「ボリス」と一致するもの

interview with Sleaford Mods - ele-king

 「まったく国民に自粛を押しつけといてさ」、いきつけのクリーニング屋の親仁は吐き捨てるように言った。「あいつらは好き勝手やってんだよ、とんでもないよね」。昨年末のことである。かれこれ10年以上世話になっている個人経営の店の、もう白髪さえ頭にまばらなこの爺様とは、いままでずっと天気の話しかしてこなかったから、突然の政治的憤怒にはフイを突かれる格好となった。ええ本当にそうですねと、そのぐらいの言葉しか返せなかったが、あんな温厚な年寄りさえも怒っているのだと念を押された思いだった。
 このところニュースは、失業者、ホームレス、そして自殺者について報道している。コロナ第三波に対してとくになんの対策もなく、意味のある支援策も解雇防止策もないまま、だらだらと非常事態宣言がでたばかりだ。ニュースはそして最近では、トランプの信じがたい暴力的な脅しを報じている。この一大事に、他の先進国と違って我が国の政治リーダーはコメントすらできないようだが、まあ、ワシントンの議事堂における支持者たちの暴動では、警察の対応がBLMデモとは明らかに違っていることを世界に見せてしまったと。その点でもBLMの成果はあったと言えよう。だが、あの憎しみや怒りは、ぼくがアリエル・ピンクのCDをたたき割って捨てたところでは、とうてい消えはしない根深いものであることを知らしめてもいる(ジョン・ライドンに関しては……紙エレ年末号をどうぞ)。
 さっきからテレビの画面では飲食店の店主たちが悲鳴をあげている。一家の稼ぎ手がまたひとり職を失っているときに自助(自分でなんとかせぇ)を第一とする菅政権は、就任以来中小企業の事業再構築をうながしているが、これは中小企業の何割かの淘汰を意味している。こんな与党を前に野党はいまもって存在感を示すことができず、その支持率は一向に上がらない。いま、目の前にあるのは幻滅ではない、絶望だ。

バズライトイヤーの髪型をしたおまんこ野郎が
労働者たちを呼びつける
自分の将来について考えたほうがいい
自分の首のことを考えたほうがいい
仲間を作ることやクソな髪型について考えたほうがいい 
俺は25セントのパスタと
スミノフの温かいボトルの夢を叶える
“Fizzy”

 ポップ・ミュージックにできること。気張らし。慰め。逃避。夢。熱狂。ダンス。カオス。笑い。快楽。幻覚。励まし。内省。趣味の競い合い。性の解放。愛の増幅。社会参加。孤独な魂に寄り添うこと。批評。罵倒。失意。絶望。悲しみの共有。挑発。炎上。攻撃。ヒーローはいつだって私をがっかりさせる。異議申し立て。疑問。気づき。目覚め。言いたくても言えないことを言うこと。頭のなかの革命。

俺はなぜ、穿いているブーツの二の次なのか?
俺はなぜ、着ているコートや髪型の二の次なのか?
俺はなぜ、自分の車の二の次なのか?
腕時計やジーンズ、ポロシャツよりも下
“Second”

 スリーフォード・モッズは、間違いなくいまもっとも面白いバンドのひとつである。その立ち振る舞い、音楽性、言葉、ユーモア、見た目、政治的スタンス、勇気、ぶち切れ方……スリーフォード・モッズは怒りにかまけて理想を忘れるようなことはしない。ものごとは昔よりも複雑化している。だからスリーフォード・モッズは走っているが、ただ走っているわけでも、考えてから走っているわけでもなく、調査し、挑発し、不条理を受け入れて、真剣に考えながら走っている。ザ・KLFが、ポップ・ミュージックがその随所に渡って市場化され、金が神となった現代を見据えながら象徴的な意味合いとして100万ポンドを燃やしたのだとしたら、そのがんじがらめの資本主義リアリズムのなかで目一杯ジタバタして、泥にまみれてもがいているのがスリーフォード・モッズだ。彼らは、地元の保守的なコミュニティにも、居心地良さそうなリベラルのコミュニティにも属さない。言うだけ言って、やるだけやってやろうという腹づもりなのだろう。
 また、いまのような時代ではスリーフォード・モッズには希少性という価値まである。パンク・アティチュードはほかにも、たとえばシェイムのような若いバンドストームジーのような賢明なるMCにもあるのだろう。だが、ジェイソン&アンドリューというふたりのおっさんがそのなかで際だった存在であることは間違いない。昨年もロックダウン中にUKで起きた介護者への国民からの讃辞に対して、こうした美談は政府の怠惰を隠蔽すると発言したことで、当たり前だが物議を醸し、また、「階級の盗用」だとアイドルズを大批判したビーフはファット・ホワイト・ファミリーまで巻き込んでの騒ぎとなった。
 それで、まあ、スリーフォード・モッズは進化しているのだ。新作『スペア・リブズ(Spare Ribs)』には、まずはサウンド面の変化がある。『オースタリティ・ドッグズ(Austerity Dogs)』の頃のモノクロームな煉獄ループに比べると音色も多彩で、曲もずいぶん親しみやすくなっている。セックス・ピストルズやストゥージズの幻影も霞んではいるが、ドイツの冷たいエレクトロや後期ザ・スペシャルズ風な内省とメランコリーもあったりで、曲のヴァリエーションが増えている。とはいえ、ジェイソンの激怒するヴォーカリゼーションとアンドリューのミニマルなトラックが古き良きロックに回収されることはない。

 UKのモッド・カルチャーとは、本来の意味を思えば60年代回帰のレトロ志向のことではないはずだ。あれはモダンな(新しい)ものを好み、たとえば最先端のUSブラック・ミュージック(ないしはUK移民の音楽=レゲエ)を愛好する尖った文化だった。ノーマティヴな社会に溶け込みながら、人とは違った趣味を持ち、人とは違った方法で自分をしっかり着飾る文化。ジェイソンも服が大・大好だが、彼はウータン・クランに触発されたあくまで現代のモッドである。ポップ・ミュージックにできること。いまリアルに起きていることのレポート。

ここにアンセムなどない
あるのはコンクリート
チップス
汚れたソーセージ
3ポンドの花束
“The Wage Don’t Fit ”

 スリーフォード・モッズはイギリスのノッティンガムの、ジェイソン・ウィリアムソンいわく「レイシストだらけ」の保守的な街で誕生した。2006年のある日のこと、パジャマ姿のまま近所に発泡酒とチョコバーを買いに行ったときにアイデアが閃いたという。ちなみにその名前だが、彼らがスリーフォードという土地に縁があるわけではない。ただその響きが良かったから採用したという。
 ジェイソンは、他人の曲をループさせたトラックに自分のラップをかぶせるという初期スリーフォード・モッズのやり方で地元のスタジオエンジニアと4枚のCDR作品を出している。昔はストーン・ローゼズやオアシスが好きだったというジェイソンだが、彼が自分のパートナーに選んだのは地元のDJ/プロデューサーで、ソロでは荒涼としたエレクトロニカ作品を多発しているアンドリュー・ファーンだった。長身で痩せこけたアンドリューと5枚目のCDR作品を作ると、2013年には正式なアルバムとして『オースタリティ・ドッグズ(緊縮財政の犬たち)』をリリースする。時代をみごとに捉えたその勇敢で独創的な音楽はWire、NME、ガーディアン、Quietusなどなど、イギリスの有力メディアからいたってシリアスに、そして知的に評価され、翌年の『ディヴァイド・アンド・イグジスト(分断と出口)』にいたってはマーキュリー賞にもノミネートされた。(いまではブリストルの巨匠マーク・スチュワートからロビー・ウィリアムスのようなセレブにまで愛される人気バンドになったが、曲の歌詞でNMEをバカにしたので、同メディアが選ぶ最悪なバンドの1位にもなっている
 スリーフォード・モッズはその後3枚のアルバムを出している。2015年の『キー・マーケッツ』、2017年には〈ラフトレード〉から『イングリッシュ・タパス』、2019年には自分たちのレーベル〈Extreme Eating〉から『イートン・アライヴ』。再度〈ラフトレード〉からのリリースとなる『スペア・リブズ』は、昨年話題となったベスト盤『オール・ザット・グルー』を挟んでのアルバムで、ロックダウン中に録音された。まるでDAFのようなエレクトロなミニマリズムとともに『スペア・リブズ』はこんな風に、失意と疲弊感からはじまる。この気持ちは我々日本人もシェアできるのではないだろうか。

俺らみんなが保守党に疲れている
そのせこさにやられている
浜辺はファックされ、波もないから
ここじゃもう誰もサーフィンしない
“The New Brick”

 

イーノは全然好きじゃない。彼は、俺のハマってる連中の多くにすごく影響してきた人なわけだ。でも俺自身は一切影響を受けてない。彼にはまったく興味を惹かれたことがないな。だってさぁ、あのみてくれだぜ(笑)。

新作、とても楽しませていただきました。音楽的にヴァリエーションが増えたことで、歌詞がわからずとも楽しめます。ある意味アクセスしやすい作品だなと。

JW:(うなずきながら)うん、それは間違いない。

ロックダウン中に『スペア・リブズ』の録音に取りかかったそうですが、最近はどんな風に過ごされていますか?

JW:うん、なんとかやってる。ポジティヴであろうと努めているし……かなり妙だけどね、ただじっとして、働かずにいるってのは。いやだから、ギグをやれないわけでさ。でも──うん、俺たちは大丈夫だよ。とにかくいまは、他の多くの人びとに較べりゃ自分たちの状況はずっとマシなんだし、常にそれを思い起こすようにしなくちゃいけないな、と。

日々、読書や映画鑑賞に明け暮れているとか?

JW:(笑)いやぁ、俺は読書が苦手でさ。マジにからっきしダメな読み手だよ。もっと本を読めればいいなとは思うけど、ほら、自分はものすごく──これ(と携帯をカメラにかざす)の中毒なわけで。

おやおや。

JW:(携帯スクリーンを猛スピードでスクロールするふりをしながら)ピュッピュッピュッピュッ! 始終そんな感じで、何か見て「おっ、すげえ!」みたいな。わかるだろ? うん、よくないのは自分でもわかってるんだけど。それ以外だと、俺は子持ちだから、父親業だね。子供の面倒をみて過ごしてる。そうやってとにかく心持ちの面で忙しさを保とうとしているし、クリエイティヴな面で言うと、アルバム(=『スペア・リブズ』)以来、自分は実際何もやってないな。それでも何やかんやと時間はふさがっているし、きっとそれは親だと忙しいってことだろう。

あなたがフランクフルト学派やマルクーゼを読んでいるとどこかの記事で見かけたんですけど、それは本当ですか? たしか『一元的人間』を読んでいる、とのことで。

JW:ああ、とてもいい本だ。あれは助けになったというか、本当に影響された。そうは言っても1、2章かじった程度だけどね、(顔をしかめながら)すごく、すご〜く難解でおいそれと読めない本だから。ただ、あれを読んだおかげで自分はものすごくこう──目覚めさせられたっていうのかな。この……国による支配ってものから、資本主義の抑圧から、我々は決して自由になれない、という観念を意識するようになった。彼らがこちらを欺き、資本主義の経済モデルに一生貢献し続けるように我々をだます、その様々なやり方からね。

でもほんと、その管理・抑圧からは逃れられないですよね。たとえば、こうしていま素晴らしいテクノロジーを使って取材していますが、これですら資本主義モデルに準じた一種の社会的なコントロールじゃないかと感じることがありますし。

JW:うん……。だけど、と同時に俺はそれを気に入ってもいるんだ。金を使うのは好きだし、高価なスニーカーを買うのも好きだ。外食するのも、いい服を着るのも好き、と。だから俺はまた、そのモデルを自らに割り振ってもいるっていう。

先ほど言ったように、まずは音楽的に以前よりもヴァリエーションが増えたと思います。そこは意識されましたか? 様々なヴォイスやサウンドがミックスされていますし、ギターを弾いているのはあなたですか?

JW:ああ。

ギターを弾くのは本当に久しぶりだったと思いますが、どんな気分でした?

JW:たしかにずっと弾いてなかったけど、まあ、とにかく音楽の方がギターをいくらか必要としていると思えた。アンドリューは“Nudge It”でギターを弾いたし、俺は“Thick Ear”で弾いてる。だからときおり……そう、とにかく今回はギターが必要だって風に自分には感じられた、ギターをちょっと加えようと思ったっていう。だから、以前の自分ほどギターっていうアイディアに敵愾心を抱かなくなっているんだよ。

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モッズというのはいつだって真実を伝える連中だった。だから俺は自分のバンドに「モッズ」の単語を含めた。自分たちもその同じ流れに沿っている、俺はそう思ったから。

スリーフォード・モッズのサウンドスケープを拡張するというのは──『Key Markets』以降、確実にその幅は広がってきていましたが──意識的でしたか? スリーフォード・モッズの音楽はそぎ落とされたミニマルなものになりがちですが、今回はもう少し聴き手に緩衝材を与えている気がします。

JW:ああ、そこは確実にそうだ。思うに、俺は……どう言ったらいいのかな、これまでよりもう少し層の重なった、もうちょっとカラフルなものにしたかったんだ。

ちなみに、アンドリューがひたすらチープな機材を使って音楽を作っていますが、それは高価な機材でしかモノを作らないことへの反論なのでしょうか? 

JW:そうは言っても、ここ数年で奴の機材の幅は間違いなく以前より広がったと思うけどね。でも、あいつは以前「ACID」っていうソフトを使ってビートを作っていたはずで、っていうかいまも使ってる(笑)。だから、そうね、あいつはこう……効果音だとか、奇妙なサウンドだのに入れ込んでるんだよ。で、それらを入手するのには、そんなに大枚はたかずに済むわけじゃない? 
あいつのいま使ってるセットアップも、かつてに較べりゃずいぶんでかくなった。ただ、それでもあいつはいまだに、歌にビート/音楽を組み込む際は最小限の要素みたいなものにしか頼らない。あいつも近頃じゃ、いくつか良質な機材の一式をいつでも使えるよう、手元に揃えたがるようになってるけども。

スリーフォード・モッズはある意味、音楽を作ることに、音楽界にインパクトを与えるのに大金を費やす必要はないという、その好例じゃないかと思うんですが。

JW:そうそう、その必要はまったくない。俺たちはそういうのに興味なし。とにかく俺たちは大抵ミニマルにまとめているし、アンドリューはそれにうってつけなんだ。というのもあいつの音楽は、たとえばソロでやってるExtnddntwrk(=extended network)にしても、どれも一種の音のランドスケープ、サウンドスケープ郡みたいなことをやっているし、やっぱりミニマルなわけで。だからほんと、あいつのやることはそこと完璧にマッチするんだ。

Extnddntwrk名義の作品は、じゃあよくご存知なんですね。彼のアンビエントな側面もお好きですか?

JW:ああ、もちろん! 好きだしいいと思う。もっとも、あれは自分が普段聴くような類いの音楽じゃないけども。だから、そんなに聴かないけど、ちゃんと評価はしてる(笑)。

ちなみにアンビエントの巨匠イーノに関してはどんな印象をお持ちですか?

JW:ファンではないな。(苦手そうな表情を浮かべて)全然好きじゃない。でも彼は、俺のハマってる連中の多くにすごく影響してきた人なわけだよね? テクノだとか、エレクトロニカ全般なんかに多大な影響を与えてきた人だとされているけれども、俺自身は一切影響を受けてない。彼にはまったく興味を惹かれたことがないな、うん、それはない。だってさぁ、あのみてくれだぜ(と、頭を丸めた坊主頭のジェスチャーをする)? でかい頭で、すげえ妙なルックスでさ。フハッハッハッハッ……!

(苦笑)。いや、イーノはあなたと同じようにコービン支持者ですし、政治的には共感できるんじゃないかなと。

JW:(真顔に戻って)ああ、うんうん、それはもちろんだよ。だから要は、俺はあの手のミュージシャンにエキサイトさせられることはまずない、ってこと。いつだってもっとこう、ストリート系な、「ウギャアアアァァッ!」みたく騒々しいバンドなんかの方に感心させられるっていうか、そういうのなら「おう、よっしゃ!」とそそられるっていうさ。

2020年にはこれまでのキャリア総括盤『All That Glue』も出しましたし、自分たちを振り返る時間もあったかと思います。

JW:(うなずいている)

あらためてスリーフォード・モッズの原点を、あなたが友人のサイモン・パーフと2006年か07年あたりにこのプロジェクトをはじめた、その当初のコンセプトを教えていただけないでしょうか? 

JW:あれは本当に……いま君たちが耳にしているもの、そのごくごくベーシックなヴァージョンだったんだ。当時の俺たちは他の人間の作った音楽をループして使っていた、という意味でね。

(笑)無断サンプリングしていた。

JW:(苦笑)そう! で、俺はとにかく……そのループにシャウトを被せていただけで。個人的な実体験の数々、酔っぱらった経験や失敗談、アルコールとドラッグへの依存、セックスとか、まあ何でもいんだけど、そういった事柄すべてについて語っていた。いまやそこは変化したけどね、それとは別のことを俺は歌ってる。ただ、それらは人生のなかのごくちっぽけな立ち位置/存在の観察だ、というのは常にあって。で、それが念頭にありつつも──うん、昔の自分の怒号ぶりを思うと、いまよりもうちょっと早口でまくしたてていたしラウドだったし、たまに自分で制しきれなくなることもあり、実はそんなによくはなかった、みたいな? だからとにかく、いまやっていることと基本的には同類の、でもその初期ヴァージョンだった、という。

スリーフォード・モッズは、モッズと言いながらいわゆるモッズ・サウンドではありません。ポール・ウェラー的なネオ・モッズ、あるいはスモール・フェイセズといったタイプの音楽ではないわけですけど、そもそもなぜ「モッズ」を名乗ることにしたんでしょう?

JW:それは、俺たちは基本的に──いやまあ、俺自身はモッズ的なものには入れ込んでるんだけどね。あれは常に俺の興味をそそってきた。で、俺のモッズ観は、あれは他の何よりも際立つことができるものだ、ということで。もしもバンドがモッズなるものをばっちりモノにできれば、そいつらは他の何よりも抜きん出ることができる、みたいな。というのも、モッズ(モダーンズ)というのはいつだって真実を伝える連中だったし、クリエイティヴィティに対してもっとずっと正直なアプローチをとってきた連中なわけで。だからなんだ、自分たちのバンド名に俺が「モッズ」の単語を含めたのは。自分たちもその同じ流れに沿っている、俺はそう思ったから。

で、今回のアルバムの“Nugde It”の歌詞は興味深いなと。

JW:へえ、オーケイ。

あれはスリーフォード・モッズの現在の立ち位置を歌っていると思いますよね。で、スリーフォード・モッズに対する評価に対しても苛立っているように読めるのですが、もしそうだとしたら、これはどういうことなのでしょうか? ちょっと説明をお願いできますか? 

