「Low」と一致するもの

今里(STRUGGLE FOR PRIDE/LPS) - ele-king

敷居を高くしていないとご飯が食べられない人達のお茶碗を、
夜な夜な割っていく作業に従事しています。

1.META FLOWER /DOOM FRIENDS
誠実な人柄が全ての作品に現れていて、動向がとても気になる。LSBOYZのALBUMも最高でした。

2.JUMANJI/DAWN
くそみたいな気分で目が覚めた朝方でも、再生した瞬間にFRESHにしてくれる。

3.YOUNG GUV/RIPE 4 LUV
AOYAMA BOOK CENTERの店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

4.HATCHIE/KEEPSAKE
今は亡きBONJEUR RECORDS LUMINE新宿店の店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

5.ISAAC/RESUME
こういう気持ちにさせてくれる音楽が身近にあることに、心から感謝しています。

6.MULBE/FAST&SLOW
DO ORIGINOOを聴きながら豊洲を歩いていたら、一瞬どこに居るか解らなくなった。

7.SHOKO&THE AKILLA/SHOKO&THE AKILLA
武道館ライブ楽しみにしてます!

8.HIKARI SAKASHITA/IN CASUAL DAYS
誕生日を過剰にアピールしたら送ってくれた。どうもありがとう。

9.CAMPANELLA/AMULUE
今になって思うと待ち続けてた時間も楽しかったし、
聴いてすぐに報われた。

10.CENJU/CAKEZ
「もしもVINがいたらあんなもんじゃ済まなかった」って笑って帰宅して、
すぐに再生した。
発売には立ち会えなかったけど、当時の我々の空気が全て詰まってる。

Kruder & Dorfmeister - ele-king

 クルーダー&ドーフマイスターとはジョイントの高級ブランド名ではない、オーストリアはウィーンのふたり組、90年代の音楽におけるとっておきのカードだ。彼らがシーンに登場したのは1993年、マッシヴ・アタックの『ブルー・ラインズ』(ないしはニンジャ・チューンやモ・ワックス)へのリアクションだった。サイモン&ガーファンクルによる名作『ブックエンド』のジャケットのパロディ(だからふたりの名字を名乗ったのだが、実際リチャード・ドーフマイスターがアート・ガーファンクルに似ているので、パっと見た目は『ブックエンド』と間違えそうになる)を意匠にしたそのデビューEPのタイトルは、モーツァルトからシューベルトと歴史あるクラシック音楽の街に似つかわしいとは思えない「G-Stoned」。そう、ガンジャ・ストーンド。Gは、彼らが住んでいた通り名の頭文字でもあるのだが、しかしもっとも重要なのは、どこまでもメランコリックな『ブルー・ラインズ』に対して、「G-Stoned」はとにかく至福の一服だったということである。

 欧州において音楽教育がとくにしっかりしている言われているウィーンのふたりは、トリップホップと呼ばれるスタイルではさまざま音楽を混ぜ合わせることができるというその可能性を早くから理解していた。「G-Stoned」のわずか4曲には、従来のトリップホップの主要要素であるヒップホップ、ファンク、ソウル、ダブやハウスに加えて、映画音楽やラウンジ音楽、そしてジャズやブラジル音楽の美味しいところも加えてある。のちに本人たちは「1日中吸っているのに飽きたから音楽を作った」などとうそぶいているが、本当のことを言えば彼らは友人のレコード・コレクションをサンプリングしまくり、そして綿密な構成を練って職人的なミキシングを施して(クルーダーはすでにスタジオで働いていた)作品を完成させたのだった。それは、同じようにサンプルデリックな傑作であるDJシャドウの『エンドロデューシング』の暗さやDJクラッシュの「Kemuri」のストイシズムともまったく対照的なサウンドの、自称“オリジナル・ベッドルーム・ロッカーズ”による完璧なデビューEPだった。未聴の方は、ぜひ“Hign Noon”から聴いて欲しい。

 が、しかしK&Dは、その後ミックスCDを出してはいるが、コンビでのオリジナル作品発表はすぐに途絶えてしまい、90年代半ばからはそれぞれがそれぞれのプロジェクトで作品を制作する。リチャード・ドーフマイスターは、ルパート・フバーとのToscaを始動させると、「Favourite Chocolate」や「Chocolate Elvis」、あるいは『Opera』や『Suzuki』といったヒット作を出しつつ、ここ数年はそれほど話題にならなかったとはいえ現在にいたるまでコンスタントに活動を続けている。いっぽうのピーター・クルーダーは、90年代にピース・オーケストラという名義で素晴らしいアルバムを2枚リリースしている。
 ちなみに90年代のジャケット・デザインにおいて個人的にベストだと思っているのが、ピース・オーケストラのファースト・アルバムだ。世界で唯一、(肌色のジャケットに)絆創膏の貼られたレコード/CDであるそれは、ラディカルなユートピア思想がなかば感傷的に表現されているとしか思えないという、ぼくにとっては哲学的と言えるアートワークだった。こればかりはアナログ盤の見開きジャケットでたしかめないと、その衝撃はわからないんだけれど。

 いずれにしても、ダンス・ミュージックを愛するリスナーにとってK&Dは立派なリジェンドなのだが、なんと……、そう、「なんと!」、1993年のデビュー以来27年目にしてのファースト・アルバムが先日リリースされたのである。で、そのタイトルは『1995』、日本人の感覚で言えば意味深くも思えるが、これはチルアウト黄金時代の年を指しているそうで、アルバムに収められた14曲は当時彼らが録音したDATからの発掘をもとに手を加えられたものらしい。まあ、再結成して新たに録音した代物ではないようだ。とはいえ、27年目のファースト・アルバムであることに違いはない。

