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昨年2023年、15年ぶりの新作『Everis』をリリースした東京出身のエレクトロニカ・アーティストのアウス(ヤスヒコ・フクゾノ)が、前作から僅か一年にして、はやくも新作アルバム『Fluctor』を私たちの元に届けてくれた。
前作『Everis』ではモダンなエレクトロニック・ミュージックを展開し多くのアウス・ファンを喜ばせてくれたが、本作『Fluctor』はストリングスやピアノなどを用いたクラシカルな音楽性を展開する。どうやら映像作品につける音楽がベースになったようで、そこから自身のピアノと高原久実のヴァイオリンを中心としたクラシカルな室内楽へと再構築していったらしい。美しい響き、メロディが横溢し、彼の作曲家・編曲家としての才能が十二分に展開したアルバムといえる。
ゲストにはエスパーズ(Espers)のメグ・ベアード、アンビエント・アーティストとしても知られるジュリアナ・バーウィックを迎え、くわえて旧東ドイツ出身のピアニスト/作曲家ヘニング・シュミート、マンチェスターのチェロ奏者ダニー・ノーベリー、グリム、横手ありさ、元シカーダのユニス・チュン(Eunice Chung)など、ポスト・クラシカル界隈の名手が多く参加している。
多くのゲストが参加している『Fluctor』だが、前作以上に「作曲家アウス=ヤスヒコ・フクゾノ」の側面が全面的に展開したパーソナルな音楽作品のようにも感じられた。旋律、響き、音、残響。そのすべてに彼の美意識と意志が流れている。
それは何もクラシカルな作風だからというわけではない。そうではなくて、ここには音楽家の耳と魂のありうようがピュアに展開されているように感じられたからだ。アウスの旋律と和声の感覚がまるで透明な水のように展開しているのだ。
その意味では前作以上に2006年のエレクトロニカの名盤『Lang』を聴いたときの印象に近いものがあった。もちろん本作にビートは入っていないし、グリッチ的な音響処理も最小限だし、なによりサウンドが異なる。それなのに『Lang』を聴き終えたような感覚を持ったのだ。なぜだろうか。
それは本作に満ちた透明な光のような「清涼感」にあったように思える。本作はクラシカルでミニマルな作風・サウンドゆえにアウスの本質である「透明な清涼感」が全面化しており、それゆれ彼のエレクトロニカ・サウンドの代表作『Lang』に横溢していた「清涼感」と共振するような感覚を得たのである。
もちろん同様の感覚は15年ぶりの新作でもあった前作『Everis』にもあったが、より混じり気の少ないクラシカルな編成の本作には、彼の作曲家としての本質が、まるで透明な結晶のように全面に出たのではないかと想像してしまうのだ。
1曲目 “Another” が流れだした瞬間、その澄んだ響きに恍惚となってしまう。2曲目 “Dear Companion” はメグ・ベアードをヴォーカルに迎えたピアノとヴォーカルと弦によるしっとりとした美しいフォーク・ミュージックだ。シンプルなポスト・クラシカル風ではあるが、弦楽器のレイヤーの感覚にエレクトロニカを経由したサウンドを聴き取ることができる。
3曲目 “Stipple Realm” は一転して軽快かつミニマルなピアノの旋律から始まる。そこに細やかなサウンドが折り重なり、エレクトロニカとクラシカルが融合されていく。
4曲目 “Silm” も同様にミニマルなピアノに微細な音響と弦楽器が美麗に折り重なっていく曲。ピアノと弦によるアンサンブルに環境音や高音域の電子音がレイヤーされていく。その精密にしてエモーショナルな音楽世界は、まさにアウスの音楽だ。
以降全12曲、アルバムはピアノと弦楽器と電子音の繊細なレイヤーと大らかな旋律を反復することで展開する。じっと聴きこんでいくと音楽による本当の「安息と平和」を感じ取ってしまう。世界中探してもこれほど穏やかな音楽は稀ではないか。
もちろん現実から目を背けているわけではない。悲しいことや辛いことがある世界を十二分にわかった上で(彼の奏でる旋律には微かな悲哀がいつも流れているのだから)、アウスは、穏やかな安息を心から希求している。
その意味で本作を代表する曲は、ジュリアナ・バーウィックが参加した6曲目 “Circles” ではないかと思う。まるで聖歌隊のようなジュリアナ・バーウィックのコーラス、美しさと安息と喜びと微かな悲哀が入り混じる美しい弦の旋律、澄み切ったピアノの和声、電子音がドラマチックに折り重なり、聴き手の感情を音楽の波の中に連れて行ってくれる。
この6曲目以降、アルバムは次第に現実から浮遊するように音はよりシンプルにミニマムになっていくだろう。そして12曲目 “Ancestor” でアルバムが穏やかに幕を閉じるのだ。聴き終えたものは、まるで耳が浄化されたような感覚を持つだろう。
この浄化してくれそうなほどの「清涼感」こそ、アウスの音楽の本質ではないかと私は思う。これは彼の音楽すべてに共通する。音楽の形式は変わっても、長い時を経ても、その本質は変わらない。彼の音楽には類稀な清涼感がある。純粋さと言い換えてもいい。本作にはそれがもっとも美しい形として結晶しているように思えた。これから長い時間をかけて多くの人の耳と心を潤してくれる作品となるだろう。
デンシノオト