Home > Columns > Talking about Mark Fisher’s K-Punk- いまマーク・フィッシャーを読むことの重要性
髙橋勇人×セバスチャン・ブロイ×河南瑠莉 Conversation between Hayato Takahashi, Sebastian Breu, Ruri Kawanami Dec 30,2024 UP
まもなく彼が亡くなってから8度目の1月がやってくる。この間、ここ日本でもマーク・フィッシャーの紹介は進み、2024年はついにそのすべての単著が日本語で読めるようになった。音楽をはじめ映画やSF文学といったポピュラー・カルチャーから鋭い思想を紡いでいったイギリスの批評家──死後に刊行されたアンソロジー『K-PUNK』はその最後の単著にあたる。
文学や映画、TVドラマについての論考をまとめた『夢想のメソッド』、音楽や政治をめぐって舌鋒が振るわれる『自分の武器を選べ』、表題の未発表原稿だけでなく主著『資本主義リアリズム』の本人による平易な解説も収めた『アシッド・コミュニズム』──日本では三分冊のかたちで刊行された大著『K-PUNK』は、フィッシャーの出発点であるブログ「k-punk」の主要テキストを軸に、『ガーディアン』などに掲載された文章から各種インタヴュー、未完の草稿までを網羅している。つまり、若かりし初期のフィッシャーから晩年の彼にいたるまで、その変化のプロセスを知るうえでも見過ごせない1冊というわけだ。
そこで以下、シリーズ完結を記念し、『K-PUNK』の訳者のうち3名による特別座談会をお届けしよう。第2巻『自分の武器を選べ』で音楽パートの翻訳に参加したロンドン在住の髙橋勇人、『資本主義リアリズム』の訳者であり、今回第3巻『アシッド・コミュニズム』を担当したセバスチャン・ブロイと河南瑠莉──それぞれどのようにフィッシャーの著作と出会い、彼の文章のどこに惹かれ、いかにしてその思想を継承・発展しようとしているのだろうか。
なによりほかにはいないんですよね、こういう書き方をするひとは。社会的なポジションについて、イギリスに固有の音楽や文学、映画などの文化的、社会的状況に即して書きつづけている。(髙橋)
■マーク・フィッシャーの『K-PUNK』日本語版が完結したということで、訳者のみなさんにいろいろお話をお伺いできればと思います。まずは、それぞれがマーク・フィッシャーの文章と出会ったきっかけから教えてください。
ブロイ:『n+1』というニューヨークに拠点をもつ文芸誌をよく読んでいるのですが、そこに『資本主義リアリズム』に触れた評論が載っていたのがきっかけだったように覚えています。実際に読んでみたら、ポストモダニズムの「後」の世界への展望、そしてクリティークの行き詰まりを冷徹に分析したその眼差しに惹かれました。
河南:わたしが彼の思想に初めて触れたのは2013年か14年で、ベルリンの大学院に通いはじめたころでした。その時点で彼の「資本主義リアリズム」ということばを聞いたことのないひとはあんまりいなくて、名前としてはみんな知っているというくらいの知名度がすでにありました。大学院で美学のコースをとっていたときに、「資本主義下における美学とはなにか」というようなことをディスカッションする機会がよくありました。当時は加速主義がトレンドだったこともあって、その文脈でよくフィッシャーが言及されていましたね。でもそのときはちゃんとは読んでいなくて。あるときセバスチャンが『資本主義リアリズム』を本気で読みはじめて、翻訳したいと。なぜ翻訳したくなったのか、おぼえていますか?
ブロイ:たしか2014年から15年にかけての冬、ふたりでクロイツベルクにいたとき、バーでビールを飲みながら『資本主義リアリズム』の話をして。「そういえばこの人、まだ邦訳がぜんぜん出ていないよね」というところから話が進んで、その後、とりあえず2章ほどサンプルとして翻訳し、出版社を探しながら「日本語訳に興味はありませんか?」ってマーク・フィッシャー本人にもメールを送ってみたんです。数日後に好意的な返事が戻ってきて、イギリスの出版社(Zer0 Books)の担当者につないでもらうことになりました。そこから彼とのやりとりがはじまりましたね。
髙橋:『資本主義リアリズム』の邦訳〔※堀之内出版〕が出たのは、原書が出てからけっこう時間が経ってからでしたよね〔※原著は2009年、邦訳は2018年〕。10年近く差がありますけど、訳すときに時間が経ってしまっていたことによる誤差のようなものは感じませんでしたか?