 ロバート・ジョンソンのレコード(おそらく78回転の10インチ盤)をサンプリングした“Johnson”からはじまる『1995』は、K&Dの魅力を、もうこれ上ないくらいに絞り出している。肩の力の抜けたレイジーなグルーヴの魅力──K&Dはいつだって安モノのせこい品をまわしたりしたりはしなかったが、ここでも極上のストーナービートと気の利いたサンプリング(ラロ・シフリンからアントニオ・カルロス・ジョビンなど)がエレガントなミキシングによって展開されている。たとえば“Swallowed The Moon”や“Dope”などは、これこそチルアウトって曲だし、“King Size”にいたっては……たしかにぶっといものを口にくわえてるときのメロウなウィーン流のダブかもしれない。
 意外なところでは、13分にもおよぶ“One Break”がある。寒い冬の夜明け前のようにダークな曲で、リズムはいつものヒップホップ・ビートからドラムンベースへと展開する。クローサーのアンビエント・トラック“Love Talk”も彼らの試行錯誤の記録だろう。いろいろとやっていたんだなと。懐かしくもあり、グローバル・コミュニケーションの『76:14』がそうであるように、いま聴くと新鮮でもある。ただひとつ言えるのは、『1995』は思いも寄らぬ贈り物だということ。いまはもう寒い冬だけれど、1995年のように、意味もなくただただ愛を感じながら寝そべってみるのもいいかも、と思ったりもする。ピース・オーケストラの見開きジャケットが描いたあの凄まじい、あの時代ならではの光景は、現代では到底あり得ないのだろうけれど。


Cuushe - ele-king

 京都から世界にむけてドリーミーなエレクトロニカ・ポップを発信してきたクーシェ(Mayuko Hitotsuyanagi)が、前作EP「Night Line」から5年の歳月を経て待望の新作アルバムをリリースした。アルバムとしては2013年の『Butterfly Case』より7年ぶりである。
 エレクトロニカ・リスナーにとっては、まさに待望のという言葉に相応しいアルバムだが、そんな聴き手の思い入れを吹き飛ばすほどに、とても強い意志が光のシャワーのように溢れていた。
 とはいっても過激な音楽というわけではない。2009年のファースト・アルバム『Red Rocket Telepathy』から続くエレガントでポップな音楽世界がアルバム全編にわたって展開されており、聴きはじめた瞬間にクーシェならではの透明な世界観に一気に引き込まれてしまうことに変わりはない。だから過去2枚のアルバムを長年愛聴してきた熱心なリスナーは安心してクーシェ的電子音楽世界に飛び込んでいってほしい。

 と同時に『WAKEN』には明らかに進化している面がある。変化ではなく進化だ(深化といってもいいかもしれない)。「WAKEN」というアルバム名どおり、朝の目覚めのような生命力に満ちたエレクトロニック・ミュージックとなっているのだ。
 まず、楽曲を包み込むサウンド・レイヤーの緻密さ、美しさが、これまでのアルバム以上に磨きがかかっている点だ。たとえば1曲め “Hold Half” を聴いてほしい。電子音、アナログ・シンセサイザー、ギター、彼女の声が折り重なりあい、大きなハーモニーを形成し、清冽な音響を展開していることがわかるはずである。
 続く2曲め “Magic” はややダークなムードのなか、少しずつ光が差し込んでいくような楽曲だ。無駄のないトラックの構成、和声感とメロディの絶妙さに聴き入ってしまう。ディレクター田島太雄、アニメーション・ディレクター久野遥子が手掛けたMVも楽曲の世界観を見事に映像化した傑作だ。

 加えてビート/リズムの深化にも注目したい。クラブ・ミュージックの音響と音圧を取り込んだ複雑かつ大胆なビートは、クーシェの歌と絡み合うことによって、彼女の音楽にかつてないほど疾走感を生み出すことに成功している。
 特にUKガラージ的なビートと、水墨画のような音世界のなかで、エモーショナルなヴォーカルを展開する “Emergence”、ドラムンベースを導入したミニマル・ポップな “Not to Blame”、重低音のキックに優雅なピアノを交錯する “Drip” などは、クーシェがこれまでと違うフェーズに突入したことを告げる楽曲たちである。
 そして最終曲 “Spread” では日本語の歌詞をはっきりとした声で歌唱する。ヴォイスのまわりに電子音のレイヤーが美麗に重なり、まるでエレクトロニカ・ウォール・オブ・サウンドのように壮大な音響を生成していく。アルバムの最後を飾るに相応しい曲であり、自分と心の中の宇宙とが交信していくような壮大で感動的な曲である。アルバムを聴き終えたとき、一作の物語を読み終えたような感慨に耽ってしまったほどだ。

 全曲、これまでのアルバム・楽曲以上に、メロディが明瞭になり、歌詞などの言葉と共に「伝えたい意志」がより明確になっていた。そしてベースとコードとビートの関係が密接になることでより疾走するようなエモーショナルな感覚が楽曲に生まれてもいた。
 かつて瀟洒なエレクトロニカ・ドリーム・ポップによって多くのリスナーを魅了したクーシェは、「夢」の世界から目覚めて、この不穏な「現実」を肯定し、2020年の世を力強く生きていく「意志」の音楽を作り上げた。
 その「肯定の意志」こそ、この現代おいて、とても大切な「希望」をわれわれに伝えてくれるものではないかと思う。多くの音楽ファンに届いてほしいアルバムである。

