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追悼:KAGAMI

追悼:KAGAMI

文・写真:渡辺健吾 Jul 06,2010 UP

2010年5月25日、多くのひとに愛されリスペクトされたKAGAMIこと加々美俊康くんが突然この世を去ってから、はや1ヶ月以上の時間が経とうとしている。あまりにショックで、混乱し、葬儀のあともなかなか自分自身にフォーカスを戻すことができない日々がつづいたが、ようやくこうやって、彼のことをまとめて振り返ろうかと思うことができるようになった。

 実際のところ、2005年に3枚目のアルバム『SPARK ARTS』をリリースして、フロッグマンから独立して以降はKAGAMIとじっくり話したりする機会はほとんどなかった。だから、僕の知ってるのは、まだ18歳の学生で右も左もわからないくせにやけに自信だけはあったころから、ある程度コマーシャルな成功を経験して、これから第3のステップに移行するにはどうしたらいいだろうか、と考えているような時期までのことだ。ただ、95年のデビューから05年までという濃密な10年、とくに彼にとっては多感で重要な10年をいっしょに過ごせ、彼を通してでなければ絶対に見られなかったし経験できなかったことを、僕らにいっぱい与えてくれたことには、改めて感謝したいし感慨をおぼえる。
 2010年5月25日、多くのひとに愛されリスペクトされたKAGAMIこと加々美俊康くんが突然この世を去ってから、はや1ヶ月以上の時間が経とうとしている。あまりにショックで、混乱し、葬儀のあともなかなか自分自身にフォーカスを戻すことができない日々がつづいたが、ようやくこうやって、彼のことをまとめて振り返ろうかと思うことができるようになった。

 KAGAMIとの出会いの話は何度も書いたし話したけれど、もしかしたら後年彼のファンになったような人の目には触れてないかもしれないので、再度そこから話をはじめよう。
 1995年、アシッド・ハウス復興やジャーマン・トランスの栄華、デトロイト・テクノ再評価~インテリジェント・テクノ流行みたいないっさいの流れを嘲笑うかのように、突如グリーン・ヴェルヴェットに代表されるシカゴ発のチープで狂ったダンス・トラックがフロアを席巻した。トランスを作ろうとして、ヤマハのQY20(入門者向け格安シーケンサー)とモノラル音源のサンプラーしか持っていないから似ても似つかない音しか出せなくて悩んでいた加々美くんは、シカゴのチープでプアだがファニーで踊れる音が耳に入って、「これなら僕にも作れる!」と俄然やる気を出した。そうしてできたのが、デビュー曲となった"Y"だ。
 当時、まだ日本では踊れるトラック、DJ向けのツールを積極的に作ろうというアーティストはほとんどいなかった。水商売的な部分のつきまとうDJとオタク的な内向性をもった打ち込みをやる人のあいだには、相当深い溝があった。だからこそ、僕らは加々美くんのデモを聴いて狂喜した。ヒデキや「フロッグマンだからカエルだろ」という安直でしかし誰の真似でもないネタをそのままフックに持ってくるストレートさ。ただの4つ打ちではない複雑でファンキーなリズム、荒削りだけどパワフルで、きっとアナログにしたらレコード屋で売ってる「いまいちばんホットな曲」とミックスしても負けてない音。どれもが新鮮で、興奮させられた。しかも、連絡してみると、まだ18歳だという。そうして、加々美くんはKAGAMIとなって、異例のスピードでデビューすることが決まった。

 2枚目のシングルは、「Beat Bang EP」と名付けられた。アナログの盤面には、KAGAMIが全部手書きしたテキストとカエルが泳いでいるイラストが添えられている。Beat Bangというのは「ビート板」のもじりで、なぜビート板にこだわったのか忘れてしまったけど、そのネーミングにも独自の論を切々と話してくれた(この曲のシリーズに色がついてるのは、戦隊モノへのオマージュ)。そもそもこのシングルのリード・トラックは、TM Revolutionのリミックスという大仕事が入ったときに、好き勝手やりすぎてNGを喰らい、そこから声や原曲の要素をすべて排して作り直したものだった。プロのエンジニアとスタジオでの作業というのを初めて経験して、KAGAMIも気合いが入っていた。
 当時ジョシュ・ウィンクとかやたらに流行っていた長~~~いブレークがあってその後大盛り上がりのピークに持っていくという手法をここでもやっているんだけど、"Beat Bang Blue"の狂気のブレークは、どんなパーティでもフロアを爆発させる力をもっていた。よく覚えてるのが、96年の夏にベルリンでTOBYがオーガナイズしたパーティでDJさせてもらったときのことで、90分の持ち時間のピークで僕はプラスティックマンの"Spastik"とこの曲を使った。終わったら、興奮した現地の若者が駆け寄ってきて「すごい良かった! 次はいつプレイする?」って訊いてくれて嬉しかった。そんなことがあって、KAGAMIというアーティストは海外でも通用する曲を作れる。もっと売り込まなくちゃという思いを強くしたんだ。