ブロイ:感じましたね。
河南:翻訳をはじめた時点で『資本主義リアリズム』の原書が出てから数年経っていましたし、ブログの「K-PUNK」での初出からは10年以上経っていた文章もあったと思うんです〔※『資本主義リアリズム』にはブログの「K-PUNK」の文章をもとにしたものも収録されている〕。ただ、セバスチャンが何度もフィッシャーに連絡をとっていて、その返事からコアの問題意識はいまだに変わっていないなという印象は受けました。もう終わってしまった過去の著作を日本に移植するのではなく、あくまで現代につうじる問題を著者のフィッシャーと共有しながら、べつの言語に訳している、という感覚がありましたね。ただ翻訳に時間がかかってしまって、紙として出たのは2018年の2月で、そのときにはいろいろ状況が変わってしまいましたが……
■『資本主義リアリズム』のカヴァーは、なぜレディオヘッドのアートワークとおなじヴィジュアルだったんですか?
河南:よく聞かれるのですが、あれはレディオヘッドのアートワークにも使われたことのある連作のなかのひとつで、ロンドンの地図がモチーフの作品です。アーティストでありライターであるスタンリー・ダンウッドさんの作品と、フィッシャーの文章には、資本主義下のイギリス生活の奇妙さを捉えた部分が共通していると思い、セバスチャンがダンウッドさんに連絡をとったところ、向こうも好意的で、どんどん話が進んでいきました。
髙橋:ダンウッドがフィッシャーの読者だったというのはいい話ですね。(編集長の)野田さんはよく「マーク・フィッシャーは絶対レディオヘッドは好きじゃなかったでしょ」ってぼくに話していて。
■編集部でもときどきその話は出ます(笑)。
髙橋:でもダンウッドさんがフィッシャーに賛同してくれたというのは、フィッシャーの本がほかのひとを刺戟して、それが具現化したということだから。
ブロイ:しかもダンウッドさんはこの作品を無料で使わせてくれたんですよ。きっと構想に納得してくれた部分があったんでしょうね。
河南:ダンウッドさんはレディオヘッドと密接に関わって仕事をしてきた一方で、あくまでひとりのグラフィック・アーティストでもあります。彼がひとりの作家としてフィッシャーの邦訳の企画に手を貸してくれたというのは重要なことだと思います。
■髙橋くんが出会ったきっかけは?
髙橋:ぼくは実家が浜松なんですが、2009年に上京して、2010年に早稲田に入ります。その年に野中モモさんによるサイモン・レイノルズ『Rip it Up and Start Again』の翻訳も出て〔※『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』、シンコーミュージック〕、そこからいろいろ調べるようになったんです。2010年前後って音楽的に面白い時期でしたよね。ジェイムズ・ブレイク、ジ・XX、サブトラクトなど、イギリスからすばらしい音楽がたくさん出てきた。ぼくはUKのダンス・ミュージックが好きだったんですが、そこから掘り下げていくと、どんなひとでもかならず〈Hyperdub〉に行き着くんですよ。当時は日本でも〈ビート〉さんのおかげで日本盤が流通していましたし、雑誌を読んでいたらレーベル主宰者のコード9がどんな人間かもわかってきた。コード9だけ明らかにほかのミュージシャンとはちがうんです。DJをやる一方で哲学の博士号をもっていたり大学でも教えていたり。ちなみにそういったことは雑誌『remix』で知ったんですが、そのときコード9をインタヴューしていたのが野田さんでしたね。
そうしていろいろ調べていくうちにCCRUを知り、ブログの「K-PUNK」も発見します。最初は正直、読みにくいウェブ・デザインだなと思っていました(笑)。でも書いてあることが面白かった。当時ぼくはベリアルが大好きだったんですけど、『わが人生の幽霊たち』に収録されている、彼のファースト・アルバム『Burial』(2006年)のレヴューも「K-PUNK」に載っていました。大学一年生といえば、ちょうどドゥルーズとかデリダとかの現代思想を読みはじめる時期じゃないですか。それで「K-PUNK」を読んで、「音楽を論じるのにデリダを使っているのか」と興味をもったのがはじまりでしたね。ちなみに2010年だから、もう『資本主義リアリズム』(の原書)は出ていたんですが、それを読むのはもうちょっと後になります。その後2011年、3・11があった年にぼくはグラスゴーに留学するんですが、当時行ったデモの現場で「capitalist realism」という単語を見かけたような記憶がありますね。そして日本に帰ってきて、ele-kingで働いていたときに、これまで読んできた現代思想を音楽や美術との関係でもっとしっかり読み深めてみようと思って、強くフィッシャーを意識するようになりました。『資本主義リアリズム』を読みはじめたのはそのときですね。
■なるほど。髙橋くんはその後、今度はロンドンに渡るわけですが、フィッシャーと会ったことはあるんですか?