JW:あの曲で言わんとしているのは、異なる生い立ちを持つ連中がいかにして、実際にその経験がないくせに自分たちとはバックグラウンドが違う者たちの物真似をしているか、ということだね。そうやって物真似することで、彼らは自分たちをもっとエッジーに、あるいは実際より興味深いものに見せようとしている、という。で、多くの場合、人びとはその点に気づいてすらいないわけ。そういった連中は、自分たちがやっているのは本当はなんなのかすら考えずに、他の人びとのユニフォームを借り着してるっていう。俺は、それってマジに無礼な侮辱だと思う。かつ、その物真似を鵜吞みにして支持する人間が山ほどいるって事実、それに対しても本当に怒りを感じる。そういうことをやってるバンドのいくつかは、とんでもなく人気が高いわけだろ? というわけで、あの曲で取り上げているのはそういうことだね、「階級見学ツアー(class tourism)」みたいなものについてだ。
(※ここでジェイソンの話しているのは、上流・中流・下層と階級が分かれる英国で、上位に位置する人間が不思議がりときにバカにする意味合いで一時的に=物見遊山で立ち寄るごとく下層階級のファッションやスラングやカルチャーを真似する行為を指す。「貧民見学ツアー」を意味するpoverty safariというタームもある
だから、お前さん自身は繫がっていない、お前さんには実体験の一切ない、そういう人びとだったり彼らの生き様をお前は物真似しているんだろうが、と。お前がそれを利用するのは、そうやって真似ることで自分をパワフルに見せたいだけだろ、と。

──それは、アイドルズみたいなバンドのことですか?

JW:ああ、まったくねぇ! うん、そう。

ソーシャル・メディア他であなたと彼らとのビーフが広まりましたよね。先ほどもおっしゃっていたように、アイドルズはいますごい人気ですけれども──

JW:(苦虫をかみつぶしたような表情で)ああ。

あなた自身は彼らの言うことは信じていない、と。

JW:信じないね。なんて言えばいいのかな、「学が足りない/ちゃんと勉強してない」っていうの? 一元的で浅薄だし、中身がまったくない。とにかくやたらポーズばっか、と。で、いまって本当にひどい時期なわけだし、「自分は生きているんだ」と実感できるような何かを求めるわけだろ。これは俺個人の思いだけど、ああしたかっこつけやポーズから、俺はそういう感覚を受けないんだ。

ちなみに、主にCD-R作品を出していた初期のことをわたしは「スリーフォード・モッズMK.1」あるいは「Ver.01」と捉えているんですが──

JW:ああ、うん。

で、アンドリューが加入し、いわば「スリーフォード・モッズ Ver.02」がはじまった、と。そのブレイク作である『オースタリティ・ドッグズ』以降とでは、音楽への向かい方はどう違っていますか? 

JW:うん、変化したね。絶対にそう。だから……質問は、俺の音楽に対する姿勢がどう変化したか、ということ?

ええ。基本は変わっていないと思うんですが、『オースタリティ・ドッグズ』を境に、それ以前に較べてもうちょっとプロっぽくなった、「これは自分たちのキャリアだ」と考えはじめたんじゃないかと。そこで、音楽作りや作詞へのアプローチは変化しましたか?

JW:ああ、なるほど。うん、変化した。それは、さっきも話に出たマルクーゼみたいな人の考えだとか、現代世界に対する様々な類いの批評等に触れたことが影響しているんだと思う。
それと同時に、俺自身のなかで育ち続けている、「自分はこの世界のどこに位置してきたのか」みたいな意識/目覚めもあるんだ。自分という存在はこの世界でどんな意味を持ってきたのか? 自分は自分にとってどんな意味があるのか? 自分は何を学んできたんだろう? と。ぶっちゃけて言えばケアしているのは唯一それだけ、ほんと、成功と物質的な豊かさに伴うあれこれがひたすら重要な世界のなかで、自分はこれまでどんな人間として生きてきたのか、そうしたすべてをひっくるめたあれこれが、『オースタリティ・ドッグズ』を作った後で、よりはっきりしたものになりはじめていった。

それだけヘヴィになった、とも言えますね(苦笑)。

JW:ああ、もちろん! そりゃそうだって。歳を食えば食うほど、たくさんのことがかなり、こう……だから、ドラッグだのセックスだの、そんなんばっかの人生なんざもうご免だ、タイクツなんだよ! って風になり出すもので。それらがやがて問題になってくるし、となると自分の人生からその要素を取り去るよう努力する他なくなる。いや、セックスは残しておいていいな、タハッハッハッハッハッ! ただまあ、ドラッグ摂取/飲酒等々の問題面は取り除こうぜ、と。
アルコールとドラッグのツケは、最終的に非常に大きく俺に回ってきたから。あれを乗り越えるのには本当に長くかかった。で、そうしていったん克服してみると、この世界は自分にどんな意味を持つのかという面に関して、これまでとは違う物事が作用してくるようになって(※数年前からジェイソンは飲酒もドラッグも断っている)。
というわけで、スリーフォード・モッズに備わったメッセージはある意味『オースタリティ・ドッグズ』以降も変わっていないんだけど、ただそのコンテンツは常に変化し続けている。

スリーフォード・モッズは、マルクス主義者やフランクフルト学派を研究するような知識人からも評価されていますよね。個人的には興味深く思っているのですが、こうした左翼的な分析に関しては、あなたはどんな感想をお持ちでしょうか? 

JW:彼らの分析には大いに賛成だ。もっとも、自分を左翼人だとは思っちゃいないけどね。でも、右翼じゃないのは間違いない。

(笑)それはありがたい!

JW:(爆笑)。うん、ああした分析は好きだよ。インテリの立場にいる人たち、おそらく俺も興味を抱くであろう、そういう人びとが俺たちのやっていることをすごく気に入ってくれてるのはいいことだと思ってる。

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彼らの分析には大いに賛成だ。もっとも、自分を左翼人だとは思っちゃいないけどね。でも、右翼じゃないのは間違いない。

オーウェン・ジョーンズの『チャブ』は読んでいると思いますが、あの本は好きですか? 

JW:もちろん読んだ。すごく気に入ったね。あの本もまた、俺が政治に関してもっと建設的なフォルムみたいなものへと浮上していく、その助けになったもののひとつだ。

“Elocution”では誰かの偽善性を批判しているようですが、具体的に誰とかあるのでしょうか? それとも音楽シーンに対する観察?

JW:ああ、うん、あれは……だからこの国の音楽シーンじゃ、マジにがっくりさせられる、そういう手合いはいくらでも跡を絶たないわけで。

(爆笑)

JW:ハッハッハッハッハッ! なんかこう、そういう連中がどこからともなく次々に湧いてくる。っていうか、ほぼ毎年出てくるな。本当にシャクに障りイラつかされる、そういうアクトが毎年かならず、1、2組は登場する。

(苦笑)なるほど。

JW:で……あれはほんと、そうした連中をあれこれ組み合わせたコラージュだね。連中は社会正義を謳った色んなキャンペーン活動のフロントを張るわけだけど、たまに「こいつら、自分たちのキャリアを向上させるのが目的でこういう活動をやってるんじゃないの?」という印象を抱かされることがあって。音楽そのものの力じゃ勢いが足りないからそれをやってる、と。才能が平均以下のミュージシャンの多くは、人気者のポジションを狙うなかで、大抵はネットワーキングに頼るものなんだ。各種音楽賞だの、なんであれそのとき焦点の当たっている、メディアに取り上げてもらえる問題に対するキャンペーン活動を通じて、という意味でね。だから連中は多くの場合、自分たちの地位を向上させるために、そのメカニズムに相当に依存しているわけ。
そうは言っても、彼ら自身は自分たちがどういうことをやっているかに対する自覚がないのかもしれないよ? ただ──そういうのにはウンザリなんだって。そんなんクソだし、お前らの音楽は特にいいわけでもない。こっちにはそれはお見通しなのに、それでもお前は「音楽をケアしてます」って言うのかよ、と。まあ、彼らもたぶん少しは気にかけているんだろうな。けど、それ以上にお前が気にしているのは自身のキャリアだろ、っていうさ。

そこはミュージシャンにとっての難問ですよね。たとえば『スペア・リブズ』が売れてあなたたちがさらにビッグになったら、「ソールドアウトした」と批判する人は出てくるでしょうし。

JW:ああもちろん! っていうか、その批判を俺たちはこれまでも受けてきたし、いまですらそうだ。ただ、俺たちがかっこつけた気取り屋ではないこと、セレブではないっていう事実、そこは人びとだって俺たちからもぎ取れない。俺たちは常に、自分たちのままであり続けてきたんだしさ。

“Glimpses”や“Top Room”はロックダウン中の情景を歌っていますよね? で、“Glimpses”ですが、これは曲調こそパンク・ソングなのですが、歌詞がずいぶん抽象的というか詩的に思いました。ここにはどんな意図があるのでしょうか?

JW:“Glimpses”ね。あれは……もっとこう、子供を連れて近所の公園に出かけると、みたいな話だね。で、行ったもののCOVIDのせいで公園は封鎖されてた、と。それと、消費主義についての歌でもある。それがいかに……だから、とあるスニーカーの宣伝をちょこっとやっただけでそのスニーカーをタダで5足もらえる奴もいる、と。ところがこちらは、その同じスニーカーを買うのに500ポンドだのなんだの、大金をはたくことになる。となると、こっちはほとんどもうなんの価値もない人間だ、ってことになるよな。商品そのものの話ではなくて、マネーのことだよ。
でもいずれにせよ、俺たちだってみんな、そこは承知しているわけで。誇示的消費(=conspicuous consumption。富や地位を誇示するための消費)なんて、別に目新しいものでもなんでもないんだし。で、俺としてはある意味、その点をあそこで論議したかったんだけど──うん、果たしてそのふたつの意味合いをあの曲でちゃんと表せたか、それは我ながらよくわからないな。あれはとてもいい歌だし、すごく気に入ってる。ただ、曲のメッセージという意味では、まだほんの少し、言葉が足りないのかもしれない。

2014年のガーディアン紙の取材であなたはスリーフォード・モッズの音楽の根幹には「怒り」があると話しています。いまでも「怒り」はモチベーションだと思いますが、それはあの頃とまったく同じ「怒り」がいまも持続している感じですか?

JW:うん……だから、俺の怒りのほとんどは、他の人びとに対して感じる苦々しさや嫉妬、うらやましさから派生したものなんだよ。それとか他人をおいそれと信じないところだったり、政府に対する軽蔑もその主な要因になっている。で、その点は変化していないと思う。それらのアイディアから、俺はいまだにこうしたエネルギーのすべてを得ているわけで。ネガティヴィティにシニシズム、そして自己批判もあるけど、そうしたものからエネルギーを得ている。
というわけで、そこはいまだに継続中だな。ただ、思うにほんと唯一、自分にとって重要なことという意味で……自分にどうしても語れないのは愛だなぁ。愛というのは、(歌にして)宣伝するよりも(苦笑)、実際に体験する方がずっといいアイディアだと俺は思っているから。だからまあ、ポジティヴィティがほとんど存在しない、ポジティヴさがわずかな隙間にちょこちょことしか見出せない状況で、常にポジティヴなことばかり語るのは、どうしたって興味深いこととは思えないだろう。

トランプやボリス・ジョンソンのような右派ポピュリストは、新自由主義によるグローバリゼーション(安価の移民労働)と「Austerity」(福祉予算のカット)によって追いやられた労働者たちの心情にうまくコミットしていましたが、コロナによって、例えばトランプが選挙に負けたように、右派ポピュリズムにほころびが出てきています。しかし、それでも日本では、コロナを企業社会の新自由主義的な再編の機会として捉えている向きもあり、ますますやばい状況になりそうです。イギリスも失業者がハンパないと報道されていますが、そうした社会不安や追い詰められていくメンタリティの問題、見えない恐れの感覚は今回のアルバムに大きな影響を与えていると感じたのですが、いかがでしょうか?

JW:そうだと思うよ、うん。もちろん。だからこの、自由がみるみる奪われていくという実感に、疎外感に……日常的に同じ経験を繰り返しているなという感覚。終わりがどうにも見えてこないフィーリングに、いったい何を信じればいいのかわからないという感覚。情報よりもむしろ、「これは大丈夫だ」と思える自分のいい本能/直観に常に頼らなくてはならない状況だとか。正確な情報ってのは、誰にでもすぐ入手できるものであるべきだというのに。うん、そういったことが作品に影響したね。──と言いつつ、と同時にこれは……パンデミックが襲った際の人びとの振る舞い方とそこから生まれた結果というのは、資本主義システムの下では人びとはそう振る舞う以外にないんだし、いずれにせよそれと同じ結果になる、ということでもあって。だから今回の作品にしたって、ずっと継続している物語のエピソードのひとつというか、『オースタリティ・ドッグズ』以来俺たちが語り続けてきたこと、そのなかの一話なんだ。
というわけで、俺はその面はあまり述べたくなかった。この試練だって、後期資本主義のまた別の一面に過ぎないんだし、あまねく広がった腐敗の現れであり、遂に本当に真剣な決断を下さなくてはならない地点にまで達した文明の側面なんだから。自分たちは何を信じるのか、そして自分たちはどう振る舞っていくのか、そこについて人類はシリアスな決断を下さなくちゃならないところまで来ているわけでさ。うん、そうした思いはたしかに、アルバムにある程度までは影響を与えた。おっしゃる通りだ。

ネガティヴィティにシニシズム、そして自己批判もあるけど、そうしたものからエネルギーを得ている。というわけで、そこはいまだに継続中だな。ただ、思うにほんと唯一、自分にとって重要なことという意味で……自分にどうしても語れないのは愛だなぁ。

たとえば、ビリー・ノーメイツが参加した“Mork n Mindy”なんかはそういう気味の悪い不安をうまく捉えた曲だと思いましたが、あの曲はあなたの子供時代を反映したものらしいですよね?

JW:ああ、そうだ。あの曲は俺が子供だった頃についての歌で、そうだな、あれと“Fish Cakes”の2曲は、子供時代について歌ってる。自分の子供時代や、子供のときはどう思うんだろうといったことを考えるようになりはじめて……。俺は生まれつき、難病の二分脊椎症(spina bifida)を患っていてね。11歳のときに脊椎の大手術を体験したんだ。

ああ、そうだったんですか。

JW:うん。でも、当時は二分脊椎症だったとは知らなくて、今年の夏に(コロナの影響で)ジムが閉鎖され、自宅の庭でエクササイズ中に背中を怪我して、はじめてそうだったと知った。で……うん、そのおかげで、手術を受けた頃に引き戻されたね。あれは、かなりエモーショナルな時期だったから。というわけであの頃を思い返したし、子供だった自分のことをまた考えるようになって。それにもちろん、いまの自分には子供もできたし、彼らの子供時代と自分自身の子供時代とをしょっちゅう比較するようにもなったわけ。だから……あの曲はアルバムに入れたかったんだよ、子供時代を考えれば考えるほど、自分のなかに色んな思いがたまっていったから。

ビリー・ノーメイツは今年アルバムを出しましたが、あなたも1曲参加していますよね。彼女は抜群だと思いますが、あなたは彼女のどんなところを評価していますか? 

JW:やっぱ、あの声だよね。それと、彼女の曲の書き方も。彼女は本当に、すごく、すごく才能があるし……うん、ちゃんとした、本当にオリジナルな人で。それに、彼女を聴いていると自分の頭にかつてのグレイトなシンガーがたくさん思い浮かぶんだ。とくに、過去の優れたソウル・シンガーの数々を思い起こす。音楽という概念を実践する面でも非常に腕の長けた人だし……とにかく彼女には、どこかしらすごくソウルっぽいところがあるんだよなぁ。と同時に、80年代っぽいところもかなり備えていて。そうした点が、ほんといいなと思う。

Amyl and the Sniffersのエイミー・テイラーも参加していますが、今回なぜ女性シンガー2名とコラボしようと思ったんでしょう?

JW:俺たちも女性の存在を求めていたんだよ、だから、ほら……全般的に、女性が欠けてるわけだしさ(苦笑)。

(笑)テストステロン値が高過ぎる、と。

JW:そう(笑)! 野郎が多過ぎだって。ハッハッハッハッ……ぎゃあぎゃあ騒いでる男どもが多過ぎる(苦笑)。

アルバム名は「肋骨」で、女性はアダムの肋骨(=リブ)から作られたと旧約聖書にありますよね。それで女性が必要だったのかな?と。

JW:ああ〜! たしかに! なるほどねぇ。(笑)いや、そういうわけじゃないけど、でも実に古典的なポイントだな、それって。そういう風に自分が考えたことはなかったけどさ。

このアルバム・タイトルを知ったときに、イギリスで70年代に発刊されたフェミニスト雑誌『Spare Rib』を思い出したんですよ。その書名はもちろん、聖書の「女性は男性の一部である」という発想を茶化したもので。

JW:うん、うん(うなずく)

とはいえ、このタイトルの「スペアリブ」は、まさしく我々のことを指しているわけですよね。一本くらいなくなっても平気なあばら骨、いわば使い捨てライターのように取り替え可能な存在、という。

JW:イエス! でも……君がそうやってアルバムの概要をまとめてくれた方が実際よりはるかに面白いかもな、クハッハッハッハッ!

(笑)ふざけないでください。全部、ちゃんと考えてるんでしょ?

JW:いやいや、そうやってあれこれ言われると、俺は「違う」って言い出すっていうね! アッハッハッハッハッァ〜……! 
(ひとしきり笑った後で真顔に戻って)いや、うん、そうだよ。あのタイトルは基本的に、俺たちの政府は2020年のはじまり以来人びとをどんな風に扱ってきたか、ということで。無駄死にした死者の数──だから、あれだけ(コロナで)死者が出たけど、そのある程度までは防げたはずだった、俺はそう思っていて。そこで考えさせられたんだよ、政府は経済モデルに貢献している人民の生命よりも、その経済モデルを維持することの方に心を砕いているんだな、と。いやもちろんこれは、政府側はその点を意識してそうやっている、という意味ではないんだ。ただ、世のなかには常に、この経済モデルに貢献する人間たちが絶え間なく流入してくるわけでさ。ということは、この経済モデルを保存するためにだったら、政府の側には20万人であれ百万人の命であれ、たまにちょっとばかり人口を削ってもなんとかなる、そういう余裕があるってことだよ。
で、2020年のはじめからイギリスの公衆に対しておこなわれてきた安全対策の数々を考えれば考えるほど──わかるだろ? 英政府は(人民よりも)経済モデル維持の方をもっとケアしてきたんだな、という印象を抱くわけ。だから、政府の考え方は「肋骨をいくつか取り除いても、身体そのものはなんとか機能するからOK」みたいなものにはるかに近い、と。ということは、俺たちはみんなスペアリブだってことだよ。でも……このタイトルは、イギリスではおなじみな、中華料理のテイクアウト・メニューにもちなんでいて。

ほう。

JW:わかるかな、スペアリブ? イギリスじゃどこでもお目にかかるありふれた食い物なんだけど(※ばら肉を骨付きで揚げたりバーベキューした、イギリスのお持ち帰りチャイニーズの定番料理)。ある意味、そこにも目配せしているタイトルだし、子供時代とも繫がっていて。

……あなたはよく、食べ物について書きますよね?

JW:うん。

どうしてですか?