Public Enemy - ele-king

 80年代後半、Boogie Down Productions らと共にコンシャス・ヒップホップのムーヴメントを作り出し、さらにその革新的な音楽性によって、ヒップホップ史上最も偉大なグループのひとつとして高く評価されている Public Enemy。1987年にリリースされた1stアルバム『Yo! Bum Rush the Show』から代表作である2nd『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』(1988年)を経て、4thアルバム『Apocalypse 91... The Enemy Strikes Black』(1991年)くらいまでが彼らの作品としてのピークであるが、2000年以降も精力的に制作を続けており、今年(2020年)9月に通算15枚目のアルバムとしてリリースされたのが本作『What You Gonna Do When the Grid Goes Down?』である。

 80年代の Public Enemy をリアルタイムに知っているようなヒップホップ・ファンであっても、おそらく近年の彼らの作品をチェックしていた人は多くはないだろう。個人的にも90年代後半の時点で、彼らのメッセージや音楽性も含めて全てが時代遅れに感じていて、過去の偉大なアーティストという位置付けであったのは否めない。しかし、コロナ禍かつBLMムーヴメントが盛り上がっていた今年6月にリリースされた、DJ Premier のプロデュースによる先行シングル “State of the Union (STFU)” を初めて耳にした瞬間、あの最も輝いていた頃の Public Enemy を思い起こさずにはいられなかった。(リリース当時)大統領再選を目指していたドナルド・トランプへ向けた、Chuck D と Flava Flav が発するストレートなメッセージと DJ Premier のハードなビートは、いまの時代の空気感にも完全にフィットし、ヒップホップの持つ普遍的な力を改めて証明してくれた。

 アルバム・タイトルにある「Grid」はインターネットを意味しており、Cypress Hillと George Clinton をゲストに迎えた “GRID” では、インターネットに依存した現代社会へ警鐘を鳴らしている。正直なところ、このテーマにはあまりピンとこないのだが、2010年代以降、Public Enemy のほぼ全てのアルバムに参加し、本作のメイン・プロデューサーとも言える C-Doc が手がけるロックテイストの強い、90年代前半頃の Public Enemy らしいサウンドに乗った Chuck D のラップには往年の勢いを感じさせ、自然と頭が揺れてくる。

 本作の目玉と言えるのが、Public Enemy の代表曲のセルフリミックスである “Public Enemy Number Won” と “Fight The Power: Remix 2020” の2曲だろう。前者はオリジナルの “Public Enemy #1” そのままのトラックの上で、Beastie Boys の Mike D と Ad-Rock が初めて Public Enemy のデモを聞いたときの思い出話をイントロで語り、さらにメインの部分には Run-DMC が参加。残念ながら Run-DMC のラップに最盛期のキレは感じられないものの、Public Enemy、Beastie Boys、Run-DMC という3者の夢の共演には興奮せずにはいられない。BLMムーヴメントに呼応してシングル・リリースされた “Fight The Power: Remix 2020” には Nas、Black Thought、Rapsody、YG などベテランから若手まで幅広くゲストが参加し、原曲のメッセージ性がいまなお色褪せないことを教えてくる。

 ちなみに本作は Public Enemy の古巣でもある、いまなおアメリカを代表するヒップホップ・レーベルの〈Def Jam〉からリリースされており、実に26年ぶりのレーベル復帰となる。もちろん、今後も〈Def Jam〉との契約が続く保証もないし、本作によって彼らが第一線に復帰したというわけでもない。しかし、このアルバムによって、Public Enemy があの黄金時代の輝きを一瞬でも取り戻したことは、一ファンとしても実に喜ばしいことである。

ジオラマボーイ・パノラマガール - ele-king

 このごろ90年代のことをよく考える。夢にみるほどである。そこで私はオシャレなサブカル雑誌の編集者で六本木にある編集部を出て大通りを交差点のほうから西麻布にむかって東北へ歩いていると、大きいだけで味気ないビルが建っているべき「六本木六丁目交差点」のあたりに、私は20余年前になくなったはずの小ぶりなビルが建っていた。
「WAVE」の文字をかかげた青灰色の窓のない概観はミズっぽさがなかなか抜けない六本木の空間で異彩を放っており、甘い水にさそわれる蛍のように建物内にすいこまれると、フロア一面を無数の棚がしめており、そこには世界各地から集めたレコードがびっしりならんでいる。そうだ、ここでは4階から順繰り降りながら全フロアをくまなくみてまわるのがノルマだったと気づいた私はエレベーターで現代音楽コーナーをめざすのだが、お客さんも店員も、建物内のすべてのひとたちが知り合いなのにしだいに気味がわるくなり、地下の映画館に逃げ込むも、次から次にあらわれるモギリのみなさんがまたしても顔見知りで、ことばにならない不安をおぼえながら、おそらくフィリップ・グラスが音楽つけただかなんだかの映画をみるともなくみて、逃げ帰るようにその建物をあとに、たちよった書店で手にした雑誌の表紙に、あっ、と声をあげたのはそこに「特集岡崎京子」とあったからである。