髙橋:ぼくがふたたび渡英したのは2016年でしたが、そのまえに野田さんから「お前はコジュウォ・エシュンを絶対に訳さなきゃダメだ」と言われていて、ちょうど訳しはじめていた時期だったんです。渡英後コジュウォ・エシュン本人とは話したりメールしたりしていたんですけど、フィッシャーとは直接やりとりする機会はありませんでした。ぼくが修士過程をやっていたのはゴールドスミスの社会学部なんですが、マーク・フィッシャーやコジュウォ・エシュンは視覚文化学部というところで教えていて。いちど教員室までコジュウォ・エシュンを尋ねたことがあって、そのときは不在だったんですが、マーク・フィッシャーとおなじ部屋でしたね。2017年の2月からふたりの授業を聴講する予定だったんですが、その1月にフィッシャーが亡くなってしまって。学部全体が戦慄していた感じでした。授業も休講になりましたし。ともあれ、エシュンやコード9とは会う機会もありましたので、ポストCCRUの交流関係はよく知っていると言えると思います。その後、ゴールドスミスの文化研究学部でぼくの博論の指導教官になったマシュー・フラーはフィッシャーの旧友で、彼が亡くなったときにはその家族を支援するためのクラウド・ファンディングを立ち上げていましたね。
■ブロイさんはフィッシャーの講義を受けていたんですか?
ブロイ:ゴールドスミスには2015年にカンファレンスで行ったことはあるんですが、講義は受けていないですね。マークさんとはメールでやりとりはしていたんですけど、そのときはゴールドスミスには2日くらいしかいなくて、風邪を引いていたのもあって、会う機会がありませんでした。じつは、『資本主義リアリズム』刊行を機に、マーク・フィッシャーを日本に呼ぼうと思っていたんですよ。企画が完成したことを伝えられないまま決別となり、ほんとに残念でした。
河南:みんな出会った文脈が違うのが面白いですよね。髙橋さんは音楽からで、わたしは美術論からで、政治思想にかんする英米の雑誌をたくさん読んでいるセバスチャンはそうした左派的な文脈からで。その交差点にフィッシャーがいたっていうこと自体が、彼の仕事の広さを物語っています。
わたしの場合は美術の文脈ですが、当時その文脈では、「なにをやっても資本にとりこまれてしまうんだったら、昔のアヴァンギャルドがやっていたような、外部を目指すとか、変わったことをやるっていう戦略(いわゆる侵犯)はもう通用しなくなるんじゃないか」というようなことが盛んに議論されていました。なにをやってもとりこまれてしまうことを専門用語で「包摂」というのですが、2015年ころまでは「資本の外部を目指すのが難しければ、それを逆手にとって、資本の内部から破壊すればいいんじゃないか」というような、左派加速主義的な考え方が一定の説得力をもっていた時期がありましたね。もちろん、フィッシャーを加速主義者だと言ってしまうと彼を矮小化してしまうことになりますので注意が必要ですが。
ブロイ:それまでみんながふわっと、ぼんやり感じていたような、「こういう手法がもう通用しない」ということが、フィッシャーのようなひとを通じて前景化して、よりはっきりしたことばになった、という感覚はありましたね。ぼくはアメリカ文学をよく読んでいたんですが、90年代以降のアメリカ文学史のなかでも、フィッシャーの議論と響き合うような考え方が浮上するようになりました。とりわけデイヴィッド・フォスター・ウォレスに代表される「新誠実」(New Sincerity)と呼ばれた現象はそうですね。1993年に書かれたエッセイのなかで彼は、それまでの文学におけるポストモダニズムの風潮、とくにアイロニーの支配的役割について鋭い考察をしました。「当初、偽善や固定観念を破壊する手段として機能していたアイロニーが、当時のTV文化のなかではすでに普遍化してしまったので、その有効性の大部分を失い、『反逆』からむしろ『共犯』へと変質してしまった」という議論を展開します。そして彼は、これからは状況が逆転し、真摯さや共感といった「自分の身を晒すもの」が再び出てくるようになり、そこにかつてアイロニーが果たしていたような解放的な力が宿るのではないか、という可能性をほのめかしています。このような「ポスト・アイロニー」の文脈のなかに、フィッシャーの批評的な論調をみてとることも可能でしょう。
いろんな失敗をしながらも、そういう自分の変化を恐れずに露出していったところがあります。それが、ひとりの「思考する個人」としてどうあるべきかという姿の、ロールモデルになっているのではないかなと思います。(河南)
■お三方はそれぞれ、マーク・フィッシャーのどういうところに惹かれますか?