JW:当たり前だろ、それって。

「スペアリブ」はもちろん、これまでも「マックフルーリー」とか「イングリッシュ・タパス」とか。あなたは身体を鍛えていて、大食いしなさそうですけど、歌詞には食べ物や食べることに関する妙な執着があるように感じるんですが(笑)?

JW:いやとにかく、多くの人間が食えるのってそれくらいなわけじゃない? たとえば……ひとり分のチップス、その人が手に入れられるのはそれだけ、みたいな(※チップスはフライド・ポテト。日本のそれより厚めにカットされていてボリュームがあるにも関わらずひと袋200〜300円程度なので、本来は副菜であるチップスを主食代わりにする人もいる)。それとか、食べられるのは卵サラダサンドだけ、とか。だから、それって人びとはいかに……んー、あまりお金がない状態にいると、そういう安くてしょうもない食べ物でも美味く感じて大事に味わえる、そこに落ち着くんじゃないかと思う。それに、俺とアンドリューがふたりで話すのって、ほんと、食い物についてばっかだし。

(笑)マジですか。

JW:いやだから、そこはまた……さっき言われたイングリッシュ・タパスだとか、マックフルーリーだとか、まあなんでもいいんだけど、そうやって俺が歌で取り上げてきたことって、俺がそういった食い物を食ってる日常の周辺で起きた色んなことを表象するものでもあるんだよ。それは子供時代の話も同様で、ガキの頃はとんでもなくひどいものを食わされてたよなぁ、みたいな文句をね(笑)。その手の話はしょっちゅうやってる。

表題曲の“Spare Ribs”の歌詞にエイフェックス・ツインが出て来ますが、お好きですか?

JW:うん、彼はいいんじゃない? いやだから、あの歌詞で彼の名前を持ち出したのは、あの曲で歌っているのは──

──知ったかぶりの、マウントしたいタイプ?

JW:(顔をしかめて)うんうん、あの手合いはね〜、ほんと、もう……

(歌詞を引用して)「エイフェックス・ツインや/スペインのアナキストについてえんえん語ってる奴」と。

JW:うん、そうそう! だからさ、ああいう難しそうなことをぺらぺら触れ回ってる連中って、いざ「それってどういうことですか?」と突っ込まれると、実はそれをよく知っていないのがバレるっていう。となると、やっぱ思うよね、お前は常に「自分はこの手の世界にどっぷり浸かってますよ、熟知してます」って雰囲気を醸してきたのに、なんで自分の言ってきたあれこれをよく知らないんだい?と。

“Fish Cakes”で繰り返されている「At least we lived」という言葉に込められている感情は、やはり絶望感なのでしょうか?  すごく悲しい曲だなと思いますし、「少なくとも自分たちは生きたんだから」という一節にあなたが込めたのもそういう思いなんでしょうか。

JW:うん、ある意味、そうなのかもしれない……。うん、そうした悲しみをあの曲で伝えたかったのかもね。というのも、俺が子供の頃は……いや、そんなに悲しい子供時代だったとは思わないな。それよりもこう、とにかく退屈だった。狭く限られていたし、周囲にも大して何もなくて。しかも大人たち、当時接することになった大人のほとんどは、子供たちよりもひどい状態で。だから、とにかく何もかもがつまらなくみじめだと思えたし、憂鬱に映った。そこを歌にしたいなと。それらの体験を曲に含めたいと思ったんだ。それをやるのには、本当に苦戦したけどね。というのも、俺はあれを哀れっぽい曲には、聴き手に憐憫の情を掻き立てるような曲にはしたくなかったから。そうではなく、あの情景を表に見せたかっただけで。

今年亡くなったアンドリュー・ウェザオールから受けた影響についてお話しいただければ。Two Lone Swordsmenの“Sex Beat”(ガン・クラブのカヴァー)には影響を受けたという話は読みましたが、それ以外で彼について思うことがあればお願いします。

JW:TLSのアルバム『From the Double Gone Chapel』(2004)で、彼らは──あれはたぶん4枚目か5枚目だったはずじゃないかな? あれを聴いて、俺の抱いていた……シンガーが歌う際のいいバッキング・サウンドとはどういうものになり得るか、そこについての考え方を部分的に変えさせられた。いいサウンドってのは何かという、その見方をね。あの雷みたくゴロゴロと鳴るベース・ラインに、あのアルバムでのアンドリュー・ウェザオールの歌い方に……それにキース・テニスウッド。彼とは知り合いで、たまに話す間柄だよ。本当にいい人だけど、うん、彼の用いたプロダクションの手法だとか。そういや、彼もブライアン・イーノの大ファンなんだよな。彼に「あのアルバムであなたが影響されたのは何だったんです?」と尋ねたら、「ブライアン・イーノにめっちゃ影響されたぜ!」って答えが返ってきて、俺は「クソッ、そうなのか!」みたいな(笑)。

(苦笑)それはもう、あなたもイーノを聴かないと。意地を張らず、諦めて聴きましょう。

JW:(笑)あー、そうだねぇ、聴かないと……。ともあれ、うん、そういう話で。それに、アンドリューとも2回くらい実際に会ったことがあって。ほんと、イイ奴でね。本当にナイス・ガイで。全然──お高くとまったところや自己中心的なところのまったくない、じつに愛すべき人だった。だからうん、そこはものすごく感銘を受けたよね。でも、それだけじゃなく、彼の佇まいも印象に残ったな。ほら、あのタトゥーだったり……着る服を通じて自己表現する彼のやり方だとか、あれは無類のものだったっていう。ああいうことをやる人は決して多くなかったし、そこからも本当に影響された。とにかく、「自分の頭で考えろ」っていうこと。もっとも、その点については、他の人たちからも俺は多く学んできたんだよ。ただ、アンドリュー・ウェザオールはそのなかでもグレイトな人物のひとりだと思ってる。

ウェザオールには「彼のスタイル」がありましたよね。そこが、他の人とは違っていたんだと思います。

JW:(うなずく)ああ。

来年の抱負をお願いします。

JW:それは……やっぱ、またライヴをやることだよね。俺たち、日本にぜひ行きたいと思ってるし。

ぜひ!

JW:うん、ほんと、日本に行けたらいいなと思ってる。とにかく日本で演奏するだけでいいんだ。そうやって向こうに行って……ギグをやって守り立てることで、『スペア・リブズ』にふさわしいだけのことをちゃんとやってあげたいな、と。いまは視界も開けた状態なわけだし、うん、もっと後になってからではなく、できれば早めにそれを実現したいと思ってる。

アルバム音源も好きですが、あなたたちのエネルギーはライヴだと一層パワフルなので、日本でのショウが実現するのを祈っています。というわけで、本日はお時間いただき、ありがとうございました。

JW:こちらこそ、ありがとう。

★了

(2020年12月17日取材)

Boris - ele-king

 日本を代表するヘヴィ・ロック・バンド、ボリスの伝説的な初期作品が、元ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイト率いる〈サード・マン・レコーズ〉よりデジタルおよびアナログでリイシューされる。
 今回再発されるのは96年のファースト・シングル「Absolutego」と98年のファースト・アルバム『Amplifier Worship』。「Absolutego」は60分1曲入りの「シングル」として彼らの自主レーベルからリリースされた後、アメリカのドゥーム/エクスペリメンタル・メタル・レーベル〈サザンロード〉からボーナストラックを加えて過去にも再発されている。『Amplified~』は15分の長尺ナンバー3曲を含む5曲入りで、日本の〈マングローヴ・レーベル〉からリリースされた後、こちらも〈サザンロード〉よりアメリカ盤も発売された。
 〈サード・マン〉のプレス・リリースでも「21世紀のもっとも重要なメタル・バンド」と形容されている彼らだが、今回リイシューされる2作のいずれもドゥーム・メタル/ストーナーロックを中心に据えつつ、最初期の段階からノイズ、ドローン、アンビエントなど様々なジャンルを貪欲に取り込んだ実験精神溢れるバンドだったことが確認できる重要作だ。
 いずれもリマスターが施され11月13日発売、現在Borisのbandcampやレーベルのサイトなどでプリオーダー受付中。



『Absolutego』
https://boris.bandcamp.com/album/absolutego-2
https://thirdmanstore.com/absolutego-standard-black-vinyl
1. Absolutego
2. Dronevil 2


『Amplifier Worship』
https://boris.bandcamp.com/album/amplifier-worship
https://thirdmanstore.com/amplifier-worship-standard-black-vinyl

1. Huge
2. Ganbou-Ki
3. Hama
4. Kuruimizu
5. Vomitself

Félicia, Akira, Takuma - ele-king

 なんでもイギリスではコロナ禍ではクラシック音楽が売れているそうで、ま、家にいる時間の多いいま楽しめるのは「家聴き」ということなのでしょうか。
 渡邊琢磨の新プロジェクトによる作品が素晴らしい。これは、彼が音楽を手掛けた映画『まだここにいる』(染谷将太監督、脚本・菊地凛子)のサウンドトラックを素材に再構築(recomposed)した曲からなる新作で、アキラ・ラブレーとアンビエント・ミュージシャンのフェリシア・アトキンソンとの共作でもある。
 ロバート・アシュレー風の声とピアノを美しいアンビエントに変換する“The Rain”やイーノ風アンビエントの最良なところを拡張した“その時間にかけ橋が生まれる”、ミニマル/ドローンの美的世界“Particle”、情感たっぷりの“まだここにいる”の4曲。アンビエント好きにはhighly recommendです。

渡邊琢磨 / Akira Rabelais / Félicia Atkinson
『まだここにいる』original soundtrack recomposed
Inpartmaint Inc.
※デジタル配信でのリリース

【渡邊琢磨】
宮城県仙台市出身。高校卒業後、米バークリー音楽大学へ留学。大学中退後ニューヨー クに渡り、キップ・ハンラハンと共同作業でレコーディングを行う。同作には映像作 家ジョナス・メカスらが参加。04 年、内田也哉子、鈴木正人らとバンド [sigh boat] を結成。07 年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー 18 カ国 30 公演 に バ ン ド メ ン バ ー と し て 参 加。楽 曲「The World Is Everything( ア ル バ ム 『Sleepwalkers』収録曲 ) を共作。14 年、自身が主宰する弦楽アンサンブルを結成。 自身の活動と並行して映画音楽も手がける。近年では、冨永昌敬監督『ローリング』 (15)、吉田大八監督『美しい星』(17)、染谷将太監督『ブランク』(18)、ヤングポー ル監督『ゴーストマスター』(19)、ほか。

【Akira Rabelais】(アキラ・ラブレー)
米テキサス南部生まれ、ロサンゼルス在住の作曲家 / ソフトウェア設計者 / 作家。 ビル・ディクソンに作曲、電子音楽および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事。音や 映像を歪めたりノイズを加えることができる自作のソフトウェア『Argeïphontes Lyre』を制作。アキラ・ラブレーはソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞっ ており、例えば数あるフィルターを「形骸化蘇生法」「ダイナミック FM 音源」「時間 領域変異」「ロブスター・カドリール」など独特な言葉で綴っている。彼の作り出し たものは、数学の持つ完璧な美しさと言葉の情緒を以て、私たちを別次元へと誘う。

【Félicia Atkinson】(フェリシア・アトキンソン)
1981 年フランス生まれ。レンヌ在住。2008 年、エコール・デ・ボザールで MFA (Master of Fine Arts With honors) を取得し、パフォーミング・アートの可能性を 探求するボリス・シャルマッツと共に人類学およびコンテンポラリーダンスを研究。 彼女の作品はインスタレーション、彫刻、詩、絵画、ドローイング、パフォーマンス、 音楽など多岐に渡り、数多くレコード・リリースやライブ上演、世界各地の実験音楽 シーンやアートフェアへの参加など、国際的な活動を行っている。フランスを拠点と するインディペンデント出版レーベル・Shelter Press にて、バルトロメ・サンソン と共に共同発行人を務める。

Stormzy - ele-king

 イギリスのグライムMC・ラッパーとして圧倒的な人気を誇るストームジーが、マイノリティの教育を支援する団体 The Black Heart Foundation へ50万ポンド(約7000万円)の寄付を行なったことを発表した。イギリス国内に暮らす、黒人、アジア人などあらゆるエスニック・マイノリティで、経済的に支援が必要な学生50人に対して、奨学金の形で支援する。この制度は年齢不問でどのレベルの教育を受ける学生も応募可能とのこと。

 The Black Heart Foundation は2013年に設立され、既に100名の学生が奨学金を受け取っている。これまでは、遠方の学校への通学費や、パイロットになるための訓練費、アルバイトをせずに大学での勉学に専念できるようにするために支払われてきた。
 今回の寄付は、彼がマネージメントとともに設立した #Merky Foundation が行なうもので、10年で1000万ポンド(=約14億円)の寄付を行なうという計画の一環。

 ストームジーはこれまでも人種不平等の是正に取り組んできた。2018年からケンブリッジ大学と提携し、毎年2名の黒人学生を支援する「Stormzy Scholarship」奨学金を創設し、イギリス最大手の出版社ペンギン・ブックスと連携、黒人の作家を世に送り出すレーベル「#Merky Books」を創設してきた。UKのラッパーのなかでも桁違いの成功を収めている彼は、その責任を果たし、フィランソロピー活動を積極的に行なっている。

 また、ストームジーの作品には常に人種不平等や差別へ対抗する姿勢がある。人種差別的な発言が多いボリス首相を名指しで批判し、自身のガーナのルーツや肌の色を誇る。バンクシーが制作した黒と灰色で塗りつぶされたイギリス国旗をモチーフとした防弾チョッキで、UK最大のフェス〈グラストンベリー・フェスティバル〉のメインステージに登場した姿は、イギリスにおいて黒人であることを端的に象徴していた。

 Black Lives Matter 運動に呼応しながら、長期的なプロジェクトとして制度的な人種不平等と戦うストームジー。彼のマネージメント、#Merky が発表している “誓い” は彼自身の力強い言葉で制度的な人種差別へ戦う姿勢を表明している。

私たちの国が認めようとしない不都合な真実は、イギリスの黒人は生活のあらゆる面で常に不利な立場に置かれてきたということです。今の立場にいる私は確かに幸運に恵まれていますが、「イギリスがそんなに人種差別的なら、どうやってここまで成功したんだ」と言って、イギリスに人種差別が存在することを否定する人たちの話をよく聞きます。私はこう反論します。私は、黒人が一生懸命働くと何が起こるかというイギリスの輝かしい例ではありません。私たちは何百万人もいます。私たちは遠くもなく少数でもありません。私たちは、積み重なった人種差別的な制度と闘わなければならず、私たちが生まれる前から失敗するように設計されているのです。黒人はあまりにも長い間、不均等なフィールドでプレーしてきましたが、ここに最終的にそれを均等にしようとする戦いを継続することを誓います。
https://www.stormzy.com/pledge/

(米澤慎太朗)

Black Lives Matter Protest in London - ele-king

 5月25日にアメリカ合衆国のミネアポリスで白人警官によって黒人男性のジョージ・フロイド氏が殺害され、それに端を発する人種差別撤廃を掲げる抗議運動「Black Lives Matter(以下、BLM)」が、現在世界各地で行われている。先週末の日曜日、6月7日にイギリスのロンドンで開催された抗議集会に僕は参加してきた。この記事では、そこで自分が見たものを記していきたいと思う。
 ロンドン市内での大規模な抗議は5月31日から合計4回開催されており、この日のデモの開始地点は、ロンドン中心地のテムズ川の南に位置するエリア、ヴォクソールにあるアメリカ大使館(『007』シリーズに出てくるMI6本部の建物もここにある)。現在のコロナ禍に対応するため、抗議運動の主催者からは、マクスの着用が求められていた。抗議には多くの年齢層が参加していたが、20代から30代の若者が多かった印象を受けた。人種は黒人系を中心に、白人層やその他のバックグラウンドを持つ者も大勢集まっていた。政府の発表によれば、この一週間のロンドンの抗議運動には、合計137500人が参加し、警察からは35人の怪我人を出し、逮捕者は135人に登ったというが(The Guardian, 2020) 、僕の周りでは終始、平和的に抗議が行われていた。
 今回のデモには多くのアフロ/カリブにルーツを持つミュージシャンや俳優などの文化人も参加している。先週はディズニー版『スター・ウォーズ』三部作にフィン役で出演していたジョン・ボイエガがハイド・パークの集会でスピーチをし、他にはグライムMCのストームジーやUKラップのデイヴ、サックス奏者のヌビヤ・ガルシアなど、多くの人物が抗議に参加した。サウンド・カーで音楽を披露するわけではなく、文化の現在を形成する者たちはイギリスを生きる黒人として、一般人と同じ立場から、彼らはその声を届けにきていた。
 この日の天候は決して良くはなかった。そして、徐々に規制が緩和されているとはいえ、イギリスはまだコロナ禍によるロックダウン(都市封鎖)の最中である。都心部から電車でだいたい40分ほど離れた場所に位置する、サウスイースト・ロンドンのルイシャム地区、ブロックリーに住む僕は、自転車で目的地まで向かう必要性を感じていた。いくつかの駅は閉鎖され、運行本数は減らされているものの、電車やバスは動いているし、「不要不急」の使用を避けるように要請されているだけで、実際は使用することはできる。しかし、出来る限り感染のリスクを下げるため、お互いの「ソーシャル・ディスタンシング」を保ちながら、近所に住む友人たちと雨に降られながら、僕は自転車で集合場所へ向こうことにした。
 現場に到着する10分ほど前から、歩道と自転車道は抗議への参加者でいっぱいだった。バスターミナルがあるものの、普段はそれほど混むことはないヴォクスホールだが、駅周辺に自転車を駐めるのは困難なほどの人混みだったため、そこから少し離れた公園の柵に自転車をくくり付け、アメリカ大使館へと向かった。この時点で携帯がネットになかなか繋がらない。ロンドンでは、大勢が密集する地域ではよく起こることだ。僕は以前、三日間で100万人以上が集まるノッティングヒル・カーニヴァルで同じ現象を経験したことがある。電波が悪くなるのに十分な人数がこの時点でもう集まっていた。
 集合時間の2時から30分ほど遅れ現場に到着した。集合エリアでは、脱中心的にいたるところでシュプレヒコールが巻き起こっていた。すでに道路は閉鎖され、集合地点であるアメリカ大使館へは到達できないほどの群集ができあがっている。「Black Lives Matter」、「No Justice! No Piece!(正義がなければ平和もない)」、「I can't breathe (息ができない)」、「Fuck Donald Trump!」「What's his name? George Floyd!」など、25日以降、世界中で叫ばれている言葉が群集から飛び出してくる。参加者たちがヒートアップするなか、大使館前にいるグループからの掛け声で、集合エリアの参加者は跪き、拳やプラカードを掲げ、1分ほど沈黙によって抗議の意を示した。


(抗議マーチの起点となったアメリカ大使館近くのヴォクソール橋)