 私はサラリーマン編集者だったときも競合他誌なるものを意識したことはないが、勤めはじめてほどない、たしか2000年あたりだったかに出た「スイッチ」のこの特集と、会社に三行半をつきつけたあたりに出た「ペン」のキリスト教の特集にはやられたと思った。なんとなれば、雑誌の特集には時代のほかにたよるあてもない。追認や迎合や、ましてや広告宣伝などではなく、それが世に出てはじめて、読みたかったのはこれなのだと気づかせるなにかを、私は先述の2誌の特集にみたのであろう。
 とはいえ「スイッチ」の特集は「岡崎京子×90年代」だった(と思う)。また恐縮なことに、私はこの号を青山ブックセンター六本木店で購入したものの1ページもめくることなく編集部内で紛失してしまい、いまにいたるも内容のひとつも知らない。やられたとかいえた義理でもないのだがしかし、テーマや書名だけでなりたつ本や雑誌というものもある。2000年代初頭岡崎京子をとりあげるのはその典型であるように私に思われた、その一方で思うのである、なぜ90年代なのか。幕を下ろしたばかりの90年代への追慕の意味合いがあったにせよ、岡崎京子は90年代の表象なのか。岡崎京子の(六本木WAVEが開店した)1983年から96年にいたる(現状での)活動期間を考えると80年代のほうが長いではないか。そしてまた90年代は特定の人物や事象に収斂する時代なのか。それはひとことでいえるようなことなのか。

 そもそもいつからが90年代なのか。この問いが多くの識者を悩ませてきたのはひとの世は数値ほどデジタルではないからである。2020年代に入った途端に2010年代が蒸発するはずもない。その線でいけば、90年代と80年代もたがいにのりいれているであろう。それさえもみるものによる視差がある――とはいえ90年代を起点に2年以上は前後しないのではないか。そうでなければディケイド切りそのものがあやふやになる。この点をふまえ、仮に1990年代のはじまりは2年前の88年だったとしよう。
 1988年は昭和63年である。世はバブル景気に湧き、リクルート事件が起こり、4月の東京ドーム公演をもってBOØWYが解散した。その2年前のチェルノブイリ事故を受けたブルーハーツの「チェルノブイリ」は自主レーベルからは出せたけどRCの『Covers』は大手だったので発売できなかったのも88年。この年の3月10日号から掲載誌が休刊の憂き目をみる11月10日号まで『ジオラマボーイ・パノラマガール』は雑誌「平凡パンチ」に連載した、作者の経歴では中期の代表作ということになろうか。

 物語は東京郊外の高校生である津田沼ハルコと神奈川健一のすれちがいと出会いを軸に、ふたりの家庭や学校生活がからまる構図をとっている。設定への特段の註記はないが、時制はおそらく作品連載時と同じく1988年、舞台は東京の郊外であることは主人公の名前があっけらかんとしめしている。本作はほかにも、岡崎作品を同定する指標である音楽、ファッション、風俗への遊戯的な言及があり、そのことは文化系男女の共感の入口であるばかりか、作者の人間観ひいては人物造形の土台ともなる。事物性をつきつめたはてにあらわれるモノになった身体同士が擦れるさいにたてるあの乾いた孤独な音が岡崎京子の主調音であれば、それは1989年の『Pink』で剥き出しになり、このあたりを90年代のはじまりとするのが至当だが、すでにしてそれは1988年の『ジオラマボーイ・パノラマガール』に潜んでもいた。
 80年代から90年代へのグラーデションが『ジオラマ~』を彩っている。『リバーズ・エッジ』や『ヘルター・スケルター』など、映画にもなった後期の代表作と比して『ジオラマ~』には作家として洗練の課程で整理すべき雑多な要素が手つかずでのこっている。広津和郎なら散文精神とでも呼びそうなものと娯楽性の帳尻をどのようにあわせるか。瀬田なつき監督の『ジオラマボーイ・パノラマガール』にのぞむにあたって、私がもっとも興味をおぼえたのはその点だった。

 結論からもうしますと、瀬田なつきは原作の輪郭をなぞりながらも『ジオラマボーイ・パノラマガール』をまったく新しい物語に「再生」している。主人公の渋谷ハルコと神奈川ケンイチを演じるのは山田杏奈と鈴木仁。俊英ふたりの存在感には高校生の男女の出会いとすれちがい、恋や片思いといった一大事を描くにうってつけのみずみずしさがある。
 その一方で、物語の設定には異同がある。ハルコの苗字は津田沼から渋谷にかわり、彼らの生活圏もどこぞの匿名的な郊外から湾岸方面に移っている。そのことはスクリーンに映る光景が如実に物語るが、現在の空気と地続きの景色を前にして、私は90年代にはしぶとくのこっていた中心と周縁といった二項対立の枠組みがきれいさっぱりなくなっているのに気づいた。渋谷と津田沼は本来、パルコとパルコレッツ、ラフォーレ原宿とラフォーレ原宿・松山ほどの隔たりがあったはずだが、標準化の波にあらわれた世界における差異は類似性のバージョンとして誤差の範疇に収斂する。このことは些末なようでいて1990年代と2020年代の懸隔をみるうえで不可避であるばかりか物語の主題とも密接にかかわっている。なんとなれば『ジオラマボーイ・パノラマガール』とはタイトルがあらわすとおりトポスの物語なのである。

