「!K7」と一致するもの

Various - ele-king

 80年代初頭のブラジル音楽がブライアン・イーノとリンクすることを熱望していたなんて、ちょっと面白いと思わない? まだ軍事政権下のブラジルでは、そもそもコンピュータの輸入に関して制限があった。音楽における電子機材(とくにドラムマシン)に関しては、一般的な見解としてサンバの伝統を損なうということで、それ相応の抵抗があったそうだ。独裁政権と伝統主義の両軸から、エレクトロニックな機材はうとまれていたという。このあたりの興味深い事実関係は、ジョン・ゴメスのライナーに詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。素晴らしい研究の成果の断片が読める。すなわち、伝統的な文化に砂をかけることなく、伝統的な文化を無視することなく、しかし外(海外)に開けていく手立てはあるのか……と。つまり、過去や伝統を参照するばかりではなく、海外文化にも積極的に目を向けながらブラジル人としてのアイデンティティを更新することは可能なのか……と。
 なんにせよ『アウトロ・テンポ』は、2017年のベスト・コンピレーション・アルバムである。手短に言えば、1978年から1992年にかけてのブラジルでエレクトロニックな機材を用いて録音された曲を集めたコンピレーションで、軍事政権(1964年から1985年)から民主制に移行する時期の、長引く不況と政治的な不安定さのなかで生まれた楽曲、先にも書いたように、伝統と脱伝統の揺らぎのなかで生まれた楽曲──おもにエグベルト・ジスモンチという、日本でもお馴染みの、冒険心を忘れないアーティストに触発された人たちの楽曲が収録されている。

 驚くべきほど多彩な、いろんなタイプのブラジリアン・テクノ、アンビエント……がある。当たり前だが、電子機材の応用といってもスタイルは幅広いので、たとえば1990年のオス・ムリェーリス・ネグラスによる1973年のジルベルト・ジル“Eu So Quero Um Xodo”のカヴァーは、ディーヴォの“サティスファクション”を思い出さずにはいられないし、イーノへのメッセージを自らのアルバムに記したマルコ・ボスコの1983年の“Madeira II”はベーシック・チャンネルがリオにやって来たかのようなダブで、ナンド・カルネイロによる1983年の“G.R.E.S. Luxo Artezanal”はリズムマシンを走らせながら甘美なギター・アルペジオをミキシングする。
 もう2〜3例を挙げてみよう。ビートルズの“ウィズイン・ユー、ウィズアウト・ユー”をサンバに置き換えたような、サンパウロの実験的ロック・バンド、Os Mulheres Negrasによる1990年の“Só Quero Um Xodó”、同バンドのカンを彷彿させるほどユニークな“Mãoscolorida”もそうとう面白いし、フェルナンド・ファルカォンによる1981年の“Amanhecer Tabajara”やAnno Luzによる1988年の“Por Quê”のような、ミニマル/アンビエント/エクスペリメンタル系の曲も魅力たっぷり……というか、discogsで調べても1枚か2枚で消えている人も少なくないし、当然レコードを集めるだけでも相当な労力/出費がかかっているだろう。

 2017年でより、ますますはっきりしたことのひとつには「分断されている」ことがあると思う。ネオリベラリズムは分断を好む。そういうなかで、イーノとジョン・ハッセルの『第四世界』がふたたび語られはじめていることを興味深く思っている。それはテクノロジーと非西欧の民族音楽との混合によって描かれる「第三世界」を捻った想像上の世界のことだが、ここに収録されているいくつかの曲は、同時代のイーノに共鳴しながら、それをブラジル内部おいて実践してきたことの結実と言える。いろいろなスタイルの音楽が混合されているという点もそうだが、要するに、ここに収められている音楽はユートピアを夢見ているわけだ。

ele-king vol.21 - ele-king

DYGL(デイグロー)と水曜日のカンパネラ
2大ロング・インタヴュー掲載!

2017年の音楽にはどんな傾向があったのか? 何がおもしろくて、何がつまらなかったのか? 渋谷系は復活したのか? NYのポストパンクは日本に飛び火したのか? アンビエントニューエイジブルゾンちえみは女の味方なのか? バブルは本当にリヴァイヴァルしているのか? 座間の殺害事件が意味するものとは? インディ・ロックはインスタになりはてたのか? DYGLがいまいちばんエネルギッシュなインディ・バンドである理由と水曜日のカンパネラに期待する理由。ブレードランナートレインスポッティングツイン・ピークス。お嬢さんとダニエル・ブレイク坂本龍一コーネリアス。2017年、クリエイティヴィティとコンテキストにおいてもっとも優れたアルバムは何だったのか?

contents

●インタヴュー:DYGL 大久保祐子+野田努/写真:当山礼子

●2017年間ベスト・アルバム30枚
(大久保祐子、木津毅、小林拓音、坂本麻里子、沢井陽子、髙橋勇人、野田努、松村正人、三田格)
・ post-punk / jazz rock 野田努
・ ambient 小林拓音
・ untrue 髙橋勇人
・ electronic / experimental デンシノオト
・ techno 行松陽介
・ grime 米澤慎太朗
・ us hip hop 吉田雅史
・ house 貝原祐介
・ jazz 小川充
・ indie rock 大久保祐子
・ neo classical 八木皓平
・ avant-garde 細田成嗣
・ japanese rap music 磯部涼
・ ny 沢井陽子
・ london 髙橋勇人
・ japanese indie イアン・F・マーティン
・ fashion 田口悟史
・ gadget / technology 渡辺健吾
・ politics 水越真紀

●特別対談:もしかして、またバブル? さやわか × 三田格

●インタヴュー:水曜日のカンパネラ 野田努+三田格/写真:押尾健太郎

●特別対談:セックスしてとりみだせ! 白石嘉治 × 栗原康

●映画ベスト10
(坂本麻里子、木津毅、水越真紀、三田格)
・ 『ブレードランナー2049』 木津毅
・ 『T2 トレインスポッティング』 野田努
・ 『哭声/コクソン』『クローズド・バル』 三田格
・ 『ツインピークス The Return』 坂本麻里子
・ 『Fate/Apocrypha』『Fate/stay night [Heaven's Feel]』 坂上秋成

●REGULARS
・ サマー・オブ・ラヴから50年 三田格
・ アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第12回 ブレイディみかこ
・ 乱暴詩集 第6回 水越真紀
・ 音楽と政治 第10回 磯部涼
・ ピーポー&メー 最終回 戸川純

Tomoko Sauvage - ele-king

 都市空間のなかで生活をするわれわれは、日々、変化する環境の只中に身を置いている。人が作り出した環境は豊かにもなるし、朽ちもする。人工的な空間が自然を破壊するかと思えば、自然は人工の領域へと浸食もする。人の意志によっては適度に共存することもできる。環境は時と共に変化をするし、場所を少し変えれば別の環境へと移行もする。
 とうぜん環境が変われば音環境も変わる。暴力的な音が鳴り響くときもあるし、人と環境に配慮する音が快適に鳴りもする。作為の介在しない自然の音が聴こえてくるときもあるだろう。そのような環境の変化は人の心身になんらかの影響を及ぼす。心と環境の関係はあまりに大きい。不穏。不安。恐れ。とすればアンビエント・ミュージックは環境と心=身体の関係を微調整し修復するものではないか。
 人は音を鳴らす。世界も音を発する。触れれば何らかの音がする。叩けば音が鳴る。音は「世界」と「私」の「あいだ」に存在する。その「あいだ」がアンビエントといえないか。それゆえ人が環境のただなかで音を鳴らすとき、自然なるものへの、畏怖と尊敬が生まれなければならない。音が「先にあること」を実感すること。音に/が、触れることの官能性を感じること。そして官能と尊厳はイコールだ。尊厳なき環境は荒む。

 トモコ・ソヴァージュは、横浜出身・現パリ在住のサウンド・アーティストである。彼女は水を満たした磁器のボウル、ハイドロフォン(水中マイク)、シンセサイザーなど組み合わせた独自エレクトロ・アコースティック楽器を用いて、水と磁器が触れ合う透明で美しい音響を生み出している。