髙橋:まず前提として、ぼくはイギリス在住ですが、日本人としてここで暮らすということは、エイリアンとして生きることを意味します。なので、もともとイギリス人であるフィッシャーとおなじ視点では語れません。あくまでそれを踏まえたうえでの話ですが、いまぼくが惹かれているのは、フィッシャーがイギリスにおける階級意識にもとづいて文章を書くところですね。イギリスの階級やその意識を理解するうえで、彼の文章は非常に参考になるというか。
たとえば『K-PUNK』には、マンチェスター出身のバンド、ザ・フォールについての文章が入っていますよね〔※「クラーケンのメモレックス」、『自分の武器を選べ』所収〕。あれは完全にホラーと階級の話です。「ヴァンパイア城からの脱出」〔※『アシッド・コミュニズム』所収〕にも出てきますが、「労働者階級の出自をもつ者が社会のなかでどのようにして立ち位置を確保しなければならないか」とか、「どのようにして自分がいま属している社会的なもの・構造的なものにたいして自覚的になるか」というような話なんですね。フィッシャーはその例として、労働者階級に生まれながら知的なものに目覚めた自身を怪物として歌ったマーク・E・スミスについて書いている。そんなスミスの出自について、大衆的なホラー作家のM・R・ジェイムズなどを参照しながら書くというフィッシャーの姿勢は魅力的に感じます。なによりほかにはいないんですよね、こういう書き方をするひとは。社会的なポジションについて、イギリスに固有の音楽や文学、映画などの文化的、社会的状況に即して書きつづけている。イギリスの階級社会は日本とはやはり意識的な面で違っています。物質的な部分、たとえばアクセスできる技術だったりサーヴィスの面では日本とイギリスは似ているところも多いですが、社会構造のなかにいる自己のとらえ方にかんしては、イギリスと日本とでは何百光年も離れていますね。
ブロイ:共感できますね。
河南:わたしは、フィッシャーを読むようになって10年以上が経過するなかで、惹かれる部分も変わってきました。大学院生として初めてフィッシャーに触れたときは、そのシャープさ、理論的な精密さだったり、アグレッシヴで論争的な物言いに惹かれていました。でもいざ自分が働くようになって、ある意味フィッシャーと同じく、そしていま話しているこの3人ともそうだと思うんですが、高等教育機関で不安定雇用で働くようになると、理論のための理論ではなくて、理論と生活を媒介していくようなものが必要になってきます。
髙橋:100パーセント同意ですね。
河南:10数年前には面白いと思っていた「この対象について、理論を駆使して論破してやる!」みたいなことにはもうまったく魅力を感じなくなったんです。だからわたしは後期のフィッシャーにすごく惹かれるんですけれど、フィッシャー本人も自分の経験に応じて自分の見方を変えることを厭わなかった。思想家はつねにアップデートしてくので、特定のある時期に書いたものがすべてではないんです。すごく当たり前の話なんですが、でも読み手はそれを忘れがちです。「フーコーが○○年に書いたものがフーコーの思想だ」とか、そういうふうに考えてはいけない。フィッシャーも、大学院生としてCCRUにいたときと、いざ自分がイギリスの新自由主義下の雇用形態のなかで働きはじめて不安定労働者になってからとでは文体が変わっているように思います。ジャーゴンや記号を爆発させて読み手を圧倒させるような文体から徐々に離れていっていますよね。フィッシャーはインターネットで書いていたからこそ、いろんな失敗をしながらも、そういう自分の変化を恐れずに露出していったところがあります。それが、ひとりの「思考する個人」としてどうあるべきかという姿の、ロールモデルになっているのではないかなと思います。
ただし、失敗もしながらですけどね。フィッシャーも「ヴァンパイア城からの脱出」でやらかしています。先ほど髙橋さんが階級の問題についておっしゃっていましたが、階級の問題に注目することは、同時に、ほかの問題に盲目的になることでもあります。そういう側面が「ヴァンパイア城からの脱出」のフィッシャーにあったことは否めない。でもフィッシャーはそれを自分で反省して観点を更新しつづけること、思想家として可塑的であることを亡くなる最後まで追求していた、そこが尊敬するところですね。ただ、追求しすぎて槍が自分に戻ってきてしまった面もあるとは思うんですが。
