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ウィリアム・ジンサー

ウィリアム・ジンサー

『イージー・トゥ・リメンバー~アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』

関根 光宏・訳  国書刊行会

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萩原健太   Jan 27,2015 UP

 ボブ・ディランやビートルズが音楽シーンにもたらした新たな衝撃というのはいろいろある。中でも、自作自演という価値観。これは大きかった。その辺を詳述し始めると大変な文章量になってしまうかもしれないので、ざっくりいきますが。

 今では誰もが当たり前のように思っている自作自演という方法論。もちろんそれ自体、けっして悪いことではなく。むしろ、それが定着したことで音楽はそれまで以上に自由な表現を獲得したわけで。大いに歓迎すべき変化ではあったのだけれど。ただ、そんな変化の中でぼくたちは大切な何かを見失いがちになってしまっているのではないか、と。そんなふうにふと思うことがあるのだ。
 それは、楽曲そのものの魅力。誰が歌っているのか、どんなアレンジが施されているのかなどとは関係なく、歌詞とメロディだけを聞いて、ああ、いい曲だなぁ…と、しみじみ思える感触。自作自演系のアーティストが赤裸々に私小説的な心情を吐露するパーソナルな表現ではなく、作詞作曲のプロフェッショナルが普遍的なテーマのもと、職人技を駆使して紡ぎ上げた豊潤で味わい深い表現、というか。そういう楽曲に近ごろあまり出会えなくなってしまった気がするのだ。淋しい。
 そして、ぼくは1930年代、40年代のアメリカン・ポピュラー・ヴォーカリストたちの歌声へと立ち返る。必要以上に自意識の強いフェイクをこれ見よがしに繰り出すこともなく、あえて原曲とイメージの違う奇をてらったアレンジを施すこともなく、コール・ポーター、アーヴィング・バーリン、ホーギー・カーマイケル、アイラ&ジョージ・ガーシュイン、リチャード・ロジャース&ロレンツ・ハート、ジョニー・マーサーといった名ソングライターたちが作り上げた名曲の深い歌詞と豊かなメロディをありのまま、淡々と歌い綴ってくれる、たとえば男性歌手でいえばビング・クロスビーやフランク・シナトラ、女性歌手であればルース・エッティングやドリス・デイなどの優しく気品のある歌声に接して淋しさをまぎらわすのだ。癒されるのだ。
 そんなぼくのような音楽ファンにとって、本当にうれしい手引き書となってくれそうな一冊がウィリアム・ジンサー著『イージー・トゥ・リメンバー~アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』だ。1922年、ニューヨーク生まれのノンフィクション・ライターである著者が、ここで愛情たっぷりに語っているのは20年代から50年代まで、ロックンロールという新種の若者音楽が本格的に世を席巻する前までのポピュラー音楽のこと。“本書は、わたしとアメリカン・ポピュラー・ソングとの生涯にわたるロマンスの物語である”。著者は冒頭でそう宣言し、主にブロードウェイやハリウッドを賑わしたミュージカル音楽、あるいは映画音楽への限りない愛を綴っていく。
 といっても、本書がスポットを当てているのはそれらを歌った歌手ではない。ここが最大のポイント。著者の眼差しは、そうした名曲群を紡ぎ上げたソングライターたち、あるいは楽曲そのものに注がれている。ソングライターたちのバイオグラフィ的な情報はもちろん、語感や響きも加味しながらの精緻な歌詞の解析、転調やコード進行を細かく描きながら叙情的に綴られる楽曲解説など、著者が提供する様々な切り口を通して当時の音楽に接し直してみると、すでに知り抜いていると思っていた無数のスタンダード・ナンバーでさえまた別の輝きを帯びて聞こえてくるのだ。なんだかうれしくなってしまう。

 ニューヨークのマンハッタンに“ティン・パン・アレー”と呼ばれる地域があって。もともとはブロードウェイ28丁目付近。その後、ご存じタイムズ・スクエアのあたりに北上してきたのだが。そこには20世紀初頭から多くの音楽出版社や楽器店、楽譜店などが軒を並べていた。まだレコードという音楽メディアが一般に普及する前から、音楽を広めるための最大のメディアだった楽譜を売るために、“ソング・プラッガー”と呼ばれる連中が客相手に一日中、ビルの軒先で、あるいは接客用の小部屋で、ピアノを弾き、歌い、自分たちが扱っている楽曲をアピールしていた。その様子がガチャガチャとうるさかったことから、擬音を使って、“ガチャガチャうるさい地域=ティン・パン・アレー”と呼ばれるようになったわけだけれど。このエリアで、多くの素晴らしいソングライターたちが、次々と流れ作業的に新曲を作ってはレコード会社や映画、ミュージカルに売り渡していたころの活況を本書で追体験できる気がする。なんとも魅力的なタイムスリップだ。
 後ろ向き? いや、どうだろう。過去に眠る名曲たちとの新たな出会いだって、それが今の自分の耳に新鮮に響くのであれば間違いなく現役の音楽だ。いろいろな意味で閉塞感が漂う最近の音楽シーンの中でなんとなく迷いを感じている方がいらっしゃるようならば、試してみるのも悪くない一冊だと思う。なんたって、ボブ・ディランがフランク・シナトラのレパートリー10曲を真っ向からカヴァーした新作アルバムを出す時代なんだから。過去にだって、未来に負けないくらいたくさんの“未知のロマン”があるのだ。

萩原健太