 彼女は、2008年に、スイス出身・ベルリンを拠点に活動をするサウンド・アーティスト、ジル・オーブリー(Gilles Aubry)との共作『Apam Napat』を〈Musica Excentrica〉というロシアのレーベルからデジタル・リリースした(ジル・オーブリーは、フィールド・レコーディング・レーベル〈グルーエンレコーダー(Gruenrekorder)〉からのリリース作品もある)。
 翌2009年、実験音楽レーベルの老舗〈and/OAR〉からソロ・アルバム『Ombrophilia』を発表した。この『Ombrophilia』は、世界中の開かれた耳を持つ聴き手に静かに浸透し、リリースから3年後の2012年に、ベルギーの実験音楽レーベル〈Aposiopèse〉からヴァイナル・リイシューもされた。まさにトモコ・ソヴァージュの代表的アルバムといえよう。2009年には、〈カール・シュミット・フェアラーク(Karl Schmidt Verlag)〉からCD-R作品『Wohlklang: 14. Nov』もリリースする。
 本作『Musique Hydromantique』は、それらに続くトモコ・ソヴァージュのソロ・アルバムだ。リリースはガボール・ラザールフェリシア・アトキンソン、ガブリエル・サロマンなどのラインナップで知られる〈シャルター・プレス〉から。マスタリングはラシャド・ベッカーである。
 アルバムには“Clepsydra”、“Fortune Biscuit”、“Calligraphy”の全3トラックが収録されている。中でも約20分に及ぶ3曲め“Calligraphy”における水滴とドローンに満たされていく静謐な音響空間に耳を澄ましていると、時間の推移ともに聴覚の遠近法が変わってくる感覚を覚えた。その「音」が鳴っていた空間と、この「耳」が繋がり、「音」が身体に水滴のように浸透する……。デヴィッド・トゥープの言う「音が辺りに満ちてくる」とでもいうべきか。

 じっさい、 トモコ・ソヴァージュは音環境をそのまま録音しているようだ(本作の録音は編集なしのライヴ録音されたものだという)。拡張・録音された水や磁器の触れ合う音は、その時空間がそのままパックされ、多様な広がり・質感・肌理を有している。聴く者の環境や状況によってさまざまに表情を変えていく。
 水の音、モノの音、機械の音。自然の音。拡張された音。電気的なドローン、磁器ボウルの響き。それらの音は、ときに自然界に横溢する生物たちの鳴き声のようにも聴こえるし、機械から発せられる人工的な音のようにも聴こえもする。耳の遠近法は次第に刷新され、気がつけば、その響きの場所に連れていかれる。音と環境と人。時間と空間。その変化、差異によって、本作は聴き手が持っている音の遠近法を、ごく自然に書き換えてしまうのだ。そして聴き手である私たちに問いかける。「聴く」とは何か、「音と空間」とは何か、「音と時間」とは何か、と。

 本作には、まずもって「音」への尊厳がある。それは微かな畏怖ともいえるし、音=美への抑制の効いた精神性の発露ともいえる。音というオブジェクトが、「この私」より「先にあること」。その音たちを触れるように官能を感じること。鳴り響く音たちは、人間中心の音楽観・歴史に向けて発せられた音たちの微かな、しかしはっきりとした「声」に思えた。その「声」の肌理の変化に耳を傾けているとき、われわれは環境の繊細な変化に耳を傾けてもいるのだ。

Satoshi & Makoto - ele-king

 ele-kingに寄稿したCHAI『PINK』のレヴューで、「いま、80年代のカルチャーが注目されている」と書いたが、それはエレクトロニック・ミュージックも例外ではない。なかでも特筆したいのは、ヴェロニカ・ヴァッシカが主宰する〈Minimal Wave〉の活動だ。〈Minimal Wave〉は、2000年代半ばから現在まで、チープで味わい深い電子音が映える80年代のミニマル・シンセやニュー・ウェイヴを数多くリイシューしてきたレーベル。いまでこそ、80年代の作品を発掘する流れはブームと言えるほど盛りあがっているが、そんな流れの先駆けという意味でも重要な存在だ。

 そうしたブームは、日本で生まれた音楽を再評価する動きにも繋がっている。この動きに先鞭をつけた作品といえば、ヴィジブル・クロークスが2010年に発表したミックス、『Fairlights, Mallets And Bamboo ― Fourth-World Japan, Years 1980-1986』だろう。細野晴臣やムクワジュ・アンサンブルなどの曲を繋ぎあわせたそれは、ここではない想像上の風景を示すレトロ・フューチャーな雰囲気が漂うもので、時間という概念から解き放たれた自由を感じさせる。
 その雰囲気はさまざまな人たちに伝染した。アムステルダムの〈Rush Hour〉は、パーカッショニストの橋田正人がペッカー名義で残した作品をはじめ、坂本龍一、吉田美奈子、大野えりといったアーティストの作品を再発して大いに注目された。さらに先述の〈Minimal Wave〉も、トモ・アキカワバヤが80年代に残した珠玉のミニマル・シンセが収められた、『The Invitation Of The Dead』をリリースしている。
 変わり種でいえば、ストックホルムを拠点とするナットリア・トゥナーも見逃せない。2016年にウクライナのウェブマガジン『Krossfingers』へ提供したミックスで彼は、アドバルーンス、比企理恵、インプル加工など、80年代のポップスやインディーものを繋いでみせたのだ。彼もまた、〈Rush Hour〉や〈Minimal Wave〉とは違う角度から、80年代の日本の音楽を再評価した1人と言える。

 そして2017年、またひとつ日本のアーティストに注目した作品が生まれた。サトシ&マコトの『CZ-5000 Sounds & Sequences』である。本作は、1986年から日本で活動してきた2人のアーカイヴ音源をまとめたアルバムで、全曲カシオのCZ-5000というシンセサイザーで制作されたそうだ。リリース元の〈Safe Trip〉が選曲し、マスタリングに至るまでの過程もサポートするなど、かなり熱烈なバックアップを受けている。〈Safe Trip〉を主宰するヤング・マルコが、YouTubeにアップされた音源を聴いてサトシ&マコトに連絡したのがリリースのキッカケという物語も、非常にドラマチックだ。
 こうした背景をふまえて聴くと、確かにヤング・マルコが好みそうな音だと感じた。彼はイタロ・ハウス好きとしても知られ、それが高じて『Welcome To Paradise (Italian Dream House 89-93)』というコンピを〈Safe Trip〉からリリースしている。このコンピは、リスナーの心を飛ばすトリッピーなサウンドが印象的で、それは本作にも見られるものだ。さらに本作は、ジ・オーブやYMOを引きあいに語られることも多い。確かに80年代から90年代前半のエレクトロニック・ミュージックの要素が随所で見られ、インターフェロンやフロム・タイム・トゥ・タイムといった、日本テクノ・シーンの礎を築いたアーティストたちの音が一瞬脳裏に浮かんだりもする。

 一方で本作は、2010年代以降の音楽とも共振可能だ。たとえば、本作を覆う夢見心地な音像は、チルウェイヴ以降に一般的となったドリーミーなインディー・ポップとも重なる。エレクトロニック・ミュージックに馴染みがない者でも、サファイア・スロウズや『Visions』期のグライムスなどを通過した耳なら、本作にもコミットできるだろう。
 もちろん、本作は過去の音源を集めた作品だから、現在の潮流を意識して作られたものではない。だが、その過去が時を越えて現在と深く繋がるのは非常に面白い。そこに筆者は、“表現”という行為のロマンと、それを残すことの尊さを見いだしてしまう。

BS0xtra - ele-king

XtraDub

Giggs - ele-king

 自分がMSCとか、SATELLITEとか、日本の「ギャングスタ・ラップ」を初めて聞いたとき、言葉は完璧に聞き取れるが、歌詞の意味は全く分からなかった。一聴平易な言葉遣いだが、ギャングスタの話法で語られるために、ストリートの外側には言葉が意味をなさない。それは「普通の言葉」に別の意味を重ねることによって、エリアの抗争・ドラッグディールといった内容を隠すことができる。彼らのダブルミーニング・比喩は、揉め事を回避するテクニックであり、ユーモアであり、エンターテインメントである。ここに紹介するUKのラッパー「ギグス」による最新ミックステープ『ワンプ・トゥ・デム(Wamp 2 Dem)』は、UK流の「ギャングスタ」の巧みな言葉遊びとストーリーを感じることができる。