ブロイ:おふたりの話と響きあうところもあると思うんですが、ぼくの場合は、フィッシャーを読む以前にまず、アドルノやベンヤミンのようなマルクス主義の哲学や思想をたくさん読んでいました。そういう経路からフィッシャーに出会って、10年ちょっと前に初めて『資本主義リアリズム』を読んだときに親近感をおぼえたのは、20代後半のいち生活者の知的な関心と通じるものがあったからです。「この著者は自分と似たような目線で世界を見ているんだな」と。その目線には深い洞察力があって、一見平凡だったりささやかに見えるものをより大きな理論的なトピックまでつなげていく才能がありました。それは彼のひとつの魅力だと思います。
もうひとつの魅力は、マルクス主義の理論には、レイモンド・ウィリアムズやアドルノのように、日常生活に焦点を当てた考察のそれなりに長い伝統があるんですが、そこにフィッシャーの先例を見ることもできます。資本主義下における日常生活をイデオロギーや意識の観点から分析したアドルノの『ミニマ・モラリア』なんかはまさにそうですね。他方で、フィッシャーにはそうしたマルクス主義の系統とは一線を画すところもあります。生きられた経験を重視しながら、エリート主義的な「硬さ」にはとらわれず、大衆性やユーモア、普通のものにたいする愛を感じさせるところです。いわば、大学教授の立場からではなく、むしろぼくたちのような普通のひと、ジャンクやポピュラーなものと共存しながら生きる不安定労働者とおなじ目線や経験から書かれた『ミニマ・モラリア』ですね。
髙橋:たしかにそこはほかにいないかもしれませんね。日本にもあまり似た書き手はいないですよね。國分功一郎さんは少し似ているのかなと思いましたけどね。アプローチは違いますが、ふたりともスピノザについて考えていたり、共通点もあるんですよね。哲学と文化、社会的事例をリンクさせて、社会的状況のなかにおける自分からものごとを考えたり、「自然」とされているものを疑い、人間の精神状況を条件づけるものをとりまく社会に見出したり。これは書く視点が生活のなかから生じるような、書き手の「高さ」の問題です。ぼくはフィッシャーと國分さんの文章をパラレルに読んでいたおぼえがあります。
ブロイ:フィッシャーを読んでいると、その書き方や姿勢に勇気をもらっているような感覚がありましたね。『資本主義リアリズム』の翻訳が出たときに、「話が深刻すぎて落ち込んだ」というような感想も見られたんですが(笑)、ぼくは読んで勇気をもらいましたよ。弱さ、葛藤や矛盾を隠すことなく、現代社会の問題と向き合いながら、それでも希望を探りつづけるという知的な態度に勇気づけられるんです。理想論であるとか、ナイーヴだとか、この種の批判を恐れないどころか、それを引き受ける覚悟さえ示しているのです。このような姿勢が、読者にも政治的思考と表現への勇気を与えるものだと思います。
髙橋:すべての文章がそうというわけではないですが、読者を感動させるのが上手だなとは思いますね。
河南:書き方でいうと、フィッシャーの文章を訳すのはすごく難しくないですか(笑)?
髙橋:音楽パート、大変でしたよ。さっきのザ・フォールの文章は、歌詞が感覚的でかなり難解なので、それにたいするフィッシャーの批評も、難解にならざるをえなかったというか。
河南:学術論文は平坦だから訳すのはある意味では簡単なんです。でもフィッシャーは技巧的であったり、洒落っけがあったりして難しい。
髙橋:ぼくが『K-PUNK』の音楽パートを訳したのは、ちょうど自分の博論を出し終えたタイミングでした。フィッシャーも最初に書いていましたよね、苦行を強いられた博論のリハビリとして「K-PUNK」をはじめたと。同じように、ぼくの頭も博論後でクレイジーになりつつの作業だったので、翻訳が修行のように感じられたときもありました(笑)。でも、彼の学術的なトピックにかんする記述がもつ独自の平易さには救われる思いもしましたね。
ブロイ:とくに音楽の「情景」にまつわるくだりがほんとうに難しいです。形容詞、メタファーの使い方であったり、一文がすごく長かったり。