Home > Interviews > interview with Nightmares on Wax (George Evelyn) - いま音楽を感じる喜び
自由についてのアルバムを作っている最中に、自分も実際に何かから解放されたい/逃れたいと思って生きていた、みたいな。しかもその間、外の世界も同じような状況だったわけだよね? 人びとは外出したがっていたし、他者との結びつきを求めていて、でも家族親類にすらなかなか会えない状況だった。政府の動き方もかなり妙な具合だったし、うん、思ったんだよ、「みんな自由を求めてる、じゃあ、フリーダムってなんなんだ?」と
■これだけ長い間活動し、アルバムを出し続けるというのは決して簡単なことではないと思います。かれこれ30年近くですよね?
GE:ああ、32年じゃないかな?
■アイデアの面でもそうですが、パッションの面でも若いときの気持ちを持続するのは困難です。今作『Shout Out! To Freedom…』はどのようなパッションをもって制作されたのでしょう? どんな風にパッションを維持しているのですか?
GE:そうだな……思うに、俺は常にかなり、好奇心の強い知りたがりな人間だからだと思う。だからいつだって疑問を発しているし、しかもそれらの疑問は大抵、自分自身を中心にしたものだっていう。要するに「この、俺が音楽と結んでいる関係ってなんだんだ?」みたいなことだとか、とにかく「これはなんなんだ?」としょっちゅう疑問が浮かぶし、そうなったらその答えを見つけようとする。あるいは、過去を振り返って「フム、昔の自分はいったいどうやって音楽を作ったんだ?」と思うことすらある。っていうのも、いまの自分はああいう音楽の作り方をやらないし、考え方も変わったから、ああいう音楽の作り方はもうやれっこないな、と。だから、自分の作品を聴き返してテクニカル面での細かい内訳は思い出せないし、それこそもう、自分の音楽を自分で暗号解読するのに近い。ただ、たとえそうであっても、その曲にある魔法の瞬間は認識できる。そのマジックの瞬間を、俺のなかに存在する子供は聴き取ることができる。で、その部分なんだよ、俺がなんとか近づこうとして取り組んできたところっていうのは。
というのも、自分のなかにあるその部分は、とにかくプレイ(遊ぶ)しようとし、楽しみたがっている。でも、子供ではなく年齢を重ねた部分は、物事を見極めようとして、本当に観察型で分析派なものになるんだ。で、自分のその面があまりにシリアスになることもあるのに気がついたし、そうなると音楽作りから楽しさが奪われてしまうんだよ。で、過去にそうやってシリアスになり過ぎて音楽からFUNが失われた、そういう状況に自分が陥ったことは間違いなくあった。だからだろうね、これ(キャリア)に関しては、旅路を行くようなものだ、と捉えられるのは。たまにそうなることもあるさ、と。
でも、俺がその旅路のなかで学んできたことは「自分が邪魔になることなしに、自然に音楽に発生させることはできるだろうか?」であって。その点は、いまの自分にはとても、とても大切だ。音楽が自然に生じる状況の妨げにならないようにすることで、俺は自分のやっていることと自分との関係についてもっと意識するようになりはじめたし、そこにエキサイトさせられる。そんなわけで、いまの自分は――もちろん、「こうだろう」という概念はあるんだよ。ただ、自分が何かを探し求め、音楽を作っているとき、俺はそこでいまだに質問を発しているんだ、「君(音楽)は俺に何を語りかけようとしているんだい?」みたいに。(語気を強め命令口調で)「これは絶対にこうあるべきだ!」、「サウンドはこうじゃないとダメだ!」云々なノリではなくてね。
いや、俺だって確実に、そういう人間ではあったんだよ。ただし、いまの自分はそうではない。いまの自分はゲームに興じているという感じだし、そこにあるアドヴェンチャー、そして可能性は無限大、みたいに思う。で、完璧である必要はないんだよね。俺はこれまで、物事を完璧にしようとして長い時間を費やしてきた。けれども、完璧過ぎるものにしようとするあまり、逆に音楽作りの楽しさが奪われてもしまう。だから、とにかく作ってみて、できたそのままに任せよう、また後になってそれに立ち返ってみればいいさ、と。きっと「ああ、こういうことだったのか」と自分にも理解できるだろう――自分の長い旅路のなかの、どこかの時点で納得がいくはずだ、と。
そんなわけで、10年前に作った音楽で、自分でもどういうことかいまだにわからない、というものはあるんだよ。ただ、いまの俺はそのプロセスを信じている――歌というのはおのずとある地点に達するものであって、そこでそれらの歌は一群の集まりになり、アルバムという大きな絵の一部を成していくようになる、そういうプロセスを信頼している。だからいまの俺は、音楽を作る際のプレッシャーをまったく感じないんだ。かつ、いわゆる「シーン」だとか(苦笑)、そういうものにまったく興味がない。ああいうもろもろは、若い頃の自分が関わっていたことだったからね!