 ギグスを〈XL Recordings〉に紹介したマイク・スキナー(ザ・ストリーツ)は彼のことをこう表現した。

ギグスは突如として現れ、一切妥協なしのリアルなストリートの話をスピットした、最初のUKギャングスタ・ラッパーだ。――マイク・スキナー

Don't Call It Road Rap

https://www.youtube.com/watch?v=xn-70oSrLgA

 ギグスは真のギャング上がりだ。10代の頃は、南ロンドンのペックハム・ボーイズ傘下のSN1に加入しギャングのメンバーとして活動しながら、ストリートでの高い人気から2009年に〈XL Recordings〉と契約し2枚目のアルバムをリリースした。しかし、彼は警察の圧力で出演を中止させられ、メディアに取り上げられることも少なかった。
 こうした状況を変えたのは、2013年頃から出てきたGRMデイリー(GRM Daily)、リンク・アップ・ティーヴィー(Link Up TV)といった動画メディアであった。彼らはギグスをはじめとするギャングスタ・ラッパーのミュージック・ビデオを制作し、世界に公開した。
 昨年リリースされた待望の5枚目のアルバム『ランドロード』のヒット、そしてドレイクのアルバム『モア・ライフ』への参加は、UKラップの盛り上がりに火を付けた。しかし、一部のアメリカのラップ・ファンからはギグスのラップを「退屈だ」と批判したり、「ヒップホップの物真似だ」と揶揄したりする声が彼自身にも届いた。このビデオでは、彼自身に向けられたディスに対する怒りを隠さない。

 前置きが長くなったが、本作『ワンプ・トゥ・デム』(ジャマイカの英語「パトワ」で「What happened to them? (彼らになにがあった?)」)は、「ギグスら」を攻撃する「彼ら」をポップカーン、ヤング・サグら第一線のラッパー・歌い手とともに皮肉っぽくたしなめる。

くだらないトークショーはクソだ、奴らは吸いまくってる
あいつらは今や文無しだ、奴らのただ男同士のオナニーだ
奴らはマカーレーを見ながら、コカイン吸ってるだけだ * ――“Ultimate Gangsta feat. 2 Chainz”

* マカーレーとは、アメリカの俳優、マカーレー・カルキン(Macaulay Culkin)のこと。「コカインを吸う(Niggaz is coking)」とマカーレー・“カルキン”の言葉遊びでもある。

 目下クラブヒット中の6曲目“リングオ”のフックは、彼らの「言葉」に焦点を当てている。

ウィングにいる仲間に感謝
別の仲間は道を歩く、合法的に
2人のビッチがキス、まるでバイリンガル
奴らは俺の言葉(“Linguo”)がわからない
ブラッ、ブラッ!
そう、それが俺の着信音
俺はピンクの札束を持ち歩く
ベイビー、プッシーをこっちに寄越しな
「あのこと」については気にしなくていいぜ
――“Linguo feat. Donae'O”

 ウィング=刑務所、ピンクのお金=50ポンド紙幣と言った言い換えは、彼ら独特の「言葉」である。そして文字通り、スラングがわからない「奴ら」とは、他のエリアのギャングであり、アメリカでギグスを批判するラップ・ファンのことを言っているのかもしれない。10曲目“アウトサイダース”では、ギグスが南ロンドン、客演のグライムMC、ディー・ダブル・イー(D Double E)&フッチー(Footsie)が東ロンドンをそれぞれ代表し、知ったかぶる「部外者」を口撃している。
 歌詞が聞き取れなくても、ギグスの低くホラーな声、ゆっくりと間を取ったフロウ、冷たいメロディとハイハットは十分魅力的だ。ロンドンのギャングスタのスカしてない「マジな」ラップが聴きたければ、この1枚がぴったりだ。

Shuta Hasunuma - ele-king

 蓮沼執太が12月14日(木)に最新シングル「the unseen」を配信限定でリリースする。この曲は昨年「Panasonic Beauty」のCMに起用された楽曲のフル・ヴァージョンで、来年初頭発売のアルバム『windandwindows』にも収録される予定となっている。同曲には、彼と縁の深い石塚周太やゴンドウトモヒコ(METAFIVE 他)、千住宗臣が参加。ミックスを担当しているのは蓮沼執太フィルのメンバーであり、トクマルシューゴやスカートも手掛ける葛西敏彦で、マスタリングはROVOやDUB SQUADとしても活躍する益子樹が務めている。今回のリリースに合わせて特設ページもオープンしているので、そちらもチェック。なお蓮沼は1月に『東京ジャクスタ』の公演を控え、また2月にはニューヨークで個展も開催する予定となっており、2018年は彼にとってアクティヴな1年となりそうだ。

蓮沼執太による、2012年から2017年の約5年間に作曲した未発表音源をセレクトしたアルバム『ウインドアンドウインドウズ』が来年2018年初頭に発売決定。このアルバムは、2012年リリースの未発表音源集『CC OO|シーシーウー』の続編的とも呼べるような、映画音楽からダンス、舞台、広告やプロデュース作品などの様々なジャンルの作品のために書かれた膨大な楽曲を収録した作品集になる予定です。

そして、アルバムの内容を少しずつ紐解いていくように、配信シングルを毎月リリースすることが決定しました。

第1弾シングルは、昨年の「Panasonic Beauty」のCMに起用された“the unseen”のフル・ヴァージョンになります。ソロ・アルバム『メロディーズ』以降の流れにある蓮沼執太の歌モノ・サイドを突き進めたような、気品のあるメロディアスな楽曲。CM放映当時、数多くの音源化希望があった楽曲が待望のリリースです。

アーティスト:蓮沼執太
タイトル:the unseen(ジ・アンシーン)
フォーマット:Digital only
商品番号:windandwindows 03 / HEADZ 223
価格:250 円
発売日:2017 年12 月14 日(木)
レーベル:windandwindows / HEADZ

iTunes MS(Mastered for iTunes)、Amazon MP3にて販売。
タイアップ:「Panasonic Beauty 2016年CM曲」

参加メンバー:石塚周太(Guitar)、ゴンドウトモヒコ(Flugelhorn)、千住宗臣(Drums)
ミックス:葛西敏彦
マスタリング:益子樹(FLOAT)
ジャケット・デザイン:佐々木暁

『windandwindows | ウインドアンドウインドウズ』特設ページ:
https://www.shutahasunuma.com/windandwindows/

■蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織し国内外でのコンサート公演、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュースなどでの制作多数。作曲という手法を様々なメディアに応用し、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。12月14日にシングル「the unseen」を配信リリース、未発表音源集『windandwindows』を準備中。来年2018年2月にニューヨーク・ブルックリンにあるPioneer Worksにて個展開催予定。

C:Shuta Hasunuma / windandwindows
P:Shuta Hasunuma / windandwindows / HEADZ

Hello Skinny - ele-king

 トム・スキナーというドラマーは一般的に知られる存在ではなく、どちらかと言えばミュージシャンズ・ミュージシャン、すなわちプロの間で信頼の厚いミュージシャンである。イギリス人の彼は若い頃にゲイリー・クロスビー主宰のトゥモローズ・ウォリアーズで研鑽を積み、いろいろなレコーディングやセッション、ライヴに参加してきた。共演アーティストを上げると、マシュー・ハーバートフローティング・ポインツ、ゼロ7、ジョナサン・ジェレミア、ジョニー・グリーンウッド、エルモア・ジャッド、クリーヴランド・ワトキス、ムラトゥ・アスタトゥケ、フィン・ピーターズ、バイロン・ウォーレン、シャバカ・ハッチングスなど、幅広い分野に渡っている。実際のところトムの基本はジャズで、アレキサンダー・ホーキンスのバンドでフリー・インプロヴィゼイションも磨いてきたが、ロックやファンクなど多岐の音楽にも通じており、それゆえオルタナティヴな表現を可能としているミュージシャンである。そんな彼だから自身が主体のバンドやユニットも多彩だ。オウニー・シゴマ・バンドではアフロを切り口にジャズ、テクノ、ディスコを縦断し、サンズ・オブ・ケメットではブラス・サウンドにスカやダブステップの要素を融合。メルト・ユアセルフ・ダウンではジャズ・ファンクにロックやパンク~ニュー・ウェイヴのテイストをミックスし、ワイルドフラワーは中近東からアフリカの民族音楽の色彩が強いフリー~スピリチュアル・ジャズ、ジェイド・フォックスはインディ・ロック寄りのジャズ・ファンクといった具合だ。

 ハロー・スキニーはトム・スキナーの変名で、彼の個人プロジェクトでもある。この名前はUSオルタナ・ロックの始祖的存在であるザ・レジデンツの楽曲から名付けたものだ。今までにデビュー・ミニ・アルバム『スマッシュ+グラブ』(2012年)、ファースト・アルバム『ハロー・スキニー』(2013年)、12インチEP「レヴォリューションズ」(2013年)をリリースしており、これらではドラマーとしての演奏面のみならず、総合的なサウンド・プロデューサーやコンポーザーとしての才能も見せている。『ハロー・スキニー』はシャバカ・ハッチングスやトム・ハーバートなど周囲の仲のよいミュージシャンが参加し、エクスペリメンタル・ジャズ、アヴァンギャルド・ロック、インディ・フォーク、電子音楽からダブを繋ぐオブスキュアな作品集で、前述のとおりザ・レジデンツの「ハロー・スキニー」のカヴァーも披露している。そんなトム・スキナーをジャイルス・ピーターソンも高く評価し、ハロー・スキニーはじめ彼の関わるプロジェクトの作品をコンピに取り上げてきたが、このたび彼が主宰する〈ブラウンズウッド・レコーディングス〉からハロー・スキニーの新作『ウォーターメロン・サン』がリリースされた。