 その後、参加者たちは列を作り、徐々に移動を開始する。ヴォクスホールの再開発によって奇妙な形のタワマンが立ち並ぶエリアから橋を渡り、川の北川の伝統的でポッシュな建物が立ち並ぶエリアをぬけ、一般的市民が住めるレベルの建物がやって見えてくる。周知の通り、ロンドン中心地の家賃は恐ろしいほど高騰しているが、そんなエリアでも公営住宅は存在している。窓からは「Black Lives Matter」のプラカードを掲げた家族や子供たちが、シュプレヒコールを路上に向けて叫んでいる。
 この周辺には、ロンドンで最も混雑する駅のひとつ、ヴィクトリア駅があり、普段は多くの車が行き交っているのだが、この日はその道路も抗議マーチによって封鎖された。立ち往生し、不満が募っている周囲のドライバーたち……、と思いきや、その多くからは抗議への賛同を示すクラクションが聞こえてきた。なかには、わざわざマーチが進行する道路に車を駐車して、車中から音楽を流し、窓から上半身を乗り出してプラカードを掲げる者もいた。


(マーチが通る場所に位置するバス停や電話ボックスには、「Black Lives Matter」や「George Floyd」、「ACAB(All Cops Are Bastards:すべての警察はクソ野郎)」などの文字が書かれていた)

 ヴィクトリア駅周辺のビル街を抜けると、国会議事堂があるウェストミンスター地区がある。いわゆる「ビッグベン」で知られる、現在は修復中の時計台が見下ろす議会広場を中心に、このエリアもすでに抗議の参加者たちで溢れていた。この広場にはデビッド・ロイド・ジョージやウィンストン・チャーチルといったイギリスの歴代政治家とともに、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラといった国外の政治指導者たちの銅像も並んでいる。その周辺では有志の若者たちがマスクと手の消毒液を無料で配っていた。広場でしばらく休憩したのち、僕は抗議の終着地点に向かった。首相官邸がある、ダウニング・ストリートである。


(議会広場のネルソン・マンデラ像)

 混雑する通りを進むと、ゲートが閉まったダウンニング・ストリートの入り口では、群集がザ・ホワイト・ストライプスの “Seven Nation Army” の替え歌を大合唱していた。この歌は、前回の総選挙時にはジェレミー・コービン支持者らが「オー、ジェレミー・コービン!」の替え歌で合唱したことでも有名だが、今回の歌詞は「Boris Johnson is a racist!(ボリス・ジョンソンは人種主義者)」である。政府機関が入る周囲の建物には抗議者がよじ登り、壁には「Black Lives Matter」の文字が殴り書かれていた。この場所では先日6日の抗議では抗議者と機動隊が衝突した場所でもある。けれども、この日は建物や信号によじ登る者はいたものの、警察の介入はなく、暴力的な場面に遭遇することもなかった。通りには過去の大戦での戦没者を追悼する記念碑もあり、そこに座ろうとする者を注意する抗議参加者たちもいて、秩序立ったなかで抗議は進行していった。そこでしばらくシュプレヒコールをし、僕たちは南へと帰ることにした。時刻は5時近く。国会周辺からは一向に人が減る気配はなかった。


(ダウニング・ストリート周辺の抗議)

 この原稿の目的はあくまで抗議の様子を紹介することなので、イギリスにおけるBLMの考察などには踏み込まないが、最後にひとつだけ触れておきたいことがある。先ほどの「彼の名前は?」のシュプレヒコールで、ジョージ・フロイドに加えて、組織的な人種差別の犠牲者となった者たちの者たちの名前が叫ばれていた。そのなかのひとりに「Stephen Lawrence(スティーブン・ローレンス)」がいる。
 1993年4月23日、サウスイースト・ロンドンのエルタムのバス停で、友人ともに外出していた18歳の黒人青年、スティーブン・ローレンスが、16〜17歳の5人組の白人の少年たちによって刺殺されるという凄惨な事件が起きた。殺害は彼が黒人だったからという、あまりにも稚拙で愚劣な人種主義的動機によるものだった。
 このような残忍な犯行であったにもかかわらず、逮捕された5人は証拠不十分で不起訴となる。このような不当な事態を受け、被害者の母親であるドーリーン・ローレンスは警察側に正当な捜索をするように抗議運動を開始する。この遺族が中心となった活動により、警察内部での組織的な人種的偏見から、捜査そのものが適切に行われていなかったことが判明した。これを機に、イギリス国内における、この事件や人種政策に対する関心は大きな高まりを見せる。容疑者のうちゲーリー・ドブソンとデービッド・ノリスに有罪判決が出たのは、2012年。それぞれ禁固15年2月以上と14年3月以上の判決が言い渡された。事件発生からあまりにも長すぎる時間が流れ、刑の内容も十分とは思われないものの、関係者の努力により形で事件は大きな進展を見せた。
 多文化主義が謳われるロンドンだが、権力レベルで人種差別が行われている制度的人種主義とそれが引き起こす問題が広く認知されるようになったのは、27年前の事件を境にしたことにすぎない。スティーブン・ローレンスの命日は、今日も人種差別撤廃を意識づける日として、毎年多くの者に追悼されている。ドーリーン・ローレンスは人種差別撤廃の活動を今日も続けており、2020年に入ってから、キア・スターマーを新たに党首に選出した最大野党の労働党によって、ローレンスは党の人種関連アドバイザーに任命されたばかりだ。
 文化面に与えた影響も大きい。ロンドンを拠点に活動するサックス奏者、シャバカ・ハッチングスは積極的にイギリスのブラック・ムーヴメントにコメントをしてきた人物のひとりだ。彼が率いるバンド、サンズ・オブ・ケメトの2018年作『Your Queen Is A Reptile』は、歴史上に名を残す黒人女性たちの名前を曲名に関したアルバムで、終曲の名前は “My Queen Is Doreen Lawrence” であり、今作には彼女への大きな敬意が込められている。ハッチングスとも繋がりがある、グライムを産んだ音楽家であるワイリーもSNSで、この事件に関する投稿をローレンスの命日とBLMプロテストの日にしていた。イギリスのギラついた音楽は、人種主義へのカウンターとして、今日も鳴り響いている。
 2011年、ロンドンで警官が黒人男性を射殺したことを発端に、イギリス全土で大規模な暴動が発生した。それから9年後、海を渡ったアメリカで起きたジョージ・フロイドの事件がトリガーとなり、今回のロンドンでの大規模なBLMの抗議運動へと繋がっている。イギリスは政治的にも、デモグラフィー的にもアメリカとは決して同じではない。しかし、警察や権力による日常的な人種主義的偏に対する怒りという意味では、この運動には国境は存在しない。そこには分断を超えていくようなエネルギーが満ち溢れている。帰り際、発煙筒からピンク色の煙が上がるチャーチル像の近くでスティーブン・ローレンスとジョージ・フロイドの名前を耳にしたとき、僕はそんなことを考えていた。


(議会広場のチャーチル像。この銅像には、このあと、「チャーチルは人種主義者(racist)だった」の落書きがされる。)

[参考資料]

The Guardian (2020), “Bid to defuse tensions as Black Lives Matter protests escalate”
AFP (2012), “18年前の黒人少年刺殺事件、白人被告2人に禁錮刑 英国”
•スティーブン・ローレンス事件と制度的人種主義の関連は、イギリス人ジャーナリスト、Richard Power Sayeedが著書『1997: The Future that Never Happened』(Zed Books, 2017)で、現在の英国の人種政治と絡めて詳しく書いている。

interview with Sonic Boom - ele-king

 ソニック・ブーム。
 スペースメン3のふたりのファウンダーのうちのひとりである。イギリスのサイケデリック・バンド、スペースメン3はわずか10年に満たない活動期間(1982年~1991年)の間は一部の熱狂的なファン以外にはあまり知られることはなかったが、特にここ日本でスペースメン3の受容史はまあ、お寒いのひとことではあった。来日公演はもちろん一度もなかったし、そのアルバムがリアルタイムで発売されたのはほとんどバンドが解散状態にあった1991年の4作目にしてラスト・アルバムとなった『Recurring(回帰)』のみというぐあいである。
 しかし、実はこの『Recurring』以前にスペースメン3関連のアルバムがひっそりと日本でも発売されていた。それがソニック・ブームのファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』だ。
 ストーン・ローゼズがデビュー・アルバムを発表し、一躍話題となった〈Silvertone Records〉から1990年にリリースされたソニック・ブームのソロ・アルバムは、ストーン・ローゼズ人気のおかげでまさかの国内盤発売が実現したのである。それがどのくらい売れたのかはまあ、あまり書かないほうがいいだろう。当時の音楽誌などで大きく取り上げられることはなかったし、そもそもそんなに大量に売れるような内容でもなかったのは確かだが。ちなみに国内盤の帯に書かれたキャッチコピーはこうだった。

「ほとんど犯罪的な覚醒サイケ~SPACEMEN3のソニック・ブームによる別プロジェクトアルバム」

「犯罪的な」とまで書かれてしまったこのアルバムは、しかし例えばソニック・ブームを知らない人が「お、ストーン・ローゼズのアルバム出したレーベル? じゃ買ってみようかな」とか言って手を出してはいけないブツだったということは間違いなく言える。


Sonic Boom
All Things Being Equal

Carpark / ビッグ・ナッシング

Amazon Tower HMV

 その後、ソニック・ブームはソロ名義ではなく、ソロ・アルバムのタイトルであった Spectrum をユニット名として、同じ〈Silvertone〉からアルバム『SOUL KISS (Glide Divine)』を1992年にリリース。以後はこの Spectrum と、より実験的なユニットとして Experimental Audio Research (E.A.R.)のふたつの名前で活動していくことになる。
 近年はメジャーの MGMT のプロデュースなども手掛けるようになった反面、自身の音源のリリースは減っていたのだったが、2020年になって突然ソニック・ブームがアルバムを出すというニュースが舞い込んできた。しかも、それは Spectrum 名義でもなく、E.A.R. 名義でもなく、ソニック・ブーム名義による30年ぶりのソロ・アルバムだというのだからさらに驚きは倍増なのだが、やっと届いた音を聴くとさらに驚きが待っていた。なんだこの明るい曲調は? スペースメン3のラスト・アルバム冒頭のダンス・チューン “Big City” をテンポダウンさせたようなオープニング・トラック “Just Imagine” からやたら多幸感に溢れている。アルバムを貫くオプティミスティックなムードにちょっと戸惑いながら、いまは南欧のポルトガルにいるというソニック・ブームと Skype でつながった。

※本インタヴューは、『All Things Being Equal』のライナーノーツに掲載されているインタヴューと同じタイミングで収録されたものです。両方合わせて読むと、より新作の全貌に迫れます。

分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要かもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなく他のアートも含めてね。

1990年に〈Silvertone Records〉からリリースした『Spectrum』以来、実に30年ぶりのソニック・ブーム名義のソロ・アルバムということになります。そのアルバムをリリースした後はその名義をご自身の音源制作では使わず、Spectrum、Experimental Audio Research(E.A.R.)というふたつの名義で制作を始めることになったのはどういう理由だったのでしょうか?

ソニック・ブーム(以下、SB):「ソニック・ブーム」は自分ひとりのソロで活動するときに使う名前で、「Spectrum」は他のアーティストやソングライターとバンド形式で曲や歌をメインに活動する名前。「E.A.R.」として作る音楽は楽曲に重きを置くのではなく、サウンドを重視したものにしているんだ。この3つの名前を使いわけることにした主な理由は、区別をつけるためだ。自分だけで作ったソロの作品ではないのに自分の名前をつけるようなことはしたくなかったんだ。そういうのはグループとしての作品であるべきだと思う。もしグループではなくて自分ひとりで作ったのであれば、もちろん自分の名前を使うよ。Spectrumのアルバムは1曲につき最低でもひとりは他のアーティストと一緒に作っていた。当然彼らは楽器を弾いたりするわけでね。そう、Spectrum はコラボレーション・ユニットなんだ。

Spectrum と E.A.R. というふたつのユニットを使い分けていくなかで、自分のなかでこれらのユニットに対する態度に変化はありましたか? もしかすると、今回のアルバム・タイトル「All Things Being Equal」という言葉が、Spectrum と E.A.R. の境界線が曖昧、というか融合していくということを表しているのかなとも思ったりしますが……。

SB:確かにその境界線というのは曖昧なものではある。名義というものは、最終的に作品をどのようなものにするのかを考えるときに僕が決めなきゃいけないことのうちのひとつなんだ。Spectrum と E.A.R. も自分のなかで区別はつけてはいるけど、本質的にはすべて僕の音楽活動だし、劇的に違ったことをしようとはしていないよ。それぞれのプロジェクトで違うことをしようというよりも、いつもアルバムごとに違ったことをしてみようとしている。だから今回のアルバムもどのようなものにするか、しっかりとした意識的な決定をしたんだ。シンプルな電子音響を核として、そこにパーカッションやヴォーカルを重ねることでよりその要素を際だたせようってね。この作品は俺ひとりで作ることになるだろうとずっと思っていたし、スペースメン3のレコーディングでもよく使っていたようにドラムマシーンを使うだろうなってこともわかっていたんだ。よく言われるんだけど、「ソニック・ブームは元スペースメン3であり、Spectrum よりも世間で認知されている」っていう言葉を信じたほうがいいなっていう気もしたんだ。ただ、それぞれの活動というのは確実にお互いに影響は及ぼし合っているよ。アートワークやビデオといったものから楽曲制作のプロダクションやマスタリングまでね。 それぞれに対して過度に特化していくということは全然信じていない。分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要なのかもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなくて他のアートも含めてね。僕はいつもあるひとつの媒体から学んだことを別の媒体に取り入れたいと思ってる。すべてのものごとは相互に影響をおよぼしあってると思う。そういうのが僕は好きなんだ。

あなたは2016年に E.A.R. 名義で今回の新作と同じタイトルの「All Things Being Equal」というシングルをリリースしていましたね。このシングル曲は16分にも及ぶ長いインストゥルメンタル・ナンバーです。このシングルが、今回のこのアルバム制作に直接つながっていったのでしょうか?

SB:シングルがアルバムにつながっているかということについてはイエスでもあるしノーでもある。シングルで使った楽器はとても古い CASIO のキーボードなんだけど、アルバムに入っている別の曲でもそれは使っている。でもこのシングルを作ったときにはまだこのアルバムは見えていなかったんだ。そもそも E.A.R. 名義で出したのはアブストラクトなインストゥルメンタルだったからさ。その後この曲をいろいろと弄って、60年代後期か70年代の初めにコンピューターで生成された歌詞をつけて、日本盤にボーナストラックとして収録されるときにタイトルを「Almost Nothing Is Nearly Enough」に変えた。アルバムのタイトルと混同してほしくなかったからね。でも「All Things Being Equal」というタイトルは気に入っていたし、シングルの12インチはかなりレアになっていることもあるから、アルバムのタイトルとしてこれを使ったんだ。アルバムに収録されていない曲のタイトルをアルバム・タイトルにするっていう変な伝統があるんだよね。たとえば Gun Club のデビュー・アルバム『Fire of Love』には “Fire of Love” という曲は入っていない。同様にスペースメン3のデビュー・アルバム『Sound of Confusion』にも “Sound of Confusion” という曲は入っていない(笑)。どんな理由であれ、アルバムに入ることのできなかった曲の名前がアルバム・タイトルになることによってその評価を保ち続けるっていうのはおもしろいと思うんだ。

そういえばジーザス&メリーチェインのデビュー・アルバム『Psycho Candy』にも同タイトルの曲は入っていませんでしたね(笑)。さて、今回30年ぶりのソロ・アルバムを出すにあたり、ソニック・ブームという個人名義を再度使った理由は?

SB:まずはこの名前をあのクソみたいな SEGA のキャラクターから取り返さなきゃいけなかった。奴が僕の名前を盗んだんだよ! 奴はもともと Sonic The Hedgehog って名前だっただろ。僕は奴が Sonic The Hedgehog だったずっと前からソニック・ブームだった。なのに突然奴は名前をソニック・ブームに変えたんだ。だから僕は立ち上がって僕の名前を守らなきゃって感じだった。
 僕がその名前を使うと決めたときは誰もそんな名前を欲しがってなかったよ。すごくいい名前だねっていろんな人が言ってくれた。ソニック・ブームは形を持たないところがすごく好きなんだ。存在していてもそれに手を伸ばして触ったり、家に持って帰ったり、食べたりすることはできないだろう? もしかしたら食べることはできるかもしれないけど(笑)。
とは言っても、特に30年ぶりにこの名前を使うことにしたものすごく強い動機みたいなものは実はないんだ。これは僕のソロのアルバムだから、ソニック・ブームって名前を使うことは正しいと感じられた。パーソナルなアルバムとは思わないけど、確実にソニック・ブームの核があらわれているアルバムだからね。

いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。

この「All Things Being Equal」というタイトルには、あなたの現在のモットー、人生のテーマのようなものが込められていたりしますか?

SB:自分の人生のモットーって言えたらよかったんだけどね。若いときにそう言えるくらい賢かったら、若い頃から地に足がついた性格だったって言えたらいいんだけど、そんなことはないよ。でも、人生や人との出会いを通して自分の行動を省みることはできた。人と一緒に学ぶ機会もまだたくさんある。願わくはみんなには良いことを学んでほしいなと思ってる。僕の経験はいつも良いことばかりではなかったけど、完璧な人なんてどこにもいないし、ほとんどの場合はたとえそれがひどい体験だったとしてもなにか得るものがあるものだよ。

1990年にあなたがまだスペースメン3に在籍していた時期にソニック・ブーム名義で制作したファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』では、ひたすら「現実世界からの逃避」と「何者かによる救済の希求」を描いていました。あの時期はスペースメン3も内部に問題を抱えていて、あなたのフラストレーションはとても大きなものだったと推測します。それがファースト・ソロのムードに現れていると思えます。
 しかしそれから30年を経て作られた今回のソロでは、響きの点でも、また歌詞の面でもポジティヴな肯定感、そして抽象的な愛、平等な愛のようなものを感じます。これは普通に考えれば、あなたも歳を重ねて成熟した大人になった、ということなのでしょうが、なにかそれ以上にあなたのなかで自分自身の考え方が大きく変わったというようなことがあるのでしょうか?