 原作の副題「“BOY MEETS GIRL!” STORY “IN SHU-GO-JU-TAKU”」もまた、作者がこの作品を場所性から構想していたことをほのめかす。むろん創作における構想などきっかけにすぎず、マンガも映画も、ときにそのことをわすれたようにすすむが、彼らがよってたつのもそのような場所であるのにかわりはない。作中では集合住宅に住むハルコと戸建て住まいのケンイチの対比が基調となる。では集合住宅と戸建てとのちがいとはなにか。この問いに橋本治は『ぼくたちの近代史』で家には外があるがマンションには内側しかない、と答えている。さらに家庭の主婦などはちょっとばかしカンちがいしているのかもしれないが、彼女らは家庭に仕えるのでも家庭というカテゴリーに仕えるのでもなく、「家」という建物に仕えている、と喝破するのである。
「家というものが町の中に、そのような置かれ方をしてしまっているんだから、家に仕えるしかないわけで、これを断つ為には家から消えるしかないってんで、俺もう、家なんか見るのもやだってマンションに行っちゃったのね、逃げるように。
 家っていうのは一つの観念なんだよね。この観念てのは、とっても土着的なもので、とってもオバサン的なもので、主人を待望するものでもあるけど、決して主人を存在させないようなもので、適応というものを強制するもの。「家庭が」じゃないのね。家ね。家という建物ね。建物が存在する為、存在するだけで、そこに意味というのが派生しちゃうから、家というものは、それだけの意味を持つのね」(橋本治/ぼくたちの近代史/河出文庫)

 橋本の論旨は戸建て住まいのケンイチの両親が不在のかたちで空位になっているところなど、物語の無意識をいいあてるかにみえる。「オバサン的」など、PC的にどうかなーといわれそうなものいいもあるにせよ、そこにはおそらく江藤淳が『成熟と喪失』でこころみたような家父長制分析への橋本からの柔和な回答の側面もあっただろう。本稿ではただでさえ広げすぎの風呂敷をこれ以上広げないためにもこの点は指摘するにとどめるがしかし、橋本の上の発言が1987年11月15日のものであることには留意すべきであろう。
 なぜ日づけまではっきしているかといえば、『ぼくたちの近代史』の元になった講演がこの日おこなわれたから。会場となったのはパルコやWAVEの親会社でもある西武百貨店は池袋店のコミュニティカレッジ、企画の担当者はカルチャーセンターに勤めていたころの保坂和志である。二度の休憩と三度衣裳替えをはさみ三部構成で都合六時間、しゃべりまくりだったという講演のテーマは多岐にわたる。先の発言があらわれるのは「リーダーはもう来ない」と題した第二部。ここで橋本は先の発言につづき「これ(家/筆者註)は何かに似ているって、実はこれ、「田舎」に似てるんだよ」とつづけている。なかなか刺激的な発言だが、そのことばはバブル期につきすすんだ80年代末の時代の空気をまとっている。そしてその空気はおそらく『ジオラマボーイ・パノラマガール』執筆時の岡崎京子が呼吸していたものでもある。
 都市が郊外にむけて自己増殖するような、80年末から90年代初頭にかけたうわついた感じはいまはどこにもない。瀬田なつきはそれらを二度目の東京五輪をあてこんだ2019年の再開発の風景で代用する。舞台が湾岸らへんなのはそのせいだろうが、その一方で橋本のいう「マンション(都会)vs家(田舎)」的な対立の構図もいまでは描きづらい。90年代から現在にいたる失われた30年は成長だけでなくそこから派生する都会や理想的な生活への憧憬をも阻害した。原作のハルコが嫌悪する生活臭も都心へのあこがれも当時よりはずっとうすい。閉塞感の質がちがうといえばいいだろうか、ケンイチは原作でも映画でもある日衝動的に学校を退学するが、そのような高校生はいまでは稀少な部類なのではないか。いまなら辞める前にひきこもるか不登校になる。時間の重み、いや刹那の質みたいなものがきっと変わったのだろう――そんなふうにも30年前に高校生だった私は思う。
 それらの変化にたいして場所性だけが例外というわけにもいかない。先に述べた『ぼくたちの近代史』の第二部「リーダーはもう来ない」につづく第三部を橋本は「原っぱの理論」と名づけている。橋本はそこで原っぱという社会がほしいという。世の中がいくら縮まってもみんなでつくる混沌を存在させる場所、町という秩序のなかにあって、私有権はありそうだけど世間の支配体制のおよばない子どもたちの社交の場のような。高度経済成長期はそんなのが近所のそこここにあった、昭和の最後にバブル景気がおこり、平成がはじまり時代が90年代にはいったころ、街中の原っぱは不動産になった。むろん拡張する都市は郊外をうみだしつづけその外殻には原っぱがある。とはいえ橋本のいう原っぱは阪神淡路大震災とオウム事件が分断する90年代の後半にいたって、岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で描く不吉なものが横たわる現実界にも似た境界域になった。

『ジオラマボーイ・パノラマガール』が描くそこからさらに四半世紀後の世界である。そこではファッションも音楽も流行も、村上春樹の受容の程度も十代の男女の性愛の経験値も90年代とはへだたりがある。日々の暮らしの平坦さひとつとってもそうだ。あの時代からこの方ずっと真っ平らな日々ばっかだったわけはない――、大袈裟にいうとそのことの希望も絶望も描くのが物語の再生であり、この文字面からしてめんどくさそうなことを瀬田なつきは『ジオラマボーイ・パノラマガール』でやってのけている。注目すべきは終始すれちがいつづけたハルコとケンイチがはじめて出会うマンションを建設中のタワマンに置き換えたところ。それにより瀬田は原作の主題は現代的にアップデイトし、あからさまな文明批評を回避する。ゴダール風の冥府降り(昇り?)や不法占拠のパンキッシュさは瀬田なつきと岡崎京子というふたりの作家が二重写しになる場面である。そのはてにあらわれるハルコとケンイチの対面の場面での山田杏奈の表情の変化はとても印象にのこった。このときのハルコの表情の変化には顔色が変わるという慣用句をこえて物語のそれまでの時間をひきうける輝きがある。また余談めいて恐縮だが、映画版は「パン屋襲撃」のくだりがないぶん、『東京ガールズブラボー』が自転車泥棒の逸話を援用している。ほかにも、おばあさんの魂がのりうつるというオカルト要素がUFO的なセカイ系の話に置き換わるなど、90年来来のファンには原作との異同をくらべる楽しみもあるが、私をふくめた古株たちは作中で大塚寧々が演じるハルコの母親と同じ場所にすでに退いているともいえる。小沢健二の「ラブリー」が流れる場面は1990年代(前半)と2020年の若者をつなぐ回路となるが、時間的にも空間的にも多層性を潜在させる世界を側面から支えているのは山口元輝の音楽である。映画音楽を手がけるのははじめということだが、クラブのくだりやエンディング曲など、懐の広さと作品との距離のとりかたなど、映画音楽作家の資質のゆたかさをしめしている。