 『ウォーターメロン・サン』はファースト・アルバムの実験性、音楽ジャンルにとらわれない自由さを継承しつつ、そこにダンサブルな要素を取り入れたものとなっている。その重要な鍵を握るのがトロンボーン奏者兼作曲家のピーター・ズムモである。ニューヨークを拠点に1960年代後半から活動する彼は、故アーサー・ラッセルの親友であり、コラボレーターだった。ダイナソーLやインディアン・オーシャンはじめ、アーサーのユニットや作品の数々へ参加している。ロック、ジャズ、エレクトロニック・ミュージック、パンク、ディスコ、ニュー・ウェイヴ、ワールド・ミュージックを横断した演奏スタイルや活動は、ちょうどトム・スキナーのそれをはるか以前に先駆けたものでもあり、そんなところから両者の間に共感が生まれ、今回のコラボレーションが実現したようだ。“ミスター・P.Z.”はピーターへの敬意が込められた作品。ダイナソーLの“ゴー・バン”や“キス・ミー・アゲイン”を下敷きに、そこへ現在のレフトフィールド・ハウスやディスコ・ダブなどのアレンジを加えたものとなっている。“ラシャド”はタイトルからわかるように、故DJラシャドへの追悼の意を込めたもの。ジューク/フットワークのトラックに、民族音楽からダブを縦断するようなピーターのヒプノティックなトロンボーンがフィーチャーされていく。“コーダ”は四つ打ちを取り入れたダブ・ハウス的な作品で、1990年頃のアンダーグラウンドなニューヨーク~ニュージャージー・ハウスのエッセンスが詰まっている。ディープ・ハウスをやっていた頃のボビー・コンダースとか初期のジョヴォンあたりを思い起こさせる曲だ。10分を超す表題曲“ウォーターメロン・サン”は、四つ打ちのリズムを基本とした上で、トムのドラムとピーターのトロンボーンをはじめとした楽器群がフリー・インプロヴィゼイションを展開していく。ほかにもフローティング・ポインツにも通じるようなスローモー・ハウス“アイデス”、ダビーでアンビエントな空間に包まれたロー・ビート“ブルーベルズ”、遊び心と実験精神に富むフリーフォームなエレクトロ“サインズ”といった作品が収められ、トム・スキナーのリズムに対する飽くなき探求を実践したものとなっている。

B12 - ele-king

 げに許すまじ。ブラック・ドッグの『Bytes』が落選したことに関してはつい先日もぶうたれたばかりだけれど、件の『ピッチフォーク』のランキングからはもうひとつ、重要な作品が抜け落ちている。B12の『Electro-Soma』である。たしかにポリゴン・ウィンドウやオウテカ、ブラック・ドッグといった錚々たる顔ぶれが居並ぶA.I.シリーズのなかでは、相対的に地味で控えめなアルバムだったかもしれない。けれど当時、ある意味もっとも純粋にIDM~アンビエント・テクノを鳴らしていたのは、もしかしたら『Electro-Soma』だったのではないか。
 B12はマイケル・ゴールディングとスティーヴ・ラッターからなるユニットで、ふたりは同名のレーベルを主宰してもいる。00年代後半より鳴りを潜めていた彼らではあるが、近年は〈B12〉傘下の〈FireScope〉から精力的にシングルを発表している。今回ヴァイナルとしてリイシューされた彼らの記念すべきファースト・アルバムは、もともとふたりがミュジコロジーやレッドセルといった名義で発表していた曲を〈ウォープ〉のロブ・ミッチェルがコンパイルしたものなのだけれど、どうやらその選から漏れた音源も数多く存在したようで、『Electro-Soma』と同時に、彼らのレア・トラックをかき集めた『Electro-Soma II』という編集盤もヴァイナルでリリースされている。その2枚をまとめてパッケイジしたCDが、この『Electro-Soma I + II』である(ちなみに今回のリイシューはアナログのオリジナル盤が元になっているので、かつてのCD盤『Electro-Soma』に収録されていた“Debris”、“Satori”、“Static Emotion”の3曲は今回『II』の方に収められており、逆に当時CD盤でオミットされていた“Drift”が今回『I』の方に収められている)。
 改めて聴き直してみて思ったのは、やはりデトロイト・テクノからの影響が大きいということだ。このアルバムを聴いていると、かつてカール・クレイグがサイケ/BFC名義で発表していた曲たち(それらは『Elements 1989-1990』として1枚にまとめられている)を連想せずにはいられない。きめ細やかなハットに、どこまでもノスタルジックでメロディアスなシンセ、そこに加わるUKらしいベースライン……デトロイトから受けた影響を独自に咀嚼し、それを当時のUKの文脈に巧みに落とし込んだ作品がこの『Electro-Soma』と言えるだろう。そういう意味で本作は初期のカーク・ディジョージオやリロードの諸作とも通じる響きを持っている。このアルバムは、テクノが今日のように商業化され制度化されてしまう前の、ある意味で牧歌的とも呼びうる時代の風景を浮かび上がらせる。このようなセンティメントは、昨今のエレクトロニック・ミュージックからはなかなか感じられないものだ。

 今回のリイシューはおそらく、昨今のアンビエント・ブームあるいはIDM回顧の機運に乗っかって企画されたものなのだろう。〈ウォープ〉は今年エレクトロの波に乗ってジ・アザー・ピープル・プレイスもリプレスしているが、そこでひとつ心配なのが、最近ちょっと過去のクラシックに頼りすぎなんじゃないか、という点だ。もしかしたらかのレーベルはいま、リリースの方向性をめぐって大きな岐路に立たされているのかもしれない。……いや、『Electro-Soma』が名盤であることに変わりはないんだけどね(この時期のB12の音源をもっと掘りたい方は、『Prelude Part 1』を探すべし)。

interview with Ian F. Martin - ele-king


バンドやめようぜ! ──あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記
イアン・F・マーティン (著) / 坂本 麻里子 (翻訳)

Pヴァイン/ele-king books

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 その本を作った編集者が著者に取材するということはあまりないと思うが、この本に限っては、自分も音楽ライターの端くれであり、音楽メディアに携わっている人間なので、仮に自分がこの本の編集者ではなかったとしても、話を聞きたかった。
 『バンドやめようぜ!』(原題:QUIT YOUR BAND!)は、イアン・F・マーティンという在日英国人によるじつに示唆に富んだ内容の日本のロック/ポップス批評だ。通史を描くというのもひとつの批評であり(すべてを万遍なく描くことは不可能ではないかもしれないが、膨大な文字量を要する)、そこには著者の史観や選択も入るわけで、どうしたって語り部独自の批評が介在する。そして、この世に生まれてから20年以上ものあいだの英国文化圏での経験は、日本文化圏の音楽を語る上でも照射される。その見え方が、日本文化圏におけるこの本の面白さのひとつとしてある。
 日本の音楽が海外でブームというのも、最近の音楽界が、新譜を追うよりも過去の掘り出し物を探したほうが刺激的という、ある意味後ろ向きな潮流のなかにあるなか、『バンドやめようぜ!』は、過去の再評価ではなく、現代そして将来へと向かう本であり、そうなると、Jポップ/アイドルについても触れなくてはならないわけで、よくここまで書いてくれた! というのが編者の正直な感想だった。というのも、この本で描かれているのは日本からは見えづらい日本だからだ。
 なんにせよ、イアン・F・マーティン氏は、僕が知る限り、日本でもっとも全国のライヴハウスに足を運び、日本人音楽ライター以上に、もっとも大量のジャパニーズ・インディ・ミュージックを聴いている人物である。その成果は彼のCall & Responseレーベルをチェック。以下のインタヴューは、『バンドやめようぜ!』を未読の方にはよくわからない話かもしれないが、ちょっとのあいだお付き合いいただければさいわいである。

これは日本に限らず一般論としての文化的視点として西洋、と言ってもアメリカとイギリスの英語圏、においてはものすごく日本寄りになってきていて、それは音楽というものにおける自分のアイデンティティの拠り所的な見方が強まってきているからなんだと思う。

そもそも日本に移ることになったきっかけはなんだったんですか?