SB:実はその当時はスペースメン3はまだ臨界崩壊に至るような状態にまでは行ってはいなかったんだ。だからあのソロ・アルバムではスペースメン3のメンバーが演奏をしてくれているんだ。精神的には機能していなかったのも確かだけどね。スペースメン3は、うまいことやっていくことができない若者が集まったグループだった。だから一緒に沈んでいくような結果になってしまったんだけど、こういうのってある特定の種類のロック・バンドではそんなに珍しい話でもない。セックス・ピストルズやストゥージズ、MC5 なんかを思い出してみてよ。もちろん意識してそうなったわけではないし、僕らだって自分たちの状況に気づいていたとも言えない。そのあと何年もかけて僕たちはお互いうまくやっていけるような人間じゃないって気づいたけど、そういう経験を経ることがものごとの見方を変えてくれたりすることもある。
 ものごとの捉え方や考え方は変わったね。2010年だったかな、アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと仕事をすることになったときだった。そのとき僕は50代を目前にしていたんだけど(注:ソニック・ブームは1965年生まれ)、同じ場所や同じ人に囲まれた生活に人生を費やしたくないなと思い始めていた。人間関係がうまくいかない人もたくさんいたし、僕が育ったところ(イギリスの地方都市ラグビー)はいい友達もいるけどすごくフレンドリーな場所というわけでもなかった。そういう環境から出たかったし、商業化された都市にもいたくなかった。同じコーヒーショップ、同じファーストフードショップを見るのも、人々がみんな携帯を見ながら歩いているのを見るのもうんざりだった。
 そんなときにポルトガルでパンダ・ベアと一緒に作業をすることになったので、そのあたりに住む場所を探し始めたんだ。リスボンの郊外にある小さなナショナルパークを見つけてさ。美しい山に囲まれた場所なんだ。日本の北部に少し似ているかもしれないな。とにかく美しい場所なんだ。おかげで外でたくさん時間を過ごすようになったし、ガーデニングをするようにもなったんだけど、そういうことをしていると頭の中からノイズやナンセンス、クソみたいなことが消えて空っぽになるんだ。思考も明快になって、考えていたことをもっとリサーチするようになる。バックミンスター・フラー(註:アメリカの思想家。「宇宙船地球号」という言葉で知られる)が地球や人類、経済モデルのとの関わり方、経済資本モデル、その本質の一部である好景気と不景気の繰り返しについて話しているのを見たり聞いたりしてね。もし僕がもう1枚アルバムを作るとしたら、そういう問題についても言及してみたいと思ってる。何が欲しいだとか、もっと欲しい、もっと大きいものが欲しいみたいなこととか、使いまくって捨てまくって消費しまくってやるみたいなことを僕の声を使って届けたくない。
たとえばこれまでの人生で僕が消費してきたプラスチックのことを考えてみる。それらはよく考えると全然必要ではなかったことに気づくんだ。プラスチック製品は好きだったけど、もういまはプラスチックから何かを飲むのも何かをプラスチックで包むのも嫌だ。自分の人生を変えなきゃいけないって思ったんだ。そうしたら突然自分の人生がより良くなった気がするし、いままで自分がしてきたことに対しても気持ちが軽くなったような気がした。すべてのことにつながりを感じることができて、いままでとは比べものにならないくらいハッピーな人間になったよ。それを表現していきたいんだ。いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。彼らが行動を起こしたとしても牛歩だし、多くの場合政治家自身のビジネス・オペレーションの隠れみのになってしまっている。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。もちろん全員がそんなものごとの見方ができるわけではないことはわかっているけど、しっかりとした考えを持っている人はいるわけだしね。最近の気候問題は自分たちに何ができるのかということをより考えさせてくれていると思う。この地球上で起こっている問題について、僕たちはもっと真剣に取り組まなきゃいけない。僕たちは自分たちの人生に起こるノイズに対していっぱいいっぱいになるあまり、たくさんのことに目をつむり続けてきた。説教じみたことは言いたくないけど、いいヴァイブスがあるレコードは作りたいよね。

ポルトガルに住んだことで、あなたの考え方がそこまで至ったというのは興味深いところです。ポルトガルのなんという街に住んでいらっしゃるのですか?

SB:シントラという街なんだ。ここに限らず、ポルトガルは全然商業化されていない国だから気にいったよ。ここからスペインのマドリードなんて行ったら未来に足を踏み入れたような気持ちになるよ。もちろん東京もね。実際あそこは未来だし(笑)。あまりいい言葉ではないんだけど、ここはオールドファッションなんだ。ここではものごとが急速に発展したりしない。もちろんすべてがってわけじゃないよ。携帯とかラップトップ・コンピューターはちゃんと普及しているし。だけど総じて商業化されたものを見ることは多くなくて、オールドファッションなコミュニティがいたるところにあるんだ。このあたりをドライヴするとき、僕は近所のお年寄りたちに向かって手を振るんだ。そうすると彼らも手を振り返してくれる。おはよう、こんにちは、こんばんは……そんな挨拶も街角で常に交わされている。人が足早に通り過ぎるような都市部ではそんなこと起こらないだろ? そこがすごく好きだ。
 生活環境は自分の健康状態や心の健康にすごく影響がある。僕は木や美しい自然、鳥や野生動物、爬虫類、虫に囲まれた、自分が健康でいられる環境にいたかったんだけど、ポルトガルではそれがまだ見つけられるんだ。
音楽もこの生活環境に大きく影響されているよ。このアルバムはまさにシントラの音だと言っていい。童話で有名なハンス・クリスチャン・アンデルセンも家をこの地域に持っていたそうなんだけど、とにかくマジカルな場所なんだ。山に囲まれているけど海も近くにあるからすぐビーチに行ける。その昔ポルトガルの皇室が、毎年夏になると避暑のためにこの山脈に来ていたんだって。リスボンに比べると夏は5度も気温が低いからね。天気も最高で、海から風が吹いてそれが雲を作るんだけどとても美しい。太陽も美しいし、それらのムードはアルバムに取り入れられていると思う。歌詞はほとんどこの土地で書いたけど、ここにいることで感じることを最大限表現したんだ。庭で過ごしたり植物を植えていたりするときの気持ちをね。だからこの地域というのはアルバムにとっての最大の影響源になっていると思うよ。

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最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

アートワークにはとにかくあなたが関わってきたたくさんのアーティストの名前がクレジットされていて壮観ですね。


Sonic Boom
All Things Being Equal

Carpark / ビッグ・ナッシング

Amazon Tower HMV

SB:彼らこそがこのアルバムの最大のインスピレーションだからね。たくさんの人たちに感謝しているんだ。覚えている限り300から400のバンドやアーティストと一緒に仕事をしてきたよ。そこまで多くなってくると、さすがにすべてのことを覚えているのは難しいし、その人たち全員をクレジットするのは不可能だ。だからいままで一緒に仕事をした人全員にありがとうという気持ちを込めて「This is dedicated to the ones I love」とクレジットして、特にそのなかでも特別な人たちの名前を載せたんだ。なかには本当に僕の活動の初期から一緒にやっている人もいるし、全然名前が知られていない人もいる。プロデューサーとしての活動の初期に関わったフランスの European Sons というバンドがいるんだけど、彼らが拠点としていたフランスの街に行くたびに「誰かこのバンド知ってる?」って聞くんだけど誰も知らないんだ。プロデュースをしたのは1990年だからすごく前のことなんだけどね。連絡先もなくしてしまって、彼らに関する情報がなにもないんだ。だけどまだCDは持っているよ(笑)。たくさんの名前を載せることで、彼ら全員に僕を助けてくれたことや僕の人生の一部になってくれたこと、そして彼らから学んだすべてのことに対して感謝したんだ。そのときは気づかないかもしれないけど、人は人と出会うことで必ずなにかを学んでいるからね。
 こんなにたくさんの人やバンドとレコーディングやミキシング、プロダクションなど、関わり方のかたちは違えども共に音楽を作ってきたなんて信じられないよ! ジャケットを作ったりビデオを作ることで関わったバンドもいる。違うタイプの人と働くのが好きなんだ。ありがたいことにいつも僕はそこから収穫を得ることのできるタイプの人間だから。考えごとをしているときとか、自分の頭のなかでこれは誰がこんなふうに考えろって教えてくれたんだっけ? って思うこともあるよ。それも祝福したかった。彼ら全員が僕の音楽をよりよいものにしてくれたから。

プロデュースを頼んでくる人たちは、あなたにどんなことを望んで来るのでしょう?

SB:彼らからこちらにアプローチしてくることもあれば、僕のほうからプロデュースさせてくれということもあるよ(笑)。君がライブハウスで来る日も来る日も違うバンドが来て演奏するのを見ていたとする。そうするとだいたいみんな似たようなタイプの人間の集まりだなって思うだろう。でも、スタジオに入って制作を始めてみると、彼らのなかにあるダイナミクスだとか、自分たちの音楽や音楽そのものに対する考え方、音楽の作り方がバンドによって全然違うんだってことに気がつくんだ。プロデュースを始めた初期の頃に気づいたことは、もし自分がスタジオに行ってその場のルールを作って、これが俺たちのやり方だ! なんてことをするのは愚かだということ。僕がプロデュースを始めた理由のひとつは、スペースメン3時代に初めて迎え入れたプロデューサーなんだ(注:おそらくスペースメン3のファースト・アルバムに関わったボブ・ラムのことだと思われる)。彼はとても優しい人だったけど、音楽のことも僕たちのこともちっとも理解していなかった。僕たちの意見よりも彼の意見の方が尊重されたんだ。僕はすぐに彼は間違ってるって気づいたけど、もうああいう人とは働きたくないと思った。少なくとも僕にとってこれはポジティヴなことじゃなかったよ。だから自分でプロデュースもやり始めたんだけど、そのうち他の人が声をかけてくれるようになった。プロデューサーとして関わるけど、決定権は依頼主である彼らにあるべきだと思ってる。僕は彼らがよりよい作品を残せるように、そしてできるだけ早くベストな結果を残せるように正しい方向に導くだけ。最終的には彼らが納得してハッピーになることが大事。僕が納得する結果を残すために他の人を僕のやり方に従わせるっていうのはまったく違うんだ。バンドごとにやり方が違うのを見るのはかなりおもしろいよ。ときにはなによりもまず楽しもうぜってなる場合もあるし……いつだって楽しいんだけどね。すべてが比較することのできない経験になっているよ。とにかく全員違うからさ。人生のなかでも最高の出来事って、いつも予定されて起こることはないだろう? 最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

これまでにプロデュースや共演をしたなかで、印象に残っているアーティストをいくつか挙げてその印象を教えてもらいたいのですが……そうですね、たとえば MGMT、パンダ・ベア、Dean & Britta、Cheval Sombre、No Joy、ビーチ・ハウス、Delia Derbyshire、Silver Apples……

SB:えええ? それはちょっと難しすぎるよ(笑)。たくさんの才能ある人たちと一緒にやってきたんだから! 彼らはゲームのなかでもトップの人たちだよ。ゲームといっても彼らがやりたいことをする彼ら自身のゲームのなかということだけどね。人が自分に人生のリスクを背負わせてまで夢を追いかけるために自分たちのやりたいことをするって最高だと思わない? とにかく……選べないって! それぞれの強みがあるからなあ……みんなイコールにね……All Things Being Equal (笑)。

今回のソロはあなたもパンダ・ベアやビーチ・ハウスの制作で関わったワシントンDCの〈Carpark Records〉からのリリースです。このレーベルのカラーはあなたの音楽にとてもあっていると思います。このレーベルにはあなたがスペースメン3を始めて以降に生み出した音楽への影響力が継承されている感じがします。

SB:〈Carpark〉と初めて一緒に仕事をしたのはパンダ・ベア絡みで、その後レーベル・オーナーのトッド(・ハイマン)とはたまに連絡を取り合っていたよ。それで〈Carpark〉にいたビーチ・ハウスと一緒にやることになった。だから〈Carpark〉からリリースをすることは自分にとってなんとなく意味があるような気がしたんだ。それと当時僕は、別のレーベルとの問題を抱えていたんだよ。ロイヤリティが払われなかったりとか、アルバムが売れてもそれがちゃんと経理計上されていなかったりとかさ。音楽業界ではありがちなことなんだけど。当時はそういったネガティヴなことと向きあわなきゃいけなかったんだ。彼らはすごくモラルが低くて、非人道的なビジネスをするんだ。彼らのようになって戦ったほうが楽だということはわかっていたけど、それは僕がやりたいこととはまったく逆だし、なにより嫌な感情を振り払いたかった。嫌なものをただ手放したかったんだよ。お金がすごく欲しいんだったらネガティヴなことは付きものなのかもしれないけど、もうそんなものは気にしないって決めたんだ。それよりもその経験をポジティヴなものに昇華すれば、他の人にポジティヴで公平で思いやりのある行動を起こさせるような影響を与えられるかもしれないしね。もうすでにそういう行動を起こしている人もいるけど、まだすごく大きなメジャー・レーベルではまだ信じられないようなことが起こっている。とにかくポジティヴなことに昇華したかったんだ。
 トッドには、僕のレーベルに対する気持ちを話したことがあるんだ。彼はとても公平で正直でオープンな人だからね。リリースに関しては最初は全部自分でやろうかなと考えていたんだけど、いろいろな側面からそれを考えてみると、お金は減らないかもしれないけど、作品が届く人の数や作品が広がる可能性も減るんだろうなって思ったんだ。だからパートナーとしては彼らがベストな選択だったよ。いまのところの僕たちの関係性はまさにパートナーシップという感じで、他のレコード会社でたまにあるような契約書で結ばれた奴隷みたいに感じる関係にはまったくなっていない。30年間で学習してきたこともたくさんあるしね。20歳のときにスペースメン3としてレコード会社と契約を結んだときは、なにが起きているかなんてわかってなかったからなあ。

「パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。

もともとあなたは同時代の音楽シーンに直接的にコミットしてきたタイプではないと思いますが、いまの音楽シーンについて何か思うことがあれば教えてください。 

SB:僕はスタジオで一緒に制作をする人に、音楽を作っているんだからある程度はいまこの場所でやっていることを正確に把握しておく必要があるよって言うようにしているんだ。そのとき作っている音楽は何かに影響を与えることもあるからね。未来のことを見据えたときに、この音楽がどんな立ち位置になるのかっていうのはいつも僕が考え続けていること。なぜ、そしてどうやって音楽が定義されてきたのかということにはずっと興味があるけど、シーンというものの大きな一部になったことはないね。スペースメン3はパイオニア的な存在だったのかもしれないけど、パイオニアっていうのは自分の力でどこかに向かって行く人のことを言うだろ? 「You can tell the pioneers by the arrows in their backs (パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる)」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。
このあいだ「もし若手のバンドにひとつだけアドバイスをするとしたらなんと言いますか?」っていう質問をされたんだ。「オーマイガー、若手にアドバイスをする奴って大嫌いなんだよ!」って感じだった。それでも答えてくださいって言われたから「妥協をするな。心からやりたいと思うことをするんだ。友達が好きなシーンの一部になるために音楽をやってはいけない。すぐに友達がライヴを見に来てくれることはないかもしれないけど、やりたいことをやれば報われる」って言ったんだ。心に響く優れた音楽っていうのは、程度は違えど妥協をしない人たちが作ったものなんだよね。彼らは妥協せずに音楽とコミュニケーションをとることが必要だってわかっているんだ、音楽はコミュニケーションがすべてだからさ。それに音楽は素晴らしくパワフルなコミュニケーションの手段のひとつでもある。音楽って自分がそのときに考えていたことや思い出を際限なく呼び起こしてくれるよね。それって10枚のカードセットに入っているカードをある部屋で全部並べて覚えて、その後にもう一度その部屋に戻るとそのカードのすべてを覚えている、みたいなことに近いと思うんだ。もう何年間も聴いていなかったとしても、聴けばほぼ瞬時にその当時の感情や思い出を呼び起こされるという点でね。

1965年生まれのあなたはあと5年後には60歳になります。そのとき、世界はどうなっていて欲しいと思いますか?

SB:ワオ……僕は現実的だから、もし僕たちがリサイクルをすることや消費活動、長距離移動を削減することに賭けなければ……飢餓や水不足、資源不足、人の超過密といったような他のメカニズムのなかで人口はじょじょに減っていくことになると思うんだ。僕たちが抱えている問題というのは巨大だけど、地球は回復するということはあと2ヶ月くらいでわかると思うんだ。落ち込んでいる日には、「地球は人間がいなければより早く回復していくのでは」なんて考えたりもするけど、いつもは僕たちならできるって感じているよ。海にプラスチックを投げ込むのをやめて、海に浮かんでいるものを取り除いて、石油科学をやめるんだ。石油科学は有毒なものだってわかっているだろ。いまや再生可能エネルギーがあるんだから、それが唯一の回答であるべきだ。
 5年後か……夢は大きく持ってみよう……この地球はひとつで人類もひとつであるということを地球上に住む人びと全員が理解して欲しいんだ。お互いのことをレイシストと呼んだり、国家で分断したり、嫌なことやきついことはたくさんあるけど、違いを強調するよりもシェアするべきことのほうがたくさんあるということに気づいてほしい。この地球上で文化的な違いがあることは祝福すべきことだ。だけど一方で全員がこの地球の一部で、ひとりがその他の人のために地球を台無しにするなんてことがあってはいけない。もしひとつ選ぶとしたら、5年後には牛肉の消費量が大幅に減っているといいな……あと国家同士がきちんと手を組んでよりグローバリゼーションが進んでCO2の排出量のコントロールとかができるといいよね。西洋の国が中国を見て「大気汚染が深刻だ! この状況ってクレイジーだよ」って言うけど、いままで自分たちもさんざん大気汚染をしてきたじゃないか。この問題が深刻になる直前にこれはやばいって思ってちょっとだけ賢いやり方に切り替えただけでしょ。そういう問題にもっと目を向けていくべきだと思う。自分たちが「WE」であることを自覚していればいいんだけど、ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンが当選するのは……わからないな。彼らは僕たちをつなげるよりも分裂させるだけだから。みんなが一緒になってものごとに取り組むことが大切なんだ。一緒に取り組み始めたら他のことも必然的についてくると思うよ。戦争はなくなって、お互いのことを理解し始めるし、人はそれぞれ違っているのは祝福すべきことで同じである必要はないということもわかる。違いがあることは問題ではないとね。それって両親が言っていたからその子供たちも同じことを言い続けるような、オールドファッションなことなんだよ。いまの人の行動とかものごとのありかたって、いままでずっとそうだったからそうしているだけでさ。そのことに対して疑問を持たないでしょ? 一度でも疑問を持ったら絶対に理にかなってないってわかるからね。

 今ほど、人々が財政に関心を持った瞬間があっただろうか。


 日本政府と為政者のあまりの無能さに、多くの人が「日本ヤバい」と感じ始めているのではないだろうか。コロナウィルスの感染拡大とともに広がる経済的な災禍を前に、人々の積極財政を求める声が日増しに大きくなっている。

 前回、拙コラムでお伝えしたように、公務員数やその人件費、国立感染研や保健所の施設数や予算、病院のベッド数を削減し続け、危機に脆弱な社会構造にしてきた犯人は緊縮財政であったことは明らかだ。しかし、政府はこの期に及んでも病院の統廃合を促し、ベッド数を10%以上も減らす予算案を閣僚折衝で合意、一方では、前維新代表で元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏は「僕の改革で今、現場が疲弊している」としながらも「無駄は要らない」と居直る傍若無人ぶりだ。ネオリベ改革の狂気をまざまざと見せつけられては、人々の批判の声が止むこともない。

 4月7日に発表された政府の経済対策の事業規模は、GDPの20%に相当する108兆円規模になるという。しかしこの大本営発表は、最大限控えめに表現しても「ウソ」である。真水と言われる政府の新規支出額はわずか16.8兆円であった。日本政府は常に実体を大きく見せる誇大広告のトリックを使うが、この事業規模とは、政府支出により拡大する民間の投資額も含めた数字なのだ。追加の財政支出とされた29.2兆円の内訳は、昨年12月に閣議決定された事業規模26兆円の経済対策の未執行分や貸付拡大枠、財政投融資や徴税徴収の猶予なども加えるというセコい手を駆使した結果だ。国民を欺こうとする意図が透けて見えるどころか、隠そうともしない姿勢には閉口せざるを得ない。