映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』予告編

Park Hye Jin - ele-king

 2018年に「If U Want It」をリリースし、今年〈Ninja Tune〉からの12インチ「How Can I」が話題となったソウルのプロデューサー/シンガーのパク・ヘジン(박혜진)、この9月には〈Domino〉からブラッド・オレンジとの共作 “CALL ME (Freestyle)”も発表している彼女の緊急来日公演が決定した。12月18日@渋谷CONTACT、12月19日(土)@大阪BLACK CHAMBER。今後どんどん成長を遂げていくだろう彼女の現在を、この耳で確認しておくチャンス。しっかり感染対策しつつ、ぜひ会場へ。


世界が注目する新鋭パク・へジンの緊急来日が決定!
前売(限定枚数)の先行発売を開始!

박혜진 Park Hye Jin
and more

TOKYO | 2020/12/18 (FRI) CONTACT
OSAKA | 2020/12/19 (SAT) BLACK CHAMBER

今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのパク・ヘジンの緊急来日が決定!
2018年のデビュー以降、ベルリンのベルグハイン/パノラマ・バー、イビザのDC-10でのプレイ、そしてプリマベーラ・サウンドへの出演や〈88rising〉主催のフェスティバル『HEAD IN THE CLOUDS FESTIVAL』、さらにジェイミー・エックス・エックスとのロンドンでの共演など、瞬く間に活躍の場を世界へ広げていったDJ、ラッパー、シンガーソングライターとして活躍するパク・へジン。その後〈NINJA TUNE〉と契約し、今年6月にリリースした最新EP「How can I」は発売されるや否や世界中で完売店が続出。最近では、ブラッド・オレンジとのコラボ曲が発表されるなど、その勢いは止まることをしらない。主要音楽メディアやファッションメディアから称賛され、大きな注目と期待を集めている。これは見逃せない!

今回の緊急来日に合わせて、海外で制作され SOLD OUT となっていた「How can I」EPのジャケ写Tシャツを数量限定の再生産が決定! 本日より BEATINK オフィシャルサイトにて、受注受付スタート。商品は12月上旬より順次発送される予定。

How can I T-shirt のご予約はこちら
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11565

박혜진 Park Hye Jin - Can you (Official Video)
https://youtu.be/WUiapHwpEdc

Blood Orange & 박혜진 Park Hye Jin - CALL ME (Freestyle) (Official Video)
https://youtu.be/wPr8zRCQV10

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【東京】
公演日:2020年12月18日(金)
会場:CONTACT TOKYO (https://www.contacttokyo.com)
OPEN / START 22:00
前売:¥3,300 (税込) | 当日:¥4,000
※ 20歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。写真付き身分証をご持参ください。
※ You must be over 20 with photo ID.
INFO: BEATINK 03-5768-1277 [www.beatink.com] / CONTACT 03-6427-8107 [https://www.contacttokyo.com]

【大阪】
公演日:2020年12月19日(土)
会場:BLACK CHAMBER (クリエイティブセンター大阪 https://www.namura.cc/)
OPEN / START 15:00
前売:¥3,000 (税込) | 当日:¥3,500
※ 別途1ドリンク代金¥600必要
INFO:CIRCUS OSAKA https://circus-osaka.com

チケット発売:
先行発売:11/11(水)正午12:00〜
◆BEATINK (https://beatink.zaiko.io/e/ParkHyeJinJP2020)

一般発売:11月14日(土)〜
◆イープラス (https://eplus.jp/)
◆BEATINK (https://beatink.zaiko.io/e/ParkHyeJinJP2020)

企画制作:BEATINK

Gus Dapperton - ele-king

 弱さという壁を乗り越える方法を、NYの若きシンガーソングライター、ガス・ダパートン(Gus Dapparton)はどうやら知っているらしい。プロデューサーとしての才能も持つ優れた音楽性、特徴的な髪型やファッションセンスなど独自かつキャッチーなスタイルで各方面から支持を得る彼は、ポップ・アイコンの新星として光を浴びる存在だ。そんな彼の約2年ぶりのアルバムとなる最新作『Orca』は、ガス・ダパートンの影の側面、自身の内なる弱さと向き合おうとする姿がリアルに描かれている。

 最近ではニュージーランドのポップシンガー、ベニー(BENEE)とのシングル作 “Supalonely feat. Gus Dapparton” がヒットし、昨今を賑わすZ世代のアーティストとしてさらなる注目を集めるなかリリースされた本作。獰猛な哺乳類・シャチの名をタイトルに冠し、彼が過去に経験したトラウマや痛み、ツアー中に抱えたかつての苦悩と対峙しながら償いと赦しを探求していく……というテーマが全体を通して語られてゆく。そのテーマを生々しく強調したのは、デビュー・アルバム『Where Polly People Go to Read』でも際立っていた、耳を惹きつけるキャッチーな歌声だ。ベッドルーム・ポップ的な前作では語りかけてくるような印象だったが、今回は力強く振り絞り出したり、ときにはシャウトしたりとアグレッシヴな歌い方へと変化している。しっかりと聴かせにかかる歌声と、ギターやピアノなどの生音を取り入れたバンド・サウンドとの重なりには、ノスタルジックな切なさというよりも、まだ熱を持つ生傷に消毒液を垂らしたときのひりつきにも近い心のしびれを感じてしまった。