イアン・F・マーティン(以下、イアン):その質問はよく聞かれるんだけどじつは答えるのが難しいところで、(日本に移った)16年前の自分がどういう人間だったかも覚えていないんですよね(笑)。とにかくUKから遠く離れたところに行ってみたかったんです。ただしトイレがちゃんとしているところじゃないと嫌だった(笑)。トイレに関してはフランスより悪いところには絶対に行きたくないという基準があったんですね。
 ただじつはそんな単純な話でもなく、音楽についてではないけれど日本に関しては多少知っていたということもあったんですね。というのも、大学で日本の映画について学んでいたというのがひとつ。前に日本に来たことがあったということがひとつ。だからいい場所かなと思って来たんです。せいぜいいても2年くらいかなと思っていたけど、こんなに長くなっちゃった。

日本の音楽シーンに惹かれてとか、レーベルをやりに来たとかいうわけでもないんですよね。

イアン:白人の救世主として日本の音楽シーンを救いに来たというわけではないんだよね(笑)。

はははは。

イアン:UK時代にもいろんなバンドを観に出かけたりはしていたので、日本に来ても同じようにバンドのライヴを観に行きたいとは思っていたんですね。ただそうするうちに東京周辺の小さな会場に出入りするようになって、とくに高円寺にはよく行っていて結局そこに住むことになるんですけど、そうするうちにそういうシーンと自分との関わりあいができていったんですね。UKでそうはならなかったのはあくまでも自分は客のひとりという立場で、バンドが有名でも成功していなくても向こうの人はロックスター的なんですよね。それに対して日本の会場で見るバンドの姿というのは、お客さんとバンドの境界線がそこまで厳密に別れていないというか、混じっているようなところがあって、そういう状況だったからこそ僕みたいな人でも日本の音楽と絆を持っていくことが出来たんだと思うんだけど。
 とにかく、そういう日本のありかたが自分にとっては啓発というか、目から鱗みたいなところがあったんですよね。それが自分の気持ちのフックになったきっかけですね。この本(『バンドやめようぜ!』)に「日本にいる外国人って結局孤独で悲しくて、友だちもいないなかでこういうところに救いを求める」みたいなことを書いたんですけど、それは半分はジョークで半分はアイロニーで書いたつもりだったのに、在日の外国人の人たちがこれを読んで「そうだよね!」っていう反応がけっこうあったんだよね(笑)。たまたま思いついて書いたことだったんだけど、じつは真実を突いていたのかも。

その孤独な外国人にとって、客が二桁も入らないようライヴハウスみたいなマニアックな空間というのはなおさら行きづらいんじゃないかと思うんですけどね。

イアン:20人いたらいいほうだよね(笑)。知っているバンドを観にいくわけなんだけど、例えばこの本の最初にスチューデンツというバンドのことを書いたけど、少年ナイフの前座をやったことのあるバンドということで知っていて、少年ナイフといえばUKでも活動しているし、すごく人気ってわけじゃないけど音楽好きなら聞いたことがあるというバンドなので。それと関わりのあったバンドということでスチューデンツのチラシを見て、八王子の客が6人くらいいたライヴハウスに行ったんですよね。

なるほど。

イアン:そういうところに行くと観たかったバンドのほかに4つくらいバンドが出ているんですよね。そうするとひとつくらいはいいと思うバンドがいるんですが、アフター・ショウ(打ち上げ)でミュージシャンたちが話をしてくれるんです。そういう人たちに「どういうバンドが好き?」とか「ほかに共演していいと思ったバンドはいる?」とか、そういうことを聞くなかで、だんだん知っているグループが増えて、自分なりに追いかけていきたいバンドが増えていきましたね。いまだにそのあたりのバンドで記事になっているような情報がないんだけど、というか書かれているものはたくさんあっても整理されていないので情報が得にくいところはあるんだけどもね。

話は変わりますが、本のなかで「1978年生まれの自分はブリット・ポップ直撃世代」というようなことを書かれていますよね。そのブリット・ポップ直撃世代だったがゆえのトラウマというか、あの騒ぎの国家主義的だったというネガティヴな側面についても書かれていますが、音楽リスナーとしてのあなたには、ブリット・ポップというのはどのような影響を与えたのでしょうか?

イアン:そのブリット・ポップ時代に僕はティーン・エイジャーだったんだけど、あの時代そのものがネガティヴだったと言っているつもりはないんです。というか当時はそういう自覚もなかったんだけれど、いま振り返って距離を持って見たときに、たぶんあのムーヴメントは国家主義的なものを意図していなかっただろうけれども、そこにいた人たちの考えかたのなかには種として国家主義的なものがあったということは否めないんじゃないかっていまは感じるんだよね。モチベーションがなんであれ、自分がなにかの一員になってしまって一緒に旗を振ってしまったら、なにかしらの問題がそこで生まれてくるということはほかの現象を見ていてもわかると思う。
 「愛国主義(Patriotism)」と「国家主義(Nationalism)」という言葉の違いは僕自身もはっきりと差別化はできないけど、いずれにしても邪悪で危険なものをはらんでいると思う。というのも人間というのはどこかに所属したいという気持ちが必ずあるから、その思いがあまりにも強いためにいまの世界の人々はアイデンティティに苦難しているところがあると思うんだよね。それは商業主義にしても、資本主義にしても言えることだし、あとはネットがこれだけ氾濫してくるなかで自分のアイデンティティに自信が持てなくなってきている人がいろんな意味で増えてるでしょ? ナショナリズムというのはそういうなかで「自分がなにか確固たるものを目指しているという気持ちを持ちたい」という人びとの欲求が作り上げている動きだと思う。だから国家とかいうものじゃなくて、なにか違うところにアイデンティティを見つけられればいいのになと僕は思うんだけれども。だってそれが右翼じゃなくて、左側の政治家の人たちだって性別や民族などのさまざまなアイデンティティを問うているわけだよね? 自由だと言いつつもやっぱりそこはなにかしら問うているわけで、音楽のシーンのなかにも同じようなことがあったと思う。アイデンティティに悩むがゆえに、なにか自分が帰属するシーンはないかって。
 例えば80、90年代は服装ひとつ取っても「お前はゴス」って決まられるようなことがあって、そういうなかのひとつとしてブリット・ポップという動きはあったんだと思う。たぶん自分があのシーンを考えたときになにか落ち着かないものがあるのは、国家主義に通じる帰属を求める動きに対する違和感と、あとは自分自身が典型的な英国人というものと共通項を見出せない人間だからだと思う。同じ土壌に生まれたということ以外には本当に共通項が見つからないんだ。だったら国は違ってもアートやカルチャーの面で自分と共通する価値観を持つところのほうがアットホームに感じられるし、そういう意味ではいまのモリッシーには非常に失望しているね(笑)。

(通訳さんに)うちはモリッシーの本を出していることもあって、最近イアンにメールで「モリッシーは好き?」って聞いたんですよ。聞くんじゃなかったな(笑)。

イアン:モリッシーはそういう人じゃなかったのにね……。80年代のモリッシーはオタクから何から、英国社会というものに馴染めないでいた人たちの体現者であり代弁者だったし、そういう人たちにとっての解毒剤的な存在だったのに……。彼も歳を取ったんだよ。ブレグジットの話のなかで、「これが真のワーキング・クラスだ」とか「ワーキング・クラスの精神だ」みたいなことを言っていたんだけど、考えるとマンチェスターやロンドンやブリストルや、ああいう都市は投票ではビックリするくらいブレグジットに反対しているんだよね。僕が思うに、そういうなかにあってモリッシーを含むちょっと年配の人たちは変化についていけない、混乱のなかでノスタルジーに走るみたいなところがあるんじゃないかな。
 ある意味では僕と似ているところがあるのかもしれないね。UKを離れていったというところでね。モリッシーもたしか90年代にアメリカだったかに行っているし、僕がいまUKを離れている以上に長い期間離れていた人だから、遠くから自分の国を見るというなかでやっぱり失望は味わうと思うんだよね。その失望を味わっている対象は僕とは違うかもしれないけども、そういう感覚というのは事実としてあると思う。そういう意味で僕みたいな人間にイギリスについて語らせちゃいけないんだ(笑)。聞かれるんだけどね(笑)。

そりゃ、聞かれるでしょう(笑)。

イアン:とても危険だよ(笑)。イギリス人のってことがね(笑)。だから信じちゃいけないよ(笑)。

だから僕なんかから逆に言うと、モリッシーみたいに表に立って炎上する人がいるというところがイギリスっぽいなと思うんですよね。ああいう、音楽と政治との太いリンクは日本にはいないから。