出典;れいわ新選組・山本太郎代表のツイッターより「令和二年度 補正予算概要」

 実際の補正予算は上図のようになるが、我々国民が、竹やりだけ(マスク2枚)を持たされて本土決戦を迎えようとしている状況に、同日のツイッターでは「#ドケチ政権」がトレンド入りしていた。実際に、安倍首相が示した方針の中における各施策も、いわば、まさに、目を覆いたくなる酷さだ。政府は、「お肉券」「お魚券」があまりにも不評だったため、今度は旅行と飲食に使えるクーポンを発行することを決めた。幼稚なネーミングが批判対象になったと勘違いしたからか、「Go to Travel, Go to Eat」と名付けたクーポン券にするらしい。大喜利でもやっているつもりだろうか。

 また、日本政府は「コロナは戦後最大の経済危機」と見立て、子ども1人当たり1万円を給付する方針でもあるという。しかも6月にたった一回に限って支給するという、戦後最大の経済危機への対策がおこづかい程度の1万円とは、絶望しか感じえないだろう。

 他にも政府肝入りの対策として発表された「30万円の現金給付」、「雇用助成金制度」、「持続化給付金」も、中身を紐解けば酷いものだった。大本営の大々的な宣伝とは実態は大きく異なり、給付要件を厳しく設定し、対象も狭めるような、誇大広告に他ならない内容だった。消費者庁に通報して良いレベルだろう。

 忘れてはならないのが、1月23日に武漢が閉鎖された翌日の1月24日に、安倍首相は中国人観光客に対し、わざわざ春節ウェルカムメッセージを公開し、感染者の国内流入を後押ししたことだ。その自らの失政と緊急事態宣言により、営業休止に追い込まれた飲食店等への個別補償も「バランスを欠く」として否定しているのだから、批判を免れようはずもない。

 政府は給付対象を限定し、そして例え申請したとしても多くが給付されない制度の立て付けにした。給付要件を複雑にするのは、給付希望者を役所に来る前段階でふるいにかける為だろう。どうしてもお金を払いたくないから、事前に諦めさせようとする作戦であろうと思われる。さらに言えば、給付対象者自身が市区町村の窓口などに申請する自己申告制とし、申請時に所得が減少したことを示す資料の提出を求めているが、ただでさえ忙しい市町村の役所に、申請者が押し寄せることは不可避である。役所が感染クラスター化して機能不全に陥る可能性も想像もできない政府のあまりの無能さには頭がクラクラする。

 「日本政府のヤバさ」は他国の経済対策と比べると、より際立つ。国公労連の雑誌「KOKKO」編集者・井上伸氏は4月2日に、ツイッターで「IMFの調べ」として以下のように報告している。

 アメリカでは先週の失業数が660万を超え、僅か3週間で1600万人に達した。我が国でも緊急事態宣言が発せられた今、多くの人々が仕事を失うというのだから対岸の火事ではないが、そのアメリカでは先般議会審議を通過した2.2兆ドル(=240兆円・金融の流動性担保の4250億ドル=46.75兆円の予算を抜いたとしても193兆円))規模の経済対策に加え、さらに220兆円の財政出動、合計して総額460兆円規模の対策が予定されている。

 アメリカの240円規模の支出案に関しては、筆者のブログで詳細を報告しているのでぜひ参考にしてもらいたいところが、先日のれいわ新選組・山本太郎代表の配信番組でも取り上げてもらったことから、その重要性もご想像いただけるだろう。とにかく、アメリカは想定されうるありとあらゆるものに予算をつけているのだ。(リンク先の食料供給危機に対する米国の予算や国連・WHOの報告、先進各国の対策についてもぜひ注目いただきたい)


出典:筆者が複数のメディア情報を元に作成


 アメリカの支出案には年収約1000万円以下の、全ての国民に対する一律現金給付13万円(子供には約6万円・夫婦二人世帯なら26万円・年収約850万円以上は減額)という施策も含まれるが、世界各国でも同じような策を講じている。日本政府による「休業要請はするが補償はしない」とするわけのわからない休業補償・現金給付案とは大違いだ。

 早くから国民への一律現金給付を決めた香港(約14万円)、シンガポール(約24万円)の対策は広く知られるところだが、イギリス、フランス、ドイツの経済対策にも注目してみよう。EUではすでに、三月中から安定成長条約(SGP)といわれる財政健全化策が停止され、柔軟な財政政策を組むことが可能となって、各国が巨額の支出策を予定している。

 イギリスでは、3,915億ポンド(約52.4兆円)の経済対策を講じる。企業への220億ポンドの給付パッケージの支払いもすでに始まっていて、中小企業は2万5000ポンド(約330万円)の助成金を受け取り始めたという。

 労働者の給料の最大80%、ひと月あたり最大2500ポンド(約33万円)を補償する計画も進行している。この施策には自営業者の95%が対象とされるというが、これらの雇用維持のための費用は3ヶ月間で300~400億ポンドに膨らむとも予想される。

 また、企業の付加価値税(消費税)支払いを6月末まで猶予し、中小企業への無利子融資、家賃補償には10億ポンドの予算もつけ、三カ月間の住宅ローンの猶予する数々の施策も用意する。財政措置のほかには300億ポンドの税金の猶予措置、3310億ポンドの金融流動性措置もあげられる。

 フランスの緊急支援措置は5,592億ユーロ(約66兆円)にのぼる。企業が労働者に総給与の70%(最低賃金労働者には100%)を支払うことを二か月間補償するために85億ユーロ、収益が半減した中小企業に約60億ユーロ、税金や社保料の減免に320億ユーロ、債務返済モラトリアムに1,800億ユーロ、公共料金(ガス、電気、水道)や家賃の猶予に350億ユーロ、国民保健システムに20億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に3,020億ユーロなどの予算を予定している。

 また、国民生活に必要な食料を販売するスーパーマーケットの従業員には1000~2000ユーロ(約11万7000円~23万4000円)のボーナスも提案されているという念の入りようだ。苦境にある小規模事業所・自営業者・フリーランスには、第1段階として1500ユーロ(約18万円)を即時支給したともいう。

 ドイツでは憲法で巨額な負債を禁止しているが、それを一時的に外し対応にあたる。当面の財政支出として計上した2,360億ユーロ(27兆8500億円)をはじめ、納税猶予や金融流動性の担保等を含めて2兆600億ユーロ(242.8兆円)の措置を予定している。

 予算の内訳は、企業支援に1,850億ユーロ、零細企業・個人事業主への直接助成金が500億ユーロ、法人税等の減免・延滞費として5,000億ユーロ、児童手当や所得支援などに77億ユーロ、健康保険会社に50億ユーロ、医療緊急対策に35億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に1兆3220億ユーロなどとなっている。

 また、中小企業は面倒な審査なしに、まずは1回限りの5000ユーロ(約65万円)の援助が受けられ、子育て世帯には直接給付があり、在宅せざるを得ない親に所得の67%が保障されている他、住居費や公共料金の支払い猶予などの措置も定められているようだ。

 ほかにもスペインではベーシック・インカムが導入される予定で、経済大臣が恒久化も見越していると発言、カナダでは緊急対策手当として仕事や収入を失った人に毎月2000ドルを最大4ヶ月給付することを発表している。

 さて、このように日本と他の先進各国との経済対策をつぶさに比較すると、改めて嫉妬とも憤怒とも絶望ともつかない感情が沸き上がるのではないだろうか。世界の先進国が同じ課題に取り組む機会は多くは無いが、今回のコロナ対策では残酷なほど指導者の力量の差が出ている。あのトランプやボリス・ジョンソンですら国民と真剣に向き合い、適格な疫病・経済対策を打とうとしているのだ。我が国の首相の無能さを改めて論じる必要もないだろう。

 ゴールドマン・サックスによると、完全な都市封鎖もなく、まだ感染爆発も起こっていない日本のGDP成長率(4-6月期/同期比年率)が、マイナス25%と予想された。同社は米国の同期GDPをマイナス24%と予想しているが、米国では死者が1万5000人にも迫る大惨事となっている違いを忘れてはならない。

 また、OECDは「もし都市封鎖が3か月続き、(有効な対策を取るなどの)相殺する要素がなかった場合、一時的にGDP総額の20-25%、年間のGDP成長率で4-6%押し下げる」と報告していて、最も影響を受けるG20の国は日本(GDP総額でマイナス30%以上)であると位置づけている。残念ながら、日本政府が有効な対策を取れているようには思えない。OECDの予測する筋書きを歩む可能性も十分にありうる。


出典:松尾匡・立命館大学教授「そろそろ左派は経済を語ろう」より

 この惨禍が、政府の愚策のおかげであることすら知ることなく、自ら命を絶つ人も増えるだろう。絶望の中、我々は、コロナと、そして政府とたたかわなければならない。しかし、我々国民には財政主権がある。困っている人を助けるためにこそこの財政主権を使わなくて、いつ使うというのだ。

 緊縮財政の優等生ドイツでさえ、憲法にある均衡財政のくびきを断ち切って、人々の生活を支えようとしている。それほど、自国に生きる人々の基本的人権、生存権や幸福追求権を守らなければならないと奮起したからだろうし、それは民主主義国家であれば当然のことだ。国民国家は、国民がいなくなれば国家が成り立たないのだから。

 外国の政策担当者が「今は戦時中だ」というような言葉を発するのを聞くことも多い。ドイツのメルケル首相は「第二次世界大戦以来最大の危機」と発し、フランスではマクロン大統領が「戦争状態だ」と宣言している。フランスは来る食料供給不足を見越して、休業中の人を農業労働にマッチングさせる「農業部隊」政策を始めた。戦時下では、生き残るために必要な分野に労働力を移動させ、需給バランスをコントロールしなければならないのだ。

 ケインズは1939年に「How To Pay For The War(戦費調達論)」と題した短い書籍で、どのように平時の産業構造から戦争の為の産業構造に切り替え、国債や租税の力も借りながら、人々の消費と貯蓄、そして物価をコントロールすることで、その戦費を調達し後に返済するかを論じた。そのなかでは低所得者には減税し、より多くの報酬を払うようにと強調されている。

 公共投資により需要を創出するという、「一般理論」における彼の主張は、皮肉にも戦争という公共投資によってその正しさが証明されることとなった。ケインズの言葉を引用しよう。

もし我々が、軍備という無駄な目的のために失業を解決し得るならば、平和と言う生産的な目的のためにもそれを解決できるはずだ。 ジョン・メイナード・ケインズ

 今回のコロナ禍の影響もあり、残念ながら大統領選から撤退してしまったサンダース大統領候補の経済顧問で、MMTの創設者でもあるステファニー・ケルトン教授は「How to pay for the war」について、以下のように語る。

有名なケインズの「戦費調達論(How To Pay For The War)」は、過度なインフレを起こさずして、どのように 消費財の生産を中心とした経済から戦争をするための生産を中心とした経済へと転換させるかが書かれていましたが、ここで重要な点は(それと逆のことをやっても)物価がコントロールできるということです。 ステファニー・ケルトン教授

 言うまでもなく、物価は需給の増減により決定づけられる。ケインズ主義やMMTの真髄とは「需給のコントロール」により、いかにして完全雇用を実現するかだ。現在のような非常事態においては、まずは命を守るための国費の投入が、そして人々を失業から守ること必要だが、需要に対して供給能力の足りなくなった医療・物流・食糧・保険分野などには、労働力を投入しその供給を支えなければならない。今こそ政府が社会的共通資本に資金を投じて強固な国づくりをすべきだろう。

 一時話題となった布マスク二枚が全国に郵送され始めたようだ。政府は、やろうと思えば即時に郵送で国民に物資を届けることができるということだ。であれば、米国のように政府小切手を郵送することも可能である。これこそ、MMTで語られる内生的貨幣供給論と言われる信用創造そのものではないか。実態経済市場に新たに通貨を創造させることになり、コロナが去った後には需要を生むことにもなるだろう。

 さあ、我々が何をなすべきかわかってきた。財政主権を手に、政府に語りかけよう。

そこではいったい何が起きていたのか - ele-king

 世界は熱くなっているというのに、イギリスは冷えている──保守党の党色である青に塗られたイギリスの地図を見てそう思わずにいられなかった。総選挙ショックから1週間後、ボリス・ジョンソン英首相は議会演説で自身の率いる政権を「イギリスの新たな黄金時代の始まり」とブチ上げた。

 この選挙の保守党の主要スローガンは「Get Brexit done(ブレクジットを済ませよう/片をつけよう)」。その通り、保守党が圧倒的な過半数を占める新議会はイギリスが後戻りするルートを早々と断ち切った。泣いても笑っても2020年1月31日午後11時にブレクジットが起きる。2016年の国民投票から3年半以上、離脱賛成派は求めてきたものをやっと手に入れる。

 クリスマス休暇や師走のあれこれに紛れ、複雑な交渉/外交のディテールはしばし厚いカーテンの向こうに追いやられている──「ブレクジットはややこしいから、もう国民の皆さんをわずらわせません。後は我々政治のプロにお任せください」とばかりに。ジョンソンは選挙キャンペーン中に「ブレクジットはもう準備が整っていて、オーヴンに入れさえすれば出来上がり」(日本的に言えば「レンジでチン!」ですね)というレトリックを使っていたが、いったいどんな料理が出て来るのやら。

 ブレクジットが最終的にどんな形に収まるのか、実はまだ誰にも分かっていない。交渉はこれから本格化するし、入り混じる楽観/悲観双方の予測、どちらを信じるかはその人間次第。1月31日という日付はある意味象徴的なもので、そこから離脱プロセスの完了まで11ヶ月間の交渉&準備&推移期間が置かれている。しかしジョンソンはその準備期間の延長を断固はねつける姿勢で、最悪のシナリオ=「Hard Brexit(合意無しの離脱)」も再浮上している。北アイルランドの立場やスコットランド独立気運の再燃も始め見通しの立ちにくい状況は続くだろうし、英音楽界への影響も当然のごとく不安視されている。

 本来ブレクジットが起こるはずだった昨年3月末を前に『New Statesman』誌が掲載した記事(「The Lazarus Effect」by Andrew Harrison)に、2016年の国民投票時に〈ミュート〉のヘッドであるダニエル・ミラーがスタッフを集め「どう投票するか指図するつもりはないが、離脱賛成に投票した人間はカルネの記入をやってくれないと」と言った、との逸話があった。カルネはかつてミュージシャンがツアーする際に提出を求められた、各国間を移動する物品(楽器、各種機材、ケーブル1本1本に至る仕事道具)を逐一記入する面倒な書類。EU単一市場圏から離脱すると関税同盟から除外扱いになるのでこのカルネが復活し、ツアーのハンデが増える可能性を覚悟せよ、という含みのある発言だ。

 人気アクトには煩雑な法手続きをこなす専門家を雇う経済的余裕があるだろう。だがインディな若手や自腹でツアーしている面々に、書類記入や入国許可他の手続き・コストが増えかねないこの状況はきつい。作品を発表しライヴでプロモートするという伝統的なスタイルが逆転し、音源よりもチケット代やツアー・マーチャン販売が重要な収入源にシフトした昨今であれば尚更だ。アメリカのアーティストはヴァンに乗って広い自国内をDIYツアーすることが可能だが、小さな島国イギリス出身のアクトにとって目の前に広がる欧州大陸は遠くなるかもしれない(逆に、欧州勢がイギリスを敬遠する可能性も指摘されている)。

 CD・アナログ盤の価格上昇も予想される。英国内で流通するフィジカル・メディアの多くはEUでプレスされており、特にヴァイナルは(ビスポークなスペシャル版やダブ・プレートといった小規模生産を除き)チェコやポーランドの工場で生産されるケースがほとんど。過去数年の「アナログ人気復活」は英音楽業界の朗報のひとつだが、大手ショップのアナログ・セクションも、実はヘリテージ・アクトの名盤再発、ヒット作が支えている。ビートルズやストーンズ、オアシスやエイミー・ワインハウスの旧カタログの方がインディ・レーベル作品よりも恐らく確実に売れている。

 ゆえにメジャー・レーベルにはまとまったプレス枚数の注文をかけ続ける「腕力」があるが、新人バンドのデビュー作や12インチといった地味なアイテムはそのしわ寄せで後回しになりがち。この影響はブレクジットに関わりなく既に存在してきたとはいえ、アマゾンのように巨大なストックを抱えられない、わずかなマージンと専門的な品揃えで踏ん張っているインディのレコード店にとって倉庫・流通網の安定とグッズのスムーズな移動を妨げかねないブレクジットは遠くからゆっくり迫って来る暗雲のようなものだろう。

 サブスクリプションやネット・ベースの諸アウトレットの浸透で音楽を聴く手段そのものは増え、2019年の英音楽産業は2006年以来の高収益を記録した。だが新作アルバムのCD価格が現在8〜12ポンド、アナログは20〜24ポンド程度であるのに対し、1曲を1回ストリームして生じる実益は0.006ドルから0.0084ドルと言われる(これをレーベル、プロデューサー、アーティスト、音楽出版社、作曲家で分け合う)。ストリームのペイは多くのアーティストにとっていまだ雀の涙だ。

 音楽業界ももちろん黙ってはおらず、政府審議会にミュージシャンを送り込んで現状を訴える等の活動がおこなわれている。だがボリス・ジョンソンの組閣が発表され、ディジタル・カルチャー・メディア・スポーツ部門大臣(Secretary of State for Digital, Culture, Media and Sport)は誰かと思ったら、総選挙前に「ジョンソン政権には入らない」と大見得を切って議員辞職したものの、ドサクサに紛れて返り咲いたニッキー・モーガンだった。「女性閣僚の数を増やして体裁を整えたかっただけ?」と斜に構えたくもなる、胡散臭い選任だ。

 過去に同性愛結婚に反対し、宗教教育の自由に意義を唱えたこともあるコンサバである彼女がプロ・アクティヴに文化行政に取り組むとはちょっと考えにくい。ジョンソン内閣はブレクジット後の音楽やカルチャーに対して「なるようになる」の受け身な姿勢を取りそうな気配。逆に言えば、億産業である英カルチャー・セクターにはまだ充分に余力があるから助け舟を出さなくても大丈夫、ということかもしれない。

 救済措置を急務とする課題は国民医療サーヴィス、住宅難等他にいくらでもあるし、そもそも文化のことなどよく分かっていない政治家に妙に介入されてもうざったいだけ。悲観的な見方をあれこれ並べてきたが、人種や世代やイデオロギーといった壁も越えて響き届くのが音楽の強さなのだし、イギリス音楽界は過去にもしぶとくバウンスバックしてきた。ディジタル・プラットフォームはDIYな活動の幅を広げたし、映画・CM他とのシンクロやブランドとのコラボといった機会も増えている。音楽界のクリエイターたちが貧すれば鈍する、とは限らない。

 そんなディジタル時代のモダンなアーティスト成功例のひとつがグライムのスーパースター:ストームジーだ。ソーシャル・メディアを通じてファン・ベースを築き、クラブ・ファッション・映画他多彩なチャンネルを活用、メジャー〈アトランティック〉と合弁事業の形(通常の「契約」ではない)で発表したデビュー・アルバムで英チャート首位を達成。セカンド発表前にグラストンベリー2019のピラミッド・ステージでトリ──ブラック・ブリティッシュのソロ・アクトでは初──の快挙を成し遂げた#Merky(愛称・キャッチフレーズであり、彼自身のレーベル/フェス/出版社の名称でもある)は、黒人学生向けのケンブリッジ大奨学金を設ける等、敬愛するジェイ–Z型のアイコンへと成長しつつある。