 サウンドと同様、ひりついた叫びや想いが生々しくいたいけに表れたリリック。それでも、楽曲からは孤独さや悲壮感といったネガティヴな印象が払拭され、むしろピュアなポップ・サウンドとして真剣に聴けてしまうのはなぜだろう。その理由は、メンタルに傷を負った自身と向き合おうとする姿と、周囲への感謝をストレートに歌った “First Aid” の終盤には彼の本名が第三者的に登場したり、“My Say So” では客演で参加した Chela が、まるで赦しを与えるかのように歌っていたり、幼少期の臨死体験が元となった “Post Humorous” のリリック・ビデオでは彼の友人らがリップシンクしていたりと、彼を支える多くの存在が本作を彩っているからであろう。人が弱さや苦しみを乗り越えるには、つらく険しい過程を共にするつながりの存在が欠かせないということを意味するかのように。そう気づかされると同時に “Medicine” “Swan Song” でクライマックスを迎えると、なんだか泣きはらしたあとの爽快感にも似た前向きで鮮やかな感傷が胸に残った。

 ガス・ダパートンはこんな場面でも、内なる弱さを乗り越えるためのもうひとつの方法を誰かに与えていたようだ。以前、とある TikTok スターが #BLM 運動の一環としてアップしたキング牧師からの引用キャプション付きの自撮りに批判が殺到した際、彼はこう呼びかけた。「Just because you caption your selfies with an MLK quote doesn't mean this isn't shallow as f**k. (自撮りにマーティン・ルーサー・キングの言葉を引用したからといって、これが浅はかでないという意味ではない)」。このかなり厳しいメッセージを受けた TikTok スターは、しでかしたことの重大さを受け止め謝罪し、世界が直面する問題に対し自ら深く学んだ上で声を上げていくと姿勢を改めたそう。彼の言葉がつながりとなり、ほかの誰かが抱える弱さを乗り越えようとさせたのだ。

 もうガス・ダパートンはただのポップ・アイコンの新星ではないのかもしれない。弱さを乗り越えた彼はいま、人びとから光を浴びる存在ではなく、人びとを光へと導くポップ・スターとしての輝きを新たに放ちはじめていると思う。

Eartheater - ele-king

 例年のようなお祭り騒ぎは見られなかった。仮装しているひとも少なめで、でも人出じたいは前週までの土曜よりも確実に増えていたように思う。つまり、やじうまが多かったということだろうか? 10月31日の夜、ハチ公前の風景。
 コロナ時代におけるハロウィーンはいったいどうなってしまうのだろう──なんて考えなくてもいいことを考えてしまったのは、彼女の背に生えた羽根に見とれてしまったから。他方で尻には火がついている。〆切でも迫っているのだろうか? これくらいはもうインスタ時代のスタンダードなのかもしれないけれど、ジャケがアルカばりにたいへんなことになっている(じっさい、フォトグラファーはアルカを撮ったこともあるダニエル・サンヴァルト)。わたしはじぶんのスタイルをカスタマイズする──かつてそう宣言した彼女らしいヴィジュアル表現だ。
 農場で育ち、馬を友とするアレクサンドラ・ドリューチンによるプロジェクト、アースイーター4枚目のアルバムは『不死鳥』と題されている。ずばり、再生の象徴だ。生物の屍体は土へと還り、またべつの生命の肥やしになる──と彼女は紙エレ23号のインタヴューでも語っている。そういう輪廻転生のような話に彼女は、どうしようもなく自己を重ねてしまうのだろう。
 過剰に視覚に訴えかけるアートワークや「わたしの肌にしたたる炎」なる副題からもわかるとおり、今回のアルバムはコンセプト的にかなり熱い1枚に仕上がっている。前作『IRISIRI』の「水」とは対照的だ。とはいえ溶岩や火山など、地質学的な対象から着想を得ているところは、相変わらず彼女が人新世的な音楽家でありつづけていることを物語っている。
 そんな本作のパッションをもっともよくあらわしているのは、キャッチーなメロディの映える “Volcano” だろう。「欲しいのはいい感じの激突」「山頂をさらに突き上げるために/黙れ/地震を引き起こせ、2枚のプレートのように/岩盤をずらせ/わが火山よ」なんて歌詞は──地震大国に暮らすわれわれには笑えない話だが──まるで蜂起を呼びかける革命家のようでさえある。山岳派、ドリューチン。