イアン:いや、音楽というのは根っこにそういう性質を持っていると思うんだよね。ただ音楽というだけじゃなくて、そこにはアイデンティティを窮する気持ちがあるし、ということは当然ポリティクスに繋がってくるわけで、音楽と政治は分けては考えられないんじゃないかな。

それはあなたもこの本のなかで書いていますよね。

イアン:それに関連して、この本の紹介のされかたのなかで「日本においては音楽をネガティヴに語ることはタブー視されている」ということに注目がいっているみたいなんだけど、現状として僕の考えかたってまだ過去の世界にいるのかなって自覚するところもあって。ジャーナリズムについてこの本で言っているのは、昔からの対立を煽るみたいなところ、ようするにレスター・バングスやポストパンクの時代、80年代の『NME』のような時代というのは音楽シーンでさまざまな意見があって、とくにクリエイティヴな意見のバトル・グラウンドみたいな書きかたをしていたよね。それに対してミレニアム以降のいまというのは、じつは西洋の人たちも日本人と音楽観が似ているというか、ようするにあまり煽り立てないし叩こうとしなくなってきているんだよね。
 その理由というのはいくつか考えられるんだろうけど、これは日本に限らず一般論としての文化的視点として西洋、と言ってもアメリカとイギリスの英語圏、においてはものすごく日本寄りになってきていて、それは音楽というものにおける自分のアイデンティティの拠り所的な見方が強まってきているからなんだと思う。日本で「NO MUSIC, NO LIFE.」というスローガンがあるけど、まさにあれだと思うんだよね。「音楽=自分の暮らし、自分自身」みたいな考えかたが広まってくると、今度は「音楽を叩く=個人攻撃」ってことになってしまうと思うんだ。音楽自体じゃなくてやっている人を攻撃するというような考えかたになってしまっている。結局のところ音楽というのはその人の聴いている音楽がその人物を語るってところもたしかにあるとは思うんだけど、やっぱりミュージシャンのキャラクターみたいなところに自分のアイデンティティを感じている人が多くなってくると音楽批判というのがなかなか難しくなるんじゃないかと思うんだ。日本の場合はそもそも業界の構造上(批判が)難しいというところがあるんだろうけども、感覚的にいまの日本の若い人たちといまの英語圏の若い人たちの音楽に対する観点というのはすごく近くなっているんじゃないかって思うんだ。かつてのような批評というのは成り立たなくなっているような気がする。
 理由としてはすべての雑誌を読まなければいけなかった時代とは違って、いまはツイッターやなんかで作品を発表すればすぐに反応が返ってくる時代だから、じっくり読んで考えるということじゃなくて、もしかしたら作る側も出した途端にフッと返ってくるとか、あらゆる方向から攻撃されるということを常に念頭に置いて作っているのかもしれないし、東京の変化というのは昔と比べたらかなり早いよね。そういうなかで僕の批評性というのはオールド・スタイルな厳しい人たちとミレニアム世代のあいだにいるんだろうけれど、昔の人に比べたら全然優しいよ(笑)。もうひとつは細分化された音楽のなかで読む人が非常に限られている、そこで言ったことがすべてという世界になっているということにおいてはインディ・バンドを相手に厳しい批判をするなんて、赤ん坊をいじめているみたいだから僕はしないな。ある程度批評に足る存在にまでなっていないと厳しいことは言えないというのが僕の考えかたとしてありますね。

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いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。


バンドやめようぜ! ──あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記
イアン・F・マーティン (著) / 坂本 麻里子 (翻訳)

Pヴァイン/ele-king books

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海外のレヴューは点数制でいまでも平気で1点とかつけるわけじゃないですか。そういう意味でいうと残っていると思いますけどね。

イアン:残ってはいるにしても、(悪く)書かなくなってきていると思う。逆に筋の通らないような批評に対するリアクションというのもソーシャル・メディアのおかげで出てきたし、反対意見が聞けるようになったという点ではいいことかもしれないね。

アイデンティティのことを言うと、ジャン・コクトーが1930年代に日本に来たときに「なぜ日本人は和服を着ていないんだ」って言ったんですね。フランスから来たコクトーにしてみたら「日本人のアイデンティティはそこだろ」「なに欧米化されてんだ」と思ったんだろうけど、1930年代の時点でも日本人はそうじゃなかった。イアンも日本に来てわかったと思うけど、日本人というのは、京都や桂離宮や歌舞伎に行っていればいいという簡単なアイデンティティではなくて、とくに東京みたいな都市ではアイデンティティは不安定で、流動的で、つねに揺れ動いている部分があるんですよね。だから、日本を発見する必要がないと思っているほうが発見できるくらいな逆説的な日本が横たわっていたりすると思うんですよね。そういう意味で、僕がこの本のなかでおもしろいとおもったところのひとつに、イアンはこの本を通じて京都や桂離宮や歌舞伎ではない、コクトーがかつて求めたような日本でもない日本を発見しているんじゃないかなと思うんだよね。それが日本人の読者としてすごく新鮮でしたね。

イアン:たしかに日本に対してあまり先入観を持っていなかったかもしれない。それは逆に思っていたのと違うか、思っていた通りだったかのどちらにしても、僕にとっては大きなことではなかったのかもしれない。僕の考えかたとして基本的には世界中どこも似ているっていうことが大前提としてあって、そもそも僕はなにか違うものがあったとしても違うところより似たところを探すタイプなんだよね。似ているところにばかり目がいくので、他の人からしたら「なんでこのふたつが一緒なわけ? 全然違うじゃない」って言われるときもあるんだけど。
 もちろんイギリスと日本は全然違うよ。全然違うんだけど、それはそれとして置いておいて逆にどんな共通点があるのかなって考えかたの人間だから、逆に根本的な考えかたの違いというのがのちのち見えてくるということもあるんだよね。例えばイギリスにずっと暮らしていると人に対する無礼さというのに慣れてしまってなんとも思わなくなるんだけど、日本に来たときにその親切さに驚いたのかというとそうではなくて、イギリスがああだったということを忘れてしまっていたんだよね。それで里帰りしてロンドンに戻るとこんなに無礼だったのかってことにあらためてショックを受けるんだけど(笑)。
 僕はブリストルの出身なんだけど、ブリストルに行くとすごくオープンでフレンドリーなことに驚くんだよね。東京は礼儀正しいけどフレンドリーではないよね。ブリストルのコンビニに行くと女性の店員さんから「お元気?」とか「いかがですか?」なんて笑顔で声をかけられて、しかもそれがブリストル訛りで言われるんで日本だったらたぶん大分訛りって感じなんじゃないかな(笑)。でもそれに対して言葉を返せない自分がいるんだ。東京だったらこんなふうに声をかけられることがないから、どうしようってなっちゃうんだよね(笑)。そういうことを忘れていたということに驚くということはあるんだよね。日本に驚くんじゃなくて、地元に帰ったときに驚くんだ。
 念のために言っておくと、ブリストルのって言ってもちょっとした郊外のエリアに住んでいるみなさんのことを言っているのであって、ブリストルの中心街に行けばみんなアスホールだよ(笑)。

(一同笑)

イアン:まあ、いい人もいるけどね(笑)。ブリストルは大好きだよ。UK全体を見て自分が愛着をもって語れるのはブリストルくらいだよ(笑)。

なるほどね(笑)。本のパート2の通史の部分なんですけど、ここはいろいろと調べて、そうとうご苦労されたと思うんですけれども、どのように調査したのでしょうか?