 彼や仲間のミュージシャンたちが総選挙前にジェレミー・コービン/労働党支持を表明し投票を促したのは、今回初投票した若者も含む18〜24歳層に大きく影響したと言われる(他にリトル・ミックスのメンバーやデュア・リパも労働党支持を表明)。俳優スティーヴ・クーガンを筆頭に音楽界からはケイノー、ブライアン・イーノ、マッシヴ・アタック、ロビン・リンボー、ケイト・テンペスト、ロジャー・ウォーターズ、クリーン・バンディッツが連名署名したコービンのマニフェストを支持する文化人集団の公開書状もそれに続き、イーノは総選挙直前に風刺曲“Everything’s On The Up With The Tories”を発表した。しかし大ヒット曲“Vossi Bop”で「Fuck the government and fuck Boris」と歌い、数多い若者の命を奪っているナイフ刺殺事件への怒りをこめてバンクシー作のユニオン・ジャック柄防護ベスト姿でグラストンベリーに登場した26歳のストームジーこそ、これからの世代の不満や不安をヴィヴィッドに反映している。

 『ガーディアン』の日曜版『ジ・オブザーヴァー』紙は、選挙結果が出そろった2日後=12月15日付の付録文化誌『オブザーヴァー・マガジン』の責任編集をストームジーに任せた。労働党が勝利していれば、この号の意味合いは更に感動的だっただろうが──残念ながら現実はそういかなかった。実にほろ苦い。

 選挙結果の分析はプロの政治評論家やジャーナリストに任せるべきだろう。しかしひとつ言えるのは、労働党や「反ブレクジット」を掲げた自由民主党(Liberal Democrats)が議席を獲得したエリアの多くはロンドン圏、および大学があり学生&若者人口率の高いブリストル、マンチェスター/リヴァプール、ニューカッスル等の都市部である点。これらの選挙区は伝統的に左派傾向が強いので不思議はないが、そのコアなメトロポリス部を囲む郊外やカントリー・サイド──特に、過疎化と老化・衰退の進む「取り残されてきた」北部地帯は長年の労働党信仰を捨て、保守党候補に票を投じた。18〜24歳代層の左派支持と60歳以上層の右派支持とは、鏡と言っていいくらい見事に逆になっている。

 「田舎の年寄りは愚かだ」型の単純な話ではない。サッチャーに炭鉱を閉鎖され生活基盤やコミュニティを失った恨みを忘れていないこの世代が保守党に転じたのは重い決断だし、それだけ彼らは逼迫している。2008年の世界金融危機、緊縮政策に苦しみながらも労働党に希望を託し続け、それでも状況が改善しないことに失望した彼らは、その不満の表明としてオルタナティヴ=保守党とブレクジットに賭けてみることにしたのではないか。金持ちへの重税、無料ブロードバンド全国普及といった項目を含むコービンの利他的なマニフェストは「ユートピアン」、「ラディカル過ぎ」と批判されたが、このいわば理想の追求=体力も根気もいる遠いゴールよりも、衣食住・医療・治安の日常的な問題に追われる人々は──ナショナリズムや人種差別といったポピュリズムの常套甘言に乗せられた面もあるだろうが──応急処置を選んだことになる。

 労働党の地方労働者階級支持基盤が崩れ、イギリスの伝統的な「豊かで保守右派の南VS貧しく労働党左派の北」のパラダイムが逆転した2019年総選挙は地殻変動だった。焦点のひとつはブレクジットで「実質的に第二の国民投票」の印象すらあったが、獲得議席数ではなく投票数でカウントすれば、実はEU残留(=再度の投票を求める声からブレクジット帳消しまで様々だが、トータルで言えば離脱阻止の可能性を探る方針)を主張する諸党への支持票が保守党票を上回ったのだ。その民意は政党政治の前に掻き消えたことになる。この厳しい教訓を野党勢が重く受け止め内省し、それぞれが政党としてのアイデンティティを立て直さない限り、国民との乖離はますます広がるだろう。

 一方で、今回ブレクジットという博打に賭けてボリス・ジョンソンに追い風を送った層である、英中部/北部に対する保守党の責任も重い。南北格差の大きい公的資金配分システムを改造する動きも既に出ているそうだが、くも野郎(Boris the Spider)ならぬ嘘つき(Liar)で、前言撤回・有言不実行・不正確なデータ拡散の数々で知られるジョンソンだけに見張り(ウォッチ)を怠ることはできない──「北は忘れない(North remembers)」と思ってしまうのは、まあ、『ゲーム・オブ・スローンズ』の観過ぎかもですが。

 少なくともこの先5年は保証されたジョンソン政権の「黄金時代」。その暗い現実にストームジーを始め多くのミュージシャンが落胆を表明したし、フォー・テットがBBCのポッドキャスト「100 Voice Notes About The Election」(選挙結果に対する若者100人の声)向けに音楽を提供する等、リアクションはこれからも様々な形で現れてくると思う。音楽ファンの中からは「ジャーヴィス・コッカーを2019年のクリスマス・ナンバー・ワンに」というSNSベースの愉快なプチ運動が生まれた。

 ダウンロードやストリーミングで古い曲が復活しチャート・インしやすくなったことで、2009年に「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの“Killing In The Name”を1位に」の草の根運動が成功した。タレント発掘番組『Xファクター』勝者のシングルがクリスマス週にチャート1位になる……という、当時のイギリスで定番だった出来レースにウンザリしていた音楽ファンによる冗談/真剣半々のサボタージュ兼プロテストだった。その後も同様のアクションは折に触れて起きていたが、このジャーヴィス1位運動の発起人は、総選挙の悲惨な結果に落ち込みつつ、しかし少しでも左派への団結心をユーモラスに表明したい人々のためにこのフェイスブック・グループを立ち上げたという。
 
 選ばれた曲はジャーヴィス・コッカーのデビュー・ソロ『Jarvis』(2006)に隠しトラックとして収録された風刺曲“Running The World”。ミソになるコーラス部の歌詞は以下。

 If you thought things had changed, friend,
 you’d better think again
 Bluntly put, in the fewest of words,
 cunts are still running the world

 もしも事態は変化したなんて思っているのなら、友よ、
 考え直した方がいい
 手加減なしで、単刀直入に言わせてもらおう、
 いまだにこの世を回しているのはムカつかされるくそったれ共だと

 「cunt」は恐らくイギリスでもっとも熾烈な罵倒語のひとつ(くれぐれも安易に使わないように!)なので1位はまずあり得なかったとはいえ──この曲を爆音で流して2019年にわずかでもうっぷん晴らししたい人々の気持ちは理解できる。結果はチャート48位で、ジャーヴィスと〈ラフ・トレード〉は収益をホームレス支援団体に寄付した。

 この曲はアルフォンソ・クアロンのディストピア映画の傑作『トゥモロー・ワールド』のエンディングで、ジョン・レノンの“Bring On The Lucie”に続いて流れたことでも知られる。筆者はクリスマス期になるとついDVDで観返してしまうのだが、13年も前の作品なのにいまだ現在とシンクロする面があることに改めて打たれつつ──今回の観賞はヘヴィだった。と同時に、究極的には希望と人間のオプティミズムを描いている『トゥモロー・ワールド』に励まされもした。“Running The World”は近年のジャーヴィスのライヴでもよく歌われる定番曲だが、ライヴで歌う際に彼は前述の歌詞の後にひと言付け加えるようにしているそうだ──「but not for long(でもそれも長くは続かない)」と。

interview with Hot Chip - ele-king

 クラブ・ミュージック以降の感覚を取り入れたポップ~ロックを奏でるバンドとして、00年代半ばという「あの時代」に、ホット・チップもまた登場してきた。〈Moshi Moshi〉からのファーストこそ気だるさ漂うロウファイ・ポップだったけれど、彼らのイメージを決定づけたのはやはり、〈DFA〉およびメジャーとの契約を経て放たれたセカンドのほうだろう。当時の80年代リヴァイヴァルやいわゆるニュー・レイヴとも共振した同作以後、ダンサブルなシンセポップ・バンドとして着実に歩を進めてきた彼らは、チャールズ・ヘイワードとのコラボや〈Domino〉への移籍などを経験しながら、いまやUKの大御所バンドの一角を占めるまでに成長を遂げている。
 この夏4年ぶりとなるアルバムをリリースした彼らは、めずらしく外部からハウ・トゥ・ドレス・ウェルジ・エックスエックスサンファなどのプロデュースで知られるロデイド・マクドナルド(DRCミュージックにも参加)と、最近ではカインドネスのミックスを手がけていた故フィリップ・ズダールのふたりをプロデューサーとして招いている。はたして冒険は功を奏し、『A Bath Full Of Ecstacy』はこれまでとは異なる音響を聴かせつつも、従来以上にキャッチーなダンス・ポップを追及している。その新作について、初の単独来日公演のため赤坂BLITZを訪れていたフロントマン、アレクシス・テイラーに話を伺った。


世界というものはときにすごく重荷に感じてしまうことがある。でもそのなかで音楽や愛を分けあえば、互いにつながりあえるし少し心が安らぐ……でもだからと言ってオール・オッケーって意味でもないんだよ。

“Melody Of Love”という曲は、トランプやブレグジットにたいする幻滅がインスピレイションになっているそうですね。いまイギリスの情況はどうなっているんでしょう?

アレクシス・テイラー(Alexis Taylor、以下AT):ブレグジットにかんする政治的な決断がいろいろ遅れていて、たくさんの混乱が起きてる感じだと思うんだよね。僕含め、人びとはこれから何が起きるのかまったくわからない状況なんだ。僕自身や、僕の周りの人間はブレグジットの投票結果に怒りを感じているよ。怒りを感じていると同時に、投票で決まったということの事実も受け止めなければならない。国にとっては悲惨な結果だし、ここからさらにひどくなっていくと思うよ。ボリス・ジョンソンも僕から見たらぜんぜんやり遂げられてないし。僕は政治のエキスパートではないけど、いまの状況には混乱してるし怒りも感じているしすごく憂鬱な気持ちなんだ。こういう気持ちでいるのは僕だけではないと思う。政治的な部分だけではなく、環境問題にたいする先見性の欠如に対して、僕含め大勢の人たちは不安を抱えている。なんの変わりもなく、気にも止めずに生きられる人もいるけど、ほんとんどの人は未来に不安を抱えているんだ。もうすでに景気後退によって人生が良くない方向に変わってしまっている人もたくさんいる。その原因はアメリカだとトランプが国民を守っていないからで、UKでも似た状況だと思うんだ。さっきも言ったように僕は政治のエキスパートじゃないし、曖昧なことは言いたくないんだけど、保守主義で右寄りの人が力を持っていて、自分勝手な決断ばかり下しているのを見るのは腹立たしいね。でも僕らのこの曲は、政治のことを具体的に伝えようとしているわけではないんだよね。憂鬱な気持ちや、信義のない気持ちを歌っているんだ。世界というものはときにすごく重荷に感じてしまうことがある。でもそのなかで音楽や愛を分けあえば、互いにつながりあえるし少し心が安らぐ……でもだからと言ってオール・オッケーって意味でもないんだよ。苦しい気持ちと互いをつなぎあわせてくれるポジティヴなもののあいだにあるテンション感をあらわしている曲なんだ。

離脱を嘆いているのは金持ちだという話もありますし、一概にどちらがいいとも言えない情況のようにも見えます。“Positive”はホームレスや苦境に陥っている人たちについての歌だそうですが……

AT:“Positive”はおもにホームレスについて歌っている曲というわけではないんだ。薬物依存によって壊れていく人間関係とか、依存症を患っている人の知覚的なものをテーマにしてる曲でね。薬物依存はその人自身の問題であるという世間一般の考え方と、依存者に背を向ける社会。すごく複雑な問題だね。“Positive”は、空想のカップルにのしかかってくる、精神病や薬物中毒が原因のネガティヴな圧力について歌っているんだ。「ポジティヴ」って言葉はダブルミーニングとして使ってるんだよね。ひとつは、確信的な意味。たとえば人に「確実にそうなのか?」「絶対に?」って聞くときみたいな感じで、もうひとつは「陽性」って意味。「精神病の診断の結果は陽性だったの?」みたいな感じだね。僕が書いたリリックにはそういう意味が込められてるんだ。ふたりの人間のあいだにある愛や、どっちかが薬物依存症だった場合の苦悩やストレス、その状態が続くとすべてを失い最終的にはホームレスになってしまう、っていうようなことを歌ってるんだよね。サビのリリックはジョー(・ゴッダード)が書いてるんだけど、彼のリリックは僕のリリックとは逆で、曲のポジティヴでアップビートな要素を歌っているんだ。このふたつのムードの葛藤を表現している曲なんだよね。UKでもホームレスの状況というのは、拡大し続けている大きな問題で、自分自身はこの問題を良くするためにどうすればいいのかわからないけど、チャリティに寄付をしたりするのがいちばん効果があるのかなとは思っている。僕はそういうホームレスの方たちに直接お金を渡したり、話をしたりしているんだ。自分のなかで解決策は見つかってないんだけど、でもこの問題についてはよく考えてるよ。UKでも拡大し続けてるし、アメリカでも拡大し続けてる問題だからね。この曲は自分が体験していなくても、苦しい状況に置かれている人にたいする思いやりやコンパッションを持つことのたいせつさを表現してるんじゃないかな。

今年はデイヴの『Psychodrama』がマーキュリー・プライズをとりましたけど、聴いています?

AT:賞をとったのは知ってるけど、聴いたことはないんだよね。聴いた? いいアルバム?

鬱からの恢復がテーマなんですが、鬱は日本では社会ではなく個人の問題とみなされることが多いので、いまの薬物依存の話とつながるかなと思いまして。

AT:僕はただ自分や自分のまわりの人の経験からインスパイアされてつくっただけなんだ。僕は赤の他人の経験をもとに曲を書くことができない。だから友だちや自分の近くにいる人たちが経験したり、見てるものを曲にしているんだよね。

難しい問題に気づくと同時に喜びにも気づく──人びととの強いつながりを信じるっていうテーマが大きく含まれてるんだ。

今回のアルバムは“No God”と題された曲で終わりますね。このアルバムに救いはあると思いますか?

AT:もちろん。“No God”はじつはすごくポジティヴな曲なんだ。誰かをたいせつに思っているという曲でね。歌詞ではたくさんのものをリストアップしているんだけど、そのリストがどんなに長くても、その人にたいする気持ちには届かない、っていう内容の曲なんだ。僕の君にたいする愛はこれらには比べものにならないほど大きいんだよ、って歌ってるすごくポジティヴな曲で、だから「神さまはいない」とか歌ってる暗い曲じゃないんだよ。タイトルがミスリーディングだから、「神さまがいない」って歌ってる曲なんじゃないかって思われがちなんだけど、そうじゃないんだよね。神さまが存在しているって思える気持ち以上の気持ちを君にたいして感じる、っていう純粋なラヴ・ソングなんだ。センティメンタルでちょっとクサい曲だなとも思うんだけど、いちばん最初のリリックをタイトルにしているんだけど、それがよりテーマを強調してるんじゃないかなと思う。
 ジョーがタイトルをつけた“Bath Full Of Ecstasy”もそうなんだよね。「私たちのエクスタシーの中で楽しんでいきなよ」っていう意味の言葉で、ラヴ・ソングなんだけど、「A Bath Full Of Ecstacy」だったら意味が変わってしまう、ミスリーディングなタイトルなんだ。“No God”もタイトルをジョーに伝えたら気に入ってくれた。ちょっと違うスピンを与えてくれるんだよね。タイトルだけみると、じっさいはそういう意味ではないのに、“Bath Full Of Ecstacy”はドラッグの曲のように思われるし、“No God”も反宗教主義っぽい曲だと勘ちがいされる。このアルバムは深刻な問題も歌ってるけど、基本的には希望を歌ってるポジティヴなアルバムだと思うね。“Bath Full Of Ecstasy”、“Spell”、“Echo”、“Melody Of Love”、“Clear Blue Skies”はぜんぶポジティヴな曲だと思うんだ。ネガティヴな内容の“Positive”でも、サビには、精神を昂めなきゃっていうポジティヴなメッセージが含まれている。難しい問題に気づくと同時に喜びにも気づく──人びととの強いつながりを信じるっていうテーマが大きく含まれてるんだ。

全体的にかつてなくダンサブルな曲が多いように感じたのですが、それはプロデューサーのロデイド・マクドナルド、または先日亡くなったフィリップ・ズダールの功績ですか?

AT:このアルバムのデモをつくったのはふたりに出会う前だったから、ダンサブルな要素はもともとあったんだよね。でもマクドナルドが“Melody Of Love”を聴いたときに、「これは10分あるクラブ・トラックじゃなくてポップ・ソング」だって言って、かなり編集してくれたよ。“Bath Full Of Ecstacy”も現代風にプロデュースしてくれたし、“Hungry Child”はふたりとも力を合わせてくれて、ダンスフロアで映える曲に仕上げる協力をしてくれた。あと、いままで出してきたアルバムにはかならずバラードが入っていたんだけど、今回は初めてバラードが1曲もないアルバムだから、それもダンサブルに聞こえた理由のひとつかもしれないね。“Why Does My Mind”はダンス・トラックじゃないけど、テンポが落ちないから、最初から最後まで同じダンサブルなグルーヴが続くような作品になってる。僕的には“Clear Blue Skies”なんかはやさしめの曲だと思う。クラブっぽいとは思わないね。逆に“Bath Full Of Ecstacy”はバラードっぽいけど、クラブで流れても成立する曲だと思う。ダイナミクスが変わらないようフィルターにかけて制作したけど、とくによりクラブっぽいアルバムに仕上げようと思ってつくったわけではないよ。

これまでホット・チップはかなり多くのリミックス・ワークをこなしていますが、もっとも印象に残っているのは?

AT:ジョーは最近リゾ(Lizzo)の“Juice”をリミックスしていたね。僕は参加してないんだけど、エキサイティングですごくいいリミックスだなって思った。リミックス本来の、あるべき姿に仕上がってるなって感じだよ。もとの曲をしっかり呼吸させつつ、ダンスフロアでも生かすと言ったらいいかな。僕自身はロバート・ワイアットと、クラフトワークのリミックスをやったときのことがすごく印象に残ってるね。僕らが若いころから聴いてきた音楽をやってきた面々だったから、すごく特別なものだった。あと、僕の大好きな日本のバンド、マヘル・シャラル・ハシュ・バズに自分たちの“Look At Where We Are”って曲をリミックスしてもらったときのことも印象に残ってるね。リミックスというよりカヴァーみたいな感じだったけど、すごくよかったんだ。僕らの歌詞を日本語で歌ってくれていて新鮮だったよ。リミックスっていうのはいい意味で誰かに、曲に変化を加えてもらえる機会なんじゃないかな。

今後リミックスしたくないアーティストはいますか?