 ひるがえってサウンドのほうは、しかし、まったくといっていいほど熱気を感じさせない。むしろ「涼やか」と形容したほうがふさわしいムードに覆われている。ポイントは室内楽の導入だろう。じつはくだんの “Volcano” も、「プラグを引っこ抜けば究極の反ドラッグになるかも/むしろわたしはこっちの(アンプラグドな)生活の中毒」というフレーズではじまっている。これは、本作がエレクトロニクスよりもアクースティック・サウンドを主体としていることのメタ的な確認だ。
 前作やそれと同時期に制作されたミックステープ『Trinity』とは異なり、ここにはテクノのビートもなければトラップのビートもない。“Burning Feather” や “Kiss of The Phoenix” のようにエクスペリメンタルな電子音を聞かせてくれるトラックもあるにはあるが、ひたすら弦の反復で押し通す “Metallic Taste of Patience” なんかはストレートに「モダン・クラシカル」と呼ぶべき曲だろう。ヴァイオリン、チェロ、フルートを担当する楽団、ジ・アンサンブル・デ・カマラの貢献は大きい。“Below The Clavicle” などで挿入されるハープも本作に落ち着いた雰囲気をもたらしている。スペインのサラゴサで録音した影響なのか、いくつかの曲でギターがスパニッシュな響きを携えているのも聴きどころだ。
 もっとも注目すべきはやはり、ドリューチンの声ということになるのだろう。ときにやさしく囁くように、ときに叫ぶように、曲ごとに不安定な表情を見せる彼女のヴォーカルは、「涼しげな」室内楽サウンドとは裏腹に、どこまでも激しく燃え上がり死の淵から蘇る、不死鳥の葛藤を表現している。このアンバランスこそが本作のキモだ。
 前作で高い評価を獲得したがゆえに、尻に火がついてしまったドリューチン。きっとこんなふうに彼女はこれからも都度、おのれのスタイルをカスタマイズしていくにちがいない。

Laura Cannell - ele-king

 相変わらず美しく、そして深みのある音楽だこと。心が嬉しくなるとはこういう音楽のことだろう。
 ローラ・キャネルはイギリスのヴァイオリン奏者であり、インプロヴァイザーである。オリヴァー・コーツの新作のように、キャネルの作品もまずはその音(トーン)によって決定する。それは忘れがたいトーンで、あまりに独自なトーンと響きゆえに、一瞬にしてその場の空気を変えてしまう。あるいはまた、静かで情熱的で、ぎょっとするような強度のある倍音を有している。それはまるで、彼女が自然界と話しているかのような、ある種の言語に思える。
 曲のなかには、ヨーロッパ各処の中世の音楽、スティーヴ・ライヒ風のミニマリズム、レデリウス的な室内楽が混ざっている。とくに近代以前の古いもの──国家がとくに誇りとしていないような、中世の旋律や民謡など──を掘り起こすことは、キャネルのおそらく全作品に通底するコンセプトだ(松山晋也氏なら、この曲は地中海のあのエリアで、この曲は東欧のどこそこで、などと言い当てられるかもしれない)。
 そして場所。
 2014年の実質的なソロ・デビュー作『Quick Sparrows Over The Black Earth』によって注目された彼女は、場所を選んで演奏し、録音している。どこでもいいわけではない。2016年の『Simultaneous Flight Movement』は海沿いの灯台で、2017年の『Hunter Huntress Hawker』と前作『The Sky Untuned』は小さな村の古く荒廃した教会で、今作『The Earth With Her Crowns(彼女の冠をした地球)』は水力発電所で演奏し、録音した。場所もキャネルの作品においては、いわばメタレベルでの楽器である。
 
 クワイエタスはキャネルの音楽を“エイシェント・フューチャリズム(古代・未来主義)”と呼んでいる。以前書いたことの繰り返しになってしまうが、最近は、アイルランド出身のアーニェ・オドワイアー(Áine O'Dwyer)、あるいはアースイーターなんか、エイシェント・フューチャリズム的なアプローチをする人が目につくようになった。自然現象と過去への畏敬の念、そこに未来(それは手法的な未来でもあり、必ずしも楽天的ではない未来である)が絡み合う、強い主張のこもったヴィジョンが空の彼方まで広がる。ちなみに、エイシェント・フューチャリズムの始祖をひとり挙げるとしたら、ぼくはサン・ラーだと思う。

 『The Earth With Her Crowns』はリリースされてからすでに数か月が経っているのだが、初夏、真夏、そして秋から冬へと、ぼくは前作同様このアルバムを部屋のなかでなんども聴いている。彼女の高度な演奏技術ゆえに、曲はオーヴァーダブしたかのように聴けてしまうけれど、すべては彼女ひとりによる即興で、驚くべきは、すべては一台のヴァイオリン(そしてリコーダー)によって演奏されている。
 ローラ・キャネルの演奏は、そしてきわめて詩的で、記憶を反響させ、閉ざされた思いを解放するかのようだ。そう、だからためしに空を眺めながら聴いて欲しいですね。胸の奥から得も知れない感覚がこみ上げてくるだろう。

Jam City - ele-king

 ジャム・シティことジャック・ラザムが帰ってきた。2015年の『Dream A Garden』から5年、ついに新たなアルバムが送り出される。タイトルは『Pillowland』、発売は来週11月13日で、今回は〈Night Slugs〉ではなく自身のレーベル〈Earthly〉からのリリースとなっている。
 プレスリリースによれば、疑念と痛みと混乱と変化に満ちた自らの生活に向きあった結果、アンフェタミン漬けで甘~いポップの夢景色のなかに逃避した内容になっているらしい。ふむ。楽しみに来週を待とう。

Jam City
Pillowland

Earthly

01. Pillowland (2:28)
02. Sweetjoy (2:50)
03. Cartwheel (3:38)
04. Actor (2:01)
05. They Eat The Young (2:30)
06. Baby Desert Nobody (1:32)
07. Climb Back Down (3:26)
08. Cruel Joke (4:50)
09. I Don't Wanna Dream About It Anymore (5:05)
10. Cherry (4:05)

Written & Produced by Jam City
Mixed by Liam Howe and Jam City
Mastered by Precise
All artwork by Jakob Haglof
All photography by Sylwia Wozniak

https://pillowland.org/

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