されているんでしょうか?

髙橋:彼が亡くなるまえから「資本主義リアリズム」ということばはよく使われていましたし、亡くなってからも大学や書店などでメモリアル・イベントがありましたし、大学で学生がなにか書くときにフィッシャーを引用することは一般化していると思います。ただぼくが注目したいのは、フィッシャーが文章を書いていただけではなくて、出版社を立ち上げて、書店の空気を換えようとしていたところです。イギリスで本屋に行くと、いわゆる社会批評やアカデミック系のテーマがポップに語られている本がわりと普通に置いてあるんですね。日本でも紀伊國屋の規模ならそうかもしれないですが、イギリスだと小さめの書店でもそうだったりする。それはおそらく、フィッシャーが00年代に〈Repeater〉をはじめたころから盛んになってきたのではないかと思います。もちろん、学術書のコーナーに行けば昔からあったんですけど、いわゆる一般書のコーナーにそういう本があったりして、明らかに書店の空気が変わりました。フィッシャーがそういう「ポップ・カルチャーと知」のインフラをつくった面は重要だと思いますね。

先日ガリアーノがインタヴューでフィッシャーの話をしていて驚いたんですが、そんなふうにミュージシャンのあいだでもけっこう浸透しているんですか?

髙橋:「資本主義リアリズム」ということば自体がウケがいいし、ほかにもフィッシャーのことばはインターネット・ミームになっていたりもしますので、かならずしも大学のなかで知ったわけではなく、そういうところからフィッシャーを知ったひとも多いような気はします。そういうレヴェルでは浸透はしているといえるんですが、かならずしもそういうひとたちがフィッシャーを完全に理解しているわけではないと思いますね。おそらく本を理論的な文脈を踏まえてしっかり読んでいるわけでもないでしょうし。でもやっぱり、平易なことばで社会について語るという意味では、すごく重要な仕事をしたひとだろうと思います。

なるほど。ベルリンではどういう状況でしょうか?

ブロイ:髙橋さんのインフラづくりの話でいうと、フィッシャー自身も『K-PUNK』のなかで、自分が育ってきた知的な環境としての雑誌がもうほとんどなくなってしまったという状況について述べています。それを新しくつくらないと、次の世代の批評家やキュレイター、音楽家などが育たないのではないかという問題意識が彼のなかにはあったと思います。ドイツでも左派的な雑誌や音楽誌といったそういうインフラは一応はあって、文化施設などもあるんですが、フィッシャーはそうした制度的な文脈で受容されているような気がしますね。やはりベルリンは文化の中心で、フィッシャーのドイツ語訳を出した複数の出版社もベルリンの、クロイツベルクにあります。たとえばアメリカの社会主義系の雑誌『ジャコビン(Jacobin)』のドイツ語版を出しているブリュメール社(Brumaire Verlag)がそうですね。『ポスト資本主義の欲望』〔※原著2020年、邦訳は大橋完太郎訳、左右社、2022年〕のドイツ語版もそこから出ているんです。ただ、とくにドイツに限らずヨーロッパ全域というか、フィッシャー自身が分析していた対象がそうであるように、フィッシャーもグローバルに読まれていると思います。逆にいうと、ドイツ文化圏ならではの特徴的な読まれ方がそれほどないとも言えるんですが。

河南:ドイツでフィッシャーがどう受容されているかざっくり挙げてみると、たとえばベルリンの芸術祭「トランスメディアーレ」でワークショップが開かれたり、美術センターの「世界文化の家(HKW)」でカンファレンスが開かれたり、本が出るたびに書店イベントがあったり、そういうことはあるんですけれども、英語圏とのタイムラグがそれほどないからか、ドイツでとくに特別な受容のされ方をしているという感じはしませんね。ただ、ベルリンのローカルな、クロイツベルクの出版社がフィッシャーの本や翻訳を出していることは特別なことかもしれません。ドイツにはローザ・ルクセンブルク財団のような昔ながらのオーソドックスな左派系の言論空間がありますが、そこからも受容されつつ、かつ『ジャコビン』のような新世代のプログレッシヴな左派にも受容されているというのは、世代間を繋ぐという意味で重要なことだと思います。
 なので、フィッシャーはベルリンでも知名度の高い存在ではありますが、ちゃんと読まれているかというとべつです。以前『アシッド・コミュニズム』のカンファレンスがあったんですが、いまドイツの社会の関心はどうコミュニティをつくるかということにあり、その一環としてカウンター・カルチャーを振り返るということがありましたが、フィッシャーが言っていたような左派的な言論空間に階級の問題が欠落しているという問題意識は、話題としては机上にのぼりはしても、ベルリンのインフラのなかで本質的に考え直すというレヴェルにまではいっていない。ベルリンはもともと貧しい都市で、クロイツベルクも豊かなエリアだったわけではないんですが、そこにさまざまな国際的な資本を呼び込んで、飛行機代もホテル代も出すかたちでゲストを呼んでカンファレンスをやって、いざ「コミュニティをつくろう」というのは、もしフィッシャーが生きていたら、どう思っただろうというのは脳裏をよぎりますね。だから、話題として言及はされるけれど、彼の思想を受け止めて引き継ぐようなひとや機関はまだ出てきてはいないなという印象ですね。