 ただ、実際には多くのDJがKAGAMIに目を向けてくれたのは、1998年のファースト・アルバム『The Broken Sequencer』だった。例えば、カール・コックス。あれはたしか、カールが〈Yellow〉でプレイした日だった。少し早めに〈Yellow〉に行って、プレイ前にバーでくつろいでいたカールを見つけて話しかけると、彼は当時かなり珍しかった日本のアーティストのレコードに興味を持ってくれた。白盤だから手書きの曲名しかなかったわけだけど、KAGAMIの独特のセンスが輝く曲名はカールに大受けで、「Elefant's Discoとか、なにこれ? 最高だな」と腹を抱えていたのを思い出す。その晩、事前に聞いていたわけでもないそのアナログの曲がいきなり2曲もかかるとは思ってもみなかった。その後も彼はこのアルバムをお気に入りにして世界中でプレイしてくれたようで、自らのDJチャートの1位に選んでくれたりBBCの名物番組「Essential Mix」でもプレイリストに挙がって、それをきっかけにUKや欧州のひとからも問い合わせが来るようになった。
 トーマス・シューマッハは"Beat Bang Black"をえらく気に入って、自分のレーベル〈Speil-Zeug Schallplatten〉でライセンス・リリースしてKAGAMIが本格的にドイツで認められるきっかけを作ってくれたし、ヘルはそのアルバムを丸ごとライセンスしたいとまで言ってくれた。たしかあのとき、ヘルは日本に来る飛行機でレコードを紛失して、急遽テクニークでレコードを買い漁っていて『The Broken Sequencer』を見つけたんだと言っていた。ヘルもそのとき一晩で何曲もKAGAMIの曲をプレイしていて、まぁそういう緊急事態だったとはいえ、すごく驚いた。
 実はあの2枚組アナログ、ヘルもドイツでは買えないと思い込んだほどだし、大半が日本で売れて、欧州ではかなりコアなひとたちが買ってくれただけだった。でかいところだしと安心して任せたドイツのディストリビューター〈EFA〉(04年に倒産)は、実際のところなんの宣伝も売りこみもしてくれなかった......アーティストが現地で活躍してるわけでもなく、レーベル側でもプッシュする人間が誰もいないという状況でしっかり売ってもらおうというのが無理な話だったのだ。ただ、そんな盤をちょこちょこ使ってくれて、日本で知名度をあげてくれたのは石野卓球だった。
 当時卓球は、J-Waveのラジオ番組でDJミックスを流していたんだけど、そこで自分の曲がかかった! ってすごく喜んでいたKAGAMIの顔はいまでも忘れられない。それ以前はあまり意識してなかったけど、KAGAMIも思いっきり電気グルーヴ直撃世代であったのだ。たぶん、僕や佐藤大が電気のふたりとかなり近い間柄ということもわかっていたから、あえてそういう話を自分から積極的にする機会は多くなかったのだろう。まさかそのころは、KAGAMIが電気グルーヴのステージに立ったり、リミックスを依頼されたりするようになるなんて、誰も思ってなかった。世界のトップDJたちに絶賛されることより、石野卓球や電気グルーヴと接点ができる方がよほど「夢」みたいな話だったんだ。

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渡辺健吾渡辺健吾/Kengo Watanabe
雑誌版のele-king初期編集部員であったことは遠い昔の記憶…。不惑を迎えてもストレートな4つ打ちで夜通し踊ることに幸福を感じるアッパー体質。近況はこちらをドゾ。http://www.twitter.com/ken_go/

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