イアン:いろんなミュージシャンに出会って聞いた話ももちろんあるし、本を読んでということもあるけど、ジャーナリストの人たちからも話を聞いたんだよね。とくに70、80年代のポップスに関してはそういった人たちからロード・マップ的なものをもらって、自分なりに人脈図を解明していったんです。ジュリアン・コープの本があるけど、ああいうのは取扱注意なんだよな(笑)。あの本に出てくるような実際の人に言わせれば「あれはフィクションだ」ってことになってしまうけど(笑)、事実じゃないと言われていたことが時代を経てのちに事実化していくみたいなこともあるからおもしろいよね。「本当だったよ!」って言ってあげればジュリアン・コープは喜ぶんだろうけどね(笑)。でもやっぱり事実とフィクションは分けきゃいけないと思う。ただ彼の本のなかにおいてはその境目がはっきりしないんだよね。たぶん本人にもそのボーダーがはっきり見えていないというタイプだからだと思うけど、ここは真実でここは違うという見分けは難しいところだったよ。
 ただ自分の本として書いていくときにやっぱりフィクションは別のところに置いておきたかったから、とくにパート3においてはそのあたりを注意しつつ、3つ4つ起こった出来事を組み合わせてそのなかから出てきた事実とか、あとは様々な新聞の見出し記事とかを見ていって、自分なりに考えてこうだろうと思った真実ももちろん入ってきてはいます。ただ事実を事実って書くときは正確にと思っていたので、それがもし正確に書けていけないところがあったとすれば、それは僕が取材のなかで誤解したことがあったということなんだろうと。それは認めます。ただソースにいくつか当たって再チェックもしたので、そこは慎重を期してはいます。あとはジュリアン・コープの話に戻るけれども、あの本のなかでも裸のラリーズのメンバーが飛行機をハイジャックして北朝鮮まで飛んで行ってという話を出したけど、それは嘘だと思っていたら事実だったということが後にわかったりもしているので、やっぱり魅力的なストーリーというのは嘘だと思っていると事実は小説よりも奇なりということもあるんだなと思ったね。ベーシストが20人とかさ。そのなかでひとりでもおもしろい人がいたらその人に注目が集まるし、その人ばかり大きくなっていくということは当然あると思う。事実かどうかは別として、おもしろい話というのはおもしろいんだよね。

海外の人は、ジュリアン・コープ的な人は、とかくジャックスとラリーズに対して抱く反体制的な幻想が大きいと思うんですよね。例えば日本映画の足立正生や若松孝二といった人たちの作品は、60年代当時のラディカルな政治運動と本当にリンクしていましたが、日本のロック・バンドは必ずしも彼らのように政治運動と深くリンクしてはいないんですね。

イアン:まずは野田さんが政治的というときの意味合いと、僕はこの本のなかで語っている政治的の意味がちょっと違うのかなと思いました。僕が言っているのは存在としての政治性ということなんだよね。とくに70年代のそのあたりのバンドというのは曲の内容とか、実際に政治的な活動をしていたかどうかということとは別として、いわゆる日本の社会からはステップ・アウトしている人じゃないとできないようなところにいた人たちじゃないですか。その存在が後にすごくヘヴィ―に政治的なものだったと見られるようになった人たちだったということなんだよね。だから曲自体がポリティカルじゃなかったということは僕も理解しているけど、それが彼らがポリティカルな存在ではなかったってこととイコールではないと思うんだ。彼らがどういう人物でどういう暮らしをしていたか、そのことの政治性ではなくて、彼らを見ている側からどういう存在だったのかというところで政治性が感じられた人たちだったということだね。
 僕は今回本を書くにあたって、読んでくれる人には二種類いると最初から思っていて、それは日本の音楽のことなんてなにも知らない外国人と、あとは日本の音楽オタク(笑)。僕がこういう文を書いたところでその両方を100%満足させるってことは無理だし、とくに歴史においてはある程度読みやすく端的にということをしないとどちらの人にとっても満足できない本になってしまうと思ったので、ことによってはわりと簡略化して書いて、そのなかでもラリーズは刺激的なバンドだったし、頭脳警察なんてもっとそうだから度合いの違いはあるとは思うんだけど、でも類としては同じだろうという語りかたになっているんだよね。日本の社会のそういう一面を代弁していたバンドという括りになっているんです。そうしないとどちらかはものすごく喜ぶけどどちらかにはつまらない、あるいは詳しい人にはわかるけどわからない人には難しいものになってしまう。パート2の歴史の部分はそういった姿勢で書いているんだ。ある程度慣らして書いたところも省いて書いたところもあります。
 でももちろん勝手に話を作ってしまうのはダメだけれども、情報やニュアンスというところでの手加減があったということですね。他にも重要なバンドがいるだろうと言う人もいるかもしれないけど、それは省く必要があったということで、これは百科事典じゃないんだからね。野田さんのおっしゃることは僕もポイントとしては理解しているけれども、全部まとめて細かいところまで書きこむということじゃなくて、ちょっと太い筆でバーッと書いたという感じかな(笑)。

(通訳さんに)この本を作っているときにイアンに、メールで「なんで大瀧詠一と山下達郎とゆらゆら帝国が載ってないの?」って聞いたんですよね(笑)。

イアン:そういえば訳者の坂本さんが「ユーミンと四畳半が一緒なのはおもしろいね」と書いてくれていたんだけど、同じところに入れたつもりはないんだけどね(笑)。とにかく、その理由は、全部入れるスペースがなかったということとと、ユーミンと四畳半がそうであるように、同時期に出てきたものは、その後に現れた新しいムーヴメントのなかではわりと似た感じで語られていたんじゃないかなということなんだ。だから僕も決して同じカテゴリーで認識しているわけじゃないんだよ。でも僕の頭のなかではカテゴリーは違うんだけれでも、流れやコンテキストとしては繋がっているんだ。

この本であなたが称揚しているオルタナ系ロック・バンドよりも、現代のとくに英米ではエレクトロニック・ミュージックのほうがより身近な音楽になっていますね。でもこの本のなかにはエレクトロニック・ミュージックやヒップホップについてはまったく語られていない。それはなぜですか?

イアン:(エレクトロニック・ミュージックやヒップホップについては)知らないからですね(笑)。

あなたが好きなステレオラブは、エレクトロニック・ミュージックともリンクしていたよね?

イアン:70年代後半から80年代あたりまでのミニマルなエレクトロニクスやインダストリアル系、クラフトワークやニューウェイヴ的なものの余波で出てきたようなものは多少聴いてはいたけれども、その手のものは日本ではなかなか見つからなかったね。いくつかあるのは知っているけど、それほど見かけていない気もするんだ。そのへんの影響というのはなんなんだろう。サブカルチャーの世界のゴシック・テクノとか、そっちに吸収されちゃっているような気がするけど。

ブリット・ポップ時代というと、トニー・ブレアがナイトライフを賞揚した時代でもあって、クラブ・カルチャーがメインストリームの産業に吸い込まれた時期とも重なるんで、あなたはあまりクラブ・ミュージックというものに対していい印象がないんだろうと深読みをしたんですが(笑)。

イアン:そこまでクールな人間じゃなかったからね(笑)。僕にとってのクラブはそういう場所じゃなかったし、そういうわけで僕はクールな人間じゃなかったからドラッグが出てくるようなところには全然行けなかったんだ(笑)。

ブリストルなのにね(笑)。

イアン:そうだよね。でも大学はボーマスという海沿いの小さな町にあったんだ。大学時代にブリストルにいなかったというのもひとつ理由としてあるかもしれないね。そうはいっても小さな町でもいくつかクラブはあったし行ったりもしていたけど、どちらかというとバンドのライヴを観に行ったり、あとはインディ・ディスコに行っていたね(笑)。インディ・ディスコは名前がすごくダサくて、聞いたとたんにあか抜けない感じのイメージが湧くのが好きなんだけど(笑)。自分のイベントをその名前でやっているのはそういう理由からなんだ。でも90年代のブリストルの有名なエレクトロニック・ミュージックは聴いてはいたよ。
 90年代のエレクトロニック・ミュージックでピンときたのはオービタルかな。あの時代のその手のバンドのなかではもっともクラフトワークに繋がっているところがあるバンドだったと思う。

話は変わりますが、ツイッターで「アイドルについては本当は書きたくなかった」というようなことをおっしゃっていて、でもパート3はやっぱり読んでいてすごくおもしろいんですよね。よくここまでJポップやアイドルを聴いたなと思いました(笑)。

イアン:はははは。やらざるをえなかったんだよね。ビジュアル系は無視できても、アイドル・カルチャーをなかったことにはできなかったかな(笑)。
 頭の良さそうな分析が簡単にできてしまうところがアイドル文化の危ないところなんだ。メカニズムとしてすべて表面化しているというところがアイドル・カルチャーの特徴で、隠していないんだよね。「どうぞ、ご覧ください」って感じでみんな見せてしまっている。見せたうえである程度参加させてくれる。そういうマシーンのありかた自体がアイドル・カルチャーが売り出している商品の一部であるというところが特徴なんだと思っているね。しかもそれをメディアがどんどん取り上げるでしょ? それで僕みたいな人間がそれについていって引っかかってしまうんだ(笑)。30、40代ジャーナリストの多くもその罠に引っかかっていると思う。ようするにすごく知的で、あたかもポップスを解析しました的な文章を書きたくなるんだよ。だけど実は秋元康さんみたいなそのマシーンを作った人の手のひらの上で遊ばされているに過ぎないんだよね(笑)。「どんどん私たちについて語ってください」という罠がそこに仕掛けられているんだ。昔や90年代のポップだったらその罠に対して「フェイクだ」と大声をあげることがあったと思う。それは表は取り繕っていて裏に隠している何かがあったから、声をあげてそれを暴露しようという気持ちになったんだろうけど、いまの日本のアイドル・カルチャーは裏がないんだよね。みんな見せちゃっている(笑)。それに対して何かカッコイイことを書いたと思っている人は多いんだろうけれども、実はそれはパンの残りかすを拾い集めている作業にしか過ぎないんだよね。そういうことを考えると(アイドルについて)一部書いてしまったことは、あーあと思っているね(笑)。自分が罠にかかっていることを肯定しているよね(笑)。