ブロイ:そういえば、どこが拠点かはわかりませんが、「アシッド・コミュニズム」の話につながるような、「プランC」という草の根的なアクティヴィスト・グループがありましたね。フィッシャーはそのグループのイベントに定期的に参加し、文を寄せたこともあるようです。また、憑在論をテーマにした音楽フェスもありました。ポーランドのクラクフで催されたアンサウンド・フェスティヴァルがフィッシャーのシンポジウムもやりつつ、サウンド・アーティストを呼んでいたのは知っています。

髙橋:マーク・フィッシャー・リーディング・グループですね。

音楽批評家としてのマーク・フィッシャー

フィッシャーがネオリベラリズムをただの経済システムとしてではなく、ある種の精神構造として分析したことは、意義のあることだったのではないかと思います。(ブロイ)

音楽批評家としてのマーク・フィッシャーについてはどう思いますか? フィッシャーは音楽という対象からこれほどいろんなことを考えられるんだぞという、ひとつの可能性を示した書き手だと思いますが、それにかんして思うところを語っていただきたいです。

髙橋:ある意味では、フィッシャーがやったことはかならずしも新しいわけではないと思うんです。たとえば少し前にDJ Fulltonoさんがフットワークを論じたエッセイが話題になりましたけど、そのなかで「フットワークのサウンドというのは書道における楷書体みたいなものだ」というような話をしていました。そういうふうに音をモノとしてとらえて論じること自体はけっこう昔からあります。フィッシャーの書き方も、彼自身が創始したというよりはCCRUのなかで衝動的に生まれたものです。彼のよさは、それを政治社会的な文脈のなかでモノをとらえなおすというところにあると思います。だから、フィッシャーは書き方それ自体にオリジナリティがあったのではなくて、展開の仕方にオリジナリティがあった書き手だと思いますね。
 もうひとつ思うのは、フィッシャーが音楽について書いていたときに、音楽そのものが社会で担っていた意味だったり、ミュージシャンがやろうとしていたこと・現にやっていたことが、いまだと変わってきていることです。〈Hyperdub〉周辺のアーティスト、ディーン・ブラントについて、多くのライターたちが批評を書いていますが、そこでもフィッシャーはしばしば言及されてきました。そんなブラントは、最近、マティ・ディオップという監督の『ダホメ』というドキュメンタリー映画の音楽を担当しています。現在アフリカのベナンのあるところに昔はダホメ王国という国がありました。フランスの植民地だったので、当時のダホメのアートは現在フランスが所有しているんですが、それを返還する話なんです。映画に限らず、現代アートにおいてポスト植民地主義はここずっと重要なトピックですが、そういう理論的な文脈で、アンダーグラウンドから生まれたポップ・カルチャーが機能している。かつて理論的、批評的に分析されていた音楽家が、みずからそういう文脈を生み出すようなプロジェクトに参加しているんです。
 そんなふうに、音楽のあり方そのものがこの10年20年でいい意味で変わったと思います。フィシャーは『K-PUNK』の最初に、90年代のジャングルはそれについて論じなくてもすでに理論的だった、と示唆的な言葉を残しています。音楽が理論的な側面をもっているというのが当たり前になった時代で、ライターたちは批評していかなきゃいけないわけです。だから、その方向性で活動する音楽ライターは、たんに理論や知識を応用するだけじゃなくて、音楽がすでにもっている理論的な部分を他の領域に展開していく必要があると思いますね。フィッシャーはポスト植民地主義的なことや、エコロジーなど近年の重要なトピックを重点的に書いていたわけではないので、彼の示したスタイルが、彼があまり書いてこなかった領域でどう展開していくかも気になります。

ジャーナリズムの話をすると、今年2月にコード9が来日したときに、UKではジャーナリズムの質の低下がひどいという話をしていました

髙橋:ジャーナリズム的な観点でいえば、イギリスの音楽メディアは10年くらい前に比べると、スポンサーの存在がどんどん前に出てきています。媒体も批評よりインタヴューが中心になっていっていますね。かならずしも悪いことだとは言えないと思いますが。

