Home > Regulars > NaBaBaの洋ゲー・レヴュー超教条主義 > vol.5 『Hotline Miami』 - ――血とネオンと音の洪水から垣間見える、暴力ゲームの美学
■現代に蘇った暴力ゲーム
そんな経緯から生まれた『Hotline Miami』は、これまでの下積みの厚さを感じさせるすばらしい出来栄えです。とくに過去作で多々見られた極彩色のエフェクトと偏執的な作風が、「80年代風サイコスリラー」というコンセプトに結実しており、その明快さが全体の完成度の高さにつながっていると言えます。今回はそれをさらに暴力表現、ゲームプレイ、物語の3点に噛み砕いて見ていきましょう。
ゲームのタイプとしては8ビット・スタイルの見下ろし型のアクション・ゲームで、ひたすら敵を倒していくだけのシンプルなもの。この部分だけ抜き出して見れば、凡百のレトロ調インディーズ・ゲームと大差ありません。しかしながら血出まくり・惨すぎ・殺しまくりな猛烈なヴァイオレンス表現は近年見ない異質なもので、さらに眩いネオンやゆらゆら揺れるエフェクト、それにハイテンションな音楽が加わると、その体験はまさにサイコ或いはドラッギーという形容詞で言い表す以外にない強烈なものとなります。
ゲーム序盤の様子。ハイスピードで展開されるゲームに血とネオンと音の洪水。
このような作風を見て真っ先に思い出すのが、かつて〈Rockstar Games〉が開発した『Grand Theft Auto: Vice City』か、あるいは『Manhunt』という作品。とくにタイトルからして物騒な『Manhunt』はスナッフ・フィルムの都市伝説をゲーム化した作品で、残虐な方法で敵を殺せば殺すほど高得点が得られるという狂った内容。シチュエーションから映像表現、ゲーム性まで『Hotline Miami』が影響を受けていることは明らかです。
『Manhunt』より。いままさに人を狩らんとするところ。ここから先はグロ過ぎるのでお見せできません!
少し話が逸れますが、この手の作品は暴力ゲームと呼ばれ、ひと昔前までは少数ながらつねに存在していたジャンルです。しかし発売されるたびに世界各国で発禁処分になったり、ゲームは犯罪を助長する云々の論争の槍玉に挙げられたりと、なにかと物議をかもすジャンルでもありました。
ここにはゲーム表現の限界や、超えてはならない倫理の壁といった命題がつねにあり、単なる愉快犯的な作品もあれば(大半はそれなんだけど)問題提起的な側面を備えた作品も存在して、独特の熱さがあったのです。ただ近年はそういった従来の事情とは別に、元々のニッチさが開発規模の巨大化の割に合わなくなってきたという商売上の問題から、廃れてきてしまっているように思えます。
〈Rockstar〉もいまでこそ落ち着いた感がありますが、かつては『Manhunt』にしろ『Grand Theft Auto IV』以前の同シリーズにしろ、容赦ないセクシャル&ヴァイオレンス表現の常習犯だったのです。ただ〈Rockstar〉の場合はそんな暴力表現のなかに、いまの作風にも見られるセンスの良さが共存していて、それが独特の魅力やブランド性をかたち作っていました。
『Hotline Miami』はそんな途絶えつつある文脈の上に立っている作品です。パッと見こそ荒削りの8ビット調ですが、それでも過剰な暴力は確かに表現されており、むしろ見た目の抽象性があらぬ想像力を掻き立てさえします。そして数々のエフェクトと音楽、80年代風で妙にハイ・テンションな雰囲気が織り成すインモラルなクールさは、まさにかつての〈Rockstar〉を引き継いでいると言えましょう。
■目くるめく殺しのルーティン・ワーク
暴力ゲームと呼ばれるものは、実際のところそのセンセーショナルさに頼ってゲーム性をおざなりにしてしまったり、暴力表現の必然性の証明、ゲーム・プレイとの一致という部分で問題を抱えることが多いです。しかし『Hotline Miami』はその命題に、たしかな完成度と巧妙なトリックで応えています。
本作のゲーム・ルールについて改めて説明すると、これは建物内にいる敵を倒していくアクション・ゲームで、プレイヤーは敵の落とした近接武器や銃器をとっかえひっかえしながら殲滅を目指します。具体的な様子は前項の映像にあるとおりで、幕間の日常シーンを含めても1ステージ3分に満たない、非常にハイ・スピードでインスタントなゲーム性が特徴です。
ただしそれはノー・ミスでクリアできればの話であって、よっぽど慣れた人でもないかぎり、まずゲーム・オーヴァーになりまくります。なにせ敵の攻撃はすべて一撃死。反応もはやいし、複数人固まっているのが普通なので、何も考えずに突っ込めば間違いなく死ぬし、考えてもやっぱり死ぬ。
殺っては殺られてまた殺って・・・
なので、プレイヤーは幾度となくゲーム・オーヴァーになりながら敵の配置を覚え、パターンを構築してクリアを目指すことになります。こういうゲームを一般的には”覚えゲー”と言いますが、クリア時の達成感とゲーム・オーヴァーの連続によるストレスとのさじ加減が難しいゲーム・システムでもあります。
しかし本作はチェック・ポイントの感覚が絶妙で、且つやられても本当に一瞬、0.5秒ぐらいでやり直せるのがうまいストレス緩和になっていますね。敵を倒すのが爽快なのも、リトライのモチヴェーションになってくる。
また敵を倒すというシンプルな目的ながら、発見されずに近づくというステルス要素もあれば、見つかった後どう捌くかというアクション要素もあり、そのアクションも近接武器を使うか銃器を使うかで事情はまったく変わってきます。そして何よりこれらがハイ・スピードなゲーム・プレイのなかで渾然一体となっているのがとてもおもしろい。
ステルスとアクションのハイブリット作品というのはいまではなんら珍しいものではありません。ただ僕がいままで遊んできた作品はどれも、敵に見つかるまではステルス、見つかった後はずっとアクションという具合に、両者の境界とゲーム・プレイの差異は明確に線引きされていました。
しかし『Hotline Miami』にはそのゲーム・プレイがシフトする境界というものがありません。と言うよりも目まぐるしく変わりまくる。映像を見ていただくとわかりますが、敵への接近から攻撃までが本当に一瞬の出来ごとで、ステルスしている1秒後には殴り合いになり得るし、さらにその1秒後には倒した敵の銃を奪って遠方の敵を狙い撃っていることも普通にあるのです。これらが継ぎ目なくシームレス移行しつづけていくゲームというものは、いままでにない体験でした。
当然、操作中はなかなかの忙しさになるので、パターン化が重要になってきます。敵を殺しまくっては殺されて、より最適なパターンを導き出すため、さらに殺して殺されまくる。殺されまくってイライラが募ろうとも、それさえも糧にして再び挑む。それだけの中毒性が本作にはあるのです。
そしてこの何度もリトライをする、せざるを得ないゲーム・メカニックが、じつは本作の物語、ひいては暴力表現の正当化につながる巧妙なトリックにもなっているのです。