AT:たしかに、好きじゃないなと思う音楽はたくさんあるよ。まずヴォーカルの声じたいが好きじゃなければリミックスはしたくないんだ。僕はどっちかというと、嫌いな音楽には集中したくないから、まず聴かないかな。自分の好きな音楽だけを集中して聴いていたいからね。

interview with Floating Points - ele-king

 まず弦の響きに驚く。やがて極小の電子音が静かに乱入してくる。終盤、両者は混じり合い、高速スピッカートなのかエレクトロニクスなのか判然としない音の粒子が烈しく舞い乱れる。冒頭の“Falaise”が高らかに宣言しているように、弦(と管)がこのアルバムのひとつの個性になっていることは疑いない。ストリングスは4曲目“Requiem for CS70 and Strings”や10曲目“Sea-Watch”でも効果的に活用されており、そういう意味ではフローティング・ポインツによる4年ぶりのこのアルバムは、昨今のモダン・クラシカルの文脈から捉え返すことも可能だろう。
 が。やはり、それ以上にわれわれを惹きつけるのは、そのエレクトロニックかつダンサブルな側面だ。2曲目“Last Bloom”のエレクトロ、3曲目“Anasickmodular”や7曲目“Bias”におけるダブステップ~ジャングルの再召喚、そして先行シングルとなった“LesAlpx”の4つ打ちなんかを耳にすれば、いやでも身体を揺らさずにはいられない。他方で8曲目“Environments”の音の響かせ方はある時期のエイフェックスを想起させるし、穏やかな“Karakul”や“Birth”では細やかな実験が展開されている。サム・シェパードの雑食性が見事に花開いたアルバムと言えるが、ようするに、テクノなのだ。
 デビューから6年ものときを経て届けられたファースト・アルバム『Elaenia』(2015)によって、クラブ系以外のリスナーにまでその名を轟かせることになったフローティング・ポインツは、新たなファンの期待に応えるかのようにバンドを結成し、「Kuiper」(2016)や『Reflections』(2017)でロック的なアプローチを追究していったわけだけれど、ここにきて彼はふたたびダブステップやテクノの躍動と、実験に立ち戻っている。何か大きな心境の変化でもあったのだろうか?
 本作でもうひとつ注目しておくべきなのは、そのテーマだろう。たとえば“Environments”はリテラルに「環境」を意味しているが、「僕にとって、『Crush』は、じわじわと僕らを蝕んでいく破壊行為を想起させる」と、サム・シェパードはプレスリリースで語っている。「つまり、利己主義に凝り固まった政治的権力闘争、気候変動、抑圧された思想や人びとといった圧倒的に不可避な物事──日常的に僕らが怒りを覚えているこうしたすべてのことにたいし、無力だと感じてしまうような」。
 フローティング・ポインツがポリティカルな要素を直接的に作品とリンクさせたのは、おそらく今回が初めてだろう。プラッドがそうだったように、シェパード青年もまたこの暗黒の社会のなかで怒りに打ち震えている。その怒りが生み出した、しかしあまりに美しい音楽に、わたしたちは耳をすまさなければならない。(小林拓音)

今回、デジタルじゃなくて本物の楽器が使いたかったんだよね。本物の楽器を使って、その音をデジタルの楽器であるかのように扱いたかったんだ。僕からしたら同じなんだ。だから、このアルバムの曲の根本はぜんぶストリングスなんだよ。

今回ヴァイオリンやヴィオラ、チェロを入れようと思ったのは?

サム・シェパード(Sam Shepherd、以下SS):じつはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット、フルート、バスクラリネットとフレンチホルンを使ってるんだ。僕は1日じゅうストリングスを聴いていられるほどストリングスが大好きなんだ。天国の音に聴こえるんだよね。でも木管楽器って忘れられがちな気がするんだ。とくに僕自身が忘れてたりすることが多いんだけどね(笑)。トーク・トークのフロントマンのマーク・ホリスのアルバムに木管楽器の音がたくさん使われていて、僕自身はそのアルバムの曲のアレンジはそこまで好きだとは言い切れないんだけど、サウンドは大好きなんだ。すごくオリジナルで美しい音だったから僕もいつか自分の曲でそういう音を使ってみたいなと思ったんだ。

ローラ・カネルはご存じですか?

SS:知らないなぁ……名前のスペルは? 聴いてみるよ。

いまはエレクトロニック・ミュージック全盛の時代ですが、そういうヴァイオリンのようなストリングスの音が逆に求められているのかなという気もしていて。どう思います?

SS:僕は今回、デジタルじゃなくて本物の楽器が使いたかったんだよね。本物の楽器を使って、その音をデジタルの楽器であるかのように扱いたかったんだ。僕からしたら同じなんだ。1曲目はストリングスや木管楽器がふつうにスピーカーから鳴っていて、そこからブクラ(Buchla:モジュラー・シンセサイザー。かなり特定されたもの)に通して、リブートして、音を細かく切って、その切った音をデジタルな音として扱ったんだ。

エレクトロニクスとストリングスの融合が今回のテーマだった?

SS:まったくそのとおりだよ。

冒頭“Falaise”の最後のほうで鳴っているシンセはヴァイオリンのようで、まさに両者の区分が融解しているように聞こえます。

SS:モジュラー・シンセサイザーはすごくテクニカルなんだ。ほんとうはオシレイター(oscillator)っていう、シンセサイザーの音のもとになる波形をつくり出す発振器でベーシックな音をつくるんだ。そのベーシックな音をプロセシして、音楽的な音にするんだけど、今回はオシレイターの代わりにヴァイオリンを使ったんだよね。まるでヴァイオリンがこのデジタル機材の一部であるかのように扱った。だから、このアルバムの曲の根本はぜんぶストリングスなんだよ。機械でプロセスして、フェイドインさせたり、フェイドアウトさせたりしているストリングスの音なんだ。「プロセスする」っていうのは、フィルターに通したり、パンを振ったりしてるってことね。サラウンド・サウンドなんだ。

現代音楽、クラシカルはよく聴いていたんですか?

SS:クラシカルしか聴いてなかったね。エレクトロニック・ミュージックやジャズやソウルを聴きはじめたのは14歳か15歳のときだったかな。目覚めるのが遅かったんだ。僕がそのとき聴いてたエレクトロニック・ミュージックはカールハインツ・シュトックハウゼンとかモートン・サボトニックのようなクラシカル・エレクトロニック・ミュージックで、カール・クレイグとかそっち系ではなかったんだ。

ダブステップやジャングル的なリズムの曲もありつつ、全体としてはテクノのトーンで、それが見事にストリングスと合体している──今回こういうアルバムにしようと思ったのはなぜですか? 少し前まではバンド・サウンドを追求していましたよね?

SS:Elaenia』はエレクトロニックだったんだけど、バンド・サウンドになるポテンシャルがすごくあるアルバムだったんだ。ギターやドラムの音も入っててね。だからバンドにしたんだ。アルバムを聴いたときに「バンドとしてできる!」って思ったんだよね。バンドとして世界中をツアーでまわって、よりバンドっぽくなっていって、つねにライヴしてたんだ。毎日毎日ライヴ、ライヴ、ライヴ……。それで僕ら、いや、僕の音が変わったんだよね。サイケデリック・ロック・バンドのサウンドになってしまったんだ。そのツアーが2017年のコーチェラで終わって、僕は自分のスタジオに戻ってふたたび音楽をつくりはじめた。でも、もうこのときはバンドとしてっていうのは終わったので、ひとりで帰って、ひとりでつくりはじめたんだ。べつにバンドに飽きたわけじゃなくて、ちがうことをやりはじめただけなんだよね。『Elaenia』の前はテクノっぽい感じの音楽をずっとやってたし、『Elaenia』はちょっとしたバンド・フェイズだったってだけなんだ。ツアー終了と同時にそのフェイズが終わって、僕はひとりでスタジオに戻って、それまでやってきたことに戻ったんだ。だからこのアルバムは本能的というか、より直感的なものなんだよね。僕と機材だけ。僕が愛してる音楽はそういう音楽なんだ。サイケデリック・ロックも大好きだけど、テクノも大好きなんだ。

ユースセンターや更生施設に力を入れずに警察に権力を与えまくっていることが腹立たしいよ。理解不可能だ。あとは医療制度だね。お金がないと病院に行けないっていう制度には怒りを感じるよ。

今回の『Crush』はいつごろからつくりはじめたんですか?

SS:今年の2月だね。3月にはつくり終わってたよ。5週間でできたんだ。

制作にあたり「Shadows EP」(2011)を聴き返したそうですが、原点回帰のような意識が?

SS:僕は自分がつくった音楽はあまり聴かないんだ。だって世の中はもっといい音楽で溢れてるでしょ(笑)? べつに聴き飽きてるわけではないけど、つくってるときに聴きまくってるからちょっと離れたくなるんだよね。でも何年か後に聴いたりすると、なんか予想外というか……まったくちがう聴き方ができて、自分がつくったものじゃないかのような感じがしたりするんだ。わくわくするんだよね。深い意味があって聴いたりするわけじゃないんだけど、「Shadows」はもうちょっと長くやっていたかったって気持ちはあるんだ。その気持ちにたいする答えが『Crush』なのかなって思う。僕はいま「Shdows EP」がすごく好きなんだ。8年くらい前につくったんだけど、聴くといまでもわくわくするんだ。

『Crush』をつくる際にとくに参照した作品やアーティストはありましたか?

SS:ものすごいスピードでできたんだ。32年間音楽を聴いてきた僕がいて、ロンドンにある僕の大きな、機材がぜんぶ置いてあるスタジオがあって、機材が正常に動いているのを確認してくれるティムって言う仲間がいたから作業がすごく早くなった。このアルバムはスピーディに作業ができた結果みたいなものだと思うんだ。激しかったよ。音楽を聴いて「こういうふうにしたいなぁー」とかはなかったんだ。アルバム制作中は音楽を聴いてなかったからね。ゆっくりめの曲もピアノの前に座って淡々とできていった、溢れ出てきたって感じだったよ。

《Sónar 2019》でのDJはすごくダンサブルかつ多様なセットでしたが、今回のアルバムがこのようなスタイルになった理由は?

SS:いい質問だねぇ。僕の頭のなかでは、僕がいままで聴いてきた音楽が乾燥機状態になってるんだ。頭のなかで転がりまわってるんだよね。で、僕のスタジオのなかにはブクラやコルグやローランドのようなエレクトロニックな楽器がたくさんある。だから僕のつくる音楽がエレクトロニックなサウンドなんだ。たとえば僕がスタジオに行って、ヴァイオリニスト4人が座ってたとしたら、僕はきっとヴァイオリンの音楽だけをつくるだろう。たとえば「LesAlpx」のBサイドの“Coorabell”って曲なんかはドラムを全部ローランドの新しいドラム・マシーンでつくったんだ。それで8分もあるこの曲のベースを、淡々と10分でつくったよ。できちゃったんだよね。
 やっぱりエキサイティングじゃないといけないと思うんだ。エレクトロニック・ミュージックをつくるうえで僕がたいせつだと思うのは、たとえばチェロ奏者。チェロを弾くには、楽器を抱えて、包み込んで弾かないといけない。だから、チェロの演奏をみると、そのチェロの音を通り越して演奏者の心の音まで聞こえると思うんだ。エレクトロニックの機材だとそれが難しいと思うんだよね。自分と機械だからさ。リスナーがその機械を通り越してアーティストの心が聞こえるようにするには、機材のことを知り尽くさないといけないと思うんだ。これは絶対。

『Elaenia』は音響的にけっこうクリアでしたが、今回は良い意味で濁りがあって、たくさん細やかな音が入っています。それは意図的にやりました?

SS:それもつくりあげたスピードが関係してるんだと思う。今回使った機材はツアー中でも使ってる機材で、曲を早く流したり、ディテールを足すこともできるものなんだ。でもたまに、手を離したら何もコントロールできなくなる状態のセッティングにするんだ。だからつねに機材の舵を取ってないといけないんだよね。前作よりちょっと乱雑な音になっているのはそれが原因かな。ぜんぶセッティングして、機材に声を与えたんだ。でも舵は僕が握っている。野獣に手綱をつけて、暴れすぎたら引く感じって言えばいいのかな。

怒りの根本は、僕たち人間が時間を無駄にしていることからきてると思うんだ。でも希望はある。このアルバムをつくったときは絶望を感じていたし、怒ってたけど、希望がなければ何も正せないと思うんだ。希望は捨てちゃいけない。

本作の背景には「政治的権力競争」や「環境変動」などがあるようですが、やはりいまのUKの情況に影響されたんでしょうか?

SS:グローバルな情況だね。どの問題もちょっと似ていると思う。UKやアメリカ、ブラジルなどでは右派の政治が増えていて、それにしたがって独立主義も増えているんだよね。この世代にとってはほんとうに悲しいことだと思うし、それにたいして闘わないといけないと思うんだ。僕はこの問題についてなら延々と話せるよ。

そういったポリティカルなことを明確に作品とリンクさせたのは今回が初めてですよね?

SS:そうだね。このアルバム以外の作品はもっと抽象的なものばかりだったと思うな。「自分の信じているものを最前線に」っていう形でやったんだけど、それは自分の信じてることが正しいと思ってるからなんだよね(笑)。

いま何にいちばん怒ってる?

SS:毎日ちがうんだよね。たとえばUKでは青少年犯罪がすごく増えているのに、政府はどんどんユースセンターを減らしているんだ。ユースセンターや更生施設に力を入れずに警察に権力を与えまくっていることが腹立たしいよ。理解不可能だ。あとはヘルスケア・システム(医療制度)だね。僕はすべての人間がヘルスケアにアクセスできて当たり前だと思ってる。お金がないと病院に行けないっていう制度には怒りを感じるよ。ほかにも怒ってることはたくさんあるけど、僕が生きている限りずっと怒りを感じ続ける問題は、ヘルスケア・システムだろうね。いまでもつねに頭をよぎるからね。

なぜ今回のアルバムはそういうものとリンクしたんだと思いますか?

SS:リンクしているかどうかは正直はっきりわからない。今年の初めごろに僕は、人生でこれまで感じたことのないほどの絶望を感じていたんだ。その気持ちが僕の音楽に浸透したのは間違いないと思うけどね。修道士のように毎日スタジオにこもる。毎日毎日。僕はそこにいないといけないんだ。でもそれと同時に僕は、世界から自分を締め出してしまいたくないんだよね。だからつねにいろいろ読むんだ。僕自身がより意識するようになったからなのか、ニュースがどんどんひどくなっていってるからなのかわからないけど、確実に読むニュースのひどさに意識が向いているんだよね。そのニュースが僕に怒りを感じさせているし、その怒りから生まれてきた曲も確実にあるんだ。ピアノに向かって「よし、いまからボリス・ジョンソンについて曲を書くぞ」っていう感じでつくってるわけではないんだけど、自分の心が勝手に、つくる曲に反映されているとは思うんだよね。

今回アルバムをこのような構成にした意図は?

SS:けっこう難しかったよ。最初はアップテンポで次第にゆっくり、って順番で並べてみたりもしたんだけど、ぜんぜんしっくりこなかったんだよね。その並べ方だとソフトな曲を聴いてもリラックスできないって思ったんだ。友だちのキーレンとふたりでいろんなコンビネイションを聴いてみたりしたよ。キーレンはシーケンスをすごく助けてくれたんだ。“Sea-Watch”だけはちょっと多めにスペースを与えたいって思ってね。ほかの曲との距離感をたいせつにしたかったんだ。

“Sea-Watch”はアルバムのなかでもとくに静かな曲ですよね。

SS:人道的活動グループの曲なんだ。地中海に船を出して難民を救う団体なんだけど、イタリア政府は認めていない。キャロラ・ラケット(Carola Rackete)っていうドイツ人女性の船長がいて、彼女の船だけで500人の難民を救ってるんだよね。彼女やその団体の人たちはイタリアの政府からしたら犯罪者かもしれないけど、僕はほんとうのヒーローだと思ってるんだ。政治家は揉めているだけだけど、この人たちは危険な海に出て、行動を起こして、人を救っているからね。

8曲めはいきなり唐突に終わります。これは怒りですか?

SS:トラックリストある? 8曲めがどの曲かわからないんだ(笑)。……ああ、“Environments”か。このアルバムは、どの曲もけっこう重めでディテールが強いドラムスが入ってるんだよね。メロディのほうはけっこうピアニスティックでシンプルでメロンコリックだけど。“Environments”の場合はピアノがゆっくり忍び寄る感じで入ってきて、悲しみの感覚が曲の最初から最後まで存在してるんじゃないかな。でもその悲しみのうえに怒りもつねにいる感じなんだよね。曲の最後はすべてがぐるっと回転したかのような激しい怒りで終わるんだ。このアルバムをライヴでやるときがきたら、きっともっと大きな怒りを表現するんだろうなと思うよ(笑)。

そしてアルバムは“Apoptose”という連曲で終わります。「アポトーシス」と聞くと暗い印象を抱く人もいるかもしれませんが、これにはどういう意味が?

SS:僕は学校に行って生物学者になったから、こういう言葉は日常的に使うんだよね。家のキッチンから出てすぐの壁に、プログラムされた細胞死(アポトーシス)のポスターを貼ってるんだ。オタクっぽいって言われるんだよね。友だちとかが家にくると「なんでこんなポスター貼ってんだよ」って突っ込まれるし。だから僕はふだんから「アポトーシス」って言葉に触れてるんだよね。「アポトーシス」って言葉の響きが好きなんだ(註:黙字を発音して「アポプトーシス」と読むことも)。「ポップ!」ってさ、なんかシャボン玉がはじけるような、かわいい音というか。暴力的には聞こえないんだよね。なんか……良いことのようなさ。ぜんぜんいいことじゃないんだけどね(笑)。曲も悪いことを指してるし。でも言葉の響きはいい。「ポップ!」って。日本語だと風船が割れる音をどう表現するの? パン? パン! 英語だと「ポップ!」なんだよね。「ア・ポップ!・トーセス」。その響きが好きなんだ。曲中のドラムスの音もはじけてるような音になってる。ディデールがたくさん詰め込まれた曲だからいろんな音がはじけてるように聞こえると思うんだよね。アポトーシスは末期というか、細胞が死ぬ、ようするに終わりだからアルバムの最後に持ってきたんだけど、そんな悲しいとか暗い終わりって感じじゃなくて、単純に終わりって感じで最後にしただけなんだよね。

こちらの考えすぎだったかな?

SS:いや。この曲はたまたまゆるい感じの曲なんだ。逆に“Sea-Watch”とかにはすごく献身的な意味がある。クリアな意味というか。でも“Apoptose”はゆるめなんだ。

今回のアルバムは、オプティミスティックですか? それともペシミスティック?

SS:オプティミスティックだね。“Birth”は新しい命を祝福する曲だし、いま僕らが目の当たりにしている環境問題や政治問題は人間がつくってしまった問題で、だから人間で正せる問題なんだ。新しく生まれてくる人間たちでね。怒りの根本は、僕たち人間が時間を無駄にしていることからきてると思うんだ。でも希望はある。このアルバムをつくったときは絶望を感じていたし、怒ってたけど、希望がなければ何も正せないと思うんだ。希望は捨てちゃいけない。

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