ブロイ:ジャーナリズムの生産条件が変わったと思いますね。ぼくの学生のなかで、そういうマスメディア系の仕事に関わっているひともいるんですが、その業界での記事の作成なんかは、もう基本的にChat GPTのようなAIモデルをとおして生成されることが常識だそうです(笑)。AIを導入して「出力」の速度はアップするんですが、そのぶん、思考のクオリティがアップするわけではないでしょう。

髙橋:なるほど(笑)。いずれにしても、ぼくはいま、フィッシャーが書いてこなかったことに興味があります。彼の書いてきたことをもっと抽象化してべつの文脈に落とし込んだりすることに関心がありますね。さっきの理論的なことだけではなく、そういった技術文化についても音楽の側から書けることはもっとあるかもしれません。いま、音楽家だってAIを使っているし(笑)。

河南:フィッシャーはフェミニズムやポスト植民地主義について、最後の講義で少し触れてはいるんですが、本格的に文章にするまえに亡くなってしまった。未完の書き手なんですね。彼が書いてこなかったことはたくさんあると思いますし、それはそれぞれの立場から補っていく必要があると思います。先ほど髙橋さんがおっしゃっていたように、彼は「外国人」として生きた経験はほとんどもっていないでしょうし、イギリス人であり白人男性異性愛者としての経験からしか書くことができなかった。本人もそれは認めている。でもだからといって「なんで書いていないんだ!」と責めるのではなく、彼の議論を引き受けてほかのものに接続していくような作業がこれから必要なんじゃないかなと思います。異邦人として暮らしている髙橋さんの視点は、フィッシャーは永遠にもつことができない目線ですから。

髙橋:そこはまさにそう思います。音楽から広がる可能性についていうと、逆に考えれば、フィッシャーの思想や存在が音楽だけには収まりきらなかったということですよね。

映画も文学もすごく論じていますよね。

髙橋:音楽だけに絞っても、テクノロジーの話からは逃れられないし、政治や階級の問題からも逃れられない。そういうことを彼は人生をもって証明したのではないでしょうか。そこで書いてあることの接続可能性のようなことをべつの文脈にどんどん応用していくのが、いまのライターたちの役目なのではないかなと思います。

ブロイ:ちなみに、ぼくは音楽批評家ではないんですが、じつは音楽をやっているアマチュアではあるんですね。

髙橋:えっ! そうなんですか!?

ブロイ:音楽をめぐって、モノとして考える重要性はいろいろあると思います。テクスチャーなどにたいする感性という意味でもそうだし、ベンヤミンが言っていたような意味でのメディアの生産条件、つまり音楽の場合、それを制作するのに必要な条件に目を向ける視点の必要性という点でもそうです。フィッシャーがドラムンベースの話を書くとき、それが未来へのショックだったという話は非常に面白かった〔※『わが人生の幽霊たち』〕。当時のひとたちにとって、ギザギザに切りとられたサンプルや人間の手では演奏できないような高速度のドラム・パターンはまるでエイリアンなもので未来的なもののように感じられたけれど、あの時代に出てきた技術のあとに、音楽の生産条件はどれくらい変化したのだろう、と考えることがありますね。こんにちでは基本的にみんなDAWを使うわけですが、そのような音楽制作技術(たとえばDAWの発展やMIDIの歴史から考えた音楽表現の変化など)を軸に置いた音楽批評、つまり様式を支えるマテリアルな条件への視点も必要だと思いますね。

髙橋:ぼくはそういうことも研究しています(笑)。そうした点についてフィッシャーが言及していたかというと、あまりやっていないですよね。書いてはいるけれど、つくり手の視点、当事者の視点はなかったような気がします。それはほかのひとが引き継いで書けばいいことだとは思いますが。

いまマーク・フィッシャーを読むことの重要性

読んでいるだけで楽しいんですが、残された読み手にとってたいせつなのは、そうしたキャッチワードで遊ぶだけではなくて、それらを自分の実際の生活のなかで理解し直すことだと思います。(河南)

では最後に、いまマーク・フィッシャーを読むことの重要性についてお伺いします。

ブロイ:彼の読み方は、すごく開かれていると思います。彼の思想自体もオープンエンドで、未完で終わったものだから。思想史的に振り返るにはまだちょっと早いという気もしますが、仮にそういう視点で眺めてみたとしたら、それまでにあった資本主義にたいする考え方がフィッシャーという思想家を経由したことでどうシフトしたのかを考えることでヒントは得られると思います。たとえば、フィッシャーがネオリベラリズムをただの経済システムとしてではなく、ある種の精神構造として分析したことは、意義のあることだったのではないかと思います。あるいは現代社会の精神構造を「リアリズム」と名づけたこと、それ自体が重要な貢献だったとも思いますね。名づけるだけで変わることもありますから。