はははは。ずっと日本に住んでいると慣れて忘れてしまっていることもすごくあるので、この本でいくつもの「気づき」があることも僕にとっては興味深く思えたんですね。例えば「日本は独立国ではない」というふうに書いている箇所があって、それは、「アメリカ軍が駐在している国である」ということですね。ここでは、たとえば「反米」という考えが、英米の左翼/右翼のようにはいかないと、当たり前のことなんだけど、なるほどと思ったんですね。そういうことはつい忘れてしまうことであって。みんな日本は立派に独立国だと思っているんだけど、あなたから見れば「じゃあ、なんでアメリカ軍が駐在している?」と。

イアン:取り込んでしまって考えなくなってしまうというのがイデオロギーってやつの一面だよね。今日のインタヴューで「アイデンティティ」ってよく言っているわりには、本のなかではその言葉はあまり使っていないんだけど。いま世界のなかで変化するアイデンティティが問われる世のなかになってきているということから振り返って考えると、こういうことが言いたかったんだなと、いま「アイデンティティ」という言葉が出てきているんだ。この本を書いた3年前にはまだそういう状況になかったということだと思う。
 それでアイデンティティの権化のひとつがまさにアイドル文化だと思っているよ。あのアイドル文化的なものが成功してビジネス・モデルとして日本で成り立っているというのは、まさに帰属意識を煽るからなんだと思う。DJをやっていてもインディ・アイドルとかそういう人たちがいるし、パンク系でもアイドルの人がいたりするようないまの状況を見ていると、僕はDJもやるからそういう人たちの姿もよく見ているんだけど、アイドルの世界においては客との距離感の近さがとにかく極端だよね。しかもインタラクションまでできてしまうし、アイドル・オタクの人たちの動きかたって振付けでもしているくらい同じことをやるでしょ? それを外から見ているとすごく不思議なんだけど、中にいる人にとってはそれが極めて自然なありかたであるんだよね。自然の押しつけみたいなことがそこではなされていて、すごくストレスを感じるんじゃないかなって思うんだけど、どうなんだろうね。ルールがわからない人にとってはやっぱりああいうのは見ていて怖いよね(笑)。入っていけないと思う。でもそのルールに従ってしまえばものすごく居心地がいいんだろうな。
 いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。
 その居心地の良さというものの魅力もわかることにはわかるんだ。さっきおっしゃったような左/右の伝統的な価値観が日本の現状にはなかなか当てはまらないということにも繋がってくるんだけど、右/左というものにはまり切らないなにか、サブカルチャー的なものが実はこの日本においてすごくメインストリームになっているんだよね。そういう意味では混ざり合っているなにかみたいなところで、僕は本来はそこに居心地の良さを感じるようなタイプなんだけど、そこを切り取ってまた細分化していくようなことがいまの日本では行われているような気がしているんだよ。いまはひとつに絞って「こうだ!」と言うことがなかなか難しい。
 本来のメインストリームというものがすごくわかりづらい遠いものになってしまって、本当はそうじゃなかった日陰の存在がすごくメインストリームなものになっている。あんまりそういうことを言っていると陰謀論みたいに思えるかもしれないね(笑)。すごく売れているものや、社会的にすごく高レベルなものというのがすごく遠いものになってしまってリアルに感じられなくなるなかで、自分のリアルというものはなんだろうと探している人たちが大勢いるという現実があるから、そういった細かいところでアイドル文化的なものに居心地の良さを感じる人もいるし、木製のテーブルのカフェでコーヒーを飲むのが自分の居場所だと思う人もいるし、すごく細かくなっているよね。そこまでしてそういう居場所を探す情熱があるんだったら、インディ・バンドのライヴを観に行ったほうがいいよ。

たしかに(笑)。

イアン:ああいうところには本当に自分の作りたいものを作ろうと頑張っている人が大勢いるわけで、それを支えるということをやったらいいじゃない。そこに自分の居場所を生み出すことができたら、そんな健康的なことないじゃない? 資本主義やビジネスの人たちというのはそこらへんのことがわかっているんだよ。わかりやすいものをポンと投げて、こういう動きが起こっているなというところを嗅ぎつけて、それを商品化していっている。そういうことに異を唱えすぎるとマルクス主義で『赤旗』を配っているんじゃないかって思われるかもしれないけど(笑)。僕もコピーライターをやっている人間なので広告の仕組みはわかっているから、「“I am MUJI」じゃないけどね。「“I am MUJI」ってお前が言うなって話で、人から言われることじゃないような押しつけがいっぱいあることはわかっているから、いわゆる本当にその人が好きでこれがリアルなんだって追いかけていたものを後ろからビジネスが追い抜いて、「はい、これがトレンドですよ」って出してくる仕組みの権化がまさにアイドル・カルチャーだと思うんだよね。あそこまでオープンにフェイクなものを認める社会があって、それがいまの彷徨えるアイデンティティ的な現象のシミュレーションなんじゃないかって思うんだよね。

結局のところ、きゃりーぱみゅぱみゅが表現する自由っていうのは、「好きなものを買える自由だ」ってことを書いてるけど、昔から日本は消費するのは得意だけど生産(創造)することに関しては苦手という意見があるんですよ。

イアン:逆に音楽の世界では作るのが苦手というのは違うと思うな。少なくとも音楽業界においては、作っている人が大勢いて、買う人のほうが少ないですよね(笑)。作る人間が多すぎる! もっと聴いて!

そうだね(笑)。それは見かたの違いですね(笑)。

イアン:(『バンドやめようぜ!』を取り出しながら)そういうときにこれだよね。「バンドの数が多すぎるから、お前はやめろ!」っていうのもひとつの解釈だよね(笑)。でもこの「やめろ!」というのは決して命令ではなくて、逆にこっちから挑んでいる問いかけなんだよね。「やめるだけの勇気が君にはあるか?」ってね。

「やめられないだろ?」って意味だよね。

イアン:これを括弧のなかに入れるとみんなに言われている気がするよね。音楽だけじゃなくて社会においても「やめちゃえばいいじゃん」って声がどこからも聞こえてくる感じね。

最後の質問にしますね。影響を受けたライターを教えてください。

イアン:インタヴューでミュージシャンがよく影響を受けたバンドについて聞かれているじゃない? そこであんまりはっきり言わない人が多いことに「なんで言わないんだよ」って思っていたけど、結局コピーしていることがばれるのが嫌だってことだよね(笑)。いまそういう立場になってわかった(笑)。

はははは。

イアン:実は音楽批評はあまり読まないんだ。子どもの頃はよく『メロディ・メーカー』を読んでいたから自分のなかに入ってはいるんだろうけど。僕がとても若いころに影響を受けたのはダグラス・アダムスだね。彼はコメディを書く人だからおもしろい言い回しというか、わざと小難しい言葉を重ねて文章を構築する人なんだよね。モンティ・パイソンや70年代のコメディに通じるようなおもしろさの人だね。スチュワート・リーというコメディアンがいて、彼はスタンダップ・コメディもやるんだけど作家でもあって、ちょっと保守的な表現をする人なんだよね。そこからもけっこう影響を受けているんだろうな。書きかたについてもそうだし、「コメディとは?」というような本を書いているんだけど、彼のコメディ観みたいなものを音楽に当てはめて考えてもおもしろいなと思うような発想をくれるんだよね。もちろん書くことにも応用の効くような発想だったし、スチュワート・リーはアートの作りかたみたいなものの発想自体がすごくおもしろいんだ。日本語になっているものがあるかどうかはわからないけど、そもそもがスタンダップ・コメディアンということもあるからね。イギリスのコメディというのは作品が出回っているということでは狭い世界かもしれない。
 音楽の本で影響を受けたのは、Artemy Troitskyというロシアのジャーナリストが書いた『Back in the USSR:The True Story of Rock in Russia』(1988)。これはソヴィエトのロック史を彼自身の経験を織り込みながら絶妙に描いた本で、今回の執筆において大いに助けられました。

 

※ちなみに、「QUIT YOUR BAND!」の直訳は「バンドをやめろ!」で、原題は「CLAP YOUR HANDS」とか「KILL YOUR IDLE」など英文でよく使われる「●●YOUR●●」の言葉遊び。

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