いまの俺はとにかく、自分をもっと知るために、そして自分と音楽との関係を理解するために音楽に取り組んでいるし、それが俺を駆り立て続けている。俺にもわかったんだ、自分は、この「チャンネル」なんだ、って――なんであれ、そのときどきの自分が「これは!」と思ったもの、魅力を感じたサウンド、それを発信するためのチャンネル。で、俺はどこかからそれを受信している、と。俺にとってのそうであることの美しさというのは、いまだに「ワオ!」と驚かされるところにあるし、だからこそもっと音楽を作りたくもなるっていう(笑)。
それに俺は、とくにインスピレーションを探すってことがないんだ。スーパーマーケットを歩いていてもインスパイアされるし(笑)、そこらを歩いていて何か閃くとか、音楽と一切関係のないことをやっていてもインスピレーションが浮かぶ。つまり、ゴリゴリに「音楽、音楽、音楽!」と、そればかり考えなくてもいいってこと。俺は「自分の実人生があり、そして自分の音楽家としての人生がある」という風に分けて捉えてはいない。ノー、ノー、そうじゃないんだ、それらすべてが俺の人生なんだ!みたいな(笑)。そのおかげで、自分はより解放され、かつもっとインスパイアされるようになったと思う。
■『Shout Out! To Freedom…』というタイトルにした理由についてお話ください。この言葉はどういう風に出てきたのでしょう? 先ほども話に出てきたように、いろいろな人びとの「フリーダム観」を提示したい、ということですか?
GE:ああ、だからこの作品は、各種の「あなたたちにとっての自由」に捧げたもの、みたいなアルバムであって。そうはいっても、この1枚で自由に関するあらゆるテーマを取り上げてはいないかもしれないけど――
■それはやっぱり、不可能でしょう。
GE:(笑)ああ、無理だよね。それでも、今回の作品は自由にも色んなものがあるって点を認識する機会であり、自由について対話を交わすきっかけ、でもあるんだ。というのも、我々は得てして……だから、俺ですらこのレコードを作ったことで、自由に対するアウェネスが以前よりもさらに大きくなったし。で、誰であれ、今作を聴く人にも、それと同じことが起きてくれたらいいなと思ってる。自分たちの自由を意識すること、そこは大事だと思う。どうしてかと言えば、我々の一部には満喫できている自由も、ほかの人びとには許されない、ってことはあるからね。でも、あらゆる人びと、誰もが同等の自由を享受するに値する。ただ、その状態に達するには、そこに対する人間の集団的なアウェアネスが存在しなくちゃ無理だろう、と俺は思っている。俺たちはついつい、自分たちひとりひとりのちっぽけな世界に縛られてしまうわけで――
■たしかに。
GE:それよりも、俺たちがみんな、自分たちは集合的なファミリーなんだって意識に目覚めること、そこなんだ。国旗だの、国境だの、国家だの、そういう点にこだわるのはやめにして、自分たちをひとつの惑星の上で一緒に生きている存在、そういうものとして見ようじゃないか、と。俺たちには物事を変えていくチャンスがあるし、物事は物の見方、捉え方次第で変化するものだしね。だからなんだ、この「自由」っていう題材はものすごく大きなテーマだな、と思うのは。そこには実に多くの可能性が含まれている。
■アルバムのタイトルもですが、“Creator SOS”や“3D Warrior”、“Up To Us”といった曲名にも何か強い気持ちや熱い思いを感じます。平たく言えば、メッセージの籠もった作品ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
GE:うん。だからまあ、さっきから話しているように、俺はこれらの曲で、様々な自由という主題にハイライトをつけているわけ。色んな人びと、ハイレ・シュプリームとの共作曲等々で彼らの意見に光を当てているし、そうやって俺たちは質問を発しているんだ。そこなんだよね、あれらの点に対するアウェアネスを持ち込むこと、そうしたアウェアネスをより広い対話の場に持ち来たらそう、と。たとえば“3D Warrior”のタイトル、あれは、「我々は3Dリアリティのなかで生きている」、そこからきたものなんだ。で、そのリアリティのなかで生きるのは実はかなりタフでもある。3Dな現実のなかで生きている人間は、誰もがみんな戦士(Warrior)なんだ。
■私も戦士でしょうか?
GE:もちろん、君も。みんながそうなんだ。だからあの曲はいわば、すべての3Dの戦士たちに捧げる頌歌、みたいな。俺たちはみんな、3Dリアリティの窮屈な縛りのなかで生きているから――現時点では。少なくとも、現時点ではそう。永遠にそうではなくて、いずれ変わるだろうけどね、フフフッ!
序文・質問:野田努(2021年11月19日)