髙橋:名づけるだけで変わるという考え方は重要ですね。

とらえ方が変わりますからね。

髙橋:先ほどブロイさんがジャングル~ドラムンベースのエイリアン性の話をされていましが、なぜエイリアンだったのか。それも名づけることだと思います。名づけ親としてエラそうにしていないのも大事なポイントですが。

ブロイ:名づけることで問題の観点をずらしたことは彼の功績だと思いますね。フィッシャーがつくった概念は、通常はつながりが見えないもの同士だったり断片化されていたりする経験を、ひとつにまとめて組織化するための手がかりですよね。だからキャッチーで面白い概念であればあるほどよくて。そうして、みんながもっているばらばらの経験が、ひとつの、いわば星座のなかで見えるようになってくる。じっさい、左派的な批評の対象がこの10年、15年で少し変わってきた印象があります。メンタルヘルスの問題を視野においたもの、または資本主義「以降」のヴィジョンを再び考えるような論者が増えてきたのではないでしょうか。それはもちろんフィッシャーひとりだけの影響ではないですが、でも彼もそのなかでひとつの貢献をしたと言えます。

河南:フィッシャーはけっこう遊び心があって、いろんなネーミングをしていますよね。「資本主義リアリズム」もそうですが、「再帰的無能感」とか「リビドー的快楽」とか「ビジネス・オントロジー」とか。「アシッド・コミュニズム」もそのひとつです。半分ジョークだけど、でも半分は本気。そういう概念がこれからもっと一般化されてくると思います。そういう意味では読んでいるだけで楽しいんですが、残された読み手にとってたいせつなのは、そうしたキャッチワードで遊ぶだけではなくて、それらを自分の実際の生活のなかで理解し直すことだと思います。「資本主義リアリズムの時代だから、もうなにをやってもダメだ」って諦めるような、ただ浅い理解をするだけではダメで。「アシッド・コミュニズム」も、「快楽主義で新しいコミュニティをつくればいいじゃん」っていう表面的な理解に留まっていてはダメなわけですよね。フィッシャーのつくった概念が標語としてポピュラーになるにつれて、それがもともともっていたメッセージ性が忘れられがちだと思う。読み手としてはつねに自分のなかで彼の思想をどう活かすかというのを考えていかないといけない。だからこそ、『K-PUNK』という彼の原点に立ち返って読むことはたいせつだと思います。

 マーク・フィッシャーの集大成たる『K-PUNK』には、上記で触れられているような哲学的・社会的なテーマやダンス・ミュージックの話以外にも、じつに多くの文章が収められている。SFなどの大衆文学や映画を論じる『夢想のメソッド』は、たとえばバラーディアンが読めばまた違った感想が出てくるだろうし、『自分の武器を選べ』からは、たとえば新しいロキシー・ミュージック像が浮かび上がってきたりもする。まずは読者おのおのの関心から気になった巻を手にとっていただければ幸いだ。
 最後に、エレキング編集部を代表して、『夢想のメソッド』と『自分の武器を選べ』で翻訳を担当してくださった坂本麻里子さんに感謝の念をお伝えしておきたい。これら2巻は、イギリスの社会や生々しい政治家の言動、大衆文化や風俗に精通した氏のこまかな訳注をはじめ多大なる助言と協力がなければ世に出ることはなかっただろう(なお、五井健太郎は連絡されたし)。

(聞き手・構成:小林拓音)

K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ
マーク・フィッシャー(著) ダレン・アンブローズ(編)
サイモン・レイノルズ(序文)
坂本麻里子+髙橋勇人(訳)
https://www.ele-king.net/books/009508/

K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治
マーク・フィッシャー(著) ダレン・アンブローズ(編)
坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎(訳)
https://www.ele-king.net/books/011401/

K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図
マーク・フィッシャー(著) ダレン・アンブローズ(編)
セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉(訳)
https://www.ele-king.net/books/011511/

わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来
マーク・フィッシャー(著)
五井健太郎(訳)
https://www.ele-king.net/books/006696/

奇妙なものとぞっとするもの──小説・映画・音楽、文化論集
マーク・フィッシャー(著)
五井健太郎(訳)
https://www.ele-king.net/books/008958/

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